長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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上杉鷹山(ようざん)。藩中興の祖。米沢藩改革連載小説あとがき 

2010年12月10日 12時19分15秒 | 日記
         上杉鷹山       あとがき



  上杉鷹山は今でも、米沢の英雄である。
 もちろん藩祖・上杉謙信も英雄ではあるが、どこか謙信は”雲の上のひと”…という感じがある。その点、鷹山公は地元密着型の政治家という感じだ。
 だが、そんな上杉鷹山も若き日、改革を一度失敗している。浅間山の噴火と飢饉などで、志なかばで隠居。三十五歳の若さであった。しかし、寛政3年(1791)1月、ふたたび改革に着手する。「上書箱」を設置し、武士たちだけでなく農民や商人からも改革案をつのった。……上杉藩の祖は、いわずと知れた上杉謙信。謙信は越後60万石の大大名となった。しかし、彼の死後、甥の景勝の代となってから、秀吉の命により上杉は東北、会津120万石に。そのあと関ケ原で、米沢三十万石に。更に、藩主の死で米沢十五万石になった。 しかし、藩士はそのままであったため、収入3万両に対し、赤字は7万両…そのうち借金返済に4万両使わざるえなかった。しかし、藩主・重定は能や女遊びにうつつをむかすのみ。そんな中、日向(宮崎県)高鍋からの養子となった治憲(鷹山)は氏神に誓う。
 ……年々、藩がおとろえ、危機に貧しています。改革に着手します。おこたるようなことがあらば、罰していただいてけっこうです。……
 こうして、治憲(鷹山)の改革はスタートする。武士にも田畑を耕かせる。当然、反発がおこる。抵抗勢力のリーダーは、藁科立沢という武士、そして千坂や芋川ら…。立沢は仕事が怠惰だ、と鷹山に職を追われていた。その恨みつらみがいわゆる『七家騒動』へとつながる。しかし、クーデターも失敗。立沢らは切腹、打ち首となるのだった。

  上杉鷹山は『養子』だから、ふたつのスタンスがあったはず。ひとつは、座を守るために妥協。もうひとつが、聖域なき改革を断行する…。彼は後者をとった。だが、上杉は名門だからメンツもあり、改革には反発もあったという。
  竹俣の漆千本改革で、漆蝋燭財政再建案も挫折(漆蝋燭より品質のいいハゼ蝋がでたため市場から駆逐された)、そして天明2年(1782)竹俣は失脚する。それにともない、莅戸も隠居。そんなおり天明3年(1783)8月、浅間山が噴火し大飢饉に。
 5月には重定の御殿が焼失。再建のために借金がかさむ。財政難と挫折感で、鷹山は三十五歳で隠居してしまう。
 なぜ、鷹山は一度目に失敗したか…?
 まず、マーケティグ不足。鷹山は理想を追っているため、「自分についてこないほうが悪い」という思い違いがあった。また、改革の主要メンバーは、米沢から追われて江戸に飛ばされたトラブル・メーカーだったこと。(米沢の本家からみれば、「あの藩主はトラブル・メーカーなどひきつれてなにやってんだ!」と思われた)さらに、コアだけでなく理解層の不足。そして、ヴィジョンを示さなかったこと。「将来こういう社会になり、幸せになるから痛みに耐えよう」といわなかった。
 それから、隠居したのは重定の実子が敵年期になったからといわれているが、それ以上に、改革の種は撒いたのだから、あとは熟成し、ほっといても改革は成就するという甘い考えがあったことだ。

  新しい藩主の就任式なとで財政は逼迫する一方であったが、改革は進まない。また、新藩主は、家臣の給料をカット(米70%から33%カットした)するのみ。そのため、悪質な搾取が横行し、重税に耐えかねた農民は米沢から逃げ出してしまう。人口13万人から、9万人まで人口が減ったという。人々はいう「藩は国民の肉までとりあげる。こうなったのも名君(鷹山のこと)を隠居させたからだ…」
 こうして、国民の支持に答え、隠居から6年後、41歳となった鷹山は再び改革を断行する。寛政2年(1790)11月22日、鷹山は藩士たち全員に、藩の財政赤字を発表する。 そして、家臣たちの支持により、隠居中の莅戸善政が復活、財政再建案を構築する。そして、『上書箱』が設置され、武士からも農民・商人からも、改革案などや意見を集めるようにした。さまざまな案が投書される。その中にはかつての抵抗勢力からも…(管見談)                    
 立沢の息子・立遠は「桑を育て、養蚕を…」とアイデアを出す。
 鷹山はそのアイデアを採用し、自分の金により桑を農民や武士たちに無料で配布していく。桑への税も免除し、鷹山は自ら『養蚕手引書』というマニュアルまで作成する。
 鷹山の妻・お富の方も屋敷で桑を栽培したといわれる。
 そんな中、ヒット商品がうまれる。……米沢織物…そして、透綾(透けて夏にも涼しい羽織り)、である。こうして財政も改善し、黒字に好転…。文政5年(1822)3月12日、鷹山は72歳で死去。米沢藩の膨大な借金がすべて返済されたのは、彼の死後、一年目のことであった。
  一回目の失敗は、観念的で性急すぎたこと、(鷹山)派閥・役所中心だったこと、リサーチ不足といえる。その反省から『上書箱』が生まれ、人材発掘・アイデア発掘ができたのだ。そして、反体制力にも改革心が芽生えたのだ。
  改革は縮小だけでなく、ときには拡大や投資も必要……。鷹山はそれを勉強したにちがいない。上杉鷹山は常々、家臣にこう語ったという。

 ……成せば成る成さねば成らぬ何事も、成らぬはひとの成さぬなりけり……。

 ……不況になるたびに、時代が混迷するたびに、上杉鷹山は注目を集める。
 それは、多分に、上杉鷹山が”真実の改革”をおこなったからに他ならない。
                           上杉鷹山     おわり 



上杉鷹山(大河ドラマ)キャスト
                     原作・緑川鷲羽 脚本・田渕久美子
                     音楽・大島ミチル
       

      上杉鷹山(治憲)…………    木村拓哉(SMAP)
            幸姫 …………    美山加恋
      上杉直丸(少年期)………    加藤清史郎
      上杉重定    …………    宇津井健
      竹俣当綱    …………    中村梅雀(2代目)
      莅戸善政(大華)…………    風間杜夫
      木村高広    …………    京本政樹
      藁科松伯    …………    高嶋政伸
      お富の方    …………    浅野ゆう子
      佐藤文四郎   …………    今井翼(タッキー&翼)
      旅館の女将   …………    鈴木砂羽
      水沢七兵衛   …………    佐藤B作
      須田満主    …………    平泉成
      黒井半四郎   …………    笹野高史
      細井平洲    …………    寺尾聰
      文四郎の恋人  …………    多部未華子
      色部照長    …………    すまけい
      紀伊      …………    香川京子
      七家      …………    神山繁・北村総一郎・森山周一郎

        他  











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