小説
お市の方
とその時代~花の乱~
おいちのかた
~「お市の方」の波乱の生涯! 今だからこそ、お市の方と柴田勝家
total-produced&PRESENTED&written by
Washu Midorikawa
緑川 鷲羽
this novel is a dramatic interoretation
of events and characters based on public
sources and an in complete historical record.
some scenes and events are presented as
composites or have been hypothesized or condensed.
”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
米国哲学者ジョージ・サンタヤナ
お市の方 あらすじ
お市が尾張に生まれたとき、時代は群雄かっ歩の戦国の世だった。織田信秀の嫡男・うつけの信長の妹。桶狭間合戦で、大国・駿河の大将・今川義元の首をとる信長。そして、秀吉は墨俣一夜城築城をつくる。そして、さらに奇跡がやってくる。足利将軍が信長の手元に転がりこんできたのだ。信長は将軍を率いて上洛、しかし将軍はロボットみたいなものだった。将軍は怒り、諸大名に信長を討つように密かに書状を送る。信長は、妹・お市を嫁にやり義兄弟同然だった浅井らにうらぎられ、武田信玄などの脅威で、信長は一時危機に。しかし、機転で浅井朝倉連合に勝利、武田信玄の病死という奇跡が重なり、信長は天下統一「天下布武」を手中におさめようとする。彼は鬼のような精神で、寺や仏像を焼き討ちに。足利将軍も追放する。しかし、それに不満をもったのは家臣・明智光秀だった。光秀は謀反を決意する。そして、中国・九州攻めのため秀吉と合流しようとわずか百の手勢で京へ向かう信長。しかし、本能寺で光秀に攻撃され、本能寺は炎上、織田信長は自害、すべてが炎につつまれる。秀吉は光秀を討つ。続いて柴田勝家はやぶれた。再婚相手のお市は勝家とともに自害。秀吉は関白になり、家康とも同盟し、秀吉は天下人に。しかし、秀吉が死に、利家も病に倒れる。お市の方は悲劇の最後であった。
第一章 お市の方
1 勝家とお市
尾張の律義者
「柴田勝家」は日陰者である。
秀吉や信長や家康となると「死ぬほど」主人公になっている。秀吉は百姓出の卑しい身分からスタートしたが、持ち前の知恵と機転によって「天下」を獲った。知恵が抜群に回ったのも、天性の才、つまり天才だったからだろう。外見はひどく、顔は猿そのものであり、まわりが皆、秀吉のことを「サル、サル」と呼んだ。
が、そういう罵倒や嘲笑に負けなかったところが秀吉の偉いところだ。
勝家は律義者で、策略はうまくなかったが、うそのつけない正直者で、信長に可愛がられた。秀吉の才能を見あやまり、討たれて死んだのも天命であった。
お市の方が尾張(愛知県)に生まれたとき、時代は群雄かっ歩の戦国の世だった。
生誕は天文十六年(1547年)死去は・天正十一年四月二十四日(1583年6月14日)といわれる。父親の名は織田信秀といわれるが詳しくは不明。母親の名も不明……墓所は福井県柴田神社である。
通称、小谷の方、あまり知られてないが、美貌で戦国一の才女であったという。
兄は織田信長、信長の妹がお市の方、生母は信秀の側室、土田御前。尾張国(現在の愛知県愛知市生まれという。
お市の方の父は織田信秀(信長の父)は尾張の守護代で、駿河(静岡県)の今川や美濃(岐阜県)の斎藤らと血で血を洗う戦いを繰り広げていた。
その子の信長は苦労知らずの坊っちゃん気質がある。浮浪児でのちの豊臣(羽柴)秀吉(サル、日吉、または木下藤吉郎)や、六歳のころから十二年間、今川や織田の人質だったのちの徳川家康(松平元康)にくらべれば育ちのいい坊っちゃんだ。それがバネとなり、大胆な革命をおこすことになる。また、苦労知らずで他人の痛みもわからぬため、晩年はひどいことになった。そこに、私は織田信長の悲劇をみる。
この戦国時代、十六世紀はどんな時代だったであろうか。
実際にはこの時代は現代よりもすぐれたものがいっぱいあった。というより、昔のほうが技術が進んでいたようにも思われると歴史家はいう。現代の人々は、古代の道具だけで巨石を積み、四千年崩壊することもないピラミッドをつくることができない。鉄の機械なくしてインカ帝国の石城をつくることもできない。わずか一年で、大阪城や安土城の天守閣をつくることができない。つまり、先人のほうが賢く、技術がすぐれ、バイタリティにあふれていた、ということだ。
戦国時代、十六世紀は西洋ではルネッサンス(文芸復興)の時代である。ギリシャ人やローマ人がつくりだした、彫刻、哲学、詩歌、建築、芸術、技術は多岐にわたり優れていた。西洋では奴隷や大量殺戮、宗教による大虐殺などがおこったが、歴史家はこの時代を「悪しき時代」とは書かない。
日本の戦国時代、つまり十五世紀から十六世紀も、けして「悪しき時代」だった訳ではない。群雄かっ歩の時代、戦国大名の活躍した時代……よく本にもドラマにも芝居にも劇にも歌舞伎にも出てくる英雄たちの時代である。上杉謙信、武田信玄、毛利元就、伊達政宗、豊臣秀吉、徳川家康、織田信長、そして前田勝家、この時代の英雄はいつの世も不滅の人気である。とくに、明治維新のときの英雄・坂本龍馬と並んで織田信長は日本人の人気がすこぶる高い。それは、夢やぶれて討死にした悲劇によるところが大きい。坂本龍馬と織田信長は悲劇の最期によって、日本人の不滅の英雄となったのだ。
世の中の人間には、作物と雑草の二種類があると歴史家はいう。
作物とはエリートで、温室などでぬくぬくと大切に育てられた者のことで、雑草とは文字通り畦や山にのびる手のかからないところから伸びた者たちだ。斎藤道三や松永久秀や怪人・武田信玄、豊臣秀吉などがその類いにはいる。道三は油売りから美濃一国の当主となったし、秀吉は浮浪児から天下人までのぼりつめた。彼らはけして誰からの庇護もうけず、自由に、策略をつかって出世していった。そして、巨大なる雑草は織田信長であろう。 信長は育ちのいいので雑草というのに抵抗を感じる方もいるかもしれない。しかし、小年期のうつけ(阿呆)パフォーマンスからして只者ではない。
うつけが過ぎる、と暗殺の危機もあったし、史実、柴田勝家や林らは弟の信行を推していた。信長は父・信秀の三男だった。上には二人の兄があり、下にも十人ほどの弟がいた。信長はまず、これら兄弟と家督を争うことになった。弟の信行はエリートのインテリタイプで、父の覚えも家中の評判もよかった。信長はこの強敵の弟を謀殺している。
また、素性もよくわからぬ浪人やチンピラみたいな連中を次々と家臣にした。能力だけで採用し、家柄など気にもしなかった。正体不明の人間を配下にし、重役とした。滝川一益、羽柴秀吉、細川藤孝、明智光秀らがそれであった。兵制も兵農分離をすすめ、重役たちを城下町に住まわせる。上洛にたいしても足利将軍を利用し、用がなくなると追放した。この男には比叡山にも何の感慨も呼ばなかったし、本願寺も力以外のものは感じなかった。 これらのことはエリートの作物人間ではできない。雑草でなければできないことだ。
信長の生きた時代は下剋上の時代であった。
「応仁の乱」から四十年か五十年もたつと、権威は衰え、下剋上の時代になる。細川管領家から阿波をうばった三好一族、そのまた被官から三好領の一部をかすめとった松永久秀(売春宿経営からの成り上がり者)、赤松家から備前を盗みとった浦上家、さらにそこからうばった家老・宇喜多直家、あっという間に小田原城を乗っ取った北条早雲、土岐家から美濃をうばった斎藤道三(ガマの油売りからの出世)などがその例であるという。
また、こうした下郎からの成り上がりとともに、豪族から成り上がった者たちもいる。三河の松平(徳川)、出羽米沢の伊達、越後の長尾(上杉)、土佐の長曽我部らがそれであるという。中国十ケ国を支配する毛勝家にしても、もともとは安芸吉田の豪族であり、かなりの領地を得るようになってから大内家になだれこんだ。尾張の織田ももともとはちっぽけな豪族の出である。
また、この時代の足利幕府の関東管領・上杉憲政などは北条氏康に追われ、越後の長尾景虎(上杉謙信)のもとに逃げてきて、その姓と職をゆずっている。足利幕府の古河公方・足利晴氏も、北条に降った。関東においては旧勢力は一掃されたのだという。
そして、こんな時代に、秀吉は生まれた。
その頃、信長は天下人どころか、大うつけ(阿呆)と呼ばれて評判になる。両袖をはずしたカタビラを着て、半袴をはいていた。髪は茶せんにし、紅やもえ色の糸で巻きあげた。腰にはひうち袋をいくつもぶらさげている。町で歩くときもだらだら歩き、いつも柿や瓜を食らって、茫然としていた。娘たちの尻や胸を触ったりエッチなこともしたという。側の家臣も”赤武者”にしたてた。
かれらが通ると道端に皆飛び退いて避けた。そして、通り過ぎると、口々に「織田のうつけ殿」「大うつけ息子」と罵った。
一五五二年春、信長のうつけが極まった頃、信長の父・信秀が死んだ。
お市の方はこの頃まだ十代。信長の共をしていたのちの再婚相手の柴田勝家はいつも汚い服を着て、世間の評判など”どこ吹く風”であった。
勝家は尾張の城主・柴田家の四男で、長男には女房もなく、いつも勝家を可愛がってくれたという。尾張(愛知県)の農道を信長の一団が行軍していた。
周りはほとんど田んぼや山々である。その奇妙な行進を村人たちは物見遊山でみていた。「うつけ(阿呆)! うつけ! うつけ!」童子たちが嘲笑する。
織田信長は美濃(岐阜県)の斎藤道三と会うために行進していた。
信長のお共の者は八百人くらいだ。ところが、その者たちは片衣どころか鎧姿であったという。完全武装で、まるで戦場にいくようであった。家臣の半分は三メートルもの長い槍をもち、もう半分が鉄砲をもっている。当時の戦国武将で鉄砲を何百ももっているものはいなかった。田仕事をしていた秀吉の母なかは泥に汚れながらそれを見ていた。母は唖然としていた。「あれが…信長さまかえ。まさにうつけじゃ」呟いた。
秀吉の母はにやにやして馬上の若者を見た。
茶せんにしたマゲをもえぎ色の糸で結び、カタビラ袖はだらだらと外れて、腰には瓢箪やひうち袋を何個もぶらさげている。例によって、瓜をほうばって馬に揺られている。
通りの庶民の嘲笑を薄ら笑いで受けている。なかは圧倒された。
「噂どおりのうつけ者じゃ」笑った。
道三にあいにいくのにまるで戦を仕掛けるような格好だ。しかも、あれは織田のほんの一部。信長は城にもっと大量の槍や鉄砲をもっているだろう。鉄砲の力を知っておる。あなどれない。
「うつけ! うつけ! うつけ!」村人たちが嘲笑する。
なかは、あらっ?と思った。行軍の横の草むらに秀吉がいる。汚いかったの服を着て、顔を白く塗った…あれは日吉(秀吉)だ。わたしの息子だ。
秀吉は汚い垢や埃だらけの格好で、大根をほうばっている。
「日吉! 日吉!」母は笑った。大声で呼んだ。
秀吉は大根をほうばり、奇声をあげている。「うつけ者!」信長はちらりと馬上から秀吉をみた。不思議なものを見るような顔だった。なんだ、このサルみたいな小汚ないのは……
「日吉! 今までどこにいっとった?」母は大声で尋ねた。是非とも答えがききたかった。どうしてたのか? 母はサルの息子を気遣った。
「おっかあ、わしはうつけを見物に見にきたのよ!」秀吉は大声でいい、また大根をほうばった。すると、農民が「この盗人」と秀吉を追いかけだした。どうやら大根は盗んだものであるらしい。追っかけっこが続く。
馬上の柴田勝家(権六)もそれを見て笑った。
なんだ、あのサルは……。勝家は、この男が天下人となり、自分を殺すことになるとはこのとき想像もしていなかったであろう。
妹のお市は信長の白い歌舞伎顔を見て「こわい」と泣きそうになった。
「あ! これはすまんすまん!」信長は川の水で化粧を落とした。
「どうだ? これで怖くなかろう?」
「はい!」お市はにやりと笑った。
「兄上はうつけですか?」お市がきいた。
「違うさ。だが、只の田舎城主の息子だ。まぁ、いずれは大きな城持ち大名になってみせる。城持ち大名よ、天下人さまよ!」と壮大な夢を語った。信長は泥だらけ垢だらけで、夢を語った。
お市は笑わなかった。冗談ではなく本気だとわかったからだ。
「城持ち大名、天下人さま? それはいいですわ」
「人間はのう…」信長は言葉を切った。どじょうをほうばった。
「人間というものは努力と知恵と幸運でどんなものにもなれるのよ。ちがうか?」
「………その通りかも…しれませぬなぁ」
お市は感心し、静かに頷いた。この兄はただものじゃない。彼女は、信長の中のなにかを発見した。ただのハッタリ男ではない。光るものがある。
この男は……ただものじゃない。
立志
権六(勝家)は実家にもどった。
勝家の実家は茅葺き屋根の粗末な木造の城で、大変汚いところだ。百姓だか、武門だか、よくわからない。さらに悪いことには狭い。家には父がいた。このずんぐりとした中年男と勝家は仲が良い。
勝家は粥をがつがつ食べた。
「たつ、水、水」父が当然のようにいった。
「はい、ただいま」たつが桶の水を汲もうとすると、勝家は「水くらい自分でつがんかい」といった。それは反抗期の顔だった。
「権六。信長さまの家臣になったからっていい気になりおって」
父がいうと、勝家は「何もいい気になどなっておらん。わしの夢はもっと大きいぞ」と夢を語った。
「どんな夢じゃ?」長男が不思議そうな顔できいた。
「城持ち大名よ! 大名さまよ! 百万石よ!」
勝家は目をぎらぎらさせていった。にやりとした。すると一同は大爆笑して、勝家を嘲笑した。「馬鹿だねぇ」「百万石の城持ち大名?! あははは」
勝家は「笑うな! 城持ち大名になるのじゃ! わしは!」と激しく怒った。しかし、一同はにやにや笑うだけだった。……百万石の城持ち大名?! あははは。馬鹿なことを。 ちくしょう! 信行さまが殺されなかったら……
のちの勝家の妻、幼女・お市は城にいくため、午後の田んぼ道を歩いた。誰もいなかったが、乳母のうめだけは付き添いで連れ添って歩いていた。
うめは「いいかい? 世の中コツコツ努力して仕事したものが勝つんじゃぞ」と諭した。お市は「はい!」といった。
「あの織田信長さまは必ず大きな城持ち大名になる!」
うめは笑った。そして「もしかしたら、おみゃあは本当に天下人の妹になれるかもしれん」
「……天下?」お市は真剣な顔になって尋ねた。ふたりは足をとめた。
「おうとも」うめはにやにやした。お市もにやにやして「わたしは必ず城持ち大名の奥方になる!」と強くいった。
「そして……」お市は続けた。「そして…天下人の妹方に!」
「天下人の妹方?! 馬鹿じゃねぇおみゃあは」
ふたりは笑った。
お市の方
とその時代~花の乱~
おいちのかた
~「お市の方」の波乱の生涯! 今だからこそ、お市の方と柴田勝家
total-produced&PRESENTED&written by
Washu Midorikawa
緑川 鷲羽
this novel is a dramatic interoretation
of events and characters based on public
sources and an in complete historical record.
some scenes and events are presented as
composites or have been hypothesized or condensed.
”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
米国哲学者ジョージ・サンタヤナ
お市の方 あらすじ
お市が尾張に生まれたとき、時代は群雄かっ歩の戦国の世だった。織田信秀の嫡男・うつけの信長の妹。桶狭間合戦で、大国・駿河の大将・今川義元の首をとる信長。そして、秀吉は墨俣一夜城築城をつくる。そして、さらに奇跡がやってくる。足利将軍が信長の手元に転がりこんできたのだ。信長は将軍を率いて上洛、しかし将軍はロボットみたいなものだった。将軍は怒り、諸大名に信長を討つように密かに書状を送る。信長は、妹・お市を嫁にやり義兄弟同然だった浅井らにうらぎられ、武田信玄などの脅威で、信長は一時危機に。しかし、機転で浅井朝倉連合に勝利、武田信玄の病死という奇跡が重なり、信長は天下統一「天下布武」を手中におさめようとする。彼は鬼のような精神で、寺や仏像を焼き討ちに。足利将軍も追放する。しかし、それに不満をもったのは家臣・明智光秀だった。光秀は謀反を決意する。そして、中国・九州攻めのため秀吉と合流しようとわずか百の手勢で京へ向かう信長。しかし、本能寺で光秀に攻撃され、本能寺は炎上、織田信長は自害、すべてが炎につつまれる。秀吉は光秀を討つ。続いて柴田勝家はやぶれた。再婚相手のお市は勝家とともに自害。秀吉は関白になり、家康とも同盟し、秀吉は天下人に。しかし、秀吉が死に、利家も病に倒れる。お市の方は悲劇の最後であった。
第一章 お市の方
1 勝家とお市
尾張の律義者
「柴田勝家」は日陰者である。
秀吉や信長や家康となると「死ぬほど」主人公になっている。秀吉は百姓出の卑しい身分からスタートしたが、持ち前の知恵と機転によって「天下」を獲った。知恵が抜群に回ったのも、天性の才、つまり天才だったからだろう。外見はひどく、顔は猿そのものであり、まわりが皆、秀吉のことを「サル、サル」と呼んだ。
が、そういう罵倒や嘲笑に負けなかったところが秀吉の偉いところだ。
勝家は律義者で、策略はうまくなかったが、うそのつけない正直者で、信長に可愛がられた。秀吉の才能を見あやまり、討たれて死んだのも天命であった。
お市の方が尾張(愛知県)に生まれたとき、時代は群雄かっ歩の戦国の世だった。
生誕は天文十六年(1547年)死去は・天正十一年四月二十四日(1583年6月14日)といわれる。父親の名は織田信秀といわれるが詳しくは不明。母親の名も不明……墓所は福井県柴田神社である。
通称、小谷の方、あまり知られてないが、美貌で戦国一の才女であったという。
兄は織田信長、信長の妹がお市の方、生母は信秀の側室、土田御前。尾張国(現在の愛知県愛知市生まれという。
お市の方の父は織田信秀(信長の父)は尾張の守護代で、駿河(静岡県)の今川や美濃(岐阜県)の斎藤らと血で血を洗う戦いを繰り広げていた。
その子の信長は苦労知らずの坊っちゃん気質がある。浮浪児でのちの豊臣(羽柴)秀吉(サル、日吉、または木下藤吉郎)や、六歳のころから十二年間、今川や織田の人質だったのちの徳川家康(松平元康)にくらべれば育ちのいい坊っちゃんだ。それがバネとなり、大胆な革命をおこすことになる。また、苦労知らずで他人の痛みもわからぬため、晩年はひどいことになった。そこに、私は織田信長の悲劇をみる。
この戦国時代、十六世紀はどんな時代だったであろうか。
実際にはこの時代は現代よりもすぐれたものがいっぱいあった。というより、昔のほうが技術が進んでいたようにも思われると歴史家はいう。現代の人々は、古代の道具だけで巨石を積み、四千年崩壊することもないピラミッドをつくることができない。鉄の機械なくしてインカ帝国の石城をつくることもできない。わずか一年で、大阪城や安土城の天守閣をつくることができない。つまり、先人のほうが賢く、技術がすぐれ、バイタリティにあふれていた、ということだ。
戦国時代、十六世紀は西洋ではルネッサンス(文芸復興)の時代である。ギリシャ人やローマ人がつくりだした、彫刻、哲学、詩歌、建築、芸術、技術は多岐にわたり優れていた。西洋では奴隷や大量殺戮、宗教による大虐殺などがおこったが、歴史家はこの時代を「悪しき時代」とは書かない。
日本の戦国時代、つまり十五世紀から十六世紀も、けして「悪しき時代」だった訳ではない。群雄かっ歩の時代、戦国大名の活躍した時代……よく本にもドラマにも芝居にも劇にも歌舞伎にも出てくる英雄たちの時代である。上杉謙信、武田信玄、毛利元就、伊達政宗、豊臣秀吉、徳川家康、織田信長、そして前田勝家、この時代の英雄はいつの世も不滅の人気である。とくに、明治維新のときの英雄・坂本龍馬と並んで織田信長は日本人の人気がすこぶる高い。それは、夢やぶれて討死にした悲劇によるところが大きい。坂本龍馬と織田信長は悲劇の最期によって、日本人の不滅の英雄となったのだ。
世の中の人間には、作物と雑草の二種類があると歴史家はいう。
作物とはエリートで、温室などでぬくぬくと大切に育てられた者のことで、雑草とは文字通り畦や山にのびる手のかからないところから伸びた者たちだ。斎藤道三や松永久秀や怪人・武田信玄、豊臣秀吉などがその類いにはいる。道三は油売りから美濃一国の当主となったし、秀吉は浮浪児から天下人までのぼりつめた。彼らはけして誰からの庇護もうけず、自由に、策略をつかって出世していった。そして、巨大なる雑草は織田信長であろう。 信長は育ちのいいので雑草というのに抵抗を感じる方もいるかもしれない。しかし、小年期のうつけ(阿呆)パフォーマンスからして只者ではない。
うつけが過ぎる、と暗殺の危機もあったし、史実、柴田勝家や林らは弟の信行を推していた。信長は父・信秀の三男だった。上には二人の兄があり、下にも十人ほどの弟がいた。信長はまず、これら兄弟と家督を争うことになった。弟の信行はエリートのインテリタイプで、父の覚えも家中の評判もよかった。信長はこの強敵の弟を謀殺している。
また、素性もよくわからぬ浪人やチンピラみたいな連中を次々と家臣にした。能力だけで採用し、家柄など気にもしなかった。正体不明の人間を配下にし、重役とした。滝川一益、羽柴秀吉、細川藤孝、明智光秀らがそれであった。兵制も兵農分離をすすめ、重役たちを城下町に住まわせる。上洛にたいしても足利将軍を利用し、用がなくなると追放した。この男には比叡山にも何の感慨も呼ばなかったし、本願寺も力以外のものは感じなかった。 これらのことはエリートの作物人間ではできない。雑草でなければできないことだ。
信長の生きた時代は下剋上の時代であった。
「応仁の乱」から四十年か五十年もたつと、権威は衰え、下剋上の時代になる。細川管領家から阿波をうばった三好一族、そのまた被官から三好領の一部をかすめとった松永久秀(売春宿経営からの成り上がり者)、赤松家から備前を盗みとった浦上家、さらにそこからうばった家老・宇喜多直家、あっという間に小田原城を乗っ取った北条早雲、土岐家から美濃をうばった斎藤道三(ガマの油売りからの出世)などがその例であるという。
また、こうした下郎からの成り上がりとともに、豪族から成り上がった者たちもいる。三河の松平(徳川)、出羽米沢の伊達、越後の長尾(上杉)、土佐の長曽我部らがそれであるという。中国十ケ国を支配する毛勝家にしても、もともとは安芸吉田の豪族であり、かなりの領地を得るようになってから大内家になだれこんだ。尾張の織田ももともとはちっぽけな豪族の出である。
また、この時代の足利幕府の関東管領・上杉憲政などは北条氏康に追われ、越後の長尾景虎(上杉謙信)のもとに逃げてきて、その姓と職をゆずっている。足利幕府の古河公方・足利晴氏も、北条に降った。関東においては旧勢力は一掃されたのだという。
そして、こんな時代に、秀吉は生まれた。
その頃、信長は天下人どころか、大うつけ(阿呆)と呼ばれて評判になる。両袖をはずしたカタビラを着て、半袴をはいていた。髪は茶せんにし、紅やもえ色の糸で巻きあげた。腰にはひうち袋をいくつもぶらさげている。町で歩くときもだらだら歩き、いつも柿や瓜を食らって、茫然としていた。娘たちの尻や胸を触ったりエッチなこともしたという。側の家臣も”赤武者”にしたてた。
かれらが通ると道端に皆飛び退いて避けた。そして、通り過ぎると、口々に「織田のうつけ殿」「大うつけ息子」と罵った。
一五五二年春、信長のうつけが極まった頃、信長の父・信秀が死んだ。
お市の方はこの頃まだ十代。信長の共をしていたのちの再婚相手の柴田勝家はいつも汚い服を着て、世間の評判など”どこ吹く風”であった。
勝家は尾張の城主・柴田家の四男で、長男には女房もなく、いつも勝家を可愛がってくれたという。尾張(愛知県)の農道を信長の一団が行軍していた。
周りはほとんど田んぼや山々である。その奇妙な行進を村人たちは物見遊山でみていた。「うつけ(阿呆)! うつけ! うつけ!」童子たちが嘲笑する。
織田信長は美濃(岐阜県)の斎藤道三と会うために行進していた。
信長のお共の者は八百人くらいだ。ところが、その者たちは片衣どころか鎧姿であったという。完全武装で、まるで戦場にいくようであった。家臣の半分は三メートルもの長い槍をもち、もう半分が鉄砲をもっている。当時の戦国武将で鉄砲を何百ももっているものはいなかった。田仕事をしていた秀吉の母なかは泥に汚れながらそれを見ていた。母は唖然としていた。「あれが…信長さまかえ。まさにうつけじゃ」呟いた。
秀吉の母はにやにやして馬上の若者を見た。
茶せんにしたマゲをもえぎ色の糸で結び、カタビラ袖はだらだらと外れて、腰には瓢箪やひうち袋を何個もぶらさげている。例によって、瓜をほうばって馬に揺られている。
通りの庶民の嘲笑を薄ら笑いで受けている。なかは圧倒された。
「噂どおりのうつけ者じゃ」笑った。
道三にあいにいくのにまるで戦を仕掛けるような格好だ。しかも、あれは織田のほんの一部。信長は城にもっと大量の槍や鉄砲をもっているだろう。鉄砲の力を知っておる。あなどれない。
「うつけ! うつけ! うつけ!」村人たちが嘲笑する。
なかは、あらっ?と思った。行軍の横の草むらに秀吉がいる。汚いかったの服を着て、顔を白く塗った…あれは日吉(秀吉)だ。わたしの息子だ。
秀吉は汚い垢や埃だらけの格好で、大根をほうばっている。
「日吉! 日吉!」母は笑った。大声で呼んだ。
秀吉は大根をほうばり、奇声をあげている。「うつけ者!」信長はちらりと馬上から秀吉をみた。不思議なものを見るような顔だった。なんだ、このサルみたいな小汚ないのは……
「日吉! 今までどこにいっとった?」母は大声で尋ねた。是非とも答えがききたかった。どうしてたのか? 母はサルの息子を気遣った。
「おっかあ、わしはうつけを見物に見にきたのよ!」秀吉は大声でいい、また大根をほうばった。すると、農民が「この盗人」と秀吉を追いかけだした。どうやら大根は盗んだものであるらしい。追っかけっこが続く。
馬上の柴田勝家(権六)もそれを見て笑った。
なんだ、あのサルは……。勝家は、この男が天下人となり、自分を殺すことになるとはこのとき想像もしていなかったであろう。
妹のお市は信長の白い歌舞伎顔を見て「こわい」と泣きそうになった。
「あ! これはすまんすまん!」信長は川の水で化粧を落とした。
「どうだ? これで怖くなかろう?」
「はい!」お市はにやりと笑った。
「兄上はうつけですか?」お市がきいた。
「違うさ。だが、只の田舎城主の息子だ。まぁ、いずれは大きな城持ち大名になってみせる。城持ち大名よ、天下人さまよ!」と壮大な夢を語った。信長は泥だらけ垢だらけで、夢を語った。
お市は笑わなかった。冗談ではなく本気だとわかったからだ。
「城持ち大名、天下人さま? それはいいですわ」
「人間はのう…」信長は言葉を切った。どじょうをほうばった。
「人間というものは努力と知恵と幸運でどんなものにもなれるのよ。ちがうか?」
「………その通りかも…しれませぬなぁ」
お市は感心し、静かに頷いた。この兄はただものじゃない。彼女は、信長の中のなにかを発見した。ただのハッタリ男ではない。光るものがある。
この男は……ただものじゃない。
立志
権六(勝家)は実家にもどった。
勝家の実家は茅葺き屋根の粗末な木造の城で、大変汚いところだ。百姓だか、武門だか、よくわからない。さらに悪いことには狭い。家には父がいた。このずんぐりとした中年男と勝家は仲が良い。
勝家は粥をがつがつ食べた。
「たつ、水、水」父が当然のようにいった。
「はい、ただいま」たつが桶の水を汲もうとすると、勝家は「水くらい自分でつがんかい」といった。それは反抗期の顔だった。
「権六。信長さまの家臣になったからっていい気になりおって」
父がいうと、勝家は「何もいい気になどなっておらん。わしの夢はもっと大きいぞ」と夢を語った。
「どんな夢じゃ?」長男が不思議そうな顔できいた。
「城持ち大名よ! 大名さまよ! 百万石よ!」
勝家は目をぎらぎらさせていった。にやりとした。すると一同は大爆笑して、勝家を嘲笑した。「馬鹿だねぇ」「百万石の城持ち大名?! あははは」
勝家は「笑うな! 城持ち大名になるのじゃ! わしは!」と激しく怒った。しかし、一同はにやにや笑うだけだった。……百万石の城持ち大名?! あははは。馬鹿なことを。 ちくしょう! 信行さまが殺されなかったら……
のちの勝家の妻、幼女・お市は城にいくため、午後の田んぼ道を歩いた。誰もいなかったが、乳母のうめだけは付き添いで連れ添って歩いていた。
うめは「いいかい? 世の中コツコツ努力して仕事したものが勝つんじゃぞ」と諭した。お市は「はい!」といった。
「あの織田信長さまは必ず大きな城持ち大名になる!」
うめは笑った。そして「もしかしたら、おみゃあは本当に天下人の妹になれるかもしれん」
「……天下?」お市は真剣な顔になって尋ねた。ふたりは足をとめた。
「おうとも」うめはにやにやした。お市もにやにやして「わたしは必ず城持ち大名の奥方になる!」と強くいった。
「そして……」お市は続けた。「そして…天下人の妹方に!」
「天下人の妹方?! 馬鹿じゃねぇおみゃあは」
ふたりは笑った。