緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

維新の風と 龍馬伝「薩長同盟・大政奉還・維新回天の土佐の英雄」ブログ連載小説3

2013年12月26日 06時53分33秒 | 日記
         3 脱藩と寺田屋事件




 上海から長崎に帰ってきて、高杉晋作がまずしたことは、船の買いつけだった。
 ………これからは船の時代だ。しかも、蒸気機関の。
 高杉は思考が明瞭である。
 …ペリー艦隊来訪で日本人も目が覚めたはずだ。
 ……これからは船、軍艦なんだ。ちゃんとした軍艦をそろえないとたちまちインドや清国(中国)のように外国の植民地にされちまう。伊藤博文の目は英会話だった。
 一緒に上海にいった薩摩の五代は同年一月、千歳丸の航海前に蒸気船一隻を購入したという。長崎の豪商グラバーと一緒になって、十二万ドル(邦価にして七万両)で買ったという。
 いっているのが薩摩の藩船手奉行副役である五代の証言なのだから、確実な話だ。
 上海で、蒸気船を目にしているから、高杉晋作にとっては喉から手がでるほど船がほしい。そこへ耳よりな話がくる。長崎に着くと早々、オランダの蒸気船が売りにだされているという。値段も十二万ドルとは手頃である。
「買う」
 即座に手にいれた。
 もちろん金などもってはいない。藩の後払いである。
 ……他藩より先に蒸気船や軍艦をもたねば時流に遅れる。
 高杉の二十三歳の若さがみえる。
 奇妙なのは晋作の革命思想であるという。
 ……神州の士を洋夷の靴でけがさない…
という壤夷(武力によって外国を追い払う)思想を捨てず、
 ……壤夷以外になにがあるというのだ!
 といった、舌の根も乾かないうちに、洋夷の蒸気船購入に血眼になる。
 蒸気船購入は、藩重役の一決で破談となった。
「先っぱしりめ! 呆れた男だ!」
 それが長州藩の、晋作に対する評価であった。
 当然だろう。時期が早すぎたのだ。まだ、薩長同盟もなく、幕府の権力が信じられていた時代だ。晋作の思想は時期尚早過ぎた。

  蒸気船購入の話は泡と消えたが、重役たちの刺激にはなった。
 この後、動乱期に長州藩は薩摩藩などから盛んに西洋式の武器や軍艦を購入することになる。
 藩にかえった晋作は、『遊清五録』を書き上げて、それを藩主に献上して反応をまった。 だが、期待するほどの反応はない。
「江戸へおもむけ」
 藩命は冷ややかなものだった。
 江戸の藩邸には、桂小五郎や晋作の上海航海を決めた周布政之助がいる。また、命令を下した藩世子毛利元徳も江戸滞在中であった。
 晋作は、
「しかたねぇな」と、船で江戸へ向かった。
 途中、大阪で船をおり、京に足をのばし藩主・毛利敬親とあった。敬親は京で、朝廷工作を繰り広げていた。
 晋作は上海のことを語り、また壤夷を説くと、敬親は、
「くわして話しは江戸でせい」
 といって晋作の話しをとめた。
「は?」
 晋作は唖然とする。
 敬親には時間がなかった。朝廷や武家による公武合体に忙しかった。
 京での長州藩の評判は、すこぶる悪かった。
 ……長州は口舌だが、実がない!
 こういう悪評を煽ったのは、薩摩藩だった。
 中でも謀略派藩士としても知られる薩摩藩の西郷吉之助(隆盛)が煽動者である。
 薩摩は尊皇壤夷派の志士を批判し、朝廷工作で反長州の画策を実行していた。
 しかし、薩摩とて尊皇壤夷にかわりがない。
 薩摩藩の島津久光のかかげる政策は、「航海遠略策」とほとんど変りないから質が悪い。 西郷は、
「長州は口舌だが、実がないでごわす」と、さかんに悪口をいう。
 高杉は激昴して、「薩摩こそ「航海遠略策」などをとなえながら、その実がないではないか! 長州は行動している。しかし、薩摩は口で愚痴ってるだけだ!」
 といった。
 そして、続けて、
「壤夷で富国強兵をすべし!」と述べる。
 ……時代は壁を乗り越える人材を求めていた。
 晋作は江戸についた。
 長州藩の江戸邸は、上屋敷が桜田門外、米沢上杉家の上屋敷に隣接している。
 その桜田門外の屋敷が、藩士たちの溜まり場であったという。
 ………薩摩こそ「航海遠略策」などをとなえながら、その実がないではない! 長州は行動している。しかし、薩摩は口で愚痴ってるだけです。
 ……壤夷で富国強兵をすべし!
 ……洋夷の武器と干渉をもって幕府をぶっつぶす!
 討幕と、藩の幕政離脱を、高杉はもとめた。
 ……この国を回天(革命)させるのだ!
 晋作は血気盛んだった。
 が、藩世子は頷いただけであった。
貴公のいうこと尤もである。考えておこう」
 そういっただけだ。
 続いて、桂小五郎(のちの木戸考允)や周布にいうが、かれらは慰めの顔をして、
「まぁ、君のいうことは尤もだが…焦るな」というだけだった。
「急いては事を仕損じるという諺もあるではないか」
 たしかにその通りだった。
 晋作は早すぎた天才であった。
 誰もかれに賛同しない。薩摩長州とてまだ「討幕」などといえない時期だった。
「高杉の馬鹿がまた先はしりしている」
 長州藩の意見はほとんどそのようなものであった。
 他藩でも、幕府への不満はあるが、誰も異議をとなえられない。
 ……わかってない!
 高杉晋作は憤然たる思いだったが、この早すぎた思想を理解できるものはいなかった。
 長州の本城萩は、現在でも人口五万くらいのちいさな町で、長州藩士たちがはめを外せる遊興地はなかった。そのため、藩士たちはいささか遠い馬関(下関)へ通ったという。 晋作は女遊びが好きであった。
 この時代は男尊女卑で、女性は売り買いされるのがあたり前であった。
 銭され払えば、夜抱くことも、身請けすることも自由だった。
 晋作はよく女を抱いた。
 そして、晋作は急に脱藩を思いたった。
 脱藩にあたり、国元の両親に文を送るあたりが晋作らしい。
「私儀、このたび国事切迫につき、余儀なく亡命仕り候。御両人様へ御孝行仕り得ざる段、幾重にも恐れ入り候」
 晋作は国事切迫というが、切迫しているのは晋作ひとりだった。余儀も晋作がつくりだしたのである。この辺が甘やかされて育ったひとりよがりの性格が出ている。
 晋作は走った。
 しかし、田舎の小藩に頼ったが、受け入れてもらえなかった。
 口では壤夷だのなんだのと好きなだけいえるが、実行できるほどの力はない。
「人間、辛抱が肝心だ。辛抱してれば藩論などかわる」
 晋作はとってつけたような言葉をきき、おのれの軽率を知った。
 ……ちくしょう!
 晋作は、自分の軽率さや若さを思い知らされ、力なく江戸へと戻った。


  龍馬は一八六一年に「土佐勤王党」に参加したが、なんだか馬鹿らしくなっていた。「土佐だけで日本が動く訳じゃなかが。馬鹿らしいきに」
 龍馬は土佐の田舎で、くすぶっていた。
 ……わしは大きなことを成したいぜよ!
 龍馬は次第に「脱藩」を考えるようになっていた。
 ……藩の家来のままじゃ回天(革命)は成らぬがぜよ。
 兄・権平の娘(つまり姪)春猪はいつも「叔父さま! 叔父さま!」と甘えてくる。利発な可愛い顔立ちの娘である。
 春猪には計略があった。龍馬叔父さんと知り合いの娘とを交際させる…という計である。その計は九分まで成功している。
 げんに春猪は、ともかくも龍馬叔父さんを五台山山麓の桃ノ木茶屋までおびきよせたではないか。龍馬が遠くから歩いてくる姿を確認してから、
「ほら!」
 と、春猪は「きたわよ」とお美以にいった。
 お美以は下を向いて恥かしがった。
「お美以さん、だまっていてはだめよ。ちゃんと叔父さんに好きだっていわなきゃ」
 春猪はにこりといった。
「ええ」
 お美以は囁くようにいった。恥ずかしくて消えてしまいそうだ。
 九つのとき、お美以は龍馬に連れられて梅見にいっている。あのころ、龍馬は江戸から一度目にかえってきたときである。龍馬は、お美以の手をひいたり、抱き抱えたりした。しかし、なにしろ十一歳も年上である。九つのお美以としては龍馬は大人である。
 しかし、女の子は九つでもおませである。龍馬を好きになった。
 まあ、これは「はしか」みたいなものである。年頃の女の子は年上の男性を好きになるものだ。まだ子供であるお美以は母に、
「わたくしは、龍馬おじさまのお嫁様になります」といってあわてさせた。
 今、お美以は十代の美少女である。
 しかし、龍馬は彼女を子供扱いした。「お美以ちゃんはいつまでも子供の頃のままじゃきにな」といった。
「そんな……」お美以は泣きそうな顔をした。
「龍馬おじさまは、お美以さんに御無礼ではありませんか?!」
 それを知って春猪は叔父龍馬に食ってかかった。
 龍馬は「子供は子供じゃきに」と笑ったままだ。
 そののち龍馬は源おんちゃんにめずらしく怖い顔をして、
「春猪に、人間の娘をおもちゃにしちゅうなといってくれ」といった。
「おもちゃに?」
「いえばわかるきに。わしは忙しいので出掛ける」
 龍馬は出掛けた。
 春猪は複雑な気持ちでもあった。じつは春猪は龍馬叔父に好意をもっていたのである。 ……初恋……? そうかも知れない。私は龍馬おじさんのお嫁さんになりたい!
 しかし、当の龍馬にはそんなことは知らない。


『脱藩の準備』を龍馬はしはじめた。
 とうぜんながら脱藩には金がいる。刀もほしい。
 龍馬の家は土佐きっての裕福な武家だけに、名刀がしまってある。だが、兄の権平が脱藩を警戒して、刀箪笥に錠をして刀を取り出せなくしていた。
「どげんするきにか…」
 龍馬は才谷屋を訪ねた。才谷屋は坂本家の分家である。坂本家のすぐ裏にあって、こちらも商業を営んでいる。北門が坂本家、南門が才谷屋の店口となっていた。
「伯父さんはいるきにか?」          
 龍馬は暖簾をくぐり、中にはいった。
「ああ、坂本のぼんさま」
 番頭は用心深くいった。というのも、権平に、”龍馬が金か刀の無心に来るかもしれぬが、あれのいうことに応じてはならんぞ”と釘をさされていたからだ。
「あるじはただいま留守でごります」
「伯母さんは?」
「いらっしゃいますが、何やら気分が悪いとおやすみでございます」    
「なら、刀蔵の鍵をもってきてくれんがか」
「……それは」
「本家のわしが頼むのだぞ。わしは奥で酒飲んじゅるきに、持ってきとうせ」
 どんどん入りこむ。
 やがて夕方になった。
「おや、めずらしい。龍馬じゃないかが」
 お市おば(龍馬の祖父の従弟の妻)がいった。その姪の久万、孫の菊恵をつれて朝から遊びにきていたが、龍馬をみつけると笑顔になった。
 しかし、お市おばも龍馬の算段を知っている。……脱藩はなりませぬ!
 散々説教するが、龍馬は(何を寝言ば、ゆうちゅるがか)と思いながら頷いているだけだ。やがて伯父の八郎兵衛が帰ってきた。
「伯父さん。刀ば見せとうせ」
「あっ、龍馬がか」
 龍馬をみただけで顔色を変えた。本家からの情報をすでに掴んでいたからだ。
「刀は駄目だ。それより、家の娘を嫁にしちゅうがかか?」
「嫁などいらん。それより刀みせとうせ」
「これという、刀はないきに」
 嘘だった。豪商だけあって名のある刀が蔵にたんとある。
 しかし、本家との約束で、龍馬には刀を渡さなかった。    
 ……鈍刀だけもって発つか
 龍馬が帰宅すると、兄の権平が「龍馬、才谷屋に何しにいったがぜよ?」といった。
「ほんの、遊びじゃ」
 こんなに警戒されては策も尽きたか……龍馬は部屋で寝転がり一刻ばかり眠った。
 手蝋燭をもってくる人物がいる。それを龍馬の部屋にいれ、行灯に火を移した。
「あぁ、なんだお栄姉さんか」龍馬はほっとした。
 坂本家には女が多い。
 一番上の姉が千鶴で、これは城下の郷士高松家に輿入れして二男一女の母である。三番目の姉が龍馬を育ててくれた乙女で、これも輿入れしている。
 二番目の姉がこのお栄であるが、このお栄は不幸なひとで郷士の柴田家に嫁いだが離縁されて坂本家に出戻ってきていた。
 ……坂本の出戻りさん。
 といえばこのお栄のことで、お栄は出戻りらしくせまい部屋で慎ましく生活していた。華奢な体で、乙女とくらべれば痩せていて、本当に姉妹なのか? と思いたくなる女性だ。「存じてますよ、龍馬。あなたの脱藩がどれだけ家族に迷惑をかけるかかわらないのですか?」
「そげんまでのんきじゃないき」
「脱藩したら二度とお国にもどってこれませんのよ」
「弱ったな」おとなしいお栄姉さんからこんな説教をうけるとは思ってなかった。
「じゃきに、わしは男じゃきに。野心をかなえるためには脱藩しかないんぜよ」
「野心って何?」
「回天ですき。日本をいま一度洗濯するんじゃき」
「……わかりました」
「ほな、姉さん勘弁してくださるのんか」
「勘弁します。それにあなたが欲しがっている陸奥守吉行もわたくしからの贈物としてさしあげます」
「え? なんきに姉さんが陸奥守吉行もっちゅう?」
 龍馬は半信半疑だった。……陸奥守吉行というのは名刀である。
「これはわたくしが離縁したとき、前の夫(柴田義芳)からもらったものです。坂本家のものでも才谷家のものでもありません。あたくしのものです」
 龍馬はお栄姉さんより名刀をもらった。
 これが、お栄の不幸となった。
 龍馬の脱藩後、藩丁の調べで、柴田家の陸奥守吉行の一刀をお栄からもらったことが判明し、柴田義芳は激怒した。坂本家まできて、
「なぜそなたはわしの形身を龍馬にやったのじゃ?!」とお栄をせめた。
 お栄は、そのあと自殺している。
 天命としかいいようがない。天がひとりの姉を離縁とし刀を英雄に授け、そして自殺においこんだ。すべては日本の歴史を変えるために………

  土佐藩参政吉田東洋が、武市の勤王党の手で暗殺された。
 文久二年四月八日、夜、十時過ぎであったという。
 この日は、夕方から雨がふっていた。東洋は学識もあり、剣のうでもすごかった。が、開国派でもあった。そのため夜、大勢に狙われたのだ。
 神影流の剣で立ち向かったが、多勢に武勢、やがて斬りころされてしまう。
「吉田殿、国のために御成仏!」
 東洋は殺された。
  このころ、龍馬は高知城下にはいなかった。
 龍馬の兄の権平は呑気なもので「龍馬はどこいったんぜよ?」などという。武市一派の東洋暗殺にさきだつ十五日前の文久二年三月二十四日、闇にまぎれて脱藩してしまっていた。「いよいよ、龍馬は脱藩したのかのう?」
 もはや公然の秘密である。
 龍馬は神社にお参りしたあと、連れの山村惚之丞とともにふもとの農家にいった。
「龍馬あ、旅支度せい」
「いや、ひょうたんひとつで結構じゃ」
 ふところには金十両があり、ひょうたんには酒がはいっている。腰にはお栄からの陸奥守吉行がある。「よし! いくぜよ!」
 脱藩とは登山のことであるという。
 土佐の北には四国山脈がある。険しい山道、けもの道を駆けていかねば脱藩は成らぬ。山道には関所、人の目があり、みつかれば刑務所行きである。民家にもとまれない。役人に通報されるからである。寝ず、駆けどおしで、闇の中を駆けた。
 ………”武士がかわらなければ日本はかわらんぜよ”…
 ………”国をかえるには自分がかわらんなきゃならぬ”…
 龍馬は、寝ず、駆けどおしで、けもの道を、闇の中を、駆けた、駆けた。
 こうして、龍馬は脱藩したので、ある。


 いま京で騒ぎをおこそうとしているのは田中河内介である。田中に操られて、薩摩藩浪人が、尊皇壤夷のために幕府要人を暗殺しようとしている。それを操っているのは出羽庄内藩浪人の清河八郎であったが、大久保一蔵(利道)にはそれは知らなかった。
 幕府要人の暗殺をしようとしている。
「もはや久光公をたよる訳にはいかもんそ!」
 かねてからの計画通り、京に潜伏していた薩摩浪人たちは、京の幕府要人を暗殺するために、伏見の宿・寺田屋へ集結した。
 総員四十名で、中には久光の行列のお供をした有馬新七の姿もあったという。
「もはやわが藩を頼れないでごわす! 京の長州藩と手をむすび、事をおこすでごわそ!」 と、有馬は叫んだ。
「なにごてそんなことを……けしからぬやつらじゃ!」
 久光はその情報を得て、激昴した。寺田屋にいる四十名のうち三十名が薩摩の志士なのである。「狼藉ものをひっとらえよ!」
 京都藩邸から奈良原喜八郎、大山格之助以下九名が寺田屋の向かった。
 のちにゆう『寺田屋事件』である。
「久光公からの命である! 御用あらためである!」
  寺田屋への斬り込みは夜だった。このとき奈良原喜八郎の鎮撫組は二隊に別れた。大山がわずか二、三人をつれて玄関に向かい、奈良原が六名をつれて裏庭にむかった。
 そんな中、玄関門の側で張り込んでいた志士が、鎮撫組たちの襲撃を発見した。又左衛門は襲撃に恐れをなして逃げようとしたところを、矢で射ぬかれて死んだ。
 ほどなく、戦闘がはじまった。
 数が少ない。「前後、裏に三人、表三人……行け!」大山は囁くように命令した。
 あとは大山と三之助、田所、藤堂の四人だけである。
 いずれもきっての剣客である。柴山は恐怖でふるえていた。襲撃が怖くて、柱にしがみついていた。
「襲撃だ!」
 有馬たちは門をしめ、中に隠れた。いきなり門が突破され、刀を抜いた。二尺三寸五分政宗である。田所、藤堂が大山に続いた。
「なにごてでごわそ?」二階にいた西郷慎吾(隆盛の弟)とのちの陸軍元帥大山巌は驚いた。悲鳴、怒号……
 大山格之助は廊下から出てきた有馬を出会いがしらに斬り殺した。
 倒れる音で、志士たちがいきり立った。
「落ち着け!」そういったのは大山であった。刀を抜き、道島の突きを払い、さらにこてをはらい、やがて道縞五郎兵衛の頭を斬りつけた。乱闘になった。
 志士たちはわずか七名となった。
「手むかうと斬る!」
 格之助は裏に逃げる敵を追って、縁側から暗い裏庭へと踊り出た。と、その拍子に死体に足をとられ、転倒した。そのとき、格之助はすぐに起き上がることができなかった。
 そのとき、格之助は血を吐いた。……死ぬ…と彼は思った。
 なおも敵が襲ってくる。そのとき、格之助は無想で刀を振り回した。格之助はおびただしく血を吐きながら敵を倒し、その場にくずれ、気を失った。
 一階ではほとんど殺され、残る七名も手傷をおっていた。
 これほどですんだのも、斬りあいで血みどろになった奈良原喜八郎が自分の刀を捨てて、もろはだとなって二階にいる志士たちに駆けより、
「ともかく帰ってくだはれ。おいどんとて久光公だて勤王の志にかわりなか! しかし謀略はいけん! 時がきたら堂々と戦おうではなかが!」といったからだ。
 その気迫におされ、田中河内介も説得されてしまった。
 京都藩邸に収容された志士二十二名はやがて鹿児島へ帰還させられた。
 その中には、田中河内介や西郷慎吾(隆盛の弟)とのちの陸軍元帥大山巌の姿もあった。  ところが薩摩藩は田中親子を船から落として溺死させてしまう。
 吉之助(西郷隆盛)はそれを知り、
「久光は鬼のようなひとじゃ」と嘆いた。
 龍馬は、京の町をあてもなく彷徨っていた。

   文久二年(一八六二)八月二十一日、『生麦事件』が勃発した。
 参勤交替で江戸にいた島津久光は得意満々で江戸を発した。五百余りの兵をともない京へむかった。この行列が神奈川宿の近くの生麦村へさしかかったところ、乗馬中のイギリス人(女性ひとりをふくむ)四名が現れ、行列を横切ろうとした。
「さがれ! 無礼ものどもが!」
 寺田屋事件で名を馳せた奈良原が外国人たちにいって、駆け寄り、リチャードソンという白人を斬りつけて殺した。他の外国人は悲鳴をあげて逃げていった。
 これが『生麦事件』である。




米沢燃ゆ 上杉鷹山公「為せば成る」米沢藩中興の祖・名君2016年度大河ドラマ原作小説8

2013年12月25日 01時23分03秒 | 日記
        反発




  予想通り、国元からの反発はあった。
 しかし、その反発は治憲の予想外だった。
 なにせ改革どころかその案さえ伝えられてなかったのだ。…二年間も……。

 上杉治憲は千坂らが控える座敷に歩いてきて、上座に腰を降ろした。そして、すぐに、「千坂……江戸で頼んだ改革案を家臣たちに話したであろうな」と尋ねた。
「いいえ」千坂高敦は当然のようにいった。「伝えておりませぬ」
「……なんだと? ……江戸で頼んでから二年間…。まったく伝えてなかったと申すのか」「いかにも!」
「…いかにも?」治憲は動揺した。「では、なぜ伝えなかったのだ?」
「ははっ! なにせその改革案とやらは江戸にいる竹俣らの入れ知恵…そのようなものを藩士たちに伝える訳にはまいりません」
「入れ知恵などではない!」治憲はキッパリと言った。
「確かに、私は改革案を竹俣らに作らせた。……しかし、私が認めた以上、もう改革案は私からの案である」
 しかし、治憲の言葉も千坂には効かなかった。
 千坂は「しかし……江戸では御屋形さまが自ら改革案を告げられたとか……。一方で、国元の家臣たちには私が伝えるのでは……国元を軽くみているともとられかねません。そのようなため、伝えませんでした」とひようひょうといった。
「……直接家臣たちに伝えよ、と私に申しているのか…」
「いえいえ。そういうことのまえに、まず我ら重役たちにご相談なされてからがよろしいかと…」
「いや」治憲は静かに首を横に振った。そして続けて「重役たちには相談しない。したらまた同じことだ」と言った。
 しばらくして、須田満主が口をはさんだ。
「…御屋形さま!」
「……なんだ?」
「御屋形さまに、我ら重役たちより申しあげたいことがあります!」
「申せ!」
「ははっ」須田は言った。「板谷宿では火をたいて野宿されたとか……。まったくもってあってはならぬ振るまい。藩主が民に軽んぜられるのは何より軽い行いでござります!
 しかも、そうそうと賀籠を降り、大沢宿からご乗馬なされたよし。…これはとんでもないこと! 賀籠から降り、馬に乗り換えるのは城から一里の羽黒道からが決まりであります。米沢には米沢のしきたりがあります。以後、お気をつけを」
 芋川が続けて、余裕の笑みを浮かべつつ言った。
「御屋形さまは日向高鍋藩三万石からの養子ゆえ、米沢十五万石の家風がわかりますまい。郷にいっては郷に従え、という諺があります。これからは私どもの申す通りに行動していただければ間違いはないかと……」
 治憲はしばらく愕然としてしまった。このような反発はある程度は予想してはいた。しかし、これほど酷いとは…。なんということだろう……。だが、茫然と黙っている訳にもいかない。治憲は気を取り直してから、
「……お前たちの意見はわかった。過ぎたことは咎めまい…」といった。そして続けた。「明日。藩士たちに私自ら改革案を話す。明日、広間に藩士たちを集めよ! 足軽たちもすべてだ!」
「…足軽も?」
「そうだ。足軽たちも侍とともに藩を支える大事なものたちだ」
 須田は反発した。「謙信公以来、広間に足軽たちをいれたことはありません。米沢藩のしきたりに反します!」
「……ならばそのしきたりを破ろう。必ず呼ぶように!」
 治憲はそういって少しだけにこりとした。とにかく藩士たちに改革案を話せばなんとかなるだろう。なんとか…なる。きっと…なる。藩士たちの心に火をつけるのだ。
 それはきらきらとした微かな希望だった。火をつけるのだ……藩士たちに…。


  こうして、次の日、米沢城の広間に過信や足軽たちか集められた。
 治憲は集まった大勢の家臣たちを前に語り始める。
「藩は今、藩を幕府に返上するか…自滅するかの瀬戸際にたたされている。しかし、私はこの米沢藩を改革したく思う! だが…私の力にも限界がある。私は米沢の生まれではない。九州の小藩の生まれである。私は若輩で、技術も経験も不足している。
 この米沢に来たのも、今日が初めてだ。お前たちとも…今日が初体面た。
 目標は大き過ぎ、私の力はあまりにも足りな過ぎる。その隙間を、皆の協力で埋めてほしい。……頼む。
 そのためにはまず、情報はすべて公にする。各持ち場では、身分、年功、経歴を気にせず、思うように意見をいいあえるようにする。いい意見はかならず私の元まであがってくるように。…また私や藩士たちが決めたことはすべて家臣に行き渡るようにしたい。
 次に、米沢の人口は普通ならば十五万人いるはずだが、今は十万人に減っているという。きくところによると、貧しい家では生まれてきた子を間引きすることが後をたたないときく。命というものは例えどんな貧しい家に生まれようとも等しく尊い。
 改革の目的は、領内にいる病人、老人、子供など、弱い立場にいる人々を救うための政を実現させることだ。そのような改革をするために人事を一新したい!
 まず、竹俣当綱を執政に、莅戸善政を奉行に任命する!」
「ははっ」
 集まった一同にざわざわとした動揺が広がった。治憲にとってそれはあまり手応えのいいものではなかった。しかし、何にせよおわった。改革をするのだ! それしかない!


  治憲と竹俣当綱らが通路を歩いていた時、千坂や須田、芋川らがは背後から声をかけてきた。「御屋形さま!」
「…なんだ? 千坂、須田」
「はっ」”七家”は頭を軽くさげた。そして続けた。「お話…大変関心してききました。なかなかご立派な考えにござりました。しかし……あのような耳に心地好いお話をされたよし。何か、御屋形さまには資金を調達する妙案がおありかと。その案を是非ともお聞かせ願いたい」
「……そのようなものはない」
 治憲は当然のように言った。
「なんと?」
「私は初めて米沢にきたのだ。そのような妙案などあろうはずもない」治憲はそういって笑みを浮かべた。きらきらと白い歯が光る。それはとても魅力的なものだった。
「妙案がない?」
「そうだ。………それは是非お前たちにお願いしたい。私はまだ若輩で、力不足だ。是非、お前たちの協力を願いたい。…頼む」治憲はいった。
「……ご謙遜を」千坂が笑った。
「我々は官職を追われた身……。そのようなことは御免こうむります」
「我々隠居組は……御屋形さまのご改革がうまくいくことを願って…遠くから見学させてもらいます」
”七家”は頭を下げた。そしてそのまま身をひるがえして歩き去った。
 その”七家”の態度に、上杉治憲はただ茫然と黙り込むしかなかった。それに対して、「御屋形さま…気にすることはござりません」
 と、莅戸善政は治憲の耳元で言った。


  いつ頃だろう。
 須田の息子の須田平九郎や、芋川の息子の芋川磯右衛門らが、小野川温泉に向かう道を歩いていた。一同は、温泉につかるために道を急いでいた。
 ちなみに『小野川温泉』とは小野小町が発見したといわれる、米沢の温泉郷である。
「なんでも頼み申す、頼み申すと……まったく藩主としての威厳というものがない」
 須田の息子が悪口をいった。続けて芋川の息子が、
「まあ……あれは養子だからな。藩主の威厳というものは一朝夜で身につくものではない…まあしょうがない」
「しかし、御屋形があれではな」
「くそう、俺の親父を首にしやがって!」
「くそったれめ!」
 須田の息子たちはほぞを噛んだ。そして「今にみてろよ!」と心に誓った。


  春がきた。雪深い米沢の春は遅い。
 雪がとけるの頃は、4月頃で、そんな春は誰にとっても待ち遠しいものだ。
 その朝は、とてもいい天気で、きらきらとした朝日が森や山々に差し込んで、すべてのものを白く輝かせていた。米沢に流れる河にも、そのような朝の光が差し込んで、陽の光で、きらきらとハレーションをおこす。それはしんとした静けさと幻想の中にあった。
 治憲は佐藤文四郎だけを連れて、馬に乗り、極秘で領内の視察に出掛けた。
 しかし、視察の情報は事前に漏れていた。
「……一汁一菜……着るものは木綿…などどいっでもよ。結局は、領民がら年貢をしぼりどろうっで考えだべ。その手にのるがっで」
 領民の心は荒んでいた。領民は陰では口々にそう言っていた。まだ誰も治憲の改革の真意を理解するものは、いなかった。
 治憲と佐藤文四郎が馬でやってくるのが見えると、農民たちは平伏した。
「皆、おはよう! 米沢藩主、上杉治憲である」治憲は馬から降りた。そして「何か訴えたいことがあればきこう」と優しくいった。
 しかし、何も、よい意見などはきかれなかった。ただ、領民は、
「御屋形ざまのおかげで、日々、安心して暮らしていげます。まごどに、ありがだいごどで…」とおべんちゃらを言い、頭を下げるだけだった。
 すべてがうわべだった。すべてがおべんちゃらだった。すべてが嘘だった。
「………そうか。畑仕事の手を休ませてすまなかった。仕事に戻ってよい。では」
 上杉治憲は無力感を感じずにはすいられなかった。
 これでは視察の意味がない。…誰かが漏らしたのだ………視察の情報を…。

  米沢城に戻ると治憲は、「誰も本当のことをいってくれぬ」と不満を漏らした。
「それはとんだ無駄骨でしたな」千坂は笑った。
 治憲は言った。「領民たちがかたくななのは何のために生き、何のために仕事をするかという目標がないためだ。そこで私はその目標をつくろうと思う」
「……目標?」竹俣が尋ねた。
「うむ。生きることを喜び、働くことを喜べるような目標だ。それにはまず領民たち…自分たちがつくりだしたものが正当な値段で、自分の収入とならねばならない。
 この国では税はすべて米で組まれている。しかし、東北には冷害も多く、米づくりには苦労も多い。米がいま以上の高い穀物となるのは無理だ。そこで東北には東北にあった農作物を植えることが必要だ。
 例えば、漆、こうぞう、桑、藍、紅花……。とくに漆は蝋や塗料の材料がとれて、非常に多きな富を生む。これらの植物を中心に植えてみたらどうだろう?」
「今おっしゃられた植物はすでに……米沢でも植えておりますが」竹俣が言った。
「私がいいたいのは他藩では米沢の産物を原料にさらに別な産物を生んでいるということだ。たとえば越後の小千谷ちぢみ、原料は米沢のからむしだ。奈良のさらしもしかり。さらに上方の口紅やゆうげん染めも米沢の紅花が原料だ。……もったいない」
「御屋形さまは、当米沢でもちぢみをつくれと?」莅戸が尋ねた。
「その通りだ。ちぢみだけではないぞ。原料を他藩に売るだけでは益にならぬ。とにかくこの米沢で手を加えて出来るだけ高く売ることを工夫するのだ。
 生糸からは絹織物、紅花は紅、漆を植えて……漆器をつくろう。米沢には小さな池、沼、川が多い。鯉を飼おう。笹の観音の前で一刀彫りをみた。『笹の一刀彫り』とでも名付ければあれは売れるぞ。また、
 小野川の湯には塩分が多いときく。この山中でも、塩がつくれるかもしれない」
「少し問題があります」竹俣が口をはさんだ。「米沢でちぢみを作ろうにも、職人がおりません」
「ならば、小千谷から職人を招け」
「……は?」
「経費をきりつめるだけが改革ではない。必要ならば投資もやってこその改革だ。それが金の生きた使い道だ」
「はっ。されど…。御屋形さまがおっしゃられることは農民が片手間で出来ることではありません。農民は米造りなどで手いっぱい。人手がありません。不可能です!」
 治憲はにこりと笑って言った。「人手はある。……まずお前たちの家族だ」
「……家族?」
「うむ。中でも老人と子供は鯉を育てるのに興味を示すだろう。なぜなら……老人はいずれ絶える命。子供はこれから長い人生、に向き合っているからだ。鯉を育てて得た収入は、肩身をせまくして暮らしている老人たちの支えとなる。
 蚕を育て、糸をつむぎ、絹などを織るには家臣たちの妻や母がいるではないか。老人と子供とともに女子たちにも働いて何かしらの収入を得れば……家計も潤うであろう。私が人手があるというのはそういうことである」
 竹俣は「お考えよくわかりました。しかし…」と言おうとした。が、その前に千坂の怒りが爆発した。
「わしにはわからぬぞ、竹俣! われわれはすでに領地取り上げなどに甘んじておる! それのみならず今度は藩士の妻や家族に、鯉に餌を与えさせ、はたを織らせるなど言語道断! そんなことを…」
「まあ、千坂さまのご怒りはのちほど。……それより御屋形さま…残念ながら土地がござりません。そのような多種多様な植物を植えるのは……米沢は山国。土地がなく、狭うござりまする」
「……いや土地はある。しかし……これから申すことはいよいよ千坂たちを怒らせる。たとえば、この城や家臣たちの家の庭だ。そこに桑を植えよう。重役五十本、他は三十本……と割り当てる。まず、侍がしてみせるのだ。
 まずこちらが動かなければ領民は動かぬ」
「おそれながら…」木村高広が言った。「武士たるものが庭に桑を植え、ちぢみを織るに至っては……およそ武士としての権威がなくなるかと……」
「武士の権威とは何か? 武士とは何か? …私からみれば民の年貢によって養われているだけに過ぎない。私も同じだ。およそ武士たるものには徳を積み、民の模範となり民を幸せにしてこそ武士の権威といえる。したがって武士には、とくに藩士には徳がいる。
 だが、この治憲、若年にしてまだ徳が足りぬ。だから、領民も本当のことを話してはくれぬ……」
「しかし……御屋形さま…それでは肝心の藩士たちのお城の仕事がおろそかになりはしませんか?」
「木村」
「はっ」
「では、尋ねるが……今、お城の仕事とはなんだ? どんな仕事があるのだ? 武士、役人たちの習わしごとはあろう。しかし、肝心の民とつながる仕事は誰がしているのだ?
 ………そんなお城の仕事より、鯉を飼ったほうが百倍も民の役にたつ…」
 治憲はハッキリと言った。それにたいして千坂や竹俣らは何もいえず、ただ沈黙するしかなかった。……とにかくこれからが治憲の改革の始まりだった。


         籍田の礼


  上杉治憲の行動は迅速だった。
 広間での改革案発表から、つぎの月には、もう米沢城の庭をクワで耕していた。だが、それを手伝うのは佐藤文四郎ただひとり…。他の家臣たちは物陰から、物見遊山…。複雑な気持ちでそれを覗き見ているだけだった。
「文四郎」
「はっ」
「私が植えているのは桑だが……実は桑ではない」
「と……いいますと?」
「私が植えているのは『希望』だ。このように藩主自らが土を耕している光景をみれば、この桑畑を見れば……きっと家臣たちの中にも「自分もやってみよう」思う者もかならず現れるはず……私はそれを信じて植えているのだ」
「……御屋形さま」
「明日、この桑畑を皆に見せよう! そうすればきっと何かがかわるぞ!」
 治憲はにこりといった。そして懐から藁科からもらったお守りを掲げた。改革のために! しかし、反発する連中は許さなかった。深夜、せっかく耕して植えた桑を、根こそぎ引き抜き、めちゃくちゃにした。それは竹俣や莅戸の庭畑も同じだった。
 そのテロルは次第にエスカレートしていく。


「犬だと?」
 めちゃくちゃに荒らされた米沢城の桑畑に茫然と立ち尽くしていた治憲は、千坂高敦にそうきいた。…千坂は「犬のしわざ」だと言ったのだ。これはテロでないと…。
「さよう……昨夜、犬が侵入してきて、一本残らず…荒らしていったのでしょう」
「……犬がこのように綿密に、一本残らず桑を根こそぎ抜き取ったと申すのか」
「さよう」
「なぜ?」治憲は怒りを抑えて、心臓が二回打ってから、続けた。「犬が何のために桑畑を……?」
「さあ。……私、生まれてこのかた…犬に生まれたことはござりませんので犬の気持ちは理解しかねます。が、多分…」
「多分?」
「多分…よほど腹が立ったのでござりましょう」千坂はそう言ってにやりと笑った。
 そして、そのまま立ち上がると、どこかへ姿を消した。
 治憲は愕然とした表情のまま、怒りを抑え、ひとり土を耕し始めた。「……抑えろ…怒りを抑えるのだ……怒ったら相手の思う壺だぞ。くそっ!」


   いつ頃だったろう。
 水沢七兵衛が米沢城の治憲のもとを訪ねてきた。
「……おお。水沢。ひさしぶりだな」
「ごきげんうるわしゅう、御屋形さま」水沢が膝をつき、頭を下げた。
「急用とは何だ?」
「はっ」水沢は頭をあげた。そして、真剣に言った。「実は……お暇を頂きたいと思いまして…」
「……無能な藩主・上杉治憲にとうとう愛想をつかして…出ていくと申すのか」
「いえ、そのような」
「では、なぜ?」
「私や家臣どもは、侍をやめまして……小野川近くの遠山村で百姓をやろうと…」
「……私の改革の遅れに我慢がならず協力すると…?」
「いいえ。そのような立派なものでは…。只、一度なくしかけた命なら有効に使いたいと」「水沢」上杉治憲はそのうれしい報告ににこりと笑顔をつくった。「大変に有り難い話しである。私は米沢にきて、初めて協力の願いをきいた。正直、私はいま猛烈に嬉しい。しかし…水沢…。侍の職は解かぬ。そのままの身分で、遠山村の開墾にあたってくれ。それが条件だ」
「ははっ、ありがとうごいます、御屋形さま!」
 水沢七兵衛はもう一度頭を下げた。
 しかし、治憲も竹俣当綱も心配していた。米沢城の庭を荒らした『犬』たちがいる。それらの連中が人里離れた開墾地で……何をするか。
 そうした不安が存在していた。
 そして……それは不幸には現実のものとなってしまった。
 テロリストたちは、深夜、遠山村の開墾地に馬でやってきた。そして、馬で田畑をめちゃくちゃにし、藁葺き住宅群に火を放った。
 ごおっと紅蓮の炎があがる。
「大変だ……火を消せ!」
 遠山村の水沢たちはパニックになった。炎はすべてを灰にしていった…。


「御屋形さま!」
「……御屋形さま!」
 畑をめちゃくちゃにされ、廃墟のようになった遠山村。その開墾地に愕然と立っていた水沢らは、次の朝、白馬に乗ってやってきた治憲たちに気付いて声を上げた。
 その日は曇りで、どんよりとした天気だった。それは失意の水沢七兵衛の心にも似ていた。しかし、そうした天気も気にせず治憲は、
「皆、ごくろうだった。…これより籍田の礼をとりおこなう」
 といってきらきらとした笑顔を見せた。
『籍田の礼』とは、中国の古い習わしである。土地を神に献上し、田畑を神より借り入れて畑仕事をする、ということを神仏に祈る行事である。
 治憲は白子神社からもってきた神仏を奉り、『籍田の礼』をおこなった。
 そして、それがおわると、
「これで、この開墾地は神仏野も野だ。もはや誰もこの開墾地を荒らすことは出来ぬ」
 と言い、続けて佐藤文四郎に「酒を買ってきてはくれぬか?」という。
「…酒ですか?」
「うむ。皆にふるまう……頼む」
「はっ」文四郎はそう頭を下げると、酒調達のために小野川の湯宿にいき、酒樽を買った。いや、正確には金がないので借りた。
 しばらくして文四郎は酒樽を部下に担がせてやってきた。その傍らには湯宿の若女将もついてきていた。「是非とも御屋形さまに会いたい」と頼んだのだ。
「御屋形さま、もってまいりました」
「おお、文四郎ごくろう。……そちらの美しいひとは?」
「…このお酒をわけて下さった…小野川の湯宿の若女将です」
「紀代と申します」若女将は頭を下げた。
「紀代殿か。酒をすまぬ。皆、酒じゃ、酒がきたぞ!」
「是非、私めにお酌させてください」
「いや、この酌は私にしか出来なぬのだ。私しかしてはならないのだ」紀代の申し出を断り、治憲は言った。そして、酒樽から瓶に移すと、「ごくろうだったな」と水沢たちにお酌をした。そして、自分が非力なためにつらいおもいをさせたことについても謝罪した。 治憲の紳士的な態度や人情に、紀代はたいそう関心するのだった。
 水沢たちも鍬入れを初め、またいつものようなのどかな風景がもどったようにも、見えた。

  明和九年、江戸で大火が起こり、米沢藩の江戸屋敷も焼失した。幕府からは両邸が焼失したので五月に出府するようにいわれた。で、治憲は執政の竹俣当綱を総頭取に任命し、竹俣自らも出向いて一万本の木材伐採が開始された。それらの木材は河を使って新潟に運ばれ、江戸から五百石船を雇い、日本海を北上し、津軽海峡を通って江戸に廻送したが、途中暴風にあい、非常な困難をおかして十二月末に無事に江戸に着船した。

「幸殿……みてください。稲です」
「稲…稲」治憲は江戸で微笑んだ。「米沢の稲です。米沢は生まれ変わったのです」
 もっともっと改革を続けよう。必ず改革を成してみます。治憲は心に誓った。    


緑川鷲羽による投稿「(遊びで)緑川鷲羽 前世(輪廻転生ってホントにあるの?)姓名占い(笑)」

2013年12月24日 16時05分42秒 | 日記


みどりかわ緑川わしゅう鷲羽。あなたの「姓名魂」みどりかわ緑川わしゅう鷲羽。 緑川 鷲羽 さん
みどりかわ わしゅう さん
生年月日 1970年1月6日
性別 男性
姓名魂で見る「あなたの本質」
 あたりをオレンジ色に照らしつつ、ゆらゆらと揺らめいている魂が見えます……鷲羽さんの姓名魂は、まるでろうそくの炎のよう。見ているだけで、心がほっこりと温かくなってきます。鷲羽さんは本当に、愛情深い人です。泣いている人を見かければ、すぐさま駆け寄り、温かい声をかけるでしょう。そこに打算はありません。あなたは苦しんでいる人を前に、見過ごすことなどできないんですね。あなたのように、純粋な気持ちをそのまま行動に移せる人は、そう多くはいませんよ。 六神通で核心に迫る!過去・前世を視る! 宿命通。ここでは、魂に刻まれた記憶を読み解く「宿命通」を使って、鷲羽さんの前世の姿を明らかにしていきます。あなたが過去どんな人物で、どんな人生を送ったのか、知りたいわよね。今のあなたに受け継がれている「何か」が、あるんじゃないかしら。一緒に見ていきましょうね。知らなかった真実があります。「あなたの前世の姿」。前世の鷲羽さんは、知識欲が旺盛で勉強が大好きだった人。職業は、医師。あるいは医療の研究に携わっていた可能性もありますね。いずれにせよ、頭の切れる人だったというのは間違いありません。儲けようとか得をしようという考えはなかったものの、有能な人ですから収入は人より多かったでしょう。立派な家に住み、何不自由ない生活を送っていたようです。口数は少ないけれど思いやりがあって、しかもかなりの美形だったので、異性にはモテたんですよ。支えてくれる恋人はつねにいたようですし、愛すること愛されることの喜びを十分に味わっていたでしょうね。ただし、生涯結婚はしなかったんです。前世の鷲羽さんは根っからの研究者タイプですから、一人きりでいられる時間、他のことを一切忘れて仕事に没頭する時間が必要だったんですね。自分がそういう人間だとわかっていたから、独身をつらぬくことを選んだの。だからこそ、思い切り好きなことができた人生だったんです。生涯独身ではあったけれど、それも含め、自分の人生に一切悔いはないんですよ。切り離せない運命なんですよ。あなたと魂で結ばれた「ソウルメイト」。鷲羽さんのソウルメイトは、ひとことで示すと「落ち着きのある人」ですね。少しのことでは動揺しないし騒がない、というのが一つの特徴です。普段、大きな声を出したりはしゃいだりすることは、ほとんどないんじゃないかしら? 幼い頃から年齢よりもずっと大人びていて、周りからは一目置かれていたようなタイプです。体つきは痩せ型で身長は平均的。相手の心を見通すような、強いまなざしが印象的です。マナーを心得ているので、他人には馴れ馴れしく近づいていきません。そのため、気難しい人だと思われることも多いでしょう。それが、前世であなたと親密な関係を結んでいた人です。「恋人」や「親友」といった、かなり近い存在だったはずですよ。二人は魂の縁で今もつながれていますから、引き寄せられるのは自然なこと。会話がなくても一緒にいると安心していられる――あなたはその人といるとそんなふうに感じるでしょうし、相手も同じことを思うでしょうね。お互いに癒やしを与え合える、特別な間柄なんです。さあ、これがその人の誕生日です!10月10日頃。ここに記された日付こそが、あなたの「ソウルメイト」の誕生日です。鷲羽さんの知り合いの誕生日を思い浮かべてみてください。当てはまる人はいませんか? また、もしお話ししたソウルメイトの特徴に心当たりがあれば、さりげなく話題を振って確かめてみてくださいね。もしかしたら、まだ鷲羽さんが知り合っていない人かもしれません。ですから、この先の人生で出会う人の誕生日にも、ぜひ注目してみてください。魂で結ばれた二人は、現世でも必ず、お互いにとってかけがえのない存在となるはずです。





天が与えたあんたの人生の意味
人はみんな、それぞれの生きる意味を抱えて人生を歩んでいるんだよ。みどりかわわしゅうさんだって例外じゃないんだからね。あんたの人生の意味、それは、何かに進化をもたらすこと。そのためには、常に何かを学ぶことが大切。学ぶっていっても、必ずしも学問に限ったことじゃない。それは、人との付き合い方でもあるだろうし、効率的な仕事の進め方でもあるだろうね。もしかしたら恋愛術かもしれないし、処世の方法かもしれないね。とにかく、あんたは常に向上心や探究心を持って、よりよい方法を考えることになるはずだよ。いってみれば、これがあんたのライフワークなんだよね。大切なことは、学んだことを自分の生活の中で活かすのはもちろんのこと、周囲の人々の生活にも溶け込ませていくってこと。学びの成果や、そこで得た知識をみんなに共有するってことが重要なんだよ。それは遠まわしに、世界を変えていくということ。大げさだと思うかもしれないけど、通常なら気付かないような極めて小さな変化が、やがては無視できないほど大きな変化になるってことが、世の中には沢山あるの。あんたはそうやって、自分でも気付かないうちに、進化への一端を担っているんだよ。【みどりかわわしゅうさんの人生の意味、それは進化をもたらすこと。学びの成果や、得た知識をみんなで共有するってことが大切だよ。】あんたが生まれ持った才能。流されるままになっている皆を引きとめる使命があるみどりかわわしゅうさん。ノリが悪いねと文句をいわれたり、流行に少し鈍感なのはそのせいだよ。自分も皆と一緒になって何かに熱中したいと悩んだりしたこともあるでしょう。でもね、常に冷静さをなくさないことこそがあんたの才能なんだよ。「皆がやっているから私も」となるのが普通なの。でもあんたはそこで立ち止まって考えることができる。きっとあんたはいつか皆の窮地を救って感謝されるよ。でもね、その前にはもうちょっと努力が必要だね。あんたにそのつもりがなくてもいつも冷静なせいで、無愛想に見えてしまうんだよ。それにいつも遠巻きに眺めているだけの人からいきなりアドバイスされても、きっと皆は反発するだけだよ。だからね、せめて笑顔くらい絶やさないようにしなさい。そして、普段から挨拶程度のコミュニケーションを欠かさないこと。そうすればまわりの空気が変わっていくはずだよ。あんたが本当に成すべきこと。知識というのは、得るだけではダメなんだよ。じゃあ、何故必要だと思う? それは、自分自身のためや人のために使うから必要なんだ。知識があるのとないのとでは、天と地ほどの差があることなんてままあるのさ。それをみどりかわわしゅうさんも知っているんじゃないのかい? あんたが本当に成すべきこと。それは、身に付けた知識を活かすこと。それに尽きるよ。知識を豊富に持っていても、使わなきゃ意味がない。宝の持ち腐れってやつなのさ。人生の中であらゆる展開を見聞きする機会が多いあんただからこそ、与えられた使命なんだと、おばちゃんは考えるわけだ。知識だけ増やしたってどうするんだって、あんたも考えたことがあるはずだよ。さまざまな場所でいろんな経験をするたびに、あんたは自問自答してきたかもしれない。もちろん、使われないまま、すたれてしまう知識だってあるだろうさ。それでも使う意志があるのとないのとでは大違いなんだよ。それを、あんたは理解して生きていかなきゃいけないよ。【知識を得ること。その知識を活かすこと。どっちもみどりかわわしゅうさんにとっては、楽しみながらできることじゃないかい? 】

維新の風と 龍馬伝「薩長同盟・大政奉還・維新回天の土佐の英雄」ブログ連載小説2

2013年12月24日 02時43分26秒 | 日記
         2 黒船来る!




伊藤博文の出会いは吉田松陰と高杉晋作と桂小五郎(のちの木戸貫治・木戸孝允)であり、生涯の友は井上聞多(馨)である。伊藤博文は足軽の子供である。名前を「利助」→「利輔」→「俊輔」→「春輔」ともかえたりしている。伊藤が「高杉さん」というのにたいして高杉晋作は「おい、伊藤!」と呼び捨てである。吉田松陰などは高杉晋作や久坂玄瑞や桂小五郎にはちゃんとした号を与えているのに伊藤博文には号さえつけない。
 伊藤博文は思った筈だ。
「イマニミテオレ!」と。
  明治四十一年秋に伊藤の竹馬の友であり親友の井上馨(聞多)が尿毒症で危篤になったときは、伊藤博文は何日も付き添いアイスクリームも食べさせ「おい、井上。甘いか?」と尋ねたという。危篤状態から4ヶ月後、井上馨(聞多)は死んだ。
 井上聞多の妻は武子というが、伊藤博文は武子よりも葬儀の席では号泣したという。
 彼は若い時の「外国人官邸焼き討ち」を井上聞多や渋沢栄一や高杉晋作らとやったことを回想したことだろう。実際には官邸には人が住んでおらず、被害は官邸が全焼しただけであった。
 伊藤は井上聞多とロンドンに留学した頃も回想したことだろう。
 ふたりは「あんな凄い軍隊・海軍のいる外国と戦ったら間違いなく負ける」と言い合った。
 尊皇攘夷など荒唐無稽である。
 
  観光丸をオランダ政府が幕府に献上したのには当然ながら訳があった。
 米国のペリー艦隊が江戸湾に現れたのと間髪入れず、幕府は長崎商館長ドンケル・クルチウスの勧めで、百馬力のコルベット艦をオランダに注文した。大砲は十門から十二門整備されていて、一隻の値段が銀二千五百貫であったという。
 装備された砲台は炸裂弾砲(ボム・カノン)であった。
 一隻の納期は安政四年(一八五七)で、もう一隻は来年だった。
 日本政府と交流を深める好機として、オランダ政府は受注したが、ロシアとトルコがクリミア半島で戦争を始めた(聖地問題をめぐって)。
 ヨーロッパに戦火が拡大したので中立国であるオランダが、軍艦兵器製造を一時控えなければならなくなった。そのため幕府が注文した軍艦の納期が大幅に遅れる危機があった。 そのため長崎商館長ドンケル・クルチウスの勧めで、オランダ政府がスームビング号を幕府に献上した、という訳である。
 クルチウスは「幕府など一隻の蒸気船を献上すれば次々と注文してきて、オランダが日本海軍を牛耳れるだろう」と日本を甘くみていた。
 オランダ政府はスームビング号献上とともに艦長ペルス・ライケン大尉以下の乗組員を派遣し、軍艦を長崎に向かわせた。すぐに日本人たちに乗組員としての教育を開始した。 観光丸の乗組員は百人、別のコルベット艦隊にはそれぞれ八十五人である。

 渋沢は決心して元治元年の二月に慶喜の家臣となったが、慶喜は弟の徳川民部大輔昭武とともにフランスで開かれる一八六七年の万国博覧会に大使として行くのに随行した。 慶応三年一月十一日横浜からフランスの郵船アルヘー号で渡欧したという。

坂本龍馬が「薩長同盟」を演出したのは阿呆でも知っている歴史的大事業だ。だが、そこには坂本龍馬を信じて手を貸した西郷隆盛、大久保利通、木戸貫治(木戸孝允)や高杉晋作らの存在を忘れてはならない。久光を頭に「天誅!」と称して殺戮の嵐の中にあった京都にはいった西郷や大久保に、声をかけたのが竜馬であった。「薩長同盟? 桂小五郎(木戸貫治・木戸孝允)や高杉に会え? 錦の御旗?」大久保や西郷にはあまりに性急なことで戸惑った。だが、坂本龍馬はどこまでもパワフルだ。しかも私心がない。儲けようとか贅沢三昧の生活がしたい、などという馬鹿げた野心などない。だからこそ西郷も大久保も、木戸も高杉も信じた。京の寺田屋で龍馬が負傷したときは、薩摩藩が守った。大久保は岩倉具視邸を訪れ、明治国家のビジョンを話し合った。結局、坂本龍馬は京の近江屋で暗殺されてしまうが、明治維新の扉、維新の扉をこじ開けて未来を見たのは間違いなく、坂本龍馬で、あった。
 話を少し戻す。

  龍馬は江戸に着くと、父に教えられた通りに、まっすぐに内桜田の鍛冶橋御門へゆき、橋を渡って土佐藩邸で草履を脱いだ。
 藩邸にはすでに飛脚があって承知しており、龍馬の住まう長屋へ案内してくれた。
 部屋は三間であったという。
 相住いの武士がいるというがその日は桃井道場に出向いていて留守だった。龍馬は部屋にどすんの腰をおろした。旅による埃が舞い散る。
 部屋はやたらときれいに掃除してある。しかも、机には本が山積みされている。
「こりゃ学者じゃな。こういう相手は苦手じゃきに」
 龍馬は開口したままいった。「相手は学者ですか?」
「いいえ。剣客であります」
「郷士ですな?」  
「いえ、白札です」
 白札とは、土佐藩独自の階級で、準上士という身分である。
「わかった。相住むのはあの魚みてぇな顎の武市半平太じゃな」
 龍馬は憂欝になった。正直、藩でも勤勉で知られる武市半平太と相住まいではやりきれないと思った。

  武市半平太を藩邸の者たちは「先生」と呼んでいた。
「なんじゃ? 大勢で」
 顔はいいほうである。
「先生の部屋に土佐から坂本龍馬という男がきました」
「龍馬がきたか…」
「龍馬という男は先生を学者とばいうとりました」
「学者か?」武市は笑った。
「あの魚みてぇな顎……などというとりました。許せんきに!」
「まあ」武市は続けた。「どうでもいいではないか、そのようなこと」
「天誅を加えまする」
「……天誅?」
「ふとん蒸しにしてくれまする!」
 武市半平太は呆れて、勝手にせい、といった。
 なかまのうちひとりが龍馬の部屋の襖をあけた。すると驚いた。ふんどし姿の裸で、のっそりと立っている。「なんじゃ?! 坂本その格好は?!」
「わしは馬鹿じゃで、こうなっちゅう」
「このお!」
 大勢がやってきた。「かかれ!」
 龍馬に大勢でとびかかった。行灯がかたむき、障子が壊れ、龍馬は皋丸をけったりしたため気絶する者まででる。四半刻ばかりどたばたとさわいでいるうちにヘトヘトになり、龍馬はふとん蒸しで、みんなが乗りかかった。息ができず、死ぬような苦しみになる。
「もうよかが! あかりをつけいや」
 武市半平太がやってきていった。不機嫌な声でいった。龍馬は解放されると部屋を出ていった。

「なぜ先生は龍馬の無礼を咎めなかったのです?」
 と、事件のあときくものがあった。
 武市半平太は「徳川家康も豊臣秀吉も、だまっていてもどこか愛嬌があった。その点、明智光秀にはふたりより謀略性があったが、愛嬌がなかったために天下をとれなかった。英雄とはそういうものだ。龍馬のような英雄の資質のあるものと闘っても無駄だし、損でもある」
「龍馬は英雄じゃきにですか?」
「においはある。英雄になるかも知れぬ。世の中わからぬものぞ」
 そのころ「英雄」は、千葉道場で汗を流していた。
 竹刀をふって、汗だくで修行していた。相手は道場主千葉貞吉の息子重太郎で、龍馬より一つ年上の眼の細い青年である。
 そんな剣豪を龍馬は負かしてしまう。
「一本! それまで!」貞吉が手をあげる。
 重太郎は「いやあ、龍さんにはかなわないな」などという。もう、親しい仲になっている。龍馬は友達をつくるのがうまい。
  江戸での月日は早い。
 もう、龍馬は免許皆伝まじかである。
 そんな千葉道場主の貞吉の息子重太郎には、さな子という妹がいた。二つ違いの妹であり、幼少の頃より貞吉が剣を仕込み、免許皆伝とまではいかなかったが、才能があるといわれていた。色が浅黒く、ひとえの眼が大きく、体がこぶりで、勝気な性格だった。
 いかにも江戸娘という感じである。
 そんな娘が、花見どきの上野で暴漢に襲われかけたところをおりよく通りかかった龍馬がたすけた、という伝説が土佐にはあるという。いや、従姉だったという説もある。
 龍馬はさな子を剣でまかした。
 その頃から、さな子は龍馬に恋愛感情を抱くようになる。
 さな子が初めて龍馬をみたときは、かれが道場に挨拶にきたときだった。
「まぁ」とさな子は障子の隙間から見て「田舎者だわ」と思った。
 と、同時に自分の好むタイプの男に見えた。ふしぎな模様の入ったはかまをきて、髪は篷髪、すらりと背が高くて、伊達者のようにみえる。
「さな子、ご挨拶しなさい」父に呼ばれた。
「さな子です」頭を下げる。
「龍馬ですきに。坂本龍馬ですきに」
「まぁ、珍しい名ですね?」
「そうですろうか?」
「ご結婚はしてらっしゃる?」さな子は是非その答えがききたかった。
「いや、しとらんぜよ」
「まあ」さな子は頬を赤らめた。「それはそれは…」
 龍馬は不思議そうな顔をした。そして、さな子の体臭を鼻で吸い、”乙女姉さんと同じ臭いがする。いい香りじゃきに”と思った。
 さな子はそのときから、龍馬を好きになった。

    
 この頃、龍馬は佐久間象山という男に弟子入りした。
 佐久間象山は、最初は湯島聖堂の佐藤一斉の門下として漢学者として世間に知られていた。彼は天保十年(一八三九)二十九歳の時、神田お玉ケ池で象山書院を開いた。だが、その後、主君である信州松代藩主真田阿波守幸貫が老中となり、海防掛となったので象山は顧問として海防を研究した。蘭学も学んだ。
 象山は、もういい加減いい年だが、顎髭ときりりとした目が印象的である。
 佐久間象山が麟太郎(勝海舟)の妹の順子を嫁にしたのは嘉永五年十二月であった。順子は十七歳、象山は四十二歳である。象山にはそれまで多数の妾がいたが、妻はいなかった。
 麟太郎は年上であり、大学者でもある象山を義弟に迎えた。

  坂本龍馬という怪しげな奴が長州藩に入ったのはこの時期である。桂小五郎も高杉晋作もこの元・土佐藩の脱藩浪人に対面して驚いた。龍馬は「世界は広いぜよ、桂さん、高杉さん。黒船をわしはみたが凄い凄い!」とニコニコいう。
「どのようにかね、坂本さん?」
「黒船は蒸気船でのう。蒸気機関という発明のおかげで今までヨーロッパやオランダに行くのに往復2年かかったのが…わずか数ヶ月で着く」
「そうですか」小五郎は興味をもった。
 高杉は「桂さん」と諌めようとした。が、桂小五郎は「まあまあ、晋作。そんなに便利なもんならわが藩でも欲しいのう」という。
 龍馬は「銭をしこたま貯めてこうたらええがじゃ! 銃も大砲もこうたらええがじゃ!」
 高杉は「おんしは攘夷派か開国派ですか?」ときく。
「知らんきに。わしは勝先生についていくだけじゃきに」 
「勝? まさか幕臣の勝麟太郎(海舟)か?」
「そうじゃ」 
 桂と高杉は殺気だった。そいっと横の畳の刀に手を置いた。
「馬鹿らしいきに。わしを殺しても徳川幕府の瓦解はおわらんきにな」
「なればおんしは倒幕派か?」
 桂小五郎と高杉晋作はにやりとした。
「そうじゃのう」龍馬は唸った。「たしかに徳川幕府はおわるけんど…」
「おわるけど?」 
 龍馬は驚くべき戦略を口にした。「徳川将軍家はなくさん。一大名のひとつとなるがじゃ」
「なんじゃと?」桂小五郎も高杉晋作も眉間にシワをよせた。「それではいまとおんなじじゃなかが?」龍馬は否定した。「いや、そうじゃないきに。徳川将軍家は只の一大名になり、わしは日本は藩もなくし共和制がええじゃと思うとるんじゃ」
「…おんしはおそろしいことを考えるじゃなあ」
「そうきにかのう?」龍馬は子供のようにおどけてみせた。
  桂小五郎は万廻元年(1860年)「勘定方小姓格」となり、藩の中枢に権力をうつしていく。三十歳で驚くべき出世をした。しかし、長州の田舎大名の懐刀に過ぎない。
 公武合体がなった。というか水戸藩士たちに井伊大老を殺された幕府は、策を打った。攘夷派の孝明天皇の妹・和宮を、徳川将軍家・家茂公の婦人として「天皇家」の力を取り込もうと画策したのだ。だが、意外なことがおこる。長州や尊皇攘夷派は「攘夷決行日」を迫ってきたのだ。幕府だって馬鹿じゃない。外国船に攻撃すれば日本国は「ぼろ負け」するに決まっている。だが、天皇まで「攘夷決行日」を迫ってきた。幕府は右往左往し「適当な日付」を発表した。だが、攘夷(外国を武力で追い払うこと)などする馬鹿はいない。だが、その一見当たり前なことがわからぬ藩がひとつだけあった。長州藩である。吉田松陰の「草莽掘起」に熱せられた長州藩は馬関(下関)海峡のイギリス艦船に砲撃したのだ。
 だが、結果はやはりであった。長州藩はイギリス艦船に雲海の如くの砲撃を受け、藩領土は火の海となった。桂小五郎から木戸貫治と名を変えた木戸も、余命幾ばくもないが「戦略家」の奇兵隊隊長・高杉晋作も「欧米の軍事力の凄さ」に舌を巻いた。
 そんなとき、坂本龍馬が長州藩に入った。「草莽掘起は青いきに」ハッキリ言った。
「松陰先生が間違っておると申すのか?坂本龍馬とやら」
 木戸は怒った。「いや、ただわしは戦を挑む相手が違うというとるんじゃ」
「外国でえなくどいつを叩くのだ?」
 高杉はザンバラ頭を手でかきむしりながら尋ねた。
「幕府じゃ。徳川幕府じゃ」
「なに、徳川幕府?」 
 坂本龍馬は策を授け、しかも長州藩・奇兵隊の奇跡ともいうべき「馬関の戦い」に参戦した。後でも述べるが、九州大分に布陣した幕府軍を奇襲攻撃で破ったのだ。
 また、徳川将軍家の徳川家茂が病死したのもラッキーだった。あらゆるラッキーが重なり、長州藩は幕府軍を破った。だが、まだ徳川将軍家は残っている。家茂の後釜は徳川慶喜である。長州藩は土佐藩、薩摩藩らと同盟を結ぶ必要に迫られた。明治維新の革命まで、後一歩、である。


嘉永六年六月三日、大事件がおこった。
 ………「黒船来航」である。
 三浦半島浦賀にアメリカ合衆国東インド艦隊の四隻の軍艦が現れたのである。旗艦サスクエハナ二千五百トン、ミシシッピー号千七百トン……いずれも蒸気船で、煙突から黒い煙を吐いている。
 司令官のペリー提督は、アメリカ大統領から日本君主に開国の親書を携えていた。
 幕府は直ちに返答することはないと断ったが、ペリーは来年の四月にまたくるからそのときまで考えていてほしいといい去った。
 幕府はおたおたするばかりで無策だった。そんな中、勝海舟が提言した『海防愚存書』が幕府重鎮の目にとまった。麟太郎は羽田や大森などに砲台を築き、十字放弾すれば艦隊を倒せるといった。まだ「開国」は頭になかったのである。
 勝海舟は老中、若年寄に対して次のような五ケ条を提言した。
 一、幕府に人材を大いに登用し、時々将軍臨席の上で内政、外政の議論をさせなければならない。
 二、海防の軍艦を至急に新造すること。
 三、江戸の防衛体制を厳重に整える。
 四、兵制は直ちに洋式に改め、そのための学校を設ける。
 五、火薬、武器を大量に製造する。
  勝海舟が幕府に登用されたのは、安政二年(一八五五)正月十五日だった。
 その前年は日露和親条約が終結され、外国の圧力は幕府を震撼させていた。麟太郎(勝海舟)は海防掛徒目付に命じられたが、あまりにも幕府の重職であるため断った。麟太郎は大阪防衛役に就任した。幕府は大阪や伊勢を重用しした為である。
 幕府はオランダから軍艦を献上された。
 献上された軍艦はスームビング号だった。が、幕府は艦名を観光丸と改名し、海軍練習艦として使用することになった。嘉永三年製造の木造でマスト三本で、砲台もあり、長さが百七十フィート、幅十フィート、百五十馬力、二百五十トンの小蒸気船であったという。
  次の日の早朝、朝靄の中、龍馬が集合場所に向かって歩いていた。人通りはない。天気はよかった。
「いゃあ、遅刻したぜよ」と坂本竜馬がやってきた。
 立派な服をきた初老の男が「坂本くん、遅い遅い」と笑った。
「すいません佐久間先生」竜馬はわらった。                      
 この初老の男が佐久間象山だった。佐久間は「おい坂本!」と龍馬にいった。
「黒船をみてみたいか?」
「は?」龍馬は茫然としながら「一度もみたことのないもんは見てみたいですきに」
「よし! 若いのはそれぐらいでなければだめだ。よし、ついてこい!」
 象山は「よいよい!」と笑った。
 象山は馬にのった。龍馬は人足にバケて、荷を運んで浦賀へと進んだ。
 途中、だんご屋で休息した。
 坂本竜馬はダンゴを食べながら「先生は学識があるきに、わしは弟子入りしたんじゃ」「おい坂本」象山はいった。「日本はこれからどうなると思う?」
 龍馬は無邪気に「日本はなるようになると思いますきに」と答えた。
「ははは、なるようにか? ……いいか? 坂本。人は生まれてから十年は己、それから十年は家族のことを、それから十年は国のことを考えなければダメなのじゃぞ」
 佐久間象山は説教を述べた。
  やがてふたりは関所をパスして、岬へついた。龍馬は圧倒されて声もでなかった。すごい船だ! でかい! なんであんなものつくれるんだ?!
 浦賀の海上には黒船が四船あった。象山は「あれがペリーの乗るポーハタン、あちらがミシシッピー…」と指差した。龍馬は丘の上に登った。近視なので眼を細めている。
「乗ってみたいなぁ。わしもあれに乗って世界を見たいぜよ!」
 全身の血管を、感情が、とてつもない感情が走り抜けた。龍馬は頭から冷たい水を浴びせ掛けられたような気分だった。圧倒され、言葉も出ない。
 象山は「坂本。日本人はこれからふたつに別れるぞ。ひとつは何でも利用しようとするもの。もうひとつは過去に縛られるもの。第三の道は開国して日本の力を蓄え、のちにあいつらに勝つ。………それが壤夷というものぞ」といった。
  その年も暮れた。
 正月から年号が嘉永から「安政」にかわり、龍馬も二十歳になった。
 龍馬にとっては感慨があった。
 ……坂本の泣き虫も二十歳か……
 われながら自分を褒めたい気分にもなる。しかし、女をしらない。相手は「坂本さん! 坂本さん!」とそそってくるさな子でもよかったが、なにしろ道場主の娘である。
 女を知りたいと思うあまり、龍馬はお冴のわなにはまってしまう。
 国元でも「女との夜」についていろいろきいてはいた。まるで初陣のときと似ちゅう… とはきいていたが、何の想像もつかない。
 遊郭でお冴に手をひかれふとんに入った。お冴は慣れたもので龍馬を裸にして、自分の服も脱いで「坂本さま」と甘い声をだす。
 そんなとき、龍馬は妙なことをいいだす。「……わしの一物が動かんぜよ」
「まぁ、本当」
 お冴は笑った。龍馬は余りの興奮でインポテンツになってしまったのだ。
「これじゃあ……お冴さんのあそこを突くことも出来んきに…」
 龍馬は動揺した。お冴は父親の仇を討ってくれとも頼んだ。
 それっきり、龍馬は夜の行為ができないままだった。
 さな子はそれをきいて笑ったが、同時に嫉妬もした。「あたしが相手なら大丈夫だったはずよ」さな子は龍馬にホレていた。夜のことまで考えていたくらいである。
 お冴とは二度目の「夜」をむかえた。
 こんどは勃起したが、突然、大地震が襲いかかってきた。
 安政元年十一月三日、江戸、相模、伊豆、西日本で大地震がおこった。
「いかん」
 龍馬はとっさに刀をひろいあげて、「お冴、中止じゃきに」といった。
 立ってることもできない。
 大揺れに揺れる。「逃げるぜよ! お冴!」龍馬は彼女の手をとって外にでると、遊郭の屋敷が崩壊した。
「あっ!」
 お冴は龍馬にしがみついた。
 ……これは大変なことになっちゅう。土佐もどうなったことじゃろう…
 龍馬の脳裏にそんな考えがふとよぎった。
 ………土佐に帰ってみよう

  江戸にいるうちにいつの間にか龍馬は、「おなじ土佐藩士でも、上士は山内家の侍であり、郷士は日本の侍じゃ」と考えるようになっていた。
 土佐城への忠誠心は、土佐郷士は薄いほうである。
 江戸から戻り、土佐を歩くうちに「なんだ。これなら帰らずともよかったぜよ」と思った。土佐では先の大地震の被害がみられない。地盤がかたいのだ。
 龍馬が帰宅すると、「ぼん!」と源おんちゃんが笑顔で出迎えた。
「ぼんさん、お帰りんましたか」
「帰ったきに」龍馬はいった。「おいくりまわりの者(ぶらぶらしている人という意味。土佐弁)じゃきに」
「ぼんが帰りましたえ!」おんちゃんは家のものをよんできた。
 家の者に挨拶した龍馬だったが、やはり乙女はいなかった。嫁いだという。
 龍馬はさびしくて泣きたくなった。
  さっそく龍馬は岡上の家へと向かった。
 すると乙女が出てきて「あら? 龍馬」と娘のような声でいった。可愛い顔で、人妻のようには思えない。「いらっしゃい! あがっていって。主人は外出中だけれど…」
「おらんとですか?」
「ええ」
 龍馬は屋敷の中に入った。
「姉さんとふたりきりだと恥ずかしいぜよ」
「なんで? 姉弟じゃきによ。また昔みたいに足すもうでもやるか?」
「いや」龍馬はにやりと笑った。「また、姉さんの大事なところをみてしまいそうじゃ」 乙女は頬を赤らめ、「他の女のあれはみとらんじゃろうな?」ときいた。
「いや。もうすこしでみれるところじゃったが、みれんかった」
「龍馬も大きくなったね。そんなことまで考える年頃になったきにか」
「もう二十歳じゃもの」
 龍馬は笑った。
  まもなく乙女の旦那、岡上新輔が帰ってきた。かれは龍馬に「おんしは壤夷派か?」 ときく。痩せた背の低いやさ男である。もう四十代のおっさんで禿げである。
 また浮気して乙女に箒で叩かれては逃げた。
「違いますきに」この頃の龍馬には『譲夷』など頭にない。
 龍馬は気を悪くしながら実家へと戻った。
 ……あげな男が旦那では乙女姉さんもかわいそうじゃ…
 実家にいくと客が来る来る。「黒船はみたか?」「江戸にはいい女がいたか?」
 龍馬は馬鹿らしくなって「みとらん。知らん」などといって部屋にもどった。
  しばらくするとお田鶴さまがやってきた。
「龍馬どのに会いにきました」
「え?」
「江戸から帰ってきたときいております。黒船のことについてしりとうごさります」
 龍馬とお田鶴は部屋で向かいあって話した。世間ばなしのあと、
 お田鶴は「汚のうございますね?」という。
「朝から顔を洗ってないですき」
「いいえ。部屋がです」彼女は笑った。
 ふいにお田鶴は「幕府など倒してしまえばいいのです」などと物騒なことをいった。
「いかんきに! お田鶴さま! 物騒なことになるき」
「では、龍馬どのは幕府を支持するのですか? 幕府は腐りきってますよ」
「…じゃきに。たしかにわしもこのままでは日本は滅ぶと思うきに。しかし、家老の妹さまがいうと物騒じゃからいわんほうがいいぜよ」
「わたしは平気です。田鶴が、このひとのためなら、というひとがひとりいます。そういうひとがいれば、田鶴は裸で屋敷を駆け回っても、幕府を批判しても怖くはありませぬ」「………それは誰です?」
「そのひとはあまりにも子供っぽくて、田鶴のことなど何とも思っていないかも知れませぬ」田鶴は龍馬の目をじっとみた。そそるような表情だった。
 ……まさか。わしか?
 純粋無垢な少年のような考えを龍馬はもった。お田鶴さまがわしを好いちゅう?

  龍馬とは妙な男である。
 せっかくお田鶴との逢引までことが進行したのに、見知らぬ医者の娘の屋敷に忍びこんだ。相棒の馬之助も屋敷に忍びこんだ。「どうぞ。雨戸を外しますから」
「相手は誰じゃ?」
「お徳という娘です」
 龍馬はお徳の部屋へと忍びこんだ。「誰です?」
「龍馬というき。夜ばいにきよった」
 お徳は相手をしてくれた。初めて女を抱く龍馬は興奮しきりだった。インポにはならなかった。ちゃんと勃起した。お徳は寝巻を脱ぎ、あられもない姿になった。
 龍馬も裸になり、オッパイを揉んでしゃぶりついた。そして、あそこをまじかにみて愛撫した。しだいに濡れてくる。お徳は「はあ、はあ…」と息が荒くなる。
 これは突かねば……龍馬はクリトリスを愛撫しながらおもった。                                  
 腟の位置がわからない。するとお徳は龍馬の”いちもつ”を腟へと導いてくれた。
 …はあ、はあ、はあ、龍馬さま…
 …お徳! お徳! ……
 挿入してピストンするまで時間がかかったが、なんとか無事に射精することができた。 龍馬は初セックスで気持ちよかった。が、お徳のほうはいまひとつだったようだ。
 こうして、龍馬は本当の「女」を知った。
 その壮快感のまま、龍馬は江戸へと戻っていった。

  江戸の千葉道場に戻ると、貞吉も重太郎も涙をにじませてよろこんで出迎えてくれた。 ……土佐もいいが、江戸っこは人情がある…
 龍馬はしみじみ思った。
 土佐に帰っている間に、重太郎は妻をもつようになっていた。               
「お八寸というのだ。せいぜい用をいいつけてくれ」
「お八寸です。どうぞよろしくおねがいします」頭を下げる。
 涼しい眼をした、色白の美女である。龍馬のすきなタイプの女性だった。
 ……こりゃいかん。わしがすきになってはいかんぜよ
「龍さんはどうだい? 結婚は……相手ならいないでもないぞ」
「待った!」
 龍馬はとめた。さな子の名がでそうだったからである。

  龍馬がひとを斬ったのはこの頃である。夜、盗賊らしき男たちが襲いかかってきた。龍馬は刀を抜いて斬り捨てた。血のにおいがあたりを包む。
 しかし、さすがは龍馬の剣のすごさである。相手からの剣はすべて打ち返した。
 ひとりを斬ると、仲間であろう盗賊たちはやがて闇の中へ去った。
 腕を龍馬に斬られた男も逃げ去った。
「なんじゃきに! わしを狙うとは馬鹿らしか」
 龍馬はいった。刀の血を払い、鞘におさめた。只、むなしさだけが残った。
 ひとの話しではお冴がコレラで病死したという。お徳より先に、龍馬の初めての女になるはずだった女子である。龍馬は「そうか」といたましい顔をしたという。
 武市半平太はしきりに龍馬に、
「おんしは開国派か? 壤夷派か?」ときく。
「わからんぜよ。わしは佐久間先生のいうことに従うだけじゃきに」龍馬は頭をかいた。 そんな最中、飛脚から手紙が届いた。
 龍馬は驚愕した。父・八平が死んだというのだ。
「どげんした? 坂本くん」武市が尋ねた。
「父が死んだ……みたいです」
 龍馬は肩を落とした。
「それはご愁傷さまだ」武市は同情して声をかけた。「土佐に戻るのかね?」
「いいや。戻らぬき」
 龍馬にはものすごいショックだったらしい。二十二歳になっていた龍馬は、その日から翌年にかけてほとんど剣術修行をするだけだったらしい。逸話が何もないという。
 それだけ父親の死が龍馬にとってはショックだった訳だ。
 ほどなく北辰一刀流の最高位である免許皆伝を受けた龍馬は、千葉道場の塾頭になった。 この当時、長州藩の桂小五郎(のちの木戸考允)は斎藤のもとで神道無念流の塾頭になり、土佐の武市半平太は桃井春蔵(鏡心明智流)の塾頭となっていた。
 ひとくちに、”位は桃井、枝は千葉、力は斎藤”というのだそうだ。
 桂小五郎は、龍馬より二つ年上の二十五歳だった。
「坂本くん。一本どうだい?」
「稽古きにか?」
「そうだ。どちらが強いかやろうじゃないか」桂小五郎には長州(山口県)訛りがない。「あんたと勝負するちゅうんか?」
「そうだ!」
 やがて、仕方なく防具をつけて、ふたりは試合をすることになった。
 対峙すると、この桂小五郎という男には隙がない。龍馬には気になることがあった。自分の胴があいているのだ。桂の剣が襲いかかる。
 龍馬より桂のほうが一枚上手のようである。
 ……どういう手で倒すか?
 桂と対峙して、龍馬に迷いが生じた。……このまんまでは負けるきに!
 龍馬は片手上段でかまえた。桂はびっくりする。こんな手はみたこともない。
 龍馬はさそった。
 ……打つか?
 桂に迷いが生じたところで龍馬は面を打った。
「面あり!」
 あっけなく、桂の負けである。
 ……なんだあれはただの馬鹿胴だったのか…片手上段といい、この男は苦手だ…
 桂は残念がった。
「わたしの負けだよ、坂本くん」桂は正直にいった。
「桂さんもすごかったぜよ」
 ふたりは笑った。

  大阪から一路、龍馬は土佐に戻った。
 途中、盗っとの藤兵衛とわかれて、単身土佐にかえってきた。龍馬にとって江戸出発以来二度目に帰郷である。今度は北辰一刀流の免許皆伝ということもあって、ひとだかりができる。せまい城下では大変な人気者である。
 武市半平太はすでに土佐に戻っていて、城下で郷士、徒士などに剣術を教えていた。その塾の名は「瑞山塾」といい、すでに土佐では人気のある私塾になっていた。瑞山とは武市の雅号のことである。
 龍馬の兄・権平は「龍馬、おんしも塾を開け。金なら出してやる」という。
 すると龍馬は「わしはやめときます。ぶらぶらしときますきに」という。
「ぶらぶら?」
 権平は不満だった。何がぶらぶらじゃきにか? 北辰一刀流の免許皆伝者が…
  龍馬は珍しもの好きである。
 さっそく噂をきき、絵師・河田小竜という男のところへ向かった。
 河田小竜は唯一、日本中を旅して学識をもち、薩摩の砲台や幕府の海軍訓練所にもくわしい。また、弟子のジョン万次郎から米国の知識まで得ていた。
 河田邸はせまっくるしい。そのせまい邸宅にところせましと大きな絵がかざられている。「おんしは坂本のはなたれじゃなかが? 何しにきた?」
 絵を描きながら、河田小竜は龍馬にきいた。「絵師にでもなりたいきにか?」
「いいや。先生の話しばうかがいたいき、きたとです」
「話し?」
「はい。世界の話しです」龍馬はにこにこいった。
 河田小竜は「しょうがないやつだな」と思いながらも、米国の男女平等、身分制度のないこと、選挙のことなどを話した。龍馬に理解できるだろうか?
 小竜は半信半疑だったが、龍馬は「米国には将軍さまも公家もなく、男も女も平等きにかぁ……いやあおどろいた」と感心してしまった。
 龍馬のこのときの感動が、日本を動かすことになるのである。
 そんなとき、一大事が江戸で起こった。
 ……伊井大老が桜田門外で水戸浪人たちに暗殺されたというのだ。伊井直弼大老は幕府の代表のようなものだ。伊井大老が暗殺されるということは幕府の力がなくなるということである。「龍馬! 一大事じゃ!」兄は弟に暗殺のことを伝えた。
 ………これは大変な世の中になるぜよ……龍馬の全身の血が逆流して、頭がくらくらした。眩暈を覚えた。生涯、これほど血のわいたときはない。
 ……よし! わしも何かでかいことするぜよ!
 龍馬はそう思い、興奮してしまった。


米沢燃ゆ 上杉鷹山公「為せば成る」米沢藩中興の祖・名君2016年度大河ドラマ原作小説7

2013年12月23日 00時25分10秒 | 日記
         改革の狼煙



  治憲が米沢藩主となってから五ケ月後、改革の骨子を発表した。
 九月十六日に、江戸勤番の者一同を集めて、大倹令の骨子が発表された。
 治憲は語り始める。
「当家は大家から小家になり、上下共に大家の古を慕い、家格も重く、重ければ自然身分よりも多くの出費がある。また太平が久しく続いて、世の中が平和になったよし、わが藩だけが六千人もの家臣を抱えて…藩の台所は火の車。まったく嘆かわしい次第である。
 今日では家中が借金まみれであり、もはや誰も金を貸してはくれぬ。
 もしこのようなときに、水害、飢饉、火災…などの災難がひとつでもあれば米沢藩は国が立って行けない。自分は小家から入って大家の後を譲り受け、このまま家が滅びるのを待っていたのでは、国中の人民を苦しめ、謙信公以来のご先祖さまに対して申し訳がたたない。
 それでそれぞれの役筋に尋ねてみたが、誰も立ちいく見込みがないという。しかしながら、私はただ滅びるのを待つより、だめでもいいから大倹約と改革を実行したいと思う。 出来るだけやってみようと思う。
 今はひどくとも、後に国が滅びて難儀をすることを思えば、目の前のことは我慢して、皆も一致協力してくれ。
 まず自分の身の回りから実行するから、もし気付いたことがあるならば、遠慮なく言ってくれ。下々が立ち行かないで、自分だけが立ちいく事は出来ない。藩士も百姓も一致協力して大倹約を守ってくれ。頼む。……では発表する…第一に…」
 こうして治憲により竹俣らの改革案が発表されていった。
 要は、特令の廃止である。伊勢神宮への参拝はわざわざ米沢から使者を遣わさず、京都留守居役に代出させる。年分行事、祝謝事項もすべて中止。
 女中は必要な人数まで減らす(リストラ)、一汁一菜、着るものは木綿、建物の改築はひかえる、奥女中は9人まで。
 ……といった、形式と格式などを重んずる武家社会へ挑戦する12項目だった。
「………以上である」
 治憲は語りおえた。しかし、
 この改革案があまりにも大胆なものであるため、家臣の誰もが沈黙し茫然とするしかなかった。やがて、家臣のひとりがオドオドと江戸家老の色部に、
「色部さま……色部さまは、この改革案に賛成なされたのですか?」
 ときいた。
 それに対して色部照長はなんといっていいかわからず、オドオドと躊躇して咳ばらいをするしかなかった。「……う…そのぉ、だな…」
「私から答える!」色部のそんなオドオド声を遮るように、治憲が言った。そして続けて、「色部は改革案に賛成してくれただけでなく、手まで貸してくれた。色部には感謝したい」 と言ってほわっと微笑み、きらきらと白い歯を見せた。
 それに対して色部照長はまたまたなんといっていいかわからず、オドオドと躊躇して咳ばらいをするしかなかった。「…う…そのぉ。まあ……いえ…感謝には…及びません」
 しばらくしてから色部は躊躇したまま、
「う…そのぉ。御屋形さま! このように家臣に倹約を望むのであれば、御屋形様にも…という声がきかれますでしょう。御屋形様ご自身の倹約についておきかけ願いたい」
 と尋ねた。
「もっともな質問である」治憲がまってましたとばかりに言った。「…いまの私の生活費は1500両だか、それを200両に減らす」
「なんと……?!」
 家臣たちは驚いて声も出なかった。御屋形さまは本気だ……皆がそう実感した。そうした中で、竹俣当綱・莅戸善政・木村高広・藁科松伯ら4人の男たちは冷静で、御屋形さまの態度に共感し、笑顔をつくるのだった。それから心臓が二回打ってから竹俣当綱が、
「しかし…御屋形様は日向高鍋藩からの養子の身…しかも若輩…。何かとうるさい国元の重役たちから反発され米沢藩主の座から排斥されるおそれもあります。それについてはどうお考えですか?」と尋ねた。
「わかっておる。しかし、この治憲が藩主としてふさわしいかどうかは家臣が決めることではない。それを決められるのは領民だけだ。年貢を納めた者のみがそれを決められるのだ」
 治憲はハッキリとした口調で答えた。その瞳はどこか大きな海を見ているかのようで、妙に逞しくもあった。
 竹俣当綱・莅戸善政らは、その若輩ではあるが指導者としてはふさわしいヴィジョンを持った治憲に感嘆し、強烈に魅かれていった。そして畏れいった。
「……さすがは御屋形さま」
 竹俣当綱は満点の笑顔をつくり、輝くような表情のままそういった。

 それから二年、治憲は辛抱強く江戸で改革を進めた。
しかし、その倹約も焼け石に水のごとし、で、なかなかうまくいかなかった。……





         入国




  明和六年初期、
 十九才になった治憲(のちの鷹山)は、はじめて領国米沢へと向かった。
 江戸を出発する数か月前、永く胸を患っていた藁科松伯が死んだ。
 鉄砲隊を先頭に千人以上をひきつれて街道筋をねり歩き、『米沢藩の行進』といわれた米沢藩の大名行列は改革のため100人あまりに減らされた。米沢藩にとって最初の宿泊地は『板谷』である。


「なんということだ……」
 米沢藩家臣の水沢七兵衛は藩主・上杉治憲を出迎えるために板谷にはいって、愕然としてしまった。…なんということだ…。板谷の宿場には誰の姿もなく、宿場はボロボロに壊れ、みるも無残な状況だった。まさに宿場はゴーストタウンと化していた。
「……もっと……はやく…」水沢七兵衛はやっとのことで喘いだ。「…もっとはやく板谷にくるべきだった…」
「水沢さま!」
 部下のひとりが水沢七兵衛の元に駆け寄った。
「おお、榊。どうだ…?!」
「駄目です! 誰も宿場に残っておりません。御屋形さまが泊まれるような宿は一軒も…」「…くそう…」水沢七兵衛は愕然としたまま、ほぞを噛んだ。「……もっと早くきていれば……」
「しかし……出迎えを命じられたのは二日前です!」
「…なぜ板谷がこんなことに…」
「……皆、年貢が高くて生活が苦しいために出ていったのでしょう。しかも…逃亡する農民たちたの通り道であるためそれらの連中が金や物を盗み……結果、このような廃墟となったかと…」
「くそっ」
「どうなさいます?! 水沢さま」
「………ありのままでお迎えするしかない。…後は……わしが腹を切れば済む…」
 水沢七兵衛は愕然としたまま喘ぐように言った。水沢は暗澹たる思いだった。これで自分の人生も終りだ。もうすべておわりだ。いや、自分はいい。しかし、残された家族は…? そして何より藩主に申し訳がたたない。自分はなんとした失敗をしでかしたのだろう。「……わしが……腹を切れば……」
 水沢七兵衛はもう一度、愕然としたまま喘ぐように言った。


  漆黒の夜だった。
 蒼白い月明りがきらきらと差し込むこともあったが、ほとんどは暗い暗闇だった。それは水沢七兵衛の愕然とした暗澹たる気持ちにも似ていた。
 上杉治憲は賀籠を降り、廃墟のような板谷を家臣とともに歩いて、茫然とした。治憲や竹俣らはボロボロの宿らを茫然と見ながら歩いていた。
 しばらくすると、水沢七兵衛らが出迎えに参上した。
「御屋形さま! 江戸からの長旅……領国・米沢の板谷宿にご到着のおり、まことにご苦労さまにござりまする!…私、出迎え役の水沢七兵衛らにございます」
 水沢七兵衛と部下が地面に膝をつき、頭をさげて言った。
「出迎えご苦労である、水沢」
 治憲は魅力的な笑顔のまま言った。
「ところで水沢殿」竹俣当綱は水沢に声をかけた。そして続けて「…御屋形さまや我らが泊まる宿は何処じゃ?」と尋ねた。
 水沢七兵衛と部下は頭を深々と下げ、「…ございません!」と胸を締め付けられる思いで答えて謝罪した。「…宿は……ございません! 申し訳ありません!」
「…なんじゃと?」竹俣当綱は水沢にそう尋ねた。「どういうことじゃ、水沢殿」
「……はっ! なんとも申し訳なく……」
「水沢殿……そちにもわかる通り、御屋形さまはわれらとともに歩いてこられたのじゃぞ。それが……休む宿もないと申すのか…?」
「………申し訳ありません。そうです! …我々がこの板谷に着きました頃にはごらんの通りの廃墟となっており……宿は…そのぉ」水沢七兵衛はしどろもどろになった。
「それは言い訳にならん! 水沢殿、そちはずっとこの米沢におったではないか。板谷がこうなっているのは調べればわかったはず!」
「……申し訳ありません!」
「これは国元から御屋形さまへの嫌がらせですか?!」佐藤文四郎が口をはさんだ。
「…いえ! けして……その…ような事では…」
「しかし!」
「もうよい」しばらく冷静な表情できいていた治憲は文四郎や竹俣らをとめた。そして、魅力的な笑顔をつくり、口元からきらりと白い歯をのぞかせてから優しくいった。
「…今晩はこの板谷で野宿しようせではないか。さあ、野宿の準備をしてくれ。水沢、まず寒さをしのぐ火だ。そして酒。家臣や足軽たちにふるまう。…さ、準備してくれ」
「……ははっ!」その言葉に、水沢七兵衛はもう一度、頭を下げた。
 こうして治憲らは板谷宿で野宿することになった。焚き火がたかれ、日本酒も用意されて団欒のようなものが出来ていた。談笑するものが出来てもいた。しかし、水沢七兵衛らはそれらの集まりから外れ、暗澹たる気持ちを拭い去ることが出来なかった。冷たい地面に腰をおろしていた。無理もない。取り返しのつかない失態を演じ、これからその罪滅しのために切腹となるのだから…。元気に明るくふるまえ……というほうがどうかしている。「水沢殿」
 しばらくして、そのような声がして振り向くと、佐藤文四郎と上杉治憲がやってきていった。文四郎が水沢に声をかけたのだ。
「……これは佐藤さまに御屋形さま…」
 その言葉に水沢はもう一度平伏した。
「礼はもうよい。それより水沢、酌をさせてくれぬか」治憲が酒瓶を手に、言った。
「……は……ははっ!」
 水沢らは杯を手にとって、ひざまずいたまま杯を前に差し出した。
「出迎えご苦労であった」
 治憲が酒瓶から酒を杯にそそぎながら、水沢に労いの言葉をかけた。それに対して水沢七兵衛らはもう一度、深々と頭を下げた。それからしばらくして、
「お…御屋形さま!」と土下座した。そして続けて「申し訳ありませんでした、御屋形さま……この責任をとって、私めがこの場で腹を切って…お詫びを…!」と必死に訴えた。「ならぬ!」
 治憲がハッキリとした口調で水沢を諫めた。「これくらいのことで腹を切るなどとんでもないことだ」
「……しかし!」
「…もうよいのだ」治憲が魅力的なきらきらした笑顔をつくり、おだやかな口調で続けた。「このようなことはなんでもないことだ。私は気にしておらぬ。それに…野宿も案外楽しいではないか、のう水沢」
「御屋形…さま…」
「謝って改めるに憚ることなかれだ。水沢は謝った。もう…それで済んだ。これからは気をつけてくれよ」
 治憲は笑顔のままいうと、佐藤文四郎とともに場を去った。
 残された水沢七兵衛らの胸に熱いものが込み上げてきた。涙が瞼を刺激して、それを堪えようと下を向いて瞬きしたが、無駄だった。涙がボロボロとこぼれ、やがて水沢らは号泣した。
「……御屋形…さま…」
 水沢七兵衛らはそう涙声で言って、もう一度、頭を下げた。………


         火種と希望




  一夜明けると、周りは銀世界だった。
 上杉治憲(のちの鷹山)はふたたび賀籠に乗り、行列はふたたび始まった。
 しんしんと降りしきる白い雪。それらは何もかもを白く覆い隠し、何もかもを重く包み込むかのようだった。…板谷から米沢までは六里の道程である。
 しかし、領内にはいっても何も風景はかわらなかった。
 土地は死んでいた。
 何よりも領民の心が死んでいた。
 希望がないから誰もやる気がない。活力もない。瞳の輝きもない。土地も人間の心も、すべてが死んでいた。
 上杉治憲は賀籠に乗り、隙間からみえる雪の米沢の風景や領民らの希望のない瞳をみて、絶望してしまった。なんということだろう……。これが、米沢か…。治憲は小さな火鉢を手にとり、火もなく灰だらけとなった中を見続け、
「米沢はこの灰と同じだ。……灰に種をまいても…育つだろうか……とんでもない国にきてしまった」と、心の中で呟いた。
 絶望的な気持ちだった。心臓がかちかちの石のように重く、全身の血がコンクリートのように固まっていく気持ちだった。「……灰に種をまいても…育つだろうか?」
 治憲は蒼さめた表情のまま、火鉢の中を指でかきまわしてみた。
 するとどうだろう?……わずかだが残り火がみつかった。「…これは…」そして、ふうふう。ふうふう。上杉治憲はいまにも消えそうな火を吹き続けた。
 その音に気付いて、お側の者が「火を取り替えましょう」と言った。しかし治憲は「いや、一寸思うことがあるからこのままにさせてくれ」と断った。
 ふうふう。ふうふう……しばらくするといまにも消えそうだった火がふたたび明るさを取り戻した。火が蘇ったのだ。上杉治憲は火種を覗きみながらにこりとした。
 そして、それからしばらくして治憲は、
「賀籠をとめてくれ」と言った。
  行列がとまると、賀籠から治憲は出て雪道に降り立った。手には小さな火鉢を持っていた。家臣らは跪いた。
 上杉治憲の表情は、さきほどまでの絶望的な表情ではなかった。
 しばらく沈黙ののち、治憲は語り始めた。
「皆。きいてくれ。米沢領に入って、正直……私は絶望した。
 お前たちに改革案をつくらせたが、それを受け入れる国のほうが死んでいた。この灰のように。……しかし、残った灰をかきまわしていたら火がついた。
 これだ! と思った。
 残った火が火種となって、また新たな火を起こす。そしてその火がまた火をおこす。そうしたことがこの国でも出来ぬものかと思って火を起こしてたのだ。この火種は誰あろう…お前たちだ。火をつけるものは藩士たちであり領民たちだ。
 濡れている者、湿っている者、火をつけられるのを待ち侘びている者、私の改革に反対する者……一様ではあるまい。
 いくら吹いても火がつかぬ者も多いだろう。しかし、私はかならず火がつくと信じるしかない。そこでお前たちの胸に燃えている火を、心ある藩士たちにつけてほしい。そうすればいつかきっと改革の炎が燃え上がるに違いない!」
 治憲の言葉をきき、一同は静まった。しばらくのち、竹俣当綱が抑えきれなくなって、「御屋形さま! その改革の火を私めにわけてください! ……米沢藩の改革が実るまでたやさずに置きます!」
 と嘆願した。
「うむ」治憲は口元に微かな笑みを浮かべて、頷いた。
「御屋形さま!」佐藤文四郎も言った。
「御屋形さま! ……私めにもその火をわけて下さい! 私も改革が実るまで火をたやしません!」
「うむ」
 それからは「私にも、私にも!」とたくさんの家臣たちの声があがった。
 それに大して、上杉治憲は口元に微かな笑みむを浮かべて、「うむ」と頷くのだった。


  それからしばらくして、上杉治憲は白馬に乗り、米沢城へ初入城した。
 しかし、国元の重役たちの中には、治憲公に反対する者も多かったるそのボスがのちに『七家騒動』をおこすことになる千坂高敦(国家老)や須田満主や芋川延茂や色部たちだった。
「まるで物乞い入城だ…」
 天守閣のうえの窓から治憲らの姿を眺めて、千坂が吐き捨てるように言った。
「まったく…」須田が同意した。「……米沢のしきたりもわからぬ養子藩主め」
「あれをみよ」芋川が続けた。「竹俣のやつ…江戸で冷や飯を食らわせてやったのに……意気揚々と乗り込んでくる、ふん」
「しかし……例え雪がふっていようと入城の際には着替えてくるのが常識だろうに…」
「とんでもない若造だ。一から教育しなおさなくては」
『七家』は勝手きままに愚痴ともとれるような陰口を囁いて、養子藩主・上杉治憲を嘲笑した。そんな中、色部照長がオドオド言った。
「……いやいや、あの御屋形さまは年こそ若いが…なかなかのやり手……甘くみていると火傷しますぞ…」
「なんだと?」千坂が笑った。そして「色部、お主……あの若造にたらしこまれたか?」「…いや…そのようなことは…」
「それならいい」
『七家』そういうと、また、せせら笑うのだった。                 


米沢燃ゆ 上杉鷹山公「為せば成る」米沢藩中興の祖・名君2016年度大河ドラマ原作小説6

2013年12月22日 07時17分27秒 | 日記
        重定への言上書




  帰国する本庄と芋川を見送った夜、竹俣美作当綱は江戸の役宅に、莅戸善政、藁科松伯、木村高広を招いた。召使の爺が大根の煮付けと徳利をもってきた。
 当綱は徳利をさっそくもつと、つごうとした。
「この地酒は国元の大町でもとめたものだ」
 当綱は徳利をふってみた。…いい音だ。いい酒は音もよい。
 そして、「まだ残っておる」といった。
「いや、江戸にもどったら貴公らとのもうとおもっておったが……なにせ持って歩くと音がする。芋川にみつかっての。かなり飲まれてしもうた」
 竹俣美作当綱は笑った。
 木村高広と莅戸善政も笑った。しかし、藁科松伯は微笑するだけであった。
 杯を満たして酒を味わってから、当綱は
「これが殿にさし出した言上書の写しだ。目を通してくれぬか」といって巻紙を出した。 竹俣当綱にいわれ三人は順々に写しをみた。木村が最後に読み終わると、巻紙を返上した。それをみてから藁科松伯が口をひらいた。
「……で、殿は森平右衛門の誅殺を承認されたのですな?」
「うむ。認めた」
「そうですか」
「うむ。ただはじめは激しく怒ってのう」
「ほう。でしょうな。殿は森を可愛がっておりましたからな」
「うむ」当綱は続けた。「はじめの激怒で、承認をえるのに苦労した。しかし…そこは肝心なところゆえわれらも負けなかった。重臣連判を盾に押し切った」
「ほう」
「…殿は…」
 竹俣当綱はなにかいいかけて口をつぐんだ。あのときの重定との応酬を思い出して、……殿は愚者で馬鹿だ…と思った当綱ではあった。が、そう口に出すのには憚られた。確かに愚かで馬鹿でも、米沢藩の殿であることにはかわりはないからだ。そして、それにもましてこらえたのは、口にだしていってしまえば空しくなると思ったからだ。
 藁科松伯が口をひらいた。
「ご改革の件も、殿はお認めになられたのか」
「……一応は…」
 竹俣当綱は盃をおいて、顎の不精ひげを掻いた。竹俣当綱は髭の濃いたちである。朝も昼もそったのに、もう髭が青々となっている。
「…改革とはいってもなにをするのか何もきまってはおらん。だから、殿も一応だけ認めたのであろう」
「さようか」
 藁科松伯は咳をしながらいった。そして続けて、
「ただ認めただけでは改革は無理でござりましょう。改革には思いきった人材登用も必要です。また森のようなのがでてこないように…また藩財政を正確に判断し案をだせる人材登用こそが必要でありましょう。言上書をみるかぎりそこが抜けているように思えてなりませぬが…」
「その場に、竹俣がいて、かようなあり様はなにごとかと先生はいいたいのですな?」
「いや、さようなことは…」
 竹俣当綱は手を掲げて、弁明しようとする藁科松伯を止めた。
「当然、そう思われると思っておった。それがしも格式、先格が出てきたときはこれはこれけはと思ったが、口に出さなんだ。侍頭をとりこむのだから、妥協も必要じゃと思った次第である」
 当綱はそういって、ぴしゃりと膝を打った。
 そして「改革は必ず実行する。われわれには名君がいるからのう」といった。
「……直丸さまですか?」
 藁科松伯がにやりとすると、当綱はにこりと笑って「そうそう」といった。
 そして続けて「……先生、直丸さまのご様子はいかがですかな?」と問うた。
「それがですな」
 松伯はにやりと顔をほころばせると、「ご学問もさることながら、近頃は弓や馬のお稽古に精進でござります」
「ほうほう、それはよい。頼もしい限りだ」
 竹俣当綱も顔をほころばせた。そして、その瞬間、
 ……はやく藩主交代を急ぐべきではないか……と思った。


  藩主重定に、竹俣当綱ら重臣四名が談判して森平右衛門誅殺を追認させてから十日ほどすぎた三月四日、国元では森家の処分言い渡しが行われたという。
 嫡子の森平太七歳は親類預け囲入り、故・森平右衛門利真の用人佐久間政右衛門父子は入獄処分となった。だが、ほかの家族、召使は構いなしとされた。その後、森のいた奉行所の家宅捜索がなされ、森の屋敷と塀と門が藩の手で打ち壊された。
 また森が屋敷内にたくわえておいた諸道具は、六人年寄の中沢新左衛門が立ち会って改め、城の宝蔵に返すべきものは返し、売り払うべきものは商人を呼んで売り払った。
 が、たくさんの刀や金銀があったので処分に時間がかかったという。
  その後、参勤交代で重定が江戸に着くと、竹俣当綱はひと息ついた。
 上杉重定と竹俣当綱の関係は、藩主と江戸家老というものであったが、重定は、
 ………わしの信頼しておった森平右衛門を誅殺した張本人め!
 という目で当綱をみるし、竹俣当綱は当綱で、
 ………この藩主は暴君で無能だ……
 と内心みている訳だから、双方とも相手を見れば気持ちが擦れ違うのはやむを得ないことであった。
 しかし、上杉重定もおそまつながら「改革」をしようという動きをみせた。
 七月になって、重定は侍頭の本庄職長、須田満主を呼んで、侍頭のまま六万石の荒地開拓をふくむ農政を担当することを命じた。しかし本庄は一年ほど職をつとめてからお茶をにごし、しきりに辞めるつもりだと国元にも伝わった。重税と借金にあえぐ米沢藩のために誰かが命がけでやっていないことは明らかであった。

  竹俣当綱の屋敷に、後日、藁科松伯がひとりでやってきた。
 先生は咳がかなりひどかった。松伯は胸を患っていた。
「非道の取り立てとは何のことでござろうか」
 当綱は首をかしげ、そしてすぐ自分でうなずいた。
「停止した銀借り上げ分を別の形でとりもどしたということじゃな」
「その分、また米沢の民がかぶったということでござる」
「しぼっても血もでぬところから、さらに血をしぼった訳でござるか」
「藩は天も恐れぬことをおやりになる」
「まさに亡国ですな?先生」
 と、当綱はいった。
「直丸さまがおられます」
「おそれ多いが……まだ子供だ」
「しかし、名君になられる」
「しかし…上杉は名門。若輩の直丸さまに藩主がつとまるじゃろうか?」
「つとまります!直丸殿は臥竜ですゆえ」
 藁科松伯がにやりといった。
「人材登用はどうです?先生」
「……今の殿よりましになりますでしょう。千坂さまは平時なら名執政と呼ばれてしかるべき器量のひとです。しかし、その千坂さまも、いまの藩をいかんともしがたい」
「いま……米沢は大病にかかっておる」
「さよう」
「森の始末がついて……一杯やったとき…」
 と、当綱はいった。
「九郎兵衛と丈八がいたゆえ言うのを憚ったが、先生、わが殿はまちがいなく愚者です。森の処分でつくづくそう感じた」
「今頃お気きですか?」
 藁科松伯がにやりといった。
「いや。かねてより凡庸と思っておったが、あれほど酷いとは思わなんだ」
「ですから…」松伯が続けた。「名君が必要なのです」
「直丸さまか?」
「はい」
「しかし……まだ海のものとも山のものともわからぬ若君である。名君になられるか…」「なられます!」
 藁科松伯が珍しく抑圧のある声でいった。
「……であるか?」
「はい。直丸さまは臥竜です。きっと米沢を救ってくださります」
「……臥竜……であるか」
「しかし、殿は若い。用意に藩主の座をゆずるでしょうか?」
「わしが引き摺りおろす」
 竹俣当綱は、ひとりごとのように、そういった。
。                                       


維新の風と 龍馬伝「薩長同盟・大政奉還・維新回天の土佐の英雄」ブログ連載小説1

2013年12月21日 01時14分44秒 | 日記
小説 維新の風と 龍馬伝

                    日本をいま一度洗濯いたし候

                 RYOUMA!     ~the top  samurai ~~大政奉還せよ! 龍馬の「日本再生論」。
                 「薩長同盟」はいかにしてなったか。~
                ノンフィクション小説
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


          あらすじ

  黒船来航…
  幕末、龍馬は土佐(高知県)に生まれた。町人郷士の坂本八平直足の末っ子である。 龍馬は「坂本の仁王様」とあだ名される乙女姉にきたえられる。それから江戸に留学して知識を得た。勝海舟に弟子いりした坂本龍馬にとって当時の日本はいびつにみえた。龍馬は幕府を批判していく。だが龍馬は若き将軍徳川家茂を尊敬していた。しかし、その将軍も死んでしまう。かわりは一橋卿・慶喜であった。
 勝海舟はなんとかサポートするが、やがて長州藩による蛤御門の変(禁門の変)がおこる。幕府はおこって軍を差し向けるが敗走……龍馬の策によって薩長連合ができ、官軍となるや幕府は遁走しだす。やがて官軍は錦の御旗を掲げ江戸へ迫る。勝は西郷隆盛と会談し、「江戸無血開城」がなる。だが、幕府残党は奥州、蝦夷へ……
 龍馬は維新夜明け前に近江屋で暗殺されてしまう。墓には坂本龍馬とだけ掘られたという。やがて明治時代に募金によって高知県桂浜に龍馬の銅像がたてられた。 おわり





         1 立志


 長州藩と英国による戦争は、英国の完全勝利で、あった。
 長州の馬鹿が、たった一藩だけで「攘夷実行」を決行して、英国艦船に地上砲撃したところで、英国のアームストロング砲の砲火を浴びて「白旗」をあげたのであった。
  長州の「草莽掘起」が敗れたようなものであった。
 同藩は投獄中であった高杉晋作を敗戦処理に任命し、伊藤俊輔(のちの伊藤博文)を通訳として派遣しアーネスト・サトウなどと停戦会議に参加させた。
 伊藤博文は師匠・吉田松陰よりも高杉晋作に人格的影響を受けている。

  ……動けば雷電の如し、発すれば驟雨の如し……

 伊藤博文が、このような「高杉晋作」に対する表現詩でも、充分に伊藤が高杉を尊敬しているかがわかる。高杉晋作は強がった。
「確かに砲台は壊されたが、負けた訳じゃない。英国陸海軍は三千人しか兵士がいない。その数で長州藩を制圧は出来ない」
 英国の痛いところをつくものだ。
 伊藤は関心するやら呆れるやらだった。
  明治四十二年には吉田松陰の松下村塾門下は伊藤博文と山県有朋だけになっている。
 ふたりは明治政府が井伊直弼元・幕府大老の銅像を建てようという運動には不快感を示している。時代が変われば何でも許せるってもんじゃない。  
 松門の龍虎は間違いなく「高杉晋作」と「久坂玄瑞」である。今も昔も有名人である。
 伊藤博文と山県有朋も松下村塾出身だが、悲劇的な若死をした「高杉晋作」「久坂玄瑞」に比べれば「吉田松陰門下」というイメージは薄い。
 伊藤の先祖は蒙古の軍艦に襲撃をかけた河野通有で、河野は孝雷天皇の子に発しているというが怪しいものだ。歴史的証拠資料がない為だ。伊藤家は貧しい下級武士で、伊藤博文の生家は現在も山口県に管理保存されているという。
「あなたのやることは正しいことなのでわたくしめの力士隊を使ってください!」
 奇兵隊蜂起のとき、そう高杉晋作にいって高杉を喜ばせている。

 若い頃の栄一は尊王壤夷運動に共鳴し、文久三年(一八六三)に従兄の尾高新五郎とともに、高崎城を乗っ取り、横浜の外国人居留地襲撃を企てた。
 しかし、実行は中止され、京都に出た渋沢栄一は代々尊王の家柄として知られた一橋・徳川慶喜に支えた。
 話しを前に戻す。
  天保五年(一八三四)、栄一は十二歳のとき御殿を下がった。
 天保八年十五歳のとき、家斉の嫡男が一橋家を継ぐことになり、一橋慶昌と名乗った。当然のように栄一は召し抱えられ、内示がきた。
 一橋家はかの将軍吉宗の家系で、由緒ある名門である。栄一は、田沼意次や柳沢吉保のように場合によっては将軍家用人にまで立身出世するかもと期待した。
 一橋慶昌の兄の将軍家定は病弱でもあり、いよいよ一橋家が将軍か? といわれた。
 しかし、そんな慶昌も天保九年五月に病死してしまう。栄一は十六歳で城を離れざるえなくなった。
 しかし、この年まで江戸城で暮らし、男子禁制の大奥で暮らしたことは渋沢にとってはいい経験だった。大奥の女性は彼を忘れずいつも「栄さんは…」と内輪で話したという。城からおわれた渋沢栄一は算盤に熱中した。
 彼は家督を継ぎ、鬱憤をまぎらわすかのように商売に励んだ。
 この年、意地悪ばばあ殿と呼ばれた曾祖母が亡くなった。
 栄一の父は夢酔と号して隠居してやりたいほうだいやったが、やがて半身不随の病気になり、死んだ。
 父はいろいろなところに借金をしていたという。
 そのため借金取りたちが栄一の屋敷に頻繁に訪れるようになる。
「父の借財はかならずお返しいたしますのでしばらくまってください」栄一は頭を下げ続けた。プライドの高い渋沢にとっては屈辱だったことだろう。
 渋沢は学問にも勤しんだ。この当時の学問は蘭学とよばれるもので、蘭…つまりオランダ学問である。渋沢は蘭学を死に物狂いで勉強した。
 本屋にいって本を見るが、買う金がない。だから一生懸命に立ち読みして覚えた。しかし、そうそう覚えられるものではない。
 あるとき、本屋で新刊の孔子の『論語』を見た。本を見るとめったにおめにかかれないようないい内容の本である。
「これはいくらだ?」渋沢は主人に尋ねた。
「五十両にござりまする」
「高いな。なんとかまけられないか?」
 主人はまけてはくれない。そこで渋沢は親戚、知人の家を駆け回りなんとか五十両をもって本屋に駆け込んだ。が、孔子の『論語』はすでに売れたあとであった。
「あの本は誰が買っていったのか?」息をきらせながら渋沢はきいた。
「四谷大番町にお住まいの与力某様でござります」
 渋沢は駆け出した。すぐにその家を訪ねた。
「その本を私めにお譲りください。私にはその本が必要なのです」
 与力某は断った。すると栄一は「では貸してくだされ」という。
 それもダメだというと、渋沢は「ではあなたの家に毎日通いますから、写本させてください」と頭を下げる。いきおい土下座のようになる。誇り高い渋沢栄一でも必要なときは土下座もした。それで与力某もそれならと受け入れた。「私は四つ(午後十時)に寝ますからその後屋敷の中で写しなされ」
  渋沢は毎晩その家に通い、写経ならぬ写本をした。
 渋沢の住んでいるのは本所江戸王子で、与力の家は四谷大番町であり、距離は往復三里(約二十キロ)であったという。雪の日も雨の日も台風の日も、渋沢は写本に通った。
あるとき本の内容の疑問点について与力に質問すると、
「拙者は本を手元にしながら全部読んでおらぬ。これでは宝の持ち腐れじゃ。この本はお主にやろう」と感嘆した。渋沢は断った。
「すでに写本があります」
 しかし、どうしても、と与力は本を差し出す。渋沢は受け取った。仕方なく写本のほうを売りに出したが三〇両の値がついたという。栄一は売らなかった。その栄一による「論語の写し」は渋沢栄一記念館に現存している。

  渋沢は出世したくて蘭学の勉強をしていた訳ではない。当時、蘭学は幕府からは嫌われていた。しかし、艱難辛苦の勉学により渋沢の名声は世に知られるようになっていく。渋沢はのちにいう。
「わしなどは、もともととんと望みがなかったから貧乏でね。飯だって一日に一度くらいしか食べやしない」
 大飢饉で、渋沢も大変な思いをしたという。
 徳川太平の世が二百五十年も続き、皆、戦や政にうとくなっていた。信長の頃は、馬は重たい鎧の武士を乗せて疾走した。が、そういう戦もなくなり皆、剣術でも火縄銃でも型だけの「飾り」のようになってしまっていた。
 渋沢はその頃、こんなことでいいのか?、と思っていた。
 だが、渋沢も「黒船」がくるまで目が覚めなかった。
「火事場泥棒」的に尊皇攘夷の旗のもと、栄一は外国人宿泊館に放火したり、嵐のように暴れた。奇兵隊にも入隊したりもしている。松下村塾にも僅かな期間だが通学した。
 だが、吉田松陰は渋沢栄一の才に気づかぬ。面白くないのは栄一である。
 しかし、渋沢栄一は「阿呆」ではない。軍事力なき攘夷「草莽掘起」より、開国して文化・武力・経済力をつけたほうがいい。佐久間象山の受け入りだが目が覚めた。つまり、覚醒した。だが、まだ時はいまではない。「知略」「商人としての勘」が自分の早熟な行動を止めていた。今、「開国論」を説けば「第二・佐久間象山」でしかない。佐久間象山はやがて幕府の「安政の大獄」だか浪人や志士だのいう連中の「天誅」だかで犬死するだろう。
 俺は死にたくない。まずは力ある者の側近となり、徐々に「独り立ち」するのがいい。
 誰がいい? 木戸貫治(桂小五郎)? 頭がいいが「一匹狼的」だ。西郷吉之助(隆盛)?
薩摩(鹿児島県)のおいどんか? 側近や家来が多すぎる。佐久間象山? 先のないひとだ。坂本龍馬? あんな得体の知れぬ者こっちが嫌である。大久保一蔵(利通)? 有力だが冷徹であり、どいつも「つて(人脈)」がない。
 渋沢栄一は艱難辛苦の末、わずかなつて(人脈)を頼って「一橋慶喜」に仕官し、いつしか慶喜の「懐刀」とまでいわれるように精進した。根は真面目な計算高い渋沢栄一である。
 頭のいい栄一は現在なら「東大法学部卒のエリート・キャリア官僚」みたいな者であったにちがいない。
 一橋慶喜ことのちの徳川慶喜は「馬鹿」ではない。「温室育ちの苦労知らずのお坊ちゃん」であるが、気は小さく「蚤の心臓」ではあるが頭脳麗しい男ではある。
 だが、歴史は彼を「阿呆だ」「臆病者だ」という。
「官軍に怯えて大阪城から遁走したではないか」
「抵抗なく大政奉還し、江戸城からもいち早く逃げ出した」
  歴史的敗北者だ、というのだ。だが、なら自分が慶喜の立場だったら?ああやる以外どうせよというのだ?官軍と幕府軍で全面内戦状態になれば「清国の二の舞」だったではないか。
 あえて「貧乏くじ」を引く策は実は渋沢栄一の「策」、「入れ知恵」ではあった。
 まあ、「結果」よければすべてよし、である。
 


坂本龍馬という怪しげな奴が長州藩に入ったのはこの時期である。桂小五郎も高杉晋作もこの元・土佐藩の脱藩浪人に対面して驚いた。龍馬は「世界は広いぜよ、桂さん、高杉さん。黒船をわしはみたが凄い凄い!」とニコニコいう。
「どのようにかね、坂本さん?」
「黒船は蒸気船でのう。蒸気機関という発明のおかげで今までヨーロッパやオランダに行くのに往復2年かかったのが…わずか数ヶ月で着く」
「そうですか」小五郎は興味をもった。
 高杉は「桂さん」と諌めようとした。が、桂小五郎は「まあまあ、晋作。そんなに便利なもんならわが藩でも欲しいのう」という。
 龍馬は「銭をしこたま貯めてこうたらええがじゃ! 銃も大砲もこうたらええがじゃ!」
 高杉は「おんしは攘夷派か開国派ですか?」ときく。
「知らんきに。わしは勝先生についていくだけじゃきに」 
「勝? まさか幕臣の勝麟太郎(海舟)か?」
「そうじゃ」 
 桂と高杉は殺気だった。そいっと横の畳の刀に手を置いた。
「馬鹿らしいきに。わしを殺しても徳川幕府の瓦解はおわらんきにな」
「なればおんしは倒幕派か?」
 桂小五郎と高杉晋作はにやりとした。
「そうじゃのう」龍馬は唸った。「たしかに徳川幕府はおわるけんど…」
「おわるけど?」 
 龍馬は驚くべき戦略を口にした。「徳川将軍家はなくさん。一大名のひとつとなるがじゃ」
「なんじゃと?」桂小五郎も高杉晋作も眉間にシワをよせた。「それではいまとおんなじじゃなかが?」龍馬は否定した。「いや、そうじゃないきに。徳川将軍家は只の一大名になり、わしは日本は藩もなくし共和制がええじゃと思うとるんじゃ」
「…おんしはおそろしいことを考えるじゃなあ」
「そうきにかのう?」龍馬は子供のようにおどけてみせた。
  桂小五郎は万廻元年(1860年)「勘定方小姓格」となり、藩の中枢に権力をうつしていく。三十歳で驚くべき出世をした。しかし、長州の田舎大名の懐刀に過ぎない。
 公武合体がなった。というか水戸藩士たちに井伊大老を殺された幕府は、策を打った。攘夷派の孝明天皇の妹・和宮を、徳川将軍家・家茂公の婦人として「天皇家」の力を取り込もうと画策したのだ。だが、意外なことがおこる。長州や尊皇攘夷派は「攘夷決行日」を迫ってきたのだ。幕府だって馬鹿じゃない。外国船に攻撃すれば日本国は「ぼろ負け」するに決まっている。だが、天皇まで「攘夷決行日」を迫ってきた。幕府は右往左往し「適当な日付」を発表した。だが、攘夷(外国を武力で追い払うこと)などする馬鹿はいない。だが、その一見当たり前なことがわからぬ藩がひとつだけあった。長州藩である。吉田松陰の「草莽掘起」に熱せられた長州藩は馬関(下関)海峡のイギリス艦船に砲撃したのだ。
 だが、結果はやはりであった。長州藩はイギリス艦船に雲海の如くの砲撃を受け、藩領土は火の海となった。桂小五郎から木戸貫治と名を変えた木戸も、余命幾ばくもないが「戦略家」の奇兵隊隊長・高杉晋作も「欧米の軍事力の凄さ」に舌を巻いた。
 そんなとき、坂本龍馬が長州藩に入った。「草莽掘起は青いきに」ハッキリ言った。
「松陰先生が間違っておると申すのか?坂本龍馬とやら」
 木戸は怒った。「いや、ただわしは戦を挑む相手が違うというとるんじゃ」
「外国でえなくどいつを叩くのだ?」
 高杉はザンバラ頭を手でかきむしりながら尋ねた。
「幕府じゃ。徳川幕府じゃ」
「なに、徳川幕府?」 
 坂本龍馬は策を授け、しかも長州藩・奇兵隊の奇跡ともいうべき「馬関の戦い」に参戦した。後でも述べるが、九州大分に布陣した幕府軍を奇襲攻撃で破ったのだ。
 また、徳川将軍家の徳川家茂が病死したのもラッキーだった。あらゆるラッキーが重なり、長州藩は幕府軍を破った。だが、まだ徳川将軍家は残っている。家茂の後釜は徳川慶喜である。長州藩は土佐藩、薩摩藩らと同盟を結ぶ必要に迫られた。明治維新の革命まで、後一歩、である。

 和宮と若き将軍・家茂(徳川家福・徳川紀州藩)との話しをしよう。
 和宮が江戸に輿入れした際にも悶着があった。なんと和宮(孝明天皇の妹、将軍家へ嫁いだ)は天璋院(薩摩藩の篤姫)に土産をもってきたのだが、文には『天璋院へ』とだけ書いてあった。様も何もつけず呼び捨てだったのだ。「これは…」側女中の重野や滝山も驚いた。「何かの手違いではないか?」天璋院は動揺したという。滝山は「間違いではありませぬ。これは江戸に着いたおり、あらかじめ同封されていた文にて…」とこちらも動揺した。
 天皇家というのはいつの時代もこうなのだ。現在でも、天皇の家族は子供にまで「なんとか様」と呼ばねばならぬし、少しでも批判しようものなら右翼が殺しにくる。
 だから、マスコミも過剰な皇室敬語のオンパレードだ。        
 今もって、天皇はこの国では『現人神』のままなのだ。
「懐剣じゃと?」
 天璋院は滝山からの報告に驚いた。『お当たり』(将軍が大奥の妻に会いにいくこと)の際に和宮が、懐にきらりと光る物を忍ばせていたのを女中が見たというのだ。        
「…まさか…和宮さんはもう将軍の御台所(正妻)なるぞ」
「しかし…再三のお当たりの際にも見たものがおると…」滝山は深刻な顔でいった。
「…まさか…公方さまを…」
 しかし、それは誤解であった。確かに和宮は家茂の誘いを拒んだ。しかし、懐に忍ばせていたのは『手鏡』であった。天璋院は微笑み、「お可愛いではないか」と呟いたという。 天璋院は家茂に「今度こそ大切なことをいうのですよ」と念を押した。
 寝室にきた白装束の和宮に、家茂はいった。「この夜は本当のことを申しまする。壤夷は無理にござりまする。鎖国は無理なのです」
「……無理とは?」
「壤夷などと申して外国を退ければ戦になるか、または外国にやられ清国のようになりまする。開国か日本国内で戦になり国が滅ぶかふたつだけでござりまする」
 和宮は動揺した。「ならば公武合体は……壤夷は無理やと?」
「はい。無理です。そのことも帝もいずれわかっていただけると思いまする」
「にっぽん………日本国のためならば……仕方ないことでござりまする」
「有り難うござりまする。それと、私はそなたを大事にしたいと思いまする」
「大事?」
「妻として、幸せにしたいと思っておりまする」
 ふたりは手を取り合った。この夜を若きふたりがどう過ごしたかはわからない。しかし、わかりあえたものだろう。こののち和宮は将軍に好意をもっていく。
  この頃、文久2年(1862年)3月16日、薩摩藩の島津久光が一千の兵を率いて京、そして江戸へと動いた。この知らせは長州藩や反幕府、尊皇壤夷派を勇気づけた。この頃、土佐の坂本龍馬も脱藩している。そしてやがて、薩長同盟までこぎつけるのだが、それは後述しよう。
  家茂は妻・和宮と話した。
 小雪が舞っていた。「私はややが欲しいのです…」
「だから……子供を産むだけが女の仕事ではないのです」
「でも……徳川家の跡取がなければ徳川はほろびまする」
 家茂は妻を抱き締めた。優しく、そっと…。「それならそれでいいではないか……和宮さん…私はそちを愛しておる。ややなどなくても愛しておる。」
 ふたりは強く強く抱き合った。長い抱擁……
  薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)の同盟が出来ると、いよいよもって天璋院(篤姫)の立場は危うくなった。薩摩の分家・今和泉島津家から故・島津斉彬の養女となり、更に近衛家の養女となり、将軍・家定の正室となって将軍死後、大御台所となっていただけに『薩摩の回し者』のようなものである。
 幕府は天璋院の事を批判し、反発した。しかし、天璋院は泣きながら「わたくしめは徳川の人間に御座りまする!」という。和宮は複雑な顔だったが、そんな天璋院を若き将軍・家茂が庇った。薩摩は『将軍・家茂の上洛』『各藩の幕政参加』『松平慶永(春嶽)、一橋慶喜の幕政参加』を幕府に呑ませた。それには江戸まで久光の共をした大久保一蔵や小松帯刀の力が大きい。そして天璋院は『生麦事件』などで薩摩と完全に訣別した。こういう悶着や、確執は腐りきった幕府の崩壊へと結び付くことなど、幕臣でさえ気付かぬ程であり、幕府は益々、危機的状況であったといえよう。
 話しを少し戻す。

長崎で、幕府使節団が上海行きの準備をはじめたのは文久二年の正月である。
 当然、晋作も長崎にら滞在して、出発をまった。
 藩からの手持金は、六百両ともいわれる。
 使節の乗る船はアーミスチス号だったが、船長のリチャードソンが法外な値をふっかけていたため、準備が遅れていたという。
 二十三歳の若者がもちなれない大金を手にしたため、芸妓上げやらなにやらで銭がなくなっていき……よくある話しである。
 …それにしてもまたされる。
 窮地におちいった晋作をみて、同棲中の芸者がいった。
「また、私をお売りになればいいでしょう?」
 しかし、晋作には、藩を捨てて、二年前に遊郭からもらいうけた若妻雅を捨てる気にはならなかった。だが、結局、晋作は雅を遊郭にまた売ってしまう。
 ……自分のことしか考えられないのである。
 しかし、女も女で、甲斐性無しの晋作にみきりをつけた様子であったという。
  当時、上海に派遣された五十一名の中で、晋作の『遊清五録』ほど精密な本はない。長州藩が大金を出して派遣した甲斐があったといえる。
 しかし、上海使節団の中で後年名を残すのは、高杉晋作と中牟田倉之助、五代才助の三人だけである。中牟田は明治海軍にその名を残し、五代は維新後友厚と改名し、民間に下って商工会を設立する。
 晋作は上海にいって衝撃を受ける。
 吉田松陰いらいの「草奔掘起」であり「壤夷」は、亡国の途である。
 こんな強大な外国と戦って勝てる訳がない。
 ……壤夷鎖国など馬鹿げている!
 それに開眼したのは晋作だけではない。勝海舟も坂本龍馬も、佐久間象山、榎本武揚、小栗上野介や松本良順らもみんなそうである。晋作などは遅すぎたといってもいい。
 上海では賊が出没して、英軍に砲弾を浴びせかける。
 しかし、すぐに捕まって処刑される。
 日本人の「壤夷」の連中とどこが違うというのか……?
 ……俺には回天(革命)の才がある。
 ……日本という国を今一度、回天(革命)してみせる!
「徳川幕府は腐りきった糞以下だ! かならず俺がぶっつぶす!」
 高杉晋作は革命の志を抱いた。
 それはまだ維新夜明け前のことで、ある。



            
  龍馬(坂本龍馬)にももちろん父親がいた。
 龍馬の父・坂本八平直足は養子で山本覚右衛門の二男で、年わずか百石の百表どりだった。嘉永から文政にかけて百表三十何両でうれたが、それだけでは女中下男や妻子を養ってはいけない。いきおい兼業することになる。質屋で武士相手に金の貸し借りをしていたという。この頃は武士の天下などとはほど遠く、ほとんどの武士は町人から借金をしていたといわれる。中には武士の魂である「刀」を売る不貞な輩までいた。坂本家は武家ではあったが、質屋でもあった。
 坂本家で、八平は腕白に過ごした。夢は貿易だったという。
 貧乏にも負けなかった。
 しかし、八平の義父・八蔵直澄は年百石のほかに質屋での売り上げがはいる。あながち貧乏だった訳ではなさそうだ。
 そのため食うにはこまらなくなった。
 それをいいことに八平は腕白に育った。土佐(高知県)藩城下の上町(現・高知県本丁節一丁目)へ住んでいた。そんな八平も結婚し、子が生まれた。末っ子が、あの坂本龍馬(龍馬直柔)である。天保六年(一八三五)十一月十五日が龍馬の誕生日であった。
 父・八平(四十二歳)、母・幸(三十七歳)のときのことである。
 高知県桂浜……
 龍馬には二十一歳年上の兄権平直方(二十一歳)、長姉千鶴(十九歳)、次姉栄(十歳)、三姉乙女(四歳)がいて、坂本家は郷士(下級武士)であったが本家は質屋だった。
 龍馬は、表では威張り散らしている侍が、質屋に刀剣や壺などをもってきてへいへいと頭を下げて銭を借りる姿をみて育った。……侍とは情なき存在じゃきに。幼い龍馬は思った。
 幸は懐妊中、雲龍奔馬が胎内に飛び込んだ夢をみた。そのため末っ子には「龍馬」と名付けたのである。
 いろいろと騒ぎを起こす八平の元で、龍馬は順調に育った。幸も息子を可愛がった。
 しかし、三歳を過ぎた頃から龍馬はおちこぼれていく。物覚えが悪く、すぐに泣く。
 いつまでも”寝小便”が治らなかった。
「馬鹿」なので、塾の先生も手を焼く。すぐ泣くのでいじめられる。
 そんな弘文三年に、龍馬は母を亡くした。龍馬が十二歳のときだった。
 母のかわりに龍馬を鍛えたのが、「坂本のお仁王様」と呼ばれた三歳年上のがっちりした長身の姉・乙女だった。
 乙女は弟には容赦なく体罰を与えて”男”として鍛え上げようとした。
「これ! 龍馬! 男のくせに泣くな!」
 乙女は、びいびい泣く龍馬少年の頬をよく平手打ちした。しかし、龍馬はさらに泣く。  
 いじめられて友達もいないから、龍馬は折檻がいやで堪らない。
「泣くな! これ龍馬! 男は泣いたらいかんきに!」
 乙女は龍馬を叩いたり蹴ったりもした。しかし、けして憎い訳じゃない。すべては立派な男にするためだ。しかし、近所からは”「坂本のお仁王様」がまた馬鹿弟をいじめている”……などと噂される。乙女も辛かったろう。しかし、乙女はけして妥協しない。
 龍馬は少年時代から孤独であった。
 兄姉があり、末っ子だから当然うるさいほど甘やかされてもよさそうなものなのに、そうではなかった。龍馬が利発な子なら好かれたろう。
 だが、龍馬は逆に皆に無視されることになった。それは生まれたときから顔に大きな黒子があったり、背中に黒い毛が生えていたりしたからであろう。栄姉などは龍馬を不気味がったりもしたという。そのうえ龍馬は少しぼ~っとしていて、物覚えが悪く、いつも泣く。剛気をよろこぶ土佐の風土にあわぬ者とし「ハナタレ」と呼ばれ、いつもいじめられた。そんな中で乙女だけが、イライラと龍馬を叱ったり世話をやいた。
「龍馬。あなたはちゃんとした立派な男に……いいえ英雄になりなさい!」
「……じゃきに…」龍馬は泣きながらいった。         
「泣くな! 男じゃろ?! あんさんは女子じゃきにか?」乙女は叱った。
 そして続けて「あんたが生まれたとき、あたしたちはびっくりしました。黒子が顔にあって、背中にふさふさ毛が生えちゅう。じゃきにな龍馬、母上は嘆いたのよ。でも、あた            
しが慰めようとして、これは奇瑞よ。これは天駆ける龍目が生まれたのよ……って」
 龍馬はようやく泣きやんだ。
「あとはあなたの努力次第じゃ。ハナタレのままか、偉いひとになるか」
 高知で「ハナタレ」と呼ばれるのは白痴のことである。それを龍馬の耳にいれまいとして乙女はどれだけ苦労したことか。しかし、今はハッキリと本人にいってやった。
 この弟を一人前の男にしなくては……その思いのまま乙女は弟をしつけた。
「あんさんは何かあるとすぐ泣くので、皆いっちゅう。金で侍の株は買えるがもともと商人じゃ。泣虫なのはあたりまえじゃきに…と。悔しくないのきにか?!」
 愛情を込めて、乙女はいった。しかし、龍馬にはわからない。
 乙女はいろいろな手で弟を鍛えた。寝小便を直すのに叱り、励まし、鏡川へ連れていっていきなり水の中に放りこんで無理に泳がせたり、泣いているのに何べんでも竹刀を持ち直させて打ちすえたり………いろいろなことをした。
 そんな龍馬も成長すると、剣の腕もあがり、乙女のおかげで一人前の男になった。
 十九歳の頃、龍馬は単身江戸へむかい剣術修行することになった。
 乙女はわが子のような、弟、龍馬の成長に喜んだ。
 乙女は可愛い顔立ちをしていたが、からだがひとより大きく、五尺四、五寸はあったという。ずっとりと太っていてころげると畳みがゆれるから、兄権平や姉の栄がからかい、「お仁王様に似ちゅう」
 といったという。これが広がって高知では「坂本のお仁王様」といえば百姓町人まで知らぬ者はいない。乙女は体が大きいわりには俊敏で、竹刀を使う腕は男以上だった。末弟に剣術を教えたのも、この三歳年上の乙女である。
 龍馬がいよいよ江戸に発つときいて、土佐城下本町筋一丁目の坂本屋敷には、早朝からひっきりなしに祝い客がくる。客はきまって、
「小嬢さまはぼんがいなくなってさぞ寂しいでしょう?」ときく。
 乙女は「いいえ。はなたれがいなくなってさっぱりしますきに」と強がりをいう。
 龍馬が十二歳のときに母親が死んでから、乙女は弟をおぶったり、添い寝をしたりして育ててきた。若い母親のような気持ちがある。それほど龍馬は手間のかかる子供だった。 いつもからかわれて泣いて帰る龍馬は、高知では「あのハナタレの坂本のぼん」と呼ばれて嘲笑されていた。泣きながら二丁も三丁も歩いて帰宅する。極端な近視でもある。
 父親はひとなみに私塾(楠山塾)にいれるが、毎日泣いて帰ってくるし、文字もろくすっぽ覚えられない。みかねた塾の先生・楠山庄助が「拙者にはおたくの子は教えかねる」といって、塾から排斥される。
 兄の権平や父の八平も「とんでもない子供だ。廃れ者だ」と嘆く。
 しかし、乙女だけはくすくす笑い、「いいえ。龍馬は日本に名をのこす者になります」などという。
「寝小便たれがかぜよ?」
「はい」乙女は強く頷いた。
 乙女の他に龍馬の支援者といえば、明るい性格の源おんちゃんであったという。      源おんちゃんは「坊さんはきっと偉いひとになりますきに。これからは武ではなく商の時代ですき」という。

  城下でも見晴らしのいい一角に、小栗流日根野弁治の道場があった。龍馬はそこで剣             
術をまなんだ。道場の近くには潮江川(現在の鏡川)が流れている。
 日根野弁治は土佐城下でも指折りの剣術使いで、柔道にも達していたという。
 もともと小栗流というのは刀術のほかに拳術、柔道などを複合したもので、稽古も荒っぽい。先生は稽古のときに弟子の太刀が甘いと、「そんなんじゃイタチも斬れんきに!」 と弟子をよく叱ったという。そして、強い力で面をうつ。
 あまりに強い竹刀さばきだから、気絶する者まででてくる。十四歳の龍馬もずいぶんとやられた口だったらしい。
 毎日、龍馬は剣術防具をかついで築屋敷から本町筋一丁目の屋敷にもどってくると、姉の乙女がまっている。
「庭にでなさい! あたしが稽古をつけちゃるきに!」これが日課だったという。また防具をつけなければならない。乙女はふりそでを襷でしばり、竹刀をもったきりである。
「今日のおさらい。龍馬!」
 今日ならったようにうちこめという。
「女子だと思ってみくびったらいかんぜよ!」
 みくびるどころか、龍馬の太刀を乙女はばんばんとかわし打ち込んでくる。龍馬は何度か庭の池へ突き落とされかける。はいあがるとまた乙女は突く。
 父・八平がみかねて「乙女、いかげんにせぬか」ととめる。
 すると乙女は「ちがいます」という。可愛い顔だちである。
「何が違うきにか?」
「龍は雨風をうけて昇天するといいますから、わたしが龍馬を昇天させるためにやってるのです。いじめではありませぬ」
「馬鹿。わしは龍馬が可哀相だといってるんじゃなかが。お前がそんなハッタカ(お転婆娘)では嫁入り先がなくなるというとるんじゃきに」
「……わたしは嫁にはいきませぬ」
「じゃあどうするんじゃ?」
「龍馬を育てます」
「馬鹿ちんが。龍馬だってすぐ大きくなる。女子は嫁にいくと決まっておろう」
 乙女は押し黙った。確かに…その通りではある。
 ………龍馬は強い!
 こう噂されるようになったのは日根野道場の大会でのことである。乙女も同席していたが「あれがあの弟か?」と思うほど相手をばったばったと叩きのめしていく。
 まるで宮本武蔵である。
 兄・権平や父・八平も驚き「これはわしらの目が甘かった。龍馬は強い。江戸へ剣術修行をさせよう。少々、金がかかるがの」といいあった。
「あの弟なら剣で飯が食えます。江戸から戻ったら道場でもやらせましょう父上」
 さっそく日根野にいうと、「江戸の北辰一刀流がいいでしょう。あの子なら剣術道場をもてます」と太鼓判をおす。
「千葉周作先生のところですな?」
 名前ぐらいは知っている。「そうですきに」坂本家は土佐一番の金持ち郷士だったが、身分は、家老福岡家御預郷士、ということであり、江戸にいくには藩の許しが必要だった。
 八平はさっそく届けを出した。
「龍馬、よろこびやれ! ゆるしがでたぜよ!」
 乙女が龍馬の部屋に駆け込んで笑顔になった。
「はあ」と龍馬が情なくいう。「ノミが口の中にはいった…苦か」
 ……やはり龍馬は普通じゃない。

  龍馬がいよいよ江戸へ旅たつ日がきた。嘉永六年三月十七日のことである。
 坂本家では源おんちゃんが門をひらき、提灯をぶらさげる。父・八平は「権平、龍馬はどこじゃ?」ときく。
「さぁ、さきほどからみえませんが…」
 龍馬は乙女の部屋にいた。別れの挨拶のためである。しかし、「挨拶はやめた」という。「どげんしたとです?」乙女は不思議がってきいた。
 龍馬はいう。「乙女姉さん、足ずもうやろう。こどものときからふたりでやってきたんだから、別れにはこれがいい。それとも、坂本のお仁王様が逃げるきにか?」
「逃げる? まさか!」
 乙女は龍馬の口車にのってしまう。「一本きりですよ、勝負は」
 乙女はすそをめくり、白いはぎを出して両手でかかえた。あられもない姿になったが、龍馬はそんな姉をみなれている。
 姉弟は十分ほどあらそったがなかなか勝負がつかない。乙女が龍馬の足をはねた瞬間、「乙女、ご開帳じゃ」と権平が声を出す。
「えっ?!」
 その乙女の隙をついて龍馬は乙女の足をすくいあげ、乙女をあおむけざまに転がした。股の大事な部分までみえた。
「どうだ!」
「卑怯です!」
「なにしちゅう!」権平が声を荒げた。「もうすぐ夜明けじゃ、龍馬支度せい」

「まじないですから、龍馬、この小石を踏みなされ」
 乙女がいうと、龍馬は「こうですか?」とちょっとふんだ。
「これで厄除けと開運になるきに」
「姉さん。お達者で。土佐にこんど戻ってくるときには乙女姉さんは、他家のひとになっちゅうますろう」
 乙女は押し黙った。しかし、龍馬は知っていた。乙女には去年の冬ごろから縁談があった。はなしは進み、この夏には結婚するという。相手は岡上新輔という長崎がえりの蘭学               
医で、高知から半日ばかりの香美群山北という村に住んでいるという。
 ただ背丈が乙女より三寸ほど低いのが乙女には気にいらない。
 それでも乙女は、
「こんどかえったら山北へあそびにいらっしゃい」とうれしそうにいった。
「なにしちゅう!」権平が声を荒げた。「もうすぐ夜明けじゃ、龍馬支度せい」
  土佐は南国のために、唄が好きなひとがおおく、しかも明るいテンポの唄しかうけない。どんな悲惨な話しでも明るい唄ってしまう。別れでも唄を唄えといわれ、
「わしは歌えんきに」
 と龍馬は頭をかいた。もう旅支度も整い、出発を待つだけである。
「では、龍馬おじさまにかわって私がうたってしんぜまする」           
 といったのは兄・権平の娘の春猪だった。春猪は唄がうまい。
 そろそろ夜明ける。龍馬が今から踏み越えようとしている瓶岩峠の空が、紫色から蒼天になりはじめた。今日は快晴そうである。
  道中、晴天でよかった。
 龍馬は、阿波ざかいのいくつもの峠を越えて、吉野川上流の渓谷に分け入った。
 渓谷は険しい道が続く。
 左手をふところに入れて歩くのが、龍馬のくせである。右手に竹刀、防具をかつぎ、くせで左肩を少し落として、はやく歩く。
 ふところには銭がたんとある。龍馬は生まれてこのかた金に困ったことがない。
  船着き場の宿につくと、この部屋がいい海が見える、と部屋を勝手にきめて泊まろうとする。「酒もってきちゅうきに」龍馬は宿の女中にいう。
 土佐者には酒は飲み水のような物だ。
 女中は「この部屋はすでに予約がはいっておりまして…」と困惑した。
「誰が予約しちゅう?」   
「ご家老さまの妹さまのお田鶴さまです」
 龍馬は口をつぐんでから、「なら仕方ないき。他の部屋は?」
「ありますが海はみえませぬ」
 龍馬は首を少しひねり、「ならいい。わしは浜辺で寝るきに」といって浜辺に向かった。        
  お田鶴はそれをきいて、宿から浜辺へいった。
「まぁ、やはり坂本のせがれじゃ」
 お田鶴は、砂の上にすわった。土佐二十四万石の家老の妹だけあって、さすがに行儀がいい。龍馬は寝転んだままだ。
「龍馬どのとおっしゃいましたね?」
「そうじゃきに」
「江戸に剣術修行にいらっしゃる」
「そうじゃ」
「兄からいろいろきいています」
 龍馬は何もいわなかった。
 坂本家と福岡家は、たんに藩の郷士と家老というだけの間柄ではない。藩の財政が逼迫したときは、家老は豪商の坂本家に金をかりてくることが多い。このため坂本家は郷士の身分でありながら家老との縁は深い。
 ちなみに坂本家の先祖は、明智左馬之助光春だったという。明智左馬之助は、信長を殺            
した明智光秀の親類で、明智滅亡後、長曽我部に頼って四国に流れついた。
 そこで武士にもどり、百石の郷士となった。
 坂本という、土佐には珍しい苗字は、明智左馬之助が琵琶湖のほとりの坂本城に在城していたことからつけられたのだという。
「龍馬どの。こんなところにいられたのでは私が追い出したように思われます。宿にもどってください」と、お田鶴がいった。
「いいや。いいきにいいきに。わしはここで十分じゃきにな」
 龍馬はそういうだけだ。
  船が出たのは翌朝だった。
 船に龍馬とお田鶴と共の者がのった。「龍馬殿、この中にいられますように」
「いいきにいいきに」龍馬はやかた船の外にいってしまった。好きにさせろ、という顔つきであった。そのあと老女のはつがお田鶴にささやいた。
「ずいぶんとかわった者ですね。噂では文字もろくに読めないそうですね」
「左様なことはありません。兄上がもうされたところでは、韓非子というむずかしい漢籍を、あるとき龍馬どのは無言で三日もながめておられたそうです」
「三日も?」はつは笑って「漢字がよめないのにですか?」
「いいえ。姉の乙女さんに習って読めますし書けます。少々汚い字だそうですが」
「まんざら阿呆でもないのでございますね」
 老女は龍馬に嫌悪感をもっている。
「阿呆どころか、その漢節を三日もよんで堂々と論じたそうです。意味がわからなかったようですけれど……きいているほうは」   
「出鱈目をいったのでしょう」
 老女は嘲笑をやめない。お田鶴はそれっきり龍馬の話題に触れなかった。


「わしを斬るがか?!」
 龍馬はじりじりさがって、橋のたもとの柳を背後にして、相手の影をすかしてから、刀を抜いた。夜だった。月明りでぼんやりと周りが少しみえる。
 ……辻斬りか?
 龍馬は「何者だろう」と思った。剣客は橋の真ん中にいるが、龍馬は近視でぼんやりとしか見えない。よほど出来る者に違いない。龍馬はひとりで剣を中段にかまえた。
 橋の向こうにぽつりと提灯の明りが見える。龍馬は、
「おい! 何者じゃさにか?!」と声を荒げた。「人違いじゃなかがか?!」
 ところが相手は、声をめあてに上段から斬りこんできた。鍔ぜりあいになる。しかし、龍馬は相手の体を蹴って倒した。相手の男は抵抗せず、
「殺せ!」という。
 ちょうど町人が提灯をもって歩いてきたので、この男の顔ば明りで見せちゅうきに、と龍馬は頼んだ。丁寧な口調だったため町人は逃げる時を失った。
「こうでござりますか」
 すると龍馬は驚愕した。   
「おんし、北新町の岡田以蔵ではなかが!」
 後年、人斬り以蔵とよばれ、薩摩の中村半二郎(のちの桐野利秋)や肥後の河上彦斎とともに京洛を戦慄させた男だった。
 以蔵は「ひとちがいじゃった。許してもうそ」と謝罪した。
「以蔵さん、なぜ辻斬りなんぞしちゅっとか?!」
 ふたりは酒場で酒を呑んでいた。「銭ぜよ」
「そうきにか。ならわしが銭をやるきに、もう物騒な真似はやめるんじゃぞ」
「わしは乞食じゃないき。銭なら自分で稼ぐ」以蔵は断った。
「ひとを斬り殺してきにか?!」龍馬は喝破した。以蔵は何もいえない。
 龍馬は「ひとごろしはいかんぜよ! 銭がほしいなら働くことじゃ!」といった。
 ふたりは無言で別れた。(以蔵は足軽の身分)
 龍馬は、もう昔の泣き虫な男ではなかった。他人に説教までできる人間になった。
 ……これも乙女姉さんのおかげぜよ。
 龍馬は、江戸へ足を踏み入れた。



米沢燃ゆ 上杉鷹山公「為せば成る」米沢藩中興の祖・名君2016年度大河ドラマ原作小説5

2013年12月20日 03時54分22秒 | 日記
         元凶、森 二



  宝暦十三年のある夜、竹俣当綱の江戸屋敷の邸宅に3人が集まっていた。
 莅戸善政と木村高広はすでにきていた。ただ、藁科松伯はまだだった。だが、風でぎしぎしと揺れる屋敷に近付いてくるのは誰にでもわかった。
 …ゴホン、ごほん、ゴホン…。藁科松伯の咳こむ声が響いたからだ。
 だいぶ病状は悪いらしい。
「先生、だいじょうぶですか?」
 木村が襖を開けて、そう心配気に尋ねた。それにたいして松伯は、
「なに大丈夫、これくらいなんともない」
 と、にこりとして、また咳こんだ。
 江戸屋敷も森派のものだった。そのため、批判派の四人は密談がばれないように慎重をきさねばならなかった。莅戸は襖に横耳をつけて、敵の気配を見張ったが、煩く吹く風の音以外はきこえもしなかった。木村も耳をそばだてた。
「どうぞ先生」
 竹俣当綱が、病身の藁科松伯に言った。
「はっ、………では」
 彼は中に入って、襖をしめた。そして、また、ごほんごほんと激しく咳こんだ。
「いやいや…これでは密談もできませんな。ごほんごほんという咳で、藁科松伯ここにあり、と言っているようなものですからな」
 当綱が、冗談めかしに言った。
 が、誰も笑わなかった。言った当人の竹俣当綱もすぐに険しい顔にもどった。
 ………先生がこのまま死んでしまったら………。不安にかられた。
 しかし、当人の医師・藁科松伯だけはそう思ってなく、周囲のものには「風邪だ」と言っていた。それは本心かどうかはわからない。
 藁科松伯は米沢生まれでも、米沢育ちでもない。父の藁科周伯が御側医のつぎの待遇を受ける外様法体の医師として米沢藩に抱えられて以来の家臣である。
 彼は火鉢に手をかざし、「いやぁ、寒い寒い」と言った。その手も顔も、驚くほど蒼白かった。それから続けて、
「あたたかい季節になれば、風邪などすぐになおります」と言った。
「もう少しあたたかくなるまであたってて下さい」
 当綱が、師をいたわった。
「いや、ご家老」
 藁科松伯は火鉢から離れると、正座した。そして、「危険をかえりみずにわれわれを収集したところをみると……よほどの重要なお話しと存じます。たかが風邪ごときのそれがしの心配など無用に願います。さっそく話を承りたい」
「さようか」
 当綱が頷いた。           
「九郎兵衛、丈八、そちらも近くに寄れ」
「はっ」
 三人は竹俣当綱のまわりに集まり、言葉を待っていた。「…では申す」
 竹俣当綱はそういって、言葉を切った。それで、しんとした静寂がしばしあった。当綱の濃い髭がゆれたが、それは表情をかえて考えているからだった。
「実は、ある藩のご家老の屋敷にいってきいた。それによると、わが米沢藩の内情を伝える書を滝の口に箱訴したものがいるというのじゃ」
「なんと?!」
 莅戸九郎兵衛善政と木村丈八高広はびっくりとした声をあげた。しかし、藁科松伯だけは、表情をかえなかった。
 箱訴とは、滝の口の幕府評定所表門にでている投書箱に訴状を投函することである。いわば、幕府の目安箱にだ。この箱は、先先代の徳川吉宗が設置をきめたものである。その目安箱に、誰かが、「米沢藩の内情」を書面にしたためて投書したのだ。なんということだ! 九郎兵衛も丈八もことの重大さに気付き、動揺して額に汗をにじませた。「落ち着かなければ…」と焦れは焦るほど、足の力は抜け、足はもつれるばかりだ。無論、だからといって藁科松伯が重大さに気付かなかった訳ではない。この人物は事前に知っていたのだ。もちろん投書する者も多かった。が、すべてが正論という訳でもない。が、現代の政治家が「世論」を気にするように、幕府、各藩もそれを気にした。
「いったい誰が投書を……?」
「わからぬ。ただ」竹俣当綱はそういって、言葉を切った。そして「ただ……な」と言った。うむ。どうもその書状の内容は幕府にとって重用視されたようじゃ。赤字や藩の内情、人別銭のこと森のこと……あからさまに書いてあったそうじゃ」
「訴えたのは、はたして領民でしょうか?」
 木村が尋ねた。
「箱訴は武士の訴えを禁じておる。訴状は名前や住所を記入しなければ受け入れられぬゆえ、米沢の者に間違いなかろう」
「もしくは家中の者が、親しい領民に書かせた……とも考えられましょう」
 莅戸が言った。
「それもありうる」
 竹俣当綱はそういって、莅戸に顔を向けた。
「米沢藩のありさまは何がおこってもおかしくないところまできておる」
「はっ……まさにその通り」
 莅戸と木村が頷いた。
「森の排除を急がなければなりますまい」松伯が言った。そして、また激しく咳こんだ。そして続けて「しかしながら……」と言った。
「森の排除には慎重をきさなければなりますまい」
「慎重?」竹俣当綱は怪訝にそういって、考えた。……どういうことじゃろう。慎重?森という男は藩の元凶……それは誰もが知っている。そのような男をのぞくのに慎重をきす必要があるだろうか?手段など考えずバッサリときり捨てるべきでは……?
「今回の訴書の件がござる」
 藁科松伯が当綱の心の問いに答えるように言った。
「訴状が焼き捨てになるか、取り上げられるかはわからないにしても……これだけ評判になったよし、幕府としても無関心ではいられますまい。森の処分についても藩の内々の問題とはならなくなったと思います」
「………確かに…」
「それに森は藩主・重定公のもっとも信頼している重鎮の家臣……その取扱いによっては、こちらの方が処分されないともかぎりません」
「それについては大丈夫。国元の千坂、芋川、色部らとともに談合いたす所存である。藩の重役たちの意見として殿に森の処分を押し切る所存じゃ」
「森の処分の内容はもう決めておりますのかな?」
「そこじゃ」竹俣当綱は言った。「千坂を中心に条々は決めているはずで、千坂の密書によると……森の悪政は十七か条にもおよぶという」
「さて…それではその書をして森に隠居を勧めてはいかがですかな?それを受け入れぬとあらば…その時、謀殺を検討すればよろしいかと」
「先生は森をご存じない」
 竹俣当綱は強く言った。「あの森という男はかなりの傲慢な人間で、神にかけてもいいが隠居などするような男ではありません」
「ならばいたしかたなし」
 松伯は言った。そして、また激しく咳こんだ。
「だいじょうぶですか?先生」
「だいじょうぶ…です」
 師は言った。「江戸の寒さは米沢よりこたえます」
 そんな時、外の門が開く音がしたので、一同は沈黙した。木村が襖を開けて、みにいった。が、たんに風に吹かれて音をたてただけだったことが分かった。…ほっ。一同はまた話はじめた。
「で、決行はいつになりますか?」
 藁科松伯が静かに言った。当綱は、
「すぐにでも。殿が当屋敷にいる間に形をつけなければなりません」
「いかにも」
 松伯が静かに言って頷いた。
「そのようなことは一日でも一刻でも早いほうがよろしい。しかし、内密に…秘密利に」「さよう」
 当綱は強く頷いた。「しかし、まだ国元の重役は訴状の件を知りません。誰かが知らせて、森排除の話しをすすめなければなりません。しかも、内密に…秘密利に、森派に気付かれないように、です」
 木村は「では私が米沢へいきます」と手をあげた。それにたいして当綱は、
「いやいかん」
 と言った。
「なぜでございましょう?」
「丈八は顔が知られ過ぎておる。九郎兵衛も松伯先生も、だ」
「……では、誰か顔を知られぬものがおられますか?」
「そこじゃ。顔を知られぬものはここにはおらん」
 当綱は強く言った。「だが、他の者では話しにならん。そこで、わしが隠密に米沢にいって話しをしてこようと思う」
「ご家老が、ですか?」
「うむ」竹俣当綱は強く頷いた。



  宝暦十三年の二月の夜、竹俣当綱は江戸の米沢藩邸をでると、かねてから準備しておいた市内の隠れ家で旅姿に着替え、密かに江戸を立った。懐には、関口忠蔵名義の関所手形と、出発にあたって莅戸善政と木村高広と藁科松伯が当綱にあてた血判書と、松伯がしたためた書があった。
 ……長い旅になる。いや、困難な旅になる。……
 竹俣当綱は歩き始めた。
 懐の血判書はひとりぼっちの当綱を勇気づけてくれた。郷里に向かうとはいえ、森のせいで敵地のような米沢……。しかし、なんとか米沢に隠密で森派に気付かれないように着けば同心の千坂、色部、芋川がいる。竹俣当綱は無言で歩いていった。
 江戸をすぎると、急に寂しい風景となる。
 それでも、竹俣当綱は無言で歩いていった。だが、
「森派の追っ手がきてやせぬか?」
 と不安にかられ、ときどきそれとなく道の背後を確かめたりもした。
「……いない」
 彼はこうして道を急ぎ、奥州街道をひたすらひとりで進んだ。
 当綱は翌日の二月七日には板谷峠を登りきることができた。奥州街道を北に進む間、天気は凄くよかった。ほんの一日だけは雪が降って往生したが、それ以外は晴天だった。陽の光りが眩しいほどきらきらと辺りを照らし、しんとした静かな空間が広がってもいた。
 前後には人影もなく、当綱が道の凍ったところで転ぶと、カアカアと馬鹿にしたように烏が鳴くだけだった。
「くたびっちゃ(疲れた)」
 竹俣当綱は起き上がって言った。
 それから、野を越え、山を越え…彼は急いだ。しかし、板谷関所に近付くにつれ、当綱は自分の身分がバレやしないか?と不安にかられた。なにせ、その関所は森派の連中がうようよいるところなのだ。ちなみに板谷は、仙台の伊達の侵攻を押さえるために築かれたところである。いってみれば戦国時代の「国境の守り」の遺物である。
「いやぁ、こわいこわい(疲れた疲れた)」
 竹俣当綱は足をとめ、そう荒い息でいった。…もうすぐ米沢の街も見えよう。それにしても、いやぁ、こわいこわい(疲れた疲れた)。
 板谷関所につくと、竹俣当綱は関口忠蔵名義の関所手形をだした。例え名前や身分に疑いをかけられようと「関口忠蔵」で通すつもりだった。袈裟をふかくかぶり、目立たないように努めた。しかし、彼の緊張とはうらはらに、関所は難なく通ることができた。
 当綱はあやしまれぬように関所を出て、米沢へ急いだ。そして、心の中で、
「簡単に抜けられた……だが、まだ安心は出来ぬ」
 と用心した。関所が簡単に通可し過ぎだ。…何かあるのか? それとも自分の変装がうまくいったのか?……そうだといい。
 だが、もし自分の存在に気付いた者がいたら、通報者がいたら……その場で殺さぬばならない。無益な殺生はしたくはない。だが……、
「まだ安心は出来ぬ」
 竹俣当綱は足をとめ、そう荒い息でいった。
 しかし、彼の心配したようなことにはならなかった。当綱は誰にも知られずに、米沢の城下町に着くことに成功したのだ。その日、竹俣当綱が米沢城下についたのは深夜だった。関根を立つころには雲ゆきが怪しくなってきて、暗い夜空から雪が降ってきた。千坂の屋敷に着く頃には、当綱の笠も肩も真っ白になっていた。


  米沢の千坂の邸宅に着くと、すぐに奥へ通された。
「日暮れに着くとのしらせだったのに、遅かったではないか」
「もうし訳ござらん」
 竹俣当綱はあやまった。そして「しかし…」と続けた。「しかし、これには理由がござる。確かに日暮れ頃に関根まで着いたのだが、途中、森派の人間と見られる人物がいた。そこで、村に入り、いなくなるまで民家に匿わせてもらったのじゃ。よって、遅くなった」「さようか」
 千坂は言った。そして「先方は竹俣とわかったのか?」
 屋敷の主人で、同じく江戸家老をつとめる千坂高敦が続けて言った。
「さて、それはいかがでしょうか。わかりません。ただ、せっかく名を偽って旅してきたゆえ、米沢にきてバレたのではつまらぬと考えた」
「しかし、その者が森に伝えるとも限るまい」
 芋川が言った。当綱は芋川をみて、
「用心に用心を重ねたということでござる」
 と言った。
「まあ、いい。ごくろうだったな、竹俣」
 千坂が竹俣当綱をねぎらった。「腹は減ってないか?」
「いや、まぁ少し……それより白湯を一杯頂きたい」
「よかろう。準備させよう」
 千坂高敦が笑った。
 こうして竹俣、千坂、芋川、色部の四人は明りの前で「密談」を始めた。
 森利真のような家格の低いものが、重い家格の上杉家臣をさしおいて藩政を動かしていることは、米沢の権威がゆらぎはじめている、とみるべき。…四人はそう考えていた。
 竹俣当綱は白湯を飲むと、血判書や藁科の書を千坂らに渡した。
 千坂、芋川、色部らはそれを読み、
「なるほど……よく書けておる」と頷いた。
「ごくろうであったな」
「いや、なに」
「竹俣もこうしてきたことだし……さっそく森を除く段取りを決めいたそう」
「そのまえに申すことがある」
 竹俣当綱は、森に訴状をみせ隠居を勧める考えもある、と言った。それでダメなら…という訳である。
「藁科松伯は森について何もわかっておらん」
「まさしく」
 千坂、芋川らは口ぐちに言った。「あの森という男は藩の癌であり…元凶! すぐにでも討ち取るべきじゃ!」
「しかし、今回のことは江戸の幕府も知っていることゆえ、すぐに討ち取るというのは藩のメンツにかかわる」
 竹俣当綱は、冷静に言った。「どのような手を使っても……という訳にはまいらん」
「なら、説得し、聞かねばその場で討ち取るというのはいかがか?」
「説得し、腹切りさせるのがよい」
 色部がはじめて声を出した。冷静な声だった。
「森は、われらが説得したくらいでは腹切りはせぬ。傲慢な男じゃからな」
「いや」色部が続けた。「さきほどの弾劾書……それをみせて殿からのご命令だ、といって腹切りさせるのだ」    
「しかし、それでは御殿の御名を偽り借りるようでおそれおおい」
 芋川が言い、四人は沈黙した。
 やがて千坂が、しかしながら、と言った。
「いずれにしても藩のためにすることじゃ。われらの私利私欲のためではないから、御殿の御名を偽り借りることもやもえない」
「そうじゃな」
 四人は頷いた。



  五ツ刻(夜八時)、米沢城内二ノ丸…。
 「森を除く」会談が開かれた。森は、弾劾書を読み上げる竹俣当綱をじっと見ていた。森は大男という訳でもないが、割腹のいい体躯で、贅沢な食事のせいか顔や体に脂がのっている。出掛けに髭を剃ってきたのか、顎のあたりが青々としていた。
 竹俣当綱は弾劾状を読み終えて、森のほうを見た。千坂、芋川、色部も見た。……座敷にはこの四人と森しかいなかった。
「どうだ、思い当たるフシが多々あろう?」
「いや、なんのことでござろうか? いっこうに思い当たらぬ」
 森は嘘ぶいた。竹俣当綱は動じなかった。「さる年、自分の屋敷を改築し、贅沢な庭園を造り、池にはギヤマンの金魚を大量にそろえたそうじゃが……?藩の金で」
「なんのことかな」
「では、人別銭についてきこう。いまおこなわれている人別銭を、領民は血も涙もない悪税と申しておる。またこの税のために人心も荒むとの声もある。この人別銭はいまから七年前に御殿が出府されるときの最後の手段としておこなったもの。それを今だに続けているのは無策と申しておる」
「米沢藩の台所は火の車……ほかに藩費をまかなうよい方法があれば教えていただきたい」 森は素っ気なく言った。すると、今までだまっていた芋川が、
「この男と議論しても無駄じゃ!」
 と怒鳴った。
 森は「わしは藩のために正しいことをしておる。ギヤマン金魚だの豪華な食事云々はすべて出鱈目……わしの 政 に一点の曇りもあらず」
「さようか」
 千坂は悠然とした態度で言った。
「そなたの家の土蔵の中には豪華なこしらえがあり、炉のわきにはじかに掘った井戸があって、その水をくむつるべは銀で出来ているそうではないか」
 森の顔が、ふと青褪めたように見えた。森は何かいいかけたが、口ごもって沈黙した。しだいに森の表情が曇っていくのがわかった。秘密の土蔵の内部のことまで知られているのは森にとって予想外のことであったらしい。
 竹俣当綱の手が汗ばんだ。今、千坂が申したことははじめて聞くことだった。
「…覚えがあろう?……答えぬか、森!われらの詰問に答えられぬ時は、腹切りさせよと御殿からのご命令だぞ!」
 千坂が、森を喝破した。
「……腹を……?それは…おかしい…?」
 森は狼狽した。そして「では、直接江戸の御殿に確認してから…そのぉ」と言った。
「いさぎよく腹を切るか、森!支度はできておるぞ」
 森は益々青褪めた表情になった。恐怖しているのは誰の目にもわかった。
「ならば、殿のご沙汰書を拝見したい」
「内密のことゆえ、ご沙汰書はない」
「……ますます怪しい。さような…ことがあるものか」
 と森は呟いた。そして一瞬にして顔が赤みをおびた。すざまじい形相で、四人を見て、大声で怒鳴った。
「これは何かの企みだ!御殿に確認するまで腹など切らぬぞ!」
 森が言い捨てて、立ち上がると、竹俣らもすっと一斉に立ち上がった。竹俣当綱が「倉崎」と呼ぶと、入り口横の襖がひらいて、伏せておいた倉崎一信が踊りでた。そして森の行く手を遮ると、すかさず小太刀でひとたちした。
 倉崎一信の一撃は、森の額を浅くきっただけだったが、森は激しく動揺し、狼狽した。「うあぁぁっ!」
 森の顔は、額から流れでる血で真っ赤に染まって、すざまじい形相になった。すぐに、千坂と色部、芋川が短刀を構え、森にきりかかった。森は刀を抜かず、ただ逃げ惑うだけだった。激しい衝突で、色部が畳みに転んだが、誰も声をださなかった。
 森の裃は片袖がはずれて背にぶらさがり、衣服はきりさかれ、顔からも両手からも血がしたたっていた。森は部屋をでて、通路をどたどたと逃げた。が、当綱が脇差しを抜いて追い付き、千坂と色部、芋川が短刀を構え、最後の一撃をくわえた。
 森は「うっ…」というと、そのまま廊下に血だらけで倒れ込み、やがて息絶えた。
「……身まかった」
 森の屍をみた芋川が言った。しばらく四人は荒い息だったが、なんとか冷静をとりもどすと、「さてと、今夜はいそがしくなるぞ」と呟いた。
「少しは手むかってくるかと思ったが………逃げ回るだけだったの」
 千坂が言った。
 こうして、「元凶・森平右衛門利真」の粛清は終わった。この後、御殿・上杉重定公に森平右衛門利真の処分について報告した。が、やはり重定公は初め激しく怒った。…自分に相談もなく殺害するとはなにごとか?!というのである。しかし、なんとか慰めて事なきを得た。
 直丸(のちの鷹山)が養子となったのは、このような事件のすぐあとのこと、である。

  治憲が米沢藩の養子となったのは十歳の頃だった。
そして、それから、2つ年上の幸姫が正室になった。が、この病弱で心も体も幼いこの少女はひとの世の汚れを知らぬままこの世を去ることになる。
 幸姫は治憲の前の先代藩主・上杉重定公の次女だった。
 確かに、幸姫は美しかった。
 黒色の長い髪を束ね、美しい髪飾りをつけ、肌は真っ白く透明に近く、ふたえのおおきな瞳にはびっしりと長い睫がはえている。細い腕や足はすらりと長く、全身がきゅっと小さくて、彼女はあどけない妖精のような外見をしていた。
 細い腕も、淡いピンク色の唇も、愛らしい瞳も、桜の花びらのようにきらきらしていてまるでこの世のものではないかのようであった。
 それぐらい幸姫は美しかった。
 しかし、そのような愛らしい外見とはうらはらに、彼女のメンタリティ(精神性)ゆ思考能力や心とからだの成長は全然なってなかった。
 その外見は確かに美しかった。が、もう20才ちかい成熟した女性だというのに、まるで小学生のような体型であり、頭も悪く、まんぞくに会話も出来ないあり様だった。
 まあ、はっきりいうと「知恵遅れ」だった。
 しかし、彼女は「純粋なピュアな心と優しさ」を持っていた。それゆえに、そうした純粋な心と優しさと可愛さを持った彼女のことを、治憲は「天女」と呼んだ。
 まさに幸姫は天女だった。
 治憲は婚礼の式のときを忘れることができない。対面したときの唖然とした気持ちを忘れることが出来ない。幸姫は十七歳。花のさかりをむかえようという乙女のはずが、十歳ほどの少女に過ぎなかったのである。これは何かからくりがあるな……と思った。が、なんのからくりもなく、その目の前にいる少女が、結婚相手の幸姫だった。
 幸姫は可愛らしい笑みを彼に向けていた。姫がこんなに小さいのでびっくりなされているのですね、と語りかけているように思えた。姫は明るい性格なので、治憲はすくわれる思いだった。式の後、彼と姫はふとんにはいった。治憲は、さて姫、眠りましょう、と囁いた。と、姫は、
 ……夫婦ですから……このようになさるのですね」と珍しく言葉になった声を発した。 治憲は微笑して、その通りです、といった。姫は目をつむって彼の胸に顔をよせた。
 …これでいいのだ…治憲は思った。そう思っていると、彼は大人の女の匂いをかいだような気がした。だが、目を開けると、そこにはやはり少女がいるだけだった。

「幸、幸……」
 幸姫は、治憲に作ってもらった小さな人形を胸元に抱き締めほわっとした笑顔になった。彼女はその人形に自分の名前をつけたかのようだった。
 それをあたたかい母親のような目でみいた奥女中の紀伊は、
「よろしかったですね、幸姫さま。御屋形さまに素敵なものを頂いて…」
 と優しく微笑んだ。
「幸、幸……」
 しばらくして治憲が幸姫のいる座敷まで訪ねてきた。
 幸姫は「幸、幸……」といって治憲に人形を掲げた。
「そっくりですよ、幸姫。人形も幸姫も可愛らしい」
 治憲はやさしい笑みを口元に浮かべて、優しい父親のように答えた。そして膝まずき、懐から紙を出して、「よい紙が手に入りました。鶴を折ってさしあげましょう、幸姫」
 と言った。
 しかし、幸姫は心ここにあらずで、人形を大事そうに抱いたままどこかへ歩いていってしまった。
 こうして座敷には治憲と奥女中の紀伊のふたりだけになった。
 しばらく静寂が辺りを包んだが、沈黙をやぶったのは紀伊だった。
 紀伊は畳みに手をつき、深々と頭を下げ、「…本当にありがとうございます。御屋形さま。幸姫さまにかわってお礼を申しあげます。国元の重役や重定公からも側室を置くようにといわれましたのに断られたよし……何とお礼を申しあげてよいやら…」と泣きそうな声で礼を述べた。
「いや、たいしたことではない」治憲は魅力的な笑顔を浮かべて、「私は幸姫を裏切ることが出来ぬだけだ」
「は?」
「幸姫は天女だ。……天女は裏切れない」
 治憲のその言葉に、奥女中の紀伊は涙をボロボロと流しながら、もう一度深々と頭をさげた。なんというお優しい方だろう。……紀伊は心の底からそう思った。       


蒼に月に 忠臣蔵伝47RONIN年末特別ブログ連載忠臣蔵小説5

2013年12月19日 01時35分57秒 | 日記
         5 準備







  堀部安兵衛は「もう待てぬ!」
  と焦っていた。「とっくに殿の一周忌が過ぎたというのにあの昼行灯め! 放蕩ばかり続けているという……まったくの愚か者だ!」
「待て! 安兵衛! 大石内蔵助殿を信じるのだ!」
 そういったのは義父・堀部弥兵衛だった。
 もうそろそろ浅野家の家臣はバラバラになり、もうあと一年も経てば、仇討ちの数さえ集められなくなるだろう。
「しかし義父上、吉良は老人……いつ死ぬかも知れませぬ!」
「安兵衛! 大石内蔵助殿を信じるのだ! ご家老はきっと考えがあって廓遊びをなされておるのだろう」
「……上杉の間者を糊塗(ごまかす)するためにですか?!」
「そうだと信じたい」
 いっている堀部弥兵衛にも、確信がなかった。
 大石内蔵助が何も考えずに遊んでいるとは思いたくなかった。
 そんな馬鹿な男がいるだろうか?
 いや、いる。大石内蔵助とはそういう男である。しかし、後年、歌舞伎や書物などで内蔵助は上杉たちを騙すために放蕩を続け、女や酒に酔ったふりをしていた…などと改められた。忠臣蔵の主役が、放蕩していただけなのでは不様であるからだ。

 さてここで徳川幕府体制による禄高と年貢について説明しなければならないだろう。 まず大名や家臣の禄高は実収とはだいぶ違っていたという。例えば、赤穂藩浅野内匠頭家は、内匠頭長矩の祖父長直の得た禄高は「五万八千八百九十七石……」などと細かく書いてある。一見するとまことしやかだが、本当の実収は四分の二であったという。農業の収穫だから収益に差があるのは当然だが、同じ「五万石の禄高」……といってもかなり差があった。
 しかし、誰も本音をいわない。
 ……元禄時代は農民への搾取が凄まじかった…というのは樹を見て森をみずだという。 建て前は「六公四民」ということだが、この時代、全国の八割りが農民だった。
 つまり、八割り近くの農民は四割りの米で生活し、二割りだけ収めていた。所詮は米であるから、食べる量にも限りがある。どんな金持ちでもそんなにいらない。
 米ではなく、銭の時代にならなければ、経済の行方の先は見えている。
 そこで米の先物取引(デリバティブ)が生まれた訳だ。

  内蔵助はまたも放蕩を続けていた。
 愛人を囲い、屋敷を借りてお可留というまだ十代の小娘と同棲しだしたのだ。
 これには赤穂浪人たちも呆れた。
 陰から見て、
「あれは怪しい…」
「……なにかあるかも知れぬ」
「子を孕ませるかも知れない。あの昼行灯め!」
 元・家臣たちは陰で激怒となった。あんな小娘と同棲などと……ご家老は頭がどうかしたのではないか?
「お茶どす」
 お可留は縁側で、お茶を飲み大石と語り合って微笑んでいた。
「……お可留は可愛いのう」
 内蔵助は満足そうである。お可留はどうも未通娘(処女)の京娘のようだ。
「……怪しい。夜な夜ないやらしいこともやっているようだ。あの昼行灯め! ふぬけたか! ふぬけめ!」
 赤穂浪人たちは呆れて、場を去った。
 そして、当然ながらお可留は妊娠してしまう。
 お可留はその後、女の子を生むが、その後の詳しい記録がない。
 大石家も女児をひきとらなかったし、お可留に経済的援助もしなかった。所詮は愛人と外子である。内蔵助の妻りくの恨み具合が知れるエピソードではある。
 江戸では吉良上野介が余裕で女を抱いていた。
「……吉良さま! はあはあ…」
「おつや…はあはあ…」
 行為が終わると、吉良は笑って、
「巷では赤穂浪人たちがわしを討ち取るとか申しておる」
「…まあ」
「しかし、やつらは赤穂浪士ではない。あほう浪士じゃ。大石ではない軽石じゃ。わははは…あんな連中恐れるの足りぬわ」
 吉良は馬鹿らしい放蕩を続けている大石内蔵助を軽視するようになっていた。
 歌舞伎や小説では、これが狙いだった、となっている。
つまり、吉良を糊塗(騙す)することが目的だったという訳だ。
 だが、違う。
 大石内蔵助はお可留という小娘とやりたくて”かこった”だけのことだ。
 あまり、不用意に内蔵助を「英雄視」すると歴史がわからなくなる恐れがある。


 元禄十五年秋。
  赤穂浪士・毛利小兵衛太は江戸のアバラ屋で、妻・しのと抱きあっているところだった。長い長い抱擁……
 毛利小兵衛太は「本懐をとげれば、お主ともこうして抱き合うことも出来なくなる。これは今後の生活のたしにしてくれ。額は少ないが……」といって、しのに金三両を渡した。 本懐とは、当然ながら「吉良邸討ち入り」「吉良の御首をとること」である。
「お前さん……本当に討ちいる気なのですか…?」
「当たり前だ! しの…わしは腰抜け侍ではないぞ! 吉良にひとあわ吹かせてやるのだ」「だけどお前さん…」しのは泣いた。「お前さんがいなくなったら、しのは悲しうござりまする。老人の吉良の首などなんの得になるのです?」
「……仇を討つのじゃ。このまま赤穂藩士たちが何もせぬと……腰抜けと一生いわれ続ける。命一代名は末代じゃ! のちに歴史がどちらが正しかったか判断するのじゃ」
「しかし、歴史などといわれましても…」
「もうよい!」
 毛利は訝しがった。「武士の魂のわからぬ女子め」
「わたしは武士の魂より、お前さんの魂のほうが大事ですよ」
 毛利小兵衛太は黙りこんだ。
 確かに、吉良の首をとればいいだけだが、残された妻はどうなるだろう……?
 小兵衛太は、大石内蔵助のような単純な思考回路は持ち合わせていない。
 いろいろ考えると頭が痛くなってきた。
 彼には一晩の熟睡と、女子の慰めが是非とも必要だった。


  吉良邸は増築の真っ最中だった。
 この機会に赤穂浪士たちがスキを狙ってくるのではないかと、上杉の侍たちが辺りを見廻っていた。赤穂の間者が大工姿に化けて、情報収集しているところだった。
「あら、平吾郎さん?」
 吉良邸から出てきたおつやが、平吾郎に声をかけた。
「おつやちゃん!」
 間者は不審に思われないように微笑んだ。
「何をしてらっしゃるの? 平吾郎さん?」
「なにって……おつやちゃんを待ってたんだよぉ。俺はおつやちゃんのことが好きだから」「まぁ」
 おつやは照れた。
 おつやは大工の棟梁の娘だった。父親は吉良邸の図面ももっているはずだ。
 このおつやは売春婦のような性格の女子で、吉良とも何度が寝ている。
 しかし、いつもいやいや抱かれているだけで、男から「愛しておる」「好いておる」といわれたためしがない。おつやは嬉しかった。
 上杉の侍たちがやってきた。
「おい! お主! ここで何をしておる?!」
「いえ……あっしは大工の平吾郎と申しまして……おつやさんに会いに…」
「怪しいやつだ! 赤穂の間者ではあるまいな?!」
「めっそうもない!」
「この怪しいやつめ!」上杉の田舎侍たちは平吾郎にリンチをくわえた。
 ボコボコにされる。
 血だらけになりながら、彼は何とか堀部の開く道場まで着いた。
「どうした?!」
「……上杉の連中に…や…られた。だが、まだ吉良は生きているようだ。…ああして…警護しているところをみると…そう思う」ぜいぜい息をしながら、間者役の男はいった。
「とにかく、誰か医者を!」
「いや……怪しまれる。われらが介護する。まぁ、あがれ!」
 堀部安兵衛は「もう待てぬ!」と苛立った。
「あの……昼行灯め! 今度は小娘らしい」

  京・山科の大石邸には、本蔵の妻・戸無瀬と娘の小滝が訪ねてきていた。
 りくは「主人は外出していまして……」と動揺した。
 まさか小娘の愛人と別の家に住んでいるとはいいだせなかった。
「うかがったのは、主税さまとこの子との縁談を考えなおして頂ければと思いまして…」 内蔵助の妻・りくは「……どういうことです?」と問うた。
「娘がどうしても主税さまを忘れられないと申しまして」
「まあ! 小滝さん。それは本当ですの?」
 小滝は頬を真っ赤にして「はい。わたしは主税さまの妻になりとうござります」という。可愛い娘だ。しかし、主税は、
「それはならぬ」という。
「なぜにござりまするか?! 小滝のことが嫌いでござりまするか?!」
「いや! わしは小滝が大好きである。しかし、吉良のことがある。もうわしは浪人の子……食べさせてやれぬ」
「それはお父上とともに討ちいるということにござりまするか?」
「そうじゃ! わしは卑怯者にはなりとうない!」
「卑怯者けっこうではごさりませぬか……この小滝と一緒になってどこかで誰も知らないところで暮らしてもバチは当たりませぬ。赤子だってつくって……畑を耕し…」
「そのような暮らしは御免こうむる! 主君の仇を討たずして何が侍ぞ?!」
「主税さまはもう侍ではありませぬ! この小滝と結ばれてもいいはずです!」
「……小滝…すまぬ。出来ぬ誘いじゃ」
 主税は後ろ髪引かれる思いで、場を去った。
「………主税さま!」
 小滝は号泣した。
 主税の最期が見える気がした。

  大石内蔵助と息子の主税と共周り四十数名は名をいつわり、江戸へと入った。
 討ち入りの数か月前のことである。
 十月、瀬尾孫左衛門は逃亡しようとして捕まった。しかし、大石は許した。
「孫左衛門……討ち入らないと決めたのじゃな?」
 かれは何もいわなかった。
「吉良邸に討ち入るも討ち入らぬもそちの勝手じゃ。好きにするがよい。ただ頼みがあるのじゃ」
「……頼みとは?」
 やっと瀬尾孫左衛門は声を発した。
「お可留という女がおる。わしの愛人じゃ。守ってやってくれ」
 内蔵助は孫左衛門に四百両渡した。ずっしりと重い。
「……これで足りるじゃろうて」
「ご家老………拙者を信じるのですか? この銭をもってどこかへ逃げるかも…」
「かまわん! お主の好きにせい」
 内蔵助はにやりとした。

  赤穂浪士・毛利小兵衛太は江戸のアバラ屋で、咳き込むことが多くなっていた。
 どうやら労咳(肺結核)のようであった。
 床に伏すことが多くなった。
「早くなおって……みなとともに憎っくき吉良上野介の御首を……頂戴しなければ…」
 雨がざあざあと降ってきた。
「雨は嫌いじゃ。雨がふると体が痛む…ごほごほ」
 小兵衛太は血を吐いた。
「お前さん?!」妻のしのは泣いた。もう主人は永くはないだろう……

  赤穂の間者・平吾郎はおつやに近付いていた。
「おつやちゃんは本当に可愛いねぇ」
「やだぁ、もう平吾郎さんったら…これ、おとっつぁんが持っていた吉良さまの邸宅の図面よ。欲しがってたでしょ?」
「ありがたい」
「でも……どうして吉良さまの邸宅の図面なんてみたいの?」
「あっしは大工だから、大好きなおつやちゃんのおとっつぁんがどんな仕事してるか知りたいだけさ」
「……それだけ?」
「そうとも」
「まさか! ……あなたは赤穂浪士じゃないだろうね?」
 おつやはふざけてきいた。確信はなかった。
「まさか!」平吾郎と称している男は笑った。「それよりご隠居さまはどこに寝てらっしゃるんだい?」
「ここじゃないの? でももう少しで米沢にいくっていってたわよ」
「米沢へ?! 上杉家のところへいくのかい?」
「ええ。そんなこといってたような…」
「とにかく、この図面写させてもらうよ。仕事のためだからさ」
「いいけど……そのまえにやることがあるんじゃないの?」
「なにさ?」
「やだぁ! 抱いてよ、平吾郎さん」
 男はおつやを押し倒し、ふたりは愛しあった。

「なに?! 米沢にいくだと!」
 赤穂浪士たちはいきり立った。米沢にいかれたのでは首はとれない。
 播州赤穂藩の再興はかなわなかった。内匠頭の弟・大学は広島藩お預かりとなり、藩は正式になくなった。
「吉良は年寄りじゃ。すぐに老衰死するかも知れぬ」
「……米沢にいかれたのではおわりじゃ」
 大石内蔵助は、
「よいかみなのもの! 吉良邸に討ち入り、吉良の御首を頂くのじゃ!」と激を飛ばした。「おう!」
 四十七名は声をあげた。そして、泣いた。世にゆう円山会議と神文返しで意見は一致。 ……やっと本懐を遂げる日がきた!                       


もしも緑川鷲羽が日本国の外相・NSC局長になったらpart,11

2013年12月18日 17時45分40秒 | 日記



緑川鷲羽わしゅうが「志」を立て平成の上杉謙信や坂本龍馬に成るため



  私・緑川鷲羽わしゅうはゲイでもホモでも変態でもありません。でも2011年2月静岡県浜松市のクリニックで「去勢手術」を受けました。私は「女性が好き」です。が、もう戦いの神・刀八毘沙門天に「生涯独身」の誓いを立てています。子供も結婚も恋愛もセックスもいりません。自殺はしません。敵が喜ぶだけだから。すべては志の為です。上杉謙信公のようになりたい。
 きっと謙信公も私と同じだったに違いありません。「国の為に死ぬ」覚悟であった上杉謙信公のように「国の為に死ぬ」覚悟です。もちろん、「大卒でなければ「いらない」」という日本のシステムはもう分かっています。所詮は「ごまめの歯軋り」で「エリートたちから」は「馬鹿げた奴」でしかないことも。ですが、せっかく日本に生まれた以上、嘲笑されようが投石されようが、罵倒されようが「キモイ」「死ね」と言われようとも頑張ります。
 世の中には恵まれない子供たち、飢餓死する途上国の不幸なひとは何億人もいる。
 私は本当は1991年に「自殺」しておわりだった人間です。世の中から「気持ち悪い」「禿げ」「死ね」と蔑まれ罵倒嘲笑ガラスまき…私は会社を自暴自棄になり辞めて米沢市にもどり、薬局で「睡眠薬」を大量に買い飲みました。死ねなかったです。米沢市で再就職も出来ず、「キモイ」「馬鹿」「禿げ」と罵倒嘲笑投石の日々…。
 1998年に私は精神科閉鎖病棟にぶち込まれました。
 私は2度目の自殺未遂でした。
 私は「甘ったれ」ていたのです。閉鎖病棟では「酷い患者」を大勢みました。飢餓状態やローン人生や「本物のブサイクに生まれる」よりマシ。
 病室で「孔子の論語」や「ピーター・ドラッカーの「マネジメント」」「プロパガンダ」「孫子の兵法」に出会いました。ヒゲを家庭用のレーザー脱毛器で薄くして薄い頭髪を「カツラ」にしたら「嘲笑・罵倒・投石」がなくなりました。ですが、私には「学歴」がありません。だから、どんなに「博学」「叡智」に富んでも番組「ウェークアップ」「知りたがり!」「サンデーフロントライン」「サンデースクランブル」「スッキリ」「日曜討論」「クローズアップ現代」「ニュースエブリイ」「ニュースzero」「報道ステーション」「報道2001」などの番組には縁がありません。でもいいのです。「学歴」だけでも「杉村太蔵」や「ホリエモン」「小室哲哉」みたいに成るよりましです。
 私は「自分イノベーション」で変わろうと思います。「学歴エリート」を僻んだり羨んだりせず、「ノブレス・オブリージュ」「プリンシプル」「パブリックサーヴァント」精神でいこうと思う。なにがあろうが「死んでしまう」よりマシなのです。
 東日本大震災で何万人も死にました。私は2度死のうとしても死ななかった。
 なら死んだひとの分も「国のために生きよう」と思います。
 例え「ごまめの歯軋り」でも何もせずぶらぶら生きるより余程マシです。「拾った命」なら「国のために死ぬ」覚悟であればいい。例えバカにされようと「役立たず」といわれようが「救国の新世紀維新」の為に死ぬ覚悟です。被災者の苦悩を思えば、私の命、苦労などアリの如きです。「ごまめの歯軋り」で何も成せず死ぬかもしれません。
 でも、それでこの危機的状態にある「わが祖国」が少しでも良くなるなら潔くこの身を命をさしだします。すべては「救国の新世紀維新」の為に。

  為せば成る為さねばならぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり。上杉鷹山。
  世の人はわれ何するものとなにやいえ我なす事は我のみぞ知る。坂本龍馬。

 緑川鷲羽・戒名「不識院殿真光鷲羽大居士」

米沢燃ゆ 上杉鷹山公「為せば成る」米沢藩中興の祖・名君2016年度大河ドラマ原作小説4

2013年12月18日 06時43分30秒 | 日記
         米沢藩の借金と困窮



  米沢藩の財政や台所事情は悪化の一途を辿った。
 綱憲の跡をついだ吉憲の代には、参勤の費用が捻出できず、ついに人別銭を徴収するにいたったという。
「人別銭……とな?」
 上杉吉憲は、城内で家臣に問うた。
「人別銭とは領民すべてから税をとることでございます」
 家臣がいうと、殿は笑って、
「たわけ!そのようなことはわかっておる」
「はっ」
「……人別銭を徴収せねば、参勤の費用も捻出できぬのか?ときいておる」
「はっ。……なにぶん米沢藩は困窮しており…そのぉ…」
「はっきり申せ!」
 上杉吉憲が声を荒げると、家臣は平伏して、「御屋形様のおっしゃる通り、人別銭を徴収せねば、参勤の費用も捻出できぬ……ということでござる」
「領民は納得するかのう?」
「…しますまい。しかし、仕方がござりませぬ。藩の窮地ですから…」
「さようか?」殿は溜め息をついて、「仕方…ない…であるか」といった。

  人別銭とは、人頭税のことである。
 だいぶ前に英国のサッチャーが導入しようとして、国民に反発され、デモが激化しサッチャー首相(当時)が退陣に追い込まれたエピソードは記憶に新しい。
 そして、困窮米沢藩はそんな人別銭(人頭税)を敷かねばならぬほど混乱していた。
 だが、財政困窮はさらに続いた。
 つぎの藩主宗憲の代、享保十八年には、江戸城のおほりの浚渫という国役を命じられ、家中の棒禄半分を借り上げて急場をしのぐという事態も起きたという。
 綱憲以来、家中の借り上げははんば習慣化していたそうだが、棒禄半分をもの借り上げははじめてであった。
  つぎの藩主宗房は、兄・宗憲の急死の跡をついだ藩主だが、このような藩財政の緩和に心を砕いた形跡があるという。襲封五年目の元文三年には、領内郷村の困窮がひどくて年貢がとどこうっているのを知ると、古年貢の七ケ年延納と当年分年貢の完納を命じた。で、米沢藩の年貢は半米半銀が建て前であるが、その年の年貢は米蔵にあふれて急遽用意した仮屋に積むほどに集まり、また銀も蔵の床が抜けるほど集まったという。
 この触れを、膠着する年貢未進の状況を打開する藩の一工作とみるむきもあるという。事実、旧債に喘いでいた農民がこの触れに善政の匂いを嗅ぎつけたのは確かなようである。「…やればできるではないか。こんなに年貢が集まった」
 藩主宗房は、にやりとしたことであろう。
 実際、この年(元文四年)は漆の実や青ソなど豊熟で、宗房の代で米沢藩の窮乏も一服という感じになった。
 しかし、藩主宗房も二十九歳の若さで死去して、さらにその弟で吉憲の四男にあたる重定が新藩主になると、ふたたび米沢はきびしい窮乏に直面することになる。
 延享三年に、兄宗房の跡を継いだ重定は、翌年五月に初入部したが、八月に至って家中藩士に文武ならびに歌謡乱舞に心がくべきだという論告を出したという。
 重定は、「これからは家中藩士みなが歌謡乱舞に心がくべきだ」
 といったという。
 それにたいして家臣が「御屋形様……歌謡にございますか…?」
 と問うと、重定は、
「さよう。みなで能や狂言をやれば楽しいであろう?」と飄々といった。
「ですが……財政が…」
「なんじゃ?」
「…しかし……能とは…」
「武家というものはのう。……能芸をたしなんでこそ武家なのだ」
 重定はそういって笑った。
 家臣一同は唖然とし、沈黙するしかなかった。
 しかし、次第にそうしたひとびとも「御屋形様のいうことだから…」と、家臣はみな歌謡の稽古に熱中し、学問弓馬の道を顧みる者はいなくなったともいわれる。
 この新藩主を『綱憲の再来』と思った者もいたに違いない。
 とにかく、重定は綱憲のように”暴君”であり、”馬鹿”であった。
 ……藩の財政が困窮しているのに”能遊び”とは何事のことだろうか?
 延享、寛延のつぎに宝暦という時代、重定の治世下であったが、その薄氷を踏むようなやりくりをしている米沢藩財政に、致命傷ともいうべき打撃が到来した。
 脆弱な米沢藩財政に加えられた最初の一撃は、重定が藩主となってから七年目の宝暦三年末に幕府から下命された上野東叡山の中堂の修理、仁王門再建工事の助役であったという。その費用は九万八千両もかかると概算されたので、藩はただちに費用の調達にとりかかったが、領内からは家中、商家、郷方を合わせて六千二百六十両、越後商人の渡辺儀右衛門千七百両、与板の三輪九郎右衛門四千五百両というところが借入金の主で、これらの借金集めても一万二千五百両に満たなかったともいわれているそうだ。
 米沢藩では、あとの不足分を上方からの借入金と、領内に宝暦四年三月から毎月徴収の人別銭を課すという非常手段に訴えてなんとかした。
 辛うじて危機を乗り切ったが、このときの作業手伝いは、借財の急増と人別銭による家中、領民へのダメージと傷や禍根を残すこととなった。
 米沢藩では、こうした経緯はありながら、宝暦四年十月幕府に「手伝い完了」の報告ができたというが、翌年五年は奥羽一帯を覆う大凶作となり、米沢藩もこの宝五の大飢饉を免れることはできなかった。
 大雨て河川が氾濫し、田畑の損失は二千七百四十九町歩に達し、三万七千七百八十石余の収穫が消滅した。
 この状況をみて、米価が高騰する。八月に入ると、米は一俵一貫七百三十文になり、藩が一俵の値段を一貫五百文に指定すると、村からの米穀の出回りがぴたりととまった。藩では市中に横目を放って米を探させたところ、町中の米は百九十七俵しかなかったというのは、東町の長兵衛が六、七百俵の米を隠していたからだという。
 こうした状況と飢饉に憤った南町の下級藩士に率いられた関村、藩山村などの農民五、六百人が、九月十日馬口労町酒屋遠藤勘兵衛家、南町の酒屋久四郎家、紺屋町の喜右衛門家を遅い、その三日後の十三日には城下に住む微禄の藩士五、六百人が、米座のある商人の土蔵を破ったという。
 ……百姓だけでなく、武家も”一揆”に走った訳だ。
 暴徒たちはすぐに鎮圧されたが、その次の年も次の年も飢饉は続き、ついに餓死者まででたという。
 凶作で、高二十三万石のうち十九万石もの損失をだした弘前藩、あるいは飢饉に悪疫が重なって死者五万人を出した盛岡藩ほどではないにしろ、米沢藩でも、ひどいことになったのである。三万とも五万ともいわれる禄高を損失したという。
 こうした状況の中で、家中、領民はどうのような暮らしをしのいでいたろうか?


  馬廻組、五十騎組、与板組は総称で三手組と呼ばれ、米沢家中の中核であったという。 馬廻組は藩祖謙信の馬前のそなえを勤めた勇猛な旗本百騎を淵源とし、五十騎組は出生地上田以来の景勝の旗本で、とくに景勝が征服に手をやいた大敵であった新発田重家を攻めて決戦を挑んだとき、直参の五十騎の武功が著しかったのでその名を冠された組、与板組は、上杉の柱石直江兼続の与板城以来の直参で、兼続の戦役の功名をささえてきた者たちであるという。
 三手組ともに、しだいに人数が多くなり、家臣の二割を占めるまでになった。が、それは、それぞれ戦時下の戦仕事よりも、日常の重要な職務をゆだねられたからである。
 馬廻組が勤める役職は、大目付、御中之間年寄、御留守居、群奉行、宗門奉行、町奉行、御中之間番頭、藩主に近侍する御中之間詰二十四人などであった。このうち御中之間年寄六名は奉行の下で重要政務に参与する要職で六人年寄などと称したという。
 五十騎組は、板谷などに関所の職や、江戸での仕事、奉行などの仕事であり、与板は足軽や大筒、鉄砲などの職であったという。
 しかし、足軽たちは早くから棒禄による生計をあきらめていて、商農工に道を探していたという。それぐらい藩財政は困窮していた訳だ。
 ……あまり難しくてどうでもいいようなことは省略して、これからは鷹山公の改革などに言及する。しかし、どうしても詳しい事情が知りたい方は古い文献を参考のほど。
 とにかく、こうした困窮した米沢藩の状況のなか登場した政治家が、森平右衛門利真であった。森は、長く藩政に専権をふるった筆頭奉行清野秀祐が職をしりぞいた翌年の宝暦七年に奉行職についた。そして、独裁的な権力をふるったのである。
 ”無能”の藩主は森の正体を見抜けず信頼し、自分は領民が飢えて苦しんでいるのにもかかわらず「能」や「茶」ばかりに熱中していたという。
 名君・上杉治憲(のちの鷹山)、改革の数十年前の出来事である。



もしも緑川鷲羽が日本国の外相・NSC局長になったらpart,10

2013年12月17日 18時52分01秒 | 日記



「原子力政策 エネルギー基本計画案まとめ」 太陽光発電 太陽光「ひいき」でゆがみ。 欧州電力事情 原発寿命40年から10年延長を検討 ▼ 福島第一原発の反省もせずに、言葉だけで方針を新たにしても無駄。 政府は13日、民主党政権の「原発ゼロ」方針からの転換を打ち出すエネルギー基本計画案をとりまとめました。 原発の位置付けを先週示した原案の「重要なベース電源」から 「基盤となる重要なベース電源」に強める修正を加えて、 必要性を強調。 安全を確認した原発は電気料金の抑制や地球温暖化を防ぐために役立つと判断して再稼働を進める方針とのことです。 原発ゼロを目指すと言っておきながら、いつの間にか原発が 「重要なベース電源」と言われるようになっています。 政府によって、ここまで方針が違うと、国民も混乱してしまうのではないかと思います。 私としては、基本的に原発を再稼働していく方針に賛成です。しかし、今の政府の打ち出し方には納得できません。 というのは、福島第一原発事故の反省を何もしていないし、 それを踏まえて、新しい計画を立てているわけでもないからです。今のままなら、同じような災害に見舞われたら、また同じ結果を招くでしょう。 どういう手順で対応するのか、組織はどうするのか、地元との関係はどうするのか、何も決まっていません。 国がやるべきことをやらずに、「言い方」を変えてもっともらしい方針だけ述べているに過ぎません。 私には非常に危険に思えます。 再生可能エネルギーで発電した電力を高額で買い取る 固定価格買い取り制度(FIT)開始から1年余り、 早くもほころびが露呈していますが、これも政府の対応に 大きな問題があったと言わざるをえないでしょう。 まず、太陽光の買い取り価格が高すぎるということです。当初1キロワット42円という、とんでもない高額が設定されました。 民主党の失政の中でも、将来に禍根を残す 最も代表的な政策だと私は感じています。お陰で標準家庭における負担額は、2020年までに2倍~3倍になると試算されていますが、私はこの程度で済むとは思いません。 さらに大きな負担額になってしまうでしょう。 ▼原発の建設を決定した英国。日本は英国を研究するべき。一方、欧州で原子力発電所の運転期間を延ばす動きが広がっています。フランスが原発の運転期間を40年から50年に延ばす検討に入りました。実は寿命を10年延ばすというのは、技術的にはそれほど難しいことではありません。日本もフランスと同じように、寿命を延ばす政策を検討していましたが、国民感情を考えると今となっては難しいでしょう。フランスとは違い、原発の再稼働ではなく、原発を「再建設」すると決定したのが、英国です。今新しく作る原発は相当安全性が高くなっているので、この方針は非常に理にかなったものだと思います。英国の原発関係者は、日本も英国と同じように国民を巻き込んで議論をして、原発の再建設の是非を問えば良いといいます。そう言われても、簡単に同じようにはいかないかも知れませんが、私は大いに研究する意義があると思います。なぜ、英国では原発を建設するという方針になったのか?CO2の問題などを説明した上で、どのような過程を経て社会的なコンセンサスを取っていったのか?日本政府は、英国の事例を研究し、そこから学ぶ姿勢を見せてほしいと思います。2013年12月17日。小泉「即ゼロ」発言は無責任、政府の原発再稼動にも問題あり。2013年11月27日。 唐突に「原発ゼロ」、しかも「即ゼロ」を掲げる小泉純一郎元首相は無責任だとしか言いようがない。「小泉氏が何を考えているのかわからない」と言われても仕方がないだろう。だがその一方、原発再稼働を進める現政権のやり方も十分とは言えない。小泉氏の脱原発運動を遠巻きに見る政府・自民党小泉元首相は11月12日、日本記者クラブで講演し、「総理が決断すればできる。判断力、洞察力の問題だ。舵を切ってもらいたい」と語り、安倍晋三首相に対して脱原発を政治決断するよう迫った。原発ゼロにする時期については、「即ゼロではないか」と述べた。小泉氏は脱原発の主張を強めた10月以降、安倍首相の名前を挙げるのを避けてきたが、今回は名指し。世論喚起が狙いと見られ、安倍政権の原発再稼働方針に影響を与える可能性もある。政界では、小泉氏が突然、脱原発を主張し始めた動機がよくわからないという声が多い。私も自民党の関係者たちと話したが、「小泉氏が何を考えているのかわからない」という反応が目立った。ただ、いくら動機が不明でも、小泉氏に対して真っ向から逆らうことは、政治家にはためらわれるようだ。小泉氏の国民的人気は依然として高いだけに、下手に逆らえば「小泉さんの言っていることの方が一理あるじゃないか」という声が出てきて、政府・自民党への支持を失いかねないと彼らは考えている。そのため、今のところは小泉氏の脱原発運動を遠巻きに見ているというわけだ。何も勉強していないし、戦略も持ち合わせていない。私自身は、小泉氏の脱原発運動については懐疑的に見ている。小泉政権時に国家戦略策定を手伝った時の経験から言うと、小泉氏という人は長期的な戦略をあまり考えないタイプの政治家だ。彼は政治的勘というものに長けていて、今回も、勘で言うと「脱原発の方がいい」と判断したのだろう。小泉氏は、今は蓄電技術が進歩しているから太陽光発電などで原子力を代替できると主張しているが、これも蓄電技術の現実を知らない愚論だ。現実には何も勉強していないし、戦略も持ち合わせていない小泉氏が脱原発を主張するのは、あくまでも政治的な“お節介”によるものである。 今、安倍総理が「原発ゼロ」と言えば、人気はさらに高まると小泉氏は考えているのだろう。しかも、今すぐに原発ゼロと言った方がいいと小泉氏は“指南”しているのだ。5年後に原発ゼロと言っても政治的にはあまり意味がないということだ。小泉氏は何ら具体的な代案を示さない。その点を指摘されると、「原発ゼロという方針を政府が出せば、専門家や官僚が必ずいい案を作ってくれる」と非常に無責任なことを言っている。こうした態度では、「国民のことなどどうでもいい」というのが小泉氏の本音ではないかと疑われてもしかたがない。政治家というよりも、ボクサーに向いている人かもしれない。確かに小泉氏の言うように、安倍首相が「原発ゼロ」と言えば支持率はさらに上昇して、政権はより安定するだろう。しかし、そのかわりに電力供給が安定しなくなるのでは意味がない。マスコミはこういうパフォーマンスが好きだから過大に取り上げるが、小泉氏のパフォーマンスはまともに相手をしないに限る。仮に原発ゼロを政治決断するならそれでも結構だが、それならば、二酸化炭素(CO2)の排出をどうするのか、電力料金の高騰をどうするのか、といった問題にちゃんと答えを示さなければならない。 そのうえで、国民の将来のために、日本の将来のために、いい選択をするというのが、普通に責任感のある人間がすることだ。そうした面倒くさいことが小泉氏は嫌いなのだろう。彼の頭にあるのは、今この瞬間にどちらに舵を切った方がいいかという瞬発力である。政治家というよりも、ボクサーに向いている人なのかもしれない。避難命令などソフト面の整備が遅れる柏崎刈羽原発。小泉氏が無責任な脱原発運動をエスカレートさせている一方で、原発再稼働に向けた動きが少しずつ進んでいる。東京電力から新規制基準への適合審査の申請が出されている柏崎刈羽原発6、7号機について、原子力規制委員会は13日、近く公開での本格審査を開始する方針を固めた。もっとも、この審査を経ても、柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働は早くても来年の夏になると見られている。審査がうまく進まなければ、さらに1年後になる可能性もある。柏崎刈羽原発については新潟県の泉田裕彦知事がさまざまな安全性向上策を要求しているが、これについても東京電力が6、7号機の改修を進めている。少なくとも泉田知事が要求するような点については、今後対応していく予定、もしくはすでに着手・完了しているようだ。泉田知事の要求はハード面ではかなり達成されてきているが、ソフト面ではまだまだ進んでいない。ソフト面というのは、いざという時に誰が避難命令を出すのか、どういう判断基準でどこまで避難するのか、といった組織運営体系を含む。このソフト面については、政府、規制委員会ともにまだ作業を進めていない。ハード面はともかく、ソフト面の作業が進んでいない現状では、最終的に泉田知事が再稼働に同意するのは難しいのではないだろうか。小泉元首相の神がかり的な「祟り」に遭うことにも。小泉氏の脱原発運動も無責任だが、現政権の再稼働に向けた動きも、責任感が十分に発揮されているとは言えない。ソフト面は東電ではなく政府が中心になって進めなくてはならない。特にAM(緊急事態)の判断や、その時の指示命令系統は福島の反省から相当しっかりしたものを作っておかなくてはならない。しかし、いまその作業に当たるのが環境省なのか、原子力規制庁なのか、規制委員会なのか、あるいは内閣府なのか、はたまた経済産業省なのか、自治体を束ねる総務省なのか、判然としていない。つまり、ハード面の改善は電力会社にいろいろ指示し、改修を急がせているが、組織運用面の新しいルール作りがまったく進んでいないのだ。これは政府の責任であり、再稼働を急ぐ安倍政権もその作業をすることなく前のめりになれば、小泉元首相の神がかり的な「祟り」に遭うことになるだろう。(2013年11月27日大前研一メールより)

もしも緑川鷲羽が日本国の外相・NSC局長になったらpart,9

2013年12月17日 18時31分33秒 | 日記



「財政再建」「歳出削減」は急務、「国家債務危機」にそなえて

「日本病」克服の唯一のカギは?あえぐ日本の今と明日を


日本の債務問題に対して「王様は裸だ」と指摘する。日本国民は1600兆円の純貯蓄があり、これが1000兆円という公的債務を賄っているのが現状です。もし日本の金融機関が実際には国の借金のファイナンスをしていると知ったら、国民は度肝を抜かれるでしょう。さらに日本国債がクラッシュしたら、国民の貯蓄はすべて吹っ飛んでしまう。私が我が国、日本に疑問を抱くのは次の点です。日本はさまざまな面でナンバーワンの地位を維持するために必要なものが揃っています。資金力やイノベーションもトップクラスです。最先端技術分野でもトップクラスです。だから、日本はどの国よりも長期的な戦略を練る事が出来ます。私は、「患者が医者からガン」だ、と知らされなければ深刻な病気を自覚できないと思います。危機意識が重要な訳です。公的債務(国の債務・借金)が国内の貯蓄だけでファイナンスされているならば、日本には拘束的な条件はないでしょう。ですが、アメリカやヨーロッパでは公的債務の三分の二が外国からのマネーですから、拘束条件にさらされている訳なのです。だから危機感が十二分にある。日本の公的債務が日本人の個人の貯蓄によってファイナンスされていますが、これに国民のコンセンサスがある訳ではありません。国民の意思とは関係なく、日本の金融機関は日本国債を大量に購入しています。十五年ほど前に公的資金を導入されたこともあって、政府の意向を無視する金融機関は存在しない。日本の金融機関は政府の顔色をいつもうかがっている状態です。確かに公的債務を購入する資金が続く限りは何とかなるでしょう。しかし、利用できる貯蓄は、あと一六〇兆円しか残っていない。仮に政府が毎年四〇兆円も食いつぶせば、財務的にやり繰りできるのはあと四年ということになります。個人のインテリジェンスを計測する指数がIQに対して、集団のなら日本の「集団IQ」は幻想にとらわれ、思考力が麻痺した状態にあるのだと思います。フランスの経済学者、ジャック・アタリさんは公的債務の解決策として歴史的に八つの方法(増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、デフォルト)しかないと述べています。日本政府には歳出を削減する気がないようです。日本国民が危機に飲み込まれる以外に選択肢はないようです。
長期的な視野をもったリーダーを生み出すための制度的な仕組みがない民主主義の下で、どうすれば大局的な判断ができるか。フランスでは大統領の任期が7年から5年に短縮されました。日本では毎年、あるいは数が月ごとに首相が替わりましたね。もう一つの危険として民主主義的を犠牲としてまでも、移民排斥運動や極右台頭等の危機を招きやすいということ。社会を変革することだと思いますが、そういう悪が生まれる。政治に失望する度に選挙で反対側に投票して制度として「ねじれ現象」につながり、停滞してしまいます。フランスの政治制度は、現在の日本のように機能不全を起こしてしまうほど悪くない。大統領には五年の任期があり、この間、大統領は政権を維持できます。まずは政治家が国家の将来像をきちんと提示できなければ。日本の場合、まず島国で外敵が目に入らない事。国民がサバイバルしようという動機が乏しくなる。多くの日本人は危機感が乏しく、現状に満足しているのでは?現状維持とは国民がサバイバルするしか叶わないということ。迫りくる脅威を無視していたり、傍観しているだけでは「坂を転げる」ように、極東の片隅にある日本は忘れ去られ衰退するでしょう。わずか百十年で世界一になったが、転落も早いでしょう。アタリさんのような知性溢れる知識人が、日本に対して危機に関しての処方箋を提示しても、奇跡は起こらないと思います。欧州でも、アメリカでも、中国でも奇跡は起こらない。それが「現実」というものです。日本は一年、二年、近い将来債務危機の問題に直面すると思います。賢明な国民であれば自分たちの貯蓄で政府債務を買い支える以外方法がないと理解するでしょう。魔法等ないのです。いかなる国であっても国家債務の法則から逃れることは出来ません。重要なポイントは問題を次世代に先送りしないこと。日本の場合は、国民の負担率は高くないので、それほど難しいことではないでしょう。たとえ国民負担率を二倍にしてもせいぜいヨーロッパ並みです。税制改革は待ったなしです。遅かれ早かれ、消費税は二〇%程度にならざる得ない。法人税についても、高い。もっと低くしないと。だが、消費税だけ増税するのは不公平で、サラリーマンばかりが損をする。所得税ないし法人税を緩和するべきです。EU圏内の法人税も二十五%、中国も同じ。シンガポール、香港、台湾が十五%です。消費税だけ増税しても効果がない。今後、所得は減り、人口も減少していくことから、金融資産や不動産などの資産に一%ほど課税していく。更に、五~一〇%の付加価値税を導入すれば、現在の税収に等しい歳入が確保できます。実は日本では常に高齢者に優位な政策がとられてきました。年金などは若い人は払っただけもらえない。しかし、彼らは選挙に行かないので無視されてきた訳です。私はこういう政治に関心のないひとたち彼ら彼女らの一斉蜂起こそ改革につながると思います。日本人の若者よ、日本人の政治家に失望するのはわかる。だが、国際政治に失望しないで欲しい。確かに日本の政治家は長らく国民を馬鹿にし、失望させてきた。だが、為せば成る、だ。我々若い日本国民こそ、今のダメダメな利権政治、カネをばらまき票を買う政策を「チェンジ」できる。政治担当者にしても欧米の政治家に比べると、日本人政治家は質が悪い。票を金で買う、地元に利権をもってきて当選する。将来を見据えた政策等誰も考えていない。英国のキャメロン首相には感銘しました。就任早々、いきなり血の出るような歳出削減を実行した。日本人政治家には到底真似できない。また自民党による「血税・税金の無駄遣い」が始まった。「日本を取り戻す!」50年間以上自民党一党独裁だった。すべての元凶は自民党与党だ。原発問題しかり、財政問題・外交問題・TPP問題しかり。民主党は3年間の失敗を真摯に反省していけば3度目の革命はあり得る。我々は1000兆円の公的債務つまり国の借金を、自分の子供、孫、玄孫の世代までオーダーしてはならない。北欧の諸国のように高福祉高負担な正しい国家として、日本国はやっていこう!大胆な血の出るような歳出削減をしましょう!消費税は上げざる得ない。国民が痛みに耐えるしかない。国家債務危機は物理現象より、算数に近い。2011年現在の日本国家を運営するのに220兆円かかっている。だが、一般会計とよばれる予算は92兆円である。不足分の半分は税ではなく保険や年金などの特別会計で処理されている。国債の償還や利払いも特会である。旧・大蔵省の発明したシステムが日本の政治家の頭を鈍くしている。もともと日本の政治家は頭を使ってじっくり考えるというのが苦手だ。が、アタリ氏のいう八つの解決策のうち日本がやったのは「低金利」だけで、公的債務・国家の借金が1000兆円も膨らみ続ける。アタリ氏のいう通り政治家は嫌われる存在だ。飲みやすい処方薬等ない。国民に忌み嫌われてもいいから歳出削減や一〇%の付加価値税、法人税所得税相続税の緩和しかない。北欧のような高福祉高負担国家、日本だ。
ケインズ以降のマクロ経済理論はもはや通用しない。小さな楽しいアイデアをたくさん積み重ねて国民心理を盛り上げろ。たとえば今、空家率が15%,、多い県ではある。自治体がバケーション用の別荘等にいかす。貸し出す管理運営会社をつくればいい。小金持ちに気前よくお金を使わせろ。今、世界で本当に隆盛を極めている「クオリティ国家10」を見てこい。スイス、デンマーク、フィンランド、シンガポール等々。たとえばデンマークの人口は約550万人。北海道とほぼ同じ。しかし、デンマークには質の高い農業や小さなマーケット(ニッチ)で世界トップクラスの企業が10以上ある。アベノミクスよりすごい景気対策がある。「お金を使ったら人生は豊かになるし、子供や孫からも感謝される」という方向へ。難しいマクロ経済は必要ない。要は3500万円持って死んでいくことが本当に幸せなのか?資産リッチな高齢者自身に問いかけるような政策が必要だ。下請けなのに、なぜ台湾企業は強いのか?中国語、英語、日本語の三カ国語を操り世界のマーケットに通じている。自分たちの商品がスマホのアイコンになる。日本人はイメージできずモノをつくろうとし、5年でエレクトロニクス産業は突然死寸前まで追い込まれた。新しい「日本のお家芸」を探せ!アメリカと同じパターンで、日本も構造的な貿易赤字国になる可能性は非常に高い。ネット時代の三種の神器は、「ポータル」「決済」「物流」だ。米国企業のような。日本は何で飯を食っていくのか?世界の滞在型旅行業は自動車産業より市場規模が大きい。アジアの若い女性は田舎や京都や観光地等全然興味ない。彼女たちの見たい日本は圧倒的に渋谷109だ。違和感だらけの「一泊二食付き」から脱却し、「滞在する」発想を持て。「ヒット商品」が出ない本当の理由。今、一番まともな生活をしているのは高校時代に成績が悪かったタイプ。持ちたがらないし、買いたがらない。いつかは「クラウン」いつかは「持ち家」という成長期の神話は完全に崩壊している。政府も企業もマーケットの変化をしらない。税金だらけの車など誰ももちたがらない。なぜ日本人は、かくも覇気がなくなったのか?諸悪の根源は「競争させない教育」にある。これから先「グローバル企業のアジア本部長」は間違いなく韓国人。しゃかりきに勉強しなくなった日本人の場はない。「TPP農業問題」を解決するただ一つの道。日本の企業や若い世代は、世界の農業最適地に飛び出せ。日本人の企業や若い世代が世界の「農業最適地」に飛び出し、日本のい農業技術と、広大な農地と現地労働力を活用して、農業を「マネジメント」する。タイやベトナムや豪州やブラジル、ウクライナから日本に輸入させる。これが本当の食糧安保だ。うなぎ上りに膨れ上がる国民医療費。「病気を定義」で病院への入場を制限し、救急車の利用は早く有料化すべき。元手ゼロの試供品を正規の値段で売る病院もある。医療費増大政策にノーの声を。憲法九六条は占領軍の最悪の置き土産だ。日本人一人一人がゼロベースの憲法を自分で書いてみよ。九条は拡大解釈。九十六条だけアンタッチャブルでいいのか?「都構想」「道州制」が世界マネーを呼ぶ。新潟州が誕生すれば日本海側の中心地として繁栄が見込め、福岡都も面白い。横浜や神戸がオフィス兼住宅等アイデア次第で世界中からカネが集まる。都構想を評価すれば世界のホームレスマネーを呼び込める。連携して知恵を絞り、世界のカネを呼び込め。「日本版一国二制度」の始まり。中国では統制経済と市場経済の共存で火を起こし、燎原の火の如く全国に広がった。日本の堅牢な中央集権制を打ち破る突破口として、独自の行政構想を打ち出している変人による「変人特区」構想だ。高校の義務教育化で社会コストが下がる。日本の地方分権はずっと足踏みしてきた。足りない人材は世界中から補えばいい。世界トップのファンドマネジャーに年金ファンドを運用させる。ハッカー天国のフィリピンから技術者を引っ張って来なければ地方自治体の繁栄などありえない。橋下徹大阪市長を嫌いな人は、なぜ嫌いなのか?SNSの出現で世界中が横につながり、政治・経済にも全く新しい可能性が広がった。橋下氏を嫌いなひとは「やり方」が嫌い。いや、はっきり言うと橋下氏のやっていることの意味が理解できていない、だから「独裁的」「嫌い」となる。勉強していない。反橋下派識者には二つのタイプがあるのだ。これが本物の「官僚改革」だ。身分保障制度に切り込むのはもちろん、根源的な存立理由を吟味し直すべき。キャリア試験廃止、シンガポールでは任期を終えた役所は解体される。歴史的役割を終えた省庁も廃止だ。縦割り・前例主義の貧困な発想が国を滅ぼす。すべて腹芸と裏ワザで行われてきた外交交渉。パンドラの箱が開いた今、政権は虚心坦懐に国民や周辺国と向き合え。あれだけ中国が成長発展してもODAをあげているのは「利権化」しているから。中国人は「戦後賠償の一環」と思っているから感謝等しないしもらい続ける。福島第一原発事故の本当の原因。原子炉の設計思想にそもそも問題があったのだ。日本人の被曝恐怖症は、なぜこんなに偏っているのか?CTスキャン二回で年間限度を超えることもある。広島・長崎の原爆被害とリンクさせる悪質な輩がいて、「放射能は恐ろしい」と集団ヒステリーになる。最後に知らないと危ない!「世界の宗教」の歩き方をひとつ。どんな国、国民にも琴線ならぬ“怒線”がある。海外で「無神論者」というと「何をするかわからないクレイジーな奴」に見られますよ(笑)注意です(笑)。
 誰かが、改革なくして成長なし、という。そう改革もないなら「救国の新世紀維新」もない。1000兆円の国の借金を、国民の蓄財が惜しげもなく使われ続ける。日本国債が債務不履行つまりデフォルトすれば財産はすべてパーになる。日本人にはその危機感がない。成長なき国民に成長する国家はない。まずは日本人として救国の新世紀維新を成し遂げようではないか!

緑川鷲羽・43・フリージャーナリスト

もしも緑川鷲羽が日本国の外相・NSC局長になったらpart,8

2013年12月17日 18時19分17秒 | 日記
2「中国について」「米国について」


「一八六〇年の選挙においてアブラハム・リンカーンは、国民の半分が奴隷で半分が自由というこの国家が存続し得るかが問題であると語った。新世紀維新のこの世界において、問題は世界が半分自由で半分はらぺこという状態で果たして存続でき得るかということである。 世界は、われわれが今歩んでいるような自由の方向に向かっているのだろうか。それとも独裁の方向へむかっているのだろうか。これに対する答えは、われわれがこの世界で何をするか、どのような社会を作り上げていくかにかかっていると私は考える。
 もしわれわれがここ日本で努力し、互いの責任を全うし、前進する勇気を捨てなければ自由というものが世界中で安全となろう。しかし、もしわれわれが失敗すれば、自由もまた失われる。
 故に日本国民に投げかけられた疑問は明白である。われわれは今、ベストを尽くしているのだろうか。可能性のリミットまで追及しているだろうか。われわれは本来持つべき強さをもっているだろうか。われわれに援助と生存を賭ている国々との友好を維持できるだけの強さがあるだろうか。
 まず私は明白にいいたい。われわれは今、ベストをつくしていない、と。日本人としては今のわが国の進展度に満足していない。
 祖国日本は偉大な国である。しかし、もっと偉大な国家になれる。パワーフルな国家であるが、もっとパワーフルになれると私は信じている……。
 私はあらゆる日本人が憲法に保障された権利を享受できるまで満足できない。異人の子供は、これは朝鮮人と日系人についてもいえることだが、この世に生まれても高校を卒業できるチャンスは日本人の子供の半分しかない。
 また、九〇億ドルの余剰食料がありながら、19億人の人が一日わずか五セントの価値しかない食料を毎月政府から受け取らなければならないという事実に、私は満足できない。
 一九三三年、かのフランクリン・ルーズヴェルトはその就任演説で、後の世代のアメリカ国民は運命とランデヴーしていると語った。救国の新世紀維後の日本国民もまた、運命とランデヴーしていると私は思う。
 問題の核心は、自由というものがかつてないほどきびしい攻撃にさらされている中で、果たして維持され続けるのであろうかということである。私はされ得ると信ずる。すべては、われわれがこの国でなにをするかにかかっている。
 日本が再び動き出す時がきたと私は確信する。

 アメリカの威信が地に落ちたというが、それは代弁者が語るレヴェルでしかない。米国大統領はアメリカの威信が低下していると、ことあるごとに言っている。彼のような責任ある立場にいる人間がそんなことを言うから、アメリカの威信が落ちるのだ。アメリカをこきおろす大統領の国民としての責任感を私は疑う。
 多くを与えられている者には、多くが要求される。そしていつの日か、歴史という高貴な裁きの場で、われわれが国家にたいするつかの間の奉仕においてどれだけの責任を果たしたかが問われるだろう。その時、四つの疑問に対しわれわれがどう答えるかで審判が下されるだろう。
 第一に、われわれには真の勇気があったか。その勇気とは、単に、敵にたいするものでなく、必要とあらば仲間に対しても立ち向かうことのできる勇気であり、公のプレッシャーだけでなく、私的な欲望にも立ち向かえる勇気である。
 第二に、われわれには真の判断力があったか。未来と過去を真っ正面から見つめ、自らの過ちを認め、自分たちの知識の限界を知り、それを認める英知があったか。
 第三に、われわれには真の尊厳があったか。自らの信念を貫き通し、人々の信頼を裏切らなかったか。政治的野望や金銭的欲望のために神聖なる任務を汚さなかったか。
 最後に、われわれは真に国家に献身したか。名誉や特定の人間やグループに妥協せず、個人的恩恵や目的のために道を曲げず、ただひたすら公共のため、国家のために身を捧げたか。
 勇気、判断力、尊厳、献身……これら四つの要素が私の政権の活動の基準となるであろう。
 恭謙の念をもってこれからの任務につくにあたって、私は神の助けを求めたい。しかし、この地上では神の御意志はわれわれ人間が実行に移さなければならぬということを心に刻んで、私はこの新しい厳粛な旅に向かう。あなた方の支持と祈りを切にお願いしたい」




「われわれは自由と生存と成功のためにはいかなる代償も払い、いかなる重荷をもにない、いかなる苦難にも立ち向かい、いかなる友をも支援し、いかなる敵にも反対する。
 もし自由社会が多くの貧しい人々を助けることができないなら、富める少数を助けることはできない。
 中国インド東南アジア国家とはアライアンス・フォー・プロブレスを築き、新しい関係をつくりたい。 そして、国連にはもっともコミットしたい。
 国連は”われわれに残された最後のそして最大の希望”である。われわれはこの国連の強化を推めねばならない。
 北朝鮮のことはもう一度再提議さけなければならない。北朝鮮の暴発に対して、私はこう言いたい。”レット・アス・ビギン・アニュー”と。軍縮を推め、誠意をもって交渉にあたる、分裂よりも協調を推めていこう、と。
 中国、日本双方とも科学の恐怖ではなく、科学の驚異を引き出すために力を合わせようではないか。共に星を探索し、砂漠を征服し、病を根絶し、深海を開発し、芸術と通商を奨励しようではないか。
 そして共に”重荷を解き、迫害されるものを自由にせよ”というイザヤの言葉を、地球のすみずみまで広げるために力を合わせようではないか!
 このプロセスには大変な時間と忍耐を必要とするが、大事なのは始めることである。
  建国以来、日本国民は各世代ごとに祖国に対する忠誠をその行動で示すことを要請されてきた。その要請に応えた若き日本人たちの墓標は、日本中をとりまいている。 今また軍儀のほら貝がわれわれを呼んでいる。武器は必要としてもそれは武器をとれとの呼び掛けではなく、抗争の真っ只中にあろうとも戦闘への呼び掛けでもない。それは行く年、来る年”望みの中に喜び、艱難の中に耐える”長い夜明け前の戦いー独裁、病、貧困、そして戦争などの全人類共通の敵に対する戦いのための重荷を背負えとの呼び掛けである。
 これらの敵に対して北も南も東も西も含めた世界的な同盟を結ぼうではないか。全人類にとって、より実り多い生活を保障するための一大同盟の結成である。この歴史的努力に参加していただけるだろうか?
 長い世界の歴史の中で、自由というものが最大の危険にさらされている時、それを守る役割をさずけせれた世代はごく少なかった。
 この一大事業にそそぐわれわれのエネルギー、信念、献身こそが祖国とそれに仕えるすべての者たちに灯をともし、その火から発する輝きが真に世界を照らすことになるのである。
 故にわが同胞日本国民よ、国家があなた方のためになにをするのかではなく、あなた方が国家のために何ができるかを問うてもらいたい。
 わが世界の同胞よ、日本があなた方になにをするかではなく、共に人間の自由のために何かができるか問うてもらいたい。
 最後にあなた方が日本市民であろうと世界市民であろうと、われわれがあなた方に求めるのと同じ高い水準の強さと犠牲を、われわれに求めてもらいたい。
 安らかな良心を唯一の確かな報酬とし、歴史をわれわれの究極の審判となし、神の恵みと助けを求めながらも、この地上では神のみわざはわれわれ自身の所業でなければならないことを心に刻みつつ、愛する祖国を導き前進していこうではないか」
  また、中国共産党についてひとつ。多忙である筈の習近平国家主席が数日間も太子党の「自己批判運動」に耳をかたむけたそうですね。が、李克強首相の出身母体、共青団閥のつるし上げにあったそうですね。「リコノミクス」と呼ばれる李克強首相の経済政策があります。社会主義的な規制が残る金融や貿易の弊害を取り除き、金利の自由化や人民元・外国通貨の制限撤廃、一部の完全障壁の除去や手続きの大幅な緩和など、欧米先進国的経済システムですね。李克強プランは3中全会で改革案が骨抜きにされました。でも、私は中国人の偉大さを信じています。共にアジアの同胞としてアジアを発展させていきましょう!          


「財政再建」「歳出削減」は急務、「国家債務危機」にそなえて

「日本病」克服の唯一のカギは?あえぐ日本の今と明日を


日本の債務問題に対して「王様は裸だ」と指摘する。日本国民は1600兆円の純貯蓄があり、これが1000兆円という公的債務を賄っているのが現状です。もし日本の金融機関が実際には国の借金のファイナンスをしていると知ったら、国民は度肝を抜かれるでしょう。さらに日本国債がクラッシュしたら、国民の貯蓄はすべて吹っ飛んでしまう。私が我が国、日本に疑問を抱くのは次の点です。日本はさまざまな面でナンバーワンの地位を維持するために必要なものが揃っています。資金力やイノベーションもトップクラスです。最先端技術分野でもトップクラスです。だから、日本はどの国よりも長期的な戦略を練る事が出来ます。私は、「患者が医者からガン」だ、と知らされなければ深刻な病気を自覚できないと思います。危機意識が重要な訳です。公的債務(国の債務・借金)が国内の貯蓄だけでファイナンスされているならば、日本には拘束的な条件はないでしょう。ですが、アメリカやヨーロッパでは公的債務の三分の二が外国からのマネーですから、拘束条件にさらされている訳なのです。だから危機感が十二分にある。日本の公的債務が日本人の個人の貯蓄によってファイナンスされていますが、これに国民のコンセンサスがある訳ではありません。国民の意思とは関係なく、日本の金融機関は日本国債を大量に購入しています。十五年ほど前に公的資金を導入されたこともあって、政府の意向を無視する金融機関は存在しない。日本の金融機関は政府の顔色をいつもうかがっている状態です。確かに公的債務を購入する資金が続く限りは何とかなるでしょう。しかし、利用できる貯蓄は、あと一六〇兆円しか残っていない。仮に政府が毎年四〇兆円も食いつぶせば、財務的にやり繰りできるのはあと四年ということになります。個人のインテリジェンスを計測する指数がIQに対して、集団のなら日本の「集団IQ」は幻想にとらわれ、思考力が麻痺した状態にあるのだと思います。フランスの経済学者、ジャック・アタリさんは公的債務の解決策として歴史的に八つの方法(増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、デフォルト)しかないと述べています。日本政府には歳出を削減する気がないようです。日本国民が危機に飲み込まれる以外に選択肢はないようです。
長期的な視野をもったリーダーを生み出すための制度的な仕組みがない民主主義の下で、どうすれば大局的な判断ができるか。フランスでは大統領の任期が7年から5年に短縮されました。日本では毎年、あるいは数か月ごとに首相が替わりましたね。もう一つの危険として民主主義的を犠牲としてまでも、移民排斥運動や極右台頭等の危機を招きやすいということ。社会を変革することだと思いますが、そういう悪が生まれる。政治に失望する度に選挙で反対側に投票して制度として「ねじれ現象」につながり、停滞してしまいます。フランスの政治制度は、現在の日本のように機能不全を起こしてしまうほど悪くない。大統領には五年の任期があり、この間、大統領は政権を維持できます。まずは政治家が国家の将来像をきちんと提示できなければ。日本の場合、まず島国で外敵が目に入らない事。国民がサバイバルしようという動機が乏しくなる。多くの日本人は危機感が乏しく、現状に満足しているのでは?現状維持とは国民がサバイバルするしか叶わないということ。迫りくる脅威を無視していたり、傍観しているだけでは「坂を転げる」ように、極東の片隅にある日本は忘れ去られ衰退するでしょう。わずか百十年で世界一になったが、転落も早いでしょう。アタリさんのような知性溢れる知識人が、日本に対して危機に関しての処方箋を提示しても、奇跡は起こらないと思います。欧州でも、アメリカでも、中国でも奇跡は起こらない。それが「現実」というものです。日本は一年、二年、近い将来債務危機の問題に直面すると思います。賢明な国民であれば自分たちの貯蓄で政府債務を買い支える以外方法がないと理解するでしょう。魔法等ないのです。いかなる国であっても国家債務の法則から逃れることは出来ません。重要なポイントは問題を次世代に先送りしないこと。日本の場合は、国民の負担率は高くないので、それほど難しいことではないでしょう。たとえ国民負担率を二倍にしてもせいぜいヨーロッパ並みです。税制改革は待ったなしです。遅かれ早かれ、消費税は二〇%程度にならざる得ない。法人税についても、高い。もっと低くしないと。だが、消費税だけ増税するのは不公平で、サラリーマンばかりが損をする。所得税ないし法人税を緩和するべきです。EU圏内の法人税も二十五%、中国も同じ。シンガポール、香港、台湾が十五%です。消費税だけ増税しても効果がない。今後、所得は減り、人口も減少していくことから、金融資産や不動産などの資産に一%ほど課税していく。更に、五~一〇%の付加価値税を導入すれば、現在の税収に等しい歳入が確保できます。実は日本では常に高齢者に優位な政策がとられてきました。年金などは若い人は払っただけもらえない。しかし、彼らは選挙に行かないので無視されてきた訳です。私はこういう政治に関心のないひとたち彼ら彼女らの一斉蜂起こそ改革につながると思います。日本人の若者よ、日本人の政治家に失望するのはわかる。だが、国際政治に失望しないで欲しい。確かに日本の政治家は長らく国民を馬鹿にし、失望させてきた。だが、為せば成る、だ。我々若い日本国民こそ、今のダメダメな利権政治、カネをばらまき票を買う政策を「チェンジ」できる。政治担当者にしても欧米の政治家に比べると、日本人政治家は質が悪い。票を金で買う、地元に利権をもってきて当選する。将来を見据えた政策等誰も考えていない。英国のキャメロン首相には感銘しました。就任早々、いきなり血の出るような歳出削減を実行した。日本人政治家には到底真似できない。今の自民党政権のまたしてもの国民の血税・税金のばらまきがはじまっている。「日本を取り戻す」というが50年以上自民党一党独裁が日本だった。その弊害が原発問題しかり、財政問題・外交問題・TPP問題しかり。民主党も3年間の失敗を真摯に反省すれば、3度目の革命はあり得る。我々は1000兆円の公的債務つまり国の借金を、自分の子供、孫、玄孫の世代までオーダーしてはならない。北欧の諸国のように高福祉高負担な正しい国家として、日本国はやっていこう!大胆な血の出るような歳出削減をしましょう!消費税は上げざる得ない。国民が痛みに耐えるしかない。国家債務危機は物理現象より、算数に近い。2013年現在の日本国家を運営するのに220兆円かかっている。だが、一般会計とよばれる予算は92兆円である。不足分の半分は税ではなく保険や年金などの特別会計で処理されている。国債の償還や利払いも特会である。旧・大蔵省の発明したシステムが日本の政治家の頭を鈍くしている。もともと日本の政治家は頭を使ってじっくり考えるというのが苦手だ。が、アタリ氏のいう八つの解決策のうち日本がやったのは「低金利」だけで、公的債務・国家の借金が1000兆円も膨らみ続ける。アタリ氏のいう通り政治家は嫌われる存在だ。飲みやすい処方薬等ない。国民に忌み嫌われてもいいから歳出削減や一〇%の付加価値税、法人税所得税相続税の緩和しかない。北欧のような高福祉高負担国家、日本だ。ケインズ以降のマクロ経済理論はもはや通用しない。小さな楽しいアイデアをたくさん積み重ねて国民心理を盛り上げろ。たとえば今、空家率が15%,、多い県ではある。自治体がバケーション用の別荘等にいかす。貸し出す管理運営会社をつくればいい。小金持ちに気前よくお金を使わせろ。今、世界で本当に隆盛を極めている「クオリティ国家10」を見てこい。スイス、デンマーク、フィンランド、シンガポール等々。たとえばデンマークの人口は約550万人。北海道とほぼ同じ。しかし、デンマークには質の高い農業や小さなマーケット(ニッチ)で世界トップクラスの企業が10以上ある。アベノミクスよりすごい景気対策がある。「お金を使ったら人生は豊かになるし、子供や孫からも感謝される」という方向へ。難しいマクロ経済は必要ない。要は3500万円持って死んでいくことが本当に幸せなのか?資産リッチな高齢者自身に問いかけるような政策が必要だ。下請けなのに、なぜ台湾企業は強いのか?中国語、英語、日本語の三カ国語を操り世界のマーケットに通じている。自分たちの商品がスマホのアイコンになる。日本人はイメージできずモノをつくろうとし、5年でエレクトロニクス産業は突然死寸前まで追い込まれた。新しい「日本のお家芸」を探せ!アメリカと同じパターンで、日本も構造的な貿易赤字国になる可能性は非常に高い。ネット時代の三種の神器は、「ポータル」「決済」「物流」だ。米国企業のような。日本は何で飯を食っていくのか?世界の滞在型旅行業は自動車産業より市場規模が大きい。アジアの若い女性は田舎や京都や観光地等全然興味ない。彼女たちの見たい日本は圧倒的に渋谷109だ。違和感だらけの「一泊二食付き」から脱却し、「滞在する」発想を持て。「ヒット商品」が出ない本当の理由。今、一番まともな生活をしているのは高校時代に成績が悪かったタイプ。持ちたがらないし、買いたがらない。いつかは「クラウン」いつかは「持ち家」という成長期の神話は完全に崩壊している。政府も企業もマーケットの変化をしらない。税金だらけの車など誰ももちたがらない。なぜ日本人は、かくも覇気がなくなったのか?諸悪の根源は「競争させない教育」にある。これから先「グローバル企業のアジア本部長」は間違いなく韓国人。しゃかりきに勉強しなくなった日本人の場はない。「TPP農業問題」を解決するただ一つの道。日本の企業や若い世代は、世界の農業最適地に飛び出せ。日本人の企業や若い世代が世界の「農業最適地」に飛び出し、日本のい農業技術と、広大な農地と現地労働力を活用して、農業を「マネジメント」する。タイやベトナムや豪州やブラジル、ウクライナから日本に輸入させる。これが本当の食糧安保だ。うなぎ上りに膨れ上がる国民医療費。「病気を定義」で病院への入場を制限し、救急車の利用は早く有料化すべき。元手ゼロの試供品を正規の値段で売る病院もある。医療費増大政策にノーの声を。憲法九六条は占領軍の最悪の置き土産だ。日本人一人一人がゼロベースの憲法を自分で書いてみよ。九条は拡大解釈。九十六条だけアンタッチャブルでいいのか?「都構想」「道州制」が世界マネーを呼ぶ。新潟州が誕生すれば日本海側の中心地として繁栄が見込め、福岡都も面白い。横浜や神戸がオフィス兼住宅等アイデア次第で世界中からカネが集まる。都構想を評価すれば世界のホームレスマネーを呼び込める。連携して知恵を絞り、世界のカネを呼び込め。「日本版一国二制度」の始まり。中国では統制経済と市場経済の共存で火を起こし、燎原の火の如く全国に広がった。日本の堅牢な中央集権制を打ち破る突破口として、独自の行政構想を打ち出している変人による「変人特区」構想だ。高校の義務教育化で社会コストが下がる。日本の地方分権はずっと足踏みしてきた。足りない人材は世界中から補えばいい。世界トップのファンドマネジャーに年金ファンドを運用させる。ハッカー天国のフィリピンから技術者を引っ張って来なければ地方自治体の繁栄などありえない。橋下徹大阪市長を嫌いな人は、なぜ嫌いなのか?SNSの出現で世界中が横につながり、政治・経済にも全く新しい可能性が広がった。橋下氏を嫌いなひとは「やり方」が嫌い。いや、はっきり言うと橋下氏のやっていることの意味が理解できていない、だから「独裁的」「嫌い」となる。勉強していない。反橋下派識者には二つのタイプがあるのだ。
これが本物の「官僚改革」だ。身分保障制度に切り込むのはもちろん、根源的な存立理由を吟味し直すべき。キャリア試験廃止、シンガポールでは任期を終えた役所は解体される。歴史的役割を終えた省庁も廃止だ。縦割り・前例主義の貧困な発想が国を滅ぼす。すべて腹芸と裏ワザで行われてきた外交交渉。パンドラの箱が開いた今、政権は虚心坦懐に国民や周辺国と向き合え。あれだけ中国が成長発展してもODAをあげているのは「利権化」しているから。中国人は「戦後賠償の一環」と思っているから感謝等しないしもらい続ける。福島第一原発事故の本当の原因。原子炉の設計思想にそもそも問題があったのだ。日本人の被曝恐怖症は、なぜこんなに偏っているのか?CTスキャン二回で年間限度を超えることもある。広島・長崎の原爆被害とリンクさせる悪質な輩がいて、「放射能は恐ろしい」と集団ヒステリーになる。最後に知らないと危ない!「世界の宗教」の歩き方をひとつ。どんな国、国民にも琴線ならぬ“怒線”がある。海外で「無神論者」というと「何をするかわからないクレイジーな奴」に見られますよ(笑)注意です(笑)。
 誰かが、改革なくして成長なし、という。そう改革もないなら「救国の新世紀維新」もない。1000兆円の国の借金を、国民の蓄財が惜しげもなく使われ続ける。日本国債が債務不履行つまりデフォルトすれば財産はすべてパーになる。日本人にはその危機感がない。成長なき国民に成長する国家はない。まずは日本人として救国の新世紀維新を成し遂げようではないか!


2013年12月17日 北朝鮮・金正日総書記死去から2年 金正恩体制求心力強化に腐心

2013年12月17日 10時52分08秒 | 日記

       北朝鮮の正体
 
2013年12月17日、金正日総書記の崩御(笑)というか病死から2年目の節目ですね。北朝鮮は金正恩(キム・ジョンウン)独裁体制の求心力強化に腐心しています。例えば、北朝鮮のNo.2であった張成沢(チャン・ソンテク)氏を処刑したのもそうだった。黒幕は正恩の実兄の金正哲(キム・ジョンチョル)と正恩の妹の金汝貞(キム・ヨジュン)である。金正哲は故・金正日総書記の次男で(長男は金正男(キム・ジョンナム))、スイスに留学経験がある。北朝鮮が海外で遊ぶための経済活動(金儲けの裏ビジネス)を仕切る「ポンファ組(中国でいうところの「太子党」)」のトップで、張成沢の「政権奪還のクーデター」情報を耳にした為に殺したのだ。金王朝は血族だけが命であり、張氏の妻の金慶喜(キム・ギョンヒ)は、死刑に決まった夫・張氏と離婚したという。大変に「醜い政変劇」を見せられた国際社会だが、大事なのは2015年の「在韓米軍一斉撤退(グアムに基地移転の為)」で韓国のパク・クネ大統領はどういう動きをみせるか、だ。また「千年恨みます、ニダ!」だのの馬鹿らしい対応では世界が見捨てるだろう。パク氏はもう少し政治経済は勿論、歴史を学んだ方がよい。今のパク・クネ大統領は「ひたすら痛いおばさん」でしかない。『中朝貿易・中国大気汚染・中国共産党・中国白酒大手~取り組みの阻害要因を理解する』中朝貿易 中朝国境のつり橋 橋桁が連結中国大気汚染 12月に入り広範囲でスモッグ発生中国共産党 汚職疑惑めぐり 周永康氏を本格調査中国白酒大手 銀基集団控股 最終赤字約102億円▼ 中国と北朝鮮の交流。移民の出入国管理が難しい。中国遼寧省・丹東と北朝鮮シニジュの間で3年前から進められているつり橋の建設で橋桁の連結する作業が終了しました。完成は来年9月の見通しとのこと。これまでは道路と線路を古い橋1本でつないだものが、中朝間の物流の7割以上を賄っており、新たな橋が開通すれば両国間の貿易が活発化しそうです。中国と北朝鮮の国境は長く、過去には国連が主導してデルタ開発計画を立案したこともありました。中国とロシアと北朝鮮の国境付近です。しかし結局は空振りに終わってしまいました。今、中国遼寧省・丹東から北朝鮮シニジュに至る新鴨緑江大橋を建設しており、中国側、北朝鮮側の左右から建設してきた橋が、ようやく真ん中で連結しました。この後、税関の設置や諸々整える作業があり、その完成が来年の9月になる見込みとのこと。もし両国の関係が正常化すれば、物流はかなり活発化するものと思いますが、出入国管理が大変な面もあるので、それほど簡単にはいかないとも思います。 ▼中国が抱える問題。汚染大国、汚職大国としての中国。中国中央気象台の公式サイトによると中国・中央気象台の公式サイトによると、12月に入って、中国の中・東部地域は広範囲にわたってスモッグが発生。濃霧注意報を出した4日には、多くの地域で汚染レベルが4~5級。局地的に6級という最重度汚染のレベルに達したとのこと。今週はソウルでも視界が500メートル以下になり、上海、南京、広州でもPM2.5の影響でかなりひどい事態になっています。韓国は遠慮していて、中国に強く文句を言っていない様子に見えます。いずれにせよ、今の中国は1970年代の日本と同様、完全に汚染国家なのです。中国共産党中央政治局常務委員会の前のメンバーで、石油閥の重鎮・周永康氏について、習近平指導部が汚職などの容疑で本人と周辺への調査に乗り出したことが、7日明らかになりました。中国共産党には、政治局常務委員の経験者は摘発しないという不文律がありましたが、今後周氏への本格追求を公にした場合、党の権威が失墜し、権力闘争に再び火をつけかねないことから指導部は事件の取り扱いと公表の是非を慎重に判断するとのことです。これは完全に権力闘争です。軍、鉄道、エネルギー、石油などの利権を持つ江沢民一派への対抗です。 習近平氏は、すでに鉄道利権についてはメスを入れて、1兆円規模の汚職を明らかにしました。そこから、さらに石油利権も引き剥がしにかかっているのでしょう。汚職の規模は大きなものでしょうから、上手く国民に伝えることができれば、支持を得られると思いますが、気をつけなければいけないのは、返す刀で自らも切られるリスクがあるということです。習近平氏にしても、李克強氏にしても、誰もが脛に傷がある存在です。推進するのなら、迅速に行うことが重要だと思います。薄熙来氏も、胡錦濤氏なども情報源としていち早く抑えられたのだと私は見ています。ここから先は、それほど時間的な猶予はないでしょう。▼ 蒸留酒が数十万円の値段になること自体に問題がある。銀基集団控股が2日発表した、2013年4~9月期決算の最終赤字は7億7141万香港ドル(約102億円)と前年同期の1億7708万香港ドルの4倍強に膨みました。習近平国家主席の倹約令の影響で、高額の白酒の需要が激減していることが響いたということです。スイスの高級時計と白酒に倹約令の影響が出ているということですが、私に言わせれば、白酒は、蒸留酒と言ってもエチルアルコールであり、豪勢な箱に入れても数十万円という値段になっていること自体、不思議に思います。それほど、大騒ぎするほどのことはないでしょう。(2013年12月13日「大前研一メール」記事参照)更なる驚きの事実は2013年12月13日、北朝鮮の事実上のNO.2だった張成沢(チャン・ソンテク)氏がすでに処刑されていた、とのことです。金正恩の叔父さんで、故・金正日総書記の妹・金慶喜(キム・ギョンヒ・病気療養中)の旦那です。故・張氏は、北朝鮮で唯一、「民主主義的経済成長を理解していた男」と言われています。事実上、北朝鮮は、中国の小平氏がやったような改革開放経済政策をやらねば国としてもたない、といいます。まあ、くだらん独裁者に誰かがストップをかけねばならない。だが、それは民衆蜂起では有り得ない。外国からの爆撃・兵糧攻め・経済制裁で、しかない。[ソウル 2013年12月3日 ロイター] - 韓国の議員は3日、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の叔父である張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長が失脚したもようだと明らかにした。韓国のJung Cheong-rae議員が国家情報院(NIS)当局者の話として伝えたところによると、張成沢氏は、国防委員会副委員長および労働党部長ポストを解任された。また、張成沢氏の側近2人は、汚職の罪で処刑された。張氏は現政権の最高実力者の一人とみられ、金第1書記の事実上の後見役とされる人物。故金正日総書記の実妹、金慶喜(キム・ギョンヒ)氏の夫でもある。専門家は、正恩第1書記の承認なしでは張氏の失脚はあり得ないと指摘しており、張氏の解任により、第1書記がより若い側近を従え、自身の権力基盤を固める可能性がある。韓国議会の情報委員会メンバーは会見で、張氏の側近2人が汚職の罪で公開処刑されたことをNISが確認したと述べた。その上で「NISによると、側近の処刑後、張氏の消息は確認されておらず、失職したと見られている」と述べた。北朝鮮指導部の情報に詳しい東国大学(ソウル)のKoh Yu-hwan氏は「張氏は、金正恩第1書記が権力体制を固める上でいずれは解任しなければならない人物」と指摘した。金正日総書記の死後、第1書記への権力移行で中心的な役割を果たした張氏が失職したことで、第1書記を取り巻く側近らの勢力図が塗り変わる可能性もある。だが専門家は、第1書記の権力が揺らぐ公算は小さいと分析している。また張氏は経済改革推進派とされており、同氏の失脚が北朝鮮経済にどのような影響を与えるのかも注目される。英王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)のシニアフェロー、ジョン・スウェンソン・ライト氏は「北朝鮮の現指導部内で、張氏は経済改革の旗振り役とみられていた。そのため改革に近い人物を失うことにはリスクが伴う」との見方を示した。張氏の失脚がもう1人の側近、崔竜海(チェ・リョンヘ)軍総政治局長に優位に働くとの見方も出ている。崔氏は公の場で金正恩第1書記に同行している実力者で、張氏失脚は軍部にとり象徴的な勝利とも言えそうだ。また最近の日韓関係は、もはや修繕不可能な程憎悪の炎が広がっています。韓国人が日本国に腹を立てて、あるいは嘲る理由は「従軍慰安婦問題」を教科書にまで載せて国民を洗脳しているからです。私は「侵略戦争」「従軍慰安婦」はあったと思っている人間です。だから、国際法上確実に日本軍部に被害があったと認定された被害者の皆様には日本国として謝罪と賠償金を支払うとお約束しているのです。ですが、韓国の良識ある人々は日本人と交流したいと思っている筈です。米国のオバマ大統領は歴史認識で安倍政権に問題があると考えています。だが、パク・クネ韓国大統領のことは無視し、東南アジア諸国も韓国の「慰安婦「告げ口」外交」に辟易しているとききます。東南アジアは韓国から商品を購入しているが、韓国製品の性能の悪さに反感まで抱いている。また関係ない事かも知れませんが、韓国人の男女のほとんどは美容整形をしていて「親と子供の顔が全然違う」が当たり前だそうですね。だが、日韓関係をインド・パキスタンのような関係にしてはなりません。例えば、同じく日本の統治下にあった台湾は、日本人技術者による農水事業などで、日本の貢献に感謝し、極めて親日的です。占領には当然デメリットもあった筈だが、「やはり日本の統治があったから近代化できた」と評価しています。そんな台湾の方が韓国よりも「正しい歴史認識」を持っていると私は思います。韓国の財界人第一世代のトップたちは、例外なく、日本の貢献をまっとうに評価し、日本語を話し、日本の大学を卒業した人も多いのです。息子らにも日本語を話させ日本語や日本文化・世界一の日本の技術を学ばせているのです。韓国のスマホもテレビも日本の技術から出来ています。そして「日本メーカーと戦うと負ける」と自覚しています。軍事力についても在韓米軍は陸軍が2万人程度で、海軍、海兵隊はなく、北朝鮮軍にさえ韓国軍は勝てないのです。有事のときは、米空軍は日本の嘉手納(かでな)基地から、海兵隊は沖縄と岩国から、さらに海軍は横須賀・佐世保から韓国に向かうことになるのです。「韓国はもっとも日本に影響を受けながら、もっとも日本を馬鹿にし、悪口を言っている」。だが、時代は変わった。千年などといわず日韓でちゃんと話し合いましょう。尖閣諸島、竹島は私は「フリーズ状態」にする。まずは同じアジアの同胞として、日本と中国・韓国の皆さんとウインウインな関係を共に築きましょう!また張成沢の失脚が事実なら「金正恩独裁体制の終焉」のはじまりでもあります。くだらん独裁には天誅をくだす必要がありますね。日韓全面協力で18年冬季五輪・平昌(ピョンチャン)、20年夏季五輪・東京でだそうです。感情的になっては負けだが、つまり「お金と技術をくれ」ということですね?決定直前まで東京五輪を妨害していた韓国…。本当に大丈夫なのですか?まあ、感情論や憎悪は駄目。彼を知り己を知れば百戦危うからず。2013年7月29日「朝鮮戦争休戦60周年大軍事パレード」が、北朝鮮平壌で行われた。パレードにはスカッドミサイルに農業用トラクターが運搬するミサイル、80年代密輸したヘリ等登場。金正恩や中国の李源潮国家副主席が拝謁した。李氏がジョークを言ったのか金正恩が爆笑する場面もあった。北朝鮮に関しては、核ミサイル保有以外は脅威ではない。改めて朝鮮半島の非核化を望む。またキューバからの輸送船がパナマで検閲にあい、砂糖袋に隠れたミサイルやミグ戦闘機などが発見された事件で、キューバ側が「北朝鮮に修理してもらう予定」であると主張。北朝鮮も認めました。悪辣な国ですよね。2013年6月27日、中韓首脳会議が北京で行われパク・クネ韓国大統領と習近平中国国家主席が「北朝鮮核容認せず」「年内6か国協議開催」で合意した。2013年6月1日、日本の小野寺五典(いつのり)防衛大臣と、米国ヘーゲル国防大臣、韓国の金寛鎮(キム・グァンジン)国防大臣が会談し「北朝鮮抑圧」で一致した。これはいいことである「対話」と「圧力」ならこういうのがいい。「太陽政策」だの只の阿呆だ。2013年5月14日から小泉政権で秘書官であった飯島勲氏(第二次安倍内閣内閣参与)が、何を考えているのか?北朝鮮を電撃訪問した。横田めぐみさんのご両親たちなど「拉致被害者家族」は「何か(拉致問題が)動くかも知れない」と期待していたが、私から言わせれば「飯島氏は阿呆か?」ということだ。北朝鮮は「テロ国家」であり「核開発」「ミサイル開発」「拉致」もテロリスト北朝鮮人たちがやったことだ。昔、金大中大統領(当時)が「太陽政策」等とかで北朝鮮に援助した。だが、裏目にでて「テロ国家」の野望を増長させただけだった。飯島氏はどう考えても戦略があって訪朝したとは思えない。所詮「(援助資金や食糧などの)物乞い」をされただけだ。もし、拉致問題や北朝鮮の脅威を解決したかったら、最大の北の支援国・中国に「ODA全廃」「円借款早期返済」などで圧力をかけて、中国からの北のライフラインを遮断し、「兵糧攻め」にする。その際「北朝鮮の悪辣ぶり」をプロパガンダするのを忘れてはならない。中国に、北政権崩壊後の北からの大勢の難民処理資金を援助するから、中国は得意の人海戦術をしてくれ、といえばいい。戦略なきところに解決はない。彼を知り己を知れば百戦して危うからず、だ。まずは隗より始めよ。最近北朝鮮の瀬戸際外交が目立ちますね。だが、北朝鮮はミサイルを撤去したという。しかし北朝鮮の金正恩は「ソウルや東京を火の海にしてやる」と、いささかクレイジーなまでに緊張状態を作り出しています。詳しいことは後述します。では「北朝鮮のミサイル」とはどういう種類があるのか学んでいきましょう。まずは「スカッドミサイル(短距離弾道弾ミサイル・全長10.9m射程距離300kmから500km韓国全土が射程距離・旧・東ドイツのナチスのV2号ミサイルの改良版)」「ノドンミサイル(準中距離弾道ミサイル・全長16.2m射程距離1300km・日本全土が粗射程圏内)」「ムスダン(中距離弾道ミサイル・全長12から16m射程距離4000km・グアムまで射程圏内今回撃とうとしているミサイル)」「テポドン2号(大陸弾道弾ミサイル・全長30m・射程距離13000km・アメリカ本土に届く可能性あり)」等です。ちなみにミサイル名は北朝鮮が命名したのではなく、米国の偵察衛星が発見した北朝鮮ミサイルの発見場所の地名が「テポドン」であり「舞水端里(ムスダンリ)」だったから米国が命名したのです。北では火星だの金星だのと呼んでいるとかいないとか。またここでは北朝鮮の過去のミサイル発射恫喝の歴史を学びましょう。「1993年5月29日・ノドンミサイル・日本海に向けて実験発射」「1998年8月31日・テポドン1号ミサイル・日本海を越えて太平洋側に落下」「2006年7月5日・テポドン2号ミサイル・日本海に向けてノドン、スカッドら複数発射」「2009年4月5日・テポドン2号ミサイル・「人工衛星打ち上げ」と発表」「2012年4月13日・テポドン2号ミサイル・事前通報あり・衛星打ち上げ後空中分解」「2012年12月12日・テポドン2号ミサイル・事前通報あり・北朝鮮「人工衛星」打ち上げ」ですね。で、2013年なのですが「事前通報なし」「朝鮮戦争休戦協定白紙宣言」「開城(ケソン)工業団地の操業停止(韓国の中小企業123社が進出、北朝鮮労働者5万3000人・年間売上4億7000万ドル(457億円・北損失年7000万ドル))」と益々クレイジーさを見せています。何故「瀬戸際外交か?」は後述しますが「食糧難」と「国威発動」「花火」「物乞い恫喝外交」です。実は米韓合同演習は毎年やっているのですが2013年3月11日から3月23日まで「キー・リゾルヴ(米兵3500人韓国兵1万人・指揮系統の演習)」でB2ステルス機を米軍は動員したのです。レーダーに映りにくく核弾頭7個つめるものです。また2013年3月1日から2013年4月30日まで「フォール・イーグル(米兵1万人韓国兵20万人・野戦演習)」もやっています。ちなみに日本や韓国やグアムにミサイルを撃ち込むか?ですがそんな馬鹿なことはしないし、出来ないという真実があります。北朝鮮は米軍との戦争に勝てないことくらい解っているはずです(正恩小僧が理解しているかは不明)。ちなみにエムネットとJアラートですが「日本にミサイルが発射された6分か7分後に自治体や落下地域に危険地を自動送信」するシステムです。核ミサイルで「火の海」にしてやる、だのいっていますがあり得ない事であると思ってください。グアムや東京やソウルを本当に核攻撃したら、米軍が北朝鮮に報復し、北朝鮮は「全土が火の海」になります。それにしても北朝鮮はギネス記録級の長期独裁国家です。1948年から金日成国家主席が46年間、1994年からは金正日総書記が17年、2012年からは金正恩第一書記が独裁です。金正日は死ぬ前に遺訓というか遺言を残しました。「核と長距離ミサイル、生化学兵器を絶えず発展させることが朝鮮半島の平和を維持する道」「アメリカとの心理的対決(戦争したら負けるから)に必ず勝つこと」です。まあ、クリントンやブッシュ時代に「食糧援助」という甘い蜜を吸っていて恫喝すれば「食糧援助」「米国との平和条約」が成ると思って瀬戸際外交をやっている訳です。北は「アメリカの核による脅威には無慈悲な核攻撃で答える」「発射すれば敵の牙城がすべて火の海になる」と恫喝します。が、過去何回も「無慈悲な攻撃」「火の海にしてやる」と同じ恫喝をしています。脅しに屈しない事こそ大事です。まあ、開城事件で韓国株や韓国への観光客が激減し、パク・クネ大統領は「対話もあり得る」と弱気になっています。しっかりしてくださいパクさん!また北朝鮮には「春窮期(しゅんきゅうき)」という飢餓状態が毎年あります。国内の農業政策が大失敗して、国内で木をすべて伐採し、禿山に段々畑をつくったため雨季に川が氾濫したりして食糧難になります。ですが、核実験や軍備拡張分のお金を食糧危機にあててれば、北朝鮮国民の50年分の食糧が買えるのです。「飢餓状態」=「可哀想、食糧援助を…」という単純なことではありません。正恩坊やはロシアや中国にもいかないくせにMBAの選手とは会談したりして、これまたクレイジーなのです。が、実権は叔母さん(キム・ギョンヒ(金慶喜・正日の妹))叔父さん(ギョンヒの旦那の張成沢、チャン・ソンテク)が握っているといわれています。食糧危機は自業自得であり、我々日本には「拉致問題」などもある事をユメユメ忘れる事ないように、ということですね。戦略的に動くしか北朝鮮問題は解決できない。それを忘れるな、ですね。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)が朝鮮戦争の休戦調停を一方的に破棄し、戦争状態、を発令し、長距離弾道弾ミサイルの発射準備をしていることがわかりました。米軍はグアムに迎撃ミサイルTHAADを配置、日本の三沢基地や岩国基地・沖縄等も標準ということで「また瀬戸際外交かよ」という状況ではなくなった。正恩にしてみたら経済も政治も停滞悪化して飢餓まででているのでアメリカ・韓国・日本などをスケープゴートにしてやるしかない訳です。本当にミサイルを発射したら戦争になるので小僧には出来まい。だから、今のうちに日本政府は中国にいって、円借款早期返済やODA全廃で中国を脅してでも(勿論北朝鮮の極悪非道ぶりをプロパガンダし)支援国や中国からの北朝鮮へのエネルギー食糧援助等全部をストップさせ、北を「兵糧攻め」にするのだ。核ミサイルを保有してからでは遅い。もっと戦略みせろよ安倍内閣・自民党政府!日経新聞は2013年3月24日、「ウルグアイ・ラウンドではコメ部分開放、対策費6兆円超」と題する記事を掲載しました。1989年から1994年の関税貿易一般協定・多角的貿易交渉(ガット・ウルグアイ・ラウンド)の際、農業対策に8年間で6兆円超の予算が投じられたものの農業の大幅な競争力強化につながらなかったと指摘。大前氏に言わせれば日本はコメ・農業の影響について騒ぎ過ぎだといいます。2013年で1周年の米韓FTA(自由貿易協定)では関税の引き下げの恩恵を受けた工業品が米国で伸びる一方、農業の影響は限定的です。これは日本のかつてのピーナッツ、さくらんぼ、牛肉、オレンジとかと同じです。千葉県のピーナッツ、山形県のさくらんぼなどは米国から輸入品が入ってきて、むしろ値段が高くなったほどです。コメも市場開放すればいい。きっと日本人はおいしくて品質のいい安全な日本のコメを買うでしょう。騒いでいる農家や農協は「お金が欲しい」だけです。また米国車が売れないのは高い関税が問題なのではありません。欧州車も同じですが品質が悪く、燃費が悪く、競争力のない自動車が日本人にうけていないだけなのです。むしろ米国は日本車が関税ゼロで米国市場に入ってくればGM・フォード・クライスラーが潰れる可能性が大なので「(日本のコメのように(笑))聖域」にする事も十分考えられるのです。
2013年2月25日韓国女性初大統領・朴欋恵(パク・クネ)氏が誕生しました。女史は故・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領(60年代から70年代)の実の娘で、母親は父親の命を狙った凶弾で死亡するなど苦労人です。朴正煕大統領も諜報機関の幹部に暗殺されています。経済独裁を敷いた朴正煕大統領の影をどこまで消せるか?女性初の大統領は日韓関係や竹島問題をどうするか?見ものですよね。ですが氏は父親を意識してか、「第二の漢江(ハンガン)の奇跡」を!という。「漢江の奇跡」とは故・朴正煕大統領時代にソウルの一部分だけでおこった経済発展の事をさすが、どうも言葉遊びに終始している感じは否めない。また日韓の歴史認識に関しても「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変えることは出来ない」といいます。全くお話にならない低レベルな次元の見解です。そんなことをいうならフランスとドイツは加害者と被害者を何度も入れ替えながら歴史を刻んでいます。カリフォルニアを奪われたメキシコは今でも米国を恨んでいるのか?氏の演説を聞いても「このひととなら仕事が出来る」というところがひとつもない。まるでコラソン・アキノ女史です。今の韓国の日本に対する反応はあまりにも子供じみています。パクさんとは一緒にビジネスが出来るとは私はとても思えない。残念な人です。
日本政府は、2013年2月12日正午前、気象庁が北朝鮮北東部で地震とは異なる特異な振動の発生を観測したことを受け、北朝鮮が核実験を行った可能性が高いと判断し、安倍総理大臣が、安全保障会議で、国際社会と連携して日本独自の制裁も含めあらゆる手段で対応するよう指示しました。兵糧攻めを進言して今日に至る。では何故に北朝鮮はミサイルや核兵器に拘るのか?当たり前ながら「アメリカ」を交渉のテーブルにつかせる為だ。日本や韓国や台湾には届くミサイル(ノドン)がある。しかし、アメリカのアラスカやカリフォルニアに届かなければ米国からみれば「極東の半島で馬鹿が独裁やっているだけ」でしかない。また核兵器の小型化(核弾頭)もしなければ米国は交渉のテーブルにつかない。米国人にとって韓国人・日本人の命など所詮意味がない。北が日本や韓国にミサイル攻撃しても、在日米人の命は心配しても、たいした意味はない。それが地政学というものだ。米国本土に届かねば関係ない。同じように中国は北朝鮮みたいな「テロ国家」等嫌悪の対照でしかない。北に兵糧攻めして独裁政権が崩壊したら、中国国境に難民が大量にやってくるから北朝鮮を宥めているだけ。北への親近感どころか嫌悪の2文字でしかない。だからこそなのだ。中国にODA全廃や円借款早期返却等で圧力をかけ北朝鮮を「兵糧攻め」にする。その際、中国には「北朝鮮のメルトダウン後の処理費用を日本が出す。その代り中国は人を出してお得意の人海戦術をしてくれ」といえばいい。中国からのエネルギー供給がなければ北は1か月で干上がるという。これは正しいやり方である。テロリストには死を!これが戦略だ。2012年12月12日、金正日死去1周年に北朝鮮が「衛星(ミサイル)」を打ち上げた。北朝鮮が事実上の弾道弾ミサイルを午前9時49分頃発射した。何故北朝鮮は大陸間弾道ミサイルに拘るのか?アメリカを対話のテーブルにつかせる為だ。日本や韓国、台湾に届いてもアラスカ・カルフォルニアに届かないなら米国にとっては「極東の半島で馬鹿が独裁」やっているだけ。すべては米国アピールだ。次期総理・安倍晋三氏はCIAの分析では「頭も体も心も弱い」となっている。彼らの「6年経って安倍は変わったか?」のリトマスが「北朝鮮のミサイル発射情報リーク」であった。結果は呆気なくおわった。反応は「無」だった。「大変遺憾に思う」といえば米国側は言葉の裏にある意味を感じ取った筈だ。北朝鮮のロケットは無事に地球軌道に何か(笑)を乗せたようだ。韓国沖に落下した北朝鮮ロケットの1段目が韓国で引き上げられ酸化剤(宇宙で酸素がないところで燃やす為に酸素を混ぜた毒性の強いロケットエンジン燃料)が確認されました。韓国のロケットの歴史は2009年失敗、2010年失敗、2012年発射延期とダメダメです。人工衛星の技術はあるのですが北朝鮮なんかに先を越されて屈辱でしょうね。2012年11月25日韓国大統領選挙が公示され、与党セヌリ党から朴正煕元大統領の娘で女性党首の朴䔈恵(パク・クネ)氏と最大野党民主統合党の文在寅(ムン・ジェイン)氏が立候補となりました。そして2012年12月19日、初の女性大統領・朴さんが圧勝しました。次期韓国大統領は朴女史です。2012年11月15日は北朝鮮工作員に横田めぐみさんが、1977年11月15日に、新潟県から北朝鮮に拉致(当時16歳女子中学生)されてから35年目になりました。父親の滋さんらも80代になりました。しかし、女子中学生の子供を拉致して、35年経過しても返さないとはさすがは「地上の地獄・北朝鮮」だ。ムカムカする。大変に遺憾である。金正恩第一書記の夫人・李雪主(リ・ソルジュ)が妊娠しているのではないか?と話題になっている。まあ、その子が世襲で北朝鮮を背負う訳ではなく「北朝鮮崩壊」はすぐだ。故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の実妹の金慶喜(キム・ギョンヒ)女史が病気であるのではないか?と話題になっている。しばらく公の場に姿が見えないからだという。金女史は甥っ子の金正恩のサポート役であり、病死すれば金正恩体制には大ダメージだ。日朝平壌宣言から10年経過しました。2012年10月15日に拉致被害者5人が帰国して10年になります。が、拉致問題は何一つ解決していません。日本の外交戦略不足が主な原因と言えるでしょう。玄葉だの町村だの田中真紀子だの馬鹿ばっかり。また韓国最大野党・民主統合党は、2012年12月19日の韓国大統領選挙候補に、故・盧武鉉(ノムヒョン)元・大統領の側近であった文在寅(ムン・ジェイン)氏(69)を選出しました。韓国公営企業は純資産価値約14兆円で、韓国国債価格引き上げになった。韓国の公営企業は、資産から負債を差し引いた純資産が1777億ドル(約14兆円)で、経済協力開発機構(OECD)加盟国28か国で最大となった。一方で、韓国の公営企業は負債が483兆5000億ウォン(約32兆円)にまで膨れ上がったという。海外各付け会社は韓国経済のリスク要因と警告している。14兆円は大きなリスクだ。日本の公営企業は全部足してもマイナス。韓国は、ガス、石炭、石油、電力、国際空港、道路、水資源など多くが独占権を与え、税負担を少なくしている。両国の違いですね。欧州の各付け会社は韓国の各付けを「A-」から「AA-」に格上げした。だが、韓国企業が98年の国家破綻からこんなに回復するとは誰も予想しなかったでしょうね。日本も経済はよくないリスクはあるものの日本国債の価値は高い。両国とも失業率は高く各付けはあまり高くない。日本・韓国ともリスクは併在する。韓国人は手放しで喜ぶ前によく考えることだ。日本の民主党政府は韓国の李明博大統領が野田首相の親書を拒絶して送り返してきた問題で「返送に拒否」という姿勢を貫く、と宣言した。野田首相や無能外相・玄葉光一郎氏は「エキサイトともヒステリーとも違うのになんでかなあ。普通一国の首脳の親書を読みもしないで返却するなどあり得ないのになあ」と首をひねっている。何故わからないのだろう?相手が実効支配して韓国の反日の連中に煽られている李明博韓国大統領が、虚勢を張り、もはや反日姿勢を曲げられぬことを。従軍慰安婦の問題解決とかもっとやるべきことがある。だから玄葉氏は無能だというのだ。李明博韓国大統領が島根県の竹島に上陸した。現職大統領としては初で、これを受けて野田佳彦首相は「極めて遺憾。日本政府として毅然とした対応をとる」と述べ演説した。島根県と韓国の同じような距離に竹島がある。島根から約211キロ、韓国から約215キロだ。竹島は主に西島(男島)と東島(女島)の二つで北西に約157キロに隠岐島諸島、北西約92キロにウルルン島(鬱陵島)がある。1618年(1625年説もあり)島根藩の町民が藩の許可を得て、アワビなどを獲っていたらしい。だが、一方で朝鮮民、アイヌ民族、大和民、満州民など漁業をこの海域で昔していたらしく、「かつての歴史では…」というロジックはあまり意味がない。だが、竹島は江戸時代から日本の領土であり、1905年(明治38年)には島根県が竹島を島根県に「編入」している。韓国側としては「朝鮮併合前夜で文句が言えなかったのだ」というエクスキューズもある。その言い訳もわかるが、竹島が明白に日本領土になった瞬間だ。戦後になって日本を実効支配していた米国軍が「竹島を爆撃訓練場」に選んだのも「日本領土」という認識があったからだ。個人的には「只の岩の島」の認識の竹島だが、韓国初代大統領・李済晩(イ・スンマン)が一方的に「李済晩ライン(竹島周辺に石油や天然資源があるとわかり)」を1953年と主張し「実効支配」が確定的になった。だが、日本側が口先だけで文句を言っても「負け犬の遠吠え」でしかない。「武力で実効支配」した側の勝ちだ。しかしだからって自衛隊では戦えない。まあ、「時代」を読め。韓国与党セヌリ党女性初大統領候補に朴攈恵(パク・クネ)氏(朴正煕元大統領(1917~1979)の長女)が選出された。2012年8月10日韓国の李明博大統領が竹島(韓国名・独島(ドクト))に上陸しました。だが、韓国国内は冷めた目で「実績つくりに走った」という。日本側は大反発しましたが無能外相や政治家・外務官僚になにもできる訳もない。所詮は無戦略国家だ。抗議の遺憾の意(笑)をおくっておわり。こんなんじゃ拉致被害者奪還も北朝鮮独裁国家崩壊も無理である。学歴エリートになにができよう。凡庸に「竹島問題を国際司法裁判所(ICJ)に提訴」だという。無茶なやり方だ。何で戦略的に動けないかなあ。金正恩に同行している美貌の女性が李雪主(リ・ソルジュ)という名前の夫人であることがわかりました。李氏は一般家庭出身の元・歌手であり、元・喜び組です。金正恩の最側近の李英鐫(リ・ヨンホ)が解任、事実上の失脚です。北は病気で…と発表しているがそんな馬鹿なことはない。韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の弟の李相得(イ・サンドン)前国会議員(76)が政治資金違法で2012年7月11日逮捕された。しかし、韓国の大統領は1期だけの制度なので現大統領には影響がないとみられる。金正日総書記(2011年12月死亡)はプルトニュウム核兵器だけでなく、ウラン核兵器開発も指示していた事実が明らかになりました。それは息子の金正恩に受け継がれている模様です。恐ろしい国ですね。韓国政府は北朝鮮の核開発費は5260億ドルで、これは飢餓状態の北国民の50年分の食糧費だという。施設建設費13億ドル、施設稼働費27億ドルなどです。また金正恩第一書記は、金正日時代に粛清された6幹部を取り消すという。これは正恩主導体制みたいだが、軍や党ら裏方が決めたものだ。狙いは「慈悲深い金正恩第一書記」のプロパガンダでしかない。2012年4月13日ミサイル「発射失敗」です。2012年4月15日は金日成生誕100周年・金正日生誕70年でして金正恩の肉声(官僚の作文の棒読み)がきけましたね。また核実験をやるのでしょう。こうなると日本版NSC(国家安全保障局)が是非必要になります。国家戦略局みたいな看板倒れにならねばね(笑)。日本の田中直紀防衛大臣は13日、北朝鮮が「人工衛星」と主張する長距離弾道ミサイル発射対応で、藤村修官房長官に情報を伝えようとして電話がつながらなかったそうですね。おそらく北朝鮮はほくそ笑んでることでしょう。日本に配備したPAC-3(パックスリー)迎撃ミサイルやイージス艦がどうかなあ、と考えていたら「電話が三回もつながらず、知らない間にミサイルは韓国沖に空中分解して落ちてた」ですから。不幸中の幸いはミサイル発射が失敗して空中分解して韓国沖に四散したこと。沖縄石垣上空で空中分解しなかったこと、だ。Jアラートも情報もなく、失敗後に韓国からきいて、160分後に事後報告。この日本の防衛力って悪い意味で「ヤバイ」ですね。北は暴走するが、どこを狙うか?中国は味方、ロシアには手が出せない、韓国とは犬猿の仲だが韓国には反撃用のミサイルがたくさんある。日本に届くノドンミサイルは1000発程度ある。日本がもっとも「防衛的に間抜け」で狙いやすい。もうこれは北への兵糧攻めだ。話してわかる相手ではない。2012年4月11日に金正恩が総書記になる予定でした。が、故・金正日が「永遠の総書記」として党第一書記になりましたね。ある日本の週刊誌で「金正恩(キム・ジョンウン)は只のお人形さんだ」という記事がありました。専門家の私も同じ意見です。正恩は只のパペット(操り人形)です。では誰らが操っているのか?「北朝鮮棺七銃士」です。最高会議議長(序列9位)崔泰福(チェ・テボク)、朝鮮労働党書記(序列8位)金己男(キム・ギョナム)、国防委員会副委員長(序列19位)張成沢(チャン・ソンテク、正恩の親戚)、国家安全保障担当第一副委員(序列25位)兎東則(ウ・トンチョク)、朝鮮人民軍総政治局第一副局長(序列24位)金正角(キム・ギョルガク)、朝鮮人民武力相(序列5位)金永春(キム・ヨンジュン)、朝鮮人民軍総参謀議長(序列4位)李英鐫(リ・ヨンホ)、総政治局(序列不明)崔竜海(チェ・リョンへ)、金正日の妹・張成沢の妻(序列不明)金慶喜(キム・ギョンヒ)らです。北朝鮮はこれまで2006年に日本海に向けミサイルを発射、2009年には岩手沖までのミサイルを発射しています。今度は東倉里(トンチャンリ)から1700m級の弾道ミサイル(北は人工衛星というが)を撃ち失敗して海に四散しました。これは国連決議1874号にあきらかに違反しています。そもそもアメリカは北に舐められ過ぎです。ミサイルの件で「食糧援助を凍結」しました。が、米国はもっと前にスパイ衛星でわかっていた筈です。拉致問題も暗中模索状態です。なんだかな。G8外相会議で日本政府は「北朝鮮の弾道ミサイル(人工衛星)の打ち上げ非難声明」を主要各国に要請した。だが、ミサイル発射を失敗した。2012年4月11日、第4回朝鮮労働党代表者会議で金正恩が党のトップに就任しました。故・金日成から故・金正日への権力移行が4年間なのにわずか4か月で「党第一書記(事実上の最高権力者)」になった訳です。また北朝鮮の弾道ミサイル発射(北は人工衛星)といっているが、発射を失敗している。北朝鮮の金正恩は何の手柄もないからと功を焦っている。ちなみに日本の自衛隊はイージス艦を4隻ミサイルの軌道である沖縄や南シナ海に展開、地上からの迎撃用のPAC-3も沖縄や石垣島に展開していた。だが、MD(ミサイル・ディフエンス)は拳銃の弾丸を拳銃の弾丸で迎撃するようなものだ。1度MD実験に成功した、と言えば聞こえがいいが迎撃用のミサイルの軌道のデータを細かく入力したから迎撃できたのだ。大事なのは迎撃がどうか?ではなく外交で痛い目をあわせ「瀬戸際外交」をやらせないことだ。支援国・中国に円借款早期返還やODA全廃で圧力をかけ、世界に北の悪事を知らしめ「兵糧攻め」だ。もっと日本人には策士になってほしいものだ。まずは隗より始めよ。
また北朝鮮の故・金正日の三男・金正恩がご乱心でした。父親の模倣でミサイル発射指示の「瀬戸際外交」でした。だが、彼は馬鹿ですね。もう同盟国の中国の胡錦濤・温家宝も習近平も「また瀬戸際外交かよ。勘弁してくれ」ととほほな本音が理解できない。こんな国、核ミサイルさえなければこの地球上にいらない国です。我々の正常な常識でみれば「極東の半島で阿呆が独裁やっているだけ」。ミサイル発射だの核開発でのまるで赤子が母親の乳欲しさに泣いているようにしか感じない。こんな国いらない。世界もこんなくだらぬ国いらないと思っている。中国だって支持してる訳ではなく体制崩壊後の難民流入を恐れているだけ。そんなこともわからぬ金正恩は「間抜け将軍」だ。暗殺までカウントダウンがもう始まっている。独裁ももうすぐおわる。韓国総選挙も保守が勝利、北はミサイル発射失敗でダメダメです。くだらない瀬戸際外交は暗殺へのカウントダウンにリンクするだけですよ。なんでわからんかなあ。金正恩がクーデターを警戒して「懐に刀や銃をもつものを処理(殺害)せよ」と命令を出していることがわかりました。まあ、どっちみち暗殺されますね。2011年12月に極東のヒトラー金正日総書記(享年69)が死んだ。後継は三男の正恩になったが今こそテロ国家・北朝鮮崩壊と拉致被害者奪還のチャンスである。まずアメリカにいき在日米軍空母などを日本海に展開させ「威嚇」してもらう。そして中国にいき「北朝鮮の悪」を万人に知らしめて「北崩壊後の難民の費用を出す」と約束するのだ。そのうえで「北朝鮮への兵糧攻め」だ。もし中国が渋ったら「円借款早期返還」「ODA全廃」で脅せばいい。金正恩や張成沢らが次のカードを切る前にやれ。少なくとも金正日に弔辞など送るなよ。これがすなわち「外交戦略」である。チャンスは今しかない。官僚の作文棒読みの玄葉外相しっかりしろ!金正日(キムジョンイル)総書記が2011年12月17日「急病」により死亡しました。享年69歳だという。独裁者の死は明るい話題だ。現地指導中に急病で死んだらしい。後釜の金正哲・金正男・金正恩には何の力もない。北朝鮮は今後瓦解するだろう。まずは吉報でありがたい。死んだぞ(笑)。これから日本側がやらなければならないのは「兵糧攻め」だ。支援国・中国に「円借款早期返却」「ODA全廃」などで圧力をかけて北朝鮮支援ルートを断つ。と、同時に在日米軍艦隊を日本海に展開させ威嚇する。そうすることで「北軍部クーデター」を狙うのだ。そして北崩壊後「最大限の復興資金」を貸しつければいい。敵を知り己を知らば百戦危うからず、だ。