緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

スピーチの基礎『大勢の前でのスピーチ』飴をなめる+自己暗示リ・プログラム

2015年10月31日 17時58分47秒 | 日記






大勢の観衆の前でのスピーチって緊張しますよね。


そこで緊張を解消するにはまず飴を舐める、


そして人前=緊張、といった自分の脳にプログラミングされたシステムを


リ・プログラムすること。


つまり、自己暗示で緊張状態を脱するのです。


誰でも出来るスピーチのまずは第一歩。皆さん頑張りましょう!臥竜




緑川鷲羽そして始まりの2015年あるいは2016年へ!臥竜

諸葛孔明 蒼天の臥竜天才軍師諸葛亮孔明<三国志外伝>ブログ連載小説4

2015年10月31日 07時46分55秒 | 日記







         4 周揄






             
  名将として名高い呉の周揄将軍が馬で城にもどってきた。
 周揄将軍は孔明と同じ年くらいで、痩せていて、彫りの深い顔たちのハンサムな男だった。しかも、頭脳明晰である。だが、諸葛孔明のような天才の足元にも及ばない。
 が、そんな周揄でも、呉の人々は支持していて、将軍が帰参したと知ると、皆が喜んだ。かれは呉の英雄であった。
 周揄はひさしぶりに妻に会い、うれしさのあまり琴を弾いた。かれの妻は二喬といい、才媛で美貌の女性だった。
「……あなた……いつもと違う様子」妻は周揄にいった。
 周揄は「魏を恐れて人々は保身に走っている。なんともなげかわしい」と嘆いた。
「わたしにはあなたがいます。愛してますわ、あなた」
「私もだ」周揄は琴を弾く手をとめ、笑顔を見せた。「そなたを愛しておるぞ」
 それからふたりは酒を呑みあった。
「孔明さまにはあわれないのですか?」妻は尋ねた。
「いや。会わぬ。孔明は弁術だけの男………何かたくらみがあるのやも知れぬ」
 周揄は孔明にライバル心を抱いていた。諸葛孔明など……この周揄の敵ではないわ!
  櫓粛の策に、周揄は反対した。
「魏は百万……主君・孫権殿の軍は数万人、和睦が最善であろう」
 周揄はいった。櫓粛は周揄に失望した。
「なにが名将か? 周揄は匹夫の勇じゃ」櫓粛はひとりで激怒した。孔明はわらった。
  翌日、孔明と周揄は会見した。
 孔明は羽扇を揺らしながら、
「戦わずして魏を追い返せばよい」といった。
 周揄は唖然とした。「どうやって?」
「魏の曹操は色情の男、遊郭もつくった。女に目がない。天下の美女を集めている」
 周揄は息をのんだ。その拍子に喉仏が上下した。
 孔明は続けた。「美女を集め、快楽にひたっている。呉にせまったのも美女をあさるためである。呉に喬氏に大喬、小喬の美人姉妹がおると聞き、呉に迫ってきたのです」
 周揄の血管に怒りの波が駆けめぐった。なんとうことだ!
 孔明は続けた。「和睦のために二喬を差し出してはいかがか?」
 たえきれなくなって櫓粛はおどおどいった。
「その二喬とは周揄さまの奥方です」
 孔明ははっとした演技をした。孔明は知っていた。すべて計算ずくのことであったのである。周揄は怒りで顔を真っ赤にし、「曹操め!」と怒鳴った。
 ……よくもわが妻をてごめにしようとしたな!

  周揄は鎧を着た。決意は固まった。魏と対決するのだ。かれは呉に号令を発した。周揄は完全に反曹操となった。
 呉の君主・孫権も決意を固めた。魏と対決するのだ!
 孔明は周揄にいった。
「剣印が必要です」
 周揄は不思議な顔をした。「剣印……?」
「呉公には不安があります」
「先生の策では?」
 孔明は不敵に微笑んだ。「曹操の軍は百万といえど、ほとんどが投降兵です。魏をやぶるには五万の兵で十分です」
 孔明は続けた。「孫権殿、周揄将軍に剣印を」


  周揄は夜、ひとりになってから恐ろしくなった。孔明に対して敵愾心をもった。
「孔明は恐ろしい男だ。………呉公の考えをよんでおった。のさばらせておけば……大変な災いとなる…」



第二部 赤壁の戦い







         5 皮肉の策






   劉備は長江(揚子江)のほとりで、関羽、張飛とともに話していた。
 関羽は「軍師殿は本当に呉公・孫権を説得できるでしょうか?」と疑問をもった。
「軍師孔明殿なら必ず…」劉備は遠くを見るような目でいった。
 張飛は「孔明と兄じゃは水魚の交わり……その水で、呉公・孫権を説得してもらおう」と大笑いした。
「よせ」劉備は諫めた。
「しかし……魏の軍は百万。呉は数十万………孫権はどうでるでしょう?」関羽はいった。「さあな」張飛は笑った。「孔明にまかせればいい」
 劉備は何もいわなかった。只、天才軍師・孔明を信じていた。

  呉の孫権は周揄を将軍にして3万の兵で魏を討つように命じた。
  周揄は成長するに従って、孫権に心酔するようになっていく。
”「新しい釈迦」つまり孫権が「今や」出現したのだ。「前進! 前進! わしは英雄になりたい」”
”昨日、官僚たちの議論場にいった。昨日のようなくだらないおしゃべりに私が参加するのはきわめて希なことであった。非占領区では私が長くまっていた戦いが燃え盛っていた。つまり国粋主義と国民社会主義の戦いが。両者はかみあってない。前者は官僚的主義を容し、後者は大魏の均一化を欲している。………多分幾分儒教的色彩をもっている。魏と呉が戦っているのだ。呉公の孫権と魏の曹操の戦いといってもいい。私がどちらにいくかは問題外だ。実際に新しい人間を欲しているところにだ。防衛同盟の古い戦士たちは若者の力を殺ごうとしている。若者の成功が不気味なのだ。はっきり別れたほうがよい。一致すべきところは一致すればよい。………そうでないところは偽りの統一を見せかけてほしくはない。魏の曹操、腹が突き出て、ひねった口ひげ、いい奴だが、若者に感銘を与えられる男ではない。指導者的素質はない。私は国粋的な指導者を一人もしらない。私はいつまでも地位と金を持っている。絶望、懐疑、挫折! にっちもさっちもいかない!”
”夏の大地が雨を求めているように、呉はただひとりの男を求めている。力を結集し、余すところなく熱狂的に献身することだたけが、われわれを救ってくれる。神仏よ、民族に奇跡を示して下さい! 奇跡を! 一人の男を!”

  魏の曹操は腹部がゆるむかのように感じた。続いて、頬が緩んだ。虐殺した死骸の山。殺した衝撃で小刻みに震える体を動かすと、曹操は大笑いした。気分がよかった。彼にとって「殺し」は美学であった。しかし、足首から先が自分の物でなくなったかのように震え、膝が笑うように不安定な動きを呈しており、そこだけが罪悪感の微かな名残のようでもあった。彼は、自分を馬鹿にした連中を駆逐したのだ。

   一方、呉の甘寧将軍は魏と戦った。
 甘寧将軍は小柄で、ふさふさの髪形で、さっぱりした男である。少し陰険そうな顔で、ときに魅力的な表情もする。中肉中背で、鎧が安っぽい。甘寧将軍は確かに不思議な印象を与える人物だった。すらりとした体に長い手足、がっちりした首、ちょっと見にはナイス・ガイだ。しかし、瞳だけは何か多くのものを知っているかのように光っている。瞳だけが老成しているといえばいいのか。

 甘寧将軍は雄弁には語れないが頭脳明晰な男である。だが、貧乏で金がなく、差別を受けていたため学がない。
 しかし、甘寧将軍という男は策略にも長けている。
 彼はすぐに”魏”のつぶし方を考えた。
 ……まず、こちらが打撃を与えられないようにしながら”連中”を叩き潰さなければならない。
 彼はまず、”魏”を挑発した。
 船で布陣してる”魏軍”に矢を浴びせかけ、逃げた。”魏軍”は追いかけてくる。…角を曲がり、河口にでると、甘寧将軍は隠れた。駆ける、駆ける”魏軍”……
 河口から火矢が放たれる。”魏軍”はやられいく。そして、ひどいことになった。
 甘寧将軍はそうやって”魏軍”を火矢攻撃の一方で、孔明に匿名で連絡していた。…”魏軍”が船でも戦いに弱いこと。”魏軍”の船はもろいこと”を伝達し、孔明は動いた。 まず、深夜、孔明はやはり魏を倒すのには「火」だ……と思った。周揄は矢を集めた。 予備の矢も揃え、腰に剣を装着した。これで……皆殺しだ!殺すのだ……”魏軍”を…。それはぎらつくような復讐の炎であった。怒りの炎といえばいいのか。地獄のぐつぐつ煮える釜のような。

  甘寧将軍が魏軍一万の兵をやぶると、魏の曹操は怒った。
「馬鹿者め!」
 曹操は怒りで王座を立ち上がった。
「わが”魏軍”は北上人が多く、船での戦いには不慣れだ!」
「まさしく……」家臣たちは平伏した。
「甘寧ごときに負けおって! ふたりを呼べ!」曹操は怒りの表情のままいった。
 やがて、張允ともうひとりの将軍がきた。
 張允らは荊州で降伏した将軍だった。
「張允ら!」曹操は低い声でいった。「ふたりを都監に命ずる!」
「ははっ!」ふたりは平伏した。
「………かならず劉備と孫権を殺せ!」
 曹操は怒りの表情のままいった。



   やがて、曹操の魏軍から呉に勅使がきた。
 周揄はそれをきき「曹操の魏軍から勅使か? バカめ!」と舌打ちをした。
 陣によばれる勅使………
 周揄はさっそく勅使と会見した。
 勅使はにやりと笑って、「劉備との連合は虎をかって野に放つようなもの……」
「で?」
「是非とも劉備や孔明を殺し、魏と和平を…」
  周揄は冷酷な顔のままだった。目はベーリング海のように冷たかった。
「和平?」
「はっ! 劉備や孔明など弱小勢力……そんな連中と同盟しても何の得にもなりませぬかと」
「ふん!」周揄は鼻を鳴らした。そして、「勅使を殺してしまえ!」と部下に命じた。
 勅使は首をはねられた。周揄は今だに”よくも妻をてごめにしようとしたな!” と、恨みをもっていた。孔明の挑発とも知らずに………
  魏の曹操は怒った。「是非とも劉備や孔明を殺し、呉と和平を…。駄目なら呉など皆殺しにしてくれるわ」
  周揄の方も「孔明だけは殺さなければ……災いの種となる」と思っていた。あの策略、知恵、弁舌……恐ろしい男だ。
 魏の曹操船団”水塞”は固まったままだ。
 孔明だけは殺さなければ……


  あくる日の午前、大きい船で周揄と孔明は、長江の対岸の魏”水塞”の視察にでかけた。船は中国の大河・長江を順調に進んでいた。風が心地好い。
 周揄は「孔明殿は知謀のひとときく。あの水塞をどうみられますかな?」と尋ねた。
「水塞には水門が二十四あります。しかも固まっている」
「さすがは孔明殿、情報が早い」
「いいえ」孔明は羽扇をふりながら、謙虚に「”長江に周君あり”……とか。私など将軍の足元にも及びません」と答えた。
 口元に笑みを浮かべた。
 周揄は「魏の水塞をやぶる策は?」ときき、そして瞬時に、「いや。ふたりで考えましょう」といった。
「……と、いいますと?」
「筆で、掌に策を書くのです。そして、見せあう。ふたりの策が同じだといいのですが…」 孔明は笑って「……それは面白いことですな」といった。
「筆と墨汁をもて!」
 周揄は部下に命じた。そして、ふたりは見えないように掌に計略を書いた。
 孔明と周揄はふたりで顔を見合わせて、微笑んだ。
「では…」
 そして、ふたりは掌をひらき、計略をみせあった。計略は”火”だった。つまり、火攻めにして魏の大船団を撃破しようというのだ。
  孔明と周揄はふたりで顔を見合わせて、また微笑んだ。



  呉の前線の陣に戻ると、周揄は横になった。
 そんなとき、周揄の元に北上の魏から旧友・韶関が訪ねてきた。周揄は疑問に思った。  ……この時期にきたとなると、投降の誘い…か…? いや、伏嗅(スパイ)だ!
 何にしても周揄の心は穏やかではなかった。
 周揄は策を孔明より授かる。まず、曹操の元に呉の一部の軍が投降すると密書をおくり、火攻めに備えるというもの。しかし、それだけでは曹操は信じるかどうか…?
 そこで、周揄は策をめぐらせた。
 その夜、周揄は韶関を酒席でもてなした。
「……韶関先生、おひさしゆござる」
「周揄殿もお元気そうで」
 韶関は酒を飲んだ。同席していた孔明は何ひとつ言葉を発しなかった。
「誰か!」周揄は家臣をよんだ。「わしの剣をあずかっておいてくれ」
 そして、周揄は舞った。韶関先生のために。
 韶関は喜び「将軍、みごとな舞いでした」と笑った。
「よろこんでいただいてけっこうでした。昔を思いだします」
 すると、同席していた黄蓋将軍は「昔もなにもないだろう! 百万の魏の敵の前になにができる?!」と激怒した。
「何?」
 家臣は「酒のためのことです。お許しを!」といった。黄蓋は譲らず、
「魏と和睦することこそ呉の救われる道!」と宣言した。
「黙れ! わしの策にあやまりがあると申すのか?!」
 黄蓋将軍は「いかにも!」と怒鳴り散らした。
 黄蓋は降伏論を主張して譲らなかった。周揄は激怒して「黄蓋将軍を斬れ!」といった。部下は黄蓋将軍は貴重な人材……殺すのはおしいと…というと、周揄は、
「ならば百叩きの刑だ!」と命じた。
 黄蓋の肉はさけ、血まみれで、陣屋にかつぎこまれたときはかれは気を失っていたという。何にしろ韶関は呉が”分裂していること””降伏軍がでること”を認識した。
 宴会が終わって、孔明はまったく口をきかないまま、無表情で陣から出た。
 不思議に思った櫓粛が、
「いつもはおしゃべりな孔明殿なのに……今夜はひとことも発しませんでしたな?」と尋ねた。是非とも答えがききたかった。
 孔明は感心した顔をして、「いや、見事な演技でした」といった。
「……演技?」
「行うほうも、叩かれるほうも、苦しいことでしたでしょう。みごとな”苦肉の計”でした」孔明は、周揄の”策”を見抜いていたのである。
 櫓粛は驚いて、腰を抜かした。                         


スピーチの基礎『相手の目線で話す』『相手のIQで話す』杞憂・更地・世襲・アプリ・TBわからぬ人も!

2015年10月30日 13時45分14秒 | 日記







スピーチで大切なのは相手の目線で話すということ。


驚くかも知れないが世の中には


杞憂・更地・原発・世襲の意味もわからないひともいるのだ。



老人ならネットワークやアプリとか(笑)


そういうひとに「イノベーションでIT環境を改革…」といっても無駄。


他人のIQに合わせる話し方しかない(笑)臥竜



緑川鷲羽そして始まりの2015年あるいは2016年へ!臥竜

話し方維新 3大要素「オープニング」「ボディ」「クロージング」”成功自慢話””特殊英語”☓

2015年10月29日 17時20分21秒 | 日記







スピーチの3要素は「オープニング」「ボディ」「クロージング」である。


僕自身の経験からいうと


”成功の自慢話”や”特殊和製英語”はしない方がよい。



逆に皆が聞きたい話は


苦労話と教訓や挫折からの挽回や解決策である。


皆さん誰でも苦労や地獄を経験していて、苦痛の解決策が皆欲しいもの(笑)臥竜




緑川鷲羽そして始まりの2015年あるいは2016年へ!臥竜

諸葛孔明 蒼天の臥竜天才軍師諸葛亮孔明<三国志外伝>ブログ連載小説3

2015年10月29日 07時17分53秒 | 日記






         3 挑発






  呉の孫権は長江(揚子江)のほとりに立ち、ひとり苦悩していた。
 ……昨夜の悪夢はなんであったのだろうか?
 そして、魏の曹操は自分の目前まで迫ってきている。どうなるか? もし十倍以上の敵と戦えば、恐ろしい性格の魏の曹操のこと……皆殺しにされるに決まっている。現に、曹操と対立し敗れた軍隊は虐殺され、川に放り込まれ、死体の山で川の水が流れなくなったともきいている。……もしや呉も……皆殺し?!
 劉備と同盟を結んでも、劉備など弱小勢力に過ぎない。
 家臣たちのいう通りだ。
 ここは何かの策をうたなければならない。
 ……そうだ!
 孫権はひらめいた。…ここは周揄将軍だ。
 かれなら、この危機に知恵を貸してくれるに違いない。孔明より周揄将軍のほうが信用できる。しょせん諸葛孔明など天下に”天才軍師”と名が轟いているが、劉備の弱小勢力の軍師に過ぎない。
 …ここは周揄将軍だ。


「はやく武装蜂起を!」張飛は焦っていった。劉備軍のNO3である彼は、一騎当万だが、酒にだらしないのが欠点だった。
 劉備は「まぁ、待て」と掌を翳してとめた。「まずは孔明先生の策がうまくいくまで待つべきだ」
「しかし…」関羽は続けた。「うまくいくでしょうか?」
「そのために孔明先生に呉にいってもらったんだよ」劉備はにやりとした。「国民は飢えている。”今日と明日の御飯””輝かしい未来”を与えなければ……すべては民のためだよ」
 関羽と張飛はにやりとした。「まず、庶民の無知と飢えに訴えるのです」
「うむ」
「まず、人間の”値札”に訴えなければならない」関羽はにやにやした。「”値札”とは人間のそれぞれのもつ欲求です」
「欲求? 金か?」劉備は是非とも答えがききたかった。
「そうです。ある人間にとっては”銭”でしょうし、また”正義感”、”名誉”、”地位”、”女””豪邸”……その人間が求めているものに訴えていけば百人中、九十九人の人間は動かせます」
「臥竜先生、頼むぞ。わが劉備に政権を! わしを皇帝にしてくれ」
 こうして、劉備は政権をとるために、動きだした。


  呉の軍事施設で、櫓粛は、暗い室内である人物とあっていた。
 かれの側には側近の軍人姿の男たちがたっていた。
 櫓粛は痩せていて、いかにも頭脳明晰な感じのする中年男である。面長な顔にすっとした鼻筋、長い黒髭、ハンサムではある。
「孔明殿、よくぞ呉に」櫓粛は孔明にいった。
「いいえ」彫の深い顔だちの諸葛孔明は答えた。そして、羽扇で身を扇いだ。
「で、本当なんでしょうな? 例の話……」
 櫓粛は人払いを要求した。すると部下たちはいきり立ち、
「あなたの身を守るのが我々の任務だ! 孔明のような怪しい人物とふたりっきりにする訳にはいかん!」と、口々に文句をいいはじめた。
 孔明は余裕の表情で、羽扇をかざした。するとどうだろう? 櫓粛の部下たちは床に倒れ、気絶した。
「な?!」櫓粛は驚愕した。「超能力か? あなたは前は超能力者か?」
 あえぎあえぎだが、やっと声がでた。
 孔明は口元に冷笑を浮かべ、低い、ゆっくりとした声で「いいえ。私は超能力者ではありません」
「………ではなぜ?」
「今、私の家臣があなたの部下の首筋に麻酔針を飛ばして、眠らせたのです。強敵・曹操も………暗殺…できますよ」
 孔明はにやりとした。
「そんな馬鹿なことがあるものか! たったひとりでそんなに殺せるものか!」
 櫓粛は怪訝な顔でいった。
 ふふふふ、孔明はふくみ笑いをした。
「わたしをナメて…いるのか?!」
「さぁ、私の目を見て……じっと…じっと」孔明は顔を櫓粛の顔にちかづけた。互いの距離は数センチになり、櫓粛は孔明の顔や目をみるしかなかった。
 櫓粛は目をまわし、やがて気絶した。頭蓋骨の裏側で、孔明のうつろな笑い声がきこえ、孔明が遠ざかっていく気がしたが、その感触は記憶の彼方へと消えていった。櫓粛が目を覚ましたときには、もう、孔明はいなかった。
 只の夢……悪夢だったのだ。しかし、孔明が呉に訪問したのは事実であった。

  孔明が呉に訪問したとき、迎えたのは官僚たちだけだった。
 孔明は不思議に思い、「将軍の方たちはいかがなされたのですか?」と尋ねた。
 すると、呉の官僚たちは「将軍など力ばかりで、頭が足りない……軍儀には役にたたないのです」とくちぐちにいって笑った。
 孔明は羽扇をかざして「ならば、呉の将軍・孫権殿も役にたたないことになりますな?」と皮肉をいった。顔は余裕の不敵な笑みのままだった。
 やがて、孔明の到着を祝うため巫女たちの踊りが披露された。
 呉の官僚たちは孔明の名声が虚構であると思っていた。そのため、「孔明殿、われらと論争でもしませんかな? 論破されたら酒を三杯いっきに呑む罰をつけましょう」
 と、挑戦をした。孔明はあえて反対はしなかった。
 呉の張昭はいった。
「劉備殿は縦横無尽な活躍をされた。しかし、孔明殿を迎えてからはおちこぼれ………。新野を捨て、当陽でやぶれ、江夏に逃げ込む有様…」
 呉の家臣たちは笑った。そして、黙っていた孔明に酒瓶をもってきた。孔明は羽扇でそれを押し戻し、
「呑むのは私ではありません」ときっぱりいった。
「……しかし…」
 孔明は不敵に微笑み、「当陽に逃げたのは民を守るために戦に勝てなかったためです。すべては人徳のためです」といった。
 呉の家臣たちは押し黙った。
 孔明は続けた。「高祖劉邦も項羽には連戦連敗でした。しかし、参謀の策で項羽は自殺して果てた。高祖劉邦を勝利させたのは人徳でした」
「詭弁だ!」
「いえ、詭弁ではありません。事実を私は申しておるのてす」孔明はいった。
「……何が人徳だ! そんなもの……」
「”燕省いずくんぞ、鴻鵠の志を知らんや”……一、二度の敗北で英雄か否か論ずることができましょうか」孔明は真剣にいった。
 張昭は論破された。かれは酒を呑まされた。
 別の呉の家臣が「魏は十万の兵を率いて南下している」
 孔明は「別に」と答えた。他人行儀な言葉だった。
 呉の家臣たちは嘲笑しだした。
「長江岸まで追いつめられて呉に助けを求めにきたのに?」
「虚勢を張って……」
 孔明は羽扇を扇ぎながら、「われわれは戦います。恐れているのは呉のほうです」といった。呉の家臣たちは嘲笑をやめない。
「劉備など筵売りだった男だ」
「弱小勢力だ!」
 孔明は「劉備殿は皇帝の血をひくものです」
「なぜ呉にきた?」
「漁夫の利か?」
 孔明は余裕だった。「すべては魏を討ち果たすためです」
「いいかげんにしろ! 貴公には学がない!」
「貴公こそ……経世済民の策なし!」
 年寄りの張昭は「若造が!」と吐き捨てるようにいった。
「呉の主君・孫権殿は二十八歳………ならば張昭殿、あなたが主君となればよいではないですか?」孔明は不敵に笑った。
 張昭老人はその言葉にぐうの根もでなかった。「さぁ、張昭殿に酒を」孔明はいった。張昭老人は酒を呑み、論破されたショックで気絶した。

  孔明は呉の一室で、ひとり策をねった。……呉の主君・孫権殿は並の人物ではない。どうするべきか? そんなとき、櫓粛が訪ねてきて、「主君が孔明殿に会われるそうです」と笑顔でつげた。「さようですか?」孔明はわざと驚いた顔をした。
 櫓粛は念を押した。「魏の軍が百万とは……口が裂けても申されないように」
 孔明は何も答えず、遠くを見るような目をした。何にせよ、孔明が何を考えているかは誰にもわからなかった。
  翌日、孔明は呉の主君・孫権に謁見した。
 孫権は不安気になって、
「魏の曹操の軍はどれほどか?」と孔明に尋ねた。
 孔明は微笑んで「百万」といった。櫓粛は、しまった、という顔をした。
 孫権は「なに?」と驚いた。
 しかし、孔明は続けた。「…しかし、劉備軍と孫権軍双方合流すれは百五十万になります」
 孫権は上座に座りながら、苦悩した。頭がフライにされたように疲れた。かれには一夜の睡眠と熱い風呂が必要だった。……そうか、魏の曹操の軍は百万か……
 孫権は動揺しながら、「で? 魏の将軍の数は?」と孔明に尋ねた。
「知将が二千………呉に攻めてくるでしょう」
 孫権は言葉も出せないほど動揺した。あえぎあえぎだが、やっと「さようか」と声を出した。孔明たちは前線の柴桑にいた。孔明は孫権を挑発した。
「孫権殿が魏にかなわないとみられるならさっさと降伏なさるのが宜しいでしょう。いつまでも決めかねているのはよくないことです。状況は緊迫しています。将軍は自分の力を計られ、真剣にお考えください。呉の軍をひきいて魏の曹操と抗争できるとのお考えなら、できるだけ早く攻撃、守備の策をとられることです。できないとお思いなら、できるだけ早く武器を捨てて、曹操に降伏されることです。いま、将軍は服従するとみせかけながら、内心決定できないでおられるご様子。ことは急を要します。しかも、決断できないようでは、将軍にわざわいが降りかかるでしょう」
「ならなぜ君の主君・劉備降伏しなかったのか?」
「漢初の田横は一介の壮士に過ぎませんでしたが、義を守って屈しませんでした。ましてや劉備は王室の後裔、その英才は世をおおい、多くの人々に敬慕されています。どうして曹操ごときに屈服しましょうや。もし、わが主君・劉備が戦死したとしてもそれは天命というものです」孔明は孫権の自尊心を刺激した。
 孫権は言葉も出せず、退席した。
「……魏の軍を少なくいうようにとあれほど念を押したのに……」櫓粛は孔明に愚痴をいった。孔明は笑って、「魏をやぶる大計もきかずに孫権殿は退席した。惜しい」
「…………大計? 策があるのですか?」
 櫓粛はびっくりして、「分かり申した。わしが主君・孫権殿を連れ戻そう」といって主君を呼んできた。孫権はひどく動揺していた。そんな中、城に周揄将軍が馬でやってきた。「策…とは?」
「それはまだ秘密です」孔明は羽扇をふった。「重役たちの降伏論は保身です。魏軍は長い遠征でつかれています。しかも、船での戦いには不慣れ。ここは千載一遇の好機です。私や主君・劉備は死ぬ気で戦います」
 この言葉で、孫権は決心した。
「劉備がそうなら、私とて一国の君主! 私は江東の地、十万の兵があるのに、だまって曹操に支配されるわけにはいかないぞ。断固として曹操と戦う!」
 孔明はいう。
「将軍が猛将に命じて兵数万を率いさせ、劉備と一致協力して戦うならば、曹操を撃破できることはいうまでもありません。曹操は、やぶれればきっと北に帰るでしょう。そうすれば、江州、江東は安全となるだけでなく、勢力はいっそう強大となるでしょう。その機会はいまをおいてはありません」
 こうして、魏の曹操と呉の孫権との『赤壁の戦い』に向けて、情勢は激動しだした。



DVD映画『インターステラー』観賞 最高級超大作SF映画では今年最高の映画!感動をあなたへ!

2015年10月28日 15時49分00秒 | 日記







DVD映画『インターステラ―』を観た。


荒廃した地球の替りの移民先惑星を探すSF大作。


結末を書く訳にはいかないが大変にこった脚本と演出と俳優陣である。


映画『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイもいい演技だった。


非常に感動したし、是非多くの人に見て欲しい。



最高のSF超大作である!臥竜




緑川鷲羽そして始まりの2015年あるいは2016年へ!臥竜

軽減税率はやめた方がよい 欧州100年の歴史でも複雑不満爆発 政治家官僚の利権だらけに

2015年10月27日 19時45分17秒 | 日記







 軽減税率はやめた方がよい

  何度もいう様でなんだが『軽減税率導入』はやめた方がよい。欧州では100年の歴史があるが構造上も制度上もうまくいっているとは言えず国民の不満も高まっている。精米だけ軽減税率だとほとんどの商品が税負担になる為に現実的ではなく、また、酒税だけが軽減税率なら1兆円の財源が足りなくなる。大体にして日本で軽減税率を導入したら政治家や官僚の”利権だらけ”になってしまう。制度上非常に複雑で計算方法や負担も莫大なコストがかかるのが軽減税率であり、むやみに提言するべきではない。経済がわからない人間程、軽減税率や補助金や関税強化だの云々言うがまさに経済オンチらしい。経済オンチで有名な与党公明党が軽減税率を声高に主張しているらしいがまさに経済オンチ(笑)世界で軽減税率がいかに問題視されてるかぐらい少し考えればわかりそうなものなのに理解していない。更に安倍政権はGDP(国内総生産)を500兆円から600兆円に経済成長させる、と息巻いているのだから「勘弁してよ」と言いたくなる。600兆円に経済成長とは単純計算しても20%の経済成長(高度経済成長並みの成長)である。やはり、与党安倍政権公明党は経済がわかっていない。もう少し勉強して欲しい。だが、官僚の作文を棒読みして戦略や政策を打っていると勘違いしている安倍晋三氏や安倍政権では駄目だろう。
野党も内ゲバやまとまりがなく、まさに末期状態の安倍政権と日本国。本当の意味での日本国の”救国の新世紀維新”こそが待たれる。”維新”まで、日本の危機はおわりそうもありませんね(笑)

フリージャーナリスト・緑川鷲羽(45)山形県

諸葛孔明 蒼天の臥竜天才軍師諸葛亮孔明<三国志外伝>ブログ連載小説2

2015年10月27日 08時49分04秒 | 日記







         2 軍師




  荊州の劉備の城では、孔明たちによる軍儀が続いていた。
 孔明は「魏の軍がふたたびせまっている」と正直にいった。そして、続けた。「魏の夏候淳は必ず博望坂を通る。かの地は左に山、右に林だ。待ち伏せができる」
 劉備たちは頷いた。
 孔明は続けた。「趙雲、5百の兵を率いて先発し、必ず負けよ」
「………負ける?」趙雲は不思議な顔をした。是非とも答えがききたかった。
「負けて、この坂に敵をさそえ」孔明は羽扇をかざしていった。趙雲は「はっ! 必ず!」と両手をあわせた。
「関平と劉邦は博望坂後方の両側にかくれ、敵をみたら火を放て」
 関平と劉邦のふたりは「はっ!」と両手をあわせる。
 孔明はさらに策を授ける。「関羽将軍は火をみて総攻撃の合図をせよ。敵の食料もすべて焼き払え」
 関羽は怪訝な顔のままだった。
「主君は後方にいて見守っていてくだされ」孔明はいった。
 関羽は怪訝な顔のまま「では? 軍師殿は何を?」と尋ねた。
 それに対して孔明は、「私はこの城を守る」といった。
 張飛は嘲笑し、「自分だけ楽する気か」と吐き捨てるようにいった。関羽と張飛はまだ孔明の才能を認めてはいなかったのだ。

  前線でも、関羽と張飛は諸葛孔明を馬鹿にしていた。
「何が軍師だ」張飛は悪態をついた。「あんなやつ口だけだ」
「いかにも! すべて机上の空論……孔明などおそるるにたりぬわ」
 関羽は地面にツバを吐いた。何が……軍師だ? 義兄上は勘違いしておられる。

  戦が始まると、すぐに趙雲軍五百は敗走しだした。孔明の策である。魏の夏候淳たちはそのぶざまぶりを嘲笑した。
「名高い孔明を軍師にしたはずの劉備軍はぶざまなものだ。やはり孔明など口だけの男だったという訳だ」夏候淳は笑った。部下たちも笑う。「孔明などおそるるにたりぬわ」
「追撃するぞ!」
「……しかし……罠では?」
「孔明ごときがそんな策をとれるものか!」夏候淳は軍を率いて、趙雲軍五百を追撃した。 しかし、そこは孔明が上手、夏候淳の軍が博望坂に入ったところで火攻めにされた。両側を囲まれ、包囲された。夏候淳は軍は集中砲火をあび、全滅した。
 戦がおわると、関羽と張飛は茫然と突っ立っていた。
 あまりに策がうまくいったので、茫然として言葉もでなかった。ふたりは顔を見合わせた。やがて、馬車にのった孔明がきた。孔明は羽扇で顔をあおいでいた。
 関羽と張飛の血管に、熱いものが駆けめぐった。そして、ふたりは地面に膝をつき、両手を合わせて、
「軍師!」と頭を下げた。ふたりもやっと孔明の才能、いや天才を認めた瞬間だった。

  しかし、魏軍10万がふたたび荊州に攻めてきた。劉備たちはボロボロの敗戦となった。その途中、魏の曹操は不安にかられた。
 曹操は「……わしは天下無敵…しかし、案ずることがある」と家臣にいった。
「それは何でござりましょう?」
「劉備だ」曹操はゆっくりいった。
 それにたいして家臣たちは「劉備など弱小勢力に過ぎませぬ。何を恐れることがありましょうや」と笑った。
「いや」曹操は首をふった。「孔明がおる。劉備には諸葛孔明がついておる」
「孔明? 口だけの男にごさる」家臣たちはまた笑った。
「劉備と呉の孫権が連合して攻めてくるやも知れぬ。それがわしの恐れじゃ」
 家臣たちは顔を見合わせた。
「劉備と呉の孫権が連合するかどうか使いを送れ」曹操は命じた。
 それに対して、呉の孫権のほうも情報収集のため、荊州太守弔問を口実に劉備のもとへ参謀の櫓粛を送った。櫓粛は中年であったが、控え目で、物静かな男だった。
 弱点は口の軽さだ。
 櫓粛は孔明と面会した。
 孔明はかれに酒をすすめた。もう夜だった。場所は城の一室。蝋燭の明りで辺りは鬼灯色であった。なごやかに孔明は接待した。
 櫓粛は「先の夏候淳をやぶった策略は見事でしたな、孔明殿」と孔明をほめた。
「いやいや、将軍たちがよくやってくださったからです」
 孔明は微笑んで、謙虚にいった。
「いやいや、孔明殿の智略がなければ10万の兵を撃破することなどできませぬ」
「私が撃破した訳ではございません」
「謙遜を」
 櫓粛は酒を飲んでいった。孔明は羽扇をふった。
「……近々、私は呉公・孫権殿とあいたい思います」孔明はいった。
 すると櫓粛は顔色をかえ、「それはいいのですが……」といいかけた。
「なんでしょう?」
「魏の曹操軍が百万とはわが主君には絶対に申されるな」
 孔明は口元に微笑みを浮かべた。
「絶対ですぞ!」櫓粛は念をおした。


  呉公・孫権に魏の曹操から使者がきた。劉備をやぶってわが軍と同盟せよ、というのだ。三日以内に返答を……使者はいった。孫権は悩む。魏の曹操は河口にあった。
 孫権船団軍3万、曹操軍20万……いくら曹操軍が陸地戦しかしてなく、船での戦いに慣れてないとしても勝ち目がないのではないか……。
 曹操は江稜を占領した。そして、沢山の軍艦をつくった。このままでは曹操の『天下統一』は目前だった。当然ながら呉の孫権陣営では軍儀が続いていた。
 甘寧将軍は「曹操など恐るに足りぬわ!」といきまいた。
「いや、曹操と同盟したほうが…」とは張昭。
「城を枕に討ち死にを!」
「臆病者め!」
「匹夫の勇ではことはならぬ!」
「命があぶないのだぞ!」
「弱小・劉備など見捨てて、曹操と和睦を!」
 家臣たちは口々に勝手なことをいいだした。
  孫権はやがて眉をつりあげて、「黙れ!」といった。家臣たちは沈黙した。
 ……恐ろしい沈黙であった。しんとした静けさが辺りを包んだ。
 孫権は上座から降りて、ゆっくりと歩いてきた。家臣たちは今だに黙ったままだった。なんともいえない緊張が辺りを包んだ。
「……まず…」孫権はいいかけた。
「………なんでごさりましょうや?」
「まず」孫権は続けた。「櫓粛を魏に使いに出す」
「櫓粛を?」
 家臣たちは顔を見合わせた。
「それによって……戦か和睦か決める」
 孫権はきっぱりといった。
「…しかし…」
「なんだ?」
「櫓粛を魏に使いに出さずとも、戦より和睦のほうが利があると思いまする」
「そうです。匹夫の勇ではことはなりません」
「弱小・劉備など見捨てて、曹操と和睦を!」
 家臣たちはまた口々に勝手なことをいいだした。
 孫権は押し黙り、苦悩した。戦か……降伏…か……。

  やがて、呉に孔明が櫓粛に連れ添われてやってきた。馬車の中で、櫓粛は何度も、
「魏の軍を是非とも少なめに…」と念を押した。
 孔明は何も答えず、不敵な笑みを口元に浮かべるだけだった。孔明は羽扇をふった。
 孫権の家臣たちは冷ややかな目で、孔明をみた。
「ふん!」
 鼻を鳴らした。
「孔明など三日だけで逃げ帰るさ」家臣たちは口々にいい、嘲笑した。
「櫓粛を魏に使いに出さずとも、戦より和睦のほうが利がある」
「匹夫の勇ではことはならぬ」
「弱小・劉備など見捨てて、曹操と和睦をすべきなのだ」
「なにが諸葛孔明だ」家臣は嘲笑しつついった。「孔明などハッタリだけの男じゃ! 諸葛孔明の虚名にまどわされてはならぬ!」
 そんな中でも、曹操の大軍が呉に迫って、きていた。


  孫権は悪夢を見た。
 長江の湖で、かれは水浴を楽しんだ。夏の大きな太陽の陽射しがぎらぎらと辺りに照りつけて、湖に反射してハレーションをおこす。どこまでも続く青空に入道雲……それは、しんとした感傷だ。
 湖を泳ぎ、陸にあがる。
 そして、彼は別荘にむけて歩き出した。
 この湖から城まではそんなに遠くはない。
 さっきまで、ぎらぎらとした陽射しだったが、今や雨でも降出しそうな天気になった。天気は変わりやすい。
「……雨でもふりそうだ」
 孫権は、しんと静まりかえった森を抜けながら呟いた。
 そして、ハッ!となった。
 城の方でシュウシュウという矢音が何回か聞こえたからだ。しかも、誰かが後をつけてくるような気配を感じる…!
 孫権は恐怖にかられ、狼狽し、目をキョロキョロさせた。で、ゆっくりとうしろを振り向き、「だ……誰だ……?」と掠れた声でいった。
 誰もいない。……だが、次の瞬間、恐怖は絶頂に達した。
 ざざざっ…!と、誰かが追いかけてくるような足音が響き、孫権は恐怖のあまり悲鳴の声すら出なくなった。彼は逃げる! 鈴の音が微かにきこえる。しかし、孫権はやみくもに森の中を走った。走った。駆けた。とにかく逃げた。
 恐怖のどん底にたたきつけられた孫権は、とにかく走った。孫権はやみくもに森の中を走った。走った。駆けた。草や木々をかきわけ、とにかく逃げた。曹操の軍が追ってくる。 そして、孫権は急に立ち止まった。もう道がない。崖っぷちに立たされてしまったのだ。崖の下は滝つぼになっていて、崖は高くて、崖下の滝や河はどこまでも深くて、蟻地獄のようだ。孫権は恐怖で身体を震わせながら、滝壺を見て、背後を見て、心臓を高鳴らせた。いいようもない恐怖が彼を襲い、孫権は戦慄した。
 曹操の軍がせまってくる。
 ……殺される……!
 孫権は決心を固め、咄嗟に、崖下の滝や河に向かってダイブした。とにかくこれしか手はなかった。恐怖と戦慄と狼狽のまま、孫権はダイヴした。
 彼が滝に落ちて見えなる。と、曹操はチッ!と舌打ちした。
 そして、そのまま曹操の影はどこかへ歩き去った。

  孫権はゆっくりと目を覚ますと、悪夢のためか身体をガタガタ震わせて動揺の様子をみせた。妻は、
「…もう大丈夫ですよ」
 と、城のベットに横になっている孫権の髪を撫でて慰めた。
「もう怖くないわ」
 妻は優しくいった。                              


<松本清張賞 石田衣良×桜庭一樹対談(抜粋)>非常に非情「十年選手(即戦力)完全粛清」

2015年10月26日 19時40分56秒 | 日記




****<松本清張賞 石田衣良×桜庭一樹対談(抜粋)>******


石田 僕のときには既に「公募ガイド」という便利なものがありましたから、順番にマルをつけていったんです。直近が角川の日本ホラー小説大賞で、次が新潮社の日本ファンタジーノベル大賞、それから朝日新人文学賞。その後が小説現代とオール讀物がほぼ一緒の時期で、オール讀物のほうがちょっと遅かったのかな。そうして順番に応募していって、最初の三つは三回とも最終選考まで行ったんですね。最後に書いたミステリーが、実は小説現代のほうに間に合わなくて、オール讀物に出した。それが『池袋ウエストゲートパーク』です。九七年ですよね、オール讀物推理小説新人賞をいただいたのは。三十七歳のときでした。

桜庭 私はほんとにチキンで、大きな賞は獲れないと思ったので、第一回ファミ通エンタテインメント大賞というマイナーなところに、ここなら獲れるかなと思って出したら、佳作で無理やり引っかかりました。第一回は二百人も応募がなかったそうです。中村うさぎさんが選考委員にいらして、推してくれてギリギリ入選して、デビューできたんです。だから、新人をデビューさせて育てる、というノウハウがまだほとんどないときだったので、獲った後が大変でした。

石田 でも、賞の第一回目って、不思議といい書き手が集まるんですよね。それは賞の大きい小さいは関係なく。だから第一回って、その賞の行方を決めることがあると思う。でも、大変失礼な話なんですけど、ある文学賞のパーティーで先輩作家に言われたことがあって、「昔は、賞に応募するんだったら一年ぐらいはその雑誌を熟読して、選考委員のこの人に読んでもらいたい、と思って応募するものだったんだよ」と。僕は選考委員が誰かを全く知らなかったですし、もちろん後で確認して、「ああ、この人の作品を読んでいる」というのはありましたけど、オール讀物もほんとに読んだことがなかった(笑)。

桜庭 私は、自分が読んで好きな作家さんのところに応募したほうがいいかな、とも思います。私の場合、中村うさぎさんを読んでいて、面白い人だと思っていたら、その人が褒めてくれた。小説も武道で言う流派みたいなのがいろいろあるから、この人の作品が好きだと思っている人のほうが分かってくれる気がします。

石田 そのへんは難しいんだよなあ。あまりにも近いと、かえって厳しくなりますよね。時代小説の作家は、時代小説に対してほんと厳しいですから。なので新人はあまり、これが有利になるとか、受験技術みたいなことを考えないほうがいいですよ。

桜庭 あっ、聞かれますね。「この賞の傾向は?」とか「どういうふうに書いたら有利ですか?」「一人称と三人称ではどちらが評価されやすいですか?」とか。いや、それは小説によるし、どちらが評価されるということはないので、その話に向いているほうで、と言うと、納得できない顔をされたりする(笑)。

石田 みんな簡単な答えとか、近道があると思っているのがよくない。

桜庭 「マニュアルないんですか?」と聞かれたこともあります。文学賞を獲りやすいマニュアルって……。

石田 そこはもう、ちょっと考え違いを改めてほしいところですよね。

桜庭 自分の話になりますけど、デビューした後もあまり仕事がなかったし、出した本も売れないという迷走期間があり、やっぱり傾向とかばっかり考えていたことがあったんです。これが受けるのかな、こうしたらいいのかな、と他人の真似ばっかりしていた。その時期に中村さんとまたお会いして、「最初にあった良いところを伸ばしなさい」みたいなことを言っていただいて、その後は他人の真似をせずに書くようになったということがありました。

石田 傾向と対策を学習するのはほんとに無駄だと思いますね。分かるんですよね、ここを狙って書いたな、みたいなことが。やっぱり自分が「これが面白い」というところ、それをしっかりつかんだら、手放さずに最後まで書いてほしい。じゃあ、そうなると圧倒的にオリジナリティが必要か、と思ってしまうでしょうけど、みんなちょっと怖がりすぎなんです。ハッ! と新鮮に感じることだったり、組み合わせの妙があったりすれば大丈夫。要は“新しいこと”じゃなくて“新しい感じ”でいいんですよね。だから、これは王道だからいけない、とかあんまり考える必要はない。逆に王道であるなら、そこからさらに熱量とかキャラクターの魅力とかをプラスしていけばいい。

桜庭 新人だけが持っているものってあるじゃないですか、熱量とか毒気とか。やってやるっ! みたいなものは最初ほどあるものかもしれない。他の作家と話したときに、「現在のほうが書く物はうまいけど、今は新人賞に応募しても獲れる気がしない」と言っていた人がいました。最初に持っているものをすごく大事にして、一気に行くべきだと思います。中には、もう十年選手みたいに応募し続けている人がいる。そういう人の作品を読むと、整ってはいるけど、この人の最高傑作ではない感じがして、おしいけど推しきれなかったりします。

石田 ずっと期待されて獲れなかった人が獲ることもあるけど、そういうパターンのときは、たいていもう一段ジャンプしています。それまでとちょっと作風を変えてきたり、「これを書いたら、もう最後でいい」みたいに、どこかで踏んぎりをつけて書いてきている人。

*******(抜粋)*****
「十年選手」みたいなひとが整っているがそのひとの最高傑作ではない感じがして、おしいけど推しきれない、ではなく「即戦力」だから「潰す」「パージ(粛清)しておく」というのが本音。作家の世界はそういうところ。連中はよしもとばなな、綿矢りさ金原ひとみ水嶋ヒロ又吉直樹作戦をやったほど悪辣なのだ(笑)******(緑川鷲羽・臥竜・十年選手(笑))

出鱈目でメチャクチャな安倍政権の政策戦略『間抜けなアベノミクス』『新・三本の矢』間抜けな安倍晋三首相

2015年10月26日 16時40分00秒 | 日記








 出鱈目メチャクチャな安倍政権の政策


 安倍政権が成立してから4年半、安倍政権の経済政策『アベノミクス』『新・三本の矢』が一段と噴飯ものになってきている。
例えばGDP600兆円成長を目指す、とする政策(笑)現在の500兆円のGDP(国内総生産)を600兆円にするという政策だが、移民政策も明確な経済戦略もなく、600兆円を目指すといっているがまともに考えればおかしな話である。
現在の500兆円のGDPを600兆円にするということは単純計算で20%の成長が必要になる。つまり、高度経済成長並みの経済成長である(笑)どこの馬鹿官僚が作文を書いたかは知らないが馬鹿な話である。この事実だけで安倍政権にちゃんとした戦略も政策ブレーンもないことがわかる。経済がまるでわかっていない。日本のような成熟国が発展途上国みたいな高度経済成長がもう一度出来る訳ないじゃないか!オリンピックだってそんな経済成長は見込めない。
なんというか頭がクレイジーというか(笑)
とにかく高学歴や高肩書が大好きな安倍晋三氏だから馬鹿みたいな”学歴エリート”のいうがままに作文を読んで戦略を政策を打っているつもりなんだろうがまさに”阿呆”だ。こちらが”手を貸す”というのに学歴がないからと無視し馬鹿にしやがる。
それで馬鹿官僚のパペットになりさがって作文読まされておかしさもわからないのではこの国も末期状態である。
もう僕は安倍晋三氏には期待しない。僕の臥竜としての天才がわかり、民間登用してくれる指導者を一日千秋の如く待つしかない。そうなれば”水魚の交わり”で日本国もかわる。それまでは日本国は”フリーズ状態”である。



フリージャーナリスト・緑川鷲羽(45)山形県


石原莞爾 旭日旗の悪魔<ノモンハン事変>石原莞爾の侵略と虐殺と ブログ連載小説5

2015年10月26日 07時39分09秒 | 日記








2013年5月27日、橋下徹氏が外国人記者クラブで「いわゆる従軍慰安婦(風俗と戦場の性の問題)」を他国でもあったし、慰安婦を正当化する訳ではないが謝罪する、といった。自国が慰安婦つかっていたけど他国でもやっていたからいいだろう…というあまりに幼稚な話で賛成できない。その意味で歴史家と政治家の歴史認識の乖離は恐ろしい。橋下氏は残念。またここでは「従軍慰安婦問題について詳しく教えてください」ということであるので少しだけ「慰安婦問題」をご説明しましょう。元々は戦前戦中には「慰安婦」とよばれていた女性たちは何故「従軍慰安婦」と呼ばれるようになったか?まず一つ目の転機は1973年千田夏光(せんだかこう)氏が三一出版から「従軍慰安婦」という著作を発表してから「慰安婦」が「従軍慰安婦」と呼ばれるようになります。いまから80年前頃に戦場で性的慰安をしていた女性たちのことで、施設は400か所もあり、帝国日本軍が重要書類をほとんど焼却した為に証拠がほとんど発見するのは不可能です。が、慰安婦は2万人から3万人(20万人から30万人との説も)当然売春婦もいたが甘言で慰安婦になった女性もいたそうです。「従軍慰安婦のばあさんたちは元々売春婦だ」という悪口は当たっていない。二つ目の転機は1991年に元従軍慰安婦であった韓国人老女・金学順(キム・ハクソン)さんが日本政府に謝罪と賠償金を求めて提訴したことです。何故1991年にやっと声をあげたのか?は1987年当時までは韓国は軍事政権であり、「慰安婦=売春婦」と差別を受けるから民主主義政権になり声をあげた訳です。「河野(こうの)談話」とは1993年官房長官であった河野洋平氏が「いわゆる従軍慰安婦については、軍の強制連行や甘言による強制があった。おわびする」という談話のことです。ですが最近になって朝日新聞社が「故・吉田清治氏による一連の従軍慰安婦報道は「誤報」で、日本軍による強制連行はなかった」とやっと謝罪しました。そう強制連行でのいわゆる「従軍慰安婦」はなかったのです。日本側は、1965年日韓基本条約で日本側が5億ドル(160億円)の経済援助をするかわりに韓国側が「請求権の放棄」を約束した為に、「慰安婦問題は解決済み」というスタンスです。だが、悪いと思ってか、1999年から2000年代にかけて「アジア女性基金」という民間の基金で、義捐金を民間から260億円募って、慰安婦というひとたちにひとり200万円と首相の詫び状が贈られています。歴史的なことをいわせてもらえば日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で「戦後賠償」は終了しています。また条約加盟国でなかった韓国、台湾、インドネシア、フィリピン、タイなどの国へも戦後謝罪も賠償もおわっています。1965年には日韓基本条約で韓国に5億ドル(160億円)払い、さらに民間の「アジア女性基金」で100億円払っています。おかしいと思うなら国際政治裁判ハーグで訴訟にて話し合いましょう。だが、韓国の慰安婦だけは韓国国内で「日本人に尻尾を振った売国奴!」と罵られるのをおそれて受け取りを拒否しています。結局政治なのですよ。ちなみに日本の外務省は「慰安婦」のことを「Comfort woman(慰安婦)」と呼ぶが海外では「Sex slaves(性奴隷)」といいます。20万人も拉致した事実はないが。結局政治なのですよ。2013年5月23日、韓国のあるジャーナリストもどきの不貞な輩が「日本の広島長崎への原爆投下は「神の懲罰」であり、ドイツは侵略戦争を謝罪したが「日本は侵略戦争も慰安婦問題も謝罪も賠償もまだだ。神が罰を下したのだ」」等と発言して反発されている。韓国の日本大使館も日本政府も抗議しているが、橋下氏や石原氏や小林よしのり氏らの「誤った侵略戦争否定論」のせいだ。極めて遺憾だし、激しく抗議したい。まず広島長崎の原爆被災者やその霊に謝罪して欲しい。話はそれからだ。大体にして原爆被災者の写真を観た後に同じことが言えるのか?頭のおかしな輩をジャーナリストにするな。2013年5月13日、大阪市長で日本維新の会共同代表の橋下徹氏がいわゆる慰安婦に対しての見解として「慰安婦はけして正当化は出来ないが、他の国もやっていたように、兵士の戦闘の疲労を癒すための風俗施設は必要だったのではないか」という事を発言した。あまりに次元の低い見解であり、到底容認出来ない。また慰安婦などとされた女性、というよりすべての女性の尊厳を侮蔑するものであり大変遺憾であり、激しく抗議したい。2013年4月23日、168人の国会議員が靖国神社を公式参拝した。後述するがもっと中国韓国に反発されないような英霊たちを供養する施設は造れないものか?香港の活動家たちは何故上陸出来たのか?海上保安庁の目をかいくぐって何故上陸出来たのか?ニュースだけではわかりませんね。多分、活動家のバックにお金持ちのパトロンがいてお金を出しているのでしょう(中国政府関係者も含めて)。だが、今回も強制送還で「正解」である。何故なら国民も民主党議員や凡俗の政治家も知らないかつての自民党と中国側との昔の「密約」があったからです。それは(1)中国は、実効支配の原則から尖閣諸島を日本領土として認める。(2)しかし一方で、中国も国内法では領土権を主張できる。というもの。尖閣諸島で逮捕した中国人は「密約」によれば日本で裁判にかけることなく逮捕して中国側に引き渡すのが「正解」であり、「約束」なのです。ゆえに、今回は中国政府も公式には大きく騒ぎ立てるようなことをしていないのです。オスプレイ問題もまた「「軍政」に関わることは米軍に従う」という日米安保条約ならびに「沖縄返還の条件」でもあります。知らないのは国民と民主党政治家と無能集団だけ、というまたまた「お先真っ暗」な状態なのです。ベトナム戦争や湾岸戦争などでも、日本の国防とは関係ない争いでも、米軍が沖縄を利用したのは「約束通り」に米国軍は「軍政」として沖縄をつかったまでなんです。日本政府(国)が合意しているのですから、米国軍人からみれば「当たり前じゃん」ということ。沖縄県知事や県民や日本国民は「沖縄の軍政に文句を言う権限」など密約上ない、のです。北方領土もまたしかり、です。北方領土に関しては森喜朗元首相がその辺を知っていますから森氏に任せるのが正解ですね。残念なことに民主党議員も国民も無知で傲慢です。「脱原発」だの「沖縄に基地いらない」だの無邪気に強く主張はしますが、「外交感覚ゼロ」…まるで「集団ヒステリー」「農民一揆」「団塊世代の安保闘争」です。こういう密約があることさえわからぬでしたり顔で主張してないで、ここはまず反省と熟考の余地を、という事ですね。2015年8月15日は1945年8月15日から70年目の終戦記念日ですね。ですが、韓国の大統領が「日本の天皇(皇后両陛下)は訪韓して謝罪」するべきだ、とお冠です。どうも国内の不満分子の「ガス抜き」のようなんですが至極至言だと思います。本来ならば韓国や中国などのアジアの首脳に促されるまでもなく、「侵略戦争の謝罪と賠償」など昭和天皇・裕仁が何十年も前に、私緑川鷲羽わしゅうなど生まれる遥か昔に「日本国家としての謝罪と賠償」は解決していて当たり前で、私のような戦争世代からみれば「穴の青いガキ」にいわれるまでもない話です。現実が見えていない。私は「国際法上(韓国や中国だけの法廷ではなく)間違いなく過去の日本軍人ならびに日本軍に「被害を受けたことの証拠」」があるなら国家として謝罪し賠償金を払うのは道理である、と思います。日本人はナチスやヒトラーは悪く言うくせに「過去の日本軍部」「無辜の民何万人も虐殺した「真実」」からは逃げますね。国家としてよくないスタンスだと思う。もっとまともな国家・日本でないとこれまた困ったものだと思います。改めて上杉の義と論語と算盤が必要ですね。 戦後70年2015年8月15日は終戦(敗戦)から70年目ですですが、実は8月15日が終戦記念日なのは日本だけです。世界では1945年9月2日が終戦記念日(アメリカでは対日戦勝記念日(VJ Day))です。つまり、東京湾に浮かんだ米国艦ミズーリ号で日本が降伏条約に署名した日です。何故日本では8月15日かは昭和天皇の玉音放送があったからなんです。もちろんラジオでです。当時の方にお聞きすると朝に「正午に天皇陛下からのお言葉がある」と知らされ正午に直立不動で「耐え難きを耐え、忍び難きを…」という玉音放送を聴く訳です。が、当時のひとはよく意味がわからなかった、といいます。その後のアナウンサーの説明でやっと「敗戦」と知り、大人たちは号泣した訳です。日独伊三国同盟対60ヶ国で1億人の兵士が動員されました。ちなみに「第二次世界大戦」は1939年のナチスドイツのポーランド侵攻からのおおまかな大戦のことです。「太平洋戦争」とはアメリカからみた戦争で1937年のABCD包囲網(米国、英国、中国、オランダによる日本への経済制裁)から1941年12月8日の日本軍の真珠湾奇襲攻撃から見た対日戦争です。「大東亜戦争」とは日本側からみた戦争で、当時帝国日本は「大東亜共栄圏」という神国日本がアジア諸国を占領から開放するという「侵略案」からみた戦争です。1945年5月7日にはナチスドイツもイタリアも降伏。後は日本だけになり、「降伏書」が突きつけられますが、日本は「黙殺」。つまり無視して、トルーマンは「しめた。核実験が出来る」と広島と長崎に原爆を落とします。その後、ソ連まで攻め込んできていよいよ駄目だな、とやっとポツダム宣言を日本がのむ訳です。国連の議長と米英仏の大使が参列しました。だが、実は米国では核の被害や死体やらが教えてられていません。「原爆投下は戦争終結を早めた」という詭弁を教えています。またベトナム戦争での枯葉剤での奇形児も教えられていません。まあ、「臭い物に蓋」をしている訳です。日韓併合(侵略)から100年で菅首相(当時)は「痛切な反省と心からのおわび」を表明しました。謝罪みたいですが謝罪ではないという訳のわからぬ表明です。賠償金はどうするのですか?戦争では850万人が戦死しました。民主党政権が靖国神社にかわる国立追悼施設を建設することが明らかになりました。まあ、新たなハコモノか?それとも靖国神社参拝へのアジア諸国からの反発を意識してか?わからないです。長崎の原爆の日(8月9日)70年目がありました。長崎市長は「すべての核武装国のトップは長崎にきてください」と宣言しました。これはオバマ米国大統領のプラハ宣言(核兵器保有国の核兵器廃棄宣言)を受けてのことです。ちなみに「広島の原爆ドーム」は「広島県産業会館」というもので、今、平和公園となっている広場は「中島地区」という4400人が住む住宅街でした。それが、相生町のT字橋をターゲットに原爆を落とされ一瞬にして焦土と化す訳です。何故アメリカが「原爆」を造ったか?はナチスドイツが原爆を開発中で、ドイツ系ユダヤ人のアインシュタインがローズヴェルト大統領に「原爆を開発中するべき」と手紙を送ったからです。で、実験の為に日本に二回も落とした訳です。ですが、今、世界のひとを何億回も皆殺しに出来る程、1発で広島原発の1000万倍の爆発力です。「これはいかん」と思ったのか、国連常任理事国(米国、フランス、英国、中国、ロシア(旧ソ連))が、核拡散防止条約(NPT)をきめこの5カ国以外「核兵器保有」を禁止します。ですが、加盟してないインド、パキスタン、イラン、シリア、北朝鮮などが保有もしくは開発中です。南米でも特にブラジルとアルゼンチンがもめていて「トラテラルコ条約」が批准されブラジル、南ア、リビア、アルゼンチンが「核放棄」します。86年レイキャビク会談でレーガンとゴルバチョフ書記長が会談して東西冷戦が崩壊します。「戦略核兵器(ICBM)」と「戦術核兵器(戦争下で使用される核ミサイル)」があり、「戦略核兵器」を米露が減らそうとしている訳です。が、広島原爆投下の慰霊の日には右翼で元・自衛隊幕僚長の田母神(たもがみ)氏がその広島で「日本の核武装発言」でひんしゅくを買ったという。北朝鮮がいろんな悪辣なことをやると「日本も核兵器を。保有国になるべきだ」などというのが聞かれるが、馬鹿だと思う。核武装などしなくても、在日米軍基地にすでにある。また私は戦争は悪だと思う。またやるべきではないし、自衛隊の「先制攻撃能力を」などという武装論などとんでもないことです。この世界で「戦争が大好きだ」などという馬鹿はいません。が、自衛の為の戦いは自衛隊でなく在日米軍がやってくれます。だから日米安保があるのです。何の為の日米安保ですか?何の為に在日米軍に何十億円も払っているのですか?例えば私はアメリカ軍が軍事行動をするのはおかしいって思いません。例えばナチスドイツや帝国日本軍を連合軍が叩き潰さなければ今頃世界はどうなっていましたか?ユダヤ人や朝鮮人中国人は絶滅させられたかもしれない。が、だからと言って自衛隊がアメリカ軍やロシア軍みたいに戦える訳はありませんよ。自衛隊にそんな能力はありません。よく考えてください。過去の日本人の「侵略戦争」の罪と罰です。過去は過去という訳ありません。過去の日本人による罪と罰は妄想で過去の日本人や皇室天皇をヒーローやヒロインにしても変わらないって思っています。「八紘一宇(はっこういちう)」(皇国日本が侵略されたアジアを救うという建前論)や「大東亜共栄圏」だの言って、アジア諸国を侵略したのはどこの何という国ですか?例えば日本人は過去の戦争を「被害者」として語ります。が、本当に小林よしのりや櫻井よしこがいうような「過去の日本人」は「被害者」だったのでしょうか?「新しい歴史教科書をつくる会」という右翼集団の教科書を横浜市の8区で採用していいのでしょうか?確かに神風特攻隊や回天特攻隊やひめゆり学徒隊や広島長崎の原爆や沖縄戦やシベリア漂流など悲惨でしょうか。東京大空襲など悲惨です。またエノラ・ゲイ(広島に原爆を落とした爆撃機)の元・乗組員のモリス・ジェンプソン氏(87)がいまだに「原爆投下は戦争早期終結の為に必要だった」などという。確かに彼の立場ではそう言い訳するしかありません。だが原爆など投下しなくても戦争早期終結はなったと思います。当時の日本は焼け野原です。誰しも戦う気力すらありませんでした。当然一部の軍人は竹槍でも戦うのであろうが、象に立ち向かう蟻です。が、では我々自身は日本人は被害者だったのでしょうか?何もしていな
いのでしょうか?違います。まず日本が侵略戦争をしたのでしょう?アジアや朝鮮半島中国を侵略して大量の無辜の民(百万人)を虐殺強姦などや暴行をしたのです。確かに過去の戦争での悲惨な体験は語り継ぐべきです。が、それは「前提条件」が付きます。それは「日本人が過去の侵略戦争」をきっちりと謝罪して、間違いなく過去の日本軍人に「被害」を受けたという人には賠償金を払うのが当たり前ではありませんか?また「侵略戦争」や「大虐殺」を「無かった」という人にいうと、確かに「南京大虐殺虐殺人数は30万人」というのは信憑性が薄い。が、30万人でなく1万人でも1000人でも殺されれば「虐殺」なのです。小林よしのりや櫻井よしこに騙されるな。過去の日本人に確実に被害にあったひとには賠償金をきっちり払うことです。日本軍の元捕虜やアジアの殺害・被害を受けた無辜の民にもです。謝罪も賠償金もまだなのに過去の日本人をヒーローヒロインにしても誰も話を聞きません。ガキのたわごとです。まずは侵略戦争での謝罪と賠償金です。それから悲惨な体験を語り継ぐべきです。また河村たかし名古屋市長が南京大虐殺を否定するなどとんでもないことです。確かに30万人のクレデビリティはわからない。が、戦後70年も経って今更蒸し返しても利益はありませんよ。まずは侵略戦争での謝罪と賠償金です。わかりますか?ならいいですね。頑張ってくださいね。それからですよ。
話を戻す。またここでは「いわゆるA級戦犯」について書きます。「A級戦犯って誰か?」と聞くとたいていの「小娘」や「若者」は「東條英機(とうじょうひでき)でヒットラーみたいなひとなんですよね?」というだろう。ならその東條英機のプロフィールを紹介します。
東條英機は明治17年(1864年)から昭和23年(1948年)までの人生である。旧盛岡・南部藩士を父に持つ。薩摩長州藩に敗れた南部藩出身の父は陸軍軍人だったが不遇なままだった。東條英機は陸軍軍人になりのちに首相として敗戦後にピストルで胸を撃って自殺を謀るがなれない銃だった為に胸を外れて、GHQ(連合国総司令部)の医者に救われてのちに東京裁判で死刑になった。東條英機は政治には関心がなく「政治は水商売」と嫌っていたという。父親の後を追って、軍人として陸軍に入った。東條英機達は長州閥一掃をするために改革派閥をつくる。それらが議会の統制を目指す「統制派」と議会を無視して天皇を掲げる「皇道派」に分裂します。東條英機はソ連と小競り合いを起こして「退役」となる筈だった。が、支那事変(侵略)で東條英機達の兵士団は活躍して東條英機は55歳で陸軍大臣(政治家)に推挙されます。昭和15年のことです。東條英機は事務的な官僚気質の政治家で何の野心も謀略性も
ない。その東條英機と対極の人物が満州事変(侵略)を起こした石原莞爾(いしわら・かんじ)だ。東条英機はメモ魔で事務処理能力が高い官僚型天才タイプ、石原莞爾は破滅型天才タイプ。石原と東条は水と油だった。それでいて二人とも自意識過剰といっていいほどプライドが高いことだけは共通していた。
 感情的にまで対立は深まり、東条が陸相の時、自ら指示して石原を予備役に追放してしまった。東条は自分に反抗する者には容赦しない狭量さがあった。その反面、従順な部下や弱者にはとてつもなく優しく、涙もろいという、極端な性格だった。謹厳実直、厳格、生真面目、几帳面、繊細、神経質な東条は、自らの地位を利用して私腹を肥やすなどもってのほかと、清廉で模範的な軍人であり続けた。だが、部下の些細な事でもいちいち論って批判するなどで嫌われた。
 東条英機が陸相時代に作成させたものが悪名高い『戦陣訓(せんじんくん)』である。だが、実はこれは東条の発案ではない。軍記・風土の研究をする今村均中将の発案である。”死して虜囚(りょうしゅう)の辱めを受けず”が戦争末期の玉砕戦法や住民まで及んだ自決の元凶だといわれる。しかし、もともと『軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)』があるのに暗記させられたので、『戦陣訓』は兵隊には不評で、精神主義に偏り過ぎた内容に異論もあったという。
 だが、『戦陣訓』の文章だけで兵隊が自決したというのは、少し短絡的すぎないか?実際の日本軍人の死者行方不明者は370万人だというがその90%以上は飢餓や病気による死亡で、銃弾による戦死よりよほど多かったのだ。但し、小林よしのりがいうような「ハルノートみたいなものをつきつけれれればモナコやルクセンブルグのような国でも戦っただろう(パール判事談。侵略戦争を正当化するペテンで詭弁)」というのは訂正して欲しい。詭弁であり、統帥権=悪、という司馬史観もどうかと思うがあまりに潔くない。東条は太平洋戦争開戦でボロ負けすることがわかっており、開戦の深夜、皇居の方に向かって部屋でひとりで号泣していたという。
”大東亜共栄圏”などという「絵に描いた餅」を根拠に小林よしのりは侵略戦争を正当化するがおかしいのか?侵略戦争の詭弁だと何故気づかないのか?結局、近衛文麿(このえふみまろ)首相は米国のローズヴェルト大統領と会談できないことで政権を投げ出す(近衛文麿は敗戦後に服毒自殺した)。
後任は皇族の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)がいいとなるけど…「皇族が敗戦の責任を取らされるのは如何なものか?」ということで東條英機が突如として首相になる。「貧乏籤」を引かされた訳です。東條英機は何とか戦争回避を模索するが、コーデル・ハルのいわゆる「ハル・ノート」を日本は突き付けられて、軍部が暴走して真珠湾攻撃をしてしまった。まあ、東條英機はスケープ・ゴート(生け贄の羊)にされた感じはある。だが、私は小林よしのりのように東條英機を「英雄視」したりしない。彼は昭和天皇(裕仁)の代わりに死んだのだ。東条は「開戦は私の進言、それは「開戦の詔勅(しょうちょく)」」である。と天皇を守り抜いた。
死刑判決を受けたのは土肥原賢二(陸軍大将)、広田弘毅(こうき、外務大臣、城山三郎著作「落日燃ゆ」の主人公)、板垣征四郎(首相、陸軍大臣)、木村兵太郎(ビルマ軍指令大臣)、松井石根(いわね、上海軍指令大臣)、武藤章(陸軍省総司令)、東條英機(陸軍大臣、首相)である。
ちなみに「A級戦犯」とは「もっとも悪いことをした犯罪者」ではない。戦争を指導した責任者です。B級戦犯は戦場で命令する立場の兵士。C級戦犯は虐殺や強姦や泥棒行為をした兵士です。BC級でも1061人が死刑になっている(映画「私は貝になりたい」参照)。だが、「日本にはA級戦犯などいない」だの「東京裁判はペテン」だの「侵略戦争ではなく大東亜戦争は抑圧されたアジア人の解放の為の聖戦だった」等という大嘘を私はいうのではない。広島長崎の原爆投下は『人体実験』『破壊実証』のために必要であり、アメリカ人が学校で教わるような「戦争早期終結の為の原爆投下」ではないのも知っている。原爆実験をする前に敗戦されては米軍が困るので天皇制度の維持(いわゆる「国体維持」)をあいまいにしていた。原爆実験が済んだので日本側の「ポツダム宣言受諾」をOKしたのだ。歴史は戦勝国の都合のいいように替えられる。臭いものに蓋をして現在も戦争に明け暮れる米軍、中東、世界…これでは文句も言いたくなる。気持ちはわかるがもう少し考えてから発言しなさい。
  いわゆる東京裁判ではアメリカ人のふたりの弁護士、ブレイク二―とファーネスが「事後法で日本人は裁けない」と当たり前だがいった。日本国軍はナチスヒトラーのように世界征服を企んだわけではない。侵略戦争もある程度の虐殺もあったが、ナチスではない。ブレイク二―は法廷でこう発言した。「我々は広島長崎に原爆を投下した者の名を挙げる事が出来る!投下を計画した参謀の名も承認している。その国の元首の名前も我々は承知している。彼らが殺人罪を意識していたか。してはいまい!原爆を投下した者がいる!その者が裁いているのだ!」
 だが、この発言が始まると、(マッカーサー元帥の指示した)「チャーター」で定められたはずの同時通訳が突然止まり、日本語の速記録にもこの発言は記載されなかった。勝者の都合の悪いことは闇から闇へ!、である。

ちなみに戦争の犯罪の定義があります。(1)一般住人非戦闘員に危害を加えてはならない(2)軍事目標以外を攻撃してはならない(3)不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使ってはならない。(4)捕虜を虐待してはならない。確かに連合国軍人も虐殺をしたが日本兵士だって虐殺はしています。原爆投下は確かに許せない戦争犯罪です。が、だからといって「被害者意識丸出し」で世界に訴えても何もかわらないのですね。
1945年、日本はポツダム宣言を受けて「(無条件ではなく条件つき)降伏」をします。すべては少なくとも欧米は「天皇・裕仁こそムッソリーニ、ヒットラーだ」と見ていた。が、結果は天皇の罪を東條英機や広田弘毅がすべてかぶり、A級戦犯として極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けて死んだのだ。彼らは処刑台に向かう前に花山信勝(しんしょう)という教誨師(きょうかいし、矯正施設や刑務所で受刑者・協会信者の為に祈る宗教者)にお経をあげてもらい「天皇陛下万歳!大日本帝国万歳!」と三唱して処刑された。

天皇・皇后両陛下の葬儀、17世紀以来の火葬に。宮内庁発表、陵は寄り添う形。 宮内庁は14日、天皇、皇后両陛下の意向を受けて検討を進めてきた「今後の陵と葬儀のあり方」を発表した。陵の墳丘の形状は従来通りで、天皇・皇后陵が隣り合う形にし、敷地面積を昭和天皇・香淳皇后陵の8割程度にする。また江戸時代前期から続いてきた土葬を火葬に変更し、火葬のための新たな儀式を行う。天皇の火葬は1617年の後陽成天皇の葬儀が最後で、葬法の歴史的転換になるが、他に大きな変更はなく、旧皇室喪儀令などに基づく戦前の形式が継続することになった。陵の予定地は東京都八王子市の武蔵陵墓地の大正天皇陵西側になる。宮内庁は昨年4月、新たな陵と葬儀のあり方の検討を行うと表明。両陛下は武蔵陵墓地の用地に余裕がなくなっていることや国民生活への影響を少なくすることを考慮して検討を進めてほしいとの意向を示されていた。また一般社会で火葬が通常化していることなどから火葬を希望された。陵は明治天皇陵から続いている「上円下方」の墳丘形式を踏襲。従来より大きさを縮小した天皇、皇后陵が並び立つように配置する。皇后陵は天皇陵より小さめになる。(2013年11月15日読売新聞記事参照)2013年10月31日の秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡した山本太郎参院議員(無所属)に対し、1日、議員辞職を求める声が相次いだ。自民党の脇雅史参院幹事長は党役員連絡会で「憲法違反は明確だ。二度とこういう事が起こらないように本人が責任をとるべきだ」と要求した。橋下徹氏は「日本国民であれば、法律に書いていなくても、やってはいけないことは分かる。陛下に対してそういう態度振る舞いはあってはならない。しかも政治家なんだから。信じられない」と批判。(2013年11月1日毎日新聞)2013年6月9日、「皇太子さまと雅子様のご成婚から20周年」でした。早いものです。愛子さまも大きく成長された。雅子さまのご病気は依然として予断を許さないがご快復をお祈りいたしたい。雅子さまと皇太子さまは、オランダに公務でいらっしゃった。週刊誌などは「園遊会に欠席したのにオランダにはいった雅子さま」などと批判しているが雅子さまの精神障害(適応障害)が大変重いことがわかっていない。精神病は見えない心の病気だからわからないのだ。どれだけ苦しいか。2012年6月6日、16回目のがん関連手術を受けた仁(ともひと)親王殿下(66)が亡くなられた。「髭の殿下」として慕われたが病気には勝てなかった。イギリスのエリザベス王女が戴冠式のとき、当時19歳の皇太子だった明仁天皇(学習院大学在学中)は列席なさっていますね。また皇太子妃・雅子さまがご体調を崩されたようです。原因としては愛子さまの登校に1年以上同伴してメンタル面でダメージがあったそうです。また政府の検討では「女性宮家は1代限り」だそうです。女性皇族(宮家)の夫や子供は皇族ではないということです。「女性宮家」だのより「旧宮家」から養子をとったりすればいいのでは?とも思いますがね。2012年2月18日天皇陛下の心臓バイパス手術が成功しました。まずはよかった。2015年12月23日天皇明仁が81歳になった。最近は天皇も耳が遠くなり、皇后も病を抱えている。「新年祝賀の義」が開かれてお手振り(笑)しましたね。09年11月12日、政府の式典「平成天皇即位20周年記念式典」が開かれた。それに先立って皇居・宮殿「石橋(しゃっきょう)の間」で(平成)天皇と皇后は記者会見を開いた。天皇は「「象徴」の在り方を今日まで模索中である」という。即位したのは90年11月12日である。私はその当時を覚えている。あの意味不明の「即位の礼」皇居・正殿での醜悪なナショナリズムのオンパレードの「即位礼正殿の儀」という国儀だ。「天皇陛下万歳!皇后陛下万歳!」というあれだ。中国の次世代リーダーの習近平氏と天皇が会見したことで野党自民党や羽毛田宮内庁長官は「30日ルール(天皇と外国の国家元首が会う場合によって30日前に宮内庁に相談するルール)」が破られた。と騒いでいます。が、皇族は官僚や政治家と同じようにパブリックサーバント(公僕)なんです。日本の国益の為に会うのは間違いではありません。また愛子ちゃんがいじめで不登校であるそうですね。この異例の報道は危険だと思います。愛子ちゃんがいじめられているとかは子ども達の話しです。発表してマスコミが報道することで、乱暴をふるったとされる男子小学生は「天皇の孫をいじめた悪童」として社会的に抹殺されたり自殺したりしたら宮内庁や皇室担当マスコミは自殺の責任を取れるのか?可能性はゼロではない。ここでは「天皇論」を展開します。まず「国歌・君が代」ですがおかしいって思いませんか?「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」…主権在民を唄っておいてなんで君が代つまり「天皇の代」が「苔のむすまで未来永劫続け」と唄わなければならないのですか?確かに江戸時代は婚礼の際やらで庶民的な唄であって、「君が代」は古今和歌集の一句であることは知っています。が、この詩に曲が付けられたのは明治13年、天長節(11月3日)に宮中宴会で披露されてからです。つまりここからは「君が代」が「天皇の代」になっ
た訳です。「君が代は天皇の代ではない」など詭弁もいいところです。古来天皇の最も重要なつとめは祭事を行うことといわれ、春秋の皇霊祭、神嘗祭(かんなめさい)、新嘗祭など年間30回にもおよびます。天皇はいわゆる「超能力者」みたいな感じで、神の子孫(イザナギやイザナミやスサノオや天照大神の子孫)といわれています。無論そんな神の子孫な訳ありません。皆さんは天照大神を本当に心から信じられますか?それが答えです。だが天皇制度は推古天皇(608年)から数えても1400年以上の歴史があります。天皇はエンペラー(皇帝)ではなく祭司王です。国家元首で天照大神の弟のニニギノミコトの曾孫が初代・神武天皇です。なお正月の一般参賀は皇室の「長和殿」でいわゆる「お手振り」をやる訳です。ちなみに今の平成天皇(今上天皇)の名前がわからない方もいるかもしれない。昭和天皇は裕仁(ヒロヒト)、平成天皇(今上天皇)は明仁(アキヒト)、皇太子は徳仁(ナルヒト)です。「仁」の字は第56代清和天皇(858
年から876年)の推仁(これひと)で初めて使われ、第70代後冷泉(ごれいぜい)天皇の親仁(チカヒト)以来わずかな例外を除き「仁」を使うのが通例になっている。明治時代から皇子には「仁」皇女には「子」をつけるのが正式に決まった。名前を本名で呼ばないのは「位が高い」から(笑)。生前の事績を称える「諮号(しごう)」明治天皇、大正天皇、昭和天皇、いずれも造年であり、生前は呼ばない。在任中は「今上(きんじょう)天皇」と呼ぶ。天皇皇后および皇太后、太皇太后(たいこうたいごう)を陛下、それ以外の皇族は殿下である。秋篠宮の子供は眞子内親王殿下、佳子内親王殿下、悠仁親王殿下です。天皇皇后および皇族には姓がありません。また天皇には戸籍もありません。即位拒否や退位の自由も「自分の意見をいう権利」もありません。婚姻の自由もありません。まずは宮内庁の「皇族会議」で決まります。明仁天皇(平成天皇)と皇后美智子さんが前にサイパ
ンに慰霊の旅に出て「バンザイクリフ(戦争中に日本人たちが「天皇陛下バンザイ」と叫びながら投身自殺した崖)」で手を合わせた。こんな謝罪は謝罪じゃない。こういったことは昭和天皇がとっくの昔にアジア諸国を回って謝罪の旅に出るべきであって、今更遅いのである。昭和天皇は現人神(あらひとがみ)で軍服をきた、陸海空軍を統べる「大元帥」だったのだから。確かに「人間宣言」をしたが、昭和天皇には「戦争責任」が確実にあった。確かに「日本の象徴」としての天皇制度は私は否定しない。だけど私は小林よしのりのように天皇を「神格化」したり「ありがたがったり」しない。象徴ではあるが、皇族は政治家や官僚と同じく国民の納める税金で食べさせてやっている「パブリック・サーバント(公僕)」です。何故、「ヒトラーと同じく独裁者と欧米から見られていた昭和天皇・裕仁」が罪に問われなかったのかは分かる。当時、GHQのマッカーサーは「天皇制度」を廃止しようとしていた。が、「天皇制度を廃止したら日本人が内戦を
起こす」「天皇制度を廃止したら日本はまた戦争をする」「天皇制度を廃止したらとんでもない独裁者が出現するかもしれない」というミス・インフォメーション(根拠のない噂)を受け入れて天皇制度を廃止しなかっただけだ。が、天皇制度を廃止しても誰も内戦など起さないし、動乱も独裁者も現れはしなかっただろう。それどころか天皇制度という「昔からの曖昧な制度」を残した為に日本人は「無責任」「批判もなく天皇を崇める」本当に無責任な他人頼りになった。天皇制度は何らかの制度疲労を起こしている。その典型的な例が「雅子さんの精神疾患」や「皇后の失語症」だろう。まあ、私自身がうつ病不眠症の「適応障害」である為に雅子さん(小和田雅子さん)の「痛み」がよくわかります。心の病気は目に見えない部分で普通のひとには「落ち込んでいる」としか見えない。だからうつ病のひとに「頑張れ」と言ってしまう。「頑張らなければならない」ことなどわかっています。でも病気で「頑張れない」のです。私の兄貴(緑川和宏)などは
うつ病の症状どころか病名さえ知らず「お前を大人だと認めていない」といいました。猿には私が「さぼっている」と写ったようです。心ない言葉や罵声、嘲笑がいかにうつ病の患者を傷つけるか?皇太子の家族が住む「東宮御所」が改築されて屋根にはソーラーパネルが付けられたという。先日、あるひとが「明治維新を起こした志士はすごかった。その同じ日本人の血が流れているのにどうして今の日本人は維新の革命を出来ないのか?」と私に聞いてきた。よくある意見ではある。確かに坂本竜馬だの西郷
隆盛だの勝海舟だの桂小五朗(木戸孝允)だの何度もドラマになっている。わが国では明治維新こそ「日本のフランス革命である」という。が、果たして薩摩や長州の藩士達は「日本のフランス革命」を果たしたのであろうか?私は明治維新は「革命」でもなければ「刷新」でもない。所詮は日本のトップが、将軍から天皇に代わったイノベーションに過ぎないと思っている。絶対王制を打ち倒し、過去の土地支配の上に成立する貴族階級をすべて廃止して、「王がどれほどのものだ。ひとりのフランス人に比べればゴミと同じ存在だ」というルソーの有名な言葉に代表される「フランス革命」のパワーとメンタリティは「明治維新」のどこにも見られない。結局、明治維新の志士達は「天皇制」という「昔からの曖昧なシステム」に逃げ込んだだけです。大嘗祭だの即位礼儀という意味のないセレモニーに数十億円という税金が使われたのに誰も咎めない無責任さ。結局、この程度だからナショナリズムと国粋主義の区別もつかない。漫画家だけでなく大学教授まで「侵略戦争」を
否定して「過去の日本人が悪いなんて東京裁判史観だ」だの侵略戦争下での大虐殺や強姦行為を他人事のように「遺憾に思う」だけ。大人の国なら当たり前の謝罪がない。謝罪もしない。賠償金も払わない。他人事のように「遺憾に思う」だけ……。
明治維新のどこが維新の革命なのだろう?只将軍から天皇に首をすげ替えただけだ。(ここから官僚政府が誕生した。それから120年後で官僚独裁制が確立した。官僚独裁制を警戒した経済学者がマックス・ウェーバーだった)結局、この程度だからナショナリズムと国粋主義の区別も出来ない。おまけに天皇のクレームには右翼が銃撃戦争で答える有様である。天皇制を金科玉条のように崇め、誰も逆らわない。曖昧な天皇制にどっぷりとつかり誰も文句が言えない。言った途端に右翼が後ろから銃撃してくる。天皇陛下が悪い訳ではありません。雅子さんが悪い訳ではありません。結局、天皇制を利用している「側近」や「宮内庁の利益集団」「皇室担当マスコミ」の皇産複合体が「元凶」なのである。即位礼儀は別にいいかもしれない。が、現在の天皇陛下が崩御した後に雅子さんが新皇后陛下となり得るか?皇太子に次期天皇陛下の重責が担えるか?後継者はどうするつもりなのか?疑問ばかりです。即位礼儀や成婚50周年記念写真集だのの前に考えることが山積し
ているのである。日本人は天皇陛下万歳という前に自分の頭でよく考えることだ。

僕緑川鷲羽がベッキーが大嫌いなきっかけ「自己中・盗作魔・守銭奴・元気の押し売り」

2015年10月25日 19時46分23秒 | 日記






****ベッキー(レベッカ・レイボーン)に過去に送ったメール*****

 ベッキーへ!私緑川鷲羽と大島優子と篠田麻里子と大島麻衣と芹那と秋元才加と光宗薫とでのhyper grooveの新音楽ユニットに加入しませんか?僕は君のことを高く買っているんだ。僕は天才だが、君もいい曲をつくる天才だ。メンバーには作詞作曲も指導する予定だ。どうか郵送済みのデモ曲(CD-R)を偏見なく聴いてほしい。きっと「この曲は売れる」と分かる筈だ。君なら『出藍の誉れ』も不可能ではないだろう。期待を裏切らないで、サンミュージックや太田プロやキングレコードにhgの企画を動かす与力をしてほしい。働きかけを!君はパンドラの匣に最後に残った希望(エルピス)だ。がっかりさせないでくれ!
嫌ならこのメールは無視していい。音楽でアーティストとして活動し儲けたいならやるべき!それが最後のチャンスを活かす最後のチャンスだ!嫌なら君のかわりに大島優子がサブ・リーダー兼ファシリエータになるだけ。音楽でも成功したくないか?
今年来月中に考えて結論を出してくれ!郵送済みの企画書に住所も本名も書いてある(デモ曲も)。本気で音楽面を強化したいならまず私の自宅にきてくれ!嫌ならこのメールは無視してくれ。事務所に「hyper groove」をやりたい、と頼む。人生で最後のチャンスを逃すな!嫌ならこのメールは無視してくれ!最後のチャンスを逃さないように!  緑川鷲羽フリージャーナリスト・作家・プランナー・ストラテジィスト


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(ベッキーのブログのコメントに書き込んでもすぐにあっという間に削除されるからおわり!ベッキーパージ(粛清)決定2014年10月9日)結局、僕の運命の女性はベッキーなんかじゃなく元・AKBの大島優子らだったということ(笑)正直、外国人苦手なんですよね、私(笑)
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hypergroove音楽土台はTMNETWORK小室哲哉先生のスコア「音楽家志望者よ、KM誌を抱け!」

2015年10月25日 15時26分02秒 | 日記






僕のhypergroove音楽の土台はTMNETWORKの小室哲哉先生のスコアですね(笑)


一番はキーボードマガジンという雑誌。


SEQのパターンとか(笑)


TMの楽譜で様々なSEQやハンドクラップとかアレンジ編曲や


メロディの活かし方とかTMが教科書。


音楽会社が僕の企画で動かぬなら新型シンセで再編曲!


hyper grooveは僕緑川鷲羽+大島優子・篠田麻里子・秋元才加・芹那・大島麻衣・光宗薫

必ず動かす!僕の曲や音楽hypergrooveはクズでも糞でもない!

動くまで死ねない!必ず新型オールインワンシンセサイザーで動かす!



緑川鷲羽そして始まりの2015年あるいは2016年へ!臥竜

石原莞爾 旭日旗の悪魔<ノモンハン事変>石原莞爾の侵略と虐殺と ブログ連載小説4

2015年10月25日 08時15分00秒 | 日記








昭和二十年八月十四日

その他[編集]
学習院初等科に在学中だった皇太子明仁親王は、疎開先の奥日光の南間ホテルで迎えた終戦の玉音放送の際に、ホテルの2階の廊下に他の学習院生と一緒にいたが、皇太子という立場を慮った侍従の機転によって(内容が内容だけに、何が起こるか分からない)御座所に引き返して東宮大夫以下の近臣とともに放送を聞いた。放送の内容には全く動揺を示さなかったが、放送が終わると静かに涙を流し、微動だにしなかったという。
宮脇俊三の『時刻表2万キロ』・『時刻表昭和史』では父・宮脇長吉と今泉駅で玉音放送を聴くが、その際も鉄道が動いていたことが描写されている。
佐伯達夫(後の高校野球連盟会長)は玉音放送を聴いた瞬間、「これで中等学校野球(現・高校野球)が復活するぞ!!」とひらめき、連盟設立に奔走するきっかけとなった。
佐藤卓己の著書『八月十五日の神話』(ちくま新書・2005年(平成17年))では、「当時の人々は、玉音放送の内容を理解できなかった(後に流されたアナウンサーの解説で理解した)」「報道機関には前もって日本の敗戦が知らされ、記者は敗戦を知ってうなだれるポーズを撮影した写真を、放送前にあらかじめ準備した」といったエピソードが紹介されている。
この玉音放送以後、昭和天皇が直接国民に対してその声を放送波に乗せるということはなかった。なお、他の天皇のものも含めれば、この66年後、東日本大震災において今上天皇が発した「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」があり、これは「平成の玉音放送」と呼ばれることもある。
****「昭和天皇の戦後の御巡幸」**「人間宣言」**
昭和天皇の戦後の巡幸都道府県一覧
昭和天皇の戦後の巡幸都道府県一覧(しょうわてんのうのせんごのじゅんこうどとうふけんいちらん)は、戦後の混乱期と復興期に当たる1946年(昭和21年)から1954年(昭和29年)までの間に、昭和天皇が巡幸した都道府県と年月日の一覧である。ほとんどの巡幸にはお召し列車が使われた。
1946年(昭和21年)
神奈川県 2月19日 - 20日
東京都 2月28日 - 3月1日
群馬県 3月25日
埼玉県 3月28日
千葉県 6月6日 - 7日
静岡県 6月17日 - 18日
愛知県 10月21日 - 23日
岐阜県 10月24日 - 26日
茨城県 11月18日 - 19日
1947年(昭和22年)
大阪府 6月5日 - 7日
和歌山県 6月7日 - 9日
兵庫県 6月11日 - 13日
京都府・大阪府 6月14日
福島県 8月5日
宮城県 8月6日 - 7日
岩手県 8月7日 - 10日
青森県 8月10日 - 11日
秋田県 8月12日 - 14日
山形県 8月15日 - 17日
福島県 8月17日 - 19日
栃木県 9月4日 - 8日
長野県 10月7日
新潟県 10月8日 - 12日
長野県 10月12日 - 14日
山梨県 10月14日 - 15日
福井県 10月23日 - 27日
石川県 10月28日 - 30日
富山県 10月30日 - 11月1日
鳥取県・島根県 11月27日 - 12月1日
山口県 12月1日 - 5日
広島県 12月5日 - 8日
岡山県 12月9日 - 11日
1949年(昭和24年)
福岡県 5月19日 - 21日
佐賀県 5月22日 - 23日
長崎県 5月24日 - 27日
熊本県 5月29日 - 6月1日
鹿児島県 6月1日 - 4日
宮崎県 6月4日 - 7日
大分県 6月8日 - 10日
1950年(昭和25年)
香川県 3月13日 - 17日
愛媛県 3月17日 - 20日
高知県 3月21日 - 24日
徳島県 3月25日 - 30日
兵庫県 3月31日
1951年(昭和26年)
京都府 11月12日 - 14日
滋賀県 11月15日 - 17日
奈良県 11月18日 - 19日
三重県 11月20日 - 25日
1954年(昭和29年)
北海道 8月8日 - 23日
※ 1948年(昭和23年)は東京裁判の判決に備え、御巡幸は行われなかった。御巡幸では漁民に「大漁おめでとう」。背広の袖をつかんだままずうっとついてきた子供から「またきてね」に「またくるよ」と笑顔。「天子さまはどこかいな?」と人ごみをかきわけたおばあさんが昭和天皇と並んで歩いていて気づかずみつけられず一緒に歩く。田舎の山道でキノコ狩りしていた御嬢さんに「これなあに?」「ずぼたけ」「これは?」「まいたけ」という不思議な会話もおおかったという。
ちなみに昭和天皇の口癖は「あ、そう。」という言葉だ。高校生時代の担任の先生が、”昭和天皇の口真似”をしていたのを思い出す。
※ 北海道へは津軽海峡に機雷の残留の可能性もあり、危険の回避から1954年(昭和29年)に先送りされた。
※ 復帰後の沖縄県への巡幸はついに叶わなかった。なお、次代の天皇によってようやく47都道府県すべての巡幸が達成されたほか、即位後15年間だけですべての県への訪問が完了している。
人間宣言
人間宣言(にんげんせんげん)は、1946年1月1日に官報により発布された昭和天皇の詔書『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』の通称である。当該詔書の後半部には天皇が現人神(あらひとがみ)であることを自ら否定したと解釈される部分があり、狭義にはその部分を表現する名称としても用いられる。なお、人間宣言という名称は当時のマスコミや出版社が付けたもので、当詔書内には「人間」、「宣言」という文言は一切ない。
詔書の概要[編集]
日本の民主主義は日本に元々あった五箇条の御誓文に基づいていることを示すのが、詔書の主な目的だった。人間宣言については最終段落の数行のみで、詔書の6分の1しかない。その数行も事実を確認するのみで、特に何かを放棄しているわけではない。
いわゆる「人間宣言」についての記述は以下の通りである。
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ジョルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

新日本建設に関する詔書より抜粋

このGHQ主導による詔書により、天皇が神であることが否定された。しかし、天皇と日本国民の祖先が日本神話の神であることを否定していない。歴代天皇の神格も否定していない。神話の神や歴代天皇の崇拝のために天皇が行う神聖な儀式を廃止するわけでもなかった。
名称[編集]
この詔書には公用文としての「題名」は付されていない。題名に準ずる「件名」は「新年ニ当リ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス国民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」(官報目録)及び「新年ヲ迎フルニ際シ明治天皇ノ五箇条ノ御誓文ノ御趣旨ニ則リ官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、新日本ノ建設方」(法令全書)と2度にわたり付与されている。しかし、ともに冗長で引用に不便であるため、天皇自身の神格や優れた日本民族が世界を支配する旨を否定する詔書後半部に着目した通称として、学術・教育(教科書)・報道等の場で「人間宣言」、「天皇人間宣言」、「神格否定宣言」などが用いられる。国立国会図書館においても「人間宣言」の名称で所蔵されている。
一方、昭和天皇が詔書の主目的としている五箇条の御誓文を前半部で引用しており、また、詔書全体の文意としては神格等否定を踏まえつつも終戦後の新日本国家の建設を国民に呼びかけたものである。そのため、特定部分に依拠しない通称として、「新日本建設に関する詔書」、「年頭、国運振興ノ詔書」などを用いる例もある。国立公文書館では、片仮名の「新日本建設ニ関スル詔書」の名称で所蔵されている。
(註)法令・公用文における「題名」は、固有の名称としての性格を有し、その改題には正式な改正手続を要するため、引用時に片仮名を平仮名に置換するなど引用側が任意に改変することは認められない(旧字体の新字体置換のみ可能である)。一方、「件名」は、他の公用文において用いる便宜上の名称であって、正式な改称手続自体がないため、引用側において字体のみならず片仮名←→平仮名、文語体←→口語体などの置換が許容される。
起草の経緯[編集]
ポツダム宣言受諾による終敗から4か月余、日本は大日本帝国憲法の施行下にあった。
1945年(昭和20年)12月15日、GHQの民間情報教育局 (CIES) 宗教課は、国家が神道を支援・監督・普及することを禁止する「神道指令」を発した。さらに、天皇は他国の元首より秀でた存在で、日本人は他の国民よりまさっている、といった教説を教えることを非合法化した。しかし、天皇が皇居で執り行う宗教儀式(宮中祭祀)は私的な事柄とされて、禁じられなかった。占領当局は天皇自身で自分の神格を否定してほしいと期待したため、神道指令では天皇の神格について言及しなかった。自分を神と主張したことのない昭和天皇は、占領当局の意向に同意した。
宮内省は、学習院の英語教師・レジナルド・ブライスに、占領当局が納得するような案文を練るよう依頼した。ブライスはGHQの教育課長で俳句の造詣が深かったハロルド・ヘンダーソンに相談し、ふたりは人間宣言の案文を作成した。
12月23日、昭和天皇は、木下道雄侍従次長に対し、前日進講した板沢武雄・学習院教授の講義の内容について語った。板沢の講義は「マッカーサー司令部の神道に関する指令について」と題するもので、昭和天皇が語ったところによれば、最後の結びの言葉は「この司令部の指令は、顕語を以て幽事を取り扱うものでありまして、譬えて申しますならば、鋏を以て煙を切るようなものと私は考えております」というものだった。また、昭和天皇は、興味を引いた点について、「後水尾帝御病にて疚(きゅう)の必要ありしも、現神には疚を差上ぐる訳には行かぬと云う所から御譲位の上、治療を受け給いしこと」、「徳川氏が家康を東照宮と神格化し、家康の定めたることは何事によらず神君の所定となし、改革を行わず、時のよろしきに従う政事を行わず、遂に破局に至りしこと」、「幽顕二界のこと。謡曲の発達、君臣の濃情を言い現わせる謡曲はかえって皇室衰微の時代に発達せること。顕界破れて幽界現われたること」の3点を挙げた。また、天皇は、23日にマッカーサー司令部の高級幕僚たちと鴨猟を行う予定であった石渡荘太郎・宮内大臣に命じて、板沢の話を高級幕僚たちにも聞かせようと考えたが、石渡がすでに鴨場へ出発していたため断念した。
12月24日、昭和天皇は幣原喜重郎・内閣総理大臣を召して、「ご病気の後水尾天皇が側近に医者を要請されたところ、医者の如き者が玉体にふれることは、汚らわしいとの理由でおみせしなかったそうだ。同天皇はみすみす病気が悪化して亡くなられた」という歴史的実例を挙げて、神格化の是非について暗示した。また、昭和天皇は、明治天皇の五箇条の御誓文を活用したいとも話した。これに対し幣原は「これまで陛下を神格化扱いしたことを、この際是正し改めたいと存じます」と答え、昭和天皇は静かに肯定し「昭和21年の新春には一つそういう意味の詔書を出したいものだ」と言った。
12月25日、昭和天皇は、拝謁した木下侍従次長に対し、「木下は昨日留守なりしが、大臣(石渡宮内大臣)より大詔渙発のことは、幣原がこれは国務につき是非内閣に御任せを願うとの希望を聞き、幣原を呼び、これを伝えた。Mac(マッカーサー司令部)の方では内閣の手を経ることを希望せぬ様だ。これは一つには外界に洩れるのを恐れる為ならん」と語った。
12月25日以降、幣原自身が前田案をもとに英文で原案を作成し、秘書官に邦訳を命じた。推敲は前田多門文相、次田大三郎書記官長、楢橋渡法制局長官等で行った。過労の幣原に代わり、前田文相が天皇に会い、天皇から「五箇条の御誓文」付加の要請を受ける。マッカーサーにも案文を示す。
12月29日、木下道雄侍従次長は原案に手を入れて別案を作り、石渡宮相・前田文相に示した。別案は天皇が神の末裔であることを否定するものでなく、「現御神」であることを否定するものであった。
12月30日、木下は石渡が手を入れた木下案を次田に渡し、閣議で検討された。同日午後4時30分、岩倉書記官が閣議案を木下の元に持参した。木下は更に手を入れ、天皇に中間報告を行い、閣議に戻した。5時30分、前田文相が天皇に会い、文案の許可を得た。午後9時、正式書類が整い、完成した。
12月31日、幣原の意を受けて前田文相は木下侍従次長を訪問し、マッカーサーに案文を示した天皇が神の末裔であることを否定する内容の復元を求めた。木下は侍従長とともにこれに同意し、天皇に報告した。天皇も天皇が神の末裔であることを否定する内容への変更の許可を与えた。また、天皇は、首相がマッカーサーとの信義を重んじて詔書の修正を願い出たことについて、嘉賞の言葉を与えた。
しかし、日本語で発表されたものは天皇が神の末裔であることを明確に否定したものではなく、「現御神」(現人神)であることを否定するものであった。これに対し、原案の英文は「the Emperor is divine」を否定するものであった。ただし「divine」は王権神授説などで用いられる「神」の概念である。
英文の詔書は2005年(平成17年)に発見され、2006年(平成18年)1月1日の毎日新聞で発表された。渡辺治は同紙に以下のコメントを寄せている。
資料は、草案から詔書まで一連の流れが比較検討でき、大変貴重だ。詔書は文節ごとのつながりが悪く主題が分かりにくいが、草案は天皇の神格否定が主眼と分かる。草案に日本側が前後を入れ替えたり、新たに加えたりしたためだろう。

渡辺治(一橋大学大学院教授・政治史)、毎日新聞2006年1月1日付

社会的影響[編集]
この詔書は、日本国外では天皇が神から人間に歴史的な変容を遂げたとして歓迎された。退位と追訴を要求されていた昭和天皇の印象も好転した。しかし、日本人にとって当たり前のことを述べたにすぎなかったため、日本ではこの詔書がセンセーションを巻き起こすようなことはなかった。
1946年1月1日、この詔書は新聞各紙の第一面で報道された。朝日新聞の見出しは、「年頭、国運振興の詔書渙発(かんぱつ) 平和に徹し民生向上、思想の混乱を御軫念(ごしんねん)」だった。毎日新聞は、「新年に詔書を賜ふ 紐帯は信頼と敬愛、朕、国民と供にあり」だった。新聞の見出しでは神格について触れておらず、日本の平和や天皇は国民と共にあるといったことを報道するのみだった。天皇の神格否定はニュースとしての価値が全くなかったのである。
詔書の起草に関わった人物の見解[編集]
昭和天皇[編集]
昭和天皇は、公的に一度も主張しなかった神格を放棄することに反対ではなかった。しかし、天皇の神聖な地位のよりどころは日本神話の神の子孫であるということを否定するつもりもなかった。昭和天皇は自分が神の子孫であることを否定した文章を削除した。さらに、五箇条の誓文を追加して、戦後民主主義は日本に元からある五箇条の誓文に基づくものであることを明確にした。これにより、人間宣言に肯定的な意義を盛り込んだ。1977年の記者会見にて、昭和天皇は、神格の放棄はあくまで二の次で、本来の目的は日本の民主主義が外国から持ち込まれた概念ではないことを示すことだと述べた。
詔書草案と五箇条の誓文[編集]
昭和天皇は、1977年8月23日の会見で記者の質問に対し、GHQの詔書草案があったことについて、「今、批判的な意見を述べる時期ではないと思います」と答えた。
また、詔書のはじめに五箇条の誓文が引用されたことについて、以下のような発言をした。
それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです。はじめの案では、五箇條ノ御誓文は日本人ならだれでも知っているので、あんまり詳しく入れる必要はないと思ったが、幣原総理を通じてマッカーサー元帥に示したところ、マ元帥が非常に称賛され、全文を発表してもらいたいと希望されたので、国民及び外国に示すことにしました。

昭和天皇、1977年8月23日の会見

この発言により、この詔書がGHQ主導によるものか、昭和天皇主導によるものかという激しい議論が研究者の間で起こった。その後の1990年に前掲の『側近日誌』が刊行され、GHQ主導によるものとしてほぼ決着した。
また、昭和天皇が1977年になって詔書の目的について発言したのは、人間宣言をした昭和天皇を厳しく非難し、1970年に自決した三島由紀夫へ意を及ぼしたためではないかとする指摘がある。
侍従長・藤田尚徳[編集]
当時、侍従長であった藤田尚徳は英語で起草された文を和訳した経緯もあり風変わりな詔書となったが、昭和天皇の真意を示すことができたと述べている。また藤田は、明治維新と個性有る明治天皇の登場により明治以降天皇は人間として尊敬されていたが、大正末期から天皇の神格化が行われるようになり、昭和天皇はこれを嫌っていたという見解を示している。
文部大臣・前田多門[編集]
文部大臣・前田多門は、学習院院長・山梨勝之進と総理大臣・幣原喜重郎とともに、人間宣言の案文に目を通し、吟味した日本の要人である。また、クェーカー教(プロテスタントのフレンド派)の信徒であり、多くの日本人クリスチャンと同様に天皇を尊崇していた人物である。1945年(昭和20年)12月、天皇は神であると、議会の質疑応答で答弁した。西欧的な概念の神ではないが、「日本の伝統的な概念で、この世の最高位にあるという意味で」は神である、と答えている。
当時の人物の見解[編集]
山本七平[編集]
終戦後フィリピンで米軍の捕虜になった山本七平らの日本軍将兵に対し、米軍軍人は熱心に進化論の基本概念を教育しようとした。日本人捕虜たちが一向に反発も感銘も示さないことを不思議に思う米軍軍人に対して、山本が「そんなことは日本では子供でも知っている」と言ったところ、その米軍軍人は驚いて「ではなぜ日本人は天皇が神の子孫だと信じているのか?」と反駁したという。
このすれ違いについて山本は、アメリカでのキリスト教根本主義と進歩派の創造論を巡る対立や、東アジアの「父子相隠」の倫理観が根底にあると考察する。さらに「『戦前の日本人が神話を事実と信じていた』という"神話"を戦後の日本人は信じている」と述べる。
また、外来の概念を、自文化の似て異なる概念の意味で理解した気になることや、その逆に「元々わが国にあったものだ」として受容させようとする"掘り起こし共鳴現象"についても言及している。
三島由紀夫[編集]
三島由紀夫は、「僕は、新憲法で天皇が象徴だということを否定しているわけではないのですよ。僕は新憲法まで天皇がお待ちになれず、人間宣言が出たということを残念に思っているのです。いかなる強制があろうとも」と述べている。また、小説『英霊の聲』では、二・二六事件で処刑された青年将校たちや、神風特攻隊で戦死した兵士たちの霊に、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」、「もしすぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため、何ゆゑ陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉はざりしか」、「あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たつたお孤(ひと)りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた」と語らせている。
戦後の論説[編集]
大原康男と伊藤陽夫の疑義[編集]
昭和天皇による神話と伝説の否定、天皇の人間宣言という解釈については、神道界や右派勢力の一部から疑義が提出されている。
大原康男は「日本語の「且」には並列的意味のほかに「その上に」という添加的な意味もある」ことを指摘し、「その上に」という意味にとれば、「架空ナル観念」とされたのは、「天皇ヲ以テ現御神トシ」ということ自体ではなく、それに「日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス」ということが加えられたことと解釈できると述べている。同様のことは、伊藤陽夫も「動ぎなき天皇国日本」(展転社)で主張している。
大辞林は、「且つ」(接続詞)の語義を、「二つの動作・状態が並行あるいは添加して行なわれることを示す。同時に。また。その上。」と説明している。
当時の侍従次長の木下道雄の『側近日記』には、GHQが天皇が神の末裔であることを否定することを要求したのに対して、天皇が「現御神」であることを「架空なること」とすることで切り抜けたことが自慢げに書かれている。『国体の本義』(1937年)などで主張した「現御神」(現人神)を否定したのである(天皇を現御神とすることは古事記・日本書紀に始まることであって『国体の本義』によるものではないが、明治以降の公文書に「現御神」(現人神)が最初に登場したのは「国体の本義」であった。)。
また、大原康男は、皇室では元旦の宮中祭祀のために通例は詔書が出されなかった事を指摘し、さらにこの詔書はGHQによるものであることを検証し、日本人の神観念・天皇観を根底から変革した「人間宣言」の無効を主張している。
小林よしのり[編集]
小林よしのりは、GHQが人間宣言を薦めた理由は日本人は天皇を「絶対神」と信じていると誤解したためであるとしている。
漢字の「神」を英訳すると「GOD」となる。しかし日本語(やまとことば)の「カミ」・シナ語の「神(しん)」・西洋の「GOD」は全て違う意味なのだが日本人は十分の自覚も無く三つ全てを「神」と表記する。かつてフランシスコ・ザビエルらのポルトガルの宣教師は「DEUS」を「デウス」で通した。この時代では「DEUS」と「カミ」は違うものであると理解して、この様に通したがシナではアメリカの宣教師が「GOD」を「神(しん)」と訳したが「神(しん)」の意味は自然界の不思議な力を持つ物や心などを表す文字なので「GOD」の意味合いは無いので、いわゆる誤訳である。その後明治時代になり、アメリカの宣教師が来日する様になるとシナ同様、「GOD」を「神(しん)」と訳し日本人も古代からの「カミ」を「神」という字を当ててきたので、明治辺りから「カミ」と「GOD」の混合が始まりGHQは、この混合から日本人は天皇を「GOD」(絶対神)だと信じていると誤解したために昭和天皇に人間宣言をさせたが、それをあえて言うなら「漫画の神様」手塚治虫や「経営の神様」松下幸之助に「人間宣言」をさせるような滑稽な行為であるとしている。また天皇は昔も今も「アキツミカミ」であるが西欧流の「GOD」(絶対神)では決して無いとしている。また天皇に対する伝統的な「アキツミカミ」の概念は手塚治虫を「漫画の神様」・松下幸之助を「経営の神様」・サッカーのゴールキーパーや野球の抑え投手を「守護神」と呼ぶ様に生理的には人間でも、とてつもなく貴重な人を「神様」と呼ぶ、日本人が思わずやっている伝統的な習慣と同じようなものとしている。また日本人の、こういう感覚は一神教しか知らない欧米人には理解が困難としている。
参考文献[編集]
藤田尚徳『侍従長の回想』中央公論社〈中公文庫〉、1987年。ISBN 4122014239。
ベン・アミー・シロニー(著) Ben‐Ami Shillony(原著)『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』大谷堅志郎 (翻訳)、講談社、2003年01月。ISBN 978-4062116756。

侵略戦争の罪と罰 
 
この作品の参考文献一覧をご紹介します。『東京裁判』(上)(下)児島襄(中公新書)、『東京裁判』(上)(下)朝日新聞東京裁判記者団(朝日文庫)、『私が見た東京裁判』(上)(下)冨士信夫(講談社学術文庫)、『秘録東京裁判』清瀬一郎(中公文庫)、『世界がさばく東京裁判』佐藤和男監修/終戦五十周年国民委員会編(ジュピター出版)、『日本の歴史30十五年戦争』伊藤隆(小学館)
『昭和史をさぐる』伊藤隆(朝日文庫)、『東京裁判 勝者の敗者への報復』新人物往来社戦史室(新人物往来社)、『別冊歴史読本 A級戦犯 戦勝国は日本をいかに裁いたか』(新人物往来社)、『東京裁判の全貌』平塚柾緒/太平洋戦争研究会編(河出文庫)、『看守が隠し撮っていた 巣鴨プリズン未公開フィルム』織田文二/茶園義男監修(小学館文庫)、『東条英機 大日本帝国に殉じた男』松田十刻(PHP文庫) 
『祖父東条英機「一切語るなかれ」』東条由布子(文春文庫)、『大東亜戦争の真実 東条英機宣誓供述書』東条由布子編(WAC)、『週刊日本の100人東条英機』(ディアゴスティー二・ジャパン)、『昭和の発見』花山信勝(朝日新聞社)、『秋霜の人 広田弘毅』渡邊行男(葦出版)、『黙してゆかむ 広田弘毅の生涯』北川晃二(講談社文庫)、『落日燃ゆ』城山三郎(新潮文庫)、『昭和天皇独白録』寺崎英成/マリコ・テラサキ・ミラー(文春文庫)
『秘録 板垣征四郎』板垣征四郎刊行会(芙蓉書房)、『秘録 石原莞爾』横山臣平(芙蓉書房)、『コンビの研究 昭和史のなかの指揮者と参謀』半藤一利(文藝春秋)、『秘録 土肥原賢二 日中友好の捨石』土肥原賢二刊行会編(文藝春秋)、『軍務局長 武藤章回顧録』武藤章/上法快男(芙蓉書房)、『南京事件の総括』田中正明(展転社)、『「南京大虐殺」はこうして作られた』冨士信夫(展転社)、『日本陸軍 指揮官総覧』新人物往来社戦史室(新人物往来社)
『松岡洋右 その人間と外交』三輪公忠(中公新書)、『その時歴史が動いた13』NHK取材班(KTC中央出版)、『東郷茂徳 伝記と解説』萩原延濤(原書房)、『時代の一面』東郷茂徳(原書房)、『危機の外相 東郷茂徳』阿部牧郎(新潮社)、『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』永野美紗子(南の風社)、『最後の参謀総長 梅津美治郎』上法快男(芙蓉書房)、『葛山鴻爪』小磯国昭(小磯国昭自叙伝刊行会)、『怒り宰相 小磯国昭』中村晃(叢文社)
『平沼騏一郎回顧録』平沼騏一郎(平沼騏一郎回顧録編纂委員会)、『大川周明 ある復古革新主義者の思想』大塚健洋(中公新書)、『決断した男 木戸幸一の昭和』多田井喜生(文藝春秋)、『木戸幸一関係文書』木戸日記研究会編(東京大学出版会)、『南次郎』御手洗辰雄編(南次郎伝記刊行会)、『忠鑑畑元帥』梅谷芳光(国風会本部)、『畑俊六 巣鴨日記』小見山登(日本文化連合会)、『橋本欣五郎一代』田々宮英太郎(芙蓉書房)、『荒木貞夫風雲三十年』有竹修二(芙蓉書房)
『駐独大使 大島浩』鈴木健二(芙蓉書房)、『佐藤健了の証言 対米戦争の原点』佐藤健了(芙蓉書房)、『鈴木禎一氏談話速記録』(上)(下)木戸日記研究所(日本近代史料研究会)、『完本・太平洋戦争』(上)文藝春秋編(文藝春秋社)、『嶋田繁太郎海軍大将裁判中参考資料』、『見果てぬ夢 満州国外史』星野直樹(ダイヤモンド社)、『評伝賀屋興宣』宮村三郎(おりじん書房)、『重光葵 上海事変から国連加盟まで』渡邊行男(中公新書)、『孤高の外相 重光葵』豊田穣(講談社)
『「勝者の裁き」に向き合って』牛村圭(ちくま新書)、『昭和の動乱』(上)(下)重光葵(中公文庫)、『共同研究パル判決書』(上)(下)東京裁判研究会(講談社学術文庫)、『パール判事の日本無罪論』田中正明(小学館文庫)、『國、亡ぼす勿れ 私の遺書』田中正明(展転社)、『平成22年版日本の防衛 防衛白書』(防衛省)、『海をひらく 知られざる掃海部隊』桜林美佐(並木書房)、『そのとき自衛隊は戦えるか』井上和彦(扶桑社)、『ホントに強いぞ自衛隊!』加藤健二郎・古是三春(徳間書店)
『別冊歴史読本 江田島海軍兵学校 写真で綴る江田島教育史』(新人物往来社)、『今こそ知りたい江田島海軍兵学校 世界に通用する日本人を育てたエリート教育の原点』平間洋一・市来俊男・雨倉孝之・影山好一郎・北澤法隆・齋藤義朗・中村梯次・左近允尚敏・長田博・手塚正水(新人物往来社)、『中国大虐殺史なぜ中国人は人殺しが好きなのか』石平(ビジネス社)、『TPPが日本を壊す』廣宮孝信・青木文鷹・監修(扶桑社新書)、『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』エマニュエル・トッド(藤原書店)
『原発と日本の未来 原子力は温暖化対策の切り札か』吉岡斉(岩波ブックレット)、『原発のウソ』小出裕章(扶桑社新書)、『福島第一原発「放射能の恐怖」全記録』(FRIDAY6・29増刊号)、『偽善エネルギー』武田邦彦(PHP新書)、『日本は原子爆弾をつくれるか』山田克哉(PHP新書)、『国土学再考「公」と新・日本人論』大石久和(毎日新聞社)、なおここから数行はウィキペディア、『国防論』小林よしのり(小学館)と『いわゆるA級戦犯』小林よしのり(幻冬舎)から引用いたします。盗作ではなく引用です。あらかじめご容赦下さい。裁判とか勘弁してください。
 東条英機が戦犯容疑で逮捕されたのは昭和20(1945)年9月11日、元首相・東条英機大将宅は、進駐軍の車が囲み、外国人記者で騒然としていた。GHQたちが「玄関を開けなさい!」と命令する。
「逮捕状を持っているか?」禿げ頭の東条が窓を開けて訊いた。「拘引命令書を持ってきた。マッカーサー司令部に行く用意をしろ!急げ!」「すぐ行く。」といって東条英機は窓を閉めた。しばらくして銃声が鳴った。
 進駐軍の兵隊たちがドアを蹴り壊して屋内に入ると東条英機は心臓を狙ったのか銃を持ち胸からは血がしたたっていた。進駐軍は焦った。だが、東条英機はまだ息がある。この時、小林よしのり氏の漫画では米軍兵士が東条の服や私物を奪い合った、略奪があった、と描いているが事実ではない。そんな警察機関や軍組織はない。
「一発で死にたかった。……切腹も考えたがともすれば間違いがある。大東亜戦争は正しい戦いだった」東条は荒い息で言った。「天皇陛下万歳」
 開戦当初、勝っていた頃は”我らが東条さん”と、庶民の人気が高かった東条だが、この当時は日本一悪評の人だった。「自殺未遂」の報が流れた時も…「ホントは死ぬ気じゃなかったんじゃないか?」「陸軍大将なのに拳銃の撃ち方も知らないのか?」負けたとたんに国民は手のひらを返した。
 70年経ってもタカ派といわれる政治家までがテレビ番組でこう批判していた。「アメリカ兵は彼が手にしていた拳銃が決して致命傷に至らぬ最小の22口径なのを見て失笑したそうな(笑)。」(石原慎太郎談)。実際に東条英機が使ったのはコルト32口径。女婿の古賀少佐が玉音放送の後、自決に使った銃であった。古賀少佐は銃口をくわえて撃ったため、死体の顔は大きく損壊していた。東条は、米軍が自分の死体を見世物にすると予想し、心臓を撃ったのだ。
 しかし、使い慣れない銃だったため、手元がくるったのだった。
 話を変える。安倍首相靖国神社参拝 第1次政権含め初 現職は小泉氏以来。安倍晋三首相は2013年12月26日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。現職としては、2006年に当時の小泉純一郎首相が参拝して以来7年ぶり。第2次安倍政権発足からちょうど1年での決行で、首相としては初めてとなった。首相の参拝を求める保守層に配慮したとみられる。参拝後、首相は記者団に「日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、手を合わせた」と述べた。中韓両国は、東京裁判のA級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社への首相や閣僚の参拝に反対しており、反発は必至だ。首相は第1次安倍政権のときに参拝しなかったことを「痛恨の極みだ」として、参拝への意欲を強調。12月9日の記者会見では「参拝するか否かを今、申し上げるべきではない」と述べていた。首相は到着殿から拝殿を抜けて、本殿で参拝した。「内閣総理大臣 安倍晋三」名で白い菊を献花した。26日に参拝した理由について、記者団に「安倍政権1年の歩みを報告し、再び戦争の惨禍で人々が苦しむことのないよう決意を伝えるため、この日を選んだ」と強調。「中国、韓国の人の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」と述べ、両国の首脳に直接説明したいとの考えを示した。また「戦争の惨禍や、苦しむことのない時代をつくるため、不戦の誓いをした」とも述べた。4月の春季例大祭では「真榊(まさかき)」と呼ばれる供物を、8月15日の終戦記念日には玉串料を私費で奉納した。10月の秋季例大祭でも真榊を納めたが、それぞれ参拝を見送っていた。沖縄県・尖閣諸島や島根県・竹島をめぐり冷え込んだ中韓両国との関係改善に向け、首相は早期の首脳会談開催を呼び掛けてきた。だが今回の参拝により、会談は当面困難となりそうだ。第2次安倍政権では今年4月21~23日の春季例大祭に合わせる形で麻生太郎副総理兼財務相、古屋圭司国家公安委員長が、同月20日には新藤義孝総務相、同月28日には稲田朋美行政改革担当相が参拝した。新藤、古屋両氏は秋の例大祭でも参拝した。小泉元首相の場合、就任した01年は終戦記念日を避け8月13日に参拝。その後も1月や4月、10月に参拝したが、首相として最後の06年は8月15日に参拝した。◎保守層離反に危機感。【解説】安倍晋三首相が靖国神社参拝に踏み切ったのは、これ以上先送りすれば自身を支える保守層の離反を招き、政権基盤に影響しかねないとの危機感があったためだ。仮に見送っても、参拝に反対してきた中韓両国との早期の関係改善は現状では難しいと判断したとみられる。首相の思想や保守層の期待感がどんなものであろうと、一国のトップの行動が国内外に波紋を広げるのは避けられない。政権発足1年の節目で自身の信念に固執した首相には、衆参両院で多数を握る権力者の高揚感さえ垣間見える。参拝見送りを望む政権内の一部の慎重論は封じられた。首相は7月の参院選で幅広く支持を得る狙いから、4月の春季例大祭に合わせた参拝を見送った。参院選後の終戦記念日や秋季例大祭でも、中韓両国との首脳交流再開をにらみ参拝を控えた。ただ、首相の足元では、参拝に期待した保守層を中心に不満が蓄積。就任前の昨年10月に参拝した首相自身も年1回の実施にこだわっていたとされ、年末も自重すれば来春の例大祭まで参拝のタイミングがなくなるため、周辺では待望論が高まりつつあった。日本と中韓の関係悪化を懸念する米国への対応を含め、首相は一層の外交努力を求められる。「首相や閣僚の靖国参拝は憲法の政教分離原則に反する」との批判にも応える必要がある。<靖国神社>東京都千代田区九段北にある神社。国家のために命をささげた人々の御霊(みたま)を慰めることなどを目的に、明治政府が1869年に「東京招魂社」として創建し、79年に靖国神社と改称した。第2次世界大戦などの戦死者246万6000余柱の御霊が祭られている。戦後、国家神道が廃止され、一宗教法人となった。1978年には東京裁判のA級戦犯14人が合祀(ごうし)され、85年に中曽根康弘首相(当時)が戦後初めて公式参拝した。(産経新聞記事参照2013年12月26日木曜日)安倍首相の靖国神社公式参拝は、A級戦犯合祀が「戦争被害者への配慮に欠ける」という事だ。天皇陛下皇族の皆さまも1978年に東条英機らA級戦犯が合祀されてから一度も参拝してない。安倍氏は保守勢力の票の為に参拝した訳だが愚かだ。国の為に死んだ英霊を弔うなら戦犯無縁施設建設しかない筈だ。今年も陛下とともに被災地に訪れられた天皇皇后両陛下には一年でも長生きしてください、と思うだけですね。また神社の教えは「神道(しんとう)」。八百万(やおろず)の神(いろいろな神がいる)という宗教。靖国神社が出来たのは明治2年(1869年)創設(当時は「東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)」という)。1879年(明治12年)に改名・「東京招魂社」→「靖国神社」へ。(靖は安全の安と同じ。国が安泰なようにとの祈りの神社。創設者、大村益次郎(長州藩士・官軍。戊辰戦争の(官軍の)戦没者の英霊を祀る為))。明治・戦前まで宗教は国家宗群(国家神道・天皇崇拝)を国是としていた。戦後にそれらの神社は護国神社となる。国家神道の中心が靖国神社。靖国のご祭神(さいじん・多くの神)の数が「246万6000余柱」。(柱(はしら)は神様を数えるときの単位・第二次大戦の日本人英霊が246万6000人、ということ)。高杉晋作・坂本竜馬・吉田松陰も祀られているが、西郷隆盛(吉之助)は、西南戦争を起こした為に祀られていない。「合祀(ごうし)」とは2柱以上の神を祀ること。別に遺骨を祀るのではなく、名簿に名前を記入するだけ。A級戦犯合祀は密かに1978年におこなわれた。その為、1977年から現在まで天皇陛下(裕仁(昭和天皇)・明仁(平成天皇)含め)や皇室関係者は靖国神社を参拝していない。海外では「YASUKUNI Shrine(シュライン・神社)」ではなく「War Shrine」と呼ぶ。1985年中曽根首相(当時)が公式参拝して(原因①8月15日であった②内閣総理大臣という立場で公式参拝したこと)批判が中国・韓国含め海外からあがった。解決策①A級戦犯の分祀(靖国神社反対)②靖国神社以外他の宗教祀る神社建設(例えば千鳥ケ淵戦没者墓苑)(靖国神社反対*戦没者の英霊が「靖国で会おう」というのに反しているから)。ちなみに全国の宗教法人は18万2253法人もあり、「税金の免除」「小学校や幼稚園の公益事業の運営の免税」等ある訳です。学校法人・公益法人も同じです。宗教法人にも出来ない事があって、風俗業・カジノ・ギャンブル業・投資業です。お守り・お札・おみくじは無税ですが、数珠や線香は課税されます。違いは神社以外でも売っているか?で「数珠」や「線香」はデパートや仏具店でも買えるから駄目なのですね(笑)。伊勢(いせ)神社(天照大御神・アマテラスオオミカミを祀る)の式年遷宮(しきねんせんぐう)は20年に一度の神様のお引越し(戦国時代や戦後すぐの貧乏な時期は遷宮は延期されました。それどころではなかった(笑)訳です)です。総費用は一回550億円。ちなみに天皇の三種の神器は「八咫(やたの)鏡(かがみ・伊勢神宮の祀る神祇はこれ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかたのまがたま)」です。また、神社に飾られている枝は「榊(さかき)」という神聖なもので巻かれているギザギザの紙は「紙垂(しで)」という稲妻をイメージしているのですよ。沖縄の基地はまだ必要なんです。そのかわり沖縄でカジノ合法化とかどう?北朝鮮・中韓問題を考えてね。 第70回終戦戦没者慰霊日である。安倍晋三首相が玉串料だけで「靖国神社公式参拝」しないでよかった。どこまで日中・日韓関係をぼろぼろにすれば気が済むのだ「お坊ちゃん右翼首相(笑)」とにかく学歴に拘らず外交戦略のある人材登用をするしかない。外交は戦争、とわかる人材が官僚政治家にいるか?私にとって「島人(しまんちゅ)を舐めるな」等といった感情論は関係なくて、沖縄に基地が集中しているのは沖縄に貧乏籤を引かせている訳ではない。地政学上有利だから沖縄に基地が集中しているのだ。例えば「非武装中立」等馬鹿でしかない。防衛力がなければやられるだけだ。北朝鮮というテロ国家・独裁国家、中国との尖閣諸島問題、韓国との竹島問題…パックスアメリカーナ(アメリカによる核の下による平和)…。もう少し大人になって考えることだ。後、いっておくが本当の国防軍は在日米軍だ。自衛隊などまともに戦えば3時間ももたない。在日米軍こそが防衛の要だ。よく考えろ。今まで自衛隊が日本国を防衛したか?右翼政治家は軍国主義に走る。このまま日本の外交・防衛は大丈夫か?未来のNSC長官・日本の諸葛孔明・日本のキッシンジャーの緑川鷲羽に任せて欲しい。明確な外交戦略がある。学歴こそないが任せて安心な人材の筈だ。

僕が応援しているサッカーチームは地元山形の『モンテディオ山形』J2落ちが決定で心配

2015年10月24日 21時18分00秒 | 日記






僕が応援しているサッカーチームは地元山形の『モンテディオ山形』

J2落ちが決定で心配ですね。


元々、あまり得点力があるチームではないのですが何ともJ2落ちは悔しい。


とはいっても選手の名前も顔もあまりわからないのですが(笑)



僕が億万長者になったらモンテの資金的援助もしますよ。


その為に応援しているんです。山形交響楽団や国境なき医師団や日本ユニセフやUNHCRや日本

赤十字やフラワー長井線+米坂線やらも同じです。

僕は贅沢三昧の生活がしたくて億万長者を目指している訳ではありませんから。


お金が出来たからと豪邸だのポルシェ数台だの豪遊だのギャンブルだの馬鹿ですね。

お金は湯水の如く入っては来ないんです。どんなに売れても。そういう社会常識のない人間になんて宝籤も当たらないし、社会的成功のチャンスもきませんよ。だから神は平等だ、という。

まあ、努力もしない人間には億万長者の種さえありませんよ(笑)

緑川鷲羽そして始まりの2015年あるいは2016年へ!