
日航特別機は、小泉首相と安倍幹事長、藪中外務官僚らをのせて、平譲空港についた。 空港には五百人の朝鮮人民兵たちが整列しており、大きな金日成の肖像画と赤字で『全世界人民の団結万歳』と書かれたスローガンが掲げられていた。
飛行機は定刻に空港に着いた。
小泉は思う。
……俺は日本国首相として、拉致解決のためにやってきたんだ。生涯二度と味わえない歴史的な瞬間を、味わってやるんだ……
日本国の代表として地に足をつけることになる。
機体にタラップがよせられ、扉があいた。
見るとグレーの人民服の金正日総書記らがあらわれた。
小泉らは拍手をあびながらタラップを降りてくる。
いつもはせかせかと早足で歩く小泉は、日本国首相の威厳をみせるためわざとゆっくり歩いた。
小泉は、金正日総書記(当時)らと堅い握手を何度もする。
……今が大事だ。いまがひのき舞台だぞ……
小泉は自分をなだめた。
しかし、興奮は隠せない。
何か熱い感情が、小泉の全身の血管を駆けめぐった。体がほてってくる。
朝鮮人民軍が「君が代」「義勇軍行進曲」をたからかに演奏する。
顔をこわばらせていた小泉に笑みが戻った。
小泉一行は中国高級車「紅旗」に分乗し、午後零時半、平譲郊外の迎賓館に入った。
午後三時から小泉は、市内の人民大会堂で金正日と約一時間四十分も話しあったという。 会談ののち、安倍幹事長(当時)は結果を報告する。
「双方の代表は拉致問題日朝国交正常化を円満に成功させるために、おどろくほど素直に、基本的立場や考えかたについて意見をかわし、非常に有意義だった」
小泉は金書記といろいろな議論をし、約束をとりきめた。
結局、カーターの真似をして北朝鮮と拉致解決しようと考えた訳だが、そののち拉致被害者は全員死亡したなどといわれ、莫大な賠償金を、北朝鮮に払わされることになるところだった。横田めぐみさんらは自殺したという。
すべて嘘だった。安倍や藪中らはどこまでも無能だった。
演奏が「偉大なる朝鮮労働党」から「サクラ サクラ」にかわった。
小泉はいう。
「過去数十年に渡って、日朝は不幸な歴史を辿ってきました。朝鮮国民に多大のご迷惑をかけたことにたいして、私は深く反省する」
日本側の通訳が適切でなく、会場からは拍手がなかった。
………せっがぐ頭ばさげたのに拍手がね。……
小泉は戸惑った顔をした。
すぐに、首脳会議がひらかれた。
金正日は、
「日朝国交回復は政治問題で、法律で解決するものではない」と言い張った。
問題は金であった。
小泉が「疲れた」というほど会談は難航した。
かれの血圧はあがり、鼻血を出すほどの体調になったが、小泉は余裕をみせた。
「もし会談が成立しなくても、俺が責任をとるさ。そんな下手なやりかたはしない。必ず成功させるよ」
小泉は金正日にいう。
「あなたがたにとって今がチャンスなのだよ。これが最大のチャンスなのだよ」
小泉はやがて金の執務室に案内される。
記者たちと一緒に廊下を歩く。
記者が、
「総理どうですか? 今の気持ちは?」ときかれると、
小泉は、
「まぁ、このぉ~っ…」と例のダミ声でいう。
迎賓館で金と対談してると、金正日が「拉致は認める」と告げた。
「しかし、調査した結果、横田めぐみさんは自殺していて、その他は知らない」
日本側は反発した。横田夫妻は激怒と激しい悲しみに包まれた。
「もうけんかはしましたか。けんかはしなくてはなりません。けんかしてはじめて仲よくなれるんですから」
その他の拉致被害者も同じ気持ちだった。なにやってんのか日本政府は……
新潟 県警数千人規模の捜索……ヘリも飛ぶ! そして1977年…翌日の16日には県警の機動隊もかけつけて薄明りの午前5時頃から捜査がはじまる。新潟県警キャリアが地図を差して部隊に指示…新潟県警キャリア・長尾龍虎だった。しかし、何もみつからず。ヘリ飛ぶ…千人の捜査部隊…夫妻は涙枯れるほど流した。
…一週間後、誘拐の線は薄いと判断した警察は公開捜査に踏み切った。
この少女を探してください…横田めぐみ…(ポスター)
テトラポットの隙間を巡視船が、ボランティアのダイバーたちがテトラポットの底まで潜ってもみた。新潟県警最大規模の大捜査になった。しかし、みつかる訳はない。
刑事たちは張り込みを続けた。夫妻は心配のあまり眠ることもままならない。
夜になるとふとんで泣いてばかりいた」
「厳しくしつけ過ぎたのかしら? あの時……だってめぐみは…」
早紀江は泣く。滋も泣く。めぐみさんはバドミントンの強化選手に選ばれて「やだな~断ろうかなぁ?」などといっていたという。
「あのとき、相談に乗って…れ…ば…手をかしてれば…」
「いや、あの子はそんなことで家出なんかする子じゃない。きっと…めぐみは生きているさ……自殺も家出もない…」
「なら…めぐみは生きてるのかしら?」
「きっと…」
滋さんはお風呂で男泣き。母親の早紀江さんひとしれず泣く。
もうこの苦しみから逃れたい…でも、息をとめてみても悲しい朝はやってくるのでした。悲しい日々……
東京午後の東京議員会館……そして1997年1月27日、共産党参議院議員橋本敦の秘書・兵本達吉という初老の眼鏡をかけたオッさんがめぐみさん生存情報を掴んだ。それをもどること1987年11月29日、大韓航空機事件がおこり、蜂谷真由美と名乗る金賢姫が捕まり証言していた。李恩恵という日本人拉致被害者が話題になった。兵本達吉は横田滋さんを事務所まで呼んで知らせた。
議員事務所 昼頃…
「1980年1月7日にサンケイ新聞の朝刊一面を飾った日本海アベック蒸発事件……それから私は拉致問題を研究してきた。これを読んでほしい。横田さん」達吉はペーパーを渡す。
兵本「その文章とお宅のめぐみさんが重なると思う。朝日放送の石高健次というひとが書いた現代コリアの記事がファックスで送られてきたんだ……めぐみさんらしい」
滋さんはみる。”残酷なものだ。子供なのである…””十三歳の少女が…”
動揺した。白髪頭の滋さんは「めぐみに間違いない!」と思う。しかし、日本海の新潟のどこの浜かは書かれてない。
少女はクラブの帰りだった。海岸から脱出しようとした工作員が目撃されたために捕まえて帰ったのだという。朝鮮語をマスターした。そうしたらお母さんたちのところへ返してくれると嘘をつかれて……それがかなわないとわかり精神に異常をきたしたという。
「……めぐみ! これはめぐみに間違いありません!」泣く。
横田滋さんはめぐみさんを写した写真……例の桜の前での…をみつめて泣く。
あのとき、娘は風疹のあとが顔にあるから写真はやだといったのだ。しかし、桜が散ってしまうからと撮影したのだ。制服姿の……
兵本のもとにサンケイ新聞の阿部雅美という男がやってくる。そして、事件は公になる。
そして、事件は公になる。 横田夫妻のもとに朝日放送報道局(当時)石高健次というひとがカメラをつれてやってきた。メディア・スクラムである。「カメラまわしますので…」
朝日放送報道局(当時)の石高健次だった。
東京横田マンション 午後
「はあ、横田です」
「初めまして妻の早紀江です」
石高が情報を得たのはその一年前、1995年6月23日だったという。ある工作員の取材で安全保証部員の元工作員と韓国で話した。13人の日本人拉致者がいるという。しかも13歳くらいの少女まで拉致されたという。男は本当のことをいっているようだった。
関西訛りの石高は情報を探った。そして、捜査段階として現代コリアに少女拉致の記事を載せたのだった。それがヒットした。現代コリア研究所の佐藤勝己氏からの調査でもめぐみさんに間違いないという。
横田夫妻は動揺した。早紀江さんはめぐみちゃんが羽織りを着て少しだけ口紅を塗ったときの写真をながめている。涙がでてきた。滋さんも泣いた。記憶、回想。実物写真…
「しかし私がゆうてるのは情報で……事実とは…しかし工作員にあってみますか?」横田夫妻は「是非会いたい!」という。
重たい。ソウルでもどこでもいくという。しかし、記事になり公になれば拉致被害者たちは殺されるかも知れない。経済制裁をしても同じ不安は募る。だが、横田さんたちには時間が限られている。もう還暦を過ぎているのだ。横田夫妻はひさしぶりに新潟へと新幹線で向かった。
新幹線列車内部の、午前、天気は曇りであった。
「(列車にゆられながら)大丈夫かしら。怖い国だから……めぐみの写真をみて…こいつだ。殺せ! ってことにはならないの?」
「わから……ない。しかし……何もやらないよりはマシだ。日本がこれだけ情報をもっているって北にわからすのだよ! そのためには経済制裁しかない!」
門だけが残るかつての新潟横田家借家……午前 曇り
もう家はない。門があるだけだった。実名報道すれば命の危険があるのはわかっていた。しかし、そのほうが拉致問題は進展すると思った。ふと、昔のことを思った。
昔、めぐみさんが中学の頃、同級生たちと漫画を描いていたことだ。…ドイツに花咲く娘たち……スパイ漫画だった。
「将来は漫画家?」
「ふふ、歌手じゃなかったのかい?」夫婦は笑った。
「そんなのわかんないって」めぐみさんは赤くなったという
「となりのお婆さんにあげた事件のときの蕾の山茶花(さざんか)ももう大きくなっている。……めぐみちゃん……あともう少しまっててね……きっと取り返すわ」
こうして1997年2月3日……雑誌「アエラ」と産経新聞一面トップに横田めぐみの実名と写真が大きく報道された」雑誌内容。例のめぐみさんの写真!
横田夫妻・マンション午前
もう白髪まじりの横田夫妻は雑誌をマンションで読み、感慨深い様子。
「本当によかったのかしら…?」
「20年間何も分からなかったんだ。少しでも前身しないと…何もわからなくなる。ふたりとも年を取り過ぎたんだよ」
マスコミ、スクラムを組んでやってくる。
飛び立つ飛行機……ゆっくりと見えなくなる。
横田夫妻はソウルへと飛び、安明進(アンミョンジン)工作員と会談した。
安は最初、少女だった被害者の親とあうのを嫌がった。
「恨まれる」
「あなたを恨むようなことはない! 是非!」
ホテルの部屋 午後 テーブルに座る。
安と横田夫妻話している。
彼は平譲でめぐみさんを見掛けたのだという。拉致工作員の教官がいて、ホールでみたという。その頃、めぐみさんは二十代頃だったという。彼女は生きている!
北朝鮮のホールで金正日バッチを胸をつけて着席するめぐみさん……安は遠くから見る。えらい綺麗だ。
「彼女は拉致されたことを恨んでいる様子でした」
韓国繁華街……進む観光バス
しかし実際にいける訳はない。38度線(DMZ)の板門店から北を見るだけだ。早紀江さんはバスから結婚式店の光景をみて、めぐみさんのウェディング姿を想像したという。鉄合網がみえてきた。
「ここからさきは北だ! 核地雷が仕掛けられていてスパイも行き来できない」(38度線のパノラマ)
板門店午前……
板門店には韓国と北の警備員が物もいわずに睨み合ってつっ足っている。共同警備区域(JSA)という。北に目を向けると赤茶けた山とダミーの家がみえた。
夫妻は寂しい気持ちになった。
「…あんなところにめぐみちゃんは閉じ込められてるの?」
「…めぐみ……」夫妻うるうる。石高、深刻な顔……
林檎の思い出がふと頭をよぎった。ちいさなめぐみちゃんがお婆さんを手伝って林檎をもらったのだ。「せっかくお婆ちゃんが買ってきたのに悪いことしちゃったね」
涙があふれてきた。
韓国繁華街……ハングル文字……食事店…
食事をとると、ハングルの文字のところに何やら日本語が書かれている。”千里の道も一歩から”……
「そうだ! 世論を動かすには自分たちが動かなければならない!」
友達の真保恵美子さんも彼女に助けられたひとりだという。
回想
ボンボこと真保さんは泣き虫だった。しかしめぐみさんが励まして、直した。
「ボンボ、泣いたら髪切るからね。いい?」
…あの日、つまり1977年11月…あの夜、恵美子の母親・節子も自動車から呼び止められて逃げたのだ。また知り合いの娘もあの頃、夜、怪しげな男ふたりに尾行されたという。
「あのとき突き指してなければ…ヨコ(横田めぐみ)じゃなく私だったのかも知れない……」
(回想)成人・ボンボ、アイクニ…祈る。母親となにか話す。
「ヨコ…死んでないよね?」
相賀(現・山田)くに恵さんもそんなめぐみさんを慕うひとり。ヨコにまたあいたい。
(回想) 体育館 午前
…中学時代。
「アイクニ(相賀さんの愛称)私の悪口いってるの?」と体育館で制服で座っているとききいた。
「ラインハルト…あのことかぁ」という。
ラインハルトとは女子たちが好きな男の子につけたコード・ネームで、めぐみさんの好きな子はクラウスとかユースとか呼んでいて何人もいたという。
(回想) 教室 午後
「おい、相賀」と教室で呼ぶ。
アイクニ(心)…きゃ。ラインハルト!
「この字、誰のかわかるか?」
……”相賀さんはあなたのことが好きなんです。もっと気をつかってあげて下さい”
……めぐみさんの字だった。
(回想) 体育館 午前
「あれは別に…ちょっとヨコってお節介だね。っていっただけよ」
「私……以前、アイクニに新潟祭りに行かないって断られたし、……本当に嫌われてるのかと思って…」
「……あれは別に! たまたま外に出るのがおっくうだったからだよ!」
めぐみ微笑む。「よかった! ラインハルトのことはごめんね!」………そういって去っていったという。
「ヨコは少し強引なところもあったけど……それは友達を思ってのことだし…」
何よりも別々のクラスになって社交的なヨコが昔の友達だった相賀さんやボンボこと真保さんたちを大切にしているのが嬉しかったという。
ボンボ自宅 過去 夕べ
母親の節子「あれ? 恵美子。ポストにこんなものがはいってたわ」という。
ベルサイユの薔薇だか何かの漫画カードに”ボンボさんはやくよくなって!”と書いてあった。
「(風邪をひいてた)うれしかったです。でも、できたら会いたかった。それから10年…20年……ヨコに会えなくなるなんて…」
「ボンボ、好きな先輩みつけちゃった!」
(回想)アイクニ(成人)夜空を見上げて祈る。
東京道路。夜中、早送りのヘッドライト、テールライト……
やがて救う会が作られた。発起人は小島晴則というおじさんともちろん横田夫妻。さっそく署名活動が始まった。小島は元共産党員であったという。彼は在日朝鮮人たちを、『地上の楽園』と称して送った者のひとりだった。
マンセー マンセー
回想”万歳! 万歳!
しかし、実態は地上の楽園ではなく『地上の地獄』だった。そこは貧しい搾取と金日成と金正日の独裁体制だったのである。餓死者まででる楽園だった。
小島は後悔した。共産党や共産主義、社会主義は間違っていた!
(回想)北朝鮮の悲惨映像、独裁体制、プロパガンダ・ニュース…そして金正日・金正恩が重なり
会合・居酒屋……夜…
「横田さん! 何でも力を貸します!」
「ありがとうございます!」
横田夫妻は感涙した。
新潟夜……曇りの寒い日…
1997年4月12日新潟……”
「はっきりいって不安だった。安保闘争などのときの署名は名ばかりでひとなど集まらなかった……今回も……
しかし違った。国民は拉致に怒っていた。次々と署名してくれる。これだ! と思った。署名にあつまる人だかり。
「横田さん、早くタスキを!」横田夫妻はタスキをかける。
…”母・横田早紀江””めぐみを助けてください!”
「めぐみの母です! めぐみは北朝鮮に拉致されています! どうか助けてください!」
署名は50万人を突破した。しかし、無能な日本政府はなにも手を打たない。むなしいまま五年が過ぎた。2002年3月、やっと動いたのが小泉首相(当時)だった。小泉純一郎の父親・純也は1960年代に北朝鮮への帰還事業にかかわっていたのだ。小泉はうなった。「わかった」そういった。本当はわかってなかった。
官邸、小泉との拉致被害者たち面会(回想)”内閣総理大臣・小泉純一郎(当時)”
横田早紀江さんは講演でスピーチした。
「私は横田めぐみの母親です。だからなんとしても北には拉致者を帰せといいたい! 人間の命をもののように考えている金正日は許せません! ただ……朝鮮人のひとがすべて悪い訳ではありません。私が子供の頃、京都に住んでいたのですが、そこにも在日の朝鮮人の子供たちがいました。しかし、日本人の子供たちは在日朝鮮人の子供をイジめるんです。私は幼稚園ころだったのですが、大きな日本人のおにいちゃんたちがイジめて在日の子供をこずいて「あっちいけ!」っていったんです。私は真似しました。しかし、私の父親がそれをみていたのです。「早紀江帰ってこい!」父親は私を殴りつけました。父はいいました。「人間は皆誰より偉いと思っている。……でも誰より偉い人間はいない! どんな国の人間だろうと貧しかろうと豪華な家に住んでいようと関係ない! 大事なのは心の清さなんだ!」って…私は北の人々にはその心を求めます! 必ずめぐみは生きてます! どうか私たちを応援して共に闘ってください! 一緒に闘って下さい!」
回想 ニュース映像
第一回目の訪朝が成った。しかし、拉致の被害者5人が帰ってきたのみで横田めぐみさんは自殺して死亡したという。有本恵子さんも同じだった。
(回想)TV報道”有本恵子死亡……横田めぐみ死亡……”メディアはスクラムを組んだ。カメラの前で泣く横田夫妻。 合同会見が開かれた。
「めぐみが死んだなんて…」涙を流した。
早紀江は、突然マイクをにぎった。「日本の国のために犠牲になった若いものを忘れないで下さい! 国家のためめぐみは犠牲となり、こうして大きな政治問題となりました! 日本にとっても北朝鮮にとっても重要なことです! いずれひとは皆死んでいきます。めぐみもそうです。でもめぐみはいきています! まだ生きていると信じて闘ってまいります! めぐみを愛して下さったひとたちに心から感謝します!」涙がぼろぼろ散る。
(回想)小泉訪朝…金正日との握手……福田官房長官……国会議事堂…動く時計と平譲.。 また無能の外務省は藪中三十二(外務省太平洋担当(当時))や斉木昭隆(アジア太平洋局審議官(当時))を北にいかせてるが、まともな外交もできず、子供の使いのようにめぐみさんの遺骨とされたものを持ってかえってきた。(回想 遺骨壺)夫のキム・チョルジュンにはあったものの誰だかもわからず、娘というキム・ヘギョンのVTRを渡されていた」
回想 暗い室内、藪中たち黒眼鏡のキムチョルジュンに会う。
外務省 事務室 横田夫妻VTRをみせられる。
ヘギョン(VTR映像)「お母さんは死にました。おばあちゃんやおじいちゃんに会いたいです。でも私は小さいので日本にいけません。こっちにきてください」
(回想)横田夫妻は動揺した。横田夫妻はヘギョンちゃんに会いたいといった。反対したのは被害者会会長の蓮池透さんだった。
会議室 午後 横田夫妻ら被害者会
「それでは北の金正日の謀略にはまる! 横田さんの孫にあいたい気持ちはわかるが……もし一家で北にいったら北は歓迎ストーリーをつくる。タラップを降りると歓迎ムードで、空港にはヘギョンちゃんがまっていて抱き合う。あの北の女アナウンサーや当局が『感動の再会』と報じる。ヘギョンちゃんはいうだろう。…「母は死んじゃったの」そして偽者の墓に横田一家はお参りする。北の策略に嵌まる! そうしたら我々の活動はおわったといわれ……活動は水の泡となりますよ!」
蓮池透は反対した。
横田夫妻は苦汁の選択をした。現在、金正日は病死して横田さんらはモンゴルで孫のヘギョンちゃんやめぐみさんの夫とされる男性と会った。敵は金正恩に代わった。日本政府は北朝鮮と交渉したが無策無能であった。
会議室で、夜になった。
マスコミに滋さんは言う。
「当分の間、北朝鮮にいく気はありません」
当分とは一年か10年か…? そして遺骨は偽者だとわかる。日本中が怒った。あとはいままでの通りである。戦略も情報ももたない日本に何ができるだろう? 横田夫妻たち拉致家族は05年猛暑の中、官邸前で座り込みまでする。しかし、「北が拉致を解決しないなら厳しい態度をとる!」……という小泉内閣は郵政法案なんかで時間を費やすのみだった…… 横田さんや有本さんたちには気の毒だが、無能な現・政権なんからの連中には何もできないのである。
ここで誰かが、天才的な策略をもつ軍師がでてこなければ北朝鮮問題は解決しない。
(回想)横田夫妻はめぐみさんの朝鮮での写真をそっと撫でた。飛行機での不安な顔の写真だ。涙があとからあとから溢れ出てくる。めぐみのあらゆる思い出、走馬燈のように…早紀江さんの脳裏にめぐみさんの思い出が映っては消えた。
「めぐみちゃん………ごめんね。きっとお母さんとお父さんたちが日本に帰してあげる。きっと……」
大韓航空機爆破テロから二年後の1984年。めぐみさんは精神閉鎖病棟に入院させられていた。北朝鮮は、めぐみさんは精神病院に入院中に、首つり自殺をした……と主張していたが。のちに、退院して、朝鮮人男性と結婚し、娘を生み、その後、自殺した……と主張を変えていた。同室の朝鮮娘が主体思想と金正日万歳などと深夜に大騒ぎする。
「偉大なる金日成首領様と、敬愛なる指導者・金正日将軍様のご配慮で、十分な食事と衣服を受ける機会を得たわたしは、唯一絶対の主体思想に目覚めました。わたしは日朝の歴史をさらに学習し、日本帝国主義者及びアメリカ帝国主義者と戦い、アメリカの植民地である南朝鮮から南朝鮮人民を解放するために偉大なる金日成首領様と敬愛なる指導者金正日将軍様に終生変わらぬ忠誠を誓い、この命を捧げるためです。〝위대한 김일성 수령님과 경애하는 지도자 김정일 장군님의 배려로 충분한 식사와 옷을 받을 기회를 얻은 저는 유일하게 절대 주체사상에 눈을 떴습니다. 나는 일조의 역사를 더 배워 일본 제국주의자 및 미국 제국주의자와 싸우고 미국 식민지인 남조선에서 남조선인민을 해방하기 위해 위대한 김일성 수령님과 경애하는 지도 자금정일 장군님께 종생 변함없는 충성을 맹세하고 이 생명을 바치기 위해서입니다.〟」
「同志、同志! 今はおやすみなさいとの金将軍様からの命令です!〝동지, 동지! 지금은 잘자라고 김 장군님으로부터의 명령입니다!〟」
とめぐみさんは声をかけ、黙らせる。めぐみさんは、日本人拉致の仲間と話した。日本へ帰りたいならすべてを心の奥に隠して生きていくしかない……。
「リュ・ミョンスク(めぐみさんの朝鮮名)、退院だよ!〝류명숙, 퇴원이야!〟」
めぐみさんは精神科閉鎖病棟を退院の運びとなった。
横田夫妻はめぐみさんが帰国したら六本木ヒルズやディズニー・シーにもつれていくつもりだという。金正恩よ、めぐみさんや拉致被害者を帰せ! 被害者たちの思いは案外、簡単に解決するかも知れない。北朝鮮という異常な独裁国家が崩壊すれば……
水平線に沈む太陽……
今から40年以上前、ひとりのいたいけな少女が拉致されて悲劇がおこった。このことだけでも我々は覚えておくべきだろう。けして、風化させてはならない。
結局、小泉外交は失敗した。外務省を通して「横田めぐみ」さんのものとされる骨壷が北朝鮮から届けられた。だが、別人のものとDNA鑑定でわかる。日本人はいかりに震えた。
早紀江さんは夢を見た。京都駅の異様に長いエスカレーターを降りると、自分の実家へ、赤ん坊をおんぶしためぐみさんが訪ねたのだ。早紀江さんは声をかけた。
「めぐみちゃん! どうしたの? わたしの実家になんて……」
「お母さん!」
赤ん坊を背負ってめぐみさんは微笑む。
風呂で、早紀江さんはめぐみさんの背中を洗ってやった。
……あら。肌がかさぶたみたいになっている。栄養状態が悪かったのね。
「お母さん、わたし、赤ん坊がいるの。女の子よ」
「知ってるわよ」
「なんで?」
「だって、さっき、おんぶしていたじゃないの」
「ああ。そっか」めぐみさんは微笑んだ。
次の瞬間、いない。次の日、早紀江さんは教会で祈った。拉致被害者は約882名(新しいポスター)。
ラジオ放送の録音で早紀江さんは語りかける。
日本海の海岸で横田夫妻は海をしばらく眺めた。
「まだまだ」滋さんはつぶやくように言う。
「そう……まだまだよ。めぐみちゃんに会うまで……死ねないわ」
滋さんはその後、死去された。北朝鮮で母親のラジオ放送を聞き、めぐみさんは号泣する。
拉致の署名活動。早紀江さんは、訴え続ける……
「横田めぐみさんは生きている!」そう言っておわりとしたい。 おわり
横田めぐみさんの両親とキム・ヘギョンさんが初面会【北朝鮮・拉致問題】
横田めぐみ
キム・ウンギョン, キム・ヘギョン, 北朝鮮 拉致, 北朝鮮 拉致被害者, 横田めぐみ, 横田めぐみ 娘, 横田めぐみ 拉致, 横田早紀江, 横田滋, 社会, ニュース
北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの両親、滋さん(81)と早紀江さん(78)が、めぐみさんの娘のキム・ヘギョンさんと、3月10~14日に、モンゴルで面会していたことがわかった。47NEWSなどが報じた。
北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん=失跡当時(13)=の父滋さん(81)、母早紀江さん(78)夫妻が、孫でめぐみさんの娘のキム・ウンギョン(ヘギョン)さん(26)とモンゴル・ウランバートルで10~14日に初めて面会した。外務省が16日発表した。
(47NEWS「横田夫妻と孫が初面会 拉致被害者めぐみさんの娘」より 2014/03/16 10:51)
めぐみさんの両親とヘギョンさんの面会は過去に検討されたことがあったが、両親は面会に慎重な姿勢を示してきた。今回、第三国で面会が行われたのは、北朝鮮当局と日本政府の間で調整が行われた結果と見られる。NHKニュースが報じた。
面会には、ヘギョンさんの家族も同席し、めぐみさんの夫とされるキム・ヨンナムさんが同席したとみられます。
政府関係者によりますと、横田さん夫妻は「孫に会いたい気持ちはあるが、北朝鮮国内で面会すると、ヘギョンさんが『母親は死亡した』と言わされるおそれがある」などとして、第三国での面会を希望していました。
このため、今月3日、日本と北朝鮮の赤十字の会談に合わせて行われた政府間の非公式協議で、横田さん夫妻とヘギョンさんの面会を巡っても話し合われ、外交ルートを通じて、面会する場所などの調整が行われていたということです。
(NHKニュース「横田夫妻とヘギョンさん面会 外務省が発表 」より 2014/03/16 11:07)
めぐみさんは、1977年11月に新潟市内で消息を絶ち、その後、拉致被害に遭ったと認定された。北朝鮮側は、めぐみさんは1994年4月に死亡したと説明。しかし、2004年に北朝鮮側が提出した、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部から別人のDNAが検出されるなど、北朝鮮側の説明には矛盾する点も多く、政府は生存しているという前提で即時帰国と納得のいく説明を行うよう求めている。
(時時刻刻)第三国で面会、日朝の思惑 横田夫妻が孫と面会
2014年3月17日05時00分
モンゴル・ウランバートルの迎賓館。横田めぐみさんの両親は今月、この施設内でキム・ウンギョンさんと面会した可能性がある=2007年9月、阿久津篤史撮影
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親が、めぐみさんの娘とモンゴルで初めて面会した。北朝鮮は両親の訪朝を呼びかけたが、安倍政権は幕引きを図られかねないと、「第三国」での面会に動いた。安倍政権にとって拉致問題解決の新たな一歩となるのか。経済制裁の緩和を狙う北朝鮮は今後どう動くのか。▼1面参照
■夫妻に配慮、首相主導
複数の政府関係者によると、今回の面会を主導したのは安倍晋三首相だった。
北朝鮮に主導権を握られることを懸念する首相は、横田めぐみさんの父・滋さん(81)、母・早紀江さん(78)の両親が訪朝して面会することに慎重だった。しかし、拉致問題の解決に見通しが立たないなか、高齢となった横田夫妻に配慮。外交当局を通じて北朝鮮側に面会場所を第三国とするよう働きかけ、モンゴルでの開催に同意を得た。
面会場所を提供したモンゴルは北朝鮮と国交があり、関係が良好とされる。安倍政権は戦略的にモンゴルとの関係を深めていた。首相は昨年3月にモンゴルでエルベグドルジ大統領らと会談し、拉致問題解決への協力を要請した。9月の大統領訪日の際にも私邸に招いて1時間余り懇談。異例の厚遇ぶりを見せた。
日本政府は、北朝鮮が第三国での面会に同意した背景には、経済制裁の解除や支援への期待があるとみる。北朝鮮では経済状況が悪化しているとされ、政府関係者は「要求をのませるにはいいタイミングだった」と語る。
北朝鮮の姿勢は変化し始めていた。今月3日、約1年半ぶりに中国・瀋陽市で行われた赤十字会談は、北朝鮮側からの提案だった。その際、外務省課長との政府間の非公式協議にも北朝鮮側は同意した。19、20日の赤十字会談の際に行われる見通しの次回協議で、局長級協議の再開に応じるのではないか、との見方も政府内にある。
とはいえ、12年11月に開かれた前回の局長級協議で、北朝鮮側は「双方の歩み寄りが必要」との認識にとどめた。日本側が求める拉致被害者の再調査での合意には至っていない。
また、北朝鮮への対応をめぐり、日本と米国の間にある温度差も不安材料だ。米国は核・ミサイル問題を優先する一方、日本は拉致問題も含めた包括的解決を掲げる。今月24日からオランダ・ハーグで核セキュリティーサミットが開かれる。日米韓の首脳会談が開催される可能性があるが、「主要議題は北朝鮮の核問題。米韓から拉致問題を優先する日本の姿勢が問われるかもしれない」(政権幹部)との声も出ている。
■北朝鮮、制裁緩和を意識
北朝鮮は過去の日朝協議で、日本による制裁緩和や経済支援には、拉致問題の進展が不可欠との立場に理解を示していた。同時に、日本側は2012年11月以来となる外務省局長協議の再開には、世論を納得させる成果が必要との考えを示していた。
こうしたなか、北朝鮮が切ったカードが、横田さん夫妻とキム・ウンギョン(ヘギョン)さん(26)の面会だった。北朝鮮は1月に訪朝したアントニオ猪木参院議員にも、平壌での面会を打診。今回、モンゴルという第三国での面会を認めたのも「日本との関係改善を見据えた戦略だ」と北朝鮮関係筋は指摘する。
拉致問題の解決を最優先課題に据える安倍政権は北朝鮮にとり、ある意味では交渉しやすい相手だ。米韓などが最重視する核、ミサイルの開発問題の解決が見通せないなか、拉致問題の進展だけで、見返りを得られる可能性があるからだ。保守層を基盤とし、支持率も高い安倍政権の決断なら、日本の世論も収まるという思惑もある。
北朝鮮は今年に入り、韓国との関係改善も積極的に推進。2月には約3年4カ月ぶりに南北離散家族の再会も実現した。肥料などの人道支援を期待しているとみられている。
ただ、北朝鮮が最重視する米国との関係改善の見通しは立っていない。北朝鮮は昨年8月と今年2月、抑留する韓国系米国人の解放を巡り、米国務省のキング北朝鮮人権担当特使を招待しながら撤回した。見返りとして多額の現金を要求したほか、米政府高官の訪朝確約を求めて拒否されたという。
北朝鮮では厳しい経済状況が続くが、故金正日(キムジョンイル)総書記から権力を継いで3年目に入った金正恩(キムジョンウン)第1書記は国民に対し、生活向上に向けた成果を示す必要に迫られている。来年は朝鮮労働党創建70周年も迎える。日本への期待は高まらざるを得ない状況だ。
ただ、日米韓の間では、正恩氏の指導力や権力基盤に懐疑的な見方が強い。過去、米朝協議ではたびたび姿勢を転換し、米国側の不信を買った。
日朝交渉は現在まで、金正日時代と同様の外交巧者ぶりを見せているが、どこまで対話に前向きな姿勢を維持できるか、はっきりしない。
■秘密の訪問に家族会理解
北朝鮮による日本人拉致事件の中でも、1977年に13歳で拉致された横田めぐみさんは、日朝両国から拉致被害者の象徴的な存在として扱われてきた。
北朝鮮側は2002年9月の日朝首脳会談で日本人拉致を認めて以来、日本側に伝えてきた調査結果や、蓮池薫さん(56)ら帰国した拉致被害者の証言などを通じて、集中的にめぐみさんの情報を伝達した。
めぐみさんの北朝鮮の家族がメディアの取材に応じる場も設けられた。ウンギョンさんは02年10月、「おじいさん、おばあさんが会いに来て」と涙を流して訪朝を求めた。06年には、めぐみさんの夫だったとされる韓国人拉致被害者・金英男(キムヨンナム)さん(52)とともに記者会見し、めぐみさんの死亡を主張した。
めぐみさんの父・滋さんは、日朝首脳会談の際に孫の存在を知らされてから、妻の早紀江さんとともに訪朝して会いたいとの意向を明らかにした。しかし、拉致被害者家族会が「訪朝すると北朝鮮に取り込まれる。家族と直接話せば、めぐみさんの死亡を認めさせられる」と反対。03年1月、家族会は横田さん夫妻が「現時点では訪朝しない」と、夫妻を含む全員一致で確認した。
その後も夫妻は「孫だから会いたい」と機会を待ち続けた。昨年9月に横浜市であった講演会で、「孫に会うために訪朝したいか」と問われた滋さんは、「日朝交渉があって、政府が関与するならぜひ行ってみたい」と答えた。薫さんの兄で元家族会事務局長の透さん(59)は今年2月、滋さんに「もうそろそろ行動を起こしたらどうか」と促していたという。
今回、横田さん夫妻は事前に訪問予定を明かさず、周囲には「京都に法事に行く」と告げて、秘密裏にモンゴルを訪れた。家族会メンバーや拉致被害者は驚きつつも、面会場所が北朝鮮ではなく第三国のモンゴルだったことや、夫妻が80歳前後の高齢であることから「会いたい気持ちはわかる」「拉致問題解決のきっかけになれば」などと理解を示した。
金正日(キム・ジョンイル)は病死して後継者は三男の金正恩(キム・ジョンウン)となった。長男の金正男(キム・ジョンナム)は後継者レースに敗れて東南アジアらを永らく放浪していたが、2017年2月13日にマレーシアの空港でVX毒ガスにより暗殺された。2014年の3月10日~14日にモンゴルのウランバートルという日本でも北朝鮮でもない第三国で、横田夫妻は孫のへギョン(ウンギョン)ちゃんと(めぐみさんの夫の姿なし)あった。ひ孫の赤ん坊も抱いた。が、めぐみさんは死んだ、と繰り返すのみ。2017年度11月15日は横田めぐみさんが13歳で、新潟で拉致されてから40年目であった。
横田夫妻は80代の高齢者となり、ほとんどの拉致被害者家族も高齢化している。横田早紀江さんも横田滋さんも高齢者で滋さんは認知症気味にまで悪化し病死なされた。もう、時間がない。拉致被害者家族にはもう一秒も無駄に出来ない。時間がない。
拉致被害者家族たちが生きているうちに拉致問題を解決しなくては!
だが、北朝鮮の核兵器、ミサイル開発は、アメリカや日本などの徹底した経済制裁の中でも、金正恩は核ミサイル兵器に血眼になっている……何度も何度もミサイルを発射しアメリカや世界を恫喝する北朝鮮・金正恩……
こんな独裁国家、黄色いナチス北朝鮮、黄色いヒトラー金正恩などいらない。
我々は今こそ立ち上がろう! 悪を、北朝鮮を、倒すのだ!