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長尾龍虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

MRさんへの警告&(被害者意識を持つ前にあなたへの)アドバイス・助言「きちんと考えて」

2025年08月23日 18時44分41秒 | 日記













MRさんへ

あなたが「自分が原因で誹謗中傷されているのに被害者ヅラすんじゃねえよ」と発言していることについて、お伝えしたいことがあります。

その言葉は、そのままあなた自身に返ってきます。

あなたは、他者への誹謗中傷や攻撃的な言動を繰り返してきました。その結果、あなたの投稿が違反通報され、削除されているのです。これは、あなたが最初に他者を攻撃したことに対する当然の帰結です。

にもかかわらず、自分の発言が消されると、まるで自分が被害者であるかのように振る舞う。その「被害者ヅラ」をしているのは、あなた自身に他なりません。

あなたは、自分が他者に与えた苦痛や不快感を、すぐに忘れてしまうようです。あなたの行動が、どれほど多くの人を傷つけてきたか、もう一度よく考えてください。

あなたが本当に「被害者」になりたくないのであれば、まず、他者への攻撃をやめることです。そうしない限り、この負の連鎖は終わりません。

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MRさんへ。世の中を舐めて、努力を怠る限り1000%プロ作家にも漫画家にもなれない。知恵袋荒らしの時間浪費をやめなければ「おわり」。

2025年08月19日 17時38分42秒 | 日記








MRさんへ

プロの作家になりたいという夢を語る一方で、知恵袋で無意味な投稿を繰り返しているあなたに、もう一度はっきりと言います。

その時間の無駄遣いを続ける限り、あなたの夢は1000%叶いません。

あなたは「荒らし行為で時間をつぶす」という、最も愚かな方法を選んでいます。プロの作家になる道は、一秒一秒を物語に注ぎ込むことで開かれます。その努力を怠り、他者を不快にさせる行為に興じているうちは、絶対に成功はありえません。

「いじめを社会成功で見返す」と簡単に言いますが、それも実現しないでしょう。なぜなら、あなたが今やっていることは、自分自身を卑しい存在へと貶める行為に他ならないからです。

世の中を甘く見ないでください。

社会は、誠実な努力と、他者への敬意を払う人間を評価します。あなたのやっていることは、その真逆です。このまま荒らし行為を続ければ、やがてあなたは、誰も相手にしない、孤独で惨めな地獄を見ることになるでしょう。

今すぐ知恵袋を閉じ、キーボードを握りしめて、物語を書いてください。
それが、あなたが夢を叶える唯一の道です。



何故、努力をゴキブリのように嫌うのですか? また論点のすり替えで「じゃあ、努力したら誰でも大谷翔平になれるの?」じゃなく。努力しようよ。
努力しても必ず報われる訳ではない。努力して誰でも報われるならそこら中、成功者だらけだ。
だが、努力したら、努力を重ねたら少なくとも〝(能力が)のびる〟のだ。
今のMRくんの文章も漫画絵も論説もいまだに「小学生の落書きレベル」だ。
確かに、努力の継続は苦しい。厳しいし、嫌にもなるだろう。だが、妄想で「イラストの仕事をしている」「文章の仕事をしている」と言ったって、妄想で、現実ではなく、自慰行為なんだから仕方がない。
小学生の落書きレベルの絵も、何万回も模写したら「すごい綺麗な絵」が描ける。皆最初は小学生の落書きレベル。それさえ、努力しなければずっと小学生の落書きレベルのままだ。
文章も書き続ければうまくなる。最初は誰でも「小学生の落書きレベル」だ。
努力すれば自分の可能性はどんどん広がる。「小学生の落書きレベル」から進化すればするだけ可能性は広がる。やれば伸びる。努力とはだからこそ尊いし、それだからこそ皆努力をするのだ。
妄想で夢見て、実現させなければ一生「小学生の落書きレベル」のままだ。
努力を嫌うのは愚かすぎる。自分の可能性を自分で潰しているだけだ。
知恵袋の十数万件などぜんぶ自慰行為。迷惑行為。一円にもならない。
努力をしないなら一生、「小学生の落書きレベル」のまま。知恵袋荒らしで時間を浪費し、無駄にする。
妄想の、十代の大学生の女です、じゃなく、本当はもうアラフィフのおっさんなのにまだ危機感もない?
努力しなければ一生、「小学生の落書きレベル」です。
それでいいんですか? 君をいじめた連中を見返せないが。……それでいいの? 糞のまま??
いじめっ子が「ざまあ」と笑っているよ。それでいいの??

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MRさんへ。作家は、自分の作品を世に出すことで初めて作家と認められる。あなたの情熱は、出鱈目な投稿ではなく、一つの物語を生み出すことに使うべき。

2025年08月18日 22時06分13秒 | 日記









MRさんへ

プロの作家になりたいという夢、素晴らしいですね。夢を語ることは、その一歩を踏み出す力になります。

しかし、知恵袋での投稿に多くの時間を費やしている現状では、残念ながら夢を実現することは難しいでしょう。プロの作家になる道は、一日にして成るものではありません。それは、地道な努力と、何よりも「時間」の投資によって築かれるものです。

時間の使い方を変えなければ、未来は変わらない
あなたは今、かけがえのない時間を無駄にしています。

一日中、知恵袋への投稿に費やしているその時間は、本来であれば、物語を紡ぐための貴重な時間です。その時間で、読書をしたり、プロの作品を分析したり、自身の技術を磨くための練習をすることができます。

ショートショートと称している作品も、本当はもっと長い物語を書きたいという気持ちがあるのではないでしょうか。もしそうだとしたら、今のままではその壁を乗り越えることはできません。

プロになるために今すぐやるべきこと
知恵袋から離れる: あなたの夢を阻んでいる最大の障壁は、知恵袋での荒らし行為です。今すぐそれをやめてください。スマホやPCを閉じて、創作のための時間を確保してください。

読書: 商業小説を読んでください。プロが書いた作品から、物語の構成、キャラクターの描写、言葉の選び方を学ぶことができます。

書く: どんなに短いものでも構いません。毎日、書き続けることが大切です。書かなければ、文章力は向上しません。

作家は、自分の作品を世に出すことで初めて作家と認められます。あなたの情熱は、出鱈目な投稿ではなく、一つの物語を生み出すことに使うべきです。

夢は、ただ願うだけでは叶いません。
今すぐ行動を起こしてください。
あなたには、まだやり直せる時間があります。

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【池上彰と学ぶ・戦後80年で知ろう。戦争のこと】第二次世界大戦・アジア太平洋戦争、ナチスドイツと大日本帝国・イタリア世界との戦争の基礎の基礎

2025年08月17日 19時37分19秒 | 日記











  戦後80年(2025年8月15日)より。池上彰氏の解説を参照に学ぶ「戦争のこと」

 戦後八十年だが、日本人の若者に8月15日が何の日か聞くと「え? わかんない。花火?」「お盆の前の日?」「誰かの誕生日?」「海の日?」。なら戦争のことを若い人は(戦争経験者に)訊いたか?「聞いてない」「食料がなくていつも腹をすかしていた?」「生まれる前だから知らない」……。
戦後八十年の節目だからこそ、基礎の基礎から戦争について知ろう!
 なら、「世界大戦ってどういうこと?」二国間だけでなく、複数の国同士が世界規模で戦った戦争、これが世界大戦。日本人は「太平洋戦争」というが、それは第二次世界大戦の一部の戦争であるということ。アメリカと日本が戦っただけではなく、世界規模で戦争状態になった。いわば団体戦。欧州や中東、オーストラリア(日本の空襲で犠牲者大勢・日本人は意外と知らない)、北米(日本の潜水艦での攻撃)、ブラジル(ブラジルの船がドイツ軍に攻撃された)など世界中が戦場になった。日本側が『枢軸国』(日本・ドイツ・イタリア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・フィンランドなど)VS.アメリカ+欧州側『連合国』(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国など47カ国)の戦争が第二次世界大戦である。世界での死者は五千万人(日本人だけで310万人の死者)――人類史上最大最悪の戦争になった。この戦争がなかったら、今の現在の世界も全く違ったものになっていただろう。
 なら、終戦の日が何故、八月十五日なのか? というと、これは当時の昭和天皇の玉音放送があったから。1945年8月15日に、天皇が戦争終結を、戦争敗北をNHKのラジオ放送で放送したから。玉音とは「玉のように清らかな声や音(天皇の肉声)」。その当時は、庶民は天皇陛下の声を直に聞いたことがなかった。
 だが、それでも〝堪え難きを耐え、忍び難きを忍び……〟で、その後のアナウンサーの説明で、日本が負けた、と国民は泣いた、ということだった。
 戦争が終わったが、世界での終戦の日は違う。ヨーロッパでは、ナチスドイツが敗北した5月8日が終戦の日。では、世界的にすべての戦争が終わった日は?
 ――9月2日。日本が太平洋に浮かぶ米国艦ミズーリ号で終戦(降伏文書に署名)を調印した日だからだ。
 1945年7月のポツダム宣言を日本は『黙殺』――これがアメリカでは『Reject(拒否)』と訳され、それで8月6日の広島原爆(ウラン型核爆弾・リトルボーイ)。そして、8月9日の長崎原爆(プルトニウム型爆弾・ファットマン)になり、日ソ不可侵条約を破ってソ連が参戦……。それで日本は1945年8月14日に「ポツダム宣言受諾」を世界に伝え、8月15日の玉音放送をもって敗戦・終戦、となった。
 広島や長崎や小倉には軍事工場や造船所などがあったから。標的は広島と小倉(現・北九州市)と長崎……そこには様々な軍需工場があった。広島では原爆投下は午前八時十五分。では、何故、長崎は午前十一時二分なのか? これは先に小倉に行って、雲で街が見えなくて投下できなかったので、次の標的地・長崎に行ったから。だから遅れた。
 原爆投下まで広島などには都市空襲をしなかった。何故なら、原爆でどこまで破壊できるかの結果、がわからなくなるから。また、当時の冷戦体制を見越して、アメリカがソ連に「アメリカがこれだけの凄い新兵器を持っているぞ」との脅しの意味もあった。
 戦後初(1946年)の核実験はビキニ環礁で。その衝撃から、当時の水着を『(衝撃的なので)ビキニ』と名付けたほどだ。また、日本の怪獣・ゴジラも核実験(1954年第五福竜丸事件)での着想、である。
 また、日本はソ連(現・ロシア)に戦後のどさくさに紛れて(1945年8月28~9月5日)北方領土を侵略され奪取された、こともある。領土は国後島・択捉島・色丹島・歯舞群島、である(北方領土は領土放棄した千島列島に含まれていないのだが……)。
 戦後、世界から戦争をなくそうとつくられたのが国際連合(UN・ユナイテッド・ネーションズ・つまり連合国)(国連と言っているのは日本だけ)。戦争に勝った連合国がそのままの名前でつくったのが国際連合(国際連盟は第一次世界大戦での前身)(安全保障理事会での常任理事国がアメリカ・フランス・イギリス・中国・ロシア(旧・ソ連))(安保理での常任理事国は拒否権を持っている(パレスチナの国家承認でのガザ・イスラエル問題では、アメリカがイスラエルの制裁にも拒否権)(ウクライナ戦争では、ロシアがウクライナ支援に拒否権))――
 第二次世界大戦での大国が常任理事国での五カ国で、その当時のパワーバランスによっての五カ国体制になっている。ちなみに、日本とドイツはいまでも旧敵国条項によって「敵国」のまま。つまり、旧敵国には安保理の会議なしに攻撃出来る。
 あり得ないが、例えば日本が中国を攻撃したら、中国は国連に相談しなくても日本を攻撃してもいいことになる。
 また、靖国神社だが、元は幕末の戊辰戦争での明治新政府側の戦没者を慰霊するために建てられた元・東京招魂社(明治二年建立)、である。坂本龍馬や吉田松陰や高杉晋作は祀られているが、西郷隆盛は西南戦争の内戦を起こした為に祀られていない。
 また、太平洋戦争での戦没者も祀られているが、何故、政治家の公式参拝で騒ぎになるのか? だが、A級戦犯(戦争を指導した戦犯)を1978年に(14人を靖国神社に)合祀されたから。
 アジア諸国からしたら「戦争指導者を称えるのか! 歴史正当化だ!」ということ。
 また、戦争が始まったのも満州(中国東北部の帝国日本の傀儡国家)での利権で、である。当時の昭和恐慌で苦しい日本は、満州の資源(石炭と鉄鉱石・木材・大豆・コメなどの資源しかなかったが)に注力し、中国との戦争に突入、その際に柳条湖事件(満州事変・関東軍が中国軍が日本の満州鉄道を爆破したとして戦争・軍事行動を開始した。これは石原莞爾の策で、日本軍の自作自演の爆破だった)で戦争が起こる。そのキッカケだった。
(関東軍はわずか五か月で満州支配)(満州国を建国)
資源のない日本はアメリカから石油(輸入の九割)を止められ(「このままでは艦隊も戦闘機も車も動かせない」といって)、ABCD包囲網で、切羽詰まった日本は(「資源確保」のために欧米の植民地だった)東南アジアなどを侵略していった。そして、ナチスドイツとイタリア・ムッソリーニ独裁帝国と三国同盟を結ぶ。慢心した日本は真珠湾攻撃(1941年12月8日)をする。(アメリカはモンロー主義で、戦争に参加していなかった)
宣戦布告を攻撃のあとになったので奇襲攻撃、とされている。が、実際は日本からの暗号を訳すのに日本人のワシントンの米国大使館官僚が戸惑って、遅れた、だけ。
だが、遅れたので奇襲攻撃の卑怯、といって「原爆も当然」というかつてのアメリカの世論になった。だが、現在では、日本の原爆被害が広がって、「核兵器被害」を認識している。(原爆投下の当時、日本は全土を焼け野原にされ、もう負けていた。戦争終結を検討していた。それを原爆を二発も投下し、「戦争を終わらせた」と米国人が正当化するのは間違いだ。原爆の被害をよく知ってから議論してほしい)(真珠湾攻撃より二時間前に、マレー半島にも攻撃した。これはあまり知られていない。これは対イギリス戦争。何故知られていないのか? は米国の影響が強かったから)
(大東亜戦争という名称は駄目だ、と米国に言われアジア太平洋戦争、といわれることに)
(日中戦争から八年で日本の敗戦。残留日本兵や残留日本人孤児、シベリア抑留などの悲劇を生んだ)そうして東西冷戦、その後のソ連崩壊――時代は激動していった。
(韓国では8月15日は光復節(こうふくせつ・日本からの独立記念日))(他の国では韓国や中国のような反日ではなく、アジアでは日本のODAなどで発展し親日になっている)(中国の戦争終結日は9月3日)(もう反日はダサいというひとが多くなった。和解の時期、ということ)
 またドイツは戦後、ナチズムを徹底的に否定し、ユダヤ人大虐殺を反省し、教育ではユダヤ人収容所に必ず訪れて慰霊をしている。ナチスやヒトラーを賞賛することも、ナチス式敬礼や「ハイル・ヒトラー」さえも違法であり、最悪の場合は警察に逮捕される。
 そこまで徹底して反省しているのだ。だが、ナチスのような極右政党・Afd(アー・エフ・ディー「ドイツの為の選択肢」)が勢力を伸ばしてもいる。イタリアの場合は、確かにムッソリーニ政権は日独伊三国同盟を結んだ。が、戦争の最中に民衆が蜂起し、ムッソリーニ政権を倒し、吊るし首にして戦争を放棄した。だから、イタリアにとっては戦争は「敗北」よりも「引き分け」。(イタリアの終戦日は4月25日・ナチスドイツからの解放独立日)
 だが、欧州というよりイギリスやイタリアやフランスは、日本国には関心がない。
「フランス人は日本びいき」というが、嘘だ。興味がないだけ。
(インドは8月15日は(イギリスからの)独立記念日・(日本軍の作った)インド国民軍がイギリスからの独立を果たした)(インドネシアは8月17日が(オランダからの)独立記念日・三百年の植民地支配だった。日本からの強制奴隷労働・ロームシャ(労務者)があったが恨みはない。ODA(政府開発援助)や鉄道などでの経済発展の貢献があったから)


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誹謗中傷・なりすましする人たちへの注意喚起「匿名でもすぐに警察や弁護士は特定する」誹謗中傷や名誉棄損で逮捕の覚悟なんだね??「捕まるよ、マジで」

2025年08月09日 13時03分13秒 | 日記











   誹謗中傷・なりすましする人たちへの注意喚起「匿名でも警察や弁護士に特定される」「捕まるよ、マジで」


世の中にはいろいろなひとがいる。その中で、ぼくを誹謗中傷したり、ぼくになりすまして有名人の誹謗中傷をする輩も残念ながら存在する。MRに関しては、あいつは「相手に煽られたから誹謗中傷をした」とか抜かす。
だが、ぼくは煽りなどやっていない。本当のことを書いただけだ。
努力をゴキブリのように嫌うから「怠け者」と、本当のことを書いただけ。
リンゴを見て「リンゴだ」というのと何も違わない。
だが、匿名で書き込めるからと正体がバレない訳もない。
警察や弁護士が知らべれば、氏名も住所も電話番号も職業もIPアドレスもすべてわかる。
まあ、MRの個人情報はすべて知っているが(笑)誰かがMRを危険視する人間が、個人情報をあげているから……よっぽど恨まれたんだね。ぼくもMRには壮絶な誹謗中傷攻撃をされて、一時期は「〇したい」とまで思った。だが、MRは一切謝罪もせず、知恵袋を数分おきに、毎日、早朝から深夜遅くまで十年間も荒らしまくっている。「わたし(MRの一人称)を死んだものとして忘れて」とか抜かす。
いくらトクメイだと思っても、調べれば、個人情報はすぐに判明する。
有名人にも誹謗中傷攻撃をしているらしいが、有名人も警察に通報した、とさ。
もう逃げ場はあの世しかなくなったな、MR。
ぼくは誹謗中傷攻撃を許容などしない。すべて証拠のスクショを撮ってますよ。
知恵袋の運営側はMRを寛容に放置するが。それも今のうちだけだ。
いずれ威力業務妨害などでMRを訴えてくるだろう。
ますます、逃げ場はあの世、だけになったな、MR。
ぼくになりすまして有名人に誹謗中傷攻撃をしてもすぐにバレる。
なんでそんな簡単なこともわからないんだ???小学校中期の障害、だからか??
なんにしても、今度、あの時と同じような真似をしたら警察沙汰・弁護士沙汰にする。
もう、『怪物』を放置しては駄目なのだ。怪物、いや妖怪(MRの父親がMRを「俺にはお前が妖怪にしか見えない」といった)を退治する日が近付いている。
少なくとも、有名人は警察に相談し、動いた、とさ。
逃げ場はもうひとつしかなくなったな、MR。震えて眠れ。

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【トランプ全解説(一部)】トランプは何を考えているのか?世界をかき回すトランプが次に考えていること。関税戦争・大量解雇・G0時代!!!!

2025年08月02日 09時09分54秒 | 日記










   世界の行方はトランプを見るとわかる!

 ホワイトハウスにドナルド・トランプが帰ってきた。
 その時、緊張が世界中に伝播しました。国際経済、同盟関係、外交だけでなく、アメリカの政界も含めて、民主主義の存在そのものも大きく揺さぶられている。
 しかも、今回はトランプ自身だけでなく〝ミニ・トランプ〟とも呼ばれるまさにトランプと同じような思想と主義の部下たちまで引き連れてのホワイトハウスへの凱旋と、なった。
 政権自体が〝トランプ化〟というまことに頭が痛い状況になっている。
 第一期政権から間が四年間空いての二期目の政権――大規模な関税をかけるぞ、と脅す関税男(タリフ・マン)……「ディール(取引)」を重視し、アメリカ・ファースト(米国優先)を掲げる思想の読めない自由な男・ドナルド・トランプ……。
 世界は彼に思うように振り回されている。
 トランプ政権を切り口に、世界の有り様や、全研究によるトランプ論、何故、彼は熱烈に支持され、また警戒されるのか? その真実に迫りたい。
 トランプという一人の政治家を研究するだけではなく、彼を通して、世界の全ての真実に迫る。ただ、政治家の一人を追うだけでなく、トランプを研究していくことで世界がわかる。
 だからこそ、この『ドナルド・トランプ全研究』によって、彼がいったい何を考えて、どういう思想で発言し、行動しているのか? それを探求すればおのずと世界が見えてくる。
 そういう考えの元、この書は誕生したのだ。
 では、早速、ドナルド・トランプの真実を語ることにしよう。



     世界のすべての国への関税の衝撃
    ――トランプ関税は第二次世界大恐慌を引き起こす?




 トランプが、2025年4月2日(現地時間)に、世界の国々のアメリカへの輸入品のすべてに関税をかけることを発表し、話題になった。いわゆる「相互関税」である。
 日本ももちろん対象国に入っており、この世界への「相互関税」発動により、国際経済にも激震が走り、投資家も敏感に反応、株価が大幅に下落するなど相当の衝撃となった。
 どうやら、国ごとの関税の数字もでたらめな計算方法での算出だ、ということだが。
 トランプは、アメリカへの輸入への関税を大幅に適用することで、アメリカに入ってくる輸入品の価格を吊り上げて、国内産業へのシフトと国内の製造業の販売促進、税収アップなどを考えているようだ。だが、一律10%の関税も発動されたのだが……。
 そこの名簿には、アザラシとペンギンしか住んでいない豪州(オーストラリア)のハード島やマクドナルド島まで含まれていたので、それも話題になったとのこと。
 どうも、トランプは関税というものは「誰が払うのか?」ということを理解していない、というのが有識者の共通認識らしい。
 彼にとって、「関税」とは相手国が払うもの……なようで。
 まあ、本当は輸入する米国国内の輸入業者が払う。しかも、「関税分」は価格に上乗せされるので、米国人はさらに高い値段で輸入品を買うことになるだけ。まるでブーメランだ。
 そういう基本的なことをトランプは理解していない。

 
  関税の種類が拡大する


 その後、貿易相手国へ同じ水準の税率をかけ返すとする「相互関税」が実施され、さらに国ごとにそれぞれ関税をかける「国別関税」、鉄やアルミ、車など品目ごとにかけられる「品目関税」の三つが実施された。日本も例外ではなく、日本には24%の追加関税が課せられることになりました。
 この24%という関税率はどこから出ているのか?
 まさに、でたらめ、だ、といいます。
 貿易赤字額や貿易障壁、関税と貿易や消費税や各国の為替、規制との対比――様々な数値を鑑みて算出されている……というのは嘘で、実際は「貿易赤字÷輸入額×100÷2」で計算したのではないかと推測されるという。経済学者からは「まったくでたらめな数字」「計算式自体でたらめだが、この計算式に入れる数字も間違いで、数字を正しく入れると現在発表されているものの4分の1程度」との指摘もあります。
(日本時間・2025年7月23日に、渡米中の赤沢大臣とトランプ大統領との合意により、日本側への「相互関税」24%を、15%まで下げることで合意しました。アラスカの天然ガスなどの大幅購入などで譲歩を勝ち取った形です)
 トランプの「関税戦争」のターゲットになっていたのは、当初、中国のほかカナダとメキシコなどでした。カナダやメキシコへの「国別関税」は、アメリカに蔓延して多くの依存症者を出して社会問題になっている合成麻薬フェンタニルの流用の責任を取らせる、という理由づけがされていました。
 また、中国に関してもフェンタニルの原材料の輸出国として、罰則的な「追加関税20%」がかせられることになりました。
 中国は対抗措置としてアメリカに34%の「報復関税」をかけると発表。それに伴い、アメリカは、中国には合成麻薬フェンタニル流用の理由の関税も加わり、実に145%の関税が課せられることになりました。
 中国もアメリカからの輸入品に関して、125%の「報復関税」をかけると発表しました。ですが、5月12日に、双方で115%の関税を引き下げると合意しました。
 が、アメリカからの中国への関税は30%も残り、中国のアメリカからの輸入関税は10%も残りました。
 トランプ政権の極端な「関税戦争」による世界の動揺ぶりが見て取れます。
 トランプは、コロナ後の世界的な物価高に苦しむ層から、「バイデン大統領(当時)より、俺の方が物価高を解消し、アメリカを再び偉大な国にする(MAGA・Make America great again!)」として再び米国大統領に選ばれました。
 でも、「関税をかける」というのは、関税って米国の輸入業者が払うのであり、相手国の政府や会社が払うのではない。
 アメリカには多くの輸入品が入ってくる。が、そこに高い関税をかけるということはその分を価格に転嫁するしかなく、益々、物価が高騰するだけである。
 トランプは「関税(タリフ)こそ偉大だ」「俺はタリフ・マン(関税男)になって米国を救う。外国は関税を払い、貿易不均衡を是正し、アメリカを再び偉大な国にする!」という。
 つまり、誰が関税を払うのか? さえわからず、とにかく外国の企業や政府が関税を払うのだ、と勘違いして関税政策を推し進めているのだ。
 まあ、愚か者! でしかないが。彼は、米国国民に選ばれているのだから仕方がない。
 絶句するほどに愚かであるが。
 こんなひとでも米国民は大統領に選んだ。しかし、そのツケをさらに高い物価を払わせられるとわかったら、米国民も「話が違う!」と叫ぶだろう。
 僕には、この人物が、ちょび髭のない、金髪の、今様ヒトラーにしか見えない。
 限りなく危険な臭いがする。
 彼がヒトラーだとしたら、ゲッベルスはイーロン・マスクか?
 だが、マスクさんはトランプと仲違いして、アンチトランプとなり、政権を飛び出して、『アメリカ党』なる政党まで反発心からつくった。
 世界一の金持ちで成功者だが、どうも胡散臭い。
 自分の好き勝手にできないからと、政権での省庁削減政策を放り出して、野に下った、といえばカッコイイが……。所詮は我が儘な大金持ちでしかない。
 マスクさんは少年時代にいじめにあい、復讐心から、大金持ちを志した野心家だ。
 だから、思いやりとか同情心が薄い人物なのだろう。
 ビジネス感覚は鋭いが、他人の思いには鈍感――それがマスクさんだ。
トランプ政権には、アマゾンのCEOやアップルの最高経営者など、テック企業からの〝すり寄り〟が醜悪だ。が、巨大な利権が絡むなら、大企業も当然、ビジネスを考えてトランプの御機嫌取りもするだろう。
 それは日本の大企業家・ソフトバンクの孫正義社長も例外ではない。
 トランプ政権には、あの中国からでさえ、
「行き過ぎた保護貿易はいけない」と苦言を呈されてもいる。
 どの口がいうんだ、みたいな話だが。
 まあ、「関税戦争」により、米国国債の金利が上がり、価値が大幅に下がった。
 これにはトランプも顔を青ざめさせた、という。
 前は、米国国債の最大の保有国は中国だった。だけど、中国は徐々に米国債を売りさばき、現在の米国債の最大の保有国は日本である。
 このアドバンテージを何かで武器に出来ないものか?
 

   トランプ政権への戦略的外交交渉とは

貿易赤字ということで、トランプ大統領は「日本でアメリカ産の車が売れていない」ことを問題視しているようだ。
アメリカで日本車は六○○万台(2024年)売れたが、日本で米国車は三〇万台程度。これをトランプは「不公平だ」という。
だが、きちんと日本の市場や道路を見て欲しい。
日本では、欧州のドイツなどのBMWやベンツの車が頻繁に走っている。それは欧州は日本市場の為に右側ハンドルなどを開発しているからだ。
ところが、米国車はどうか?
狭い日本の道路に比べて車体が大きいし、燃費も悪い。いかに日本政府が「米国車を買って」と旗を振っても消費者は買わないだろう。
トランプはロジックに強い。
アメリカには「米国でつくった日本車を、日本に逆輸入したら一○○万台売れる」と言ったらいい。
そうすればトランプも「いいアイディアだ」と膝を打つ。
日本側の交渉人も赤沢氏では駄目だ。
ここはラスボス・上川陽子氏の登用だろう。
上川さんならトランプとうまく交渉するだろう。
すべては上策次第・戦略次第だ。

  *
トランプ関税再び—
恣意的な「対日25%」の裏にある本質


トランプ大統領が8月1日から導入予定の新たな関税政策は、14か国を対象に一律でない税率を課すという、極めて恣意的な内容です。
日本には25%、韓国やEUには30%以上、ブラジルに至っては50%の関税が設定されました。その基準は貿易不均衡ではなく、「気に入るか気に入らないか」という個人感情で決まっているとしか思えません。
 ブラジルの例が象徴的です。アメリカとの貿易収支は均衡しているにもかかわらず、前大統領ボルソナロの収監に反発したとして「罰」として50%の関税を科されました。これはもはや国家間交渉というより、私怨に基づく制裁といえるでしょう。
 日本政府の対応も気になります。自動車産業をはじめ、日本企業はアメリカ国内で11万人の直接雇用を生み出し、ディーラーや関連業を含めると220万人に及びます。
さらにアメリカで製造された日本車が30万台輸出されており、経済的に密接な関係を築いているにもかかわらず、毅然とした対応が見られません。
 日本政府の「なめられたくない」という姿勢は結構ですが、それだけでは戦えません。トランプはロジックに弱くはありません。彼が理解できる言葉で、実利を示し、交渉に臨むべきです。
単なる「毅然とした態度」ではなく、緻密な戦略と数字に基づく交渉力こそ、今求められている外交姿勢だと私は考えます。


 交渉力の不在と人材配置の誤り—
対米交渉に必要なのは経歴ではなく成果を出す戦略家

今回の関税問題に関し、日本政府の交渉担当である赤沢経済再生担当大臣が批判の的となっています。立憲民主党の野田元首相も更迭を求めましたが、そもそも赤沢氏が交渉の最前線に立つべき人物だったのかが疑問です。
 彼はコーネル大学でMBAを取得しているものの、トランプと対等に渡り合うには、経済・企業・貿易構造を深く理解し、「相手の利益を先に提示する」戦略的交渉力が必要です。単に語学ができるだけでは、相手に響きません。
 私はM&Aの現場で幾度となく交渉を経験してきましたが、トランプのような交渉相手には、数字で納得させる話法が必要です。
たとえば「アメリカで作った日本車を日本に逆輸入すれば100万台売れる」といった提案は、トランプにとって「ウィンウィンの解決策」であり、「お前のアイディア、最高だ」と受け入れられる可能性が高いのです。
 赤沢氏には残念ながらそのような発想や交渉技術が見られません。それどころか、彼は「新しい資本主義」「スタートアップ」「感染症危機管理」など、7つもの役職を兼務しています。これでは現場に集中できるはずもありません。
 交渉の現場に必要なのは、専門知識と柔軟な発想、そして相手を納得させる「語り口」です。もし交渉の最前線に立たせるなら、私が推すのは上川陽子氏。英語力、胆力、そして死刑執行の判断も下せる冷静な判断力を兼ね備えた数少ない人物です。
 

EU・メキシコ・カナダへの制裁関税—
トランプ流「政治関税」は国家経済に何をもたらすか

EUやメキシコ、カナダに対しても、トランプは相次いで30~35%という高関税を表明しました。理由は表向き「貿易赤字」「不法移民」「薬物密輸」などですが、実態は「報復に対する報復」「好き嫌い」に近いものです。
 たとえばカナダはアメリカの最大の貿易相手国であり、特に木材や農産物の対米輸出が多い国です。ここに35%の関税が課されれば、カナダ経済だけでなく、アメリカ国内の物価上昇に直結します。住宅建材や食品価格が上がれば、アメリカの一般消費者が直撃を受けることになります。
 EUに関しても、ワインや車、化学製品などの対米輸出に大きな影響が及びます。特にフランス産やドイツ産の高級品が狙い撃ちされることで、アメリカ産の代替品が売れる構図を作り出しています。
 これは明らかに「経済論」ではなく「政治論理」で動いており、トランプ政権下のアメリカが「保護主義のヤクザ外交」に舵を切ったことを象徴しています。国際的な信頼は損なわれ、世界経済の不安定化を招くリスクもあると私は懸念しています。
  

銅に50%関税という愚策—
EV時代に逆行するインフラ制裁の矛盾

アメリカ・トランプ大統領は、銅および銅製品に対して50%の追加関税を課す方針を打ち出しました。銅は電線や配管などのインフラだけでなく、EV(電気自動車)や再生可能エネルギー関連機器に欠かせない戦略資源です。安全保障を理由にした発言ではありますが、私はこの政策に対して非常に懐疑的です。
 というのも、アメリカ国内では銅の自給体制がほとんど整っておらず、供給元はチリ、コンゴ、中国、日本などに大きく依存しています。これらの国々からの輸入に高関税をかけるということは、製造コストの高騰、ひいてはEV産業全体への打撃となり、アメリカ経済に跳ね返ってくるのは明白です。
 現在、世界中で脱炭素化が進む中、EVやスマートグリッドの整備は国際競争力の源です。銅の安定供給を妨げるような措置を取ることは、「アメリカ・ファースト」の名のもとに未来産業の首を絞める結果をもたらすでしょう。
 また、こうした突発的な関税措置は、グローバル企業のサプライチェーンに不確実性をもたらします。これにより、アメリカ国内での新規投資や設備投資が減少する恐れもあります。トランプ流の即興政策は、市場の信頼を揺るがすだけでなく、アメリカ自身の競争力をも損ねかねないのです。
 

トランプ移民政策の自己矛盾—
労働力不足と妻の出自に苦しむ「排除と容認」のジレンマ

トランプ氏の移民政策は常に矛盾をはらんでいます。最近では、農業やホテル産業などでの労働力不足に対応するため、農家が保証する場合に限って不法移民を取り締まり対象から除外する方針を示しました。これは産業界からの強い反発を受けたことによる“現実的な妥協”ですが、私に言わせれば「最初からわかっていたこと」です。
 アメリカの農業・建設・宿泊業は、不法移民によって成立していると言っても過言ではありません。特に季節労働者の多くがビザを持たずに働いている現状において、全面的な排除は現実的ではないのです。
 皮肉なのは、トランプ氏自身の夫人であるメラニア氏も、移民としてアメリカに渡り短期間で市民権を得た経緯があるということです。さらに、彼のフロリダの別荘「マール・ア・ラーゴ」で働いているスタッフの多くが外国籍労働者である点も、移民排斥を掲げる立場と矛盾しています。
 加えて、「出生地主義」の撤廃も打ち出していますが、これは自らの息子バロン氏の国籍すら揺るがしかねません。制度の合理的見直しではなく、排外主義に基づく政策は、アメリカの社会と経済の根幹を揺るがす危険を孕んでいるのです。
 

   ノーベル平和賞を狙うトランプ—
ネタニヤフとの癒着と危険な和平演出

イスラエルのネタニヤフ首相は、トランプ氏をノーベル平和賞に推薦する旨を記した書簡をホワイトハウスで直接手渡しました。推薦理由は「アブラハム合意」──イスラエルとアラブ諸国の国交樹立を仲介したという実績ですが、私はこの動きを冷ややかに見ています。
 確かに外交的成果はあったかもしれませんが、トランプ氏の本質は「平和」とは真逆です。対中関係、対イラン関係、そしてウクライナ危機やガザ紛争への介入姿勢を見れば、「火に油を注ぐ」ような態度ばかりが目立ちます。
 ノーベル平和賞の候補になるには、理念と一貫性、そして長期的な安定をもたらす指導力が必要です。推薦状を使った政治的パフォーマンスは、本来の趣旨から逸脱しています。ネタニヤフ氏の推薦には、ガザ情勢へのアメリカの関与を自国に有利に導きたい思惑が見え隠れします。
 トランプ氏の「平和への貢献」が演出である限り、世界の平和は彼の自己顕示の道具にすぎません。私はこのような候補が「平和」の象徴となることに強い違和感を覚えています。* 
*~* (大前研一氏2025年7月13日BBTchより引用)



  カナダとグリーンランドをトランプが狙う理由

 トランプは就任そうそう、「カナダはアメリカの51番目の州になるべきだ」とか「グリーンランドをアメリカは購入したい」と発言し驚かれた。
 この領土を購入したい云々は、まるで十九世紀のような感覚だ。
 まあ、アメリカはロシアからタダ同然でアラスカを買って、儲けた成功体験がある。
 アメリカがアラスカをロシアから購入した時、「「空っぽの冷蔵庫」を購入した」と嘲笑された。だが、それから百年経過したとき、アラスカには天然ガスや石油など資源が豊富で、沖合の漁場の水産資源も豊富だ、とわかった。
 つまり、中身のぎゅうぎゅうに詰まった「冷蔵庫」を購入したのだ。
 ちなみに、グリーンランドはデンマークの領土で、地政学的に有利で、もちろん氷が解けてきて資源も採掘可能になり、資源も豊富だから買いたい、のだ。
 カナダに関しては独立国家であり、「51番目の米国の州になればいい」……は、あまりにも傲慢稚気な話だ。カナダの首相は激怒していましたね。
 だが、十九世紀のメンタリティのトランプだからこそ言える発言だ。
 関税を世界中にかけるとか、頭が少しおかしいとしか思えない。
 輸入品に関税を掛けたら、損をするのは馬鹿高い輸入品を買わされるアメリカ人だ。
 トランプはそんなこともわからない。
 北極海の氷が解けてきて、北海輸送ルートも現実を帯びている。
 そのアドバンテージをとりたいのはわかるが。あまり馬鹿みたいな行動をするべきではない。トランプは軽挙妄動がすぎる。
 だが、このままではアメリカはNATOを抜けるかもしれない。
 アメリカ・ファーストとはつまり、「アメリカさえよければどうでもいい」ということだ。
 なんで、ヨーロッパをアメリカが守るの? ――みたいな。
 そんなトランプでも熱狂的に支持する米国人支持層がある。労働人口の1%もないようなラストベルト(錆びついた工業地帯)とよばれる地域の、白人低学歴労働者層だ。ナチのヒトラーもああいう風に支持された。まるでナチスであり、ヒトラーだ。第二ヒトラーだ。
 さすがに大虐殺は引き起こさないだろうが……。歴史は繰り返す。恐ろしい。
 もちろん、アメリカのエリート層やセレブリティは反トランプであるが。
ともあれ、アメリカの軍事力はイランの核施設を無力化できるほど甚大であり、その気になれば北朝鮮の核施設や独裁体制の崩壊も容易だろう。だが、それはしない。
 くだらん国だが、今の北朝鮮が崩壊したら、朝鮮半島はカオス化する。
 飢餓の国の国民が、独裁体制崩壊をこれ幸いと、食糧を求めて中国や韓国に殺到する。半島はカオス化し、収拾もつかなくなるだけ……。そんな混乱は誰も求めていない。
 金正恩独裁体制など、米国からしたらいつでも崩壊可能だ。
 だが、それで朝鮮半島周辺の情勢が混乱化・カオス化したら意味がない。
 誰も幸せにならない。北朝鮮人だけは解放されて喜ぶだろうが……。周辺諸国は大混乱するだけ。そんな状態は誰も望んでいない。だからこそ、北朝鮮は体制を維持でき、金将軍は幼稚な独裁を続けられる。アメリカからの「お恵み」体制維持、なだけ。
 邪魔になったら、アメリカは北朝鮮を叩くだけだ。
 金将軍はアメリカに〝生かされている〟だけだ。金正恩がロシアに接近したところで、ロシアがアメリカなどと(北朝鮮の為に)戦う筈はない。
 もう、北朝鮮は誰からも相手にされていない。世界にとっては、北朝鮮など「極東の半島で馬鹿が幼稚な独裁をやっているだけ」……でしかない。
 すべてはアメリカの胸三寸、である。

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コメ不足。今のコメの価格帯でも「なんとか採算が取れる」異常事態…日本のコメ農家はつくればつくるだけ赤字。戦略を練ってコメ問題を解決せよ!

2025年07月24日 17時00分03秒 | 日記








コメ不足。今のコメの価格帯でも「なんとか採算が取れる」異常事態…日本のコメ農家はつくればつくるだけ赤字。戦略を練ってコメ問題を解決せよ!
コメ不足と食糧安保(食糧安全保障)


まず考えなければならないのは、今のコメの高値のような状態でさえ、コメ農家にとっては「やっと採算が取れる」という状態である、ということだ。
僕はコメ農家でもないし、農家ですらない。
だが、コメ農家の時給が百二十七円くらい、という実態がすべてを物語っている。
よく、「コメが高い。備蓄米放出がありがたい」というが、この三十年でいろいろな商品が値上がりしたが、コメはつい最近、値上がりしたに過ぎない。〝物価の優等生〟でもある卵まで値上がりした。
この数年で物価高で、家計が苦しい。家もそうだ。
戦争だけではなく、為替や円安も影響しているので、今の物価高が落ち着くというか昔に戻ることはもうない。コメでさえ、多少の値上がりは致し方ない。
問題なのは、日本のコメ農家の収益、いわゆるリターンの少なさである。
日本はコメ農家はつくればつくるだけ赤字になる。
だが、コメ農家がそれを都会で訴えたところで、「田舎者のコメ農家の百姓が、金が欲しくて……」みたいにみられるのがオチだろう。政府も悪い。農水省も悪い。
本来なら、日本のコメは高品質で美味しいのだから、商社と協力して、海外の富裕層に日本の「コメ」を売るサポートぐらいしたらどうなのか? そんなことさえ考え付かないのか?
馬鹿の一つ覚えみたいに、備蓄米放出だの、減反政策、だのだけではしりつぼみなだけだろう。

昨夏の「令和の米騒動」から一年。コメの生産を抑える減反政策の継続、米価は高止まりしたまま。「コメは余っている」という政府の主張は間違いだ。「コメは不足している」

*昨夏の米騒動について。
騒動の最大の要因は、政府の「コメが余っている」という主張が誤りで、コメの生産が減りすぎている、ということだ。政府の認識自体が間違っている。あれほどコメ不足になったのに、米価も高いままなのに、「コメの需要は減少傾向である」と「とにかくコメはつくるな」と農水省は農家に減反を迫っている。
実質に農水省の去年(2024年)の一年間の需要量は11万トン減って663万トンだったという。

*「もっとつくりたい」という農家は多いという。農水省の需要予測に基づいて生産量が配分されるので、好きなように作れない。
昨今のコメ騒動を見ても、コメ不足になっていて、しかも米価の高止まりが続いているのに、政府も農水省も失敗を認め、是正しようとしない。減反政策、ということだ。
コメが不足しているなら、MA(ミニマムアクセス)米や備蓄米を頭を使って、価格が暴落しない程度に、少しづつ市場に放出していけばいい。今の米価は10kgでおよそ七千円と、高すぎる。
だが、こういう価格帯でも農家には「やっと採算が取れる」という状態だとも理解したほうがよい。
MA米も備蓄米も一挙に市場に出せば値段が暴落するが、価格を適正まで下げるように、頭を使って少しづつ市場に投入すれば米価は10kgで7000円から4000円くらいになる。後は、農家への個別補償をしたらいい。
減反のことも考えるいい機会だ。コメ不足ならMA米備蓄米投入だろう。そうして農水省が重い腰をあげて備蓄米の市場投入となった。コメ農家に損がでたら農家への個別補償をすればいいだけだ。
ハッキリ言って、このままコメが高止まりしていたら、「コメ離れ」が進む。
近年、猛暑などでコメや野菜の不作で、価格が高騰している。
これは「高い値段で売れるからラッキー」みたいな馬鹿げたことではない。(「これで少しは採算が取れる」状態でしかないが。消費者には「高すぎる」としか映らない)
本当に、「コメ不足」で「コメ離れ」が進むのも困った状態である。また、このままの米価などの高止まりでは、消費者がやっていけない。本気で「コメ離れ」が進むだろう。
MA米の市場放出で、価格を適正に保たねば、「コメ離れ」が進むだけだ。

*食の好みの変化から「コメ離れ」が進む。
今、中国の14億人のコメ需要があるし、日本人が「コメ離れ」でまったくコメを食べなくなるということはないだろう。だが、朝昼晩ずっとコメの食事……ではなく、朝と昼はパンで、ということはありうる。
だから、コメの価格の高止まりは「危機」「リスク」でもあるのだ。
何のためにMA米備蓄米を外国から買って数万トンも備蓄していたのか?ただの外国からのペナルティではない。
こういう価格の高騰のときに、それを使って適正価格まで下げるために買っているのだった。
で、今回の備蓄米放出となった。
また、減反などもう金輪際やめるべきだ。
コメ農家に自由に作らせてやって欲しい。
世界各地で干ばつや洪水や猛暑や天候不順……たとえ小麦が安くなっても、日本人が三食パン生活、ということにはならない。だがそれにアグラをかいて、米価を適正に戻さなければ絶対に「コメ離れ」が起きる。
賭けてもいい。農家の「米価が高いからラッキー」みたいなのは違うのだ。
もちろん、何度も言うがこの価格帯でも「やっと少しは採算が取れる」というのが日本のコメ農家の現状であり、それは当事者意識をもってわかったほうがいい。消費者VS.コメ農家、などという構図ではそもそもそういう構造ではない。全ては日本人のコメ文化の問題であるのだ。
政府の備蓄米は100万トン。これを500万トンにする。政府が頭を使ってMA米を少しずつ市場に還流させる。
損した農家には農家個別補償で補填する。それでいいではないか。
正直、このまま米価などが野菜の価格などが高止まりしたままなら「コメ・野菜離れ」が急速に起こる。
結果は「コメの不買運動」「コメが売れない」となる。値段が高いからラッキーみたいなのは馬鹿げた考え方でしかない。米価の高止まりをなんとかしないと、「コメ離れ」が加速する。
MA米備蓄米の政略的放出は確実に「農家救済」策である。馬鹿みたいに全部一挙に放出するのではなく、放出は少しづつ、頭を使ってやればなんとかなる。
すべて戦略次第である。馬鹿の一つ覚えのような、減反だの田んぼを潰せば補助金……の前に、政府や農水省はやらなければならないことがある筈だ。
米価次第で「コメ離れ」は進んでしまう。それでは農家がやっていけない。
天候不順やコメ不足だからこそMA米放出、であるのだ。後は農家の個別補償だろう。
現在の農家政策に疑問をもつ政治家は与党にも野党にもいる。少数与党になったのだから、今がチャンスだ。
農家政策を見直して、与野党一致協力で、農政を現実的に変化させ、食糧安全保障をきちんと作り上げていく。しかし、一番大事なのはコメ農家が採算が取れ、日本のコメ文化を保護・発展させていくことだ。
米が安ければ何でもいい、という投げやりなことを僕はいうのではない。
その為に、商社をつかえ、という。海外に日本のコメをどんどん売って行け! 海外のお金持ちなら日本のコメなら少しばかり値段が高くても、美味しいんだから絶対に売れる。これぞ戦略だ。
「コメは足りている」農水省は言い続けている。
2024年産米は18万トン増えたが、全農(JA・全国農業協同組合連合会)など大手出荷業者が集めたコメは23万トン減った。コメ騒動が起きた去年8月、民間在庫は前年同月より約40万トン少なく、60万トン台に落ちていた。在庫がまったくのスカスカ状態だったのだ。
つまり、約40万トンは昨夏から今に至るまで足りない状態であった。コメを投機目的で抱え込んでいる悪徳業者は確かにいるかもしれません。ですが、コメの保管には莫大な費用がかかる。虫がつかないように温度管理も必要で、倉庫代も大きい。1万トンの保管には一億円かかる。そんな大金を払ってまで隠すひとはいない。
闇の悪徳業者がコメを隠しても、それは取るに足らないくらいの量でしかない。
何故、農水省は「コメが足りない」と認めないのか?
それは、足りていないと認めると米価が下がるからだ。足りないと認めたら、備蓄米を大量放出したりして、コメの価格が下がってしまう。官僚にとって重要なのは米価であり、高いコメを買わされる消費者のことなど最初から眼中にない。まあ、あの値段でも採算が取れないこと自体が異常なんだが……。
確かに、燃料費や肥料の高騰で生産コストが上昇し、米価が上がるのもやむを得ない。だが、今の価格は異常すぎる。
それの反動が輸入米の急増だ。今や、日本のコメより関税をかけたうえでの外国米・輸入米のほうが安価なのだ。
だが、備蓄米の放出でも価格は多分下がらない。
農水省が米価が下がらない政策というか、謀略を仕掛けたからだ。その①が、放出先をJAなど大手出荷業者に限定し、備蓄米と通常の流通米をシャッフルしたこと(業者が備蓄米以外のコメを出さず、在庫を調整し、コメの供給量を抑える)。その②が、放出した備蓄米と同量を、農水省が一年以内に買い戻す、としたこと。まるで陰謀だ。
年間1000万トンが減反をやめればすぐにでも生産される。
そのうちの年約700万トンは日本人が食べるので、残りの約300万トンは輸出すればいい。
国際競争力はコメの値段を少しでも下げること。それとコメ農家に減反をやめてどんどん高品質のコメをどしどし作らせることだ。減反をやめれば本来の輸出促進策になる。米価を下げて、輸出で儲ける。
後は、損害が出た農家には『農家への個別補償』で、政府は直接支払いで補填すればいい。
そうした政策は欧米で普通にやられていることだ。
国産で賄えるコメを減らすのは食糧安全保障に逆行する。
まずは財務省が云々、の前に国民もやることがあるのではないか? 米価を下げたくない農水省の大嘘の「コメは足りている」こそ糾弾すべきことだろう。
今が、その、まさにラストチャンスである。
頑張って、頭を使って、そのチャンスを掴み切って、次につなげて欲しい。

臥竜 2025年7月24日

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トランプ政権への戦略的外交交渉とは

2025年07月20日 18時58分04秒 | 日記











       トランプ政権への戦略的外交交渉とは


 貿易赤字ということで、トランプ大統領は「日本でアメリカ産の車が売れていない」ことを問題視しているようだ。アメリカで日本車は六○○万台(2024年)売れたが、日本で米国車は三〇万台程度。
 これをトランプは「不公平だ」という。
 だが、きちんと日本の市場や道路を見て欲しい。日本では、欧州のドイツなどのBMWやベンツの車が頻繁に走っている。それは欧州は日本市場の為に右側ハンドルなどを開発しているからだ。
 ところが、米国車はどうか?
 狭い日本の道路に比べて車体が大きいし、燃費も悪い。
 いかに日本政府が「米国車を買って」と旗を振っても消費者は買わないだろう。
 トランプはロジックに強い。
 アメリカには「米国でつくった日本車を、日本に逆輸入したら一○○万台売れる」と言ったらいい。
 そうすればトランプも「いいアイディアだ」と膝を打つ。
 日本側の交渉人も赤沢氏では駄目だ。
 ここはラスボス・上川陽子氏の登用だろう。
 上川さんならトランプとうまく交渉するだろう。すべては上策次第・戦略次第だ。


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勉強は基本「楽しい」もの。勉強して人間的に成長できるのだから、本来は、やりたくてたまらないのが勉強!でないなら才能ではなく適性がない。

2025年07月18日 13時57分47秒 | 日記










   あなたを変える勉強術。本来、勉強とはやりたくてたまらないくらい「楽しいもの」


よく、「勉強はつらい」とか「努力なんてやりたくない」ということを訊くが、実際の話、勉強とは、本来、「楽しいもの」だ。勉強をすればするだけ知識が増えて、能力が伸び、いろいろなことが知れて、いろいろな論に触れることで自分の持論も成長・発展させることができる。
こんな楽しいこともない。

だが、一方で、勉強が嫌い、努力が嫌い、というひともいる。
努力や勉強も才能のうちだから、努力できないというひとは「才能がない」ともいえる。

だが、「才能がある。才能がない」というのは結果論、でしかない。
例えば、将棋の藤井さんやピアニストの辻井さんだが、みんな「天才」「才能の塊」と称賛する。
だが、所詮は、他人はそのひとの華々しい「結果」(将棋で日本一)(天才少年という評判)(美しい旋律でのピアノ演奏)(数々の賞歴)を見て、「才能がある」と言っているにすぎない。
結果を出せていない人は、みんなから何も言われない。

そういう「結果」が出せず、夢を諦めたときに「僕には才能がなかった」という言い訳、のために才能云々が使われるだけでしかない。
だが、才能ではなくひとには適性はある。
それは、それをしているときに「楽しい」と感じられるかどうか? だ。
楽しいから趣味が頑張れる。もっとうまくなりたい、と学びも頑張れる。
(確かに、僕は「学ぶ」は「真似ぶ」といったが。僕のブログなどでの小説をコピペして、少しだけ加筆して、新人文学賞に応募する馬鹿がいる、とある編集部からメールで連絡が来ました。それは、はっきり『盗作行為』です。犯罪ですよ! こちらはそういうのが世に出たら、確実に、裁判沙汰にしますし、『盗作行為』を容認などしません。犯罪行為なので、今後一切やらないでください)

勉強も学問も本来は楽しいものです。
楽しい、むろん、自分のスキルを磨くために、プロ小説家志望なら『商業小説』を毎日読み、写経もする。プロ音楽家志望なら毎日の楽器の練習に、高品質の音楽を常に聴いて、才能を高める、とか。

努力も大事です。
努力できないひとは「才能」ではなく、「適性」がない。
人間は「楽しい」だけでなく、「努力してナンボ」です。「努力」さえも楽しむ、何故なら努力したら人間として成長できるから。すべて努力も自分の血肉になる。
だからこそ、楽しい。そういう勉強こそが、人間を高める。
むろん、努力して誰でも報われる訳ではない。報われないことの方が多い。
努力して、必ず報われるならソコラ中、成功者だらけだ。
だが、努力は人間の基礎で、やって当たり前だ。やらないなら社会的成功は「100%ない」ので、夢を見るな。
人生はそういうものだ。

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学校の勉強は『人間としてきちんと生きる術』を学ぶ為

2025年07月13日 20時58分59秒 | 日記








  学校の勉強は『人間としてきちんと生きる術』を学ぶ為


ある民放のテレビドラマで、ホスト役のラウールさんがまともに漢字も書けない識盲人として描かれていた。

それを主役の女優さんが先生役で教える、

という内容。

僕はこのドラマを観たときにあるネット上の人物を思い出した。


彼は俳優さんみたいなイケメンではなく、


中卒ニートで、
小学生半からいじめで不登校・中学は三回も行かず……とドラマの役の設定と同じ。


スマホやPCのワープロ機能で文章は書けるが、


紙にペンでだと平仮名カタカナは書けても難しい漢字はまるで駄目。


プロ作家になりたい。


というので商業小説を毎日読んで、プロの文章をノートに写経…


と教えてもさっぱりやらない。


正直、怠け者か! とも思ったが、


よく考えれば軽度知的障害だから漢字とか読めないし書けないだけだ、と気づき考えてしまった。


漢字も読めないで『プロ作家志望』も糞もないが、

彼なりに、「自分の地獄」から這い上がりたいのだろう。


学校の勉強とはこういう地獄から這い上がるための術だ。

勉強しないと彼みたいになり、

地獄が待つということ。



勉強はだから大事なんですね。

(追伸・ついしん)

本当なら、小学生三年か四年で「不登校」「いじめによるひきこもり」になり、授業をそれ以来一度も受けていなくても、自分の部屋や元・子供部屋で(学校の授業・じゅぎょう・の)『予習(よしゅう)・復習(ふくしゅう)』をやっていればまだ救(すく)いがあったのだが……。

やっていないでテレビを見たり、

ゲームをしていたり漫画(まんが)やアニメをみていただけだったから始末が悪い。

逆恨(さかうら)みして、僕や

いじめてきた君の元・同級生に復讐(ふくしゅう)しても
意味はない。

犯罪者として捕まり、刑務所に入るか
殺し過ぎれば死刑囚として留置所で(死刑を)〝待つ〟か。


何の生産性もない。犯罪者としておわるだけだ。

勉強も授業の「予習・復習」もしないなら、人生の終わり、なだけ。
生き残りたいなら、

今からでも小学生の漢字や算数……

中学の数学や漢字や理科など本を買って

「予習・復習」するしかない。

アマゾンで検索すれば小学生からの数学・漢字ドリルなどいくらでも見つかる。

復讐などしてないで、時間だけはたっぷりあるんだから知恵袋荒らしなど卒業して
「予習・復習」だ。

これ以上、勉強しないなら(どうせどこでも働けないけど)もう「おわり」になる。

最終局面だぞ。

この勉学のこの時期を逃して、また努力もしないでゲームや漫画や動画だけなら

本当に君は、君の人生は「おわり」だぞ。

ただ、息をして、無駄飯を食って、なんの生産性もない『糞製造機』なだけだぞ。
(中卒ニート童貞の)
それでもいいのか?

今の君は知恵袋荒らしなどという一円にもならないことをやっている「ごくつぶし」なだけだ。

あんな駄文が小説?か??

あんな小学生の落書きレベルの絵が君の実力か?

このまま「予習・復習」もしなければ「もうおわり」の人生だ。

父親から「俺にはお前が妖怪にしか見えない」といわれるままの「ごくつぶし」……

それでいいのか??

今しか人生のやり直しのチャンスはない。

やらなければ自殺か埼玉川〇通り魔、で、おわり。

さあ、どうする??MR! 勉学をやって人生をやり直す、最後のチャンスだ。

人生を無駄にするなよ!MR!

(だが、多分、99%MRにハッパをかけても無駄だろう。「俺はクズだ。努力を促(うなが)されたって、俺は努力が大嫌いなんだから。努力して小学生や中学・高校の勉強の予習・復習……やるか! 俺は怠け者なのっ。努力が大嫌いなのっ!」なだけだろう。だから、自殺か埼玉川〇通り魔、なだけか……。努力が死ぬほど嫌い、か。悲惨な人生を自ら変えようともしない。あがこうともしない。努力を嫌う怠けハゲ朝鮮系ブ男・MR)

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『長尾龍虎談話』「―――戦後80年に謝罪にかえて―――」

2025年07月02日 16時17分48秒 | 日記













   『長尾龍虎談話』「―――戦後80年に謝罪にかえて―――」

 東南アジア・極東・アジア・日本において1945年8月15日は歴史的意義のある日です。けして忘れてはならない開かれたパンドラの箱です。
 私たち日本人は、歪めず、飾らず、誤魔化さず、真正面から真実を見つめる力を必要とし、またその力を持っているのです。
 私たちは日本人として、他国の皆様や被害者たちや無辜の民・無残な仕打ちをした人々、に対して、改めて謝罪の意を示さなければならない。もちろん、すべての日本人がすべて悪いというのはWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム・アメリカの洗脳)でもありますが、時代は悲惨な戦争下のことであり、ある程度の虐殺もある程度の侵略もある程度の強姦もあったということを我々日本人は反省しなければなりません。被害を与えた皆様にはお詫びのしようもありません。本当に申し訳ございませんでした。
 歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪——これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、アジア人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。慰安婦や徴用工での虐待や暴力、過労、低賃金での違法労働や奴隷労働、他国への侵略に植民地化、属国化……この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、アジア系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどの日本人でも見聞きすることができました。知らないとはいわせません。戦火の泥棒、掠奪、強制労働に連行、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。
 目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(アジア人を強制的に)移送することに気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、アジア人や敵兵の囚われの兵士たちの虐殺や侵略や暴行やコントロール下におく方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに 加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかったひとの世代も例外ではありません。
 確かに、今の日本人は当時はまだ幼かったか、まだ生まれていなかった人々が大半でしょう。私自身もその当時は生まれていないのです。ですが、だからといって、「生まれていないときのことを謝罪するいわれはない」ということではいけないのです。
 確かに、生まれていない。だが、その先祖のした蛮行を忘れない。いつまでも悔い改める姿勢が大事なのです。その上で和解し、手を取り合って共に前進することが最重要です。
良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたい大侵略・大虐殺の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
 人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば 否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは 今日、一人ひとり自分がどう関わり合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
日本人であるというだけの理由で、我々が悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。
しかしながら先人は、我々に容易ならざる遺産を残したのです。
 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
 東京大空襲で数十万人が―――広島長崎の原爆投下で数十万人が―――――沖縄戦で数十万人が――虐殺され――諸外国には国家としての謝罪は済み、韓国には7700億円、中国にはODA(政府開発援助)として4兆円、ASEAN諸国への日本からの戦後賠償は、*フィリピン5億5000億ドル(借款2億5000万ドル)・*ベトナム3900万ドル(借款 1660万ドル・*サンフランシスコ講和条約に基づいて)、さらにインドネシア2億2308万ドル(経済協力 1億7691万ドル・バリ島の五つ星ホテル バリ・ビーチホテルも日本の賠償金で建設)・ビルマ(ミャンマー)2億ドル(経済協力 1億4000万ドル・借款 8000万ドル)、タイ4166万ドル、賠償金を放棄した国・ラオス、カンボジア、マレーシア、シンガポール(経済支援・ODAという形で)四か国には3億8000万ドルの戦後賠償(東南アジア諸国全戦後賠償総額10億1208万ドル)(すべて当時の為替レート)―――しかるに、国家としてはそうでも、日本人としての個人での謝罪や反省や贖罪はどうなっているのだろうか? そのことをよくよく考えなければなりません。まずは他者への寛容と温かみこそが大事なのです。
 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。一秒たりとも過去には戻れません。タイムマシーンは存在しないのです。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
 アジア民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。
 我々は人間として心からの和解を求めております。 まさしくこのためにこそ、過去の歴史的な負の遺産を心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならないのです。

                               おわり


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【シン・小説講座(第一弾・完)】劇的にわかる!誰でも書ける小説の技術『小説術』今の作家で億万長者!!!。それでも書きたい人たちへ送る、戦略戦術!!

2025年06月06日 09時04分45秒 | 日記










【シン・小説講座(第一弾・完)】劇的にわかる!誰でも書ける小説の技術『小説術』今の作家で億万長者!!!。それでも書きたい人たちへ送る、戦略戦術!!

 一旦、シン小説講座の第一弾をこれにて終了させて頂く。
 だが、これだけは忘れないで欲しいのは、きちんと時代考証や警察考証や、トリックのルールやアリバイ崩しの常識や、服装・髪型考証とかきちんとやることである。
 プロ作家だって、きっちりと取材したり、参考文献に当たり、情報を完璧に近づけている。アマチュア作家の場合、金銭的な余裕がないから現地取材とか無理なことも多い。
 だが、なら、ネット検索や参考文献できちんと情報を書くことだ。
 アマチュアの強みは、〝締め切りがない〟こと。納得いくまで作品をブラシュアップ出来るのが強みである。時間をかければかけるだけ、作品はよくなる。
世の中には、時代考証がメチャクチャ、と指摘されると逆ギレして、「どうせ小説なんて嘘の世界だろ? 少しぐらい時代考証がおかしいのの何が悪い!」
 とかいう馬鹿がいるが。
 そういうのに限って、カネを惜しみ、考証や取材の為の経費さえケチる。
 何が〝嘘の世界〟だ?
 その〝嘘の世界〟の文章を、読者はけして安くはないカネを払って買うのだ。
 まあ、その馬鹿は存在意味もなく、プロ作家には100%なれず、才能もないから、もうおわりの人生だろう。そんな奴に、かまっている暇などはない。
 でも、プロ作家を目指している人はこういう輩にならないで。
 まあ、〝下賤な奴〟はもうすぐおわりだろう。
 ぼくは努力を続けるライバルたちに、同胞たちにエールを送って、この第一弾のおわりと、したい。では。   おわり。




2025年6月6日

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【北朝鮮拉致被害者横田めぐみさん父親・横田茂さん死去から五年③】小説・北朝鮮拉致横田めぐみさん~めぐみさんへ・めぐみさんは必ず生きている!~北朝鮮拉致事件から五十年目の真実!

2025年06月05日 10時57分38秒 | 日記










「横田めぐみ」「北朝鮮拉致問題」ウィキペディア参照
北朝鮮による日本人拉致問題

北朝鮮による日本人拉致事件(きたちょうせんによるにほんじんらちじけん)とは、1970年代から1980年代にかけて、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員や土台人、よど号グループなどにより、多数の日本人が、日本から極秘裏に、北朝鮮に拉致された国際犯罪事件である。
日本国政府の認識
日本では、主権の侵害と国民の生命と安全に対して、大きな脅威をもたらすテロリズムである。北朝鮮は、長年拉致事件への関与を否定してきたが、2002年(平成14年)、平壌で行われた日朝首脳会談で、金正日が日本人の拉致を認め謝罪し、再発の防止を約束した。しかし、このことに対する賠償などは、未だに行われてていない。
日本国政府が認定した拉致事案は12件、拉致被害者は17人。
日本政府は「対話と圧力」という姿勢を継続し、「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」としている。
北朝鮮政府側は、このうち13人(男性6人、女性7人)について、日本人拉致を公式に認めており、5人が日本に帰国しているが、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と主張している。日本国政府は「全員が生存しているとの前提で対処する」との立場をとっている。
また、日本国政府認定の拉致被害者の他に、北朝鮮から拉致された疑いが拭えない「特定失踪者」の解決も、日本国政府は取り組むと明言している。
北朝鮮の活動概要
北朝鮮は、国家樹立当初から武力行使を辞さぬ形で、朝鮮半島を統一することを標榜してきた(詳細は朝鮮統一問題を参照)。この点においては、大韓民国(韓国)も同じ態度のまま(李承晩の北進統一論)であったが、1950年(昭和25年)、北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争に突入した。だが北朝鮮側の事前の予期に反して国連軍が韓国防衛のために派兵し、中国人民解放軍が北朝鮮を支援(介入)したことで、国土の荒廃と南北分断の固定化を招いた。
その後の北朝鮮は、朝鮮戦争からの復興事業を一段落させた後、1960年代に入ると、大韓民国に対する諜報活動を活発化させた。時には、直接の破壊工作も行ったと言われている。その工作活動は、少なくとも1980年代まで続けられていたことが確認されている。これらについては北朝鮮側からの反論もなされている。
1970年代から1980年代にかけ、日本国内において、不自然な形で行方不明となる者が出ていた。警察による捜査や、亡命北朝鮮工作員や逮捕された土台人の証言などから、北朝鮮工作員による、日本人拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった。
それまで主として、韓国国内で活動してきた北朝鮮のスパイ(工作員)らが、この時期以降、韓国当局の手によって数多く摘発されるなど、韓国当局による北朝鮮工作員への警戒が非常に厳しくなったことで、在日韓国・朝鮮人らを抱き込んで、韓国に入国させる形での対韓国工作活動の遂行が困難になってきた。そのため、北朝鮮当局は日本人に成り済まして、工作員を韓国に入国させる手口が有効であると考え、韓国のみならず、世界各国の出入国に便利な日本人のパスポート(旅券)を奪取するため、また同時に、工作員を日本人にしたてるための教育係としての利用、あるいは日本国内での工作活動の利便性を向上させる目的で、複数の日本人を拉致したとの指摘がある。
一方で、特定失踪者問題調査会の調査結果によると、拉致されたもしくは拉致された疑いが濃厚な者(俗に言う1000番台リスト)が失踪前に従事していた職業を詳細に調べた結果「印刷工」「医師」「看護師」「機械技術者」といった、北朝鮮が国際的に立ち遅れている分野を担う職業に集中していることが判明していること、また、これらの特殊技能を持った拉致被害者に、日本人の配偶者を与え、家族を人質とすることにより、脱北させないようにするために、日本人を拉致した例も、多数あるのではないかとの指摘もある。北朝鮮には、1970年代にはよど号ハイジャック事件で北朝鮮に「亡命」した日本人男性が少なからずおり、「国家の賓客」として扱われていた。
拉致の手口
拉致の実行については、以下のような手口が報じられている。
福井県や新潟県など日本海沿岸、鹿児島県など東シナ海沿岸に工作員を密かに上陸させ、付近を偶然通りがかった若者を暴力も辞さない方法を用いて拉致する。
日本国内に潜入している工作員や土台人が目ぼしいターゲットを決めて接近し、言葉巧みに誘い出し、誘拐する。
日本国外に在留、居留する日本人に「仕事の紹介をする」として、北朝鮮に誘拐する。ただし入国までは本人の同意を取り付けていると考えられる。
工作員が日本沿岸での工作活動中に目撃されたと思い、目撃者を強引に拉致する。
工作員の侵入地点と拉致現場が離れているケースもあり、輸送手段としての自動車の調達、潜伏先や監禁場所の手配などの共犯行為には、現地に土地勘のある在日朝鮮人の土台人が関わった可能性を指摘する声もある。
拉致実行の指令
平壌放送(AM657kHz)内の乱数放送で指令があったとの説が有力。(音声による乱数放送(A-3放送)は2000年に廃止)
また、平壌放送以外でも北朝鮮の国営放送、朝鮮中央放送内で、選曲の順番などで工作員に指令を送ったりもしていたと考えられる。
(参考として、日本側への重要な工作指令は万景峰号船内にて直接、口頭にて指令が伝達される)
拉致被害者の境遇
一部の拉致被害者は、特殊工作機関の常時監視のもと、上述の特殊技能を活かした任務や日本語文献の翻訳などに従事させられるなど、非常に不自由な生活を強いられていたとの指摘がある。脱北者によれば、拉致された日本人ひいては拉致問題の存在は北朝鮮の住民には知られていないという。餓死する子供が多発している北朝鮮の一般庶民の現状に比べると拉致被害者たちは優遇された生活を送っていたと言われているが、実際は非常に厳しい生活状況であったことが、曽我ひとみの夫のチャールズ・ジェンキンスが執筆した『告白』(角川書店 2005年)などからは伺うことができる。
拉致が日朝間で政治問題化した、1990年代後半以降は、一定地域内に各戸別に隔離された生活だったという。北朝鮮一般市民との接触は、継続的に特殊工作機関による厳重な監視下に置かれ、この時期に限らず常に遮断された状態であった。北朝鮮側は、2004年(平成16年)11月の日朝実務者協議で「死亡」とされた8人の死亡診断書等の資料が捏造であったことを認めた。また、横田めぐみのものとして提供された「遺骨」を鑑定した結果、日本政府は別人のものと判断し、未帰還の多くの拉致被害者は生存していると見ている。拉致被害者はこの他にも多数おり、特定失踪者問題調査会では数百人に及ぶ日本人が拉致されていることを示唆している。
その一方で、生存情報の多くを頼っていた安明進・元北朝鮮工作員が韓国で麻薬密輸・使用で有罪判決を受け、その後姿を見せていないことから、推測や憶測が混じったこれまでの情報の再検証が真相解明の為に不可欠となっている。
北朝鮮側の対応
この一連の拉致事件は長い間謎とされて来た。冷戦末期の1987年に発生した大韓航空機爆破事件の際の工作員金賢姫の証言から疑惑が浮上したが、国会においては1997年までは国交正常化等の議題になった際に懸案として出る程度であった。
1991年(平成3年)以来、日本政府は北朝鮮に対し拉致事件を提起していたが、北朝鮮側は否定し続けた。
日本では1977年に拉致された中学生横田めぐみ等に関する実名報道があってから、国会で取り上げられるなど、報道の頻度が爆発的に増えた。1997年には拉致被害者の救出を求める議員連盟が発足し、政府が7件10人の拉致被害者を認めた。北朝鮮側は「拉致は捏造」と主張し、北朝鮮系の在日朝鮮人の団体である朝鮮総連なども同様の主張をしていた。
2002年(平成14年)9月17日、内閣総理大臣小泉純一郎(当時)らが訪朝し、日朝首脳会談を行った際に、当時の北朝鮮の最高指導者(国防委員長であり、朝鮮労働党中央委員会総書記)である金正日は、北朝鮮の一部の特殊機関の者たちが、「現地請負業者」(土台人とみられる)と共謀して、日本人を拉致した事実を認め、口頭で謝罪した。これにより、5人の拉致被害者が日本に一時帰国し、間もなく本人たちの意思で日本に残ることとなった。
2004年(平成16年)5月22日、小泉純一郎の2度目の平壌訪問により、先に帰国していた拉致被害者の夫や、子供が日本への帰国を果たした。
しかし、2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮を訪問して実現した日朝首脳会談の席で、金正日国防委員会委員長は「部下が勝手にやったことだ」と北朝鮮が日本人13人を拉致したことを初めて認め謝罪したものの、すでに拉致実行組織を解体、拉致を指揮した者を処分したと伝えたが、拉致の実行犯が現在でも英雄扱いされているなど、実際に処分等は行われていない。北朝鮮は2002年9月17日の日朝首脳会談において、日本人拉致事件は解決していると主張している。
北朝鮮は「日本が解決済みの拉致問題を意図的に歪曲し誇張するのは、日本軍が過去に朝鮮人民に働いた犯罪を覆い隠す為の政略的目的に悪用する為だ」と主張している。一方で「日本が誠意を示せば、何人かは帰す」とも主張している。
北朝鮮は、日本国政府が認定した拉致被害者17人のうち、残り12人について「死亡」あるいは「入境せず」として、「拉致問題は解決済み」と説明し、その後の協力を拒んでいるが、日本政府は「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」との方針により、解決を目指して交渉を続けている。
「北朝鮮による日本人拉致事件」については、マスメディア・更に日本国政府内でも、すべて「拉致」と総称しているが、刑法学上はすべて「拐取(海外移送目的拐取)」である。北朝鮮による日本人拉致においては、刑法上の「略取」に当たる事案(加害者による暴力行為を手段として、強制力により被害者の身体を拘束の上で移送した事案)と、「誘拐」に当たる事案(偽計を手段として被害者を騙す等によりその同意を得つつ、身柄を加害者の実力的支配内に置いた上で移送した事案)、国外移送時の状況が不明な事案に分けられる。少女拉致事案・アベック拉致事案・母娘拉致事案・鳥取女性拉致容疑事案は「略取」であり、欧州における日本人男女拉致容疑事案は「誘拐」である。宇出津事件・李恩恵拉致事案・辛光洙事件・元飲食店店員拉致容疑事案など土台人を介したものと見られる拉致事案については「誘拐」の可能性が高いが、国外移送から北朝鮮入国に至る状況の詳細は不明である。
政府認定拉致被害者
日本政府が認定した拉致被害者は次の17人、久米裕、横田めぐみ、田口八重子、濱本富貴惠、地村保志、蓮池薫、奥土祐木子、市川修一、増元るみ子、曽我ひとみ、曽我ミヨシ、松木薫、石岡亨、有本恵子、原敕晁、田中実、松本京子(肩書・年齢は当時、敬称略、被害者家族の決断により実名報道されている) 。この内5名は日本に帰国。2007年(平成19年)4月12日、警察庁はこれに加え北朝鮮工作員と結婚した日本人女性の子供2人(当時長女が6歳と長男が3歳)が1974年(昭和49年)6月中旬に行方不明になった事案について、複数の工作員関係者からの証言などから「北朝鮮による拉致被害者と断定した」と正式発表した(2児拉致事件)。よって同事案は政府認定拉致被害者にかかる拉致事件と同様に政府認定の拉致事件であるが、被害者たる子供2人が朝鮮籍であり、日本国民であることを要件とする拉致被害者支援法の認定基準には該当しないため、子供2人は拉致被害者としては認定されていない(2007年10月30日現在)。
宇出津(うしつ)事件
1977年(昭和52年)9月19日拉致東京都三鷹市役所勤務警備員男性、久米裕(1925年(大正14年)2月17日 - 当時52歳)石川県宇出津海岸付近にて失踪北朝鮮側は久米の入国を完全否認しているが、北朝鮮工作員に包摂され土台人にされた在日朝鮮人・李秋吉が「45歳から50歳位の日本人独身男性を探せ」との指示を受け、かねてから知り合いであった久米を海岸に連れ出し、不審船(工作船)で迎えに来た別の北朝鮮工作員に同人を引き渡した事実が判明している。この1件だけで、「拉致したのは13人だけ」との北朝鮮の主張は嘘であることが分かると指摘されている。警視庁公安部と石川県警察は主犯格の金世鎬(キム・セホ)を国際指名手配し、北朝鮮に対し所在の確認と身柄の引き渡しを要求している。なおこの事件で石川県警察警備部は押収した乱数表から暗号の解読に成功したことが評価され、1979年に警察庁長官賞を受賞している。この事実は長年秘匿事項とされ、単に朝鮮半島に向けて不法に出国をした日本人がいたという小さな話題として報道された。このことが、日本海沿岸部に居住する国民の防犯意識を弛緩させ、後述の拉致事件を招いたとする論調も一部にある。ただし、乱数表およびその解読の事実を公開した場合は、工作員による事件関係者の抹殺や、新たな情報の収集困難を招き、ひいては事件解決が困難になるリスクも伴い、警察庁の立場からは安易に公開に踏み切るわけにはいかない事情があったことも考慮する必要がある。なお、李は起訴猶予処分となり日本への帰化を許され、日本国民・大山秋吉として現在も都内で自営業を営んでいる。
少女拉致事案
1977年(昭和52年)11月15日拉致新潟の女子中学生、横田めぐみ(1964年(昭和39年)10月5日 - 当時13歳)新潟県新潟市において新潟市立寄居中学校からの下校途中に自宅付近(現中央区西大畑町、新潟大学付属新潟小学校前)にて失踪。新潟県警察は、失踪直後から誘拐事件として捜査を行ったが、何の手がかりも得られなかった。北朝鮮側の説明によれば、横田めぐみは1986年に結婚し、1987年に一児(キム・ウンギョン)を出産するも、1994年4月(2002年10月の報告では「1993年3月」としていたが後に訂正)に入院先の病院で自殺、1997年に火葬したとしている。2004年11月の日朝実務者協議を通じ、横田めぐみ本人の「遺骨」として提供された骨の一部からは、DNA鑑定の結果、別人のDNAが検出された(「ニセ遺骨問題」も参照)。遺体は未確認。2006年6月29日に行なわれた会見で、横田めぐみの夫とされる金英男は、「めぐみは1994年に自殺した」と述べた。この発言について、彼女の両親である横田滋・横田早紀江夫妻は「予想通りの証言。こういうことを平気で言わせる国(北朝鮮)にはらわたが煮えくり返るばかりだ」とした。また、安倍晋三内閣官房長官(当時)も「発言内容は信憑性がない」とした。帰国した拉致被害者たちの証言によると、1978年(昭和53年)8月18日から1980年(昭和55年)頃まで平壌市内で曽我ひとみと同居し、1984年(昭和59年)頃には平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で拉致被害者田口八重子および工作員女性1名と同居していたとされている。1986年(昭和61年)に平壌へ転居した後、1994年(平成6年)頃までは地村夫妻や蓮池夫妻と同じ地区で暮らしていたとされている。1997年には、朝鮮労働党書記の一人が朝鮮総連を通さずに直接当時の橋本龍太郎政権に対し非公式に横田めぐみの生存を伝えたという報道がなされたことがあり(通知が事実であれば当然のことながら1994年死亡という自らの説明と矛盾する)、横田めぐみの火葬をしたとされる「オボンサン火葬場」も、火葬をした1997年当時には無く1999年に建設されたものだと複数の脱北者が証言している。また、帰国した地村富貴恵が「(自殺より後の)1994年6月にめぐみさんが隣に引っ越してきた」と証言している。また2011年には、韓国自由先進党議員の朴宣映が脱北者から得た北朝鮮高官の話として「横田めぐみは生存しており、知ってはいけないことを知りすぎたため日本に帰すことができず、他人の遺骨を日本側に渡した」とする証言を日本政府に伝えている。さらに週刊朝鮮の報道によって2005年に作成された北朝鮮平壌市民名簿に横田めぐみとみられる記載があったことも確認されている。なお、失踪直後に自宅近くの日本海の方から暴走族の爆音に似た音を近隣住民の多くが聞いていることがわかっており、ジャーナリストの石高健次は、1971年の加賀市沖不審船事件同様に不審船から発せられた船舶用ディーゼルエンジンの音ではないかと推測している。横田めぐみに関して中国では、彼女は病死したのでもなく事故死でもなく自殺でもなく、処刑され、骨は他の処刑者と一緒に火葬したため行方が知れず、故に偽物の骨を提出したという見方もある。横田めぐみは北朝鮮で金賢姫の同僚工作員金淑姫に日本語の指導を行っていたとされる。また、金正恩の母が早くに亡くなったため、彼を育て上げたのは横田めぐみとの説がある。
李恩恵(リ・ウネ)拉致事案
1978年(昭和53年)6月29日頃拉致東京の飲食店員、田口八重子(1955年(昭和30年)8月10日 - 当時22歳)帰国した拉致被害者たちの証言によると、1984年(昭和59年)頃には平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で横田めぐみおよび工作員女性1名と同居していた。1986年(昭和61年)に平壌へ転居し、10月には地村富貴恵と平壌市内の百貨店で会っている。蓮池薫の証言によると、その後田口八重子は敵工地と呼ばれるところに行ったとされている。1987年11月の大韓航空機爆破事件で有罪判決を受けた北朝鮮のスパイ(諜報員)金賢姫(キム・ヒョンヒ)は、「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の立ち居振る舞いを学んだと主張している。この李恩恵については金賢姫の供述を基に似顔絵が作られ、1988年(昭和63年)頃全国各地に「昭和55年以前に行方不明になったこの女性を知りませんか」というポスターが貼られている。その後埼玉県警察警備部の調べで1991年(平成3年)に、「李恩恵」が行方不明となった田口八重子と同一人物であると推定されている。しかし彼女の家庭が複雑な事情を抱えており、まだ幼い子供のことを考えた家族からの要請で実名での報道を控えてほしいとの要請があり、特定には時間を要した。日本の警察庁から2人の担当官がソウルへ行き、ソウル大使館政治部の警察庁出身の者を同行させ金賢姫と面会した。教育に当たった李恩恵という女性は拉致された田口八重子ではないかということで、同年輩の女性の顔写真10枚ほどが準備された。田口八重子の写真をこの中に混入し、「このなかに教育に当たった女性がいるか」と金賢姫に示した。1枚1枚写真を見ていた彼女は田口八重子の顔写真を見て、「この人です」と言ったという。李恩恵は拉致された田口八重子であることが確認された。2009年3月、金賢姫は田口八重子の親族と釜山で面会した。地村富貴恵の証言によると、北朝鮮に上陸した際、子供が日本にいるから帰してほしいと訴えたとされている。また、工作員となって海外に渡り、日本大使館に駆け込もうと計画していたが、北朝鮮側に工作員になれないと言われ断念したとされている。北朝鮮側の説明によれば、田口八重子は1984年に日本人拉致被害者(原敕晁 下記9参照)と結婚、1986年(昭和61年)の同男性の病死後、1986年(昭和61年)7月に自動車事故で死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認はされていない。また、李恩恵なる人物の存在を否定している。
アベック拉致事案(福井県)
1978年(昭和53年)7月7 - 8日拉致小浜の大工見習い、地村保志(1955年(昭和30年)6月4日 - 当時23歳)、被服店(ブティック)店員、濱本富貴惠(1955年(昭和30年)6月8日 - 当時23歳)福井県小浜市で拉致。実行犯は北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)である。2人は1979年(昭和54年)に結婚。1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)まで平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で暮らした後、平壌市内に転居している。2002年(平成14年)10月に日本に「一時帰国」として返されたが、本人の意思を確認した上で、日本政府が強く保護し北朝鮮に返さなかった。2004年(平成16年)5月22日、日朝首脳会談の結果を受け、娘1人と息子2人も日本に帰国を果たした。
アベック拉致事案(新潟県)
1978年(昭和53年)7月31日拉致中央大学法学部生、蓮池薫(1957年(昭和32年)9月29日 - 当時20歳)、化粧品会社社員、奥土祐木子(1956年(昭和31年)4月15日 - 当時22歳)新潟県柏崎市で拉致。「ちょっと出かける。すぐ帰る。」と言って外出したまま消息を絶つ。同様に奥土も外出したまま両名が拉致される。実行犯は北朝鮮工作員、チェ・スンチョルである。2人は1980年(昭和55年)5月に結婚、1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)まで平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で暮らした後、平壌市内に転居している。2002年(平成14年)10月に地村らと共に日本に帰国。2004年(平成16年)5月、残された子供(1男1女)も日本に帰国を果たした。
アベック拉致事案(鹿児島県)
1978年(昭和53年)8月12日拉致電電公社職員、市川修一(1954年(昭和29年)10月27日 - 当時23歳)、鹿児島の事務員、増元るみ子(1953年(昭和28年)11月1日 - 失踪時24歳)鹿児島県日置郡、吹上浜キャンプ場で拉致。北朝鮮側の説明によれば、2人は1979年7月(2002年10月の報告では「1979年4月」としていたが後に訂正)に結婚したが、市川は1979年9月に海水浴場で心臓麻痺により死亡。増元も1981年に心臓麻痺のため死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は、両人とも遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認はなされていない。一方、北朝鮮元工作員・安明進は、北朝鮮が死亡したとした日時の後、1988年から1991年にかけて「何回も二人を見た」と証言している。
母娘拉致事案(新潟県)(娘)
1978年(昭和53年)8月12日拉致佐渡の准看護婦、曽我ひとみ(1959年(昭和34年)5月17日 - 当時19歳)新潟県真野町(現佐渡市)において母親と2人で買い物に出かけた帰り道、佐渡で拉致。1978年(昭和53年)8月18日から1980年(昭和55年)頃まで平壌市内で横田めぐみと同居した後、1980年(昭和55年)8月に元アメリカ兵チャールズ・ジェンキンスと結婚。1983年(昭和58年)6月に長女出産、1985年(昭和60年)7月に次女出産。2002年(平成14年)10月に日本に帰国。夫および2人の娘については、2004年(平成16年)5月の日朝首脳会談の結果を踏まえ、夫と子ども(2女)は北朝鮮政府の与えた虚偽情報に基づき日本行きを拒否していたが、同年7月9日、インドネシアのジャカルタにて再会し、7月18日一家4人で日本に帰国。北朝鮮は、曽我ミヨシ(46歳)については、「日本国内の請負業者が拉致し曽我ひとみ一人を受け取った」と主張しているが、日本政府は、曽我ミヨシを拉致認定している。
母娘拉致事案(新潟県)(母)
1978年(昭和53年)8月12日拉致佐渡の准看護師の母、曽我ミヨシ(1931年(昭和6年)12月28日 - 当時46歳)佐渡で上記の准看護婦と買い物帰りに同時に失踪。曽我ひとみは主張曽我ミヨシの北朝鮮拉致認定。北朝鮮側は、佐渡の准看護婦の母(失踪時46歳)は北朝鮮に入国していない旨を主張し関与を否定。消息は全く不明。
欧州における日本人男性拉致容疑事案
①1980年(昭和55年)拉致京都外国語大学大学院生、松木薫(1953年(昭和28年)6月13日 - 当時26歳)1980年(昭和55年)5月頃、欧州にて失踪。北朝鮮側情報では、本人が北朝鮮行きの勧めに応じたとしている。同年6月にスペインのマドリードにて拉致。松木は、石岡亨と共に「よど号ハイジャック事件」の犯人グループの妻2人(森順子・若林佐喜子)により拉致されたことが警察の調べで判明している。北朝鮮側情報では、1996年8月23日に自動車事故で死亡したとしている。2002年(平成14年)9月に派遣された日本政府調査チームは、北朝鮮側より「松木のもの」とする遺骨の提供を受けたが、法医学的鑑定の結果、別人のものであることが確認されている。また、2004年(平成16年)11月の日朝実務者協議の際に先方から提供された松木の「遺骨」である可能性があるとされた骨の一部からも、DNA鑑定の結果、別人のDNAが検出された。②1980年(昭和55年)5月頃拉致日本大学学生、石岡亨(1957年(昭和32年)6月29日 - 当時22歳)1980年5月頃、欧州にて失踪。北朝鮮側情報では、本人が北朝鮮行きの勧めに応じたとされ1980年6月スペインにて拉致。1980年4月にスペインの動物園でよど号メンバーの妻2人(森順子・若林佐喜子)と一緒に撮影された写真が存在する。また、石岡亨のパスポートが北朝鮮によって偽造パスポートの原本に利用され、発効日が同じで旅券番号が異なる偽造パスポートが北朝鮮工作員やよど号グループの柴田泰弘や日本赤軍の戸平和夫が使用していたことが確認されている。北朝鮮側によれば、1985年12月に拉致被害者(下記8-3.有本恵子)と結婚、1986年に長女が誕生するが、1988年11月4日ガス中毒で一家全員死亡したとしている。1995年8月に北朝鮮側は遺体が洪水で流失したと説明しており、遺体の確認はされていない。
※ 警視庁公安部は「よど号」犯人の妻の森順子・若林佐喜子を国際指名手配し、北朝鮮に対し所在の確認と身柄の引き渡しを求めている。
欧州における日本人女性拉致容疑事案
1983年(昭和58年)7月頃拉致神戸市外国語大学学生、有本恵子(1960年(昭和35年)1月12日 - 当時23歳)欧州にて失踪。有本の拉致については、「よど号」ハイジャック犯の柴田泰弘の妻となった八尾恵が、2002年3月12日、「私が有本恵子さんを騙して北朝鮮に連れていきました」と東京地裁で証言している。警視庁公安部は「よど号」犯人の魚本公博を国際指名手配し、北朝鮮に対し所在の確認と身柄の引き渡しを要求している。北朝鮮側の説明によれば、有本は1985年に石岡と結婚、一児をもうけるも、1988年にガス中毒で一家3人全員が死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認はされていない。
辛光洙(シン・グァンス)事件
1980年(昭和55年)6月頃拉致
大阪府鶴橋中華料理店「宝海楼」勤務の調理師、原敕晁(1936年(昭和11年)8月2日 - 当時43歳)
宮崎県青島海岸から拉致された本件については北朝鮮工作員、辛光洙が韓国当局に対し中華料理店勤務、調理師男性の拉致を認める証言をしている。本件に関連し、警視庁公安部は辛光洙を国際指名手配した。辛光洙は1999年12月31日恩赦により釈放。金大中政権の「非転向長期囚送還」により翌2000年9月2日北朝鮮に送還された。北朝鮮政府は、拉致実行犯は処罰したと説明しているが、一方で辛光洙は拉致実行後に金正日から大きな功績があったとして「国旗勲章1級」を授与され、英雄として北朝鮮の記念切手にもなっている。
北朝鮮側の説明によれば、原敕晁は李恩恵(リ・ウネ)拉致事案の田口八重子と1984年に結婚するも1986年に肝硬変で死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は1995年7月遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認はされていない。北朝鮮側情報では、本人の金儲けと歯科治療の意向を受け、1980年(昭和55年)6月17日 宮崎市青島海岸から連れ去った。警視庁公安部は「宝海楼」の家宅捜索を実施後、工作員の辛光洙・共犯者の金吉旭・指示役で工作機関副部長の姜海龍を国際指名手配し、北朝鮮に対し所在の確認と身柄の引き渡しを要求している。
原には地元長崎市に兄がおり、家族会にも参加しているが、事件がドラマのように取り上げられることを嫌い、メディアに登場することはない。
在日韓国人政治犯の釈放に関する要望書に関して1989年(平成元年)、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯の釈放を求める在日韓国人政治犯の釈放に関する要望書が、当時の日本社会党、公明党、社会民主連合らの議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出された。その際、釈放要望対象者の中に辛光洙らの拉致共犯者・実行犯が含まれていた。その後、2002年(平成14年)9月に金正日が拉致実行を認めたあとで同年10月19日に当時官房副長官の安倍晋三が土井たか子・菅直人を名指しで「極めてマヌケな議員」と批判するなど、署名した国会議員は自民党や日本共産党から非難された。菅直人は「釈放を要望した人物の中に辛光洙がいるとは知りませんでした。そんな嘆願書に署名したのは私の不注意ですので、今は率直にお詫びしたい」 と謝罪した。公明党は、釈放要求の対象は学園浸透スパイ団事件の首謀者とされた徐勝・徐俊植兄弟で、当時の日本国内における拉致問題の認識は「北朝鮮工作員による拉致の疑い」という程度のもので、実行犯の氏名や犯行内容は全く認知されておらず、辛光洙の関与も明らかではなかったと抗弁し、また社民党も、1984年4月25日衆院外務委員会において、日本社会党の土井たか子議員が釈放について政府の尽力を求めたことに対し、安倍晋三の父である安倍晋太郎外務大臣(当時)が「内政干渉にわたらない範囲内で人道的配慮を韓国政府に絶えず求めていきたい」と答弁したことを指摘し、同罪であると反論した。一方、共産党は、要望書が提出される1年前の1988年(昭和63年)3月26日の参議院予算委員会において、日本共産党議員が辛光洙事件について質問しており、署名議員も予算委員として出席しており、当時、公明党が主張するように、署名した国会議員らがそうした事実や疑惑を知らなかったこと自体おかしな話であると批判している。また、共産党は自民党に対しては、自公連立友党の公明党議員の署名について言及しないのは二重基準として批判している。
元飲食店店員拉致容疑事案
1978年(昭和53年)6月頃元ラーメン店店員、田中実(1949年(昭和24年)7月28日 - 28歳)兵庫県神戸市灘区出身。1978年(昭和53年)6月、北朝鮮からの指示を受けた同店の店主である在日朝鮮人土台人によって、成田空港から日本国外に連れ出された後、ヨーロッパ経由で北朝鮮に送り込まれた。1994年(平成6年)6月、在日朝鮮人男性が平壌で田中という拉致被害者と会ったと兵庫県警に証言したほか、1996年(平成8年)、別の北朝鮮の元工作員が「北朝鮮工作員と『土台人』のラーメン店店主に誘い出され、ウィーンとモスクワ経由で連れて行かれた」と告白している。なお、北朝鮮側は田中が北朝鮮内に入国したことは確認できなかったと主張している。拉致被害者認定:2005年(平成17年)4月27日
女性拉致容疑事案(鳥取県)
1977年(昭和52年)10月頃会社員、松本京子(1948年(昭和23年)9月7日 - 当時29歳)1977年(昭和52年)10月29日午後8時頃、自宅近くの編み物教室に向かうため外出。近所の住人が同日夜に男と見られる2人と話している松本を目撃。話しかけたところ2人のうちの1人から殴りかかられた。その直後に、サンダルの片方を残して失踪。北朝鮮側は、入国を確認できなかったと主張している。日本国内の会社の関係者が北朝鮮の貿易会社に電話した際、「キョウコ」と名乗る女性が対応したとの証言がある。また脱北者により北朝鮮では清津市に居住していたとの情報がもたらされているほか、失踪直前に沖合いにて不審船が目撃されていたとの情報もある。2013年(平成25年)5月、ラオスで拘束され北朝鮮に強制送還された脱北者9名の中に松本の子息が含まれている可能性がある、と韓国の一部マスコミが報じたが、脱北を手配した人物に接触した韓国政府当局がこれを否定した。韓国の拉致被害者家族が組織する「拉北者家族会」は、松本は北朝鮮で結婚したが子供はおらず、2011年(平成23年)頃清津から平壌に移されたとの情報を得ていることを公表、韓国国家情報院も同様の見方をとっている。しかしこれらの情報について日本政府は「捜査中」であるとの理由から見解を公表していない。拉致被害者認定:2006年(平成18年)11月20日
政府が未認定の拉致事件
2児拉致事件
1973年(昭和48年)12月頃埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)在住の渡辺秀子が拉致され、工作員グループによって活動拠点だった朝鮮総連の金炳植第一副議長が設立した東京都品川区の貿易会社ユニバース・トレイディングの内部で工作員の男に絞め殺されるとともに、6歳の長女・敬美と3歳の長男・剛の2人が拉致され、1974年(昭和49年)6月に北朝鮮に連行されたとされる事件。渡辺秀子殺害についての警察の事情聴取では、ユニバース・トレイディングの関係者によって「箱に入れ石を詰めて捨てた」「遺棄場所は山形と秋田の県境」などの証言がなされていたが遺体発見にはいたっていない。また拉致した際の世話役として当時55歳だった女とその協力者として2人の男がいたこともわかっておりこの3人は現在も日本にいる模様。事件が公になった当時の国家公安委員長は「拉致事件は現在も継続中であり時効は成立しない」としていたが、警察はこの3人の逮捕はしておらず事情聴取なども行っていない。
この事件の被害者の国籍が朝鮮籍であったため政府は拉致認定を見送ったが、捜査を行った警察自身が拉致事件であると断定している。
拉致問題の推移
1970年代
以上のように、拉致事件は1970年代を中心に実行された。
北朝鮮工作員の日本国内への侵入は、日本の海上警備を担当する当局の警備能力の低さから、北朝鮮では非常に簡単な任務であったと伝えられている。
領海警備を担当する海上保安庁は、当時、武装工作船への対処能力は持っておらず、また拉致そのものが表面化していなかったため、北朝鮮による隠密領海侵犯や土台人の暗躍はまったくの想定外であった。
一方海上自衛隊は、拉致といった刑事事件的な事案に関与する機関ではなく、当時はソビエト連邦の潜水艦への対処しか想定していない組織であったため、不審船の領海侵犯には無為無策であった。
他国に不法侵入して、他国民を拉致する行為は、国家の主権を侵害する行為であり、国際法上直接侵略とみなされる。その反面、国、政府も拉致を実行された自治体も国土、国民を守る体制、拉致後の拉致被害者奪還に対する対応ができていなかった、主権を守れなかったともみなされる。
1980年代
1980年1月7日、産経新聞がマスメディアにて初めて拉致事件の報道をする。タイトルは「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」。記者は産経新聞社会部の阿部雅美。
1980年3月24日、参議院決算委員会において公明党の和泉照雄はアベック失踪事件について質問。この質疑応答においては「北朝鮮」という言葉は出なかったが、北朝鮮による日本人拉致問題に連なる議題が初めて国会で取り上げられる質疑となった。
1988年1月28日、衆議院本会議において民社党の塚本三郎委員長は竹下登首相の施政方針演説に対し代表質問を行う。その中で大韓航空機爆破事件、「李恩恵」(田口八重子)および金賢姫等に言及するとともに1978年7月から8月にかけて福井県(地村保志・濱本富貴惠)・新潟県(蓮池薫・奥土祐木子)・鹿児島県(市川修一・増元るみ子)において発生した若年男女の行方不明事件、富山県高岡市で発生した若年男女の拉致未遂事件について北朝鮮による犯行ではないかと指摘し、真相究明を求める。この塚本の質問は国会において初めて北朝鮮による日本人拉致について取り上げられたものであったが、竹下首相からは明確な答弁を得られなかった。
1988年3月26日、参議院予算委員会で日本共産党の橋本敦は1978年7月から8月にかけて福井県・新潟県・鹿児島県において発生した若年男女の行方不明事件、富山県高岡市で発生した若年男女の拉致未遂事件、「李恩恵」および金賢姫等について質問を行う。これに対し国家公安委員長の梶山静六は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることの見方を示し、真相究明のために全力を尽くす考えであることを表明した。これは北朝鮮による日本人拉致事件の存在を政府が認めた初めての公式答弁である。
詳細は「梶山静六#北朝鮮による日本人拉致を認める政府初の公式答弁」を参照
これに続き宇野宗佑外相は「我々の主権が侵されていたという問題」、「全くもって許しがたい人道上の問題」、「強い憤り」、「主権国家として当然とるべき措置はとらねばならぬ」と答弁。林田悠紀夫法相は「我が国の主権を侵害するまことに重大な事件」「判明したならばそこで処置」と、更に警察庁警備局長城内康光は「一連の事件は北朝鮮による拉致の疑い」、「既にそういった観点から捜査を行っている」と答弁し、北朝鮮による日本人拉致について政府の認識を示した。
一方、1988年8月、ヨーロッパにおいて北朝鮮工作員・よど号ハイジャック事件犯人関係者に拉致された石岡亨(北海道札幌市出身)と松木薫(熊本県熊本市出身)それに有本恵子(兵庫県神戸市長田区出身)の消息を伝える石岡本人の手紙がポーランド経由で石岡の家族の元に届く。この手紙によって行方が分からなくなっていた3名が北朝鮮にいることが判明した。しかし、松木については、その手紙に正確に住所が記されていなかったため、家族には時間が経ってから知らされた。石岡・有本家は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにした。石岡の家族は札幌市の日本社会党北海道連合にも相談したが、「本部に連絡をする。国交がない国なので口外しないように」と言われた。「国交がないから」という言葉は、それ以降も外務省や様々なところで言い訳に使われることとなる。
「社会民主党 (日本 1996-)#北朝鮮による日本人拉致事件への姿勢」も参照
一方、有本の両親は上京して自由民主党の政治家に助けを求めることを決め、1988年9月、東京都千代田区永田町の衆議院議員会館に自由民主党幹事長の安倍晋太郎を訪ねる。安倍は夫妻の訴えを聞き届け、当時秘書だった次男の安倍晋三に夫妻を外務省と警察庁に案内するよう命じ、夫妻はここに至って事の次第を外務省・警察庁に伝えることができた。以後有本夫妻は安倍父子に連絡するようになり、安倍父子はこの問題に取り組むことになるが、1989年6月、晋太郎は癌を発症し入院。幹事長も退任した。以後入退院を繰り返したが、1991年5月、晋太郎は他界した。後継者となった晋三は亡父の地盤を引き継ぎ、1993年、第40回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後国会議員としてこの問題に取り組むことになった。
梶山の答弁以降、しばらく国会で取り上げられることはなく、警察の捜査の進捗状況や事件の真相も明らかにならないまま一般には半ば忘れられた問題となっていた。
1990年代
家族会の結成
1996年9月、『金正日の拉致指令』が出版される。著者は石高健次(朝日放送)。元北朝鮮工作員からの証言を元に取材し、日本人拉致事件の情報を公にした。
1997年初頭、元北朝鮮工作員で脱北者の安明進の証言が出て事態が動き出す。同年1月23日、新進党の西村眞悟は衆議院予算委員会に「北朝鮮工作組織による日本人誘拐・拉致に関する質問主意書」を提出し、初めて横田めぐみ拉致事案を取り上げ、政府の認識を問うた。
詳細は「西村眞悟#政策・主張」を参照
同月新潟県で「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会」が発足し、一部の拉致被害者家族が実名公表を決める。これを受け同年2月3日、衆議院予算委員会において西村は大韓航空機爆破事件や文世光事件、金賢姫の著書などに言及しながら横田めぐみ・久米裕・田口八重子・原敕晁らの実名を挙げ、彼らが北朝鮮に拉致されていると明確に指摘した質疑を行い、橋本龍太郎首相、池田行彦外相に政府の見解を質した。大手マスコミもこれを報道し、当時13歳の中学生少女が拉致されていたという事実の指摘は国民に衝撃を与え、北朝鮮による拉致事件が広く国民に認識される契機となった。
このように国内で拉致問題が初めて大きくクローズアップされるなか、3月25日に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)が結成され、救出活動を開始することになった。また国会内では議連結成の動きが本格化した。4月15日、自由民主党衆議院議員の中山正暉が会長となり、超党派の議員による「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟」(旧拉致議連)が設立された。同年5月1日の参議院決算委員会において自民党吉川芳男の質疑に対し、伊達興治警察庁警備局長(当時)が北朝鮮によって横田めぐみが拉致された疑いがあるとした答弁し、政府は「7件10人が北朝鮮に拉致された疑いが濃厚」と発表。メディアが拉致問題を一斉にクローズアップした。拉致問題の報道が本格的になると同時に国民の関心も徐々に高まっていった。 拉致問題解決の署名活動が行われ、1997年8月末には60万人、1年後には100万人を越えた。このうち、福井県では地元の拉致被害者の父地村保らの活動により、県民の半数の署名を集めている。

2001年(平成13年)9月11日に、アメリカ同時多発テロ事件が発生、10月30日の参議院内閣委員会にて、出された質問「拉致をテロと認識するか?」に対し、福田康夫(内閣官房長官)は「拉致はテロではない」と、拉致事件への消極的な答弁を行った。
この様な拉致事件への消極的な政治対応が一変する事件が起こった。2002年1月に、北朝鮮工作船による九州南西海域工作船事件が発生、さらに、この年のジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領の一般教書演説にて、イラン、イラク、北朝鮮を『悪の枢軸』だと発言した。
2002年4月、衆議院ついで参議院にて、「日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議」が採択される。 4月25日には新拉致議連が発足する。
2度の日朝首脳会談
2002年日朝首脳会談
2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮の平壌を訪問し、国防委員会委員長・金正日と会談した(日朝首脳会談)。元北朝鮮外交官・太永浩によると、小泉首相は拉致を認め被害者を帰国させれば100億ドルを払うとしていた。その席で北朝鮮側は、日本人13人を拉致したことを認め、金正日総書記自らが日本人拉致事件について、「遺憾なことであり率直におわびしたい。私が承知してからは関係者は処分された」と述べ、北朝鮮側としては「実行者は英雄主義に走ってかかた一部の特殊機関の者による行為」とし、関係者はすべて処罰したと説明した。また、「死亡」したとされる8人に関する「死亡診断書」などの情報を提出したが、これらはすべて捏造であったことを日朝実務者協議(2004年11月)で認めた。日朝平壌宣言では「国交正常化の後」、「経済協力を実施」することとなっているが、日本政府は「拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない」と繰返し述べている。
5人の帰国
その後の交渉で、北朝鮮が生存していたとした5人の拉致被害生存者については、一時帰国を条件に2002年10月15日に帰国が実現した。交渉は外務省アジア大洋州局長の田中均(当時)と国家安全保衛部第一副部長の金詰(キム・チョル)という偽名を名乗る人物(正体は副部長の柳京(リュ・ギョン))の間で行われた。田中局長は「生きている拉致被害者を4人から5人程度出せばいい」と提案、北朝鮮側が了承し、5人の一時帰国が実現した。
5人の帰国後、日本政府は世論や拉致被害者家族会の要望などにより、一時帰国した被害者を「北朝鮮へ帰す」ことを拒否し、5人の家族の帰国も要求する方針をとった。このため、北朝鮮側は「日本政府に対し約束違反だ」と主張した。このような北朝鮮政府の抗議により、その後の交渉は、北朝鮮政府が日程を決めないなどした為に中断した。
帰国した拉致被害者
地村保志・地村(浜本)富貴恵夫妻
蓮池薫・蓮池(奥土)祐木子夫妻
曽我ひとみ
小泉訪朝後の世論の大変化
ブルーリボン運動支持を意思表示するブルーリボンバッジ
2002年(平成14年)9月17日の小泉純一郎と金正日による日朝首脳会談(第1回)で、金正日国防委員会委員長が、一連の拉致事案や工作船事案を認めて謝罪した事で、状況は一変する。マスメディアは連日、日本人拉致問題を報道して北朝鮮を激しく糾弾し、国民の多くは対北朝鮮制裁を強く訴えるようになった。大韓民国の東亜日報は、当時の日本国民の激怒ぶりを「憤怒」と報じた。
報道におけるタブーとして有名であった「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国…(以後、北朝鮮と呼称する)」という呼称方法が一斉にマスメディアから姿を消し、単純に「北朝鮮」と呼称する様になった。英語圏に於いては、拉致事案を Kidnap(誘拐)から Abduction(拉致)へと表現を強めた。
日本人拉致問題を「でっちあげ」と言い続けてきた在日本朝鮮人総聯合会は、本国に梯子を外された格好となり、急遽記者会見を開き火消しに奔走したが、時既に遅かった。同時に「拉致事件に怒りを覚えた一部の日本人によってチマチョゴリを着用した女子生徒への嫌がらせ事件(チマチョゴリ切り裂き事件)や朝鮮学校生徒への暴言・暴行がある」と、朝鮮総連は主張したが、日本の警察は、それらの事件について、政治的背景はないと判断した。
在日朝鮮人のショックは、相当な物であった。金時鐘は「植民地統治の強いられた被虐の正当性も、これで吹っ飛んだ気にすらなった」と嘆き、「拉致事件に対置して『過去の清算』を言い立てることがいかに、冒してはならない民族受難を穢すことであるかを、私達は心して知らねばならない」と述べた。
北朝鮮に対して、比較的友好的な立場を採っていた人々は、日本の世論の大転換を目の当たりにして、日本人拉致事件について言及せざるを得ない状況に追い込まれ、また日本人拉致事件を『捏造』『デッチ上げ』と主張していた人々は、事実認識の誤りを撤回して、謝罪を迫られる状況に追い込まれた。なお、アントニオ猪木のようにこの世論の大転換を疑問視する発言をしている者もいる。ただし猪木は後述のSAPIOでの発言にあるように拉致問題の解決自体に否定的なわけではない。(アントニオ猪木氏、2022年死去・享年77歳)
現在、東京都の都営地下鉄各駅では、北朝鮮による東京都での特定失踪者たちの顔写真を、駅構内にポスターとして貼り付け「東京へ返せ」と訴えている。
2004年日朝首脳会談と拉致被害者家族の「帰国」
2004年(平成16年)5月22日、小泉首相は2度目の平壌訪問、北朝鮮側との会談を行い、22日中に蓮池・地村夫妻の子供たちが、母の祖国日本へ「帰国」した。また、曽我ひとみの家族は、夫が脱走・亡命した元アメリカ兵であり、アメリカ軍による軍法会議訴追の問題があるため、北朝鮮政府側に執拗に北京での面会を求められるもこれを拒否し、2004年7月9日にインドネシアのジャカルタで家族と再会。その後、7月18日家族は日本に帰国を果たした。
遺骨問題
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DNA鑑定の依頼を受けた帝京大学医学部講師、吉井富夫の鑑定により、日本政府は「遺骨」とされた骨は別人のものと判断した。但しこの鑑定では本人のDNAが検出されなかったということだけであって、これを以って別人だと断定出来るのかという声があがった(同時に鑑定を行なった科学警察研究所では「判定不能」)。特に2005年2月2日付けの『ネイチャー』誌で指摘されたことで問題が表面化した。
まず「遺骨は火葬されたものであり、DNAは残っていないはず」というものである。DNAは熱に弱いために、火葬された遺骨からDNAが検出される事自体がおかしいのではという指摘がある。 また、コンタミネーション(試料汚染)の可能性も懸念される。帝京大学が行なったDNA鑑定はネステッドPCRという方式をとっているが、この方式は非常に敏感であり、コンタミネーションに由来しない論拠を示す事が非常に重要である。 さらに、吉井はそれまで火葬遺骨鑑定が未経験で当該鑑定が初めてであったことも指摘されている。日本政府はこれらに対し、火葬した骨の一部が熱に十分さらされなかったためDNAが残存していたと説明した。遺骨は鑑定のために使い果たし、再試は困難であるとされている。
一方、元々朝鮮半島には火葬の習慣はなく、火葬されていること自体が北朝鮮の捏造を裏付けるものである、とする主張もある。前述の通り火葬に際しては、日本のように専用の施設を用いたものではなく、開放された空間で行われた、いわゆる「野焼き」に近いものだと日本国内では推定されているが、北朝鮮政府は専用の施設を使って火葬したと説明している。また、北朝鮮側の説明によれば、いったんは土葬された遺体を、離婚した夫が掘り返して火葬し、その遺骨を(現在の妻と住む)自宅に保管していたとされる。
『ネイチャー』はこの問題、特に時の官房長官・細田博之が「記事は一般論を述べており今回のケースでそうであると特定していない」と発言した事について、3月17日号に論説『政治と真実の対決』を掲載して、「日本の政治家たちは、どんなに不愉快でも科学的に信頼できないことを正視しなければならない。彼らは北朝鮮との闘いにおいて、科学的整合性を犠牲にすべきではない」と反論した。更に別人判定を下した帝京大講師がその後に警視庁科学捜査研究所の法医科長となりインタビューが事実上不可能になった事について、『転職は日本の拉致調査を妨害する』(4月7日号)で日本政府を批判している。
小泉訪朝後の政治家の動き
新拉致議連は、2002年(平成14年)9月17日の小泉純一郎首相の北朝鮮訪問を経て、参加議員が増え始めた。同年9月30日、会長の石破茂が入閣したため、中川昭一が新会長に就任した。
2002年9月の小泉訪朝後、家族会が東京都知事石原慎太郎に協力要請したことなどがきっかけとなり、救出活動は地方政界にも広がりを見せ、地方議会にも、拉致議連が結成されていった。2003年4月には、新拉致議連結成メンバーの松沢成文が神奈川県知事に、同年8月には上田清司が埼玉県知事となり、国会議員と地方議員・首長が連携した活動が活発化した。同年9月22日、会長の中川が入閣したため代表が空席となったが、平沼赳夫が閣僚から外れたため、同年10月9日、中川・安倍(新たに自民党幹事長に就任)の依頼で平沼が会長に就任した。
2003年11月の第43回衆議院議員総選挙直前の時点で、77名の国会議員が拉致議連に参加。第43回衆議院議員総選挙では、それまで地方議員として救う会などで活動していた大前繁雄(元兵庫県議会議員)が当選し、大前は直ちに事務局次長に就任。更に新たな当選者を加えて、2004年1月には188人に急増、その後も増え続けたが、実際に活動しているのは初期のメンバーが中心であった。加入してもほとんど活動しない議員も多く、2005年8月、拉致被害者家族会会長の横田滋は「拉致議連に入っている国会議員は一部で、実際に活動しているのは数人」と嘆いている。現在までに相当数の超党派議員が拉致議連に参加しているが、2009年8月の第45回衆議院議員総選挙前後の時点では、拉致議連の実際の活動は石破・中川・平沼・安倍・西村・原口一博・松原仁ら新拉致議連初期のメンバーが中心で、家族会が信頼している議員も彼らのみという。拉致議連とは別に、日朝国交正常化交渉の中で事件を解決しようとする超党派議員の動きもある。
青山繁晴が現内閣総理大臣の安倍晋三は小泉訪朝は拉致問題全体で見て「失敗」だったと考えていると主張しており、その理由として「小泉さんの個性でもある一発回答、一発解決、大歓喜の声。そういうものを求めるタイプは、強いと言えば強いけれど、そこが弱さの裏腹になってですね、そういう焦りがあったから。北朝鮮は北朝鮮で小泉さんを通じてお金をほしいものだから、焦って乱暴な回答になった」としており、安倍はこれを反省してこれらを否定する方針に切り替えたと述べている。
拉致問題の解決に関しては後述されている通り、人それぞれに多種多様な思想・方法論が存在している。
国際社会の動き
北朝鮮による日本人拉致問題について横田早紀江らと会談する当時のアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ 左に座っている少女は瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件の家族の一人
北朝鮮側は「拉致したのは13人だけ」、「問題解決の取り決めで、死亡者8人を除く生存者5人を返したので問題はすべて解決済み」と主張している。しかし、日本側は「問題解決の取り決めなどしていない」と主張し、また、北朝鮮から死亡の証拠として出されたものはすべて捏造であるとしている。2004年5月までに、被害者5人とその子どもたち計10人は北朝鮮から帰ってきた。しかし、未だに残りの多くの被害者の消息は不明のままである。日本政府は、細田博之内閣官房長官(当時)が、「迅速かつ誠意ある対応がなければ、厳しい対応をとらざるを得ない」と制裁を示唆したが、未だに「誠意ある迅速な対応」がなされていない。政府見解に従えば、制裁の発動はなされていいと考える世論が著しく強い。北朝鮮の最高指導者が拉致に関し謝罪しているにもかかわらず、被害者情報の不審点や矛盾点に対して全容解明には応じないなどの事から、拉致被害者家族会は国連に対してもこの問題に対する協力を要請している。
来日したアナン国連事務総長(当時)は、2004年2月24日の国会演説で、この問題にも言及し、完全解決を希望し、関係者に同情する旨、述べている。
同2004年、米国議会は、上下両院にて「北朝鮮人権法」(North Korean Human Rights Act of 2004)を成立させた。
この法案に対し、南北統一に向けて北朝鮮を刺激したくない韓国与党は懸念の意を示したが、対照的に拉致被害者の家族で構成される、いわゆる「家族会」は米国政府・大統領に対し謝意と敬意を表明した。
2004年、日本では特定船舶入港禁止法、改正外為法など、いわゆる「北朝鮮経済制裁二法」が成立した。
2005年11月2日、イギリスが主導し、EU・日米など45カ国による共同提案により北朝鮮非難決議案が国連に提出され、同年12月16日に国連総会で賛成88、反対21、棄権60で採択された。中国・ロシアなどは反対。韓国は韓国最大野党ハンナラ党が政府に対して参加を求めたが、棄権した。決議案は外国人拉致のほか、強制収容所の存在や送還された脱北者の扱いについて「組織的な人権侵害」とし、北朝鮮を名指しで非難している。
また、北朝鮮の核問題を討議する六者会合にて、人権問題の作業部会の設置を検討している。
日米外相会談においてライス国務長官は拉致問題につき「全面的な支持」を表明し、米政府、デトラニ・六者会合担当特使は、拉致問題の解決が北朝鮮の国際テロ支援国家指定を解除する条件と述べ、国家安全保障会議(NSC)のマイケル・グリーン・アジア上級部長が「拉致を含め、人権問題が協議のなかで大きくなっている」と述べるなど、日米間の連携が見られる。また、米国務省で北朝鮮人権問題を担当するレフコウィッツ大統領特使は、拉致問題解決のため「可能なことはすべてやる」と述べ、全面協力を約束した。しかし、アメリカは北朝鮮に対し、テロ支援国家を解除した。(テロ支援国家を参照。)その対応に、拉致被害者家族だけではなく、日本市民からも、アメリカに対して、批判している。
また、拉致問題の存在自体を六者会合や北朝鮮との国交正常化交渉における「障害物」と位置付ける見方が一部で存在している。
北朝鮮と国交のあるベトナムは、拉致問題の解決に協力したいと、日本に支持を表明している。
2017年9月19日、アメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領は、国連一般討論演説において、横田めぐみを念頭に「日本人の当時13歳の少女が拉致された。彼女はスパイの養成に利用された」と述べるとともに、「北朝鮮はすさまじい人権侵害を行っている」と非難した。
2000年代(小泉再訪朝後)
2005年
2005年10月30日23時30分(日本時間)から、特定失踪者問題調査会が、北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」の放送を開始した。
なお、同会によれば放送目的は下記のような内容である。
放送目的
1.拉致被害者に対して日本で救出の努力をしていることを伝える。
2.北朝鮮当局に注意しつつ情報を外部に出してもらうよう伝える。
3.その他 今後の課題だが、北朝鮮の体制崩壊時などには避難場所等の情報を流すこと等にも使うことを想定。
2006年
2006年3月23日、警視庁公安部は「原敕晁拉致事件」に関連して、大阪市の中国料理店「宝海楼」や「在日本朝鮮大阪府商工会」などに強制捜査を実行した。2004年に大阪府議会の府議らが告発した事に伴う。中国料理店は原が拉致直前まで勤めていたところ。翌日付の産経新聞などによれば、中国料理店経営の在日朝鮮人男性(74歳)は容疑を全面否認しているという。警察は近く、韓国に在住している共犯者男性(78歳)の逮捕状も取り、韓国政府に引渡を要求する。ちなみに、2002年に日韓犯罪人引渡条約が結ばれている。
2006年4月11日、日本政府は、拉致被害者・横田めぐみ(当時13歳、1977年拉致)の「夫」の可能性があるとしてDNA鑑定を実施していた韓国人拉致被害者5人のうち、金英男(1978年拉致、当時16歳)が一番可能性が濃厚であるとの発表を行った。これを受けて、家族会は韓国拉致被害者家族会と連携する方向に動き始めた。
これに対し、北朝鮮は6月28日、金英男と母親との北朝鮮国内での再会をセッティングした。さらに翌日に金が会見を行い、「自分は拉致されたのでなく漂流中に北朝鮮に救助された」と主張した。これに対し、横田は金が横田めぐみは1994年に自殺したとする従来の北朝鮮側の主張を繰り返したことと、遺骨がDNA鑑定で偽物とされた事について怒りを表明した。この件において日本側の関係者やマスコミは一切排除されており、日韓の分断を狙ったと考えられる。
2006年9月19日、日本は北朝鮮においてミサイルや大量破壊兵器開発に関係していると疑われている15団体・1個人を対象に、国内の金融機関からの預金引き出しや日本国外への送金を許可制として事実上凍結する金融制裁を閣議決定、即日発効した。これはあくまで北朝鮮の核開発疑惑に対する国際的包囲網の一部としての措置であるが、当然拉致問題への影響も考えられる。横田夫妻は「日本の北朝鮮に対する姿勢を示している」として評価するコメントを出した。
2006年9月20日、新たな自由民主党総裁に安倍晋三官房長官が選出され、同月26日に第90代内閣総理大臣に就任した。安倍は父・晋太郎の代から拉致問題に関心が高く、2002年の帰国者5人の残留も安倍の意向が大きかったと言われているだけに、拉致問題解決に対する期待が高まった。安倍首相は早速、拉致問題担当相(塩崎恭久官房長官が兼任)と拉致担当の首相補佐官(中山恭子)を新たに設置し、自ら本部長を務める「拉致問題対策本部」の設置を表明するなど積極的な動きを示したが、相次ぐ国内問題や閣僚の不祥事などで進展のないまま翌年9月26日に首相を辞任した。後継の福田康夫首相は北朝鮮政府との対話による問題解決を表明しているが、官房長官時代の対応から被害者家族の中には福田に不信感を抱く者も多いと言われている 。
2006年10月16日、政府は「対話と圧力」という姿勢を継続し、「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」との方針を改めて確認した今後の方針を公表した。
2007年
2007年6月29日、韓国の聯合ニュースが金正日総書記が日本人拉致問題についての徹底調査を指示した、と報じた。
2007年10月9日日本政府は北朝鮮に対し、日本独自の経済制裁を半年間延長する方針を決定。
2008年
2008年6月11・12日、北京で行われた日朝公式協議において、北朝鮮側は従来の「拉致問題は解決済み」との姿勢を翻し、新たに解決に向けた再調査の実施を表明した。背景には米国が北朝鮮にテロ支援国家指定解除の条件として日朝関係の改善を要求するなどの圧力を掛けた事があると見られるが、調査に日本側がどこまで関与できるのかなど依然不透明な点も多い。
2008年9月1日福田康夫首相が辞任を表明。9月24日には麻生太郎幹事長が第92代内閣総理大臣に就任した。
2008年10月10日政府は北朝鮮に対する経済制裁の半年間延長を閣議決定。
2008年11月22日、新拉致議連結成メンバーの1人で埼玉県知事の上田清司は、さいたま市浦和区で開かれた「第6回拉致問題を考える埼玉県民の集い」において、「拉致問題と戦う知事の有志の会」(拉致知事会)を発足させることを明らかにした。同会の結成は宮城県仙台市長梅原克彦の提案によるものである。上田の他東京都知事石原慎太郎、千葉県知事堂本暁子、新潟県知事泉田裕彦、鳥取県知事平井伸治の5人が発起人となり、全国の知事に参加を呼びかける。当初、達増拓也岩手県知事ただ一人が不参加を表明したため、同会の会長に就任した石原は「民主党の党首の小沢(一郎)さんの出身地である岩手の知事を除いてですね……何でかは知りませんよ私は」と皮肉った。家族会・救う会・特定失踪者問題調査会・拉致議連と連携して活動する方針。
2009年
2009年2月28日、前航空幕僚長田母神俊雄が名古屋の市民サークル若宮会講塾主催の講演会「拉致問題と国防」において、北朝鮮による日本人拉致問題をテーマに家族会事務局長増元照明、特定失踪者問題調査会代表荒木和博とともに講演を行い、北朝鮮による日本人拉致問題をテーマに名古屋市内で講演し「自衛隊を動かしてでも、ぶん殴るぞという姿勢を(北朝鮮に)見せなければ拉致問題は解決しない」と述べた。田母神は記者会見で「『ぶん殴る』とは具体的には何か」と質問されると「自衛隊を使って攻撃してでもやるぞという姿勢を出さないと、北朝鮮は動かない」と答え、軍事オプションを圧力の一環として威嚇することの重要性を訴えた。
2009年2月、民主党代表である小沢一郎は、「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」と金銭による解決を示唆し、一部から批判を受けた。民主党はこの発言に対する救う会からの問い合わせに対して、民主党幹事長代理から産経新聞社編集局長と政治部長宛に「記事は『事実無根の報道』」として記事の訂正と謝罪を求め、3月4日中に回答することを要請したが、産経新聞政治部長は、3月4日、文書で民主党幹事長代理宛に「正当な取材の結果得られたもので、かつ裏づけもとれているもの」とする旨を回答した。
2010年代
2011年
2011年7月6日、拉致問題対策本部本部長を務める菅直人が、拉致事件容疑者親族が所属する「市民の党」の派生政治団体に対し6250万円の献金をしていたことが発覚、拉致家族の抗議や参議院議員山谷えり子の追及を受け、謝罪した(日本人拉致事件容疑者親族の政治団体への献金問題)。菅は詳細について一切明らかにせず、また返金も求めていない。
2012年
2012年1月9日、民主党の中井洽が中国東北部で北朝鮮の宋日昊朝日国交正常化交渉担当大使と極秘会談した。金正日が死亡してから初めての会談となる。拉致問題などについて話したと見られるが、詳細は公表されていない。
2013年
2013年1月16日、拉致被害者の実弟の増元照明が「遺骨の問題からアプローチして、最終的には国交正常化という道筋を、北は策略していると思います。(中略)その策略には安易に乗らないほうがいいと思います」と発言。民主党参議院議員の有田芳生はこれに対し自身のTwitterで「人道問題を安易に「策略」と判断すれば、日朝交渉など進みはしない」などと述べた。同年3月7日、有田は安倍晋三首相に対しこれまでの内閣総理大臣が拉致問題施政方針演説で「日朝平壌宣言」「日朝国交正常化」などといった言葉を使っていたにもかかわらず「第百八十三回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説」(平成二十五年一月二十八日)で、拉致問題の解決に触れた際に「日朝平壌宣言」や「日朝国交正常化」などが使われていないと指摘した。
2013年5月14日、内閣官房参与の飯島勲が、安倍政権の要人として初めて北朝鮮の平壌を訪問。菅義偉官房長官は官邸が主導したことを認めた。飯島は15日に金永日朝鮮労働党書記、16日に平壌で北朝鮮のナンバー2の金永南最高人民会議常任委員長と会談。北朝鮮メディアは表敬訪問と報じたが会談内容は明らかになっていない。この訪朝は日朝対話の再開や拉致問題解決への道筋を探る目的とみられ、賛否両論となった。
安倍晋三首相は10月22日午前の衆院予算委員会で、北朝鮮による拉致問題について「安倍政権の間に解決させたい」と改めて強い決意を示し、「この問題は圧力に重点に置いた対話と圧力の姿勢でしか解決しない。金正恩第1書記に解決をしなければ北朝鮮の未来はないことをしっかり認識させ、真正面から取り組むよう全力を尽くす」と発言した。
2014年 - 2015年
2014年2月、国連の調査委員会は、北朝鮮による拉致や公開処刑などは人道に対する罪に当たると非難する報告書を公表した。北朝鮮による外国人拉致の被害者は世界で20万人を超えるとした。調査委員会のメンバーは、日本人は少なくとも100人が拉致された可能性を指摘し、日本は拉致被害を最も受けた国の一つとした。
2014年05月29日 北朝鮮当局による拉致被害者と特定失踪者の再調査の約束と、日本側の制裁解除を行う事がストックホルムでの日朝協議により合意され、同年7月に北朝鮮当局による再調査が行われた。しかし、翌年以降も被害者帰国はおろか再調査結果の報告すらなく、北朝鮮政府側は拉致被害者に対しての従来の主張を覆しておらず、日本側は承服しなかった事が複数の日本政府関係者によって明かされている。北朝鮮が再調査に踏み切った理由として、西岡力は経済状況を挙げており、「国内の外貨が枯渇してきたことで日本に触手を伸ばし始めたと考えられます。裏を返せば、日本が続けてきた北朝鮮への経済制裁が一定の効果を得たという事でしょう」と述べている。
参議院議員のアントニオ猪木が、SAPIO2015年2月号のインタビューで「拉致問題担当大臣が10人以上も代わっているようでは、北朝鮮側もまともな交渉をすることはできない」とし「必要があるのなら、朝鮮労働党幹部と信頼関係を築いてきた私をいつでも使えば良い。選挙で拉致問題のパフォーマンスをしている議員とは違い、自分は命がけでやる」と宣言した。
2016年
2016年2月10日、日本政府は北朝鮮による核実験と長距離弾道ミサイルの発射の強行に対して独自の制裁措置を決めた。
2016年2月12日、北朝鮮は日朝合意に基づく日本人に関する包括的な調査を全面的に中止し「特別調査委員会」を解体すると宣言した。
2016年6月9日発売の「週刊文春」に横田夫妻と孫(拉致被害者横田めぐみの娘)とされる人物らの面会写真を公開した。写真は民進党参議院議員の有田芳生が公開したものであり、2014年3月にモンゴルの首都ウランバートルにある迎賓館で撮影されたもので、拉致被害者で現在も消息不明の横田めぐみの孫で、横田夫妻のひ孫に当たる女児も写っている。それについて横田夫妻は「有田氏から写真を見せられ、一部の週刊誌に掲載する写真だと説明された。」と指摘しており、孫から写真を外に出さないでほしいと約束していたため、どこにも提供していないとしている。なお、有田は無断公開を否定し、「写真の選択をいっしょに行い、時間をかけて原稿も見ていただき、求められた加筆と訂正を行ったうえで『週刊文春』の記事になりました」と横田夫妻と正反対の主張をしている。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(「救う会」)は2016年6月9日発売の週刊文春に掲載された有田の署名記事、およびグラビアに対して横田夫妻に確認をとり、「写真は横田家から1枚も何処にも出していません」と連絡を受けている。なお、横田夫妻は 2016年6月8日付けで横田滋・早紀江両名の署名入り「皆様へ」と「マスコミの皆様へ」の2つの手書きコメントを出しており、「皆様へ」には有田の「週刊文春」掲載の写真と署名記事に対する指摘および反論が書かれている。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会は有田による入手先不明の写真公開について様々な誤解が広がっていることから、横田夫妻に直接話を聞いた。「救う会」は、有田が公開した写真を横田夫妻の所有だと虚偽をマスコミなどに伝えていたことを確認したとして有田を非難するコメントを出したうえで、有田が公開した写真の実際の入手先は北朝鮮以外には考えられないとの見解を出した。横田夫妻は写真の入手先を有田から聞いてはいないという。同年6月22日に開催された東京・文京区民センター「東京連続集会91」において横田早紀江本人の口から正式に有田とは意見が大きく異なる旨が言及された。有田は「週刊文春」の記事について、横田夫妻と公開する写真を選択し、モンゴルでの詳細を聞き、原稿も細かくチェックしたうえで記事にしたと主張しているが、横田早紀江本人は「その後の経緯は週刊文春と有田さんだけのことで、どんなものが出るかは私たちは全然知りませんでしたし、こういう文章で書いてくださいと有田さんに渡したものでもありませんし、全くノータッチで、写真の公開を了承しました。」と否定している。
2016年6月23日、外務省の金杉憲治アジア大洋州局長が、中国で崔善姫北朝鮮外務省米州局副局長と接触し、拉致被害者の帰国が重要であるとの日本政府の立場を伝達した。
2017年
2017年9月19日、米ニューヨークの国連本部でアメリカのドナルド・トランプ大統領が就任後初めて国連総会の一般討論演説で「13歳の日本人の少女を拉致した」と指摘し横田めぐみを念頭に北朝鮮による日本人拉致事件を非難した。
2020年6月5日、めぐみさんの父親・横田滋さん死去(享年87歳)
                    おわり

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【北朝鮮拉致被害者めぐみさん父親・横田茂さん死去から五年②】小説・北朝鮮拉致横田めぐみさん~めぐみさんへ・めぐみさんは必ず生きている!~北朝鮮拉致事件五十年目の真実!

2025年06月05日 10時51分54秒 | 日記













  日航特別機は、小泉首相と安倍幹事長、藪中外務官僚らをのせて、平譲空港についた。 空港には五百人の朝鮮人民兵たちが整列しており、大きな金日成の肖像画と赤字で『全世界人民の団結万歳』と書かれたスローガンが掲げられていた。
 飛行機は定刻に空港に着いた。
 小泉は思う。
 ……俺は日本国首相として、拉致解決のためにやってきたんだ。生涯二度と味わえない歴史的な瞬間を、味わってやるんだ……
 日本国の代表として地に足をつけることになる。
 機体にタラップがよせられ、扉があいた。
 見るとグレーの人民服の金正日総書記らがあらわれた。
 小泉らは拍手をあびながらタラップを降りてくる。
 いつもはせかせかと早足で歩く小泉は、日本国首相の威厳をみせるためわざとゆっくり歩いた。
 小泉は、金正日総書記(当時)らと堅い握手を何度もする。
 ……今が大事だ。いまがひのき舞台だぞ……
 小泉は自分をなだめた。
 しかし、興奮は隠せない。
 何か熱い感情が、小泉の全身の血管を駆けめぐった。体がほてってくる。
 朝鮮人民軍が「君が代」「義勇軍行進曲」をたからかに演奏する。
 顔をこわばらせていた小泉に笑みが戻った。
 小泉一行は中国高級車「紅旗」に分乗し、午後零時半、平譲郊外の迎賓館に入った。
 午後三時から小泉は、市内の人民大会堂で金正日と約一時間四十分も話しあったという。 会談ののち、安倍幹事長(当時)は結果を報告する。
「双方の代表は拉致問題日朝国交正常化を円満に成功させるために、おどろくほど素直に、基本的立場や考えかたについて意見をかわし、非常に有意義だった」
 小泉は金書記といろいろな議論をし、約束をとりきめた。
 結局、カーターの真似をして北朝鮮と拉致解決しようと考えた訳だが、そののち拉致被害者は全員死亡したなどといわれ、莫大な賠償金を、北朝鮮に払わされることになるところだった。横田めぐみさんらは自殺したという。
 すべて嘘だった。安倍や藪中らはどこまでも無能だった。
 演奏が「偉大なる朝鮮労働党」から「サクラ サクラ」にかわった。
 小泉はいう。
「過去数十年に渡って、日朝は不幸な歴史を辿ってきました。朝鮮国民に多大のご迷惑をかけたことにたいして、私は深く反省する」
 日本側の通訳が適切でなく、会場からは拍手がなかった。
 ………せっがぐ頭ばさげたのに拍手がね。……
 小泉は戸惑った顔をした。
  すぐに、首脳会議がひらかれた。
 金正日は、
「日朝国交回復は政治問題で、法律で解決するものではない」と言い張った。
 問題は金であった。
 小泉が「疲れた」というほど会談は難航した。
 かれの血圧はあがり、鼻血を出すほどの体調になったが、小泉は余裕をみせた。
「もし会談が成立しなくても、俺が責任をとるさ。そんな下手なやりかたはしない。必ず成功させるよ」
 小泉は金正日にいう。
「あなたがたにとって今がチャンスなのだよ。これが最大のチャンスなのだよ」
 小泉はやがて金の執務室に案内される。
 記者たちと一緒に廊下を歩く。
 記者が、
「総理どうですか? 今の気持ちは?」ときかれると、
 小泉は、
「まぁ、このぉ~っ…」と例のダミ声でいう。
 迎賓館で金と対談してると、金正日が「拉致は認める」と告げた。
「しかし、調査した結果、横田めぐみさんは自殺していて、その他は知らない」
 日本側は反発した。横田夫妻は激怒と激しい悲しみに包まれた。
「もうけんかはしましたか。けんかはしなくてはなりません。けんかしてはじめて仲よくなれるんですから」
 その他の拉致被害者も同じ気持ちだった。なにやってんのか日本政府は……
 
新潟 県警数千人規模の捜索……ヘリも飛ぶ! そして1977年…翌日の16日には県警の機動隊もかけつけて薄明りの午前5時頃から捜査がはじまる。新潟県警キャリアが地図を差して部隊に指示…新潟県警キャリア・長尾龍虎だった。しかし、何もみつからず。ヘリ飛ぶ…千人の捜査部隊…夫妻は涙枯れるほど流した。
 …一週間後、誘拐の線は薄いと判断した警察は公開捜査に踏み切った。
 この少女を探してください…横田めぐみ…(ポスター)
 テトラポットの隙間を巡視船が、ボランティアのダイバーたちがテトラポットの底まで潜ってもみた。新潟県警最大規模の大捜査になった。しかし、みつかる訳はない。
 刑事たちは張り込みを続けた。夫妻は心配のあまり眠ることもままならない。
 夜になるとふとんで泣いてばかりいた」
「厳しくしつけ過ぎたのかしら? あの時……だってめぐみは…」
 早紀江は泣く。滋も泣く。めぐみさんはバドミントンの強化選手に選ばれて「やだな~断ろうかなぁ?」などといっていたという。
「あのとき、相談に乗って…れ…ば…手をかしてれば…」
「いや、あの子はそんなことで家出なんかする子じゃない。きっと…めぐみは生きているさ……自殺も家出もない…」
「なら…めぐみは生きてるのかしら?」
「きっと…」
滋さんはお風呂で男泣き。母親の早紀江さんひとしれず泣く。
もうこの苦しみから逃れたい…でも、息をとめてみても悲しい朝はやってくるのでした。悲しい日々……
東京午後の東京議員会館……そして1997年1月27日、共産党参議院議員橋本敦の秘書・兵本達吉という初老の眼鏡をかけたオッさんがめぐみさん生存情報を掴んだ。それをもどること1987年11月29日、大韓航空機事件がおこり、蜂谷真由美と名乗る金賢姫が捕まり証言していた。李恩恵という日本人拉致被害者が話題になった。兵本達吉は横田滋さんを事務所まで呼んで知らせた。
議員事務所 昼頃…
「1980年1月7日にサンケイ新聞の朝刊一面を飾った日本海アベック蒸発事件……それから私は拉致問題を研究してきた。これを読んでほしい。横田さん」達吉はペーパーを渡す。
兵本「その文章とお宅のめぐみさんが重なると思う。朝日放送の石高健次というひとが書いた現代コリアの記事がファックスで送られてきたんだ……めぐみさんらしい」
 滋さんはみる。”残酷なものだ。子供なのである…””十三歳の少女が…”
 動揺した。白髪頭の滋さんは「めぐみに間違いない!」と思う。しかし、日本海の新潟のどこの浜かは書かれてない。
少女はクラブの帰りだった。海岸から脱出しようとした工作員が目撃されたために捕まえて帰ったのだという。朝鮮語をマスターした。そうしたらお母さんたちのところへ返してくれると嘘をつかれて……それがかなわないとわかり精神に異常をきたしたという。
「……めぐみ! これはめぐみに間違いありません!」泣く。
 横田滋さんはめぐみさんを写した写真……例の桜の前での…をみつめて泣く。
あのとき、娘は風疹のあとが顔にあるから写真はやだといったのだ。しかし、桜が散ってしまうからと撮影したのだ。制服姿の……
兵本のもとにサンケイ新聞の阿部雅美という男がやってくる。そして、事件は公になる。
そして、事件は公になる。 横田夫妻のもとに朝日放送報道局(当時)石高健次というひとがカメラをつれてやってきた。メディア・スクラムである。「カメラまわしますので…」
朝日放送報道局(当時)の石高健次だった。
 東京横田マンション 午後
「はあ、横田です」
「初めまして妻の早紀江です」
石高が情報を得たのはその一年前、1995年6月23日だったという。ある工作員の取材で安全保証部員の元工作員と韓国で話した。13人の日本人拉致者がいるという。しかも13歳くらいの少女まで拉致されたという。男は本当のことをいっているようだった。
 関西訛りの石高は情報を探った。そして、捜査段階として現代コリアに少女拉致の記事を載せたのだった。それがヒットした。現代コリア研究所の佐藤勝己氏からの調査でもめぐみさんに間違いないという。
 横田夫妻は動揺した。早紀江さんはめぐみちゃんが羽織りを着て少しだけ口紅を塗ったときの写真をながめている。涙がでてきた。滋さんも泣いた。記憶、回想。実物写真…
「しかし私がゆうてるのは情報で……事実とは…しかし工作員にあってみますか?」横田夫妻は「是非会いたい!」という。
重たい。ソウルでもどこでもいくという。しかし、記事になり公になれば拉致被害者たちは殺されるかも知れない。経済制裁をしても同じ不安は募る。だが、横田さんたちには時間が限られている。もう還暦を過ぎているのだ。横田夫妻はひさしぶりに新潟へと新幹線で向かった。
新幹線列車内部の、午前、天気は曇りであった。
「(列車にゆられながら)大丈夫かしら。怖い国だから……めぐみの写真をみて…こいつだ。殺せ! ってことにはならないの?」
「わから……ない。しかし……何もやらないよりはマシだ。日本がこれだけ情報をもっているって北にわからすのだよ! そのためには経済制裁しかない!」
 門だけが残るかつての新潟横田家借家……午前 曇り
 もう家はない。門があるだけだった。実名報道すれば命の危険があるのはわかっていた。しかし、そのほうが拉致問題は進展すると思った。ふと、昔のことを思った。
昔、めぐみさんが中学の頃、同級生たちと漫画を描いていたことだ。…ドイツに花咲く娘たち……スパイ漫画だった。
「将来は漫画家?」
「ふふ、歌手じゃなかったのかい?」夫婦は笑った。
「そんなのわかんないって」めぐみさんは赤くなったという
「となりのお婆さんにあげた事件のときの蕾の山茶花(さざんか)ももう大きくなっている。……めぐみちゃん……あともう少しまっててね……きっと取り返すわ」
こうして1997年2月3日……雑誌「アエラ」と産経新聞一面トップに横田めぐみの実名と写真が大きく報道された」雑誌内容。例のめぐみさんの写真!
横田夫妻・マンション午前
 もう白髪まじりの横田夫妻は雑誌をマンションで読み、感慨深い様子。
「本当によかったのかしら…?」
「20年間何も分からなかったんだ。少しでも前身しないと…何もわからなくなる。ふたりとも年を取り過ぎたんだよ」
 マスコミ、スクラムを組んでやってくる。
 飛び立つ飛行機……ゆっくりと見えなくなる。
横田夫妻はソウルへと飛び、安明進(アンミョンジン)工作員と会談した。
安は最初、少女だった被害者の親とあうのを嫌がった。
「恨まれる」
「あなたを恨むようなことはない! 是非!」
ホテルの部屋 午後 テーブルに座る。
 安と横田夫妻話している。
彼は平譲でめぐみさんを見掛けたのだという。拉致工作員の教官がいて、ホールでみたという。その頃、めぐみさんは二十代頃だったという。彼女は生きている!
北朝鮮のホールで金正日バッチを胸をつけて着席するめぐみさん……安は遠くから見る。えらい綺麗だ。
「彼女は拉致されたことを恨んでいる様子でした」
 韓国繁華街……進む観光バス
しかし実際にいける訳はない。38度線(DMZ)の板門店から北を見るだけだ。早紀江さんはバスから結婚式店の光景をみて、めぐみさんのウェディング姿を想像したという。鉄合網がみえてきた。
「ここからさきは北だ! 核地雷が仕掛けられていてスパイも行き来できない」(38度線のパノラマ)
 板門店午前……
板門店には韓国と北の警備員が物もいわずに睨み合ってつっ足っている。共同警備区域(JSA)という。北に目を向けると赤茶けた山とダミーの家がみえた。
 夫妻は寂しい気持ちになった。
「…あんなところにめぐみちゃんは閉じ込められてるの?」
「…めぐみ……」夫妻うるうる。石高、深刻な顔……
林檎の思い出がふと頭をよぎった。ちいさなめぐみちゃんがお婆さんを手伝って林檎をもらったのだ。「せっかくお婆ちゃんが買ってきたのに悪いことしちゃったね」
 涙があふれてきた。
 韓国繁華街……ハングル文字……食事店…
 食事をとると、ハングルの文字のところに何やら日本語が書かれている。”千里の道も一歩から”……
「そうだ! 世論を動かすには自分たちが動かなければならない!」
友達の真保恵美子さんも彼女に助けられたひとりだという。
回想
ボンボこと真保さんは泣き虫だった。しかしめぐみさんが励まして、直した。
「ボンボ、泣いたら髪切るからね。いい?」
…あの日、つまり1977年11月…あの夜、恵美子の母親・節子も自動車から呼び止められて逃げたのだ。また知り合いの娘もあの頃、夜、怪しげな男ふたりに尾行されたという。
「あのとき突き指してなければ…ヨコ(横田めぐみ)じゃなく私だったのかも知れない……」
(回想)成人・ボンボ、アイクニ…祈る。母親となにか話す。
「ヨコ…死んでないよね?」
相賀(現・山田)くに恵さんもそんなめぐみさんを慕うひとり。ヨコにまたあいたい。
(回想) 体育館 午前
…中学時代。
「アイクニ(相賀さんの愛称)私の悪口いってるの?」と体育館で制服で座っているとききいた。
「ラインハルト…あのことかぁ」という。
ラインハルトとは女子たちが好きな男の子につけたコード・ネームで、めぐみさんの好きな子はクラウスとかユースとか呼んでいて何人もいたという。
(回想) 教室 午後
「おい、相賀」と教室で呼ぶ。
アイクニ(心)…きゃ。ラインハルト!
「この字、誰のかわかるか?」
 ……”相賀さんはあなたのことが好きなんです。もっと気をつかってあげて下さい”
……めぐみさんの字だった。
(回想) 体育館 午前
「あれは別に…ちょっとヨコってお節介だね。っていっただけよ」
「私……以前、アイクニに新潟祭りに行かないって断られたし、……本当に嫌われてるのかと思って…」
「……あれは別に! たまたま外に出るのがおっくうだったからだよ!」
 めぐみ微笑む。「よかった! ラインハルトのことはごめんね!」………そういって去っていったという。
「ヨコは少し強引なところもあったけど……それは友達を思ってのことだし…」
何よりも別々のクラスになって社交的なヨコが昔の友達だった相賀さんやボンボこと真保さんたちを大切にしているのが嬉しかったという。
ボンボ自宅 過去 夕べ
 母親の節子「あれ? 恵美子。ポストにこんなものがはいってたわ」という。
ベルサイユの薔薇だか何かの漫画カードに”ボンボさんはやくよくなって!”と書いてあった。
「(風邪をひいてた)うれしかったです。でも、できたら会いたかった。それから10年…20年……ヨコに会えなくなるなんて…」
「ボンボ、好きな先輩みつけちゃった!」
(回想)アイクニ(成人)夜空を見上げて祈る。
 東京道路。夜中、早送りのヘッドライト、テールライト……
やがて救う会が作られた。発起人は小島晴則というおじさんともちろん横田夫妻。さっそく署名活動が始まった。小島は元共産党員であったという。彼は在日朝鮮人たちを、『地上の楽園』と称して送った者のひとりだった。
    マンセー  マンセー 
回想”万歳! 万歳!
しかし、実態は地上の楽園ではなく『地上の地獄』だった。そこは貧しい搾取と金日成と金正日の独裁体制だったのである。餓死者まででる楽園だった。
 小島は後悔した。共産党や共産主義、社会主義は間違っていた!
(回想)北朝鮮の悲惨映像、独裁体制、プロパガンダ・ニュース…そして金正日・金正恩が重なり
会合・居酒屋……夜…
「横田さん! 何でも力を貸します!」
「ありがとうございます!」
 横田夫妻は感涙した。
新潟夜……曇りの寒い日…
1997年4月12日新潟……”
「はっきりいって不安だった。安保闘争などのときの署名は名ばかりでひとなど集まらなかった……今回も……
しかし違った。国民は拉致に怒っていた。次々と署名してくれる。これだ! と思った。署名にあつまる人だかり。
「横田さん、早くタスキを!」横田夫妻はタスキをかける。
 …”母・横田早紀江””めぐみを助けてください!” 
「めぐみの母です! めぐみは北朝鮮に拉致されています! どうか助けてください!」
署名は50万人を突破した。しかし、無能な日本政府はなにも手を打たない。むなしいまま五年が過ぎた。2002年3月、やっと動いたのが小泉首相(当時)だった。小泉純一郎の父親・純也は1960年代に北朝鮮への帰還事業にかかわっていたのだ。小泉はうなった。「わかった」そういった。本当はわかってなかった。
官邸、小泉との拉致被害者たち面会(回想)”内閣総理大臣・小泉純一郎(当時)”
 横田早紀江さんは講演でスピーチした。
「私は横田めぐみの母親です。だからなんとしても北には拉致者を帰せといいたい! 人間の命をもののように考えている金正日は許せません! ただ……朝鮮人のひとがすべて悪い訳ではありません。私が子供の頃、京都に住んでいたのですが、そこにも在日の朝鮮人の子供たちがいました。しかし、日本人の子供たちは在日朝鮮人の子供をイジめるんです。私は幼稚園ころだったのですが、大きな日本人のおにいちゃんたちがイジめて在日の子供をこずいて「あっちいけ!」っていったんです。私は真似しました。しかし、私の父親がそれをみていたのです。「早紀江帰ってこい!」父親は私を殴りつけました。父はいいました。「人間は皆誰より偉いと思っている。……でも誰より偉い人間はいない! どんな国の人間だろうと貧しかろうと豪華な家に住んでいようと関係ない! 大事なのは心の清さなんだ!」って…私は北の人々にはその心を求めます! 必ずめぐみは生きてます! どうか私たちを応援して共に闘ってください! 一緒に闘って下さい!」
回想 ニュース映像
第一回目の訪朝が成った。しかし、拉致の被害者5人が帰ってきたのみで横田めぐみさんは自殺して死亡したという。有本恵子さんも同じだった。
(回想)TV報道”有本恵子死亡……横田めぐみ死亡……”メディアはスクラムを組んだ。カメラの前で泣く横田夫妻。 合同会見が開かれた。
「めぐみが死んだなんて…」涙を流した。
早紀江は、突然マイクをにぎった。「日本の国のために犠牲になった若いものを忘れないで下さい! 国家のためめぐみは犠牲となり、こうして大きな政治問題となりました! 日本にとっても北朝鮮にとっても重要なことです! いずれひとは皆死んでいきます。めぐみもそうです。でもめぐみはいきています! まだ生きていると信じて闘ってまいります! めぐみを愛して下さったひとたちに心から感謝します!」涙がぼろぼろ散る。
(回想)小泉訪朝…金正日との握手……福田官房長官……国会議事堂…動く時計と平譲.。 また無能の外務省は藪中三十二(外務省太平洋担当(当時))や斉木昭隆(アジア太平洋局審議官(当時))を北にいかせてるが、まともな外交もできず、子供の使いのようにめぐみさんの遺骨とされたものを持ってかえってきた。(回想 遺骨壺)夫のキム・チョルジュンにはあったものの誰だかもわからず、娘というキム・ヘギョンのVTRを渡されていた」
回想 暗い室内、藪中たち黒眼鏡のキムチョルジュンに会う。
外務省 事務室 横田夫妻VTRをみせられる。
ヘギョン(VTR映像)「お母さんは死にました。おばあちゃんやおじいちゃんに会いたいです。でも私は小さいので日本にいけません。こっちにきてください」
(回想)横田夫妻は動揺した。横田夫妻はヘギョンちゃんに会いたいといった。反対したのは被害者会会長の蓮池透さんだった。
会議室 午後 横田夫妻ら被害者会
「それでは北の金正日の謀略にはまる! 横田さんの孫にあいたい気持ちはわかるが……もし一家で北にいったら北は歓迎ストーリーをつくる。タラップを降りると歓迎ムードで、空港にはヘギョンちゃんがまっていて抱き合う。あの北の女アナウンサーや当局が『感動の再会』と報じる。ヘギョンちゃんはいうだろう。…「母は死んじゃったの」そして偽者の墓に横田一家はお参りする。北の策略に嵌まる! そうしたら我々の活動はおわったといわれ……活動は水の泡となりますよ!」
 蓮池透は反対した。
 横田夫妻は苦汁の選択をした。現在、金正日は病死して横田さんらはモンゴルで孫のヘギョンちゃんやめぐみさんの夫とされる男性と会った。敵は金正恩に代わった。日本政府は北朝鮮と交渉したが無策無能であった。
会議室で、夜になった。
 マスコミに滋さんは言う。
「当分の間、北朝鮮にいく気はありません」
当分とは一年か10年か…? そして遺骨は偽者だとわかる。日本中が怒った。あとはいままでの通りである。戦略も情報ももたない日本に何ができるだろう? 横田夫妻たち拉致家族は05年猛暑の中、官邸前で座り込みまでする。しかし、「北が拉致を解決しないなら厳しい態度をとる!」……という小泉内閣は郵政法案なんかで時間を費やすのみだった…… 横田さんや有本さんたちには気の毒だが、無能な現・政権なんからの連中には何もできないのである。
 ここで誰かが、天才的な策略をもつ軍師がでてこなければ北朝鮮問題は解決しない。
(回想)横田夫妻はめぐみさんの朝鮮での写真をそっと撫でた。飛行機での不安な顔の写真だ。涙があとからあとから溢れ出てくる。めぐみのあらゆる思い出、走馬燈のように…早紀江さんの脳裏にめぐみさんの思い出が映っては消えた。
「めぐみちゃん………ごめんね。きっとお母さんとお父さんたちが日本に帰してあげる。きっと……」
大韓航空機爆破テロから二年後の1984年。めぐみさんは精神閉鎖病棟に入院させられていた。北朝鮮は、めぐみさんは精神病院に入院中に、首つり自殺をした……と主張していたが。のちに、退院して、朝鮮人男性と結婚し、娘を生み、その後、自殺した……と主張を変えていた。同室の朝鮮娘が主体思想と金正日万歳などと深夜に大騒ぎする。
「偉大なる金日成首領様と、敬愛なる指導者・金正日将軍様のご配慮で、十分な食事と衣服を受ける機会を得たわたしは、唯一絶対の主体思想に目覚めました。わたしは日朝の歴史をさらに学習し、日本帝国主義者及びアメリカ帝国主義者と戦い、アメリカの植民地である南朝鮮から南朝鮮人民を解放するために偉大なる金日成首領様と敬愛なる指導者金正日将軍様に終生変わらぬ忠誠を誓い、この命を捧げるためです。〝위대한 김일성 수령님과 경애하는 지도자 김정일 장군님의 배려로 충분한 식사와 옷을 받을 기회를 얻은 저는 유일하게 절대 주체사상에 눈을 떴습니다. 나는 일조의 역사를 더 배워 일본 제국주의자 및 미국 제국주의자와 싸우고 미국 식민지인 남조선에서 남조선인민을 해방하기 위해 위대한 김일성 수령님과 경애하는 지도 자금정일 장군님께 종생 변함없는 충성을 맹세하고 이 생명을 바치기 위해서입니다.〟」
「同志、同志! 今はおやすみなさいとの金将軍様からの命令です!〝동지, 동지! 지금은 잘자라고 김 장군님으로부터의 명령입니다!〟」
とめぐみさんは声をかけ、黙らせる。めぐみさんは、日本人拉致の仲間と話した。日本へ帰りたいならすべてを心の奥に隠して生きていくしかない……。
「リュ・ミョンスク(めぐみさんの朝鮮名)、退院だよ!〝류명숙, 퇴원이야!〟」
めぐみさんは精神科閉鎖病棟を退院の運びとなった。

横田夫妻はめぐみさんが帰国したら六本木ヒルズやディズニー・シーにもつれていくつもりだという。金正恩よ、めぐみさんや拉致被害者を帰せ! 被害者たちの思いは案外、簡単に解決するかも知れない。北朝鮮という異常な独裁国家が崩壊すれば……
 水平線に沈む太陽……
今から40年以上前、ひとりのいたいけな少女が拉致されて悲劇がおこった。このことだけでも我々は覚えておくべきだろう。けして、風化させてはならない。
結局、小泉外交は失敗した。外務省を通して「横田めぐみ」さんのものとされる骨壷が北朝鮮から届けられた。だが、別人のものとDNA鑑定でわかる。日本人はいかりに震えた。
 早紀江さんは夢を見た。京都駅の異様に長いエスカレーターを降りると、自分の実家へ、赤ん坊をおんぶしためぐみさんが訪ねたのだ。早紀江さんは声をかけた。
「めぐみちゃん! どうしたの? わたしの実家になんて……」
「お母さん!」
赤ん坊を背負ってめぐみさんは微笑む。
風呂で、早紀江さんはめぐみさんの背中を洗ってやった。
……あら。肌がかさぶたみたいになっている。栄養状態が悪かったのね。
「お母さん、わたし、赤ん坊がいるの。女の子よ」
「知ってるわよ」
「なんで?」
「だって、さっき、おんぶしていたじゃないの」
「ああ。そっか」めぐみさんは微笑んだ。
 次の瞬間、いない。次の日、早紀江さんは教会で祈った。拉致被害者は約882名(新しいポスター)。
 ラジオ放送の録音で早紀江さんは語りかける。
日本海の海岸で横田夫妻は海をしばらく眺めた。
「まだまだ」滋さんはつぶやくように言う。
「そう……まだまだよ。めぐみちゃんに会うまで……死ねないわ」
 滋さんはその後、死去された。北朝鮮で母親のラジオ放送を聞き、めぐみさんは号泣する。
 拉致の署名活動。早紀江さんは、訴え続ける……
 
「横田めぐみさんは生きている!」そう言っておわりとしたい。  おわり





横田めぐみさんの両親とキム・ヘギョンさんが初面会【北朝鮮・拉致問題】
横田めぐみ



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北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの両親、滋さん(81)と早紀江さん(78)が、めぐみさんの娘のキム・ヘギョンさんと、3月10~14日に、モンゴルで面会していたことがわかった。47NEWSなどが報じた。
北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん=失跡当時(13)=の父滋さん(81)、母早紀江さん(78)夫妻が、孫でめぐみさんの娘のキム・ウンギョン(ヘギョン)さん(26)とモンゴル・ウランバートルで10~14日に初めて面会した。外務省が16日発表した。
(47NEWS「横田夫妻と孫が初面会 拉致被害者めぐみさんの娘」より 2014/03/16 10:51)
めぐみさんの両親とヘギョンさんの面会は過去に検討されたことがあったが、両親は面会に慎重な姿勢を示してきた。今回、第三国で面会が行われたのは、北朝鮮当局と日本政府の間で調整が行われた結果と見られる。NHKニュースが報じた。
面会には、ヘギョンさんの家族も同席し、めぐみさんの夫とされるキム・ヨンナムさんが同席したとみられます。
政府関係者によりますと、横田さん夫妻は「孫に会いたい気持ちはあるが、北朝鮮国内で面会すると、ヘギョンさんが『母親は死亡した』と言わされるおそれがある」などとして、第三国での面会を希望していました。
このため、今月3日、日本と北朝鮮の赤十字の会談に合わせて行われた政府間の非公式協議で、横田さん夫妻とヘギョンさんの面会を巡っても話し合われ、外交ルートを通じて、面会する場所などの調整が行われていたということです。
(NHKニュース「横田夫妻とヘギョンさん面会 外務省が発表 」より 2014/03/16 11:07)
めぐみさんは、1977年11月に新潟市内で消息を絶ち、その後、拉致被害に遭ったと認定された。北朝鮮側は、めぐみさんは1994年4月に死亡したと説明。しかし、2004年に北朝鮮側が提出した、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部から別人のDNAが検出されるなど、北朝鮮側の説明には矛盾する点も多く、政府は生存しているという前提で即時帰国と納得のいく説明を行うよう求めている。
(時時刻刻)第三国で面会、日朝の思惑 横田夫妻が孫と面会
2014年3月17日05時00分
モンゴル・ウランバートルの迎賓館。横田めぐみさんの両親は今月、この施設内でキム・ウンギョンさんと面会した可能性がある=2007年9月、阿久津篤史撮影
 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親が、めぐみさんの娘とモンゴルで初めて面会した。北朝鮮は両親の訪朝を呼びかけたが、安倍政権は幕引きを図られかねないと、「第三国」での面会に動いた。安倍政権にとって拉致問題解決の新たな一歩となるのか。経済制裁の緩和を狙う北朝鮮は今後どう動くのか。▼1面参照
 ■夫妻に配慮、首相主導
 複数の政府関係者によると、今回の面会を主導したのは安倍晋三首相だった。
 北朝鮮に主導権を握られることを懸念する首相は、横田めぐみさんの父・滋さん(81)、母・早紀江さん(78)の両親が訪朝して面会することに慎重だった。しかし、拉致問題の解決に見通しが立たないなか、高齢となった横田夫妻に配慮。外交当局を通じて北朝鮮側に面会場所を第三国とするよう働きかけ、モンゴルでの開催に同意を得た。
 面会場所を提供したモンゴルは北朝鮮と国交があり、関係が良好とされる。安倍政権は戦略的にモンゴルとの関係を深めていた。首相は昨年3月にモンゴルでエルベグドルジ大統領らと会談し、拉致問題解決への協力を要請した。9月の大統領訪日の際にも私邸に招いて1時間余り懇談。異例の厚遇ぶりを見せた。
 日本政府は、北朝鮮が第三国での面会に同意した背景には、経済制裁の解除や支援への期待があるとみる。北朝鮮では経済状況が悪化しているとされ、政府関係者は「要求をのませるにはいいタイミングだった」と語る。
 北朝鮮の姿勢は変化し始めていた。今月3日、約1年半ぶりに中国・瀋陽市で行われた赤十字会談は、北朝鮮側からの提案だった。その際、外務省課長との政府間の非公式協議にも北朝鮮側は同意した。19、20日の赤十字会談の際に行われる見通しの次回協議で、局長級協議の再開に応じるのではないか、との見方も政府内にある。
 とはいえ、12年11月に開かれた前回の局長級協議で、北朝鮮側は「双方の歩み寄りが必要」との認識にとどめた。日本側が求める拉致被害者の再調査での合意には至っていない。
 また、北朝鮮への対応をめぐり、日本と米国の間にある温度差も不安材料だ。米国は核・ミサイル問題を優先する一方、日本は拉致問題も含めた包括的解決を掲げる。今月24日からオランダ・ハーグで核セキュリティーサミットが開かれる。日米韓の首脳会談が開催される可能性があるが、「主要議題は北朝鮮の核問題。米韓から拉致問題を優先する日本の姿勢が問われるかもしれない」(政権幹部)との声も出ている。
 ■北朝鮮、制裁緩和を意識
 北朝鮮は過去の日朝協議で、日本による制裁緩和や経済支援には、拉致問題の進展が不可欠との立場に理解を示していた。同時に、日本側は2012年11月以来となる外務省局長協議の再開には、世論を納得させる成果が必要との考えを示していた。
 こうしたなか、北朝鮮が切ったカードが、横田さん夫妻とキム・ウンギョン(ヘギョン)さん(26)の面会だった。北朝鮮は1月に訪朝したアントニオ猪木参院議員にも、平壌での面会を打診。今回、モンゴルという第三国での面会を認めたのも「日本との関係改善を見据えた戦略だ」と北朝鮮関係筋は指摘する。
 拉致問題の解決を最優先課題に据える安倍政権は北朝鮮にとり、ある意味では交渉しやすい相手だ。米韓などが最重視する核、ミサイルの開発問題の解決が見通せないなか、拉致問題の進展だけで、見返りを得られる可能性があるからだ。保守層を基盤とし、支持率も高い安倍政権の決断なら、日本の世論も収まるという思惑もある。
 北朝鮮は今年に入り、韓国との関係改善も積極的に推進。2月には約3年4カ月ぶりに南北離散家族の再会も実現した。肥料などの人道支援を期待しているとみられている。
 ただ、北朝鮮が最重視する米国との関係改善の見通しは立っていない。北朝鮮は昨年8月と今年2月、抑留する韓国系米国人の解放を巡り、米国務省のキング北朝鮮人権担当特使を招待しながら撤回した。見返りとして多額の現金を要求したほか、米政府高官の訪朝確約を求めて拒否されたという。
 北朝鮮では厳しい経済状況が続くが、故金正日(キムジョンイル)総書記から権力を継いで3年目に入った金正恩(キムジョンウン)第1書記は国民に対し、生活向上に向けた成果を示す必要に迫られている。来年は朝鮮労働党創建70周年も迎える。日本への期待は高まらざるを得ない状況だ。
 ただ、日米韓の間では、正恩氏の指導力や権力基盤に懐疑的な見方が強い。過去、米朝協議ではたびたび姿勢を転換し、米国側の不信を買った。
 日朝交渉は現在まで、金正日時代と同様の外交巧者ぶりを見せているが、どこまで対話に前向きな姿勢を維持できるか、はっきりしない。
 ■秘密の訪問に家族会理解
 北朝鮮による日本人拉致事件の中でも、1977年に13歳で拉致された横田めぐみさんは、日朝両国から拉致被害者の象徴的な存在として扱われてきた。
 北朝鮮側は2002年9月の日朝首脳会談で日本人拉致を認めて以来、日本側に伝えてきた調査結果や、蓮池薫さん(56)ら帰国した拉致被害者の証言などを通じて、集中的にめぐみさんの情報を伝達した。
 めぐみさんの北朝鮮の家族がメディアの取材に応じる場も設けられた。ウンギョンさんは02年10月、「おじいさん、おばあさんが会いに来て」と涙を流して訪朝を求めた。06年には、めぐみさんの夫だったとされる韓国人拉致被害者・金英男(キムヨンナム)さん(52)とともに記者会見し、めぐみさんの死亡を主張した。
 めぐみさんの父・滋さんは、日朝首脳会談の際に孫の存在を知らされてから、妻の早紀江さんとともに訪朝して会いたいとの意向を明らかにした。しかし、拉致被害者家族会が「訪朝すると北朝鮮に取り込まれる。家族と直接話せば、めぐみさんの死亡を認めさせられる」と反対。03年1月、家族会は横田さん夫妻が「現時点では訪朝しない」と、夫妻を含む全員一致で確認した。
 その後も夫妻は「孫だから会いたい」と機会を待ち続けた。昨年9月に横浜市であった講演会で、「孫に会うために訪朝したいか」と問われた滋さんは、「日朝交渉があって、政府が関与するならぜひ行ってみたい」と答えた。薫さんの兄で元家族会事務局長の透さん(59)は今年2月、滋さんに「もうそろそろ行動を起こしたらどうか」と促していたという。
 今回、横田さん夫妻は事前に訪問予定を明かさず、周囲には「京都に法事に行く」と告げて、秘密裏にモンゴルを訪れた。家族会メンバーや拉致被害者は驚きつつも、面会場所が北朝鮮ではなく第三国のモンゴルだったことや、夫妻が80歳前後の高齢であることから「会いたい気持ちはわかる」「拉致問題解決のきっかけになれば」などと理解を示した。

金正日(キム・ジョンイル)は病死して後継者は三男の金正恩(キム・ジョンウン)となった。長男の金正男(キム・ジョンナム)は後継者レースに敗れて東南アジアらを永らく放浪していたが、2017年2月13日にマレーシアの空港でVX毒ガスにより暗殺された。2014年の3月10日~14日にモンゴルのウランバートルという日本でも北朝鮮でもない第三国で、横田夫妻は孫のへギョン(ウンギョン)ちゃんと(めぐみさんの夫の姿なし)あった。ひ孫の赤ん坊も抱いた。が、めぐみさんは死んだ、と繰り返すのみ。2017年度11月15日は横田めぐみさんが13歳で、新潟で拉致されてから40年目であった。
横田夫妻は80代の高齢者となり、ほとんどの拉致被害者家族も高齢化している。横田早紀江さんも横田滋さんも高齢者で滋さんは認知症気味にまで悪化し病死なされた。もう、時間がない。拉致被害者家族にはもう一秒も無駄に出来ない。時間がない。
拉致被害者家族たちが生きているうちに拉致問題を解決しなくては! 
だが、北朝鮮の核兵器、ミサイル開発は、アメリカや日本などの徹底した経済制裁の中でも、金正恩は核ミサイル兵器に血眼になっている……何度も何度もミサイルを発射しアメリカや世界を恫喝する北朝鮮・金正恩……
こんな独裁国家、黄色いナチス北朝鮮、黄色いヒトラー金正恩などいらない。
我々は今こそ立ち上がろう! 悪を、北朝鮮を、倒すのだ!


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【拉致被害者家族めぐみさん父親・横田茂さん死去から五年①】小説・北朝鮮拉致横田めぐみ めぐみさんへ~めぐみさんは生きている!~拉致事件五十年目の真実

2025年06月05日 10時45分03秒 | 日記









小説 大河小説 北朝鮮拉致事件横田めぐみ
  めぐみさんへ

                        Reform of new north korea
   ~めぐみさんは生きている!~
拉致と国家間紛争の争いの果てに見えるものとは?
  プランナーストラテジスト・長尾龍虎による悲劇のヒロイン「横田めぐみ像」!
             悲劇のヒロイン「めぐみ」のすべて!
              total-produced&PRESENTED&written by
                   NAGAO Tatsutora
                  長尾 龍虎
                  
          plan is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.
 ”たとえ全世界を手に入れても、自らの魂を失ったなら何の利益があるだろう”                 アタイ伝16の26

      この国はどうなってしまうのか?

      都市盛衰の岐路に問う 警世の書







   あらすじ 1977年11月15日、新潟……横田めぐみさん(当時13)は北に拉致された。北朝鮮が本当に拉致を認めたのは90年代。それまで横田夫妻ら拉致家族は不安なまま過ごす。やがて小泉首相(当時)が訪朝し、蓮池さんや曽我さんらは帰ってくる。しかし多くの拉致被害者やめぐみさんは死亡とされた。2020年6月5日、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(当時13歳)の父、滋さんが亡くなったことがわかった。87歳だった。1997年に結成された家族会に加わり、初代代表を務めるなど被害者の救出活動で先頭に立っていた。世論や政府に拉致問題の解決を訴え続けてきたが、願いはかなわなかった。これはそんなめぐみさんに迫る小説である。
『人物表』大河小説 北朝鮮拉致と横田めぐみと北風と
横田滋………めぐみさんの父親。 横田めぐみ…拉致被害者
小島晴則…拉致問題の活動家 横田早紀江…めぐみさんの母親
真保節子…早紀江さんの友人 ボンボ…めぐみさん友達 
アイクニ…めぐみさんの友達 兵本達吉…拉致被害活動家
新潟県警キャリア…長尾龍虎 他

         1 拉致



 
     めぐみさんへの誓い


横田めぐみさんが生まれたのは1964年。ちょうど東京オリンピックが開催された年である。誕生日は10月5日という。生きてれば50代だ。めぐみさんの父親・横田滋さんは女の子がほしかったようで、母・横田早紀江さんも女の子を望んだ。生まれたのはやはり女の子だった。名前はめぐみ……悲劇ヒロイン・横田めぐみさんである。
 生まれてみるとめぐみさんは大きな赤ん坊で看護婦から「御所ちゃん」(御所人形みたいだったから)と呼ばれたという。そんな愛娘が13才のときに北の独裁国家に拉致された訳だ。はっきりいおう、金正恩は「黄色いヒトラー」だ! 倒さなければならない相手である。北は少なくとも金王朝に反対する20万人もの人々を虐殺している。ナチスと同じなのだ。めぐみさんはそんなかの地でどう生活しているのだろう?
 だが、めぐみさんは確実に生きていると私は思う。それは偽遺骨やらでわかる。あまりにも独裁国家の秘密を知っているから死んだことにしているのだ。経済制裁しかない!
 めぐみさんが拉致されたと報道されたのは1997年2月3日のこと。実名で公開されると反響は大きかったらしい。小泉訪朝まで動かしたのだから……
 しかし、甘いと思う。詳しくは後ろの「北朝鮮制裁」で触れるが、まずこういう異常国家はまともに相手にしないことだ。必ず謀略がまっている。
 ヒトラー金正恩を倒さない限り拉致も核も麻薬も偽札も人権弾圧もとまらない。われわれはああいう異常国家と対峙しているのだ…という自覚が必要なのだ。そして拉致被害者家族の焦燥感は理解出来る。2017年12月10日、曽我ひとみさんの夫のチャールズ・ジェンキンスさん(77)が死去し、増元るみ子さん(拉致時・24歳)の母親の信子さん(90)まで亡くなった。病気療養中の横田滋さんも死去。田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さんも死去された。有本恵子さん(生誕1960年1月12日(65歳)兵庫県神戸市 失踪 1983年8月 イギリス ロンドン 国籍 日本)の両親の有本明弘さん、有本嘉代子さんも亡くなった。親世代ではめぐみさんの母親の横田早紀江さんたったひとりとなってしまった。早紀江さんもどうなるかわからない。高齢であるのだ。拉致被害者家族にはもう時間がない。どんな汚い手をつかってでも拉致被害者を取り戻すしかない。
だが、ある学者が言うような「拉致されたのは日本の自衛隊の防衛が駄目だったから。自衛隊が北朝鮮から拉致被害者を取り戻すべき」とか馬鹿なことは思わない。戦争をしろと?いうことか?
まずは対話と圧力だ。経済制裁という兵糧攻めで北朝鮮に「ミサイル開発核兵器開発をやめるから話をきいてくれ」という戦略だ。
北朝鮮とはもう20年近く話し合った。
だが、何も解決せず、騙されただけだった。異常国家との話し合いなど無駄だ。まずは兵糧攻めで白旗を挙げさせるしかない。それが戦略次第という意味である。
戦略なくして平和なし。
北への兵糧攻めとパルス攻撃とサイバー攻撃とパトリオット2000発米軍先制攻撃だ。敵基地攻撃は避けられない。
北の悪魔を排除するしかない!
今は兵糧攻めで北朝鮮から「核とミサイル開発をやめますから話し合いを…」ともっていかねば何もかもおわりじゃないか?
横田めぐみさんの偽遺骨事件や拉致問題を忘れたのか?
何事も現実主義で。綺麗事は自費出版の本にでも書けばいい。我々こそ現実を見よう!勿論、戦略にはアップサイド(よくいったケース)だけではなくダウンサイド(悪くなったケース)も必要だ。
北の核攻撃で韓国のソウルや日本の東京で200万人規模の死傷者が出る。それをどう防ぐのか?
北も馬鹿じゃない。核兵器を放棄したらリビアみたいになる…金正恩は核兵器を放棄しないだろう。
北はアメリカと交渉したくて武器開発に血眼になっている。最悪のケースを考えない戦略など糞だ。
では、日本はどうでるか?
北が抵抗も出来ないくらいの兵糧攻め+パルス攻撃とサイバー攻撃で北の息の根を止める……のと平行して対話(しかも極秘対話)の道を模索する。しかも、まったくアジアにも日本にも韓国にもアメリカにも北朝鮮にも関係ない「第三国の王族・国主」とかにケリをつけてもらう。
見返りは金正恩政権の所領安堵でも何兆円かの大金でも何でもイイ。
金正恩のロシアやサウジやハワイへの亡命と命の保証と生涯老死するまで贅沢隠居待遇でもいい。
戦略とは最悪を常に考えて練るものだ。
北朝鮮に核攻撃されて200万人が死ぬより、金正恩に数兆円とロシアでの贅沢隠居でもいい。
殺されるより、そういう道で解決してもいい。
こういう戦略が日本人は苦手だ。何でもアップサイドだけでダウンサイドを忘れる。
現政権にこういう戦略があるのか?と、いったらないと断言できる。まさに戦略次第。兵は軌道なり!である。

この物語の参考文献・資料文献は漫画「めぐみ」原作・監修・横田滋氏・横田早紀江氏著作、作画・本そういち氏著作、映画『めぐみへの誓い』(2020)などからです。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作ではなく引用です。




海。海岸。2002年――――。
拉致被害者・横田めぐみさんの御両親の横田滋さんと横田早紀江さんは無言で、日本海を見ていた。もう老人で、白髪頭や刻まれた皺が痛々しい。
めぐみちゃん! きっとお父さんとお母さんが日本に連れて帰るわ。
いつものように署名活動で街頭で訴えをする横田夫妻と支援者……
だが、途中で、左翼か何かの無知な若者らが、差し出したチラシをばん! と弾き飛ばした。
「あんたらいい加減にしなよ。これは〝北朝鮮差別〟だろ?」
「拉致だ! ……って日本軍だって戦争中に朝鮮半島や中国大陸のひとたちを騙して連れてきて『従軍慰安婦』(性奴隷)や『徴用工』(奴隷労働)で酷いことしたじゃないか?」
「それは歴史の誤解で……確かに、ある程度の侵略や強姦や虐殺はあったが……日本軍が酷く悪いことを沢山した……というのは戦争の誤解で真実じゃない」
「じゃあ、『従軍慰安婦』も『徴用工』もいなかった、って?」
「あのねえ。アフリカでは子供たちが飢餓で何万人も死んでんのよ。それを無視してほっといて、『北朝鮮の拉致』って。証拠があっていってんの?」
「………」あまりの無知に、横田夫妻は言葉を飲んだ。
 救う会が、署名活動を休憩して、公園のところで水筒のお茶を飲み、食べていると、
 若い娘さんが、「あのひと有名人よ」
 とはしゃいだ。「だめよ」数人の娘さんはからかうような嘲笑で歩き去った。
 早紀江さんは大きくため息をつき、「わたしは有名人になんかなりたくなかったわ。ただ、めぐみちゃんに会いたいだけ」
回想1974年海岸。浜辺を走る少女めぐみと双子の弟……横田夫妻も若い。笑顔で写真を撮る。途中いなくなり……めぐみちゃん?……いた。
1976年5月辛光洙(シン・グァンス)が秋田の海岸から密入国した。妻・夏仙は薄暗い海岸で出迎えて、ハグをする。「……兄をたすけて。協力したら強制収容所から出してくれるって約束でしょう?」「わかってるって」辛は、ラジオの暗号を解読した。定期的に、ラジオ放送で、北朝鮮が暗号電波を発信しているのだ。

「もう、いいでしょう? 散々、手を貸してきたでしょうが。もうやりたくない」
「そうはいかないなあ。駄目なら〝共和国(北朝鮮の事)〟にいるお姉さんが死んじゃうよ?」
「……」在日の社長は言葉を飲み込んだ。
「うぐあ……」
在日の会社工場社長を脅し、従業員の日本人男性をコーヒーに入れた睡眠薬で眠らせ、北へ運んだ。(辛の命令)
田口八重子さんの拉致も、辛の命令である。

「八重ちゃん!」
「田宮さん。またこの居酒屋? まあ、美味しいけどね」ほほ笑んだ。
 もう夜中で、田口八重子さんは派手な服装であった。
「田宮さん。子供は……好き?」
「どうして?」
「わたし実は子供がふたりいるのよ」
「へえ。いくつ?」
「長女が三歳で、長男が一歳」
「へえ。いいじゃん。可愛い盛りじゃんねえ」
「ありがと。でも、シングルマザーだけどね。離婚したのよ」
「へえ。八重ちゃん、偉いねえ」
「あはは。ありがと。じゃあ、わたし、ちょっと行くね。下の子供が熱を出しててね」
日本人の恋人・田宮(本当は北工作員)に騙され、北へ、田口八重子さん(子供・姉三歳と弟一歳を残して)も拉致られて、連れていかれた。
 

横田めぐみさんが拉致されたのは1977年11月15日……新潟県新潟市水道町でのことだった。11月にしては穏やかな暖かい日だったという。(著者は7才)
 そのときは拉致とはわからず失踪扱いだったという。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という。そして拉致から20年たった1997年1月21日……双子の弟の哲也の結婚が決まった。「おめでとう! 早紀江さん」近所のオバさんたちは祝福した。しかし、早紀江さんはいつも愛娘・めぐみさんのことを思い、陰で泣いていたという。神に祈った。神様仏さま…… どうかめぐみが生きてますように…
 誕生の1964年は東京オリンピックの年だった。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という。まだ小さい。めぐみさんは13歳だったという。
 めぐみさんの父親・横田滋も、母・横田早紀江さんもまだ若かった。
「おはよう…お父さん」
 めぐみさんは中学校の制服でバトミントンのクラブをもっていた。「ああ、おはようめぐみ」新聞を見ながら滋さんはいった。
 すぐに友達の女の子が「ヨコー! おはよ~っ!」とくる。
「まって! すぐいくわ!」
 めぐみさんはいつものように玄関から出ようとした。早紀江さんが「今日は暖かいけど夕方寒いよ。コートもっていきなさい」という。
 めぐみさんは「ん~どうしようかなぁ。今日はいいや。置いてく……じゃあ行ってくるね」と友達と出掛けた。それが……めぐみさんの家族たちが見た最期の姿である。
 そしてまた1997年……
 早紀江さんは複雑な心境だった。あの頃…小学生だった拓也も哲也ももう結婚である。時間がどんどん過ぎていく。めぐみちゃんのことはけして忘れてはないけれど……
 寒い日だった。もう還暦の横田夫妻は東京付近のマンションに住んでいた。滋さんは元・日銀マンである。「ただいま。あら?」
 夫の滋さんがソファで深刻な顔して座っている。「どうしたの? お父さん?」
「実は……今日……不思議なことがあったんだ。」
「不思議…」早紀江さんはオウム返しにきいたという。「不思議なことって?」
「実はめぐみが……北朝鮮で生きているそうなんだ…」
「え?! まさか!」
 滋さんは深刻な顔のままだ。「ある議員の秘書の方から連絡があった…」
「じゃあめぐみちゃんは生きてるの?!」
 夫妻は年寄りとなり白髪頭だ。「20年前に行方不明になってから以来……情報らしい情報といえばいいが…本当なのかは…」
「めぐみちゃんが!」早紀江さんは老眼鏡を落としそうになるくらい動揺した。めぐみは北の工作員に拉致された……?? めぐみ!
 早紀江さんは20年前を思いだしていた。
 あのときドォーン! という大きな音がした。夜だった。双子の弟たちもびっくりしたという。「いまの何の音?」若き早紀江さんは不気味がった。双子は「飛行機でも落ちたの?」とラジオをつけてみる。何もない……もう夜の7時をまわったところだった。
「ねぇ、お姉ちゃん、今日何かいってなかった? こんなに遅くなるなんて…」
「何もいってないよ」
「変ねぇ?」
 若き早紀江さんは不安になって外出した。「お母さん、学校までいってみてくるわ」
 隣のお婆さんがみかけて声をかけてきた。
「あら? どこかへお出掛けですか?」
「はい」若き早紀江さんは動揺しながらも「めぐみがまだ帰ってこないので学校まで向かえにいきます」と答えた。もう真っ暗で街灯が光っていた。学校では体育館などに明りがついていて練習をしていた。「なんだ。まだバトミントンの練習してたんだ…」
 覗いてみた。若き早紀江さんは動揺した。めぐみちゃんが……いない!
 体育館のバトミントンの練習をしていた生徒は夕方六時には帰ったという。いよいよおかしい。若き早紀江さんは娘の友達の家にもいってみた。いない! まず帰宅してみた。「お姉ちゃん、帰ってない?!」
 双子は「いないよ。どうしたの?」と動揺する母親にきいたという。
「どうしたんだろう? 学校にもいないのよ」
 若き早紀江さんは電話をかけた。バトミントン部の顧問だった佐藤明雄さんだった。
「え? 横田さん? まだ帰ってないんですか? 変だなぁ。門のところで皆とわいわい笑ってたんだけど……中学生くらいになりますと寄り道も多くなるでしょう? もう少しまってみたらどうですか?」
 しばらくまってみた。しかし帰ってこない。
 若き早紀江さんはもう一度、佐藤さんに電話した。「まだ帰ってない?! じゃあぼくも探してみます」
 母親は夜道で泣く双子を連れて探し歩いた。「めぐみちゃ~ん! どこ~っ!」懐中電灯の明りでなんとか見えるくらい暗くなってきた。双子たちはえんえん泣く。
 若き早紀江さんは荒波の日本海までやってきた。どこにもいない。帰宅すると先生がまっていた。「横田さん! まだ帰りませんか?!」
「はい」
「すぐに警察に知らせたほうがいいのではないですか?」
 そんなとき家の黒電話が鳴った。滋からだった。「あ、私だけど…歓迎会がおわってね。これから麻雀をするので…」
 若き早紀江さんは我鳴った。「お父さん! それどころじゃないわ! めぐみがまだ帰ってきてないの! すぐ戻ってきて!」
「めぐみが……いかんな。わかった」滋さんは狼狽してジャン荘から戻ることにした。

北工作員二人は、下校途中の薄暗い道でめぐみさんを拉致った。そして、船に乗せて、北へ向かう。密航。暗闇。明かりを消しての行動だ。めぐみさんが動かない。
「内臓破裂か?」辛が工作員にめぐみさんを海に捨てろ、と命令した。
「しかし、遺体が沖にあがったら……」
「大丈夫だ。沖に遺体が上がっても、自殺か事故で日本警察はおわり、だ。日本の警察はそういうところだ」
だが、めぐみさんが生きていた。
「生きていやがったのか! 鬼の日本人の子供め。朝鮮半島を植民地にした日本人のせいで『朝鮮戦争』は起こった。何万人もの朝鮮人女性をさらいまくり、『従軍慰安婦』として〝性奴隷〟にし、何万人もの朝鮮人男性を『徴用工』として奴隷労働をさせた。おれは日本人が許せない。謝罪しろ! 賠償金を払え!」
日本人への恨み節の北工作員たちだった。
「やめて! お母さんの所へ帰して! お願い! 帰して!」
目覚めためぐみさんを船底へ押し込んだ。
横田めぐみさんはその夜、北朝鮮の船の船底に閉じ込められた。
「お母さん! 助けて! お母さん!」
 しかし助けはこない。暗く寒い船底に閉じ込められていた。「お母さん! 助けて! お母さん!」めぐみさんは制服のまま、船の底を手でかきむしった。血がでた。
「助けて! お父さん! お母さん!」
 しかし誰も助けにはこなかった。北の独裁国家へと……船は向かっていた。
北朝鮮・清津(チョンジン)港。めぐみさんは、指の爪がはがれ出血していた。
「爪がはがれたのか? 痛いか?」
「いいえ。ここは?」
「まあ、車に乗れ」
早朝、港から車へ乗せる辛と工作員は、招待所(ツォデソ)についた。そこでは、例の拉致日本人男性(元・工場労働者)が暴れていた。辛は、頭突きをする。男性を、さらに工作員は殴る蹴る。辛は、めぐみさんを脅した。ここで、朝鮮語を学べばお母さんの下へ帰してあげる、と騙した。
「……ここは韓国ですか?」
「いや、違う。朝鮮民主主義人民共和国だ」
「……北朝鮮……」
「北朝鮮。ではなく「共和国」といいなさい。ここで、偉大なる領主さま金日成主席さまと、敬愛なる指導者である金正日将軍さまのことを学び、主体思想や朝鮮語を学べばいずれ日本へ帰れるぞ」
「本当……ですか?」
「ああ。本当だ」
日本への恨み。洗脳と脅し。制服のめぐみさんを着がえさせる。中学の制服とバドミントンのラケットとかを没収した。……未来への希望?
 1978年新潟近郊では横田夫妻が「行方不明のチラシ」を電柱に貼っていた。
 季節は流れて……
「腕時計? めぐみはしていないです」警察からの死体確認で、早紀江さんは答える。
 本当に、辛い時期である。やはり、めぐみは死んでいるのか?
 ………めぐみちゃん!  どうか生きていて!    


         2 めぐみ。






  横田めぐみさんが拉致されたのは1977年11月15日……新潟県新潟市水道町でのことだった。11月にしては穏やかな暖かい日だったという。(著者は7才)
 その時期は拉致とはわからず失踪扱いだったという。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という。そして拉致から20年たった1997年1月21日……双子の弟の哲也の結婚が決まった。「おめでとう! 早紀江さん」近所のオバさんたちは祝福した。しかし、早紀江さんはいつも愛娘・めぐみさんのことを思い、陰で泣いていたという。神に祈った。神様仏さま…… どうかめぐみが生きてますように…
  1964年は東京オリンピックの年だった。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という。まだ小さい。めぐみさんは13歳だったという。
 めぐみさんの父親・横田滋も、母・横田早紀江さんもまだ若かった。
 10月5日、早紀江さんは出産した。女の子だった。
 早紀江さん(当時28歳)滋さん(当時31歳)だった。「はじめてのお子さんね。でも、女の子ですよ」
 早紀江さんは赤ん坊を抱いてみた。「赤ちゃんってこんなに重いのかなぁ?」
「え? そんなに重いの?」滋さんも抱っこしてみた。「ほんとだ」
 看護婦は「健康な赤ちゃんですね?」という。
 滋さんは名前を考えた。
「名前はひとみかめぐみ…この娘はひとみって感じじゃないな。そうだ! めぐみだ!
横田めぐみ! いい名前だ」
「まあ、あなたったらもう親バカ?」ふたりは笑った。
 そして1977年11月15日……滋さんはタクシーで自宅に向かっていた。
「麻雀すまなかったねえ」
「いいえ。麻雀なんていつでもできますから……それより娘さん心配ですね?」
 滋さんは不安な顔のまま「すぐ帰ってくると思うけど…」という。
 夫婦と先生で探してみた。しかし、いるはずもない。
 先生は暗くなった校舎を探しまわった。滋さんも早紀江さんも探した。しかし見付からない。当たり前である。めぐみさんは北へつれていかれたのだから。
 しかし当時は拉致など知られてなかった。滋さんは警察に電話した。
「すぐきてくれるそうだ」肩をおとした。
 早紀江さんは狼狽しながら「家出かしら…? そういえばめぐみはバトミントンの強化選手に選ばれて大変だっていってたわ……そのプレッシャーから…」
 滋さんはいう。「それはないだろう。そうだ! 小学校時代の広島には友達がいっぱいいるはずだ! そこではないかい?」
 早紀江さんは希望をつかみたくて電話してみた。やはりいない。
 滋さんは不安にかられた。「めぐみは汽車のキップを買ったことないし、そもそも今日がこずかいをあげる日だ。家出なら……こずかいをもらってからいくだろう?」
 そんなとき警察がきた。「横田さん。新潟中央署のものです!」
 めぐみさんはそれまで一度も寄り道も学校を休んだこともないという。警察は警察犬をつかった。身の代金目当ての誘拐と思った……交通事故かも…?
 しかし犬は匂いを見失う。家から1、2分のところだった。横田夫妻は動揺を隠せない。警察は横田夫妻の電話に録音機をつけて時をまった。犯人が誘拐電話をかけてくる時を…「今日はいったん警察のほうは捜査を打ち切ります。明け方から再開しますので今日はお休みください」警察はいう。もう深夜だった。盗聴組はもちろん身をすくめている。
 夫妻はふとんにはいった。眠れる訳はなかった。
 早紀江さんは狼狽しながら「家出かしら…? そういえはめぐみはバトミントンの強化選手に選ばれて大変だっていってたわ……そのプレッシャーから…自殺かも…」
「いや。あの子は広島にいたころ溺れかけたことがある。そういう子は自殺…しない…自殺なんかする訳ない…」滋さんは目をぎゅっとつぶった。めぐみ!
 その前日は滋さんの誕生日だった。つまり11月14日だ。
 めぐみさん(当時13歳)は父親に櫛をプレゼントしたのだった。
 ……あの子が自殺や家出なんかするはずない! そして…20年の時が流れた…
 1997年1月27日……
 衆議院議員秘書をしている兵本達吉さんから電話があった。「めぐみが…生きている?!」白髪頭となった横田滋さんは驚愕してしまった。

  横田夫妻が東京品川区大井に住んでいた頃。めぐみさんの弟がうまれた。双子だった。「あら? みーたん(めぐみさんの愛称)おしめどうするの?」
 若き早紀江さんは洗濯ものを干しながらきいた。まだめぐみさんは小さい。「いいの。ちょうだい!」そういって外出した。驚いた。大きな蛙にオシメをして抱きながら遊んでいたからだ。近所のガキどもが「キモい! キモい!」という。しかし、幼いめぐみちゃんは無邪気に遊んでいる。横田夫妻にとってめぐみちゃんは太陽のような存在だった。
  そして1977年…翌日の16日には県警の機動隊もかけつけて薄明りの午前5時頃から捜査がはじまった。しかし、何もみつからず。夫妻は涙枯れるほど流した。
 …一週間後、誘拐の線は薄いと判断した警察は公開捜査に踏み切った。
 この少女を探してください…横田めぐみ…
 テトラポットの隙間を巡視船が、ボランティアのダイバーたちがテトラポットの底まで潜ってもみた。新潟県警最大規模の大捜査になった。しかし、みつかる訳はない。
 刑事たちは張り込みを続けた。夫妻は心配のあまり眠ることもままならない。
 夜になるとふとんで泣いてばかりいた。
「厳しくしつけ過ぎたのかしら? あの時……だってめぐみは…」
 早紀江さんは泣いた。滋さんも泣いていた。めぐみさんはバトミントンの強化選手に選ばれて「やだな~断ろうかなぁ?」などといっていたという。「あのとき、相談に乗って…れ…ば…手をかしてれば…」
「いや、あの子はそんなことで家出なんかする子じゃない。きっと…めぐみは生きているさ……自殺も家出もない…」
「なら…めぐみは生きてるのかしら?」
「きっと…」
 滋さんはお風呂で男泣きして暮らし、母親の早紀江さんもひとしれず泣いてばかりいたという。もうこの苦しみから逃れたい…でも、息をとめてみても悲しい朝はやってくるのでした。悲しい日々……
 そして1997年1月27日、共産党参議院議員橋本敦の秘書・兵本達吉という初老の眼鏡をかけたオッさんがめぐみさん生存情報を掴んだ。
 それをもどること1987年11月29日、大韓航空機事件がおこり、蜂谷真由美と名乗る金賢姫が捕まり証言していた。李恩恵という日本人拉致被害者が話題になった。
 兵本達吉は横田滋さんを事務所まで呼んで知らせた。「1980年1月7日にサンケイ新聞の朝刊一面を飾った日本海アベック蒸発事件……それから私は拉致問題を研究してきた。これを読んでほしい。横田さん」達吉はペーパーを渡す。
「その文章とお宅のめぐみさんが重なると思う。朝日放送の石高健次というひとが書いた現代コリアの記事がファックスで送られてきたんだ……めぐみさんらしい」
 滋さんはみた。”残酷なものだ。子供なのである…””十三歳の少女が…”
 動揺した。白髪頭の滋さんは「めぐみに間違いない!」と思った。しかし、日本海の新潟のどこの浜かは書かれてない。少女はクラブの帰りだった。海岸から脱出しようとした工作員が目撃されたために捕まえて帰ったのだという。朝鮮語をマスターした。そうしたらお母さんたちのところへ返してくれると嘘をつかれて……それがかなわないとわかり精神に異常をきたしたという。
 ……めぐみ! これはめぐみに間違いありません!

  横田滋さんはめぐみさんを写した写真……例の桜の前での…をみつめて泣いた。あのとき、娘は風疹のあとが顔にあるから写真はやだといったのだ。しかし、桜が散ってしまうからと撮影したのだ。制服姿の……
 兵本のもとにサンケイ新聞の阿部雅美という男がやってきた。そして、事件は公になる。

北朝鮮に拉致られた田口八重子さんは、人里少ない山の中の招待所に監禁され、酒浸りになっていた。幼い子供を日本に残しての拉致であった。
「……教師になれ」、と北朝鮮工作員や辛からいわれた。
八重子は笑った。
「わたしはキャバクラのホステスだったのよ。それが教師? 冗談!」
だが、金賢姫のちのテロリストの日本語家庭教師であった。
めぐみさんは数年後、朝鮮語を数年間でマスターした。
季節が変わり、寒い冬に暑い夏……数年……四年経って、やっと朝鮮語をマスターした。独学であった。
「よし。朝鮮語で話してみなさい!〝좋아. 한국어로 말해보세요!〟」
 制服の辛が椅子に座って、金日成バッチをしためぐみさんに命令する。
「われわれは必ずわれわれの世代に南朝鮮革命を完成し、そして統一した祖国を後代に渡さなければならない。〝우리는 반드시 우리 세대에 남조선혁명을 완성하고 통일한 조국을 후대에 넘겨야 한다.〟」
「よし! いいぞ。わが朝鮮労働党の四大原則は? 〝좋아! 괜찮아. 우리 조선노동당의 4대 원칙은?〟」
「神格化、信条化、継体化、無条件性、です。〝신격화, 신조화, 계체화, 무조건성입니다.〟」
「よし。君が朝鮮語を学んでいる理由は?〝좋아. 네가 한국어를 배우는 이유는?〟」
「偉大なる金日成首領様と、敬愛なる指導者・金正日将軍様のご配慮で、十分な食事と衣服を受ける機会を得たわたしは、唯一絶対の主体思想に目覚めました。わたしは日朝の歴史をさらに学習し、日本帝国主義者及びアメリカ帝国主義者と戦い、アメリカの植民地である南朝鮮から南朝鮮人民を解放するために偉大なる金日成首領様と敬愛なる指導者金正日将軍様に終生変わらぬ忠誠を誓い、この命を捧げるためです。〝위대한 김일성 수령님과 경애하는 지도자 김정일 장군님의 배려로 충분한 식사와 옷을 받을 기회를 얻은 저는 유일하게 절대 주체사상에 눈을 떴습니다. 나는 일조의 역사를 더 배워 일본 제국주의자 및 미국 제국주의자와 싸우고 미국 식민지인 남조선에서 남조선인민을 해방하기 위해 위대한 김일성 수령님과 경애하는 지도 자금정일 장군님께 종생 변함없는 충성을 맹세하고 이 생명을 바치기 위해서입니다.〟」
「よし。よく朝鮮語をマスターした! よくやった!」
「あのお。……わたしはいつになったら日本に帰れ……いえ、行けますか?」
「それはまだわからない」
「でも……四年前に辛さんが……約束を……」
「そんな約束はしていない!」
「〝朝鮮語〟をマスターしたらお母さんのところへ帰してくださる、と! お約束を!」
「……知らない。日本人はこれだから困る。」
「約束したはずです! 帰して! 日本へ帰して!」
辛に、日本に帰して、とめぐみさんは訴えた。だが、拒否される。朝鮮語で金日成・金正日の崇拝言葉。主体思想。日本には帰れない、と知ると、めぐみは発狂してしまった。
辛たちは、日本の戦争の罪をなじる。従軍慰安婦問題は「陰で日本人の小説家が作った」と鋭い。徴用工問題も驚くほど真実を知っていた。
辛と、田口八重子(李(リ・)恩恵(ウネ))とめぐみは、精神病院前ですれ違った。
八重子は、金(キム・)賢(ヒョン)姫(ヒ)の日本語教育の教師になっていた。
そうして、その後、金賢姫は大韓航空機爆破テロ事件を起こす。日本人の〝蜂谷真由美〟と称してのテロ事件であった。金賢姫は逮捕され、死刑の求刑を受けたが、のちに恩赦され、韓国に亡命した。金賢姫は今でも田口八重子(李恩恵)の生存をしんじている。







         3 情報






「厳しくしつけ過ぎたのかしら? あの時……だってめぐみは…」
 早紀江さんは泣いた。滋さんも泣いていた。めぐみさんはバトミントンの強化選手に選ばれて「やだな~断ろうかなぁ?」などといっていたという。「あのとき、相談に乗って…れ…ば…手をかしてれば…」
「いや、あの子はそんなことで家出なんかする子じゃない。きっと…めぐみは生きているさ……自殺も家出もない…」
「なら…めぐみは生きてるのかしら?」
「きっと…」
 滋さんはお風呂で男泣きして暮らし、母親の早紀江さんもひとしれず泣いてばかりいたという。もうこの苦しみから逃れたい…だが、息をとめてみても悲しい朝はやってくる。 悲しい日々……
 そして1997年1月27日、共産党参議院議員橋本敦の秘書・兵本達吉という初老の眼鏡をかけたオッさんがめぐみさん生存情報を掴んだ。
 それをもどること1987年11月29日、大韓航空機事件がおこり、蜂谷真由美と名乗る(キムヒョンヒ)金賢姫が捕まり証言していた。李恩恵という日本人拉致被害者が話題になった。
 兵本達吉は横田滋さんを事務所まで呼んで知らせた。「1980年1月7日にサンケイ新聞の朝刊一面を飾った日本海アベック蒸発事件……それから私は拉致問題を研究してきた。これを読んでほしい。横田さん」達吉はペーパーを渡す。
「その文章とお宅のめぐみさんが重なると思う。朝日放送の石高健次というひとが書いた現代コリアの記事がファックスで送られてきたんだ……めぐみさんらしい」
 滋さんはみた。”残酷なものだ。子供なのである…””十三歳の少女が…”
 動揺した。白髪頭の滋さんは「めぐみに間違いない!」と思った。しかし、日本海の新潟のどこの浜かは書かれてない。少女はクラブの帰りだった。海岸から脱出しようとした工作員が目撃されたために捕まえて帰ったのだという。朝鮮語をマスターした。そうしたらお母さんたちのところへ返してくれると嘘をつかれて……それがかなわないとわかり精神に異常をきたしたという。
 ……めぐみ! これはめぐみに間違いありません!

  横田滋さんはめぐみさんを写した写真……例の桜の前での…をみつめて泣いた。あのとき、娘は風疹のあとが顔にあるから写真はやだといったのだ。しかし、桜が散ってしまうからと撮影したのだ。制服姿の……
 兵本のもとにサンケイ新聞の阿部雅美という男がやってきた。そして、事件は公になる。  横田夫妻のもとに朝日放送報道局(当時)石高健次というひとがカメラをつれてやってきた。メディア・スクラムである。「カメラまわしますので…」
「はあ、横田です」
「初めまして妻の早紀江です」
 石高が情報を得たのはその一年前、1995年6月23日だったという。ある工作員の取材で安全保証部員の元工作員と話した。13人の日本人拉致者がいるという。しかも13歳くらいの少女まで拉致されたという。男は本当のことをいっているようだった。
 関西訛りの石高は情報を探った。そして、捜査段階として現代コリアに少女拉致の記事を載せたのだった。それがヒットした。現代コリア研究所の佐藤勝己氏からの調査でもめぐみさんに間違いないという。
 横田夫妻は動揺した。早紀江さんはめぐみちゃんが羽織りを着て少しだけ口紅を塗ったときの写真をながめていた。涙がでてきた。滋さんも泣いた。
「しかし私がゆうてるのは情報で……事実とは…しかし工作員にあってみますか?」
 夫妻は「是非会いたい!」という。重たい。ソウルでもどこでもいくという。
 しかし、記事になり公になれば拉致被害者たちは殺されるかも知れない。
 経済制裁をしても同じ不安は募る。だが、横田さんたちには時間が限られている。もう還暦を過ぎているのだ。横田夫妻はひさしぶりに新潟へと新幹線で向かった。
 もう家はない。門があるだけだった。実名報道すれば命の危険があるのはわかっていた。しかし、そのほうが拉致問題は進展すると思った。ふと、昔のことを思った。
 昔、めぐみさんが幼い頃、同級生たちと漫画を描いていたことだ。…ドイツに花咲く娘たち……スパイ漫画だった。将来は漫画家? ふふ、歌手じゃなかったのかい? 夫婦は笑った。するとめぐみさんは赤くなったという。
 となりのお婆さんにあげた蕾の山茶花(さざんか)ももう大きくなっている。
「めぐみちゃん……あともう少しまっててね……きっと取り返すわ」
 こうして1997年2月3日……雑誌「アエラ」と産経新聞一面トップに横田めぐみの実名と写真が大きく報道された。
 もう白髪まじりの横田夫妻は雑誌をマンションで読み、感慨深い様子だったという。
「本当によかったのかしら…?」
「20年間何も分からなかったんだ。少しでも前身しないと…何もわからなくなる。ふたりとも年を取り過ぎたんだよ」そしてマスコミはスクラムを組んでやってくる。大袈裟なことが好きで飽きやすい日本マスコミはそのときだけ集中的に報道した。まるでその後のホリエモン報道のように。横田夫妻はソウルへと飛び、安明進工作員と会談した。安は最初、少女だった被害者の親とあうのを嫌がったという。恨まれる……しかし、情に負けてあった。彼は05年に日本の国会質疑でも答弁して「拉致はあった。金正日は悪魔だ」とハッキリいっている。彼は平譲でめぐみさんを見掛けたのだという。拉致工作員の教官がいて、ホールでみたという。その頃、めぐみさんは二十代頃だったという。彼女は生きている!





4 小泉首相(当時)訪朝とめぐみさん偽死亡情報






  小泉は胡錦濤中国国家主席とジャカルタで会談した。
 05年4月のことである。
 両国声明で、日中友好回復は世界の緊張緩和に役立つと述べられた。
 小泉はいう。
「中国問題に対する日本の考え方は、胡錦濤中国国家主席に十分満足してもらうことができた。まえの反日暴動にも陳謝してはもらえなかったが、わかってるはずだ」
 中国の小泉評価は、エネルギッシュで話しやすい男だ、といったところだったという。 小泉は、日朝国交回復の旅にでれば只ではすまないと思っていた。
 右翼が「国賊小泉純一郎」と宣伝し、ビラをまくし、小泉が演説中も不審な人物がみつかり、その人物は刃物を隠しもっていた。
 また、事務所に「小泉にあわせろ!」などと怒鳴り込んでくる男もあとをたたなかった。 また韓国や中国で反日デモがおこる。しかし小泉は靖国神社に参拝し続けた。
 小泉は北朝鮮にいくときいう。
「日本国の総理大臣として行くのだから、土下座外交はしない。国益を最優先して、向こうと丁々発止とやる。いよいよとなったら決裂するかも知れんが、そのすべての責任は俺がかぶる」
 反北主義の日本では、北朝鮮にいくことなどタヴーだった。
 ……しかし、カーターだっていった。
 小泉は強く思った。
 ……おれが拉致問題を解決するんだ!
 小泉が平壌に出発する日には、暗殺を計った男が警視庁に逮捕されている。血判つきの抗議文を懐に、猟銃と刃物で狙ったのだ。
 犯人は右翼の青年だったという。
 その朝、珍しく寝坊した小泉は、わかめの味噌汁、漬物などの朝食を食べ、縁側の椅子で”小泉訪朝”の新聞記事に目を通した。
 そこへ息子たちがやってきた。
「待ってたんだ。待ってたんだ」
 すぐ顔を笑みで崩して抱きしめる小泉。
 ヘリコプターが官邸邸の上空近くを飛んでいる。マスコミだろう、小泉は思った。
 玄関に小泉が出ると、万歳三唱がおこった。

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