努力が継続できない人間は、誰かのせいや病気や障害のせいにする。まあ、楽なほうに逃げているだけだ。確かに、知的障害やうつ病にアスペルガー症候群……病気や障害で本当に「努力継続」ができないひともいるかも知れない。
どうすれば「努力継続」「研究」ができるのか? ちょっとコツを伝授します。
努力継続のほうは「好きだと思う」と前述したが、「研究」のほうはとにかく「何故だ?」と考えよ、ということ。例えば、教科書に微分積分の説明が書いてあっても、最初は「ん? よくわからない。何言ってんだ?」ってなる。そこで、「何故か?」という疑問を繰り返す。
こうすればその中身に迫るまで、疑問を続ければ、理解力が高まる。
勉学というのは「これは何だろう?」という疑問を解決することだから。
また、紙切れに、「テレビ」「猫」「自動車」「サッカー」「棚田」「食糧倉庫」……なんでもいいから書いて、ポケットに入れる。その後に、紙切れを見ないで二枚とる。
そこで出た紙切れの文字で想像する。「猫」「食糧倉庫」がでたら、「猫が飼われるようになったのはネズミ駆除で…」とかブレーンストーミングを考えて特訓する。
これだけで考える頭の特訓になる。
わたしが批判にさらされたときに思うのは坂本龍馬の言葉。
「世の人は、われをなんとも言わば言え、わが為すことは、われのみぞ知る」
反論、逆境、批判、誹謗中傷も関係ない。つまらない批判などに、負けるわけがない。
本当のオリジナルは、「もう無理だ」という分野のその先にある。
世界中で、そこで挫折しているなら、〝その先〟こそ、千載一遇の好機である。
僕は負けず嫌いだし、あきらめるのも嫌い。
人間は才能より、あきらめない粘り力で決まる。だから「努力の継続」は大事なんだ。
臥竜 長尾景虎