緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

最上義光 羽州の狐伊達政宗と最上義光<独眼竜の陰に隠れた知略家の悲運>4

2017年08月27日 07時23分14秒 | 日記
































          初陣






  天正九年(一五八一)、米沢伊達藩の当主伊達輝政はふたたび相馬義成との戦いに突入した。相馬とは、今でいう宮城県西部の領土をもつ、小藩ではあるが、伊達輝政にとっては欲しい領土である。
 相馬をとれば、山形の最上義光や二本松の義継、葦名氏に睨みをきかせることが出来る。奥州一圏にだって睨みをきかせられる。
 ……相馬をとらねばならない!
 米沢伊達藩の当主伊達輝政は意気揚々だった。
 そして、政宗も初陣となった。
 黒い甲冑をつけてもらう政宗少年……
「おお! 政宗! いい男じゃ、強そうじゃ!」
 輝政は笑顔になった。
「父上、此度、この伊達藤次郎政宗、父上のおかげにより初陣となりました!」
「うむ」
 輝政は笑顔で頷いた。
「かならず、相馬との戦、勝ってみせまする!」
「よくいった! それでこそ武将の子ぞ!」
 政宗少年に、満足だった。「あれをもて」
 やがて家臣が刀をもってきた。
「政宗!」
「はっ!」
「これをやろう……名刀・政宗じゃ」輝政は刀を差し出した。
「ありがたき幸せにござりまする!」
 政宗は刀を拝頂して、平伏した。
「よいよい」
 輝政は笑顔で頷いた。

  やがて、政宗と愛姫のふたりだけになった。
 愛姫は、
「若さま、この度は初陣おめでとうござりまする」と平伏した。
「うむ」
 政宗は頷いた。そして、「愛」と声をかけた。
「はい?」
「なぜそなたはおれの顔をみない?」
「……いえ」
「こっちを向け……おれが醜いのか?」
 政宗の声が抑圧のあるものになった。
 愛姫は首を激しく横にふり、
「めっそうもありませぬ!」といった。
「ならなぜ床をともにしない?」
「いいえ。それは恥ずかしいからです」
「恥ずかしい?」
 愛姫は頬を真っ赤にした。「男と女の夜の秘事は恥ずかしくて…」
「そうか。もうよい。それより愛、おれを好きか?」
「はい!」
 政宗は笑顔になった。独眼以外の眼がほころぶ。
「おれも愛を好きじゃぞ!」
「若さま!」
 ふたりは抱き合い、抱擁した。
 政宗は可愛い愛姫を抱擁しながら、「三春の田村は攻めぬ。約束する」といった。
 三春とは愛姫の出身地である。
  やがて、政宗をつれた輝政の軍団の『武啼式』となった。
 『武啼式』とは、出陣の前に神に祈り、勝利を祈祷する神事である。
 ひととおり儀式が終わったところで、輝政が激を飛ばした。
「よいか皆のもの! 今度の相馬との戦は必ず勝たねばならん! 相馬義成に首、この米沢の地にもってまいろう!」
「おおおっ!」
 一団から歓声がきこえる。
「政宗! 勝ち名乗りじゃ!」
「はっ!」
 政宗は馬上から刀を抜き、掲げて、「勝つぞ! えいえいお~っ!」といった。
「おおおっ!」
 一団からまた歓声がきこえる。
 こうして、戦は始まった。
 伊達軍対相馬軍である。
 相馬戦は互角で、一進一退の攻防戦が続いた。
 そんな中、悲劇はおこる。
 政宗が陣から離れたのだ。
 政宗と家臣数名は陣を離れて、山すそをすすんでいた。政宗は馬に乗っている。
 そこを相馬兵たちに狙われた。
 共の小十郎は草藪にひそむ相馬兵たちに気付き、
「若さま! 相馬兵がひそんでおりまする!」と大声でいった。
 政宗は狙われた。
 共の小十郎は政宗を守るため突っ込む。小十郎が危うく斬り殺されそうになる。
「やああぁ~っ!」
 政宗は馬を走らせ、相馬兵を馬上から斬りつけた。
 ……小十郎は助かった。
 ………政宗もまた陣に戻り、助かった。
 しかし、父・伊達輝政は激昴した。
「政宗! なぜ陣より離れた?!」
 怒鳴った。
 政宗は口をつぐんだ。
 すると小十郎は「若さまは私の命をおたすけ頂きました! 立派な武将になられることでしょう」という。
 輝政の家臣・国分盛重は「お主の命と若様の命のどちらが大事じゃ?!」とせめた。
 政宗は、
「敵はおそろしゅうござりましたが、家臣はみな無事でありました。小十郎も命をたすかりました。最初は恐ろしうてびくびくしておりましたがひとり斬るとなにやら血が沸き立ち面白いように馬を操れ刀も面白いように斬れ、戦とはこのように興奮するものかと…なにやら楽しい気分になりました。わたしは戦がすきになりました。今度こそよい大将の首をとって…斬って…斬って…勝ち続けたく思いまする!」といった。
 父・伊達輝政は激昴した。
「外道じゃ! 大将が首をとられれば戦は負けじゃ! まず大将たるものは命を大事にしなければならぬ。家臣の命を助けたというが、家臣は大将のために命を捧げるのが家臣というものぞ! 政宗、わかるか?!」
「ははっ!」
 政宗は陣で平伏した。
 戦はおわった。
 米沢城に戻ると、政宗は母・お東の方にからかわれた。
 ……政宗は無鉄砲じゃのう。
 などといい、笠丸を可愛がる。
 まだ少年の政宗は嫉妬した。
 ………くそっ!
 皿や壺を叩き割った。
  政宗は部屋でめげた。
「家臣たちはおれをあざけ笑っておるだろう。無鉄砲な愚か者よと…」
「いいえ!」
 愛姫は慰めた。
「若君さまは満海老師の生まれかわり……誰も嘲笑などしておりませぬ」
「…しかし」
「愛は若君さまを信じておりまする」
「信じる?」
 政宗は呆気にとられた。「おれのどこを信じておるのだ?」
「すべてにごさいまする。若さまはきっと天下をとられまする」
「天下? ……それはよい」
 ふたりは抱き合った。
 抱擁した。
 この愛姫のぬくもりこそ、政宗の崩壊を救う唯一の手段だった。愛、愛、愛しておるぞ! ……そなたこそおれの守護神じゃ。

話を戻す。
城持ち大名となり、昇り龍の如く出世街道まっしぐらの秀吉は弟小一郎・秀長の恋人・しのに不満であった。しのは百姓の娘で畑仕事ばかりの身分卑しいおなご………。秀吉は自分自身が一塊の百姓上がりなのを忘れたかのように結婚を反対する。
寧々が諫めるが効かなかった。
秀吉は秀長には武家の娘こそふさわしい、と思っていたのだという。
だが、一度は秀長としのは離別したものの、攻め入った落城の城の中にしのがいた。
「しのではないか?!」
「だれです?!!」しのは眼を負傷して盲目となっていた。
「しの!わしじゃ!秀長じゃ!」
「……ひ、秀長さま!!何故ここに!?」
「しの!わしの女房になってくれ!頼む!」
「……しかし、わたしはこのとおり盲目となりました。足手まといになりとうありませぬ。」
「しの!誰が足手まといなものか!いいから、わしの女房になれ!」
「……秀長…さま?秀長さま!」「しの!」
ふたりは号泣して抱き合った。
こうして秀長はしのと婚儀を挙げるのである。
話は変わりますが『本能寺の変』で織田信長が四十九歳で、明智光秀に本能寺で討たれると秀吉は奇跡的ないわゆる『中国大返し』で明智光秀を討ち滅ぼし、『清洲会議』で天下をかすめ取ります。その合戦の間に寧々やなかたちは山奥の寺へ逃げますが、途中に山賊に襲われ寧々は必死になかやややたちを守るために正当防衛で山賊を殺めます。
「わたしは…ひとを……殺してしもうた。」
血だらけの手を見て、寧々は混乱し、慚愧したという。
お市の方は子供(浅井三姉妹・茶々・初・江)と共に越前・北ノ庄城の柴田勝家の元にいく。いわゆる『賤ヶ岳の合戦』で、秀吉軍は柴田勝家をやぶり、勝家とお市の方は炎上する城で自害。浅井三姉妹は秀吉の元に、という歴史です。
いよいよ天下人となった秀吉は”征夷大将軍”になりたい、と寧々に夢を語った。
この国では”征夷大将軍”こそが国王の筈だから。
だが、百姓上がりの秀吉は”征夷大将軍”には、なれなかった。
話を戻す。




  米沢や奥州(東北地方)は雪の中にあった。
 冬で雪深くなったので、相馬と伊達は戦を休戦にしたのだ。
 米沢は大変雪深いところである。雪が完全に消えるまでは四月まで待たなければならない。とても寒い。また夏は猛暑で、大変温度差のある地方だ。
 冬寒く、夏暑いという地方なのだ。
 小十郎は荷物を背負い、雪の中、城を去ろうとしていた。
 喜多がとめた。
「小十郎、なぜ米沢を離れる?」
「わたくしめは若殿さまを危険な目にあわせてしまった罪があります」
「小十郎!」
 喜多は強くいった。「逃げるのですか?」
「姉上、この片倉小十郎、逃げるのではありません! 責任をとるだけにござる」
 喜多は諫めた。
「責任をとるなら、ここ米沢に残りなさい!」
「ですが…」
「若殿さまを立派な武将にすることこそお前の責任です」
 小十郎は沈黙した。
「いいですか? 小十郎……若殿さまを立派な武将にすることこそお前の責任ですよ」
 小十郎は空気を呑みこんだ。
 その拍子に喉仏が上下した。
 そして、
「……わかりました。姉上、わたくしめは若殿さまを立派な武将にする手助けをしましょう。それでいいのですね?」と笑顔になりいった。
「そうです! 励みなさい!」
 喜多は白い歯を見せて微笑んだ。

  天正十年(一五八二)、雪解けを待ってふたたび伊達対相馬の戦の火蓋が切って落された。伊達優位である。
 おもしろくないのは山形の最上義光である。
「伊達などくだらぬ」
 最上義光は山形城で愚痴をこぼした。
「わしが出陣すれば伊達など木っ端微塵にできる」
 家臣は黙ってきいていた。
 義光は飼っていた鷹に餌をやっているところであった。
「そうだ……奥州中に藤次郎政宗の悪口を広めよ! 伊達のあととりは笠丸とな!」
 こうして、最上義光とお東の方のおす笠丸(のちの小次郎)と、政宗との確執が深まっていくのである。
 伊達輝政は妻・お東の方に激怒して書をみせた。
「そなた、これがなんだかわかるか?!」
「え?」お東の方は「連判状にござりまするか?」
「そうだ! それにはそなたの名で笠丸に家督を譲ると書いてある。家臣たちの血判もな! どういうことじゃ?!」
「存じませぬ! わらわは無罪にござりまする!」
 笠丸は八歳くらいになっている。
「政宗を殺して、当主のわしをも殺して、米沢を最上のものにする算段か?!」
 伊達輝政は激昴してわめいた。
「めっそうもない! そのようなこと夢々考えたこともござりませぬ!」
「黙れ!」
 輝政は激昴したまま去った。
 その後には茫然とするお東の方だけが残された。
 ………わらわが殿を殺すなど馬鹿げたこと…
 しかし、内心はそうであった。夫亡きあとは政宗を殺して、この笠丸を当主にする……お東の方はそういう陰謀を心にもっていた。
お東の方こと義姫(政宗・政宗の弟・小次郎の母親)は兄で山形城主・最上義光に騙されて政宗の食事に毒をもったことがある。幸い政宗は死ななかったが、それ以来、政宗は母親を憎むというか猜疑心を募らせた。政宗が弟・小次郎を謀略で斬り殺したのはそののちすぐである。それ以来、政宗と母親の仲は最悪の状態にまで悪化する。
だが、実の息子であり、実の母親にはかわりはないのである。
また、悪化の一方の母と息子の関係に、心を痛めたのは誰あろう政宗自身で、あった。


「愛は子を産めぬ」
 政宗はがっかりした。子を産めぬ正室であるというのだ。
 しかし、政宗は愛姫を愛していた。
 姫のことが愛しくてたまらない。
 虎哉善師はいった。
「政宗殿、日が暮れれば月がでる。そういうことじゃ」
「…は?」
「……なにごともなるようにしかならぬということじゃ」
 政宗は救われた思いだった。
 そして、政宗も愛姫も大人になった。二十代の若者となった。
「政宗、わしは隠居するぞ」
 ふいに夜の宴で、輝政はいった。
 政宗は驚き「父上、隠居など父上には早過ぎます!」と強くいった。
「よいよい」
 輝政は笑顔をつくり、「もう若い者の時代じゃ。じじいがいつまでも居すわっていたのではお主もやりにくかろう」
「いえ! めっそうもない!」
「政宗、全軍を率いて相馬を討て! それがわしの隠居の条件じゃ」
「……父上…」
 政宗は泣きそうな顔になった。
「これ政宗、男は泣いてはならぬ!」
「ははっ!」
 父と息子は互いに心を繋げあった。なんにしろ、それは絆であった。
 その太い絆が、その絆が突然断ち切られることになろうとはこのとき誰が予想しただろうか……?
  政宗と愛姫は抱き合った。
 その夜のことである。
「おれは奥州全土をとる!」
 政宗はいった。
 愛姫は「若殿さまならきっと出来まする!」と同意した。
 長い、長い抱擁……それは政宗と愛姫の愛情の証しだった。
 なんにせよ、伊達政宗は家督を継いだので、ある。


  天正十二年(一五八四)十月、伊達輝政は正式に家督を政宗に譲った。
 そして幼いときの家臣・時上丸こと伊達成実もよばれた。そして、片倉小十郎もきた。 伊達輝政はいった。
「成実、小十郎いや景綱……政宗の補佐をせよ!」
「ははっ!」
 家臣たちは平伏した。
 ……本当におれが当主となったのだ!
 政宗は感慨ひとしおであった。
 相馬をやぶった政宗は、会津(福島県)の二本松との戦いとなった。
 会津対伊達……
 しかし、伊達軍は敗戦をよぎなくされる。陣で、政宗は荒れた。
 ……くそったれ!
片倉小十郎(景綱)は宥めた。
「戦はかけひき、おすときにはおし、引くときは引く……なにとぞご辛抱を」
「くそったれ! これではこの政宗は奥州の笑い者ぞ!」
「……ご辛抱を!」
 政宗たちは米沢へ戻った。
 母・お東の方はまた山形にいっている。
「母上をつれもどせ!」政宗は苛立った。「なぜ、母上は実家の山形にばかりいく?」
 ……もしや謀反か?
 政宗はあれた。
 虎哉善師は笑った。「殿、地獄をみましたかな?」
「母上はおれの毒を外せと……」
「ほほう」
「母上のいうことと父上のいうことのどちらが正しいのか?」
 虎哉善師は両手をぴしゃりとあわせて叩いた。
「さて、どちらの手が鳴りましたかな?」
「……は?」
 政宗は呆気にとられて、口をぽかんと開けた。
「右手かな? それとも左手かな?」
 政宗には答えがでなかった。
  その夜、政宗は愛姫に問うてみた。両手をぴしゃりとあわせて叩いた。
「さて、どちらの手が鳴った?」
 愛姫はいった。
「両方の手にござりまする。両方の手ではじめて音が鳴ったのでござりまする」
「……なるほど…そういうことか」政宗はにやりと笑った。

  家臣たちと政宗は食事をともにした。
「お前たち、わしのために死ねるか?」政宗はきいた。
 家臣たちは「もちろんでございまする! 殿のためならこの命投げ出しまする!」
 といってスクラムを組んだ。
「伊達家繁栄のため!」
「それはよい!」政宗は満足した。
 その勢いのまま、二本松義継を攻めた。二本松城陥落間近である。
 伊達輝政は御機嫌だった。
 夜、伊達陣へきた隠居中の伊達輝政は笑顔をかくせなかったという。
「……政宗、よくやった! 二本松(畑山)義継ももうすぐ降伏するじゃろうて。お主は軍略の才がある」
「いいえ。父上の足元にもおよびません」
 政宗は恐縮した。
「おれは長生きするぞ、政宗。長生きしてお前が天下をとるのをこの目で見届けるのじゃ。政宗、お主なら天下をとれる」
「…天下ですか? ははは」政宗は笑顔でいった。「いつまでもご健勝であらせられませ、父上。この政宗、かならずや天下に名を轟かせてごらんにいれます」
「それは頼もしい限りじゃ」
 ふたりは酒を飲み交わした。
 翌朝、悲劇がおきた。
「降伏の前にご挨拶を…」という二本松(畑山)義継の策にはまって、伊達輝政が人質にとられたのだ。輝政は二本松義継にはがいじめされ、刀を首にあてられながら歩いていく。それを伊達の家臣たちがどうしたらいいものかと思いながら、取り巻いている。
「父上! 父上!」
 政宗は父・輝政に泣きそうになりながら声をかけた。
 二本松義継は「父親を殺されたくなければこのまま二本松城までいかせろ!」
 と脅迫し、刀をまた輝政の首にあてる。
 家臣たちは、二本松義継の周りを囲んでいるが手だしができない。まるでメディア・スクラムのような状態になっている。
 政宗とてどうしたらいいかわからない。
 すると、父・輝政は「わしとともに撃て! 伊達の名を汚すな!」と必死にいう。
 政宗はハッとした。そうか! その通りだ! このまま二本松義継を城に戻し、父親を人質にされれば末代までの恥だ!
 伊達政宗は意を決した。
「鉄砲隊、撃て! 撃て! 二本松義継を撃て!」
 政宗は命令した。
 留守政景は「なりませぬ! 殿!」ととめた。が、遅い。
 鉄砲の火花が散る。
 二本松義継の脚と、輝政の腹に銃弾が当たった。
「くそう! 本気か?!」
 二本松義継は刀で暴れた。輝政を斬った。「糞ったれめ!」
 やがて、二本松義継は銃弾を何発かうけて死んだ。
「父上! 父上!」
 河原で血だらけで横たわる輝政は、もう息がなかった。
 政宗は涙した。
  遺体は火葬された。
 伊達輝政、享年四十二歳、であった。 



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NHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』ウィキペディア2017年7月クランクイン!

2017年08月22日 15時36分00秒 | 日記
































西郷どん (NHK大河ドラマ)




西郷どん


ジャンル
テレビドラマ

放送時間
日曜 20:00 - 20:45(45分)

放送期間
2018年1月7日 -(50回)

放送国
日本の旗 日本

制作局
日本放送協会

演出
野田雄介
盆子原誠
岡田健[1]

原作
林真理子『西郷どん!』

脚本
中園ミホ

プロデューサー
櫻井賢(制作統括)
小西千栄子

出演者
鈴木亮平
瑛太
黒木華
風間杜夫
松坂慶子
桜庭ななみ
渡部豪太
平田満

ナレーター
市原悦子

時代設定
江戸時代末 - 明治時代初期
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『西郷どん』(せごどん)は、2018年放送予定のNHK大河ドラマ第57作[1][2]。2017年7月クランクイン予定[1]。

明治維新の立役者・西郷隆盛を勇気と実行力で時代を切り開いた「愛に溢れたリーダー」として描く[1][2]。



目次 [非表示]
1 制作
2 登場人物
3 スタッフ
4 舞台となる地域の反応
5 脚注 5.1 注釈
5.2 出典

6 関連項目


制作

2018年が明治維新から150年にあたることから企画された[3]。

2016年(平成28年)9月8日に制作発表が行われ、林真理子の小説『西郷どん!』[注釈 1]を原作に、脚本を連続テレビ小説『花子とアン』などを手がけた中園ミホが担当することが発表された[1][2]。

同年11月2日、主人公の西郷隆盛役を鈴木亮平が演じることが発表された[5]。会見の中で中園は、「原作には師弟愛や家族愛、男女の愛、BL(ボーイズラブ)までの色々な愛がある」と指摘する[6]一方でBL要素を加えると明言したことに対する批判も起きている[7]。

2017年7月6日にクランクイン[8]。

登場人物
西郷吉之助 / 隆盛(さいごう きちのすけ / たかもり)演:鈴木亮平本作の主人公。大久保一蔵 / 利通(おおくぼ いちぞう / としみち)演:瑛太[9]隆盛の幼馴染。岩山糸(いわやま いと)演:黒木華[9]鹿児島城下の武家の娘。西郷吉兵衛(さいごう きちべえ)演:風間杜夫[9]隆盛らの父。西郷満佐子(さいごう まさこ)演:松坂慶子[9]隆盛らの母。西郷琴(さいごう こと)演:桜庭ななみ[9]西郷家の長女。隆盛の妹。西郷吉二郎(さいごう きちじろう)演:渡部豪太[9]西郷家の次男。隆盛の弟。大久保次右衛門(おおくぼ じえもん)演:平田満[9]利通の父。熊吉(くまきち)演:塚地武雅[9]西郷家の下男。於一 / 篤姫(おいち / あつひめ)演:北川景子[10]島津家の分家の娘。ふき演:高梨臨[10]貧しい農民の娘。大山格之助 / 綱良(おおやま かくのすけ / つなよし)演:北村有起哉[10]隆盛らと幼少の頃から共に学んだ仲間。「精忠組」に参加する。有村俊斎 / 海江田信義(ありむら しゅんさい / かいえだ のぶよし)演:高橋光臣[10]11歳から島津斉興の茶坊主として出仕。「精忠組」に参加する。村田新八(むらた しんぱち)演:堀井新太[10]隆盛の弟分。赤山靭負(あかやま ゆきえ)演:沢村一樹[10]薩摩の名門の人物。幾島(いくしま)演:斉藤由貴[10]篤姫(於一)の女中頭。由羅(ゆら)演:小柳ルミ子[10]島津斉興の側室。島津斉興(しまづ なりおき)演:鹿賀丈史[10]島津家第27代当主、薩摩藩主。島津斉彬(しまづ なりあきら)演:渡辺謙[11]島津家第28代当主、薩摩藩主。島津久光(しまづ ひさみつ)演:青木崇高[11]斉彬の異母弟。喜久(きく)演:戸田菜穂[11]斉彬の側室。山田為久(やまだ ためひさ)演:徳井優[11]斉彬の側近。
スタッフ
原作:林真理子『西郷どん!』
脚本:中園ミホ
音楽:富貴晴美[10]
語り:市原悦子[11]
制作統括:櫻井賢、櫻井壮一[11]
薩摩ことば指導:迫田孝也、田上晃吉[12]
プロデューサー:小西千栄子
演出:野田雄介、盆子原誠、岡田健[1]
時代考証:原口泉、大石学、磯田道史[11]

舞台となる地域の反応

2017年(平成29年)2月14日、西郷隆盛の出身地である鹿児島市は加治屋町の旧鹿児島市立病院跡地に大河ドラマ館を2018年1月上旬より1年間運営する構想を発表した[13]。

脚注

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注釈

1.^ 制作発表当時KADOKAWAのPR誌『本の旅人』に連載中であった[4]。

出典

1.^ a b c d e f “2018年の大河ドラマは「西郷どん」!”. NHKドラマトピックス. 日本放送協会 (2016年9月8日). 2016年9月10日閲覧。
2.^ a b c “2018年の大河ドラマ制作決定! 林真理子×中園ミホで送る「西郷どん」”. NHK.PR. NHKオンライン (2016年9月8日). 2016年9月9日閲覧。
3.^ “18年大河ドラマ「西郷どん」に決定 堤真一は出演断る”. デイリースポーツ (2016年9月9日). 2016年9月9日閲覧。
4.^ “再来年の大河ドラマは「西郷どん」 林真理子さん原作”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞 (2016年9月8日). 2016年9月9日閲覧。
5.^ “2018年 大河ドラマ「西郷どん」主人公・西郷隆盛 役 決定!”. NHKドラマトピックス. NHK (2016年11月2日). 2016年11月2日閲覧。
6.^ “2018年のNHK大河「西郷どん」はBL要素たっぷり!? 「師弟愛や男女の愛も」脚本・中園ミホさんが紹介 鈴木亮平会見で”. 産経新聞 (2016年11月3日). 2016年11月5日閲覧。
7.^ “「西郷どん」ボーイズラブ報道に批判続出 「最初からBLって言うな」というファン心理”. J-CASTニュース (2016年11月4日). 2016年11月6日閲覧。
8.^ 『西郷どん』にインしてみる鈴木良平オフィシャルブログ『Neutral』(2017年7月6日)、2017年7月16日閲覧。
9.^ a b c d e f g h “2018(平成30)年 大河ドラマ『西郷どん』出演者決定!”. NHKドラマトピックス. NHK (2017年3月27日). 2017年3月27日閲覧。
10.^ a b c d e f g h i j “2018(平成30)年 大河ドラマ「西郷どん」出演者発表!”. NHKドラマトピックス. NHK (2017年4月12日). 2017年4月12日閲覧。
11.^ a b c d e f g “2018(平成30)年 大河ドラマ「西郷どん」新たな出演者発表”. NHKドラマトピックス. NHK (2017年6月27日). 2017年6月27日閲覧。
12.^ “『西郷どん』迫田孝也さん・田上晃吉さんが薩摩ことば指導!”. NHKドラマトピックス. NHK (2016年8月21日). 2017年8月21日閲覧。
13.^ “鹿児島市が「西郷どん」PR館 大河ドラマ放映に合わせ、設置費を予算計上”. 西日本新聞 (2017年2月15日). 2017年4月4日閲覧。

関連項目
翔ぶが如く (NHK大河ドラマ) - 西郷隆盛を主人公とした1990年の大河ドラマ。

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ねね あの猿関白禿げネズミ天下人豊臣秀吉の妻・寧々・高台院の全生涯3

2017年08月20日 08時22分46秒 | 日記

































真田丸「第13話」のあらすじ
いよいよ第一次上田合戦(第1次上田城の戦い)が幕を開けます。
徳川軍は総大将に鳥居元忠、他に大久保忠世、平岩親吉という徳川二十四将の面々ら7000。
まずは神川まで進軍し、上田城の対岸に布陣しました。
真田昌幸は城下では大通りに乱杭を打ち込み、徳川勢の隊列を縦に長く伸ばす作戦に出ます。
そのとき、越後より真田信繁が戻り、布陣は理想通りとなりました。
ここで真田信繁は、初めて娘・すえと対面します。
真田信繁は、きりに伝えて、側室・梅から真田家の家紋である六文銭を受け取り、徳川勢を挑発して城下までおびき寄せる役を担いました。六文銭の旗を振り、高砂の歌で合戦が始まりました。うまく逃げて罠に誘い込む。そしてまた逃げて罠で徳川勢を罠の前までおびき寄せる。まさに天才軍師・真田昌幸の策でした。
作戦通り徳川勢の全軍が城下町に入り込み、隊列が細長くなったところを攻撃をします。
さらに二の丸まで迷路となっている道筋にて、鉄砲や矢で攻撃しました。
とどめは真田昌幸が率いる本隊が突撃し、徳川勢は撤退を開始。
戸石城からは真田信幸も追撃し、さらに出浦昌相が神川の流れを止めていた堰を切り、退却中の徳川勢は多くの犠牲者を出しました。
真田勢の大勝利で終わった戦でしたが、戦のさなか、梅が犠牲となってしまいました。
きりが、残された娘・すえを育てると、その亡骸に誓うのでありました・・。
「お梅!お梅―っ!」
信繁はお梅の遺体に泣いてすがります。
それを遠くでみていたキリも赤ん坊を抱いたまま号泣し、
「お梅ちゃん……この子は必ず私が立派に育てます!」と誓うのでした。
それからは羽柴(豊臣)秀吉の天下となり、豊臣配下で真田家は信州で臥薪嘗胆のような領地政治をします。
絢爛な大坂城や聚楽第で、豊臣秀吉は「わしが豊臣の秀吉じゃ」と笑顔でいう。
一同は平伏します。秀吉は家康にわしに従う芝居をしてくれと頼む。
秀吉にとっても真田は大事でしたが、一番気になるのはなんといっても徳川家康でした。
真田信幸は本多忠勝の娘・稲姫を正室に貰い受けます。
真田家が分水嶺のような運命の別れをされるのは秀吉亡き後の豊臣秀頼+淀君VS徳川家康の関ヶ原の戦いでありました。真田信繁(幸村)は大谷刑部の娘を正室にします。
真田信繁(真田幸村)は天下人となった豊臣秀吉の家臣となります。秀吉の正室は確かにねね(寧々もしくは寧)ですが、天下人となった秀吉はさまざまな愛人を囲い、ついには信長の姪っ子の茶々(のちの淀君)を側室とします。真田は天下人に王手をかけた秀吉側につきます。徳川家康も秀吉側へ。後は奥州の伊達政宗と関東の北条氏政だけに。
当然ですが伊達政宗は豊臣秀吉の家臣となります。風見鶏ですから。
そして上杉景勝・直江兼続の上杉軍も徳川軍も毛利軍も伊達軍も北条攻めで秀吉軍は数十万の軍で北条軍の城を囲みます。本当の史実では軍師・黒田官兵衛が北条軍に和睦の使者としていくところですが、それは真田信繁(幸村)がいく。北条は小田原評定をするばかり。
結局は北条は白旗を上げて降伏、北条氏政は切腹、息子の氏直には出家の処分がくだります。茶々(浅井三姉妹の長女、次女が初、三女が徳川家康の正室になる江)は天下人となった豊臣秀吉の子供を孕みます。のちの秀頼の兄で夭折した鶴松です。
いままで秀吉の子供は誰もいませんでしたから年寄りの秀吉も寧も大喜びです。
ですが、茶々の子、鶴松は生まれて間もなく病死してしまいます。
秀吉の悲しみは大きかった。茶々も寧に抱擁され号泣します。
三成や加藤清正等が”水ごうり”で病気が治るように祈ったのが無駄になりました。
秀吉は千利休を切腹させ、朝鮮攻めを決行するなど狂っていきます。
秀吉は次第に認知症(ボケ)の症状が現れ出します。
真田信繁(幸村)らは寝小便をしたり、何度も同じ事を繰り返す秀吉に手を焼きます。
その課程で茶々(のちの淀君)は第二子を生みます。のちの秀頼です。秀吉はようやく出来た子供を喜びますが、やがて秀吉の最期が近づいてきます。秀吉は関白から太閤となって関白の座を譲っていた甥っ子の秀次に「日本を五つにわけてそのひとつを秀頼にくれぬか?」と頼みますが秀次は拒否。「…誰のおかげで…関白になれた?秀次!」
怒った秀吉は秀次やその一族を斬首の刑にします。その後、秀吉は上杉景勝と直江兼続に越後から会津百二十万石に転付して徳川家康を睨んでくれ、と頼むのです。
その後、秀吉は死んでしまいます。これこそ徳川家康が待ち望んだときでした。
秀吉在命中に五大老五奉行制度ができますが、徳川家康は次第に伊達政宗等と徒党を組み天下を狙います。石田三成は心底豊臣の味方でしたが、人望がなく、加藤清正、福島正則、黒田長政らに疎まれます。淀君も三成嫌い、でした。三成の盟友の大谷吉継はハンセン病でありながらも三成に挙兵を思いとどまるように説得しますが無駄でした。
関ヶ原の合戦は勃発してしまい、三成ら豊臣西軍は敗北します。
小早川秀秋の裏切りで、です。
いわゆる『犬伏の別れ』で、真田昌幸と信繁(幸村)は豊臣石田三成の西軍に。真田信幸は徳川家康東軍につきます。
結果はやはり、で、徳川家康東軍の勝利!これにより戦国最強と呼ばれた名軍師真田昌幸と信繁(幸村)は斬首になる筈でした。特にそれを望んだのは上田で散々討ちまかされた家康の息子・秀忠で、ありました。
ですが、真田信幸の嘆願で、昌幸・信繁親子と家臣は九度山に蟄居…となります。
九度山で数十年、昌幸は病死。その後、真田信繁(幸村)は大坂冬の陣、大坂夏の陣で、獅子奮迅の戦をして「日の本一の兵(つわもの)」と呼ばれあの家康をあと一歩で討死にするまで迫りますが不運かな討死して、まさに、伝説の男、と、なるのでした。
(大河ドラマ『真田丸』のネタバレから引用しました。引用をお許しください。)


********






 三成は十四~十五歳から秀吉に支えた。
 その出会いは天正二年……
 秀吉は鷹狩りの帰りに寺により喉が乾いたので、
「誰ぞ、茶をもってまいれ」といった。
 すると左吉が大きな茶碗に七、八分、ぬるく立てて差し上げた。
「うまい。もういっぱいくれぇぎゃ」秀吉はいった。
 左吉は今度は少し熱くして茶碗に半分ほど差し出した。
「うむ、もう一服じゃ」
 秀吉が所望した。
 すると左吉は小さな茶碗に、少し熱いお茶を出した。
 秀吉は大いに感心して、
「小僧、名は何という?」
「左吉です。石田左吉にござりまする!」
 平伏した。
「そうきゃ? 石田左吉! このわしの家来となれ!」
「はっ!」
 石田左吉(三成)はこうして秀吉に支え、山崎、牋ケ獄の戦いで一番槍の手柄をあげている。秀吉はこうして大切な頭脳をその手にして天下をとれた。三成がいてこそである。 羽柴秀吉が信長に仕え近江長浜城(長浜市)主になった天正二年(1574年)頃から秀吉の小姓として三成(当時・佐吉)は仕えた(天正五年(1577年)の説も)
 秀吉の中国征伐に従軍した。本能寺(1582年)で秀吉が天下人として台頭してくると、三成も秀吉の側近として次第に台頭していく……こんなエピソードがある。佐吉は秀吉に仕えたが、秀吉の妻・寧々が佐吉に「腹がすいているのか?はれ、握り飯でも食べなさい」と優しい言葉を人間として始めて頂いた、と涙をながしたという。秀吉は後年、そういう話を他人にしたがったという。あの冷血漢の三成も「人間らしい所」があるという。
いわゆる三献茶の話は後世の作り話の可能性が強いです。
少なくともそんなエピソードは当時の史料に出てこない。後世の編纂物に散見されるのみです。また太谷吉継の母親は淀殿か寧々に仕えた東殿であり、それは可能性が高いです。またその東殿に伴って子の吉継が出世したというのが自然だそうです。

吉継や三成が歴史上にでてくるのが秀吉の播磨攻略(軍師黒田官兵衛の斡旋)の頃です。
天正五年(一五七七年)くらいでしょうか。同じく秀吉の馬廻りとして福島市松(正則)、加藤虎之助(清正)も出てきます。
ですが、石田三成が横柄で冷酷な人物というイメージは正しくありません。徳川時代の創作であるそうです。「へいくわい」(横柄な)というイメージはその時代には歴史上書状としてもありませんし、また(三成からの手紙が)残っていないのも徳川の世で三成と親しかったら、最悪の場合、お取潰しの危険があるからです。おそらく三成からの手紙は捨てるか焼いたか。秀吉の官僚として指示を忠実に実行する立場の三成が、私情をはさまず、官僚的な冷めた対応で嫌われた可能性は高い。ですが、悪口や陰口とかそんな人物ではなりません。ほとんどの三成の冷酷イメージは徳川時代の創作であるそうです。



 太谷吉継の人柄はどんなものでああったか?正確には記録や歴史的資料があまりありません。三成よりも文官としての仕事があまり多くない為のことです。
ですが秀吉をして「百万の大軍を預けてみたい」とまでいわせた男です。
そうとうのやり手だったことは間違いありません。
また太谷刑部の肖像画や大河ドラマなどで頭巾をかぶり白いマスクというか布で顔をおおっていますが、これはハンセン病に羅漢していたためだと伝えられています。
天正十二年二月、京洛で「千人斬り」とよばれる事件が起き、吉継が犯人ではないか?と疑われます。容疑は晴れまして無罪であったのですが、「悪瘡(あくそう・らい病・ハンセン病)」を直すには千人の血を舐めることだ(『宇野主水日記』)が容疑理由とされました。
真犯人は未だに明らかになっていませんが、特筆すべきは市井(しせい・民間人)のひとが太谷吉継のハンセン病を知っていたことです。この頃には市井のひとが知るほどハンセン病の病はすすんでいたという証です。














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最上義光 羽州の狐伊達政宗と最上義光<独眼竜の陰に隠れた知略家の悲運>3

2017年08月13日 08時27分21秒 | 日記






























   伊達政宗は永禄十一年(一五六二年)八月三日、米沢城で誕生した。父は伊達輝政、母はお東の方である。赤子の名は梵天丸、のちの藤次郎政宗である。
「でかした! みごとな嫡男じゃ!」
 伊達輝政はふとんに横たわる妻にいった。妻はにこりと笑い、とんでもありませぬ。女子が子を産むのは当然の仕事ですから、といった。
「当然の仕事?」ふたりは笑った。
 しかし、米沢は小国で、まわりは敵だらけである。陸奥(東北)の相馬、会津(福島県)の二本松、南会津(福島県)の葦名、関東の北条、越後(新潟県)の長尾(上杉)、美濃(岐阜)の斎藤、甲斐(山梨県)の武田……。米沢は東北南部のちいさな国に過ぎない。 四方八方敵だらけ、四面楚歌である。輝政は赤子を抱き抱えたが、内心、不安でいっぱいであった。
「この子が大きくなるまで米沢はもつだろうか……」
「だいじょうぶですわ、お屋形さま」妻は夫の心の中を読んだかのように微笑んだ。「梵天丸は強い子です。きっとよい大名になりまする」
「……そうか」
「いえ」妻はにやりとした。「梵天丸は天下人になりますわ」
「それはいい! 梵天丸が天下人か」ふたりはまた笑った。
 時は戦国乱世、群雄かっ歩の下剋上の時代であった。伊達輝政は必死に戦った。しかし、領土拡大は難しかった。
 梵天丸(のちの政宗)と父は馬にのって戦の稽古をしていた。
「よいか、梵天丸! 武将たるもの馬を自在にあやつらねばならない」
 輝政は幼い我が子を馬にのせ、訓練させた。
 米沢での出来事である。梵天丸は本当に幼く、只、無邪気に乗馬を楽しんだという。
「父上!」
「なんじゃ梵天」
「梵天丸も父上のようになりとうござりまする!」
 幼い政宗にとって、父・輝政は憧れの存在だった。
 しかし、そこで不幸がおこる。
 梵天丸が病気になり、床に伏してしまったからだ。病名は天然痘である。
 だが、当時、そのような病気だとは誰もわからない。
「梵天丸! 梵天丸!」
 輝政は、高熱を出し、荒い息でふとんに横たわる息子の手をとった。驚くほど熱い。
「梵天丸! しっかりいたせ! 梵天丸!」
 輝政は異変に気付いた。そして、
「お東の方はどうしておる?! どこにおる?!」と女中にきいた。
「山形の義光公のところへ出掛けております」
 女中は平伏していった。
 ………馬鹿野郎!
 輝政は「梵天丸が病気で苦しんでいるのに……あの女は実家に帰っておる?」
 と怒り真頭で、「すぐに呼び戻せ!」と家臣に命じた。
 お東の方は米沢に早馬で戻ってきた。
「何をしておったのだ?! 梵天丸が病気で苦しんでいるのに……実家に帰るとは何事ぞ?!」「申し訳ごさりません!」
 お東の方は平伏した。そして、
「わたくしが兄上のところへいくまでは梵天丸は病気ではありませんで……うかつでした」「……もうよい!」
 輝政は舌打ちして吐き捨てるようにいった。
「梵天丸! 梵天丸!」
 お東の方は、高熱を出し、荒い息でふとんに横たわる息子の手をとった。驚くほど熱い。「梵天丸! しっかりいたせ! 梵天丸!」
 返答がない。
「母じゃ! お前の母じゃぞ!」
 返答がまだない。
 輝政は妻をせめた。「おぬしが実家に帰らなければ、梵天丸は病気にならなかった」
「………申し訳ござりませぬ」
 お東の方は涙を流して、息子の手を握っていた。
 薬もワクチンもない時代だけあって、唯一の手段は坊主の祈祷だった。
 米沢城では、坊主が炎の中に札をいれては祈祷し、念仏をとなえる。それが病気治療であるのだから笑える。そんな非科学的なことで病気が治る訳がない。
 しかし、坊主たちは屋敷の不動明王像に祈った。
 だが、奇跡がおこった。
 梵天丸は一命をとりとめたのである。
 しかし、右眼を失ってしまう。政宗五歳の頃のことである。


「お屋形さま! つれてまいりました!」
 家臣がいった。
 伊達輝政は米沢城にいた。上座でまっている。もう午後だった。
「梵天丸の傳役の喜多という女子がきたか」
 しかし、そういってから輝政は口をぽかんと開けてあきれた。喜多が泥酔してふらふらとやってきたからである。
 喜多は「お屋形…さ…ま……ごきげん…よろしう」とろれつが回らない。
 平伏すると吐きそうになる。
「貴様! 酔っておるな?!」
 輝政が声を荒げると、まだ若い娘の喜多は「いえ、酔っては…お…りませぬ」
 と、にやにやする。
「馬鹿者!」
 輝政が呆れて扇子を投げつけると、喜多は扇子を掴んで、笑った。
「これ! 喜多姉さん! 殿のおん前ですぞ!」
 片倉小十郎が咎めた。
 すると、喜多は酔っ払ってつぶれてしまう。
 輝政は笑って、「これは珍しい女子じゃ! わしの前で寝てしまった!」
 と、喜多をえらく気にいってしまった。
 ……梵天丸の傳役にはちょうどいい。
  しかし、梵天丸は心を開かない。
「梵天丸さま! 梵天丸さま!」
 喜多や女中が呼ぶが、隠れてしまう。
 包帯をとってみた。梵天丸は邸宅の庭池に顔を写してみた。……右目が潰れている。
 梵天丸はなんだか悲しくなった。彼の全身の血管の中を。悲しみがいいようもない悲しみが、駆けめぐり、涙が瞼を刺激した。
「梵天丸さま! ここにおられましたか!」
 喜多がやってきた。
 梵天丸は独眼を水面に写してみながら、
「喜多……おれは醜いか?」と問うた。
 喜多ははっとして、それから笑顔をつくり「いいえ、とんでもござりません。梵天丸さまは醜くなどありません」といった。
 とにかく、彼の心配を取り除こうとした。
「しかし、おれの右眼はない…」
「それは…」喜多はつまった。そして続けた。「これは仏さまの試練です。若さまは隻眼の名僧・満海上人の生まれ変わりでござりまする」
「試練?」
「そうです。仏様が若さまに試練を与えたのです。さぁ、仏さまに祈りましょう」
 喜多は梵天丸をつれて、不動明王のあるところまでつれていった。
「さぁ、手をあわせて」
 ふたりは手をあわせた。
「梵天丸! こちらへ参れ」
 お東の方は息子を呼んだ。「これが何かわかるか?」懐から紙をとりだした。
「……わかりませぬ」
 紙をひらいた。そこには干し葡萄が一個あった。
「これはそなたの右眼じゃ。元々そなたはこの母から産まれたもの。この右眼は元にもどすぞ。よいか?」
 お東の方は干し葡萄を呑みこんだ。
「これで……そなたの眼は母の元にもどった」
 梵天丸は唖然としていた。母は続けた。「そなたは満海上人の生まれかわりじゃ。そこをよく考えよ。のう、梵天丸」
  米沢より北に向かうと赤湯(現在・山形県南陽市赤湯)がある。
 輝政は梵天丸の教育係として赤湯の虎哉禅師という(フルネームは虎哉宗己)老人にあいにいった。そして、「梵天丸を教育してくだされ!」と頼んだ。
「教育? ははは…この坊主が?」
 虎哉禅師は笑った。「伊達公の嫡男の教育とはこれはこれは骨がおれまするな」
 家臣は「これ、殿の前で無礼であるぞ」と注意する。
 と、輝政は「よい!」ととめた。
 虎哉禅師は「なら、わしがその梵天丸とやらを天下人にでもできると?」
「できますか?」
「いや、ひとにはそれぞれ人生における器というものがござる。器は生まれたときから決まっておる。今、織田信長とか申す者が破竹の勢いだという」
「……それで?」
「その梵天丸とやらが天下人になれるかどうかは信長などとの器比べ次第じゃ」
「なるほど」輝政は頷いた。「梵天丸に信長や信玄や長尾景虎(上杉謙信)ほどの器があるか……ですな?」
「さよう」
 虎哉禅師は笑った。
 そして、坊主は教育係をひきうけた。
  その頃、片倉小十郎(のちの片倉景綱)もまた伊達家の家臣となっている。かれは剣の達人で、笛もうまく吹けた。
 米沢城では輝政とお東の方との夫婦喧嘩が絶えなかった。
 夫はよく妻に暴力をふるった。
 その為、妻は山形の実家に帰ることが多くなる。輝政はますます腹立たしい。
  ストレスもあってか、梵天丸はある日の昼、鶏小屋で暴れていた。
「梵天丸さま! おやめ下さい!」
 喜多がやってきて、とめた。「無益な殺生はいけません! 鶏にも命があるのです!」「喜多……」
 梵天丸は何かいいかけた。
「なんでござりましょう? 若さま」平伏する。
「おれは醜いか? だから母上はおれの顔をまともに見ない。醜いか?」
「いいえ! とんでもござりません! 若さまは色男にござりまする」
「…色男?」
「そうです。さぁ、仏さまに祈りましょう」
 喜多は梵天丸をつれて、不動明王のあるところまでつれていった。
「さぁ、手をあわせて」
 ふたりは手をあわせた。
 梵天丸は「なぜこの不動明王はこんなに怖い顔をしておるのじゃ?」と問うた。
 喜多が何かいおうとすると、虎哉老師が、
「不動明王が怖い顔をしているのはひとに襲いかかる煩悩や祟りを追い払うためじゃ。お不動さまは常に戦っておるのだ」といった。
 梵天丸は、頷いた。そして、いった。
「梵天丸もかくありたい!」

 



 正室・愛(めご)姫






  天正四年(一五六三)、織田信長が壮大な安土城をつくった頃、梵天丸(のちの政宗)はまだ幼少だった。
 ……もう十、二十年前に生まれていれば天下をとれたかも知れぬ…
 とは伊達政宗自身の心中である。
 梵天丸と子供たちは相撲をするのが好きであった。
「やれ! やれ!」
「いけ! 足をかけろ!」
 やがて、梵天丸と時上丸(のちの伊達成実)は対戦した。
「くそう!」
「若さま! 負けませぬぞ!」
「やあっ!」
 ふたりは取っ組み合いで互いに力をふりしぼる。
 そして、梵天丸は負けた。
 時上丸が勝利したのだ。
 しかし、梵天丸はまたつっかかっていった。痣が出来た。
 また、梵天丸は喜多から読み書きを習った。
 …漢字、孫子、大学……
 梵天丸少年は様々な知識を吸収していった。
 かれと同い年の時上丸は屋敷で、虎哉禅師に教えをうけていた。
 虎哉禅師は禿げ上がっていて、丸い顔で袈裟をきた老人である。
 老師は右手で紫の花一輪をかかげた。
「この花の色はなんじゃと思う?」老師は問うた。
「紫にございます!」
 時上丸はいった。梵天丸も、「紫にございます!」という。
 老師は「その通り。では、ふたりとも眼をつぶれ」といった。ふたりは眼をつぶる。すると、虎哉禅師は花をくしゃくしゃにして握りとって茎だけにした。
「この花の色はなんじゃと思う?」老師は問うた。
「紫にございます!」
 時上丸はいった。梵天丸も、「紫にございます!」という。
「……そうかな?」
 虎哉禅師は怒って「目をあけてみよ」といった。あるのは茎だけの花びらなしのものだった。「そなたたち、なぜ見えないのに紫だと思った? そういうのをあさはかというのだ。まず、確認して行動しなければならないのじゃぞ」
「いえ、それは紫の花にござりまする!」
 梵天丸はくいさがった。
 虎哉禅師は怒って「これは茎じゃ! 花などもうない! 傲慢は損気じゃぞ!」
「いえ!」梵天丸は強くいった。「心の眼でみれば、それは前と同じ紫の花にござりまする!」
「……心の眼?」
 虎哉禅師は呆気にとられた。「そうか! 心の眼ならそうみえるかも知れぬ。梵天丸! そちのいう通りじゃ」
 息子に痣を負わせたことで、お東の方(政宗の母)は時上丸(のちの伊達成実)をひかえさせた。梵天丸は、仲良しの時上丸と別れなければならなくなった。
「時上丸!」
 梵天丸は家臣とともに去るかれに手をふった。
               
  天正五年(一五七七)、政宗の弟・笠丸(のちの伊達小次郎)が生まれた。
 母のお東の方は大切に赤子を可愛がったという。
 溺愛した。
 面白くないのは梵天丸である。片眼を失ってからというもの母は自分を避けてばかりいる。なのに弟は溺愛する………くそったれ!
  伊達輝政は相馬軍と戦っていた。
 しかし、相馬もなかなか手強い。伊達輝政だけでは領土を拡大できない。
 梵天丸は河原で石合戦をしている光景を見た。
 両軍にわかれて戦っているが、片方の軍の子供の数が多い。
「これは子供の多いほうが勝つでしょう?」
  鬼庭有月がいうと、梵天丸は、
「いや。数が少ないほうが勝つ」といった。
「しかし…」
「みよ! 数の少ないほうは真剣になっている。多いほうは戦意がない。少ないほうが勝つ」
 結果は、梵天丸のいう通りになった。

  そんな梵天丸もいよいよ元服を迎えた。
 天正五年(一五七七)十一月十五日のことである。父・伊達輝政は相馬軍と戦っていたが、米沢城に駆けつけた。                   
 梵天丸は直垂を着ていて、逞しい姿である。母も喜んだ。
「梵天丸! 立派になったものじゃ!」
 お東の方は眼に涙を浮かべていった。
 そして、母は数珠を息子に贈った。「これはお守りじゃ。戦で死なんようにとのな」
「ありがとうござりまする、母上!」
 梵天丸は頭をさげた。
「おお! 梵天丸! 立派になったものじゃ!」
「父上! ご清勝のこととおもいこの梵天丸、父上のおかげさまをもちまして元服の義とあいなりました」
  父・伊達輝政は喜んで息子の元服にのぞんだ。
 元服式は粛々とおこなわれた。
 梵天丸は杯の酒を飲み、にがい、という顔をする。
「梵天丸!」
 父・伊達輝政は続けた。
「いや、今宵からはお主は梵天丸ではない」
 輝政は紙をひろげた。
 ……伊達藤次郎政宗…
 と墨で黒々と書いてある。
「今日からお主は伊達藤次郎政宗である!」
「……伊達藤次郎政宗? よき名でごさりまする」政宗少年はいった。
「政宗とは名刀正宗からつけたものだ。お主も正宗のように有名になれ」
「ははっ!」政宗は平伏した。「名誉ある名を頂き、恐縮至極でござります。今宵より、梵天丸改め、伊達藤次郎政宗、と名乗りまする!」
「よいよい」
 輝政は恍惚の表情だった。
  天正六年(一五七八)、伊達藤次郎政宗という名は奥州(東北地方)に広がっていた。 しかし、本人は米沢で馬の稽古をしている少年にすぎない。
 剣術や馬術は片倉小十郎(のちの景綱)がつとめていた。
 しかし、政宗少年は落馬してしまう。
 父・伊達輝政や母・お東の方は怒ったが、
「落馬は小十郎のせいではない! おれが悪いのだ」と政宗がいい、事は丸くおさまるのだった。ここら辺に英雄の気質がみえる。
 ………家臣のせいにするのは簡単だ。しかし、それでは家臣からの人望がなくなる。

「政宗! お主の嫁がきまったぞ!」
 父・伊達輝政は笑顔でやってきた。まだ朝早い。
「嫁にござりまするか?」
 政宗はオウム返しにきいた。
「そうだ! 三春の田村家からの娘でな。愛姫(めごひめ)という愛とは漢字の愛とかく」
「……愛姫…」
「とても美しい娘じゃという。幸せ者だな、のう政宗」
 政宗は答えなかった。
  喜多により書の手ほどきを受けているとき、政宗は「その愛姫とやらはおれの眼のことを知っているのか?」ときいたという。
 喜多は「さぁ、存じません」
「なら……さぞや驚くであろうな? 愛姫とやらは…」
「めっそうもない!」
 喜多は否定した。「若さまは色男ですから愛姫さまも一目惚れすることでござりましょう」
 政宗は訝しがった。……そんな訳あるものか! 
 というのだ。
 誰だって障害者をみれば一瞬でも顔をしかめる。それは現在でも変わらない。
 片目がないから「独眼竜」だ、などというのはきやすめでしかない。
 政宗は片目の障害を一生かけて悩み通した。

  天正七年十二月、姫が米沢にやってきた。
 米沢は三春とは違い、ずいぶんと雪深いところだ。田村家のものは駕籠をのせて同行し、米沢の家臣たちに手渡した。……愛姫を、である。
 こうして、伊達政宗(十三歳)、愛姫(十一歳)は結婚した。
 愛姫は政宗の前で平伏して、
「愛にござりまする。今宵より重ねてご寵愛願いまする」といった。
 確かに愛姫は美しかった。
 黒く長い髪を束ね、透明に近い白い肌、大きな瞳にはびっしりとまつげが生えていて、伏し目にすると淡い影を落とす。血管の浮くような細い腕や足はすらりと長く、全身がきゅっと小さく、愛姫は菩薩がこしらえたような端正な外見をしていた。
 声も可愛らしい。
 しかし、政宗は、
「意味がわかっていっておるのか?」などと怪訝な顔でいう。
「……いいえ」
「そうか。ならいい」
 政宗はやっと笑顔になった。
「愛とやら、おれの顔をなぜ見ない?」
「いえ。そのような…」
 愛姫は顔をあげた。
「おれの眼をどう思う?」
 政宗は迫った。愛姫は何もいえない。
「おれは醜いか?」
「……いいえ。めっそうもありません! 殿は美しゅうござります」
「本心か?」
「はい!」
 愛姫は可愛い顔で、否定して返答した。「殿は美しゅうござります」
 同じ言葉を繰り返した。
「そうか。ならいい」
 政宗はやっと笑顔になった。
  次の日の早朝、愛姫と政宗は一夜をともにしなかった。
 政宗がおきて顔をあらっていると、姫がやってきて、
「おはようござりまする! 若さま!」
 と可愛い顔をみせ、笑みを浮かべた。
「よく眠れたか? 愛」
「はい!」
 愛姫は笑顔で答えた。そして、「小袖を義母上から頂きました」といった。
「そうか」
 政宗は懐から数珠を取り出した。
「おれは母上からこれをもらった」
 すると愛姫もびっくりして、「わたくしも三春の母からこれを…」
 と懐から数珠を取り出した。
 政宗たちは笑った。
「どこの母親も同じだな。子供のことを心配しておる。お守りとして数珠をやる知恵も同じじゃ」
「……まったく」
 しばらくしてから、政宗は愛姫に贈物をした。布で隠してある。
「そなたへの贈物じゃ」
 政宗は上座でいった。
 姫は「なんでござりましょうや?」と正座したままきく。
 と、政宗は、
「開けてみい」という。
 布をとると、そこには『ママごとセット』があった。小さい茶碗やきゅうす、皿、すべてが立派な漆塗りのものである。見事な出来だ。
「…まぁ!」
 姫はその贈物を喜んだ。「うれしうござりまする!」
「そうか。それはよかった。それでお酌のやりかたや料理の盛り付けに励め」
 政宗は無邪気な笑みを浮かべた。
「はい!」
 姫は平伏してから、顔をあげ白い歯を見せた。
「こちらにこい、愛」
 ふたりは不動明王の像のところへいった。
「おれは満海老師のうまれかわりだという」政宗は誇らしげにいった。
「どうしてこの仏さまはこんなに怖い顔をしているのです?」
「それは…」政宗は答えた。「不動明王は世の中の悪や煩悩、憎悪と戦っているから怖い顔をしているのだ」
 虎哉禅師の”うけいり”だった。

  政宗は小十郎より剣術の修行を続けていた。
 一方、国が恋しい幼年の愛姫はママごとをひとりでやって気を紛らわすのであった。
  お東の方は、
「あの姫はまだ懐妊いたさぬのか?」と喜多にきいた。
「はい。それは……授かり物ですので…」
「そろそろ懐妊してもいい頃じゃ。あの姫はひとりでなにやらやっておる」
 喜多は「姫もまだ幼く、故郷が恋しいのでござりましょう」と愛姫をかばった。
「なにを。わらわがあのくらいの頃は、もう梵天丸を産んでおったわ」
「今しばらく! いましばらく愛姫を見守ってやってください!」
 喜多は平伏しながらいった。
「そなたはどちらの味方なのじゃ?」
 お東の方は訝しがった。
 喜多は「両方の味方にござりまする」という。
 お東の方は呆れて、「もうよい。下がれ!」といった。
 喜多が下がると、お東の方は、
「やれやれ、とんだ姫をもらったものじゃ」
 と、溜息をついた。
  ある夜、小十郎が笛を吹いた。
 すると、その笛の音で故郷を思いだしたのか、愛姫は泣き出した。
「愛姫さま!」
 喜多がやってきていった。「もう少しの辛抱ですよ。懐妊でもすればお東の方も若さまも喜ぶでしょう。故郷を思ってのつらさもなくなります」              


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【億万長者への道】他人を憎まず感謝して毎日得意分野で努力継続!

2017年08月12日 17時07分20秒 | 日記






























他人を憎んでも仕方ない。

この社会にはいろいろな考えや性格の人や得手不得手があり、

共同で助け合って生きていくしかない。


例え自分に有害な人でも「自分をかわらせてくれてありがとう」と感謝せよ。

感謝と目に見えぬ努力の末に成功の道がある。

他人と過去は変えられない自分と未来しか変えられない!

またお金の大事さも学ぼう。どんな綺麗事をいったってカネがなければ一切れのパンも買えない。それが現実。

社会的成功者やお金持ちへの嫉妬や妬みから、「どうせ長く続かない」「嫌い」「詐欺みたいなことだろう?」

という憎しみの感情だけでなく、素直に「成功者」のいい点や学べる方法や利点を観よう。

成功者が陰でどれだけ努力していたか努力を続けているか?が大事なのだ。

野球のイチロー選手やテニスの錦織圭選手、ビル・ゲイツやジョブズやザッカーバーグ……

彼らは凡人が好きなことを遊んでいたときも努力を続けてきた。

努力したからこそ報われた。努力や鍛錬を嫌う怠け者なんかに幸運の女神は微笑まない。

努力を嫌えば凡人への道しかない。億万長者になるのは努力を惜しまず、見えないところでも義や努力をする人間だけ。

成功は努力と比例する。怠け者や遊ぶだけの人間などそもそも成功への道の一歩さえ踏んでいない。

千里の道も一歩から。ローマは一日にして成らず。

まずは自分の得意分野をみつけ、ひたすら努力を続けること。

学べば必ず「次」につながる。そうするしか億万長者になれない。

金儲けの仕組みを研究し、実践する。そこはどんな分野でも同じだ。

好きなことでお金儲けをすることだ。イチローもゲイツもザッカーバーグも松下幸之助もすべて同じこと。

好きこそものの上手なれ。自分の得手を金儲けにすることが成功への道の一歩だ。

あとは努力が結果をもたらす。目標が大きければそれだけ時間がかかるが死なない限りチャンスはある。

ガンバレ!

緑川鷲羽改め、上杉(長尾)景虎  2017/08/12 17:06



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【くろげん+戦争特集】子供たちと考える戦争と戦争のない世界

2017年08月10日 21時29分28秒 | 日記



















2017年8月10日、19時30分からの『くろげん+(クローズアップ現代+)』では戦争についてであり、

鈴木梨央ちゃんや鈴木福くんなどと解説者として池上彰氏や美輪明宏先生らが戦争の悲惨さを子供たちに学ばせる、

という内容だった。特に美輪先生の長崎での原爆被害や戦争時の軍国主義者の横暴には心が揺れた。

話はそれるが僕は歌を聴いて号泣したのは美輪明宏さんの『ヨイトマケの唄』『悲しくてやりきれない(美輪さんの唄ではないが)』だけなのだが、美輪先生の含蓄のある悲惨な体験のお話は、涙なくして聞けるものではない。

当時にも戦争反対の気持ちのひともいただろうが軍人の不利なことを少しでもいえば、鉄拳制裁がまっている。

雄弁でも強いわけでもない一般庶民は「沈黙は金」みたいに押し黙るしかなかっただろう。

「軍国主義の連中に国の舵取りをまかせては駄目」とは美輪先生のご体験からの正論である。

美輪先生の被爆のご体験のお話にも涙があふれた。

また、間違ってNHKの深読みの掲示板を数年ぶりにみて驚いたのはくだらない主張をまるで正論で正義であるかのように、書き込んでいる愚かな長文のひとがいたことである。

多分、ハンドルネーム福本清二であろうが、「北朝鮮の核兵器」と「アメリカやロシアやイギリスやイスラエルの核」の、脅威の違いは何か?何が危険性が違うのか?まるで「印象操作」だ。どっちも危険だ。

と書いていて、首をかしげざる得なかった。

何処の誰が考えてもアメリカやロシアやフランス等の核より「北朝鮮の核」のほうが危険なのは火を見るより明らか。

はっきりいって誰でも小学生でもわかる違いである。

また「核兵器の抑止力」を「まるで”原発の安全神話”だ」とまで書く。

書き込んだ本人は正論のつもりでも、主張が馬鹿で子供であり、相手にしてられない。

「福本清二はやっぱり馬鹿だった」

ということである。

主張が子供であり、本人はりっぱな正論を書いたつもりで、掲示板にも掲載されたから「やった!」と思っても、

「馬鹿げた奴」と恥をさらすだけの結果になっている。

これだから頭の悪い中卒ニートは………

ひとの悪口と悪質なデマゴーグと間違いの主張……悲惨……悲惨な”悪口の天才”……

この福本清二という輩は美輪明宏先生の”爪の垢”でも飲んで”まとも”になって欲しい。

今の福本清二は只の「駄目人間」で、意味がない。もう少し猛勉強が必要である。

ネットの検索やコピペや漫画ばかりでなく、もう少し活字を読め!勉強不足を補え!!!

それが福本清二のまずはまともな知識を身につける第一歩だ。

千里の道も一歩から、ローマは一日にして成らず。福本清二、今は君は勉強の時期だぞ。

学ばなければ一生”負け組”のままだぞ!!!


緑川鷲羽改め、上杉(長尾)景虎  2017/08/10 21:28

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ねね あの猿関白禿げネズミ天下人豊臣秀吉の妻・寧々・高台院の全生涯2

2017年08月06日 06時06分37秒 | 日記



































夜更けの本陣に、当時のセンサーともいうべき「鳴子板」の音が鳴り響いた。黒田官兵衛(くろだ・かんべい)は、耳をすます。やがて足音が近づいてきた。軍師の寝床に近づいた栗山善助(くりやま・ぜんすけ)が官兵衛を呼んだ。「一大事でござりまする、軍師殿」「入れ」栗山は戸を開けると手に持った書状を差し出した。「この書状を毛利陣営に運ぼうとした明智の使者が、先ほど鳴子板にか?」「ははっ!」「明智の使者をとらえたのは誰じゃ?」「益田与助(ますだ・よすけ)にござる」書状には明智の署名もある。「すぐに筑前殿(ちくぜんどの・羽柴秀吉)の陣に参ろう」官兵衛は書状を懐へしまい立った。三十七歳なのにもう杖をついている。すでに病で片足があまり動かない。皺だらけの顔は疱瘡みたいにかさかさだ。頭巾をかぶっているが、すでにつるつるの禿げ頭で、ある。秀吉本陣は毛利攻めの水攻めの途中だ。軍師殿は「明智光秀が主君・秀吉の上司・天下人織田信長を討ったこと」に驚かない。軍師は策を練る。「このまま毛利と和睦して「中国大返し」だ。謀反人・明智光秀を討てば筑前殿の天下じゃ」天下に名だたる天才・軍師「黒田官兵衛」の策略の見せ所で、ある。「秀吉殿、いよいよ御武運が開かれましたな!謀反人・光秀を討ち果たし、殿が天下人となる好機でござりまする!」軍師黒田官兵衛は言った。
大河ドラマでは度々敵対する石田治部少輔三成と黒田官兵衛。言わずと知れた豊臣秀吉の2トップで、ある。黒田官兵衛は政策立案者(軍師)、石田三成はスーパー官僚である。
参考映像資料NHK番組『歴史秘話ヒストリア「君よ、さらば!~官兵衛VS.三成それぞれの戦国乱世~」』<2014年10月22日放送分>
三成は今でいう優秀な官僚であったが、戦下手、でもあった。わずか数千の北条方の城を何万もの兵士で囲み水攻めにしたが、逆襲にあい自分自身が溺れ死ぬところまでいくほどの戦下手である。(映画『のぼうの城』参照)*映像資料「歴史秘話ヒストリア」より。
三成は御屋形さまである太閤秀吉と家臣たちの間を取り持つ官僚であった。
石田三成にはこんな話がある。あるとき秀吉が五百石の褒美を三成にあげようとするも三成は辞退、そのかわりに今まで野放図だった全国の葦をください、等という。秀吉も訳が分からぬまま承諾した。すると三成は葦に税金をかけて独占し、税の収入で1万石並みの軍備費を用意してみせた。それを見た秀吉は感心して、三成はまた大出世した。
三成の秀吉への“茶の三顧の礼”は誰でも知るエピソードである。*映像資料「歴史秘話ヒストリア」より。


真田信繁、通称幸村が生まれたのは一五六七(永禄十)年、真田昌幸の次男として生まれている。真田源次郎信繁、兄は真田源三郎信幸である。
その頃、信濃(現在の長野県)・甲斐(現在の山梨県)の戦国大名は怪僧・武田信玄である。だが、信玄入道は天下統一を前に病死してしまう(結核)。
後継者は武田信玄の息子・武田勝頼であった。
一五七五(天正三)年には徳川家康と織田信長との連合軍と武田勝頼が合戦となった。世にいう“長篠の戦い”である。信長の三段構えの銃口の前に武田軍騎馬隊は大敗北、である。
真田昌幸と同僚の穴山梅雪は「武田は名門、織田軍が二〇万といえど負けませぬ」という。
だが、武田軍はどんどんと裏切り者が多くなる。いち早く裏切ったのが武田の重臣・穴山梅雪でもあった。
「武田は負けるぞ。」真田昌幸は幸村や兄の信幸にいった。
「な?武田は負けぬと…」
「誰が言ったんだ、そんな馬鹿な事」
「父上自身が…」
「忘れた」昌幸はにやりとなった。
昌幸は「御屋形さま、どうか真田の城へ!拙者らが守りまする!」
だが、武田勝頼は家臣に騙され、さすがの信玄の武田家も三月には滅んでしまう。
武田勝頼は惨めな片田舎の寺で切腹、織田方徳川方に首を晒された。
昌幸は本城である岩櫃(いわびつ)城にいて、後から落ち武者のように岩櫃に逃げた息子の信幸・幸村らを迎えた。
昌幸は幸村・信幸ら息子に、「お前ら北の上杉景勝か南の北条か、どちらをとる?」ときく。
信幸は「上杉かと」
幸村は「いや北条も徳川もあなどれませぬ」という。
が、戦国一の軍略家の真田昌幸は「われらは織田信長につくぞ」という。
「えっ?!」息子たちは驚くしかない。
だが、「確かに織田信長の勢いは破竹の勢い、父上の戦略はごもっとも!」幸村は頷いた。
そして「わたしを織田への使者のひとりに加えてくだされ、父上!」
「そうか信繁。そちも第六天魔王織田信長をみたいか?」
「はっ!織田信長は現在信濃の諏訪の法華寺(ほっけじ)にいるとか…今なら織田信長に接見できまする。あの長篠の奇策、近江での楽市楽座、興味がありまする!」
「よし!信繁、共にいこうぞ!真田の博打じゃ!」
「はっ!」
こうして真田昌幸と真田信繁(幸村)は織田信長と接見した。
唖然とした。ブーツを履いて伴天連の洋服を着て、ワインなる洋酒を飲んでいる。
徳川家康はそれに従っている。惨めなのは明智光秀である。
家康の接待役でしくじり、信長の逆鱗に触れボコボコに殴られ、寺の柱に頭を打ちつけられ血だらけになった。「お許しを!お許しを!」
「光秀!貴様!」
「…信長殿、もうその辺で…」
家康は光秀をかばった。その様子を真田信繁や父親・昌幸は唖然と眺めた。
………織田信長は狂人ぞ。
その数か月後、光秀は挙兵、「敵は本能寺にあり!」。
本能寺で信長は天下を目前に討たれて死んだ。享年四十九歳。
昌幸は上杉、北条を経て、家康に従属するはめになる。
一五八三(天正十一)年には真田昌幸によって信州上田城の築城が始まった。
上杉に人質に行った真田信繁(幸村)はふたたび家康に、そして天下人・羽柴(豊臣)秀吉への従属を決めるのである。
秀吉方についた真田一族ではあるが、秀吉死後は後述通りの武勇をみせ、関ヶ原の合戦では上田城で徳川秀忠の本陣軍をこてんぱんにし、西軍敗北後は九度山に数十年蟄居、大坂冬の陣、夏の陣で幸村は最後には日の本一の兵(ひのもといちのつわもの)と呼ばれることになる。
それは本編でお楽しみあれ。
真田丸「第1話」のあらすじ(インターネット内『ネタバレ』より)
大河ドラマ「真田丸」の物語は、武田家が滅亡する場面から始まります。
1582年1月、武田勝頼に臣従しており、武田信玄の娘を正室に迎えていた木曽義昌が、織田信長に寝返ります。
危機を迎えた武田勝頼は、諏訪・上原城に一族筆頭の穴山梅雪、親族衆の小山田信茂、家老筆頭・跡部勝資などを集めて軍議を開きますが、その席にて真田昌幸が「一旦、新府城に引いて様子を見るべき」と進言します。
そして、真田信幸に一足先に新府城に戻り、徳川家康の様子を探れと言いつけます。
真田家も武田家に忠節を誓う為、新府城に人質として、真田昌幸の妻・薫と、母・とりを出しており、その屋敷には、真田昌幸の長女・松と、その夫・小山田茂誠も訪問していました。
この頃、真田信繁は甲斐南部にて徳川勢の動きを探っており、夢中になりすぎて、矢沢頼幸(矢沢三十郎)の制止も聞かず、深追いしてしまい、危ないところをなんとか逃げてきました。
真田昌幸は、高梨内記らと新府城の真田家屋敷に入りますが、武田を裏切った木曽義昌の妻子が処刑されたと聞いた、薫らは心配顔です。
そのため「この真田昌幸がいる限り、武田が滅びる事はない」と言い、安心させます。
しかし、真田信幸と真田信繁を呼び部屋に籠ると、真田昌幸は「武田は滅びるぞ」と打ち明けます。
織田信長の軍勢は、長篠の戦いの時とは比べものにならないほど、既に強力な兵力となっているのをわかっていない真田昌幸ではありませんでした。
そして、新府城を捨てると心の内を話します。ご承知の通り、新府城はまだ未完成だったのです。
それからほどなく、2月25日に武田親族筆頭の穴山梅雪が、人質となっていた家族を密かに逃がして、徳川家康を通じて内通し、徳川勢の甲斐侵入を手助けしました。
驚いた武田勝頼は、重臣を集めて軍議を開き、真田昌幸は、自分の居城・岩櫃城にて再起を図ろうと説得します。
その賢明な説得に武田勝頼は応じて、真田昌幸らは準備の為、先に岩櫃城へと向かいます。
しかし、跡部勝資と小山田信茂らは、真田昌幸がいないことをいい事に、小山田信茂の岩殿城へと武田勝頼に促します。
武田勝頼は、まだ新府城の屋敷に残っていた真田信幸と真田信繁に「岩殿城に行く」ことを明かし、人質らと岩櫃城へ逃れよと言います。
こうして、真田信幸と真田信繁は、母・薫と、祖母・とりなどを連れて、岩櫃城を目指しますが、忍者の佐助には書状を託して先に岩櫃城へと向かわせました。
そして、真田信幸と真田信繁ら一行は、武田勝頼を見送ったあと、火が放たれた新府城をあとにして、一路、岩櫃城を目指したのです。
岩殿城を目指す武田勝頼は、その途中、高島城の落城と言う知らせが届いたりする度に、家臣の離反が相次ぎ、600名した供はいつしか100名程度になっていました。
先に岩殿城に赴いて準備をすると言った小山田信茂も、笹子峠を封鎖して、武田勝頼を裏切ったのです。
真田丸「第2話」のあらすじ
第2話は、真田信幸と真田信繁は、母・薫と、祖母・とりらが、困難を乗り切って、岩櫃城へ逃れる話からとなります。
史実でもこの逃避行は、苦労があったとされています。
真田丸の話のなかでは、途中、百姓の落ち武者狩りにあいます。
その頃、岩櫃城の真田昌幸のもとには、武田勝頼が小山田信茂の岩殿城へ向かったと言う知らせが届いていました。
真田信繁の一行には、命を受けた小山田八左衛門が現れて、捕えようとします。
一方、小山田信茂に裏切られた武田勝頼一行は、田野にて最後の力を振り絞って滝川一益勢と戦うも、すでに40名ほどしかおらず、自刃して果てました。
「御屋形さま!……いえ、お父上さま、申し訳ありません!」
武田勝頼は亡き武田信玄の亡霊に涙で詫びると切腹します。
「ごめん!」
介錯の部下が首を落とすと、あの武田家は滅亡するのでした。
その夜、武田信玄の亡霊が真田昌幸のもとに現れますが、何も言わずに消え、佐助が悪い知らせを届けにきました。
「武田勝頼さまご自害!武田家滅亡!また信繁(幸村)さま信幸さまとりさまら危うし」
「何っ?!」
真田信繁の一行に同行していた小山田八左衛門は、ついに刀を真田信幸らに向けますが、そこに手勢を率いた真田昌幸が到着し、小山田八左衛門らは逃走します。
甲斐善光寺にて織田信忠に臣従を誓った小山田信茂は「主君を裏切った不忠者」として斬首を言い渡されます。「……そ、そんな……馬鹿な…ひいいっ!」
「信繁、信幸、上杉と北条どちらがいいと思う??」
「上杉もあなどれませんぬなあ」
「いや、やはり北条では?」
「いや!…わしは織田信長じゃと思うのじゃ。上杉は謙信が死んだ。北条はまだ織田勢に対抗できない。織田信長こそ天下にもっとも近い!!織田じゃぞ!」
岩櫃城に戻った真田昌幸らは、上杉景勝を頼るか、北条氏直につくか、思案しますが最終的に織田家に臣従する道を選びます。
真田丸「第3話」のあらすじ
岩櫃城では、真田昌幸が矢沢頼綱のジイと、真田信尹らが今後の事を議論した。
真田昌幸は、小県の国衆を調略しようと考えている。
徳川家康は激戦となった高遠城に入り、仁科信盛が自害した場所に、本多忠勝・本多正信と共に手を合わせた。
信濃の国衆である出浦昌相(出浦盛清)と室賀正武も、真田屋敷に集まって織田信長につくのか議論となった。
一方、真田信繁は、真田の地侍である堀田作兵衛を訪ねようとすると、そこに高橋内記の娘・キリがやってきた。
真田信繁は、堀田作兵衛の娘・梅がお気に入りで、キリに「櫛」を渡してほしいと頼むのだが、キリは直接渡せばと、真田信繁の手を引っ張って梅のところに連れて行った。
真田信繁は照れてしまい、なかなか櫛を渡せずにいると、梅が「お土産だって」と勝手に櫛を見せる。
しかし、櫛はお梅のは上等なものだったが、キリに渡したものは安物だった。
さて、真田昌幸は、上杉景勝への密書を届けるように、真田信幸に託す。
さっそく、真田信幸は妻・こうを呼び、旅支度をすると、佐助と共に越後へと向かった。
この動きは、忍びを放っていた出浦昌相にすぐさま報告される。
真田信繁らは、隣村から薪を切りに来た現場を見つけると、堀田作兵衛や梅らと退治するが、梅と真田信繁が親しげにしているのをキリは気に食わない。
皆で山を下りていると、林の中から疲れ切った小山田茂誠が出てきた。
真田信幸らは出浦昌相と室賀正武らの忍者らに襲撃されて、上杉家への密書を奪われてしまい、佐助は怪我をしてしまう。
真田屋敷に戻った真田信幸は、父・真田昌幸に詫びて、すぐに取返しに行くと言ったところに、密書を奪った室賀正武がやってくる。
実は、手紙の内容は、上杉景勝から寝返りの打診を受けた返書と言う内容だったのだが、そもそも、上杉家からそのような話は届いていない。
要するに、真田昌幸が上杉景勝への返事の手紙を偽装し、わざと奪わさせて、その手紙の内容を信じている出浦盛清が織田信長に通告するよう仕向けたのです。
これで、織田信長に「真田昌幸は、ほうぼうから声が掛かると言う注目すべき武将なのか?」と思わせる作戦だったのです。
怪我をしたはずの佐助も、ぴんぴんした様子で現れては、真田昌幸から賞賛を得ると、また風のように去っていきました。
さて、小山田茂誠の取り扱いに困った真田信繁は、兄・真田信幸を堀田作兵衛の家に連れて行き、小山田茂誠に合わせます。
真田信幸は、小山田茂誠に対して切腹するよう迫りますが、小山田茂誠の妻で、真田信幸らの姉でもある松が、かばいました。
翌日、織田信長より真田昌幸に対して参上するようにとの連絡が届き、生きて帰らなかった時は、頼むと真田信幸にあとを託して行くのでした。
真田丸「第4話」のあらすじ
第4回は、いよいよ、真田昌幸と真田信繁が諏訪の法華寺にて織田信長に対面します。
廊下の向こうからは、少し先に織田家に臣従した室賀正武がやってきたので「密書を奪ったのはお主か?」と知らない素ぶりを演じた。
待っている間、真田信繁は織田勢の武器などを見て回り、感心していると、これらは徳川の物だと指摘された。
その武将は、徳川家康と本多忠勝であったが、真田信繁はまだ2人が誰なのかはわかっていないところに、父・真田昌幸がやってきて、徳川家康らと挨拶を交わした。
「これは徳川家康さまに本多忠勝さま」
「お主は?」
「あ、しっけい。みどもは真田安房守でござる。こちらは次男の信繁(幸村)」
「あ!申し訳ござらん。徳川家康さまとは存じませんで…」
「いやいや。」
「息子が失礼を」
「いやいや。ほう。そちが武田の軍師じゃった真田安房守昌幸殿か?」
「ははっ。」
「……徳川は滅亡した武田には散々困らされた。三方が原の戦いでは武藤喜兵衛というものがいて軍師でのう。散々討ち負かされたのう。御存じないか?」
「武藤喜兵衛???はて?存じませぬなあ」
真田昌幸は徳川家康に、織田信長への貢物の相談を行うが、かつて三方が原の戦いにて「武藤喜兵衛」と言う武将から手痛い目に会ったと話題を変えられた。
しかし、その頃、武藤喜兵衛と称していた真田昌幸は「存じませぬな」と、答える。
滝川一益に案内されて部屋に入ると、まず、織田信忠と徳川家康が入ってきて、織田家へ臣従する書状と、例の上杉家に出した書状を見せて、上杉に臣従するつもりだったのではと質問をしてきた。
これに対して真田昌幸は「方便でござる」と涼しげに答え、真田のような小勢力が、上杉から攻められないための布石であると弁明し、織田信長によって我らを守り抜いてもらわねば困ると言います。
徳川家康は、わざと偽の手紙を上杉に出したのではと疑い、直江兼続に確かめるぞと脅すが「確かめたければ確かめればよい」と真田昌幸も引かなかったことから、徳川家康は勘違いであったとこの場を収め「さすが武勇を馳せた武藤喜兵衛である」と称賛した。
そこに織田信長が入ってくると、一言「よき面構えじゃ」と一言放ち、真田昌幸の織田家臣従が認められた。
こうして、真田昌幸は滝川一益の配下に加わり、岩櫃城と沼田城は織田家に差し出すよう言われる。
また、安土城へは誰を人質に出すかの議論も始まる。
そして、滝川一益は、小県の国衆のまとめ役に、真田昌幸を指名する。
しかし、京では天下を揺るがす大事件が起きようとしていた。
真田丸「第5話」のあらすじ
「敵は本能寺にあり!」
明智光秀は馬上で叫んだ。いわゆる本能寺の変である。
水色ききょうの軍勢は本能寺の織田信長を襲い、討ち負かした。
織田信長の天下取りの野望はこれでついえた。信長享年四十九歳……
1582年6月2日、明智光秀による謀反で、織田信長が本能寺の変で命を落としました。
武田勝頼が自刃してから僅か3ヶ月後の事です。
また、織田信忠も二条城にて明智勢と戦い、自害して果てました。
この時、堺を遊覧していた徳川家康は人生最大のピンチに立たされます。
大坂・堺から本拠地・岡崎城に戻るにしても、京は明智勢がおり、海は海賊と進む道がありません。
一緒にいた穴山梅雪は単独で琵琶湖付近から東へ進む道を選択しますが、徳川家康は、付き従っていた石川数正、本多忠勝らと伊賀を越えて行く事になりました。
「悪党ども案内せよ!服部半蔵、この家康、岡崎の城まで逃げるぞ!」
「はっ!この半蔵におまかせを!まずは走りましょう!」
「あ?」
「岡崎城まで駆けて逃げのびるのです!」
「え?そうか。仕方ないのう…」
この頃、人質として松を届けるため、安土城下に滞在していた真田信繁は、京で変事があったことを知ると、小山田茂誠に松を託して、矢沢頼康(矢沢三十郎)と共に京に行ってみて何があったのか確かめる事にします。
まだ、本能寺の変を知らない真田の里では、高橋内記は娘・キリを真田家へ奉公に出し、将来、真田信繁に嫁いでくれる事を願っていると伝えます。
徳川家康は伊賀に縁がある服部半蔵の手助けもあり、命からがら岡崎城へ入りました。
真田昌幸は、京から戻った薬売りからの情報で、本能寺にて織田信長が討たれた事を知ると、そこに明智光秀からの使者が書状を届けてきます。
そして、真田昌幸は、他の国衆ヘの書状はすべて燃やし、急ぎ召集をかけました。
京にて明智光秀の謀反を知った真田信繁は、安土城の姉上が危ないと悟ります。
収集した国衆からは、織田家についた真田のせいだと言う意見もでるが、真田昌幸は上杉景勝に臣従すると言い、既に向かわせていた真田信尹は、上杉景勝から快諾を得ていました。
安土城では、松を探し出しますが、一緒に捕われている20名ほどの女性と一緒に逃げると言い、明智勢に包囲されると真田信繁は井戸の抜け道を見つけて安土城の外に逃れます。
真田丸「第6話」のあらすじ
本能寺の変から2日経過し、安土城下は明智勢に占拠されます。
真田信繁ら20数名は、琵琶湖近くの小屋に潜んでましたが、子供が泣きだし、明智の兵に見つかったしまいました。
真田信繁は応戦して人質らを逃がしますが、明智の兵は松を必要に追いかけます。
崖に追い詰められた松は、身を投げてしまい、真田信繁は矢沢頼康(矢沢三十郎)と佐助と共に信濃を目指して逃れます。
前橋城に呼ばれていた真田昌幸は、滝川一益からの人質要請に応じ、一刻も早く明智光秀を討つように促します。
現時点ではまだ織田についている以上、滝川一益に頑張ってもらわないと困るからですね。
信濃を目指していた真田信繁は、信濃から脱出を図る森長可と出浦昌相らに遭遇します。
真田昌幸は、滝川一益を上野から追い出したら、北条氏直に臣従しようと国衆らと意見が一致します。
真田信尹も、小田原城にて北条氏政・北条氏直と面会します。
滝川一益への人質は「とり」に頼むことになり、沼田城へはキリも同行して送られました。
山崎の戦いにて羽柴秀吉(豊臣秀吉)が明智光秀を早くも討ち果たすと、北条家は5万の大軍にて上野へ侵攻するのです。
真田丸「第7話」のあらすじ
1582年6月18日、神流川の戦いにて総崩れとなった滝川一益は、箕輪城へ退却します。
真田昌幸は、とりが人質になっている沼田城を奪還しますが、とりが行方不明で見つかりません。
沼田城を矢沢頼綱に任せて、岩櫃城へは真田信幸を向かわせ、真田昌幸は箕輪城を目指します。
夜になり、真田昌幸と真田信繁が箕輪城に入ると、滝川一益は「よう来てくださった」と援軍と勘違いします。
滝川一益が伊勢に逃げると言うなか、人質の居場所を確認しますが、その後、滝川一益は沼田城と岩櫃城は真田昌幸に返そうと思うと言い、拍子抜けします。
滝川一益らが小諸城に到達した時に、人質を奪い返そうと考えますが、ちょうどその頃、滝川一益の家臣・長崎元基(長崎元家)が、沼田城などが武力によって真田昌幸に奪還されていたことを告げます。
そして、計画通り、小諸城にてとりやキリを救出しようとした真田信繁ですが、逆に滝川一益らに捕まってしまいます。
真田丸「第8話」のあらすじ
北条氏直の大軍は碓氷峠を越えて信濃へ侵攻。徳川家康は甲斐へと入った。
真田信繁は、真田信尹に従って春日信達との交渉に挑むも、感触は良くない。
春日信達の寝返りを手土産にしようと考えていた真田昌幸であったが、北条氏直が小諸城に入ったため、もう待てず北条氏直に臣従の挨拶へと向かった。
北条氏直の機嫌が悪い中、小田原城からやってきた北条氏政の取り成しで事なきを得る。
ところが、真田昌幸が北条家に寝返ったことが早くも上杉景勝の知る所となり、真田信尹と真田信繁は呼び出され、直江兼続から鋭い視線を浴びる中、自分たちは上杉に臣従すると言うしかなくなる。
真田丸「第9話」のあらすじ
北条家の殿(しんがり)として真田の郷に残った真田昌幸は、生き残るために懸命に知恵を絞るのだった。
織田家は退き、北条家は矛先を変えて徳川家を攻めているが、上杉景勝は動かない。
したがって信濃はぽっかりと空き、そこで真田昌幸は大名なしの国衆が治める国を目指そうとしていた。
反目していた室賀正武とも手を結び、小県の国衆はまとまり始める。
「真田昌幸!この信濃の岩櫃などや信濃・上野・沼田・東北部を頼む!」
「………あいわかった!」
甲斐に進出した徳川家康は北条氏直に攻められ、本多正信の進言で、真田家と手を結ぶことを決めた。
約定は信濃一郡と上野の沼田城を真田領として進呈すること。
これによって真田昌幸は北条家から徳川家に寝返る。
軍議の場では真田信繁の「甲斐を攻める北条の兵站を断つ」という策が、真田軍が小諸城を押さえることで成功した。
「北条に泡を食わせ、徳川に恩を売る」ことができ真田屋敷に凱旋したところで、急を知らせる書状が届く。
なんと今度は徳川家が真田家との約束を反故し、北条家と和睦して甲斐・信濃・上野・沼田を両軍で分け合うという約定を結んだのである。
そこには真田の領地も含まれていた。
「……何っ?!徳川と北条が和議を結んだじゃと???」
「父上!」
室賀が「話が違うではないか?昌幸!」
「しかし、徳川と北条が和議を結ぶなど誰にも考えられないかと」
「黙れ、小童(こわっぱ)!」
室賀は信幸を一喝しました。
真田丸「第10話」のあらすじ
ここで真田信繁は三河の徳川家康、越後の上杉景勝と面会することになります。
まずは徳川家康ですが、約定を反故にされたことに対する抗議とともに、上杉領の虚空蔵山城への楔として小県の上田平に城を築くに当たり、徳川家に負担してもらうというものです。
兄である真田信幸と共に使者に出向き、見事に城の普請の了承を得ます。しかし一方で沼田城を北条家に譲るように迫られるのです。
沼田は真田領の要であり、沼田城は真田昌幸の叔父である矢沢頼綱が城主を務めています。
当然ながら、北条氏直に譲ることに真っ向から反抗したため、やがて北条氏邦らに攻められます。
そんな沼田城の戦を終わらせるべく、真田信繁は続いて上杉家へと向かうのです。
「よくものこのこ上杉にこられたものじゃのう?真田信繁!」
直江兼続は一喝します。
今まで黙っていた上杉景勝は家臣に薙刀の鋭い刃で四方八方から狙われてもなお平伏している真田信繁に興味を持った。
「刃をおさめよ!やめーい!」
景勝がいうと家臣たちは刃を収める。
「よくのこのこ上杉の春日山城までこれたのう?真田は上杉ではなく北条や徳川につくのではないのか?」
「いいえ。めっそうもありません!」
「ならば上田城築城は?上杉への備えではないのか?」
「いえ!上田城は徳川への備えであります!」
「なに?しかし、築城しているのは徳川ではないか?」
「そうです。敵に作らせ、そしてその敵の備えとする。我が父・昌幸の策であります」
「……ほう。気に入った!さすがは真田昌幸じゃ!」
「そこでご提案が御座います!」
「なんじゃ?」
「上杉さまには虚空蔵山(こむぞうさん)城で真田勢に勝つ芝居をして頂きたい」
「ん?」
「虚空蔵山城にて真田がこてんぱんにやられたときけば信濃・上野にいる北条軍は次は自分達だ、と恐れて逃げ出すでしょう。戦わずして勝つ、孫子の軍略です」
「……なるほど。わかった!」
普段笑った事もなかった上杉景勝がにやりとなった。「おもしろい。まるで謙信公じゃ」
上田城建築は上杉家への備えではなく、実は徳川家への備えであることを伝えます。
徳川にも北条にも屈しないという武士の意地だけではなく、虚空蔵山城での上杉対真田の戦芝居も提案しました。
上杉景勝は真田信繁を気に入り、その策にのって戦芝居で真田を破ります。
上杉の勢いを恐れた北条氏政は撤退を決め、沼田城は守られたのでした。
大活躍の真田信繁にはさらなる吉報が届きます。
梅が真田信繁の子を身籠ったのです。
「でかしたぞ、梅!」
「はい。信繁さま」
そして真田信繁は、梅に対して妻になってもらいたいと伝えるのでした。
捕虜となった真田信繁らは、滝川一益が木曽を抜ける際に、木曽義昌に譲ると言う条件で、無事に木曽を通って逃れた滝川一益であったが、既に羽柴秀吉による清洲会議の決着はついていました。
真田信繁ら人質は木曽福島城へと送られますが、木曽義昌はとりの姿を見ると平身低頭します。
「おばばさま。」
「三郎!お前、よくも恩義がある武田家を裏切りましたなあ」
「仕方なかったんじゃ。織田方につかねば木曽領は滅ぼされていましたもんで」
「ばばさま、木曽義昌さまとお知り合いで?」信繁は驚いて聞きます。
「ああ。こやつは信玄公の前でしょんべんを漏らしたのじゃ」
「まだ子供の頃でこわくてこわくて。その話はもうご勘弁を…」
「三郎!ばばはよいが信繁とキリは真田に還してはもらえんか?」
「しかし、ばばさま。織田勢や北条や徳川や上杉が怖いんじゃ。人質とは宝で、身の安全の為に必要なんです」
「三郎!お主はこのばばのいうことがきけないのか?」
「え?……いやあ…困りましたなあ」
とりは「大恩ある武田を裏切りおって」と木曽義昌を平手打ちし、人質を返すようにと要求し、真田信繁とキリだけは開放される事になりました。
真田昌幸は上杉景勝に会いに行き、上杉家から色よい返事をもらいますが、戻ると、とりを残して帰って来た真田信繁を叱ります。
そして、真田信尹と共に、現在、上杉家に味方している春日信達(武田家の名軍師・高坂弾正の息子)を調略して、北条家に願えさせろと命じるのです。
真田丸「第11話」のあらすじ
味方になると思ったら、敵につく、そんな真田家が邪魔に感じてきた徳川家康は、本多正信を介して真田昌幸の暗殺を計画します。
実行犯は真田昌幸の幼馴染にして競争相手でもあった、同じ国衆の室賀正武に命じました。
小県の惣代という餌をぶらさげられた室賀正武も苦悩します。
上田城が国衆のものではなく真田家のものであることが判明したからです。
真田昌幸もそんな室賀正武の気持ちの変化に気づきました。
そして、暗殺をするようにと仕掛けるのです。
さて、真田信繁と梅の結婚は周囲から認められていましたが、身分の差から正妻にはなれず、側室として向かい入れることになりました。
この場合、祝言は開かないのが当時の習わしでしたが、真田信繁は祝言を挙げたがり、母親である薫(山手殿)が猛反対します。
この機会を真田昌幸は室賀正武を成敗する好機として祝言を強行し、その宴にて見事、室賀正武を討ち果たします。
真田昌幸はこのとき「家来になれば許すが」と問いますが、室賀正武は「お主の家来にはならぬ」と答え、討たれました。
「父上、兄上??何故室賀殿が血だらけで縁側で息絶えているのですか??」
「信繁。室賀はわしを殺しにきたのだ」
「え???」
「それを父上が返り討ちにされた」
祝言を利用し、血で穢したことにもっとも怒り、泣いたのは真田信繁を慕っている「きり」でした。「ひどい!こんなことで祝言を血で汚すなんて…お梅ちゃん、信繁さん、あんたたちこんなんでいいの?大事な祝言を血で汚して…あんまりよ!」
「父上?兄上?」
「信繁、これが戦国ぞ」昌幸は諭すように言います。「これが戦国の世じゃ」と。
真田丸「第12話」のあらすじ
1584年、徳川家康は「小牧・長久手の戦い」豊臣秀吉に勝利します。
次に問題となるのは北条家との関係である。北条氏政は沼田城の問題で真田家と戦っている最中で、そのことで徳川家に助力を求めてきていた。
徳川家康に完全に不信感をもった真田昌幸は、またしても上杉景勝と手を結ぶことを決めたのである。
そこで上杉景勝は真田信繁を人質に出すように求めてくる。
真田信繁は矢沢三十郎を伴って春日山城に向かった。
そこで知った事実は上杉景勝がいかに義に厚い武将なのかということと、実質政治を取り仕切っているのは直江兼続であるということであった。
直江兼続は真田昌幸の本心を探ろうと、沼田城を上杉家に引き渡すようにと無理難題を突き付ける。
上杉景勝と真田信繁は漁民たちのもめ事を解決していく中で理解しあうようになり「お主のような子が欲しかった」と、上杉景勝に言わさせるまでになった。
これで沼田も小県も真田領として認めるという起請文を受け、真田家は本格的に徳川家と手切れとなり、上杉と手を結んだ。
「上杉は義の戦しかせぬ。上杉謙信公はよく弱きを助け強きを挫け!とおっしゃっていた」
「立派なお考えかと」信繁はいう。
「だが、もはや上杉には謙信公がいない…この景勝では謙信公と同じとはいかない」
「………」
「じゃが、上杉の義はけして滅びない!」
「その通り!」
「すべては義じゃぞ、信繁」
「ははっ!」
1585年、報復の為、徳川家康は7000の軍勢を上田城へ差し向けたため、上杉景勝は真田信繁が春日山城を離れて援軍として帰郷することを許す。

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東大倍増、ハーバード大学院4人 “安定=高学歴”か —— 安倍新内閣閣僚の出身大学から見えるもの

2017年08月05日 05時50分06秒 | 日記




























東大倍増、ハーバード大学院4人 “安定=高学歴”か —— 安倍新内閣閣僚の出身大学から見えるもの








新しい安倍内閣の顔ぶれを見て驚いた。ハーバード大大学院出身の大臣が4人もいる。茂木敏充(経済再生・人づくり革命大臣)、上川陽子(法務大臣)、林芳正(文部科学大臣)、斎藤健(農林水産大臣)である。4人はケネディスクールと呼ばれる公共政策大学院に通っていた。しかも4人とも東京大出身だ。
ほかにもアメリカの大学院で学んだ大臣がいる。ボストン大大学院の世耕弘成(経済産業大臣)、ジョージタウン大大学院の河野太郎(外務大臣)だ。世耕は早稲田、河野は慶應の出身である。
ハーバード大、ボストン大、ジョージタウン大いずれもアメリカではトップスクールであり、相当に優秀でないと通えない。
続いた閣僚の失言などに懲りて「安定・実力」派を選んだと言われる安倍新内閣。© Getty Images: Bloomberg 続いた閣僚の失言などに懲りて「安定・実力」派を選んだと言われる安倍新内閣。
現在の安倍内閣。正式には第3次安倍晋三・第3次改造内閣と呼ぶ。舌をかみそうな名称である。2012年に政権復帰してから6回目の組閣となった。
政権復帰(第2次安倍内閣)以降の大臣出身校を見てみよう(第2次安倍改造、第3次安倍内閣第2次改造は省略。最終学歴は日本の大学で集計)。
第2次安倍内閣(2012年12月発足) 東京大4、早稲田大3、慶應義塾大3。1人が京都大、東京水産大(現・東京海洋大)、千葉大、東北大、学習院大、中央大、法政大、明治大
第3次安倍内閣(2014年12月発足) 東京大3、慶應義塾大3、早稲田大2。1人が京都大、神戸大、東京農工大、防衛大学校、青山学院大、学習院大、国際基督教大、成蹊大、聖心女子大、中央大、法政大
第3次安倍改造内閣(2015年10月発足) 東京大4、慶應義塾大3、早稲田大2。1人が神戸大、防衛大学校、青山学院大、学習院大、成蹊大、専修大、中央大、日本大、法政大
第3次安倍第3次改造内閣(2017年8月発足) 東京大8、早稲田大3。1人が慶應義塾大、学習院大、上智大、成蹊大、玉川大、日本大、法政大、明治大、立教大
今回の安倍内閣では東京大が倍になった。これまでに比べると、かなりの高学歴内閣と言える。安倍が意図してのことだろうか。それともたまたまなのだろうか。
東京大8人のうち、官僚出身は4人いる。大蔵省出身が加藤勝信(厚生労働大臣)、中川雅治(環境大臣)。建設省出身が石井啓一(国土交通大臣)、経産省出身が斎藤健(農林水産大臣)。加藤、中川は官僚経験が長いので実務には長けている。公明党選出の石井は当選8回と官僚よりも政治家としてのキャリアが長いが、短いながら官僚経験があるゆえ、官をうまくコントロールできるのだろう。斎藤は課長職からの転身、当選3回ゆえにその能力は未知数だが、農林水産副大臣を経験しているのでど素人ではない。
東京大、ハーバード大大学院組を見てみよう。
林は元大蔵大臣・林義郎を父に持つ2世議員で三井物産出身。上川は三菱総研研究員、アメリカの上院議員政策スタッフを務めた。茂木は丸紅、読売新聞、マッキンゼー社を経て政治家となる。3人とも早い時期に大臣を経験している。永田町では切れ者として通っており、実務能力は抜群と言われている。初入閣の斎藤は前述のとおり。
もう1人。小野寺五典(防衛大臣)は、東京水産大、東京大大学院法学政治学研究科の出身。少なくても前任の大臣よりもまともな人材をという意味では低いハードルを、防衛大臣経験者の小野寺は楽々とクリアできると読まれたのだろう。
今回の改造は「実力・安定」内閣と呼ばれ、安倍は安全パイを求めた。前内閣の防衛大臣の稲田、地方創生大臣の山本、法務大臣の金田のふらついた答弁、あぶなっかしい言動に懲りたのだろう。
支持率を回復させるため、安定を求めて実力派を呼び寄せた。官僚をうまく使える、実務に優れている人材を求めたら、それが東京大出身者8人にたどりついてしまったわけだ。
はじめに東京大ありき、ではないだろうが、実際、官僚出身など東京大卒が大臣になるような選び方をしている。それはお友だちと別れたことを意味する。こうでもしなければ、政権が持たないと悟ったのだろう。
一方で、今回の安倍内閣には相変わらず2世が多い。 鈴木俊一(五輪担当大臣=早稲田大)の父は元総理大臣の鈴木善幸、義兄は麻生太郎という毛並みの良さだ。 初入閣の梶山弘志(地方創生大臣=日本大)、江崎鉄麿(沖縄・北方、消費者行政大臣=立教大)、小此木八郎(国家公安委員長、防災大臣=玉川大)の父は、派閥の幹部を務めた大物政治家で大臣もいくつも務めた。
2世議員の宝庫と言えば、慶應義塾大である。しかし、閣僚は河野太郎(外務大臣)1人だけだ。
現在、2世国会議員で慶應出身者は41人もいる。第2次安倍内閣以降の大臣ではほかに石原伸晃、甘利明、石破茂がいた。いずれも父は大臣を経験している。
ベテラン議員では大島理森、小沢一郎、越智隆雄、中曽根弘文、丹羽雄哉、船田元、平沼赳夫など。父親が大物政治家は、御法川信英、奥野信亮、橋本岳、岸信夫、松野頼久など。圧倒的に自民党が多く、政治家が子どもを慶應に行かせたがる風潮はいまも昔も変わっていない。
国会議員 (衆・参)の出身大学ランキングは次のとおり(2017年6月)。
© Business Insider Inc 提供
東京大144、慶應義塾大87、早稲田大76、中央大31、京都大30、日本大29、創価大18、明治大16、上智大11、法政大11。
中央大、早稲田大は弁護士からの転身組が見られる。
日本大、法政大は地方議会議員出身が多い。その象徴が菅義偉だろう。派閥の力関係をうまく調整する、野党を押さえ込む、官僚を自由に操る、ひ弱な2世議員を一喝する、その権謀術数に長けた政治手腕は、地方から 切った張ったの世界で生きてきた、たたき上げによって培ってきたものだ。年季が違うといわんとばかりに官房長官の在位記録を伸ばしている。
政治家の出身大学が政治に与えうる影響について、政治学者の御厨貴・東京大名誉教授に見解を求めたことがある。こう話してくれた。
「国会議員の出身大学はばらけたほうがいい。特に大臣の出身は首都圏大学に偏らないほうがいい。喫緊の課題である地方創生を実現させるためにも、さまざまな大学出身者の活躍を期待したい」
安倍1強ならぬ東京大1強で大丈夫だろうか。
私たちは東京大、官僚、ハーバード大組で「このハゲ~」と叫んだ議員を見てきたばかりで、不安になる。国民の思いが政治に生かされない。それを東大大臣、ハーバード大臣のせいにされないように、まっとうな政治をおこなってほしい。(本文敬称略)

小林哲夫:1960年生まれ。教育ジャーナリスト。おもに教育、社会運動問題を執筆。1994年から「大学ランキング」の編集者。おもな著書に『早慶MARCH』『高校紛争1969-1970 「闘争」の歴史と証言』『東大合格高校盛衰史』『ニッポンの大学』など。

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