緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

東日本大震災から5年 最大のドキュメント   『大型時代小説 東日本大震災<緑川史観>』VOL.7

2015年11月30日 07時36分38秒 | 日記












<「新世界大戦の時代」著作落合信彦小学館SAPIO誌2014年9月号><レーガン・サッチャーの緊張関係と比べると、いまの日米関係はまるでおままごと>
最近、世界の指導者が軒並み劣化しているという現実がある。オバマ、安倍晋三、フランスのオランド大統領、イギリスのキャメロン首相、そして習近平。誰ひとり指導者のひとりとしての強さも覚悟も感じないし、直接会って取材してみたいとも思わない。
とりわけ、オバマの無能ぶりは、イラク情勢を見れば致命的である。よくイラクについては前ブッシュ政権の問題だとされるが、本質はオバマ政権にある。オバマは1期目の大統領選挙で、2011年までに米軍をイラクから撤退させることを公約に掲げた。共和党は「あまりにも早すぎる」と非難の声を上げた。イラク国内のテロ対策が不十分で、首相のマリキ(後任アバディ首相)が無能であることもわかっていたからだ。その結果はどうだろう。いまのイラクの国土の多くはISIL(Islamic State in Iraq and the Levant ‘ISISとも言う)に占拠され、完全な無法地帯と化している。2014年8月にイラク北部を空爆したが「二階から目薬」というものだ。オバマの失態はそれだけではない。シリアの内戦やロシアのウクライナ介入についても何ら手も打たず、挙句の果てには同盟国であるはずの韓国大統領・朴槿恵(パク・クネ)氏が中国の習近平に取り込まれて会談しても、一言釘刺すことすらできないのだ。
オバマの目線は、ただの国内の支持率にしか向いていない。「世界の警察」の役目を果たすつもりなど毛頭なく、面倒くさい外交問題は先送りするだけだ。私(緑川鷲羽)はオバマ氏を最初から「演説だけがうまいだけのひと」と最低の評価をしていた(笑)。
アメリカのキニビアック大学世論調査研究所が2014年7月に発表した全米世論調査によれば、オバマは全体の33%の得票を得て、「戦後最悪の大統領」に選ばれた(2位はブッシュJrの28%)。とりわけイラク外交などの外交問題の評価が酷いという。
日本はその「戦後最悪の大統領」にバカの一つ覚えのように依存し、すりよろうとする愚かな政治家を首相としながら、いまだに多くの国民がその政権を支持しているのだ。
安倍晋三氏は集団的自衛権の必要性を説く際、繰り返し「何かあればアメリカが来てくれる」ことを前提として発言していた。中国が尖閣を攻めた時、アメリカが本気で助けに来てくれるとでも思っているのだろうか。オバマが来日したときは国賓級で接待して、安倍晋三は首脳会談を開き、寿司を食べさせた。オバマは「人生で一番おいしい寿司だ」とご満悦だったというが、寿司を半分以上残したという。オバマがハンバーガーが大好きという事前情報すら得ていなかったのだろうか。
しかし、実はこのふたりは、政治家としてそっくりなのだ。まずお互いに、指導者としてあまりに弱い。発言だけは勇ましいが、しょせんやっていることはおままごとに過ぎない。
その弱さの背景には、ふたりがかかえる共通のトラウマがあると考えられる。それは親子関係である。
<2人に共通する父親不在ゆえの母親依存>
オバマは2歳の頃に、実父であるケニア人と母親の離婚などで父親を知らずに育ち、母親の再婚・離婚などでケニア、インドネシア、ハワイ等を転々として暮らしたが、実に幼少期のほとんどを母親の都合で方々に連れまわされ、父親の存在や影響を受けず母親依存(いわゆるマザコン)で育った。
一方の安倍晋三氏はどうだろう。父親の安倍晋太郎は首相を目指したがその夢はかなわず、母親の洋子夫人は、息子を首相にすることが悲願になった。安倍が二度も首相になることに固執したのは、この母親の影響が大きい。つまり、オバマも安倍も、父親不在ゆえの母親依存が、人格形成の根底にある。もちろんマザコン(マザー・コンプレックス母親依存)であることがイコール指導者失格であるわけではない。第二次世界大戦でイギリスを勝利に導いたチャーチルは、政治家で多忙だった父親とはほとんど話すこともなく、その代わりに母親と乳母に甘えたマザコンだった。だが、チャーチルはそうしたコンプレックスを克服してノーベル平和賞のちにノーベル文学賞まで獲得するのである。こんな逸話がある。北アフリカの英国領土がナチスによって侵略されたことを知ったチャーチルは、人目も憚らず米国のルーズベルト大統領の目の前で泣いたというのだ。彼は躁鬱病でもあったという。そういう人間臭さもあったが、たぐいまれな指導者として米国と共にナチスドイツ、イタリア、帝国日本と戦い、勝利を勝ち得ている。そこにチャーチルの指導者としての人間味と強さがあった。
<レーガンとサッチャーの強さと人間臭さ>
オバマが「戦後最悪の大統領」に選ばれたが、「戦後最高の大統領」と認められたロナルド・レーガンもまたそうした親へのコンプレックスを克服した政治家だった。母親依存で、父親はほとんど家庭に居ず、たまに帰ると母親に暴力をふるったという。サッチャーもまた父親依存の「ファザコン」であった。だが、レーガンとサッチャーと、オバマと安倍晋三ではどだい役者が違う。例えば80年代リビアのカダフィ大佐(当時)が、「イスラム過激派的なテロリズム」に関与したことを知ったレーガン米国大統領(当時)が、リビアのカダフィの住む大統領府のトリポリを爆撃したいとまずフランスのミッテラン大統領(当時)など欧州の元首級に基地の滑走路や空母基地を貸してくれるように頼んだ。が、「カダフィの報復テロ」を恐れて誰もOKしない。だが、英国のサッチャー首相(当時)だけは違った。「リビアのカダフィ大佐は「テロリストのボス」で、のさばらせるのは世界の為にならない!」と、英国の基地や領海を米軍に貸した。
その為に米軍は「リビアの首都トリポリ爆撃」が実行でき(フランスなどは領空内を米軍機が飛ぶことさえ許さず、その為に米軍機はフランス領空を避けて遠回りせざる得なかった)、爆撃以後カダフィ大佐は「借りてきた猫」「去勢された猫」のようにおとなしくなってテロから手を引いたという。これはレーガンとサッチャーだからできたことだ。互いに「ロン」、「マギー」、と呼び合う仲であったという。さすがの最高の指導者である。レーガンとサッチャーとも晩年は認知症を患い、ともに今は故人だが、最高の政治家を我々は目にした。カダフィ大佐は最近の中東の政変「中東の春・ジャスミン革命」で殺害されたのも記憶に新しい。レーガンとサッチャーとゴルバチョフがいたからこその「冷戦終結」だ。
ところがオバマや安倍晋三はどうか。小学館社が240万円の大金を払い、落合信彦氏がインタビューしたとき、サッチャー元首相は当時を振り返りこう振り返ったという。
「優れた指導者とは常に、このような強さと人間性を併せ持つものだ」
断言するが、安倍晋三に、このときのサッチャーのような覚悟は絶対にない。
2015年度、セコイ政治資金の使い道を追及されて赤ん坊のように幼稚に泣き叫ぶ地方議員の姿が話題になった。あれが世界に発信されたことを思うと情けなくなるが、日本人は彼を嗤っている場合ではない。
尖閣が攻められた時、アメリカに泣いてすがろうとする安倍晋三の姿は、あれに似たものになるかも知れない。あの泣きわめく男の醜い姿は、いまの日本の政治家の未熟ぶりを象徴しているのだ。


<世界に雄飛する「人間力の時代」大前研一著作小学館SAPIO誌2014年9月号>安倍政権の“暴走”がいよいよ顕著になってきた。「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定を強行したかと思えば、返す刀で北朝鮮との「拉致交渉」に使命感を燃やしている。前者は憲政史を塗り替える一大転換であり、後者は金正恩王朝の策謀の可能性もあるが、安倍晋三首相はいずれも前のめりに結果ばかり求める。この国はいったいどこに向かっているのか?
<フィリピンもオーストラリアも“勘違い”>
ついに安倍内閣は従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。自民党と連立政権を組む公明党は思いのほか行使容認にしぶとく反対したが、その理由は(政教分離のはずだが)支持母体の創価学会と親密な中国に配慮したからだという。
公明党の反対で3要件が見直され「武力行使」については①我が国と密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある、②我が国の存立を全うし、国民を守る為に適当な手段がない、③必要最小限の実力行使にとどまる、という「新3要件」をすべて満たす場合に限られることになった。しかし、これはあくまでも国内向けであり、海外の元首たちは全く違う解釈をしている。フィリピンのアキノ大統領はこの日本の決定に触れて「朗報があります。我が国と他国との間で紛争が起きたら、友好国の日本が助けに来てくれることになりました……」。オーストラリアのアボット首相も同様に、国民に向かってこう述べた。「我が国がいざという時には、友好国の日本が駆けつけてくれることになりました……」。
 あたかも、これらの国で有事が起こった際には、日本が武力介入してでも助ける義務を負ったかのようだ。つまり、外務省は自民党と公明党との「新3要件」を対外的な発表には盛り込んでいないのだろう。しかも、安倍首相はアメリカだけでなく、フィリピンやオーストラリア、ニュージーランドなどを含むと政府内で明言しており、そう外務省が各国に伝えているから、それらの国が「いざという時には日本の自衛隊が駆けつけてくれる」と解釈しているのではないか。この事実を何も追及しない野党、報じていない日本のジャーナリズムは、あまりにも怠惰かつお粗末だと思う。
<「普通の国」とはどこを指すのか>
もちろんアメリカは大喜びだ。イラク戦争では「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊を派遣せよ)」、アフガン戦争では「ショー・ザ・フラッグ(日の丸を見せよ)」と迫っている。まあ、米国を援護射撃する為のアメリカの要望を叶えて閣議決定したのだから米国が喜ぶのは当たり前だ。アメリカのいう「双務性」と「総合性」とは戦争で共に戦うことである。だが、ベトナム戦争時代からの米国の「大義」と「判断力」はすこぶる疑わしい。オバマ大統領のやっていることも矛盾に満ちている。彼はイラク戦争を始めたブッシュは間違いだ。敵はイラクではなく、ビンラディンと彼のテロ組織アルカイダのいるアフガニスタンだと言って大統領になり、イラクから撤退してアフガンに派兵した。だが、ビンラディンはパキスタンにいた。オバマ大統領は判断力が悪いし、アフガン派兵には大義がなかったということがすでに立証されている。キニビアック大学(コネティカット州)の世論調査で「第二次世界大戦後で最悪の大統領」に選ばれたが、それもむべなるかな、である。日本がそういうアメリカの指揮下に入ることを、国民は承認するのだろうか。
安倍首相は「普通の国」になると繰り返すが、「普通の国」とは何を指すのか?仮に同じ敗戦国ドイツだとすれば、アフガン戦争に5000人派兵して54人が戦死している(2014年7月8日時点)。他の国の派兵国の死者数はイギリス453人、カナダ158人、フランス86人、イタリア48人、デンマーク43人、ポーランド42人、オーストラリア41人、スペイン34人、ニュージーランド11人………。これが「普通の国」が払う代償なのかどうか、安倍首相は国民に説明しなければならない。それらが「普通の国」でないのなら、彼は「極めて特殊な国」を想定しているに違いない。なにしろネットでは当の自衛隊員が「戦場には行きたくない」「命がけなら辞めたい」などと投稿して“炎上”しているのが、日本の実情なのだ。自衛隊は消防士より安全、と思っているひとたちを戦場に送れるものかどうか。
<中国は「使ってナンボ」とわかっていない>
安倍首相は中国を刺激したことでアジアの緊張感はかなり高まっている。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドやフィリピンなどの東南アジア諸国とうまく仲良くやっていけば中国の膨張主義に歯止めをかけられると思っているようだが、それは浅はか過ぎる。安倍氏は「(財布と胃袋がデカイ)中国は使ってナンボ」ということをわかっていないのである。ドイツのメルケル首相はフォルクスワーゲンの経済人大勢を中国に引き連れていき、フォルクスワーゲンは7つの工場で300万台体制を築き上げ、GMを抜いて圧倒的占有率を誇っている。中国にかわる新興国市場が育っていない以上、国内外での政治対立など問題ではなく和解して「中国市場」を使うべきである。日中の経済界が安倍首相に諌言するのが筋だと思うが、政官財を含め、ますます「独裁者」の様相を呈してきている安倍首相に物を言う人は現れていない。一方、今の中国の国内事情は緊張感を増してきている。習近平国家主席は「トラ(大きな腐敗)もハエ(小さな腐敗)も一緒に叩く」と反腐敗運動の大号令をかけ、政治生命を懸けて江沢民一派を粛清しているが、これは両刃の剣で返り討ちにあう可能性もある。不動産バブルの崩壊、新疆ウイグル自治区などへのテロ、香港の行政長官選挙をめぐる大規模デモといった国民の不満が大きなうねりとなりつつあるので習近平政権は(通常の任期である)10年はもたないと私はみている。
中国の国内問題が大きくなる程に中国国家は国民の目を国外に向けるのが常套手段だから、安倍政権が反中的なことを発言したりしている限りは日中友好など程遠くなる。また北朝鮮の拉致問題解決のことだが、いま永田町では、2014年9月上旬にでも安倍首相が訪朝して二ケタの拉致被害者と帰国を希望している多数の「日本人妻」(かつて在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮に渡った日本人女性)を政府専用機で連れ去り、その勢いで10月に衆議院解散・総選挙に打って出る、というシナリオがまことしやかに囁かれている。
もう一枚のカード「ロシア外交」だが、これはクリミア問題やウクライナの親ロシア派のマレーシア民間旅客機撃墜事件などで「北方領土解決」「シベリア開発」が、ほとんど解決が無理な感じにもなっている。だが、安倍政権はウクライナ問題のほとぼりが冷めて政権の支持率が低迷したらロシアに手を付けるのであるという。
アメリカへの盲従、中国や韓国への強硬外交、人気取りの為のパフォーマンスの訪朝とロシア利用……安倍外交には国家としての構想や長期的ビジョンが何もない。「独裁」への危険なステップを着々と踏みつつある安倍政権の動きを、国民は政治ショーに惑わされず、しかと注視すべきである。

 話を戻す。
今、「脱原発!」などというのは赤ん坊でもできます。甘い嘘より苦くても大切な現実に目を向けましょうよ。原子力規制員会は活断層があるとして敦賀原発を廃炉にするという可能性を示しました。そんなこといっていたら日本中の原発は全部廃炉になりますよ。しっかりしてください。東電は福島に復興本拠地を4000人体制で設置すると決定。賠償も現地権限をもつという。日本海などにメタンハイドレート群が見つかりました。網走沖、秋田山形新潟沖、隠岐周辺沖にかなりの量のメタンハイドレート(メタンガスが凍ったもの)があるという。原発にかわる代価エネルギーとして期待大ですね。よかったですね。小林よしのり著作「ゴーマニズム宣言スペシャル 脱原発論」小学館刊行「読書感想文」フリージャーナリスト緑川鷲羽わしゅう。まず私が主張したいのは、私は「原子力ムラ」の人間ではなく、「利権」とも無縁であるということ。マンガチックな「原発ブラボー再稼働」でもないということ。そして小林よしのり氏の本を読んで、「首相官邸の前で、集団ヒステリーでお祭りデモに参加している連中と同じだ」という感想だ。確かに福島原発事故や乳飲み子の母や赤ん坊が泣いている映像を観たら誰だって「脱原発」になるのが人情だ。しかし、したり顔で「脱原発」を主張するなど赤ん坊でも出来る事なんだよ。小林氏は「一時的に電力が足りなくなって企業が出ていく?その程度の企業なら外国にどうぞ」という。現実がわかっていない。電力不足が「一時的」な訳ないだろう。企業は漫画家とは違う。1円2円の円高、電力料金で中小零細企業(全体の99%)は採算をとっている。そんな企業が中国やベトナム、インド、ミャンマーに出ていけば二度と帰って来ない。深刻な失業率になるだろう。漫画家の替りなど幾らでもいるが、職場の替りはない。また小林氏は「自分が9歳の頃(1956代)には原発はおろか火鉢しかなかった。大学生の頃漫画家デビューしたが(1970年代)、九州ではまだ原発はなくても幸せであった」という。現代エネルギー革命や、産業イノベーションがわかっていない。氏が学生や幼かった頃にはなかったスパコン、コンピュータやハイテク家電、スマートフォン、高品質テレビ、(節電)家電、クーラー…なにより電気がなければ水道の水さえ流れない。そういう基本的な事がわかっていない。悪戯に原発の危険や人々の恐怖心を煽り「原発は安全じゃない」と断罪する。これでは農家の恐怖心ばかり煽る農協と同じではないか。絶対に安全なものなどこの世に存在しない。車も飛行機もバスも全部「危険」であろう。何より太陽光や風力といういわゆる「再生可能エネルギー」が電力の1%であり、原発分はいままで30%であり、その分がすべて火力に特化しているから(電力の約99%)「電力不足」「電力料金値上げ」があるのであって、火力発電のエネルギー源の価格高騰に触れられていない。今「円高」であるので石油やガスの値段は高くない。だが、石油・ガスの価格高騰は続いている。価格高騰問題に触れられていないのは違和感がある。原発分の30%のキャパシティを太陽光・風力ではカバー出来ないのだ。それが現実だ。小林氏はあまりに感情に流され、プラグマティズムやコンストラクティブな思考を怠っている。只の「お涙頂戴」の「感情論」に騙されて、したり顔で「脱原発」では救われない。4号機の核燃料棒プールの危機など、政府も関係者も皆知っている。プロパガンダで原子力発電とオウム真理教を結び付けて描いているが、原子力を再稼働したり原発を廃炉にしながら新エネルギー開発(メタンハイドレード、シェールガス、地熱発電、新潟沖の未知の石油)していくのが「ヒトラー」(笑)だとでもいいたいのか?TPP交渉は「ナチス」(笑)か?私も政府の「冷温停止状態」「安全宣言」など信じていない。3・11の事故後すぐ私は「メルトダウン」もしくは「メルトスルー」していると思っていたのだ。だが「危険だ、危険だ」といっていても仕方ない。小林氏は「安全だというならお前が福島に住んでみろ!」という。私は福島ではないがすぐ近くの米沢(福島市郡山市のすぐ隣り)に住んでいるが健康だ。氏のいう「原発の代替案」が太陽光や風力では「お先真っ暗」だ。むしろ大事なのは「脱原発」と「原発再稼働」を二極化しないことだ。原発を求めている人々すべて賄賂をもらっているとか、右翼と決めつける氏こそ「左翼」になった「元・右翼」である。どっちみち福島原発事故で「新規原発開発」も「既存の原発再稼働」も殆どムリで、30年後には自然と「脱原発」になる。原発は全部停まるのだ。私だって将来的には「脱原発」の人間だ。氏の漫画は「感情論」であり「結果論」である。事故を観て恐怖を感じ、集団ヒステリー集団アレルギー、感情論を「プロパガンダ漫画」で描いているに過ぎない。こんなものでまともな代替案もなく、したり顔で「脱原発」を叫ぶなど、まさに「団塊の世代の安保闘争」「集団ヒステリーお祭りデモ」だ。マンガチックであり、主張が「子供」である。本書は一読の価値は確かにある。だが、氏がオウムテロの時のように脅迫に晒されているのは甚だ不幸ではあるが、こんなひとがジャーナリストの仲間とは、日本も甚だ「呑気な国」である。                
2012年10月1日青森県下北半島の大間原発(Jパワー)の再建設が始まりました。集団ヒステリーの「脱原発」ポピュリスト達はまた反発しています。が、Jパワーの会長は「原則40年稼働させたい」と現実的思考です。こういう現実がわかるひとの台頭は喜ばしい限りです。2012年9月27日「指定廃棄物(核のゴミ)」最終処理場が千葉県・宮城県・群馬県・栃木県・茨城県に決まりました。2012年9月20日「原子力規制委員会」が発足です。委員長・田中俊一氏。経団連など財界は「原発2030年代ゼロ」に反対していて、米倉氏が政府戦略会議辞職です。まあ、現実が見えている人々には当たり前の意見ですね。理由は後述しています。政府はとうとう「30年代原発ゼロ」を決定してしまいました。まさにポピュリズム(大衆迎合)です。でも閣議決定は見送りであるという。経済界からのはんぱつのおかげですよ。現実が見えない人たち(脱原発論者)には困ったものです。政府エネルギー戦略会議は「核燃料サイクルを維持」する方針を固め、もんじゅを研究炉にし、30年代に原発ゼロも併記するといいます。「2030年原発ゼロ」目標が、世論の圧力で明文化された。青森県の三村知事が、核燃料サイクル堅持を要望しています。国民の7割が脱原発をしたり顔で主張し、古川国家戦略担当大臣を枝野経済産業大臣も「脱原発」を決めてしまいたいといいます。やめて欲しいのはあと数か月後にはなくなる民主党政権(当時)(当時)に今後数十年続くエネルギー政策を付け焼刃で決めてほしくないということです。脱原発をし、原発をゼロにすると三十年後には核燃料再生が不要になります。青森県は結果として「核燃料永久貯蔵地」になってしまいます。青森県は「中間貯蔵地」であり「永久貯蔵地」という話になると話は違ってくると思います。事故調(福島原発事故調査委員会)のレポートは本質を突いていない。事故とは物理的な原因が起こり、波紋のように広がるものです。管首相(当時)や斑目委員長(当時)や枝野官房長官(当時)が悪かったうんぬんの前に物理的な自証を考えるべきです。「もう少しいい人材と英雄や天才的人物がいれば事故は防げた」とは思いません。全電源が地震や津波で喪失したら原子炉は冷やせないし、核は暴走する。どんな天才がいようが事故は(遅らせることは出来たかもしれないが)発生したと思います。設計上の問題であり、人材・組織の問題ではないからです。事故調のレポートは「犯人捜し」で、「脱原発論者」は「ポピュリスト(大衆迎合主義者)」だと私は断言します。理由は後述します。南海トラフの巨大地震被害想定は死者32万人、浸水1015平方キロでそうです。10分以内の避難で14万人減、100%耐震化で3万人減です。備えあれば憂いなし、ということですか。全国の工業団地に万単位のメガソーラー計画があるそうです。だが、どんなに太陽光パネルを張り巡らせても原発分の3割は無理なんですよ。現在の技術では。だから単純にしたり顔で無策で「脱原発!」と声高に叫んでも集団ヒステリーだ、というんですよ。原発の将来を考える国民会議並びに国家エネルギー戦略会議は「1930年代前半に原発ゼロに」との結果になりました。東京電力福島第一原子力発電所事故の原因などを政府の事故調査・検証委員会は2012年7月23日最終報告書をまとめ、野田首相に提出した。被害が拡大した根源的問題として「東電も国も安全神話にとらわれていた」と指摘。危機管理対策の練り直しを促したとのこと。我が師・大前研一先生は政府と国双方のレポートを読み「率直に言ってどちらも役に立たないな」といいます。原因は津波?なら福島第二原発や東海第二原発は何故大丈夫であったのか?違いは「外部電源」です。福島第一原発は地震で外部電源がやられ、さらに津波で非常用電源もやられてメルトダウンしたのです。「外部電源」さえ無事なら大丈夫なんです。また「活断層の傍に原発あるから危険…脱原発!」というのには私は与しません。なら新潟の地震のとき柏崎刈羽原発は何故大丈夫だったのか?「脱原発デモ」など改革でも革命でも何でもない。くだらん「集団ヒステリー」でしかない。「再生可能エネルギー(太陽光・風力)」で原発分の30%のキャパはカバーできない。「集団ヒステリーデモ」などやめるべきだ。変なガキが「(nhkクロ現で「脱原発デモ」を取り上げることで)デモがないとかいっていたおっさんも黙るな」と悪口を書き込んでいた。私緑川鷲羽わしゅうは「デモがない」などといっていない。原子力規制委員会で委員長として田中俊一氏が内定しました。田中氏は放射線物理の専門家です。が、私は残念です。我が師・大前研一先生こそ委員長・規制庁長官にふさわしいと思っていたからです。福島第一原発の事故調査委員会で電力会社(東電)と民主党(官邸・当時)・政府・当局が地震、津波対策を先送りしたことを「事故の根本的原因」と指摘し「自然災害ではなく人災」と断定しました。我が師・大前研一先生は「人災は一致するが、其のうえで「交流電源が長期的な損失を前提にしなくていい」という事故調のスタンスに問題があった」といいます。それに事故調は原子炉の分析を行っていません。原子炉内部にはいれない、ということで関係者1000人からアンケートをとり分厚い調査書を作成しただけ。こんなもの馬鹿馬鹿しい週刊誌やワイドショーと同じです。「外部電源」に触れられてないが「外部電源」が損失すれば3・11と同じことになります。再生可能エネルギー20年20%買い取りですが今は再生可能エネルギーのほうが、値段が高く誰も買いません。夜間の電力料金引き下げも再生可能エネルギー20年20%も原発フル稼働しないと無理です。このままヒステリーで「脱原発」ムードでは日本の自殺です。皆さん目を覚ましてください。原発と原爆は違います。皆さんは誰かと同じでいい、皆脱原発というし、みたいな、「団塊世代の安保闘争」みたいな馬鹿はやめて目覚めてください。

<ウィキペディアからの引用>
震災関連死[編集]
東日本大震災では避難所の不衛生や寒さなどが原因で、避難後に死亡する(震災関連死)例が高齢者を中心に相次いでいる。毎日新聞は2013年12月17日、福島県内の震災関連死による死者数が地震や津波による直接死者数を上回った、と報じた。
復興庁では震災関連死の死者を「東日本大震災による負傷の悪化などにより死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律に基づき、当該災害弔慰金の支給対象となった者」と定義している。復興庁の統計では2015年3月末時点での集計で震災関連死と認定されたのは3,331人(福島県1,914人、宮城県910人、岩手県452人など)に上った。
人口変化[編集]
避難者[編集]
震災2年後の福島県の避難者は15.4万人(うち原発1次避難地域からは8.5万人)。
福島県の県外避難(2013年3月7日)(合計約5万人、県内避難は約10万人)
(1)山形県(9,513人)(2)東京都(7,449人)(3)新潟県(5,724人)(4)茨城県(3,943人)(5)埼玉県(3,820人)(6)千葉県(3,313人)(7)栃木県(2,948人)(8)神奈川県(2,449人)(9)宮城県(2,328人)(10)北海道(1,802人)(11)群馬県(1,688人)(12)長野県(1,003人)(13)静岡県(823人)(14)北海道(802人)(15)愛知県(795人)(16)沖縄県(738人)(17)大阪府(734人)(18)山梨県(710人)(19)京都府(702人)(20)兵庫県(604人)
推計人口[編集]
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被災地のうち、太平洋沿岸の青森県八戸市から福島県いわき市までの推計人口(2010年(平成22年)国勢調査基準)を、震災前(2011年3月1日)と最新とを比較して以下に記載する。
最新の推計人口は、青森県が2015年5月1日現在、岩手県が2015年5月1日現在、宮城県が2015年5月1日現在、福島県が2015年5月1日現在。
震災前(2011年3月1日)と直近の推計人口の比較
県 市町村 位置 震災前
推計人口
(人) 最新
推計人口
(人) 増減率
(%)
青森県

1,369,747 1,310,743 -4.31
青森県 八戸市 地図 237,205 231,554 -2.38
三戸郡階上町 地図 14,655 14,026 -4.29
岩手県

1,326,643 1,275,377 -3.86
岩手県 九戸郡洋野町 地図 17,775 16,410 -7.68
久慈市 地図 36,789 35,198 -4.32
九戸郡野田村 地図 4,606 4,185 -9.14
下閉伊郡普代村 地図 3,065 2,863 -6.59
下閉伊郡田野畑村 地図 3,838 3,500 -8.81
下閉伊郡岩泉町 地図 10,708 9,671 -9.68
宮古市 地図 59,229 55,186 -6.83
下閉伊郡山田町 地図 18,506 15,658 -15.39
上閉伊郡大槌町 地図 15,222 11,559 -24.06
釜石市 地図 39,399 35,387 -10.18
大船渡市 地図 40,579 38,149 -5.99
陸前高田市 地図 23,221 19,148 -17.54
宮城県

2,346,853 2,324,951 -0.93
宮城県 気仙沼市 地図 73,154 65,622 -10.30
本吉郡南三陸町 地図 17,378 13,620 -21.63
牡鹿郡女川町 地図 9,932 6,692 -32.62
石巻市 地図 160,394 146,084 -8.92
東松島市 地図 42,840 39,713 -7.30
宮城郡松島町 地図 15,014 14,528 -3.24
宮城郡利府町 地図 34,279 35,664 +4.04
塩竈市 地図 56,221 54,248 -3.51
宮城郡七ヶ浜町 地図 20,353 18,771 -7.77
多賀城市 地図 62,990 62,673 -0.50
仙台市 地図 1,046,737 1,074,495 +2.65
仙台市宮城野区 地図 190,806 193,214 +1.26
仙台市若林区 地図 132,159 134,086 +1.46
名取市 地図 73,603 76,727 +4.24
岩沼市 地図 44,160 44,020 -0.32
亘理郡亘理町 地図 34,795 33,238 -4.47
亘理郡山元町 地図 16,608 12,564 -24.35
福島県

2,024,401 1,928,086 -4.76
福島県 相馬郡新地町 地図 8,178 7,763 -5.07
相馬市 地図 37,721 35,374 -6.22
南相馬市 地図 70,752 63,152 -10.74
双葉郡浪江町 地図 20,854 18,265 -12.41
双葉郡双葉町 地図 6,891 6,039 -12.36
双葉郡大熊町 地図 11,570 10,809 -6.58
双葉郡富岡町 地図 15,959 14,015 -12.18
双葉郡楢葉町 地図 7,676 7,036 -8.34
双葉郡広野町 地図 5,386 4,969 -7.74
いわき市 地図 341,463 324,831 -4.87
地域別の被害状況[編集]
2011年7月14日15時 (JST) 現在、死者・行方不明者数の合計が100人以上の自治体は、岩手県、宮城県、福島県の22市町村に上っている。
岩手県[編集]
ウィキメディア・コモンズには、東日本大震災による岩手県の被害状況に関連するカテゴリがあります。
岩手県の被害は津波によるものが中心であった。
岩手県沿岸は、海岸線近くまで山地が迫り、平地が狭いという地形のため、浸水面積は58km2と3県では最も小さかった。しかし、その狭い平地に漁港と市街地が広がっていたため、浸水域の人口は約11万人であり、浸水域の人口密度は1,900人/km2と3県で最も大きかった。
県中南部は津波高が増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤・防潮堤)の規模は日本随一であった。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。
陸前高田市では、市民会館や市民体育館などの指定避難所の多くがほぼ天井まで水没して避難者の大半が死亡し、市街地全域が壊滅的被害を受けた。高田病院で4階まで浸水し27人が亡くなるなど、1,800人弱の犠牲者を出した。市職員も1⁄3弱に当たる113人が犠牲になり、浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、大槌町と同率の11.72%であった。
大槌町では、役場で災害対策本部の準備をしていた職員60人中、当時の町長である加藤宏暉を含め30人以上が亡くなるなど、1,300人弱が犠牲になった。また、火災も発生した。浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、陸前高田市と同率の11.72%であった。
釜石市では、本来は災害後の避難生活を主とした施設であった鵜住居地区防災センターで津波避難の訓練も行われていたため(最大の可能性として)244人が避難して210人の死者が発生するなど、約1,050人が犠牲となった。元新日鉄釜石ラグビー部の選手で、釜石ラグビー協会会長だった佐野正文や、マスターズ陸上で世界記録を持っていた104歳の下川原孝も犠牲となった。また、ギネス世界記録にも認定されていた世界最深の釜石港湾口防波堤が破壊された。鵜住居地区は、市内の犠牲者の半分以上を占める悲劇の一方で、「釜石の奇跡」と呼ばれる津波教育の成功例もあった。市立釜石東中学校では、地震発生直後に生徒達が自己判断で避難先に各自走り出し、それを見た隣接の鵜住居小の児童も続いた。第一避難先の介護施設に到着して整列点呼で全員の無事を確認したが、想定にとらわれないとの教育の下、中学生が小学生の手を引いてさらに高台へ走り出し、それを見た地域住民も後に続いた。学校は10mを超える高さの津波に襲われ、第一避難先の介護施設も1階が水没したが、当日登校した生徒児童約600人全員が無事であった。また、生徒達がさらに上へと避難していく姿を見た介護施設側は、1階の入所者を3階へ移動させていたため、犠牲者が出なかった。
山田町では、介護老人保健施設「シーサイドかろ」で入所者74人と職員14人が亡くなるなど、750人以上が犠牲となった。また、津波に加えて大火も発生した。
宮古市の田老地区は、総延長2433mのX字型、海抜10mの巨大な防潮堤が城壁のように地区を取り囲んでおり、住民は万里の長城と呼び、「津波防災の町」を宣言するほどであったが、それを破壊、越流した津波により地区全体で185人が亡くなるなど、500人以上が犠牲となった。
大船渡市では、特別養護老人ホーム「さんりくの園」で62人が亡くなるなどし、延べ400人以上が犠牲となった。
この他に、野田村や田野畑村でも甚大な被害を受けた。

津波によって破壊された大槌町役場(岩手県下閉伊郡大槌町)
(2011年4月4日撮影)



津波によって破壊された陸前高田市役所(岩手県陸前高田市)
(2011年4月12日撮影)



津波によって破壊された陸前高田市の中心部(岩手県陸前高田市)
(2011年4月3日撮影)



津波によって破壊された大船渡市の中心部(岩手県大船渡市)
(2011年3月15日撮影)

宮城県[編集]
ウィキメディア・コモンズには、東日本大震災による宮城県の被害状況に関連するカテゴリがあります。
宮城県は、震源地に最も近く、福島県や茨城県と共に激震であった。津波の被害としては、浸水面積327km2と浸水域の人口約33万人はともに3県最大だったため、宮城県のみで阪神・淡路大震災を上回る犠牲者を出した。
県北部は岩手県中南部沿岸と同様に津波高の増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤や防潮堤)が成されていた。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。
県中南部は単調な海岸線であったが、水深の浅い仙台湾で津波の速度が落ち、後の津波が追い付いて津波高が増した。速度が落ちたため、襲来まで1時間あったが、北部に比べて中南部は過去の津波が数百年前であり、住民の意識が低い中で想像だにしない津波に襲われた。平野が広がっていたため数キロ内陸まで浸水し、甚大な被害を受けた。
気仙沼市では、介護老人保健施設「リバーサイド春圃」で59人が、杉の下地区の住民が避難した海抜12mの高台で93人が亡くなるなど、犠牲者は1,350人以上に及んだ。また、津波により漁船用燃料タンクが倒壊して広範囲に重油が流出して出火、大火災が発生し夜通し燃え続けた。火が付いた大量のがれきが気仙沼湾内を漂い、東北最大の有人島である大島にも燃え移り、島民達が総出で延焼を食い止めた。
南三陸町では、3階建ての防災対策庁舎の屋上まで水没するなど町職員42人が、5階建ての公立志津川病院も4階天井付近まで水没し、入院患者107人中72人と職員3人が死亡。また、海抜15mの高台にあった特別養護老人ホーム「慈恵園」も1階が水没して49人が亡くなるなど、850人以上が犠牲となった。
女川町は震源に最も近いリアス式海岸の町の一つであり、猛烈な津波が町を襲い、中心部は海抜20mの高さまでほぼ水没し、強い引き波により鉄筋の建物の倒壊も目立った。指定避難所であった町立女川病院(女川町地域医療センター)は、海抜16mの高台にあったにもかかわらず、1階が完全に水没した。七十七銀行女川支店では屋上に避難していた行員13人が流され12人が亡くなるなど、犠牲者は約900人であり、浸水域人口に対する犠牲者率は当震災において最大の11.97%であった。一方で5階建ての生涯学習センターでは、屋根付近まで水没したにもかかわらず、鉄扉で密閉され窓もなかったボイラー室に避難した30人弱が無事であった。
石巻市は、本震災最多の3,700人以上の犠牲者を出している。
市内北東部、リアス式海岸に当たる旧雄勝町、旧北上町、旧河北町の沿岸はほぼ完全に壊滅した。3階建ての雄勝病院は完全に水没し、入院患者と職員の65人が流されて生存者は3人、北上川の河口北側にあった石巻市北上総合支所では職員と避難者合わせて57人のうち生存者は3人だけだった。津波はその北上川を氾濫させながら猛烈な勢いで遡上し、5km上流に位置する石巻市立大川小学校(旧河北町立)では徒歩で避難していた児童78人と職員11人が流され、助かったのは児童4人と職員1人のみであった。
市内南部が旧石巻市であり、岩手・宮城・福島では最大規模約12万人の市街地が海に面して広がっていた。このため犠牲者数も多く、また市内各地で身動きの取れない渋滞が発生し、そのまま津波に飲まれる者も多かった。前市長であった土井喜美夫も犠牲となった。
東松島市では市域の36%が浸水した。野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロ弱を横断し、西側の松島湾に流れ込み、指定避難場所が津波に飲まれた。その一方で、個人が作った避難所によって約70人が津波の被害を免れた。このほか、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅し、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊松島基地も冠水し、多くの航空機が破損した。
多賀城市は、仙台市のベッドタウンであり、大きな幹線道路2本に沿って郊外型の大型店が建ち並んでいた。海に面しているのは東部の砂押川河口のごく一部であり、市民ですら海の街という認識は薄く、幹線道路を通過する市外の者はさらに認識が薄かった。地震の混乱で道路が大渋滞しているところ、建物の間から突然津波が襲来した。犠牲者は2本の幹線道路の車内を中心に200人弱であり、その半数は市外に住む人であった。
仙台市は104.7万人(2011年3月1日推計人口)を擁する政令指定都市であったが、沿岸部の仙台平野の大部分が開発が制限される市街化調整区域であり、田園地帯が広がっていたため、人口密集地への浸水はほぼなかった。しかし、沿岸部にあった主な集落である若林区荒浜地区や宮城野区中野蒲生地区が壊滅し、また仙台港一帯の工業地域や商業地域を中心に、犠牲者数は800人以上となった。若林区では区域の60%が浸水し、田園地帯を3 - 4km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。荒浜にある仙台市消防ヘリポートも被害を受け、津波到達前に離陸した2機のヘリコプター以外の機材が使用不可能になる被害を受けたため、内陸部への移転が計画されている。
名取市では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった閖上(ゆりあげ)地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。閖上大橋が死亡事故により通行止めとなり、地区内で渋滞が発生し、犠牲者を増やす要因ともなった。仙台空港の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。
岩沼市は市域の48%が浸水し200人弱が、亘理町でも町域の48%が浸水し300人弱が犠牲となった。仙台市や名取市同様に中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部の集落が壊滅した。亘理町では元女子サッカー選手の佐藤恵利子も犠牲となった。
山元町では町域の38%が浸水した。養護老人ホーム「梅香園」と併設するケアハウスで82人が犠牲に、常磐山元自動車学校の送迎バス5台が津波に飲まれ、教習生と教官の39人が犠牲になるなど700人弱が犠牲となった。
この他に、七ヶ浜町でも甚大な被害を受けた。
一方、松島町や塩竈市は周辺の自治体と比較しても被害が軽微であった。これは浦戸諸島とその奥にある松島湾内の島嶼群が津波の威力を緩和、分散したためと推測される。ただし、あくまでも周囲に比べれば軽微だったというだけであり、家屋の浸水や犠牲者が発生したことに変わりはない。

日本三景・松島の主要観光地区である松島海岸駅前は、松島湾奥部にあるため被害は比較的小さかった。
(宮城県宮城郡松島町)
(2011年3月13日撮影)



教習生、教官の24人が死亡、14人が行方不明となった常磐山元自動車学校
(宮城県亘理郡山元町)
(2011年4月28日撮影)



多くの児童・教員が津波の犠牲となった大川小学校
(宮城県石巻市)
(2011年5月19日撮影)



都道府県別で犠牲者数が最多だった宮城県では火葬の限界を超えたため、仮埋葬(一時的な土葬)が行われた。
(宮城県石巻市)
(2011年6月7日撮影)


仙台市宮城野区沿岸上空から北向きに仙台港周辺を空撮(2011年3月12日)



松島地区の被災状況。手前に広がる水面の多くが、元は陸地であった(2011年6月25日撮影)


【hyper groove計画】起動は2016年か?12月の新アレンジEDMデモ完成後起動可能性高し

2015年11月29日 15時54分10秒 | 日記





元・AKB48の大島優子・篠田麻里子・秋元才加・芹那・大島麻衣・光宗薫のなかで誰が...



知恵コレ(yahoo知恵コレ投票期間中)

midorikawawashu12さん2015/11/2812:52:36


元・AKB48の大島優子・篠田麻里子・秋元才加・芹那・大島麻衣・光宗薫のなかで誰が一番好みですか?あえて順位をつけるなら?
また、このメンバー+緑川鷲羽でTK・小室哲哉風のあるひとが音楽アーティストユニットをつくることに賛成ですか?反対ですか?<hyper groove緑川鷲羽ブレーン・プロデュース・作詩作曲等>大島優子らのもう一度の活躍をみてみたくはないですか?hyper grooveはTMNETWORKやglobeに近いです(笑)
それとも秋元康でなければ無理だと思いますか?是非、悪口じゃなくご意見をお願いします。



daitan49さん 2015/11/2813:18:36
まいまいこと大島麻衣ちゃんが好きです。
彼女の歌声も結構好きなのでユニットやってくれたら聞いてみたいですが、緑川さんて在野の方ですか?大成功するためには基本握手会やその類いの特典は欲しいですね♪
芹那は元AKBじゃないしいっそ中西里菜いれて欲しい。画像の神7+柏木、ものすごく悪意を感じる似顔絵ですが村上たかしより一発で識別できるのは凄いですね(*´∀`)♪

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質問者 midorikawawashu12さん 2015/11/2915:09:32
在野(笑)っていうかフリーランスのジャーナリストでありプランナーでありストラテジィストでありプロデューサですよね(笑)
確かに秋元康AKB48商法の『握手会』『生写真』『ファン限定ライブ』とか『ポスター』とか『総選挙』とか考えていますが(笑)あえてアイドルユニットじゃなくアーティストなんだ、と。大島優子や篠田麻里子や秋元才加や芹那(元・NMB)や大島麻衣や光宗薫に作詞作曲も指導して曲をつくらせ彼女達も印税で儲けるアーティスト(芸術家)という位置づけですね(笑)アイドル時代のときみたいなすべて秋元康まかせ、みたいな他力本願ではなくです。
そのために指導してマンツーマンで彼女達には作詞作曲の指導をするし、だからアーティストなんだということです。彼女達ひとりひとりが”秋元康””TK・小室哲哉””つんく♂”になるのです。
自分だけが儲けようとか卑怯ですから。皆で儲けよう!というユニットなんです。真剣にマジで。本気です

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midorikawawashu12さん

簡単メッセージ




shinji2031さん 2015/11/2813:05:21
個人的には大島麻衣さん推しです。

順位は大島麻衣>光宗薫>大島優子=篠田麻里子=秋元才加=芹那です。

新ユニットには興味ありませんし、活躍もみたいとも思いません。

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質問者 midorikawawashu12さん 2015/11/2915:26:55
けっこう大島麻衣さんの人気は高いんですね。私的には名前の列挙順の大島優子さん・篠田麻里子さん・秋元才加さん・芹那さん・大島麻衣さん・光宗薫さんの順だと世論ではそういう順番だと思ったのですが(笑)まあ、大島優子さんや篠田麻里子さんの人気は神憑り(実際に神7と呼ばれていた(笑))的なものですからね(笑)私も素直でいいひとの大島麻衣さんも好きですよ。大島優子さんの魅力ほどではないですが(笑)えこひいきの相手なので(笑)



<ミニアルバム>hyper groove feat.放課後ティータイムVOL.1

『hyper groove 放課後ティータイム<けいおん!!TK Re-mix>』

(1)Don’t stop “ichi-go”クリームパフェ(『いちごパフェが止まらない HTT』)

(2)1,2,3,4,fall’in LOVE(『ごはんはおかず HTT』)

(3)Beyond the time! Beyond the time! Beyond the time!

(『ふわふわ時間・タイム HTT』)

(4)Love Love your heart(『ぴゅあぴゅあはーと HTT』)

(5)五月雨20ラヴ(作詩原曲のまま)

(6)U&I(作詩原曲のまま)

(7)天使にふれたよ(作詩原曲のまま)

(8)TK SOLO(TRANCE MIX inter lude)

(9)danger!(inter lude 緑川鷲羽作曲)



   Don’t stop “ichi-go”クリームパフェ(原曲HTT『いちごパフェが止まらない』)

                     原曲HTT 作詩緑川鷲羽 作曲HTT



君の横顔 みつめていると 自然とキスしたくなる たまらないよ

 ウィンク決め シャドウでダンス 仔猫のように ウォーキング………

 

 とろけるように 恋をする 校舎の陰でメイキング・ラブ

 今日のキスはパーフェクト・バニラ・テイスト



*1 スカートふわりとひるがえし セーラ服

   体の中 あふれる勇気をください!絶対! 頑張った自分にごほうびを

   ファミレス すぐに集合!

   Don’t stop “ichi-go”クリームパフェ



 バニラケーキ シャンパーニュ 只ひたすらにモグモグと… たまらないよ

 デートも 制服もホップ 何もかもが春だよね 桜満開!



 卒業はおわりじゃない 次のステージのスタートさ

 今日のキスはパーフェクト・バニラ・テイスト

*1×2Repert









  1,2,3,4,fall’in LOVE(原曲HTT『ごはんはおかず』TK Re-mix)

                     原曲HTT 作詩緑川鷲羽



   心はうきうき 何でも 出来る気がする

   放課後もバイブルも何も教えてくれない



 他人(ひと)の痛みを知る人ほど 誰よりも強くもなれる  WOWOW…

 心を揺さぶるバイブレーション MY REVOLUTION!ってことかな?

 アダムとイヴも結ばれていたよ 只の赤い糸で (余分パートカット)



*1 one two tree fore fall’in love×2Repert



 夢を諦めなけりゃ 夢はいつか叶うの?

   「継続は力なり」どこの偉人がいったの?



*2他人(ひと)の哀しみを知る人ほど 誰よりも優しくなれる WOWOW…

  何も志がなければ 誰も動かないだけだよ

  ボニー&クラウドも知らないなんて 只のお馬鹿さんなのかな?(蛇足パートカット)

 *1×2Repert



夢も希望も何もないこの世界? それでも努力で いつかは巡り会えるの?

*2×1repert

*1×2repert







Beyond the time!Beyond the time! Beyond the time

(原曲HTT『ふわふわ時間・タイム HTT』原曲HTT 作詩緑川鷲羽 TK-Remix)



君の唇 ピンクのときめき

 交差点で 甘いささやき ふわふわ



 いつもの道で(いつもの道で)君にガンバ(君にガンバ)

 セーラ服をひるがえして 夢の中で(夢の中で)抱きしめあって ふたりきりだね

 

*1ああ 神様お願いふたりだけのキラメク時間(タイム)ください

  お気に入りのワンピでお洒落して 今夜もパーフェクト・タイム!

  Beyound the time! Beyond the time! Beyond the time!



あなたのハート すぐさまロックオン!

 部屋の中で甘いときめきふわふわ



 いつもの街で(いつもの街で)君にガンバ(君にガンバ)

 セーラ服をひるがえして 夢の中で(夢の中で)抱きしめあって ふたりきりだね

 

ああ神様お願い 世界中の キラメク時間(タイム)ください

お気に入りのミニスカでステップオン! 今夜もパフェークトタイム!



 勇気ふりしぼって 愛を告白させて

 ああ 神様どうかこの想い心の底から信じてください!

*1×1Repert









Love Love Your hert(原曲HTT『ぴゅあぴゅあはーと』)

                 原曲HTT 作詩緑川鷲羽 TK-Remix



胸トキメキ 思い出いっぱい 好きなメロディ口づさんで

 風にさからい 自転車こいで Don’t stop music

欲しいものは欲しいっていうの 欲しくないものはイラナイよ

 心トキメキ 列車に揺られて Can’t stop Love’in



*1 ここから チャンストライよ

   皆ひとりきりじゃないから! WoWWOW×4 get a chance!

風に乗ってステップアップ上昇気流にのって!

  Love your heat!明日への通り道

  Love Love your Heart! Love your heart少しは強くなれたかな?

  Love your Heart!風の通り道から

  Love Love your Heart!Love your Heart!雲の向こう側 Love your Heart!

***  



  髪型きめて ジャンプアップ! ピアノの前で立ち尽くす

  風にさからい 自転車こいで Don’t stop music

シロップより甘いメロディ 欲しいものはあなただけよ

  心トキメキ 列車にゆられて Can’t stop Love’in

*1×Repert 1



ああボリュウムあげて 素敵なメロディ奏でる

 また この場所であえるかな?何度でも 永遠の気持ちになれるよ!

Love your heat!明日への通り道

  Love Love your Heart! Love your heart少しは強くなれたかな?

  Love your Heart!風の通り道から

  Love Love your Heart!Love your Heart!雲の向こう側 Love your Heart!



******

<ミニアルバム>hyper groove feat.AKB48 VOL.2

『hyper groove AKB48<秋葉原!!TK Re-mix>』

(1)Just meet Love!(原曲『会いたかった』)

(2)ドSのマリコ(原曲『上からマリコ』)

(3)妖精たちの踊り(作曲 緑川鷲羽 inter lude)

(4)ふわふわマシュマロのようなキッス(原曲『恋するフォーチューンクッキー』)

(5)TK-SOLO(inter lude)

(6)それでも光は射している(原曲『風は吹いている』)





     Just meet Love!(原曲『会いたかった AKB48』TK-Remix)

                 原曲AKB48 作詩緑川鷲羽



*1 Just meet Love ,Just meet Love, Just meet Love , YeaH!

Just meet Love, Just meet love, just meet Love , YeAH! For YOU



心の赴くまま走る 風の交差点

 汗がにじんでいく スカートひるがえしながら



 パルピテーション 心はTWINKLE-NIGHT

ストレートで行くんだ! 脚をふんばって ひたすら走れ!

*2誰よりも 好きだと言おう

  誰よりも 大好きだから

  教科書は教えてくれない

  誰よりも愛してといおうよ。

*1 Repert×1



ハイウェイをどんどんとチェイス 走りTRANCE BEAT

少し恥ずかしげな写真 スマホのアプリの中

 

 パルピテーション 心はWHITE NIGHT

ストレートで行くんだ 脚をふんばって ひたすら走れ!

*2 repert×2

LALALA…

*1 repert×1

Just meet Love!





   ふわふわマシュマロのようなキッス(原曲『恋するフォーチューンクッキーAKB』)

原曲AKB48 作詩緑川鷲羽



  人生苦労多ければ 誰もが上手く恋できる?

  そんなことはある訳ないのに WOWWOWWOW

恋のシステムお手のもの 誰もが可愛けりゃ文句ない

  性格より外見が90(%)



 ハイウェイの左側には 未来へ進むヴィジョン

 昔からあなたはそうよね いつの日にも可愛い娘が一番に好きになるの

 LALALALALALALA チューニング! 愛してる?



*1ふわふわマシュマロのようなキッス 誰もが君を好きになるよ LALALA…

  人生はそんなに簡単じゃない

  ふわふわマシュマロのようなキッス 誰もが君を好きになるの?WOW…

  世界地図にも載っていない「永久」というパラダイスに

  いつかは辿りつきたいと思う





  メアドをちゃんと知らせたのに SNSは大炎上 

  フェイスブックもLINEも苦手だわ WOWWOWWOW



家庭的な娘が好きだなんて 男たちはいうけど

 いつだって美人やアイドルのような 超美人が皆好き

 男の子ってまるで単純よ

LALALALALALALA…フューチャー 愛してる?

*1 Repert×1

LALALALALALALA…フューチャー 愛してる?

*1 Repert×1







ドSのマリコ(原曲『上からマリコ AKB48』TK Remix)

                 原曲AKB48 作詩緑川鷲羽



  大人びた君は かなりマセていて 僕の告白も 意味ありげにじらす

  デート中の道 急に立ち止まり 僕に(君は)キスを迫った?!



*1 ドSのマリコ サディステックな奴め!

   僕を掌の上で 転がす

   なぜにいきなり 君はキスをせがむ?

   君は本気なのか?只のドS?



 僕たちの女神 年上のおマセ 心を揺さぶり どきっとするんだ

 人ゴミの中 急にたちどまり 僕に(君は)言った「いくじなし!」



 *2 ドSだマリコ エキセントリックな奴め!

    僕をドSな手段で 転がす

    なぜにマリコさまと 人々は愛する?

    最年長なのか? ベイビーか?



 シャイなくせして イタズラっぽく 唇とがらせる!

 *1 Repert×1

<年上の><君なのに><誰よりも><可愛く見える>

 <年上の><君なのに><いつだって><僕にはティーンエイジャー>



    それでも光は射している(原曲『風は吹いている AKB48』TK-Remix)

原曲AKB48 作詩緑川鷲羽



  WOWWOW…

  絶望の大地で 光が見える気がする 立ち止まらずに明日を見続けよう

  希望という  風が吹いている すべてを努力してゼロから始めよう

 

  言葉を失うよりも 神はいないけれど…もう一度

  自分の底力信じて また夢を見させてくれ!



 それでも光は射し続けている 明日を信じて 闘っていこう!

 それでも私は強く生きていく! 頬に感じる風を信じて スタートしようか。



 トラウマの傷口が かさぶたになって 立ち止まりそうになるけれども

 希望という 光が射し込める すべての煉瓦を積み上げることを始めよう



  夢を失うよりも 神はいるかな…?もう一度

  自分の努力信じて また明日を見させてくれ



 それでも光は射し続けている 明日を信じて一歩づつ進む

 それでも私は 大地を踏みしめる

 希望という光を信じて 始めてみようか。



 それでも光は射し続けている 明日を信じて 闘っていこう!

 それでも光は射し続けている 明日を信じて 一歩ずつ進む

 それでも私は大地を踏みしめる

 希望という煉瓦を積むことからはじめてみようか。



 もしも明日が見えなくても 今日という日は胸にあるんだ

 どんな絶望の中にあっても 希望という光は射すんだ

 出来ることを 始めようか。



*******





<hg新曲『Just NOW! Together! everybody need love!Just Now! Together! everybody Shake LOVE!』<TK TMN FYI.>の歌詞>



(サビ)

*Just now! Together! everybody need love! Just Now! Together !Everybody Shake LOVE!

Just now! Together! Everybody need love! Just now! Together !Everybody Shake LOVE!

*×1Repert



(RAP1)さあ、叶(かな)えよう夢(ゆめ)を今(いま)すぐに!

未来がたとえ苦(くる)しくても

 夢(ゆめ)は語(かた)るものじゃなく 叶(かな)えるものなのさ

自分(じぶん)の夢(ゆめ)ならば…

どんなに苦難(くなん)でもいいのさ

足元(あしもと)に流(なが)れる

河(かわ)に流(なが)されるなと!

 泣(な)きたくなっても我慢(がまん) 

 風(かぜ)は吹(ふ)き続(つづ)ける!

 夢(ゆめ)は未来(みらい)へ続(つづ)くから

どんなことがあっても…

*サビ×2 Re-pert



(RAP2)さあ、駆けだそうよ、今すぐに!

未来と仲間を信じて ひとりぼっちのままで 泣く夜が続いても…

風は吹いているよ

未来という光は 誰にでも照らす 未来の地図はないから

全力で突き進めよ、たちどまらずにいけ!

温かい未来たちはぼくらをまっているよ!

*サビ×4Re-pert

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東日本大震災から5年 最大のドキュメント   『大型時代小説 東日本大震災<緑川史観>』VOL.6

2015年11月29日 07時53分29秒 | 日記








    成長戦略としての「教育改革」

日本の教育は未だに大量生産・大量消費型教育である。「いい人材は?」ときくと、決まって「東大や京都大学やMITやハーバード大学を出た“学歴エリート”」と答える。
大学を出ていれば優れている訳ではない筈だが、大企業の採用基準も“大卒”だからだ。
こんな国で「突出した人間」「天才」を生み出すのは難しい。僕などは艱難辛苦で25年間も努力したからこその「世界的な視野・世界観」であって、ド素人の馬鹿に文句いわれる筋合い等ないし、馬鹿扱いなどされない。「大志」をなくした内向きの若者や、悪口だけの輩などとは違う。世界で戦える傑出した人材育成が重要だ。
日本は大学が多すぎる。減らして、英語授業、ディベート授業、創造力開発、世界に遊学、といこう!だが、大学のランクは学歴や偏差値ではない。「卒業生の給与」でランク付けされるべきだ。儲からなければ意味がない。世界は真面目なだけのひとや協調性だけのひとなど求めていない。アップル社のステーヴ・ジョヴズやアマゾン創業者ジェフ・べゾスのような「シェーカーズ・アンド・シェーパーズ」(世の中を揺さぶって変革する人)を求めているのだ。
ドイツの「デュアルシステム」を参考としたい。
つまり、人材こそ国の宝、という観念から高校生か大学生で「2年間以上職業訓練」をするのだ。その結果、ドイツではいわゆる「雇用のミスマッチ」は解消された。
高学歴でも儲からない人間は下賤だ。「私は大卒」と誇ってみても現状がうつ病の失業者なら「過去の栄光にしがみついているだけ」だ(本当にこういう人物が存在した。しかも、その眼鏡ブスは高卒者を蔑む。自分が敗北者とも認識できないのだ(笑))。
大卒ならいい訳ではなく、学校は「いかに飯を食うスキルを身につける」か、である。
学歴など馬鹿馬鹿しい。過去の栄光などで飯は食えない。
所詮は学歴タレントがクイズ番組で小銭を稼ぐ程度でしかない。
くだらん。

   今こそシステム全体「国家システム全体」を変革する!

前述したように地方行政機関には自主財源も権限もない。
地方に財源も権限も移してくれなければ何も改革は出来ないのだ。だから、僕は米沢市長になったら(多分、選挙費用が用意できずなれないだろうが(笑))米沢市を「アベノミクス経済農業改革特区」と認定してもらって自主財源やオランダ・モデル「農業改革」、「教育改革」、「経済対策」を断行する。上杉鷹山公の改革を完結させるのだ。米沢市ならできる!
また、市議会議員は「無給」とする。海外では地方議員は「無給」が当たり前だ。
普通にボランティアなのだ。リストラはしないが全役人の給与の4割カット、ボーナスなしで財源をつくる。自主財源『米沢市愛郷税』で、(ウィークエンド定期と)観光財産の整備だ。「子育てするなら米沢市で!」とフランス、スウェーデン方式を実行する!
無駄な第二の市立図書館はつくらないし、出来ても図書館にはしない。観光拠点のひとつの施設にする。アニメの殿堂もつくるし、等身大ガンダム立像もつくる。過去の旧・夕張とは違う戦略で。大前研一先生を米沢市に何度か招聘して、「米沢経済対策」を講う。
マイナンバー制度ではなく、エストニアの「eガバナンス」の凄さは米沢市だけでなく、日本政府日本国内全体でやるべき!
「年金保険DB(データベース)」「住民登録DB」「公務員ポータル」「医療保険DB」「納税DB」をネットでつなぎ、一般市民は「市民ポータル」「国民カード」で閲覧でき、行政は省庁間でバラバラだったDBを一括で管理、国民もパスワードやアカウントやIDアドレスで利用でき「電子納税申告」「電子警察」「電子健康管理」「電子教育」「電子会社登録」「電子駐車場管理」、国民にはICチップ内蔵のカードを発行配布する。職業や氏名や生年月日や病歴や犯罪歴や金融資産や住所や家族配偶者履歴など便利にするエストニア・モデルで維新をするべき!エストニアで出来て世界一の技術大国・日本国で出来ない訳はない。
また、巨大な隣国は「つかってナンボ」である。18歳成人制度で日本は変わる!
日本は10%クオリティ国家になる!とにかく心理を和ませる必要がある。
日本人の個人金融資産は1600兆円、企業の内部留保は270~320兆円である。
1%でも動けば景気は格段に活性化する。
「低欲望社会」という心理社会が、この国の病巣だ。
国はビジョンを示し、未来が明るいことを希望があることをわからせるべき。だが、官僚やサラリーマン政治家、二世三世政治家などに期待しても無駄だ。
やるなら国民運動でしかない。
まず動け!僕も出来る限り動く!皆さんも動いてくれ!改革者政治家への応援や投票でもいい。女性政治家への応援でもいい。まず、動いてくれ!
誰がなっても政治家など同じ、ではない。まずは行動だ!まずは隗より始めよ、である。
行動せねば何も動かない。上杉鷹山公も「為せば成る」というではないか。


<世界を震撼させた書の「骨子」を訳者が完全解説>「5分でわかるトマ・ピケティ『21世紀の資本』<世界的ベストセラーを読む>」監修・山形浩生、文・小学館SAPIO編集部、まとめ緑川鷲羽2015年1月11日
年末年始、大手書店の新刊コーナーに、700ページ超(通常の文字組みなら1000ページ超。日本語訳版)の大書で経済の専門書である本が、ずらりと平積みされた――『21世紀の資本』(トマ・ピケティ著、山形浩生・他訳、みすず書房刊)である。
原著のフランス語版が発売されたのは2013年8月。翌4月に英語版が発売されると、たちまちアメリカで50万部のベストセラーとなり、世界35カ国で翻訳されることになった(予定を含む)。その「10年に一度の画期的な書」(日本語翻訳者・山形氏)がついに日本にも登場したのだ。700ページの大書の「骨子」を山形浩生氏と小学館SAPIO編集部の協力をもとに、10分でわかるように内容の骨子をQ&A形式で解説した。
<Q1なぜ、この本がそんなに話題になっているの?>
A1従来の近代経済学では「資本主義が発展すれば冨は多くの人に行き渡り、格差は自然と自然に解消に向かう」という考えが常識でした。それにたいして、何もしなければ、格差は解消されるどころか拡大するとしたところが従来の常識を覆す目新しさがありました。特に「ウォール街を占拠せよ」運動が象徴するように、格差拡大が大きな議題になっていて、本書の主張が衝撃的だったからです。また、個人の才能と努力で成功できるアメリカンドリームの消滅を示すようでアメリカ人にはショックでした。
<Q2本書の一番のポイントは?>
A2歴史的に見て資本家などの富裕層と一般の労働者の間にはつねに経済格差があり、今後もその傾向が続く、というのが最大の主張。そこでポイントとなるのが、カバーにもかかれている「r>g」という定理です。rは「資本収益率」で、不動産や株式、債務などあらゆる「資産」から生まれる収益の率のこと。gは「経済成長率」、つまり労働によって得られる所得の増加率のこと。「r>g」ということは、「資本収益率rは経済成長率gより高い」ことを意味します。その定理が成り立つとき資本家と労働者の経済格差は拡大します。
ピケティは、紀元0年から現代までの資本収益率rと経済成長率gを推測し、2010年までのrとgを予測しています。rが一貫して4%台から5%台で、gは20世紀後半には3・5%~4%に達しましたが、歴史的に見るとそれは例外で、ほとんどの期間は2%です。つまり、金持ちはますます冨み、貧しき者は益々貧しくなるということです。
<Q3「r>g」以外の主張は?>
A3「r>g」の格差は前述したように縮小した期間は一時期あったが、それは例外に過ぎない。格差を縮小するには政治的な政策が必要である、の2つです。
<Q4なぜ、こんなに分厚い本になったのか?>
A4取り扱うデータが膨大だからです。ピケティとその共同研究者は、15年かけて、19世紀(1870年)から現在に至るまでの世界20カ国以上の所得に関するデータを集めていて、しつこいほど「貧富の格差は永遠に縮小せず、お金持ちはさらに冨み、貧乏人はさらに貧乏になる」ことを証明しています。
<Q5なぜ経済格差は拡大するのか?>
A5不動産や株式、債券などあらゆる資産から生まれる収益の率(r)が大きいと、富裕層はその収益をもとにしてさらに資産を拡大出来ます。
一方、経済成長率(g)は国民所得の伸び率なので、それが小さいとい一般の労働者の所得の伸びは小さくなります。
<Q6その論理的根拠は?>
A6明確な論理的根拠は示されていませんが、ピケティは、前述したデータをもとに実証的に証明しました。それまでピケティほど長いスパン、大きな規模で格差について実証した研究例は過去になく、大きな意義があります。
<Q7バルザックの『ゴリオ爺さん』が取り上げられている理由は?>
A7『ゴリオ爺さん』(1835年作で、1819年のパリを舞台)では上流階級にのし上がろうとする青年が、法律家として働くこと(労働所得)と、資本家の娘と結婚すること(資本取得)の、どちらがいいかに悩みます。ピケティは当時のデータを分析し、資本取得の方が労働所得より大きかったと結論を出しました。
<Q8長者番付から何が読み取れるのか?>
A8経済格差の拡大、貧富の差、富める者がもっと冨にけり、ということです。
<Q9格差が縮小に向かった例外的な時期とはいつか?>
A9 20世紀の初期から半ばにかけておこったふたつの世界大戦と世界大恐慌のときです。そこから復興した1970年代前半まで。大恐慌により富裕層の資産が失われ、戦費調達のために富裕層に対する課税が強化される(rの低下)一方、戦後の復興のために経済成長が続いた(gの上昇)からです。
<Q10今、再び格差が拡大に向かっている理由は?>
A10アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権が誕生し、新自由主義的な経済政策を採り、格差の拡大を抑えていた税制が撤廃、緩和されました。アメリカには「スーパー経営者」など続々と富裕層が出来始めました。わずか1%ですが。だから、99%は貧困層なのです。
<Q11日本については書かれているのか?>
A11イギリス、フランス、アメリカが中心に取り上げられ、日本についての言及は限定的ですが、日本は世界同様、「資本/所得比率」が高くなっているデータが示されています。低成長に加え、人口減が著しくなるので、富の世襲の持つ意味が大きくなる、と。格差拡大に向かうと示唆されています。
<Q12格差社会のイメージが強い中国についてはどう書かれているのですか?>
A12中国はデータ上、意外にも所得格差はあまり激しくありません。トップ1%の所得がGDPに占める割合は、アメリカでは20%程度ですが、中国では11%程度です(2010年)。もっとも中国の場合、データの信用性に問題があるので、慎重に受け取る必要があるかもしれません。
<Q13格差を解消するにはどうしたらいいの?>
A13ピケティは世界的な政治政策で、富裕層への累進課税を提唱しています。一か国だけで行うと資本は税率の低い国やタックス・ヘブン(租税回避地)に逃げてしまうので、効果がありません。そこで、世界中で連携して累進課税をすると。ピケティ自身は、実現は容易ではない、と見ていますが、同時に、アメリカの圧力でスイスの銀行が顧客情報を開示するようになったことを考えれば、あながち不可能ではないとも述べています。
<Q14マルクスの『資本論』を連想させる書名だが、ピケティはマルクス主義者なのか?>
A14アメリカの保守派からはそうしたレッテルを貼られています。しかしマルクス主義者ではありません。インタビューを受けて『資本論』を読み通していないと明かしていますし、左派からはマルクスの解釈が間違っているという批判もあります。
<Q15反対論はないのか?>
A15ポール・クルーグマン、ジョセフ・スティグリッツ、ロバート・ソローといったノーベル経済学賞受賞者たちが本書を絶賛する一方、フィナンシャル・タイムズやクリントン政権当時の財務長官で、元ハーバード大学学長の大物経済学者ローレンス・サマーズらが、ピケティの主張ほど冨が集中している事実はないと批判しています。政府は市場に介入すべきだと考えるケインズ経済学者に賛同が多く、市場への介入は排除すべきだという新自由主義経済学派からは反論が多いようです。



2014年12月16日(火)<目を覚ませ! 年金制度はもう破綻している>
<大前研一の日本のカラクリ>PRESIDENT 2014年12月29日号
ビジネス・ブレークスルー大学学長 大前研一/小川 剛=構成 AFLO=写真
あまりに甘すぎる年金の制度設計
年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、資産運用比率の見直しを発表した。GPIFは日本の国民年金、厚生年金の年金積立金を管理・運用している政府系金融機関(所管は厚生労働省)。運用資産約130兆円という世界最大級の年金基金だ。
これまでのGPIFの基本ポートフォリオは債券71%(国内60%、外国11%)、株式24%(国内12%、外国12%)、短期資産5%だった。つまり日本国債に偏っていたわけだが、これを35%程度に減らして国内外の株式や外国債の比率を高め、債券50%(国内35%、外国15%)、株式50%(国内25%、外国25%)の運用比率にしようというのだ。
勘違いしてはいけないのは、国民のために少しでも年金の運用効率を高めようという発想から運用比率が見直されるわけではない、ということだ。そもそも年金についてマジメに考えている政治家や役人は過去にも、そして今現在も、いないと思ったほうがいい。
今から15年ほど前、2000年くらいに、国の年金政策に関わっている御用学者と議論をしたことがあるが、当時からとんでもないことを言っていた。4%の経済成長が持続して、サラリーマンの定期昇給も年4%、少子化に歯止めがかかって出生率が2.0まで回復する――。そういう前提のうえで5%の運用利回りが確保できれば年金が回るように制度設計している、と胸を張るのだ。
1990年代の経済状況の推移や少子化の進展具合から考えて、あまりに想定が甘すぎる。これでは国民を欺くようなもので、本気で年金制度を維持するなら支給年齢を引き上げて、支給額を減らし、保険料を高くするしかない。私がこう指摘すると、そこはいじりたくないというのだ。結局、失われた20年を経た今も日本経済は低成長、もしくはマイナス成長に喘ぎ、定期昇給は昔話になった。出生率は子供2人など夢のまた夢の1.41。年金資産の実質的な運用利回りは1.7%程度だ。
前提が全部間違っているのだから、制度が成り立つわけがない。一昔前に5000万件の年金記録の記載漏れが発覚して「消えた年金記録」と大騒ぎになったが、年金制度の破綻を問われたくない役人からすれば、年金記録はもっと消えてほしいところだろう。公務員には恵まれた共済年金があるし、政治家にも手厚い議員年金がある。こちらは株式や外債の運用比率を増やすとは言っていない。下々の年金問題なんて他人事なのだ。
一方、勤労者の代表たる組合は年金問題をもっと突き上げていいはずだ。しかし総評系などは大企業の組合ばかりで、大企業は企業年金が充実している。要するに国民年金をもらう人たちを代表する組合がないのである。
本当なら国民の代表である国会議員の役回りだが、年金問題に熱心な政治家はほとんどいないから、財務省や厚生労働省の小難しい説明に簡単に誤魔化されてしまう。若い現役世代は自分が支払った保険料分の年金を将来的にもらえないのに対して、今の受給者はもらいすぎているというアンバランスも政治的には絶対に解消されない。高齢者のほうが投票率が高いから政治はどうしてもそちら側に歪み、年金問題は何も解決しない、という構造になっている。
GPIFと日銀の「連携プレー」
GPIFの運用比率見直しの背景には安倍首相の強い意向があったという。(AFLO=写真)
GPIFの運用比率の見直しにしても、年金のために善かれでやっているわけではない。GPIFが運用改革を発表した10月31日の同日、日銀の黒田東彦総裁が追加金融政策を発表した。
その一つが長期国債の買い入れを約30兆円増やすという量的緩和だ。この30兆円という数字は、GPIFが国内債券の運用比率を下げるために市場に放出する分とほぼ符合する。つまりGPIFが30兆円分の国債を売って、日銀が買い取るという相対取引になっているわけだ。
GPIFは日銀との連係プレーを否定しているが、2つの発表があった10月31日には円安が一気に進んで、東証株価は急騰した。大量の日本円が放出されて市場に出回れば円の価値は下がる。それが株式市場に流れ込んでくるという期待感で株価は上がる。
政府の経済政策がうまくいっているかどうかを、浅はかな政治家は株価で測ろうとする。GPIFの運用比率見直しの背景には安倍晋三首相の強い意向があったという。つまり、株価を上げてアベノミクスを正当化するための手段として、GPIFの年金資産は使われたのだ。しかし、安倍自民党は日本の経済構造を全くわかっていない。日本人は株を15%くらいしか持っていない。株価が上がって喜ぶ人は少ないし、景気の指標にもならない。アメリカ人は資産運用の85%が株だから、株価が上がれば景気が良くなる。こんな基本的なことも知らないで、株価が上がって景気が良くなり、所得も雇用も増える、と首相は言っている。リストラを進めて雇用を削った会社は収益が上がるので株価も上がる。つまり日本では景気や雇用と株価は逆相関、ということも十分ありうる。
さらに言えば、GPIFが外債比率を高めるのはアメリカへの配慮からだ。アメリカは経済状況が悪くなってきた中国が保有する米国債を売ることを恐れている。日本と中国は米国債の保有高世界一を争うが、「中国の代わりにおまえが買い取れ」というアメリカの要請に対する回答が、GPIFの外債比率アップなのである。
外債といっても他国の債券を手広く買うつもりはなくて、アメリカをヨイショするために我々の年金を使ってひたすら米国債を買い込む。となれば、米中関係が悪化して実際に中国が米国債を売り飛ばすような事態になれば、米国債は暴落してGPIFの資産=我々の年金は減る。国内債や日本株も大量に抱えているから、日本が世界の信認を失って国債や株価が暴落した場合も、年金は大きく目減りする。そういう事態にならないように賢くリスクヘッジしつつ、厳正中立な立場で高利回りを追い求めるのが年金ファンドの正しい姿だろう。運用を多様化するといっても、政策と外交の手段としていいように使われている御用ソブリンファンドGPIFは、その限りではない。
「大前流」老後のお金サバイバル術
結論を言えば、老後の資金は自分で準備するしかない。政治家や役人が牛耳って、政策の失敗を誤魔化すために株を買い込ませたり、外債を抱え込ませる年金ファンドに虎の子を預けるのはやめたほうがいい。地雷を踏んで一発で即死する危険性がある。
国任せにしないで、年金は自衛すべきというのが私からのアドバイスだ。「年金は社会保障」と決めつけて公的年金制度に依存するリスクは、日本の債務状況と人口減時代の進行を考えれば、今後、確実に高まってくる。
アメリカ最大の年金基金であるカリフォルニア州職員退職年金基金(カルパース)や、シンガポールの政府投資公社(GIC)、ノルウェーの政府年金基金(グローバル)など、厳正中立な運用で長期にわたって安定したパフォーマンスを上げている年金ファンドが世界にはある。たとえばオンタリオ州などカナダの州政府が持っている年金ファンドは地道な投資研究で高利回りを堅持していて、インセンティブシステムが強すぎるアメリカのファンドよりもはるかに信頼できる。
そうしたファンドに分散して運用を任せられれば一番いいのだが、日本人の年金は預かってもらえない。今のところ、日本で集めた資金をまとめて海外の年金ファンドに預ける商売をしている金融機関もない。ただし、大概のファンドは運用状況を公開しているので、追いかけて投資しようと思えば日本の機関投資家にもできないことはない。
国債暴落→財政破綻→ハイパーインフレのような究極のディザスターが起こった場合、たとえ年金がもらえたとしても意味がない。月額20万円もらえたとしても、円の価値が10分の1に暴落していれば、今の2万円にしかならない。ロシアなどの例から見てもハイパーインフレが起きた国では年金受給者が一番先に地獄を見るのだ。貯金も10分の1になるから、これも役に立たない。
年金や貯金があるから安心、という発想では絶対に生き残れない時代に日本は突入していく。「そうではないもの」に資産をシフトしていかなければならない。たとえばキャッシュを生み出す収益性の高い土地や生活必需品関連の株などは国債が暴落しても、それほど価値が下がらない。それから外貨。本当は何があってもひっくり返らない国の外貨がいいのだが、そんな国はないので、なるべく資源国で財政規律のいい国の通貨を選ぶ。
米ドルとユーロをベースにして、カナダドルや豪ドル、ノルウェーのクローネなど、自分で将来性があると見立てた途上国を含めて5種類ぐらいに配分して外貨預金をするのがベストだ。ゼロから始めるなら、給料の半分を外貨預金に充てるくらいの気持ちでなければ間に合わない。
一方で、自分自身への投資も怠らない。どんな時代でも、どんな場所でも稼げるスキルを身に付けることがハイパーインフレ下における究極のサバイバル術なのである。

財政破綻を防ぐアベノミクスに!


 2014年4月から消費税が8%に増税された。来年2015年10月から消費税は10%に予定通り増税するか?という判断に我が国は「先送り政策」で、2017年4月頃の増税へと増税を先送りにすることで調整段階にはいった。これは英断というほかはない。消費税増税賛成派は「財政がもたない」「全額社会保障費に」という。
それは正論のように感じる。だが、8%消費増税で消費が冷え込みまくっているのと、景気への悪循環から私は消費税増税を「先送り」するべきと主張して安倍さんも理解してくれたようである。「財政が持たない」というが、日本国の国の借金は1000兆円であり、社会保障費は年間110兆円だ。確かにプライマリー・バランスさえ足りない。しかし国の財政が深刻で国の借金が1000兆円以上でも、日本国に財源があるので本当の借金は400兆円ほどだ。だが、それでも日本は財政破綻で世界的に知られるギリシャよりも「世界一の借金大国」である。日本の年間運営費は90兆円なのに、税収は40兆円でしかない。そういえば消費税を3%から5%に引き上げて、景気を悪化させた橋本元首相は、死ぬ間際まで「財務省に騙された」と恨み節を発していたという。いわばそういうことなのだ。
日銀は量的緩和などと称してお金じゃぶじゃぶで、お札を刷りまくって市場を動かそうとしている。いわば今の日本は円安・株安・ゼロ金利だ。しかもアベノミクスも失敗して「(コスト・プッシュ型の)悪いインフレ」になっている。
目玉は給付税額控除だ。それと言っておくが「軽減税率」などはやめた方がいい。欧州では100年の歴史があるが、日本で軽減税率をやれば、官僚や政治家の「利権だらけ」になってしまいますよ。今は消費税ではなく、大前研一氏の提唱する「付加価値税」であろう。消費税増税とはいっても、消費税が1%上がっただけでも2兆6000億円でしかない。それで「財政のこと」を論説として持ち出す等、いかに「経済がわかっていないか」がわかる。増税じゃなく先送りで正しい。世界第三の経済大国、日本は、デフレ脱却、財政再建な訳だがそれもいつまでもつか、である。国民が知らない形で日本の金融機関が日本国債を大量に買っている。だが、日本の個人金融資産が1600兆円であるうちが花だ。金がなくなれば財政破綻もありうる。
だが、だからって消費増税、年金運用、等ばかりしても景気はよくなるのか?ということ。財政再建できるのか?ということ。
日本の国債が信用をなくして紙クズになったとき「日本の経済破綻」であり、「日本国のおわり」である。公共事業も役所も何もかもがフリーズ(凍結)状態になる。日本の個人金融資産が1600兆円あるうちが花だ。ドイツはプライマリーバランスを黒字化させた。しかも身を切る改革で膨大な財政の借金をクリアーしたのである。方法は四つ。(1)憲法で政府や自治体の借金を禁止(2)年金支給額を激減させた(3)失業保険支給額を激減させた(4)議員定数削減、無駄な公共事業削減等である。
また、世界に例を見ない程の少子化対策には「戦略的対策」が必要。その為には財源が必要になるが私は日本をフィンランドのような北欧のような高福祉高負担国家にしたい。消費税20%で、大学までの教育費・給食費無料、「教育バウチャー制度」だ。また第一子出産で5万円、第二子出産で10万円、第三子出産で15万円のボーナス支給もやるべき。また、子育て経験者の高齢者に地域で子育てサポートボランティア参加要請などで「子育てするなら地方で」を実現したい。東京への憧れはもはや古い。現在のブームは人間も地域も暖かい地方の時代だ。
経済がまったくわかっていない政治家や官僚が、なんとか総研のエコノミストから御信託をきいてにわか論を口述しても意味がない。まずは実体経済を知ることだ。アベノミクスで儲かっている人間等いない、ということ。アベノミクスは嘘であり、話題をつくっただけ。消費税8%増税であれだけ景気が鈍化したんだ。10%に消費税増税(2015年10月からだったが2017年4月に先送り調整中)等「無能無策」であるとしか言えない。景気の7割は個人消費なのだ。どこに景気のよい日本企業がある?億万長者は増えたか?とにかくよく考えなくても「10%消費税増税は先送り」こそ道だとわかる。有識者だのに聞かなくても誰でもわかる。景気判断、政策の失敗で日本国を財政破綻させる愚だけはおかしてはならない。「10%消費税増税先送り」こそ国の為道の為、だ。

緑川鷲羽(みどりかわ・わしゅう)・フリージャーナリスト

<世界に飛躍する「人間力」の時代><小学館SAPIO誌2015年1月号>
Ⓒ大前研一氏*文・緑川鷲羽<来る総選挙、統一地方選のスローガンに物申す 第85回<安倍政権にまかせていたら地方は死ぬ 本当に地方を蘇えらせるための3つのプラン>>
*安倍政権の身勝手な解散・総選挙によって国政がフリーズ状態に一時なる中、地方創生というローカルアベノミクスは最重要課題である。しかし、本当の地方創生の3つのプランとは?元・経営コンサルタントの大前研一氏が提起する。
▼「地方自治体」ではなく「地方公共団体」
2015年春の統一地方選挙を睨んで、安倍政権は「地方創生」の鼻息荒い。
ただし、現在、政府・与党内で繰り広げられている議論は既見感がある。その中身は、かつての自民党が実施してきた「全国総合開発計画」(全総)や「ふるさと創生」「地方復興券」などと同じレベルでしかない。石破茂地方創生担当大臣は「バラ撒きは排除する」としきりに強調していたが、果たしてどうか。
カジノ誘致は、かつての地方リゾートの開発、そして第三セクター経営の失敗と同じ轍を踏む可能性が高い。
 中央から地方にカネを注ぎ込んでうまくいったのは、日本が中進国だった高度成長期だけである。その後は大半の地方自治体が中央からの交付金や補助金に依存するようになり、自助努力をしなくなって衰退した。
 これは自助努力をするための権限移譲が全く進んでいないからだから、当然と言えば当然の帰結である。
そもそも「地方自治」の原則について記された憲法第8章には、「地方自治体」という言葉はない。代りに「地方公共団体」と書かれている。この2つは似て非なるものだ。地方公共団体とは、すなわち独自財源はおろか、司法、立法、行政の三権も持っていないことを示す。都道府県や地区町村は“霞が関の下請け機関”にすぎないということが明記されているわけだ。
そんな組織が、地方活性化に向けて強いリーダーシップを執れるはずはないだろう。
だから安倍政権が本気で地方を創生したいなら、中央のカネを地方に分配するのではなく、まずは今の国の出先機関にすぎない地方に独自財源と三権を持たせて、本来の意味の「自治体」(すなわち地方政府)を作る改革が大前提となる。それが地方の自治と自立、そして創生を実現するための最初の作業となるはずだ。
七夕飾りの短冊みたいな「アイデア集」(マニュフェスト)を作ってみても慰み以上の成果は期待できない。経営コンサルタントとして長い間、大組織の変革を仕事にしてきた私の経験では「戦略」ではなく「組織」(すなわち統治機構)の変革意外に永続的な解決策はない。
*<だからこそ私緑川鷲羽は米沢市を「アベノミクス経済特区」に指定してもらって独自財源と統治機構の構築を、昔から提言してきたのだ。まずは国、そして米沢市だ>
▼薩摩藩が実施した「地産地消」モデル
私は地方創生には3つのモデルがあると考える。まずは、江戸時代の「自給自足経済(廃県置藩)」に立ち返るというモデルだ。だからこその廃県置藩である。
最終的には米沢市や東北州などに財源も権限も持たせてもらう。だが、当面は「アベノミクス経済特区」という位置での“米沢市経済改革”になると思う。
だが、やらないよりやったほうがいい。為せば成る、である。江戸時代の薩摩藩、米沢藩もそうであり、いい人材も輩出した。米沢市では今様上杉鷹山公上杉謙信公の私緑川鷲羽が「救国の新世紀維新」を国と、次に米沢市(「米沢維新」)でやらねばならない。まずは米沢市長の前に、国の為に民間登用大臣で働かせてもらおう。むろん、このモデルは経済が小さいことが大前提で、国レベルではない。今の生活レベルを全国で維持するのは難しいだろう。だからこそ、将来的には(「アベノミクス経済特区」として)米沢市でやろうというのだ。
▼なぜアメリカ大統領は「州知事」出身なのか
そこで次に候補になるのがアメリカモデルだ。つまり、道州制度、である。
アメリカの場合は州が非常に大きな自治権を持っており、刑法や通貨の発行など全国共通でなければ都合の悪いもの以外は、すべて州に権限を委譲している。各州は独自に売上税の税率や建築基準法を決めたり、銃の所持、大麻、同性愛、安楽死などを合法化したりすることができる。私は米沢市長になって、都知事みたいな“物凄い権限”が欲しい訳ではない。だが、米沢市を「アベノミクス経済特区」に指定してもらい、財源と法人税率、公務員給与4割カットボーナスなし、法人税減税、米沢市議員無給ボランティア化、米沢市愛郷税で、経済活性化させたい。あくまで「アベノミクス経済特区」として。慰みで七夕の短冊のような「アイデア集」(マニュフェスト)を掲げているのではない。
そのためにはまず国で活躍して「規制」をとっぱらって、名古屋の河村たかし市長や大阪市の橋下徹市長らがうまく地方自治ができる「環境整備」をまずはしたい。
アメリカの大統領が州知事経験者であふれているのは、やっていることが似ているからだ。州を国に置き換えてスケールアップすることで(外交などのセンスがあれば)大統領が務まるわけだ。私緑川鷲羽のことを安倍首相に「立派な主張でも紙にプリントアウトするだけなら誰でも出来る(笑)」と馬鹿げた入れ智慧している奴などより、私の方が外交センスはある。緑川鷲羽が官邸入りすれば粛清されると恐怖で、入れ智慧しているのだろうが、馬鹿だ。頭がシャープでなければその印刷する文章さえ書けない。何でそんな簡単なペテンに気付かないのだ?(笑)安倍さん頭は大丈夫なのか?(笑)
独自財源も三権も持っていない“徒手空拳”の日本の都道府県知事では地方創生は無理。せめて独自財源でも認めてくれればいいのだが。このままでは日本でアメリカやドイツモデルは機能しないだろう。
▼世界で一位のものを一つだけ
最期に、とりあえず日本でも本気になれば出来るかも知れないと思う、イタリアモデルを紹介したい。イタリアは経済破綻国家というイメージが強いが、国が滅んでも地方は滅ばない。ニットで有名な地方カルビ(人口1500人ほど)や、コモという町では絹スカーフ、ボローニャでは食品や薬などの包装機械や、ベネチア・ムラーノ島ではベネチアングラス、ソレントでは寄木細工の机が一大産業になっている。ベラージオにいけば靴屋ばかり。
靴やバックをつくる縫製工場はトルコやルーマニアや中国に置いても、製造ノウハウは教えて移転するが、デザインだけは絶対に教えない。金曜日にイタリアのデザイナーが現地に飛んで日曜日に帰って来る。こうして面倒くさいようにみえることまででもしてデザインを死守している。米沢市でもやろう!日本の地方でもやろう!
実際、ドイツのマイセンやローゼンタール(以下、陶磁器・洋食器の産地・メーカー)、デンマークのロイヤル・コペンハーゲン、イギリスのウェッジウッド、ハンガリーのヘレンドなどはそれを実践し、世界に高額商品を売りさばいている。
日本の地方が学ぶことは多い。日本のおいしい農作物、安全で安心な観光、安くて安全なメイドインジャパン製品………どんどん儲けられる!日本でも戦略と地方創生、財源移譲や地方自治体の独自財源化などで日本をふたたび「いい国」に、経済先進国にしよう。
日本のコメ、牛肉、寿司、日本製品、コンビニ、接客サービス、鉄道システム、新幹線、原発、通信技術、ハイテク製品、漫画、アニメ、小説、音楽、モバイルコンテンツ…
もはや、選挙対策にすぎない「地方創生」などのスローガンを掲げる国家には頼っていられない。もう「世界への挑戦のゴング」は鳴っている。グズグズなどしている場合ではもうないので、ある。



~大前研一ニュースの視点~2014年10月10日<移民政策・有給休暇・国家戦略特区・地方創生~本質的問題に向き合う姿勢を考える><移民政策:海外人材に日本で能力発揮を・有給休暇:企業に有給休暇の義務付け検討・国家戦略特区:福岡市、兵庫県養父市の区域計画を認定・地方創生:地方活性化へ>(C)大前研一氏
▼ 移民政策は考えないのは、問題解決を放棄しているだけ
安倍首相は1日、政府が検討している外国人労働者の受け入れ拡大に関し、「多様な経験、技術を持った海外の人材に日本で能力を発揮してもらうものだ。安倍政権は、いわゆる移民政策を取ることは考えていない」と述べたとのことですが、全くもって愚かな発言だと私は思います。このようなことを敢えて発言する必要がありません。
「移民政策を考えていない」ということは、すなわち日本が抱える最大の問題の1つである「若い労働力の不足」問題を考えずに、問題解決を放棄しているというのと同義です。
能力が高い人だけ受け入れたいといいますが、それも特区に限ったことで、全く実情を知らないとしか思えません。通常、移民政策の準備に5年~6年の期間が必要となります。
「普通の移民政策はやりません」ではなく、これから移民政策の準備を開始し、5年~6年かけて「秩序だった移民受け入れが可能になる」ようにしていくと表明するべきです。
安倍首相は、自らの発言が日本の将来の問題解決を放棄しているのと同じだということにすら、気づいていないのでしょう。
▼ 有給休暇の取得率を上げるには、機械的なルールを定めよ
厚生労働省は企業に対して社員の有給休暇の消化を義務付ける検討に入りました。社員の希望をふまえ年に数日分の有休の取得日を企業が指定するとのことです。
主要国の有給休暇取得率を見ると、日本の割合は非常に低くなっています。
ブラジル、フランス、香港は100%で、やや低めでも米国71%、韓国70%となっています。
それに対して、日本はわずか39%です。日本の場合、有給休暇の取得率の低さを補うように、国民の休日を増やしているということも影響しているのだと思います。
有給休暇の取得率を上げるには、いくつかの対応策があります。・年度を超えた有給休暇の繰越しをなくす、あるいは減らす・余った有給休暇を企業が買い取る・取得率が50%だったら、次年度は有給休暇日数を10%減らすなど、考えれば他にも案は出てくるでしょう。
また取得率が低い理由をしっかりと調査して、上司からの圧力が問題なら、パワハラの問題として対処することも忘れてはいけません。
ただ、「有給休暇を取得しないなら、来年は2日間減る」となれば、多くの人は上司の言いなりにはならない気もします。いずれにせよ、有給休暇の消化率は100%というのが想定ですから、そうなるように「機械的に」ルールを決めて実行していくことが、この問題を解決する方法だと私は思います。
▼ 規制緩和などは、特区限定ではなく全国で展開すべき
政府は9日、国家戦略特区諮問会議を開き、福岡市と兵庫県養父市の区域計画を初めて認定しました。福岡市はイノベーションの推進・新ビジネス創出、養父市は農地の有効利用というのが主な目的と定められています。具体的な施策内容を見てみると、正直、こんなものを成長戦略と呼ぶのはお恥ずかしいというレベルです。
例えば福岡市では雇用条件の明確化のために「雇用労働相談センター」を設置し起業を支援、あるいはエリアマネジメントに係る道路法の特例でMICEを誘致、イノベーションの推進・新ビジネス創出とあります。
これらが国の成長戦略につながるとは私には全く理解できません。
また改正特区法による規制緩和として、医師でなくても病院のトップになれる、家事サービスを外国人に開放するなど、「医療・女性の就労促進・起業・教育・労働」の分野においていくつかの項目が挙げられていますが、これらも特区に限らず全国で展開するべきことだと私は思います。
結局、役人が握っている既得権益を離さないという、悪習が残っているのでしょう。
先日、石破地方創生相が特区の意義を語ったと知り、その内容に非常に驚きました。
「東京は交通や人材など様々な集積がある。それを生かした事業をしたい。東京が日本全体をけん引しないといけない」と、特に東京の強化を述べたと言います。
「東京一極集中是正を目指すために、東京を強化しその活性化がアクセルになる」というのはどうにも理解し難いロジックです。そもそも、私は石破氏にも何度か説明していますが、地方創生で成功した事例は世界中を見渡してもほとんどありません。東京も1つの地方として考えて「東京の強化=地方創生になる」というのはあまりにも飛躍したロジックであり、もう少しまともに考え直してもらいたいと思います。


<<教えて大前先生>大前研一の日本のカラクリ>
2014年10月2日(木)
*「容積率緩和で富創出」わが日本活性化プラン**大前研一の日本のカラクリ
PRESIDENT 2014年10月13日号
ビジネス・ブレークスルー大学学長 大前研一/小川 剛=構成
大都市圏の土地供給はほぼ無限になる
大学で経済を学んだ人なら覚えているかもしれないが、資本主義における成長(生産)の3要素は何かといえば、労働(力)と資本と土地である。
この原理原則に立ち返って考えてみると、日本経済の成長の方向性はハッキリする。
人口減時代に突入して労働人口が毎年30万人ずつ削られている現状では、成長戦略に“労働”は使えない。ベビーブーマーのときのような人口ボーナスは遠い昔の話だ。
資本はどうか。産業革命以来、世界の成長を支える資本は圧倒的に不足してきたが、高齢化が進んだ先進国では今やカネ余りで、ほとんどの国がゼロ金利の状態である。北欧でもカナダでもオーストラリアでも、そして日本でも、年金や保険の資金はあり余っていて、よほどうまい運用をしなければリターンは1%も出ない。超過剰な資本を振り向ける有効な投資先がないのが先進国の現実だ。
残るは土地である。国土の狭い日本は成長に使える“土地”があまりないように思われがちだが、実はそうではない。さまざまな規制があるために、土地の活用が制限されてきた。たとえば都市計画法で規制されている市街化調整区域。これを取っ払ってしまえば、大都市圏の土地供給はほぼ無限になるのだ。
労働も資本も、もはや日本経済の成長の糧にはならない。しかし、理不尽な規制のおかげで「土地ボーナス」だけは膨大に蓄積されている。今の日本経済にとっては唯一の成長機会といえるだろう。私は20年以上前から土地の使用方法や規制権限を中央から自治体に委譲すべきだと提唱し続けてきた。今こそ、これを実現して土地ボーナスの解放を図るべきなのだ。解放効果の高い土地ボーナスとして、私が繰り返し指摘してきたのが「容積率の緩和」である。今回は日本の成長戦略にとってなぜ容積率が最重要なのか、論点を整理してみたい。
世界を見渡してみると、容積率を全国一律に国が決めているのは、日本と日本に倣った韓国以外にはないといえる。
そもそも国が決める容積率に何か根拠があるのかといえば、国土交通省のさじ加減一つである。たとえば大阪・中之島に朝日新聞社が高さ200メートルの大阪本社ビル(中之島フェスティバルタワー)を建設した。この地域の容積率は1400%だが、国土交通省は朝日の要望通り、1600%という容積率を認めた。専門家が安全性を厳正に審査してOKを出したのではない。つまりは国土交通省の“お目こぼし”だ。
アベノミクスの成長戦略で首都高速道路の空中権(容積率を隣接した土地に移転する権利)を売却して、老朽化した首都高の改修費に充てようという構想もある。銀座辺りを走っている首都高は半地下構造になっているから、そこで使われていない地上部分を隣接地に売却する、という信じられない発想である。それで隣接地が大きな容積率の建物を建てられるということは、別に売却されなくても、その土地の容積率の制限を単に撤廃すればいいだけの話だ。容積率にどれだけ根拠がないか、わかろうというものだ。
JR山手線の品川―田町間にある操車場跡地の一部が外資系企業の誘致を図る「国際戦略総合特区」に指定されて、容積率を大幅に緩和しようという話も出ている。しかし、あのエリアだけ地盤が固いとか、特別な理由があるわけでもない。つまりは特区に指定しただけで変えられるような、根拠のない数字なのだ。
本来、容積率は安全性を基準に決めるべきものだと私は考える。安全性は時代とともに変化する。頑丈な素材が開発され、優れた工法や耐震技術が生み出されれば、安全の基準も変わってしかるべきだろう。地域差もある。この地域、この場所だったら、どういう工法や技術を使えば安全に建てられるのか、信頼できる専門家に判断してもらって、それを基準にそれぞれの自治体が決めたほうが、安全性に適った容積率になるはずだ。
容積率が不動産の価値を決める
そもそも容積率がなぜ重要かといえば、それが不動産の価値を決めるからである。不動産の市場価値は、商業的に貸し出し可能なスペースがどれくらいあるかで決まる。土地の面積に対して容積率400%なら延べ床面積(建物すべての階の床面積の合計)は4倍、800%なら8倍。そこに投資してペイするかどうかで、その建物の商業的な価値が弾き出される。今の時代は、容積率次第でその土地が生み出す富が規定されるのだ。そうした観点からすれば、日本の都市では容積率によって創出される富がまだまだ少ない。容積率が低すぎるのである。
東京23区で道路や公園などを除く建物が建てられるエリアの容積率の平均は136%。容積率拡大の余地が残されている。
東京23区で道路や公園などを除いて建物が建てられるエリアの容積率の平均は136%。対して米ニューヨークのマンハッタンの平均容積率は住宅街で631%。オフィス街では1421%だから、平均14階建てということだ。
山手線の内側だけを見ると、建物の高さの平均は2.6階。山手線内に匹敵する広さを持つパリの中心部における高さの平均は6階だ。パリの場合、ルイ14世がベルサイユ宮殿を築いた300年前から6階建てで、街並み重視のポリシーから、街のファサード(建物の外観)は当時と全く変わっていない。超高層ビルは「ラ・デファンス」と呼ばれる副都心に集中させている。
ドイツの場合は州に権限があるが、実際は市町村が容積率や高さ制限を決めている。たとえば欧州の金融センターになっているフランクフルトの容積率はマンハッタン並みだ。ところがミュンヘンでは100メートルの高さ制限がある。500年前に建てられたフラウエン教会の高さが100メートルで、これより高い建物はミュンヘンに相応しくないという理由だそうだ。逆に土地が狭い香港の商業地では、20メートルより低いビルを建ててはいけないことになっている。
このように世界ではそれぞれのコミュニティで容積率などの建築基準を決めている。街の景観を守るためにドイツでは庭木を勝手に切れないし、スイスのインターラーケンでは観光地のイメージを損ねないように「2階の窓からゼラニウムの花が表に垂れるように植えなさい」というルールがあったりする。建築に関してはコミュニティが強い権限を持っているのが世界の常識であり、それゆえに特徴的な街づくりができ、由緒ある街並みが守られているのだ。
この20年が日本に残された最後の成長機会
前述のように安倍政権も容積率の重要性には着目している。しかし、結局は役人のさじ加減の範疇で収まっている。役人の目こぼし程度の緩和ではなく、もっと大胆に権限を自治体に委譲するくらいでないと、成長戦略にはならない。「容積率、建蔽率、高さ制限など、すべてにおいて、都道府県に権限を委譲せよ」というのが私の提案である。その権限を市町村に下ろすかどうかも各自治体が決める。政令指定都市には容積率などの決定権を持たせて、都市計画を阻害している市街化調整区域などに関する権限も一任する。
権限を中央から各自治体に委譲するといっても、安全基準や街並み基準などは従来よりも厳しくすべきだろう。地元の大学の工学部などが基準づくりに貢献して、それぞれの地域の特色を出していく。
それから東京都の条例に過ぎない日照権は、20年間棚上げにする。私はこの20年が日本に残された最後の成長機会だと思っている。その先、どうにもならない高齢化社会に突入する。ならば、この20年、目いっぱい投資と再開発を進めるべきで、この間、日照権はモラトリアム(猶予期間)にすべきである。
同じく減価償却期間をこの20年間に建設されたものに関しては半減する。減価償却期間が短縮されれば、コストが増えるので節税効果があるうえに、償却後はキャッシュフローが一気に増すので、生保など民間の投資マネーも入ってきやすくなる。
容積率の緩和に日照権の棚上げや減価償却期間の短縮化を組み合わせれば、都市計画は一気に動き出す。
自治体は都市計画の基礎部分では公的資金を注入して、地盤改良や道路整備、電線の地下埋設などを行う。財源は地方債や都市再生債を発行すれば十分賄える。アークヒルズや六本木ヒルズと同じで、まとまった開発ができれば外部から多くの人や企業が入居してくる。つまり、外部経済で従来の居住者の負担なしに都市再生ができることになる。
地盤整備などに使った公的資金の返済も短期間でできることになる。税金を投入するのではなく、債券を発行して民間にあり余っている資金が有効に使われる。
これが私の思い描く、容積率をフックにした成長戦略である。地方創生を標榜する安倍政権ではあるが、地方にはそのような成長ボーナスはない。あくまで人と企業のあふれる大都市を対象にしなければ経済成長は望めない。街並みを重視した都市の再開発を主軸とすれば、容積率や高さ制限を従来よりも厳しくするエリアが出てきても、それは住民の意思。国家が恣意的に縛るものではない。そこが重要なポイントなのだ。




勝海舟と徳川慶喜~徳川最後の将軍~<維新回天怒涛篇>ブログ連載小説2

2015年11月28日 07時28分38秒 | 日記








 松陰は後年こういっている。
「私がほんとうに修行したのは兵学だけだ。私の家は兵学の家筋だから、父もなんとか私を一人前にしようと思い、当時萩で評判の叔父の弟子につけた。この叔父は世間並みの兵学家ではなくて、いまどき皆がやる兵学は型ばかりだ。あんたは本当の兵学をやりなさい、と言ってくれた。アヘン戦争で清が西洋列強国に大敗したこともあって嘉永三年(1850年)に九州に遊学したよ。そして江戸で佐久間象山先生の弟子になった。
 嘉永五年(1852年)長州藩に内緒で東北の会津藩などを旅行したものだから、罪に問われてね。士籍剥奪や世禄没収となったのさ」
なお、この物語の参考文献はウィキペディア、堺屋太一著作、司馬遼太郎著作『最後の将軍』、童門冬二著作、池宮彰一郎著作『小説 高杉晋作』、津本陽著作『私に帰せず 勝海舟』、日本テレビドラマ映像資料『田原坂』『五稜郭』『奇兵隊』『勝海舟』、NHK映像資料『歴史秘話ヒストリア』『その時歴史が動いた』、『陸奥宗光』上下 荻原延濤(朝日新聞社)、『陸奥宗光』上下 岡崎久彦(PHP文庫)、『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦(PHP文庫)、『勝海舟全集』勝部真長ほか編(頸草書房)、『勝海舟』松浦玲(中公新書)、『氷川清話』勝海舟/勝部真長編(角川文庫)、『坂本龍馬』池田敬正(中公新書)、『坂本龍馬』松浦玲(岩波新書)、『坂本龍馬 海援隊始末記』平尾道雄(中公文庫)、『一外交官の見た明治維新』上下 アーネスト・サトウ/坂田精一(岩波文庫)、『徳川慶喜公伝』渋沢栄一(東洋文庫)、『幕末外交談』田辺太一/坂田精一校注・訳(東洋文庫)、『京都守護職始末』山川浩/遠山茂樹校注/金子光晴訳(東洋文庫)、『日本の歴史 19 開国と攘夷』小西四郎(中公文庫)、『日本の歴史 18 開国と幕末変革』井上勝生(講談社文庫)、『日本の時代史 20 開国と幕末の動乱』井上勲編(吉川弘文館)、『図説和歌山県の歴史』安藤精一(河出書房新刊)、『荒ぶる波濤』津本陽(PHP文庫)、大河ドラマ『龍馬伝』『徳川慶喜』『篤姫』『新撰組!』『八重の桜』『坂の上の雲』、『花燃ゆ』漫画『おーい!竜馬』一巻~十四巻(原作・武田鉄矢、作画・小山ゆう、小学館文庫(漫画的資料))、他の複数の歴史文献。『維新史』東大史料編集所、吉川弘文館、『明治維新の国際的環境』石井孝著、吉川弘文館、『勝海舟』石井孝著、吉川弘文館、『徳川慶喜公伝』渋沢栄一著、東洋文庫、『勝海舟(上・下)』勝部真長著、PHP研究所、『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄』荻原延寿著、朝日新聞社、『近世日本国民史』徳富猪一郎著、時事通信社、『勝海舟全集』講談社、『海舟先生』戸川残花著、成功雑誌社、『勝麟太郎』田村太郎著、雄山閣、『夢酔独言』勝小吉著、東洋文庫、『幕末軍艦咸臨丸』文倉平次郎著、名著刊行会、ほか。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作ではありません。引用です。
なおここから数十行の文章は小林よしのり氏の著作・『ゴーマニズム宣言スペシャル小林よしのり「大東亜論 第5章 明治6年の政変」』小学館SAPIO誌2014年6月号小林よしのり著作漫画、72ページ~78ページからの文献を参考にしています。
 盗作ではなくあくまで引用です。前述した参考文献も考慮して引用し、創作しています。盗作だの無断引用だの文句をつけるのはやめてください。
  この頃、決まって政治に関心ある者たちの話題に上ったのは「明治6年の政変」のことだった。
 明治6年(1873)10月、明治政府首脳が真っ二つに分裂。西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣の五人の参謀が一斉に辞職した大事件である。
 この事件は、通説では「征韓論」を唱える西郷派(外圧派)と、これに反対する大久保派(内治派)の対立と長らく言われていきた。そしてその背景には、「岩倉使節団」として欧米を回り、見聞を広めてきた大久保派と、その間、日本で留守政府をに司っていた西郷派の価値観の違いがあるとされていた。しかし、この通説は誤りだったと歴史家や専門家たちにより明らかになっている。
 そもそも西郷は「征韓論」つまり、武力をもって韓国を従えようという主張をしたのではない。西郷はあくまでも交渉によって国交を樹立しようとしたのだ。つまり「親韓論」だ。西郷の幕末の行動を見てみると、第一次長州征伐でも戊辰戦争でも、まず強硬姿勢を示し、武力行使に向けて圧倒な準備を整えて、圧力をかけながら、同時に交渉による解決の可能性を徹底的に探り、土壇場では自ら先方に乗り込んで話をつけるという方法を採っている。勝海舟との談判による江戸無血開城がその最たるものである。
 西郷は朝鮮に対しても同じ方法で、成功させる自信があったのだろう。
 西郷は自分が使節となって出向き、そこで殺されることで、武力行使の大義名分ができるとも発言したが、これも武力行使ありきの「征韓論」とは違う。
 これは裏を返せば、使節が殺されない限り、武力行使はできない、と、日本側を抑えている発言なのである。そして西郷は自分が殺されることはないと確信していたようだ。
 朝鮮を近代化せねばという目的では西郷と板垣は一致。だが、手段は板垣こそ武力でと主張する「征韓論」。西郷は交渉によってと考えていたが、板垣を抑える為に「自分が殺されたら」と方便を主張。板垣も納得した。
 一方、岩倉使節団で欧米を見てきた大久保らには、留守政府の方針が現実に合わないものに見えたという通説も、勝者の後付けだと歴史家は分析する。
 そもそも岩倉使節団は実際には惨憺たる大失敗だったのである。当初、使節団は大隈重信が計画し、数名の小規模なものになるはずだった。
 ところが外交の主導権を薩長で握りたいと考えた大久保利通が岩倉具視を擁して、計画を横取りし、規模はどんどん膨れ上がり、総勢100人以上の大使節団となったのだ。
 使節団の目的は国際親善と条約改正の準備のための調査に限られ、条約改正交渉自体は含まれていなかった。
しかし功を焦った大久保や伊藤博文が米国に着くと独断で条約改正交渉に乗り出す。だが、本来の使命ではないので、交渉に必要な全権委任状がなく、それを交付してもらうためだけに、大久保・伊藤の2人が東京に引き返した。大使節団は、大久保・伊藤が戻ってくるまで4か月もワシントンで空しく足止めされた。大幅な日程の狂いが生じ、10か月半で帰国するはずが、20か月もかかり、貴重な国費をただ蕩尽(とうじん)するだけに終わってしまったのだ。
 一方で、その間、東京の留守政府は、「身分制度の撤廃」「地租改正」「学制頒布」などの新施策を次々に打ち出し、着実に成果を挙げていた。
 帰国後、政治生命の危機を感じた大久保は、留守政府から実権を奪取しようと策謀し、これが「明治6年の政変」となったのだ。大久保が目の敵にしたのは、板垣退助と江藤新平であり、西郷は巻き添えを食らった形だった。
 西郷の朝鮮への使節派遣は閣議で決定し、勅令まで下っていた。それを大久保は権力が欲しいためだけに握りつぶすという無法をおこなった。もはや朝鮮問題など、どうでもよくなってしまった。
 ただ国内の権力闘争だけがあったのだ。こうして一種のクーデターにより、政権は薩長閥に握られた。
 しかも彼ら(大久保や伊藤ら)の多くは20か月にも及んだ外遊で洗脳されすっかり「西洋かぶれ」になっていた。もはや政治どころではない。国益や政治・経済の自由どころではない。
 西郷や板垣らを失った明治政府は誤った方向へと道をすすむ。日清戦争、日露戦争、そして泥沼の太平洋戦争へ……歴史の歯車が狂い始めた。
(以下文(参考文献ゴーマニズム宣言大東亜論)・小林よしのり氏著作 小学館SAPIO誌7月号74~78ページ+8月号59~75ページ+9月号61~78ページ参考文献)
この頃、つまり「明治6年の政変」後、大久保利通は政治家や知識人らや庶民の人々の怨嗟(えんさ)を一身に集めていた。維新の志を忘れ果て、自らの政治生命を維持する為に「明治6年の政変」を起こした大久保利通。このとき大久保の胸中にあったのは、「俺がつくった政権を後から来た連中におめおめ奪われてたまるものか」という妄執だけだった。
西郷隆盛が何としても果たそうとした朝鮮使節派遣も、ほとんど念頭の片隅に追いやられていた。これにより西郷隆盛ら5人の参議が一斉に下野するが、西郷は「巻き添え」であり…そのために西郷の陸軍大将の官職はそのままになっていた。この政変で最も得をしたのは、井上馨ら長州汚職閥だった。長州出身の御用商人・山城屋和助が当時の国家予算の公金を使い込んだ事件や……井上馨が大蔵大臣の職権を濫用して民間の優良銅山を巻き上げ、自分のものにしようとした事件など、長州閥には汚職の疑惑が相次いだ。だが、この問題を熱心に追及していた江藤新平が政変で下野したために、彼らは命拾いしたのである。
江藤新平は初代司法卿として、日本の司法権の自立と法治主義の確立に決定的な役割を果たした人物である。江藤は政府で活躍したわずか4年の間に司法法制を整備し、裁判所や検察機関を創設して、弁護士・公証人などの制度を導入し、憲法・民法の制定に務めた。
もし江藤がいなければ、日本の司法制度の近代化は大幅に遅れたと言っても過言ではない。そんな有能な人材を大久保は政府から放逐したのだ。故郷佐賀で静養していた江藤は、士族反乱の指導者に祭り上げられ、敗れて逮捕された。江藤は東京での裁判を望んだが、佐賀に3日前に作られた裁判所で、十分な弁論の機会もなく、上訴も認めない暗黒裁判にかけられ、死刑となった。新政府の汚職の実態を知り尽くしている江藤が、裁判で口を開くことを恐れたためである。それも斬首の上、さらし首という武士に対してあり得ない屈辱的な刑で……しかもその写真が全国に配布された。(米沢藩の雲井龍雄も同じく死刑にされた)すべては大久保の指示による「私刑」だった。
「江藤先生は惜しいことをした。だが、これでおわりではない」のちの玄洋社の元となる私塾(人参畑塾)で、武部小四郎(たけべ・こしろう)はいった。当時29歳。福岡勤皇党の志士の遺児で、人参畑塾では別格の高弟であった。身体は大きく、姿は颯爽(さっそう)、親しみ易いが馴れ合いはしない。質実にて華美虚飾を好まず、身なりを気にせず、よく大きな木簡煙管(きせる)を構えていた。もうひとり、頭山満が人参畑塾に訪れる前の塾にはリーダー的な塾生がいた。越智彦四郎(おち・ひこしろう)という。武部小四郎、越智彦四郎は人参畑塾のみならず、福岡士族青年たちのリーダーの双璧と目されていた。だが、二人はライバルではなく、同志として固い友情を結んでいた。それはふたりがまったく性格が違っていたからだ。越智は軽薄でお調子者、武部は慎重で思慮深い。明治7年(1874)2月、江藤新平が率いる佐賀の役が勃発すると、大久保利通は佐賀制圧の全権を帯びて博多に乗り込み、ここを本営とした。全国の士族は次々に社会的・経済的特権を奪われて不平不満を強めており、佐賀もその例外ではなかったが、直ちに爆発するほどの状況ではなかった。にもかかわらず大久保利通は閣議も開かずに佐賀への出兵を命令し、文官である佐賀県令(知事にあたる)岩村高俊にその権限を与えた。文官である岩村に兵を率いさせるということ自体、佐賀に対する侮辱であり、しかも岩村は傲慢不遜な性格で、「不逞分子を一網打尽にする」などの傍若無人な発言を繰り返した。こうして軍隊を差し向けられ、挑発され、無理やり開戦を迫られた形となった佐賀の士族は、やむを得ず、自衛行動に立ち上がると宣言。休養のために佐賀を訪れていた江藤新平は、やむなく郷土防衛のため指揮をとることを決意した。これは、江藤の才能を恐れ、「明治6年の政変」の際には、閣議において西郷使節派遣延期論のあいまいさを論破されたことなどを恨んだ大久保利通が、江藤が下野したことを幸いに抹殺を謀った事件だったという説が今日では強い。そのため、佐賀士族が乱をおこした佐賀の乱というのではなく「佐賀戦争」「佐賀の役」と呼ぶべきと提唱されている。その際、越智彦四郎は大久保利通を訪ね、自ら佐賀との調整役を買って出る。大久保は「ならばおんしに頼みたか。江藤ら反乱軍をば制圧する「鎮撫隊」をこの福岡に結成してくれもんそ」という。越智彦四郎は引き受けた。だが、越智は策士だった。鎮撫隊を組織して佐賀の軍に接近し、そこで裏切りをして佐賀の軍と同調して佐賀軍とともに明治政府軍、いや大久保利通を討とう、という知略を謀った。武部は反対した。
「どこが好機か?大久保が「鎮撫隊」をつくれといったのだ。何か罠がある」
だが、多勢は越智の策に乗った。だが、大久保利通の方が、越智彦四郎より一枚も二枚も上だった。大久保利通は佐賀・福岡の動静には逐一、目を光らせていて、越智の秘策はすでにばれていた。陸軍少佐・児玉源太郎は越智隊に鉄砲に合わない弾丸を支給して最前線に回した。そのうえで士族の一部を率いて佐賀軍を攻撃。福岡を信用していなかった佐賀軍は越智隊に反撃し、同士討ちの交戦となってしまった。越智隊は壊滅的打撃を受け、ようやくの思いで福岡に帰還した。その後、越智彦四郎は新たな活動を求めて、熊本・鹿児島へ向かった。武部はその間に山籠もりをして越智と和解して人参畑塾に帰還した。
「明治6年の政変」で下野した板垣退助は、江藤新平、後藤象二郎らと共に「愛国公党」を結成。政府に対して「民選議員設立建白書」を提出した。さらに政治権力が天皇にも人民にもなく薩長藩閥の専制となっていることを批判し、議会の開設を訴えた。自由民権運動の始まりである。だが間もなく、佐賀の役などの影響で「愛国公党」は自然消滅。そして役から1年近くが経過した明治8年(1875)2月、板垣は旧愛国公党を始めとする全国の同志に結集を呼びかけ「愛国社」を設立したのだった。板垣が凶刃に倒れた際「板垣死すとも自由は死せず」といったというのは有名なエピソードだが、事実ではない。
幕末、最も早く勤王党の出現を見たのが福岡藩だった。だが薩摩・島津家から養子に入った福岡藩主の黒田長溥(ながひろ)は、一橋家(徳川将軍家)と近親の関係にあり、動乱の時代の中、勤王・佐幕の両派が争う藩論の舵取りに苦心した。黒田長溥は決して愚鈍な藩主ではなかった。だが次の時代に対する識見がなく、目前の政治状況に過敏に反応してしまうところに限界があった。大老・井伊直弼暗殺(桜田門外の変)という幕府始まって以来の不祥事を機に勤王の志士の動きは活発化。これに危機感を覚えた黒田長溥は筑前勤王党を弾圧、流刑6名を含む30余名を幽閉等に処した。これを「庚申(こうしん)の獄」という。その中にはすでに脱藩していた平野國臣もいた。女流歌人・野村望東尼(ぼうとうに)は獄中の國臣に歌(「たぐいなき 声になくなる 鶯(ウグイス)は 駕(こ)にすむ憂きめ みる世なりけり」)を送って慰め、これを機に望東尼は勤王党を積極的に支援することになる。尼は福岡と京都をつなぐパイプ役を務め、高杉晋作らを平尾山荘に匿い、歌を贈るなどしてその魂を鼓舞激励したのだった。
この頃、坂本竜馬らよりもずっと早い時点で、薩長連合へ向けた仲介活動を行っていたのが筑前勤王党・急進派の月形洗蔵(つきがた・せんぞう、時代劇「月形半平太(主演・大川橋蔵)」のモデル)や衣斐茂記(えび・しげき)、建部武彦らだった。また福岡藩では筑前勤王党の首領格として羨望があった加藤司書(かとう・ししょ)が家老に登用され、まさしく維新の中心地となりかけていたという。だが、すぐに佐幕派家老が勢力を取り戻し、さらに藩主・黒田長溥が勤王党急進派の行動に不信感を抱いたことなどから……勤王党への大弾圧が行われたのだ。これを「乙丑(いっちゅう)の獄」という。加藤、衣斐、建部ら7名が切腹、月形洗蔵ら14名が斬首。野村望東尼ら41名が流罪・幽閉の処分を受け、筑前勤王党は壊滅した。このとき、姫島に流罪となる野村望東尼を護送する足軽の中に15歳の箱田六輔がいた。そして武部小四郎は「乙丑の獄」によって切腹した建部武彦の遺児であった(苗字は小四郎が「武部」に改めた)。福岡藩は佐幕派が多かったが、戊辰の役では急遽、薩長官軍についた。それにより福岡藩の家老ら佐幕派家老3名が切腹、藩士23名が遠島などの処分となった。そして追い打ちをかけるように薩長新政府は福岡藩を「贋札づくり」の疑惑で摘発した。当時、財政難だった藩の多くが太政官札の偽造をしていたという。西郷隆盛は寛大な処分で済まそうと尽力した。何しろ贋札づくりは薩摩藩でもやっていたのだ。だが大久保利通が断固として、福岡藩だけに過酷な処罰を科し、藩の重職5名が斬首、知藩事が罷免となった。これにより福岡藩は明治新政府にひとりの人材も送り込めることも出来ず、時代から取り残されていった。この同じ年、明治8年9月、近代日本の方向性を決定づける重大な事件が勃発した。「江華島(こうかとう・カンファンド)事件」である。これは開国要請に応じない朝鮮に対する砲艦外交そのものであった。そもそも李氏朝鮮の大院君はこう考えていた。「日本はなぜ蒸気船で来て、洋服を着ているのか?そのような行為は華夷秩序(かいちつじょ)を乱す行為である」
華夷秩序は清の属国を認める考えだから近代国家が覇を競う時代にあまりに危機感がなさすぎる。だからといって、砲艦外交でアメリカに開国させられた日本が、朝鮮を侮る立場でもない。どの国も、力ずくで国柄を変えられるのは抵抗があるのだ。日本軍艦・雲揚(うんよう)は朝鮮西岸において、無許可の沿海測量を含む挑発行動を行った。さらに雲揚はソウルに近い江華島に接近。飲料水補給として、兵を乗せたボートが漢江支流の運河を遡航し始めた時、江華島の砲台が発砲!雲揚は兵の救援として報復砲撃!さらに永宗島(ヨンジュンド)に上陸して朝鮮軍を駆逐した。明治政府は事前に英米から武力の威嚇による朝鮮開国の支持を取り付け、挑発活動を行っていた。そしてペリー艦隊の砲艦外交を真似て、軍艦3隻と汽船3隻を沖に停泊させて圧力をかけた上で、江華島事件の賠償と修好条約の締結交渉を行ったのだった。この事件に、鹿児島の西郷隆盛は激怒した。
「一蔵(大久保)どーん!これは筋が違ごうじゃろうがー!」
大久保らは、「明治6年の政変」において、「内治優先」を理由としてすでに決定していた西郷遣韓使節を握りつぶしておきながら、その翌年には台湾に出兵、そしてさらに翌年にはこの江華島事件を起こした。「内治優先」などという口実は全くのウソだったのである。特に朝鮮に対する政府の態度は許しがたいものであった。
西郷は激昴して「ただ彼(朝鮮)を軽蔑して無断で測量し、彼が発砲したから応戦したなどというのは、これまで数百年の友好関係の歴史に鑑みても、実に天理に於いて恥ずべきの行為といわにゃならんど!政府要人は天下に罪を謝すべきでごわす!」
西郷は、測量は朝鮮の許可が必要であり、発砲した事情を質せず、戦端を開くのは野蛮と考えた。
「そもそも朝鮮は幕府とは友好的だったのでごわす!日本人は古式に則った烏帽子直垂(えぼしひたたれ)の武士の正装で交渉すべきでごわす!軍艦ではなく、商船で渡海すべきでごわんそ!」
西郷は政府参与の頃、清と対等な立場で「日清修好条規」の批准を進め、集結した功績がある。なのに大久保ら欧米使節・帰国組の政府要人は西郷の案を「征韓論」として葬っておきながら、自らは、まさに武断的な征韓を行っている。西郷隆盛はあくまでも、東洋王道の道義外交を行うべきと考えていた。西郷は弱を侮り、強を恐れる心を、徹底的に卑しむ人であった。大久保は西洋の威圧外交を得意とし、朝鮮が弱いとなれば侮り、侵略し、欧米が強いとなれば恐れ、媚びへつらい、政治体制を徹底的に西洋型帝国の日本帝国を建設しようとしたのだ。西郷にとっては、誠意を見せて朝鮮や清国やアジア諸国と交渉しようという考えだったから大久保の考えなど論外であった。だが、時代は大久保の考える帝国日本の時代、そして屈辱的な太平洋戦争の敗戦で、ある。大久保にしてみれば欧米盲従主義はリアリズム(現実主義)であったに違いない。そして行き着く先がもはや「道義」など忘れ去り、相手が弱いと見れば侮り、強いと見れば恐れ、「WASPについていけば百年安心」という「醜悪な国・日本」なのである。

<ゴーマニズム宣言スペシャル小林よしのり著作「大東亜論 血風士魂篇」第9章前原一誠の妻と妾>2014年度小学館SAPIO誌10月号59~78ページ参照(参考文献・漫画文献)
明治初期、元・長州藩(山口県)には明治政府の斬髪・脱刀令などどこ吹く風といった連中が多かったという。長州の士族は維新に功ありとして少しは報われている筈であったが、奇兵隊にしても長州士族にしても政権奪還の道具にすぎなかった。彼らは都合のいいように利用され、使い捨てされたのだ。報われたのはほんの数人(桂小五郎こと木戸孝允や井上馨(聞多)や伊藤博文(俊輔)等わずか)であった。明治維新が成り、長州士族は使い捨てにされた。それを憤る人物が長州・萩にいた。前原一誠である。前原は若い時に落馬して、胸部を強打したことが原因で肋膜炎を患っていた。明治政府の要人だったが、野に下り、萩で妻と妾とで暮らしていた。妻は綾子、妾は越後の娘でお秀といった。
前原一誠は吉田松陰の松下村塾において、吉田松陰が高杉晋作、久坂玄瑞と並び称賛した高弟だった。「勇あり知あり、誠実は群を抜く」。晋作の「識」、玄瑞の「才」には遠く及ばないが、その人格においてはこの二人も一誠には遠く及ばない。これが松陰の評価であった。そして晋作・玄瑞亡き今、前原一誠こそが松陰の思想を最も忠実に継承した人物であることは誰もが認めるところだった。一誠の性格は、頑固で直情径行、一たび激すると誰の言うことも聞かずやや人を寄せつけないところもあったが、普段は温厚ですぐ人を信用するお人好しでもあった。一誠は戊辰戦争で会津征討越後口総督付の参謀として軍功を挙げ、そのまま越後府判事(初代新潟県知事)に任じられて越後地方の民政を担当する。
いわば「占領軍」の施政者となったわけだが、そこで一誠が目にしたものは戦火を受けて苦しむ百姓や町民の姿だった。「多くの飢民を作り、いたずらに流民を作り出すのが戦争の目的ではなかったはずだ。この戦いには高い理想が掲げられていたはず!これまでの幕府政治に代って、万民のための国造りが目的ではなかったのか!?」
少年時代の一誠の家は貧しく、父は内職で安物の陶器を焼き、一誠も漁師の手伝いをして幾ばくかの銭を得たことがある。それだけに一誠は百姓たちの生活の苦しさをよく知り、共感できた。さらに、師・松陰の「仁政」の思想の影響は決定的に大きかった。
「機械文明においては、西洋に一歩を譲るも、東洋の道徳や治世の理想は、世界に冠たるものである!それが松陰先生の教えだ!この仁政の根本を忘れたからこそ幕府は亡びたのだ。新政府が何ものにも先駆けて行わなければならないことは仁政を行って人心を安らかにすることではないか!」一誠は越後の年貢を半分にしようと決意する。中央政府は莫大な戦費で財政破綻寸前のところを太政官札の増発で辛うじてしのいでいる状態だったから、年貢半減など決して許可しない。だが、一誠は中央政府の意向を無視して「年貢半減令」を実行した。さらに戦時に人夫として徴発した農民の労賃も未払いのままであり、せめてそれだけでも払えば当面の望みはつなげられる。未払い金は90万両に上り、そのうち40万両だけでも出せと一誠は明治政府に嘆願を重ねた。だが、政府の要人で一誠の盟友でもあった筈の木戸孝允(桂小五郎・木戸寛治・松陰門下)は激怒して、「前原一誠は何を考えている!越後の民政のことなど単なる一地方のことでしかない!中央には、一国の浮沈にかかわる問題が山積しているのだぞ!」とその思いに理解を示すことは出来なかった。
この感情の対立から、前原一誠は木戸に憎悪に近い念を抱くようになる。一誠には越後のためにやるべきことがまだあった。毎年のように水害を起こす信濃川の分水である。一誠は決して退かない決意だったが、中央政府には分水工事に必要な160万両の費用は出せない。政府は一誠を中央の高官に「出世」させて、越後から引き離そうと画策。一誠は固辞し続けるが、政府の最高責任者たる三条実美が直々に来訪して要請するに至り、ついに断りきれなくなり参議に就任。信濃川の分水工事は中止となる。さらに一誠は暗殺された大村益次郎の後任として兵部大輔となるが、もともと中央政府に入れられた理由が理由なだけに、満足な仕事もさせられず、政府内で孤立していた。一誠は持病の胸痛を口実に政府会議にもほとんど出なくなり、たまに来ても辞任の話しかしない。「私は参議などになりたくはなかったのだ!私を参議にするくらいならその前に越後のことを考えてくれ!」
木戸や大久保利通は冷ややかな目で前原一誠を見ているのみ。
「君たちは、自分が立派な家に住み、自分だけが衣食足りて世に栄えんがために戦ったのか?私が戦ったのはあの幕府さえ倒せば、きっと素晴らしい王道政治が出来ると思ったからだ!民政こそ第一なのだ!こんな腐った明治政府にはいたくない!徳川幕府とかわらん!すぐに萩に帰らせてくれ!」大久保や木戸は無言で前原一誠を睨む。三度目の辞表でやっと前原一誠は萩に帰った。明治3年(1870)10月のことだった。政府がなかなか前原一誠の辞任を認めなかったのは、前原一誠を帰してしまうと、一誠の人望の下に、不平士族たちが集まり、よりによって長州の地に、反政府の拠点が出来てしまうのではないかと恐れたためである。当の一誠は、ただ故郷の萩で中央との関わりを断ち、ひっそりと暮らしたいだけだった。が、周囲が一誠を放ってはおかなかった。維新に功のあった長州の士族たちは「自分たちは充分報われる」と思っていた。しかし、実際にはほんの数人の長州士族だけが報われて、「奇兵隊」も「士族」も使い捨てにされて冷遇されたのだった。そんなとき明治政府から野に下った前原一誠が来たのだ。それは彼の周囲に自然と集まるのは道理であった。しかも信濃川の分水工事は「金がないので工事できない」などといいながら、明治政府は岩倉具視を全権大使に、木戸、大久保、伊藤らを(西郷らは留守役)副使として数百人規模での「欧米への視察(岩倉使節団)」だけはちゃっかりやる。一誠は激怒。
江藤新平が失脚させられ、「佐賀の役」をおこすとき前原一誠は長州士族たちをおさえた。「局外中立」を唱えてひとりも動かさない。それが一誠の精一杯の行動だった。
長州が佐賀の二の舞になるのを防いだのだ。前原一誠は激昴する。「かつての松下村塾同門の者たちも、ほとんどが東京に出て新政府に仕え、洋風かぶれで東洋の道徳を忘れておる!そうでなければ、ただ公職に就きたいだけの、卑怯な者どもだ!井上馨に至っては松下村塾の同窓ですらない!ただ公金をかすめ取る業に長けた男でしかないのに、高杉や久坂に取り入ってウロチョロしていただけの奴!あんな男までが松下村塾党のように思われているのは我慢がならない!松陰先生はよく「天下の天下の天下にして一人の天下なり」と仰っていた。すなわち尊皇である。天子様こそが天下な筈だ!天下一人の君主の下で万民が同じように幸福な生活が出来るというのが政治の理想の根本であり、またそのようにあらしめるのが理想だったのだ!孔孟の教えの根本は「百姓をみること子の如くにする」。これが松陰先生の考えである!松陰先生が生きていたら、今の政治を認めるはずはない!必ずや第二の維新、瓦解を志す筈だ!王政復古の大号令は何処に消えたのだ!?このままではこの国は道を誤る!」その後、「萩の乱」を起こした前原一誠は明治政府に捕縛され処刑された。

岩倉具視が「果断、勇決、その志は小ではない。軽視できない強敵である」と評し、長州の桂小五郎(木戸孝允)は「慶喜の胆略、じつに家康の再来を見るが如し」と絶賛――。
敵方、勤王の志士たちの心胆を寒からしめ、幕府側の切り札として登場した十五代将軍。その慶喜が、徳川三百年の幕引き役を務める運命の皮肉。
徳川慶喜とは、いかなる人物であったのか。また、なぜ従来の壮大で堅牢なシステムが、機能しなくなったのか。
「視界ゼロ、出口なし」の状況下で、新興勢力はどのように旧体制から見事に脱皮し、新しい時代を切り開いていったのか。
閉塞感が濃厚に漂う今、慶喜の生きた時代が、尽きせぬ教訓の新たな宝庫となる。
『徳川慶喜(「徳川慶喜 目次―「最後の将軍」と幕末維新の男たち」)』堺屋太一+津本陽+百瀬明治ほか著作、プレジデント社刊参考文献参照引用
著者が徳川慶喜を「知能鮮し」「糞将軍」「天下の阿呆」としたのは、他の主人公を引き立たせる為で、慶喜には「悪役」に徹してもらった。
だが、慶喜は馬鹿ではなかった。というより、策士であり、優秀な「人物」であった。
慶喜は「日本の王」と海外では見られていた。大政奉還もひとつのパワー・ゲームであり、けして敗北ではない。しかし、幕府憎し、慶喜憎しの大久保利通らは「王政復古の大号令」のクーデターで武力で討幕を企てた。
実は最近の研究では大久保や西郷隆盛らの「王政復古の大号令」のクーデターを慶喜は事前に察知していたという。
徳川慶喜といえば英雄というよりは敗北者。頭はよかったし、弱虫ではなかった。慶喜がいることによって、幕末をおもしろくした。最近分かったことだが、英雄的な策士で、人間的な動きをした「人物」であった。
「徳川慶喜はさとり世代」というのは脳科学者の中野信子氏だ。慶喜はいう。「天下を取り候ほど気骨の折れ面倒な事なことはない」
幕末の”熱い時代”にさとっていた。二心公ともいわれ、二重性があった。
本当の徳川慶喜は「阿呆」ではなく、外交力に優れ(二枚舌→開港していた横浜港を閉ざすと称して(尊皇攘夷派の)孝明天皇にとりいった)
その手腕に、薩摩藩の島津久光や大久保利通、西郷隆盛、長州藩の桂小五郎らは恐れた。
孝明天皇が崩御すると、慶喜は一変、「開国貿易経済大国路線」へと思考を変える。大阪城に外国の大使をまねき、兵庫港を開港。慶喜は幕府で外交も貿易もやる姿勢を見せ始める。
まさに、策士で、ある。
歴代の将軍の中でも慶喜はもっとも外交力が優れていた。将軍が当時は写真に写るのを嫌がったが、しかし、徳川慶喜は自分の写真を何十枚も撮らせて、それをプロパガンダ(大衆操作)の道具にした。欧米の王族や指導者層にも配り、日本の国王ぶった。
大久保利通や岩倉具視や西郷隆盛ら武力討幕派は慶喜を嫌った。いや、おそれていた。討幕の密勅を朝廷より承った薩長に慶喜は「大政奉還」という策略で「幕府をなくして」しまった。
大久保利通らは大政奉還で討幕の大義を失ってあせったのだ。徳川慶喜は敗北したのではない。策を練ったのだ。慶喜は初代大統領、初代内閣総理大臣になりたいと願ったのだ。
新政府にも加わることを望んでいた。慶喜は朝廷に「新国家体制の建白書」を贈った。だが、徳川慶喜憎しの大久保利通らは王政復古の大号令をしかける。日本の世論は「攘夷」だが、徳川慶喜は坂本竜馬のように「開国貿易で経済大国への道」をさぐっていたという。
大久保利通らにとって、慶喜は「(驚きの大政奉還をしてしまうほど)驚愕の策士」であり、存在そのものが脅威であった。
「慶喜だけは倒さねばならない!薩長連合は徳川慶喜幕府軍を叩き潰す!やるかやられるかだ!」
 慶喜のミスは天皇(当時の明治天皇・16歳)を薩長にうばわれたことだ。薩長連合新政府軍は天皇をかかげて官軍になり、「討幕」の戦を企む。
「身分もなくす!幕府も藩もなくす!天子さま以外は平等だ!」
 大久保利通らは王政復古の大号令のクーデターを企む。事前に察知していた徳川慶喜は「このままでは清国(中国)やインドのように内乱になり、欧米の軍事力で日本が植民地とされる。武力鎮圧策は危うい。会津藩桑名藩五千兵をつかって薩長連合軍は叩き潰せるが泥沼の内戦になる。”負けるが勝ち”だ」
 と静観策を慶喜はとった。まさに私心を捨てた英雄!だからこそ幕府を恭順姿勢として、官軍が徳川幕府の官位や領地八百万石も没収したのも黙認した。
 だが、大久保利通らは徳川慶喜が一大名になっても、彼がそのまま新政府に加入するのは脅威だった。
 慶喜は謹慎し、「負ける」ことで戊辰戦争の革命戦争の戦死者をごくわずかにとどめることに成功した。官軍は江戸で幕府軍を挑発して庄内藩(幕府側)が薩摩藩邸を攻撃したことを理由に討幕戦争(戊辰戦争)を開始した。
 徳川慶喜が大阪城より江戸にもどったのも「逃げた」訳ではなく、内乱・内戦をふせぐためだった。彼のおかげで戊辰戦争の戦死者は最低限度で済んだ。
 徳川慶喜はいう。「家康公は日本を統治するために幕府をつくった。私は徳川幕府を終わらせる為に将軍になったのだ」
NHK番組『英雄たちの選択 徳川慶喜編』参考文献引用


 水戸の徳川分家斉昭は尊皇攘夷派として、攘夷派の過激分子の維新の志士たちの親玉のような存在であった。
 この水戸家が河内の土豪・楠木正成を祀った神社を建立していることも、徳川幕府の『水戸嫌い』を扇動していた。
 徳川幕府は完全に水戸嫌い、である。水戸の斉昭が嫌いということはすなわち息子の一橋慶喜も、嫌い、ということである。
 慶喜は尊皇攘夷思想ではなく、開国派であったが、誰にも相談も出来なかったという。
 言えるとすれば正式な直参家臣ではないが勝海舟ぐらいであったろう。
 『最後の将軍』司馬遼太郎著作(文春文庫)より引用 23~ 30ページ

 黙霖は芸州加茂郡(広島県呉市長浜)生まれの本願寺派の僧侶で、やはり僧だった父の私生児である。幼いときに寺にやられ、耳が聞こえず話せないという二重苦を負いながら、和、漢、仏教の学問に通じ、諸国を行脚して勤王を説いた。周防(すおう)の僧、月性は親友である。
 黙霖は松陰に面会を申し込んだが、松陰は「わが容貌にみるべきものなし」と断り、二人は手紙で論争をした。
 実は松陰は、この時期「討幕」の考えをもっていたわけではなかった。彼が説いたのは、「諌幕(かんばく)」である。野山獄にいた頃にも、少年時代に学んだ水戸学の影響から抜け出せてはいなくて、兄の梅太郎に書いた手紙には、「幕府への御忠義は、すなわち天朝への御忠義」といっていた。
しかし、黙霖との論争で、二十七歳の松陰はたたきのめされた。
「茫然自失し、ああこれもまた(僕の考えは)妄動なりとて絶倒いたし候」「僕、ついに降参するなり」「水戸学は口では勤王を説くが、いまだかつて将軍に諫言し、天室を重んじたためしがないではないか」
そして、黙霖は、松陰に山県大弐が明和の昔に著わした『柳子新論』の筆写本を贈った。
松陰は「勤王」「天皇崇拝主義」に目が覚めたという。
そして松陰は安政三年(一八五六)に、松本村にある「松下村塾(しょうかそんじゅく)」を受け継いだ。萩の実家の隣にある二間の家だ。
長州藩には藩校の明倫館があるが、藩士の子弟だけがはいり、足軽の子などは入学できなかった。村塾にはこの差別がない。吉田栄太郎(稔麿・としまろ・池田屋事件で死亡)、伊藤俊輔(博文)、山県狂介(有朋)などの足軽の子もいる。その教授内容は、藩学の「故書敗紙のうちに彷徨する」文章の解釈ではなく、生きた歴史を教えることであり、松陰は実践学とも呼べる学問を教えた。塾生は七十人、九十人となる。「飛耳長目(ひじちょうもく)」という変わった学科がある。政治・情報科とでもいうか。松陰が集めてきた内外の最新情報が教えられる。イギリスのインド侵略、十年前のアヘン戦争、支那の太平天国の乱、国内では京都、江戸、長崎の最新情報である。藩士の一部は吉田松陰を危険人物視していた。親の反対をおしきってはいってきた塾生がいた。高杉晋作である。松陰は高杉を「暢夫(のぶお)」と呼び、知識は優れているが学問が遅れている自説を曲げず、と分析していた。
高杉晋作は松下村塾後、江戸の昌平黌(しょうへいこう)へ進学している。
だが、吉田松陰は公然と「討幕」を宣言し始める。尊皇攘夷というよりは開国攘夷、外国の優れた知識と技術を学び、世界と貿易しよう、という坂本竜馬のはしりのようなことを宣言した。それが「草莽掘起」な訳である。だが、松陰の主張は「「討幕」のために武力蜂起するべき」とも過激な論調にかわっていくに至り、長州藩は困惑し、吉田松陰を二度目の野山獄に処した。「武力蜂起して「討幕」とは、松陰先生は狂したとしか思えぬ」桂小五郎は言った。江戸にいる久坂玄瑞や高杉晋作らは、師が早まって死に急ぐのを防ごうとして、桜田の藩邸にいる先輩の桂小五郎に相談したのだ。
晋作が先輩の桂を睨むようにして反論した。「桂さん、僕は先生が狂したとは思えぬ。死ぬ覚悟なんじゃ」
久坂は訊ねた。
「いや、とにかく今は、藩の現状からしても、慎むべき時であろうと思います。桂さん、どうすればいいですか?」一同が桂小五郎をみた。
「松陰先生に自重して頂くにはわれら門下弟子がこぞって絶交することだ。そうすれば先生も考え直すだろう」
晋作以外は、吉田松陰への絶交宣言に同意した。絶交書を受け取った松陰は怒った。
「諸君らはもう書物を読むな。読めばこの自分のようになる。それよりは藩の“はしくれ役人”にでもしてもらいなされ。そうすれば立身出世がしたくなり、志を忘れるでしょうから……」「草莽でなければ人物なし」
松陰は妹婿の玄瑞に逆に絶縁状を送りつけた。
斬首にされた首は門人たちに話しかけるようであった。
「もしもこのことが成らずして、半途に首を刎ねられても、それまでなり」
「もし僕、幽囚の身にて死なば、必ずわが志を継ぐ士を、後世に残し置くなり」
『徳川慶喜(「三―草莽の志士 吉田松陰「異端の思想家」と萩の青年たち」)』榛葉英治(しんば・えいじ)氏著、プレジデント社刊120~136ページ参考引用

大河ドラマ『花燃ゆ』の久坂玄瑞役の東出昌大さんが「僕は神様に愛想つかされとんのや」と、松陰の妹の杉文役の井上真央さんにいったのはあながち“八つ当たり”という訳ではなかった。ペリーが二度目に来航した安政元年(一八五四)、長州の藩主は海防に関する献策を玄機に命じた。たまたま病床にあったが、奮起して執筆にとりかかり、徹夜は数日にわたった。精根尽き果てたように、筆を握ったまま絶命したのだ。
それは二月二十七日、再来ペリーを幕府が威嚇しているところであり、吉田松陰が密航をくわだてて、失敗する一か月前のことである。
畏敬する兄の死に衝撃を受け、その涙もかわかない初七日に、玄瑞は父親の急死という二重の不幸に見舞われた。すでに母親も失っている。玄瑞は孤児となった。十五歳のいたましい春だった。久坂秀三郎は、知行高二十五石の藩医の家督を相続し、玄瑞と改名する。六尺の豊かな偉丈夫で色男、やや斜視だったため、初めて彼が吉田松陰のもとにあらわれたとき、松陰の妹文は、「お地蔵さん」とあだ名をつけたが、やがて玄瑞はこの文と結ばれるのである。「筋金入りの“攘夷思想”」のひとである。熊本で会った宮部鼎蔵から松陰のことを聞いて、その思いを述べた。「北条時宗がやったように、米使ハリスなどは斬り殺してしまえばいいのだ」松陰は「久坂の議論は軽薄であり、思慮浅く粗雑きわまる書生論である」と反論し、何度も攘夷論・夷人殺戮論を繰り返す「不幸な人」久坂玄瑞を屈服させる。松陰の攘夷論は、情勢の推移とともに態様を変え、やがて開国論に発展するが、久坂は何処までも「尊皇攘夷・夷狄殺戮」主義を捨てなかった。長州藩は「馬関攘夷戦」で壊滅する。それでも「王政復古」「禁門の変」につながる「天皇奪還・攘夷論」で動いたのも久坂玄瑞であった。これをいいだしたのは久留米出身の志士・真木和泉(まき・いずみ)である。天皇を確保して長州に連れてきて「錦の御旗」として長州藩を“朝敵”ではなく、“官軍の藩”とする。やや突飛な構想だったから玄瑞は首をひねったが、攘夷に顔をそむける諸大名を抱き込むには大和行幸も一策だと思い、桂小五郎も同じ意見で、攘夷親征運動は動きはじめた。
松下村塾では、高杉晋作と並んで久坂玄瑞は、双璧といわれた。いったのは、師の松陰その人である。禁門の変の計画には高杉晋作は慎重論であった。どう考えても、今はまだその時期ではない。長州はこれまでやり過ぎて、あちこちに信用を失い、いまその報いを受けている。しばらく静観して、反対論の鎮静うるのを待つしかない。
高杉晋作は異人館の焼打ちくらいまでは、久坂玄瑞らと行動をともにしたけれども、それ以降は「攘夷殺戮」論には「まてや、久坂!もうちと考えろ!異人を殺せば何でも問題が解決する訳でもあるまい」と慎重論を唱えている。
それでいながら長州藩独立国家案『長州大割拠(独立)』『富国強兵』を唱えている。丸山遊郭、遊興三昧で遊んだかと思うと、「ペリーの大砲は3km飛ぶが、日本の大砲は1kmしか飛ばない」という。「僕は清国の太平天国の乱を見て、奇兵隊を、農民や民衆による民兵軍隊を考えた」と胸を張る。
文久三年馬関戦争での敗北で長州は火の海になる。それによって三条実美ら長州派閥公家が都落ち(いわゆる「七卿落ち」「八月十八日の政変」)し、さらに禁門の変…孝明天皇は怒って長州を「朝敵」にする。四面楚歌の長州藩は四国(米軍、英軍、仏軍、蘭軍)に降伏して、講和談判ということになったとき、晋作はその代表使節を命じられた。ほんとうは藩を代表する家老とか、それに次ぐ地位のものでなければならないのだが、うまくやり遂げられそうな者がいないので、どうせ先方にはわかりゃしないだろうと、家老宍戸備前の養子刑馬という触れ込みで、威風堂々と旗艦ユーリアラス号へ烏帽子直垂で乗り込んでいった。伊藤博文と山県有朋の推薦があったともいうが、晋作というのは、こんな時になると、重要な役が回ってくる男である。
談判で、先方が賠償金を持ち出すと「幕府の責任であり、幕府が払う筋の話だ」と逃げる。下関に浮かぶ彦島を租借したいといわれると、神代以来の日本の歴史を、先方が退屈するほど永々と述べて、煙に巻いてしまった。
だが、長州藩が禁門の変で不名誉な「朝敵」のようなことになると“抗戦派(進発派「正義派」)”と“恭順派(割拠派「俗論党」)”という藩論がふたつにわれて、元治元年十一月十二日に恭順派によって抗戦派長州藩の三家老の切腹、四参謀の斬首、ということになった。周布政之助も切腹、七卿の三条実美らも追放、長州藩の桂小五郎(のちの木戸孝允)は城崎温泉で一時隠遁生活を送り、自暴自棄になっていた。そこで半分藩命をおびた使徒に(旧姓・杉)文と小田村伊之助(楫取素彦)らが選ばれる。文らは隠遁生活でヤケクソになり、酒に逃げていた桂小五郎隠遁所を訪ねる。「お文さん、伊之助………何故ここに?」「私は長州藩主さまの藩命により、桂さんを長州へ連れ戻しにきました」「しかし、僕にはなんの力もない。久坂や寺島、入江九一など…禁門の変の失敗も同志の死も僕が未熟だったため…もはや僕はおわった人物です」「違います!寅にいは…いえ、松陰は、生前にようっく桂さんを褒めちょりました。桂小五郎こそ維新回天の人物じゃ、ゆうて。弱気はいかんとですよ。…義兄・小田村伊之助(楫取素彦)の紹介であった土佐の坂本竜馬というひとも薩摩の西郷隆盛さんも“桂さんこそ長州藩の大人物”とばいうとりました。皆さんが桂さんに期待しとるんじゃけえ、お願いですから長州藩に戻ってつかあさい!」桂は考えた。…長州藩が、毛利の殿さまが、僕を必要としている?やがて根負けした。文らは桂小五郎ことのちの木戸孝允を説得した。こうして長州藩の偉人・桂小五郎は藩政改革の檜舞台に舞い戻った。もちろんそれは高杉晋作が奇兵隊で討幕の血路を拓いた後の事であるのはいうまでもない。そして龍馬、桂、西郷の薩長同盟に…。しかし、数年前の禁門の変(蛤御門の変)で、会津藩薩摩藩により朝敵にされたうらみを、長州人の人々は忘れていないものも多かった。彼らは下駄に「薩奸薩賊」と書き踏み鳴らす程のうらみようであったという。だから、薩摩藩との同盟はうらみが先にたった。だが、長州藩とて薩摩藩と同盟しなければ幕府に負けるだけ。坂本竜馬と小田村は何とか薩長同盟を成功させようと奔走した。しかし、長州人のくだらん面子で、十日間京都薩摩藩邸で桂たちは無駄に過ごす。遅刻した龍馬は「遅刻したぜよ。げにまっことすまん、で、同盟はどうなったぜよ?桂さん?」「同盟はなんもなっとらん」「え?西郷さんが来てないんか?」「いや、西郷さんも大久保さんも小松帯刀さんもいる。だが、長州から頭をさげるのは…無理だ」龍馬は喝破する。「何をなさけないこというちゅう?!桂さん!西郷さん!おんしら所詮は薩摩藩か?長州藩か?日本人じゃろう!こうしている間にも外国は日本を植民地にしようとよだれたらして狙ってるんじゃ!薩摩長州が同盟して討幕しなけりゃ、日本国は植民地ぜよ!そうなったらアンタがたは日本人になんとわびるがじゃ?!」こうして紆余曲折があり、同盟は成った。話を戻す。「これでは長州藩は徳川幕府のいいなり、だ」晋作は奇兵隊を決起(功山寺挙兵)する。最初は80人だったが、最後は800人となり奇兵隊が古い既得権益の幕藩体制派の長州保守派“徳川幕府への恭順派”を叩き潰し、やがては坂本竜馬の策『薩長同盟』の血路を拓き、維新前夜、高杉晋作は労咳(肺結核)で病死してしまう。
高杉はいう。「翼(よく)あらば、千里の外も飛めぐり、よろづの国を見んとしぞおもふ」
長州との和睦に徳川の使者として安芸の宮島に派遣されたのが勝海舟であった。
七日間も待たされたが、勝海舟は髭を毎日そり、服を着替え、長州の藩士・広沢兵助や志道聞多などと和睦した。
「勝さん、あんたは大丈夫ですか?長州に尻尾をふった裏切り者!と責められる可能性もおおいにある。勝さんにとっては損な役回りですよ」
「てやんでぃ!古今東西和平の使者は憎まれるものだよ。なあに俺にも覚悟があるってもんでい」
長州の志士たちの予想は的中した。幕臣たちや慶喜は元・弟子の坂本龍馬の『薩長連合』『倒幕大政奉還』を勝海舟のせいだという。勝は辞表を幕府に提出、それが覚悟だった。
だが、幕府の暴発は続く。薩長同盟軍が官軍になり、錦の御旗を掲げて幕府軍を攻めると、鳥羽伏見でも幕府は敗北していく。すべて勝海舟は負けることで幕府・幕臣を守る。だが、憎まれて死んでいく、ので、ある。
『徳川慶喜(「三―草莽の志士 久坂玄瑞「蛤御門」で迎えた二十五歳の死」)』古川薫氏著、プレジデント社刊137~154ページ+『徳川慶喜(「三―草莽の志士 高杉晋作「奇兵隊」で討幕の血路を拓く」)』杉森久英氏著、プレジデント社刊154~168ページ+映像資料NHK番組「英雄たちの選択・高杉晋作篇」などから文献引用



  

  

【hyper groove】緑川鷲羽+大島優子+篠田麻里子+秋元才加+芹那+大島麻衣+光宗薫

2015年11月27日 19時54分50秒 | 日記







私はヲタクではなく


大島優子・篠田麻里子・秋元才加・芹那・大島麻衣・光宗薫らが卒業したから


もうAKBは関係ないし、


劇場に観に行こうとか


小娘と握手とか本当に関係ない。


が、AKBメンバーは本当にマジで頑張ってやっていると感心する。

秋元康の天才も羨ましい。


女だらけの何百人もの集団運営の才はないから(笑)


音楽の才能は私にあるが(笑)臥竜


緑川鷲羽そして始まりの2016年へ!臥竜  緑川鷲羽2016ReBORN上杉謙信

東日本大震災から5年 最大のドキュメント   『大型時代小説 東日本大震災<緑川史観>』VOL.5

2015年11月27日 08時05分25秒 | 日記








平成23年東北地方太平洋沖地震による都道府県別死者・行方不明者数(2011年7月17日現在)
人的被害
(2015年7月10日 時点)
都道府県 死亡 行方不明 負傷 計
合計 15,892 2,574 6,152 24,618
北海道 1 - 3 4
青森県 3 1 112 116
岩手県 4,673 1,129 213 6,015
宮城県 9,540 1,240 4,145 14,925
秋田県 - - 11 11
山形県 2 - 29 31
福島県 1,612 201 183 1,996
茨城県 24 1 712 737
栃木県 4 - 133 137
群馬県 1 - 42 43
埼玉県 - - 45 45
千葉県 21 2 258 281
東京都 7 - 117 124
神奈川県 4 - 138 142
新潟県 - - 3 3
山梨県 - - 2 2
長野県 - - 1 1
静岡県 - - 3 3
三重県 - - 1 1
高知県 - - 1 1
警察庁は、2015年(平成27年)7月10日、死者は15,892人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,574人であると発表している(ただし未確認情報を含む)。日本国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは戦後初めてであり、大津波や大震動に襲われた青森県から千葉県までの太平洋沿岸を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した。
死者の内訳と死因[編集]
警察庁は2012年3月11日までに、岩手県・宮城県・福島県で検視された15,786人の詳細を発表した。
年齢
0 ‐ 9歳:2.95%(466体)
10 ‐19歳:2.65%(419体)
20 ‐29歳:3.26%(515体)
30 ‐39歳:5.37%(847体)
40 ‐49歳:7.07%(1,116体)
50 ‐59歳:11.93%(1,883体)
60 ‐69歳:18.66%(2,945体)
70 ‐79歳:23.81%(3,759体)
80歳以上:21.42%(3,381体)
年齢不詳:2.48%(392体)
男【7,360体 (46.62%)】女【8,363体 (52.98%)】性別不詳【63体 (0.40%)】
死因
水死:90.64%(14,308体)
圧死・損傷死・その他:4.23%(667体)
焼死:0.92%(145体)
不詳:4.22%(666体)
この震災での犠牲者の死因のほとんどが、津波に巻き込まれたことによる水死であった。津波の中には、大量の砂や海底のヘドロ、港湾施設の重油などの有害物質などが含まれていた。砂が肺に入れば気管を詰まらせ、有害物質が肺に入れば身体を侵す。水死に至る経緯は、これらで呼吸困難になったり、がれきが当たり意識を失ったり、3月の雪の舞う中で低体温を伴ってなど、さまざまな経緯もあったと考えられる。
圧死・損傷死・焼死も、ほとんどが津波によるがれきが要因となっている。
建造物の倒壊や土砂崩れ、天井の非構造部材の落下、高所からの落下など、地震の揺れそのものが原因による犠牲者は、福島県36人・茨城県18人・宮城県13人・東京都7人など、分かっているだけで90人に上る。

参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P1~33、P35~56、P107~120)参照
 2011年3月11日(平成23年)午後2時46分、三陸沖の海底地盤が急激に5m隆起した。M7クラスの地震での海底隆起は通常1m程度である。今回は5mの隆起が地震全体(長さ4500キロ、幅200キロ)にはねる海そのものを突如突き上げた。
三陸から茨城に至る太平洋湾に向かって走り始める津波!
震源地近くで時速900キロ、ジェット機並みのスピードから、海岸線では時速十キロに減速する。ところがリアス式海岸のV字型地形では奥に行くほど津波の高さは増した!
これほどの津波があるとは誰も予想もつかなかった。
巨大な津波は海上保安庁や民間の船舶を飲み込み、巨大な津波は堅牢な堤防をあっさりと越え、船や住宅や自家用車や人間を飲み込み推し流し、濁流がすべてを瓦礫にかえていく。
まさに千年に一度の巨大津波は逃げる車、逃げる人々、ビルや家屋、家畜、すべてを飲み込んでいく!大切な家族が流される、大切な実家が、職場が、車が、思い出の風景がすべてのみこまれていく。警察官が…行政の者たちが…教職員が…消防士が…外国人の女性教師まで…老人や子供を探しに戻った父や母や家族の者たちも犠牲になった。
津波がすべてを破壊した。
宮城県東松島市では、津波発生時の避難所だった体育館に集まった人たちがほとんど流された。波に呑まれ浮き上がってたまたま天井近くの梁にしがみついて生き延びた人がいた。
子供たちを屋上まで誘導し、まだ危険だと感じて給水塔の上まで避難させたことで、子供たちを守った教師もいた。生き残った人はたまたま偶然、かろうじて生き残った。
日が暮れたら完全な闇になった。だが、そこかしこに火の手が上がった町もあった。
暗闇の中で瓦礫に埋もれながら、まだ生きている者はいた。
……たすけて… …うううっ…  ……だれか~…
だが、雪が降ってきた。気温は氷点下に。泥水に浸かり、負傷して、漂流物に挟まって助けを待つ者たちが、この寒さ、冷たさに耐えられるわけがない。朝になったらうめき声ひとつしなくなった。廃墟が拡がっていた。
東日本大震災が起きたのは3月11日午後2時46分である。4分後に防衛省災害対策本部が設置された。自衛隊への災害派遣要請は、地震発生6分後の岩手県を皮切りに、宮城、茨城、福島、青森、北海道、そして千葉の各道府県知事から続々と届き、その間に大規模震災災害派遣命令、次いで原子力災害派遣命令が発令された。
阪神淡路大震災の頃のことが教訓となり、自衛隊をすばやく派遣できたし、予備自衛官(非常時に自衛隊員になる普段は一般民間人)まで招聘されたという。ヘリコプターから自衛隊艦船、イージス艦、特殊工作部隊、なんでもやった。自衛隊は4月1日で、遺体収容は約7000体、搬送は800体を超えた。
本来、遺体の搬送、埋葬は市町村の業務だが、遺体が膨大な数に上るだけでなく、多くの市町村が被災して機能不全となっている。それで自衛隊が肩代わりする以外なかった。実戦経験のない自衛隊員に、死体を見慣れている人はいない。むしろ警察官や消防士の方が、死体を見た経験を持つ人の割合は大きい。そのために自衛隊員のトラウマや心の問題が重大な問題ともなった。作業は午前8時ごろから日没まで。食事は、最初は乾パン、缶詰のみで温食はなし。これが続けば口内炎もできるし、お通じも悪くなる。瓦礫撤去と遺体搬入、行方不明者の捜索…。作業中、長手袋には遺体の体液が付着し、強烈な臭いを発する。それでも風呂にも入れず、ドロドロに汚れた作業着を洗うこともできず、翌日にはまたその作業着を着て現場に向かうのだ。それでも彼らの士気は極めて高かった。持っていた食糧を迷うことなく被災者に渡し、炊き出しが始まっても冷たい缶詰の食事を、狭いトラックの車内や車内の裏で食べる。人前で食べないのは「自衛隊がサボってたなんていわれないように」と思ってのことだという。
入浴支援も被災者優先で、隊員たちは泥と汗にまみれたままだった。
作業は日没とともに終了するので睡眠時間はある。だが、眠れるかどうかはわからない。なにしろ宿泊地は、駐屯地の建物の中、通路などの冷たい床に毛布を敷いて雑魚寝か、あるいは演習場のテントである。東北出身で自らも被災者も少なくない。
だが、遺体安置所で探すこともできない。
道路を通れるようにする『道路啓開(けいかい)』や被災した仙台空港の修復・啓開も最重要課題として作業が行われた。津波で自宅の屋根にしがみついていた男性は震災の10時間後に自衛隊のヘリに救助され、以来、空に自衛隊のヘリが飛んでいると自然に拝むようになった、という。「俺にとって自衛隊が神様なんだ」そう言う。
いいひとだけが助かり、悪い奴が死んだ訳でもなかった。自動販売機をこじ開けて銭を盗んだり、空き巣に入ったりして被害額は1億円以上だったという。
何故警察や消防ではなく、自衛隊であったのか?当たり前ながら自己完結が出来るからだ。つまり、兵站(へいたん)が出来る組織だからだ。
まさに「軍隊」だから救えた命、守れる国、である。
福島県では原発(原子力発電所)が被災し、メルトダウンを起こしてしまったが、民主党政権菅直人首相(当時)もあえて言わせてもらえば不幸であった。
そして、これは極秘で被災当時の話になるが、あるテロリスト組織が大震災に乗じて、テロ攻撃を画策した。テロ組織の名は『魔界の鬼手』。北朝鮮系のアジア外国人系のテロ組織であり、大震災に乗じてテロを企んでいたという。
これは国家レベルの秘密事変である。
当然、一般国民は知らない。
「あれだけ被災地は破壊されたのに…テロリスト集団が??」
「国際指名手配組織『魔界の鬼手』だとよ。震災前にステルス型潜水艦ででも日本国内にはいったらしい」
「だが、この大震災で、これ以上、人員はさけない。何をしようと?テロリストどもは?」
「どうも…ツアーリ・ボンバー(旧ソ連の小型原爆・広島長崎原爆の五十倍の破壊力)を持ち込んだらしい。何処かはわからんが…。銃や大砲、地対空ミサイルなどで武装しているらしい」
「なら軍隊である自衛隊が動かなければな。本当に東京や大阪などの都会ではなく、被災地なのか?」
「わからん。未確認情報だが、例のスノーデン経由で情報が防衛省に上がってきたんだ」
「なんてこった!兎に角SEELDZを出すしかない。自衛隊は災害救助や原発で手一杯、SEELDZだけが頼りだ。マスコミには箝口令だな。“ツアーリ・ボンバー”だと知られればパニックだ。日本がおわる!」

“震災の救援活動よりテロ組織撲滅へ隊を動かせ”と上層部がメール打電してくると桐島隊長らは呆れまくった。宮城県知事は被災するし…。被災地には食糧や燃料がたりない。
“守って耐える持久戦しかない”
そしてまたも訃報。福島第一原発が事故で爆発したのだ。
“被災地の原発は東京の為にある”“原発の復旧がおくれている今、被災地派遣は中止”
「勝手に戦って勝手に死ねか?!」桐島隊長は激怒して、足元のゴミ箱を蹴り倒した。
やがてテロ組織『魔界の鬼手』が上陸して被災地決戦が開始される。
被災のために老人女子供が体育館などの避難所に。被災地の中学二年生以上は“ボランティア隊”として被災しながらもボランティア活動にあけくれた。
狛江晴香も鈴木海荷も“ボランティア隊”に参加した。
17歳から45歳までの男女がボランティア隊として『東日本大震災』を戦った。
その意味で、“大震災”という“震災”で“停電”になっただけの被災地外のひとびとと、被災地の人は根本的に体験が異なる。被災地の人は自衛隊員たちと共に戦ったのだ。
被災地ではテロ組織とSEELDZの戦闘が開始された。
もはや、被災地も『トモダチ作戦』の米軍など関係なく、市街地戦でも局地戦でも対テロ組織部隊SEELDZは秘密裏に市街地戦(といっても瓦礫やひとがいない被災地)を戦う。これ以上被災地でのパニックは避けたい。「撃てー!」
銃撃戦である。「衛生兵!怪我人の手当だ!」
「撃てー!かかれ!」
銃弾が飛び交う中、鈴木崇たちは発砲しながら銃剣で突撃していく。
ボランティア隊の晴香と妹の海荷とは別行動になったが、市民を守りながらの戦争になった。
とても、市民の命どころではない。テロ組織は砲撃弾までつかうし、火炎放射器と手りゅう弾で焼却される。
「くそう!くそったれ!撤退―っ!撤退!」
鈴木崇たちは散りじりに瓦礫の影に逃げ込んだ。
そこにもSEELDZ隊員が沢山いる。「くそう!テロ公め!やるな!」
大城(かいの)一郎二等兵は裏切り行為でテロ組織に白旗を振るが、殺された。
おじさん上杉景勝(60)と奥さん上杉桃子(59)。上杉のおっさんにはまだ二十八歳の愛人・安藤モナカがいて、お腹がもうおおきい。もうすぐ産気づくほどだ。「奥さん、じっとして!赤ん坊が出てきちゃうわ!」
「天皇陛下ばんざーい!天皇陛下万歳!万歳!」
天皇教のおっさん宮里誠一は被災地体育館で半狂乱みたいになっている。

「糞!、大島仁、お前は今どうしてる?!」
鈴木崇は銃撃戦の最中思った。
怪我した今野2尉(中尉)は行方知れず。今野中尉もやられたか。
その頃、岩手県では大島仁3尉(少尉)とSEELDZの少年兵たちがテロ集団と戦っているところだった。少年ゲリラ部隊である。中村(なかむら)賀我(がが、16)、木山(きやま)竜馬(りょうま、15)、高杉大河(たかすぎ・たいが 18)、少年兵士たちは続々戦死していく。
「中西!偵察に行け!」
「はい!」
しかし、陣営にロケット弾が飛来。「伏せろ、馬鹿!」
着弾!「ぐああっ!」少年兵をかばって大島仁3尉(少尉)は大怪我をおった。
「大島3尉(少尉)殿!…大島3尉(少尉)殿!」
「……くぐ。テロリストがブルートゥースの通信機器を妨害していて救援を呼べない。この被災地から病院まででは間に合わない。スマホや携帯も圏外だ。基地局がやられたんだ。中村…介錯してくれ!俺の怪我ではもう手遅れだ…頼む!」
大島仁はピストルを中村賀我少年兵に渡し、割腹自決した。
「亜衣―っ!崇……おかあちゃん…天皇陛下…万歳!」バーン!銃声!
みごとな最期であった。
被災地の町や市街地が空爆されたような状態であり、被災者の佐藤さんは燃える被災地を体験し、死体の山を血だらけで彷徨ったという。もはやこれまで?
「ボランティア隊!けが人の手当てを!」
「はい!」や狛江晴香や鈴木海荷らは衛生兵として、まさに立派に戦った。
大島や鈴木の母親が死んだが、もはや誰もかまってもられないまさに騒乱といえば聞こえはいいが、虚無が、辺りを覆った。
もはや被災地中が瓦礫と死体の山である。
「どうなっちまうんだいったい!…」鈴木崇は銃撃戦の中で叫んだ。
誰の目にも東日本大震災と秘密裏のテロ組織との戦いの敗戦は、明らか、であった。



話を少し戻す。

大前研一著作『低欲望社会「大志なき時代」の新・国富論』小学館出版
<「皆が等しく貧乏になる国」で本当にいいのか?高齢化と人口減少が加速する中で“欲のない若者”は増え続ける――ピケティもクルーグマンもこの国の現実がわかってない>
緑川鷲羽まとめ<2015年4月30日>(C)大前研一

はじめに「坂の上の雲」を見なくなった日本人

 「株価2万円」に浮かれている場合ではない

2015年3月下旬には00年4月以来15年ぶりに日経平均株価が1万8700円まで回復し、マスコミには「2万円台へ」という文字が躍った。だが、浮かれている場合ではない。
「山高ければ谷多し」というのが株式市場だ。
では、株価はどこで下げに転じるのか? それは基本的に企業のPER(株価収益率。時価総額÷純利益)やEBIT(他人資本を含む資本に対してどの程度の付加価値を創出したかを示す値。税引前当期純利益+支払利息-受取利息)などの指標で判断しなければならない。たとえば、PERは一般的に15倍を下回ると割安、20倍を上回ると割高とされているが、すでに15年2月末時点で東証1部上場企業のPERは19・7倍(金融業を除くと20・4倍)に達している。
しかし、企業の業績が株価に見合うほど良くなっているわけではない。株価上昇は罠だ。トヨタでさえ純利益は前年比16・8%増だ。
つまり、その企業に成長性があり、将来はこれくらいまで利益を稼ぐだろうという予測のもとに、投資家は株を買うのである。日本の株価は身の丈に合っていない。“偽りの相場”にほかならない。
では、なぜエコノミストたちの経済予測は当たらないのか?
結論から言うと現実を知らないからだが、安倍政権となってエコノミストや経営者などやエリート官僚がいろいろな策を次から次へと打ち出したが全部駄目だったのも「現実を知らない」からである。
安倍晋三首相は「有効求人倍率は22年ぶりの高水準」「この春、多くの企業で賃金アップ」などとアベノミクスを誇る。
さらに安倍政権は「株価の上昇は消費につながり、消費が増えれば企業収益が向上して賃金が上昇し、賃金が上がれば消費も増える」という「好循環論」を主張しアベノミクスを正当化した。しかし、日本はアメリカと違って個人がほとんど株を持っていないので、株高で好循環になるという現象は今まで観察されたことがない。株高で賃金が上がる、というのも初耳である。安倍首相の堂々たる演説原稿を誰が書いたのかは知らないが、日本経済の構造を恐ろしいほど知らないことを露呈している。

   世界に類のない「低欲望社会」が出現

安倍政権は危ない。なぜ危ないか?現実政治や現実経済政策などわかっていないからである。アベノミクスを推進してきた経済政策のブレーン、内閣参与の浜田宏一・米エール大学名誉教授や本田悦朗・静岡県立大学教授、さらにノーベル経済学者のクルーグマンなどが、インフレターゲット論などで景気を悪くした。もはや21世紀の日本経済には20世紀の経済対策は当てはまらない。「低欲望時代」というと、多くのひとは、
「デフレで不景気だから仕方ない。景気が回復したらみんなが安心して浪費するだろう」
と、思うと思う。
だが、日本で進行しているのは、そんな一過性の現象ではない。
たしかに、もはやかつての高度経済成長やバブルのような好景気はありえない。だが、不況だからとか、デフレだからとか、時代が、とか政策が悪くて…などといった意味での「低欲望社会」ではない。日本人の若者のDNAが変異した、としか思えないのだ。
「フラット35」という金利が1%台で史上最低金利で35年間固定金利という住宅でも買う人が少ない。アメリカやフランスやイギリスや先進国や途上国でも5%で35年間固定金利でも予約が殺到する。日本人の若者はリーダーとなりたくないし、社長にもオーナーにも監督にもプロデューサーにもディレクターにもならない。昔なら結婚もマイカーも新築一戸建ての家の建築も、団塊世代、団塊ジュニア世代はローンを組んででもやった。いわゆる“肉食系”であり、欲望も夢も大きかった。
「同じ人間が出来る事なら不可能はない」と皆が思っていた。
だが、今の35歳以下の世代はいわゆる「失われた20年」で、子供のころから不況で、好景気をしらない。また、バブル世代の親を「反面教師」にまでしている。
借金やローンを組んでまでマイカーやマイハウスはいらない、等と平気で言う。
携帯世代の彼らは、スマホでネットに繋がるがパソコンを買わず、電話回線やネット回線も自宅に引いていない。スマホでことが足りるからだ。
パソコンが出来ないわけではなく、職場や学校やネットカフェでは器用に使いこなす。
要するに貧乏や食糧難が身についている太平洋戦争時の子供ににている。
ニートや引籠りやうつ病、コンビニで500円の弁当で済ます。多くて一日千円でおわる。
なんとも情けないくらい志も夢もない。
志もなく夢もなく、さらに社会常識もなく、道徳もない。悲惨な若者(まともなひとも多いだろうが)が大手をふって跋扈しているのである。

   ピケティの『21世紀の資本』をどうよむか?

ピケティはいわゆるビックデータを際限なく分析している。
だが、結論からいうと当たり前の話しか書いていない。資産があるものが投資して資産を増やす、資産がないものは働く……富める者はますます冨み、貧しい者は置いてけぼりを食らってますます貧しくなるというのは、資本主義の下では当然の帰結である。
ピケティのいう「累進課税」「お金持ち増税」等夢物語で「理想論」であり、累進課税よりフラット課税や付加価値税であろう。
「お金持ち大増税」はヤル気がなくなるし、意味があまりわからない。
やはりピケティは日本については勉強不足である。
確かに彼の言うように海外では格差が広がっているのだろう。いわば宮殿のような豪邸の資産家とホームレスやバラックのスラム街…というイメージだ。
だが、日本国内でホームレスが日本国中にうろつき、スラム街が無数に青森県や北海道や、愛媛県や鹿児島にひろがっているのか?という当たり前の疑問だ。
日本は「誰もが等しく貧乏になる国」なのである。それでいいのか?ということ。
資産課税は一律フラットにする。消費税は10%増税し、24~28%にする。歳出削減も厳格にする。ただし、最終的な消費に対して課税する消費税ではなく、経済活動に伴って発生する付加価値(富の創出)に対し、すべての流通段階で一律に広く課税する付加価値税(VAT/Value Tax)を導入するべきだ。その税額を10%とすれば、日本の付加価値の総額≒GDPが約500兆円だから、税収は50兆円になる。
消費税よりずっとよい税収元だ。
あと、日本のマスコミが流す「ちょい高」ブームは、単なるプロパガンダ(大衆操作)でしかない。逆に高いステーキを食べたら他の費用を削ろうとするだけ。日本には本当の金持ちはごく少数だ。1%もないのではないか?
 日本人の最大の問題は実は「景気・経済政策」でも「外交交渉」でもなく、少子高齢化による「人口減少」問題である。
何が問題か?といえば介護する人間や老人を負担する人口が減れば、介護だけでなく警察や役所や病院などの役所行政機関、ビジネスの労働者、教育産業、サービス産業など大打撃を受けるからである。このままいけば、今後30年、40年経ても日本の労働人口(15~64歳)は増えず、高齢化だけが進むことが確実に予想できる。
ここまでの人口減少を経験した国は未だかつてないのもかかわらず、日本政府はそれを克服するための抜本的な対策を何も打ってこなかった。
人口減少が予想されれば、移民導入とか、フランスやスウェーデンのように子供をたくさん産むことができるように手厚い育児給付金を出したり税金を優遇したりしている。
米沢市でもそうしたい。
また戸籍制度もよくない。
例えば女性が妊娠したとする。そこで日本では事実婚や同性婚が認められていない為に、ケースとしては三つある。一は「できちゃった結婚」、二は「堕胎」、三は「シングルマザー」。だが、圧倒的に堕胎が多い。これも少子化の一例だ。フランスや北欧では40年以上前に戸籍制度をなくしている。戸籍制度があるのは日本と中国と韓国ぐらいだ。
とにかく団塊ジュニアの次の世代がいない。団塊の世代が年金生活者に突入したことで一層の社会保障費が赤字垂れ流しになるだろう。なら、北欧やフランスのような国に日本を変革するしかない。だが、今のような官僚天国で東京の“霞が関幕府(高級官僚)”がこの世の春を謳歌している現状では、よほどの強力なリーダーでも登場しない限り、維新も変革もイノベーションすら無理だ。
安倍政権は官僚のパペット政権で「官僚主導」「官僚に問題を丸投げ」するだけ。
結果として各官僚機関の省益だけが優先される。
官僚の官僚による官僚の為の国家・日本、である。

   高齢者・女性活用でもカバーできない

もともと60歳定年のままであれば、年間80万人が減少する予定だったが、今は40万人程度の減少にとどまっている。つまり、単純計算すれば、年間約40万人は60歳を過ぎても働き続けているということになる。
しかし、高齢者や女性を活用していっても、2030年には約300万人不足、2060年には約1800万人も不足する計算になる。この数字をどうするか?移民?産めよ育てよ運動?
また経済縮小を食い止めるには、人口減少の著しい地方を活性化しなければならないが、無理だ。ひとが足りない。このままではハイパーインフレとデフォルト(日本国債の債務不履行)になってしまう。日本国が没落しスペインやポルトガルやギリシャのようになる。

   フランスは子供が多いほど家計にプラス

日本では、保育実費と大学の学費だけで1人500万円ほどの費用がかかるのに対して、育児給付はそれをカバーできず、合計すると出費のほうが多くなる。第三子となると、育児給付が割り増しになるため若干改善されるが、それでも72万円のマイナスである。
かたやフランスは、大学の学費がほぼ免除されるため、出費が大幅に抑えられる。しかも育児給付は第二子、第三子と子供の数が増えれば増えるほど相当の金額の給付が増加される上、いわゆる「N分のN乗」方式(*後述)によって子供の数が増えるにしたがって所得税が減税されていくため、仮に子供を3人育てると、合わせて1745万円も家計にプラスになる計算だ。
<*「N分のN乗」方式/子供の数が増えれば増えるほど軽減される所得税の課税方式。世帯の所得をいったん家族の人数(N)で割り、適用になる税率を算出し、その後、改めて家族人数を掛けて納税率を決める。>
また、マイナンバー制度はバルト三国のエストニアのeコマースビジネスモデルとは似て非なるものであり、「税金の無駄」でしかない。エストニアの例は後述するが、マイナンバー制度はまたしても「お役所仕事」的で、意味がない。国民番号制度ではなく、大前研一先生が25年以上前から御提唱なされた「国民番号制度」とは似て非なるものだ。
おそらくうまくいかないだろう、と先生は仰る。
とにかく「子育てするなら日本で米沢市で」なら「N分のN乗」方式は導入するしかないですよね。農業は後述するオランダ・モデルで!
 日本の移民は1%しかいない。だが、日本で移民政策をしたら失敗するのは目に見えていますね。人種差別国家ですから(笑)アメリカやシンガポールのようにはいきません。
フランスやドイツでも大失敗しています。
「優秀な移民だけを受け入れる」等だったらいいのですが、そんな都合のいい風にいけばどの国も苦労しませんよね(笑)まあ、看護師や介護士やヘルパーやメイドはフィリピンやタイやインドネシアから“輸入”することです。英語教員も日本語の教員資格がなくてもOKにする。規制緩和ですね。
あとは、若い人に夢と希望を与えることだ。彼らが日本の未来は明るい、自分たちの将来は今よりずっとよくなる、と信じられる明確な国家ビジョンを示し、我々が“坂の上の雲”を見てがむしゃらに働いていた時代のような興奮感を醸成する必要があると思う。
ケネディやレーガンがやったような。

    スキルをがむしゃらに身につけ向上しなければ路頭に迷う社会へ

 今の日本には「プア充」が広がっている。だが、「清貧」とは全く違う。
「皆が貧乏でもいい」「皆と同じでいい」などという社会は亡国の途だ。ハッキリ「やせ我慢」といってもいい。貧乏でいい訳がない。努力して億万長者になり、社会成功でなければ誰も努力しない。お金ですべてが買えるわけではないがお金こそ「悩みをクリヤーにする最強の武器」だ。「猛烈に働き、億万長者に!なんてダサい」「苦労は買ってでもせよ!なんてださださ」そんな社会はクズである。
また、この国の元凶は「でしゃばり老人」による「老害」であり、35歳以下の低欲望社会人である。どちらもやめて欲しい。
老害と言えば政治界、経済界と老人ばかり、だ。
優秀ならいいが、ほとんどはボケがはじまったのでは?(笑)と思えるような老人が多い。
億万長者や社会成功者を目指さない社会体制も変だ。勝つのは誰でも気持ちがいい筈。


    アベノミクスの大失敗「アベノミクスの正体・瓦解策」

 よく安倍晋三首相がアベノミクス(安倍首相の経済政策)というが、すでに策は出尽くした感がある。まず第一の矢「異次元の金融緩和」は日銀が札束を刷りまくってお金じゃぶじゃぶにすれば確かに円安になるだろうし、インフレになるだろう。だが、いつまで給油しながら日本国の車のアクセルを踏み続けるか?だ。ここからは国債暴落(=日銀の破綻)が先か、経済が劇的に回復するのが先か。出口戦略など黒田東彦総裁にある訳はない。この状況で出口戦略が思いつくならまさに天才だ。
第二の矢、20兆円の「経済対策」の効果は公共工事以外に観るべきものはない。
第三の矢、「成長戦略」なども効果はない。私は安倍政権の賞味期限はもうとっくの昔にきれていると考えている。やらなければならないのは「国の仕組みを変える“道州制”」で、地方に権限も財源も移行するまさに『救国の新世紀維新』である。
自主財源も権限もない今の地方自治体のままで、夢みたいなことを幾ら語ったって、実現できない。夢物語の地方版マニュフェストも「慰め」以上の効果はない。
いくら維新だの改革だのいっても、政策や法案を官僚任せならまるでブラックジョークでしかない。トップが将軍から天皇に替わっただけの明治維新より酷い。

   優れたトップはひとつのことだけを言う

駄目な会社の経営者は、改善策を10も20も並べ立て、それらを全部やらせようと檄を飛ばす。しかし、社員は次々に出される指示に追いつけなくなり、結局は何も実現しない。
悪いコンサルタントも同じだ。いいコンサルタントは改善点を一つに絞り込み、その改善点だけを提案する。改善点が20あったら最も効果のある重要項目を戦略を提示するのである。だが、駄目なコンサルタントは何十項目も改善点を列挙して、提示するだけ。
この駄目なコンサルタントをどこかでみたことがないだろうか? そう、まさに今の安倍政権である。
安倍政権は異次元の金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略という「三本の矢」によるアベノミクスを掲げ、実に様々な政策を打ち出した。しかし、とどのつまり終着点はさっぱりわからず、何の効果も成果もあげていない。
では、安倍政権の「三つの本質」を挙げてみよう。
ひとつは「証拠もないのに言い切る」という安倍首相の傾向だ。
「福島第一原発の汚染水の制御」や「経済政策」など、いい加減に理解もせずに「だいじょうぶです」「心配はいりません」「制御可能です」などという。2015年5月14日、安倍首相の集団的自衛権の閣議決定で、驚くのは安倍首相は「根拠もなく言い切る」癖がまた出た事。官僚の作文を棒読みしているだけだが、「戦争は絶対にしない」「戦闘状態にはならない。戦闘行為はしない」。なら、攻撃されても反撃せず死ぬのか?何処の馬鹿官僚の作文だ?
だが、難しいことは官僚任せで、官僚の作文を棒読みしているだけなので、大丈夫(笑)な訳はない(笑)安倍政権は民主党政権(当時)(当時)より安定して見えるのは官僚にすべて丸投げして、官僚の好き勝手にさせて「政権安定」を演じているだけでしかない。
多くの人は2020年の東京オリンピックで景気が回復する、という。今の日本のような成熟国では、競技や選手村、交通網などを整備する公共工事に税金を注ぎ込んだ分だけの経済効果しかない。要するに安倍首相は、明るい話をして、そのアナウンス効果で景気浮揚を図っているにすぎないのだ。
ふたつは、数えきれないほどの政策を戦略もなく打ちだすこと。駄目コンと同じと前述したが、まさに駄目な見本だ。自民党は節操もないノイジーマイノリティ(騒がしい少数派)の利権政策デパートだから、野党はそのサービス力に勝てない。
だが、民主党政権(当時)(当時)ももう少し官僚を利用するやり方や戦略さえあれば、あれだけ大失敗もしなかったろう。それにしても安倍政権は無意味な意味不明な政策を乱発している。
みっつが「官僚主義」「官僚主導」「官僚へのすべての丸投げ」と官僚独裁国家である。安倍政権は官僚にコントロールされることで安定化をとりあえず図っている。
思えば第一次安倍政権は完全なる“反官僚”“対官僚”だったから、すぐに大臣が不祥事や病気で辞めたり、政権の崩壊も早かった。まさに安倍晋三氏自身のように「頭も体も心も弱い(CIAの安倍晋三氏の分析)」だった(笑)。その当時と比べて安倍氏が人物になった、とか、キャリアを重ねて政治家としてよくなった、とかではけしてない。
官僚にすべて全部任せて丸投げして「安倍政権は安定している」と芝居を打っているにすぎないのだ。
会社で最も嫌われる上司はどんなタイプか?英語で「マイクロ・マネージャー」すなわち、部下の行動を箸の上げ下ろしまで細かくチェックして、いちいち文句をつける上司である。
部下には意思決定をいっさい任せず、報告書や領収書の瑕疵といった些細な点まで重箱の隅をつつくように管理・干渉することを、否定的な意味をこめて英語で「マイクロ・マネージメント」というのである。
そんな「マイクロ・マネージメント」の典型が安倍政権だ。
日本は完全なる「計画経済国家」と成り果てた。
例えば子供が五歳であるとすると、それからストレートで大学を卒業するまでに17年間、30歳になるまでに25年間もある。その間ずっと領収書をもらって毎年、金融機関に提出しなければならないわけだ。
さらにいえば、子供がスポーツ選手を目指している場合、野球観戦は教育費ではないか?ゲームのプログラマ志望の子供のゲーム代は教育費ではないのか?ディズニーリゾートは教育費じゃないのか?だいたいにして特例的に贈与税や相続税を減税する、というならお金の使い道に条件をつけるのは大きな間違いだ。
そのお金でゲームソフトを買おうが、映画を見ようが、個人の自由である。
あえてお教えすれば「特区」というのも、官僚のおめこぼしというか(笑)実際には官僚がやりたくないが…という事業をあえて認めるのが「特区」制度というものなのだ。
「残業代ゼロ法案」など余計なお世話であるし、「地方創生」などというが地方には自主財源も権限もない。お金をばらまく以外どうしようというのか?
本社を地方に…等馬鹿馬鹿しい。都会で墨田区や湾岸部に本社や営業機能があっても、不便を感じるのが日本の実情だ。東京圏でさえ不便なのに、田舎に本社など移す会社などあるわけない。つまり、現実を知らないとしか思えない。
石破さんはその辺をわかったうえで、地方創生大臣を引き受けたというが、損な役だ。

       女性の活躍できる女性の輝ける社会に!


「配偶者控除」をありがたがるな、と言いたい。夫の所得から課税する分を38万円減らして所得税が安くなる。いわゆる「103万円の壁」だ。このままでいい訳はないが、「廃止する」といえば政治家なら選挙で落選するだろう。国民は「〇〇控除」「〇〇手当」をありがたがり、国から「恵んでもらう」ことが当たり前のようになっているが、そもそもそんなメンタリティ(精神性)のままでは何の改革も維新も創造できない。
女性の社会進出も、要は「家庭内総合課税」か「夫婦別々課税」か?である。
もし、女性を男性と完全に同格にして本当に活用するとともに公平な税負担を実現したいなら方法はそのふたつでしかない。
一つは「家庭内総合課税」である。つまり、一世帯を形成している人たちの中で働いている人の収入は全部合計して“連結決算”にするのだ。そして、その総収入については、現在の日本で最も多い単身世帯の人たちよりも税率を5%なり10%なり低くするという方法だ。ドイツなどは、この税制を導入している。
もう一つは「夫婦別々課税」だ。いま日本では女性のライフコースが非常に多様化している。昔の女性のライフコースは、学校を卒業→就職→結婚→出産→専業主婦か共稼ぎ、もしくは子育てが終わってから再就職、という具合にほとんど単一的だった。しかし、最近の女性のライフコースを調べると、未婚化・晩婚化・離婚・死別などの増加によってワーキングシングル、プラチナ(リタイア)シングル、DINKS(Double Income No Kids)、DEWKS(Double Employed With Kids)、リターナー(子育て後の復職層)、シニア共稼ぎ夫婦、専業主婦、プラチナ夫婦など10以上のパターンに分かれているのだ。
現在以上に女性の社会進出を加速させていくのなら、多様なライフコースに対応した働き方ができるような仕組みを整えると同時に、夫婦別々課税、すなわち夫も妻もそれぞれ単身で独立して稼いだとみなし、夫婦世帯でも単身世帯と同水準の高い税率や保険料負担などを課すのもやむをえないと思う。そうすることで働いている女性たちが税金や年金・保険を自分で払うので、離婚などの自由度も大幅に拡大する。
アメリカでは、全世帯の49%を占める共稼ぎ世帯の場合、女性の方が給与が高い世帯が25%もあるという。日本もそうなるだろう。
そして、江戸時代よりも重い国民税負担率に怒れ、ということ。官僚や役人が北欧や欧米に比べて日本人の税負担率は軽い、というが嘘であり、ペテンである。日本人のひとりあたりの国民税負担率は52%である。だが、北欧や欧米ではそれと同じ負担の国もあるが、北欧などは大学までの学費や医療費も介護料金も無料である。
あと、確かにモラトリアム法案は廃止されたが、銀行は政府から「会社を潰すな」と言われている為に、本来潰れるべき会社が「ゾンビの如く」うようよ彷徨っている。
つまり、それだけ納税者は負担が重くなることだということだが、国民はわかってない。
「戦後って何?」「更地って何?」「詔って何?」「携帯の基地局って何?」という劣化した国民が理解出来ないのも理解できるが、何とも情けない。
まさかと思うが「日本国の初代内閣総理大臣」が誰か?は流石にわかるだろうなあ(笑)。
それといっておくが、日本国民が個人金融資産を1600兆円もっていたり、日本の企業の内部留保が270兆円~320兆円あるのはみなさんご存じの通りで、ある。
しかし、じゃあ「大量の内部留保」を抱えた企業は「守銭奴」なのか?(笑)
そんな訳はない(安倍政権での麻生財務大臣が本当に言った(笑))。単純に説明すれば、日本の大企業が何故それだけの巨額な内部留保を抱えているか?は、まずは海外でのM&A(企業買収と合併)の費用と、「株主への3%時価配当」の費用なんです。
現在の日本には投資先があまりないんですよね。海外投資は2つの利点があって、1つは人件費です。中国人の人件費は日本人の三十分の一、バングラディシュは日に400円、エチオピアは月1200円…。もう1つは、市場開拓(市場拠点の開発)です。
日本に海外の工場が戻ってくる(いわゆる「Jカーブ」)等絶対にありえません。
仮に海外の一万人規模の工場を日本国内に戻して、どうやって一万人のブルーカラーの日本人従業員を集めるのですか?皆、工場労働が嫌だ、というのに。世界一の少子高齢化社会日本でどうやって?人件費の問題は?だから夢物語だというんです。
それと法人税や相続税や贈与税や所得税はほとんどの国でゼロ%です。日本みたいな成熟国が20%の法人税に!とやっても20%足らずではインセンティブ(動機づけ)にならない。
普通ゼロなんです。逆に言えば法人税をあげた方が「税でとられるくらいなら給与を増やそう」、とか、「新規店舗を出そう」、とか、そういうインセンティブ(笑)がありますね。
まあ、会社やひともそれぞれありますがね(笑)人生いろいろ(笑)
ハイパーインフレを防ぐ対策は(1)戦争を起こす(2)ギリシャのように歳出を40%削減する(3)消費税を20%にする、のいずれかだけです。
イギリスやアメリカのような(サッチャーやレーガンのような)優れた改革者リーダーが出現するか、北欧みたいな国民運動で高福祉高負担国家へ進化するか…どちらも無理っぽいですねえ。橋下徹さんも細野豪志さんもそれだけの器があるのか?ないと思う。
一番日本の末路に近いのはスペインやポルトガルのように徐々に没落して悲惨な国になるパターンですよね(笑)それは嫌だ!維新や改革しよう!と思う日本人が多ければいいのですが(笑)劣化が激しい国ですからねえ(笑)
「日本の成長戦略」に関しては別の項で大前先生や私が書いていますが、都会の容積率倍増などですね。あと、田舎に住みたいというひとたちは確実にいます。が、ネックになるのが職業や鉄道やバスなどの交通インフラなどですね。
だが、どうせ田舎で暮らしているひとは老人か負け組です。
皆が東京や大阪に行くのは交通網が便利で職業もいろいろあるからです。インターネットがあれば田舎でも仕事ができるじゃないか、等いかにも書生論ですよね(笑)
基地はいらない、戦争をしなければいい、も当たり前ながら書生論(笑)勝手に基地はいらないし戦争もしないと決めてもミサイルを撃ち込まれればおわりですから(笑)
話がそれた。
どうせ田舎に住むような物好きはいないのだから「都心回帰した人が週末に田舎で遊べる」システムをつくるほうが正しい戦略だと思う。新幹線をつかえば1時間2時間で、静岡や伊豆や北陸や米沢や福島、栃木や茨城、山梨、長野、仙台、と近い。鉄道会社と共同で定期の(ウィークエンド)キップなどを誘致するとか。あるいはアジアの富裕層を狙って日本の田舎を「終の棲家」にしてもらう、とか。
田舎のリゾート化はハワイやオーストラリア等で顕著ですし学ぶなら今ですね。
また、TPPにしろ農業改革にしろ、農協(JA)や減反を廃止しても補助金漬けなら同じことです。政府自民党は農業など守っていませんよ。「農業利権」を守っているだけです(笑)
だから農水省は農業漁民省な訳です。
だからこそ農水省を廃止して「食糧省」を創設するべきなんです。
日本人がベトナムやオーストラリアやタイで大規模農業や大規模酪農をやって、日本へ逆に輸出する。十分可能だし、日本政府が補助金出せば十分計画として行けます。
“食糧安保”だのいまだに言うひとがいますが馬鹿ですね。石油が180日分備蓄している、コメは一年分備蓄している、では日本国が完全に兵糧攻めされたら一日でおわりなんじゃないでしょうか?何も食料も原材料もこなければ「付加価値加工産業国・日本」は成り立たないですから。だいたいにしてどの何という国が日本国を兵糧攻めにするのですか?中国ですか?アメリカですか?韓国ですか?北朝鮮ですか?だから馬鹿だ、というんです。
「農業改革」で言うならオランダ・モデルでしかない。いわゆる攻めの農業です。
オランダ(ネーデルランド)はEUに加盟して、農業の市場が一気に競争原理にさらされたんです。
いまの日本の農業はどうなっているか?前にコメが補助金漬けの上に778%もの関税で守られていることなどを説明したが、このままでは競争力のない日本の農業が世界の中で生き残っていけないことは火を見るより明らかだ。
私が考える農業改革のモデルはオランダだ。国土面積が日本の九州とほぼ同じで人口1686万人の小国だが、実はアメリカに次ぐ世界第二位の約10兆円もの農業輸出国だ(日本の農業輸出額は4000億円でしかない)。なぜブラジルやアルゼンチン、中国、カナダ、オーストラリアなどの国土大国よりも輸出で稼げるのか?
きっかけは国境なきEC(ヨーロッパ共同体・現在のEU・ヨーロッパ連合の前身)の誕生だ。1986年にスペインとポルトガルがECに加盟したことで両国から無関税で安価な農産物が入ってくるようになり、競争力の低いオランダの農民は窮地に立たされた。危機感を抱いたオランダは、まさに“選択と集中”で施設園芸にフォーカスするとともに、農業を農民中心に考えずに「産業」と捉えて地域別に農地と生産品目を集約するなどの改革を断行し、付加価値(=競争力)の高い「クオリティ農業」にシフトして躍進したのである。
いかに「コメ偏重」から脱するか。日本は「コメをつくっていけば食べていける」ようにしたため国際競争力を失ってしまったのである。いわば粗鋼生産だけ続けて自動車を作っていないようなものである。今後はもっと付加価値の高い果実、酪農、葉物野菜、花卉(かき)類などにシフトしなければならない。
そもそも食糧自給率を中心に考えたら、このグローバル社会では競争力はつかない。食糧は世界の最適地で作ればいいのである。輸入できるものであれば、食料は海外の様々な国から輸入できる。実際、オランダは世界第二位の農業輸出国でありながら、穀物の自給率は14%で日本の半分だ。つまり、オランダは足りない食料は世界で最も競争力のある国から安価なものを、安全・安心さえ担保されていれば、平気で輸入しているわけだ。
馬鹿げた「食料自給率維持」と「食糧安保」で、日本の農家はどうなったか?
農家は兼業農家が約100万戸で7割以上に達し、水田作の経営者が132万人で6割余りを占めている。要するに、コメをつくっている兼業農家が大多数なのである。
(1)「自由化」だ。農業保護をやめるとともに、農業・自然・食品安全省(日本で言えば農水省)を解体して経済省(日本で言えば経済産業省)に統合し、農業部、酪農部、水産部、という三つの部局にした。農業も産業だ、ということだ。
(2)「選択と集中」だ。高付加価値農産物にフォーカスして、農業を集約したのである。米沢市でいうなら米沢牛やさくらんぼやラ・フランスやブドウ、リンゴ等に特化する訳だ。
(3)「イノベーション」だ。ITを活用したスマートアグリを展開するとともに、農業大学などを中心とした食料の産業クラスター(集団)、いわば農業のシリコンバレー化をした。食品関連会社約1400社、化学関連会社約70社、研究者約1万人が集まり、日本からもキッコーマンや日本水産、サントリーなどが進出している。
その結果、オランダ農業は特定産品で際立った強みを持つようになった。主な農作物の輸出上位国を見ると、ボリューム型の小麦やトウモロコシ、大豆などはアメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチンなどの広大な農地を生かして規模を追求する国が上位を占めているのに対し、付加価値を追求するクオリティ農業ではオランダがジャガイモと花卉(かき)類で世界第一位、トマトでメキシコについで世界第二位になっているのだ。
さらにオランダは“ずるい”ことに、国内で生産した農作物を輸出するだけでなく、海外から輸入してきた農作物を加工して輸出する「加工輸出」や、輸入したものをそのまま輸出する「中継貿易」、あるいはオランダに物理的には持ち込まないで産地から顧客に直接発送するエクスチェンジ(電子市場)でも稼いでいる。ココアを50か国から輸入し、チョコレートに加工して輸出、安い国の牛乳を輸入して付加価値が約14倍ものチーズに加工して輸出している。これぞ「農業維新」で、ある。



【インチキ祈祷師『殺人罪』で逮捕】糖尿病少年インスリン注射でなく祈祷完治、と嘘!オカルト悪徳商法

2015年11月26日 20時19分32秒 | 日記







 病気の人間につけこむオカルト商法!騙されないで!


 先日、糖尿病でインスリン注射が生涯に渡り必要であった小学生男児が、『龍神』をかたり”祈祷で病気を治す”と称する祈祷師に「インスリン注射は必要ない。自分は”龍神”なので”祈祷で糖尿病を完治させる”」といって騙し、その子供が注射を受けなかったために病死して、そのオカルト祈祷師の詐欺男が「殺人罪」で逮捕された。
 わかって欲しいのはこういう輩は日本だけじゃなく世界に複数存在するということ。病気の人があれば必ずその病気の家族の弱みにつけこんでくるオカルト祈祷師や占い師がいる、という現実である。私自身も何故か米沢市に不動教なるオカルト祈祷師がいて家族で過去に騙されてますし(笑)まあ、祈祷して病気が治るなら医者も薬もいらない訳で。うつ病など、ものの見事に治らなかったし、その祈祷師のアドバイスで鬱病の薬をストップしたら、むしろ病状は悪化(笑)して当時の再就職の職もリストラされて無職になりましたし(笑)その馬鹿祈祷師は「病気だから休みながら働かせてといえ」と馬鹿げたことをいうし(笑)そんな甘い職場があるか!バイトじゃないんだから(笑)正規社員の仕事なんだから。まあ、オカルト祈祷師は本当に悪質で当時そいつの財布には万札がぱんぱんにはいっていて、僕は「このオカルト祈祷師どれだけひとを騙してきたんだ?」と首をひねった。
病院の主治医も馬鹿で「そういうことには関与しない」等と他人ごとで(まあ、本当に他人ごとですがね(笑))まあ、当時の主治医も悪い。僕はのちに「ああいうのが米沢市にいるのは悪質だ」と仮名で警察に告発書面を送った。
そのオカルト祈祷師は関西のおばはんで何で関西人が米沢市にいるの!と今思えば怒りだけなんだけど。ああいうのはいかにも関西人ですし、関西人的錬金術ですよね。でも、今回は死人も出たからニュースになり逮捕されたけど、現実は、憲法の宗教の自由との絡みで警察も「不介入」で、野放し状態ですから「神に祈祷したって病気は治らない。病気なら病院に行け!処方薬の薬を飲め!」という当たり前のことを頭にいれて学校でも役所でも警察も広報することですね。
 今回の病死した少年は可哀想だけど、騙すインチキ祈祷師が全部悪いんですよ。病気など祈祷で治る訳ないんですから。100%。インチキ祈祷師もヤクザと同じだとして警察で取締りして欲しい。悪質だから。それが願いです。

  緑川鷲羽・45歳・フリージャーナリスト・山形県米沢市



大前研一著作『低欲望社会「大志なき時代」の新・国富論』小学館出版<救国の新世紀維新>

2015年11月26日 14時06分31秒 | 日記










大前研一著作『低欲望社会「大志なき時代」の新・国富論』小学館出版
<「皆が等しく貧乏になる国」で本当にいいのか?高齢化と人口減少が加速する中で“欲のない若者”は増え続ける――ピケティもクルーグマンもこの国の現実がわかってない>
緑川鷲羽まとめ<2015年4月30日>(C)大前研一

はじめに「坂の上の雲」を見なくなった日本人

 「株価2万円」に浮かれている場合ではない

2015年3月下旬には00年4月以来15年ぶりに日経平均株価が1万8700円まで回復し、マスコミには「2万円台へ」という文字が躍った。だが、浮かれている場合ではない。
「山高ければ谷多し」というのが株式市場だ。
では、株価はどこで下げに転じるのか? それは基本的に企業のPER(株価収益率。時価総額÷純利益)やEBIT(他人資本を含む資本に対してどの程度の付加価値を創出したかを示す値。税引前当期純利益+支払利息-受取利息)などの指標で判断しなければならない。たとえば、PERは一般的に15倍を下回ると割安、20倍を上回ると割高とされているが、すでに15年2月末時点で東証1部上場企業のPERは19・7倍(金融業を除くと20・4倍)に達している。
しかし、企業の業績が株価に見合うほど良くなっているわけではない。株価上昇は罠だ。トヨタでさえ純利益は前年比16・8%増だ。
つまり、その企業に成長性があり、将来はこれくらいまで利益を稼ぐだろうという予測のもとに、投資家は株を買うのである。日本の株価は身の丈に合っていない。“偽りの相場”にほかならない。
では、なぜエコノミストたちの経済予測は当たらないのか?
結論から言うと現実を知らないからだが、安倍政権となってエコノミストや経営者などやエリート官僚がいろいろな策を次から次へと打ち出したが全部駄目だったのも「現実を知らない」からである。
安倍晋三首相は「有効求人倍率は22年ぶりの高水準」「この春、多くの企業で賃金アップ」などとアベノミクスを誇る。
さらに安倍政権は「株価の上昇は消費につながり、消費が増えれば企業収益が向上して賃金が上昇し、賃金が上がれば消費も増える」という「好循環論」を主張しアベノミクスを正当化した。しかし、日本はアメリカと違って個人がほとんど株を持っていないので、株高で好循環になるという現象は今まで観察されたことがない。株高で賃金が上がる、というのも初耳である。安倍首相の堂々たる演説原稿を誰が書いたのかは知らないが、日本経済の構造を恐ろしいほど知らないことを露呈している。

   世界に類のない「低欲望社会」が出現

安倍政権は危ない。なぜ危ないか?現実政治や現実経済政策などわかっていないからである。アベノミクスを推進してきた経済政策のブレーン、内閣参与の浜田宏一・米エール大学名誉教授や本田悦朗・静岡県立大学教授、さらにノーベル経済学者のクルーグマンなどが、インフレターゲット論などで景気を悪くした。もはや21世紀の日本経済には20世紀の経済対策は当てはまらない。「低欲望時代」というと、多くのひとは、
「デフレで不景気だから仕方ない。景気が回復したらみんなが安心して浪費するだろう」
と、思うと思う。
だが、日本で進行しているのは、そんな一過性の現象ではない。
たしかに、もはやかつての高度経済成長やバブルのような好景気はありえない。だが、不況だからとか、デフレだからとか、時代が、とか政策が悪くて…などといった意味での「低欲望社会」ではない。日本人の若者のDNAが変異した、としか思えないのだ。
「フラット35」という金利が1%台で史上最低金利で35年間固定金利という住宅でも買う人が少ない。アメリカやフランスやイギリスや先進国や途上国でも5%で35年間固定金利でも予約が殺到する。日本人の若者はリーダーとなりたくないし、社長にもオーナーにも監督にもプロデューサーにもディレクターにもならない。昔なら結婚もマイカーも新築一戸建ての家の建築も、団塊世代、団塊ジュニア世代はローンを組んででもやった。いわゆる“肉食系”であり、欲望も夢も大きかった。
「同じ人間が出来る事なら不可能はない」と皆が思っていた。
だが、今の35歳以下の世代はいわゆる「失われた20年」で、子供のころから不況で、好景気をしらない。また、バブル世代の親を「反面教師」にまでしている。
借金やローンを組んでまでマイカーやマイハウスはいらない、等と平気で言う。
携帯世代の彼らは、スマホでネットに繋がるがパソコンを買わず、電話回線やネット回線も自宅に引いていない。スマホでことが足りるからだ。
パソコンが出来ないわけではなく、職場や学校やネットカフェでは器用に使いこなす。
要するに貧乏や食糧難が身についている太平洋戦争時の子供ににている。
ニートや引籠りやうつ病、コンビニで500円の弁当で済ます。多くて一日千円でおわる。
なんとも情けないくらい志も夢もない。
志もなく夢もなく、さらに社会常識もなく、道徳もない。悲惨な若者(まともなひとも多いだろうが)が大手をふって跋扈しているのである。

   ピケティの『21世紀の資本』をどうよむか?

ピケティはいわゆるビックデータを際限なく分析している。
だが、結論からいうと当たり前の話しか書いていない。資産があるものが投資して資産を増やす、資産がないものは働く……富める者はますます冨み、貧しい者は置いてけぼりを食らってますます貧しくなるというのは、資本主義の下では当然の帰結である。
ピケティのいう「累進課税」「お金持ち増税」等夢物語で「理想論」であり、累進課税よりフラット課税や付加価値税であろう。
「お金持ち大増税」はヤル気がなくなるし、意味があまりわからない。
やはりピケティは日本については勉強不足である。
確かに彼の言うように海外では格差が広がっているのだろう。いわば宮殿のような豪邸の資産家とホームレスやバラックのスラム街…というイメージだ。
だが、日本国内でホームレスが日本国中にうろつき、スラム街が無数に青森県や北海道や、愛媛県や鹿児島にひろがっているのか?という当たり前の疑問だ。
日本は「誰もが等しく貧乏になる国」なのである。それでいいのか?ということ。
資産課税は一律フラットにする。消費税は10%増税し、24~28%にする。歳出削減も厳格にする。ただし、最終的な消費に対して課税する消費税ではなく、経済活動に伴って発生する付加価値(富の創出)に対し、すべての流通段階で一律に広く課税する付加価値税(VAT/Value Tax)を導入するべきだ。その税額を10%とすれば、日本の付加価値の総額≒GDPが約500兆円だから、税収は50兆円になる。
消費税よりずっとよい税収元だ。
あと、日本のマスコミが流す「ちょい高」ブームは、単なるプロパガンダ(大衆操作)でしかない。逆に高いステーキを食べたら他の費用を削ろうとするだけ。日本には本当の金持ちはごく少数だ。1%もないのではないか?
 日本人の最大の問題は実は「景気・経済政策」でも「外交交渉」でもなく、少子高齢化による「人口減少」問題である。
何が問題か?といえば介護する人間や老人を負担する人口が減れば、介護だけでなく警察や役所や病院などの役所行政機関、ビジネスの労働者、教育産業、サービス産業など大打撃を受けるからである。このままいけば、今後30年、40年経ても日本の労働人口(15~64歳)は増えず、高齢化だけが進むことが確実に予想できる。
ここまでの人口減少を経験した国は未だかつてないのもかかわらず、日本政府はそれを克服するための抜本的な対策を何も打ってこなかった。
人口減少が予想されれば、移民導入とか、フランスやスウェーデンのように子供をたくさん産むことができるように手厚い育児給付金を出したり税金を優遇したりしている。
米沢市でもそうしたい。
また戸籍制度もよくない。
例えば女性が妊娠したとする。そこで日本では事実婚や同性婚が認められていない為に、ケースとしては三つある。一は「できちゃった結婚」、二は「堕胎」、三は「シングルマザー」。だが、圧倒的に堕胎が多い。これも少子化の一例だ。フランスや北欧では40年以上前に戸籍制度をなくしている。戸籍制度があるのは日本と中国と韓国ぐらいだ。
とにかく団塊ジュニアの次の世代がいない。団塊の世代が年金生活者に突入したことで一層の社会保障費が赤字垂れ流しになるだろう。なら、北欧やフランスのような国に日本を変革するしかない。だが、今のような官僚天国で東京の“霞が関幕府(高級官僚)”がこの世の春を謳歌している現状では、よほどの強力なリーダーでも登場しない限り、維新も変革もイノベーションすら無理だ。
安倍政権は官僚のパペット政権で「官僚主導」「官僚に問題を丸投げ」するだけ。
結果として各官僚機関の省益だけが優先される。
官僚の官僚による官僚の為の国家・日本、である。

   高齢者・女性活用でもカバーできない

もともと60歳定年のままであれば、年間80万人が減少する予定だったが、今は40万人程度の減少にとどまっている。つまり、単純計算すれば、年間約40万人は60歳を過ぎても働き続けているということになる。
しかし、高齢者や女性を活用していっても、2030年には約300万人不足、2060年には約1800万人も不足する計算になる。この数字をどうするか?移民?産めよ育てよ運動?
また経済縮小を食い止めるには、人口減少の著しい地方を活性化しなければならないが、無理だ。ひとが足りない。このままではハイパーインフレとデフォルト(日本国債の債務不履行)になってしまう。日本国が没落しスペインやポルトガルやギリシャのようになる。

   フランスは子供が多いほど家計にプラス

日本では、保育実費と大学の学費だけで1人500万円ほどの費用がかかるのに対して、育児給付はそれをカバーできず、合計すると出費のほうが多くなる。第三子となると、育児給付が割り増しになるため若干改善されるが、それでも72万円のマイナスである。
かたやフランスは、大学の学費がほぼ免除されるため、出費が大幅に抑えられる。しかも育児給付は第二子、第三子と子供の数が増えれば増えるほど相当の金額の給付が増加される上、いわゆる「N分のN乗」方式(*後述)によって子供の数が増えるにしたがって所得税が減税されていくため、仮に子供を3人育てると、合わせて1745万円も家計にプラスになる計算だ。
<*「N分のN乗」方式/子供の数が増えれば増えるほど軽減される所得税の課税方式。世帯の所得をいったん家族の人数(N)で割り、適用になる税率を算出し、その後、改めて家族人数を掛けて納税率を決める。>
また、マイナンバー制度はバルト三国のエストニアのeコマースビジネスモデルとは似て非なるものであり、「税金の無駄」でしかない。エストニアの例は後述するが、マイナンバー制度はまたしても「お役所仕事」的で、意味がない。国民番号制度ではなく、大前研一先生が25年以上前から御提唱なされた「国民番号制度」とは似て非なるものだ。
おそらくうまくいかないだろう、と先生は仰る。
とにかく「子育てするなら日本で米沢市で」なら「N分のN乗」方式は導入するしかないですよね。農業は後述するオランダ・モデルで!
 日本の移民は1%しかいない。だが、日本で移民政策をしたら失敗するのは目に見えていますね。人種差別国家ですから(笑)アメリカやシンガポールのようにはいきません。
フランスやドイツでも大失敗しています。
「優秀な移民だけを受け入れる」等だったらいいのですが、そんな都合のいい風にいけばどの国も苦労しませんよね(笑)まあ、看護師や介護士やヘルパーやメイドはフィリピンやタイやインドネシアから“輸入”することです。英語教員も日本語の教員資格がなくてもOKにする。規制緩和ですね。
あとは、若い人に夢と希望を与えることだ。彼らが日本の未来は明るい、自分たちの将来は今よりずっとよくなる、と信じられる明確な国家ビジョンを示し、我々が“坂の上の雲”を見てがむしゃらに働いていた時代のような興奮感を醸成する必要があると思う。
ケネディやレーガンがやったような。

    スキルをがむしゃらに身につけ向上しなければ路頭に迷う社会へ

 今の日本には「プア充」が広がっている。だが、「清貧」とは全く違う。
「皆が貧乏でもいい」「皆と同じでいい」などという社会は亡国の途だ。ハッキリ「やせ我慢」といってもいい。貧乏でいい訳がない。努力して億万長者になり、社会成功でなければ誰も努力しない。お金ですべてが買えるわけではないがお金こそ「悩みをクリヤーにする最強の武器」だ。「猛烈に働き、億万長者に!なんてダサい」「苦労は買ってでもせよ!なんてださださ」そんな社会はクズである。
また、この国の元凶は「でしゃばり老人」による「老害」であり、35歳以下の低欲望社会人である。どちらもやめて欲しい。
老害と言えば政治界、経済界と老人ばかり、だ。
優秀ならいいが、ほとんどはボケがはじまったのでは?(笑)と思えるような老人が多い。
億万長者や社会成功者を目指さない社会体制も変だ。勝つのは誰でも気持ちがいい筈。


    アベノミクスの大失敗「アベノミクスの正体・瓦解策」

 よく安倍晋三首相がアベノミクス(安倍首相の経済政策)というが、すでに策は出尽くした感がある。まず第一の矢「異次元の金融緩和」は日銀が札束を刷りまくってお金じゃぶじゃぶにすれば確かに円安になるだろうし、インフレになるだろう。だが、いつまで給油しながら日本国の車のアクセルを踏み続けるか?だ。ここからは国債暴落(=日銀の破綻)が先か、経済が劇的に回復するのが先か。出口戦略など黒田東彦総裁にある訳はない。この状況で出口戦略が思いつくならまさに天才だ。
第二の矢、20兆円の「経済対策」の効果は公共工事以外に観るべきものはない。
第三の矢、「成長戦略」なども効果はない。私は安倍政権の賞味期限はもうとっくの昔にきれていると考えている。やらなければならないのは「国の仕組みを変える“道州制”」で、地方に権限も財源も移行するまさに『救国の新世紀維新』である。
自主財源も権限もない今の地方自治体のままで、夢みたいなことを幾ら語ったって、実現できない。夢物語の地方版マニュフェストも「慰め」以上の効果はない。
いくら維新だの改革だのいっても、政策や法案を官僚任せならまるでブラックジョークでしかない。トップが将軍から天皇に替わっただけの明治維新より酷い。

   優れたトップはひとつのことだけを言う

駄目な会社の経営者は、改善策を10も20も並べ立て、それらを全部やらせようと檄を飛ばす。しかし、社員は次々に出される指示に追いつけなくなり、結局は何も実現しない。
悪いコンサルタントも同じだ。いいコンサルタントは改善点を一つに絞り込み、その改善点だけを提案する。改善点が20あったら最も効果のある重要項目を戦略を提示するのである。だが、駄目なコンサルタントは何十項目も改善点を列挙して、提示するだけ。
この駄目なコンサルタントをどこかでみたことがないだろうか? そう、まさに今の安倍政権である。
安倍政権は異次元の金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略という「三本の矢」によるアベノミクスを掲げ、実に様々な政策を打ち出した。しかし、とどのつまり終着点はさっぱりわからず、何の効果も成果もあげていない。
では、安倍政権の「三つの本質」を挙げてみよう。
ひとつは「証拠もないのに言い切る」という安倍首相の傾向だ。
「福島第一原発の汚染水の制御」や「経済政策」など、いい加減に理解もせずに「だいじょうぶです」「心配はいりません」「制御可能です」などという。2015年5月14日、安倍首相の集団的自衛権の閣議決定で、驚くのは安倍首相は「根拠もなく言い切る」癖がまた出た事。官僚の作文を棒読みしているだけだが、「戦争は絶対にしない」「戦闘状態にはならない。戦闘行為はしない」。なら、攻撃されても反撃せず死ぬのか?何処の馬鹿官僚の作文だ?
だが、難しいことは官僚任せで、官僚の作文を棒読みしているだけなので、大丈夫(笑)な訳はない(笑)安倍政権は民主党政権より安定して見えるのは官僚にすべて丸投げして、官僚の好き勝手にさせて「政権安定」を演じているだけでしかない。
多くの人は2020年の東京オリンピックで景気が回復する、という。今の日本のような成熟国では、競技や選手村、交通網などを整備する公共工事に税金を注ぎ込んだ分だけの経済効果しかない。要するに安倍首相は、明るい話をして、そのアナウンス効果で景気浮揚を図っているにすぎないのだ。
ふたつは、数えきれないほどの政策を戦略もなく打ちだすこと。駄目コンと同じと前述したが、まさに駄目な見本だ。自民党は節操もないノイジーマイノリティ(騒がしい少数派)の利権政策デパートだから、野党はそのサービス力に勝てない。
だが、民主党政権ももう少し官僚を利用するやり方や戦略さえあれば、あれだけ大失敗もしなかったろう。それにしても安倍政権は無意味な意味不明な政策を乱発している。
みっつが「官僚主義」「官僚主導」「官僚へのすべての丸投げ」と官僚独裁国家である。安倍政権は官僚にコントロールされることで安定化をとりあえず図っている。
思えば第一次安倍政権は完全なる“反官僚”“対官僚”だったから、すぐに大臣が不祥事や病気で辞めたり、政権の崩壊も早かった。まさに安倍晋三氏自身のように「頭も体も心も弱い(CIAの安倍晋三氏の分析)」だった(笑)。その当時と比べて安倍氏が人物になった、とか、キャリアを重ねて政治家としてよくなった、とかではけしてない。
官僚にすべて全部任せて丸投げして「安倍政権は安定している」と芝居を打っているにすぎないのだ。
会社で最も嫌われる上司はどんなタイプか?英語で「マイクロ・マネージャー」すなわち、部下の行動を箸の上げ下ろしまで細かくチェックして、いちいち文句をつける上司である。
部下には意思決定をいっさい任せず、報告書や領収書の瑕疵といった些細な点まで重箱の隅をつつくように管理・干渉することを、否定的な意味をこめて英語で「マイクロ・マネージメント」というのである。
そんな「マイクロ・マネージメント」の典型が安倍政権だ。
日本は完全なる「計画経済国家」と成り果てた。
例えば子供が五歳であるとすると、それからストレートで大学を卒業するまでに17年間、30歳になるまでに25年間もある。その間ずっと領収書をもらって毎年、金融機関に提出しなければならないわけだ。
さらにいえば、子供がスポーツ選手を目指している場合、野球観戦は教育費ではないか?ゲームのプログラマ志望の子供のゲーム代は教育費ではないのか?ディズニーリゾートは教育費じゃないのか?だいたいにして特例的に贈与税や相続税を減税する、というならお金の使い道に条件をつけるのは大きな間違いだ。
そのお金でゲームソフトを買おうが、映画を見ようが、個人の自由である。
あえてお教えすれば「特区」というのも、官僚のおめこぼしというか(笑)実際には官僚がやりたくないが…という事業をあえて認めるのが「特区」制度というものなのだ。
「残業代ゼロ法案」など余計なお世話であるし、「地方創生」などというが地方には自主財源も権限もない。お金をばらまく以外どうしようというのか?
本社を地方に…等馬鹿馬鹿しい。都会で墨田区や湾岸部に本社や営業機能があっても、不便を感じるのが日本の実情だ。東京圏でさえ不便なのに、田舎に本社など移す会社などあるわけない。つまり、現実を知らないとしか思えない。
石破さんはその辺をわかったうえで、地方創生大臣を引き受けたというが、損な役だ。

       女性の活躍できる女性の輝ける社会に!


「配偶者控除」をありがたがるな、と言いたい。夫の所得から課税する分を38万円減らして所得税が安くなる。いわゆる「103万円の壁」だ。このままでいい訳はないが、「廃止する」といえば政治家なら選挙で落選するだろう。国民は「〇〇控除」「〇〇手当」をありがたがり、国から「恵んでもらう」ことが当たり前のようになっているが、そもそもそんなメンタリティ(精神性)のままでは何の改革も維新も創造できない。
女性の社会進出も、要は「家庭内総合課税」か「夫婦別々課税」か?である。
もし、女性を男性と完全に同格にして本当に活用するとともに公平な税負担を実現したいなら方法はそのふたつでしかない。
一つは「家庭内総合課税」である。つまり、一世帯を形成している人たちの中で働いている人の収入は全部合計して“連結決算”にするのだ。そして、その総収入については、現在の日本で最も多い単身世帯の人たちよりも税率を5%なり10%なり低くするという方法だ。ドイツなどは、この税制を導入している。
もう一つは「夫婦別々課税」だ。いま日本では女性のライフコースが非常に多様化している。昔の女性のライフコースは、学校を卒業→就職→結婚→出産→専業主婦か共稼ぎ、もしくは子育てが終わってから再就職、という具合にほとんど単一的だった。しかし、最近の女性のライフコースを調べると、未婚化・晩婚化・離婚・死別などの増加によってワーキングシングル、プラチナ(リタイア)シングル、DINKS(Double Income No Kids)、DEWKS(Double Employed With Kids)、リターナー(子育て後の復職層)、シニア共稼ぎ夫婦、専業主婦、プラチナ夫婦など10以上のパターンに分かれているのだ。
現在以上に女性の社会進出を加速させていくのなら、多様なライフコースに対応した働き方ができるような仕組みを整えると同時に、夫婦別々課税、すなわち夫も妻もそれぞれ単身で独立して稼いだとみなし、夫婦世帯でも単身世帯と同水準の高い税率や保険料負担などを課すのもやむをえないと思う。そうすることで働いている女性たちが税金や年金・保険を自分で払うので、離婚などの自由度も大幅に拡大する。
アメリカでは、全世帯の49%を占める共稼ぎ世帯の場合、女性の方が給与が高い世帯が25%もあるという。日本もそうなるだろう。
そして、江戸時代よりも重い国民税負担率に怒れ、ということ。官僚や役人が北欧や欧米に比べて日本人の税負担率は軽い、というが嘘であり、ペテンである。日本人のひとりあたりの国民税負担率は52%である。だが、北欧や欧米ではそれと同じ負担の国もあるが、北欧などは大学までの学費や医療費も介護料金も無料である。
あと、確かにモラトリアム法案は廃止されたが、銀行は政府から「会社を潰すな」と言われている為に、本来潰れるべき会社が「ゾンビの如く」うようよ彷徨っている。
つまり、それだけ納税者は負担が重くなることだということだが、国民はわかってない。
「戦後って何?」「更地って何?」「詔って何?」「携帯の基地局って何?」という劣化した国民が理解出来ないのも理解できるが、何とも情けない。
まさかと思うが「日本国の初代内閣総理大臣」が誰か?は流石にわかるだろうなあ(笑)。
それといっておくが、日本国民が個人金融資産を1600兆円もっていたり、日本の企業の内部留保が270兆円~320兆円あるのはみなさんご存じの通りで、ある。
しかし、じゃあ「大量の内部留保」を抱えた企業は「守銭奴」なのか?(笑)
そんな訳はない(安倍政権での麻生財務大臣が本当に言った(笑))。単純に説明すれば、日本の大企業が何故それだけの巨額な内部留保を抱えているか?は、まずは海外でのM&A(企業買収と合併)の費用と、「株主への3%時価配当」の費用なんです。
現在の日本には投資先があまりないんですよね。海外投資は2つの利点があって、1つは人件費です。中国人の人件費は日本人の三十分の一、バングラディシュは日に400円、エチオピアは月1200円…。もう1つは、市場開拓(市場拠点の開発)です。
日本に海外の工場が戻ってくる(いわゆる「Jカーブ」)等絶対にありえません。
仮に海外の一万人規模の工場を日本国内に戻して、どうやって一万人のブルーカラーの日本人従業員を集めるのですか?皆、工場労働が嫌だ、というのに。世界一の少子高齢化社会日本でどうやって?人件費の問題は?だから夢物語だというんです。
それと法人税や相続税や贈与税や所得税はほとんどの国でゼロ%です。日本みたいな成熟国が20%の法人税に!とやっても20%足らずではインセンティブ(動機づけ)にならない。
普通ゼロなんです。逆に言えば法人税をあげた方が「税でとられるくらいなら給与を増やそう」、とか、「新規店舗を出そう」、とか、そういうインセンティブ(笑)がありますね。
まあ、会社やひともそれぞれありますがね(笑)人生いろいろ(笑)
ハイパーインフレを防ぐ対策は(1)戦争を起こす(2)ギリシャのように歳出を40%削減する(3)消費税を20%にする、のいずれかだけです。
イギリスやアメリカのような(サッチャーやレーガンのような)優れた改革者リーダーが出現するか、北欧みたいな国民運動で高福祉高負担国家へ進化するか…どちらも無理っぽいですねえ。橋下徹さんも細野豪志さんもそれだけの器があるのか?ないと思う。
一番日本の末路に近いのはスペインやポルトガルのように徐々に没落して悲惨な国になるパターンですよね(笑)それは嫌だ!維新や改革しよう!と思う日本人が多ければいいのですが(笑)劣化が激しい国ですからねえ(笑)
「日本の成長戦略」に関しては別の項で大前先生や私が書いていますが、都会の容積率倍増などですね。あと、田舎に住みたいというひとたちは確実にいます。が、ネックになるのが職業や鉄道やバスなどの交通インフラなどですね。
だが、どうせ田舎で暮らしているひとは老人か負け組です。
皆が東京や大阪に行くのは交通網が便利で職業もいろいろあるからです。インターネットがあれば田舎でも仕事ができるじゃないか、等いかにも書生論ですよね(笑)
基地はいらない、戦争をしなければいい、も当たり前ながら書生論(笑)勝手に基地はいらないし戦争もしないと決めてもミサイルを撃ち込まれればおわりですから(笑)
話がそれた。
どうせ田舎に住むような物好きはいないのだから「都心回帰した人が週末に田舎で遊べる」システムをつくるほうが正しい戦略だと思う。新幹線をつかえば1時間2時間で、静岡や伊豆や北陸や米沢や福島、栃木や茨城、山梨、長野、仙台、と近い。鉄道会社と共同で定期の(ウィークエンド)キップなどを誘致するとか。あるいはアジアの富裕層を狙って日本の田舎を「終の棲家」にしてもらう、とか。
田舎のリゾート化はハワイやオーストラリア等で顕著ですし学ぶなら今ですね。
また、TPPにしろ農業改革にしろ、農協(JA)や減反を廃止しても補助金漬けなら同じことです。政府自民党は農業など守っていませんよ。「農業利権」を守っているだけです(笑)
だから農水省は農業漁民省な訳です。
だからこそ農水省を廃止して「食糧省」を創設するべきなんです。
日本人がベトナムやオーストラリアやタイで大規模農業や大規模酪農をやって、日本へ逆に輸出する。十分可能だし、日本政府が補助金出せば十分計画として行けます。
“食糧安保”だのいまだに言うひとがいますが馬鹿ですね。石油が180日分備蓄している、コメは一年分備蓄している、では日本国が完全に兵糧攻めされたら一日でおわりなんじゃないでしょうか?何も食料も原材料もこなければ「付加価値加工産業国・日本」は成り立たないですから。だいたいにしてどの何という国が日本国を兵糧攻めにするのですか?中国ですか?アメリカですか?韓国ですか?北朝鮮ですか?だから馬鹿だ、というんです。
「農業改革」で言うならオランダ・モデルでしかない。いわゆる攻めの農業です。
オランダ(ネーデルランド)はEUに加盟して、農業の市場が一気に競争原理にさらされたんです。
いまの日本の農業はどうなっているか?前にコメが補助金漬けの上に778%もの関税で守られていることなどを説明したが、このままでは競争力のない日本の農業が世界の中で生き残っていけないことは火を見るより明らかだ。
私が考える農業改革のモデルはオランダだ。国土面積が日本の九州とほぼ同じで人口1686万人の小国だが、実はアメリカに次ぐ世界第二位の約10兆円もの農業輸出国だ(日本の農業輸出額は4000億円でしかない)。なぜブラジルやアルゼンチン、中国、カナダ、オーストラリアなどの国土大国よりも輸出で稼げるのか?
きっかけは国境なきEC(ヨーロッパ共同体・現在のEU・ヨーロッパ連合の前身)の誕生だ。1986年にスペインとポルトガルがECに加盟したことで両国から無関税で安価な農産物が入ってくるようになり、競争力の低いオランダの農民は窮地に立たされた。危機感を抱いたオランダは、まさに“選択と集中”で施設園芸にフォーカスするとともに、農業を農民中心に考えずに「産業」と捉えて地域別に農地と生産品目を集約するなどの改革を断行し、付加価値(=競争力)の高い「クオリティ農業」にシフトして躍進したのである。
いかに「コメ偏重」から脱するか。日本は「コメをつくっていけば食べていける」ようにしたため国際競争力を失ってしまったのである。いわば粗鋼生産だけ続けて自動車を作っていないようなものである。今後はもっと付加価値の高い果実、酪農、葉物野菜、花卉(かき)類などにシフトしなければならない。
そもそも食糧自給率を中心に考えたら、このグローバル社会では競争力はつかない。食糧は世界の最適地で作ればいいのである。輸入できるものであれば、食料は海外の様々な国から輸入できる。実際、オランダは世界第二位の農業輸出国でありながら、穀物の自給率は14%で日本の半分だ。つまり、オランダは足りない食料は世界で最も競争力のある国から安価なものを、安全・安心さえ担保されていれば、平気で輸入しているわけだ。
馬鹿げた「食料自給率維持」と「食糧安保」で、日本の農家はどうなったか?
農家は兼業農家が約100万戸で7割以上に達し、水田作の経営者が132万人で6割余りを占めている。要するに、コメをつくっている兼業農家が大多数なのである。
(1)「自由化」だ。農業保護をやめるとともに、農業・自然・食品安全省(日本で言えば農水省)を解体して経済省(日本で言えば経済産業省)に統合し、農業部、酪農部、水産部、という三つの部局にした。農業も産業だ、ということだ。
(2)「選択と集中」だ。高付加価値農産物にフォーカスして、農業を集約したのである。米沢市でいうなら米沢牛やさくらんぼやラ・フランスやブドウ、リンゴ等に特化する訳だ。
(3)「イノベーション」だ。ITを活用したスマートアグリを展開するとともに、農業大学などを中心とした食料の産業クラスター(集団)、いわば農業のシリコンバレー化をした。食品関連会社約1400社、化学関連会社約70社、研究者約1万人が集まり、日本からもキッコーマンや日本水産、サントリーなどが進出している。
その結果、オランダ農業は特定産品で際立った強みを持つようになった。主な農作物の輸出上位国を見ると、ボリューム型の小麦やトウモロコシ、大豆などはアメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチンなどの広大な農地を生かして規模を追求する国が上位を占めているのに対し、付加価値を追求するクオリティ農業ではオランダがジャガイモと花卉(かき)類で世界第一位、トマトでメキシコについで世界第二位になっているのだ。
さらにオランダは“ずるい”ことに、国内で生産した農作物を輸出するだけでなく、海外から輸入してきた農作物を加工して輸出する「加工輸出」や、輸入したものをそのまま輸出する「中継貿易」、あるいはオランダに物理的には持ち込まないで産地から顧客に直接発送するエクスチェンジ(電子市場)でも稼いでいる。ココアを50か国から輸入し、チョコレートに加工して輸出、安い国の牛乳を輸入して付加価値が約14倍ものチーズに加工して輸出している。これぞ「農業維新」で、ある。


    成長戦略としての「教育改革」

日本の教育は未だに大量生産・大量消費型教育である。「いい人材は?」ときくと、決まって「東大や京都大学やMITやハーバード大学を出た“学歴エリート”」と答える。
大学を出ていれば優れている訳ではない筈だが、大企業の採用基準も“大卒”だからだ。
こんな国で「突出した人間」「天才」を生み出すのは難しい。僕などは艱難辛苦で25年間も努力したからこその「世界的な視野・世界観」であって、ド素人の馬鹿に文句いわれる筋合い等ないし、馬鹿扱いなどされない。「大志」をなくした内向きの若者や、悪口だけの輩などとは違う。世界で戦える傑出した人材育成が重要だ。
日本は大学が多すぎる。減らして、英語授業、ディベート授業、創造力開発、世界に遊学、といこう!だが、大学のランクは学歴や偏差値ではない。「卒業生の給与」でランク付けされるべきだ。儲からなければ意味がない。世界は真面目なだけのひとや協調性だけのひとなど求めていない。アップル社のステーヴ・ジョヴズやアマゾン創業者ジェフ・べゾスのような「シェーカーズ・アンド・シェーパーズ」(世の中を揺さぶって変革する人)を求めているのだ。
ドイツの「デュアルシステム」を参考としたい。
つまり、人材こそ国の宝、という観念から高校生か大学生で「2年間以上職業訓練」をするのだ。その結果、ドイツではいわゆる「雇用のミスマッチ」は解消された。
高学歴でも儲からない人間は下賤だ。「私は大卒」と誇ってみても現状がうつ病の失業者なら「過去の栄光にしがみついているだけ」だ(本当にこういう人物が存在した。しかも、その眼鏡ブスは高卒者を蔑む。自分が敗北者とも認識できないのだ(笑))。
大卒ならいい訳ではなく、学校は「いかに飯を食うスキルを身につける」か、である。
学歴など馬鹿馬鹿しい。過去の栄光などで飯は食えない。
所詮は学歴タレントがクイズ番組で小銭を稼ぐ程度でしかない。
くだらん。


   今こそシステム全体「国家システム全体」を変革する!

前述したように地方行政機関には自主財源も権限もない。
地方に財源も権限も移してくれなければ何も改革は出来ないのだ。だから、僕は米沢市長になったら(多分、選挙費用が用意できずなれないだろうが(笑))米沢市を「アベノミクス経済農業改革特区」と認定してもらって自主財源やオランダ・モデル「農業改革」、「教育改革」、「経済対策」を断行する。上杉鷹山公の改革を完結させるのだ。米沢市ならできる!
また、市議会議員は「無給」とする。海外では地方議員は「無給」が当たり前だ。
普通にボランティアなのだ。リストラはしないが全役人の給与の4割カット、ボーナスなしで財源をつくる。自主財源『米沢市愛郷税』で、(ウィークエンド定期と)観光財産の整備だ。「子育てするなら米沢市で!」とフランス、スウェーデン方式を実行する!
無駄な第二の市立図書館はつくらないし、出来ても図書館にはしない。観光拠点のひとつの施設にする。アニメの殿堂もつくるし、等身大ガンダム立像もつくる。過去の旧・夕張とは違う戦略で。大前研一先生を米沢市に何度か招聘して、「米沢経済対策」を講う。
マイナンバー制度ではなく、エストニアの「eガバナンス」の凄さは米沢市だけでなく、日本政府日本国内全体でやるべき!
「年金保険DB(データベース)」「住民登録DB」「公務員ポータル」「医療保険DB」「納税DB」をネットでつなぎ、一般市民は「市民ポータル」「国民カード」で閲覧でき、行政は省庁間でバラバラだったDBを一括で管理、国民もパスワードやアカウントやIDアドレスで利用でき「電子納税申告」「電子警察」「電子健康管理」「電子教育」「電子会社登録」「電子駐車場管理」、国民にはICチップ内蔵のカードを発行配布する。職業や氏名や生年月日や病歴や犯罪歴や金融資産や住所や家族配偶者履歴など便利にするエストニア・モデルで維新をするべき!エストニアで出来て世界一の技術大国・日本国で出来ない訳はない。
また、巨大な隣国は「つかってナンボ」である。18歳成人制度で日本は変わる!
日本は10%クオリティ国家になる!とにかく心理を和ませる必要がある。
日本人の個人金融資産は1600兆円、企業の内部留保は270~320兆円である。
1%でも動けば景気は格段に活性化する。
「低欲望社会」という心理社会が、この国の病巣だ。
国はビジョンを示し、未来が明るいことを希望があることをわからせるべき。だが、官僚やサラリーマン政治家、二世三世政治家などに期待しても無駄だ。
やるなら国民運動でしかない。
まず動け!僕も出来る限り動く!皆さんも動いてくれ!改革者政治家への応援や投票でもいい。女性政治家への応援でもいい。まず、動いてくれ!
誰がなっても政治家など同じ、ではない。まずは行動だ!まずは隗より始めよ、である。
行動せねば何も動かない。上杉鷹山公も「為せば成る」というではないか。
                         おわり

勝海舟と徳川慶喜~徳川最後の将軍~<維新回天怒涛篇>ブログ連載小説1

2015年11月26日 07時15分21秒 | 日記






小説
  勝海舟と徳川慶喜
            ~徳川最後の将軍~

                 かつかいしゅうととくがわよしのぶ
                ~開国せよ! 龍馬の師・勝海舟の「日本再生論」。
              慶喜の「幕府幕引き」はいかにしてなったか。~
                ノンフィクション小説
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


          あらすじ

  黒船来航…
  幕末、徳川慶喜は将軍家に生まれてはいなかった。徳川分家の水戸に生まれた。一方の勝海舟は貧乏武士であり、そのため奮起して咸臨丸という船にのってメリケン(アメリカ)に留学して知識を得た。麟太郎の弟子はあの坂本龍馬である。先進国を視察した勝海舟にとって当時の日本はいびつにみえた。勝は幕府を批判していく。だが勝は若き将軍徳川家茂を尊敬していた。しかし、その将軍も死んでしまう。かわりは一橋卿・慶喜であった。勝海舟はなんとかサポートするが、やがて長州藩による蛤御門の変(禁門の変)がおこる。幕府はおこって軍を差し向けるが敗走……龍馬の策によって薩長連合ができ、官軍となるや幕府は遁走しだす。やがて官軍は錦の御旗を掲げ江戸へ迫る。勝は西郷隆盛と会談し、「江戸無血開城」がなる。だが、幕府残党は奥州、蝦夷へ……
 勝海舟は官軍と徳川の間をかけもちしながら生き抜く。そして新政府の”知恵袋”として一生を終える。慶喜は若くてし隠居し、最後まで写真趣味に没頭して死んだ。おわり
         1 立志

  <ウィキペディアからの引用>
徳川 慶喜
Tokugawa yoshinobu.jpg
時代 江戸時代末期 - 大正時代
生誕 天保8年9月29日(1837年10月28日)
死没 大正2年(1913年)11月22日
改名 松平七郎麻呂(幼名)→松平昭致→徳川慶喜
別名 字:子邦
号:興山
通称:一橋慶喜
墓所 谷中霊園
官位 参議、権中納言、正二位・大納言兼
右近衛大将、征夷大将軍、内大臣、
従四位、正二位、従一位(明治政府)
幕府 江戸幕府 15代征夷大将軍
(在任1867年 - 1868年)
氏族 徳川氏
(水戸家→一橋家→将軍家→慶喜家)
父母 父:徳川斉昭
母:吉子女王(有栖川宮織仁親王娘)
養父:徳川昌丸、徳川家茂
兄弟 徳川慶篤、池田慶徳、徳川慶喜、
松平直侯、池田茂政、松平武聰、
徳川昭武、喜連川縄氏、松平昭訓、
松平忠和、土屋挙直、松平喜徳、
松平頼之
義兄弟:徳川茂承、華頂宮博経親王'
妻 正室:一条美賀子
側室:一色須賀、新村信、中根幸、他
子 厚、池田仲博、慶久、誠、
勝精、鏡子、蜂須賀筆子 その他
養子:茂栄、家達

生涯[編集]
幼年期[編集]
天保8年(1837年)9月29日、江戸・小石川の水戸藩邸にて第9代藩主・徳川斉昭の七男として生まれた。 母は正室・吉子女王。幼名は松平七郎麻呂(まつだいら しちろうまろ)。
慶喜は、2代目藩主・光圀に感化され、嫡子以外の男子は国許(水戸)で教育するという斉昭の教育方針に則り、天保9年(1838年)4月(生後7ヶ月)に江戸から水戸に移り、弘化4年(1847年)8月に幕府から一橋徳川家相続の含みで江戸出府を命じられるまで、9年間を同地で過ごした。この間、藩校・弘道館で会沢正志斎らから学問・武術を教授された。慶喜の英邁さは当時から注目されていたようで、斉昭も他家に養子には出さず、長男・慶篤の控えとして暫時手許に置いておこうと考えていた。
一橋家相続[編集]
弘化4年(1847年)8月1日、老中・阿部正弘から水戸藩に七郎麻呂(当時は松平昭致)を御三卿・一橋家の世嗣としたいとの第12代将軍・徳川家慶の思召(意向)が伝えられる。これを受けて七郎麻呂は8月15日に水戸を発ち、9月1日に一橋家を相続。12月1日に家慶から偏諱を賜わり慶喜と名乗る。
家慶は度々一橋邸を訪問するなど、慶喜を将軍継嗣の有力な候補として考えていたが、阿部正弘の諫言を受けて断念している。
将軍継嗣問題[編集]
詳細は「将軍継嗣問題」を参照
嘉永6年(1853年)、黒船来航の混乱の最中に将軍・家慶が病死し、その跡を継いだ第13代将軍・徳川家定は病弱で男子を儲ける見込みがなかったため、将軍継嗣問題が浮上する。慶喜を推す斉昭や阿部正弘、薩摩藩主・島津斉彬ら一橋派と、紀州藩主・徳川慶福を推す彦根藩主・井伊直弼や家定の生母・本寿院を初めとする大奥の南紀派が対立した。
一橋派は阿部正弘、島津斉彬が相次いで亡くなると勢いを失い、安政5年(1858年)に大老となった井伊直弼が裁定し、将軍継嗣は慶福(家茂)と決した。
同年、直弼は勅許を得ずに日米修好通商条約を調印。慶喜は斉昭、福井藩主・松平慶永らと共に登城し直弼を詰問するが、翌・安政6年(1859年)に隠居謹慎処分となる(安政の大獄)。この日は三卿の将軍面会日であり、斉昭や慶永と違って不時登城ではなく罪状は不明のままの処分であった。
なお、慶喜本人は将軍継嗣となることに乗り気ではなかったのか「骨折りは申し訳ないが、天下を取ってから失敗するよりは取らないほうがいい」という内容の手紙を斉昭に送っている。
将軍後見職[編集]

禁裏御守衛総督時代の慶喜
安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変における井伊直弼の死を受け、万延元年(1860年)9月4日に謹慎を解除された。
文久2年(1862年)、島津久光と勅使・大原重徳が薩摩藩兵を伴って江戸に入り、勅命を楯に幕府の首脳人事へ介入、7月6日、慶喜を将軍後見職に、松平春嶽を政事総裁職に任命させることに成功した。慶喜と春嶽は文久の改革と呼ばれる幕政改革を行ない、京都守護職の設置、参勤交代の緩和などを行った。
文久3年(1863年)、攘夷の実行について朝廷と協議するため、徳川家茂が将軍としては230年ぶりに上洛することとなったが、慶喜はこれに先駆けて上洛し、将軍の名代として朝廷との交渉にあたった。慶喜は朝廷に対し、攘夷実行を含めた国政全般を従来通り幕府へ委任するか、政権を朝廷に返上するかの二者択一を迫った。しかし朝廷からは、幕府への大政委任を認める一方で「国事に関しては諸藩に直接命令を下すことがあり得る」との見解が表明され、逆に幕府は攘夷の実行を命じられるなど、交渉は不成功に終わった。春嶽が朝廷の要求に反発して政事総裁職の辞表を出す一方で、慶喜はこれを受け入れる姿勢をとり、江戸の幕閣の猛反発を招いた。しかし攘夷の実行は慶喜の本心ではなく、孝明天皇が石清水八幡宮へ行幸しての攘夷祈願において将軍が天皇から節刀を拝受してしまえば攘夷を決行せざるを得なくなるので「風邪発熱」(仮病)と称して家茂の拝謁を急遽取りやめさせている。
江戸に戻った慶喜は、攘夷拒否を主張する幕閣を押し切り、攘夷の実行方策として横浜港の鎖港方針を確定させる。八月十八日の政変で長州藩を中心とする尊皇攘夷派が排斥されたのち、公武合体派諸候・幕閣による参預会議に参加すべく再び上洛するが、ここでも横浜鎖港に反対する参預諸候の島津久光・松平春嶽らと慶喜は対立した。薩摩藩による朝廷の主導を警戒した慶喜は、参預諸候を朝廷から排除する動きをみせ、中川宮朝彦親王らとの酒席で故意に泥酔し、同席していた伊達宗城、春嶽、久光を罵倒、さらに中川宮に対し「島津からいくらもらっているんだ」などと暴言を発して体制を崩壊に追い込むなど、手段を選ばぬ交渉を行なった。
禁裏御守衛総督[編集]
参預会議解体後の元治元年(1864年)3月25日、慶喜は将軍後見職を辞任し、朝臣的な性格を持つ禁裏御守衛総督に就任した。以降、慶喜は京都にあって武田耕雲斎ら水戸藩執行部や鳥取藩主・池田慶徳、岡山藩主・池田茂政(いずれも水戸家出身で、慶喜とは兄弟)らと提携し、幕府中央から半ば独立した勢力基盤を構築していく。江戸においては、盟友である政事総裁職・松平直克と連携し、朝廷の意向に沿って横浜鎖港を引き続き推進するが、天狗党の乱への対処を巡って幕閣内の対立が激化し、6月に直克は失脚、慶喜が権力の拠り所としていた横浜鎖港路線は事実上頓挫する。
同年7月に起こった禁門の変においては、慶喜は自ら御所守備軍を指揮し、鷹司邸を占領した長州藩軍を攻撃した際は歴代の徳川将軍の中で唯一、戦渦の真っ只中で馬にも乗らず敵と切り結んだ。これを画期として慶喜はそれまでの尊王攘夷派に対する融和的態度を放棄し、会津藩・桑名藩らとの提携が本格化することとなる(一会桑体制)。また老中の本庄宗秀・阿部正外が兵を率いて上洛し、慶喜を江戸へ連行しようとしたが、失敗した。一方、長期化していた天狗党の乱の処理を巡っては、慶喜を支持していた武田耕雲斎ら水戸藩勢力を切り捨てる冷徹さを見せた。それに続く第一次長州征伐が終わると、欧米各国が強硬に要求し、幕府にとり長年の懸案事項であった安政五カ国条約の勅許を得るため奔走した。慶喜は自ら朝廷に対する交渉を行い、最後には自身の切腹とそれに続く家臣の暴発にさえ言及、一昼夜に渡る会議の末に遂に勅許を得ることに成功したが、京都に近い兵庫の開港については勅許を得ることができず、依然懸案事項として残された。
将軍職[編集]

ナポレオン3世から贈られた軍服姿の慶喜
慶応2年(1866年)の第二次長州征伐では、薩摩藩の妨害を抑えて慶喜が長州征伐の勅命を得る。しかし薩長同盟を結んだ薩摩藩の出兵拒否もあり、幕府軍は連敗を喫した。その第二次長州征伐最中の7月20日、将軍・家茂が大坂城で薨去する。慶喜は朝廷に運動して休戦の詔勅を引き出し、会津藩や朝廷上層部の反対を押し切る形で休戦協定の締結に成功する。
家茂の後継として、老中の板倉勝静、小笠原長行は江戸の異論を抑えて慶喜を次期将軍に推した。慶喜はこれを固辞し、8月20日に徳川宗家は相続したものの将軍職就任は拒み続け、12月5日に将軍宣下を受けようやく将軍に就任した。これは言わば恩を売った形で将軍になることで政治を有利に進めていく狙いがあったと言われるが、就任固辞が「政略」によるとみなせる根拠も「政略」説を否定する根拠もないのが実情である。 この頃の慶喜ははっきりと開国を指向するようになっており、将軍職就任の受諾は開国体制への本格的な移行を視野に入れたものであった。
慶喜政権は会津藩・桑名藩の支持のもと、朝廷との密接な連携を特徴としており、慶喜は将軍在職中一度も畿内を離れず、多くの幕臣を上京させるなど、実質的に政権の畿内への移転が推進された。また、慶喜は将軍就任に前後して上級公家から側室を迎えようと画策しており、この間、彼に関白・摂政を兼任させる構想が繰り返し浮上した。 一方、これまで政治的には長く対立関係にあった小栗忠順ら改革派幕閣とも連携し、慶応の改革を推進した。
慶喜はフランス公使・レオン・ロッシュを通じてフランスから240万ドルの援助を受け、横須賀製鉄所や造・修船所を設立し、ジュール・ブリュネを始めとする軍事顧問団を招いて軍制改革を行った。老中の月番制を廃止し、陸軍総裁・海軍総裁・会計総裁・国内事務総裁・外国事務総裁を設置した。また、実弟・昭武をパリ万国博覧会に派遣するなど幕臣子弟の欧州留学も奨励した。兵庫開港問題では朝廷を執拗に説いて勅許を得て、勅許を得ずに兵庫開港を声明した慶喜を糾弾するはずだった薩摩・越前・土佐・宇和島の四侯会議を解散に追い込んだ。
薩長が武力倒幕路線に進むことを予期した慶喜は慶応3年(1867年)10月14日、政権返上を明治天皇に上奏し、翌日勅許された(大政奉還)。従来の通説的見解によれば、慶喜は当時の朝廷に行政能力が無いと判断し、列侯会議を主導する形での徳川政権存続を模索していたとされる。慶喜は緊迫する政治情勢下で内乱の発生を深く懸念しており、大政奉還による政治体制の再編はその打開策であった。
詳細は「大政奉還」を参照
戊辰戦争[編集]
詳細は「戊辰戦争」を参照

大坂を脱出する慶喜を描いた錦絵(月岡芳年画)
大政奉還後の政治体制については諸侯会議によって定められるはずであったが、12月、薩摩藩らは政変により朝廷を制圧し、慶喜を新政府から排除した(王政復古)。慶喜には辞官(内大臣の辞職)と納地(幕府領の返上)が命ぜられた。 慶喜は衝突を避けるべく会津・桑名藩兵とともに大坂城に退去し、諸外国の公使らを集めて自身の正当性を主張した。慶喜は越前藩・土佐藩に運動して辞官納地を温和な形とし、年末には自身の議定就任(新政府への参画)がほぼ確定する。
しかし、翌・慶応4年(1868年)に薩摩藩の挑発に乗った慶喜は、会津・桑名藩兵とともに京都に向け進軍し、薩摩藩兵らとの武力衝突に至る。1月3日に勃発した鳥羽・伏見の戦いにおいて旧幕府軍が敗退し形勢不利になったと見るや、まだ兵力を十分に保持しているにも関わらず、自らが指揮する旧幕府軍の兵に「千兵が最後の一兵になろうとも決して退いてはならぬ」と命を下し、自分は陣中に伴った側近や妾、老中・板倉勝静、老中・酒井忠惇、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬らと共に開陽丸で江戸へ退却した。
軍事的勝利の可能性が十分あったにも関わらず、慶喜がこのような行動を執った動機については幾つかの説がある。近年の説では、慶喜政権が天皇の権威を掌中に収め、それに依拠することによってのみ成立していた政権であったとし、それを他勢力に譲り渡した時点で彼の政治生命は潰え、一連の退却行動に繋がったとする。また、慶喜は鳥羽・伏見の戦いでの撤退原因について、薩摩を討つ覚悟はあっても、天皇(を擁した官軍)に対峙する覚悟が無かったとする説もある。
間もなく、慶喜を朝敵とする追討令が正式に下り、東征大総督・有栖川宮熾仁親王に率いられた新政府軍が東征を開始する。慶喜は、小栗忠順を初めとする抗戦派を抑えて朝廷への恭順を主張。2月には勝海舟に事態収拾を一任して自らは上野の寛永寺大慈院において謹慎する。また、徳川宗家の家督は養子である田安亀之助(後の徳川家達)に譲ることになった。
江戸総攻撃の前に行なわれた海舟と新政府軍参謀・西郷隆盛との交渉により江戸城は4月11日に新政府軍に明け渡された。彰義隊や旧幕臣の暴発を恐れた慶喜は4月11日午前3時に寛永寺大慈院を出て水戸へ向かった。水戸では弘道館の至善堂にて引き続き謹慎した後、7月に徳川家が駿府に移封されると、慶喜も駿河の宝台院に移って謹慎した。これにより、徳川家による政権は幕を閉じた。
以後、幕府制度や征夷大将軍の官職は復活することはなく、慶喜は日本史上最後の征夷大将軍となった。
余生[編集]

晩年の慶喜
明治2年(1869年)9月、戊辰戦争の終結を受けて謹慎を解除され、引き続き、駿府改め静岡に居住した。生存中に将軍職を退いたのは11代・家斉以来であるが、過去に大御所として政治権力を握った元将軍達とは違い、政治的野心は全く持たず、潤沢な隠居手当を元手に写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲など趣味に没頭する生活を送り、「ケイキ様」と呼ばれて静岡の人々から親しまれた。
明治30年(1897年)11月に東京の巣鴨に移り住む。翌年には有栖川宮威仁親王の仲介により、皇居となった旧江戸城に参内して明治天皇に拝謁もしている。
明治34年(1901年)12月に小石川区小日向第六天町(現在の文京区春日2丁目)の高台の屋敷に転居し、ここが終焉の地となった。現在、敷地の大半は国際仏教学大学院大学になっている。明治35年(1902年)には公爵に叙せられ、徳川宗家とは別に徳川慶喜家を興し、貴族院議員にも就いて、35年振りに政治に携わることになった。
明治43年(1910年)12月8日、七男の慶久に家督を譲って貴族院議員を辞し、隠居。再び趣味に没頭する生活をおくる。
大正2年(1913年)11月22日、感冒(急性肺炎を併発した)にて死去。享年77(満76歳25日)。徳川歴代将軍としては最長命であった。
年譜[編集]
※明治5年までは天保暦長暦の月日表記。
弘化4年(1847年)
9月1日、一橋家を相続する。
12月1日、慶喜に改名。同日、従三位・左近衛権中将兼刑部卿叙任。
安政2年(1855年)12月3日、一条忠香の養女・美賀と結婚。参議に補任。
安政4年(1857年)、徳川家定の後継問題で有力候補となる。
安政6年(1859年)8月27日、安政の大獄において隠居謹慎蟄居の処分を受ける。
万延元年(1860年)9月4日、隠居謹慎蟄居解除。
文久2年(1862年)
7月6日、一橋家を再相続。同日、(勅命を受け)将軍後見職就任。
11月1日、権中納言に転任。
文久3年(1863年)12月、朝議参預就任。
元治元年(1864年)
3月9日、朝議参預辞任。
3月25日、将軍後見職辞任。同日、禁裏御守衛総督・摂海防禦指揮転職。禁門の変では、抗戦の指揮をとった。
慶応元年(1865年)、10月12日、従二位権大納言昇叙転任を固辞。
慶応2年(1866年)
7月晦日、禁裏御守衛総督辞職。
8月20日、徳川宗家相続。
12月5日、正二位・権大納言兼右近衛大将に叙任。同日、征夷大将軍就任。

慶応3年(1867年)大阪での慶喜
慶応3年(1867年)
9月21日、内大臣転任。右近衛大将如元。
10月14日、大政奉還。
12月9日、征夷大将軍職辞職。
慶応4年(1868年)4月11日、解官。
明治2年(1869年)9月28日、謹慎解除。
明治5年(1872年)1月6日、従四位に復帰。
明治13年(1880年)5月18日、正二位昇叙。
明治21年(1888年)6月20日、従一位昇叙。
明治30年(1897年)11月19日、東京・巣鴨に移住。
明治31年(1898年)3月2日、明治天皇に30年5ヶ月ぶり(大政奉還以来)謁見。
明治33年(1900年)6月22日、麝香間祗候。
明治35年(1902年)6月3日、公爵受爵。徳川宗家とは別に「徳川慶喜家」の創設を許された。貴族院議員就任。
明治41年(1908年)4月30日、大政奉還の功により、明治天皇から勲一等旭日大綬章を授与される。
明治43年(1910年)12月8日、慶久に家督を譲って貴族院議員を辞め、隠居。
大正2年(1913年)11月22日(午前4時10分)死去。同日、勲一等旭日桐花大綬章を授与される。
人物[編集]
名前[編集]
幼名は七郎麻呂(しちろうまろ、七郎麿とも)。元服後、初めは実父・徳川斉昭の1字を受けて松平昭致(あきむね)と名乗っていた。その後、一橋徳川家を継ぐ際に当時の将軍・徳川家慶から偏諱(「慶」の1字)を賜い、(「慶」の字が「よろこぶ」の意味を持つことから「よろこぶ」が2つでめでたいの意で)慶喜と改名した。
「慶喜」は「よしのぶ」あるいは通称として「けいき」(有職読み)とも読む。出身地である水戸では「よしのぶ」と呼ばれることが多いが、余生を送った静岡では「けいき」と呼ばれることが多い。
生前の慶喜を知る人によると、慶喜本人は「けいき様」と呼ばれるのを好んだらしく、弟・徳川昭武に当てた電報にも自分のことを「けいき」と名乗っている。慶喜の後を継いだ七男・慶久も慶喜と同様に周囲の人々から「けいきゅう様」と呼ばれていたといわれる。「けいき様」と「けいきさん」の2つの呼び方が確認でき、現代においても少なくなりつつあると思われるが「けいきさん」の呼び方が静岡に限らず各地で確認できる。司馬遼太郎は「『けいき』と呼ぶ人は旧幕臣関係者の家系に多い」とするが、倒幕に動いた肥後藩の関係者も「けいき」と呼んでいたことが確認できる。
また、将軍在職中、江戸幕府の公式な文書等には「よしひさ」と読んだとの記録が残っている。本人によるアルファベット署名や英字新聞にも「Yoshihisa」の表記が残っている。このように「喜」を「ひさ」と読む説についてはこの字を与えられた以下の二名についても同じことが言える。
偏諱を与えた人物[編集]
松平喜徳(実弟)
細川喜廷(喜延とも、のちの細川護久)
幼年時代[編集]
武芸や学問を学ぶことに関しては最高の環境で生まれ育ち、様々な武術の中から手裏剣術に熱心で、手裏剣の達人だった。大政奉還後も、毎日額に汗して手裏剣術の修練を行ない、手裏剣術の達人たちの中で最も有名な人物に数えられる。
寝相が悪く、躾に厳しかった父の斉昭が、寝相を矯正するために寝る際には枕の両側に剃刀の刃を立てさせた。本人は眠った時を見計らって剃刀は取り外すだろうと察知していたが、寝心地は悪く、これを繰り返していくうちに寝相の悪さを克服できた。一方、成人してからは寝る際に暗殺対策として、妻妾二人とYの字になるよう三人で同衾していたという逸話も伝えられる。
幼少の頃の慶喜とされる写真が存在するが、彼が幼少の頃の日本に写真機はまだなかったと考えられるため、本人のものであるかどうかは疑わしい。
一橋家当主として[編集]
病に倒れた家茂の見舞いに訪れたことがあり、その時は普通に会話したという。
文久3年(1863年)末から翌年3月まで京都に存在した、雄藩最高実力者の合議制であった参預会議の体制は、参預諸侯間の意見の不一致からなかなか機能しなかったが、これを危惧した朝廷側の中川宮は、問題の不一致を斡旋しようと2月16日参預諸侯を自邸に招き、酒席を設けた。この席上、泥酔した慶喜は中川宮に対し、島津久光・松平春嶽・伊達宗城を指さして「この3人は天下の大愚物・大奸物であり、後見職たる自分と一緒にしないでほしい」と暴言を吐いた。この発言によって久光が完全に参預会議を見限る形となり、春嶽らが関係修復を模索するが、結局体制は崩壊となった。
将軍として[編集]
英邁さで知られ、実父・斉昭の腹心・安島帯刀は、慶喜を「徳川の流れを清ましめん御仁」と評し、幕威回復の期待を一身に背負い鳴物入りで将軍位に就くと、「権現様の再来」とまでその英明を称えられた。慶喜の英明は倒幕派にも知れ渡っており、特に長州藩の桂小五郎は「一橋慶喜の胆略はあなどれない。家康の再来をみるようだ」と警戒していた。
鳥羽・伏見の戦い後の「敵前逃亡」など惰弱なイメージがあったが、大政奉還後に新たな近代的政治体制を築こうとしたことなどが近年クローズアップされ、加えて大河ドラマの放送などもあり、再評価する動きもある。
慶応の改革の一環として建築された横須賀製鉄所は明治政府に引き継がれ、現在もその一部が在日米軍に利用されている。また同時期に幕府陸軍の人員増強やフランス軍事顧問団の招聘が行われたことで、多くの幕臣が西洋式の軍事教育を受ける機会に恵まれた。その中から山岡鉄舟・大鳥圭介・津田真道など、のちに明治政府の官吏・軍人として活躍する人材が輩出されており、明治維新により事実上頓挫した慶応の改革は日本の近代化に少なからず貢献した。
坂本龍馬は大政奉還後の政権を慶喜が主導することを想定していたと指摘する研究者もいる。司馬遼太郎の作品では「大樹(将軍)公、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん」との龍馬の評価が引用された。これは坂崎紫瀾が著した容堂伝『鯨海酔候』や渋沢栄一らによって書かれた『徳川慶喜公伝』で紹介されている。ただし、慶喜自身が龍馬の存在を知ったのは明治になってからと言われる。
新政府軍との戦い[編集]
鳥羽・伏見の戦いの最中に大坂から江戸へ退去したことは「敵前逃亡」と敵味方から大きく非難された。この時、家康以来の金扇の馬印は置き忘れたが、お気に入りの愛妾は忘れずに同伴していた、と慶喜の惰弱さを揶揄する者もあった。しかしこの時、江戸や武蔵での武装一揆に抗する必要があったことや、慶喜が朝敵となったことによって諸大名の離反が相次いでおり、たとえ大坂城を守れても長期戦は必至で、諸外国の介入を招きかねなかったことから、やむを得なかったという見方もある。
新政府から「朝敵」とされるとすぐに寛永寺に謹慎した事などから、天皇や朝廷を重んじる心ある者だと評価される(尊王思想である水戸学や、母親が皇室出身であることなどが多分に影響していると思われる)。
明治維新後[編集]

狩猟姿の慶喜

弓を引く慶喜。弓術は毎日150本射るのを日課としていた。晩年医者にやり過ぎを指摘され100本に減らし、100本射るのに3時間かかったと言う。
実業家の渋沢栄一は一橋家の当主だった頃に家臣である平岡円四郎の推挙によって登用した家臣で、明治維新後も親交があった。渋沢は慶喜の晩年、慶喜の伝記の編纂を目指し、渋る慶喜を説得して直話を聞く「昔夢会」を開いた。これをまとめたのが『昔夢会筆記』である。座談会形式で記録されている一部の章では、老齢の慶喜のいわば肉声に触れることができる。「島津久光はあまり好きじゃなかった」「鍋島直正はずるい人だった」と本音を漏らすなど、彼の性格と当時の心境が窺える。慶喜の死後、こうした資料を基に『徳川慶喜公伝』が作られた。
恭順謹慎、江戸無血開城などにより、無血革命に近い状態で政権移譲できたことから、近代日本の独立性が守られ、維新への功績は大きいと評価された。
渋沢栄一、萩野由之は、慶喜の恭順により、京都や江戸が焦土なることをまぬがれ、また、フランスの援助を拒絶したため、外国の介入がなかったとし、維新最大の功績者の一人であったと述べ、特に渋沢は安政の大獄と明治維新の際の謹慎の態度も高く評価している。
鳥谷部春汀は第二の関ヶ原の戦いを回避できたのは慶喜の功績であるなど、行跡・人格・才能とともに日本史上最大の人物の一人と記している。
勝海舟は、皇居参内の翌日、慶喜がわざわざ訪ねて来て、礼を言われたため、生きていた甲斐があったとうれし涙をこぼし、品位を保ちむやみに旧大名と行き来しないようという忠告には、その通りにします、と言われ、書も頼まれたため、うれし涙を飲み込み、さすが水戸家で養育された方だけある、と感心した。
菊池謙二郎は『水戸学論藪』において「ああ他人をして慶喜公の地位に在らしめたらどうであったろう。(略)一意皇室を思い国家を憂えられた其の至誠は、何人が企及し得る所であろうか」と評価している。
朝敵とされた自分を赦免した上、華族の最高位である公爵を親授した明治天皇に感謝の意を示すため、慶喜は自分の葬儀を仏式ではなく神式で行なうよう遺言した。このため、慶喜の墓は徳川家菩提寺である増上寺でも寛永寺でもなく、谷中霊園に皇族のそれと同じような円墳が建てられた。京都で歴代天皇陵が質素であることを見て感動したためである。
逸話[編集]
父・斉昭と同じく薩摩産の豚肉が好物で、豚一様(ぶたいちさま、「豚肉がお好きな一橋様」の意)と呼ばれた。西洋の文物にも関心を寄せ、晩年はパンと牛乳を好み、カメラによる写真撮影・釣り・自転車・顕微鏡・油絵・手芸(刺繍)などの趣味に興じた。
将軍時代の慶応3年(1867年)3月から、西周にフランス語を習い、すぐに初歩は理解したが、多忙なため学習を断念した。
攘夷論をめぐり、孝明天皇の側近である中川宮が前日の会談での発言を撤回していることを知った26歳の時、茶碗5杯ほどの冷酒を飲み、帯刀して馬で親王家に押し入り、「殺しに来た!」と詰め寄るもなだめられ、お茶を勧められると「自分で買って飲む」と言った。
鳥羽・伏見の戦いにおいて軍艦開陽丸で江戸へ退却後、江戸城に入った慶喜は、鰻の蒲焼を取り寄せるように奥詰の者に命じ、二分の金を渡したが、時期はずれで一両でなければ入手できず、自らの金を加えて買いもとめた。また慶喜から鮪の刺身を食べたいとの指示があったが、食中毒をおそれて刺身を食膳にあげた例はなく、そのため刺身を味噌づけにして食膳にそなえた。
静岡に住んでいる時、家臣達と一緒に愛用の自転車でサイクリングした(家臣達は走っていた)。その自転車を購入した自転車店は、現在の静岡市葵区紺屋町にあり、近年まで営業していた。
東京・墨田区の向島百花園には慶喜が書いた「日本橋」の文字が彫られた石柱が保存されている。実際に橋として使われていたものである。
趣味としての写真撮影を日常としたがあまり上達しなかった。写真雑誌にもたびたび投稿したが、なかなか採用されなかった。こうした趣味に没頭する生活の中で実弟・昭武との交流を深めていった。なお、曾孫の徳川慶朝はフリーのカメラマンであり、彼によって慶喜の撮影分も含めて徳川慶喜家に所蔵されていた写真類が発見され、整理と編集を行なった上で出版された。写真家の長野重一によれば腕前はセミプロ並みとの評価であるが写真集『将軍が撮った明治』(朝日新聞社)を見る限り、写真が芸術性を帯びてくるのは晩年からであり、単に日記代わりとして撮っていたと、評価している。
油絵にも嗜み、慶喜作とされる油彩画が10点弱確認されている。最初は武家のならいで、狩野派の狩野探淵に絵を学んだ後、静岡では開成所で西洋画法を身につけた中島仰山(鍬次郎)を召して油絵を学んだ。当時は元将軍であっても西洋画材は入手しづらく、時には似たもので代用したという。慶喜の絵は、複数の手本を寄せ集めて絵を構成しており、その結果遠近法や陰影法が不揃いで、画面全体の統一を欠くことが多い。反面、樹の枝や草、岩肌、衣の襞など、細部描写は丁寧で、現代の目では不思議な印象を与える絵となっている。モチーフに川や山がよく登場する事や、絵から絵を作る作画方法から、油絵という西洋の画法を使いつつも、作画姿勢は山水画を貴ぶ近世の文人の意識が強く残っているといえる。なお、慶喜の風景画の殆どに決まって橋が描かれており、近世から近代への橋渡しをした慶喜と故ありげな符号である。
北海道江差町の国道229号に、名前に因んだ「慶喜トンネル」が存在する。
大正5年(1916年)に徳川慶久により「徳川慶喜公歌集」が編纂され、平成25年(2013年)に松戸市戸定歴史館から解題等を付けた復刻本が限定500部で刊行された。
家庭・親族[編集]
安政2年(1855年)12月3日、一条美賀と結婚(維新後に美賀子と改名)。美賀との間には女子(瓊光院殿池水影現大童女)が安政5年(1858年)7月16日に誕生するも、7月20日に早世。以後、美賀との間に子女は生まれず、明治になって誕生した10男11女は皆、二人の側室との間に儲けた子女である。公爵となり徳川慶喜家を継いだ七男・慶久や、勝海舟の婿養子となった十男・精、伏見宮博恭王妃となった九女・経子などである。なお、慶久の子女には、徳川慶光や高松宮宣仁親王妃となった喜久子らがいる。
明治天皇は義理の弟に当たる(正室の一条美賀子が昭憲皇太后の義姉であるため)。
正室:一条美賀(維新後に美賀子と改名)(今出川公久娘、一条忠香養女、天保6年7月19日 - 明治27年7月9日)
側室:一色須賀(一色貞之助定住娘、天保9年4月26日 - 昭和4年)
側室:新村信(松平政隆娘、新村猛雄養女、嘉永5年頃 - 明治38年2月8日)
長男:敬事(明治4年6月29日 - 明治5年5月22日)
長女:鏡子(明治20年3月23日結婚、徳川達孝夫人、明治6年6月2日 - 明治26年9月29日)
三女:鉄子(明治23年12月30日結婚、徳川達道(一橋茂栄の子)夫人、明治8年10月27日 - 大正10年12月10日)
五男:仲博(鳥取藩主家池田氏第14代当主、侯爵・貴族院議員、大正天皇侍従長、明治23年2月25日池田輝知養子、明治10年8月28日 - 昭和23年1月1日)
六男:斉(明治11年8月17日 - 明治11年11月28日)
六女:良子(明治13年8月24日 - 明治13年9月29日)
九女:経子(明治30年1月9日結婚、伏見宮博恭王妃、明治15年9月23日 - 昭和14年8月18日)
七男:慶久(公爵・貴族院議員、華族世襲財産審議会議長、明治17年9月2日 - 大正11年1月22日)
十一女:英子(明治44年4月29日結婚、徳川圀順夫人、明治20年3月22日 - 大正13年7月5日)
十男:精(伯爵、浅野セメント重役、明治32年1月20日勝海舟婿養子、明治21年8月23日 - 昭和7年7月11日)
側室:中根幸(中根芳三郎長女、天保7年頃 - 大正4年12月29日)
次男:善事(明治4年9月8日 - 明治5年3月10日)
三男:琢磨(明治5年10月5日 - 明治6年7月5日)
四男:厚(男爵・貴族院議員、東明火災保険取締役、明治7年2月21日 - 昭和5年6月12日)
次女:金子(明治8年4月3日 - 明治8年7月22日)
四女:筆子(明治28年12月26日結婚、蜂須賀正韶夫人、明治9年7月17日 - 明治40年11月30日)
五女:脩子(明治11年8月17日 - 明治11年10月8日)
七女:浪子(明治28年12月7日結婚、松平斉(松平斉民の九男)夫人、明治13年9月17日 - 昭和29年1月13日)
八女:国子(明治34年5月7日結婚、大河内輝耕(大河内輝声の長男)夫人、明治15年1月23日 - 昭和17年9月11日)
十女:糸子(明治39年5月19日結婚、四条隆愛夫人、明治16年9月18日 - 昭和28年10月11日)
死産:男子(明治17年8月22日死産)
八男:寧(明治18年9月22日 - 明治19年7月2日)
九男:誠(男爵・貴族院議員、明治20年10月31日 - 昭和43年11月11日)
死産:女子(明治24年6月2日死産)
妾:芳(新門辰五郎の娘)
慶喜を題材とした作品[編集]
小説
『徳川慶喜』(山岡荘八)
『徳川慶喜の英略』(谷恒生)
『最後の将軍-徳川慶喜-』(司馬遼太郎)
映画
『徳川一族の崩壊』(1980年、平幹二朗)
テレビドラマ
『徳川慶喜』(1998年、NHK大河ドラマ、本木雅弘)


この人物は、将軍家にうまれていない。
徳川将軍家の分家である水戸(みと)の徳川家にうまれた。水戸を御三家(ごさんけ)のひとつという。御三家は、水戸のほかに、紀州、尾張がある。
この御三家のうち水戸がもっとも石高がすくなく、官位も他の二家が大納言(だいなごん)であるのに対して、中納言でしかない。それに将軍家に嗣子(しし)がいない場合、紀州・尾張から入ることはあっても水戸から入ることはなかった。
いわば、一格さげて差別されてきている。
もっとも、ただひとつの点で他の二家よりも優遇されていた。当主は参勤(さんきん)交代の義務はなく江戸屋敷に常設する特権があたえられていたことであった。
江戸の将軍と同じで江戸にいていいし、水戸に帰るのも自由であった。そんな訳で、ということで、
「天下の副将軍」
と、いわれた。『水戸黄門』こと”水戸光圀”はご先祖である。テレビドラマのように全国行脚はしてはいないが(笑)
 父親は烈公斉昭(れっこう・なりあき)である。
 尊皇攘夷派の斉昭は天下の志士たちから敬慕された。
烈公斉昭の正室は、京からきた。有栖川宮家(ありすがわのみやけ)の王女で、未婚のころは登美宮(とみのみや)吉子といった。
 吉子は大変な美貌の皇女で、斉昭には他にわき腹の男子がいたが、家督は当然ながら正室の子が継ぐ。まず一児を得た。これが鶴千代、のちの水戸家十代慶篤(よしあつ)である。
 成人して京都ふうの柔和な顔になった。性格がよわく、斉昭ごのみの威張ったところがない。斉昭は失望した。かならずしも吉子の腹での子供ではないが二郎麿、三郎麿、四郎麿、五郎麿、六郎麿、と生まれた。
 しかし、うち二と五が吉子の腹であった。二は早世し、五は少年になるにつれてやわくなり、斉昭は、
「京の血の濃さよ」
 と言った。五は鳥取藩に養子に出され、鳥取藩主池田慶徳(よしのり)となる。
 ほどなく吉子の腹から慶喜が生まれた。
 七郎麿(しちろうまろ)と名付けられた。
「この子は、武家の血か宮家の血か」
 斉昭は将来有望なのは七郎麿ではないか?と思ったという。
 そう、この赤子こそのちの徳川最後の将軍、徳川慶喜、そのひとである。
 斉昭は七郎麿の誕生後、政治的な事情で、常陸(ひたち)水戸城にいたため、七郎麿は父母の目に触れることはなかった。
 慶喜が十歳のとき、斉昭はひさびさで国へかえり、成長した慶喜をはじめて見た。
「あの子だけはちがう」と、家臣たちの前で人相見のようなことをいった。京の堂上ふうではないというのである。
 天晴(あっぱれ)、名将とならん。されどよくせば手にあまるべし。
「武士は寝相をよくするものぞ」
 斉昭はまだ少年の慶喜の寝相をよくしようと、ぐにゃりとした寝相を改めさせ、万が一に寝どころを襲われたときも、刀を握って賊を斬れるようにと右手が常につかえるような寝相を考案した。
 考案というより特訓で、二本の剃刀を”つの”のように立てて、ひっそりと寝返ぬかぎり頭や顔が切れるようにした。
 この特訓は晩年まで慶喜の寝相のよさの要因となる。
 だが、この七郎麿が、兄たちの度重なる早世と夭折で、のちに水戸の副将軍となり、徳川将軍家になり、最後の将軍となるので、ある。
 幕府家老の中山は、
「ペリーじゃと?そげな異人追い返せばよいではないか!?」
とのべた。おりしも一八五三年、ぺルリ(ペリー)の黒船来航で、ある。
(馬鹿家老だな。ぺルリの黒船の威力や背後関係、政治経済も知らぬ。)
 と、阿部正弘老中は思った。悪名高いが有能な井伊大老の前の大老は阿部正弘である。
 幕府だって馬鹿じゃない。ぺルリの脅しに屈服した訳じゃないが異国の技術にはさすがに度肝を抜かれた。
 蒸気機関、アームストロング砲、機関銃、ゲベール銃、ミニエー銃………尊皇攘夷など荒唐無稽である。
 だが、斉昭は攘夷思想である。それが徳川慶喜を悩ませた。
 将軍家の養子は水戸、紀州、尾張の御三家だが、ほかに、「御三卿」の家から選ばれる。御三卿とは一橋、清水、田安の三家であった。その一橋家に慶喜が入った。
 次期将軍の可能性がある。というどころではない。現在、尾張家には世継ぎすらもいない。紀州家の子はまだ赤子同然。しかも、将軍・家定はリトル・インテリジェンス(知恵後れ)である。
 時代は、慶喜を必要としているかのようだった。
 『最後の将軍』司馬遼太郎著作(文春文庫)より引用 7~18ページ

吉田松陰は吉田矩方という本名で、人生は1830年9月20日(天保元年8月4日)から1859年(安政6年10月27日)までの生涯である。享年30歳……
 通称は吉田寅次郎、吉田大次郎。幼名・虎之助。名は矩方(よりかた)、字(あざな)は義卿(ぎけい)または子義。二十一回猛士とも号する。変名を松野他三郎、瓜中万二ともいう。長州藩士である。江戸(伝馬町)で死罪となっている。
 尊皇壤夷派で、井伊大老のいわゆる『安政の大獄』で密航の罪により死罪となっている。名字は杉虎次郎ともいう。養子にはいって吉田姓になり、大次郎と改める。
 字は義卿、号は松陰の他、二十一回猛士。松陰の名は尊皇家の高山彦九郎おくり名である。1830年9月20日(天保元年8月4日)、長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。天保5年(1834年)に叔父である山鹿流兵学師範である吉田大助の養子になるが、天保6年(1835年)に大助が死去したため、同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けた。吉田松陰の初めての伝記を示したのは死後まもなく土屋瀟海(しょうかい)、名を張通竹弥之助という文筆家で「吉田松陰伝」というものを書いた。が、その出版前の原稿を読んだ高杉晋作が「何だ! こんなものを先生の伝記とすることができるか!」と激高して破り捨てた為、この原稿は作品になっていない。
 また別の文筆家が「伝記・吉田松陰」というのを明治初期にものし、その伝記には松陰の弟子の伊藤博文や山県有朋、山田顕義(よしあき)らが名を寄せ寄稿し「高杉晋作の有名なエピソード」も載っている。天保六年(1835年)松陰6歳で「憂ヲ憂トシテ…(中訳)…楽ヲ享クル二至ラサラヌ人」と賞賛されている。

  松陰は後年こういっている。
「私がほんとうに修行したのは兵学だけだ。私の家は兵学の家筋だから、父もなんとか私を一人前にしようと思い、当時萩で評判の叔父の弟子につけた。この叔父は世間並みの兵学家ではなくて、いまどき皆がやる兵学は型ばかりだ。あんたは本当の兵学をやりなさい、と言ってくれた。アヘン戦争で清が西洋列強国に大敗したこともあって嘉永三年(1850年)に九州に遊学したよ。そして江戸で佐久間象山先生の弟子になった。
 嘉永五年(1852年)長州藩に内緒で東北の会津藩などを旅行したものだから、罪に問われてね。士籍剥奪や世禄没収となったのさ」
なお、この物語の参考文献はウィキペディア、堺屋太一著作、司馬遼太郎著作『最後の将軍』、童門冬二著作、池宮彰一郎著作『小説 高杉晋作』、津本陽著作『私に帰せず 勝海舟』、日本テレビドラマ映像資料『田原坂』『五稜郭』『奇兵隊』『勝海舟』、NHK映像資料『歴史秘話ヒストリア』『その時歴史が動いた』、『陸奥宗光』上下 荻原延濤(朝日新聞社)、『陸奥宗光』上下 岡崎久彦(PHP文庫)、『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦(PHP文庫)、『勝海舟全集』勝部真長ほか編(頸草書房)、『勝海舟』松浦玲(中公新書)、『氷川清話』勝海舟/勝部真長編(角川文庫)、『坂本龍馬』池田敬正(中公新書)、『坂本龍馬』松浦玲(岩波新書)、『坂本龍馬 海援隊始末記』平尾道雄(中公文庫)、『一外交官の見た明治維新』上下 アーネスト・サトウ/坂田精一(岩波文庫)、『徳川慶喜公伝』渋沢栄一(東洋文庫)、『幕末外交談』田辺太一/坂田精一校注・訳(東洋文庫)、『京都守護職始末』山川浩/遠山茂樹校注/金子光晴訳(東洋文庫)、『日本の歴史 19 開国と攘夷』小西四郎(中公文庫)、『日本の歴史 18 開国と幕末変革』井上勝生(講談社文庫)、『日本の時代史 20 開国と幕末の動乱』井上勲編(吉川弘文館)、『図説和歌山県の歴史』安藤精一(河出書房新刊)、『荒ぶる波濤』津本陽(PHP文庫)、大河ドラマ『龍馬伝』『徳川慶喜』『篤姫』『新撰組!』『八重の桜』『坂の上の雲』、『花燃ゆ』漫画『おーい!竜馬』一巻~十四巻(原作・武田鉄矢、作画・小山ゆう、小学館文庫(漫画的資料))、他の複数の歴史文献。『維新史』東大史料編集所、吉川弘文館、『明治維新の国際的環境』石井孝著、吉川弘文館、『勝海舟』石井孝著、吉川弘文館、『徳川慶喜公伝』渋沢栄一著、東洋文庫、『勝海舟(上・下)』勝部真長著、PHP研究所、『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄』荻原延寿著、朝日新聞社、『近世日本国民史』徳富猪一郎著、時事通信社、『勝海舟全集』講談社、『海舟先生』戸川残花著、成功雑誌社、『勝麟太郎』田村太郎著、雄山閣、『夢酔独言』勝小吉著、東洋文庫、『幕末軍艦咸臨丸』文倉平次郎著、名著刊行会、ほか。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作ではありません。引用です。

【天皇制は特権階級でも権威でもない】今上天皇美智子皇后さまのおやさしさに勝る日本人なし!

2015年11月25日 16時12分39秒 | 日記







左翼は天皇制を勘違いしている。


天皇制は特権階級でもないし皇族は贅沢などしていない。

あんな皇居みたいな狭い所に閉じ込められて自由もなくかわいそうな人達である。


今上天皇陛下や美智子皇后さまの


神がかりなおやさしさに勝てる人種は日本にいない!


天皇制は権威でもない!左翼よ、目を覚ませ!臥竜


 ペンネーム福本清二が偽名で「皇居の何処がせまいんだ?皇族は毎年300億円でぶらぶらしているんだ!お前こそ目を覚ませ!」とまた悪口(笑、私のツイッターに(笑))福本の文章って本人にはわからないらしいが文章にくせがあるからすぐわかるんだよね(笑)
皇族の公務の激務や天皇陛下や皇后さまの御苦労がわからない。
皇室が「特権階級」でもなく「権威」でもないことなど少し考えればわかりそうなものなのにね(笑)まあ、福本は中卒だからな(笑)自分を客観的にみることもできず「インテリゲンチャ」だの「視野狭窄」だの「自殺教唆」だの悪口いっているうちは物事の真理などわからんよ(笑)


緑川鷲羽そして始まりの2016年へ!臥竜  緑川鷲羽2016ReBORN上杉謙信

東日本大震災から5年 最大のドキュメント   『大型時代小説 東日本大震災<緑川史観>』VOL.4

2015年11月25日 07時38分16秒 | 日記










参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P175~P190)参照
 平成22年3月14日自衛隊のことを学ぼうと思って横須賀に行った。「横須賀」というと海軍のイメージしかなかったが、今回取材するのは陸上自衛隊・武山駐屯地にある「少年工科学校」の卒業式である。控室で取材のコーディネートをしてくれた軍事ジャーナリストの井上和彦氏から説明を聞く。
小林「「工科学校」って工兵を養成してるの?」
井上「いいえ、全般のスペシャリストの養成です。昔の日本軍でいえば、陸軍幼年学校ですね。」
陸軍幼年学校?だったら『戦争論』で紹介した高村武人さんの後輩たちということじゃないか!
戦後、「自衛隊」は「軍隊」ではないということにするために、あらゆる名称が変更されてしまった。階級ひとつにしても「大佐」「少佐」なら誰でもわかるが「1佐」「3佐」なんて言われたって全然ピンとこない。歩兵はなんと「普通科」だし、砲兵は「特科」だそうだ。まるで暗号である。こんな特殊用語を使っていることも、自衛隊が国民になじみなくくなっている大きな要因だと思うが、これを普通の軍隊用語に直すのも、まず憲法9条を改正して自衛隊を普通の軍隊にしなければならないらしい。
少年工科学校は10代の少年たちが入校するエリート養成校であり、受験倍率は20倍という狭き門。多くは中学校を卒業して入ってくるが、中には一旦普通高校に進学しながら、国防の意識に目覚め、中退して受験し直して入学する者もいる。
旧日本軍は、下士官は世界一優秀と言われたが、この学校はその下士官を養成している。少年工科学校の生徒は入学と同時に「3等陸士」の位に就き、15、16歳にして正式に国家公務員たる自衛官の身分となり、毎月給料も支給される。
そして親元を離れて全寮制の学校で3年間、ハイテク兵器が主力となる現代戦の即戦力たりうる電子機器工学、情報工学のエキスパートになるため研鑚を積む。2年目は2等陸士(2等兵)、3年目は1等陸士(1等兵)に昇進、卒業すると士長(上等兵)になり、一部の生徒は防衛大学や航空学校に進み、大半はそれぞれの専門別に、各地の「中期校」に入校。1年間の特殊教育、部隊実習を終えると3等陸曹(伍長)に昇進、全国の各部隊に配属される。世界中の軍隊でも10代の伍長、というものは他国に例がなく「世界一の伍長」と呼ぶひともいる。すぐに班長や部隊長として配属され、自分よりずっと年上の者を含む部下を率いることになるが、それでも動じない精神力やリーダーシップも少年工科学校での鍛錬で養われるのだ。
ところが実は今年(平成22年当時)が「少年工科学校」最後の卒業式だという!
というのも、片山さつきが財務省主計局主計官時代にやらかした陸上自衛隊削減のせいで、4月から「少年工科学校」は「高等工科学校」に改名、制度変更もされるのだ。
自衛隊の人員削減にために工科学校の生徒は「自衛官」ではなく「学生」という身分になり、3等、2等、1等の「陸士」の階級もなくなり、ただの「1年生、2年生、3年生」になる。そして毎月15万円程度支給されていた給料は「学生手当」という奨学金のようなものになり、大幅に減額されてしまう。10代にして自衛官として給料をもらって伍長になるのと只の学生で奨学金みたいなものをもらうのではまるで違う。これが自民党時代の失政である。現場ではいかにして少年工科学校の伝統を損なわず、新たな制度に移行するのか苦心しているらしい。
体育館に案内され、いよいよ卒業式が始まる。
さすがに顔にはあどけなさも残っているがその目つき、たたずまいは、そこらへんの高校生とは違う。15歳にして親元を離れた生活、そして自衛官を目指す3年間の訓練、それが実に辛いものであり幾多の困難を乗り越えて今日に至っているということは何も聞かなくてもこの雰囲気でわかる。
「気をつけ!」ダンッ!「敬礼!」ザッ!「直れ!」ザッ!
最初の学校長に対する敬礼だけでこの一糸乱れぬ動きだけで度肝を抜かれる。
張りつめた厳粛な空気の中、壇上に来賓が入場、さらに陸上幕僚副長が臨場、敬礼の後、閉式の辞、国歌斉唱。続いて卒業証書の授与。「浅倉大介」「はい!」「小室尚登」「はい!」「鈴木誠」「はい!」「鈴木亜斗夢」「はい!」
きびきびと、はっきりとした生徒たちの態度が見てて心地よい。一人ひとりの名を呼び上げる区隊長(クラス担任に相当)が名簿を見ていない!生徒の顔を見て名を呼んでいる!
生徒と教官の絆が相当強いんだろう。学校長賞の授与。成績優秀者が呼び上げられ、表彰状とメダルが与えられる。今どきの学校は平等主義だから優秀者の表彰など考えられないな。ただし、学業、体力、だけでなく生活態度などに至るまで様々な基準により優秀者を選考されており、一部の偏った選考基準で選んでいるのではないという。
表彰が終わると申告。
「申告します!陸上自衛隊生徒、1等陸士、ミヤギトシヒロ、他250名は、平成22年3月14日付をもって第35期陸上自衛隊生徒前期課程、修了を命じられました。敬礼!」
学校長祝辞、陸上幕僚副長訓示、政治家の祝辞があった。
そして在校生代表送辞に続いて、卒業生代表答辞。
とつとつと静かに話し出す。自分の言葉で話しているからだ。
「楽しい事ばかりじゃない少年工科学校の生活も、同級生がいたからこそ乗り越えることができました。……普段は照れくさくて言えないけれど今日は言います…本当にありがとう……」
次第に卒業生のしゃくり上げる声が大きくなっていく。見ると多くの卒業生たちが感極まって泣いている。
「そしてこの場にはいませんが、闘病の末、この世を去ってしまったワタナベタカヒロ生徒…食べるのが好きで、走るのが苦手で…でも頑張り屋で…少しうっかりしていているところがあって、でも優しく…そんなワタナベ生徒…」
前年末に亡くなった生徒の話が出るとすすり泣く声が一層大きくなった。
「私たち53期生、251名は、これから全国各地に散らばり、それぞれの道に進みますが、どこにいても、少年工科学校最後の卒業生としての自信と誇りを胸に、日々、精進します。」
そこいらの高校生が卒業式で泣いたってどうとも思わないが、ここの生徒は違う。
隣では軍事ジャーナリスト界のみのもんた・井上氏が号泣していた。わっ、汚な…すぐ泣くんだよな、この男。わしは涙管が詰まって泣いているわけじゃないが…。
「仰げば尊し」の斉唱があり、それが終わると一転して勇壮な曲調の校歌斉唱。
「御国の護るゆるぎなく我等は少年自衛官」
この「我等は少年自衛官」の校歌は、23年度から「少年自衛官」が「学生」へと制度が変更になっても、一字一句変更されず引き継がれる。この校風も何も変わらずに引き継がれてほしいと心から願う。
卒業式が終了して屋外へ移動。在校生生徒隊による送別パレードが行われる。先導する吹奏楽隊が演奏するのは「陸軍分別行進曲(扶桑歌、抜刀隊)」だ。
旧日本軍時代から、連綿と変わらずに陸上自衛隊でも演奏され続けている行進曲である。実にかっこいい!パレードに引き続いて上空から轟音が近づいてくる。最新銑戦闘ヘリAH-64アパッチなどによる祝賀飛行だ。
パレードが終了すると、ドリル部による「ドリル演技」が始まった。日本で「チアリーディング」とか「バトントワリング」とか呼ばれている競技の総称が「ドリル」だそうだ。
軍隊における基本教練の反復練習の「ドリル」(つまり「学習ドリル」の「ドリル」)からそう呼ばれている。そもそも、バトントワリングも、軍隊の指揮者が指揮杖を振り回したのが始まりだ。
軍隊のドリルといえば、儀仗隊の名物である。シンクロスイミングのように軍服で、機銃をまるでバトンのように空に投げたりキャッチしてシンクロしてかっこよく決める。さすが28名のメンバーが全員ぴったり息を合わせ、シンクロして動く様は見事だった。
その後は食堂に移動し、卒業生が家族と昼食を共にする「午餐会(ごさんかい)」である。
卒業生全員が未成年なのでお茶で家族と乾杯し、学校の食糧班が心を込めてつくった赤飯のお弁当を食べる。少工生は3年間も親元を離れて過ごしながら、卒業後は一日どころか一晩も家族と共にすごすことはできない。卒業式の全日程がおわれば、そのままバスにのり込んで、各地の中期校へ向かうのだ。万歳三唱で午餐会は終了。そして卒業生たちは旅立ちのときを迎える。校長が最後に訓示を言う。
「これから未来へ向けて、一緒にがんばろう。只今をもって、第3教育隊の指揮を解く!」
拍手の中、楽隊の行進曲の中、卒業生たちがやってくる。
突然、一人の卒業生がかけよって来た。
「小林先生ですか!自分『戦争論』読んで少工希望しました!」
「おう!がんばれよ!」
その後、バスに乗り万歳三唱の中、去って行った。
卒業式後、数名の卒業生たちに教室に集まってもらい話を聞かせてもらった。
その中には、中学生の時から『SAPIO(サピオ)』(小学館の月刊誌・国際政治経済雑誌)を読んで国際情勢に興味を持ち、国防を目指した者もいる。数年前は阪神・淡路大震災災害救助を見て、自衛隊を志した者が多かったという。
現在は(2015年時)は東日本大震災(2011年)や2015年度関東・東北豪雨等か。
それにしても子供に危険な仕事をさせたくないと反対する親が多そうな昨今、ここに子供を送り出した親は本当にえらいと思う。
小林「普通の学校にはない、厳しい規律を守ってやってきて、その上さらに防衛大に進んで、厳しいルールで自分を律していこうというのか。そろそろ自由になりたいと思わないの?」
すると即座に、「思います!」
「やっぱり思うのか!?」
「多少は」教室がドッ!とわく。
彼らによれば厳しい規律の中とはいえ、慣れればその中での限られた自由を楽しむ術がそれなりに身につくものらしい。
「少工病」と言われるものがあり、生徒たちは町に繰り出してもいつのまにか手足が揃ってしまったり、どんな女の子を見ても、かわいく見えたりするらしい。
一同笑いながら「少工あるある」ネタで盛り上がった。
「女の子のストライクゾーンは広がりますね」
「中学生の時はナシだったけどみたいな。」
「開校祭に来る近くの女子高生に声をかけるのは3年生だったら結構います。1年の時は先輩に譲るので。」
小林「休みの日は私服でどこまで出かけるの?」
「中学校出たての頃はお金の使い方もわからなくて近所を。でも、徐々に慣れてきて年をかさねると目標が東京とか。」
「でも服装でも何となく少工ってわかることありますよ。服を買う店が大体同じだから。」
「3年になると自分の好きな服を買うようになるんです」
小林「制服で外出してもかっこいいと思うけどなあ。この制服でモテるってことないの?」
「駅員に間違われます。何番線はどっちですかって。」一同爆笑。
小林「ええ~っ!そりゃひでえなあ。(笑)」
学校長の山形克己陸将補(少将)に話を伺った。
山形「3年間で身体も大きくなりますけど、一番変わるのは精神面ですね。「徳育(道徳教育)」というのが一番、伸びが違う。例えば「挨拶」と「敬礼」の違いですよ。相手を敬いながら心を込めてする。これがマナーです。自衛隊の規律では目上の階級の人に敬礼しなさいってなっていますけど、相手を敬う前にまず階級章を見ちゃいます。そういうものが積み重なると、恰好だけはいいけど中身が出来上がらない」
小林「なるほどなあ。では「愛国心教育」というものを重要視されているのですか?」
この質問に対して意外な答えが返ってきた。
山形「いえ、そんなことはないですね。愛国心はこういうものだと教えてもダメじゃないですかね。逆に、社会だとかそれこそ一般社会の中で道徳を教えた方がいい。」
小林「そうですよね。わしもネット番組で、年取って漫画が描けなくなったら公園の草むしりをする、といったら反発されたんですよ。」
三原光明副校長1等陸佐(大佐)「そういうことは大事な事ですよね。デモで声高に叫んでも、道にゴミを捨てて平気でいる人間なんかの言う事なんか誰も聞きませんよ。自分の家の前じゃなくとも、ゴミがあったら拾いゴミ箱に捨てる、これが社会性というものですよ。道徳心とは教えて伸びるものじゃなく、自分を厳しい環境において精進していれば自然と身につくものです。だから、この学校の卒業生はもっともっと社会で伸びるんじゃないかな。」
少年工科学校は「一身独立して、国家独立する」の教育をしている。本来ならば全国の学校で道徳教育として『工科学校型の道徳教育』が当たり前に実施されて当たり前ではないか?だが、いっておくが自衛隊の宣伝の為にこの小説を書いているのではない。
戦闘機に乗ってG(重力)を体感するとか保守系の言論人の誰もが体験するものだし、一日入隊なんか後で全身筋肉痛になるだけだ。
私は作家で、身体が弱く、もう中年のおじさんで、団体生活も自衛隊のような苦役も苦手だ。そういう視点での自衛隊論があってもいいんじゃないかな?と思う。
だから、この物語には自衛隊論を掲載したのだ。自衛隊の広報のためじゃない。
この物語を読んだからとて「これが自衛隊に入るきっかけになりました」と言うな。責任を感じてしまうじゃないか。自衛隊の広報新聞や小説じゃないんだ。



 2011年3月6日、都内某所野内で秘密裏に防衛省直属特殊工作部隊の入隊式が開催された。特殊工作部隊の隊名はSEELDZ(シールズ)という。SEELDZは第一班としてサイバー攻撃などに対処するサイバー課、第二班として歩兵第一課、歩兵第二課、第三班として砲兵第一課、第四班としてSATなどと同じような船舶家屋施設特殊工作課、などがある。鈴木崇も大島仁も所属となった。大勢の兵隊たちの前で松長仁志大将(陸将・陸上幕僚長)がスピーチというか訓示を述べた。崇と仁もマイクの前で訓示を述べる松長を整列してみていた。
「天皇陛下と皇国日本国のために死ぬ覚悟で戦え!国民の命がまず第一、国土国民皇族天皇陛下を守るのがSEELDZの使命である!」等という。
けっこう狂人的な人格だった。主賓席には桐島博文1等陸佐(大佐)や部下の中澤や杉、佐竹らサングラスの秘密部隊がテントの主賓席で座って、したり顔で松長の訓示を聴いている。
主賓席の席でも、桐島は不快な顔をした。兵士の小間使いのような高校生くらいの者が冷えた水をもってきたが、兵隊たちの列の横で眩暈をおこして崩れた。崇や仁の横だったために、
「だいじょうぶか?坊主?」
と起こしたが、桐島1等陸佐(大佐)は激怒して鞭を打った。「貴様!たるんどるぞ!」
「やめてください!まだ子供です!」
鈴木崇や大島仁が庇ったが、考えてみればその眩暈で倒れた少年がのちの少年工科学校隊士の子供兵士だった訳だ。桐島はふん、と不敵な笑みを口元に浮かべて、
「貴様ら、名は?無冠ではあるまい。名前と兵隊の位をいえ!」
「はっ!鈴木崇、位は一応3等陸尉(少尉)であります!防衛大卒です!」
鈴木崇・大島仁は敬礼をした。「同じく、大島仁3等陸尉(少尉)であります!防衛大卒業です!」
桐島は「ほう。学徒の大学生か?!私は米国MIT大学卒の学徒兵士、桐島博文1佐(1等陸佐・大佐)だ!これよりSEELDZの隊長である!いいか、覚えておけ、私や上官からの命令は天皇陛下からの命令と心得よ!」
「…は、はっ!」
ふたりは敬礼し続けた。え?
すると驚愕した。
「ふん!虫けらめ!少しは刃向ってくると思ったが、くだらん」
桐島1佐は不敵な男であった。
鈴木たちは手も足もだせない。桐島1佐はいわゆる今でいうイケメンであり、痩身で、軍部の制服を着ている。若い年代だ。部下たちは意味ありげなサングラス制服部隊である。
だが、鈴木崇たちには、憎しみ、だけが残った。
天皇陛下の為に戦う、のは当たり前だが、あの桐島1佐の為に死ぬのは御免だ。
怪しげな“闇の陰謀家”のような桐島1佐たちは姿を消した。
何なんだ、あのひとは……???不気味な静けさだけが骨身に堪えた。

哀しみを抱えたまま大島仁は転勤していった。SEELDZ第一特殊工作部隊という特殊ゲリラ部隊の隊員という官職であった。
上官は防衛省からの出向のエリート官僚であるという。あの防衛省のエリート官僚か?大島は恐れた。
常人なら当たり前の反応ではあった。
「元気でな、大島。また会おうぜ」
鈴木崇と大島仁は握手を交わした。
これが永遠の別れになることなど夢にも思わない。
こうして大島はSEELDZの拠点とする習志野(SKG)向かった。
鈴木崇は同じSEELDZでも部隊の班が違うのだ。かわりに鈴木崇の友となるのが年上の今野2等尉(中尉)(51)だ。
「よろしくな、鈴木少尉!」
今野2尉は痩身だが、髭や体毛が濃く、がっしりしている。沖縄出身では毛深いのも髭が濃いのも実は普通だという。ある沖縄出身のお笑いタレントの某氏が腕の毛が濃くて最近お笑いの種になったが、沖縄人なら髭とか胸毛や無駄毛が濃いのは普通だという。
鈴木崇や大島仁は体毛や髭は薄いほうだが、沖縄人なら“濃くて当たり前”だという。
アイヌ人等もそうらしいが、少数民族特有のものなのかも知れない。
嫌味なのは眼鏡ののっぽ男・小林義則(26)3等尉(少尉)、だ。
「面会人だってさ、鈴木崇少尉」
小林は仙台の軍の駐屯地で吐き捨てるように言った。
まだ『東日本大震災』の前である。
結局、東日本大震災では数万人の被災者を出すのだが、誰もそこまでの大震災があるとは思わない。
訪ねてきたのは狛江晴香だった。仙台大学の学生だった。
「晴香さん、どうしたんですか?」
軽装の晴香に、鈴木崇は訊ねた。
どうやらただならぬ様子である。
「ごめん、ここじゃちょっと…外に出よう」
鈴木崇は晴香の手をとり外に出た。
「…崇くん……!」
外の閑散とした人気のない所で、晴香は崇に抱きついて号泣した。
「どうしたんだい?晴香さん…?」
「…崇くん!……」晴香は何も訳をいわず泣き崩れた。
鈴木崇は只、泣き崩れる狛江晴香を抱擁して慰めた。只、晴香が愛しかった。
「崇くん……父が…死んだ…の!お母さんがスコットランドで病死したって…メールを受け取った後……土蔵の柱で首を…」
自殺か!あの狛江教授が!?まさか!しかし……
「…しっかりするんだ晴香さん。僕はいつでも君の味方だよ。そうさ、いつでも…だから」
鈴木崇は震える晴香を温かく包んだ。抱擁だ。
「でも…わたし…」
「大丈夫。心配いらないよ、晴香さん、いや晴香。」
ふたりは初めて接吻を交わした。
しかし、謎は残る。あれだけ「命あっての宝(たから)」「死んだら負け」「死ぬな。生き抜け」と熱弁していた狛江教授が自殺?奥さんが病死したから?晴香をひとり残して?
何か陰謀めいた事を鈴木崇は感じたが、口に出さなかった。そのすべてを呑みこんだ。
何か陰に陰謀めいた何かの謀略が、教授の自殺を望んだのではないか?ミステリー小説なんかじゃないけど何かがひっかかった。単純な『後追い自殺』『殉職』ではあるまい。
だけど、晴香には『両親の死』であることは確かである。
今は、何を言っても無駄であろうが、晴香は頭のいい晴香は薄々気づいているのではないか?だからここ(駐屯地)に来たのではないか?鈴木崇はそう思って下唇を軽く噛んだ。
自分自身の無力さを思い知らされた。



<ウィキペディアからの引用(東日本大震災発生)>
東北地方太平洋沖地震の震度分布図
地震発生
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、仙台市の東方沖70kmの太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200キロメートルのおよそ10万km2という広範囲全てが震源域とされる。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測した。
被害
この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した。また、巨大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによって、北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種インフラ(人々の生活に必須な、いわゆるライフライン)が寸断された。
2015年(平成27年)7月10日時点で、震災による死者・行方不明者は18,466人、建築物の全壊・半壊は合わせて399,301戸が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては避難者は40万人以上、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上等の数値が報告されている。復興庁によると、2015年6月11日時点の避難者等の数は207,132人となっており、避難が長期化していることが特徴的である。
津波による浸水面積 - 561km2
津波被害農地 - 21,480ha(宮城・14,340、福島5460、岩手730)
漁船被害 - 28,612隻
漁港被害 - 319港
日本政府は震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円と試算している。この額は、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県の県内総生産の合計に匹敵する(阪神・淡路大震災では兵庫県1県の県内総生産の半分ほどであった)。世界銀行の推計では、自然災害による経済損失額としては史上1位としている。
福島第一原発
地震から約1時間後に遡上高14 - 15mの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は、全電源を喪失。原子炉を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展した(→福島第一原子力発電所事故)。この事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7、チェルノブイリ原子力発電所事故と同等に位置付けられている。同原発の立地する福島県浜通り地方を中心に、周辺一帯の福島県住民の避難は長期化するとともに、2012年からは「帰還困難区域」「居住制限区域」も設定された(→福島第一原子力発電所事故の影響)。その他に火力発電所等でも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な電力不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに計画停電が実施された。計画停電は東北電力管内でも震災直後に実施されたほか、翌2012年の夏前には関西電力管内でも大飯発電所(大飯原発)の再稼働を巡って論議が起き、計画停電の可能性が議論された。
災害対策の動き
日本政府は地震発生から31分後の15時14分に、史上初の緊急災害対策本部を設置した。3月12日夜の持ち回り閣議で、政令により「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震等による災害」を激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律(激甚災害法)に基づく激甚災害に指定し、同じく政令により特定非常災害特別措置法に基づく特定非常災害に指定した(いずれの政令も3月13日公布)。また、青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、千葉県、東京都は災害救助法の適用を決定した(適用市町村は都県ごとに指定)。3月22日、青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県、内閣府は、東北地方太平洋沖地震と津波による被害について被災者生活再建支援法を適用することを決定した(適用地域は青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、千葉県)。ただし、国および福島県は原発事故に伴う長期避難世帯を被災者生活再建支援法の長期避難世帯と認めず、福島県には適用していない。
問題点・課題
震災後、ボランティア活動に対する保健衛生上の規制や支援車両に対する道路交通法の規制など、現在の法令による制限が復興の障害となっていることが明らかになった。復興の遅れにより経済や生活に二次的な被害が生じているため、関係自治体では災害特区指定や特別立法への期待も大きい。市街地が壊滅した岩手県陸前高田市などでは、集落ごと高台に移転するといった大規模な対策が検討されているが、課題も山積している。
震災以後も、2011年9月には戦後最大級の勢力をもって上陸した台風15号によって被災地が広範囲で浸水し、福島第一原発では汚染水上昇等の被害が起きている。膨大な量のがれき(例えば岩手県では前年1年間のごみ処理量の23倍に上るがれきが発生した)をどのように処理するかについても、がれきに付着した放射性物質の濃度が問題とされ、広域的な処理は進んでいない。
国および福島県は原発事故に伴う長期避難世帯を被災者生活再建支援法の長期避難世帯と認めていないことから、原発事故の長期避難に伴う災害関連死(特に「原発関連死」と呼ばれる)対策や原発避難者生活再建支援施策が求められている。
名称[編集]
「東北地方太平洋沖地震#名称」も参照
地震発生後、しばらくの間は各メディアや組織・団体において名称は統一されておらず、「東日本大震災」や「東北関東大震災」などの呼称が用いられていたが、日本政府は2011年4月1日の持ち回り閣議で、この地震による震災の名称を「東日本大震災」とすることを了解、発表し、それ以降は各メディアでの呼称も「東日本大震災」に統一された。
政府の閣議了解前に使用されていた主な震災の名称として以下のようなものがある。「大震災」だけではなく、「大地震」や「巨大地震」も震災を指して使われていた。
「東日本大震災」 - 朝日新聞、時事通信社、ウェザーニューズ、共同通信社、共同通信加盟社(産経新聞、東京新聞、中日新聞、毎日新聞(3月12日午後から)、日本経済新聞(3月19日朝刊から))、フジテレビ、TBS、テレビ朝日、日本テレビ(3月25日から)、テレビ東京、TOKYO FM、BS11デジタル
「東北関東大震災」(とうほくかんとうだいしんさい) - NHK、日本赤十字社、中央共同募金会
「東北・関東大震災」(とうほくかんとうだいしんさい) - 茨城県北茨城市が一時的に使用
「3.11大震災」(さんてんいちいちだいしんさい) - 河北新報(東日本大震災と併用で3月14日から)
「東北沖大地震」(とうほくおきだいじしん) - 毎日新聞が地震当日から3月14日まで使用
「東北・関東大地震」(とうほくかんとうだいじしん) - 共同通信社と毎日新聞、東京新聞、中日新聞など加盟社が地震当日の3月11日(翌12日朝に配達された朝刊やWeb公開された記事を含む)に使用
「宮城・茨城沖大地震」(みやぎいばらきおきだいじしん) - 日テレNEWS24が地震当日から3月12日まで使用
「東日本巨大地震」 (ひがしにほんきょだいじしん)- テレビ朝日(地震発生直後から暫定的に使用)、読売新聞
「東日本大地震」 (ひがしにほんだいじしん)- 日本テレビが地震当日から3月24日まで使用。TOKYO FM、BS11デジタルも使用
「東北大震災」 (とうほくだいしんさい)- その他の一部メディアや個人が使用
閣議によって震災の名称が決定したため、日本赤十字社の義援金受付口座名も変更された。
また、この震災で発生した津波について、地元紙を中心に一部で「平成三陸大津波」の呼称が使用されている。津波そのものに対しては、政府など公的機関は名称を定めていない。
死傷者[編集]
「東日本大震災における死者・行方不明者の推移」も参照

平成23年東北地方太平洋沖地震による都道府県別死者・行方不明者数(2011年7月17日現在)
人的被害
(2015年7月10日 時点)
都道府県 死亡 行方不明 負傷 計
合計 15,892 2,574 6,152 24,618
北海道 1 - 3 4
青森県 3 1 112 116
岩手県 4,673 1,129 213 6,015
宮城県 9,540 1,240 4,145 14,925
秋田県 - - 11 11
山形県 2 - 29 31
福島県 1,612 201 183 1,996
茨城県 24 1 712 737
栃木県 4 - 133 137
群馬県 1 - 42 43
埼玉県 - - 45 45
千葉県 21 2 258 281
東京都 7 - 117 124
神奈川県 4 - 138 142
新潟県 - - 3 3
山梨県 - - 2 2
長野県 - - 1 1
静岡県 - - 3 3
三重県 - - 1 1
高知県 - - 1 1
警察庁は、2015年(平成27年)7月10日、死者は15,892人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,574人であると発表している(ただし未確認情報を含む)。日本国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは戦後初めてであり、大津波や大震動に襲われた青森県から千葉県までの太平洋沿岸を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した。
死者の内訳と死因[編集]
警察庁は2012年3月11日までに、岩手県・宮城県・福島県で検視された15,786人の詳細を発表した。
年齢
0 ‐ 9歳:2.95%(466体)
10 ‐19歳:2.65%(419体)
20 ‐29歳:3.26%(515体)
30 ‐39歳:5.37%(847体)
40 ‐49歳:7.07%(1,116体)
50 ‐59歳:11.93%(1,883体)
60 ‐69歳:18.66%(2,945体)
70 ‐79歳:23.81%(3,759体)
80歳以上:21.42%(3,381体)
年齢不詳:2.48%(392体)
男【7,360体 (46.62%)】女【8,363体 (52.98%)】性別不詳【63体 (0.40%)】
死因
水死:90.64%(14,308体)
圧死・損傷死・その他:4.23%(667体)
焼死:0.92%(145体)
不詳:4.22%(666体)
この震災での犠牲者の死因のほとんどが、津波に巻き込まれたことによる水死であった。津波の中には、大量の砂や海底のヘドロ、港湾施設の重油などの有害物質などが含まれていた。砂が肺に入れば気管を詰まらせ、有害物質が肺に入れば身体を侵す。水死に至る経緯は、これらで呼吸困難になったり、がれきが当たり意識を失ったり、3月の雪の舞う中で低体温を伴ってなど、さまざまな経緯もあったと考えられる。
圧死・損傷死・焼死も、ほとんどが津波によるがれきが要因となっている。
建造物の倒壊や土砂崩れ、天井の非構造部材の落下、高所からの落下など、地震の揺れそのものが原因による犠牲者は、福島県36人・茨城県18人・宮城県13人・東京都7人など、分かっているだけで90人に上る。


【誰の人生にも地獄経験あり】緑川鷲羽も例に洩れず。「キモい」「オカマ」嘲笑罵倒暗殺未遂も(笑)

2015年11月24日 15時53分39秒 | 日記








誰でも地獄を経験している訳だが、


私も「キモい」「オカマ野郎」と嘲笑罵倒されたり、


「きもいんだ馬鹿!」と当時の小学生に罵倒されたので


自殺に追い込んだら


そのガキの馬鹿父親に改造拳銃で暗殺されかけたり


北朝鮮の工作員に暗殺されかけたり…


まあ、地獄人生でしたねえ(笑)


まあ、虐めですね。臥竜



緑川鷲羽そして始まりの2016年へ!臥竜  緑川鷲羽2016ReBORN上杉謙信

小説 中国の長兄 周恩来<中国の偉大なる名宰相>ブログ連載小説6

2015年11月24日 04時09分51秒 | 日記







 一年が過ぎ、二年が過ぎ、小平はじっと耐え続けた。
 午前中は工場で働き、午後は畑にクワをいれる。小平は失脚中、政治活動で忙しくて読めなかったマルクスや中国史やジョン・スチュワート・ミルやらの本を読みあさった。また民衆とまじわり、野菜の値段やひとびとが生活に苦しむ姿を目の当たりにした。そして、勉強した。
「文革のようなのは熱病と同じでいずれ冷める」
 小平はそう読んでいた。
 本人にとっては、つらく、屈辱的な日々だったろうが、この「失脚の期間」は小平にとって充電になったに違いない。そして、勉強になったに違いない。市民と交わり、おなじような苦労をともにすることで何かがみえたに違いない。だからこそ、そのあとの「改革開放」政策が生まれ、のちに「毛沢東の亡霊から中国を救ったひと」「総設計師」と呼ばれることになるのである。……



         文化大革命  四


 毛沢東と林彪は、軍の近代化をめぐって意見が対立するようになっていた。このままでは「後継者」という地位も危ない。彼はあわてて、イチかバチかのクーデターを企てる。しかし、それこそ毛沢東派側近連中の思うツボだった。クーデターは事前にキャッチされ、林彪はソ連に亡命しようとする。
 林彪の乗った飛行機はモンゴル上空にさしかかっていた。71年9月13日のことだ。そして、亡命がうまくいくと思った時、その飛行機は撃ち落とされてしまう。
 中国当局の発表はこうだ。
「林彪が毛沢東の暗殺を企てたが発覚。ソ連に亡命する途中に墜落死」
 真実は爆殺である。………
  この報をきいた小平は呟いた。「正義がなされたのだ。林彪の運命をきめたのは神の摂理だよ」。この後、小平は中国にとって必要だと思い、毛に手紙を書く。
”私は誤りを犯して中央の政治から離れて五年余りになります。私は六十八才になるけれども党と人民のために後、七、八年働けると思う。他に要求はありません”
 小平の「屈伸哲学」……であった。
 ベトナム戦争で、北を支援した中国の武器は「麻薬」だった。周は麻薬を米軍兵士に広めるように命令した。麻薬中毒者となれば、まともに戦えない。こうして北はベトナムで米軍に勝ち、米国のニクソンは訪中した。
「危険なところに妥協して頂いて感謝します」
 ニクソン大統領(当時)は毛沢東と握手した。中国人は『日本人の虐殺』云々言うが毛沢東の失政で、中国人が何千万人も虐殺されたのだ。
 毛はいう。
「危険などありません。もう老人ですし、怖いものなどありません」
 周恩来はキッシンジャー国務長官(当時)と密約を結び、今日の訪中にむすびつけた。ベトナム戦争もおわらせ、周とは近い距離に達した。
「米国と中国は同盟国です」
 ニクソンがいうと、癌で全身をおかされながらも周首相は「サンキュー・ベリーマッチ」といい笑顔をみせた。周首相は余命数か月といわれて、いた。



         周恩来の死


  中国とソ連の国境紛争がおこったのはこの頃である。中国北方とソ連との国境線は、アムール川(黒龍江)とその支流、ウスリー川の中央と定められていた。だが、ウスリー川の中央にあるちいさな島(珍宝島またはダマンスキー島)の領土権をめぐって中ソ双方の軍が激突し、中国優勢でソ連の軍人のほうが多く戦死する。怒ったソ連はワルシャワ条約機構から14から15師団を持ってきて国境に張り付けた。そしてソ連側は、「クレムリンの首脳の中で、北京に核を落とすという計画が囁かれている」と、ロンドンなどの西側KGBエージェントにディス・インフォメーションを流させた。アメリカにいるKGBカヴァーたちも「北京に核を落としたらアメリカはどう動くのか」と米政府高官に真剣に聞き始める。もちろん、これはブラッフ(ハッタリ)だったが、中国にはわからなかった。…中国とソ連の軍事力は比較にならない。ソ連と戦ったら中国はひとたまりもない。すっかり震え上がって、中国は帝国主義と嫌っていたアメリカと手を組むことになる。これはヴェトナムで弱くなっていた米国にとってもいい結果だった。いままではソ連と中国という二つの敵と戦っても自信ありだったが、ヴェトナムの泥沼にはまってもうその戦略ではやれない。そんな時、ちょうどよく中国と和解ができたのだ。これはラッキーだった。(珍宝島は91年の中ソ会議において、ソ連が中国側に譲ることになった)
 こうして毛沢東とニクソン(当時のアメリカ合衆国大統領)はがっちりと手を組むことになるのである。もちろん、そんなに簡単にいった訳ではない。ここまでいくのに、キッシンジャー国務長官と周恩来首相との極秘会談が何度もおこなわれたのである。
 ここで有名な話を書いておこう。
 それは、毛沢東がフルシチョフに語った言葉だ。毛はフルシチョフにいった。
「我々の国は10億の民がいる。たとえ核をおとされて数万人が死んだとしてもたいしたことはない」
 もちろんハッタリだが、この言葉をきいてフルシチョフはぞっとしたという。

  一九七三年3月10日には、毛沢東は小平を復活させることを決定している。そして小平は12月12日には党副主席、党政治局常務委員、党中央軍委副主席、軍総参謀長に任命される。 当然ながら、弟を自殺に追い込み、息子を下半身不随にした毛主席派に恨みをもっていたが、そのことを彼はおくびにも出さなかった。
 毛「小平同志を政治局員に復活させる」。この復活のかげで動いたのが周恩来だった。毛沢東はいう。「小平同志はたぐいまれな才能がある。彼は綿につつまれた針のようなものだ。思慮深く問題に真っ向からぶつかったりしない。責任をもって問題を解決することができる」
 小平は65才にして、不死鳥のように復活した。……
 副首相となった小平は、台湾・日本・香港をみて「中国は50年遅れをとった」と思った。彼はいう。「金持ちになるのはよいことだ。社会主義とは一部だけが豊かで大部分が貧しいということではない」そしてこの後、小平は
 周恩来の病気(ガン)が重くなったため、党と政府の実務を主導し、江青ら「四人組」と激しく対立するようになるのである。
「四人組」とは、毛沢東の妻の江青をリーダーとして、王洪文、桃文元、張春橋の四人のことである。この「四人組」が毛沢東の後に、中国の最高実力者になろうとして小平らと対立したのだ。ちなみに林彪のクーデターをリークしたのも「四人組」である。
 とにかく、小平は江青ら「四人組」と激しく対立した。それは、血で血を洗う権力闘争へと発展していくのである。

 周恩来は外国から資本を入れて経済を立て直そうとしていた。江青はそれに対してヒステリックに「周首相は外国にわが国を売り渡そうとしている!愛国心のかけらもない!」と叫んだ。それに対して周は、
「いいかげんにしろ! なんでもあんたと同じじゃないとダメなのかね?」と怒りをふくんだ声でいったという。
 周恩来はあせっていた。経済を立て直さないと中国はふたたび混乱の世になる。自分は癌でもうすぐ死ぬ。なんとかしなければ!彼はあせった。

  周恩来は癌で、病室から一歩も出れず、あるくことも困難になっていた。小平は毎日、彼のそばに来ていた。
「小平同志………私が死んだら君達がどうなるのか……不安だよ」
「だいじょうぶです周同志。あなたは死にません。きっと…よくなりますよ」
「中国の経済を立て直さなければならない。そうしなければ、中国は終りだ。十何億もの人口をかかえてもなお貧しい農業国。核と時代遅れの軍隊をもった、巨大なる発展途上国。それが中国の現状だ。私は首相となってから…この問題をなんとかしようと頑張ってきたのだが……」周恩来は弱々しい表情で、瞳だけをぎらぎらさせていった。もう病状はだいぶ進んでいた。
「はい。そのことはよく知ってます同志。ですから私は、外国から投資をつのるように考えているのです」
「うむ…」
「ですが、毛主席と「四人組」が邪魔で…」小平は嘆いた。「それに党には、改革のできる教育をうけた立派な人材がほとんどいないのです」
「小平同志………私が死んだら……中国のことは…頼んだ」周恩来は小平の目をじっと見ていった。「これからの中国には、ぜひとも君の力が必要だ」
「………周同志。」
  小平は凍った表情のままいった。
 周はベットに横になっていたが、やがて起き上がろうとした。そのとき、血を吐いた。「周同志!」
「小平同志………私はもう駄目かも知れんよ」
 それが、周恩来の最後の言葉となった。



         周恩来と葉剣英


  周恩来は一九七六年一月八日、息をひきとった。
「はい…もしもし」
 小平は自宅の電話に出た。それは周の訃報を知らせる電話だった。
「周恩来首相がついさっき亡くなりました」
「なんだって?!」
「死んだんです。もう…終りです」
 小平は口をひらき、何もいわずにまたとじた。世界の終りがきたときになにがいえるだろう。心臓が巨大なかちかちの石と化して、胸にずっしりと垂れ下がると同時に、血管の血が氷になっていくのを感じた。電話の同志がたったいまいったように、すべて終りだ。大切な後ろ盾が死んでしまった。何も考えることができずに、目をとじた。最悪の事態を迎え、小平の心は完全な空白になってしまった。

「周恩来同志は、中国の経済的、文化的な発展に伴う多くの問題を解決した人として、その名前が記憶されるでありましょう。今日、彼の創造的なちからが花開いたまさにその時、彼が我々のもとを去ってしまったのを知るのは、人間としてつらく困難なことであります」 15日の葬儀に出席し、追悼演説を述べた小平は青ざめた表情で終始うつむいていた。不意にいままでの疲労が襲いかかってきて、小平は自分がつぶされそうになるのを感じた。次は自分かもしれない。現在、六十八才。もう百歳まで老け込んだ気分だった。
(日本では六十代は老人だが、九十代や八十代の政治家がごろごろいる中国では、六十代はあまり年寄りとはとられない)
 周恩来の死は、政治局に空席を生んだ。しかし、空席を埋める決定はすぐにはなされなかった。

 さて、小平が天下をとれたのはどうしてか?それは、葉剣英というキング・メーカーの存在が大きい。葉剣英がいなければ小平は江青や側近たちに身柄を拘束されて、殺されていただろう。
 それを救けたのが葉剣英・老元帥だった。では、なぜ小平を救ったのか?
 まず、江青らが軍に多大な被害をもたらしたことだという。そしてもうひとつの理由が、紅衛兵を憎悪していたことだともいう。同じ客家としての連帯感や長征をともに経験したこともあったろう。
 しかし最大の理由は、葉剣英が小平の卓越した能力を見抜き「四人組」の後の中国に必要な人物だと考えていたからだ。

「葉剣英同志」
 テラスでチェアーに腰かけてくつろいでいた葉剣英に、小平は控え目な笑顔のまま声をかけた。「おはようございます」
「やぁ、小平同志」彼も控え目な表情のまま、答えた。それから真剣な顔になって、「小平同志、君は四人組に狙われているぞ。このまま北京にいたら、そのうちに江青とその取り巻きたちに身柄を拘束されて抹殺されてるのは火を見るより明らかだ。どうだね、私は君を匿ってもいいと考えている。私の広州へすぐ飛びたまえ」
「ありがとうございます、葉同志」
 テラスからは街並が一望できた。二人はきらきらとした街の風景をながめ、そよ風に吹かれながら、しばらくそれぞれの思いに酔っていた。美しい風景が、目の前の恐怖を少なからず忘れさせてくれる……。
 葉剣英は小平に合ったとたん、気にいってしまったのだという。小平は知的センスが高かったし、老元帥にも、彼は立派で正直者にみえたのだ。また、葉剣英は明るく社交的で絶倫で女性に相当人気があった。それゆえに、の人の心をとらえる才能を評価したのかも知れない。かくして二人は実の親子のような関係となっていった。
 中国のクレムリン=中南海の近くの公園を散策するのが二人の習慣となっていた。
「四人組をなんとかしなければならない」
「そうですね」小平は大きくうなずいた。
「文革のアジテーターたちのせいで軍は多大な被害を受けた。軍の階級が一時だが廃止され、兵士たちは軍事訓練そっちのけで朝から晩まで毛思想の学習を強制されたのだからな。ヴェトナム軍に負けるのも当然だ。」
「しかし、葉同志のおかげで軍は再び戦力強化されつつあります。これは同志の力あればこそです」
 葉剣英はその言葉に微笑して「いや、君の協力によるところが大きい」と答えると、控え目な言葉で、父親のようにいった。
「成長していく過程で、人間は誰かの影響や協力を受けるものだ。それは良しにつけ悪しにつけね。その影響は人生を変えるほどの大きなものかも知れない。その影響が人生観さえ形成していく要素になるだろう。それは誰だろうと例外ではない。軍のことは君の協力によるところが大きい。そのことについて私は同志小平に感謝している」
「おそれいります」小平は控え目に答えた。
 しばしの沈黙ののち、
「私は紅衛兵や江青が大嫌いだ。君はどうかね?」
 彼は尋ねた。小平はすぐに答えた。「私も大嫌いです。あぁいう連中が国をダメにする」誠実さをふくんだ言葉だった。
「うむ。」葉剣英はニガ虫をかみつぶしたような顔になり続けた。「私はけして忘れない。文革初期、私の娘婿のピアニスト劉詩昆が紅衛兵に連れ去られて迫害を受けたことを!なんと彼は両手の骨を砕かれたのだ!!ピアニストの命を。……江青に煽られた連中がドアに手を挟んで潰した。彼が二度とピアノを弾けないようにしたのだ!私はけしてこの悲劇を忘れない!!連中を許さない!」
「私の弟や息子も迫害されました。そう……だから、けして連中をゆるしてはならない!」 小平はうなづき、葉剣英と視線をかわした。「とりあえずね、小平同志。身の危険がなくなるまで、私の広州へ身を隠していたまえ。連中のことはきっと私がなんとかするから」
 葉剣英は大きく息を吸い、小平をみつめた。そして、明るめの表情になって続けた。「広州にいれば誰も手だしは出来んよ。四人組も華国鋒も。なぜなら私が匿うからだ。私は軍を握り、広東を支配している。連中だって手だしは出来んよ」
 小平は「ありがとうございます」と頭を下げた。こうして、小平はのちに葉剣英により広州に匿われることになるのである。しかし、もし葉剣英が小平を信頼していなかったとしたら、このように二人は親しい間柄にはならなかったろう。そして、彼が小平の才能を見抜いていなかったら、小平は「四人組」に抹殺されていただろう。

  一九七六年四月七日、第一次天安門事件が勃発する。そのことで小平は軟禁処分を受けて、いっさいの職務を剥奪された。
 小平、三回目の失脚であった。この頃、周恩来の葬儀がおこなわれた……



         毛沢東の死



  一九七六年九月九日。
「我々の偉大なる指導者である、毛沢東主席が……亡くなられました」
 北京の発電機工場の労働者たちは、愕然とした表情のまま一台のラジオを囲んでいた。毛主席が死んだ…?この衝撃のニュースを聴いて、労働者たちは信じられないといった表情のまま、金縛りにあったようにしばらく動けなかった。
「……全能な指導者、毛沢東主席が……死んでしまった。指導者なくして、我々はどうやって生きていけばいいのか……」囁きにちかい声で労働者のひとりがいった。彼らは、皆、暗澹たる思いだった。あまりのショックで口もきけず、おびえた野良犬のような目でラジオをじっとみつめていた。
「いままで……どんなことでも毛主席に従っていればよかった。それなのに…なんということだろう………我々の人生は毛主席に始まり毛主席に終わった。あの偉大な指導者をなくした今、我々は、そして我々の国は……いったいどうなってしまうのだろう」
 恐怖に震えながら、労働者のひとりが涙を流していった。
 さまざまな街でも、道に出て声をあげる人々がみられたという。何万もの群衆が、毛沢東の遺骸が安置されている北京の中心部に集まってきた。もう一度、国民の細部まで支配していた、偉大なる指導者の姿を、「中国の赤い星」の最期の表情をみようと。
 神格化された毛沢東の銅像は、あらゆる広場にたっていたし、中国国内の学校や職場に数えきれないほどのプロパガンダ(大衆操作)のためのポスターが貼られていたが、それよりも本物を……この目で「神」の顔をみよう。人々は押し合い、しだいに群衆はパニックにおちいっていった。ショックで泣きわめくもの、物をこわすもの、へたりこむもの……群衆のヒステリーで、何百人か、何千人かは圧死してしまったという。
 それほど、毛沢東の嘘、巧妙なプロパガンダは、国民に浸透していたのだ。

  毛沢東の死去のニュースでたたき起こされた小平は、
「毛主席が死んだ。やったぞ!」と思わず広州の隠れ家の一室で言った。彼はうれしくなって自然と頬が緩くなったが、顔に喜びをあらわさないように努力した。独裁者が死んだ。これで文革も終わる。四人組さえ粛清してしまえば私にもチャンスがやってくるかも知れない。今日は、スターリン死亡と並ぶほどの記念すべき日だ。
 あぁ、誰かと…この喜びを誰かとわかちあいたい。小平がそう願ったとき、ちょうどよく葉剣英がたずねてきた。
「葉同志」
「小平同志、毛主席が死んだな。……後は四人組をなんとかするだけだ」
 葉剣英は冷静な表情のまま言った。
 それに対して、小平は誠実さをこめて、
「そうですね」
 と答えていた。………

















ポスト・スクリプト














         四人組逮捕


  ショックからたちなおった中国の市民たちは、毛沢東がいなくても大丈夫だし、むしろ、死んでくれてよかった、と感じるようになった。後は、国を無茶苦茶にした「四人組」の番だ。未来が少しだけ明るくなったのだ。国を改革しようという動きもあらわれだした。 広東に逃げた小平は許世友将軍と広東省の省長で葉剣英の愛弟子・劉国清によって身を守られていた。
 江青一派は焦った。第一次天安門事件(七六年四月五日、”労働民兵”という腕章をつけた4000人の一団が突然現れ、広場にいた群衆に角材で殴りかかり数百万人を死亡させた事件)で彼らは憎悪の的になっている。しかも、もう毛沢東という支えもないのだ。 江青が考えていることは葉剣英には手にとるように判った。華国鋒を追い落として彼女自らが毛沢東の後ガマになる。しかしそうなれば、中国は再びあの暗い文革期に逆戻りしてしまう。
 葉剣英は考えた。
 四人組との対決は不可避であり、軍を握っている自分は多分、勝てる。しかし四人組の後は誰になるのか。荒れはてた祖国を再建できる人材は多くない。
 華国鋒では人心がついてこないし、自分は軍人あがりで年を取り過ぎている。
 まず葉剣英は長征以前からの戦友の王震副首相にコンタクトをとる。しかし、彼は自分は大中国を治める能力も体力もないといって固辞した。次に陳雲にアプローチをかける。しかし陳雲も同じく固辞。しかし二人ともある男を推奨する。小平である。
 葉剣英はやはりと言ったという。
「やっぱり、あのおチビちゃんしかいないか」
 葉剣英は、身長一五六センチの小平をうらでは「おチビちゃん」と呼んでいたという。
「華国鋒と直接話して彼を味方に引き入れることを進言します。なぜなら華国鋒は北京の権力中枢には人脈をもたないからです。ただ毛沢東主席に「あなたがやれば安心だ」といって首相になっただけだからです。いきなり湖南省からやってきたわけですから、誰も盟友と呼ばれるものなどいないのです」
 小平は葉剣英に進言した。

 巷では江青一派が文革期初期をおもわせるヒステリックな煽動を行って、各地で学生や労働者を動員して”走資派”批判デモを行っていた。が、なんのうねりにもならなかった。民衆はソッポを向くだけだった。
 葉剣英はすぐに華国鋒と話した。
「江青を排除すべきだ。あの女は権力を握りたがっている」
 華国鋒は押し黙る。
「このままでは国が真っ二つに割れて内戦になってしまう」
「江青はあなたを追い落とすはずだ。そして自分が取って代わりたいと考えているんだ」 華国鋒は老元帥の言葉を顔をこわばらせてきいていた。明らかに彼は迷っていた。
 葉剣英は考えている彼に
「このままでは、また人民が憎しみあって血が流れる。決心したほうが良い」
 と詰めよった。
 しかし華国鋒は優柔不断な性格だったので、葉剣英は時間をかけて何度も説得した。軍神に「三願の礼」をつくされた華国鋒はやがて説得に応じるようになる。
 後は具体的な戦術だけだった。
 小平はシナリオを描いた。それは、以下のとおりだ。
”公安を握る李東興。この人物は毛沢東のボディガードあがりで文革派とされているが、江青の突出を心よく思っていなかった。しかも毛の死で、まったくの根なし草になり不安におびえている。こうした人物は、葉剣英が甘い言葉をかければ必ず味方になる。”そして小平の読みどおり、李東興は説得に応じた。
 そして同じ頃、葉剣英は江青一派を封じ込め内戦を回避するために広東省軍区に大量動員をかけた。四人組の牙城、上海で「労働者民兵」が武器を用意しているという情報が入ったからである。
 許世友将軍に出動を命じたのも葉剣英である。許将軍は文革派を上海から一歩も出さないように大掛かりな作戦を展開する。許は江青が大嫌いだった。ヒステリックでイジ悪くて傲慢な江青という女に我慢がならなかった。だからこそ、許はやる気になったという。 決行は十月十日と決まった。クーデターは単純だった。
 政治局員で会議の連絡役でもある 東興が「臨時に政治局会議が行われるので集まって下さい」と言って彼らを呼び出して、即逮捕してしまうのだ。
 だが決行は十月六日に早まった。上海で四人組のひとり、王洪文の指示の下、労働者民兵が武力行動を開始しそうになったからだった。
 葉剣英の宮廷クーデターはあっけなく終わった。
 会議を名目に呼び出して逮捕したのは王洪文と張春橋の二人。桃文元と江青は自宅での逮捕となった。二人づつに分けたほうがよいという判断からだった。
 江青は逮捕されると知って狂ったように「この汚らわしい連中!私に触るな!私は毛沢東の妻なのよ!!この裏切り者ども!」と暴れて抵抗したという。それと同時頃、許世友は広州でなく上海を包囲していた。いつでも王洪文の素人兵士たちと闘える状況をつくった。 しかし、いつまでたっても「労働者民兵」は出てこない。当たり前である。四人組を逮捕したことを葉剣英がしばらく伏せていたからだ。北京で起きたことを上海で知ることはできない。四人組のシンパが知ったのは九日になってからで、マスコミが一斉に逮捕を報じたのは十月十三日だった。
 その間に、葉剣英は各軍区に四人組の逮捕を伝えて、四人組シンパを逮捕していった。 そして葉剣英は約束どおり、華国鋒の主席就任に賛成した。しかし華国 の天下など一時的なものでしかない。かつて毛沢東のバックアップがあったといっただけで国家主席が勤まるものではない。すぐに文革否定の嵐がきて、小平の天下になる、そう葉剣英はみていた。
 すべて葉剣英の読みどおりに進んだ。
 小平は華国鋒に手紙を書き、副首相に復活した。小平はいう。「私が何度も失脚しても復活できたのは私が楽観主義者だからだ。政治とはシーソーのようなもので上がることもあれば下がることもある」中国人民は彼をこう呼んだ。「不倒翁」と。
 そして小平はこうもいう。「過去の成功は我々の財産だ。過去の誤りもまた我々の財産だ」彼は奇跡の発展をとげた日本にひかれていく。……
 それから一年ほど、華国鋒は”毛沢東がすべてなのだ”と何度も叫び続けたが、やがて失脚してしまうのである。その後の地位についたのが、やはり小平、そのひとであった。

……… 
********続く(刊行本あるいは電子書籍に続く)続く*****


                                    


【英会話上達方法】単語・文法だけ暗記しても駄目!アウトプット(言いたい事)→インプット英会話発音!

2015年11月23日 16時30分29秒 | 日記







おススメの英会話勉強法はコンピュータのスカイプとかでフィリピンやインドの格安の英会話教室で生で外国人のホストと低料金で話すとかネットの英語の授業を聴くとか、字幕付きの洋画を観て発音と意味をノートに写経して反復練習するとかNHKの英会話番組を録画するとか。何でもいいんですよ。英会話なんて才能じゃなく技能でもなく只の言語なんですから(笑)お薦めの勉強方法はイムランさんという方の、現地のひとが発音する通りの(つまり英文すべて棒読み読みではなく)いろいろな箇所をはぶいて発音する、勉強方法です。まずはインターネットでイムランさんの動画を観てみてください。必ず「なるほど」と納得する筈ですよ。イムランさんの言う通りで、どうしても日本人は単語や英文を覚えようとして挫折する、そして学び直してまた挫折…という繰り返しです。これはインプット(英語言語)→アウトプット(自分の言いたいこと)という間違った英会話勉強法が英会話が出来ない最大の難点ですよね(笑)イムランさんではないがまずはアウトプット(自分の言いたいこと)「僕は〇〇です」「はじめまして。仕事は〇〇をしています」「出身は〇〇です。〇〇が有名なんですよ。御存知ですか?食べたことありますか?」「日本の何処に行きたいですか?」というような自分の言いたいこと(日本語)を書いて、その英会話文章を発音を練習する、という流れでないと英会話が成立しません。まるで何処かの大学教授のような英単語を何万語も覚えているが外国人と話せない…などというような本末転倒な残念な人と同じですよ。会話なんですから英語は(笑)日本語で言うなら漢字を何万語も知っているのに日本語を話せない、みたいな(笑)本末転倒ですよ(笑)まず自分がいうセリフを想定してイメージして英会話を話す、という勉強法以外話せるようにはなりません。「こんな中学生レベルの英単語」とあなどるなかれ。まず話せてナンボでしょう?話せないなら単語だけ覚えていても意味なし!それが英語です。なお、 語学というのは必ずすんなりマスター出来るものではありません。天才やIQの高いひとならすぐマスターするでしょうが普通のIQのひとはとにかく積み重ねです。聞き流して覚えるとか英会話の脳を作る為に英会話を何時間も聴くとかいうのは、あまり簡単にマスターできると思わない事。まあ、ダイエットや司法試験や資格試験勉強と同じです。甘い考えではいつまでたっても英会話などマスター出来ませんよ。では。

【米沢市長選挙】「戦争法案安倍政権の手先・中川勝で米沢自殺」か?我が米沢市長選挙敗戦記

2015年11月23日 08時33分08秒 | 日記







【米沢市長選挙敗戦記】


戦争法案の中川勝氏が当選し、支持した安部三十郎氏は惜敗した。


忘れていたが仙台にも山形市・米沢市にも


僕をいじめる虐めっ子(オトナも)が沢山いたんだ(笑)


もう、東京や仙台に消えたと勘違い(笑)



まあ、やつらに僕は何にもやってないんだけど(笑)



いじめですね(笑)臥竜

****以下、改革案です********
<船中八策>平成の坂本竜馬<緑川鷲羽>による救国論
バブル崩壊と冷戦体制崩壊。「人間の幸せは物財の多さではなく、満足の大きさだ」といつの間にか人々一般に広まった。
人生観(工業社会では①教育②経済③蓄財④結婚⑤出産⑥育児⑦老後)
(1)一策・「追われる側」になった日本ーアジアの工業化加速
(2)二策・大不況の対策①不良金融機関の整理、一時国有化②健全銀行への公的資金の注入と金融系列の整理統合③銀行預金の全額国家補償④中小企業の借入の一定額まで政府保証⑤巨額の補正予算による需要創造、景気振興
(3)三策・少子高齢化対策
(4)四策・公務員改革ー軍閥時代と思わす政治の無力を回復する
(5)五策・ネットベンチャーで成功例、金融と電力でも成功例をつくる
(6)六策・短命内閣(安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田、安倍)を長期安定政権に
(7)七策・もう一度の「ものつくり国家日本へ」鉱工業生産15.3%ー消費支出8.5%減少
(8)八策・財政再建・緊縮財政・貧困2000万人、生活保護受給者200万人
*小学校一年生から「英会話」を必修科目として学ばせる。(「英語でいい点を取るのではなく外国人と会話が出来るように」*新たな英語教員など必要ない。インターネットのネットテレビ画像チャットで現地とライブでつなぎフィリピン人やインド人とネット上で会話させたり、英語のニュースやアニメ動画などを見せて発音をさせることでも全然OK)
*国外へでていく産業を減らす(補助・予算・法人税減税)ー失業率を減らす
*教育の充実ー考える頭、創造力や知力の確立、マインド、拝金主義、等道徳心
*官僚依存と国家の「官僚アレルギー」「反官僚嫌官僚」の是正
*「省資源化社会」を目指す。復興財源は「エネルギー負担税」で
*国際的孤立ー思いつき政治からの脱却(道州制導入を)
*外国人労働者に愛されない国(脱工業化ー知価社会を目指す)
 復興三柱ー地域、文化、産業。人的支援を拡大しよう!
*大胆な少子化対策。目玉は市営の「若者定住促進住宅」建設。「子供がいる/結婚の予定がある」などの入居条件を課し、2LDK(20坪)で家賃は3万3000円。米沢市の相場の約半額だ。「集合住宅タイプ124戸を整備し、戸建ての建設費の10%を補助する事業(45歳未満が対象。上限100万円)を実施」。さらに高校卒業までの医療費無料化、市営保育所の保育料引下げ、義務教育の給食費40%補助などを実施。「子供を育てられる環境」があれば、産みたいという若者は少なくないことを証明したい。重要なのは財源である。市職員の意識改革に着手。コスト意識を徹底させて職員数を大幅に削減する。「職員の3分の1はリストラさせてもらう。もちろんリストラしない道も用意してある。リストラしない代わりに政治家4割役人3割の給料削減(年間)とボーナスカット!」職員の生産性を倍にして、行政のスリム化を行う。役所などの掃除や運搬移動などは職員が自ら行う。(日本では男性中心の雇用形態であり、女性が出産・育児となると会社を辞めねばならない。フルタイムでは働けず、パートは時給も安い。仕事を辞めても暮らせる男性と巡り会わず独身のままの女性や晩婚化が進んでいる。フランスやスウェーデンでは同一労働同一賃金が浸透し、雇用形態ではなく仕事の内容に応じて収入が決まる。安倍政権が打ち出した「育休3年間」もそうだが、日本では「女性が家で育児に専念できれば出生率が上がる」という考えが幅を利かせている。世界常識からみれば大きな間違いで、安定収入がなければ子育てはできないからだ)また、私が鷹山公なら細井平洲先生は大前研一氏と「組織再生プロ」の小嶋光信氏である。積極的に米沢市に招聘して、教えを乞う。米沢の為である。リストラは×。
*河川流域の環境保全と、直江堰堤などの郷土資産を活かした市民と一丸となったまちづくり*養豚場の悪臭問題解決*第二図書館建設廃止*高齢者が安心して暮らせるコンパクト・シティ構想*豪雪地帯の米沢の除雪、排雪のレベルアップ*主要県道の充実、万世橋成島線の延伸と石垣町塩井線南進における内環状道路の早期実現。米沢北インターチェンジ周辺の有効土地利用の促進*河川の砂防や歩道や水路の充実*女性活躍サポート
*私が「アニメの殿堂」をつくる、というのは何もデカイ「リトル東京」のようなハコモノをつくる訳ではない。岩手県のオガールエリアのような産業振興施設である。一番集客力があるのは図書館だが、そこに入るのには絶対にフリースペースをつくり通る時見られるようにする。そこで朝市やストリートライブでもクラッシックやロックのライブでもやればいい。勿論、ラーメン店や学習塾や音楽練習スタジオ、レコーディングスタジオ、コーヒーチェーンやTSUTAYAやネットカフェやミスドや牛丼店やドン・キホーテなど民間の店にもはいってもらって、図書館や第二役場施設や子育て無料預り所相談所などの資金(テナント料で)とする。戦国時代や幕末やアニメやマンガのコスプレや写真館も当然そうしたい。ヒト・モノ・カネ・シゴトを重点的にふやす戦略である。全市のトイレもきれいにしたい(女性対策)。米沢市の米沢牛やさくらんぼや梨・林檎・果実・日本酒などの物産品をAmazon経由で是非世界中から購入してもらうような販売ルートを開拓する。*国内外の農業ライバルとの競争に強い米沢市の農業政策の大転換(我が上杉の城下町・米沢市の酪農家の(TPP対策として)『ブランド牛・米沢牛を高品質化で(安価外国牛に)対抗』という戦略は正しいし、全面的に支持したい。さくらんぼも林檎、ラ・フランス、鯉の旨煮もそうだが幾ら外国産より値段が高かろうが『嗜好品』『高品質でおいしくて安全』なら必ず生き残れる。戦略的に米沢を創り直そう。また高スキル主婦の中小企業へのインターシップや子育てしながらの週4日短時間労働等の『中小企業新戦略発掘プロジェクト』も米沢市政で実施したい。待機児童ゼロ、『子育てするなら米沢市で』を目標に私は(出生率1・86の)長野県下郷村のモデルを取り入れて行政のスリム化で予算捻出、子育て世帯に格安住宅や養育費を提供するプランを米沢市政でもやりたい。女性や高齢者、若者の輝ける米沢市にしたい。女性職員たちによる「米沢市女性対策本部」を市役所に新たに設ける。国家戦略特区に指定してもらって若者の政治参加(17歳で米沢市地方選挙投票権を付与)を進める。生活保護で働ける人々に一人当たり70万円の税金で1年間の職業訓練を受講させ社会労働者復活をバックアップ。安易な外国人単純労働者の受け入れ拒否)*道路などのインフラ整備*公共施設などの米沢市内のトイレをきれいにする(女性対策)*米沢市の市議会議員の給与ゼロと定数削減(議員はボランティア)*観光策など女性の声をとりいれる*観光立市宣言(特化)*コンパクトシティ構想*アニメの殿堂と宮崎駿風大正時代の町並みなどのパノラマ横丁化(上杉神社の東側を大規模に改築し、九里高校校舎は維持しながらも、ガンダムの等身大リアルな立像を建て、大正ロマンの建物やアニメの聖地にして観光立市化)

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緑川鷲羽そして始まりの2016年へ!臥竜