緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

沙弥(さや)AKB48大島優子主演NHK朝ドラ原作小説アンコール4

2013年10月31日 06時22分40秒 | 日記
         小説家志望




  今、ぞぐぞくと「作家志望」の日本人が増えているという。
 カルチャー・スクールで、とか、新人賞狙いで、とか、とにかく増えてるという。一説には1万人は志望者がいるらしい。もちろん全員が全員、品質の高いものを書く訳ではな            
いから1万人の下剋上…ってことでもあるまい。
 当時の沙弥もそのひとりだった。
 なぜ、作家に憧れるひとが多いのだろう?直木賞作家の高橋義夫氏によれば、勘違いからだろう、って言ってた。作家になれば楽ができる、とか、原稿とぺんだけでいいから手軽、とか、出版してすぐにベストセラーで金持ちになれる、とか思ってるんじゃないですか?それで作家志望者が増えてるんでしょう。って言ってた。
 こういうひとたちは(自分もなのであまり大声ではいえないが)日本の出版不況がわかってないのかも知れない。今や日本人のほとんどは一ケ月に一冊の活字本も読まない、って現実がわかってないのだ。
 日本の出版社の編集員は、上司から、「作家に出版しようとか間違ってもいうな」と釘をさされているという。出版して売れる本は、日本ではマンガかゲーム戦略本かヘア・ヌード、アイドルの写真集、と相場が決まっている。活字本は、有名作家や有名タレントのものでもないかぎり売れない。「くよくよするな」とかいう本もあるが、あれは外人有名作家だから売れるのであって、内容はD・カーネギーの「道は開ける」のパクリ。ただの、パクリ、だ。「ハリー・ポッター」なんてのは宮崎駿のアニメと指輪物語のパクリだ。
 まぁ、出版されて売れただけマシだけどね。

  沙弥ももちろん、その「作家志望」の人物のひとりだった。彼女は、なにかというと執筆していたな。内容は知らないが、だいたい分かる。それらを執筆して、推敲を重ね、コピーをとって郵送する。でも、当時は沙弥の作品は認められることはなかった。「あなたは一生一般向きのちゃんとした小説は書けませんぞ」などといわれたり、「ひとの読む水準に達してないんだよ」などと罵倒されたりしたという。作品を出版社に送っても、ボールのようにポンポンと(出版を断って)原稿が戻されることがしばしばあったという。それならいいんだが、何の返答もしない作品の返却もしない”まったくの無視”ってのも多かったという。
「物書きになる、などという野心はいますぐ捨てて、裁縫や料理でも習ったらよい」      
 と、戒める人間までいた。
 まぁ、最初は誰でもこんなものである。
 いきなりベストセラー作家とか青木賞、ノーヴェル…などというのはある訳がない。沙弥にしたってそれくらいわかっていただろう。
 G・B・Sやモンゴメリやオールコットもそうだった。

  高校時代(山形県立米沢女子高等学校・現在の九里高校)の沙弥も、やっぱり病気がちだった。執筆は順調とはいえ、出版や文学賞もダメで、陰鬱な日々が続いた。こうして長編小説が五編できた。この頃には例の「ゴルバチョフxゴルバチョフ」や「小説・上杉鷹山公」「贖罪・あゆみ」「北朝鮮よさらば」「おいどん!西郷隆盛」「至誠の魂 勝海舟」「アンネ・フランク」………などの作品も完成していたが、誰も審美眼がなくてその凄さがわからなかった。私も実は、知らなかった。だって沙弥は原稿を読ませてくれないのだから、わかるハズもない。
 沙弥は、その原稿をあらゆる出版社に送ったが全部突き返された。次作を是非拝見したいという出版社もあるにはあったが、どの出版社も頑として受け付けない。
 ちなみに沙弥の作品は、文章に問題があった訳ではない。思想に問題があったのである。
 そんなこんなで心労が溜まり病状が悪化して、沙弥はその年の9月に入院してしまった。 私が沙弥が倒れたってきいたのは、近くの川をみていた時のことだった。
「ありさお姉ちゃーん!大変ーっ!」
 っていって、まゆちゃんが駆けてきて大声でいった。「……どうしたの?」
「はあ…はあ…お姉ちゃんが倒れたの!大変!」
「……沙弥が?!」
 私は焦り捲ってきいた。
 …沙弥が倒れた………沙弥が……
 私はあぁと空を見上げた。
 沙弥はすぐに入院してしまった。私は真っ赤な顔をしてうんうんうなりながら、救急車で運ばれる沙弥をただ見送った。それはほんとうに緊迫した瞬間だった。…確かに、沙弥はこれまでも何度も入院はしていた。しかし、倒れたのはこれが初めてだった。……そんなこともあってものすごく切ない気持ちになった。
「だいじょうぶかなぁ?お姉ちゃん」
 病院へ向かうタクシーの中で、まゆちゃんが寂しく呟いた。
「だいじょうぶよ、まゆちゃん。沙弥が入院するなんて……いままでだっていっぱいあったじゃない」私は明るく装って、言った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
「本当?」
「えぇ、そう。心配ないって…」
 私は言った。でもそれはまゆちゃんに言ったのではなかった。自分に言いきかせたのだ。 …沙弥はだいしょうぶだ……って、自分に。
「そうね」
 まゆちゃんはゆっくりと頷いた。その瞳はどこか遠くをみているような感じで、心細く見えた。私はそんなまゆちゃんの胸の中にあるものが痛いほどわかった。
 きっと、このまま沙弥が遠くにいってしまいそうな不安にかられたんだろう。私もつらかったけど、「だいじょうぶよ」って無理に笑顔をつくり、
「きっとまた元気になって、ガラスとか割って暴れるわよ」
 と冗談をいった。
「そうね。きっと……」
 私たちは青空の下で、確信したように頷いていた。
  やがて夕暮れとなり、やっと面会が許された。
 辺りはセピア色だった。そのベットに沙弥が寝ていた。それはかけがえのないほど可愛くって、しかし、今にでもすうっといなくなってしまいそうな表情だった。沙弥はすやすやと眠っていた。まるで白雪姫のように。
 医者の先生は「だいじょうぶ」といった。大丈夫なのだ!沙弥は今回はだいじょうぶ、なんだか私は、胸に熱いものが込み上げてきて、涙がでそうになった。
 沙弥、沙弥、愛してるよ、だからずっと死なないで、少なくとも私より先に死なないで。私はそう祈った。
「………お姉ちゃん…」
 まゆちゃんは眠っている沙弥の手をにぎり、呟いた。
 私はすっと側により、まゆちゃんの肩をそっと抱いてあげた。とにかく安心した。医者もだいじょうぶっていってくれてるし、沙弥だってすぐによくなるに違いない。
 私はニコリとした。

  それからしばらくして、私は沙弥の見舞いにいった。
 すると沙弥は起きていて、ベットの机の原稿に向かっていた。またまた執筆だ。
「……沙弥、だいじょうぶなの?そんなに気合い入れて」
「あぁ、ありさか。だいじょうぶさ。書かなきゃ作家になれねぇだろ?」
「…そりゃあ……そうだけど」
 私は笑った。そして、
「どんなの書いてるの?」と、尋ねた。
「内緒……まあ、伝記物だよ」
「伝記物?」
「あぁ」
「誰の?読ませてよ…」
「ダメ!」沙弥は拒否した。出版が決まり、本になってから読ませるっていうのだ。
 いつになることやら、ってその時、私はそう思った。
  私こと黒野ありさの父がエリート銀行員だったころは今や昔。
 なにを思ったか、ありさパパは「脱サラだ!食堂始めるぞ」なんて言い出して、それで本当に銀行を辞めてしまった。それが私が高校生の頃…。そして父は、東京から地元に帰ってきて「修行」の日々となった。
 コックというか食堂の料理人の修行だ。「料理」の。
 この高校時代、私はほんとうに忙しかった。なんせ東京の大学受けるって決めてたからだ。とにかく有名大学や難関大学は避けて、私でも入れる大学を、と思った。私は天才ではないし、頭もあまりよくない。沙弥のほうが頭はいい。(でも、沙弥は大学にいかないっていってた)とにかく、私は大学ならどこでもいいって思ってた。そう思いながら受験勉強をコツコツしていた。
 父は東京で食堂を始めるって言ってたので、私も母も、”東京に一緒に行こう”って決めてた。
  その頃、沙弥は?というと、趣味に没頭していた。
 まず、パソコン。今ならウインドウズやヤフー、エクセル、ワードとかインターネット、Eメール、ツイッター、ブログ、クラウド、FACEBOOK、SNSなんていろいろあるんだろうけど、沙弥のやっていた頃は、ベーシックだのマシン語やコボル…などなどで、彼女はつまんないゲームを一生懸命作っていたっけ。
 それから作詞・作曲。
 シーケンサやリズムマシンなど内臓のオールインワン・シンセサイザ(YAMAHA・V50)を購入(もちろんローン)して意味不明の曲を作曲し、詩をいれてた。これはちょうど沙弥が、TM NETWORKの小室サウンドにインスピレーションを受けて「音楽」にインスパーンしたもので、あまりきいたことないから曲の品質まではわからない。でも、プロに編曲してもらえばイケるかもしれない。あとは沙弥ではないボーカルだろう。(沙弥は音痴なのだ)
 それから絵。
 これは沙弥が「宮崎駿アニメ」に影響を受けてやっていたもので、油絵やデザイン画、自分の作品のキャラクター・デザインなど、いろいろ描いていたっけ。油絵の方はルノワールに影響を受けたという。
 そして執筆。
 はっきりいって沙弥は、前述の3分野よりも作家として才があるように思う。作家だけにしとけばいいのに、音楽やら絵やらパソコン、と欲張る必要はないのだ。
”二兎追うものは一兎も得ず”なんてね。
 すると沙弥は、
 ”為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬはひとの成さぬなりけり”…と上杉鷹山の格言を言ってニヤリとした。
「…為せば成る?」
「あぁ」
 沙弥は強く言った。で、私は相手にしないことにした。



  沙弥がモラトリアム的なことをやっている間、私こと黒野ありさは受験勉強に励んでいた。沙弥の文学作品はボツだらけ、絵や音楽、脚本にいたってはゴミ扱いだった。
 それでも彼女は諦めなかった。
”なせば成る、なさねば成らぬ何事も、成らぬはひとのなさぬなりけり”、である。
 私も諦めなかった。
 受験勉強中、何度も沙弥が邪魔しにきて、「サクラチル」だのと何度も言ったり、くだらないおしゃべりで邪魔したりしてきた。でも、私は相手にしなかった。
 そして、遂に私はやりとげた。沙弥のイヤガラセにもめげず成し遂げた。そう、大学に合格したのだ。そして、東京の大学にいくため、と、父親が東京で『黒野食堂』をつくるので一緒に上京するっていうので、皆に「さよなら」を言った。
 私の母は、本当に長い間、父が単身赴任で東京にいるときから、家族皆で暮らす日をまっていた。ほんとうに長い間まっていたのだ。
 今は亡き私のお婆ちゃん(父の母)の看病をしながら、ひたすら待っていた。
 そしてやっと家族三人で暮らせる日がきたのだ。
 母はそんなに強い性格のひとではない。しかし、さしてつらそうでもなく見えた。それはそう明るくふるまっていたせいもあろう。とにかく母は明るくふるまい、強くふるまっていた。それは、こんなの何でもないわ、っていう強がりだったのかも知れない。
 愚痴にしても笑っていうので、きいてる良子おばさんも愚痴にきこえなかったに違いない。母はそんなひとだ。
 とにかく母と私の二人で父を待って暮らした日々は、私たちの多くのものを見せてくれた。
 うららかな春が近付き、気温もなんとなくポカポカと暖かくなってきて、いざここを離れるとなるといろいろ考えてしまった。窓から見える山々も、澄んだ空も上杉神社も、なにもかもが明るく私の胸にしみわたるような気がした。そして、私がいなくなったら沙弥はどうするんだろう?、って思った。
 田舎暮らしの最後の頃、私は緑川家に飼われていたルーカスという名前の犬をよく散歩に連れていくようになった。ルーカスは白くて大きいセントバーナードのオスだ。
 散歩は早朝にいくことが多かった。早朝の上杉神社はきらりと輝いて見えた。きらきらと朝日が差し込んで、春風でお堀の水面に幾重もの小波がたち、ハレーションをおこす。どこまでも続くような静寂、それはしんとした光景だった。
 いつ頃からか、沙弥も散歩についてくるようになった。それは好ましいことだと私は思った。やはり部屋でじっとしているよりは散歩でもしたほうがいいにきまってる。特に、沙弥のような病気がちな人間にとっては。

「ねえ、上杉神社みにいこうよ……沙弥」
 と私はこの土地を離れる前に彼女に言った。初春の荒れた上杉神社を近くでみてなんになるのか、だけどどうしても私はみてみたかったのだ。
「あ?…しょうがねぇな」
 沙弥はしぶしぶ言った。
 初春の荒れた上杉神社。
 つめたい風とあたたかい風がまざったような春風がふいて、やわらかく頬にあたった。だが、それはやはりつめたい。山の頂きにはまだ残雪が残っている。さすがにこんな光景をみようなんて物好きもいないらしく、人影はなかった。まだ積雪がある。米沢は雪国なのだ。だけど不思議なもので、上杉神社を見ていると、寒かろうが暑かろうが、独りだろうと大勢だろうと、そんなことは忘れてしまう。何か別の世界に引き込まれたような、それでいてはかないような上杉神社の光景…。
 ずうっとずうっと見てても飽きないだろう。だけど今まではあまりにも身近にありすぎて、鐘の音や森の匂いや切ないほどの風景も、毘沙門天の旗や龍の旗も、なにも改めて思うことはなかった。
 私はこの土地を離れることも、この上杉神社を離れることもないだろう、と今までは思っていた。だけどそれは違った。これからはこの土地や仲良しの友達とも別れてしまわなければならないのだ。私が生まれ育った場所から突然に、私の存在が消えてしまう。いろいろななつかしい思い出とともに…。そんな現実を受けとめるには、あまりにも私は若すぎて、とても心細かった。
「沙弥、私、本当はここを離れたくない!ずうっとずうっと、皆と一緒に上杉神社を眺めながら暮らしたい」と私は思わず泣きそうになりながら言った。
「バーカ」
 と沙弥は寂しげな横顔のままいった。長い黒髪が冷たい風に揺れていた。あんまり寒いので白い肌は少し赤くほてり小刻みに震えていて、それでも瞳だけはきらきら輝いていた。…それから、しばらくの静寂をやぶるように沙弥はフト、平然と言った。
「バーカだね。何かを得るときにはなにかを失うってのは当たり前のことじゃないか。それがわかんないなんて、ありさってガキだねぇ」
「でも……」
「胸をときめかす思い出だとかなつかしい光景だとかなんてさぁ……東京いったらすぐに忘れちまうさ。人生には出会いもあれば別れもある。それが普通じゃないか?」
「う、うん」
「まぁ、心配すんなよ」沙弥はいやりと笑い、続けて「あたしだってすぐに東京にいくさ。作家になって文壇デビューしたらさぁ。……まぁ、『作家先生』ってとこだな。そうしたら上京って訳。そんときは身分が違うからな、ありさとあたしは」
「どんな風に…?」
「作家先生と凡人の学生……ってね」
「バーカ!なにいってんだか」
 ふたりは笑った。
「あっちついたら手紙出すわ」と、私は思い出したように明るく言った。
「あぁ」彼女は横顔のまま答えた。
「小説……どんなの書いてるの?」
「秘密」
「教えてよ、ねぇ」
「うるさいんだよ、ブス。とにかく……風邪ひいちまいそうだから帰ろうよ」
 沙弥は悪態をつきながら言った。
 でも、それはなんとなくはかないような愛しいような、そんな風にも見えた。

  それから私は近所のひとに別れをいったり、同級生だった女の子たちに別れをいったり、高校時代にちょっと付き合っていた男の子に「さよなら」をいったり、いろいろした。そんな律義なところは母親ゆずりだな、と私はひとりで思った。沙弥なら誰にもなにもいわずに出ていっちゃうんだろうけど、私にはそんなことはできない。これは性格の違いだ。 母も母で、近所のひとみんなに挨拶してまわっていた。それはきらきらと輝くようなやさして思い出でもある。そしてそれらを思い出す時、私は胸がきゅんとしめつけれられるような感傷を感じるのだ。
  ここで、沙弥にきいた入院中の面白いエピソードを紹介したい。
 まず、入院中、病棟で遭遇した変態男・T橋和則……
 この男、知恵遅れでつるっ禿げで四十二歳で、とにかくおかしいという。つるっつるの頭をタオルで磨き、よだれをたらしながら「ウォーター! ウォーター!」とフルチンで(やだぁ!)踊りながら近付いてくる。
 処女で、男と寝たこともない沙弥だったが、気味が悪くて戦慄した。
 そして、おもいっきり蹴りをくらわしたという。
 和則は顔面に蹴りを受けて気絶したという。
 そして、デブスのA達みゆき……
 このお笑いタレントの山田花子のような娘はレズで、沙弥に何度も抱きついては「好きよ」などといったという。S藤記子というクレイジーなオバさんは沙弥に、
「あなた皇太子妃?」などときいて「握手して! 握手して!」などという。
 オペラ男・O島三平は病棟で「マリア マリア マリア…」とずっと狂って歌っていたという。沙弥は嫌になって「早く退院させてくれ」と頼む。
 すると主治医の竹田聡先生は「きみの病状が改善してからね」という。
 地獄のような日々だった……とのちに沙弥は回想してたっけ。           
 その前の学生時代、一応言っておくが沙弥は高卒(米沢女子高校(現・九里高校)卒業)だ。私も同じ高校卒で私は東京の三流大学に進学した。米沢女子高でも彼女は孤独であったが、「変人」扱いされても平気なようだった。あるときの週末の土曜日の午後、私がジュースを買いに近くの自動販売機でジュースを買い、戻ってくると、沙弥が血だらけの右手で歩いてきた。「どうしたの沙弥?右手、血が出てるよ!」すると沙弥が「ルーカスに咬まれた!」と平然と言った。「またルーカスを虐めたんでしょう?」すると彼女は「ちょっと二、三発蹴っただけだ。犬畜生のくせに生意気な!」などという。私は「自業自得よ」と笑ってしまった。彼女にはこんな一面もある。とにかく緑川沙弥はそういう女の子だった。
また沙弥は「高校野球・甲子園」も嫌いだった。「あんなもんガキどもの草野球だ」という。彼女は子供をガキといって憚らなかった。また、彼女は生涯独身のままだったが、どうも「上杉謙信公」に影響を受けて「生涯独身」を刀八毘沙門天に上杉神社で誓ったのだそうな(笑)さすがは変人だわ(笑)それと内緒であるが「緑川沙弥の優しい妹=まゆちゃん」とこの物語ではなっているが、実は違う。事実は小説より奇なり、とはいったもので「まゆちゃん」ではなく「緑川もえ(鈴木もえ・どちらも仮名)」で、「本当に天才・緑川の妹か?」というくらいにおつむの軽い自己中女である。だから沙弥は、鈴木もえ(仮名)を実兄・和宏と同じ「疫病神」として嫌って「存在を消してくれ」、と私に頼んだ。だからこその「優しい天使みたいな妹・まゆちゃん」な訳だ。それに実はだが、緑川和宏には「緑川咲(さき・仮名)」という娘がいるのだが、赤ん坊のときに米沢市の母親に見せに来て以来、一度も米沢市に連れてきていない。どうも、沙弥の謀略により「和宏がコンビニの支店をだして失敗」したことに端を発しているようだ。だが、沙弥は実兄・和宏を「馬鹿猿」とよんで忌み嫌っていたから、「米沢市に和宏ファミリーが来ないでせいせいする」と彼女は言っていた。また、この物語では「天使のような優しい妹・まゆちゃん」だが、実はこれも既婚者で、鈴木もえ(仮名)には鈴木三姉妹(亜美・幸子・希(あみ・さちこ・のぞみ・仮名))という娘がいる。しかも、長女の亜美は沙弥のことが嫌いらしく、「おばさんキモい」等といい口も利かない程憎んでた。だが、鈴木もえや亜美よりはるかに器のおおきい緑川沙弥は寛大に無視して(笑)許していた。天才とは憎まれる存在だ。子供の嫌がらせ等天才にとっては些細な事、でしかないだろう。

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ライトウエイThe's it right way?特別連載ブログ小説2

2013年10月30日 07時14分50秒 | 日記

        4 暴力と愛




「…れ……嶺子?!」
 椿亜也は思わず少女のような声を上げて驚愕した。
 玄関先で扉を開けたとき、顔に痣や傷だらけの嶺子が倒れかかってきたからだ。
 他の3人も、騒ぎを聞き付けてやってきて驚いた。
 幸智子は、「警察を……その前に救急車だよね」と言う。と、嶺子が、
「警察や……医者は…いらないわ。何でもないの。何で…もないのよ…」
 とダウン寸前で息絶え絶えに小声で言った。
「…とにかく中に入って! 幸智子さん、救急箱もってきて!」
 椿は嶺子を抱き抱えながら叫ぶように言った。
  とにかく消毒と包帯は巻いた。
 一同は酔いも冷めて、青ざめた顔でソファーに座って沈黙した。
 長く重苦しい空気が部屋に蔓延した。
 もう深夜である。
「もう、最低だね! 嶺子ちゃんがこんなになるまで暴力を振るうなんて…」
 幸智子は吐き捨てるようにいった。
「……嶺子……これが初めてじゃないよね? 何回目?」
 心配して椿が尋ねた。嶺子はソファーに座っていたが、沈黙するだけだった。
 小池も「…女性にこんな顔になるまで暴力なんて…普通は…」と言葉をきった。
「…暴力じゃなんの解決にもならないよ。とんでもない野郎だな、あの野郎は!」
 緑川がいうと、嶺子が入江貞雄を庇った。
「でも……皆、貞雄くんの悪口…いわないで。これは愛なんだよ。貞雄くんの屈折した……私は母子家庭で育っていつも孤独だった。貞雄…くん…も幼いときに両親が出ていって、それで親戚の間をタライ回しにされて……寂しいんだよ。愛なのよ…」
「違う! こんなの…愛じゃないよ! 只の暴力だよ!」
 椿はきっぱりと否定した。嶺子は動揺し狼狽するだけだった。
  深夜、嶺子は亜也のベットで眠った様子だった。
 椿と緑川はベランダで話しをした。
「…とにかく……嶺子をあの男から離さなければ……嶺子は殺されちゃうわ」
 椿の言葉に緑川は、
「そうだな。明日は私が嶺子くんを見守ってるよ。仕事にもいかせない。あの野郎がまたくるかもか知れないからな」と頷いた。
「緑川さん、すいません。私、明日朝に写真撮影の仕事が入ってるの」
「いいよ……私は作家だからね。何処でも仕事は出来るから…大丈夫さ。仕事にいっていいよ。大丈夫、嶺子くんは私が守るよ」
「すいません」
 椿は頭を下げた。

  早朝、緑川は夜なべしたようで眠く、起きた椿に朝の挨拶をした。
「…嶺子はどうです?」
「まだぐっすり眠ってるよ。安心したのだろう」
「幸智子さんや小池さんは?」
「仕事に行った。なんでも朝から会議らしいよ。嶺子くんのこと心配していたよ」
「そうですか……すみません、緑川さん。迷惑をおかけして」
「ははは」緑川は微笑んだ。「いいってことでい」わざとらしく江戸訛りでいった。そして「それより君も大事な仕事があるんだろう? 嶺子くんは私が見守ってるから…行っていいよ」
「すみません……嶺子のことを頼みます。嶺子には仕事場に行かせないで下さい。あいつが仕事場を知っている筈なので…」
「ああ。わかったよ」緑川は頷いた。椿は緑川鷹山が誰にでも優しいことを改めて知った。 椿亜也は嶺子を心配しながら、仕事へと向かった。

  椿の仕事は町中でのファッション雑誌のモデルの仕事だった。
 今年のトレンド(流行)といわれる服を着て、ポーズを決めていく椿…。
「いいね、それそれ」
 先輩のカメラマン、阿部がシャッターを切っていく。阿部はもう四十過ぎのオッサンだが、まだ独身だ。昔はモデルをやっていた様だが、不精髭を生やしてがたいが強くて、元・モデルには少し見えない。椿亜也は阿部のことを先輩として尊敬していた。
 だが、それは愛ではなかった。只のリスペクト(尊敬)で、それ以上の感情はない。
「よし……少し休憩しようか」
 阿部がいうとメイクさんが椿の顔をいじって休憩に入った。と、同時に椿の顔がひきつった。…あいつ…は。遠くであの入江貞雄が背広姿で睨んでいたからだ。
 椿は「すいません。ちょっとトイレ…」
 といってその場から離れると、物陰から携帯電話で、緑川の携帯へ繋いだ。
「……どうした? 椿くん?」
「…嶺子は? 今どうしてます?」
「ああ。今はひとりでTVみてるよ。何かあったの?」
 椿は声をひそめて「あいつがいるんだよ。現場に……私の跡をつけて嶺子の居場所を見付ける気だよ。とにかく嶺子を外出させないで! 私は奴をまくためにちょっと遅くなる」「そう…か。わかった」
 緑川は電話を切った。嶺子は振り向き「緑川さん……亜也なんですって?」
 と何も知らないで尋ねた。
「…ちょっと遅くなるって。ははは」
 緑川は無理に微笑んだ。
 ……あの入江って野郎がね。幸智子くんのいう通りにストーカー化しやがって。

「呑みに連れてってだって?」
 阿部はそう椿亜也に逆質問をした。
「はい。今日……いろいろと先輩にききたいこともあるし……ふたりで…駄目ですか?」「いやあ、いいけど。いつも付き合い悪いお前が珍しいな」
「…そ……そうですかね?」
  ふたりは夜、赤提灯の安っぽい居酒屋にいった。まくためには仕方ない。
 そこでビールを喉に流し込んだ。「どうぞ、先輩」椿は阿部にビールをついだ。
「……先輩、モデルとして成功するコツみたいなものはあるんですか?」
「成功のコツ? 失敗した俺にきくなよ」阿部は冗談をいった。
「失敗なんてそんな。先輩は雑誌で活躍したじゃないですか」
「過去の栄光さ。今じゃカメラ一本だ」
「でも……先輩、カッコイイですよ」
 阿部はにやりと皮肉な笑みを口元に浮かべた。「いいか? 椿。只、綺麗とか可愛いとかそれだけじゃ長くはモデルは続かないんだ。アイドル・タレントなんざ世の中に何万人もいるからな。ルックスだけじゃ駄目だ。すぐ終わるぜ。可愛いだけで通用するのは十代から二十代前半まで…ババアなんか誰も欲しがらない。まあ、話題性も必要だな」
「話題性?」
「作家の世界でよくやるだろ? 『小娘作戦』っていうの? 綿矢とか金原とか川上とかさ。”まだ十代の女の子が書きました。才能は未知数…でも天才を感じる!”とかさ」
 ふたりは笑った。
 確かに綿矢や金原らは『話題性』だけだ。
  居酒屋から出ると夜の東京は寒い感じがした。あいつはいない。うまく”まけた”のかも知れない。誰もいないアーケードの一角で、阿部は椿が思いもよらない行動に出た。 抱きついてきた。酔ってのことだ。「やめて…ください…よ。先輩…!」
 そして、椿の唇を奪った。
「やめろっていってんだろ!」
 椿亜也は咄嗟に阿部を腕で突き飛ばし、走って逃げた。
 くやしかった。何故かわからないが、悔しかった。涙が出た。

  深夜、椿亜也は部屋に戻った。
 緑川が出迎えた。「嶺子は?」
「大丈夫。今、ベットで眠ってるよ」
「そうか…あ! また幸智子さんと小池さんもきてるのか。また酔っ払って雑魚寝?」
「ああ。何かあったの?」
「いや」椿は頭を横にふって「別に何も……ないよ」と弱さを見せない。
「私には何でもいっていいのだよ。悩みは誰かにきいてもらえばサッパリするだろ?」
「別に……悩みなんて…」
 そういう椿の瞳からは涙が流れた。緑川はマザー・テレサのような愛でハグして、椿を慰めた。愛と友情の瞬間だ。「あいつはきてない。もう、嶺子くんには会わせないほうがいいな。危険だから…」
 椿は泣きながら頷いた。

「先輩……私の目をみて下さいよ」
 椿は次の日、撮影現場でよそよそしい阿部に声をかけた。
「私は………別に先輩のことが好きじゃないっていうか。別に尊敬してますけど、それは愛とか恋とかそういうものじゃなく。純粋に尊敬だけなんで。あのことは酒でのことだと思ってます」
 阿部は苦笑いを浮かべて「そ…そうだよな! いやあ、悪かったよ。俺、どうかしてたんだ。かなり酔っ払ってたからな。酒で狂っただけさ。な? 椿」
「……はい」椿は笑みを浮かべて頷いた。
 何にせよ、和解が出来た訳である。
  椿は深夜、マンションに戻った。雨がざあざあと激しく降り始めた。
「おかえり!」
 緑川と小池と幸智子が出迎えた。「遅かったね」
「…すいません。……っていうか何で私の部屋に皆いるんすか。嶺子は?」
 3人は静かな声で「もう眠ってる。疲れたんじゃない?」という。
「そう」椿はほっと胸を撫で下ろした。よかった。
 しばらくして玄関のチャイムが鳴った。
「はい。誰?」椿が扉を開けると、顔がひきつった。入江貞雄だ。黒の背広姿の入江貞雄がびしょ濡れでつっ立っていた。「…何の用ですか?」
「……嶺子いますよね? 返して下さい」
「………いないよ。どうかしたんですか?」怪訝な顔で、椿がいった。
「嶺子出してよ、オカマ」
「いねぇよ! 帰れ!」緑川が玄関にきていった。殺気が籠っていた。玄関の扉を閉めて鍵とチェーン錠をした。くそっ! つけられたか!
 心配して嶺子の様子を見てみると、すやすや眠っている。ほっとした。
 雨は強くなっている。しかし、窓から外を覗いてみると、まだ雨に濡れたまま入江がいるのがわかる。「……まだ居るよ」小池が怖くなっていった。
 椿と緑川と幸智子は何といっていいかわからなかった。
  早朝になり、雨が上がった。
 緑川と椿は外を覗いてみた。……よし、いない。あいつがいない。帰ったのだろう。
「私は少し眠るよ。徹夜だったからね」
 緑川はそういって欠伸をしてベットに向かった。椿はゴミ袋を持って外に捨てようと思った。そんなとき、嶺子が起きてきた。「おはよう、亜也。ゴミ?」
「……う…うん。捨てにいこうと思って」
「私が行くよ。泊めてもらって何もしないのは悪いもん」
 嶺子が微笑んだ。
 あいつがいなくなったことだし、まあいいだろう。「そう? わかった。じゃあ、お願いね」嶺子はゴミ袋を持って、外に出た。しばらくするとゴミ捨て場がある。捨てた。
 と、嶺子はハッとした。
 ずぶ濡れの背広姿で、入江が座っていた。「…さ…貞雄くん?! ズブ濡れで…ずっと私を待っていたの??」
「……嶺子…一緒に帰ろう? ね?」
 嶺子と入江は抱擁した。それをみた椿亜也の方が傷ついた。
 それは、鋭利なナイフで心臓を突かれたような痛み、だった。
         5 揺れる思い





「嶺子…一緒に帰ろう?」
 入江貞雄はずぶ濡れのまま彼女にもたれかかった。
 嶺子は肩を抱いて、抱擁した。何といっていいかわからなかった。でも、未練がある。彼はこんなにも私のことを欲しているのか…。
 タクシーに乗った。貞雄はシートに横になっていた。風邪で熱でもあるのか、虫の息である。…貞雄くん。御免ね。「運転手さん、急いでもらえませんか?」嶺子は焦った。
 朝、起きてきた幸智子が、「あれ? 嶺子ちゃんは?」と尋ねる。
「あ…ううん。ゴミ出しにいった」
 椿亜也はそう動揺して答えると、扉を閉めて無理にひきつった笑い顔をした。
 とにかく椿亜也は、心臓を鋭利なナイフで突かれたように衝撃を受けていた。
 しかし、あんなやつに負ける訳にはいかないとも思った。あの男は、嶺子を不幸にする疫病神だ。貧乏神だ。そうよ。きっと。とにかくそう思った。

  嶺子は、入江貞雄の肩を抱いてマンションの鍵を開けてベットまで運んだ。寝かせる。どうやら風邪をこじらせたのか、熱があるようだ。「貞雄くん……ちゃんと寝てるんだよ。おかゆ作ったらいくね」
「…行かないでくれ」
 咳き込みながら、貞雄がいった。
「でも……」
「……嶺子……行かないでくれ。一緒にまた暮らそう?」
 嶺子は戸惑ったが、決意を述べた。
「ちゃんとしたひとになってくれるなら……。仕事場の前でストーカーみたいなことや暴力をふるわない、我慢強くて忍耐強いひとになって。そうしたら…一緒にいてあげる」
 貞雄は何も答えなかった。「じゃあ、私、行くね?」
「…行かないで! お願いだ。行かないで!」
 咳き込みながら、貞雄は嘆願した。でも…。嶺子は未練を断ち切るには忍び堅い様子であった。無理もない。貞雄は自分のことをまって雨に打たれ、風邪をひいたのだ。
 まあ、本当は自業自得なのだが、田中嶺子はそうは考えられなかった。
 部屋を出て、嶺子は椿亜也の携帯に電話した。
「……嶺子? 今何処なの?」
「うん。ちょっと…私これから会社にいこうと思うの」
「でも…」
「大丈夫だから」
 嶺子は一方的に携帯を切った。その足で、出勤した。当然、無断欠勤をしていた訳だから、怒鳴られる。「すみません! もう一度働かせて下さい!」
 嶺子は頭を下げ続けた。
「あんたの代わりなんていっぱいいるんだからね! これから気をつけてよ!」
 女ボスは辛辣にいった。嶺子はなんとか仕事復帰できたのだ。
  仕事をしながらも、嶺子は自分の携帯を見てしまった。あれだけあった入江貞雄からの電話もメールも一切ない。それが何故か彼女を不安がらせた。
  椿はいらだった。
 嶺子が部屋に戻っても携帯をみてじっとしていたからだ。またぞろ、幸智子や緑川と小池がいた。椿は「そんな携帯……捨てなよ、嶺子! あいつがメアド知ってる携帯でしょう?」と強くいった。
 嶺子は動揺しながらも「そ…そうだね。じゃあ捨てるね」と携帯をゴミ箱に捨てた。
 しかし、椿が拾いあげて、
「ゴ、ゴメン! やっはり捨てなくていい。あ~っ、今の私はあいつと同じだよ。嶺子をしばって命令して…御免」
 椿は頭をふった。嶺子は皆には秘密にして、貞雄の看病を続けていた。未練が断ち切れない。ずるずると長居した。どうしてもそこから抜け出せなかった。
 小池哲哉は妻と別れるために部屋に戻った。しかし、臆病者の小池哲哉はずるずると女房のいいなりになってしまう。携帯で連絡を受けた幸智子は呆れた。
 緑川鷹山の部屋には、緑川と幸智子のふたりっきりになった。
 また幸智子は呑んだくれている。
「ねぇ、先生……私たち…どうしょうか?」
「え?」
 幸智子は冗談で、緑川の唇を奪おうと抱きついた。
 だか、緑川が拒絶した。幸智子を突き放した。そして、はあはあと荒い息で、苦しそうに動揺し、狼狽した。幸智子は茫然としてから、
「……ゴ…ゴメン! 先生がレズだって噂は…嘘だったんだね?」
 緑川は無言で頷いた。


「嶺子くん! パーティに行こうよ!」
  嶺子が仕事場から夕方に降りてくると、路上にいたのは入江ではなかった。
 緑川鷹山だった。
「緑川さん? どうしたんですか?」嶺子は驚いた。
「うん。椿くんがね、実家でパーティを開くってことで迎えに来たのだよ」
 緑川は微笑んだ。嶺子は「パーティ?」と尋ねた。
「とにかく、実家で椿くんたち家族がまってるんだってさ! 君のことを!」
  ふたりは都内の家に着いた。
 それは椿亜也の実家だった。
 嶺子はなつかしがった。「私…ここにくるのは高校生のとき以来です」
 そして、ふたりは亜也の家族に暖かく迎えられた。食事も豪華だった。しかし、長居する訳にはいかない、と緑川は先に帰った。
「…嶺子ちゃん、ここに泊まっていったら? な!」亜也の父親はそういった。
「でも…迷惑では?」
 嶺子が遠慮すると、亜也が微笑んで「迷惑なんかじゃないわ。泊まっていって。ね?」 という。まあ、そういうなら。嶺子はなつかしい亜也の家、亜也の部屋で和んだ。
 癒されっぱなしだった。亜也の両親と姉は優しく、フレンドリーだった。
  夜になり、亜也と嶺子はふたりっきりでベットに寝ていた。
「ねえ、亜也? そういえば高校のときから亜也とはこうしてすごしたよね? なつかしいな」
「…そうだね」
「でも…」嶺子は不思議がった。「亜也の恋話なんて聞いたこともないなぁ。好きなひととかいるの? 亜也」
 亜也は少し動揺した。それから「…うん。いるよ」とかすかに頷いた。
「へえ~っ。どんなひと?」
「方思いなんだ。ずっと。いままで」
 椿亜也はふと寂しい横顔を見せた。嶺子は「ふう~ん。じゃあ、辛いね?」
「…まあね。でもいいんだ。そのひとは私のことなんて何とも思ってない。でもね、嶺子……これだけはいっておくよ」
「なあに?」
 亜也はきっぱりいった。「あの入江って男はあなたを幸せにはできない。もっといい男がいる筈だよ。例えば、女性だけど緑川先生とかみたいな。あのひとは”いいやつ”だよ」 嶺子は無言できいていた。それが、届く筈もない恋だと亜也は思った。


  ある日、椿亜也はチャンスを掴んだ。
 TV帝都のバラエティ番組のカラオケで、歌うことが決まったのだ。全国ネットで、放送されれば椿の名や顔が、知渡る可能性が大だった。
 観客席には嶺子や、旗をもった緑川や幸智子や小池や、亜也の家族が応援していた。
 緑川は嶺子の手に痣があるのに気付いた。が、何もいえなかった。
 タレントによる『カラオケ熱唱』は続く。
 亜也は女の子タレントとして最後近くに登場した。嶺子たちは応援して拍手する。
 そんなとき、嶺子はバックの携帯が振動して、ビクついた。
 誰も気付かなかった。嶺子は誰にもバレないように舞台袖にいって携帯電話を取り出してみた。カメラに写った亜也はそんな嶺子を少し目でおって、それから歌いだした。
 ZARDの『負けないで』だった。
「…もしもし。貞雄くん? 何?」
 入江貞雄は受話器越しに「もう嶺子は部屋に来なくていいよ。ぼく、死ぬから…」と冷静にいう。嶺子は動揺した。…死ぬって…? 自殺するってこと?!
 電話は一方的に切れた。
  収録がおわると、そんな嶺子を緑川や亜也たちが止めようとした。しかし、入江の命が心配な嶺子は、頑としてききいれない。
 そして、嶺子は入江のマンションにひとりで乗り込んだ。
 貞雄は死んではいなかった。自殺予告はデマだったのだ。貞雄は冷酷な顔で、急いでやってきた嶺子を暴行し、レイプした。
 とんでもないことになる、という亜也の言葉が嶺子の頭を過ぎった。
 ……あの入江って男はあなたを幸せにはできない。もっといい男がいる筈だよ。例えば、女性だけど緑川先生とかみたいな。あのひとは”いいやつ”だよ……
         6 秘密





  別の日の午後、緑川鷹山こと希は、ひとりっきりで小説を執筆していた。
 しかし、執筆とはいってもノート・パソコンでの打ち込みだった。
 部屋の電話が鳴った。
「はい。もしもし? ……もしもし? 誰?」
 無言電話だった。
 そんなとき、受話器の向うから「ママ~っ」という幼児の声がかすかに聞こえた。
「ね……姉さん?!」
 緑川は狼狽してすぐに電話を切った。
「どうしましたか? 先生?」
 幸智子がやってきて尋ねた。「…いや、別に何でもないよ」緑川は動揺を隠して、ごまかした。とにかく、最悪だ。また姉さんか…糞ったれめ!
 その頃、椿亜也は病院でカウンセリングを受けているところだった。
 白衣の医者と『性同一性障害』と『SRS…つまり性転換手術』の話しだった。
 タイで手術するしか方法はない。百万円以上の大金が是非とも必要だった。

  ある午前、緑川鷹山は不安になって、嶺子のオフィスをひとりで訪ねた。しばらく様子も見ないし、とにかく不安だったのだ。
 しかし、思ってもみないような言葉をきくことになった。
「田中嶺子? もう仕事辞めましたよ。こっちも無断欠勤とか続いて困ってたの。助かったわ」女ボスは冷酷にいった。
 どういうことだ? 緑川は不安になった。仕事は辞めたというし、嶺子くんは亜也の実家にもマンションの隣の部屋にも帰ってはいない。…ま、まさか?!
 緑川はその足で、入江のマンションに向かった。住所は、嶺子の元・勤め先からきいていた。幾らチャイムを鳴らしても返事がない。緑川はノブに手を伸ばした。開いていた。「嶺子くん? いるのか?」
 そろそろと部屋の中に入ると、嶺子が精魂疲れ果てたような鬱状態で、つっ立っていた。顔や腕には痣や傷が目立つ。「…?!?! 嶺子くん?!」緑川は驚愕して、叫んだ。
 入江は仕事にいったのか、いない様子だった。
「れ…嶺子くん! 外に出よう?」緑川は茫然と突っ立っている嶺子の腕を掴んだ。


  その日の平日正午にファミレスで、緑川と嶺子は向かいあって座った。
 客はあまりいない。気まずい空気だけが流れた。
「……嶺子くん。毎日、何やって暮らしてたんだい?」緑川は心配してきいた。
「…………食事作ったり、洗濯した…り…TV観たり…いろいろ…」
「あいつと別れたほうがいい。今だって顔をそんなにされて…」
「でも…」嶺子は言葉をきった。「皆に迷惑がかかるから…いいよ…私ひとりが我慢すればいいんだし」
「迷惑だなんて……早く病院に行こう。病院でDVだってわかれば…警察も動いてくれるよ。ね?」緑川はそういって嶺子を慰めた。なんて男なのだ、あの入江という男は…。
 道路を歩いているとき、緑川は戦慄した。入江貞雄の姿をみたからだ。
 緑川は嶺子の腕を強引にひっぱって、タクシーに乗せた。
「う…運転手さん! 早く、早くだして!」
 入江がくる。「早く! 運転手さん!」貞雄はタクシーの窓を掴んで止めようとする。「…嶺子! 嶺子、行くんじゃない! 嶺子!」
「う…運転手さん! 早く、早くだして!」タクシーでなんとかまいた。走り出すタクシー。だが、嶺子を亜也や自分の部屋へ戻すのは危険だった。
 あの男が住所を知っている。まず、病院に行って嶺子を診てもらった。
 それから夜になって、嶺子をポケット・マネーでビジネス・ホテルへ泊めさせることにした。嶺子は放心状態で、顔に痛々しい包帯や絆創膏だらけで、ベットに横になった。
「とにかく! あの男と……別れるんだ、いいね? 嶺子くん?」
 嶺子は答えなかった。「とにかく別れることだ! あの男は君を不幸にする!」
 緑川はそういって、部屋をあとにした。
 不安でいっぱいなのは亜也くんも同じだろう。携帯で連絡して事情を説明はした。が、どうにもならないかも知れない。緑川鷹山の心は揺れた。

  小池哲哉は妻と別れることが出来ずに、また深夜、道原幸智子の部屋を訪ねてきた。どうにも申し訳ないような情ない顔で、
「すみません、幸智子さん。ぼく……妻から別居しようっていわれました…」という。
 幸智子は思わず吹き出しそうになった。しかし、それどこじゃない。
 彼女も亜也から、嶺子の事情をきいていたのだ。「あんたねえ、甘えるんじゃないわよ」いってはみたものの、小池は情ない顔のままだ。仕方なく部屋に入れた。
 ボランティア活動してんじゃないのよ、私は??? 何ともいえない苦笑いだった。




「ただいま~っ!」
  次の日の午後三時頃、椿亜也は『母の日のカーネーション』をもって自宅を訪問した。両親はどこかよそよそしい。何かあったのだろうか????
 両親は物陰でコソコソ話しをしている。何だろう?
 姉が、手紙が玄関のポストに入っていたという。
 ワープロ文字で、
『椿亜也はオカマなのに女の子が好き』と書かれてあった。まさか、あの入江って野郎か? 姉や両親は内心心穏やかではない。亜也は動揺しながらも、
「なんだよこんな変な手紙……馬鹿よね。私は心は女の子なんだよ。そんな…訳ないじゃない。手術するためにカウンセリングだって受けてるんだから」と否定した。
「…そうなのか? そうか。そりゃあよかった」
 両親も姉も安心したようだった。傷ついたのは亜也だけだった。あの糞野郎め! ぶっ殺してやりたい! 亜也は殺意さえ覚えた。
  その頃、入江貞雄はスーツ姿で亜也たちのマンションにきていた。
 緑川はひとりでそれを見付けて、
「あんたいいかげんにしなさい!」と注意を促した。「あまりことが大きくなると警察を呼びますよ! DVで警察に逮捕されてもいいっていうんですか?!」
 その言葉は効いた。入江貞雄は舌打ちすると、何処かへと消えた。
 ほっとする緑川は、亜也の携帯へ電話した。事の旨を伝えた。
「……そうか」亜也は携帯を握りながら泣きそうな顔をした。「とにかく……嶺子を私たちで守ろうね」
 緑川は頷いた。「早く帰ってこいよ。嶺子くんは私が連れてくるから」
「ありがとうございます、先生!」
「…いいってことでい」
 緑川は変な江戸訛りで、そういった。
 亜也の頭の中には医者の言葉がぐるぐる回っていた。
 ……”じゃあ、女性になりたいのに、女性が好きなのですね?”………
 それは地獄の淵のような響きだった。                      
        

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ライトウエイThe's it right way?特別連載ブログ小説1

2013年10月30日 07時11分24秒 | 日記
小説
  ライト・ウェイ


     ~it´s a right way?~
  ~DV、ストーカ、レズビアン、性同一性障害!

                   今だからこその、ドラマテック・ノベル~
                
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


          あらすじ

主人公・田中嶺子(れいこ)(23)は中小企業の出版社で働くOL。オフィスは銀座のお洒落な一角だが、実態は自費出版悪徳会社……嶺子は騙すのを苦痛としながらも、他人本意で優柔不断な性格のため仕事を続ける。そんなとき、高校時代の親友(恋人じゃなく『女友達』として)だった椿亜也(つばきあや)(23、性同一性障害に苦しむ男性、手術前)に出会う。声も身形も女性化している亜也に嶺子はためらいもなく接する。が、嶺子の恋人で同棲を始めた入江は嶺子を執拗なまでに愛するあまりDVに走り、ストーカー化する。でも、嶺子は献身的に入江貞雄を庇う。椿亜也はそんな嶺子に魅かれていく。物語には他に、過去にレズ・レイプの体験によりトラウマを負った売れない作家・緑川鷹山(希)、大手出版社勤務の道原幸智子、ダメ男で妻に浮気されても文句もいえない同僚の小池哲哉などが登場。
 最期には嶺子を愛するあまり、入江は嶺子(過去のトラウマでセックス恐怖症の)をレイプして自殺する。嶺子は入江の子を出産して、椿の手術後に結ばれる。  おわり
         1 起動






         
  田中嶺子は確かに美しかった。
 嶺子は確かに美貌の女性で、確かに可愛い顔立ちをしている。年は二十三歳くらいか。すらりと伸びた痩せた手足に、長い髪を結い、スーツを着て、薄化粧をしてめかしている。 細い手足はすらりと長くて細く、顔が小さくて、大きな目にはびっしりと睫が生えていてまるで妖精のような顔立ちである。モデルでも通りそうな外見だが、残念ながら嶺子はそうじゃない。つまりモデルではない。
 彼女はその容姿とはうらはらに、銀座に一角にある冴えない中小出版社で働いている。 おしい! と、いえばおしい。確かに。
 嶺子は『潮風舎出版社』という、これまたイカガワシイ出版社勤めである。一流大学卒ではないと、どうしてもレヴェルが下がる。だが、就職氷河期のこの時代、『正社員見習い』になれただけでも嶺子は、
「ありがたい」
 と、思っている。
 オフィスは洒落てはいるが狭く、従業員もあまりいない。嶺子はまだ新米の駆け出しだ。やけに女性社員…いわゆるOLが多い。嶺子のボスも女性、というより少し年増なオバサンだ。名前はどうでもいい。女ボスとだけ言っておこうか。
「もしもし、潮風舎の田中嶺子と申します。あの……」
 嶺子はためらった。
 罪悪感が頭を過ぎった。そうすると、それを察したように女ボスが咳払いをした。
 嶺子は鞭で叩かれたように緊張して、電話口で、
「あの…**様。おめでとうございます。今回、**様は…そのぉ……作品が『共同出版』の対象となりまして…」
 口ごもった。
「ほ、本当ですか?! やった~っ!」
 電話口からは凡人作家志望の女性の喜びの声が聞こえる。
 嶺子は消えてなくなりたいほど慙愧の念にかられた。
『共同出版』といえば聞えがいいが、所詮は『自費出版』させるための手段でしかない。潮風舎とはそういう出版社だった。「でも…実は…共同…」
 それを察したかのように先輩OLの吉田が受話器を奪いとり、
「あ…申し訳ありません。潮風舎の吉田です。**様、出版内容はのちほどお話いたしましょう。では、これで」
 吉田は受話器を置いた。そして、嶺子を嫌ってるらしく嫌味をいった。
「…田中さん。共同出版って言ってればいいのよ。わかんないの?!」
 嶺子はためらった。
「でも……共同出版って…結局、自費出版ですよね?」
「馬鹿! ド素人が書いたポエムや小説が売れると思う? こっちだってビジネスなんだからね。それをちゃんと考えて!」
 吉田のけんまくに嶺子はすくみあがった。
 確かにそうかもしれないけど……。だが、嶺子は他人本意な性格であり、おとなしい女性で言い返す勇気もない。それでも、クビになりたくない。という思いはあった。
 仕事だっていつまで続くかわからない。金持ちのお嬢さんではないのだ。
 ……クビになりたくない……クビになりたくない…
 嶺子の心はヘコんだ。落ち込んだ。

               
  椿亜也(つばきあや)という一見して女性がいる。
 椿は、ちいさな丸い顔に大きく綺麗な目、すらりと伸びた手足は細くて、髪は茶色で長くて、スレンダーな女性に見える。年は嶺子と同じ二十三歳くらいだ。
 亜也は雑誌モデルの駆け出しである。
 新人であまり売れてなくて、注目もされてはいない。初めは皆そんなものだ。
 今日も雑誌の写真撮影がある。体なくこなしているが、何処か物足りなさを感じてもいる。金のことではない。もちろん金は欲しいけど……もっと違う何か…つまり幸せや安らぎのようなものを求めてもいる。女心? 乙女心? それは知らない。
  もうひとり、注目すべき人物がいる。
 自宅で売れない小説家として活躍(?)している緑川鷹山(ようざん)……こと緑川希(のぞみ)という女性である。外見は短髪で、少し茶色の毛に端正な顔立ちのボーイッシュな感じの二十八歳の独身だ。ひとり暮らしだが、頻繁にいろいろな人物がゴチャゴチャと来る。
 ネタに困ってノート・パソコンのネットで『性同一性障害』の検索をしたら、掲示版にTSUBAKIのハンドルネームで悩みが少し書かれてある。
 その時は緑川はどうとも思わなかった。何ということもない。…世の中、色々なひとがいて…いろいろな悩みがあるのだな、くらいの感想だ。
 それは春の天気のいいほんわりとした朝の一時だった。
 もう東京都心の桜は満開だ。
  そんな春のうららかな午前の晴れの日、ふたりは再会した。
 桜の花びらが舞う公園の道で、田中嶺子と椿亜也は擦れ違った。
 それは偶然なんかじゃない。いや、必然だったのかも知れない。
 先に気付いたのは椿だった。
「嶺子? ……嶺子じゃない?」
 椿亜也は春らしいスカート姿で、擦れ違った女性に声をかけた。可愛い声だった。
 声をかけられたその若いフリースの女性は、振り返った。
「……亜也?! 亜也なの?」
 ふたりは近付いた。「高校生のとき以来よね? 亜也~っ! 懐かしい!」
「嶺子も…変わんないね」椿は微笑んだ。
 ふたりは微笑んだ。本当に高校生以来の再会だった。
 嶺子は椿亜也のことをみて「亜也あんときのまんまだね」と懐かしくいった。
「仕事は何してるの?」
 聞かれた椿は「モデル。雑誌のモデルやってるの」と答えた。
「へえ~つ。凄いじゃない!」
「いやあ。まだ売れないモデルよ」亜也は笑顔でいった。続けて「で、嶺子は? 仕事?」「私? まあ、ちいさな出版社に勤め始めたの。まだ見習い」
「ふ~ん」椿は軽く頷いて「で、今幸せなの?」ときいた。
 是非とも答えが知りたかった。
 嶺子は照れながら「うん。今好きなひとがいて……今度から一緒に住むんだ。同棲? っていうの? そういうの」
「…………そう」
 椿はどこか遠い空を見るような目をした。そして、
「あ! 携帯もってる?」
「うん」
「じゃあ、メアド教え合おうよ。気軽にメールして」椿は言った。
 ふたりは携帯を取り出して赤外線でメアド交換した。ふたりは別れた。
 でも、嶺子はその時気付かなかった。椿亜也が、遠ざかっていく自分の後ろ姿をじっと見詰めていたことを……嶺子……。よかったのかな。これで。
 …同棲か。そうか。君はもうひとのものなんだね。
 どこか椿亜也は謎のベールに包まれている。そんなほわっとした感じだった。

  東京都内のマンションの一室が入江貞雄と田中嶺子の住まいとなった。
 入江貞雄は商社マンでイケメンの若い男だ。堀の深い顔立ちに甘いマスク…そして、優しそうに微笑む口元。理想の男性のように嶺子には見えた。
「…これここの合い鍵…渡しとくね」
 入江はいった。
 正式には入江貞雄のマンションの部屋に、田中嶺子が同棲という形で住むことになった、という訳である。嶺子は照れながら「そっか。じゃあ、これからはお邪魔します…じゃなくて、ただいま。だね?」
「…そうだよ。ここは君の部屋でもあるんだ」
 ふたりはハグして甘いキスを交わした。
 嶺子はそれ以上は望まなかった。というより入江もベットまでは望まなかった。
 部屋はお洒落な若者向けのデザインで、シンプルだった。
 ベットのカバーは黒で、ほとんどが黒で統一されていた。入江という男がこれで黒色が好きなのはわかる。何だかモノトーンの世界のようだ。
  一夜明けて、嶺子は遅くに起きてしまった。
 もう貞雄の姿はないように思えた。しかし、違った。嶺子は一瞬凍りついた。何故なら……入江貞雄が嶺子の携帯電話をじっと盗み見ている後ろ姿をみてしまったからだ。
「……貞雄くん。何…みてるの…?」
 恐る恐る、嶺子は早朝に尋ねた。動揺して心臓が飛び出しそうだった。
「この椿亜也って誰?」
 当たり前のように鋭く冷たい声で、入江貞雄は嶺子にきいた。
「…それは…そのぉ」
「男? ぼくとは違う男がいたってこと?」
 入江は嶺子に近付いた。迫った。冷酷な表情だった。
 嶺子は動揺し、狼狽しながら「違う! 違うよ! 女の子だよ、女の子…違う!」
 そのとき、貞雄は嶺子の頬を平手打ちした。
「…浮気してたんだね?」
 更に殴られる嶺子。DV(ドメステック・バイオレンス)だ。嶺子は涙を流しながら、「違うって! 違うよ、貞雄くん……女の子だよ!」と必死に首を横に振った。
 それでも暴力は止まない。照明のガラスが派手な音をたてて砕けた。
「ぼくという者がありながら、こんな亜也なんて男と…」
「違うよ、違うよ! 貞雄くん! そうだ…高校のときのアルバムに写真があるの」
「…アルバム?  写真? 亜也ってやつの?」
「う…うん! 私……すぐに家からもってくるから…」
 嶺子は狼狽しながらいうと、部屋から飛び出てバスに乗った。母と暮らした東京下町のアパートの一室が自宅のようなものだった。父親は、若い女と嶺子が幼い頃に出ていったっきり。…母親はいるが、頻繁に男を連れ込む。嶺子は孤独が怖かった。
 せっかく掴みかけた幸せや家族が無くなるのが怖かった。
 しかし、アパートの何処にもアルバムがない。いくら探してもなかった。
 ……おかしいな。
 嶺子は動揺狼狽しながら、午後、マンションに戻った。もう入江貞雄は何処かにいったのかいなかった。嶺子はそして凍り付いた。本棚の奥に、嶺子が卒業した時代のアルバムが……高校時代のアルバムが…あるのだ!! なんで?!
 そして、ジャージ姿で女の子の姿の『椿亜也』の名前にアンダー・ラインが引かれてあった。どういうことだろう?! 嶺子は頭の上から冷たい水をかけられた様に凍り付いた。 動揺して、どうにかなりそうだった。
 でも、これはきっと愛なんだ、と自分にいいきかせた。
 そして、アルバムを元の場所にそっと戻すと、何事もなかったように出勤した。

  出版社は忙しい。
 とはいえ、活字離れで本が売れない時代である。夏目や芥川や吉本なんとかの時代とは違うのだ。しかし、『本を出したい』というニーズはある。
 そこに狙いをつけたのが潮風舎だった。ハッキリいって凡人の伝記とか、ポエムや自伝小説などマーケットのニーズに合う訳はない。だが、金を払ってくれる、なら話は別だ。 金さえ出してくれれば、凡人のポエム集も絵本でもいいだろう。
 どうせ売れないし、全国の書店になんか並ばないけど、金さえ出してくれるなら話しは別……これが潮風舎の社風となっていた。嶺子はそんな会社に不満があった。
 でもいえない。いえる訳ない。
 クビになったらネット難民やホームレス同然だ。この不況下で三流大学卒の自分を雇う会社はそうない。工場労働など嫌だし……。
「あら! また田中さんの彼じゃない。もう毎日よね。優しいのね」
 イジ悪先輩の吉田が窓越しで、そう嶺子に声をかけた。会社の窓から地面を見ると、入江貞雄がスーツ姿で待っている様子だった。(オフィスは二階)
 携帯が鳴った。貞雄からだった。
「嶺子、スーパーで食財揃えたんだ。今晩は食事ぼくが作るよ」
「…う……うん。でも…」
「約束だよ。夕方にちゃんと帰ってくるんだよ」
 入江はそういうと去った。他人の話しなど一切関係ないらしい。
 嶺子は動揺しながらも、女ボスに『定時で帰りたい』旨を述べた。暮れなずむ夕方だ。 それがボスの怒りを買った。女ボスは怒り、
「田中さん! 残業やってもらうわよ! こっちだって忙しいのよ、我が儘いわないで!」 すべての雷を頭から浴びたかのように嶺子はすくみ上がった。
 …確かに、仕事は山積していた。といっても自費出版と騙しての残業だった。
 まるで詐欺師の片棒を担いでいるかのようだ。
  何にしても嶺子は残業を余儀無くされた。
 それで、嶺子は遅れた。

  それ程遅刻というには大袈裟過ぎる。
 まだ午後十九時くらいだった。嶺子はくたくたになりながらマンションの扉を開けようとした。が、開けない。内側からチェーンとロックがかかっていた。
「きみは約束を破ったね。罰だよ……今日は入れてあげないよ」
 妙に慇懃な声で、貞雄が扉越しに言った。
「御免なさい! 御免なさい! 貞雄くん、ゴメン…ゴメン…開けてよ!」
 嶺子は必死にテヤホォーンや扉を叩いた。誰も助けにもこない。嶺子は孤立し、孤独のまま、何時間か膝を抱えて座り込んだ。でも、開けてはもらえない。勘弁してはもらえそうもない。そう思うと涙が出てきた。
 自宅にいこうとした。歩くと遠いが、仕方ない。
 しかし、自宅にはたったひとりの母親が居たが、間男とイチャイチャしていて…。雨がひどく降り続く。嶺子はひとりでずぶ濡れになりながら彷徨った。
 ……!
 亜也は嶺子からの空メールにハッとして、傘をもって駆け出した。
 何か嫌な予感がした。
 ……嶺子、何があったの?!
 勘は当たっていた。
 例の公園のベンチに雨でずぶ濡れになりながら座っている嶺子を見付けた。
 椿亜也は、そんな尾羽打ち枯らしのような嶺子が愛しくて、可哀相で、傘をそっと差し出した。「嶺子……今晩は私の部屋へお出で…ね?」
 亜也はそれ以上は詮索しなかった。とにかく嶺子を部屋に泊まらせた。
 何も起こる訳はない。そうさ。ある訳がない。女の子同士なら……。
  亜也の部屋は別段、女の子女の子しているような風でもない。男の部屋のようなシンプルなベットと家具だった。すっかりくたびれたのか、嶺子はベットで眠っていた。
 早朝、亜也は起きだし、珈琲を飲んだ。
 そして、眠り姫のような嶺子をのぞいていた。そんな嶺子の瞳から、涙が零れた。
 どうしてだろう?
  亜也はそんな嶺子が愛しくなり、自分の唇を嶺子の唇と重ねた。つまり接吻した。
 それは、春の通り雨のような、ものだった。
         2 性同一性障害とDV





  早朝、嶺子は起きた。
「おはよ。嶺子、はい珈琲」
 満面の笑顔で、椿亜也がカップの珈琲を差し出した。
『眠り姫』はまだ眠いようだ。「ごめん。泊めてもらっちゃって…」
「いいのよ。高校のときの親友だものね。…当たり前のことをしただけだよ」
 椿は嶺子に訳をきかなかった。
 嶺子は暖かい珈琲を喉に流し込んだ。「ありがとね、亜也」
 ふたりは微笑んだ。
 嶺子は亜也の女服にも声にも仕草にも違和感を持たなかった。しかし、気になって、
「あの……亜也…その後どうなの……?」と遠回しに尋ねた。
「……何が?」
 亜也ははぐらかした。
「あの…」嶺子は親友としてきいた。「手術とか…そのぉ…」
「ああ。」亜也は少しためらってから「SRSはまだだよ。でも、ホルモン注射はもうやってる」とサバサバいった。
 嶺子はそれ以上は追及しなかった。…SRSって何かな?
 あえてきかなかった。「そっか」
 ふたりは微笑んだだけだった。
「朝ごはん食べる? パンしかないけど…」
 亜也が幸せそうに言った。嶺子は「ありがと。もう仕事あるの?」
「まあね、安っぽい雑誌の撮影……まだ私は駆け出しだから、大きな仕事はまだなんだ」「でも凄いよ、亜也! 亜也は夢に向けて頑張ってるんだね? 私とは違うね」
「馬鹿よね。何でも仕事ってのは大変なのよ」
 椿は悪戯天使のように微笑んだ。
  ふたりが玄関から出ると、偶然、隣りの部屋の住人である緑川鷹山(希)という女流作家先生が扉を開けて出てきた。「よっ! 椿くん。そちらは?」
「どうも先生。こちらは高校のときの親友です」亜也は愛想のよさを発揮して、緑川にいった。嶺子は「どうも。あの…私は亜也の親友だった田中嶺子と申します」
 と頭を下げた。
「先生はいいよ、椿くん。もうここに越してきて一ケ月だろ? もういい加減なれたまえ」 緑川は微笑んでいった。優しいいいひとだった。
「こちら作家の緑川鷹山さんだよ、嶺子」
 嶺子は深々と頭を下げた。緑川はこういうのは苦手だ。「嶺子くん。堅苦しい挨拶はいいよ。緑川さんと呼んでよ」
 さんにんは笑った。
「私たちは仕事に行きます。緑川先生は…いや緑川さんは自宅が仕事場ですよね?」
「うん。そうだよ」
「いいなあ。朝に会社に出勤しなくてもいいからいいなあ」
 嶺子は無邪気に言った。
 緑川は笑って「そんな甘い世界じゃないよ、作家ってのは。活字離れで本が売れない時代だからね」と皮肉を言った。嶺子は出版社に勤めている旨を伝える。と、緑川鷹山は、あの潮風舎か、と苦笑いをするだけだった。
 だが、緑川は『椿くん』こと椿亜也の女性服や女の仕草にある違和感をもった。
 しかし、ハッキリいうことはなかった。
「まあ、頑張りたまえ、若者よ!」
 緑川が冗談めかしにいった。笑いがおきた。何にせよ、なごませる言葉だった。

  椿亜也はモデルの仕事を一生懸命こなしていた。
 カメラマンは先輩で尊敬するオジサンの阿部だ。「いいよ、椿。いいね~っ、その調子」  また、田中嶺子も出版社のオフィスで働いていた。
「え~と、『流星の謎』か」
 嶺子は素人の作家志望者からの原稿をじっくり読もうとした。しかし、潮風舎は何処までも悪質だった。そんな必要はない、というのだ。どういうことだろう?
 嶺子は動揺した。
 吉田はいった。
「馬鹿ね。いい? 田中さん。ド素人の原稿なんていちいち最期まで読む必要なんてないのよ。どうせくだらないものなんだし…こっちはテロ計画とか犯罪以外なら…金さえ払ってもらえば何でもいいのよ」
「でも…どんな作品かは…読まなくては…」
「『読後感想文』のこと?」
「……は…はい」嶺子は狼狽した。心臓がバクバクと激しく動いた。
 そこに女ボスがやってきて、
「田中さん。ド素人の原稿なんていちいち最後まで読む必要なんてないのよ。タイトルとあらすじだけ斜め読みして、適当に感想文作って郵送すればいいのよ。金さえ払ってもらえれば何だっていいの。それが潮風舎よ!」
「…でも…」
「こっちだってビジネスなんだから、ど素人の酔狂に付き合ってる暇はないのよ!」
 物凄い拝金主義とモラル・ハザード(道徳退廃)である。
 しかし……クビにされたくない。クビだけは…いや…。
 嶺子は従うしかなかった。他に選択肢はない。
「あら? また彼きてるわよ。優しいのね?」
 吉田は意地悪気味にいった。
 嶺子がオフィスの窓から見下ろすと、また入江貞雄がストーカーのように背広姿で立っていた。手を振る入江……嶺子の携帯が鳴った。貞雄からだった。
「嶺子……今日は早く帰って来るんだよ。料理つくって待ってる。約束だよ」
「あの貞雄くん…その」
「じゃあ」すぐに切れた。
 入江は去った。しかし、嶺子は残業を押し付けられた。約束だよ…約束……。嶺子の頭の中に、愛しい貞雄の声が響いていた。
「御免、貞雄くん。少し遅くなっちゃったね? ゴメンネ」
 嶺子は少しだけ遅刻して入江のマンションに入った。
 貞雄は「約束を何で守れないの?」と慇懃にいった。冷酷な顔だった。
 そして、また暴力を振るった。DVだ。「ごめんなさい! ごめんなさい、貞雄くん! もう約束破らないから……御免なさい!」
 嶺子は暴力を受けながらも、貞雄への思いを捨てられなかった。
 暴力を止めた入江貞雄は嶺子を抱擁し、
「嶺子……これはぼくの愛なんだよ。わかるね? ぼくは君を愛してるんだよ」
「……うん。貞雄くん?」
「今度は約束守れるね?」
「う………うん」
 嶺子はそういうしかなかった。他にどうすることもない。選択肢はないように嶺子には思えた。……これは貞雄くんなりの愛情表現なんだわ。嶺子はそう自分を納得させた。


「どうしたの?」
 ある日の午後、物音で気付いた緑川がドアを開けて、隣の扉前につっ立っている嶺子に声をかけた。少し動揺している嶺子に、緑川は疑問をもった。
「……椿くんならまだ帰ってないよ」
「そ……そうですか」
 嶺子は残念そうに言った。
「椿くんに何か用なの?」
「いえ」嶺子はためらった。「あの……お守りを……モデルやタレントとして成功するようにって神社にいってきたんです」
「そう」そういって緑川は微笑んだ。そして、「じゃあ、椿くんが帰ったら私が渡しておくよ」
「すみません。緑川さん」
 お守りを受け取るとき、緑川は嶺子の腕に痣が出来ているのに気付いた。
 それでも、何もいわなかった。
 嶺子は去った。
 緑川は遠くを見るような目をした。…どうしたのだろう?


  作家・緑川鷹山こと本名・緑川希は自宅で煩いやつにからまれながらも、ノートパソコンに向かって原稿を執筆(というか打ち込み)していた。
 隣の部屋の椿亜也が帰ってきたのは何時間も後のことだった。もう真っ暗な夜だ。
 物音に気付いて、緑川は玄関を出て、椿に声をかけた。
「椿くん。おかえり!」
 ニヤリと緑川はいった。
「あ」亜也は頭を下げて「どうも先生……じゃなくて緑川さん」
「これ。お守り」
 椿亜也はお守りを受け取った。「これ緑川さんが?」
「いや。違うよ。これは嶺子くんが持ってきたのだ」
「…れ、嶺子が?!」
 椿はわざと驚いた顔をして、それから微笑んで「どうも。嶺子がね。何か伝言いってませんでしたか?」
「いや…別に」
 緑川は嶺子の痣のことに触れなかった。何といったらいいかわからなかった。
 咄嗟に出た言葉が、
「また、あやつが来てるのだ」だった。
 椿は鳩が豆鉄砲を食らった様顔をして「あやつって?」と尋ねた。
「まあ、部屋に来てくれ」
 緑川の誘いにのり、椿は緑川の部屋を訪れた。         
”あやつ”こと、道原幸智子がテーブルでひとりで呑んだくれていた。
 幸智子は、美人な女性のほうだった。面長の顔に長く美しい黒髪、手足もすらっとしていて美貌だ。頬を赤くして呑んだくれてクダを巻いていた。年齢は緑川と同じくらいに見えた。まあ、二十代後半くらいか。
「あ! 可愛い娘連れてきたわね。先生!」呑んだくれて幸智子がいった。
「酔い過ぎなんだよ、幸智子は!」
 緑川は苦笑いでいった。「あやつは道原幸智子っていって私の隣りの部屋の住人だ」
「どうも……椿亜也といいます」
 亜也が丁寧に挨拶すると、幸智子が、
「先生っ! レズ仲間?」といった。
 …レ…レズ?! 椿はびっくりして呟いた。
 緑川が動揺したが、「業界で噂になってるだけで……馬鹿らしい話だよ」といった。
 そして、「もう…幸智子くんは仕方ないな」と緑川は苦笑いを浮かべて、幸智子は介抱した。椿も手伝う。”酔っ払い”はクダをまいてグロッキー状態だ。
「もっと…ワインもってきて~っ!」
「まったく!」緑川は苦笑いで介抱しながら「幸智子くんはこれだから結婚できないんだ」 といった。…そうかふたりとも独身なんだ。椿はよくわかった表情をした。
 しかし、緑川が椿の仕草に疑問を持っていることがわからなかった。
 だが、何もいわない。
「こやつは大手出版社に勤めてるんだぜ」緑川は呟くようにいった。
「じゃあ、先生じゃなくて…緑川さんの仕事仲間の方ですか?」
 椿は尋ねた。
「そうだといいんだけどな。こやつは私の作品を出版するっていわねぇのさ」
 わざとらしく緑川は江戸訛りでいった。
 ……そうなんだ。仕事関係じゃないんだ。椿は思った。
「しょうがないやつだな」
 緑川は飲み潰れた幸智子の肩を抱いて、椿とタッグを組んで道原幸智子を部屋まで運んだ。合鍵までもちあっていた。椿は帰った。何にしても正体はバレていない、と椿は思っていた。そう自分の正体は感付かれてないと思った。

  あくる日の午前、椿亜也は都内の病院の精神科のカウンセリングを受けていた。
 待ち時間はそんなになかった。白衣の先生は中年男だ。
『性同一性障害(GID)』これが椿亜也の病名であり、正体だった。
「どうですか、椿さん。病状は?」
「はい」椿はいった。「一日でも早くSRS手術をしたいと思ってます。…って言うか、自分の『男の体』に違和感があって…」
「ほう?」
「私は女の子の筈なのに……何でこんなものがついているんだろうって…」
「女性ホルモンの注射の影響は?」
「はい」椿は答えた。「調子はいいです。誰も私のことを男女だってわからないし…高校生のときからもう『女』でしたし…」
「ですがSRS……つまり性転換手術をするには精神科医の診断書とホルモン注射を一年間続けて……その後になりますよ。産婦人科にも通わなければなりません」
「…そうですか」
「でも、日本ではSRSは順番があってかなり待つことになりますよ。海外、例えばタイやモロッコなどで手術するひとも多いんですよ」
 椿は押し黙った。海外か……
「でも保険が効かないから手術代だけで百何十万くらいないとね」
 医者はそういうだけだ。「後は椿さんの意思次第ですね」
「去勢手術は?」
「…去勢手術ですか? でも椿さんは性転換手術を希望なされてるのでしょう? なら去勢はやめた方がいいですよ。性転換手術ではペニスと陰嚢の皮膚をね、反転させて穴を空けたところを覆うようになります。当然、海面帯や皋丸は切除してからね。去勢してしまうと……SRSのときの皮膚が萎縮してしまって不利なんです」
 椿は確信したように頷いた。「わかりました…」決意はかわらない様だ。
 性同一性障害のMTFの患者…椿亜也……これが椿の正体だった。
 つまり、女の子ではなく、男の子なのだ。男女なのだ。
 椿はずっと苦しんできた。もうすぐその苦痛や苦悩も手術でなくなる。
 そうしか思わなかった。
 只、何となく嶺子のことが頭に過ぎっていた。
 ……自分は女の子の筈なのに……やばい! そうだ、自分は女の子なのだ!
  そんな椿のことを考えている人物がいた。
 緑川鷹山である。出版社の連中とゲラ・チェックを社内でしているとき、フト、緑川は椿亜也のことを思い出していた。あの娘……いや……何だろう? 胸騒ぎがした。

  そんな朝頃、道原幸智子が部屋から出て会社に出勤しようとした。
 そのとき、隣りの部屋の住人・小池哲哉が駆け込んできた。
「あれ? 小池さん? どうしたの?」
 小池の慌て振りに幸智子は疑問をもった。
 哲哉は三十代の既婚男性で、のほほんとした感じのする男性だった。
「すいません、幸智子さん……実はぼく……嫁に部屋を追い出されてしまいまして…」
 弱々しく哲哉はいった。
「え?」幸智子はききかえした。「でも…部屋は小池さんの部屋でしょう? 普通なら嫁さんが実家に帰るとかするんじゃないの?」
 少し怪訝な顔で幸智子がいう。と、哲哉はオドオドと「それは……まあそうなんですが……あのぉ。妻が部屋に男を連れ込んでまして…」
「…男?!」
 幸智子はきいた。だが哲哉はグズグズと煮え切らない。「そんなの嫁に『出ていけ!』っていえば済む話じゃん?」
「そんな…」哲哉は消えそうな声で「そんなことぼくは言えませんよ。なんせカミさんは凄く強くて…ぼくなんかとても…」
 幸智子は半ば呆れ顔で「そうですか。あの私これから出掛けれるので帰ってもらいます?」といった。哲哉はすがるように「そんな…幸智子さん。ぼくいくところがないんです」「あ?!」
「ですから……幸智子さんの部屋に置いてください」
「知らないわよ。小池さんね、ここは私の部屋で、私はまだ独身の女な訳よ」
「…はあ」
「もっと男ならビシッと嫁にいうことだね」
 哲哉は情ない顔をして「それがいえたら、苦労しませんよ…幸智子さ~ん」
「知らないってばさ!」
 幸智子は苦笑いを浮かべていった。そんなとき、隣りの部屋の扉が開いて、哲哉の嫁と間男が楽しそうに出ていった。哲哉は隠れるように見送った。
 まだオドオドしている。まるで蛇に睨まれた蛙だ。幸智子はまんざらでもなく、
「しょうがない男ね。まあ、一晩くらいなら泊めたげるわよ」といった。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
 哲哉は申し訳なさそうに情なくいった。
 幸智子は男性経験豊富だが、こういう『ダメ男』に弱い。
 これって母性本能? それとも愛? まあどうでもいいや!
 道原幸智子は、部屋を哲哉にシェアすると仕事に出掛けた。哲哉は拝むように見送った。ありがとうございます! ありがとうございます! …只それにつきた。
 男としては嫁さんに文句もいえぬ男は最低だろうが、哲哉はそんなんじゃなく性格が優し過ぎるのだ。その後、哲哉と幸智子は一夜をともにした。
 男女関係はなかった。「バーにでもいこうか? 小池さん」
「出来れば……女房が男といる間は別のところへ…いいですよ…はいはい」
 情なく哲哉はいった。幸智子はそんな哲哉を笑った。

  都内の安っぽいバーで、緑川鷹山と椿亜也はふたりっきりで飲んでいた。
「…やっぱり……」
 もう深夜だった。でも、緑川は暗いバーのカウンターで、椿の正体を見抜いた。
 椿は黙り込んだ。
「でも…」緑川はいった。「でも、誰にもいわないよ。秘密にしとく。誰もがあんたのことを女の子としてみてるんだもんな。夢を壊すのは悪いから」
「……すいません」
 椿は礼を述べた。
「謝る必要なんてないよ。誰にだって秘密にしておきたいことはあるものだからね」
 緑川はある人物に思いを馳せた。思い出したくない相手だった。
 そんなとき、「あ、先生と椿くん!」と幸智子と哲哉がやってきた。
 それぞれ紹介し会って酒を飲んだ。哲哉はもうすぐに酔い潰れてしまう。酒は弱い。
「だっらしないなぁ~。小池さんは」
 幸智子は苦笑いを浮かべた。緑川は下戸だ。
 4人は”梯子”しようと次の場所まで移動していた。
 そんなとき、事件は起きた。
 先にいっていた椿が、自動車に跳ねられたのだ。幸にも捻挫くらいの軽症だった。
 だが、すぐに病院に入院することになった。

  次の日の午後、病院の一室で、椿亜也は病服でベットにいた。両親がきていて看病してくれた。「右足の捻挫くらいで……大袈裟だよ」亜也は照れた。
 緑川と幸智子と哲哉の姿もある。
 まあ、何とも和やかな雰囲気だった。病院が気をつかって『女性病棟』に入院していた。  そんなとき、田中嶺子が慌てた様子でやってきた。
「亜也! 車に轢かれたんだって?! 大丈夫?!」
 嶺子は心底心配している様子だった。
 椿亜也は微笑んで、
「よう、嶺子……只の捻挫だよ。大袈裟なんだよ。な?」
 とぶっきらぼうにいった。嶺子は安心してほっと胸を撫で下ろした。
「そう。それはよかった。心配したんだから…もう亜也ったら」
 一同は笑った。
「嶺子、迎えにきたよ」
 そんなとき背後から男の声がした。入江貞雄だった。背広姿に花束をもっている。
「…誰?」亜也は尋ねた。すると入江が、
「どうも。入江と申します。嶺子のパートナーです」
 何故か、椿を威嚇するような低い声で、貞雄はいった。
 嶺子は少し動揺しながらも「貞雄くん。どうしてここが…?」ときいた。
「ぼくは君のことなら何でも知っているよ。心配だからね」
「…そう?」
「もういいかな。嶺子、ちょっと来てほしい」入江は威嚇するように椿のことを見てから、嶺子を病室から連れ出そうとした。
「優しい彼なんだね?」
 椿亜也はそういって無理に嶺子に微笑んだ。嶺子は動揺を隠すように頷いた。
  嶺子と入江が去ると、また一同で笑い話しになった。
 椿は「私…ちょっとトイレにいこうかな」とベットから起き上がり、松葉杖をついて出ようとした。「ちょっと大丈夫、椿くん?」緑川が気遣った。
「只の捻挫だから……ひとりで大丈夫だよ」
 笑顔で、病室をひとりででて椿は杖をつきながらトイレに向かった。
 そんなときだった。平手打ちの音がきこえて戦慄した。何かの間違いではないか…?
そう思って立ち止まり、恐る恐る顔を向けた。それは、入江貞雄が嶺子に暴力を振るっている場面だった。「…何で約束を守らないの? すぐ帰るって言ったよね?」
「御免なさい…御免なさい…貞雄くん」
 入江はなおも嶺子を殴ろうとする。それに敏感に反応したのは嶺子ではなかった。それは、椿亜也だった。杖を放り投げ、賢明に正々堂々と、嶺子を暴君から守ろうと立ち塞がった。そのとき咄嗟に言葉が出た。
「私の嶺子に何をする!」
 言葉が響いた。それは暴君への椿亜也流の抵抗だった。              
         3 絆(きずな)






「私の嶺子に何をする!」
 必死に立ち塞がった椿亜也の声が響いた。
 入江は「…私の?」と呟いた。手は拳をつくり、いまにも殴りかかりそうだ。
 騒動をききつけて、「どうした?」と緑川たちがきた。
 入江貞雄は拳を隠して、「別に何でもありません。嶺子が転んだだけなのに…」
「違う! こいつは嶺子に暴力を……!」
 亜也は必死に食い下がった。
 だが、嶺子が首を横にふり「そ…そうなの。只、私が転んだだけなの……私ってドジよね?」とひきつった笑い顔を無理に作った。入江への愛を失いたくない。そういう思いだった。DVだろうが、何だろうが暴力は暴力だろ? 椿の顔にそういう問いがあった。
「じゃあ行こうか? 嶺子」
 入江が催促した。「……うん」嶺子は頷いた。少しためらった。
「嶺子!」椿亜也が止めようとした。でも、嶺子の入江への信仰のような愛は止められない。嶺子は只、入江貞雄のいうがままだ。
 どんなことがあっても田中嶺子は入江を忘れられない様子だった。
 ふたりは去った。
 糞っ! 椿亜也は舌打ちした。……嶺子は悪くない! あれは暴力だろう?!
 ……私も暴力だと思う。だって、あいつが拳をあげて…あれは…?? 緑川も同調した。あれがDVでなくて、何がDV(ドメステック・バイオレンス)だというのか???
 しかし、嶺子は入江と戻った。それが椿亜也には不思議であり、悔しくもあった。

  ある日、緑川鷹山こと希がひとりでいるとき宅急便がまた届けられた。
 送った相手は、忘れたい人物だった。また、お菓子や手紙である。緑川は反発した。
 すぐに電話をかけて「あんたには家族がもうあるだろう?! お菓子や手紙とか……もういい加減にやめてくれない??」と反発して怒鳴った。
 受話器越しの女性は、
「でも……しばらく会ってないし、心配だったの。法事以来あってないでしょう? 私…」「いい加減にしてくれ!」
 緑川は受話器を置いた。胃がムカムカした。両手で頭を掻きむしり、息をはあはあいわせた。とにかく、忘れたい事が……そういうことがあった。
 誰にも話せない苦悩だった。誰かに話せれば少しは楽になれるのだろうけど…こんな事は自分でも忘れたいことだった。緑川は舌打ちした。
 そんなときドアがノックされた。
 緑川鷹山は何故かビクついた。まさか……しかし、それは道原幸智子と小池哲哉だった。「どうしたの? 先生?」
 幸智子が不思議なものを見るような目で、緑川を見た。
「……いやあ、別に……何も」
 緑川はお菓子や手紙をゴミ箱に捨ててから出た。さっそく、嶺子と暴君との話しとなった。「あれって絶対にDVよね?」すぐに晩酌が始まる。
 幸智子が酔っぱらいながらいったのだ。「DV男はストーカー化するのよね、私の経験だけど。そのうちに暴力だけじゃ飽き足らなくなって生活縛ったりする訳よ。私の経験ではね」それに小池が、「さすが男の経験が豊富ですね?」という。
「ばーか!」幸智子は小池の頭をこずいた。「今は嶺子ちゃんの話しでしょう? きっとまた暴力振るわれてるわよ」
「私も心配だなぁ。亜也くんも入院していることだし…」
 緑川は心配していった。
 3人は嶺子のことを案じた。
 小池は「でも、警察とか呼べばさぁ」という。
「ばーかね。民事不介入よ、サツなんて」とは幸智子。緑川は、
「でも……今はDV法律だってあるんだし…」と言葉を切った。
 まあ、まずは椿亜也が退院してからだ。すべてはそれからだ。

  椿亜也は退院した。
 単なる捻挫だからすぐ歩けるようになった。しかし、椿が心配しているのは自分の足ではなかった。嶺子のことだった。あの男……気になる。
 亜也がマンションに戻ると、
『退院おめでとう!』と緑川や幸智子や小池が派手に出迎えた。
 クラッカーや拍手だ。
 亜也は「大袈裟だなあ」と笑った。「さあ、呑もうよ、亜也さん!」
 急に幸智子はシャンパンをあけた。もう、椿の部屋に上がり込み祝杯を挙げている。
 そんな明るい幸智子たちに、椿亜也は救われる思いだった。
 困ったひとたちだなあ…そういながらも、椿は笑っていた。
 一同は笑いながら酒を呑みあった。
 一瞬、幸智子と哲哉は酔って冗談でキスした。鷹山と椿は何故か動揺した。


                                   
  同日の入江のマンションでは、入江貞雄が嶺子を窘めているところだった。
 入江は吐き捨てるように、
「あの椿亜也というやつにメールも電話もするんじゃないよ、嶺子」と命令した。
「な……何で…? 只の女友達…だよ? 高校のときの親友なんだよ?」
 嶺子は戸惑った。入江は顔色を変えず、
「あいつはね、嶺子のことを狙っているんだよ、嶺子。ぼくの嶺子を……あいつ男でしょ? あいつはオカマで、女の子じゃない。オカマだよ」
「……そんな…」
「只のオカマだよ。そして、嶺子…ぼくの嶺子を狙っている。オカマなのに勃起とかするのかな? オカマが…」
 嶺子は動揺しながらも反発する気になった。「や……やめて、貞雄くん!」
 貞雄は沈黙した。嶺子は狼狽して目を下に向けて、消えそうな声で、
「私の亜也は……亜也は…高校時代の親友なんだよ? …オカマなんかじゃ…ないよ。ちゃんとした心は女の子……なんだ…よ」
「……私の……?」
「……貞雄くん…は……私を殴ったり蹴ったり……仕事場まで…付き纏ったり……する…よね? なんで? 私…は…貞雄くんの…奴隷じゃないんだよ…?」

  椿亜也の部屋では派手に退院を祝っていた。
 ガヤガヤと賑わう4人……あぁ、ワインこぼしてるよ。椿も癒される思いだった。
 4人は酒を呑み合って(緑川は下戸なのでオレンジジュース)、和気あいあいとした団欒のような雰囲気で、盛り上がっていた。そんなとき、玄関先で物音がした。「…何かな?」
 椿亜也は扉を開けた。そして、驚愕した。
 顔や手足に痣や傷をおった嶺子が、倒れかかったからだ。
「…れ…嶺子!」
 思わず椿亜也は少女のような声をあげてしまった。
       

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ゴルバチョフ×ゴルバチョフ「世界を変えた男・ゴルビー」アンコールブログ連載小説1

2013年10月30日 07時03分35秒 | 日記
 GORBACHEV
                                                GORBACHEV                               

              

     ゴルバチョフ×ゴルバチョフ「世界を変えた男、ゴルビー」
                                    
  まえがき

 80年代後半、ミハイル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフという政治家によって世界は大変革をとげた。永遠に続くかと思われた「冷戦」による米ソの軍事競争にピリオドがうたれ、大量殺戮の恐怖もさった。ベルリンの壁が崩壊し、ルーマニアのチャウシェスクが倒れ、東西が対立していた欧州大陸はゴルバチョフのシナリオどおりに、世界平和に向けて突っ走るかに見えた。少なくとも、ヨーロッパには平和がもたらされると誰もが希望に胸を膨らませていた。ただしそれには、ゴルバチョフが失脚しないで、彼の意思を政策に反映できるかぎり、という前提があった。しかし、残念なことに、世界は「新秩序」とは逆方向に激変しつつある。   新思考外交を担ってきたシュワルナゼ元外相が「我が国に独裁がやって来つつある」と拳を振り上げて叫び、辞任した。そして、世界を変えた男・ゴルバチョフも保守派、党、軍らの巧みな復権によって実権を奪われ、失脚させられてしまった。その理由が、健康上の理由というのだからおそれいる。保守派は経済改革をする気もないらしい。ソ連の人々は歴史的にいって、自由だとか私有財産制というものを経験していない。ボルシェビキ革命以来、70年にも及ぶ悪政に苦しめられてきた。だから、経済を知らないのも仕方がないだろう。だが、保守派が権力を掌握した状況にあって、嘘っぱちのペレストロイカ路線で西側に援助してもらうとするのは、完璧に間違いだ。ドブに捨てることにしかならないし、そんな金は西側には1ドルだってないのだ!民族紛争、内戦、さまざまなことが。それによって西側に大量の難民が押し寄せることになる。冷戦体制が崩壊し、ソ連は消滅した。政治家ゴルバチョフは徹底した現実即応型の合理主義者で、機能するものは追及し、機能しないものは放棄する。だから、民族の反乱と経済破綻から来る保守派の反撃をしのぐために彼は権力にしがみついていたのだ。彼の最悪な点は、改革が中途半端であったことだ。保守派がクーデターによって権力を握った。だが、保守派がいくらソ連を動かし、ブレジネフの時代まで逆戻りさせようとしても、民主化や自由化のダイナミックな動きは誰にも止められはしなかった。それらのソビエトの改革がこれからスタートしようとした矢先、改革の旗手であったゴルバチョフが追い落とされてしまった。これはソ連にとって、そして全世界の平和、秩序、ブッシュのいう「新世界秩序」にとっても非常に不幸なことだったといえる。私たちは、まず、ミハイル・ゴルバチョフの人間性、成長過程、心理などを理解しなければなるまい。そして、激動のソ連、ロシア、ゴルバチョフ政治・失脚のすべてをだ。
 この物語を読むことによって、ぼんやりとしていたゴルバチョフ像が、読者の心に、はっきりと鮮明に刻まれることを期待してやまない。




          ゴルバチョフ大統領の略歴
1931 北コーカサス・スタブロポリ郊外の農家に誕生
1950 モスクワ大学法学部入学
1952 入党(21歳)
1954 哲学科のライサ・ティトレンコと結婚
1955 モスクワ大学卒業、スタブロポリへ帰郷、同地方コムソモール宣伝副部長に 1958 スタブロポリ地方・コムソモーム委第一書記
1962 スタブロポリ地方・党委組織部長
1966 スタブロポリ市党第一書記
1967 通信教育でスタブロポリ農業大学を卒業
1970 スタブロポリ地方党第一書記
1971 党中央委員就任(40歳)
1972 ベルギー訪問
1978 書記局入り、農業担当書記に
1979 政治局員候補
1980 政治局員に昇格(49歳)
1983 国会代表団団長としてカナダ訪問
1984 イデオロギー、組織部門掌握、ナンバー2の座に。英国訪問、サッチャー首相と会談
1985 チェルネンコ死去により書記長就任
1986 第7回党大会でペレストロイカ政策を
1988 最高会議幹部会議長を兼任
1989 人民代議員大会導入。最高会議議長に就任
1990 一党独裁規定を修正、初代大統領に就任
1991 ロンドンサミット出席
     米ソ首脳会議・START調印(モスクワ)
     ゴルバチョフ失脚(八月一九日)復権(八月二十一日)
     党書記長を辞任し、共産党・KGBを解体する。
     中東和平会議開催(スペイン・マドリード、十月)
     ソ連崩壊 ゴルバチョフ大統領辞任





 第一章 混沌・カオス




  確かにそれは、いやな時代だった。
  一九三一年の飢饉のさなか、ミハエル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフは濁った川のそばの小さな家で生まれた。スタブロポリのステップ地帯の、うら錆びれた片田舎にだ。 飢饉は天災ではなく、スターリンのせいだった。
 一九二四年のレーニンの死後、スターリン(鋼鉄の人)ことジェガシビリは着々と自らの独裁支配体制の基礎を築いていった。その地位は、三十年ころにはほぼ固まったが、それと同時ころに反スターリン派に対する抹殺が始まった。まずは反スターリン派の主、ブハーリン、ルイコフ、カーメネフらが餌食となる。しかも、その抹殺の対象は、党や軍の上層部には限らなかった。多くの知識人、芸術家、一般市民、兵士、農民までもが、犠牲となっていった。秘密警察は彼の私物となつて猛威をふるい、密告が奨励され「人民の敵」の烙印が押されると、その家族や友人までもが厳しい追及をうけた。しかも、抹殺された2000万人に及ぶ人々は、ほとんど無実の罪だったという。
 そんな鬼畜が、集団農業化政策に抵抗する農民を鎮圧しようとして起こした人為的な飢饉によって、一九三三年秋から一九三四春までにゴルバチョフの故郷の村は人口が三分の二に減ってしまったという。食料も完全に尽きて、キビの薄いスープが命の綱というありさまで、ある村では一歳から二歳の幼児がすべて一人残らずに餓死してしまった。
 だが、そんな時代に育ったからこそ、あのサバイバル本能と行動的・合理的なゴルバチョフが「世界の檜舞台」に現れる結果となった、ともいえる。
 ミーシャ(ミハイルの愛称)の強い生命力は家系のせいでもあったかも知れない。彼の先祖は、ウクライナのコサックだった。先祖は、地主のもとを逃れ、自由をもとめてウクライナから、コーカサスとして知られるスタプロポリ地域の南端の未開拓地に定着した。 広大なロシアのステップ地帯、大草原に蜃気楼がきらきらと揺らめき、鳥がひくく舞い飛び、夕方には雲がうっすらと赤く輝いて地平線の彼方へ沈んでゆく。
 この土地に移住してきた人々は、いまのソ連ではめったに見れない、働くことが大好きでフロンティア精神が旺盛な人々であり、皆、豊かな生活をしたいという熱意にあふれていた。それはいわば、世界各地からアメリカに移住してきた活動的な人々と同じと言える。(ちなみに、コサックとはトルコからにげてきた自由な人々という意味で、彼らがやってきた天然鉱泉(つまり温泉)で有名なスタブロポリは、のちに特権階級が訪れる保養地となった)
 ゴルバチョフの曽祖父がプリボリノエと名づけられた村に入植したのは、一八四O年代のことである。モスクワから汽車で丸一日かかるこのこぢんまりした村は、小さな農村のただずまいが今も残っている。ゴルバチョフの母親が現在住む家は、一九六O年代に建てられたもので、息子がこの家に専用電話回線を引かせ、防犯設備を取り付けさせた。泥と藁を混ぜた小さな小さな生家は、イエゴルリク川という小川のそばにうずくまるように建っていたが、いまはもうない。
「息子とはもう三年以上もあってない」と母親は愚痴る。彼女の名は、マリア・パンテレイエブナ。聖母の名を持つ。
 だけど、心は別に聖母でも何でもない。というより、ロシアの多く農婦にはめずらしく、なんでも自分でして、自分の意見をはっきり述べる、強い女性だ。           教育レベルは低かったが、この強い母親がゴルバチョフにかなり大きな影響を与えた。この母親のイメージが、のちにモスクワ大学で出会うライサ・マクシモブナ・ティトレンコ(現ゴルバチョフ夫人)とオーバーラップしたのだ。ただ、母親との違いは、ライサにはモスクワ大学哲学科博士号をもつほど教養があり、とても美しかったことだった。   そういったことでいえば、ゴルバチョフはマザー・コンプレックスであるといえる。だが、それは全然恥ずかしいことではない。かのウィストン・チャーチルも、リンカーンも、ロナルド・レーガンもそうだったからだ。                      それにしても、数年前までは、かの偉大なる大人物たちよりも、ゴルバチョフのほうがかなり偉大にみえたものだ。現役をしりぞいたいまでは評価できないが、それまでは本当にすごかったと思う。腐敗したブレジネフ時代を生き延び、権力の階段を登るためにひたすら自分を殺し、屈辱に耐え、オベッカを使った。これは並たいていの精神力では出来ないことだ。そしていざ権力を握ると「ペレストロイカ」を打ちだし、外交で大業を成した。内政より外交にまず焦点をおいたところが、いままでのソ連の指導者との違いであり、彼の偉大なところであった。国内からの改革では何もならない、ということを知っていたのだろう。それに、改革には金が必要だ。いままでのように軍備拡張を続け、NATOと対峙していれば金がかかる一方で、どうしようもない。だからこそ、軍拡ゲームに白旗を挙げて西側から援助をうけたのだ。彼が外交に力を入れたのは、国内改革を推進するためだった。まぁ、理由はどうあれ、アメリカとの対峙をやめたことはとても大きな意味をもっていた。あのままだったら、確実に「世界の終り」が来ていたことだろう。その脅威から開放され、新しい秩序を求める道が開かれた。それが冷戦終結の意味だった。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               



             独裁と血の弾圧
                                          「私は生涯で最も短い、つらい演説を行います。私は、ふたつのことを申し上げたい。   まず、昨日、何人かの議員が、ソ連軍の、ペルシャ湾派遣を禁止する宣言が必要だと提案なさいました。しかも、それは一回や二回ではありませんでした。これは我々の忍耐を越えるものです。私は国内国外で合わせて10回以上も、このことについての我が国の政策を説明しています。それは当然、十分考え抜かれたもので、文明国間の国際関係に適したものです。我が国はイラクと友好関係を持っています。しかし、イラクが行った守りの弱い国、クウェートへの侵略に対しては妥協するわけにはいきません。もし妥協すれば新思考外交を確立するため、ここ数年なされてきた我々の努力は帳消しになってしまいます。
 次に私が申したいのは、『内省を辞めさせるのに成功した。次は外相についても考える時期が来た』と言った二人の大佐のことです。この発言は内外のマスコミに流れています。何と大胆な大佐たちなのでしょう。政府の一員に対してそんなことを言うとは。特に名指しはしませんが、この人たちの背後に誰がいるかを考えなければなりません。なぜ誰も彼らに反撃しないんでしょう。なぜ『そんなことはない』と、はっきり言わないのでしょうか。        関連して私個人の心労と名誉について言わせていただきたい。私の意に反して同じ人々が外相は一方的な譲歩をした、無知だ、外相としての資格がないと非難を浴びせかけています。私は深く悩みました。個人的侮辱だから我慢してきました。今、我が国では個人攻撃が、まかり通るようになってしまいました。民主派の同志のみなさん、なぜバラバラになり、逃げ隠れするのです。独裁が近付いて来つつあるのですよ。しかも、誰もどんなものか、誰なのか、どの様に来るのかをしらないのです。                             私は辞任します。私を責めないで下さい。この辞任を私は独裁の到来に対する抗議にしたいのです。私はゴルバチョフ氏に感謝申し上げます。私は彼の友人で仲間です。私は生涯最後の日までペレストロイカ、刷新、民主化の理念を支持します。我々は国際舞台で偉大な仕事をやってきました。これは、私の人間として、市民として、そして共産主義者としての義務でした。私は今、我が国で起こっている出来ごと、国民を待っている試練には妥協できません。私は独裁者は決して成功しないと確信します。未来は民主主義と自由のものだからです」  エドアルド・シュワルナゼは、その日開かれていた人民代議員大会(国会)で、怒りに手を震わせながら、強いグルジア訛りのロシア語でいった。彼は何の迷いもなく、決して後悔などない、誇りと悲しみに満ちた目だった。そしてこれは、文字どおり体を張った演説だった。彼のアピールは保守派のみこしに乗せられたゴルバチョフに対する抗議であり、愛国の情の表れであり、そして全世界に対する警告でもあった。世界はこの突然の辞任に驚き、そしてペレストロイカの危機を知った。だが、この辞任に一番驚愕したのは、ゴルバチョフだった。なぜなら、シュワルナゼは辞任表明の前、事前にゴルバチョフに何の相談もしていなかったからだ。彼が事前に打ち明けた相手は、故郷グルジアにいる家族と二人の側近だけであったという。 (この二人の側近の側近のうちの一人は、タイムラズ・ステパーノフ。元ソ連外務省職員で、「外交協会」のメンバーとしてシュワルナゼの女房役を務めた)                「強大な権力と独裁とを混同されては困る」気味悪いほど静かでていねいな口調で、演壇に立ったゴルバチョフは答えた。怒りや驚きを隠している時、彼はこういう話し方をする。そして、彼は、「シュワルナゼ外相が、この困難な時期に去ることは許しがたい………彼には副大統領になってもらうつもりだった」                           と述べた。非難したすぐ後に既定の方針を述べるという、非常に矛盾したこの発言は、彼が相当うろたえている証拠だ。そしてこのことで、いくつかの事がはっきりした。まず、ゴルバチョフが保守派に実権を奪われただけでなく、改革派からも浮き上がってしまっている事実が分かった。そしてもう一つ、はっきりしてくるのは、軍と産業・官僚、つまり軍産複合体がまた、アメリカとの対立の時代、冷戦を待望していることだ。それは「ペルシャ湾への派兵を禁止する宣言が必要だ」と湾岸戦争のときアルクスニス大佐ら超保守派青年将校が何度もしつこく迫っていたことからも窺える。軍産複合体にとって、シュワルナゼが推し進めてきた多国籍軍によるイラク包囲網への協力は大きな脅威だった。 ゴルバチョフはこのころすでに保守派によって棚上げされていた。そして、シュワルナゼは知っていた。大統領の椅子にしがみついているだけのゴルバチョフが、自分を切って保守派に差し出そうとするのを。だったら、黙って切られるよりは、誇り高いグルジア人らしく自分の方から反撃に出てやろう、シュワルナゼはそう考えたのだ。                                  この辞任演説で保守派はかなりいい気分になった。その中で、一際したり顔になったのが『黒い大佐』こと、保守派青年将校のリーダー、ビクトル・アルクスニスだった。彼をリーダーとするソユーズ(連邦)とは、90年3月、マルクス・レーニン主義に忠実な保守派人民議員によって結成された議会内のグループである。その目的は連邦制の維持と、科学的社会主義の維持にある。つまり、ペレストロイカを挫折させ、時代を逆流させて、『冷戦』体制にもどそうというウルトラ保守派のグループなのだ。メンバーには共産党員や軍人が多く、役500人の人民代議員が参加している。そのリーダーが、狂信的な共産主義者、ラトビア共和国選出のアルクスニス空軍大佐である。そしてこれが一番困りものなのだが、人民代議員(国会議員)の2割以上を傘下に収めているという現状があった。重要法案や憲法改正などには、このグループの賛成がないと成立不可能だった。だから、ゴルバチョフは無視できなかったのだ。  「次は、あいつに辞めてもらわなければな」アルクスニス大佐の口元に、悪魔の笑みが浮かんだ。あいつとは、大佐がその鋭い眼光でにらんでいる、ゴルバチョフであった。      「国内では民族紛争で何千もの人間が命が奪われた。しかもそれらは子供や女、老人が大部分だ。そういう状況をつくったのはゴルバチョフだ。あの男には辞めてもらわなければならない」彼はもういちどニヤリとした。彼はまがりなりにも「勝利」したのだ。だが、勝負はこれからだ。破局にむかっている状況をとめるため、戒厳令をしかなければ!あらゆるストも政治集会も凍結し、立法機関の機能も最高議会から最低レベルの会合まで、さらに共産党をふくむすべての政党、社会団体の活動を一時停止させる。今の状況を救う道はこれしかない。いざとなれば、リトアニアもグルジアも力で踏みつぶしてやる!!                                                          「あなたはその誠実な人柄と実直な仕事ぶりによって国民の間では人気があった。しかもテレビ移りが良く、発言も要所要所を押さえた理論的なものだったため、90年5月に、『ニューズウィーク』誌は、あなたこそ最も可能性のある人物と評しました。あなたはゴルバチョフ大統領に気にいられており、リベラルではあるが保守派にも受け入れられる穏健なところがある、ということでした。たしかに大統領は、権力を政治局から大統領会議に移した時、あなたをメンバーの中にいれている。そのことからも大統領が内政面で、いかにあなたを頼りにしてたかが窺えます。にも関わらず、なぜ12月2日あなたは解任されてしまったのでしょうか?」 アナウンサーは、とてもゆっくり丁寧な口調できいた。               「ある勢力が私の解任を要求していた。アルクスニス大佐、ペトルシェンコ大佐らのグループだ。このことは彼らの発言が証明している。内務省を崩壊させたのは、私の責任だと彼らは言い続けてきたからね」
 バカーチンは冷静さを失わずにそう言った。これは90年12月22日に放送されたあるテレビ番組でのことだった。
 そして、その番組をシュワルナゼは事務所で見ていた。
 あるグループとは、もちろん“ソユーズ“のことだ。彼らは、経済犯罪や民族紛争への対応が手ぬるいとして、バカーチンを攻撃していた。このグループは、保守派(ノーメンクラトゥーラ、軍産複合体、KGB)の意を受けて、突撃隊のような役割を担っていた。 そして最初のターゲットにされたのが、リベラルで“血の弾圧“を嫌うバカーチン内省だった。ゴルバチョフはそれを承知で、権力にしがみつくためにバカーチンという片腕を切って保守派に差し出したのだった。
(これに対する庶民の反発は大きかった。それで仕方なく、ゴルバチョフは91年3月に、バカーチンを何の権限もない安全保障会議のメンバー及び大統領顧問の地位に就かせ、批判をかわさなければならなかった)
  電話がリーンとなった。シュワルナゼはテレビを消し、下唇を噛み締めたまま、受話器をとった。相手はゴルバチョフだった。
「同志エドアルド・アムヴロシェヴィッチ。君の働きぶりは十分に評価をしているし、おかげで世界の情勢を大きく変えることができた。それは君の個人的資質による負うところが大きい。今はまだ国内情勢が混沌としているので、国内にとどまって『副大統領』として一緒に仕事をして欲しい」
「残念ですが、何度電話をかけてこられても無駄です。私の心は変わりません。こういうことはビジネスの取り引きではありません。良い条件を出されたからといって、一度決心したことをひるがえすわけにはいかないのです」
「なぜだ?なぜ突然に辞めてしまうのだ。改革に対する私の心は今も変わっていない。この国を救うために、なにがなんでもがんばらなければと考えている。なのに、私を見捨てて君は去ろうとしている。無責任極まりないとはおもわないのかね?」        

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沙弥(さや)AKB48大島優子主演NHK朝ドラ原作小説アンコール3

2013年10月29日 06時52分24秒 | 日記
         学生時代の沙弥




  学生時代の沙弥は、苦労の連続だった。
 まず、病気、入院、通院、そして、『イジメ』である。
「イジメなんてどこの学校でもあるんじゃないの?」というひともいよう。もちろん、その通りで、日本では必ず学校にひとつかふたつは『イジメ』があるのが普通だ。閉鎖的で学歴主義、偏差値主義で自由ってもんがないから、日本の学生はイジメやら売春やら強盗やら麻薬やら学級崩壊と、とにかく酷い。ストレス発散のためのイジメだ。
 でも、私たちが学生の頃は、まだそんなに酷くはなかった。『イジメ』はあったが、自殺に追い落とすほどではない。確かに、やられたイジメられっ子には気の毒だが、自殺するほど追い詰めたりはしない。今の学生と違って、「加減」を心得ていたのだ。(私こと黒野ありさはイジメに加わってない)昔のイジメは、可愛いもので、相手を無視したりバイ菌扱いするくらいで、今のように大金を要求したり、暴力をふるったり、ってのはなかったな。もっと昔は、イジメがあるとイジメっ子をかばうひとも必ず現れて、そんなに拡大はしなかったという。昔はイジメられるのは金持ちの秀才で、イジメるのはガキ大将、ってもんだった。
 だが、今は違う。
 イジメられるのは必ず、虚弱体質で病気がちの子供や、皆と違っている子だ。つまり、「皆と違う」っていうのがイジメのターゲットになってしまう。「皆と違う」っていうのが日本では罪になってしまうのだ。おかしな話だ。
 そう考えると、沙弥は『病弱な変人』だったから、「皆と違う」っていうのは当たっている。
 確かに、沙弥は皆と違う。
 しかし、性格は悪かったが、彼女は美人だったし、文章の才、いや天才をもっていたのだから評価されてしかるべきで、なにもイジメのターゲットに選ばれることはなかった。 でも、世の中には「嫌な人間」もたくさんいる。悪口やいやがらせ、罵声、投石、嘲笑、そんなことを何の理由もなくやるような人間は残念ながら沢山いる。これが現実なのだ。 だが、沙弥はそんな連中には負けない。

 沙弥が本気で怒った時、彼女はなにかのオーラを出す。
 もちろん、緑川沙弥ときたら、毎日のように怒ったり、癇癪を起こしたりしている。が、そういうのではなく、本気で怒った時は、もう誰も手がつけられない。
 あれは確か、中学2年生の頃だったか。
 私と沙弥は、学年も学級もクラスも違う。でも、彼女の怒りの激しい姿、阿修羅のような姿を目撃した。あれは6月くらいだった。学校でのことだ。
 ガラスの激しく割れる音をきいて、他のヤジ馬たちとともに階段を降りて、音のしたほうに私は駆けた。そして、発見した。
 緑川沙弥の怒りの姿を、である。
 通路の窓が割れていて、彼女のまわりにはガラス片が散乱していた。沙弥の右手は血だらけだった。ガラス屑の上に、沙弥は阿修羅か毘沙門天の如くスッと立ち尽くしていた。 きっと拳でガラスを割ったのだ、そう一瞬で私は考えた。
 沙弥の目の前には、数人の女の子がいた。こいつらが沙弥をイジメた、っていうかからかったのだ。病気のことを。それで沙弥が「キレて」、ガラスを割った。
 沙弥は真剣な顔で、そのイジメッ子たちをキッと睨んでいた。
「もう一度言ってみろ!」
 沙弥は怒鳴った。
 数人の女子学生は無言だった。呆気にとられていた。すると、沙弥が
「このやろう!」って言った。そして拳を振り上げた。ーだから、
「沙弥、やめなさい」
 と、言いつつ私は彼女をとめようと近付いた。「だめよ、怪我してるじゃないの。…早く保険室にいきましょう」
「……うるせい、ありさ。ほっといてくれ」
 沙弥は言った。ほとんど抑圧のない声だったが、恐ろしい表情だった。
「…………沙弥」私は茫然として、動きをとめた。そうしていると沙弥が、右足で床のガラス片を蹴り、ジャリジャリという音が響いた。そして、「今度、あたしのことを馬鹿にしたら……殺す」といってから沙弥は身を翻し、駆け出し、校舎から出ていった。そのまま走り去った。
 それでしばらくしてヤジ馬もいなくなってきた。でも、私はその場で茫然としてしまった。ガラス片と沙弥の血痕をじっと見た。そして、泣きたいほどの感情に抑えつけられた。 ………なんて娘だろう。病弱のくせに…あんなことを…。殺す…?イジメっ子たちを? これが、沙弥の「本気の怒り」の最初である。
 私はなんだか泣きたくなった。でも、泣いたら負けだ、と思ってじっと上をむいて耐えた。でもそれは無駄だった。涙が瞼を刺激して、私はポロポロと泣いてしまった。

  沙弥はいつも病気だ。
 というより、緑川沙弥は生まれた時から病気がちだった。病名は知らない。で、病気で入院、通院、ってことが多かったから、当然、学校も休みがちになる。それは仕方のないことだけれど、彼女はそれが嫌で嫌でたまらないかのようだった。「勉強好き」ってのとは違う気もするが、とにかくそうだった。「学校にいきたい」っていつもいってたっけ。 私は「学校に行きたくない」っていってたけど。
 とにかく、沙弥はいつも病気だ。

  ところで、まゆちゃんはどうしてたのか?って疑問に思うかしら?
 緑川まゆ、そう、沙弥の妹だ。
 まゆちゃんは本当にいい子で、あの頃は確か小学生くらいだったか。丸い顔に可愛い瞳で、髪を両方でおさげにしている。とても可愛い『お人形』のような外見のまゆちゃんは、昔、とても内気な女の子だった。兄は?って?緑川和宏?あれはダメだ。どうしようもない。(いい過ぎでした)緑川和宏は沙弥よりふたつくらい年上で、猿顔の長男だったが、簿記かなにかの専門学校にいった後、宮城県でコンビニを始めた。今は結婚していて、子供もいる。だが、彼の説教グセと偏見がいやで、沙弥は緑川和宏を嫌っていた。
 緑川和宏に比べれば、緑川まゆは最高にいい子だった。いい子ちゃんだった。沙弥も和宏もあんな感じだから、まゆちゃんは緑川家の”天使”だった。
 でも、まゆちゃんも前までは内気で、暗い感じの娘だった。
 あまり話しもせず、部屋に閉じ籠り、本だけ読む、それは父の死を境にそうなっていた。病理学上でいうと「鬱病」と「自閉症」みたいな感じか?どうかはわからない。
 とにかく内気で、他人と話さない子だった。
 父・緑川彰の死が、『トラウマ(心の後遺症)』になったんだと思う。もう、今では元気いっぱいの女の子だが、前まではそんな感じだった。



  沙弥は人知れず”努力”を重ねた。
 まず、膨大な量の資料本を読み、乱読し、咀嚼した。そしてそのデータを元に、エッセイやら小説やら経済本やらの原稿を執筆しだした。始めたばかりの執筆だから、拙いところもあったろうが、こうして沙弥の『執筆活動』が開始された。
 そんな彼女を理解してくれるひとは、只一人、おばあちゃんだけだった。
 沙弥のおばあちゃん、緑川こう、は、その当時緑川沙弥の唯一の理解者だった。
 しかし、この時誰が予想したろうか?緑川沙弥の唯一の理解者、こうおばあちゃんが死んでしまうとは……。

 あの日のことは今でも忘れられない。
 ちょうど、夏休みで、私は沙弥たちのペンション「ジェラ」の部屋にいた。私の自宅は隣りなので、ちょくちょくそこにきていた。
 夏のまぶしい太陽がぎらぎらとしていて、暑い一日だった。ほわほわと入道雲が空のブルーに浮かんでいて、みんみんと蝉がうるさい。うだるような暑さ、だ。
 真夏の陽射しが湖に差し込んで、辺りがきらきらとハレーションをおこす。そんな瞬間を眺めていたら、なんだか私の心までほんわかほんわかしてしまっていた。
「スイカ食べなせい、美味しいよ」
 ふいにおばあちゃんがきて、お盆にのせた西瓜をもってきてくれた。それはとても美味しそうな真っ赤なスイカだった。
「ありがとう、おばあちゃん」
 私は礼をいった。
 そして、「沙弥は?おばあちゃん」と尋ねた。
「今、眠っているみたいだったから……後で食べさせる」おばあちゃんは笑顔で言った。 私は西瓜を食べて「おいしい」と言って笑顔になった。
 …本当に甘くて、みずみずしくて、美味しかった。
「んだが、んだが」
 おばあちゃんは満点の笑顔になった。
 だが、その時、誰が予想できたろうか?おばあちゃんが倒れるなんて……。
「うう…っ」
 おばあちゃんはそう唸って、胸を抑えて苦痛の顔になった。そして、両膝をつき、倒れ込んでしまった。私はあせって、とにかく動揺して、
「おばあちゃん!おばあちゃん!」
 と、声をかけた。そして、動揺して周章狼狽しながらも良子おばさんを呼んだ。で、すぐに救急車を呼んで病院までいった。米沢市の「船森病院」だ。
「…もうダメです。後一日ももたないでしょう。心臓の動脈が破裂していて…」
 医者は淡々と言った。
 おばあちゃんは酸素マスクをつけられ、心音と血圧を計る機械をつけられていた。意識はあったが、もうダメなようだった。
「おばあちゃん、私……ありさ。わかる?」
 そうベットのばあちゃんに声をかけると、ばあちゃんは頷いた。何か言ってるが、何をいってるのかわからなかった。そうすると、沙弥がきて、
「ばあちゃん、沙弥です」
 と声をかけた。するとおばあちゃんはうなずいて、何か言った。だが、何をいってるのかわからなかった。「がんばって」沙弥は寂しく言った。
 するとおばあちゃんはうなずいて、何か言った。
 それで終りだった。次の日、午前8時58分、おばあちゃんは死んだ。…享年八十七才だった。私はショックで、病室から出て、とにかく走ってしまった。涙が頬をつたった。悲しかった。泣きたかった。…あんなに優しいおばあちゃんが死んでしまうなんて。世の中どっかおかしいよ!

  通夜の後、火葬とあいなった。
 私はずっと泣いていたが、沙弥は泣かなかった。まゆちゃんも泣いていた。一時間ほどして、火葬は終り、運ばれてきた時はすでに白い骨がいっぱいあるだけだった。それを骨壺につめると、それで葬式へと突入した。
 普門院で葬儀。袈裟姿の坊主が念仏を唱えはじめると、私は気付いてしまった。
「…沙弥がいない……」
 あの緑川沙弥がいなかった。どこにいったのだろう?
 そう思っていると、外でひそかに泣いている沙弥を発見した。「……沙弥…」私は言葉をかけられなかった。あの沙弥が泣いている。きっと、唯一の理解者がいなくなって泣いていたのだ。悲しくって泣いていたのだ。でも、彼女は、そういう姿を他人に見られたくないという性格だ。だから、人知れず泣いていた。誰にも知られないように……。
 私は、彼女をそっとしておくことにした。
 そのほうが沙弥もいいだろう。そう思った。
  葬儀も終わると、沙弥が冷酷な顔(?)で登場して、「ばあちゃん、さよなら」っていって墓まいりに参列していた。
「…沙弥……だいじょうぶ?」
 私が尋ねると、彼女は、
「何が?」ってサバサバと言った。
「……おばあちゃんが死んで……」
「……人間はね、必ず死ぬんだよ」
「…………うん。それで?」
「それだけ」
 沙弥は横顔のまま、ニヤリと言った。
”人間はね、必ず死ぬんだよ”?これは当たり前のことだ。しかし、沙弥のような病弱な人間がいうと現実感があった。そう、人間は必ずいつかは死ぬ。
「遅いか、早いかの違いだけさ」
 沙弥はくすっと笑った。
 それはきっと自分に言ってたんだろう。”……人間はね、必ず死ぬんだよ””遅いか、早いかの違いだけさ”って……?きっとそうだ。
 そうに違いない。



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沙弥(さや)AKB48大島優子主演NHK朝ドラ原作小説アンコール2

2013年10月26日 04時55分51秒 | 日記
         幽霊屋敷


                                     
   私の名前、「黒野ありさ」、なんてけっこう洒落てる名前でしょ?もちろん、沙弥なんて名前も洒落てるって思う。そう、あの緑川沙弥、だ。
 でも、考えてもみれば、黒野ありさが「作家のまねごと」なんて、笑ってしまう。沙弥じゃあるまいし、一日中部屋の中にいて、机の原稿用紙にむかっているなんて、私としても信じられない。でも、彼女のことを知っているのは私だけなんだから、頑張らねば。
 伝記ものの小説、となると、難しく考えがちだが、たいしたことはない。なにも歴史小説で、上杉謙信がどうの、とか、織田信長がどうとかニュートンがどうとか書く訳じゃない。あの、緑川沙弥のことを書くだけだ。私なりにね。まぁ、拙い文章部分は読者諸君にご理解いただいて、私は私なりに頑張って書く。それだけだ。

  緑川沙弥は、1970年1月6日に生まれた。誕生地は米沢市。米沢は、上杉の城下町として全国的に有名なところだ。米沢の有名人は、上杉謙信や上杉鷹山などだが、そのほかにも米沢牛や鯉の旨煮など物産も多い。それ以外は日本中の街と同じように、静かで自然がいっぱいで風光明媚な所だ。私が残念なのは、以外と米沢では緑川沙弥の名は知られてないことだ。彼女のような作家は有名になってしかるべきなのに……。でも、沙弥は『変人』だったから、それがバレて米沢の著名人のメンバーから外されたのかも知れない。
 緑川沙弥という赤ん坊は、未熟児も未熟児…。いつも病気がちで、母親も親戚も甘やかすもんだから、性格ブスで嫌な女の子に育った。でも、だからといって沙弥は『ブス』ではなかった。彼女は美少女だった。小さくて丸い顔、大きな可愛らしい瞳には睫がびっしりと生えていて、髪が長く、全身や手足がきゅっと小さくて細くって白い。彼女はまるで妖精のようだった。それぐらい可愛い娘だったが、性格は悪かったように思う。もっとおしとやかなら”良家のお嬢さん”で通るのだろうけど、あのイヤミな性格は、今思い出すと笑ってしまう。
 しかし、私は彼女に被害を受けたのだ。でも、被害はたいしたことはない。悪口を冗談でいわれたり、邪魔しにきたり、そんな程度だ。私なんかより、母親の良子おばさんや妹のまゆちゃんのほうがもっと被害にあっている。だから、私は、愚痴はいわない。   
  沙弥のお父さんは緑川彰、お母さんは良子、妹がまゆ、兄が和宏といった。
 彼女の亡き父・彰おじちゃんは警察官だった。”亡き”とは、当たり前だが、亡くなったので、彰おじちゃんが死んだのはもうだいぶ前だ。まだ私も、沙弥も、幼かった頃。
 なぜ死んだのかは後述するが、はっきりいってしまえば、殉職、である。
 そう、殉職、だ。
  沙弥のお父さんもお母さんも、彼女の理解者だった。
 沙弥のお母さん、良子おばさんはその時、まだペンションをやってなくて、主婦だった。ペンションをやりはじめたのは、彰おじちゃんが死んでからだ。それまで良子おばさんは平凡な主婦だった。…私(黒野ありさ)は?というと、沙弥と同じくらいに生まれている。彼女とは近所なので、幼馴染みってところ。
 だから、緑川沙弥のことはたいがい知ってる。
 もちろん知らないことの方が多いが、その人が死んでから”いいかげんな”伝記を書こうとする”他人”よりは、緑川沙弥のことを私はよく知っている。
 沙弥がなぜ作家になりたいと思ったか、知ってます?
 そう、ゲーテです。ゲーテ。
 彼女は、小学生の時、図書館でゲーテの詩集を読んで、「作家になろう」と思ったそうです。「なんか、強烈なインスピレーションを受けた」とかなんとか言ってたな。
 しかし、私なんかは”その話は嘘っぽい”って感じもします。
 だって、小学生で「ゲーテ」ですもの。
 それに、ゲーテって詩人でしょ?そう思って、私は沙弥に尋ねた。
「ゲーテって詩人でしょ?(実際にはゲーテは詩のほか小説や戯曲や政治や絵画や音楽といろいろやった)なんで詩じゃなくて作家なの?」
 すると緑川沙弥は言った。
「詩ではペイしない。作家ならペイするがな」
「ペイって?」
「馬鹿だね、ありさは……。ペイっていうのは儲かるって意味の英語。詩人ではメシを食っていけねぇっていうの」
「作家ならなんとかなるっていうの?」
「まぁな」
「ふ~ん」
 私はそう言った。
 そういえば、最近日本では、一か月に一冊の活字本も読まないって人間が増えているという。ただし、本を読む時間がないからではない。漫画やワイドショー、トレンデイ・ドラマ…そうしたものだけ観て、時間をツブしているのだ。それで、今、出版不況で、出版社の編集員も上司から、「間違っても、出版しよう、と作家に言うな」と釘を刺されているという。自費出版などなら別だが、日本では有名タレントや有名作家以外で(自腹でなく)本を出版するのは「至難の技」なのだ。だから、日本の本屋は、マンガ本やヌード写真やアイドル本などだけが溢れかえっている。だから、作家でもペイしないかも知れない。
日本の文壇最高位・青木賞受賞など、夢のまた夢の世界だ。

  緑川沙弥の父親、緑川彰が死んだのは、彼女が小学生の時だ。
 まだ、私も沙弥も幼い頃。米沢の銀行に強盗が入った。そして、そのふたり組の男たちは車で逃走。で、米沢警察署の警官が総動員された。もちろん、彰おじちゃんもだ。
 ハリウッド映画並のカーチェイス、というのはなかったらしいが、ふたりの強盗は検問にひっかかった。そして、警官が職務質問しようとして車に近付いた時、強盗のひとりが拳銃を発砲した。警官ひとりの腕に着弾し、警官は血だらけで倒れた。そのスキに強盗の車は急発進!その前に立ち塞がったのが、沙弥の父、緑川彰だった。
「危ないっ!」
 そう思った時にはすでに遅く。彰おじちゃんははねられ、地面にはげしく転がった。強盗の車もそのはずみでハンドルを狂わせ、橋のらんかんに衝突した。強盗は即死でもよかったが、彰おじちゃんも即死だった。
 私がこの事件を知ったのはTVニュースでだったが、沙弥や沙弥のお母さんらにはもっと早くに訃報が入ってたらしい。皆、顔面蒼白だった。
 とにかく、こうして沙弥の父、緑川彰は死んだ。殉職だった。 葬儀の時の、沙弥の顔を私は今でも忘れることができない。あの娘は、泣かなかった。ただ、悲しくないからじゃなくて、必死に我慢しているようだった。泣くまい、と決めているような表情だった。”泣いたら負けだ”とでも思っていたのか?
 とにかく、沙弥は泣かなかった。
 しんとした葬儀のあと、数年後、良子おばちゃんは「ペンションを始めよう」と決意する。まぁ、殉職した彰おじちゃんの生命保険や退職金などがあったが、それだけでは足りない。長男とふたりの娘を養わなければならない。学校にも通わせなければならない。沙弥の治療費も膨大だ。そんなこんなで、良子おばちゃんは決心した。
「とにかくやりましょう。ペンションを」
 ”細腕繁盛記”ってとこか。
 とにかく、こうしてペンション「ジェラ」が誕生する。ちなみに「ジェラ」とは、ジェラート・アイスのことで、良子おばちゃんが好きなオードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』で出てきてヘプバーンが食べたアイスの名前、だ。
 なにか関連があるのだろうか?まぁ、ないな。適当に名前をつけただけだろう。
  私こと黒野ありさと沙弥が仲良くなったのは、ちょうどその頃だったように思う。
 そう、「幽霊屋敷事件」だ。
 私こと黒野ありさと沙弥が仲良くなったのは「幽霊屋敷の探検」の頃だったと思う。
 緑川家のペンションと私ん家の裏山には、近所の人々から「幽霊屋敷」と恐れられた洋館があった。その館は誰も住んでなくて、ボロボロで、まさしく「幽霊屋敷」だった。
 子供達はよく、屋敷に入ると呪い殺される、などと噂したものだ。
 そして、本当に幽霊をみた、などという噂まで現れたりもした。もちろん噂だ。
 だが、噂が本当になった。しかも、私がみることになるなんて思いもしなかった。
「おい、ブス。探検しようぜ。あの幽霊屋敷の」
 夜、沙弥が私のところへ訪ねてきて、ニヤリと笑ってそう言った。
「え?」
 私はききかえした。
「探検だよ」
「探検?」
「そう、探検。あの幽霊屋敷の探検にいこう!そして幽霊をつかまるんだ」
 確か彼女はそう言ったように思う。…掴まえる?幽霊を……?
 あの頃は中学校の二、三年生くらいだったろうか。「幽霊屋敷の探検」ごっこはよく覚えている。「探検」といってもたいしたことはない。裏の、誰も住んでない館に探検にいく、いや、ただ見てくる、といったものだった。しかも夜に、だ。昼間でも「幽霊屋敷」と子供達に怖がられていた場所は、夜になるともっと不気味で本当に怖かった。もちろん私は皆が心配するし、危ないから、と反対したが、彼女は「怖いのか?情ないなぁ」というばかりだった。
「怖くなんかないわよ!」
  私は強がりを言った。…幽霊なんて怖いもんですか…怖く…なん…て……ないわ…。「よし、じゃあ行こう!」
 沙弥は強く言った。
 私は沙弥が強引に懐中電灯を片手にもって歩いていったので、仕方なくついていったって感じだった。私たちは異様に大きく成長した雑草や木々の茂みをかきわけめように進み、やがて屋敷の前に出た。月明りに照らされ、屋敷は、暗闇に青白く浮かびあがっていた。「や、やっぱり怖いよーっ!」と私が叫んだら、沙弥がニヤリと笑い「情けねぇな!怖がってやんの」といった。そういいながらも、彼女は輝くように美しかった。
「あ。待って、沙弥」
 私はすっかり蒼褪めて、館へと歩いていく彼女にそう小声でいって、歩いていた。…なんだか神秘的な、という感じの静寂。もうその頃には、怖いというよりオバケをみてやるんだっていうヤケッパチな気持ちにも私はなっていた。そして「探検」に夢中になった。 月明りが、屋敷を蒼白く浮かびあがらせ、とても不気味だった。
「待ってよ、沙弥」
「はやく歩け、ブスありさ」
 沙弥は笑った。
 月明りに照らされた木造の屋敷の壁や、不気味な階段、夜の闇に浮かぶステンド・ガラス、シャンデリア…それらを二人で肩を抱きつつ、怖々と見ていく。やっぱり怖い。
 しかし、なかなか幽霊は出てこない。当たり前か。とにかく、私はなんとなくホッとした気持ちになっていた。幽霊はいない!、なんとなく気も晴れてきた。
「幽霊でないね」
「あぁ」私の言葉に答えるように沙弥はいった。
「恥ずかしくってでてこれないのかもね」
 私は強がりを言った。そして、手が震えつつも少し笑顔になっていた。それから階段を踏み外さないようにライトで照らしつつ、一歩一歩降りていった。ーと、その時だ。私は背筋がひやりとなった。なぜって?出たのだ、幽霊が!
「きゃあぁっ!」
 窓を横切る白いものに驚いて、私はそんな悲鳴をあげた。幽霊だ!幽霊がでたんだ!
 私こと黒野ありさはそれから必死になって泣きながら逃げ出した。とにかく必死だった。幽霊にとりつかれたら大変だ…。もう、今考えれば笑ってしまうほど情けなかった。

 そりゃあ「幽霊が出た」って信じるほうも信じるほうだけどね。
 私だっておかしいと思いましたよ。一瞬ね…。
「幽霊」の正体は翌日に判明した。
 私はなんとなく怖くって沙弥の家に訪ねていった。昼間だったが、緑川沙弥は留守だった。それで、沙弥の妹のまゆちゃんが出てきた。
「お姉ちゃん、病院いってるの」
「病院?」
「うん。」
 まゆちゃんは少し悲しそうにうなづいた。
 まゆちゃんはその頃、小学生くらいだったか。まゆちゃんは小さくて、髪をおさげにしている。そして性格はおだやかで、姉と違ってとてもいい性格をしていた。優しくて、可愛くて、とてもいい娘なのだ。
 あの緑川沙弥の強烈な性格の被害にあうことも多かったろうに、いつも笑顔でめったなことでは怒らない。まゆちゃんはそんな子だ。
「病院って、どこか悪いの?」
「また風邪をこじらせたみたいなの」
「ふ~ん」
 私はうなづいて続けて「沙弥、悪いの?」ときいた。そりゃあ悪いんだろう、と自分でも思った。だから病院にいったのだろう…って。
「うん。ここのところなんかマネキンとか白いシーツとかロープとか部屋に持ってって何か作ってるみたいだったよ。『幽霊』がどうの…って」
「ゆ、幽霊?!」
 私は聞き返した。
幽霊…幽霊……まさか!
「まさか!このぉ」
 私はひとりごとを言った。そして、きょとんとするまゆちゃんを置き去り(?)にして、私は走って、とにかく走って『幽霊屋敷』までいった。昼だから怖くはない。いや、それどころではない。幽霊の正体…それが知りたいのだ!幽霊の正体!
 私は、昨夜に『幽霊』と遭遇した階段あたりをよく見た。すると、
「あっ」
 となった。『マネキン』があった。白いシーツがかぶせてあって、ロープで吊されている。極めつけは、ケチャップか赤インキかでの血だ。…それを発見した。
 私は怒るよりも、あきれてしまった。
 なんのために、ここまでするんだろう?私は思った。ただ私が怖がるのを見るため…?なんて娘だろう。病弱のくせに…こんな…。
 春の暖かい陽射しが屋根のボロ穴から差し込んで、きらきらと輝いてみえた。私は茫然とそれらを眺めて、考えてしまった。
 それからだいぶたってから、私はトボトボと家に帰った。
 私がペンション「ジェラ」の前を通り過ぎた時、ちょうど沙弥が帰ってきた。
 熱で頬を赤くして、良子おばちゃんの肩につかまりながらダルそうな足取りで沙弥が歩いてきた。そして私の表情を見て彼女はニヤリと笑い、
「ばれたか」
 と言った。
「ばれたか…じゃないでしょ!」
 私は一瞬、怒りと恥ずかしさで真っ赤になった。そして、その怒りのまま沙弥の頬に強烈なビンタをおみまいした。
 彼女はその勢いでもんどりうって倒れ、ザザッと地面に横たわった。良子おばさんがすぐに「ありさちゃん、沙弥は今、病院に」といいかけたが、私は
「沙弥のバカ!」と言ってさえぎった。なぜだか目から涙があふれでた。
「バカ!あんなことばかりしてると…私にだって考えがあるからね!」
 沙弥は起き上がり、そして申し訳なさそうな寂しげな顔をした。きっと、私に絶交されるのを感じたのだろう。だから、沙弥は、いままでどんなことがあっても口にしたことのない言葉を口にした。
「ごめん、ありさ」
 と。
 私はびっくりした。いや、私だけではない。良子おばさんもまゆちゃんもビックリしていた。驚いた。沙弥が、あやまった。あの沙弥が。
 私たちは黙ってしまった。そして、しんとした静寂と春のそよ風にしばらく吹かれて立ち尽くしていた。
「あはは…それにしてもさぁ」
 沙弥がそんな静寂をやぶるように笑いだした。
「それにしてもさぁ、よく信じたもんだよな。『幽霊』なんてさ。そんなんいる訳ないじゃないの。それを泣きながら逃げ出すんだから…あっははは」
 彼女は身をよじって大笑いした。
 で、私もつられてプッと吹き出してしまった。「くそっ、やられた」と自分を笑った。そうしながらも私は真っ赤になった。
「まいったよ、本当」
「どうだ、まいったか」
 沙弥が言った。そしてふたりして大笑いした。
 そして、それを機会に、私と沙弥は大の親友となってしまったのだった。

  緑川沙弥は、小、中、高、の学校を通して病気がちだった。病名は知らないが、病弱で虚弱体質だった。スポーツももちろん全部ダメで、頭だけで勝負するような人間だった。大学は親の金銭的問題のため、いかなかった。それと「数学」が致命的に彼女は苦手であった。そのおかげ(?)か、沙弥は嫌な目にばかりあった。しかし、それにも負けず、緑川沙弥はグランド・プランを練るのだった。
「沙弥の立志」の始まりである。
 …作家/ストラテジスト・フリージャーナリスト・プランナーに向けての活動の始まり、だった。



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沙弥(さや)AKB48大島優子主演NHK朝ドラ原作小説アンコール1

2013年10月24日 04時06分21秒 | 日記





沙弥


          さや


                    total-produced&Presented&written by
                     midorikawa Washu
                             緑川 鷲羽






  愁いを含んだ初夏の光りが、米沢市の河川敷に照りつけていた。五月三日、米沢では「上杉祭り」で、「川中島の合戦」が繰り広げられていた。白スカーフ姿の上杉謙信役が白馬に跨がり、武田信玄の本陣へ単身襲いかかる。そして、太刀を振るう。軍配で防ぐ信玄(三太刀七太刀)…。それは、米沢市で行われる上杉祭りのハイ・ライトであった。
 緑川沙弥は、その模様を大勢の観客とともに、眺めていた。
 沙弥は合戦をみながらも、もどかしさを隠し切れず、唇を噛んだ。作家として認められない。そう思うと、寒くもないのに、身体の芯から震えが沸き上がってくる。沙弥の身体は氷のように硬直した。「…どうしたの?沙弥……具合悪いの?」母の良子が問うと、沙弥は「なんでもない…」と言った。
 それは、きらきらした輝くような表情だった。






         あらすじ


  物語は東京から始まる。この物語のストーリー・テラーの黒野ありさは、東京のある大学に通う女子大生だ。そして、彼女のふるさとにはひとりの友達がいた。それは、緑川沙弥という女の子だった。確かに、沙弥はいやな女の子だった。
 意地悪で、自分のことしか考えず、病弱なくせにいつも憎まれ口ばかりたたく。でも、だからといって沙弥はブスではなく、とても綺麗な外見をしていた。そんな外見とヤクザのような言葉使いは、とてもギャップがあった。
 そしてひと知れず執筆活動を続け、作家を夢みている。そんな彼女のことをありさはいろいろ思い出していた。外ズラのいい沙弥が男の子とデートしている場面。彼女とふたりでおこなった幽霊屋敷の探検。犬の散歩にきらきら輝く上杉神社。自分が引っ越したくないといって沙弥に泣きついたこと…。
 都会での暮らしもまあまあだったが、ある日、ありさの元に沙弥から電話がある。「夏休み遊びにこい!」
 こうしてありさと彼女の忘れられない夏が始まる。
 チンピラにからまれていたありさや沙弥をたすけたのが哲哉だった。こうして哲哉と沙弥は仲良くなり、恋が芽生える。ジャズ祭りでも、どこでも一緒のふたり。だが、そんな時、哲哉はチンピラに刺されて死んでしまう。沙弥はナイフをもって復讐を誓う。一見それは簡単なことに思えたのだが…。沙弥は結局、チンピラどもを殺せなかった。そして彼女は入院。でも、彼女の作家デビューが決まりハッピー・エンドへ。

                                   おわり




         米沢と沙弥



 私は、東京のある大学に通う、女子大生だ。
 この物語は、私こと黒野ありさがストーリー・テラー…つまり語り部となってストーリーが展開するファンタジー風少女小説である。例えば、赤毛のアンとか若草物語とかみたいな、ね。そして、主人公は、私のふるさとの米沢市に住む、緑川沙弥である。
 確かに沙弥は嫌な女の子だった。
 病弱なくせに憎まれ口ばかりたたき、気に入らないことがあると暴れる。まったくもって嫌な娘、そんな感じなのだ。「バカヤロー!」「死ね!」「くそったれめ」などと汚い言葉を平気でいう沙弥。でも、彼女には特技がある。それは作家としての能力だ。まぁ、わかりやすくいうと文章がうまい。私はうっとりと思う。沙弥は天才だった。って。
 沙弥が書くのはおもに小説で、恋愛小説がおもだ。もちろんそれだけではなく、エッセイや国際政治経済ジャーナリズム関係のものも書いている。でも「作家先生」ではない。いわば「作家もタマゴ」。でも、浮き沈みの激しい文学界、しかも最近の活字離れ、なかなかペイするのも容易ではあるまい。プロになったはいいが仕事がこないためにHな小説連載で食いつなぐ、などという作家先生にならなければいいが。『失楽園』とか『チャタレイ夫人』みたいな、どうしようもないエロ小説連載とか。まあ、沙弥はプライドが高いから、『失楽園』に対抗して『動物園』、などと書くことはないだろうけどね。でも、金に困ったら執筆したりして。
 なぜ私がこんなに彼女のことを知っているかというと、私は彼女の親友で高校の同級生だったらだ。(もちろん彼女のすべてを知っている訳ではないけどね)
 何度もいうが、私の名前は黒野ありさ。東京の某女子大学に通う女子大生だ。
 年は彼女と同じ十八歳。
 ルックスのことで言えば、私は沙弥に比べればあまりパッとしないが、それでもけっこう可愛い、と自分では思っている。自惚れかなぁ?
 そう、確かに沙弥は美しかった。
 黒色の長い髪、透明に近い白い肌、ふたえの大きな瞳にはびっしりと長いまつ毛がはえている。細い腕や脚はすらりと長く、全身がきゅっと小さくて、彼女はあどけない妖精のような外見をしていた。沙弥の嘆声な顔に、少女っぽい笑みが広がった。少女っぽいと同時に大人っぽくもある。魅力的な、説得力のある微笑だった。私はたちまち怪しんで、一歩うしろにさがった。なんであれ、沙弥の片棒をかつぐのはごめんだ。ただでさえ、私の魂はぼろぼろなのだ。ただ………沙弥は美人だわ。
 細い腕も、淡いピンク色の唇も、愛らしい瞳も、桜の花びらのようにきらきらしていて、それはまるでこの世のものではないかのようにも思えた。
 それぐらい沙弥は美しかったってことだ。
 沙弥は、観光と温泉でもっているような米沢市に住んでいた。米沢市で有名な人物といえば、越後の龍・上杉謙信、上杉景勝、智君・上杉鷹山、軍師・直江兼続、前田慶次、伊達政宗そして町で美少女と有名だった『変人』の緑川沙弥。彼女は、しんと光る満月のようだった。私こと黒野ありさは、観光で静かに活動するような故郷・米沢市を離れて東京の大学に進学した。まぁ、父親の仕事の関係ってこともある。東京での生活もまぁまぁ楽しい。 しかし、一瞬だが、故郷が妙になつかしく恋しく感じることもある。そしてそこで暮らす、沙弥や緑川家の人々のことも。

 緑川沙弥が作家になろうと思ったのはいつ頃だったろう?
 私は前に聞いたことがある。すると彼女は、
「小学校の時に、図書館でゲーテの詩集を読んで、なにがしかのインスピレーションを受けてさ。それで「作家になろう!」って決めたんだ」
 と、にやりと言った。
「ゲーテ?」
「あぁ、そうだ」
 ゲーテの詩集を読んで「作家になろう」と思ったと平然と言ったのだ。だけど、私はそれはちょっと嘘っぽいと思う。だから、
「ゲーテって詩人(注・ゲーテは詩だけでなく小説、音楽、絵画、政治もした)でしょ?詩人じゃなくて作家ってどういうこと?」と尋ねた。
 すると沙弥は「詩じゃあペイしない」といった。
 だから私は「ペイって?」と尋ねると、
「ありさって馬鹿だねぇ。ペイっていうのは儲かるって意味の英語だよ。詩人では儲からないってことを私は言ってんの」
 といって沙弥は私をせせら笑った。
「作家ならペイするの?」
「まぁな」
 沙弥はにやりとして言った。

 しかし、あの病弱な沙弥が作家なんて、なんともピッタリきて笑ってしまう。
 病気がちであるからいつも部屋にいるかベットで横になっている。で、原稿用紙に向かってセッセと小説やらを執筆する、なるほど!って感じがする。
 彼女はちょっとしたことでもすぐ病気になる。冷たい風にちょっと吹かれただけでも、少し気温が高くなっただけでも、冷たい雨に濡れただけでも……すぐに具合が悪くなる。 そのため彼女の母親の良子おばさんは苦労を惜しまず何度も病院につれていき、ちやほやと甘やかし、沙弥はニーチェばりの薬づけで生意気な女の子に育った。しかし、なまじっか普通の生活ができる程度には体が丈夫なので、彼女は本当にわがままで生意気な女の子に育った。わがままで、甘ったれでズル賢い……といったところだ。ひとの嫌がることばかりして、自分のことしか考えない…と、まるで悪女のようだった。
 でも、だからといって彼女はブスではない。それは前述した通りだ。
 私の母は、緑川家の経営するペンション「ジェラ」の隣の家に住んでいた。
 良子おばさんのご主人、つまり沙弥たちの父親はもうすでに亡くなっていて、ペンションはおばさんがひとりできりもみしている。私の父親は東京に単身赴任しているエリート銀行マンだった。が、何を思ったのか、突然脱サラして東京で食堂を始めた。それで私だけでなく、母も東京にきていまでは三人で忙しくやってる、って訳。
 まあ、私は平凡な娘って訳である。
 しかし、沙弥は違う。彼女は平凡ではない。というより少し異常だ。
 緑川沙弥はよく暴れる、きれる、部屋のものを壊したりガラスを割ったりもする。たんに気にいらないといってだ。良子おばさんや彼女の妹のまゆちゃんほどではないが、私も緑川沙弥に被害にあったほうだ。ものを投げられたり、頭をゴツンとやられたり…。それで私が「なにすんのよ!」と怒ると、
「私の機嫌がわるい時に目の前にいるほうが悪い!」
 などとのたまう。どういう理屈だか。こういうのを『屁理屈』というのだ。
  私はよく故郷の米沢市を思い出したりもする。
 私の住んでいた家の自分の部屋の窓からはきらめくような風景がみえたものだ。
 すごく眺めがよくて、窓からはきらきらと輝く上杉神社がみえる。上杉神社は昼には太陽を浴びてきらきらと輝き、夜は月明りが映って輝くような、美しい神社だ。
 私はよく米沢の光景を思い出す。きらきらとした朝日が差し込んで上杉神社が輝く光景を…。それはしんとした静けさの中にあったっけ。
「あたしが死んだら骨は最上川(山形県民の母なる川)にまけ!」といつだったか沙弥は言ってたが、気持ちはわかる。 彼女はよく男の子を騙して上杉神社の前を散歩した。散歩というよりデートだ。とにかく「外ヅラ」だけはいい沙弥はよく男の子と仲よく歩くことが多かった。
 夕暮れ。セピア色が空や森や山々を真っ赤に染め、きらきらと輝く。沙弥はゆっくりゆっくりと歩く。そして、細く白い腕を伸ばす。男の子が彼女の手を取り、沙弥は白い歯をみせてにこりと微笑む。その光景は私にはなんだかとてもかけがえのないものにも思えた。彼女の本性を知っているはずの私の胸にさえ、深いところに響くような、しみわたるような、そんな光景にも思えた。
 緑川沙弥から電話がきたのは、ちょうど私が東京の自宅でそんな物思いに耽っている時だった。ある日、電話がリーンとなった。で、私は「はい、黒野です」と出た。
 すると病院から彼女は電話でいった。
「おい!ありさ。夏休みあるか?」
「え?まあ」
「じゃあ、夏休み米沢に遊びに来い!お前んちの汚ねえボロ食堂からさ」
「いいわよ」
 私はそう言った。
 なにが、「お前んちの汚ねえボロ食堂」よ!と言いそうになったが、やめた。私は無駄なことはしない主義だ。冗談でいってるんだろうし、あの沙弥は絶対にあやまったりしない娘なのだ。それは私が一番よく知っている。
 まぁ、冗談でしょうよ、私は笑った。


  外に出ると、春だというのに外気がむっと暑かった。
 太陽のとても近い昼間頃だ。春だというのにぎらぎらした陽差しが照り付けて、アスファルトやビルに反射して、なんだか変な気分にもなっていた。
「よかったわね、沙弥ちゃん。元気で」
 東京駅に向かうタクシーの中で、母は微笑んだ。「ずうっと昔から作家志望だったものね」
「あれ?お母さん、なんで知ってるの?」
「そりゃあね、沙弥ちゃんにきいたのよ」
「いつ?」
「沙弥ちゃんが小学生の頃よ。「将来は何になりたいの?」ってきいたら「作家!」って言ってたもの」
「へえ~っ。じゃあゲーテの話し、知ってる?」
「まあね、あの話し、ちょっと嘘っぽいけどね」
 私たちはアハハと笑った。
 そして私と見送りの母のふたりは東京駅についた。
 凄いひとだ。夏休みでもないのに、しかも平日なのに、ラッシュのような混み具合だった。まぁ、私は大学までは自転車でいってるのでラッシュの満員電車とか、そういうのは知らないけどね。あと、列車でのチカンとか……。
「あいかわらず…すごいひとね」
 母は呆れていった。
「……ほんと」
 私はなんとなく同意した。

                               


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贖罪・TK・小室哲哉最期の真実「TMNETWORKと犯罪と裁判と」アンコール小説

2013年10月17日 07時11分30秒 | 日記
贖罪   ドキュメント小説
  小室哲哉 最期の真実


   TK                   ~the last success story ~
                ~「こむろてつやの真実!
                   今だからこそ、小室哲哉
                ノンフィクション小説
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


          あらすじ

  08年11月4日、時代の寵児ともいわれ成功を手にした筈の小室哲哉容疑者(被告)が逮捕された……
 それは一大ニュースとして日本中に駆け回った。90年代にかけて、作詞作曲音楽プロデュースで小娘たちを次々とヒットさせて百億円もの大金を手にして富豪となった筈。その小室哲哉(愛称、TK)が5億円の詐欺犯罪を起こした。
 大阪で兵庫県の投資家からありもしない自分の著作権(806曲)を譲渡する見返りとして、10億円もらう算段であった。しかし、その詐欺事件を警察が感付き、マスコミもリークした。小室哲哉はこの時、20億円の借金があったという。
 この小説は小室哲哉とは何だったのか?
 …を問う、最高の書である。
 これを読めば小室哲哉の成功と失敗がわかる筈である。
 物語を通して人間、小室哲哉の人生と成功と失敗を学んでほしい。    おわり
         1 TK 逮捕





 『小室哲哉容疑者逮捕へ』
 時代の寵児として大富豪にして天才音楽プロデューサといわれた小室哲哉(当時49歳)が大阪地検に逮捕されたのは、08年11月4日の朝だった。
 小室哲哉……愛称、TK、先生、小室さん、テツ、テッちゃん……
 90年代の日本の音楽(いわゆるJポップ)の音楽プロデューサとして、そして大富豪として有名だった男である。痩せた身体に、茶色の短髪、少し長い顔と大きな鼻、泣き黒子とツリあがった目尻…特徴的な印象を与える当時49歳の中年男である。
 声は少し『ガマ蛙』のような声だ。
 絶倫でもある。
 彼は3度の結婚遍歴がある。女好きで、絶倫…女好きだけは治らない。
 最初の嫁は元・アイドルタレントで、2度目の妻は同じく元・dosという音楽グループの小娘、そして最期の嫁が、TK・小室哲哉と同じ音楽ダループglobeのボーカル(歌姫)でもあるKco(KEIKO・ケイコ(当時36歳))である。
 Kcoは美貌だし、金髪の長い髪も美しい。
 小室哲哉は美女しか相手にしない。デブスなど相手にしてられない。
 小室哲哉の妻・Kcoは何も事件のことなど知らなかった。だから、この突然の事件発覚に仰天したことであろう。「何てことなの……? あぁ」
 妻・Kcoの痩せた手足や全身を寒気が襲ってきたのである。
 誰かが哲哉と妻の運命のバスタブの蓋を開けてしまったため、溢れた金という色の水が音をたててなくなっていくばかりだ。これはえらいことになった。
 小室哲哉は自分の身に起こっていることが、信じられなかった。そんなことはない。そんな馬鹿なことはない。もっと贅沢を…出来る筈だ。僕は天下のTK・小室哲哉なんだぜ! しかし、そうはいうものの運命とは皮肉である。
 僕が逮捕……? そんな馬鹿な…? おかしいな。しかし、最期の贅沢だと思って大阪の高級ホテルのスウィート・ルームでひとりで一泊した後の早朝、大阪地検の男たちが任意同行を求めてやってきた。小室哲哉は勘づいていた。あの、詐欺事件か…。もう、僕はおわりなんだね…。体中が震えた。……あのときの事か……あの。
 そうだった。小室哲哉の思考は当たっていた。そう、詐欺容疑だ。

  08年11月4日、詐欺容疑で大阪在中の小室哲哉容疑者(当時49歳、もうすぐ50歳)を大阪地検は任意同行を求めた。ホテルから出るときマスコミのカメラが彼を写している。容疑は、兵庫芦屋市の投資家男性から自分に権利のない音楽著作権を10億円で(逮捕時は5億円)売るからともちかけて詐取したものだった。
 茫然と歩く小室哲哉の目にはうっすらと涙があった。
 もう90年代に一世を風靡し、『時代の寵児』といわれたTKはすでになかった。そこには”抜け殻”の只の中年痩男・小室哲哉容疑者(被告)がいるだけであった。他に2人が逮捕された。小室は「音楽配信ビジネスに参入したい」という被害者男性を詐欺し、たくみにまずは10億円のつもりで前金5億円を騙しとったのだ。借金の返済におわれてのことだった。それにしても香港での事業の失敗は大きかった。
 一説には百億円あったとされる財産は、香港での事業失敗で70億円損失を出していたという。その後も、贅沢三昧の生活や、株の下落などと不幸が重なり、落ちぶれた。小室哲哉没落である。債務は20億円にまでなっていた。借金返済の期限までギリギリ…
 もう音楽会社に譲渡して、自分にはないはずの著作権(806曲、Can you SEREBRATE?、Get wild、愛しさと切なさと心強さと…など含む)を10億円で……という皮算用だった。「全部あなたのものですよ」「ぼくはあのマードックとも親しい」「まずは前金の5億円振り込めば、夢の印税生活ですよ」
 金が欲しいあまり、道を誤った。こんな筈ではなかった。そう、ぼくは、TK・小室哲哉は大富豪で…そして成功者、『勝ち組』の筈だったのに。おかしいな。いったいいつから、運命の時計の針が狂い出したのだろう? 小室哲哉は頭を傾げ続けた。
 マスコミからマイクを向けられ、フラッシュを浴びながらも疑問ばかりが浮かんだ。
 何もいいアイデアが浮かばなくなった。現在の音楽創作のように。
  他に逮捕されたのが役員を務めるイベント企画会社『トライバル・キックス』社長、平根昭彦(45歳、当時)=東京都港区(5億円受取り、3,4億円返済。TKが金銭管理を委託している男)と、広告会社の実質経営者・木村隆(56歳、当時)=同中野区の2人。 小室は06年7月の詐欺容疑についていう。
「弁解することはありません。被害者には大変申し訳ありませんでした。深く反省しています。刑事責任を取る覚悟はあります」
 更には事件発覚前に3000万円を口座に振り込むように、被害者男性に要求するメールを送っていたことも発覚した。小室哲哉の敗北である。
 妻のKco(KEIKO・ケイコ)は衝撃で、頭が破裂しそうだった。同じグループでRAPのMARC・PANTHERさん(当時、38歳)は海外にいて連絡が取れない。
 完全たるTK・小室哲哉の最期であった。
 逮捕を受けて、『エイベックス・グループホールディングス』社は11月26日と12月17日発売予定だったglobeのシングル(『Get wild』と『Self control』(いずれもTM NETWORKのカバー曲))の発売中止を決定した。
 更に、インターネットでの小室名義の曲すべての配信も停止した。
 時代はもう21世紀……小室の活躍していた90年代ではなかった。かつて、天才音楽家とか時代の寵児といわれてもてはやされた小室哲哉だった。が、もう昔の話しではあった。 皮肉な事か、事件後には『小室哲哉ナツメロ・ブーム』が起きて、カラオケで彼の曲を歌って昔を忍ぶ若者が現れ出した。(音楽著作権譲渡の為に小室への還元金は無し)
  生活費210万円(月)、東京港区事務所諸経費2千万円(月)……
 香港のRojam株式会社はTK・小室哲哉が、メディア王・リチャード・マードックと組んで設立した音楽配信会社だった。音楽世界進出を夢みたが失敗、盗作や海賊版氾濫などで70億円の損失を出した。かつて年収20億円を越えた90年代、次々とヒット曲を生みだし『時代の寵児』といわれたTK……。
 が、今は昔である。贅沢生活はやめられず、遂に債務20億円…。00年頃から人気低迷してきて、06年8月に2億円の借金返済日が迫り、06年7月詐欺。すべては後の祭りである。 時代は変わった。
 小室は妙な心境で、独房の中へと入った。音楽もなく、寒い。臭いまずい飯と狭い部屋。小室哲哉はおかしいな、と思った。何故、この天才・音楽家、TKがブタ箱に? え?
 すべてがおかしいようにも感じた。そして、同時に「すべてがおわった」と感じた。
 そう、もうおわりなんだ。畜生め! 小室はか細い手で、壁を叩いた。無情感だけだ。
  08年11月21日、小室哲哉被告が保釈された。
 シャバに出られた!
 小室はカメラの前で無理にひきつった笑顔を作り、頭を下げ続けた。
 妻・Kco(KEIKO・ケイコ)が、エイベックス社に頭を下げて保釈金3000万円を払ったのだ。エイベックス社は「昔に恩があるひとだから」と渋々、金を出した。
 午後6時頃、大阪豊島区の大阪拘置所を出るTK。
 黒のタートルネックにジーパン、茶髪姿。やややつれた顔色に映る。200人の報道陣がカメラを回していた。小室は消えるような声で、
「どうもお騒がせして申し訳ありませんでした。これから音楽で償います」という。
「ファンに対して一言!」
 小室は口を閉ざし絶句した。顔がひきつって、寒い風が痛い程である。
 「『小室時代』のピークを2回迎え、生活が豪奢になっていた。誰からも意見されることのない”裸の王様”。そういう生活に疑問を感じながらも続けていた。人生をリセットし、再出発を図るチャンスを与えてもらった。自分には音楽しかない。曲の歌詞でよくチャンスという言葉を使ったが、今思えば軽々しく使っていた。家族とともにできる限り早く罪を償いたい。……ファンの皆様にはぼくの音楽を待っていて下さるのであれば有り難いことです」小室は安っぽいワンボックス・カーに乗り込んだ。身が妙に軽く感じた。と、同時に想像ではガリバー程に大きかった自分の体が、しゅうと音をたてて縮まっていくのも感じた。おわり……か…。もう、おわりなんだ! この糞ったれめ!
  事件を知ってかつての小室プロデュースの小娘・Zoieさんは涙を流してカメラの前で訴える。「先生が……そんな」あとは涙声で言葉にならなかった。
  昔の親友で、TM NETWORKメンバーだった木根尚登さん(当時・50歳)はコメントを発表した。『今だに信じられない気持ちです。でも、罪は罪。償ってもらいたい。彼の音楽へのリスペクト(尊敬)は変わりません』
 また、TM NETWORKメンバーでボーカルだった宇都宮隆さん(当時・50歳)は『罪は罪なのだからちゃんと償ってほしい。その後ならTMの復活もあるでしょう』。
 木村隆被告は同罪で起訴。イベント企画会社社長(45)は『利権がなく、関与の程度が薄い』として起訴猶予になった。TK・小室哲哉の全CDレンタル販売中止へ。
 小室被告についてエイベックス社の若き社長・松浦勝人氏は、東京港区の慶応大学で開かれた学園祭で講演し、「罪を償った上で、協力したい」と情けをかけた。
 こうして、小室時代はおわった。
         2 人間小室哲哉とは?







  小室哲哉は逮捕前にあるTV番組に出演していた。
『オーラの泉』と称したテレビ朝日(朝日新聞社の子会社)の娯楽番組で、スピリチュアルとかいう霊能力を持つ巨漢の和服男(江原敬之)と、ニューハーフ界のカリスマ・美輪明宏と、司会進行はアイドルグループTOKIOの若者・国分太一でのコーナーである。 放送は08年5月3日。収録は随分と前に決まっている。
 いやにかしこまったテレビ番組で、セットが豪奢である。きらびやかな花花と階段とセット……。TK・小室哲哉としては申し分ないセットだった。
 階段の上のフロアーにTKが現れてスポット・ライトが当たる。
「では、スピリチュアル・チェックです!」
 男の声でナレーションが入る。霊能力者・江原や美輪が椅子に座って『念』を送る。
 題して『億万長者の孤独』………。
「嫌いな食べ物は何ですか?」
「…え~っと。サカナ…魚介類全般」
「好きな言葉は?」
「手前味噌ですけど『愛しさと切なさと心強さと』です」
「好きな食べ物は?」
「何でも食べます。嫌いなのは魚介類」
「何か不思議な体験はしたことがありますか?」
「え~っと。別に。まあ、ずっとこのままでいいのかなあ? とか、いままで笑ってなかったですね。ずっと。このまま駄目なんじゃないかって…何度も思いました」
「この世でかけがえのないものは?」
「え~っと。奥さんですかね。今の奥さん(Kcoのこと)…もう14歳も年上なんですけど、奥さんの前ではぼくは子供ですからね」
 小室はにやりと答える。「ありがとうございました」低い男のナレーターが告げる。と、セットの証明が一気に明るく照らされた。どうぞ! ということだ。
 小室は虚勢を張って階段を降りてくる。江原や美輪たちが拍手で迎える。
 ……ぼくは天才…TK・小室哲哉なんだぜ! どうだ!
 詐欺の後ろめたさがあるためか、幾分ひきつった顔をしている。国分は感動さえしているかのようだった。「いやあ~っ、あの小室さんがこの番組に出演してくださるなんて。ありがとうございます」頭を下げて椅子に座る小室哲哉。
 さあ! これからが勝負だぞ!
 小室は軽く下唇を噛んだ。いよいよもって晴れ舞台である。最後の。くそ! そうさ! どうせ最後の晩餐なのさ! 小室の頭に曇りが過ぎった。糞ったれめ!
 国分が口火を切った。
「え~と。え? 絶頂期には一年で90曲作詞作曲…てことは4日で1曲ですか?!」
「まあ」小室はにやりと頷く。しかし、弱さもみせ「でも今はまったくですね。何度も…もうおわりなんじゃないかって思って…」
「でも、がっぽり儲けてらっしゃるんじゃないですか?」
「う~ん。まあ…」小室はふいのツッ込みに苦笑いを浮かべた。顔がひきつっている。
「いま、幸せでしょうね?」とは美輪。
 小室哲哉は「はい! 今の奥さんと大分で暮らしてだいぶ変わりましたね。先達て亡くなられた奥さんの義父さんが、生前によくしてくれて」
「でも…よく生きてこれましたわねぇ?」
 美輪の言葉に小室はギクリとした。詐欺がバレた? え? 違った。「ずっとコンビニの弁当とかファースト・フードとか食べて……御飯なんか炊いたこともないんじゃなくて? そうでしょう?」
「…は。はいそうですね」小室は胸を撫でおろした。「でも、義父さんがフグ食べろっていって、小さく切ってくれて食べれましたね」
「そうでしょう。だってね」江原がにやりとなった。「実は亡くなられた義父さんが背中のあたりにいらっしゃるのね」
「………そうですか?」小室は半信半疑だ。「…なんと?…」
 是非とも答えが聞きたかった。
「応援してるっていってらっしゃりますよ」
 江原の言葉に小室は安堵した。ホッと息が出た。「でも、これは夢物語だと思って聞いて下さい。小室さんは前世…つまり輪廻転生では、オペラ歌手だったの。でも、声が出なくなって音楽をやめたんだらしいですよ」
「……はい」小室は何といっていいかわからず、目を点にした。顔がクエスチョン・マークになっている。江原はにやりと笑う。霊能力者とはこういうものか。小室は感慨ひとしおだ。「やっぱりね。ぼくも声さえよければ、ユーミンや矢沢さんみたいに…シンガー・ソング・ライターとかやれたのに残念ですね」
 スタジオがドッと沸く。
 小室は弱さもみせた。「でも、ピアノは弾けるけど、楽譜読めなくて……オタマジャクシを読んで演奏できないんです」
「勝った!」
 国分太一は無邪気にガッツ・ポーズをとった。俺は弾けるぜ! ということだ。
「それがいいのよ。余計な考えがなく作曲できるから」美輪は微笑んだ。
「そうですよ。そこが天才なんですよ」
 江原には”詐欺”が読めないようだ。小室は安堵してにやりと笑った。



  小室哲哉は1958年11月27日に東京都府中市に生まれた。
 現在までの肩書きは、作詞作曲者、キーボーディスト、コンポーザー、シンセサイザー・アーティスト、シンセプログラマー、ミキシングエンジニア、DJ、アーティスト、など。本名同じ。
 いつも痩せたガリガリの体躯に、かすれた声だった。暗い寡黙な子供だったという。            
 逮捕までは尚美(しょうび)学芸術情報科学校の教授だった。
「え?! 嘘っ?! 逮捕??」
「…先生が?!」
「あのひと金持ちでしょう? 麻薬?」
 学生たちは逮捕に驚きの声をあげた。誰だって、あの小室哲哉が詐欺で警察の『厄介になる』などと考えない。当然だ。マスコミは特集を組んで報道する始末だ。
  小室被告の小学生時代はあまりいいものではなかった。
「過去は消したいことだらけ…」
 小室哲哉は振り返る。嫌なことばかり考えて顔をしかめる。
 魚肉が嫌いになったのは、『1歳児のときに鯉幟が突然頭の上に落ちてきた』から。と、本当か嘘かわからぬことをいう。偏食と早食いは真実だ。
 小学生時代のTKは音楽的才能を早くも発揮する。音楽の作曲のテストで、音楽教師は目を疑った。そして「この中で誰かはいいませんがすごくうまい子がいました」という。 そして、そのメロディをピアノで弾いた。小室少年の作だった。
 同級生たちがレコーダで後から続く。
 小室哲哉は「目立ちたくなかった」と振り返る。
  中学生のとき、つまり1974年(TK・小室哲哉16歳の頃)、小室少年は衝撃を受ける。大阪万博で富田勲の存在を知った。中学生時代の小室哲哉少年は『ネクラ』で『無口』なほうだったという。富田勲みたいになりたい! 成功して自分を馬鹿にした連中を見返したい! 小室は復讐心から決意を固める。
 独断で、自宅にあったギター、ヴァイオリン、エレクトーンを売り当時16万円もしたシンセサイザー(「ローランドSH1000」)を購入する。
 この頃にオタマジャクシは読めないが、弾ける作曲(作詞はもう少し後で)する人間…となった。この当時、TM NETWORKの4thアルバム『Self control』に収録されている『Here,There&Everywhere』のヒナ形を創った。 という、本当か嘘かわからないがそう小室は振り返っている。
 こうして、音楽家・TK小室哲哉が誕生する、のである。             
         3 小室サウンド

           第1全盛期







  小室哲哉の高校時代へと物語を進めよう。
 TK・小室哲哉少年は、早稲田大学附属高等学校商業科に入学した。ネクラで暗く無口寡黙な少年だった。TKの作曲テクニックに皆が憧れ(というか無視していたが面倒なので)、小室少年に音楽の作曲宿題を依頼した。当時の音楽教師は小室少年がすべて作曲したとは気付かなかったという。
 ネクラで、友達も本当の意味での親友もいなかった。
 そのまま早稲田大学生になる。いよいよもって音楽に傾倒していく。とにかく『復讐』のためには成功を掴むしかない! 小室は長く髪を伸ばしながらもプロ兼学生となる。
『オカマちゃん』とイジメられたが、何とも思わなかった。只、「今にみてろよ!」とは思っていた。プロのバックバンド(キーボード担当)として、あのねのね・白竜・原田眞二らを担当する。5年程学生していたが、その後単位が取れなくて中退。音楽活動に没頭して、学費をすべて楽器代に遣い込み、単位がとれなくなったのだ。
『SPEED WAY』というバンドでキーボードとして編曲したのが『ロックンロール月光仮面』……。2thアルバム『Base Area』を作曲する。

   
 そのバンドには後のTMネットワークのメンバーの木根尚登がいた。
 初めての親友だった。
 結局のところ『SPEED WAY』というバンドは売れずに、小室は木根とともに音楽活動をし出す。そしてボーカル・宇都宮隆と出会う。TM NETWORKの誕生である。やっと小室はバンドのリーダーとなり、水を得た魚のようになった。
 TM NETWORKの3人のユニットは、メジャーデビューに向けて活動する。
 コカコーラコンテストに応募して、決戦まで残る。そこでライヴ曲『1974』を演奏する。すべて満点であった。大歓声に包まれるTMの3人。所属はEPICソニーに決めた。小室は「汚いと思われるかも知れませんが、自分たちの音楽シーンを巡らせるのに一番いいのがEPICソニーでした。値踏みして選びました」と、後の取材で答えている。 デビュー曲も『1974』…しかし、なかなか売れない。が、序序に小室哲哉の『復讐』が開始されていく。つまり成功への大金への道だ!
 1989年に小室哲哉はアーティスト・渡辺美里への曲を作曲する。興奮しながらデモテープを作り、美里に聞かせてみた。「いいでしょう?」小室は鼻息荒くきく。
「彼も若かったから…」
 渡辺美里は男女関係を臭わせる。
 とにかく、渡辺美里に提供した楽曲『My Revorution』が日本レコード大賞を受賞する。そして、小室サウンドは認められ始める。小室のいう『復讐』の始まりである。そして、TM NETWORKの3人のユニットは、ヒット曲を生む。
 アニメソングとしてつくったTMの曲『Get wild』がミリオンヒットを記録。88年には第29回NHK紅白歌合戦に出場を果たす。
 TMの曲『Get wild』が茶の間に流れる。
 小室バブル第一時期のスタートである。

  TM NETWORKの活動と平行して、渡辺美里・岡田有希子・荻野目洋子・おにゃん子クラブの福田恵規・堀ちえみ・中山美穂・松田聖子・小泉今日子・宮沢りえ・観月ありさ・牧瀬里穂・中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家とした。
 小室哲哉は絶倫で女好きであった。この年にはアイドル・タレントと熱愛になる。娘ほどの女を次々とてごめにしていく。性欲だけは抑えられない。
 君子、色を好む…とか何とか。
 岡田有希子(飛び降り自殺前)『Sweet Plant』『水色プリンセス』、おにゃん子クラブの福田恵規『ハイパーラッキー』、岩崎良美『スロープに恋して』、原田和世『家族の肖像』、荻野目洋子『NONSTOP DANCE』、松田聖子『Kimono Beat』、(小室が当時お気に入りで手つきの)大西結花には『パンドーラ』さらにお気に入りの八木さおりには『月と恋心』、沢口靖子『Follow me』、郷ひろみ『空を飛べる子供たち』、中山美穂『JUNGI・愛してもらいます』、堀ちえみ『愛を信じたい』、伊藤かずえ『星屑のイノセント』、小泉今日子『グッド・モーニング・コール』など多数の作曲(作詞家までは90年代から)をする小室哲哉。夢の印税生活だ!
 87年にはアイドルの『キララとウララ』の大谷香奈子と結婚する。子供も出来た。しかし浮気を繰り返す。性欲だけは抑えられない。
 89年には小室哲哉自身のリードボーカル・プロデュース『Running to horizon』『Gravite of love』がオリコンチャート1位になり、小室哲哉は益々、自信をほ深めていく。TM NETWORKの活動も順調で、武道館ライヴや東京ドームライヴなどでも成功。小室は移動中の新幹線の中で、ガマ蛙のような声で、木根尚登氏に「ミュージカル音楽のコラボ(共演)できないかなあ。木根、原作小説書いてみてよ?」と提案。TM NETWORKアルバム『CAROL』が生まれる。
 更に錬金術で、TM NETWORK曲・外国人らプロデュース・アルバム『Dress』が生まれる。「物理的にTM NETWORKの活動で僕は動けないじゃないですか。で、頭だけ使って新しいTM曲のアルバム出来ないかと思って。マスターテープ全部渡して……編曲してもらって……かなりの賭でしたね」小室は勝利の笑みを口元に浮かべる。 小室は角川映画『ぼくらの七日間戦争』(当時・小娘だった宮沢りえ主演)のサントラ音楽と、TM NETWORK主題歌『SEVEN DAYS WAR』を作曲。またも大金が手元に転がり込んでくる。小室哲哉、また一歩前進である。
 ミュージカル『マドモアゼル・モーツアルト』の劇中歌や、角川映画『天と地と』のサントラも手掛けた。(『天と地と』はつまらない映画とコキおろされた)
 この頃、小室哲哉は億万長者となり第一時全盛期を迎えていた。金だ! 大金だ!
『復讐』だ! ぼくを馬鹿にした連中を見返せた! 『復讐』完了!
 小室哲哉は胸を張った。「ぼくは天才なんだ!」思わず口に出た。
 91年にはX JAPANのYOSHIKIと組んで『V2』というユニットを結成したが、こちらは不発。売れなかった。93年、妻・大谷香奈子と離婚、同時に自身がプロデュースしていたアイドル・タレント華原朋美(通称・朋ちゃん)とラヴラヴになる。
 小室はいう。「アイドルという商品に手を出したのではなくて、恋人をプロデュースしただけ」……華原朋美への曲は売れた。(現在女優の仲間由紀恵も小室プロデュースで曲を出しているが売れず…)
「日本の音楽シーンはぼくのものだ! チェックメート(王手)!」
 小室哲哉は幸せいっぱいだった。ぼくには才能も、若い恋人(当時、『運命のひと』といわれた華原朋美(通称・朋ちゃん)のこと)も大金も…すべてある! 今度は世界だ!


         小室バヴル


         第2全盛期




  94年、TMN(TM NETWORK)解散終了後、小室哲哉はギターと作詞にも手を染めていく。観月ありさ・篠原涼子・trf(TRF)・hitomi・内田有紀・Hjungle with t・dos・globe・華原朋美・安室奈美恵・鈴木あみ(現在・鈴木亜美)など多数の小娘たちやタレントを作詞作曲音楽プロデュースしてミリオンを記録。安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 blues』は売れに売れる。
『年収20億円』! 小室のひとりバヴルが始まった。
 97年には高額納税者番付で全国で4位にまでなる。(納税額・11億2000万円、財産百億円)現在はプライバシーや個人情報保護の理由で『高額納税者番付』は廃止されたが、ものすごい大金が小室哲哉の元に転がり込んできた。
 小室は札束をベットに敷きつめて、寝転がり、札をシャワーのように浴びて有頂天になっていた。こうなるともうホリエモンである。拝金主義だ。
 更に、世界サッカーの応援ソング『together now!」も独特のシーケンス・パターンとユーロビートで受けた。
 そして96年には『globe』結成。1thアルバムはミリオンセラーとなった。
 どうだ! ぼくを馬鹿扱いした連中め! これでぼくは成功者! お前らはクズだ!
鼻をつく傲慢さが彼を支配し始める。贅沢な生活ばかりに慣れてきた。気分は音楽会のビル・ゲイツである。96年にはオリコン・シングルチャートで5位独占!
                  
  1位  安室奈美恵  ………『Don't wana cry』
                
  2位  華原朋美   ………『I'm proud』
  3位  globe  ………『FREEDOM』
  4位  dos    ………『baby baby baby』
  5位  trf    ………『LOVE&PEACE forever』
 ちなみに小室哲哉の音楽性は幅広い。
  テクノ、ファンク、ユーロビート、ジャングル、ハウス、トランス、アンビエント、ヒップポップ、R&B、レイヴハードロック、プログレ……果てはクラシック、フォーク、AUR、ラテンまで。そして、音楽著作権を譲渡(印税だけで年2億円)した音楽会社は、EPIC sony(現在・ソニーレコード)、東芝EMI(現在・EMIミュージック・ジャパン)、エイベックス(avex)、アンテナレコード、FOAレコード、YOSHIMOTO R and C、mf247、sonyミュージック、TKcom、Rojam、ORUMOKなど……
  小室哲哉は40代になった。収入月20億円。財産百億円……(「通帳には999999999円までしか記入できなくて、本当は幾ら財産あったかわかんないですね」小室はバブル時代を振り返る)そして、いよいよ転落への道が待っていた。しかし、そんなことは小室は知りもしない。
 メディア王、リチヤード・マードックスと組んで、100万ドルを出資して香港に音楽配信会社『TK NEWS(後の『Rojam』)』を設立した。
「これで音楽世界一だ! マイケル・ジャクソンやビートルズを追い付け追い越せ! ぼくは天才音楽プロデューサ小室哲哉なんだぜ!」小室は心の中で思った。
 母校・早稲田大学に2億円寄付して『小室哲哉記念ホール』が設立される。またTRFのライブ打ち上げのときにはメンバー全員に1千万円づつプレゼントし、またTRFボーカルのYUーKIの誕生日と重なっていたためプラスして彼女に高級外車をプレゼントした。ハウイ、グアム、バリ島や米国カリホルニアなどに豪邸建設し、高級外車も複数(色違いとかのポルシェやランボルギニー)所有。クルーザまで買った。しかし、食べる食事はコンビニの弁当やファミリー・レストランでの陳腐な食事だった。
 小室は分刻みのスケジュールの中、夢みた『成功者』『大富豪』として、講演会に引っ張り凧になる。大勢の聴衆の前でマイクを握り、
「え~。只今紹介に預かりました小室哲哉です。そもそもTRFはダンスと音楽とディスコのミックスとして考えたコンセプト(概要)でして……皆様もこれからいろいろな挫折や苦労を経験すると思いのますが、それを糧にして頑張ってほしいと思います」
  小室哲哉は絶頂期、あるTV番組のインタビューで答えている。
「すべてを手に入れて幸せですか?」
「……このままの状態が…続けば…ね」
 小室はもう完全に『天狗』になっていた。ぼくは天才音楽家さ! 誰もぼくの真似なんか出来ない! 学歴エリートなど関係ないね! ぼくは成功者なんだ!
 しかし、小室哲哉の人生に暗雲が立ち込め始める。
 香港での事業の失敗……そして、損失70億円…                  
         4 小室哲哉の没落





  かつて『運命のふたり』といわれた小室哲哉と華原朋美は破局した。
 原因は小室の浮気癖……小室は絶倫で、性欲が強すぎる。
 99年00年あたりから小室哲哉音楽プロデュースCDの売り上げが急降下しだす。似たような曲が続き(ネタ切れ)、ファン離れが急速に進んだ。それでも贅沢な暮らしをやめない。01年に吉本興業株式会社の音楽部門と契約を結んだが、低迷のまま…。
 どういうことなんだ! おかしいじゃないか! ぼくは天下のTK・小室哲哉なんだぜ! しかし、低迷し、小室は次第に『過去のひと』になっていく。
 01年に結婚していた元・dosメンバーでタレントのASAMI(本名・吉田麻美、女児出産)とわずか7ケ月で離婚……約7億円の慰謝料まで払いきれなくなり分割でとしたが04年には滞るようになっていく。金欠だ! 糞ったれめ! 小室哲哉は舌打ちをした。 離婚の理由は『浮気』…KEIKO(山田桂子)との浮気だった。
 02年、KEIKOと結婚(TV中継されて式代金2億円)。別荘、豪邸、株、高級車、クルーザなどの資産を売却した。もう貧乏で、妻の実家である大分県に移り住んだ。
 結婚前から借金生活だったが、妻には隠し、ベンツ、高級住宅、時計…贅沢生活を続けた。カラオケなどからの自分の曲の印税は年間で2億円あったが、元妻・ASAMIにすべて慰謝料と養育費に取られて……もう駄目だった。養育費が成人するまで月間200~380万円…慰謝料7億円。かつてあらゆるメロディが頭に浮かんできたのに、今は何も浮かばなかった。ネタ切れ。完全なるネタ切れだ。
 小室は50億円あれば51億円遣うような浪費家で贅沢病だった。
 かつて90年代に年収10億円あったが、不動産と遊興費で全部遣ってしまったという。
 05年9月には大分トリニータというプロサッカーチームのスポンサー料金まで滞納…TK・小室哲哉は自身のプロデュース活動会社『トライバル・キックス』を設立していた。 眠れない不安の中書いたインターネットのブログ(日記)にはこうある。
「曲が売れない。曲が売れればいいのに……あるひとはメロディが天から頭の中にふってくるっていってたけど、ぼくもそうだといいのに」
 吉本興業も彼を見放してクビ(解雇)とした。しかし、マスコミの話題にならず。
 その理由をあるマスコミ関係者は語る。
「華原朋美がガス自殺未遂や薬物依存症で事務所をクビになって報道されたが……小室哲哉の場合は吉本興業をクビにされてもメディアはとりあげなかった。朋ちゃん以上に『過去のひと』だったってことじゃないの(笑)」
 そして06年の詐欺!
 08年11月4日逮捕となる。最初は兵庫県芦屋市の資産家とは民事訴訟で争っていたが、5億円+2億円を返すことで和解していた。しかし、金は振り込まれない。それどころか、TK・小室哲哉被告は『名誉毀損』で逆に資産家男性を訴えた。資産家は激昴し、大阪地検へ訴えて『刑事訴訟』してかつてのカリスマ音楽家、TK・小室哲哉は08年11月4日に逮捕になったのである。小室は何とか5億円返済してブタ箱行きを逃れたかった。執行猶予の判決でたすかった。シンセやグランドピアノなどを競売にかけたがたった30万円にしかならない。
 小室哲哉は逮捕時、20億円の借金があったという。百億円はすべて泡と消えていた。エイベックスの社長・松浦勝人が6億円貸した。が、許してもらえない。松浦は金をドブに捨てたようなものだ。
 華原朋美は09年1月にまた薬物中毒というより自殺未遂で、また入院…小室のトラウマ? 09年1月21日、初公判……もう貧乏のどん底で、知人宅に妻・KEIKOと暮らしていたという。食べ物はハンバーガーだけ…暇で散歩ばかりの日々。まるでプー太郎だ。
 CD売り上げ1億7000万枚。97年には収入25億円(全国で4位)生涯収入百億円…香港での失敗が70億円損失、また馬鹿で、サラ金から60%の高金利で3億7000万円の金を借りていた。金利だけで月3000万円だという。妻に贅沢させるための借金…もう自己破産しかない。詐欺逮捕…裸の王様、虚構の暴走列車はこうして止まった。
 こうして、小室哲哉時代は完全に、おわった。
                       TK 小室哲哉の真実  おわり

         あとがき

ホリエモンと小室哲哉と新垣結衣ブログ

ホリエモン(堀江貴文被告(38))が収監されることが2011年4月26日決定しました。懲役2年6ヶ月です。堀江貴文は「世の中は不公平」といいますが私は当然の判決で、ホリエモンのような心根の腐った輩は何年か「臭い飯」を食わせて「世の中の道理」を教えて矯正するべきと思います。そして、まずいいたいのは落合信彦の虚像を暴けということ。北野武さんのいう「落合信彦がまたCIAやモサドがなんたらかんたら…言っている」というのは至言で、落合信彦はTVやマスコミに弱い。何故か?何故なら自分がつくりあげた「天才国際ジャーナリスト落合信彦」が虚像で嘘だから。このような天狗男の鼻を折ることが急務だ。「国際国家・日本」にとってこのような嘘と虚像で固められた天狗の虚構を暴くのは国家事業といい、ジャーナリズムともいえる。何故なら嘘を暴くのが「ジャーナリズム」だから。落合信彦をTVカメラの前に晒し、落合信彦の虚構を暴きましょう。そしてわが師・大前研一先生を国家戦略室の担当大臣に任命するよう民主党政府に要請しよう。皆さん「レアアース」「レアメタル」をご存知ですか?「多くの電化製品に使われている。携帯電話とかTVとか…どういうものかですか?わからないです」多分多くのひとはこう答えるでしょうね。レアアース(Rere Earth・希土類元素・非常に稀な土の一種。レアメタル(Rere Metal)の一部)は携帯電話やパソコン、TV、カメラ、車、ロケット、飛行機、CD、DVD、サプリメント(ゲルマニュウム)などに使用されています。レアメタルは31種類からできていてリチウム・ベリリウム・バリウム…レアメタルなどの元素から出来ています。ハイテク製品をよりハイテク化するいわば「かくし味」です。例えば鉄にレアメタルを加えると強度UP、錆びにくいなど(いわゆるステンレス)。日本は世界のレアメタルの30%を消費している。だいたい「光と色に関するもの」に「レアメタル」は使われています。1968年月給5万のときに15万円で売り出された「キドカラーTV」はカラーブラウン管テレビで「キドとは輝度と希土」。つまり、レアアースが使われていた訳です。世界のレアアースの生産量の98%は中国産です。世界でもベトナム、モンゴル、アフリカ、ロシアなどにもあるのですが人件費などで「安くいいもの」の「中国産レアアース」が出回っています。何故世界で生産できないか?これは単純にコスト問題です。レアアースを抽出するとき「大量の放射線部質」が出るのです。だから、その「核部質」を処分するコストがかかり、中国側は「核部質」をほったらかしにしているため中国産レアアースは安いのです。ですが、中国のレアアースは15年でなくなります。出し渋ると当然値段はあがってきて、今、日本などはモンゴルやベトナム、インドネシアなどとレアアース外交を結んでいる訳です。日本にもレアアースはあります。いわゆる都市鉱山(つまり古い携帯電話やテレビなどのレアメタル)です。2010年度になってだんだんわかってきたことは人間は義がなければ野山の獣と同じでしかないということである。私が注目している3人の人物がいます。1イタリア・ベルルスコーニ首相(大富豪でメディア王。ACミラン所有。資産6000億円。ベロニカ婦人と離婚となり、死ぬまで月30万ユーロ(1200万円)払うはめに)2ベルギーのファンロンパイ首相(ベルギー北部南部の分裂防いでEU大統領に)3メドベージェフ・ロシア大統領(プーチンの操り人形)。PIIGS (ピッグス)という言葉がある。Pはポルトガル、Iはアイルランド、Iはイタリア、Gはギリシャ(ギリシャでは国内で何万人のデモで全土がマヒ状態です)、Sはスペイン…どこも財政難の国の総称である。日本もこの中にいつ入ってもおかしくない。例えば夕張市。福島県常磐のハワイアンセンター(映画「フラガール」参照)の二匹目のどじょうを狙って炭鉱後に観光施設を幾つも作って322億円の借金…。日本国債の信用も揺らいでいます。細る資金、膨らむ債務。また日本人はどんどん腐ってきている。例えばホリエモン。詐欺行為で何百億円も搾取しておいて「成功者気取り」で馬鹿げた本を出版する。まだ贅沢三昧の生活を止めない。もうすぐ刑務所にぶち込まれる男が「戯言」のようにテレビで成功体験(というより詐欺行為)を語る。また小室哲哉。彼は何百億円も「音楽」で儲けて、すべて「浪費癖」で使い切り、5億円詐欺して逮捕された。彼は今50歳。彼のメンタリティが分からない。50歳といえば精々生きてあと20年。4億円もあれば、栄耀栄華、相当の贅沢な暮らしができるはずだ。幾ら貯め込んだところで、墓場の中まで持っていける訳ではあるまい。しかも全部贅沢三昧の浪費生活で使い切り、5億円詐欺行為をする。メンタリティが分からない。私はかつて住んでいた町で出会ったあるひとりの老人を思い出した。その老人は町一番の金持ちだった。彼は町の貧困窟で善意のボランティア活動をしていた。困ったひとがいると大金を抱えてポンと寄付する。孤児院を再建すると聞くと大金を寄付する。名前は告げない。それでもその噂はすぐ広がった。私はその老人に「何故そんなことをするのか?」ときいた。彼は言った。「わしはもう年だ。明日死ぬかもしれない。今日死ぬかもしれない。もう自分の為にはそれほど金は必要ではないんだ。だから社会の役に立ちたいと思っている。今まで私が生きてきた中で気付かないうちに悪いこともやってきたかもしれない。死ぬまでに全部償えるとは思わないけど少しでも埋め合わせが出来ればと思っている」
本当の「大人」のセリフである。新垣結衣のブログが月に314円で高いだの私をワシハネなどと呼び悪口をいう馬鹿げた輩に是非とも聞かせたい話です。死ぬまでに全部償えるとは思わないけど少しでも埋め合わせが出来ればと思っている…これぞ上杉の義である。このブログを読むひとにいう。もう少し大人になれ。もう少し大人になれ。 またこれは政治や経済に関心のない若者にも伝えたいことですが、本を読みなさい、学びなさい。ひとりひとりの人生はあまりにも短いのです。1秒たりとも無駄にせぬ努力をすることです。政治や経済に関心があるなら深く研究し、その哲学を学びなさい。そして歴史を知ることです。歴史は人類の宝物です。歴史を学ぶことで真実が見えてくることです。また政策や方針を考えるときは時にはきついことや不人気なこともせねばならない。甘いウソより、苦い真実に直面する勇気を持つこと。人間は自分だけの幸せを考えては生きていけません。われわれは皆同じ船に乗っているのですから。自分だけの正義を持って確実に正義だと
信じるのであれば反対者が何万人いようと「自分の意見はこうだ」と言える勇気を持つこと。最後にロジックだけでは人生はやっていけないということ。ロジックだけで人間性がなければただのいやしい権力闘争や拝金主義になってしまいます。人生とは本当にダイナミックで魅力的なものです。これからの若者達が活躍できる最高の舞台です。頑張ってください。 

  確かに小室哲哉は罪を犯した。
 しかし、だからといって彼の創作した数々の名曲までが否定されることはない。音楽と罪は別のものだ。しかし、最期にはホリエモン状態になって没落した原因は、ズバリ拝金主義と贅沢病である。確かに金は大事である。
 どんなに綺麗事をいっても、俗な話しをすれば金がなければ一切れのパンさえ買えない。これが現実だ。しかし、だからといってホリエモンや小室哲哉のように「命の次に大事なのは金だ!」では只の福永法源でしかない。ノーブレス・オブリージュというのが大事だ。 大金が手に入ったからといって豪邸をいくつも建てたり、高級外車を何台も買ったり、やれ何十億円のダイヤだ、やれシャネルだグッチだバーキンだ……と買い漁るのは醜悪でしかない。社会奉仕や弱者救済に興味を示し、献身し、謙虚な姿勢で論語と算盤で生きるべきだ。金金金金…では醜悪至極である。そういう社会奉仕や、社会の一員としてのコンプライアンス(法令遵守)意識がなければ、幾ら英語や仏語を話せてもそんな輩は『国際人』とはいえない。
 読者の皆様にはホリエモンや小室哲哉のようにならないことを祈りつつ、あとがきとして筆を納めたい。                    あとがき   おわり  

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絢爛たる戦後・吉田茂「バカヤロー偉大なる「負けて勝つ」」伝記1

2013年10月16日 07時48分22秒 | 日記
小説絢爛たる戦後 吉田茂伝



              ~負けても最後は勝つ 米軍を「番犬」とした怪人~

                  バカヤロー!
                ~昭和の象徴・吉田茂の人生!
                 わが心の昭和史~
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽
         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.
        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ
……この作品は事実をもとにしたフィクションです。事実とはいささか異なる点がありますご了承ください………

          あらすじ

  吉田茂は1878(明治11年)年9月22日に生まれた。父親が茂と名付けた。時代は昭和へ。日露、日清戦争で勝った日本帝国は野望をもち中国などを侵略していく。時代は黒闇の戦争へ……
 昭和天皇は軍部のパペット(あやつり人形)と化して太平洋戦争を黙認する。しかし、日本に勝ち目はない。やがて原爆投下で日本は敗戦。天皇は「人間宣言」をして巡幸してまわる。やがてそんな天皇は八十七歳で崩御……時代は平成へと移る。ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊……冷戦終結…時代は新たな一ページを刻む。
 昭和天皇はいう。
「戦争がさけられないのならばせめて治療法のない兵器は使わないでください」

                                    おわり
         1 吉田茂と戦争






  立憲君主と大元帥……
  慈悲深い立憲君主と大元帥……                  
 これが昭和天皇・裕仁(1901~1989)の名称である。
 しかし、実のところは白馬にまたがり軍部の前であやつられるパペット(操り人形)に過ぎなかった。日本人には驚きだろうが、かの昭和天皇は、ヒトラー、ムッソリーニと並ぶ第二次大戦の大悪人のひとりなのだ。                             
 しかし、崩御(死亡)のさい、日本のマスコミはこのことにまったく触れなかった。
 ……死んでしまえば「いいひと」とでもいいたげにお涙頂戴の報道に徹した。
 NHKを初めすべての報道局が昭和天皇の死を報道したが、戦争犯罪に触れたものはひとつとしてなかった。世界はこれに呆れたことだろう。
 先の戦争でも昭和天皇は「もう一度戦果をあげるのがよろしそうろう」などと沖縄戦の一ケ月前に「お言葉」を述べている。
 太平洋戦争末期に出来た近衛内閣の近衛文磨首相は「最悪なる事態は遺憾ながら早々必要なりと存候。一日も早く戦争終結を申し候」と述べた。
 しかし、神の子・天子である天皇は人間らしいことは何もいえない。只、「無駄な血が流れなければよいが…」と他人事のような「お言葉」を述べるだけだ。
 熱しやすい軍部は暴走して、「一億総玉砕!」などと泥沼にひきずりこもうとする。
 これは太平洋戦争の二十数年前に遡らなければならない。


  明治天皇は紙に主色のペンで、”裕仁”と書いた。
 それが病弱な嫡男の皇太子(のちの大正天皇)の嫡男の名前である。
 昭和天皇(裕仁)は、一九〇一年(明治三十四年)、四月二十九日に産まれた。父は大正天皇となる皇太子である。その他に妻(良子・香淳)、弟君が擁仁、宣仁、崇仁といる。こののちの昭和の息子が平成天皇明仁(皇后美智子)常陸宮正仁(妻・華子)であり、孫 徳仁(妻・雅子、子・愛子)秋篠宮文仁(妻・紀子、子・眞子、佳子、悠仁)紀宮清子(05年、民間に嫁いだ)などである。(妻(良子・香淳)平成12年6月16日死亡享年97歳) 昭和天皇が生まれたとき、時代は混沌としていた。苦悩する世界。世界的な孤立とあいつぐ企業倒産、大量の失業者、夜逃げ、身売り、政治不満が吹き荒れていた。
「私は天皇家の長男として生まれた。殿下の希望の天皇にもなった。父は非常に有能なひとであった。が、病弱ですぐに風邪をおひかれになられた。父と曽祖父はすぐれた審美眼の持ち主で、日本や中国の美術工芸品の収集に没頭していた。(中略)本業をおろそかにし、日本の経営をひとまかせにしていたため、事業は衰退の道をたどったのである」
 1908(明治四十一)年四月、裕仁は学習院初等科に入学した。院長は日露戦争の英        
雄でもある乃木希典陸軍大将である。
 十歳頃になると、もう帝王学を習いはじめ、事務や税務、事業、憲法、もろもろの”いろは”を手ほどきをさせられた。会議、部下からの報告、打ち合わせ、中学生になるともっぱら事業で一日が過ぎてしまったそうである。
 大正天皇は、お抱えつきのアメリカ車、ビュイックで出掛け、家の中にはすでに外国製の電気冷蔵庫や洗濯機が置かれてあった。
 皇后は、クラシック音楽が好きで、レコードを聴かせた。家には、小さい時からビクトロンと呼ばれる古い手回し式の蓄音機があったが、アメリカから電気蓄音機が輸入されるようになるとすぐに買い入れた。日本では第一号であったという。
 1912(大正元年)年、明治天皇が崩御した。それにあわせて乃木将軍は夫婦で後追い自殺を遂げている。裕仁の父は天皇……大正天皇となり、裕仁は皇太子となった。
 あわせて陸軍小佐にもなっている。
 裕仁は東宮学院で帝王学を学んだという。教えるのは東宮御学学問所総裁東郷平八郎である。帝王学と軍事兵法……
 1921(大正十)年、昭和天皇は皇太子としてヨーロッパを視察した。船でいき、第一次世界大戦後のヨーロッパをみてまわった。オランダ。ベルギー、イギリス……
 立憲君主として学ぶためだった。
 しかし皇太子は「……本当にこれでよいのだろうか?」と思っていたという。
 1926年(昭和元年)、つまり病気だった大正天皇が崩御して、皇位を継承した。元号は昭和となり、裕仁は昭和天皇となった。
 視力が悪くなり、眼鏡をかけ、国民の前にも姿を見せない。そんな天子さまは軍事色に染まっていく……
 1930年(昭和5)年4月、ロンドンで軍縮会議が始まった。このとき、「相当権干渉」と日本軍部が騒ぎ始めた。この頃から熱しやすい軍部と日本国民は軍事色の波にのまれていく。それはドイツでも同じであった。
  アドルフ・ヒトラー(ナチス党党首・総統)は画家になりたかった。パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(ナチス党宣伝大臣)は作家になりたかった。
 しかし、ふたりとも夢をかなえることは出来ず、右翼的思想を持ち、ナチスとしてさまざまな虐殺にかかわっていく。挫折が屈折した感情となって、侵略、虐殺へとむかった訳だ。その結果が、ユダヤ人を六〇〇万人も殺す原因となった。
 ゲッベルスは作家になりたかったが、誰も彼を認めなかった。(大学の国文学博士号を取得していたが)とうとう何にもなれず、定職にもつかず、金欠病に悩まされ続けたという。そんな若者は、藁をもすがる思いでナチス党のポストにしがみついた。
 そして、”宣伝”という武器で、ナチスの重要な人間にまでなる。
 しかし、それはまだ先の話しだ。
 アドルフ・ヒトラーもまた、苦労していた。
「私が画家になれないのは……画壇や経済を牛耳っているユダヤ人たちのせいだ! 憎っくきジュー(ユダヤ人)め!」ヒトラーは若かった。自分の力不足をユダヤのせいにした。とにかく、ユダヤ人が世界を牛耳っている……かれはそう考えていた。
 ユダヤ人たちを殺さなければ、わがドイツに未来はない!
 ヒトラーは屈折していく。
 しだいに彼は絵を描かなくなって、政治活動に目覚めはじめる。とにかく、偉くなってやる、とういう思いがヒトラーを揺り動かしていた。つまり、全部”己のため”である。 ヒトラーは「ユダヤ人たちを殺さなければ祖国はダメになる」といって憚らなかった。 呑むとかならず「ジューどもを殺す! それがドイツの再建だ!」とまでいった。
 そして、ヒトラーは”武装蜂起”を考えた。
 自分の意のままに動く組織をつくり、そのトップにたつ。そうすれば自分の政治指針は完成する。団体名はNSDAP(ナチス)、旗印は……
 ヒトラーは閃く。日本の神社の称記号「卍」、これを横に傾けて…ハーケン・クロイッツ(鉤十字)だ。色は赤と白にしよう。主義はナチズム、つまりドイツ第三帝国をつくり、ユダヤ人たちを一掃し、祖国をヨーロッパ一の大国にする。
 ヒトラーにはそれはとても簡単なことのように思えた。それにしてもこんなにおいしい計画なのに、なぜ自分の目の前でバラバラになってくずれてしまうのだろう。どうして、アドルフ・ヒトラーの耳のまわりでばらばらになって倒れてしまうのだろう。
 共産党もヴァイマール政権も糞くらえだ!
 失業者や餓死者を出すかわりに、祖国を再建するとか、ビルを建て直すとかしたらどうなんだ?!
  1920年代のドイツ・ベルリンは、まさにカオス(混沌)であった。
 第一次大戦の敗北によりすべての価値観は崩壊していた。インフレにより金は紙屑にかわり、大量の失業者があてもなく街をうろついていた。女たちは生きるために街角に立ち、人間的な感情は夜毎、乱痴気騒ぎの中でお笑いの対象となった。
 絶望と餓死がベルリンを飾っていた。
 ヒトラーは意を決する。
「よし、”武装蜂起”だ! NSDAP(ナチス)を決党し、ドイツを再建するのだ!」  それは、人々の絶望の中でのことであった。
 ナチスは人々に”今日と明日のパン”を約束した。輝かしい未来、”ドイツ第三帝国”をも……人々の飢餓に訴えたのである。
 街角には共産党とナチスたちがうろうろしてアジを張るようになる。
「ドイツ共産党です! 今こそドイツに革命を! ヴァイマール政権を倒し…」
「だまれ共産党め! 我々NSDAP(ナチス)に政権を! 敗戦の屈辱をはらし 再び大ドイツ帝国を…」
「売国奴! 楽隊、”ホルスト・ヴェッセル”をやれ!」
「ナチスを黙らせろ! 楽隊”インター・ナショナル”だ!」
 まさにカオス状態だった。
 ヒトラーの「わが闘争」は始まった。
「はやく武装蜂起を!」ハインリヒ・ヒムラーは焦っていった。ナチス党のNO2である彼は、のちにユダヤ人六〇〇万人を殺す首謀者となる。彼等はナチス党の本部にいた。
 ヒトラーは「まぁ、待て」と掌を翳してとめた。「まずは政党として正式に認められなければならない。まず、選挙だ」
「しかし…」ゲッベルスは続けた。「勝てるでしょうか?」
「そのために君に宣伝係になってもらったんだよ」ヒトラーはにやりとした。「国民は飢えている。”今日と明日のパン””輝かしい未来”をみせれば、絶対にナチスに従うに決まってる」
 ゲッベルスはにやりとした。「プロパガンダを考えます。まず、庶民の無知と飢えに訴えるのです」
「うむ」
「まず、人間の”値札”に訴えなければなりません」ゲッベルスはにやにやした。「”値札”とは人間のそれぞれのもつ欲求です」
「欲求? 金か?」ヒトラーは是非とも答えがききたかった。
「そうです。ある人間にとっては”金”でしょうし、また”正義感”、”名誉”、”地位”、”女””豪邸”……その人間が求めているものにアピールしていけば九十九%の人間は動かせます」
 ゲッベルスは『プロパガンダ(大衆操作)』について論じた。
 この頃は、まだプロパガンダについての研究は浅く、しかも幼稚であった。しかし、勉強家のゲッベルスはあらゆる本をよんで研究し、プロパガンダの技を磨いていた。
「ゲッベルス博士、頼むぞ。わがナチスに政権を! ヒトラーを総統にしてくれ」
 ヒトラーは握手を求めた。ゲッベルスとヒトラーは握手した。
 こうして、ナチスは政権をとるために、動きだした。
 一九三三年、ナチス・ヒトラーが政権を奪取…
 一九三六年、ドイツ軍非武装地帯ラインラント進軍…
 一九三八年、オーストラリア併合
 ……「ハイル・ヒトラー! ハイル・ヒトラー!」
  (ヒトラー万歳)という民衆がナチス式敬礼で興奮状態だった。

  一九三二年、日本帝国は世界の反対をおしきって満州国という傀儡国家を作った。国際連盟はこれを非難、翌三三年連盟はリットン調査団の報告書を採択、満州国不承認を四十二対一、棄権一で可決した。一は当然日本、棄権はシャム……
 日本は国際連盟を脱退した。
 そのときの様子を日本の新聞は”連盟よさらば! 総会勧告書を採択し、我が代表堂々退場す”と書いている。これを機に日本は孤立し、ヒステリーが爆発して「パールハーバー(真珠湾)」攻撃にふみきる。結果は完敗。
 当時の世界情勢をきちんとみていれば日本はあんな無謀な戦争に突入するはずはなかった。しかし、現実は違った。軍部によってつくられた戦闘ムードに熱しやすい国民は踊らされ、破滅へと走った。そこにはまともな戦略もヴィジョンもなかった。
 あるのは「大東亜共栄圏」という絵にかいた餅だけ……
 その結果が、アジア諸国への侵略、暴行、強姦、強盗、虐殺である。
 その日本人のメンタリティーは今もかわらない。
 国会や世俗をみても、それはわかる。
「日本は侵略なんてしなかった」だの「従軍慰安婦なんていなかった」だの「南京虐殺などなかった」などという妄言を吐く馬鹿があとをたたないのだ。
 最近ではある日本のマンガ家がそういう主旨の主張を広めている。
 戦争当時も盛んにマンガや映画やラジオで、同じように日本とナチスとイタリアは戦闘ムードを煽った。現在となんらかわらない。
 プロパガンダに踊らされているだけだ。

  昭和6年に『満州事変』が勃発した。事変……などというと何か自然におこったことのようだが、ハッキリいうと日本軍による侵略である。1932年(昭和7年)には満州     
国という日本軍の傀儡政権国が成立する。
   浜口首相暗殺の後の後継者は若規となったが、人気がなく、ついに犬養毅が昭和6年(1931)12月13日、第29代首相となった。大蔵(現・財務省)大臣には高橋是清が就任した。
 犬養毅は軍縮をすすめようとした。そこで軍部からの猛反発にあう。
「満州は仕方ないとしても、中国との関係をよくしなければならない」
 しかし、またも軍部が暴走する。
 昭和7年(1932)2月9日 前大蔵大臣・井上準之助が暗殺される。続いて3月5日には三井の会長が暗殺。そして、ついに5月15日午後に軍部の若手将校たちが首相官邸に殴り込む。将校たちは警備の警察菅たちを射殺していく。そして、ついに犬養毅が食堂で発見される。将校は拳銃を向けて、トリガーを引くが弾切れ。
「まぁ、待て。話せばわかる」犬養毅はいった。
 しかし、午後5時30日頃、将校が「問答無用!」と叫び、犬養毅に発砲して殺した。
 世にいう”五・一五事件”である。
 事件を起こした青年将校たちの90%もが東北などの貧しい地方出身者であったという。 自分の妹や親戚の娘が売春宿に売られ、大凶作で餓死者が続発しているのに恨みを抱いての事件だった。
 斎藤実海軍小佐が犬養毅の後の首相に。これで事実上、政党政治がダメになったのだ。軍部が実権を握った瞬間だった。斎藤は満州国を認め、昭和8年(1933)3月、日本は国際連盟から脱退した。…すべては軍部のためである…………
  この当時、世にいう二・二六事件が勃発していた。
 昭和11年(1936)2月26日、軍の若手将校一団が徒党を組み、斎藤実や高橋是清らの邸宅を襲撃し、暗殺した。そして、次の年には日中戦争が勃発した。
 昭和天皇はいう。
「これまでのところ満州国はうまくやっているようだが、万一のときにそなえて仇義をかかさぬように…」
 天皇は米英の軍事力を心配していた。のちの山本五十六のように欧米の軍事力と日本の差を知っていたからだ。ならばもっとましな策を考えればよさそうなものだが、神の子としての天皇に、「人間的な言葉」は禁じられていた。
 ただ、「であるか」という「お言葉」だけである。
 今でいう、カリスマ・ジャーナリスト(勝海舟や森鴎外、山本五十六、中曽根康弘、東                
篠英機などと親交)徳富蘇峰はTVがなかった時代、ラジオで、
「アメリカ人たちに一泡ふかせてやれ! あいつら天狗どもをぶっつぶせ!」とアジる。そして、蘇峰は天皇の『開戦』の詔まで執筆する。
 昭和12年(1937)7月7日には盧溝橋事件(侵略)が勃発して本格的な日中戦争になった。昭和天皇は軍部の暴走を止められない。
「重点に兵を集めて大打撃を加えため上にて(中訳)、速やかに時局を収拾するの万策なきや」昭和天皇は戦争の早期終結を望んでいた。
 しかし、パペットには何もできはしない。
 昭和13年(1937)11月、皇居内に大本栄が設置される。天皇は国務と統帥に任ぜられた。といっても”帽子飾り”に過ぎない。
 昭和15年(1940)6月、ナチス・ドイツがパリに入城した。つまり、フランスがやぶれてドイツが侵略したのである。ヒトラーはシャンゼリゼ通りをパレードした。ナチスの鍵十字旗が翻る。ナチス式敬礼……
 日本は真似をした。原料補給のための侵略は日本軍部にとっては口実だった。
 同年9月、日本軍は北部仏領・インドシナに侵攻した。
 昭和天皇は呟く。
「私としては火事場泥棒的なことはやりたくないが、認めておいた」
 それは心臓がかちかちの岩のようになり、ずっしりと垂れ下がるかのようだった。
 ……朕は無力ぞ……
 そして、日独伊三国同盟が成立される。悪のトライアングルである。
 昭和天皇は帝国日本の象徴として、白馬に跨がって軍事パレードを行った。
 昭和16年(1941)4月、日ソ中立条約が成立した。つまりソ連(現・ロシア)と中立にいると日本側がサインした訳だ。
 昭和16年(1941)7月には、日本軍は、南部仏領・インドシナに侵攻した。米国のフランクリン・D・ルーズベルトは日本への石油輸出を禁止。日米関係は悪化した。
 昭和天皇はいう。
「外交による戦争回避をしたかったが、御前会議で軍部が猛烈な戦争運動を展開。もっともらしい数字をあげて戦争には必ず勝てるという」
 天皇はパペットに過ぎない……
 米国国務長官コーデル・ハルによる命令書『ハル・ノート』が出される。東篠英機は何とか戦争を回避したかった。昭和天皇も同じだったろう。
 しかし、統帥部(陸軍統帥部と海軍統帥部)の暴走に負けた。東篠は天皇に開戦の言葉を述べながら号泣したという。すべての運命はここで決まった。破滅の道へ……
 そして、
 昭和16年(1941)11月「大海令」……日本は戦争の道を選んだ。
この小説の主人公、吉田茂(よしだしげる)は1878年(明治11年)9月22日から1974年(昭和49年)10月9日までの生涯である。吉田茂の顔や世に言う「バカヤロー解散」を知らぬ日本人はおるまい。実は吉田茂の幼少時代や青年期の詳細な資料は極めて少ない。だが、吉田茂は「在日米軍」を「番犬」とよび、「自衛隊より在日米軍の方が役に立つ」という当たり前の話だが、それに戦後すぐ気付いた稀有な政治家でもある。
 吉田茂はまた「反戦争主義者」でもあった。
この男は米国や英国に外交留学していたことから、「日本の兵力では欧米には勝てない」と戦前から警告を鳴らしていたほどの「切れ者」である。
背は低い。ちょっとぽっちゃりとした肥満気味か。視力も悪く、鼻にセットするタイプの
丸い鼻眼鏡をしている。
昭和20年(1945年)5月、吉田茂は刑務所の監獄にぶち込まれていた。
反戦争分子だからである。監獄は不潔で蛆虫やダニやしらみに南京虫…吉田茂は風呂にも入らせてもらえぬから汚い体で横たわり「うわあ、かゆいかゆい!」と肩や手足の虫刺されかぶれを太い手でぼりぼり掻いた。…帰りとて家もなく、かくとして母もなく、あわれのみ…
しかし、戦争に加担していなかった、という吉田茂の経歴が戦後、当たり前のように役に立った。岸信介は所詮戦犯である。太平洋戦争に関わっていた。吉田茂は違う。
 1945年(昭和20年)8月15日、日本は敗北して戦争に負けた。
日本中が焼野原になった。敗戦…。時の首相は近衛文麿(このえふみまろ)である。 
吉田茂と近衛文麿は焼野原となった東京某所で車を降りた。近衛の妻は千代子という。
「近衛の髭はヒトラーに似ているという」
近衛は冗談めかして焼野原を観ていた。遠くをみるような眼差しだ。背広が朝の埃まみれ。
吉田は「もう戦争はおわったのではありませんか?」ときく。
「日本は4つにわけられるかもしれん。北海道、関東、山陰・関西・四国、九州」
「戦勝国のアメリカとソビエト連邦(現在のロシア)の分断支配になるわけですなあ」
「そうだね。言語は英語、通貨はドル」
「ですが、この吉田茂がそうはさせません」
「ほう?勇敢であるのう」
「日本は確かに戦争に負けました。ですが、「負けて勝つ」です、閣下。」
「…勝つか」
「これからが絢爛たる戦後ですよ」
吉田茂は未来を語っていた。若さはいい。勇敢なる度胸は若さからくるという。だが、近衛文麿の戦後はどうやら「絢爛たる戦後」とはいきそうもない。近衛は戦後復興を推し進めるだけの才能と体力や器が足りない。戦時中首相であった男は何人かいるが、東条英機も近衛文麿も悲惨な終わり方をしている。
国会は空転していた。
どうもまともな戦後復興どころの話ではない。会談はやはり空転して、落ち度頃がない。
そんなものだから、近衛文麿は独自に会議を開いた。
大蔵省(現・財務省)主計局・池田隼人らが会議に呼ばれた。
「近衛大臣に呼ばれた」などという。
池田は遅刻した。そして「となりの一家心中をとめていたので遅くなりました」と頭を下げた。背広の眼鏡チビである。「連合軍がきたら女は犯され、男は殺される」
異様に器の小さな事をいう。
参謀総長の坂信彌は「君たち、娘はいるか?なら田舎へ。遊郭の女を千人集める。予算は1億円」とこれまた器の小さい事をいう。
貴族首相と呼ばれた近衛文麿元・首相は「進駐軍の為に慰安所を全国に置く。レイプを防ぐためだ」という。この発言を聞いていると「従軍慰安婦は確実にあった」と思わせる。
 とにかくこの国は乃木や東郷は何処にいったのだ?というくらい「器の小さな国」になっていた。敗戦国はいつもこれだ。戦争には負けるものではない。
 だが、ひとり、そうただひとり、日本には「天下の器」たる人物がいた。絢爛たる戦後をつくりあげる吉田茂である。寡黙だが、戦略に長けた「人物」である。英語が得意で、プロパガンダや禅にも通じている。一種の天才政治家である。

 吉田茂には息子がいた。戦争が終わり兵役から日本に戻ってきた吉田健一である。たいしてイケメンでもないし、写真を見る限り「凡庸」に見える。
「坊ちゃん、ご無事で!」兵服のまま健一は葉山の吉田邸に戻ってきた。使用人のおっさんが涙目で出迎えた。もうひとりは小りん、という名前の吉田茂の愛人である。
「坊ちゃん」小りんも涙を流した。母親はもう死んでいた。
健一は「父さんがタバコが好きなので仲間にわけてもらいました」
といって無理に笑顔をつくった。
儚い笑顔、である。
 「俺は葉巻しか吸わない」夜に戻った吉田茂は息子の再会に喜ぶでもなく、健一にそう言った。葉巻をくゆらせた。「葉巻なんてタバコとなにが違うのですか?」
「うるさい」
「父さんは変わられた」
「そうだな。戦争中ずっと刑務所で臭い飯食ってきたからなあ」
「マッカーサーが来るんですよね?」
「そうだ」吉田茂は椅子にふかぶかと座った。「もうすぐダグラス・マッカーサーが来る。お前は大学に復学して「英文学」でも学べ。これからは英語、アメリカの時代だ」
「天皇陛下はどうなるのですか?」
「さあな。俺はもうおわりの人間だ。陛下のご無事を祈るのみだ」
 吉田茂は先を観ていた。とても「もう終わりの人間」等ではない。侵略戦争に加担していなかったという吉田茂の「価値」が自分でわかっていた。権謀術数の人物なのだ。
 ダグラス・マッカーサーが例の軍服でサングラスにパイプ・タバコ姿で厚木飛行場にプロペラ機で降り立った。自分勝手で自己愛が強く、恥知らずで厚顔無恥な日本人は「かっこいい」「マッカーサー元帥、日本を変えてくれ」と拍手喝采で迎えたという。
 戦争には負けるものではない。

 国会会議室では会議が踊っていた。内閣書記官長・緒方竹虎という小心な男は声を荒げていた。
「マッカーサー元帥はお怒りです。このまま外務大臣に重光葵さんを置いては連合軍との仲が悪くなる一方です!」
総裁にして皇族首相・東久邇宮は「じゃあ、後任は?」と尋ねる。
「重平さんは?」
「重平さんはご高齢であろう」
岩淵辰雄が口をはさんだ。「吉田茂しかないかと」
「吉田茂であるか」
 東久邇宮は歌舞伎役者のように唸った。
  そののち東久邇宮は記者会見(テレビ時代ではないからラジオが主)を開いて、
「吉田茂氏に外相になって頂きたい。外相として元・外交官の経験を活かして欲しい」と発表した。吉田茂は蒼天の海辺にペットの犬(シェパード)とともに海をみつめ、遠くをみるような目で浜風に吹かれていた。外相かあ……なんとも胸にこみ上げてくるものがあった。もう昔の時代をふと思い出した。それは感情ではなく感覚でもあった。
のちに天才・政治家と呼ばれる吉田茂もまた、ひとりの「人間」である。
 東京のがれきの中を吉田茂は近衛文麿と歩いていたとき、
「戦争中終戦活動をしていたから外相に?私には器が大き過ぎます」とそんな弱音をはいたという。思い出が脳裏に押し寄せては引く波の如く、感情となってやってきていた。1919年、外務省の英国大使館で外交官として英国大使・芦田均(のちの首相)と飲む。芦田は「外交の弱い国はいつか潰れるんだ」と当たり前のことを言う。近衛もきて「私もそう思う」と酒ビンをぐいとあける。若き吉田は「英国糞くらえだ!糞くらえだ!」と酒の勢いで大声で言ったという。英語ではなかったので問題にはならない。
 現実に戻ると日本は敗戦国であった。
近衛は「戦争を止めることが出来なかった。戦争に負けた今、外務大臣の地位は重い。国民総懺悔だ。それが日本再建の第一歩だ」といい瓦礫の焼野原から視線を、吉田にむけた。どこか遠くを見据えている目である。「…近衛さん……」吉田は不安にかられた。
 マッカーサーは現在の住友生命元・本館の「GHQ本部」にはいった。
と、同時期に吉田茂は外相として、就任式で昭和天皇に謁見した。
元・内大臣(吉田茂の岳父・牧野伸顕)にお屋敷(茅葺の大家)で、
「政治家は頭を下げるのが仕事だ。あんた出来るか?」と牧野老人に言われた。
「何とも」吉田はお茶を飲み黙り込むしかない。
「連合軍は陛下の戦争責任を問うかも知れない。陛下を守り抜け。いいな?」
 牧野もまた天皇陛下万歳組であった。吉田は「はい」と同意した。何としても天皇陛下のお命を守らなければ日本はおわる。吉田は身の引き締まる思いであった。
 「日本は堂々たる負けっぷりを見せる。そして絢爛たる戦後である」
吉田茂は黒塗りの車に揺られながら独り言をいった。行先はGHQ本部である。
マッカーサーとはすぐ会えた。吉田茂は英語が得意で、通訳などいらない。まさに通訳を介さない「タイマン勝負」である。マッカーサーは椅子から立ち上がり握手をすると背広の吉田に葉巻を勧めた。しかし、吉田茂は不敵に笑い、英語で、
「それはフィリピン産でしょう?私はハバナ産しか吸いません」と葉巻を吸った。
そして「昭和天皇を救う為のディスインフォメーション(偽情報)」を吉田茂は展開した。つまり、今、日本の天皇陛下を「戦争犯罪者」としてGHQが裁けば日本人たちは内戦を起こす、陛下に罪を着せればもう一度戦争になる…とやったのだ。確かに偽情報ではある。日本人は天皇陛下の為に内戦を起こしたり、もう一度戦争を起こしたり、天皇陛下がいなくなっても変な狂人独裁者などもあらわれはしない。だが、単純なマッカーサーは信じた。
「なるほど」と頷き、「日本人にとって天皇とはそんなに大事な存在か」と納得までしてしまう。「この国は地に落ちた。成人や女性に選挙権を与え、財閥を解体する。乃木や東郷のような日本人はもういないのか?」マッカーサーは決断した。
「我々には天皇陛下がおられます」吉田茂は頭を下げて退席した。やったぞ!天皇陛下は天皇制は無事だ!岳父、やりました!心の中ではもうガッツポーズである。
のちにアメリカ大使館で、例の昭和天皇とマッカーサーとの写真をとった。現人神である筈の天皇陛下が黒の燕尾服で、となりのマッカーサーは並んで軍服である。当時の日本人はこの写真で「ああ、やっぱり日本は負けたんだなあ」と思ったという。
 しかし、吉田茂の策は効果覿面であった。マッカーサーにしても欧米人であり、日本の天皇とはヒトラーやムッソリーニと並ぶ「極悪人」と思っていた。だが、日本人が命がけで守る存在であるという。へえ、そうなのか。彼には驚きであったに違いない。
 夜の吉田茂邸には若くイケメンな男・白洲次郎が手伝いをさせられていた。髪はオールバックで掘りの深い顔立ちで、英語がぺらぺらである。痩身で手足も長い。まるで英国紳士であるかのようだ。
「手伝ってくれ!」
「俺はじいさんには外相といわず総理大臣になってもらいたいね」
「馬鹿言うな」吉田は資料を分けながら笑った。苦笑であった。実は政治家など大嫌いである。それにしても今、吉田茂や白洲次郎のような「人物」がいるか?ということだ。改めて人材不足を感じる。確かに学歴エリートや英語マシーンはいる。だが、そんな連中青臭くて使えない。国内のことがわかっていないから国民とまともに話せない。
 若い池田隼人(のちの首相)は大蔵省の部下と酒場で、日本人売春婦(パンパンという)がアメリカ兵たちと乳クリあっているのをみた。戦争に負けるとはこういうことか。
「日本の女どもは男どもが勝手に始めた戦争の尻拭いをしている」
池田はそのときそういったという。

 内閣総選挙の結果、幣原(しげはら)吉重郎内閣が発足し、厚生大臣に芦田均、外務大臣は留任で吉田茂となった。戦後すぐのことで、近衛文麿はのちに「戦犯」とされ服毒自殺をするが、まだ生きていた。近衛文麿は孫の細川護煕(もりひろ・当時7歳(1991年首相に))に挨拶させた。「こんにちわをいいなさい、護煕」「こんにちは」
 文麿は「憲法改正だとさ」と苦笑した。
「しかしながら時期尚早では?……近衛公は戦犯になるやも」
吉田の心配に近衛文麿は「私は戦争に反対したのだ。戦犯になどならん」と強気である。
なんの根拠もない自信でもある。貴族出身とはこういうものか、吉田茂はのちにそう回想している。
幣原内閣は「学校教育、労働組合、女性社会参画」を閣議決定した。
「憲法改正か……」
誰かが呟いた。「何でもGHQが2週間でつくった平和憲法だという」
吉田茂だった。
「もっともこの世界に戦争憲法などというのはないんですがね」
吉田のジョークに一同から笑いが起こった。
だが、吉田茂は笑いに出来ない論点があった。吉田茂はGHQ高官やマッカーサーに「近衛文麿公は戦争反対論者であった」と主張した。何度も何度も繰り返して「近衛の身の潔白」を主張したのである。だが、世の中は甘くない。GHQは近衛文麿を「A級戦犯」と認定した。近衛はそのことを病床の中電話で知らされると、思わず
「馬鹿野郎!」と汚い言葉を吐いたという。
そして人生に絶望したのか服毒自殺をした。享年五十五歳である。
葬儀には吉田茂は勿論、吉田の息子・健一と健一の妹で麻生和子(息子は当時5歳の麻生太郎元・首相)が喪服で参加した。白洲次郎は「近衛さんは東条英機みたいになるのを恐れていた」と未亡人に告げた。吉田茂は「まったく惜しい人を亡くした」と同情した。
 さらなる日本の転機は天皇の「人間宣言」である。
吉田茂はマッカーサーに「天皇陛下が神だ……などという話は閣下には信じられん話でしょうな。でも、現人神である天皇陛下の為に命を捧げ、天皇陛下を神と信じて戦った英霊たちがいます。陛下は人間であるとは日本人が受け入れるでしょうか?」
と問うた。マッカーサーは「受け入れるか?受け入れないか?ではない。天皇は人間だ。食べ物を食べるし、排せつもする。どこが神なのかね?日本人はGHQの命令を呑むか?呑まないか?選択肢は2つしかない」と冷たい。吉田の顔は少しひきつった。
 吉田茂は先をみていた。焼野原となった日本には米国を受け入れるしかない。俺のおやじは自由民権運動にかかわり牢屋にいれられた。実の母親もよくわからん。が、金持ちの養子になって遺産をもらい、大学を出て外交官になった。だが、あんなくだらない戦争も止められなかった。だが、戦争には負けたが俺たちは奴隷になった訳ではない。外交で勝つのみだ。外交で勝ってその後は「絢爛たる戦後」である。

 

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天と地と人と直江兼続と「愛と上杉の義・直江兼続のすべて」ブログ連載小説5

2013年10月16日 04時23分45秒 | 日記
         5 焼き討ち








  織田信長と将軍・足利義昭との確執も顕著になってきていた。
 義昭は将軍となり天皇に元号を「元亀」にかえることにさせた。しかし、信長は「元亀」などという元号は好きではなかった。そこで信長は元号を「天正」とあっさりかえてしまう。足利将軍は当然激怒した。しかし、義昭など信長のロボットみたいなものである。
 義昭は信長に剣もほろろに扱われてしまう。
 かれは信長の元で「殿中五ケ条」を発布、しかし、それも信長に無視されてしまう。
「あなたを副将軍にしてもよい」
 義昭は信長にいった。しかし、信長は餌に食いつかなかった。
 怒りの波が義昭の血管を走った。冷静に、と自分にいいきかせながらつっかえつっかえいった。「では、まろに忠誠を?」
「義昭殿はわしの息子になるのであろう? 忠誠など馬鹿らしい。息子はおやじに従っておればよいのじゃ」信長は低い声でいった。抑圧のある声だった。
「義昭殿、わしのおかげで将軍になれたことを忘れなさるな」
 信長の言葉があまりにも真実を突いていたため、義昭は驚いて、こころもち身をこわばらせた。百本の槍で刺されたように、突然、身体に痛みを感じた。信長は馬鹿じゃない。 しかし、おのれ信長め……とも思った。
 それは感情であり、怒りであった。自分を将軍として崇めない、尊敬する素振りさえみせず、将軍である自分に命令までする、なんということだ!
 その個人的な恨みによって、その感情だけで義昭は行動を起こした。
 義昭は、甲斐(山梨県)の武田信玄や石山本願寺、越後(新潟県)の上杉謙信、中国の毛利、薩摩(鹿児島県)の島津らに密書をおくった。それは、信長を討て、という内容であったという。
 こうして、信長の敵は六万あまりとふくらんだ。
 そうした密書を送ったことを知らない細川や和田らは義昭をなだめた。
 しかし、義昭は「これで信長もおしまいじゃ……いい気味じゃ」などと心の中で思い、にやりとするのであった。
  義昭と信長が上洛したとき、ひとりだけ従わない大名がいた。
 越前(福井県)の朝倉義景である。かれにしてみれば義昭は居候だったし、信長は田舎大名に過ぎない。ちょっと運がよかっただけだ。義昭を利用しているに過ぎない。
 信長は激怒し、朝倉義景を攻めた。          
 若狭にはいった信長軍はさっそく朝倉方の天筒山城、金ケ崎城を陥した。
「次は朝倉の本城だ」信長は激を飛ばした。
 だが、信長は油断した。油断とは、浅井長政の裏切り、である。
 北近江(滋賀県北部)の浅井長政の存在を軽く見ていた。油断した。
 浅井長政には妹のお市(絶世の美女であったという)を嫁にだした。いわば義弟だ。裏切る訳はない、と、たかをくくっていた。
 浅井長政は味方のはずである…………
 そういう油断があった。義弟が自分のやることに口を出す訳はない。そう思って、信長は琵琶湖の西岸を進撃した。東岸を渡って浅井長政の居城・小谷城を通って通告していれば事態は違っていただろうという。しかし、信長は、”美人の妹を嫁にやったのだから俺の考えはわかってるだろう”、という考えで快進撃を続けた。
 しかし、「朝倉義景を攻めるときには事前に浅井方に通告すること」という条約があった。それを信長は無視したのだ。当然、浅井長政は激怒した。
 お市のことはお市のこと、朝倉義景のことは朝倉義景のこと、である。通告もない、しかも義景とは父以来同盟関係にある。信長の無礼に対して、長政は激怒した。
 浅井長政は信長に対して反乱を起こした。前面の朝倉義景、後面の浅井長政によって信長ははさみ討ちになってしまう。こうして、長政の誤判断により、浅井家は滅亡の運命となる。それを当時の浅井長政は理解していただろうか。いや、かれは信長に勝てると踏んだのだ。甘い感情によって。
  金ケ崎城の陥落は四月二十六日、信長の元に「浅井方が反信長に動く」という情報がはいった。信長は、お市を嫁がせた義弟の浅井長政が自分に背くとは考えなかった。
 そんな時、お市から陣中見舞である「袋の小豆」が届く。
 布の袋に小豆がはいっていて、両端を紐でくくってある。
 信長はそれをみて、ハッとした。何かある………まさか!
 袋の中の小豆は信長、両端は朝倉浅井に包囲されることを示している。
「御屋形様……これは……」秀吉が何かいおうとした。秀吉もハッとしたのだ。
 信長はきっとした顔をして「包囲される。逃げるぞ! いいか! 逃げるぞ!」といった。彼の言葉には有無をいわせぬ響きがあった。戦は終わったのだ。信長たちは逃げるしかない。朝倉義景を殺す気でいたなら失敗した訳だ。だが、このまま逃げたままでは終わらない。まだ前哨戦だ。刀を交えてもいない。時間はかかるかも知れないが、信長は辛抱強く待ち、奇策縦横にもなれる男なのだ。
 ……くそったれめ! 朝倉義景も浅井長政もいずれ叩き殺してくれようぞ!
 長政め! 長政め! 長政め! 長政め! 信長は下唇を噛んだ。そして考えた。            
 ……殿(後軍)を誰にするか……
 殿は後方で追撃くる敵と戦いながら本軍を脱出させる役目を負っていた。そして、同時に次々と殺されて全滅する運命にある。その殿の将は、失ってしまう武将である。誰にしてもおしい。信長は迷った。
「殿は誰がいい?」信長は迷った。
 柴田勝家、羽柴秀吉、そして援軍の徳川家康までもが「わたくしを殿に!」と志願した。 信長は三人の顔をまじまじと見て、決めた。
「サル、殿をつとめよ」
「ははっ!」サル(秀吉)はそういうと、地面に手をついて平伏した。信長は秀吉の顔を凝視した。サルも見つめかえした。信長は考えた。
 今、秀吉を失うのはおしい。天下とりのためには秀吉と光秀は”両腕”として必要である。知恵のまわる秀吉を失うのはおしい。しかし、信長はぐっと堪えた。
「サル、頼むぞ」信長はいった。
「おまかせくださりませ!」サルは涙目でいった。
 いつもは秀吉に意地悪ばかりしていた勝家も感涙し、「サル、わしの軍を貸してやろうか?」といい、家康までもが「秀吉殿、わが軍を使ってくだされ」といったという。
 占領したばかりの金ケ崎城にたてこもって、秀吉は防戦に努めた。
「悪党ども、案内いたせ」
 信長はこういうときの行動は早い。いったん決断するとグズグズしない。そのまま馬にのって突っ走りはじめた。四月二十八日のことである。三十日には、朽木谷を経て京都に戻った。朽木元綱は信長を無事に案内した。
 この朽木元綱という豪族はのちに豊臣秀吉の家臣となり、二万石の大名となる。しかし、家康の元についたときは「関ケ原の態度が曖昧」として減封されているという。だが、それでもかれは「家禄が安泰となった」と思った。
 朽木は近江の豪族だから、信長に反旗をひるがえしてもおかしくない。しかし、かれに信長を助けさせたのは豪族としての勘だった。この人なら天下をとるかも知れない、と思ったのだ。歴史のいたずらだ。もし、このとき信長や秀吉、そして家康までもが浅井朝倉軍にはさみ討ちにされ戦死していたら時代はもっと混沌としたものになったかも知れない。 とにかく、信長は逃げのびた。秀吉も戦死しなかったし、家康も無事であった。
 京都にかろうじて入った信長は、五月九日に京都を出発して岐阜にもどった。しかし、北近江を通らず、千種越えをして、伊勢から戻ったという。身の危険を感じていたからだ。 浅井長政や朝倉義景や六角義賢らが盛んに一向衆らを煽って、
「信長を討ちとれ!」と、さかんに蜂起をうながしていたからである。
 六角義賢はともかく、信長は浅井長政に対しては怒りを隠さなかった。
「浅井長政め! あんな奴は義弟とは思わぬ! 皆殺しにしてくれようぞ!」
 信長は長政を罵った。
 岐阜に戻る最中、一向衆らの追撃があった。千種越えには蒲生地区を抜けた。その際、
                            
蒲生賢秀(氏郷の父)が土豪たちとともに奮起して信長を助けたのだという。
 この時、浅井長政や朝倉義景が待ち伏せでもして信長を攻撃していたら、さすがの信長も危なかったに違いない。しかし、浅井朝倉はそれをしなかった。そして、そのためのちに信長に滅ぼされてしまう運命を迎える。信長の逆鱗に触れて。
 信長は痛い目にあったが、助かった。死ななかった。これは非常に幸運だったといわねばなるまい。とにかく信長は阿修羅の如く怒り狂った。
 皆殺しにしてくれる! そう信長は思った。





  浅井朝倉攻めの準備を、信長は五月の頃していた。
 秀吉に命じてすっかり接近していた堺の商人・今井宗久から鉄砲を仕入れ、鉄砲用の火薬などや兵糧も大坂から調達した。信長は本気だった。
「とにかく、浅井長政や朝倉義景を殺さねばならない」信長はそう信じた。
 しかし、言葉では次のようにいった。「これは聖戦である。わが軍こそ正義の軍なり」 信長は着々と準備をすすめた。猪突盲進で失敗したからだ。
 岐阜を出発したのは六月十九日のことだった。
 とにかく、浅井長政や朝倉義景を殺さねばならない! 俺をなめるとどうなるか思い知らせてやる! ………信長は興奮して思った。
 国境付近にいた敵方の土豪を次々に殺した。北近江を進撃した。
 目標は浅井長政の居城・小谷城である。しかし、無理やり正面突破することはせず、まずは難攻不落な城からいぶり出すために周辺の村々を焼き払いながら、支城横山城を囲んだ。二十日、主力を率いて姉川を渡った。そして、いよいよ浅井長政の本城・小谷城に迫った。小谷城の南にある虎姫山に信長は本陣をかまえた。長政は本城・小谷城からなかなか出てこなかった。かれは朝倉義景に援軍をもとめた。信長は仕方なく横山城の北にある竜が鼻というところに本陣を移した。二十四日、徳川家康が五千の軍勢を率いて竜が鼻へやってきた。かなり暑い日だったそうで、家康は鎧を脱いで、白い陣羽織を着ていたという。信長は大変に喜んで、
「よく参られた」と声をかけた。
 とにかく、山城で、難攻不落の小谷城から浅井長政を引き摺り出さなければならない。そして、信長の願い通り、長政は城を出て、城の東の大寄山に陣を張った。朝倉義景からの援軍もきた。しかし、大将は朝倉義景ではなかった。かれは来なかった。そのかわり大将は一族の孫三郎であったという。その数一万、浅井軍は八千、一方、信長の軍は二万三千、家康軍が六千………あわせて二万九千である。兵力は圧倒的に勝っている。
 浅井の軍は地の利がある。この辺りの地理にくわしい。そこで長政は夜襲をかけようとした。しかし、信長はそれに気付いた。夜になって浅井方の松明の動きが活発になったからだ。信長は柳眉を逆立てて、
「浅井長政め! 夜襲などこの信長がわからぬと思ってか!」と腹を立てた。…長政め! どこまでも卑怯なやつめ!
 すると家康が進みでていった。
「明日の一番槍は、わが徳川勢に是非ともお命じいただきたい」
 信長は家康の顔をまじまじとみた。信長の家臣たちは目で「命じてはなりませぬ」という意味のうずきをみせた。が、信長は「で、あるか。許可しよう」といった。
 家康はうきうきして軍儀の場を去った。
 信長の家臣たちは口々に文句をいったが、信長が「お主ら! わしの考えがわからぬのか! この馬鹿ものどもめ!」と怒鳴るとしんと静かになった。
 するとサルが「徳川さまの面目を重んじて、機会をお与えになったのででござりましょう? 御屋形様」といった。
「そうよ、サル! さすがはサルじゃ。家康殿はわざわざ三河から六千もの軍勢をひきいてやってきた。面目を重んじてやらねばのう」信長は頷いた。
 翌朝午前四時、徳川軍は朝倉軍に鉄砲を撃ちかけた。姉川の合戦の火蓋がきって落とされたのである。朝倉方は一瞬狼狽してひるんた。が、すぐに態勢をもちなおし、徳川方が少勢とみて、いきなり正面突破をこころみてすすんできた。徳川勢は押された。
「押せ! 押せ! 押し流せ!」
 朝倉孫三郎はしゃにむに軍勢をすすめた。徳川軍は苦戦した。家康の本陣も危うくなった。家康本人も刀をとって戦った。しかし、そこは軍略にすぐれた家康である。部下の榊原康政らに「姉川の下流を渡り、敵の側面にまわって突っ込め!」と命じた。
 両側面からのはさみ討ちである。一角が崩れた。朝倉方の本陣も崩れた。朝倉孫三郎らは引き始めた。孫三郎も窮地におちいった。
 信長軍も浅井長政軍に苦しめられていた。信長軍は先陣をとっくにやぶられ、第五陣の森可政のところでかろうじて敵を支えていたという。しかし、急をしって横山城にはりついていた信長の別導隊の軍勢がやってきて、浅井軍の左翼を攻撃した。家康軍の中にいた稲葉通朝が、敵をけちらした後、一千の兵をひきいて反転し、浅井軍の右翼に突入した。 両側面からのはさみ討ちである。浅井軍は総崩れとなった。
 浅井長政は命からがら小谷城に逃げ帰った。
「一挙に、小谷城を落とし浅井長政の首をとりましょう」
 秀吉は興奮していった。すると信長はなぜか首を横にふった。
「ひきあげるぞ、サル」
 秀吉は驚いて目を丸くした。いや、秀吉だけではない。信長の家臣たちも顔を見合わせた。いつもの御屋形らしくもない………。しかし、浅井長政は妹・お市の亭主だ。なにか考えがあるのかもしれない。なにかが………
 こうして、信長は全軍を率いて岐阜にひきあげていった。




  石山本願寺は、三好党がたちあがると信長に正式に宣戦布告した。
 織田信長が、浅井長政の小谷城や朝倉義景の越前一乗谷にも突入もせず岐阜にひきあげたので、「信長は戦いに敗れたのだ」と見たのだ。
 信長は八月二十日に岐阜を出発した。そして、横山城に拠点を置いた後、八月二十六日に三好党の立て籠もっている野田や福島へ陣をすすめた。
 将軍・足利義昭もなぜか九月三日に出張ってきたという。実は、本願寺や武田信玄や上杉らに「信長を討て」密書を送りつけた義昭ではあったが、このときは信長のもとにぴったりとくっついて行動した。
 本願寺の総帥光佐(顕如)上人は、全国の信徒に対して、「ことごとく一揆起こりそうらえ」と命じていた。このとき、朝倉義景と浅井長政もふたたび立ち上がった。
 信長にしたって、坊主どもが武器をもって反旗をひるがえし自分を殺そうとしている事など理解できなかったに違いない。しかし、神も仏も信じない信長である。
「こしゃくな坊主どもめ!」と怒りを隠さなかった。
 足利義昭の命令で、比叡山まで敵になった。
 反信長包囲網は、武田信玄、浅井長政、朝倉義景、佐々木、本願寺、延暦寺……ぞくぞくと信長の敵が増えていった。
 浅井長政、朝倉義景攻撃のために信長は出陣した。その途中、信長軍は一揆にあい苦戦、信長の弟彦七(信与)が殺された。
  直江兼続は上杉の使者として、岐阜城へと数名で入っている。兼続は魔王・織田信長と対面した。「信長さまは上杉の御見方なのかそうでないのか…」
「のう、兼続。わしは比叡山や石山本願寺を討とうとしている。どう思うか?」
「それは義に劣りまする! 坊主を討つはみ仏に刃を向けるのと同じに御座る!」
「義とは戦の為の口実にすぎない……坊主ではない。金と欲に眼の眩んだ武装集団でしかない。それを殺すのは当たり前だ。天下は綺麗事では取れない」
「お言葉ながら……義がなければ人は野山の獣と同じにござりまする!」
「…ほう」
「い…いえ。謙信公がそう申しておられて…そのぉ」
 信長は笑って「ならば獣でも鬼でもよい。天下を取れるならばこの身、獣鬼にくれてやるわ!」といった。そして座を去ってから秀吉に「あやつの首、上杉に送れ。織田の天下に上杉は無用じゃ」という。秀吉は兼続の命が惜しいと思った。
 そこで兼続の命を、石田佐吉(三成)が救った。刺客から逃れさせ、越後へ帰した。
「あなた様の名は?」兼続はきく。と、石田が「佐吉…羽柴秀吉家臣・石田佐吉じゃ」
「このご恩……この兼続……生涯忘れませぬ!」
 兼続はそういって礼を申した。こうして直江兼続と石田三成ががっちりと組んで、関ケ原で共に戦うことになる。上杉が西軍についたのはここが始まりといっていい。

  信長は陣営で、事態がどれだけ悪化しているか知らされるはめとなった。相当ひどいのは明らかだ。弟の死を知って、信長は激怒した。「こしゃくな!」と怒りを隠さなかった。「比叡山を……」信長は続けた。「比叡山を焼き討ちにせよ!」
「なんと?!」秀吉は驚いて目を丸くした。いや、秀吉だけではない。信長の家臣たちも顔を見合わせた。そて、口々に反対した。
「比叡山は由緒ある寺……それを焼き討つなどもっての他です!」
「坊主や仏像を焼き尽くすつもりですか?!」
「天罰が下りまするぞ!」
 家臣たちが口々に不平を口にしはじめたため、信長は柳眉を逆立てて怒鳴った。
「わしに反対しようというのか?!」
「しかし…」秀吉は平伏し「それだけはおやめください! 由緒ある寺や仏像を焼き払って坊主どもを殺すなど……魔王のすることです!」
 家臣たちも平伏し、反対した。信長は「わしに逆らうというのか?!」と怒鳴った。                     
「神仏像など、木と金属で出来たものに過ぎぬわ! 罰などあたるものか!」
 どいつもこいつも考える能力をなくしちまったのか。頭を使う……という……簡単な能力を。「とにかく焼き討ちしかないのじゃ! わかったか!」家臣たちに向かって信長は吠えた。ズキズキする痛みが頭蓋骨のうしろから目のあたりまで広がって、家臣たちはすくみあがった。”御屋形様は魔王じゃ……”家臣たちは恐ろしくなった。
 九月二十日、信長は焼き討ちを命じた。まず、日吉神社に火をつけ、さらに比叡山本堂に火をつけ、坊主どもを皆殺しにした。保存してあった仏像も経典もすべて焼けた。
 こうして、日本史上初めての寺院焼き討ち、皆殺し、が実行されたのである。
 天正4年7月、上杉謙信は義の戦いのために上洛を目指して軍を進めた。兼続は17才… 上杉謙信にとって信長は『義に劣る俗物』である。兼続も初陣を飾った。しかし、武功は上げられなかった。智略に優れる兼続だったが、武力では勝つことができなかった。
 上杉軍が魔王・信長と激突……といえば聞えがいい。が、実情は数に勝る織田勢にじりじりと追い詰められていっただけだ。上杉謙信の天命が尽きればそれで終りである。
「御屋形様! いよいよ上杉が義の戦が出来るのですね!?」
「兼続……そちははしゃぎ過ぎるのじゃ」
 寡黙で知られる上杉景勝はそういうだけだ。「とにかく……戦では義父上さまは負けたことがない。上杉は勝つだろう」
「やはり! 我々上杉が義が魔王に勝つので御座いますのですね?」
「おお! そういうことだ」
 景勝は頷いた。
 しかし、事態は急変した。
 織田側で加賀で迎え撃つのは柴田権六勝家である。上杉は多勢に無勢…おされる一方だった。が、豪雪で陣が進められない。兼続ら上田衆は活躍した。が、兼続だけはひとを斬ることが恐ろしくて及び腰になる。すると景虎側の仲間から嘲笑された。
 そこで、事件が起こる。景虎側の家臣・刈安兵庫が「この女子のようなやつめ!」と兼続を挑発した。「何をっ!」兼続はついに挑発にのり、刀を抜いた。
「ほう、やるのか?! この泣き虫の兼続!」
「も…問答無用!」
 ふたりは対峙して鍔ぜりあいをする。そこで「何をしておる!」ととめられた。
 仲間内で争っているようではお先真っ暗だ。兼続は三日後、謙信に呼ばれた。
 上司の景勝は頭を下げた。「いえ……殿っ! この兼続が悪いので…」
「そちは黙れっ! 御屋形様、どうかご無礼お許し下さい!」
 上杉謙信は、今の兼続では戦に出ても負ける、と感想を述べて兼続を越後上田庄に戻し謹慎させた。樋口(直江)兼続にとって、初めての戦はほろ苦いものになった。
 そののち、関東の北条の勇み足と上杉軍の加賀手取川合戦勝利とその混乱で静まった流れで、謙信は越後に戻る事に、なる。そう、いよいよ英雄・上杉謙信の、最期である。 


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2013年10月14日NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」総集編(前篇・後編)放送

2013年10月14日 14時13分16秒 | 日記



nhkの朝ドラ「あまちゃん」総集編を観た。前篇は岩手の北三陸のド田舎を嫌い、アイドルを夢見て上京した天野春子(小泉今日子)が暗くて内気な娘・天野アキ(能年玲奈)を連れて帰郷するところから始まる。芸能人になれなかった春子の無念を晴らすように、北三陸の「海女」として成長してくアキ。親友となった美貌の足立ユイ(橋本愛)と「潮騒のメモリーズ」を結成し地元のアイドルに。その人気に目をつけたのが「敏腕プロデューサー(秋元康モデル)」の荒巻太一(古田新太)と部下の水口(松田龍平)だった。最初「アイドル志望」だったユイが東京にいってアイドルになるのに乗る気たらたらであったが、ユイの父親(平泉成)が病気になり、アキひとりで上京する羽目に。ここまでが前篇。後編はアキがひとりで上京、AKB48ならぬアメ横女学園の2軍・GMT6としてアキは地方出身者と辛酸を舐める事に。アキの母親が芸能人になれなかったのは鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の声の影武者(鈴鹿が音痴という設定)をしていた真実がわかる。しかも、20年前の当時、鈴鹿の影武者を春子に頼んだのが荒巻だった。鈴鹿ひろ美の付き人となるアキの更なる衝撃は事務所をクビになった事である。が、諦めない春子とアキは個人事務所を設立しアキはアイドルとして売れ始める。そんな時と同じくして父親の病気と母親の蒸発で、やさぐれたユイは不良どもと遊ぶように。学校をやめて髪を染める。アキが一時期帰郷し更生するユイ。そんなとき2011年3月11日「東日本大震災」が発生する。アキはアイドルの座を捨てて地元・岩手に。復興へ向けて走り出す!おわり。か、続く?



まず私が米沢副市長になるには私緑川鷲羽が有名にならねばどうしようもない。米沢復興の為には公務員のボーナスカット・給与削減とリストラで「法人税・贈与税・相続税ゼロ」の財源(復興債で)をつくる。だが、わが米沢は製造業より観光に特化して復興させようと思う。米沢の上杉神社東に「サブカルチャー横丁」を建設し、ガンダムの等身大ロボ立像も建設し、アニメの聖堂もつくる。コンテンツは私緑川にも任せて欲しい。このままでは米沢復興等夢のまた夢、だ。改革しようよ。我ら米沢市では京都の激辛町おこしの猿真似ではないが、「甘いスウィーツ」をいろいろなおいしいスウィーツを米沢市内で食べられる、という観光戦略はどうだろう?私に任せて!米沢市にある山形大学工学部の城戸淳二教授が「有機EL」関連の研究をなさっている。だが、「有機EL照明」等どの国も欲していない。しかもLED照明より割高では「物凄い高品質」がなきゃ話にならない。TVディスプレイも大企業に勝てない。スマホやタブレットの画面が成功への道だとお勧めしとく。まずは「米沢市愛郷制度」を可決する。これは米沢市が米沢市内に工場や本社・支店・支局を移してくれた法人の法人税を0%所得税0%土地所得税50年間無料にして税補填することと、その法人が米沢市民を雇用した場合税補填をする制度である。財源は「愛郷心」で米沢市愛郷税を設ける。上杉神社の近辺に江戸時代をモチーフにした大規模な「横丁街」をつくり観光業に特化する。大不況の対策1不良金融機関の整理、一時国有化2健全銀行への公的資金の注入と金融系列の整理統合3銀行預金の全額国家補償4中小企業の借入の一定額まで政府保証5巨額の補正予算による需要創造、景気振興など。県を毘沙門天に恥じない世界にしましょう。未来の米沢市長・緑川鷲羽わしゅうより。また公的機関(市役所・交番・警察署・図書館・市立病院)の掃除(民間掃除会社に委託せず公務員自ら掃除)や節電(太陽が暮れるまで照明を付けない・冷暖房節電(重症患者以外))でやっていく。市の公務員を「リストラ」しない替りに市の公務員・市長のボーナス廃止、給料8%カット。市議会議員は原則として無給・ボランティアで。「米沢市改革戦略局」を設ける。緑川鷲羽わしゅうを「米沢市改革戦略局長」か「米沢副市長」へ就任する。その職は副市長と同じランクのポストにする。よく年度末になると「予算消化」の為に悪くもない道路を穿り返したり、第二図書館等作ったり税金を無駄にしますよね。これこそ「悪しき前例」ですよ。何故そんなことをするか?その年の「予算を使い切らない」と「次期予算」を「減らされる」から。ならその年の予算をちゃんと違法ではなく「節約」したら「次期予算」を増加し、逆に「予算を使い切ったり」「赤字」なら「次期予算を減らす」というイノベーションはどうか?これなら本当のパブリック・サーバントとしての国民への奉仕が出来るのではないか?節約予算増税法案を可決するべきです。これが国家戦略というものなのです。「TPP参加表明」です。またTPP参加で儲かるか?は儲かります。よく反対派は「関税ゼロというが円高で為替レートが安定しなければどうしようもないだろう」というがTPP参加で法的に批准されるまで2年後です。また反対派は「農業がやられる。そもそもアメリカは大失業で買えないだろう。輸出は0.2%でしかない」といいます。ですが農業の未来の為にもTPPは有効なのです。今、日本が払っている関税は年1兆円です。このままでは「日本の産業空洞化」は止まりません。TPPはそれを防ぐ戦略なんです。アメリカは「対中戦略」のため日本参加のTPPそののちFTAAPへと繋げようとしています。日本の米国輸出は10兆円。中国も「対米戦略」の為の日本参加のASEAN+3へと繋げようとしています。日本の対中輸出は13兆円です。通商はグループつくりの「椅子取りゲーム」なんです。まあ、日本はイギリスのやり方をモデルにするべきです。イギリスはEUに参加していますが通貨はユーロではなくポンドのまま、アメリカともFTAを結んでいます。また私は「TPP参加でもコメ農家も大丈夫」などと嘘は言いません。でもアメリカだって砂糖の関税を外してはいないのです。「日本のコメ農家」だって例外ではなくOKという理屈です。TPP参加にしろASEAN+3にしろネックになるのは「農業」であると思う。だが、私はTPPに参加しても日本農家は大丈夫という嘘はいわない。確かに弱い農家は大変であろう。だが、アメリカだって小麦や砂糖、オーストラリアやNZだって乳製品や小麦の関税は外していない。日本の「コメ」だって例外が認められるべきだしそうなるだろう。韓国の農業産業は危機にある中「戦略的行動」に出ている。韓国は米欧ともFTAを結び農業では「小強農」というビジネス・サバイバル化で生き残りを図っている。日本農業はじり貧高齢化だ。なら生き残りの為デモだのではなく「小強農」化で農協依存を脱せよ!米沢市に「アウトレットモール」を誘致し、米沢ラーメン米沢牛は出店せず、米沢市に集客します。
 米沢市上杉神社東横丁に外国人に人気のドン・キホーテ米沢店を誘致し、免税品拡大、WiFi完備、できるだけ各国語での無料マップも完備する。横丁のデザインは馬場正尊氏に。各国の通訳完備、観光客に無料レンタル自転車貸出、両替所・ATM・クレジットカード24時間対応。交通は米沢駅から上杉神社・横丁まで30分に一本の交通網。交通カンバンは英語・中国語・イスラム語・韓国語で。料理はイスラム教対応。宿泊施設などに礼拝室完備。オルレ(集団ハイキング+散歩)も米沢市でやる。ホームページ・SNS・ツイッター・facebookなど日本語の動画だけでなく英語・韓国語・中国語・イスラム語など対応。まずは「米沢市愛郷制度」を可決する。これは米沢市が米沢市内に工場や本社・支店・支局を移してくれた法人の法人税を0%所得税0%土地所得税50年間無料にして税補填することと、その法人が米沢市民を雇用した場合税補填をする制度である。財源は「愛郷心」で米沢市愛郷税を設ける。大不況の対策1不良金融機関の整理、一時国有化2健全銀行への公的資金の注入と金融系列の整理統合3銀行預金の全額国家補償4中小企業の借入の一定額まで政府保証5巨額の補正予算による需要創造、景気振興など。また上杉神社に隣接する街に「江戸時代木造家屋横丁」をつくり、謙信公や兼続公・景勝公・お舟ちゃんなどのコスプレ大会を年一回そこで行い、全国からその横丁で「日本コスプレ大会」を年一回開催し大賞者には100万円の賞金です。「ガンダム」の等身大モニュメントをその横丁のシンボルとして建設します。私は観光に特化します。県を毘沙門天に恥じない世界にしましょう。未来の米沢市長・緑川鷲羽わしゅうより。また公的機関(市役所・交番・警察署・図書館・市立病院)の掃除(民間掃除会社に委託せず公務員自ら掃除)や節電(太陽が暮れるまで照明を付けない・冷暖房節電(重症患者以外))でやっていく。市の公務員を「リストラ」しない替りに市の公務員・市長のボーナス廃止、給料5%カット。市議会議員は原則として無給・ボランティアで。「米沢市改革戦略局」を設ける。緑川鷲羽わしゅうが「米沢市改革戦略局長」か「米沢副市長」へ就任する。その職は副市長と同じランクのポストにする。「TPP参加表明」です。またTPP参加で儲かるか?は儲かります。よく反対派は「関税ゼロというが円高で為替レートが安定しなければどうしようもないだろう」というがTPP参加で法的に批准されるまで2年後です。また反対派は「農業がやられる。そもそもアメリカは大失業で買えないだろう。輸出は0.2%でしかない」といいます。ですが農業の未来の為にもTPPは有効なのです。今、日本が払っている関税は年1兆円です。このままでは「日本の産業空洞化」は止まりません。TPPはそれを防ぐ戦略なんです。アメリカは「対中戦略」のため日本参加のTPPそののちFTAAPへと繋げようとしています。日本の米国輸出は10兆円。中国も「対米戦略」の為の日本参加のASEAN+3へと繋げようとしています。日本の対中輸出は13兆円です。通商はグループつくりの「椅子取りゲーム」なんです。まあ、日本はイギリスのやり方をモデルにするべきです。イギリスはEUに参加していますが通貨はユーロではなくポンドのまま、アメリカともFTAを結んでいます。また私は「TPP参加でもコメ農家も大丈夫」などと嘘は言いません。でもアメリカだって砂糖の関税を外してはいないのです。「日本のコメ農家」だって例外ではなくOKという理屈です。TPP参加にしろASEAN+3にしろネックになるのは「農業」であると思う。だが、私はTPPに参加しても日本農家は大丈夫という嘘はいわない。確かに弱い農家は大変であろう。だが、アメリカだって小麦や砂糖、オーストラリアやNZだって乳製品や小麦の関税は外していない。日本の「コメ」だって例外が認められるべきだしそうなるだろう。韓国の農業産業は危機にある中「戦略的行動」に出ている。韓国は米欧ともFTAを結び農業では「小強農」というビジネス・サバイバル化で生き残りを図っている。日本農業はじり貧高齢化だ。なら生き残りの為デモだのではなく「小強農」化で農協依存を脱せよ!



「脱原発」集団ヒステリーは危険
 確かに「放射能は怖い」し「原子力発電」なんかより「風力発電」や「太陽光発電」のほうが誰だっていいに決まっている。福島県は私のいる米沢市の隣であり、福島県からの被災民も多くいる。子供達に何の罪もないのに「原発事故なんかで」本来ならば野山を駆け回り、クワガタやセミをとったり海で釣りしたり、そんな当たり前の遊びさえ出来ない原子力発電は憎い。これは私の本当の感情だ。だけれど「団塊の世代の安保闘争」になってはいけない。安保闘争は正しかったのか?同じように脱原発闘争は正しいのか?確かに正義に見える。子供や老人や国民の命を盾にとって運用しようと(大飯原発以外全部の原発停止)しているのかも知れない。だが、ここで感情論を持ち出したら「団塊の世代の安保闘争」と同じ轍を踏む。現実を無視して、甘い幻想に酔って「脱原発!」と叫び続ければ物事が好転する程現実は甘くない。今、福島原発の事故映像や乳飲み子や母親が泣いている映像を見たら誰だって「脱原発思想」になる。根拠のない論説をしているつもりはさらさらない。だが、現在の状況で「脱原発」と叫ぶなんて赤ん坊でもできる事だとわかって欲しい。甘い嘘より、辛い現実に目を向けて考えて欲しい。確かに原発は将来的には廃炉だ。だが、じゃあ現在のように原発をゴキブリのように嫌い、火力発電に90%も依存していていいのか?よく考えて欲しい。甘い嘘や感情論ではなく、何故電気料金やガス・石油などの化石燃料代が値上がりしているのか?電力不足は何故?確かに、感情論や甘い嘘にしたがえば30%分の原発分など火力でいいとなる。だが、われわれは現実に生きていかねばならない。生きるには食べ物と水と電気がいる。私が集団ヒステリーは危険というのはこういう混乱のときにこそ「危ない思想」が流布されやすいという歴史的事実である。侵略戦争を犯した戦前の「大東亜共栄圏」や「オウム真理教の殺人の教え」「朝鮮侵略の謀略」「ナチズム」「ソ連の共産主義革命」……世の中の平和を犯すテロリズムは混乱に乗じて起こる。確かに「原発はすべて悪で、原発などいらない。全部すぐに今年中に廃炉だ」といえば皆が拍手喝采だし、皆が甘い嘘に酔い現実離れした「脱原発」を掲げる政党や集団が人気になるだろう。だが、嘘は嘘だ。30年後40年後なら廃炉もあり得る。メタンハイドレートや新潟県沖の未知の油田や地熱発電開発も進んでるだろうから。だが、脱原発は現在?今?よく考えてくれ。感情論でも空想でもなく。我々は現実を見なければならない。現在原発分の30%が火力発電に特化している。火力発電には天然ガスと石油が使われている。円安で輸入に頼る石油・ガスは値上がりというか値段が高騰しているのは感じている筈だ。原発を動かさず火力に特化したままではいずれ経済は破綻するだろう。化石燃料の高騰や電気の値上げは直接経済にくるダメージは計り知れない。それでもいい、日本経済など破綻しても「脱原発」なのだ!というなら勝手にしろということ。だが、甘い嘘に酔っていいのは凡人だけ。国家を動かす官僚や政治家は甘い嘘や集団ヒステリーの危険性を察しなければならない。
 甘い嘘や集団ヒステリーの危機こそ「日本国」として対峙せねばならない正体であり、けして「脱原発」「卒原発」などのポピュリズムなどではない。私は「原子力ムラ」「利権」とは無縁の国の未来を案ずる日本国民として「集団ヒステリーは危険だ」という。甘い嘘に騙されないで!


みのもんたさん謝罪・降板記者会見

次男が窃盗容疑で逮捕され、TBSの情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(月~金曜前5・30)と「みのもんたのサタデーずばッと」(土曜前5・45)の降板を発表したタレントみのもんた(69)が2013年10月26日、都内のホテルで会見した。多くの報道陣が詰めかけた会場に姿を現したみのは、フラッシュの嵐の中で30秒近く頭を下げ続け、冒頭で「世間をお騒がせして、誠に申し訳ございません」と謝罪した。次男逮捕から1カ月半。当初は成人した子どもが起こした事件についての「親の責任」については懐疑的な発言もしていたが、みのは「心境の変化があった」と告白。また、「親として道義的責任を感じたので自分にとって一番つらい道を選んだ」と両番組を降板理由を説明した。みのは次男が9月11日に窃盗未遂容疑で逮捕されたことを受け、同13日に両番組への出演自粛を発表。25日に降板を正式に発表した。「朝ズバ」出演は9月6日、「サタずば」は同7日が最後になった。TBSによると、11月4日から両番組ともタイトルから「みのもんたの」を外す。当面は現状の体制で継続し、改編期などに大幅に刷新するとみられる。みのは、この日、文化放送「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」に生出演。次男が逮捕されたことについて「父親の責任はある」などと心境を告白。同番組と日本テレビのバラエティー「秘密のケンミンSHOW」の降板も申し入れたが、局側から慰留され、出演を継続することを明かした。次男にたいしてはただひとこと「バカヤロー」だった。

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天と地と人と直江兼続と「愛と上杉の義・直江兼続のすべて」ブログ連載小説3

2013年10月13日 06時09分05秒 | 日記
        3 堺に着眼





  大河ドラマや映画に出てくるような騎馬隊による全力疾走などというものは戦国時代には絶対になかった。疾走するのは伝令か遁走(逃走)のときだけであった。上級武士の騎馬武者だけが疾走したのでは、部下のほとんどを占める歩兵部隊は指揮者を失ってついていけなくなってしまう。
 よく大河ドラマであるような、騎馬隊が雲霞の如く突撃していくというのは実際にはなかった。だが、ドラマの映像ではそのほうがカッコイイからシーンとして登場するだけだ。     ところが、織田信長が登場してから、工兵と緇重兵(小荷駄者)が独立することになる。早々と兵農分離を押し進めた信長は、特殊部隊を創造した。毛利や武田ものちにマネることになるが、その頃にはもう織田軍はものすごい機動性を増し、東に西へと戦闘を始めることができた。そして、織田信長はさらに主計将校団の創設まで考案する。
 しかし、残念なことに信長のような天才についていける人材はほとんどいなかったという。そのため信長は部下を方面軍司令官にしたり、次に工兵総領にしたり、築城奉行にしたり……と使いまくる。羽柴(豊臣)秀吉、明智光秀、滝川一益、丹羽長秀ら有能とみられていた家臣の多忙さは憐れなほどであるという。
 上杉謙信の軍が関東の北条家の城を攻略したこともあったが、結局、兵糧が尽きて撤退している。まだ上杉謙信ほどの天才でも、工兵と緇重兵(小荷駄者)を分離していなかったのである。その点からいえば、織田信長は上杉謙信以上の天才ということになる。
 この信長の戦略を継承したのが、のちの秀吉である。
 秀吉は北条家攻略のときに工兵と緇重兵(小荷駄者)を分離し、安定して食料を前線に送り、ついには北条家をやぶって全国を平定する。
  また、この当時、日本の度量衡はバラバラであった。大仏建立の頃とくらべて、室町幕府の代になると、地方によって尺、間、升、などがバラバラであった。信長はこれはいかんと思って、度量衡や秤を統一する。この点も信長は天才だった。
 信長はさらに尺、升、秤の統一をはかっただけでなく、貨幣の統一にも動き出す。しかも質の悪い銭には一定の割引率を掛けるなどというアイデアさえ考えた。
 悪銭の流通を禁止すれば、流動性の確保と、悪銭の保有を抑えられるからだ。
 減価償却と金利の問題がなければ、複式記帳の必要はない。仕分け別記帳で十分である。そこで、信長は仕分け別記帳を採用する。これはコンピュータを導入するくらい画期的なことであった。この記帳の導入の結果、十万もの兵に兵糧をとめどなく渡すことも出来たし、安土城も出来た。その後の秀吉の時代には大阪城も出来たし、全国くまなく太閤検地もできた。信長の天才、といわねばなるまい。

  京都に上洛するために信長は堺や京都の商人衆に「矢銭」を要求しようと思った。
「矢銭」とは軍事費のことである。
「サル!」
 信長は清洲城で羽柴秀吉(藤吉郎)をよんだ。サルはすぐにやってきた。
「ははっ、御屋形様! なんでござりましょう」
「サル」信長はにやりとして「堺や京都の商人衆に「矢銭」を要求しろ」
「矢銭、でござりまするか?」
「そうじゃ!」信長は低い声でいった。「出来るか? サル」
「ははっ! わたくしめにおまかせくださりませ!」秀吉は平伏した。
 自分が将軍・義昭を率いて上洛し、天下を統一するのだから、商人たちは戦いもせず利益を得ているのだから、平和をもたらす武将に金をだすべきだ……これが信長の考えだった。極めて現実的ではある。
 サルはさっそく堺にはいった。商人衆にいった。
「織田信長さまのために矢銭を出していただきたい」秀吉は唾を飛ばしながらいった。周りの商人たちは笑った。
「織田信長に矢銭? なんでわてらが銭ださにゃあならんのや?」
「て……」秀吉はつまった。そして続けた。「天下太平のため! 天下布武のため!」
「天下太平のため? 天下布武のため? なにいうてまんねん」商人たちはにやにやした。「天下のため、堺衆のみなみなさまには信長さまに二万貫だしていただきたい!」
「二万貫? そんな阿呆な」商人たちは秀吉を馬鹿にするだけだった。
 京都も渋った。しかし、信長が威嚇のために上京を焼き討ちにすると驚愕して金をだした。しかし、堺は違った。拒絶した。しかも、信長や家臣たちを剣もほろろに扱った。 信長は「堺の商人衆め! この信長をナメおって!」とカッときた。
 だか、昔のように感情や憤りを表面にだすようなことはなかった。信長は成長したのだ。そして、堺のことを調べさせた。
 堺は他の商業都市とは違っていた。納屋衆というのが堺全体を支配していて、堺の繁栄はかれらの国際貿易によって保たれている。納屋衆は自らも貿易を行うが、入港する船のもたらす品物を一時預かって利益をあげている。堺の運営は納屋衆の中から三十六人を選んで、これを会合衆として合議制で運営されていること。堺を見た外国人は「まるでヴィニスのようだ」といっていること………。
 信長は勉強し、堺の富に魅了された。
 信長にとっていっそう魅力に映ったのは、堺を支配する大名がいないことであった。堺のほうで直接支配する大名を欲してないということだ。それほど繁栄している商業都市なら有力大名が眼をぎらぎらさせて支配しようと試みるはずだ。しかし、それを納屋衆は許さなかった。というより会合衆による「自治」が行われていた。
 それだけではなく、堺の町には堀が張りめぐらされ、町の各所には櫓があり、そこには町に雇われた浪人が目を光らせている。戦意も強い。
 しかし、堺も大名と全然付き合いがない訳でもなかった。三好三人衆とは懇篤なつきあいをしていたこともある。三好には多額な金品が渡ったという。
 もっとも信長が魅かれたのは、堺のつくる鉄砲などの新兵器であった。また、鉄砲があるからこそ堺は強気なのだ。
「堺の商人どもをなんとかせねばならぬ」信長は拳をつくった。「のう? サル」
「ははっ!」秀吉は平伏した。「堺の商人衆の鼻をあかしましょう」
 信長は足利義昭と二万五千人の兵を率いて上洛した。
 神も仏も将軍も天皇も崇めない信長ではあったが、この時ばかりは正装し、将軍を奉った。こうして、足利義昭は第十五代将軍となったのである。
 しかし、義昭など信長の”道具”にしかすぎない。
 信長はさっそく近畿一圏の関所を廃止した。これには理由があった。日本人の往来を自由にすることと、物流を円滑にすること。しかし、本当の目的は、いざというときに兵器や歩兵、兵糧などを運びやすくするためだ。そして、関所が物やひとから銭をとるのをやめさせ、新興産業を発展させようとした。
 関所はもともとその地域の産業を保護するために使われていた。近江国や伊勢国など特にそうで、一種に保護政策であり、規制であった。信長はそれを破壊しようとした。
 堺の連中は信長にとっては邪魔であった。また、信長がさらに強敵と考えていたのが、一向宗徒である。かれらの本拠地は石山本願寺だった。
 信長は石山本願寺にも矢銭を求めた。五千貫だったという。石山本願寺側ははじめしぶったが、素早く矢銭を払った。信長は、逆らえば寺を焼き討ちにしてくれようぞ、と思っていたが中止にした。



  第十五代将軍足利義昭が京都にいた頃、三好三人衆が義昭を殺そうとしたことがある。信長は「大事な”道具”が失われる」と思いすぐに出兵し、三好一派を追い落とした。三好三人衆は堺に遁走し、匿われた。信長は烈火の如く激怒した。
「堺の商人め! 自治などといいながら三好三人衆を匿っておるではないか! この信長をナメおって!」信長は憤慨した。焼き討ちにしてくれようか………
 信長はすぐに堺を脅迫しだした。
「自治都市などといいながら三好三人衆の軍を匿っておるではないか! この信長をナメるな!すぐに連中を撤退させよ。そして、前にいった矢銭を提供せよ。これに反する者たちは大軍を率いて攻撃し、焼き討ちにする」
 信長は本気だとわかり、堺の商人たちは驚愕した。
 しかし、べに屋や能登屋などの強行派は、「信長など尾張の一大名に過ぎぬ。わてらは屈せず、雇った浪人たちに奮起してもろうて堺を守りぬこう」と強気だった。
 今井宗久らは批判的で、信長は何をするかわからない「ヤクザ」みたいなものだと見抜いていた。宗久は密かに信長に接近し、高価な茶道具を献上したという。
 堺の町では信長が焼き討ちをおこなうという噂が広がり、大パニックになっていた。自分たちは戦うにしても、財産や妻子だけは守ろうと疎開させる商人も続発する。
 そうしたすったもんだがあって、ついに堺の会合衆は矢銭を信長に払うことになる。
 しかし、信長はそれだけでは満足しなかった。
「雇っている浪人をすべてクビにしろ! それから浪人は一切雇うな、いいか?! 三好三人衆の味方もするな! そう商人どもに伝えよ!」信長は阿修羅のような表情で伝令の武士に申しつけた。堺の会合衆は渋々従った。
「いままで通り、外国との貿易に精を出せ。そのかわり税を収めよ」
 信長はどこまでも強気だった。信長は人間を”道具”としてしかみなかった。堺衆は銭をとる道具だし、義昭は上洛して全国に自分の名を知らしめるための道具、秀吉や滝川一益、柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀ら家臣は、”自分の野望を実現させるための道具”、である。信長は野望のためには何でも利用した。阿修羅の如き怒りによって………
 信長は修羅の道を突き進んだ。
 しかし、信長の偉いところは堺の自治を壊さなかったことだ。
 信長が事実上支配しても、自分の管理下に置かなかった。これはなかなか出来ることではない。しかし、信長は難なくやってのけた。天才、といわなければならない。
 この頃、信長の目を輝かせることがあった。外国人宣教師との出会いである。すなわちバテレンのキリスト教の宣教師で、南蛮・ポルトガルからの外人たちである。
 本当はパードレ(神父のこと)といったそうだが、日本では伴天連といい、パードレと呼ばせようとしたが、いつのまにかバテレン、バテレン、と日本読みが広がり、ついにバテレンというようになった。
 キリスト教の布教とはいえローマンカトリックであったという。イエズス会……それが彼等宣教師たちの団体名だ。そして、信長はその宣教師のひとりであるルイス・フロイスにあっている。フロイスはポルトガル人で、船で日本にやってきた若い青い目の白人男であった。フロイスはなかなか知的な男であり、キリスト教をなによりも大切にし、愛していたという。
 天文元年(一五三二)、ルイス・フロイスはポルトガルの首都リスボンで生まれた。子供の頃から、ポルトガルの王室の秘書庁で働いたという。天文十七年(一五四八)頃にイエズス会に入会した。そしてすぐインドに向かい、ゴアに着くとすぐ布教活動を始めた。この頃、日本人のヤジロウと日本に最初にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルにあったのだという。フロイスは日本への思いを募らせた。日本にいきたい、と思った。
 その年の七月、フロイスは船で九州の横瀬浦に着いた。
 フロイス時に三十一歳、信長も三十一歳であった。同い年なのだ。
 そして、その頃、信長は桶狭間で今川義元をやぶり、解放された松平元康と同盟を結んでいた。松平元康とはのちの徳川家康である。同盟の条件は、信長の娘五徳が、家康の嫡男信康と結婚することであった。永禄六年のことだ。
 日本に着いたフロイスは、まず日本語と日本文化について徹底的に研究勉強した。横瀬浦は九州の長崎である。そこにかれは降りたった訳だ。
 一度日本にきたフランシスコ・ザビエルは一時平戸にいたという。平戸の大名は松浦隆信であったらしいが、宣教師のもたらすキリスト教には関心をほとんど示さず、もっぱら貿易における利益ばかりを気にしていた。
 ザビエルもなかなかしたたかで、部下のバテレンたちに「日本の大名で、キリスト教布教を受け入れない者にはポルトガル船も入港させるな」と命じていたという。
 フロイスの着いたのは長崎の田舎であったから、受け入れる日本人の人情も熱く、素朴であったからフロイスは感銘を受けた。
 ……これならキリスト教徒としてやっていける…
 そんなフロイスが信長に会ったのは永禄十一年のことである。ちょうど信長が足利義昭を率いて上洛したときである。そして、遭遇した。
 謁見場は京都の二条城内であった。
 フロイスをセッテングしたのは信長の部下和田・政である。彼は近江の土豪で、義昭が近江の甲賀郡に逃れてきたときに世話をした恩人であったという。忍者とかかわりあいをもつ。また和田の部下は、有名な高山重友(右近)である。
 右近はキリシタンである。洗礼を受けたのだ。
 フロイスが信長と謁見したときは通訳の男がついた。ロレンソというが日本人である。洗礼を受け、イエズス会に入会し、日本人で最初のイルマン(修道士)となっていた。







  謁見場は京都の二条城内であった。
 フロイスが信長に会ったのは、永禄十二年(一五六九)四月三日のことだった。フロイスは和田に付き添われて、二条城内にはいった。信長は直接フロイスとは会わず、遠くから眺めているだけだった。
 フロイスはこの日、沢山の土産物をもってきていた。美しい孔雀の尾、ヨーロッパの鏡、黒いビロードの帽子……。信長は目の前に並んだ土産物を興味深く見つめたが、もらったのはビロードの帽子だけだったという。他にもガチョウの卵や目覚まし時計などあったが、信長は目覚まし時計に手をふれ、首をかしげたあと返品の方へ戻した。
 立ち会ったのは和田と佐久間信盛である。しかし、その日、信長はフロイスを遠くから見ていただけで言葉を交わさなかった。
「実をいえば、俺は、幾千里もの遠い国からきた異国人をどう対応していいかわからなかったのだ」のちに信長は佐久間や和田にそういったという。
「では……また謁見を願えますか?」和田は微笑んだ。
「よかろう」信長は頷いた。
 数日後、約束通り、フロイスと信長はあった。通訳にはロレンソがついた。
 信長はフロイスの顔をみると愛想のいい笑顔になり、「近うよれ」といった。
 フロイスが近付き、平伏すると、信長は「面をあげよ」といった。
「ははっ! 信長さまにはごきげんうるわしゅう」フロイスはたどたどしい日本語で、いった。かれは南蛮服で、首からは十字架をさげていた。信長は笑った。
 そのあと、信長は矢継ぎ早に質問していった。
「お主の年はいくつだ?」
「三十一歳でごさりまする」フロイスはいった。
 信長は頷いて「さようか。わしと同じじゃ」といい続けた。「なぜ布教をする? ゼウスとはなんじゃ?」
 フロイスは微笑んで「ひとのために役立つキリスト教を日本にも広げたく思います。ゼウスとは神・ゼウス様のことにござりまする」とたどたどしくいった。
「ゼウス? 神? 釈迦如来のようなものか?」
「はい。そうです」
「では、日本人がそのゼウスを信じなければ異国に逃げ帰るのか?」
「いいえ」フロイスは首をふった。「たとえ日本人のなかでひとりしか信仰していただけないとしてもわれわれは日本にとどまりまする」
「さようか」信長は関心した。そして「で? ヨーロッパとやらまでは船で何日かかるのじゃ?」と尋ねた。是非とも答えがききたかった。
「二年」フロイスはゆっくりいった。
「………二年? それはそれは」信長は関心した。そんなにかかるのか…。二年も。さすがの信長も呆気にとられた。そんなにかかるのか、と思った。
 信長は世界観と国際性を身につけていた……というより「何でも知ってやろう」という好奇心で目をぎらぎらさせていた。そのため、利用できる者はなんでも利用した。
 だが、信長には敵も多く、争いもたえなかった。
 他人を罵倒し、殺し、暴力や武力によって服従させ、けして相手の自尊心も感情も誇りも尊重せず、自分のことばかり考える信長には当然大勢の敵が存在した。
 その戦いの相手は、いうまでもなく足利義昭であり、石山本願寺の総帥光佐の一向宗徒であり、武田信玄、上杉謙信、毛利、などであった。
 此頃、お市と江、初、茶々は織田信長の安土城に移されていた。「叔父上は悪魔にございまする!」茶々と初は実父の仇・信長に悪意をもっていた。何も知らないお江は「叔父上に失礼ですよ、姉様、姉上!」という。しかし信長は笑って「悪魔とは面白い。間抜けな神よりいい」などというばかりだ。「お市、いい姫たちを生んだのう」信長はいった。


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天と地と人と直江兼続と「愛と上杉の義・直江兼続のすべて」ブログ連載小説2

2013年10月11日 06時02分01秒 | 日記
         2 桶狭間合戦




  樋口与六兼続は「信長は義に劣る者ときいている」という。
「では、今川公に負けまするか?」とは弟。
「わからぬ。だが、今川は何万の兵……織田はたった三千だ」
「では勝つのは今川公で?」
「知らぬ。だが、信長はうつけのようにみえるが軍事の天才だという。もしも…というときもあろう」
 兼続はいった。弟・与七実頼は「しかるにそのあるいはとは?」ときく。
「奇襲だ。わしが織田信長ならそうする。要は義元公の首をとればいいのだ」
 兼続はどこまでも明晰だった。「それにしても謙信公の戦は野遊びだ」
「野遊び?」
「信長がどんどん力をつけていくのに……いっこうに天下を狙わぬ」兼続は織田方に驚異の念を抱いていた。このままでは関東守護の座さえ危うい……。
「これ、御屋形様の悪口はけしからぬぞ!」
 父は叱った。名を樋口兼豊(惚右衛門)という。母は泉重蔵(お藤)で、まだ若い兄弟をきちんと躾ていた。
 戦国時代の二大奇跡がある。ひとつは中国地方を平定ようと立ち上がった毛利元就と陶晴賢との巌島の合戦、もうひとつが織田信長と今川義元との間でおこった桶狭間の合戦である。どちらも奇襲作戦により敵大将の首をとった奇跡の合戦だ。
 しかし、その桶狭間合戦の前のエピソードから語ろう。
  斎藤道三との会談から帰った織田信長は、一族処分の戦をおこした。織田方に味方していた鳴海城主山口左馬助は信秀が死ぬと、今川に寝返っていた。反信長の姿勢をとった。そのため、信長はわずか八百の手勢だけを率いて攻撃したという。また、尾張の守護の一族も追放した。信長が弟・信行を謀殺したのは前述した。しかし、それは弘治三年(一五五七)十一月二日のことであったという。
 信長は邪魔者や愚か者には容赦なかった。幼い頃、血や炎をみてびくついていた信長はすでにない。平手政秀の死とともに、斎藤道三との会談により、かれは変貌したのだ。鬼、鬼神のような阿修羅の如く強い男に。
 平手政秀の霊に報いるように、信長は今川との戦いに邁進した。まず、信長は尾張の外れに城を築いた今川配下の松平家次を攻撃した。しかし、家次は以外と強くて信長軍は大敗した。そこで信長は「わしは今川を甘くみていた」と思った。
「おのれ!」信長の全身の血管を怒りの波が走りぬけた。「今川義元めが! この信長をなめるなよ!」怒りで、全身が小刻みに震えた。それは激怒というよりは憤りであった。 くそったれ、くそったれ……鬱屈した思いをこめて、信長は壁をどんどんと叩いた。そして、急に動きをとめ、はっとした。
「京……じゃ。上洛するぞ」かれは突然、家臣たちにいった。
「は?」
「この信長、京に上洛し、天皇や将軍にあうぞ!」信長はきっぱりいった。
 こうして、永禄二年(一五五九)二月二日、二十六歳になった信長は上洛した。そして、将軍義輝に謁見した。当時、織田信友の反乱によって、将軍家の尾張守護は殺されていて、もはや守護はいなかった。そこで、自分が尾張の守護である、と将軍に認めさせるために上洛したのである。
 信長は将軍など偉いともなんとも思っていなかった。いや、むしろ軽蔑していた。室町幕府の栄華はいまや昔………今や名だけの実力も兵力もない足利将軍など”糞くらえ”と思っていた。が、もちろんそんなことを言葉にするほど信長は馬鹿ではない。
 将軍義輝に謁見したとき、信長は頭を深々とさげ、平伏し、耳障りのよい言葉を発した。そして、その無能将軍に大いなる金品を献じた。将軍義輝は信長を気にいったという。
 この頃、信長には新しい敵が生まれていた。
 美濃(岐阜)の斎藤義竜である。道三を殺した斎藤義竜は尾張支配を目指し、侵攻を続けていた。しかし、そうした緊張状態にあるなかでもっと強大な敵があった。いうまでもなく駿河(静岡)守護今川義元である。
 今川義元は足利将軍支家であり、将軍の後釜になりうる。かれはそれを狙っていた。都には松永弾正久秀や三好などがのさばっており、義元は不快に思っていた。
「まろが上洛し、都にいる不貞なやからは排除いたする」義元はいった。
 こうして、永禄三年(一五六九)五月二十日、今川義元は本拠地駿河を発した。かれは               
足が短くて寸胴であるために馬に乗れず、輿にのっての出発であったという。
 尾張(愛知県)はほとんど起伏のない平地だ。東から三河を経て、尾張に向かうとき、地形上の障壁は鳴海周辺の丘稜だけであるという。信長の勝つ確率は極めて低い。
  今川義元率いる軍は三万あまり、織田三千の十倍の兵力だった。駿河(静岡県)から京までの道程は、遠江(静岡県西部)、三河(愛知県東部)、尾張(愛知県)、美濃(岐阜)、近江(滋賀県)を通りぬけていくという。このうち遠江(静岡県西部)はもともと義元の守護のもとにあり、三河(愛知県東部)は松平竹千代を人質にしているのでフリーパスである。
  特に、三河の当主・松平竹千代は今川のもとで十年暮らしているから親子のようなものである。松平竹千代は三河の当主となり、松平元康と称した。父は広忠というが、その名は継がなかった。祖父・清康から名をとったものだ。
 今川義元は”なぜ父ではなく祖父の名を継いだのか”と不思議に思ったが、あえて聞き糺しはしなかったという。
 尾張で、信長から今川に寝返った山口左馬助という武将が奮闘し、二つの城を今川勢力に陥落させていた。しかし、そこで信長軍にかこまれた。窮地においやられた山口を救わなければならない。ということで、松平元康に救援にいかせようということになったという。最前線に送られた元康(家康)は岡崎城をかえしたもらうという約束を信じて、若いながらも奮闘した。最前線にいく前に、「人質とはいえ、あまりに不憫である。死ににいくようなものだ」今川家臣たちからはそんな同情がよせられた。しかし当の松平元康(のちの徳川家康)はなぜか積極的に、喜び勇んで出陣した。「名誉なお仕事、必ずや達成してごらんにいれます」そんな殊勝な言葉をいったという。今川はその言葉に感激し、元康を励ました。
 松平元康には考えがあった。今、三河は今川義元の巧みな分裂政策でバラバラになっている。そこで、当主の自分と家臣たちが危険な戦に出れば、「死中に活」を見出だし、家中のものたちもひとつにまとまるはずである。
 このとき、織田信長二十七歳、松平元康(のちの徳川家康)は十九歳であった。
 尾張の砦のうち、今川方に寝返るものが続出した。なんといっても今川は三万、織田はわずか三千である。誰もが「勝ち目なし」と考えた。そのため、町や村々のものたちには逃げ出すものも続出したという。しかし、当の信長だけは、「この勝負、われらに勝気あり」というばかりだ。なにを夢ごとを。家臣たちは訝しがった。





  松平元康(のちの徳川家康)は一計をこうじた。
 元康は大高城の兵糧入りを命じられていたが、そのまま向かったのでは織田方の攻撃が激しい。そこで、関係ない砦に攻撃を仕掛け、それに織田方の目が向けられているうちに大高城に入ることにした。そのため、元康は織田の鷲津砦と丸根砦を標的にした。
 今川の大軍三万は順調に尾張まで近付いていた。今川義元は軍議をひらいた。
「これから桶狭間を通り、大高城へまわり鳴海にむかう。じゃから、それに先だって、鷲津砦と丸根砦を落とせ」義元は部下たちに命じた。
 松平元康は鷲津砦と丸根砦を襲って放火した。織田方は驚き、動揺した。信長の元にも、知らせが届いた。「今川本陣はこれから桶狭間を通り、大高城へまわり鳴海にむかうもよう。いよいよ清洲に近付いてきております」
 しかし、それをきいても信長は「そうか」というだけだった。
 柴田勝家は「そうか……とは? …御屋形! 何か策は?」と口をはさんだ。
 この時、信長は部下たちを集めて酒宴を開いていた。宮福太夫という猿楽師に、羅生門を舞わせていたという。散々楽しんだ後に、その知らせがきたのだった。
「策じゃと? 権六(柴田勝家のこと)! わしに指図する気か?!」
 信長は怒鳴り散らした。それを、家臣たちは八つ当たりだととらえた。
 しかし、彼の怒りも一瞬で、そのあと信長は眠そうに欠伸をして、「もうわしは眠い。もうよいから、皆はそれぞれ家に戻れ」といった。
「軍議をひらかなくてもよろしいのですか? 御屋形様!」前田利家は口をはさんだ。
「又左衛門(前田利家のこと)! 貴様までわしに指図する気か?!」
「いいえ」利家は平伏して続けた。「しかし、敵は間近でござる! 軍議を!」
「軍議?」信長はききかえし、すぐに「必要ない」といった。そして、そのままどこかへいってしまった。
「なんて御屋形だ」部下たちはこもごもいった。「さすがの信長さまも十倍の敵の前には打つ手なしか」
「まったくあきれる。あれでも大将か?」
 家臣たちは絶望し、落ち込みが激しくて皆無言になった。「これで織田家もおしまいだ」
  信長が馬小屋にいくと、ひとりの小汚ない服、いや服とも呼べないようなボロ切れを着た小柄な男に目をやった。まるで猿のような顔である。彼は、信長の愛馬に草をやっているところであった。信長は「他の馬廻たちはどうしたのじゃ?」と、猿にきいた。
「はっ!」猿は平伏していった。「みな、今川の大軍がやってくる……と申しまして、逃げました。街の町人や百姓たちも逃げまどっておりまする」
「なにっ?!」信長の眉がはねあがった。で、続けた。「お前はなぜ逃げん?」
「はっ! わたくしめは御屋形様の勝利を信じておりますゆえ」
 猿の言葉に、信長は救われた思いだった。しかし、そこで感謝するほど信長は甘い男ではない。すぐに「猿、きさまの名は? なんという?」と尋ねた。
「日吉にございます」平伏したまま、汚い顔や服の男がいった。この男こそ、のちの豊臣秀吉である。秀吉は続けた。「猿で結構でござりまする!」
「猿、わが軍は三千あまり、今川は三万だ。どうしてわしが勝てると思うた?」
 日吉は迷ってから「奇襲にでればと」
「奇襲?」信長は茫然とした。
「なんでも今川義元は寸胴で足が短いゆえ、馬でなくて輿にのっているとか…。輿ではそう移動できません。今は桶狭間あたりかと」
「さしでがましいわ!」信長は怒りを爆発させ、猿を蹴り倒した。
「ははっ! ごもっとも!」それでも猿は平伏した。信長は馬小屋をあとにした。それでも猿は平伏していた。なんともあっぱれな男である。
 信長は寝所で布団にはいっていた。しかし、眠りこけている訳ではなかった。いつもの彼に似合わず、迷いあぐねていた。わが方は三千、今川は三万……奇襲? くそう、あたってくだけろだ! やらずに後悔するより、やって後悔したほうがよい。
「御屋形様」急に庭のほうで小声がした。信長はふとんから起きだし、襖をあけた。そこにはさっきの猿が平伏していた。
「なんじゃ、猿」
「ははっ!」猿はますます平伏して「今川義元が大高城へ向かうもよう、今、桶狭間で陣をといておりまする。本隊は別かと」
「なに?! 猿、義元の身回りの兵は?」
「八百あまり」
「よし」信長は小姓たちに「出陣する。武具をもて!」と命じた。
「いま何刻じや?」
「うしみつ(午前2時)でごさりまする」猿はいった。
「よし! 時は今じや!」信長はにやりとした。「猿、頼みがある」
 かれは武装すると、側近に出陣を命じた。そして有名な「敦盛」を舞い始める。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり、一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」舞い終わると、信長は早足で寝室をでて、急いだ。側近も続く。
「続け!」と馬に飛び乗って叫んで駆け出した。脇にいた直臣が後をおった。わずかに長谷川橋介、岩室長門守、山口飛騨守、佐脇藤八郎、加藤弥三郎の五人だけだったという。これに加え、城内にいた雑兵五百人あまりが「続け! 続け!」の声に叱咤され後から走り出した。「御屋形様! 猿もお供しまする!」おそまつな鎧をまとった日吉(秀吉)も走りだした。走った。走った。駆けた。駆けた。
 その一団は二十キロの道を走り抜いて、熱田大明神の境内に辿りついた。信長は「武運を大明神に祈る」と祈った。手をあわせる。
「今川は三万、わが織田は全部でも三千、まるで蟻が虎にたちむかい、鉄でできた牛に蚊が突撃するようなもの。しかし、この信長、大明神に祈る! われらに勝利を!」
 普段は神も仏も信じず、葬式でも父親の位牌に香を投げつけた信長が神に祈る。家臣たちには訝しがった。……さすがの信長さまも神頼みか。眉をひそめた。
 社殿の前は静かであった。すると信長が「聞け」といった。
 一同は静まり、聞き耳をたてた。すると、社の中から何やらかすかな音がした。何かが擦れあう音だ。信長は「きけ! 鎧の草擦れの音じゃ!」と叫んだ。
 かれは続けた。「聞け、神が鎧を召してわが織田軍を励ましておられるぞ!」
 正体は日吉(秀吉)だった。近道をして、社内に潜んでいたかれが、音をたてていたのだ。信長に密かに命令されて。神が鎧…? 本当かな、と一同が思って聞き耳をたてていた。
「日吉……鳩を放つぞ」社殿の中で、ひそひそと秀吉に近付いてきた前田利家が籠をあけた。社殿から数羽の鳩が飛び出した。バタバタと羽を動かし、東の方へ飛んでいった。
 信長は叫んだ。
「あれぞ、熱田大明神の化身ぞ! 神がわれら織田軍の味方をしてくださる!」
 一同は感銘を受けた。神が……たとえ嘘でも、こう演出されれば一同は信じる。
「太子ケ根を登り、迂回して桶狭間に向かうぞ! 鳴りものはみなうちすてよ! 足音をたてずにすすめ!」
 おおっ、と声があがる。社内の日吉と利家は顔を見合わせ、にやりとした。
「さすがは御屋形様よ」日吉はひそひそいって笑った。利家も「軍議もひらかずにうつけ殿め、と思うたが、さすがは御屋形である」と感心した。
 織田軍は密かに進軍を開始した。





                
  太子ケ根を登り、丘の上で信長軍は待機した。
 ちょうど嵐が一帯を襲い、風がごうごう吹き荒れ、雨が激しく降っていた。情報をもたらしたのは実は猿ではなく、梁田政綱であった。嵐の中で部下は「この嵐に乗じて突撃しましょう」と信長に進言した。
 しかし、信長はその策をとらなかった。
「それはならん。嵐の中で攻撃すれば、味方同士が討ちあうことになる」
 なるほど、部下たちは感心した。嵐が去った去った一瞬、信長は立ち上がった。そして、信長は叫んだ。「突撃!」
 嵐が去ってほっとした人間の心理を逆用したのだという。山の上から喚声をあげて下ってくる軍に今川本陣は驚いた。
「なんじゃ? 雑兵の喧嘩か?」陣幕の中で、義元は驚いた。「まさ……か!」そして、ハッとなった。
「御屋形様! 織田勢の奇襲でこざる!」
 今川義元は白塗りの顔をゆがませ、「ひいい~っ!」とたじろぎ、悲鳴をあげた。なんということだ! まろの周りには八百しかおらん! 下郎めが!
 義元はあえぎあえぎだが「討ち負かせ!」とやっと声をだした。とにかく全身に力がはいらない。腰が抜け、よれよれと輿の中にはいった。手足が恐怖で震えた。
 まろが……まろが……討たれる? まろが? ひいい~っ!
「御屋形様をお守りいたせ!」
 今川の兵たちは輿のまわりを囲み、織田勢と対峙した。しかし、多勢に無勢、今川たちは次々とやられていく。義元はぶるぶるふるえ、右往左往する輿の中で悲鳴をあげていた。 義元に肉薄したのは毛利新助と服部小平太というふたりの織田方の武士だ。
「下郎! まろをなめるな!」義元はくずれおちた輿から転げ落ち、太刀を抜いて、ぶんぶん振り回した。服部の膝にあたり、服部は膝を地に着いた。しかし、毛利新助は義元に組みかかり、組み敷いた。それでも義元は激しく抵抗し、「まろに…触る…な! 下郎!」と暴れ、新助の人差し指に噛みつき、それを食いちぎった。毛利新助は痛みに耐えながら「義元公、覚悟!」といい今川義元の首をとった。
 義元はこの時四十二歳である。                   
「義元公の御印いただいたぞ!」毛利新助と服部小平太は叫んだ。
 その声で、織田今川両軍が静まりかえり、やがて織田方から勝ち名乗りがあがった。今川軍の将兵は顔を見合わせ、織田勢は喚声をあげた。今川勢は敗走しだす。
「勝った! われらの勝利じゃ!」
 信長はいった。奇襲作戦が効を奏した。織田信長の勝ちである。
  かれはその日のうちに、論功行賞を行った。大切な情報をもたらした梁田政綱が一位で、義元の首をとった毛利新助と服部小平太は二位だった。それにたいして権六(勝家)が「なぜ毛利らがあとなのですか」といい、部下も首をかしげる。
「わからぬか? 権六、今度の合戦でもっとも大切なのは情報であった。梁田政綱が今川義元の居場所をさぐった。それにより義元の首をとれた。これは梁田の情報のおかげである。わかったか?!」
「ははっ!」権六(勝家)は平伏した。部下たちも平伏する。
「勝った! 勝ったぞ!」信長は口元に笑みを浮かべ、いった。
 おおおっ、と家臣たちからも声があがる。日吉も泥だらけになりながら叫んだ。
 こうして、信長は奇跡を起こしたのである。
  今川義元の首をもって清洲城に帰るとき、信長は今川方の城や砦を攻撃した。今川の大将の首がとられたと知った留守兵たちはもうとっくに逃げ出していたという。一路駿河への道を辿った。しかし、鳴海砦に入っていた岡部元信だけはただひとり違った。砦を囲まれても怯まない。信長は感心して、「砦をせめるのをやめよ」と部下に命令して、「砦を出よ! 命をたすけてやる。おまえの武勇には感じ入った、と使者を送った。
 岡部は敵の大将に褒められてこれまでかと思い、砦を開けた。
 そのとき岡部は「今川義元公の首はしかたないとしても遺体をそのまま野に放置しておくのは臣として忍びがたく思います。せめて遺体だけでも駿河まで運んで丁重に埋葬させてはくださりませんでしょうか?」といった。
 これに対して信長は「今川にもたいしたやつがいる。よかろう。許可しよう」と感激したという。岡部は礼をいって義元の遺体を受け賜ると、駿河に向けて兵をひいた。その途中、行く手をはばむ刈谷城主水野信近を殺した。この報告を受けて信長は、「岡部というやつはどこまでも勇猛なやつだ。今川に置いておくのは惜しい」と感動したという。
 駿河についた岡部は義元の子氏真に大変感謝されたという。しかし、義元の子氏真は元来軟弱な男で、父の敵を討つ……などと考えもしなかった。かれの軟弱ぶりは続く。京都に上洛するどころか、二度と西に軍をすすめようともしなかったのだ。
 清洲城下に着くと、信長は義元の首を城の南面にある須賀口に晒した。町中が驚いたという。なんせ、朝方にけっそうをかえて馬で駆け逃げたのかと思ったら、十倍の兵力もの敵大将の首をとって凱旋したのだ。「あのうつけ殿が…」凱旋パレードでは皆が信長たちを拍手と笑顔で迎えた。その中には利家や勝家、そして泥まみれの猿(秀吉)もいる。
  清洲城に戻り、酒宴を繰り広げていると、権六(勝家)が、「いよいよ、今度は美濃ですな、御屋形様」と顔をむけた。
 信長は「いや」と首をゆっくり振った。そして続けた。「そうなるかは松平元康の動向にかかっておる」
 家臣たちは意味がわからず顔を見合わせたという。                


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天と地と人と直江兼続と「愛と上杉の義・直江兼続のすべて」ブログ連載小説1(1)

2013年10月09日 07時55分37秒 | 日記







         どくろ杯


  信長は珍しく神棚に祈っていた。もう深夜だった。ろうそくの明りで室内は鬼灯色になっていた。秀吉はにこりと笑って、「神に祈っておられるのでか? 御屋形様」といった。そして、はっとした。除くと、神棚には仏像も何もない。ただ鏡があって、そこに信長の顔が写しだされていたからだ。信長は”自分”に祈っていたのだ。
 秀吉はそら恐ろしい気分だったに違いない。
  信長は大軍をすすめ、越前(福井県)に突入した。北近江の浅井長政はそのままだ。一乗谷城の朝倉義景にしてもびっくりとしてしまった。
 義景にしてみれば、信長はまず北近江の浅井長政の小谷山城を攻め、次に一乗谷城に攻め入るはずだと思っていた。しかし、信長はそうではなかった。一揆衆と戦った経験から、信長軍はこの辺の地理にもくわしくなっていた。八月十四日、信長は猛スピードで進撃してきた。朝倉義景軍は三千人も殺された。信長は敦賀に到着している。
 織田軍は一乗谷城を包囲した。義景は「自刀する」といったが部下にとめられた。義景は一乗谷城を脱出し、亥山(大野市)に近い東雲寺に着いた。
「一乗谷城すべてを焼き払え!」信長は命じた。
 城に火が放たれ、一乗谷城は三日三晩炎上し続けた。それから、義景はさらに逃亡を続けた。が、懸賞金がかけられると親戚の朝倉景鏡に百あまりの軍勢でかこまれてしまう。 朝倉義景のもとにいるのはわずかな部下と女人だけ………
 朝倉義景は自害した。享年四十一歳だったという。
  そして、北近江の浅井長政の小谷山城も織田軍によって包囲された。
 長政は落城が時間の問題だと悟った。朝倉義景の死も知っていたので、援軍はない。八月二十八日、浅井長政は部下に、妻・お市(信長の妹)と三人の娘(茶々(のちの秀吉の側室・淀君)、お初、お江(のちの家康の次男・秀忠の妻)を逃がすように命じた。
 お市と娘たちを確保する役回りは秀吉だった。
「さぁ、はやく逃げるのだ」浅井長政は心痛な面持ちでいった。
 お市は「どうかご一緒させてください」と涙ながらに懇願した。
 しかし、長政は頑固に首を横にふった。
「お主は信長の妹、まさか妹やその娘を殺すことはしまい。嫡男は殺されるだろうが」
「しかし…」
「いけ!」浅井長政は低い声でいった。「はやく、いくのだ! さぁ!」
お市は浅井長政に嫁いだ日を思い出した。兄・信長に命じられるまま嫁いだ。浅井長政はお市を見て「そなたは武将のような女子じゃ。しかしその瞳に可憐な女が見える」といったのだ。「女?」お市は長政に惹かれるようになる。すぐに茶々(のちの秀吉の側室・淀君)と初(京極高次の側室)という娘に恵まれた。そして信長に反逆して大勢の織田勢に包囲されながら、小谷城でお市は身ごもった。しかし、お市はお腹の赤子をおろそうとした。薬師に薬をもらった。「これを飲めばお腹のやや(赤子)は流れるのじゃな?」「はっ」そんなとき、幼い茶々が短刀を抜いて初を人質に乱入した。驚いた、というしかない。茶々は「ややを産んでくだされ、母上! ややを殺すならこの茶々も初もこの刀で死にまする!」という。この思いに母・お市は負けた。短刀を取り上げて、「わかった。産もうぞ」といった。娘が生まれた。
 長政は「この姫は近江の湖に生まれし子、名は江じゃ」という。しかし、浅井三姉妹とお市と浅井長政との永遠の別れとなった。お市と茶々、初や側奥女中らは号泣しながら小谷城落城・炎上を見送った。
 秀吉はにこにこしながら、お市と娘たちを受け取った。
 浅井長政は、信長の温情で命を助けられそうになった。秀吉が手をまわし、すでに自害している長政の父・久政が生きているから出てこい、とやったのだ。
 浅井長政は、それならばと城を出た。しかし、誰かが、「久政様はすでに自害している」と声をあげた。そこで浅井長政は、
「よくも織田信長め! またわしを騙しおったか!」と激怒し、すぐに家老の屋敷にはいり、止める間もなく切腹してしまった。
 信長は激しく怒り、「おのれ! 長政め、命だけは助けてやろうと思うたのに……馬鹿なやつめ!」とかれを罵った。
 長男の万福丸は秀吉の家臣によって殺害され、次男の万寿丸は出家処分に…お市は泣きながら、三姉妹とともに織田信長の清洲城に引き取られていった。
 兄・信長と信包の元で、9年間もお市の方は贅沢に幸せに暮らさせてもらった。しかし、気になるのは柴田勝家である。
 勝家はお市の初恋の相手であった。またお市は秀吉をいみ嫌っていた。…サルめ! ハッキリそういって嫌った。

  天正二年(一五七四)の元日、岐阜城内は新年の祝賀でにぎわっていた。
 信長は家臣たちににやりとした顔をみせると、「あれを持ってこい」と部下に命じた。ほどなく、布につつまれたものが盆にのせて運ばれてきた。    
「酒の肴を見せる」
 信長はにやりとして、顎で命じた。布がとられると、一同は驚愕した。盆には三つの髑髏があったからだ。人間の頭蓋骨だ。どくろにはそれぞれ漆がぬられ、金箔がちりばめられていた。信長は狂喜の笑い声をあげた。
「これが朝倉義景、これが浅井久政、浅井長政だ」
 一同は押し黙った。………信長さまはそこまでするのか……
 お市などは失神しそうだった。利家たちも愕然とした。
「この髑髏で酒を飲め」信長は命じた。部下が頭蓋骨の頂点に手をかけると、皿のようになった頭蓋骨の頭部をとりだし、酒をついだ。
「呑め!」信長はにやにやしていた。家臣たちは、信長さまは狂っている、と感じた。酒はもちろんまずかった。とにかく、こうして信長の狂気は、始まった。

  勝家は家臣団五千とともに上杉景勝と戦っていた。そんな中、ふたたび家臣となった者が山城に孤立した。囲まれ、上杉軍にやられるところだった。勝家の部下たちはその者は見殺しにして、このまますすめば上杉景勝の首をとれると進言した。しかし、勝家は首を横にふった。「あやつを見殺しに出来るか!」こうして、その者たちは助けられた。         
 上杉景勝(上杉謙信の甥・謙信の養子・上杉家第二代)は難を逃れた。




  天正四年(一五七六)……
 信長の庇護のもと伊勢(三重県)上野城でお江、茶々、初、お市は暮らしていた。。
「母上ーっ!」背の高い少女が浜辺で貝を拾いながら、浜辺のお市や叔父・織田信包(のぶかね)らに手をいった。可愛い少女である。
「あ!……姉様! ずるい!」
 浅井三姉妹の次女で姉の初が、江の籠の貝を盗みとり自分の籠に入れた。
 お市とともに浜茶屋に座っている背の高い少女こそ、長女・茶々、のちの豊臣秀吉の正室・淀になる茶々(当時十二歳)である。 初と江のふたりは浜茶屋に駆けてきて、
「母上、ひどいのです! 姉様が私の貝を盗むのです」
「失礼な、たまたま貝が私の籠にはいっただけじゃ」
 無邪気なふたりにお市も信包も茶々も笑った。 
 元亀四年(1573年)にお江は生まれ、寛永三年(1626年)に病死するまでの人生である。…墓は徳川家の菩提寺に秀忠とともにある。…
 徳川秀忠はハンサムな顔立ちで、すらりとした痩身な男で、智略のひとであったが、今はまだ只の若者に過ぎない。若き頃より、秀吉の人質になり、軍略を磨くことになるのだが、まだまだ家康・秀吉の方が上であった。
 幼い頃、江は織田信長の馬上での勇々しい姿をみたことがある。安土でのことだった。
 お江はその時の信長の姿を目に焼き付けていた。信長ならば…もしや…私も!「御屋形様は…戦神じゃ! ひとから義をとってしまえば野山の獣と同じだ!」
 織田……の旗印が風にたなびく……英雄・織田信長はお江には眩しく映った。
 まだお江は織田信長が父親の命をうばったなど知らなかった。
 そして、お江に「上杉謙信」「武田信玄」のことをきいた。
「どちらが勝つと思う? 江!」
「謙信に決まってます」
「しかし…」信長は続けた。「武田には山本勘介なる軍師が…」
「そんなやつ、謙信……上杉謙信の足元にもおよばぬはずです!」
 お江は笑った。川中島は現在の新潟県と長野県の間に流れる千曲川のところである。ここで上杉軍と武田軍のこぜりあいが長く続けられていた。上杉謙信とは不思議なひとで、領土を広げようという野心のない人物で、各国の武将の中でも人望があつかった。楽しむが如く戦をし、武田攻めも義によって行っているだけだという。武田の領地である信濃や甲斐を狙っていた訳ではないのだ。すべては村上義清の要請……それだけだった。
   そして、上杉謙信と武田信玄との激戦、川中島の戦いで、ある。

  信州(長野県)・川中島(信州と越後の国境付近)で、武田信玄と上杉謙信(長尾景虎)は激突した。世にいう「川中島合戦」である。戦国時代の主流は山城攻めだったが、この合戦は両軍四万人の戦いだといわれる。
  甲府市要害山で大永元(一五二一)年、武田信玄(晴信)は生まれた。この頃の十六世紀は戦国時代である。文永十(一五四一)年、武田信玄(晴信)は家督を継いだ。信濃には一国を束める軍がない。武田信玄は孫子の「風林火山」を旗印に信濃の四十キロ前までで軍をとめた。それから三~四ケ月動かなかった。
「武田などただの臆病ものよ!」
 信濃の豪族はたかをくくっていた。
 しかし、武田晴信はそんなに甘くはない。
 まず甲斐(山梨県)で軍備を整えた。
 出家もし、剃髪し、晴信から信玄と名をかえた。
 そして、信濃(長野県)の制圧の戦略をもくもくと練っていた。
「御屋形様! 武田の騎馬軍団の勇姿みせましょうぞ!」
 家臣たちは余裕だった。
 信玄も、
「信濃はわしのものとなる。甲斐の兵、武田軍は無敵ぞ」
 と余裕のままだった。
 謙信も「武田の兵を叩きつぶしてくれるわ!」息巻いた。
「いけ! 押し流せ!」
 陣羽織りの信玄の激が飛ぶ。
「うおおおっ!」
 武田の赤い鎧の集団が長槍をもって突撃する。
 信濃の豪族は油断した。そのすきに信玄は騎馬軍団をすすめ、信濃を平定した。領土を拡大していった。彼は、領土の経済へも目を向ける。「甲州法度之次第(信玄家法)」を制定。治水事業も行った。信玄は国を富ませて天下取りを狙ったのである。
 第一次川中島の合戦は天文二十二(一五五三)年におこった。まだ誰の支配地でもない三角洲、川中島に信玄は兵をすすめる。と、強敵が現れる。上杉謙信(長尾景虎)である。謙信はこのときまだ二十二歳。若くして越後(新潟県)を治めた天才だった。謙信は幼い頃から戦いの先頭にたち、一度も負けたことがなかったことから、毘沙門天の化身とも恐れられてもいた。また、謙信は義理堅く、信濃の豪族が助けをもとめてきたので出陣したのであった。上杉軍が逃げる武田軍の山城を陥していき、やがて信玄は逃げた。信玄の川中島侵攻は阻まれた。(二万人の負傷者)
 天文二十三(一五五四)年、武田は西の今川、南の北条と三国同盟を成立させる。それぞれが背後の敵を威嚇する体制ができあがった。
「これで……不倶戴天の敵・上杉謙信を倒せる!」
 信玄は笑った。
 ある日、両軍主領があう機会があった。
 永禄元年五月上杉・武田の和議が起こり、千曲川を隔てて両将が会見したとき、謙信は馬から降り、川岸で会見しようとした。
 すると信玄は礼を重んじることもなく、
「貴公の態度はいかにもうやうやしい。馬上から語ってもよかろうぞ」と放言した。
 信玄には謙信のような「義」「礼」がなかったのである。
 謙信はやはり武田と戦うことを誓った。
 上杉謙信は武諦式をおこない、戦の準備をはじめた。
「……今度の戦で信玄を倒す!」
 謙信は兵に激を飛ばした。
「おう!」
 上杉軍は決起盛んである。
  第二次川中島の合戦は天文二十四(一五五五)年四月に勃発した。
 信玄は上杉が犀川に陣をはったときの背後にある旭山城の山城に目をつける。上杉は犀川に陣をはり、両軍の睨み合いが数か月続く。
 膠着状態のなか、上杉武田両軍のなかにケンカが発生する。
「やめぬか! 義を守れ!」
 謙信は冷静にいって、書状を書かせた。
 謙信は部下に誓約書をかかせ鎮圧したのだ。
 どこまでも「義」のひとなのである。
 信玄は違った。
「おぬしら、働きをしたものには褒美をやるぞ!」
 と、信玄は人間の利益にうったえた。
「欲」「現実」のひとなのである。
 信玄は戦でいい働きをしたら褒美をやるといい沈静化させる。謙信は理想、信玄は現実味をとった訳だ。
 やがて武田が動く。
 上杉に「奪った土地を返すから停戦を」という手紙を送る。謙信はそれならばと兵を引き越後に帰った。
「……信玄を信じよう」
 義の謙信は疑いのない男だ。
 しかし、信玄は卑怯な現実主義者だった。
 第三次川中島の合戦は弘治三(一五五七)年四月に勃発した。
 武田信玄が雪で動けない上杉の弱みにつけこんで約束を反古にして、川中島の領地を奪ったことがきっかけとなった。”信玄の侵略によって信濃の豪族たちは滅亡に追いやられ、神社仏閣は破壊された。そして、民衆の悲しみは絶えない。隣国の主としてこれを黙認することなどできない”
 上杉謙信は激怒して出陣した。上杉軍は川中島を越え、奥まで侵攻。しかし、武田軍は戦わず、逃げては上杉を見守るのみ。これは信玄の命令だった。”敵を捕捉できず、残念である”上杉謙信は激怒する。”戦いは勝ちすぎてはいけない。負けなければよいのだ。 敵を翻弄して、いなくなったら領土をとる”信玄は孫子の兵法を駆使した。上杉はやがて撤退しだす。
 永禄二(一五五九)年、上杉謙信は京へのぼった。権力を失いつつある足利義輝が有力大名を味方につけようとしたためだ。謙信は将軍にあい、彼は「関東管領」を就任(関東支配の御墨付き)した。上杉謙信はさっそく関東の支配に動く。謙信は北条にせめいり、またたくまに関東を占拠。永禄三(一五六〇)年、今川義元が織田信長に桶狭間で討ち取られる。三国同盟に亀裂が走ることに……。
 上杉は関東をほぼ支配し、武田を北、東、南から抑えるような形勢になる。今川もガタガタ。しかも、この年は異常気象で、四~六月まで雨が降らず降れば十一月までどしゃぶり。凶作で飢餓もでた。
 第四次川中島の合戦は永禄四(一五六一)年、五月十七日勃発。それは関東まで支配しつつあった上杉に先手をうつため信玄が越後に侵攻したことに発した。信玄は海津城を拠点に豪族たちを懐柔していく。上杉謙信は越後に帰り、素早く川中島へ出陣した。
 上杉は川中島に到着すると、武田の目の前で千曲川を渡り、海津城の二キロ先にある妻女山に陣をはる。それは武田への挑発だった。
 十五日もの睨み合い…。信玄は別動隊を妻女山のうらから夜陰にまぎれて奇襲し、山から上杉軍を追い出してハサミ討ちにしようという作戦にでる(きつつき作戦)。
 しかし、上杉謙信はその作戦を知り、上杉軍は武田別動隊より先に夜陰にまぎれて山を降りる。
「よいか! 音をたてたものは首を斬り落とすぞ!」
 謙信は家臣や兵に命令した。
 謙信は兵に声をたてないように、馬には飼い葉を噛ませ口をふさぐように命令して、夜陰にまぎれて山を降りた。一糸乱れぬみごとな進軍だった。
 上杉軍は千曲川を越えた。
 九月十日未明、信玄が海津城を出発。永禄四(一五六一)年、九月十日未明、記録によれば濃い霧が辺りにたちこめていた。やがて霧がはれてくると、武田信玄は信じられない光景を目にする。
「……なんじゃと?! 上杉が陣の真ん前に?」
 信玄は驚いた。
 驚きのあまり軍配を地に落としてしまった。
 妻女山にいるはずの上杉軍が目の前に陣をしいていたのだ。上杉軍は攻撃を開始する。妻女山に奇襲をかけた武田別動隊はカラだと気付く。が、上杉軍の鉄砲にやられていく。「いけ! 押し流せ!」
 無数の長槍が交じりあう。
 雲霞の如く矢が飛ぶ。
 謙信は単身、馬で信玄にせまった。
 刀をふる謙信……
 軍配で受ける信玄……
 謙信と信玄の一気討ち「三太刀七太刀」…。
 このままでは本陣も危ない!
 信玄があせったとき武田別動隊が到着し、九月十日午前十時過ぎ、信玄の軍配が高々とあがる。総攻撃!
 ハサミうちにされ、朝から戦っていた兵は疲れ、上杉軍は撤退した。死傷者二万(両軍)の戦いは終了した。「上杉謙信やぶれたり!」信玄はいったという。
 武田信玄は川中島で勝利した。
 上杉はその後、関東支配を諦め、越後にかえり、信玄は目を西にむけた。
 第五次川中島の合戦は永禄七(一五六四)年、勃発した。
 しかし、両軍とも睨みあうだけで刃は交えず撤退。以後、二度と両軍は戦わなかった。 武田は領土拡大を西に向け、今川と戦う。こんなエピソードがある。今川と北条と戦ったため海のない武田領地は塩がなくなり民が困窮……そんなとき塩が大量に届く。それは上杉謙信からのものだった。たとえ宿敵であっても困れば助ける。「敵に塩をおくる」の古事はここから生まれた。
 武田は大大名になった。
 信玄は国づくりにも着手していく。治水工事、高板はたびたび川がはんらんしていた。 そこで竜王の民を移住させ、堤をつくった。
 上杉にも勝ち、金鉱二十もあらたに手にいれた。
 のちに信長は自分の娘を、信玄の息子勝頼に嫁がせている。
 しかし、信玄は信長の一向衆や寺焼き討ちなどをみて、
「織田信長は殺戮者だ! わしが生きているうちに正しい政をしなければ…」
 と考えた。それには上洛するしかない。

  のちに天下を争うことになる毛利も上杉も武田も織田も、いずれも鉱業収入から大きな利益を得てそれを軍事力の支えとした。
 しかし、一六世紀に日本で発展したのは工業であるという。陶磁器、繊維、薬品、醸造、木工などの技術と生産高はおおいに伸びた。その中で、鉄砲がもっとも普及した。ポルトガルから種子島経由で渡ってきた南蛮鉄砲の技術を日本人は世界中の誰よりも吸収し、世界一の鉄砲生産国とまでなる。一六〇〇年の関ケ原合戦では東西両軍併せて五万丁の鉄砲が装備されたそうだが、これほど多くの鉄砲が使われたのはナポレオン戦争以前には例がないという。
 また、信長が始めた「楽市楽座」という経済政策も、それまでは西洋には例のないものであった。この「楽市楽座」というのは税を廃止して、あらゆる商人の往来をみとめた画期的な信長の発明である。一五世紀までは村落自給であったが、一六世紀にはいると、通貨が流通しはじめ、物品の種類や量が飛躍的に発展した。
 信長はこうした通貨に目をむけた。当時の経済は米価を安定させるものだったが、信長は「米よりも金が動いているのだな」と考えた。金は無視できない。古い「座」を廃止して、金を流通させ、矢銭(軍事費)を稼ごう。
 こうした通貨経済は一六世紀に入ってから発展していた。その結果、ガマの油売りから美濃一国を乗っ取った斎藤道三(山崎屋新九郎)や秀吉のようなもぐりの商人を生む。
「座」をもたないものでも何を商ってもよいという「楽市楽座」は、当時の日本人には、土地を持たないものでもどこでも耕してよい、というくらいに画期的なことであった。




  信長は斎藤氏を追放して稲葉山城に入ると、美濃もしくは井の口の名称をかえることを考えた。中国の古事にならい、「岐阜」とした。岐阜としたのは、信長にとって天下とりの野望を示したものだ。中国の周の文王と自分を投影させたのだ。
 日本にも王はいる。天皇であり、足利将軍だ。将軍をぶっつぶして、自分が王となる。日本の王だ。信長はそう思っていた。
 信長は足利幕府の将軍も、室町幕府も、天皇も、糞っくらえ、と思っていた。神も仏も信じない信長は、同時に人間も信じてはいなかった。当時(今でもそうだが)、誰もが天皇を崇め、過剰な敬語をつかっていたが、信長は天皇を崇めたりはしなかった。
 この当時、その将軍や天皇から織田信長は頼まれごとをされていた。           天皇は「一度上洛して、朕の頼みをきいてもらいたい」ということである。
 天皇の頼みというのは武家に犯されている皇室の権利を取り戻してほしいということであり、足利将軍は幕府の権益や威光を回復させてほしい……ということである。
 信長は天皇をぶっつぶそうとは考えなかったが、足利将軍は「必要」と考えていなかった。天皇のほかに「帽子飾り」が必要であろうか?
 室町幕府をひらいた初代・足利尊氏は確かに偉大だった。尊氏の頃は武士の魂というか習わしがあった。が、足利将軍家は代が過ぎるほどに貴族化していったという。足利尊氏の頃は公家が日本を統治しており、そこで尊氏は立ち上がり、「武家による武家のための政」をかかげ、全国の武家たちの支持を得た。
 しかし、それが貴族化していったのでは話にもならない。下剋上がおこって当然であった。理念も方針もすべて崩壊し、世の乱れは足利将軍家・室町幕府のせいであった。
 ただ、信長は一度だけあったことのある十三代足利将軍・足利義輝には好意をもっていたのだという。足利義輝軟弱な男ではなかった。剣にすぐれ、豪傑だったという。
 三好三人衆や松永弾正久秀の軍勢に殺されるときも、刀を振い奮闘した。迫り来る軍勢に刀で対抗し、刀の歯がこぼれると、すぐにとりかえて斬りかかった。むざむざ殺されず、敵の何人かは斬り殺した。しかし、そこは多勢に無勢で、結局殺されてしまう。
 なぜ三好三人衆や松永弾正久秀が義輝を殺したかといえば、将軍・義輝が各大名に「三好三人衆や松永弾正久秀は将軍をないがしろにしている。どうかやつらを倒してほしい」という内容の書を送りつけたからだという。それに気付いた三好らが将軍を殺したのだ。(同じことを信長のおかげで将軍になった義昭が繰り返す。結局、信長の逆鱗に触れて、足利将軍家、室町幕府はかれの代で滅びてしまう)
 十三代足利将軍・足利義輝を殺した三好らは、義輝の従兄弟になる足利義栄を奉じた。これを第十四代将軍とした。義栄は阿波国(徳島県)に住んでいた。三好三人衆も阿波の生まれであったため馬があい、将軍となった。そのため義栄は、”阿波公方”と呼ばれた。 このとき、義秋(義昭)は奈良にいた。「義栄など義輝の従兄弟ではないか。まろは義輝の実の弟……まろのほうが将軍としてふさわしい」とおもった。
 足利義秋(義昭)は、室町幕府につかえていた細川藤孝によって六角義賢のもとに逃げ込んだ。義秋は覚慶という名だったが、現俗して足利義秋と名をかえていた。坊主になどなる気はさらさらなかった。殺されるのを逃れるため、出家する、といって逃げてきたのだ。
 しかし、六角義賢(南近江の城主)も武田家とのごたごたで、とても足利義秋(義昭)を面倒みるどころではなかった。仕方なく細川藤孝は義秋を連れて、越前の守護代をつとめていて一乗谷に拠をかまえていた朝倉義景の元へと逃げた。
 朝倉義景は風流人で、合戦とは無縁の生活をするためこんな山奥に城を築いた。義景にとって将軍は迷惑な存在であった。足利義秋は義昭と名をかえ、しきりに「軍勢を率いて将軍と称している義栄を殺し、まろを将軍に推挙してほしい」と朝倉義景にせまった。
 義景にしては迷惑なことで、絶対に軍勢を率いようとはしなかった。
 朝倉義景にとって、この山奥の城がすべてであったのだ。






  足利義昭が織田信長に「幕府回復のために力を貸していただきたい」と打診していた頃、信長はまだ稲葉山城(岐阜城)攻略の途中であったから、それほど関心を示さなかった。また、天皇からの「天皇領の回復を願いたい」というも放っておいた。
 朝倉義景の一乗谷城には足利義昭や細川藤孝が厄介になる前に、居候・光秀がいた。のちに信長を本能寺で討つことになる明智十兵衛光秀である。美濃の明智出身であったという。機知に飛んだ武士で、教養人、鉄砲の名人で、諸国を放浪していたためか地理や地方の政や商いに詳しかった。
 光秀は朝倉義景に見切りをつけていた。もともと朝倉義景は一国の主で満足しているような男で、とうてい天下などとれる器ではない。このような男の家臣となっても先が知れている。光秀は誇り高い武将で、大大名になるのが夢だ。…義景では……ダメだ。
 光秀は細川藤孝に「朝倉義景殿ではだめだ。織田信長なら、あるいは…」と漏らした。「なるほど」細川は唸った。「信長は身分や家格ではなく能力でひとを判断するらしい。義昭さまを連れていけば…あるいは…」
 ふたりは頷いた。やっと公方様の役に立つかも知れない。こうなったらとことん信長を利用してやる。信長のようなのは利用しない手はない。
 光秀も細川藤孝も興奮していた。これで義昭さまが将軍となれる。…かれらは信長の恐ろしさをまだ知らなかったのだ。信長が神や仏を一切信じず、将軍や天皇も崇めないということを……。光秀たちは無邪気に信長を利用しようとした。しかし、他人に利用される程、信長は甘くない。信長は朝倉義景とは違うのだ。
 光秀も細川藤孝もその気になって、信長に下話した。すると、信長は足利義昭を受け入れることを快諾した。なんなら将軍に推挙する手助けをしてもいい、と信長はいった。
 明智十兵衛光秀も細川藤孝も、にやりとした。
 信長が自分たちの思惑通りに動いたからだ。
 ……これで、義昭さまは将軍だ。してやったり!
 だが、光秀たちは信長が「義昭を利用してやろう」などと思っていることを知らなかった。いや、そんなことは思いもよらなかった。なにせ、光秀たちは古い価値観をもった武士である。誰よりも天皇や室町幕府、足利将軍の崇拝者であり、天皇や将軍を利用しようという人間がいるなど思考の範疇外であったのだ。
 信長は「くだらん将軍だが、これで上洛の口実ができる」と思った。
 信長が快諾したのは、義昭を口実に上洛する、つまり京都に入る(当時の首都は京都)ためである。かれも次第に世の中のことがわかってきていて、ただの守護代の家臣のそのまた家臣というところからの成り上がりでは天下はとれないとわかっていた。ただやみくもに野望を抱き、武力蜂起しても天下はとれないのをわかっていた。
 日本の社会は天皇などが中心の社会で、武家はその家臣というのが通例である。武力だけで天下の道を辿るのは難しい。チンギス・ハンのモンゴルや、秦始皇帝の中国とは違うのだ。天下をとるには上洛して、天皇らを嫌でもいいから奉らなければならない。
 そこで信長は「天下布武」などといいだした。
 つまり、武家によって天下をとる、という天下獲りの野望である。おれは天下をとる。そのためには天皇だろうが、将軍だろうが利用するだけ利用してやる!
 信長は興奮し、心の中で笑った。うつろな笑いだった。
 確かに、今、足利義昭も天皇も「権威を回復してほしい」といってきている。しかし、それは信長軍の武力が台頭してきているからで、弱くなれば身分が違うとバッサリきりすてられるかも知れない。そこで、どの大名も戴くことをためらった足利義昭をひきいて上洛すれば天下に信長の名が轟く。義昭は義輝の弟で、血も近い。なにより恩を売っておけば、何かと利用できる。恩人として、なにかしらの特権や便宜も計られるだろう。信長は狡猾に計算した。
「天下布武」などといったところで、おれはまだ美濃と尾張だけだ。おれは日本中を支配したいのだ。そのために足利義昭を利用して上洛しなくてはならないのだ。
 そのためにはまず第十四代将軍・足利義栄を戴いている三好や松永久秀を滅ぼさなければならない。信長は戦にうって出ることを考えていた。自分の天下のために!
 信長は当時の常識だった「将軍が一番偉い」などという考えをせせら笑った。なにが偉いものか! 偉いのはおれだ! 織田……織田信長だ! この俺に幸運がやってきた!





  足利義昭にしてみれば織田信長などチンピラみたいな男である。かれが越前にいったのも朝倉義景を通して越後の長尾(上杉)景虎(謙信)に頼ろうとしたのだし、また上杉でなくても武田信玄でも誰でもよかった。チンピラ信長などは「腰掛け」みたいなものである。なんといっても上杉謙信や武田信玄は信長より大物に写った。が、上杉も武田も容易に兵を挙げてくれなかった。義昭はふたりを呪った。
 しかし、信長にとっては千載一遇の好機であった。朝倉がどうでようと、足利義昭を利用すれば上洛の大義名分が出来る。遠交近攻で、上洛のさまたげとなるものはいない。
 信長は明智光秀や細川藤孝から義昭の依頼を受けて、伊勢方面に出兵した。滝川一益に北伊勢方面を攻撃させた。そうしながら伊勢の実力者である関一族の総領神戸氏の家に、三男の信孝を養子としておしつけた。工藤一族の総領である長野氏の名を弟信包に継がせたりしたという。信長の狙いは南伊勢の北畠氏である。北畠氏を攻略せねば上洛に不利になる。信長はさらに、
「足利義昭さまが越前にいてはやりにくい。どうか尾張にきてくだされ」と書状をおくった。義昭はすぐに快諾した。永禄十一年(一五六八)七月十三日、かれは越前一乗谷を出発した。朝倉義景には「かくかくしかじかで信長のところにまいる」といった。当然ながら義景は嫌な顔をした。しかし、朝倉義景は北近江一国で満足している、とうてい兵をあげて天下をとるだけの実力も器もないのだから仕方ない。
 上洛にたいして、信長は朝倉義景につかいをだした。義景は黙殺した。六角義賢(南近江の城主)ははねつけた。それで、信長は六角義賢を攻め滅ぼし、大軍を率いて京都にむかった。九月一二日に京都にはいった。足利義昭を京都の清水寺に宿舎として入れ、松永と三好三人衆と対峙した。松永弾正久秀は機を見るのに敏な男で、人質をさしだして和睦をはかった。それがきっかけとなり信長は三好三人衆の軍勢を叩き潰した。
 足利義昭は「こやつらは兄義輝を殺した連中だ。皆殺しにいたせ!」といきまいた。
 しかし信長が「義昭さま、ここは穏便に願う」と抑圧のある声で抑えた。
 永禄十一年(一五六八)十月十八日、足利義昭は将軍に推挙された。第一四代将軍・義栄は摂津の逃れて、やがてそこで死んだ。
「阿波公方・足利義栄の推挙に荷担し、義輝を殺した松永と三好三人衆を京都より追放する」時の帝正親町天皇はそう命じた。
 松永弾正久秀は降伏したものの、また信長と対立し、ついにはかれはおいつめられて爆死してしまう(大事にしていた茶道具とともに爆薬を体にまきつけて火をつけた)。
 直江兼続が織田信長とあったのはこの頃だったという。兼続は「ひとに義がなければ野山の獣と同じでござる!」という。上杉謙信に金色の洛中洛外図屏風を送った信長は「天下を取れるなら鬼にでも魂をくれるわ!」という。信長は義昭のために二条城を造らせた。 足利義昭は非常に喜んだ。これでまろは本物の将軍である。かれは信長に利用されているとはまだ感付いていなかった。「あなたはまろの御父上さまだ」義昭はきしょくわるくいった。信長は答えなかった。当時、信長三十六歳、義昭は三十二歳だった。「あなたは偉大だ。あなたを副将軍としてもよい。なんならもっと…」
「いや」信長は無表情のままきっぱりいった。「副将軍はけっこうでござる。ただし、この信長ひとつだけ願いがござる」
「それは?」
「和泉国の堺と、近江国の大津と草津に、代官所を置かせていただきたい」
 義昭はよく考えもせず、簡単に「どうぞどうぞ、代官所なりなんなり置いてくだされ。とにかくあなたはまろの御父上なのですから」と答えて、にやりとした。気色悪かった。 信長には考えがあった。堺と、大津と草津は陸運の要所である。そこからとれる税をあてにしたのだ。そして信長は京都で、ある人物にあった。それは南蛮人、ルイス・フロイスで、あった。キリスト教宣教師の。                       

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天と地と人と直江兼続と「愛と上杉の義・直江兼続のすべて」ブログ連載小説1

2013年10月09日 06時21分08秒 | 日記
小説 天と地と人と直江兼続と



             
               
               
               
               
                total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


          あらすじ

  お江は元亀四年(1573年)、近江国(滋賀県)小谷城主・浅井長政と織田信長の妹・お市の三女として生まれた。姉は茶々(のちの淀君)、初。
 生まれたときに父・浅井長政は織田信長にやぶれて自害。お江ら浅井三姉妹はお市とともに信長の庇護下に。やがて織田信長が光秀に「本能寺の変」で殺されると秀吉の庇護下にはいる。茶々は秀吉の側室・淀として秀頼を生む。初は京極高次の正室に。お江は徳川家康の息子で二代将軍・秀忠の正室として三代将軍・家光を生む。豊臣家は家康に滅ぼされ淀・秀頼は自害。徳川の天下へ。信長を伯父さん、秀吉をお義兄さん、家康をお義父さん、とよべる江の生涯はまさに「大河ドラマ」である。
                                おわり

         1 関ヶ原


石田三成は安土桃山時代の武将である。
 豊臣五奉行のひとり。身長156cm…永禄三年(1560)~慶長五年(1600年10月1日)。改名 佐吉、三也、三成。戒名・江東院正軸因公大禅定門。墓所・大徳寺。官位・従五位下治部少輔、従四位下。主君・豊臣秀吉、秀頼。父母・石田正継、母・石田氏。兄弟、正澄、三成。妻・正室・宇喜多頼忠の娘(お袖)。子、重家、重成、荘厳院・(津軽信牧室)、娘(山田室)、娘(岡重政室)
 淀殿とは同じ近江出身で、秀吉亡き後は近江派閥の中心メンバーとなるが、実は浅井氏と石田氏は敵対関係であった。三成は出世のことを考えて過去の因縁を隠したのだ。
「関ヶ原」の野戦がおわったとき徳川家康は「まだ油断できぬ」と言った。
当たり前のことながら大阪城には西軍大将の毛利輝元や秀頼・淀君がいるからである。
 しかるに、西軍大将の毛利輝元はすぐさま大阪城を去り、隠居するという。「治部(石田三成)に騙された」全部は負け組・石田治部のせいであるという。しかも石田三成も山奥ですぐ生けどりにされて捕まった。小早川秀秋の裏切りで参謀・島左近も死に、山奥に遁走して野武士に捕まったのだ。石田三成は捕らえられ、「豊臣家を利用して天下を狙った罪人」として縄で縛られ落ち武者として城内に晒された。「お主はバカのヤツです、三成!」お江はしたり顔で、彼を非難した。
「お前のような奴が天下など獲れるわけあるまいに」
 三成は「わしは天下など狙ってなどおらぬ」とお江をきっと睨んだ。
「たわけ!お義父(徳川家康)さまや主人・秀忠が三成は豊臣家を人質に天下を狙っておる。三成は豊臣の敵だとおっしゃっておったわ」
「たわけはお主だ、お江殿!徳川家康は豊臣家に忠誠を誓ったと思うのか?!」
「なにをゆう、お義父上(徳川)さまが嘘をいったというのか?」
「そうだ。徳川家康はやがては豊臣家を滅ぼす算段だ」
「たわけ」お江は冗談としか思わない。「だが、お前は本当に贅沢などしとらなんだな」
「佐和山城にいったのか?」
「いいえ。でも姉上(茶々(淀君))や姉様(初・京極高次正室(常高院))からきいた。お前は少なくとも五奉行のひとり。そうとうの金銀財宝が佐和山城の蔵にある、大名たちが殺到したという。だが、空っぽだし床は板張り「こんな貧乏城焼いてしまえ!」と誰かが火を放ったらしいぞ」
「全焼したか?」
「ああ、どうせそちも明日には首をはねられる運命だ。酒はどうじゃ?」
「いや、いらぬ」
 お江は思い出した。「そうか、そちは下戸であったのう」
「わしは女遊びも酒も贅沢もしない。主人や領民からもらった金を貯めこんで贅沢するなど武士の風上にもおけぬ」
「ふん。姉上や秀頼を利用する方が武士の風上にもおけぬわ」お江は何だか三成がかわいそうになってきた。「まあ、今回は武運がお主になかったということだ」
「お江殿」
「なんじゃ?」
「縄を解いてはくれぬか?家康に天誅を加えたい」
「……なにをゆう」
「秀頼公とあなたの姉上・淀君様が危ないのだぞ!」
  お江は、はじめて不思議なものを観るような眼で縛られ正座している「落ち武者・石田三成」を見た。「お前は少なくともバカではない。だが、お義父上(徳川)さまが嘘をいうかのう?五大老の筆頭で豊臣家に忠節を誓う文まであるのだぞ」
「家康は老獪な狸だ」
「…そう」
 お江は拍子抜けして去った。嘲笑する気で三成のところにいったが何だか馬鹿らしいと思った。どうせ奴は明日、京五条河原で打首だ。「武運ない奴じゃな」苦笑した。
 次に黒田長政がきた。長政は「三成殿、今回は武運がなかったのう」といい、陣羽織を脱いで、三成の肩にかけてやった。
「かたじけない」三成ははじめて人前で泣いた。

   関ヶ原合戦のきっかけをつくったのは会津の上杉景勝と、参謀の直江山城守兼続である。山城守兼続が有名な「直江状」を徳川家康におくり、挑発したのだ。もちろん直江は三成と二十歳のとき、「義兄弟」の契を結んでいるから三成が西から、上杉は東から徳川家康を討つ気でいた。上杉軍は会津・茨城の山に鉄壁の布陣で「家康軍を木っ端微塵」にする陣形で時期を待っていた。家康が会津の上杉征伐のため軍を東に向けた。そこで家康は佐和山城の三成が挙兵したのを知る。というか徳川家康はあえて三成挙兵を誘導した。
 家康は豊臣恩顧の家臣団に「西で石田三成が豊臣家・秀頼公を人質に挙兵した!豊臣のために西にいこうではないか!」という。あくまで「三成挙兵」で騙し続けた。
 豊臣家の為なら逆臣・石田を討つのはやぶさかでない。東軍が西に向けて陣をかえた。直江山城守兼続ら家臣は、このときであれば家康の首を獲れる、と息巻いた。しかし、上杉景勝は「徳川家康の追撃は許さん。行きたいならわしを斬ってからまいれ!」という。
 直江らは「何故にございますか?いまなら家康陣は隙だらけ…天にこのような好機はありません、何故ですか?御屋形さま!」
 だが、景勝は首を縦には振らない。「背中をみせた敵に…例えそれが徳川家康であろうと「上杉」はそのような義に劣る戦はせぬのだ」
 直江は刀を抜いた。そして構え、振り下ろした。しゅっ!刀は空を斬った。御屋形を斬る程息巻いたが理性が勝った。雨が降る。「伊達勢と最上勢が迫っております!」物見が告げた。
 兼続は「陣をすべて北に向けましょう。まずは伊達勢と最上勢です」といい、上杉は布陣をかえた。名誉をとって上杉は好機を逃した、とのちに歴史家たちにいわれる場面だ。

   石田三成はよく前田利家とはなしていたという。前田利家といえば、主君・豊臣秀吉公の友人であり加賀百万石の大大名の大名である。三成はよく織田信長の側人・森蘭丸らにいじめられていたが、それをやめさせるのが前田利家の役割であった。三成は虚弱体質で、頭はいいが女のごとく腕力も体力もない。いじめのかっこうのターゲットであった。
 前田利家は「若い頃は苦労したほうがいいぞ、佐吉(三成)」という。
 木下藤吉郎秀吉も前田又左衛門利家も織田信長の家臣である。前田利家は若きとき挫折していた。信長には多くの茶坊主がいた。そのうちの茶坊主は本当に嫌な連中で、他人を嘲笑したり、バカと罵声を浴びせたり、悪口を信長の耳元で囁く。信長は本気になどせず放っておく。しかるとにき事件があった。前田利家は茶坊主に罵声を浴びせかけられ唾を吐きかけられた。怒った利家は刀を抜いて斬った。殺した。しかも織田信長の目の前でである。
 信長は怒ったが、柴田勝家らの懇願で「切腹」はまぬがれた。だが、蟄居を命じられた。そこで前田利家は織田の戦に勝手に参戦していく。さすがの信長も数年後に利家を許したという。「苦労は買ってでもせい」そういうことがある前田利家は石田佐吉(三成)によく諭したらしい。いわずもがな、三成は思った。


 浅井長政の裏切り



  織田信長と将軍・足利義昭との確執も顕著になってきていた。
 義昭は将軍となり天皇に元号を「元亀」にかえることにさせた。しかし、信長は「元亀」などという元号は好きではなかった。そこで信長は元号を「天正」とあっさりかえてしまう。足利将軍は当然激怒した。しかし、義昭など信長のロボットみたいなものである。
 義昭は信長に剣もほろろに扱われてしまう。
 かれは信長の元で「殿中五ケ条」を発布、しかし、それも信長に無視されてしまう。
「あなたを副将軍にしてもよい」
 義昭は信長にいった。しかし、信長は餌に食いつかなかった。
 怒りの波が義昭の血管を走った。冷静に、と自分にいいきかせながらつっかえつっかえいった。「では、まろに忠誠を?」
「義昭殿はわしの息子になるのであろう? 忠誠など馬鹿らしい。息子はおやじに従っておればよいのじゃ」信長は低い声でいった。抑圧のある声だった。
「義昭殿、わしのおかげで将軍になれたことを忘れなさるな」
 信長の言葉があまりにも真実を突いていたため、義昭は驚いて、こころもち身をこわばらせた。百本の槍で刺されたように、突然、身体に痛みを感じた。信長は馬鹿じゃない。 しかし、おのれ信長め……とも思った。
 それは感情であり、怒りであった。自分を将軍として崇めない、尊敬する素振りさえみせず、将軍である自分に命令までする、なんということだ!
 その個人的な恨みによって、その感情だけで義昭は行動を起こした。
 義昭は、甲斐(山梨県)の武田信玄や石山本願寺、越後(新潟県)の上杉謙信、中国の毛利、薩摩(鹿児島県)の島津らに密書をおくった。それは、信長を討て、という内容であったという。
 こうして、信長の敵は六万あまりとふくらんだ。
 そうした密書を送ったことを知らない細川や和田らは義昭をなだめた。
 しかし、義昭は「これで信長もおしまいじゃ……いい気味じゃ」などと心の中で思い、にやりとするのであった。
  義昭と信長が上洛したとき、ひとりだけ従わない大名がいた。
 越前(福井県)の朝倉義景である。かれにしてみれば義昭は居候だったし、信長は田舎大名に過ぎない。ちょっと運がよかっただけだ。義昭を利用しているに過ぎない。
 信長は激怒し、朝倉義景を攻めた。           
 若狭にはいった信長軍はさっそく朝倉方の天筒山城、金ケ崎城を陥した。
「次は朝倉の本城だ」信長は激を飛ばした。
 だが、信長は油断した。油断とは、浅井長政の裏切り、である。
 北近江(滋賀県北部)の浅井長政の存在を軽く見ていた。油断した。
 永禄十年(1567年)浅井長政に信長の命令により、お市の方は嫁いだ。信長にとって浅井はいわば義弟だ。裏切る訳はない、と、たかをくくっていた。お市の共に、利家の弟で、佐脇家の養子にいった佐脇良之が選ばれ、浅井にいき浅井家の家臣となった。良之はおとなしく物静かなタイプだった。…浅井長政は味方のはずである…………
 信長にはそういう油断があった。義弟が自分のやることに口を出す訳はない。そう思って、信長は琵琶湖の西岸を進撃した。東岸を渡って浅井長政の居城・小谷城を通って通告していれば事態は違っていただろうという。しかし、信長は、”美人の妹を嫁にやったのだから俺の考えはわかってるだろう”、という考えで快進撃を続けた。
 しかし、「朝倉義景を攻めるときには事前に浅井方に通告すること」という条約があった。それを信長は無視したのだ。当然、浅井長政は激怒した。
 お市のことはお市のこと、朝倉義景のことは朝倉義景のこと、である。通告もない、しかも義景とは父以来同盟関係にある。信長の無礼に対して、長政は激怒した。
「殿! はやまってはなりませぬ!」お市とは家臣が羨む程の仲の良い夫婦だったが、お市は信長の身を案じた。「市! わしは信長を討つ!」
「……殿?!」お市は動揺した。信長は実の兄であり、長政は愛しい夫である。
 三人の娘、のちに浅井三姉妹と呼ばれる娘にも恵まれたというのに……
(茶々(のちの秀吉側室、秀頼の母)、初(京極高次室)、お江(徳川秀忠室、三代将軍・家光の母)と長男・万福丸、次男・万寿丸が子である)
 信長の政略結婚の駒はほとんどが家臣からの養女であったが、お市の方と松平信康(家康)へ嫁がせた五徳姫は家族だった。また、お市は信長の妹とされ、絶世の美女とされるが、信秀の弟の信光か広良の娘という説もある。また茶々は浅井長政の娘とされるが、晩婚だったためお市の方の『連れ子』という説もある。
 何はともあれ、浅井は信長を裏切った。
 浅井長政は信長に対して反乱を起こした。前面の朝倉義景、後面の浅井長政によって信長ははさみ討ちになってしまう。こうして、長政の誤判断により、浅井家は滅亡の運命となる。それを当時の浅井長政は理解していただろうか。いや、かれは信長に勝てると踏んだのだ。甘い感情によって。
  金ケ崎城の陥落は四月二十六日、信長の元に「浅井方が反信長に動く」という情報がはいった。信長は、お市を嫁がせた義弟の浅井長政が自分に背くとは考えなかった。
 そんな時、お市から陣中見舞である「袋の小豆」が届く。
 布の袋に小豆がはいっていて、両端を紐でくくってある。
 信長はそれをみて、ハッとした。何かある………まさか!
 袋の中の小豆は信長、両端は朝倉浅井に包囲されることを示している。
「御屋形様……これは……」利家が何かいおうとした。利家もハッとしたのだ。
 信長はきっとした顔をして「包囲される。逃げるぞ! いいか! 逃げるぞ!」といった。彼の言葉には有無をいわせぬ響きがあった。戦は終わったのだ。信長たちは逃げるしかない。朝倉義景を殺す気でいたなら失敗した訳だ。だが、このまま逃げたままでは終わらない。まだ前哨戦だ。刀を交えてもいない。時間はかかるかも知れないが、信長は辛抱強く待ち、奇策縦横にもなれる男なのだ。
 ……くそったれめ! 朝倉義景も浅井長政もいずれ叩き殺してくれようぞ!
 長政め! 長政め! 長政め! 長政め! 信長は下唇を噛んだ。そして考えた。    
 ……殿(後軍)を誰にするか……
 殿は後方で追撃くる敵と戦いながら本軍を脱出させる役目を負っていた。そして、同時に次々と殺されて全滅する運命にある。その殿の将は、失ってしまう武将である。誰にしてもおしい。信長は迷った。
「殿は誰がいい?」信長は迷った。
 柴田勝家、羽柴秀吉、そして援軍の徳川家康までもが「わたくしを殿に!」と志願した。 前田利家も「わたくしめを殿に!」と嘆願した。
 信長は四人の顔をまじまじと見て、決めた。
「又左衛門(利家のこと)はわしと一緒にこい! サル、殿をつとめよ」
「ははっ!」サル(秀吉)はそういうと、地面に手をついて平伏した。信長は秀吉の顔を凝視した。サルも見つめかえした。信長は考えた。
 今、秀吉を失うのはおしい。天下とりのためには秀吉と光秀は”両腕”として必要である。知恵のまわる秀吉を失うのはおしい。しかし、信長はぐっと堪えた。
「サル、頼むぞ」信長はいった。
「おまかせくださりませ!」サルは涙目でいった。
 いつもは秀吉に意地悪ばかりしていた勝家も感涙し、「サル、わしの軍を貸してやろうか?」といい、家康までもが「秀吉殿、わが軍を使ってくだされ」といったという。
「又左衛門……やはりお主は御屋形様に愛されておるのう」秀吉は利家にいった。
 占領したばかりの金ケ崎城にたてこもって、秀吉は防戦に努めた。
「悪党ども、案内いたせ」
 信長はこういうときの行動は早い。いったん決断するとグズグズしない。そのまま馬にのって突っ走りはじめた。四月二十八日のことである。三十日には、朽木谷を経て京都に戻った。朽木元綱は信長を無事に案内した。
 この朽木元綱という豪族はのちに豊臣秀吉の家臣となり、二万石の大名となる。しかし、家康の元についたときは「関ケ原の態度が曖昧」として減封されているという。だが、それでもかれは「家禄が安泰となった」と思った。
 朽木は近江の豪族だから、信長に反旗をひるがえしてもおかしくない。しかし、かれに信長を助けさせたのは豪族としての勘だった。この人なら天下をとるかも知れない、と思ったのだ。歴史のいたずらだ。もし、このとき信長や秀吉、そして家康までもが浅井朝倉軍にはさみ討ちにされ戦死していたら時代はもっと混沌としたものになったかも知れない。 とにかく、信長は逃げのびた。秀吉も戦死しなかったし、家康も無事であった。
 京都にかろうじて入った信長は、五月九日に京都を出発して岐阜にもどった。しかし、北近江を通らず、千種越えをして、伊勢から戻ったという。身の危険を感じていたからだ。 浅井長政や朝倉義景や六角義賢らが盛んに一向衆らを煽って、
「信長を討ちとれ!」と、さかんに蜂起をうながしていたからである。
 六角義賢はともかく、信長は浅井長政に対しては怒りを隠さなかった。
「浅井長政め! あんな奴は義弟とは思わぬ! 皆殺しにしてくれようぞ!」
 信長は長政を罵った。
 岐阜に戻る最中、一向衆らの追撃があった。千種越えには蒲生地区を抜けた。その際、蒲生賢秀(氏郷の父)が土豪たちとともに奮起して信長を助けたのだという。
 この時、浅井長政や朝倉義景が待ち伏せでもして信長を攻撃していたら、さすがの信長も危なかったに違いない。しかし、浅井朝倉はそれをしなかった。そして、そのためのちに信長に滅ぼされてしまう運命を迎える。信長の逆鱗に触れて。
 信長は痛い目にあったが、助かった。死ななかった。これは非常に幸運だったといわねばなるまい。とにかく信長は阿修羅の如く怒り狂った。
 皆殺しにしてくれる! そう信長は思った。




         姉川の戦い


  浅井朝倉攻めの準備を、信長は五月の頃していた。
 秀吉に命じてすっかり接近していた堺の商人・今井宗久から鉄砲を仕入れ、鉄砲用の火薬などや兵糧も大坂から調達した。信長は本気だった。
「とにかく、浅井長政や朝倉義景を殺さねばならない」信長はそう信じた。
 しかし、言葉では次のようにいった。「これは聖戦である。わが軍こそ正義の軍なり」 信長は着々と準備をすすめた。猪突盲進で失敗したからだ。
 岐阜を出発したのは六月十九日のことだった。
 とにかく、浅井長政や朝倉義景を殺さねばならない! 俺をなめるとどうなるか思い知らせてやる! ………信長は興奮して思った。
 国境付近にいた敵方の土豪を次々に殺した。北近江を進撃した。
 目標は浅井長政の居城・小谷城である。しかし、無理やり正面突破することはせず、まずは難攻不落な城からいぶり出すために周辺の村々を焼き払いながら、支城横山城を囲んだ。二十日、主力を率いて姉川を渡った。そして、いよいよ浅井長政の本城・小谷城に迫った。小谷城の南にある虎姫山に信長は本陣をかまえた。長政は本城・小谷城からなかなか出てこなかった。かれは朝倉義景に援軍をもとめた。信長は仕方なく横山城の北にある竜が鼻というところに本陣を移した。二十四日、徳川家康が五千の軍勢を率いて竜が鼻へやってきた。かなり暑い日だったそうで、家康は鎧を脱いで、白い陣羽織を着ていたという。信長は大変に喜んで、
「よく参られた」と声をかけた。
 とにかく、山城で、難攻不落の小谷城から浅井長政を引き摺り出さなければならない。そして、信長の願い通り、長政は城を出て、城の東の大寄山に陣を張った。朝倉義景からの援軍もきた。しかし、大将は朝倉義景ではなかった。かれは来なかった。そのかわり大将は一族の孫三郎であったという。その数一万、浅井軍は八千、一方、信長の軍は二万三千、家康軍が六千………あわせて二万九千である。兵力は圧倒的に勝っている。
 浅井の軍は地の利がある。この辺りの地理にくわしい。そこで長政は夜襲をかけようとした。しかし、信長はそれに気付いた。夜になって浅井方の松明の動きが活発になったからだ。信長は柳眉を逆立てて、
「浅井長政め! 夜襲などこの信長がわからぬと思ってか!」と腹を立てた。…長政め! どこまでも卑怯なやつめ!
 すると家康が進みでていった。
「明日の一番槍は、わが徳川勢に是非ともお命じいただきたい」
 信長は家康の顔をまじまじとみた。信長の家臣たちは目で「命じてはなりませぬ」という意味のうずきをみせた。が、信長は「で、あるか。許可しよう」といった。
 家康はうきうきして軍儀の場を去った。
 信長の家臣たちは口々に文句をいったが、信長が「お主ら! わしの考えがわからぬのか! この馬鹿ものどもめ!」と怒鳴るとしんと静かになった。
 すると利家が「徳川さまの面目を重んじて、機会をお与えになったのででござりましょう? 御屋形様」といった。
「そうよ、イヌ! さすがはイヌじゃ。家康殿はわざわざ三河から六千もの軍勢をひきいてやってきた。面目を重んじてやらねばのう」信長は頷いた。
 翌朝午前四時、徳川軍は朝倉軍に鉄砲を撃ちかけた。姉川の合戦の火蓋がきって落とされたのである。朝倉方は一瞬狼狽してひるんた。が、すぐに態勢をもちなおし、徳川方が少勢とみて、いきなり正面突破をこころみてすすんできた。徳川勢は押された。
「押せ! 押せ! 押し流せ!」
 朝倉孫三郎はしゃにむに軍勢をすすめた。徳川軍は苦戦した。家康の本陣も危うくなった。家康本人も刀をとって戦った。しかし、そこは軍略にすぐれた家康である。部下の榊原康政らに「姉川の下流を渡り、敵の側面にまわって突っ込め!」と命じた。
 両側面からのはさみ討ちである。一角が崩れた。朝倉方の本陣も崩れた。朝倉孫三郎らは引き始めた。孫三郎も窮地におちいった。
 信長軍も浅井長政軍に苦しめられていた。信長軍は先陣をとっくにやぶられ、第五陣の森可政のところでかろうじて敵を支えていたという。しかし、急をしって横山城にはりついていた信長の別導隊の軍勢がやってきて、浅井軍の左翼を攻撃した。家康軍の中にいた稲葉通朝が、敵をけちらした後、一千の兵をひきいて反転し、浅井軍の右翼に突入した。 両側面からのはさみ討ちである。浅井軍は総崩れとなった。
 浅井長政は命からがら小谷城に逃げ帰った。このとき、佐脇良之は浅井家臣として戦っていたにも関わらず、あやうくなった利家を救った。浅井を裏切ったのだ。
 佐脇良之は浅井方にも戻れず、利家の屋敷に身をよせ、浪人となった。
「……あれは雀の子かのう?」佐脇良之は茫然と屋根や蒼い空を見上げていた。

「一挙に、小谷城を落とし浅井長政の首をとりましょう」
 利家は興奮していった。すると信長はなぜか首を横にふった。
「ひきあげるぞ、イヌ」
 利家は驚いて目を丸くした。いや、利家だけではない。信長の家臣たちも顔を見合わせた。いつもの御屋形らしくもない………。しかし、浅井長政は妹・お市の亭主だ。なにか考えがあるのかもしれない。なにかが………
 こうして、信長は全軍を率いて岐阜にひきあげていった。



         焼き討ち


  石山本願寺は、三好党がたちあがると信長に正式に宣戦布告した。
 織田信長が、浅井長政の小谷城や朝倉義景の越前一乗谷にも突入もせず岐阜にひきあげたので、「信長は戦いに敗れたのだ」と見たのだ。
 信長は八月二十日に岐阜を出発した。そして、横山城に拠点を置いた後、八月二十六日に三好党の立て籠もっている野田や福島へ陣をすすめた。
 将軍・足利義昭もなぜか九月三日に出張ってきたという。実は、本願寺や武田信玄や上杉らに「信長を討て」密書を送りつけた義昭ではあったが、このときは信長のもとにぴったりとくっついて行動した。
 本願寺の総帥光佐(顕如)上人は、全国の信徒に対して、「ことごとく一揆起こりそうらえ」と命じていた。このとき、朝倉義景と浅井長政もふたたび立ち上がった。
 信長にしたって、坊主どもが武器をもって反旗をひるがえし自分を殺そうとしている事など理解できなかったに違いない。しかし、神も仏も信じない信長である。
「こしゃくな坊主どもめ!」と怒りを隠さなかった。
 足利義昭の命令で、比叡山まで敵になった。
 反信長包囲網は、武田信玄、浅井長政、朝倉義景、佐々木、本願寺、延暦寺……ぞくぞくと信長の敵が増えていった。
 浅井長政、朝倉義景攻撃のために信長は出陣した。その途中、信長軍は一揆にあい苦戦、信長の弟彦七(信与)が殺された。
 信長は陣営で、事態がどれだけ悪化しているか知らされるはめとなった。相当ひどいのは明らかだ。弟の死を知って、信長は激怒した。「こしゃくな!」と怒りを隠さなかった。「比叡山を……」信長は続けた。「比叡山を焼き討ちにせよ!」
「なんと?!」秀吉は驚いて目を丸くした。いや、秀吉だけではない。信長の家臣たちも顔を見合わせた。そて、口々に反対した。
「比叡山は由緒ある寺……それを焼き討つなどもっての他です!」
「坊主や仏像を焼き尽くすつもりですか?!」
「天罰が下りまするぞ!」
 家臣たちが口々に不平を口にしはじめたため、信長は柳眉を逆立てて怒鳴った。
「わしに反対しようというのか?!」
「しかし…」秀吉は平伏し「それだけはおやめください! 由緒ある寺や仏像を焼き払って坊主どもを殺すなど……魔王のすることです!」
 家臣たちも平伏し、反対した。信長は「わしに逆らうというのか?!」と怒鳴った。    
「神仏像など、木と金属で出来たものに過ぎぬわ! 罰などあたるものか!」
 どいつもこいつも考える能力をなくしちまったのか。頭を使う……という……簡単な能力を。「とにかく焼き討ちしかないのじゃ! わかったか!」家臣たちに向かって信長は吠えた。ズキズキする痛みが頭蓋骨のうしろから目のあたりまで広がって、家臣たちはすくみあがった。”御屋形様は魔王じゃ……”秀吉は恐ろしくなった。
 秀吉のみぞおちを占めていた漠然たる不安が、驚異的な形をとりはじめた。かれの本能のすべてに警告の松明がみえていた。「焼き討ちとは…神仏を?」緊張が肩から首にまわって大変なことになったが、秀吉は悲鳴をあげなかった。
 九月二十日、信長は焼き討ちを命じた。まず日吉神社に火をつけ、さらに比叡山本堂に火をつけ、坊主どもを皆殺しにした。保存してあった仏像も経典もすべて焼けた。
 佐脇良之は炎上する神社の中から赤子を救いだした。これが利家の養女となる。
 こうして、日本史上初めての寺院焼き討ち、皆殺し、が実行されたのである。

        三方が原の戦い



     
  信長にとって最大の驚異は武田信玄であった。
 信玄は自分が天下人となり、上洛して自分の旗(風林火山旗)を掲げたいと心の底から思っていた。この有名な怪人は、軍略に優れ、長尾景虎(上杉謙信)との川中島合戦で名を知られている強敵だ。剃髪し、髭を生やしている。僧侶でもある。
 武田信玄は本願寺の総帥・光佐とは親戚関係で、要請を受けていた。また、将軍・足利義昭の親書を受け取ったことはかれにいよいよ上洛する気分にさせた。
 元亀三年(一五七二)九月二十九日、武田信玄は大軍を率いて甲府を出発した。
 信玄は、「織田信長をなんとしても討とう」と決めていた。その先ぶれとして信玄は遠江に侵攻した。遠江は家康の支配圏である。しかし、信玄にとって家康は小者であった。 悠然とそこを通り、京へと急いだ。家康は浜松城にいた。
 浜松城に拠点を置いていた家康は、信玄の到来を緊張してまった。織田信長の要請で、滝川一益、佐久間信盛、林通勝などが三千の兵をつけて応援にかけつけた。だが、信長は、「こちらからは手をだすな」と密かに命じていた。
 武田信玄は当時、”神将”という評判で、軍略には評判が高かった。その信玄とまともにぶつかったのでは勝ち目がない。と、信長は思ったのだ。それに、武田が遠江や三河を通り、岐阜をすぎたところで家康と信長の軍ではさみ討ちにすればよい……そうも考えていた。しかし、それは裏目に出る。家康はこのとき決起盛んであった。自分の庭同然の三河を武田信玄軍が通り過ぎようとしている。
「今こそ、武田を攻撃しよう」家康はいった。家臣たちは「いや、今の武田軍と戦うのは上策とは思えません。ここは信長さまの命にしたがってはいかがか」と口々に反対した。 家康はきかなかった。真っ先に馬に乗り、駆け出した。徳川・織田両軍も後をおった。 案の定、家康は三方が原でさんざんに打ち負かされた。家康は馬にのって、命からがら浜松城に逃げ帰った。そのとき、あまりの恐怖に馬上の家康は失禁し、糞尿まみれになったという。とにかく馬を全速力で走らせ、家康は逃げた。
 家康の肖像画に、顎に手をあてて必死に恐怖にたえている画があるが、敗戦のときに描かせたものだという。それを家臣たちに見せ、生涯掲げた。
 ……これが三方が原で武田軍に大敗したときの顔だ。この教訓をわすれるな。決起にはやってはならぬのだ。………リメンバー三方が原、というところだろう。
  佐脇良之は善戦したが、三方が原で武田軍の騎馬にやれ、死んだ。信長に家康のもとに左遷せれてからの死だった。利家は泣いた。まつも泣いた。
 さらに、利家の母・たつも死んだ。利家はショックでしばらく寝込んだという。
 秀吉には子がなかった。そのため、利家はおねに頼まれ、四女を秀吉の養女にした。秀吉はよろこび「豪姫じゃ! この子は豪姫じゃ!」とおやした。               
 利家は織田家臣団の中では佐々成政と大変懇篤な付き合いであったという。

 もし信玄が浜松城に攻め込んで家康を攻めたら、家康は完全に死んでいたろう。しかし、信玄はそんな小さい男ではない。そのまま京に向けて進軍していった。
 だが、運命の女神は武田信玄に微笑まなかった。
 かれの持病が悪化し、上洛の途中で病気のため動けなくなった。もう立ち上がることさえできなくなった。伊那郡で枕元に息子の勝頼をよんだ。
 自分の死を三年間ふせること、遺骨は大きな瓶に入れて諏訪湖の底に沈めること、勝頼は自分の名跡を継がないこと、越後にいって上杉謙信と和睦すること、などの遺言を残した。そして、武田信玄は死んだ。
 信玄の死をふして、武田全軍は甲斐にもどっていった。
 だが、勝頼は父の遺言を何ひとつ守らなかった。すぐに信玄の名跡を継いだし、瓶につめて諏訪湖に沈めることもしなかった。信玄の死も、忍びによってすぐ信長の元に知らされた。信長は喜んだ。織田信長にとって、信玄の死はラッキーなことである。
「天はわしに味方した。好機到来だ」信長は手をたたいて喜んだ。




         室町幕府滅亡


  将軍・足利義昭は信玄の死を知らなかった。
 そこでかれは、武田信玄に「信長を討て」と密書を何通もおくった。何も返事がこない。朝倉義景に送っても何の反応もない。本願寺は書状をおくってきたが、芳しくない。
 義昭は七月三日、蜂起した。二条城に武将をいれて、槙島城を拠点とした。義昭に忠誠を尽くす真木氏がいて、兵をあつめた。その数、ほんの三千八百あまり……。
 知らせをきいた信長は激怒した。
「おのれ、義昭め! わしを討てと全国に書状をおくったとな? 馬鹿めが!」信長は続けた。「もうあやつは用なしじゃ! 馬鹿が、雉も鳴かずばうたれまいに」
 七月十六日、信長軍は五万の兵を率いて槙島城を包囲した。すると、義昭はすぐに降伏した。しかし、信長は許さなかった。
”落ち武者”のようなざんばら髪に鎧姿の将軍・足利義昭は信長の居城に連行された。
「ひい~つ」義昭おびえていた。殺される……そう思ったからだ。
「義昭!」やってきた信長が声をあらげた。冷たい視線を向けた。
 義昭はぶるぶる震えた。小便をもらしそうだった。自分の蜂起は完全に失敗したのだ。もう諦めるしかない……まろは……殺される?
「も…もういたしませぬ! もういたしませぬ! 義父上!」
 かれは泣きべそをかき、信長の足元にしがみついて命乞いをした。「もういたしませぬ! 義父上!」将軍・足利義昭のその姿は、気色悪いものだった。
 だが、信長の顔は冷血そのものだった。もう、義昭など”用なし”なのだ。
「光秀、こやつを殺せ!」信長は、明智光秀に命じた。「全員皆殺しにするのじゃ!」
 光秀は「しかし……御屋形様?! 将軍さまを斬れと?」と狼狽した。
「そうじゃ! 足利義昭を斬り殺せ!」信長は阿修羅の如き顔になり吠えた。
 しかし、止めたのは秀吉だった。「なりませぬ、御屋形様!」
「なんじゃと?! サル」
「御屋形様のお気持ち、このサル、いたいほどわかり申す。ただ、将軍を殺せば松永久秀や三好三人衆と同じになりまする。将軍殺しの汚名をきることになりまする!」
 信長は無言になり、厳しい冷酷な目で秀吉をみていた。しかし、しだいに目の阿修羅のような光が消えていった。
「……わかった」信長はゆっくり頷いた。
 秀吉もこくりと頷いた。
 こうして、足利義昭は命を救われたが、どこか地方へと飛ばされ隠居した。こうして、足利尊氏以来、二百四十年続いた室町幕府は、第十五代将軍・足利義昭の代で滅亡した。









    

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