緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

【NHK大河ドラマ真田丸】<総集編>最高の2016年名作大河ドラマの集大成!!

2016年12月30日 22時22分23秒 | 日記




















日本が誇る年間ドラマの最高峰。三谷幸喜の執念を見た『真田丸』(NHK)




力を入れて執筆に励む三谷幸喜の姿が目に浮かぶような作品だった。「歴史上の大事件なんてそっちのけ。すべては真田家の目線から」というスタンスは、明快かつ新鮮。「本能寺の変や関ヶ原の戦いをほとんど描かなくても大勢に影響ない」と、初めて気づかされた人は多いのではないか。

その一方で、かの時代に生きた人々への思い入れは相当なものがあった。徳川家康や豊臣秀次などのステレオタイプな人物像を取り払った一方、きり、こうなどの歴史上に名の残らない女性にも愛情たっぷり。全般的に、男性に情けなさや醜さを加え、女性にたくましさやズル賢さを与えていたのはいかにも三谷らしい。そのため、主人公であるはずの信繁も無理にヒーロー然として描かず、終盤までは父の真田昌幸や豊臣秀吉らに主役のようなポジションを譲っていた。

『真田丸』の魅力は数あれど、最大のそれは"年間ドラマ"であることに疑いの余地はない。ネットやスマホ、録画レコーダーなどの普及で、視聴者は移り気で飽きっぽくなった。実際、『真田丸』が放送された一年の間に、「PERFECT HUMAN」「ポケモンGO」「ピコ太郎」「君の名は。」が次々にブームとなるなどコンテンツの消費スピードが速くなり、1クールの連ドラでも8~9話で終わらせる作品が増えている。その点、一年間ドンと構えて全50話をじっくり見せる大河ドラマは異次元の存在であり、さらに続編やスピンオフが待望されているのだから、快挙という意味合いに近い。

『真田丸』には、「日本には世界に誇る年間ドラマがある」ことを再認識させてもらえた。一年間楽しませてくれたことに感謝しつつ、来年放送の大河ドラマ『おんな城主 直虎』を期待して待ちたい。

三谷幸喜は間違いなく天才的脚本家である。
だが、主な脚本はコメディであるためにアンチも多い。これは天才故にやもを得ない。
天才のずば抜けた才能に嫉妬する嫉むアンチは必ずどの時代もいるものだ。
自分では何一つ小説も音楽も絵も脚本もつくれない凡人が「天才的才能」を嫉んで悪口をいい悪態をつき攻撃する。
ある凡人は三谷幸喜の天才もわからず、「戦国幕末のミーハー脚本家」などという。
「黙れ、凡人!三谷幸喜先生は天才だ!何もできないくせに黙れ、凡人め!」といいたくなった。
とにかく凡人であればあるほど嫉妬や妬みで天才を馬鹿にする。
悪辣であり自分の凡庸や馬鹿がわからない。まさにお気の毒な連中である。

2016年12月30日昼からの真田丸総集編はまさに最高の2016年の集大成!!録画もしました(笑´∀`)
三谷幸喜の天才には舌を巻くしかない。キャストもよかった。スタッフも一流だった。
『花燃ゆ』の後だけにクオリティの違いに日本人全員がはまった。最高の集大成で、フィニッシュであり感動もした。
やはり、三谷先生は凄い!


臥竜  緑川鷲羽  2016/12/30 22:21

2016年の連ドラTOP10発表! - 大河、朝ドラ、ミステリー、恋愛…終わってみれば名作ぞろい

2016年12月29日 16時46分57秒 | 日記





























2016年の連ドラTOP10発表! - 大河、朝ドラ、ミステリー、恋愛…終わってみれば名作ぞろい





© マイナビニュース 提供
●綾瀬はるかの引き出す演技、前田敦子のリアリティ
『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)と『ドクターX ~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系)が華々しいフィニッシュを飾るように、2016年の連続ドラマが全て終了。今年は例年以上に、事件・医療モノ以外のジャンルが多く、なかでも恋愛モノが勢いを取り戻すなど、多くの作品が楽しませてくれた。

ここでは、「朝ドラから深夜ドラマまで全作品を視聴している」ドラマ解説者の木村隆志が、一年を振り返るべく、「業界のしがらみや視聴率は一切無視」して、独断でTOP10を選んでいく。

○10位 宇宙人が主人公のゲスくも爽快な異色作『ラブラブエイリアン』(フジテレビ系)

いきなり超変化球のセレクトだが、知人のコラムニストたちが絶賛していたように、深夜2時台の放送にも関わらず、文句なしに楽しい作品だった。

物語は4人のヒロインと手のひらサイズの小人宇宙人が出会うところからはじまる。「小さいが驚異的な科学力を持つ宇宙人が居候することになり、日本人の本質や問題点が明かされていく」という筋書きだが、至るところに笑い満載。まず事実上の主人公と言える宇宙人(CG)が見事に作り込まれていた。

常に冷静沈着で、知能の低い地球人を見下しながらも、なぜかNASAに通報されることを嫌がり、極端に酒癖が悪く「地球滅ぼすぞ」を連発する宇宙人。合コン、初デート、出産、結婚、エッチなど、さまざまなテーマのトークで日本人の本音を暴いていく姿は、ゲスさだけでなく爽快感抜群だった。

新木優子、森絵梨佳、太田莉菜、久松郁実という華のある次世代ヒロインに加え、桜田通、堀井新太、佐久間由衣らのブレイク候補たちも出演するなど、若手俳優を愛でる楽しさも。女優4人によるオープニングのゆるいダンスもド深夜にハマっていた。

○9位 重いテーマに挑み、普遍的な光を見せた『わたしを離さないで』(TBS系)

何より、「臓器提供」や「クローン」など連ドラ史上まれにみる重いテーマにトライした勇気に敬服。綾瀬はるか、三浦春馬、水川あさみという人気者をキャスティングした上で、過酷な運命を背負わせることで、胸の奥底から湧き上がるような感性あふれる演技を引き出していた。

立役者は脚本家の森下佳子。「暗すぎて連ドラに向かない」と言われた原作を壊すことなく、わずかな光を与えながら、クライマックスまで導く筆致は見事だった。どんなに辛い状況に置かれた人でも、救いを求め、見い出すことができる。そんな普遍的なことにも関わらず見失いがちなことを再認識させてくれた。ながら見が多く、想像力を働かせたがらない現時点での視聴者にフィットしなかっただけで、見応えのある作品だったことは間違いない。

秋の『砂の塔』が一定の成功を収めたのも、この作品を筆頭にシリアスなテーマに挑戦し続けてきた『金曜ドラマ』そのものによるところが大きい。裏番組の「ジブリ映画再放送連発」にも負けず、2017年も頑張ってほしいと心から応援している。

○8位 共感とエールを込めた若者群像劇『HOPE~期待ゼロの新入社員~』(フジテレビ系)

韓国コミック&ドラマのプロットが良質なだけに、放送前は「いかに日本人の心に響く脚本・演出に落とし込めるか?」が注目されていた。

ビジネスシーンのリアリティに疑問が残るシーンこそあったが、サラリーマンの心情描写は丁寧かつ繊細。中島裕翔、瀬戸康史、桐山照史、山本美月ら若手社員と上司が見せる1つ1つのやり取りに、彼らへの共感とエールを込めるような優しさが感じられた。かつては人気ジャンルだった「"若者たちの群像劇"というジャンルを選び、最後まで貫こう」という真摯な姿勢はもっと評価されてしかるべきだろう。ただ、視聴率は低かったが、クチコミや満足度の高さはトップクラスで、見た人には確実に魅力が伝わっていた。

作品の世界観を形作っていたのは、遠藤憲一、山内圭哉、矢柴俊博、松田賢二、丸山智己、マギーら上司役の俳優たち。上司を写し鏡のようにして成長する若手目線から見ることも、上司の目線から見守ることもできる汎用性の高いビジネス作に仕上がっていた。ビジネス界を描いた作品は、リアリティを追求しすぎると、視聴者に息苦しさを感じさせることも多いだけに、ほどよい塩梅だった感がある。

○7位 愛と政治をリンクさせ、前田敦子が開花した『毒島ゆり子のせきらら日記』(TBS系)

恋愛依存症で二股を繰り返すヒロインに前田敦子がジャストフィット。デレデレに甘え、男を翻弄し、泣き叫び、ボロボロになる姿を見せたほか、揺れ続ける心境を吐露したモノローグは、妙なリアリティがあった。

「誰かに愛されたい」「一人になりたくない」という女性が抱きがちな心境にフィーチャーしつつ、「愛と裏切りは切り離せない」というシビアな結末も選んだのも好印象。「政治の世界にも愛と裏切り」があることを巧みにリンクさせて、ヒロインを成長させる筋書きも絶妙だった。

クロワッサンの食べ方や、ダルマをエッチにたとえるなど、細部のディテールにも遊び心満載。「深夜の昼ドラ」というキャッチコピー通り、ベッドシーンと愛憎劇が入り乱れる様子を30分間で描き切り、しかもオリジナル作品だったことは称賛に価する。「30分の深夜ドラマでもここまで作り込める」という事実を知らしめた意義も大きく、「今年最大の掘り出し物だった」と言ってもいいだろう。

○6位 自由な脚本・演出で時代劇の可能性を広げた『ちかえもん』(NHK)

「人形浄瑠璃の名作『曾根崎心中』の誕生と、作者・近松門左衛門の生涯を描く」という時代劇の可能性を広げるような野心作。スランプに悩みながらもひょうひょうとした近松と、まったく空気を読まず勘違いの多い渡来人・万吉の絡みは楽しく、松尾スズキと青木崇高が役にハマっていた。

さらに、「アホぼん」の小池徹平、遊女の優香と早見あかり、竹本義太夫を演じた北村有起哉など、助演も人情と薄情が入り混じる軽妙さ。キャラ造形だけでなく、音楽や美術などにも自由さをまとわせることで、時代劇とは思えない異質な映像を作り上げた。

なかでも、怒涛の展開でアッと言わせた最終回は出色。伏線の回収、オチのつけ方、映像としてのダイナミックさなど、誰もが納得できる心地よいフィナーレを飾った。

『ちかえもん』はNHKならではの試みであり、結果として時代劇の可能性を広げたのは明白。脚本・演出の力に頼るところは大きいが、まだまだ時代劇には音楽の使い方や色気の醸し方など、さまざまな娯楽性が眠っているのではないか、と期待させてくれた。

●『逃げ恥』視聴率倍増の理由
○5位 大胆な緩急と、控えめなキャラクター造形が光る『べっぴんさん』(NHK)

「戦前戦後の激動期を生きた女性実業家の一代記」という骨組みは、『あさが来た』『とと姉ちゃん』と同じ鉄板の成功パターン。しかし、フタを開けてみたら異例尽くしの内容だった。

とりわけ驚かされたのは、第2週での超速展開。幼なじみへの初恋、失恋と姉の結婚、別の男性と結婚、妊娠と夫の出征、出産、終戦が、各1話ずつ描かれた。

本来これらの過程は、登場人物の奮闘や悲劇をしっかり描いて、感情移入をうながす大切なパート。半年間もの長期間放送されるにも関わらず、わずか1週間で駆け抜けてしまったのは、その後の物語をできる限りじっくり見せたいからだった。

『べっぴんさん』が本当に描きたいのは、戦争で多くのものを失った4人の女性が、1針1針コツコツと子ども服を縫い上げるように仕事や子育てと向き合い、絆を育んでいく姿。そのためには、女学生時代や戦争中のシーンに時間を割きたくなかったのだろう。

ヒロイン像も異例だった。朝ドラのヒロインと言えば、明るく元気なキャラクターが多い中、すみれは「言いたいことすら言えない」控えめなタイプ。つまり、セリフに頼れないため演じるのは難しいはずだが、芳根京子は持ち味である感受性の豊かさを生かして、思いを絞り出すような熱演を見せている。引いては「『キアリス』の4人全員が、何者でもない普通の女性であり、力を合わせて地道に進んでいく」という展開は、近年ありそうでなかった古き良き朝ドラの定型に近いのかもしれない。

放送は折り返し地点を越えたところに過ぎないが、現時点でも今年トップクラスのクオリティがあると言っていいだろう。

○4位 バカリズムが"芸人脚本家"の可能性を見せた『黒い十人の女』(日本テレビ系)

とにかくバカリズムの脚本に尽きる。連ドラデビュー作『素敵な選TAXI』は一話完結のファンタジーだったため、本格的な連ドラは初めてにも関わらず、さまざまな技を見せつけた。

10人の女性を見事に色分けし、些細な言動1つで笑わせる小技から、徐々に濃度の高いものをぶっかける荒技まで縦横無尽。相関図を説明するためにカフェ店員を置き、その女性も不倫をしているなど、登場人物たちの交通整理とキャラ付けにぬかりはなかった。

当初は「お笑いライブの集団コントみたいになるのでは?」なんて声もあったが、今年の芸能界最大のテーマである不倫を扱った上で、風刺もしっかり。「ただ笑わせるだけでない」連ドラとしての魅力を見せつけた。

最大の副産物は、脚本の面白さに女優たちが躍動したこと。成海璃子、水野美紀、佐藤仁美、MEGUMI、トリンドル玲奈などが、近作の出演作では最高クラスの生き生きとした姿を見せ、希少な"女だらけの不倫コメディ"を作り上げた。

コント作家だけに「結末のカタルシスが弱い」という課題がある気もするが、バカリズムがすでに一流の脚本家であることは明らか。これほど女性の気持ちが分かるのなら、月9で王道の恋愛ドラマにも挑戦してほしい。

○3位 高品質の裏に、ドラマ界の課題を破る挑戦アリ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)

秋ドラマの話題をさらった『逃げ恥』だが、あらためて振り返ってみると、ドラマ界が二の足を踏んでいた課題に挑戦していたことが分かる。

第1に、さまざまな立場の人間を尊重すること。『半沢直樹』以降ドラマ界は勧善懲悪ムード一色になり、善悪をはっきりさせるのが当たり前になっていた。しかし、『逃げ恥』は、専業主婦、シングルマザー、独身アラフィフ、マイノリティーなど、あらゆる人の存在をほどよく尊重して、等身大かつ幸福感あるムードを作り上げた。

第2に、みくりと平匡の恋愛スピードが、昨今ほとんど見られないほどスローだったこと。ハグやキス、一泊旅行などの小さな出来事で一話を使う展開は、80年代~90年代前半の恋愛ドラマを思わせるものであり、「少しずつキャラクターに肩入れしていく」という連ドラの醍醐味に満ちていた。ここ数年、ハイテンポや大きな事件を起こす作品ばかりになっていただけに、スローペースの楽しさを思い出させた功績は大きい。

第3に、作品の質を上げるだけでなく、視聴者とのさまざまアタッチポイントを作ったこと。恋ダンスを筆頭に、自局情報番組とのコラボ、タイアップCM、クックパッドとの連動、横浜市との街めぐり企画など、「あらゆるところから視聴者を集めよう」という全方位PRを実現させ、見てもらうための努力を惜しまなかった。これまでも質の高い作品はあったが、『逃げ恥』の視聴率が初回から最終回で倍増したのは、こんな努力もあってのことだろう。

新垣結衣と星野源らキャストはもちろん、脚本家、演出家、プロデューサーのすべてが機能したからこその大ヒットだった。

○2位 すべての働く人を明るく照らし、俳優たちが力を見せつけた『重版出来!』(TBS系)

普通のマンガ業界モノと思いきや、侮るなかれ。さまざまな立場の働く人々にスポットライトをあてて、仕事の楽しさと難しさを力むことなく描き出した名作だった。
当初、黒沢心のスポ根型ヒロイン像に既視感を覚えたが、それでも押しつけがましさはなく、次第にそのピュアさで、彼女の周囲で働く人々を映すテレビカメラのような存在になっていった。

特筆すべきは、脚本家の野木亜紀子が、先輩の編集部員に加え、漫画家、営業部員、書店員、デザイナー、アシスタントやアマチュアなど、それぞれの状況と心境を過不足なく抽出していたこと。今思えば、「1人1人の仕事をリスペクトして、フラットにスポットライトをあてよう」という姿勢は、2クール後に放送された『逃げ恥』大ヒットの下地となったのではないか。

また、これまで「業界ドラマは面白くならない」と言われていたが、当作がどんな業界で働く人も共感できる作品に仕上げたことで風向きが変わり、他局だが『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』のヒットにつながっていたとしたら素晴らしい。

その他、実在の人気漫画家に作画をオーダーするなど、細部の創意工夫にも抜かりなし。オダギリジョー、松重豊、安田顕、荒川良々、小日向文世、生瀬勝久、滝藤賢一、ムロツヨシら中堅・ベテランが品質を保証し、永山絢斗、高月彩良、中川大志ら若手が勢いをもたらしていた。あらゆる面で、工夫と努力が施された贅沢な作品だったと言える。

○1位 日本が誇る年間ドラマの最高峰。三谷幸喜の執念を見た『真田丸』(NHK)

力を入れて執筆に励む三谷幸喜の姿が目に浮かぶような作品だった。「歴史上の大事件なんてそっちのけ。すべては真田家の目線から」というスタンスは、明快かつ新鮮。「本能寺の変や関ヶ原の戦いをほとんど描かなくても大勢に影響ない」と、初めて気づかされた人は多いのではないか。

その一方で、かの時代に生きた人々への思い入れは相当なものがあった。徳川家康や豊臣秀次などのステレオタイプな人物像を取り払った一方、きり、こうなどの歴史上に名の残らない女性にも愛情たっぷり。全般的に、男性に情けなさや醜さを加え、女性にたくましさやズル賢さを与えていたのはいかにも三谷らしい。そのため、主人公であるはずの信繁も無理にヒーロー然として描かず、終盤までは父の真田昌幸や豊臣秀吉らに主役のようなポジションを譲っていた。

『真田丸』の魅力は数あれど、最大のそれは"年間ドラマ"であることに疑いの余地はない。ネットやスマホ、録画レコーダーなどの普及で、視聴者は移り気で飽きっぽくなった。実際、『真田丸』が放送された一年の間に、「PERFECT HUMAN」「ポケモンGO」「ピコ太郎」「君の名は。」が次々にブームとなるなどコンテンツの消費スピードが速くなり、1クールの連ドラでも8~9話で終わらせる作品が増えている。その点、一年間ドンと構えて全50話をじっくり見せる大河ドラマは異次元の存在であり、さらに続編やスピンオフが待望されているのだから、快挙という意味合いに近い。

『真田丸』には、「日本には世界に誇る年間ドラマがある」ことを再認識させてもらえた。一年間楽しませてくれたことに感謝しつつ、来年放送の大河ドラマ『おんな城主 直虎』を期待して待ちたい。

終わってみれば2016年のドラマ界も力作ぞろいで、ここで挙げた10作は好みの問題でしかない。実際、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系)、『お義父さんと呼ばせて』(フジテレビ系)、『ナオミとカナコ』(フジテレビ系)、『世界一難しい恋』(日本テレビ系)、『私 結婚できないんじゃなくて、しないんです』(TBS系)、『夏目漱石の妻』(NHK)、『THE LAST COP/ラストコップ』(日本テレビ系)、『砂の塔~知りすぎた隣人~』(TBS系)など、エッジの効いた良作が多かった。未視聴のものは年末年始の休みを利用して、オンデマンドやDVDで視聴してみてはいかがだろうか。

最後に、ドラマ制作のみなさん、俳優のみなさん、今年も1年間おつかれさまでした。2017年も「多くの人々を楽しませる」「心から感動できる」ドラマをよろしくお願いいたします。

■木村隆志
コラムニスト、テレビ・ドラマ解説者。雑誌やウェブに月間20本超のコラムを提供するほか、『新・週刊フジテレビ批評』『TBSレビュー』などに出演。取材歴2000人を超えるタレント専門インタビュアーでもある。1日のテレビ視聴は20時間(同時視聴含む)を超え、ドラマも毎クール全作品を視聴。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』など。

【パールハーバー真珠湾宣言】緑川鷲羽<真珠湾ドクトリン>今孔明諸葛孔明独占宣言6

2016年12月28日 15時41分45秒 | 日記


























6


「ニューヨーク市には差別があり、南アフリカにはアパルトヘイトがあり、ペルーの山奥には未だ農奴制が存在していた。バングラディシュの街頭では人々が飢えで死に、北朝鮮では反体制派の人々が刑務所にぶち込まれる。北では何千人という人々が虐殺されている。そして世界の富は惜しげもなく軍備拡張にそそがれている。
 これらは一様に悪ではあるが、所詮人間が作り出した悪であり、人間の正義感の不完全さ、人間の慈悲心の欠落、他の人の不幸にたいするわれわれの感覚の欠如を反映しているに他ならない。故にわれわれは怒りと良心をもってこれらの悪を取り除くという決意を分かち合わねばならない。
 すべてが急変している今日、時代遅れの教議や使い古されたスローガンはもはや通用しない。すでに消えかけてる現在にしがみつき、どんな平和的な進歩にも必ずついてまわる危険性とエキサイトメントよりも安全という幻想を選ぶ人間は世界を動かし、変えることができない。
 かつてイタリアのある哲学者が語った。”新しいことを手掛け、新しいアイデアをこの世に紹介するほど難しく、その成功が不確かなものはない”と。しかし、これこそこの世代がやらなければならないことなのだ。そして前途には様々な危険と障害が横たわっている。
 まず第一の危険は何をしようとも無駄であるという考え。無知、不正、暴力、苦悩などこの世界が抱える問題に対して、ひとりの人間ができることはなにもないという無力感に溺れることは、戦う前に白旗をあげるに等しい。
 歴史を思い出してほしい。思想においても行動においても、世界をかえた偉大な動きの多くはたったひとりの人間によって成功されてきたではないか。ひとりの若い僧侶が宗教改革を成し、ひとりの若い将軍は国境をマケドニアから地の果てまでのばし、ひとりの女性がフランスの領土を奪還した。ひとりの若いイタリアの探検家は新大陸を発見し、三十二歳のトーマス・ジェファーソンは人間はすべて平等と宣言した。古代ギリシアの数学者アルキメデスは言った。”私の立てる場所をくれ、そうしたら世界を動かしてみせる”と。 これらの人々は皆世界を動かした。われわれにもできないはずがないのだ。歴史そのものを曲げる偉大性を持つ者は少ないかも知れない。しかし、われわれひとりひとりが、社会のほんの小さな一部分を変えていくことはできる。それらの行為がひとつにまとまった時、初めてこの世代の歴史が書き綴られることになるのである。
 勇気と信念に基づいた限りない行動によって人類の歴史は形成されていく。
 ひとりの人間が理想のために立ち上がり、不正を攻撃し、苦しんでいる人々のために行動を起こす度に、彼は希望のさざ波を送り出している。一〇〇万人が行動を起こせば、それらのさざ波は、いかなる迫害、いかなる抵抗をも突き破る津波となり、歴史をも変えてしまうエネルギーとなり得るのだ。
 古代ギリシャの政治家ペリクレスは言った。”もしアテネが偉大だと思うなら、その栄光は勇敢なる人々、義務を果たすことを知った人々によって勝ち得たのである”と。これこそあらゆる偉大性の源であり、われわれの時代の進歩の鍵となるのだ。
 われわれの未来はわれわれのヴィジョンを超越する。しかし、それは決してわれわれがコントロールできないものではない。なぜなら未来は、運命や自然の力やさからうことのできない歴史の波によって作られていくものではなく、われわれ自身の手によって作られるものだからだ。運命がわれわれを支配するのではなく、われわれが運命を作り出していくのだ」



7  緑川鷲羽「草莽掘起」宣言

「皆さんがここに集まったのは私のためではない。この国の将来を信じているからだ。大震災に突入しても皆さんは平和の到来を信じている。絶望の中にあっても、皆さんは希望が生まれるのを信じている。政治は皆さんを疎外し、私たちを長い間分裂させていたのにも関わらず、私たちはひとつの国民になれることを信じている。私たちは今、その旅路に立とうとしている。 私がジャーナリスト界に来たのは二十数年前。専門学校を卒業したばかりの若者だった。教会グループから地域活動の仕事を与えられた。日本をよりよくするために、ささやかながら役割を果たせると思って引き受けた。その後、ジャーナリストになり、選挙民の積極的な政治参加次第で自由や平等という私たちの大切な権利が守られることに気付いた。私はジャーナリストとしてこの米沢にいる。日本のはるか東に面するこの地で、私は日本国民の特質である寛大さを知った。寛大さをもってこそ、希望ある日本を建設できると私は信じるにいたった。だからこそ、私は、直江兼続公が、かつて分裂した戦国に結束を呼び掛けたこの地で、共通の夢と共通の希望がたたずむこの場所で、皆さんの前に立ち、「草奔掘起」を表明する。
1年前、私は皆さんの前に立ち、私自身の話をした。裕福でなく、無名だった米沢からきた若い男性と山形市出身の若い女性の話だ。彼等は、自分たちの息子が望むことを実現できるのが日本だと信じていた。この約束こそ、日本を特別な国にしている。勤勉さと犠牲を通じて私たち一人ひとりが自分の夢を追求できる。それとともに日本という一つの家族として団結し、次の世代も夢を追えるようにするのだ。その約束が今、破られようとしている。多くのひとが失業し、家を失い、借金に苦しんでいる。破綻した永田町の政治、菅政権の失策が原因だ。
 私は日本人に訴えたい。我々は立ちあがらなけれけばならない。「(失策は)1年でたくさんだ」と。
 私は日本の約束を守るため変革(チェンジ)を公約する。国内で雇用創出する企業への優遇税制や、全勤労世帯の95%を対象とした減税だ。中東の石油依存から10年で脱却する。風力、太陽光など再生可能エネルギーの開発に投資し、500万人の雇用を創出する。すべての国民が利用できる医療保険制度を約束する。男女の給与格差もなくす時だ。 責任ある形でイラク戦争を終結し、アフガニスタンでの国際テロ組織アルカイダと、旧支配勢力タリバンとの戦いを完遂する。テロと核拡散、貧困と虐殺、気候変動と疾病という21世紀の脅威を打ち負かす、新しい国際協調関係を築く。
 この20年間で失われたのは、共通の目標に取り組む国民の意識だ。これを取り戻さなければならない。私の選挙ではない。あなた方の選挙だ。皆さんが日本を変えるのだ。若い(黒人公民権運動指導者マーチン・ルーサー・キング)牧師が語る夢を聞いた。人民の人民による人民のための政治は滅んでいなかった。
 我々の前には大きな仕事が待っている。道は長く険しい。だか、私は今夜ほど希望に満ちたことはない。私は約束する。我々は一つの国民として目標に到達するのだ。
 今夜我々は、この国の真の力は武力ではなく、民主主義、自由、不屈の希望に由来することを証明した。今こそ我々の時代だ。子供達に機会の扉を開き、豊かさを取り戻し、ドリームを訴える時だ。皮肉や疑いに直面したとき、「できない」と私たちに語るひとがいる時、変わることのない信念で答えるのだ。私たちには出来る、と」

【パールハーバー真珠湾宣言】緑川鷲羽<真珠湾ドクトリン>今孔明諸葛孔明独占宣言5

2016年12月28日 15時40分32秒 | 日記



























5



「シェイクスピアは?」「シェイクスピアは読んだ?」
「じゃあ、ジュリアス・シーザーは? 誰に殺された?」
「あなたたちは楽なほうに逃げるのか? 影の政府に満足しているのか?
 JFKは体制にとって邪魔だった。だから殺された。しかし、JFKは生前に敵をつくらなかった? 違うね。そんな生き方はしなかったはずだ。絶対に。時代は関係ない。”王は殺される”んだよ。利益のために…。”戦争は最大のビジネス”なのだよ。
 そう。彼ら改革者の死を誰が悲しむ? ひっそり埋葬されてもね。そして、JFKの大きな国葬ですべて隠され、当局の創作が拡大される。堂々たるウソとJFKの葬儀で、人々は思考能力を失う。ヒットラーはいった。”ウソが大きいほど国民は信じる”と。オズワルドは目立ちたがやの狂人で、孤独な男…そして、その同胞が同じように要人を殺していく? 無意味な一匹狼のしわざとして。我々はハムレットの気分だ。殺人者が王座にいる。JFKの亡霊がこのことを許す? 理想との挑戦だ。JFKは問う。憲法の意義は? 命の貴さとは? 大統領が殺される国で…真の民主主義は? しかも、陰謀の疑惑があるのに司法当局は動かない。政治的暗殺はこのあとも続くだろう。自殺や癌や交通事故、航空事故…さまざまな手段で、真実が消されていく。”反逆は栄えず”…と誰かがいった。その通り……反逆が栄えたら、それは反逆じゃない。
 サブルーダー・フィルムも未公開だ。なぜ? 国民にX線写真や検死写真を見せない。なぜ? 陰謀を示す資料が山のようにあるのに…なぜ司法は動かない。政府に重要書類を求めても連中はこういう”国家機密だ”と。大統領を殺されて何の機密だ? 国家機密の名目なら、基本的権利は奪われていいと? 米国は影の政府を認めるのか? ファシズムのような政府を…。ここであえていう。六三年の事件はクーデターだ。
 悲劇的な結果だった。JFKの死で、ヴェトナム撤退は、反古、だ。戦争は最大のビジネスで、年間費用800億ドル。JFKは国家の最高レベルの陰謀により暗殺された。
 実行したのは狂信的で冷酷な狙撃者たち……軍産複合体とCIA、シークレット・サービス…マフィア…。暗殺は公開処刑であり、警察の人々だけでなくシークレット・サービス、CIA、MI6、ジョンソン、ニクソンやマフィア……みんな共犯だ。暗殺のことを知るには、JFKが死んで得したふたり…ジョンソンとニクソンに資料を請求すべきだ。でも、関係者からのリンチを恐れたのか、資料は二〇三七年まで封印だ。なぜ? これはわれわれのものなのに。…税金がつかわれた」





「われわれはいつか真実を発見する。我々は挑戦しなければならない。独立宣言でもいっている。”社会が停滞したらもっと西へ行け”と。ある作家はいった。
”我々は政府から国を守らなければならない”……われわれは子供のころ、正義は絶対であり、かならず悪に勝つ、信じてきた。正義は自然と生まれると…。しかし、それは真実じゃない。正義は人間が作るものであって、自然にはうまれない。真実は権力にとって脅威だ。権力と闘うのは命がけだ。過去さまざまな人間が抵抗し、殺されていった。
 なぜ、われわれは挑戦しなければならぬのか? それは、皆が望んでいるからだ。真実を知りたい、と。我々の国だから。誇りのもてる国にしたい。真実は最も貴重だ。もし、真実が無になり、この国の政府を信じられなくなれば、この国で生まれてもこの国で死にたくない。”去り行く首相に権威なし…”そう首相は人気と権威を失った。だが、この国は世界に問わなければならない。”人民の人民による国”が日本国であるということを。
 そして、われわれは”国のためになにかできるか?”を問うのだ。
 そのために、私は、きっとこの国を復活させてみせる。
 いま求められているのは暴力でも憎悪でもない。静かに祈ってください。世界は人間の愛の力によって平和へ導かれることを願って……みなさん、祈りましょう!」
 

【パールハーバー真珠湾宣言】緑川鷲羽<真珠湾ドクトリン>今孔明諸葛孔明独占宣言4

2016年12月28日 15時39分23秒 | 日記





























4      ニュー・ヴィジョン



「ジョン・メイスフィールド氏の言葉に”この地上において大学ほど美しいものはない”ということばがある。
 彼の言葉は今日でも真実である。しかし、彼は建物やキャンパスの緑、蔦でおおわれた塀などの美しさを語っていたのではない。彼が大学の美をほめたたえたのは、彼も語っているように、大学とは”無知を憎む人間が知識を得るために努力し、真実を見たものがそれを他に知らしめようと努力する場所”だからだ。
 故に私はこの場と時を借りて往々にして無知が支配し、真実が押し潰されているある事柄について語りたい。それはこの地上で最も重要な事柄ー世界平和である。
 どのような平和を私は言っているのか?どのような平和をわれわれは探求しているのか? それはアメリカの武力によって押しつけられるパックス・アメリカーナではない。
 そして、墓場の平和でもなければ、奴隷の安全性でもない。私がいっているのは本物の平和である。それは人生が生きるに値すると思わせるような平和であり、すべての人々や国々を発展させ、夢を抱かせ、子供たちのためにより良き生活を打ち立てさせ得る平和である。
 それは日本人だけのための平和ではなく全人類のための平和であり、われわれの時代だけでなくすべての時代の平和である。
 今日、何千億ドルという金が軍事費に使われ、それによって平和が維持されている。しかし、核兵器の無駄な蓄積、破壊するだけで何ものも創造しない核兵器の蓄積だけが平和を保障する唯一の、しかも最も効果的な方法なのだろうか。決してそうではないはずだ。 平和とは理性的な人間の理性的なゴールであらねばならない。平和の追求は戦争の遂行ほど劇的なものではなく、往々にして無関心という壁にぶち当たる。しかし、これほど重要かつ緊急を要する事柄はない。
 ある人々は言う。北朝鮮や中国の指導者たちがより啓蒙された考え方を持たぬ限り、世界平和や軍縮について語るのは無駄なことである、と。中国の指導者たちが啓蒙されることを私は望んでいる。そのための手助けをわれわれはできるし、せねばならない。しかし、同時に、国家としてまた個人として、われわれもまたわれわれ自身の態度について改めて考えねばならない。中国側の態度と同じようにわが方の態度もまた重要だからだ。
 まず第一に平和に対するわれわれの態度を見てみよう。あまりにも多くの人々が平和は不可能かつ非現実的と考えている。しかし、それは危険な敗北者的思考と言わねばなるまい。なぜならそれは人間の力の無力さを表し、人類は自分たちでコントロールできない力によって抑えられており、戦争は避けられず、結局は滅亡するという結論に導くからだ。 この見方を受け入れる必要はまったくない。われわれの問題はわれわれ人間がつくりだしたものなのだ。それ故に人間が解決でき得るものなのだ。人間は限りなく大きくなれるものである。人間の運命に関して人間が解けない問題は、ひとつとしてあり得ない。これまでにも人間の理性と精神力は一見不可能と思える数々の問題を解き明かしてきた。ここで再びできないという理由はない。
 私は一部の幻想家や狂信者の夢みる絶対かつ無限の観念を含んだ平和について語っているのではない。希望や夢を私は否定しない。しかし、それらを基に平和を構築しようとすれば、待っているのは落胆と懐疑でしかない。
 より現実的で手の届く範囲の平和に焦点をしぼろうではないか。真の平和とは、多くの国々による具体的な活動によってもたらされるものである。それはダイナミックで、決して停止せず、あらゆる時代の挑戦に耐え得るよう常に変化しなければならない。なぜなら平和とは諸々の問題を解くプロセスであるからだ。
 そのような平和がきても、互いの利益の対立や紛争は絶えることはないかもしれない。 世界平和は地域社会の平和同様、人々にその隣人を愛するよう要求はしない。しかし、互いに忍耐と寛容の心をもって一緒に生きることを要求する。国家間の敵愾心は個人間のそれと同じように永遠に続かないことを歴史は教えている。
 平和は決して非現実的なものではないし、戦争は決して必然的なものでもない。
 第二に中国に対するわれわれの態度を見直そうではないか。かの国の指導者たちが、彼らの宣伝機関によって書かれていることを頭から信じているのは悲しむべきことである。アメリカが戦争を仕掛ける準備をしているとか、アメリカ帝国主義が侵略戦争によってヨーロッパや他の資本主義国家を経済的、政治的に属国化しようとしているなど根も葉もないことを彼らは信じている。
 昔の諺にあるように”悪者は誰も追いかけてもいないのに逃げる”のだ。しかし、彼らのプロパガンダを読んでわれわれと彼らの間にある溝の深さを知ると悲しみさえ感じる。これは我々日本人にとっても警告である。われわれは北朝鮮と同じワナにはまってはならない。
 日本人としてわれわれは個人の自由と尊厳を奪う共産主義に対して深い嫌悪感を抱いている。
 しかし、中国国民がこれまでに成し遂げた事柄、科学や宇宙、経済的成長、文化や数々の勇気ある行為に対しては心から賞賛の拍手を送る。
 そして忘れてはならないのは、日本人と中国人のどちらが共に戦争を忌み嫌い、両国ともこれまで何度も戦ったことがある、という事実である。
 互いに相違点が存在することは認めよう。しかし、同時に互いの共通の利益にも目をむけ、相違点の解決にも努力しよう。
 そして、もし今相違点を克服できないとしても、少なくとも多様性を認めるような世界を作る努力は成せる。なぜなら、最終的にはわれわれの最も基礎的な共通点は、皆この小さな惑星に住み、皆同じ空気を吸い、皆子供たちの未来を大切に思っている。そして、皆死んでいく身ということであるからだ」


「今、初めて平和への道が開かれたかもしれないのだ。未来が何をもたらすのかは誰も知る故もない。闘争努力を柔らげる時がきたのかどうかは、誰も確信をもって語れない。しかし、もしわれわれが今、希望をもって行動に移すあらゆる努力を払わなければ、歴史とわれわれの良心はわれわれをきびしく裁くであろう。今が始める時だ。中国の古い諺によれば、
”一里の旅も一歩から始まる。”
 わが同胞日本国民よ、その第一歩を踏み出そうではないか。バブル崩壊の影から一歩後退し、平和の道を探求しようではないか。そして、その旅が一里かそれ以上になろうとも、われわれが今この地でこの時に第一歩を踏み出したと歴史に記さしめようではないか」
「われわれは基本的に道徳的問題に直面している。古くは聖書で語られ、日本国憲法でも明らかにされている。
 問題の核心はあらゆる日本人が平等の権利と平等の機会を与えられるかということだ。もし日本にいる人が皮膚の色が違うということだけで公共学校に入ることができないとしたら、彼を代表する人間を選挙で投票できないとしたら、要するに皮膚の色が違うというだけでわれわれ皆が欲している自由で意義深い生活が送れないとしたら、われわれの中で誰が皮膚の色を変えてあえて彼の立場に身を置きそれに甘んじるという者がいようか。 リンカーン大統領が奴隷解放を行ってからすでに二〇〇年が過ぎた。しかし、彼らの子孫、彼らの孫だちはまだ完全に自由ではない。彼らはまた不正義の鎖から自由になっていない。彼らは未だ社会的、経済的抑圧から自由になっていない。そしてこの国は何を主張し、どんな立派な行動をとろうと全部の国民が自由にならない限り決して自由な国家にはならない」

「リンカーンという偉大な人物が黒人を解放してから二〇〇年たつが、未だ黒人は”物質的繁栄という海のど真ん中にある孤独な貧困の島に住んでいる”。
 公民権活動家に対して質問するひとがいる。
”あなたがたは一体いつになったら満足するのか”
 われわれは黒人や外国人が警察の暴力の犠牲者であるかぎり満足できない。
 われわれはホテルやモーテルで疲れた体を癒すための一夜の休息を得られない限り満足できない。
 われわれは黒人や外国人の移動性が小さなスラムから大きなスラムに移るだけという状況が続く限り満足できない。
 私は夢見ている。四人の小さな私の子供達が、彼らの皮膚の色ではなく、その性格から判断される国に住める日がくることを。
 私は夢見ている。
 これがわれわれの希望である。この信念をもって私は南部へ帰る。この信念をもって、われわれは絶望という山から希望の石を取り出すことができるのだ。この信念をもってわれわれは、あつれきの不調和音を美しい兄弟愛のシンフォニーにかえることができるのだ。 この信念をもついつか自由になれる日がくるのを信じてわれわれは、共に働き、共に祈り、共に戦い抜き、共に拘留所に入り、共に自由のために立ち上がろう。そして自由が得られた日、われわれすべての神の子は新しい意味を持って”“わが祖国、甘い自由の地、汝のために歌わん。父たちが死んだ地、移民たちの誇りの地、すべての山腹から自由のベルを鳴らそう”と歌えるのだ。
 そしてもしアメリカが日本が真に偉大な国となるならこれは現実とならなければならない。
 だから巨大なニューハンプシャーの丘の上から自由の鐘を鳴らそう。ニューヨークの山々から自由の鐘を鳴らそう。ペンシルバニアのアレゲニー山脈から自由の鐘を鳴らそう。 雪に覆われたコロラドのロッキーから自由の鐘を鳴らそう。カルフォルニアの美しい峰から自由の鐘を鳴らそう。しかし、それだけでなく、ジョージアのストーン・マウンテンからも自由の鐘を鳴らそう。テネシーのルックアウト・マウンテンからも自由の鐘を鳴らそう。
 ミシシッピーのあらゆる丘、あらゆるもぐら塚からも自由の鐘を鳴らそう。
 あらゆる山頂から自由の鐘を鳴らそう。
 われわれが自由の鐘を鳴らす時、あらゆる村、あらゆる集落、あらゆる州、あらゆる市で自由の鐘を鳴らす時、われわれはすべての神の子たちが、黒人も白人も、ユダヤ人も異教徒も、プロテスタントもカトリックも手を取り合って共にあの古い黒人霊歌を歌える日がくることを早めることができるのだ。『やっと自由になった!やっと自由になった!神に感謝す、やっとわれわれは自由になれた!』と」
                               

【パールハーバー真珠湾宣言】緑川鷲羽<真珠湾ドクトリン>今孔明諸葛孔明独占宣言3

2016年12月28日 15時38分17秒 | 日記



























3



「二〇〇〇年前、最も誇り高い言葉は”キヴィス・ロマナス・スム”(われわれはローマ市民である)という言葉であった。
 今日、自由社会において最も誇り高い言葉は”われわれは世界市民である”という言葉だ。
 ある人々はいう。共産主義と自由世界の間に横たわる問題は、一体なんなのか?と。
 そういうひとは日本に来るべきだ!
 ある人はいう。共産主義こそ未来の波である、と。
 彼らは日本に来るべきだ!
 またある人は共産主義者たちとうまくやっていけるという。そしてある人々は、確かに共産主義は悪のシステムであるが、経済的発展を促進させているという。
”ラッス・ズィー・ナック・ジャパン・コメン!””レット・ゼム・カム・トゥ・ジャパン!”
 自由には諸々の困難があり、民主主義は完全ではない。しかし、われわれは自国民を閉じ込めるために壁を作ったことなど、一度としてなかった。
 私は極東アジアの彼方に住む日本国民を代表して、あなた方に言う。われわれは過去六十年間の苦難を、あなた方と分かち合えたことは最大の誇りであった、と。六十年間もの長い間、包囲の中にありながら、日本ほど活気と力、希望と決意をもって生きてきた国を私は知らない。中国の共産政治は、共産主義体制の最も明らかな失敗を全世界にみせつけている。しかし、われわれは満足などしていない。なぜならそれはあなた方の劉暁波氏が語ったように、歴史に対する罪であるのみならず、人間性に対する罪でもあるからだ。家族を引き離し、夫や妻、兄弟姉妹を隔離し、共に生きたいと願う人々を引き割くことを、人間性への挑戦といわずして何と言おうか。
 あなた方は自由の孤島に住んでいる。しかし、あなた方の人生は大きな流れの一部なのだ。故に話をしめるにあたって、あなた方にお願いする。今日の危機を超越し、明日の希望に目を向けて欲しい。この日本の自由だけでなく、全人類の自由と正義にもとずいた平和に目を抜けてほしい。
 自由というものは決して分割されない。ひとりの人間が奴隷として扱われたら、すべての人が自由ではない。すべての人々が自由になる時、この日本国家もそしてこの偉大なる極東アジアも、平和と希望に満ちた世界のひとつになる日がやってくるであろう。
 その日は必ずやってくる。その時こそあなた方は約六十年の間、この戦いの最前線に立っていたという事実に心からの満足感を得られるのだ。
 いずこに住もうと、すべての自由人は、日本市民に他ならない。故に私はひとりの自由人として誇りをもって言う。”イッヒ・ビン・アイン・ジャパニーズ”と」

       



「今われわれはわが国の歴史のなかで最も重要な岐路に立っていることは、改めて強調するまでもあるまい。尖閣諸島や朝鮮半島や北方領土では重大な危機に直面し、国内では経済の再建と安定のために皆が全力をつくし、予備兵たちは家族から何か月も離れてくれるように要請し、兵士たちには命を賭けてくれるように要請している。組合には賃上げ交渉を控えるように要請し、すべての人々に自重と犠牲が強いられている時、個人的権力と金を追求する一握りの会社の幹部たちがその公的責任を顧みず、一億二〇〇〇万人の日本人の利益を頭から侮辱する態度に出た状況を、日本国民は、私同様決して受け入れないであろう」

【パールハーバー真珠湾宣言】緑川鷲羽<真珠湾ドクトリン>今孔明諸葛孔明独占宣言2

2016年12月28日 15時36分58秒 | 日記























2


「一八六〇年の選挙においてアブラハム・リンカーンは、国民の半分が奴隷で半分が自由というこの国家が存続し得るかが問題であると語った。新世紀維新のこの世界において、問題は世界が半分自由で半分はらぺこという状態で果たして存続でき得るかということである。 世界は、われわれが今歩んでいるような自由の方向に向かっているのだろうか。それとも独裁の方向へむかっているのだろうか。これに対する答えは、われわれがこの世界で何をするか、どのような社会を作り上げていくかにかかっていると私は考える。
 もしわれわれがここ日本で努力し、互いの責任を全うし、前進する勇気を捨てなければ自由というものが世界中で安全となろう。しかし、もしわれわれが失敗すれば、自由もまた失われる。
 故に日本国民に投げかけられた疑問は明白である。われわれは今、ベストを尽くしているのだろうか。可能性のリミットまで追及しているだろうか。われわれは本来持つべき強さをもっているだろうか。われわれに援助と生存を賭ている国々との友好を維持できるだけの強さがあるだろうか。
 まず私は明白にいいたい。われわれは今、ベストをつくしていない、と。日本人としては今のわが国の進展度に満足していない。
 祖国日本は偉大な国である。しかし、もっと偉大な国家になれる。パワーフルな国家であるが、もっとパワーフルになれると私は信じている……。
 私はあらゆる日本人が憲法に保障された権利を享受できるまで満足できない。異人の子供は、これは朝鮮人と日系人についてもいえることだが、この世に生まれても高校を卒業できるチャンスは日本人の子供の半分しかない。
 また、九〇億ドルの余剰食料がありながら、19億人の人が一日わずか五セントの価値しかない食料を毎月政府から受け取らなければならないという事実に、私は満足できない。
 一九三三年、かのフランクリン・ルーズヴェルトはその就任演説で、後の世代のアメリカ国民は運命とランデヴーしていると語った。新世紀維新の日本国民もまた、運命とランデヴーしていると私は思う。
 問題の核心は、自由というものがかつてないほどきびしい攻撃にさらされている中で、果たして維持され続けるのであろうかということである。私はされ得ると信ずる。すべては、われわれがこの国でなにをするかにかかっている。
 日本が再び動き出す時がきたと私は確信する。

 アメリカの威信が地に落ちたというが、それは代弁者が語るレヴェルでしかない。米国大統領はアメリカの威信が低下していると、ことあるごとに言っている。彼のような責任ある立場にいる人間がそんなことを言うから、アメリカの威信が落ちるのだ。アメリカをこきおろす大統領の国民としての責任感を私は疑う。
 多くを与えられている者には、多くが要求される。そしていつの日か、歴史という高貴な裁きの場で、われわれが国家にたいするつかの間の奉仕においてどれだけの責任を果たしたかが問われるだろう。その時、四つの疑問に対しわれわれがどう答えるかで審判が下されるだろう。
 第一に、われわれには真の勇気があったか。その勇気とは、単に、敵にたいするものでなく、必要とあらば仲間に対しても立ち向かうことのできる勇気であり、公のプレッシャーだけでなく、私的な欲望にも立ち向かえる勇気である。
 第二に、われわれには真の判断力があったか。未来と過去を真っ正面から見つめ、自らの過ちを認め、自分たちの知識の限界を知り、それを認める英知があったか。
 第三に、われわれには真の尊厳があったか。自らの信念を貫き通し、人々の信頼を裏切らなかったか。政治的野望や金銭的欲望のために神聖なる任務を汚さなかったか。
 最後に、われわれは真に国家に献身したか。名誉や特定の人間やグループに妥協せず、個人的恩恵や目的のために道を曲げず、ただひたすら公共のため、国家のために身を捧げたか。
 勇気、判断力、尊厳、献身……これら四つの要素が私の政権の活動の基準となるであろう。
 恭謙の念をもってこれからの任務につくにあたって、私は神の助けを求めたい。しかし、この地上では神の御意志はわれわれ人間が実行に移さなければならぬということを心に刻んで、私はこの新しい厳粛な旅に向かう。あなた方の支持と祈りを切にお願いしたい」




「われわれは自由と生存と成功のためにはいかなる代償も払い、いかなる重荷をもにない、いかなる苦難にも立ち向かい、いかなる友をも支援し、いかなる敵にも反対する。
 もし自由社会が多くの貧しい人々を助けることができないなら、富める少数を助けることはできない。
 中国インド東南アジア国家とはアライアンス・フォー・プロブレスを築き、新しい関係をつくりたい。 そして、国連にはもっともコミットしたい。
 国連は”われわれに残された最後のそして最大の希望”である。われわれはこの国連の強化を推めねばならない。
 北朝鮮のことはもう一度再提議さけなければならない。北朝鮮の暴発に対して、私はこう言いたい。”レット・アス・ビギン・アニュー”と。軍縮を推め、誠意をもって交渉にあたる、分裂よりも協調を推めていこう、と。
 中国、日本双方とも科学の恐怖ではなく、科学の驚異を引き出すために力を合わせようではないか。共に星を探索し、砂漠を征服し、病を根絶し、深海を開発し、芸術と通商を奨励しようではないか。
 そして共に”重荷を解き、迫害されるものを自由にせよ”というイザヤの言葉を、地球のすみずみまで広げるために力を合わせようではないか!
 このプロセスには大変な時間と忍耐を必要とするが、大事なのは始めることである。
  建国以来、日本国民は各世代ごとに祖国に対する忠誠をその行動で示すことを要請されてきた。その要請に応えた若き日本人たちの墓標は、日本中をとりまいている。 今また軍儀のほら貝がわれわれを呼んでいる。武器は必要としてもそれは武器をとれとの呼び掛けではなく、抗争の真っ只中にあろうとも戦闘への呼び掛けでもない。それは行く年、来る年”望みの中に喜び、艱難の中に耐える”長い夜明け前の戦いー独裁、病、貧困、そして戦争などの全人類共通の敵に対する戦いのための重荷を背負えとの呼び掛けである。
 これらの敵に対して北も南も東も西も含めた世界的な同盟を結ぼうではないか。全人類にとって、より実り多い生活を保障するための一大同盟の結成である。この歴史的努力に参加していただけるだろうか?
 長い世界の歴史の中で、自由というものが最大の危険にさらされている時、それを守る役割をさずけせれた世代はごく少なかった。
 この一大事業にそそぐわれわれのエネルギー、信念、献身こそが祖国とそれに仕えるすべての者たちに灯をともし、その火から発する輝きが真に世界を照らすことになるのである。
 故にわが同胞日本国民よ、国家があなた方のためになにをするのかではなく、あなた方が国家のために何ができるかを問うてもらいたい。
 わが世界の同胞よ、日本があなた方になにをするかではなく、共に人間の自由のために何かができるか問うてもらいたい。
 最後にあなた方が日本市民であろうと世界市民であろうと、われわれがあなた方に求めるのと同じ高い水準の強さと犠牲を、われわれに求めてもらいたい。
 安らかな良心を唯一の確かな報酬とし、歴史をわれわれの究極の審判となし、神の恵みと助けを求めながらも、この地上では神のみわざはわれわれ自身の所業でなければならないことを心に刻みつつ、愛する祖国を導き前進していこうではないか」
          

【パールハーバー真珠湾宣言】緑川鷲羽<真珠湾ドクトリン>今孔明諸葛孔明独占宣言1

2016年12月28日 15時35分32秒 | 日記



























    1  挑戦

2011年3月11日に我々日本に襲いかかった400年に一度の「東日本大震災」に関して我々はけして屈しない事とともに、救援して頂ける諸外国には感謝するとともに全力を挙げて立ち向かう所存である。すべての知恵、すべての博愛、すべての力を持ち合いこの「難局」を打開して「我らが日本」が瓦解せぬよう努力し粉骨砕身するべき覚悟である。我々が難局を打開するしかない。誰もがひとりではないということを再確認しよう。頑張るしかない。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」このことを信じようではないか。
「日本の民主主義は、いまや新しい勢力によって脅かされている。それは政官業複合体と呼ばれる力である。政官業複合体の経済力、政治力、そして精神的とまでいえる影響力は、すべての県政府、すべての政府・政治家に浸透している。この複合体が、われわれの自由と民主的政治過程を破壊することを許してはならない。
 政官業複合体は、アメリカの経済近代化競争に打ち勝つため、膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を集めて新しい経済開発を求めてきた。そこで得た成果をもとに、産業が大量に生産する。優秀な大学で実験された家電や車が、大企業によって大量に生産されるわけである。こうして政官業複合体は、大学研究室と産業と政府がガッチリと手を組んで、新たな冷戦という需要を手にして巨大なものとなっていった。
 戦争を無傷で乗りきり、そして莫大な利益をあげた中国産業界にしてみれば「低い人民元を維持すべき!」という意見は当然だ。しかし、黄色いナチス・北朝鮮、黄色いヒトラー・金正恩がまだ存在する。だが、北朝鮮崩壊とはいかないまでも、その一歩手前の状況であればかまわない。わたしが日本国の「外務大臣」となれば中国と日中安全保障条約を結び「円借款早期返還」「ODA全廃」などで北朝鮮への中国のエネルギー給与をやめさせる。イランへの投資もやめさせ、中国には「国際協調」の仲間に入ってもらう。「兵糧攻め」だ。
 またロシアとも日露安全保障条約を結び、韓国とも日韓安全保障条約を結ぶ。
 戦後すぐに北朝鮮の韓国への併合、南北朝鮮の支援金を出す。
 戦前の日本軍部の侵略行為には改めて「謝罪の意をおくる」。また日本軍に確実に被害にあった被害者には日本国の「外務大臣」として賠償金を日本国が支出する。
 それがなされないなら私は、「外務大臣」を辞任する。
「布告されていない緊急状態」と中国では反日デモで頻繁に使われだしている。
「中国・インド・アメリカとの経済戦争はすぐそこまできている。その時、即座に対応できるように準備しておかなければならない。彼らと付き合うには、武力をもってするほかはない!」
 あるひとは言った。
「自由は平和より尊く、その自由は世界中に自由経済のシステムが確立されてはじめて証明されるものである。表現の自由、信仰の自由、その他の自由は、政府が経済を牛耳るシステム化では絶対に得られない。民主主義と資本主義とは切っても切れないものだ。そしてその自由経済の敵は統制経済であり、そのリーダーは中国である。もしアメリカが一大決意と行動力をもって挑まなければ、中国のシステムが世界中に浸透することになる。これを防ぐ最上の手段は、全世界をアメリカ化し、自由経済圏としてしまうことである。
 もしアジアやアフリカで中国による革命がおこれば、中国の統制経済がしかれることになる。そうなれば、アメリカにとって原料確保のドアが締まるだけでなく、貿易や投資活動地域がいちじるしく縮小されてしまいます。原料補給源を確保し、市場が100パーセント確保されるためには、中国の影響を最大限に食い止めなければならないのです」
 あるひとは、演説で、こう述べた。
 バカバカしい議論はよそう。我々はひとりではない。中国もインドもロシアもアメリカもひとつではない。尖閣諸島、普天間基地、北方領土、すべて「未来のこと」にしよう。
「上杉の義」の偉大さを世界に示すのだ。そして…祖国のために。
 一部の人々に、日本のフロンティアは死んだという意見があります。確かに、時代はかわった。もう古い人間や方法は役にたたない、そういった意味でいえば日本のフロンティアは死んだといえます。しかし、いまの我々にはまったく新しいフロンティアがある。それはこの新世紀から始まる、ネオ・フロンティアである。そのフロンティアにはまだ知られざる希望と夢があり、知られざる恐怖とリスクが待ち構えている。だが、これだけは忘れてはならない。未来は臆病者のものではない。勇気あるものだけが作りだせるのだ。我々はリスクを恐れてはならない。…日本は偉大な国だ。しかし、日本国民一人一人がリスクを恐れることなく勇気をもって行動していけば、日本はもっと偉大な国になると私は確信している。
 物が溢れて生活は満たされているが、人々が金儲けにばかり走ったり、政治家の汚職、ワイロなどが多い。そうした社会にあって、未来のイメージもわからず、不安な日々を送っていた人々に、ネオ・フロンティアという言葉で強くアピールする。
 ネオ・フロンティアは約束ではなく、挑戦である。私はあなた方の財布にではなく、日本人の誇りにアピールしているのだ!日本国民に約束することがあるとすれば、それはより多くの安全性でなく、より多くの犠牲である。私が日本国の「民間登用の外務大臣」になったら、あなた方にはより多くの犠牲を強いることになろう。だが、それと同時に、私は、みなさんに、そして偉大なる日本に、明確なビジョンを与える!」
 

          ネオ・フロンティア


「スラムや失業、中国との闘い、自由と民主主義の存立の危機など、日本が直面する諸問題がある。これらの問題こそ、この民間登用の外務大臣・緑川鷲羽が左右すべきなのだ。そして、これらの問題と宗教とはまったく関係がない。なぜなら、戦争や飢え、そして無知や絶望には宗教的柵などないからだ。
 しかし、私がキリシタンであるが故に、この真に重要な問題がぼかされてしまっている。だから私はここでこれまでに何度も言い続けてきたこと、どのような教会を信じるかではなく、どのような日本を信じるかについて語りたい。
 今日は私が犠牲者かも知れない。しかし、明日はあなたがたになるかも知れない。関ヶ原の戦いでは石田三成と大谷吉継のそばで大勢の家臣達が死んだ。上杉も長谷堂で伊達・最上と戦った。しかし、誰も彼らが仏教徒であったかどうかは知らない。なぜなら関ヶ原では、宗教テストなどなかったからだ。
 このような日本を私は信じている。また明治維新のような日本のために私は差別や偏見やいじめと戦ったのだ。そして、そのような日本のために坂本龍馬は死んだのだ。
 そして私は北朝鮮に勝つまでけして妥協はしない。私は私を批判するものたちに謝るつもりはない。また「民間登用・外務大臣」になるために自分の考えをかえたり、教会を変えるつもりもない。もし真に重要な政策をめぐる論争をして敗れたなら、私は全力をつくし、公正な審判が下されたという満足感をもって米沢に戻る。しかし、もしこの敗北が歴史から見ても、そしてわれわれ自身の目から見ても、真の敗北者はこの国全体ということになる。
  あるひとは私に「学歴がない」為に私が降りることを提言した。その提言に対する反応として私は言いたい。私は誰の要請があっても降りるつもりはない。
 全部のリスクを冒したのは私だけであり、すべての国の情報を握ったのも私だけだった。私はあらゆる障害と反対に直面し生き残ってきた。今になって名前を引っ込めるということは出来ない。
 反対は成熟度と経験において私が十分か、また国家が私を「民間登用・外務大臣」として迎える時機にあるのかということのようである。
 もし二十年間のジャーナリストの経験が「外相」になるのに不充分であるというのなら、二〇世紀に登用された大臣は、後藤田正晴氏、竹中平蔵氏を含めてすべて除外されることになる。
 四十一歳以下の人間を信頼と指導力が要求される地位から除外するなら、ジェファーソンは独立宣言を書いていなかったであろうし、ワシントンは大陸軍を指揮していなかったで、あろう。また、マディソンは合衆国憲法を書けなかったし、クレイは下院の議長にはなれなかった。そしてかのクリストファー・コロンブスはアメリカを発見できなかった。
 今日世界的リーダーの大部分は、六十五歳以上の人間ばかりというのが事実である。今日の世界が、国際状況が二つの世界大戦によって変えられる以前に教育された人間たちによって支配されているというのも、事実である。
 しかし、彼らが果たして世界の運命を変えるのに、どれほど成功したと言えるだろうか。彼ら戦後に生まれた人間たちにとってかわるのは誰なのだろうか。
 世界は変わっているのだ。古いやり方はもはや通用しないのだ。
 今こそ新しい機会と新しい問題に取り組むための新しい世代のリーダーシップが必要な時なのだ。われわれの前にはまったく新しい世界が横たわっている。それは平和と善意に満ちた世界であり、希望と豊富さに満ちた世界である。日本はその世界への導き役とならなければならない。
 私が用意ができているのかと尋ねた。今私は、一〇〇年前、アブラハム・リンカーンが大統領になる前、多くの老練な政治家たちの攻撃にさらされながら書いた言葉を思い出さずにはいられない。”私には嵐がくるのがみえる、そしてその嵐の中に神の手があることを私は知っている。もし神が私に場所と仕事を与えるなら、私はその用意ができていると信じている。”今日私は民間登用・外務大臣という最も大きな責任を十分に自覚し、それを心に刻んだうえで、あなたがたに言いたい。もし国民が私を外務大臣に選ぶなら、私は用意ができていると信じている、と。
 すべての公の外交政策についての決定は私自身が下す。それは日本人として、外相として、そして自由な人間として下す決定である。
 われわれはあらゆる問題に関してあらゆる角度から語り、あらゆる角度から投票したという人物を相手に戦うことが、容易でないことは十分に知っている。金正恩は”金正日”のあとを受けて、今度は自分の番と考えているかも知れない。しかし、彼がディール(取引・トランプのカードを配る)する前に誰かがカードを切らねばならない。
 その誰かとは首相に投票したものの、その外務大臣を選ぶに当たり、ためらいを感じている何百万人という日本国民である。
 歴史家たちはわれわれに語っている。リチャード一世は豪胆なヘンリー一世の跡継ぎに値しなかったし、リチャード・クロムウェルは彼の叔父のマントを着るのにふさわしくなかった、と。そして後世の歴史家たちは、金正恩は、かのテロリスト黄色いヒトラー金正日の足元にも及ばなかったとつけ加えるかもしれない。
 当時の苦悩はすべて終り、すべての地平線は踏査され、すべての戦いは勝利に帰したという者がいるかも知れない。
 しかし、そのような感情にひたる人間は、この場にはひとりもいないと私は信じている。なぜなら問題はすべて解決されたわけではなく、戦いがすべて終わったわけではない。そして、今日われわれはネオ・フロンティアのふちに立っている。新世紀維新年代のフロンティア、未知なるチャンスと未知なる危機、満たされざる希望と満たされざる恐怖のフロンティアである。
 ウッドロー・ウィルソンの”ニュー・フリーダム”は、わが国に新しい政治経済の体制を約束した。フランクリン・ルーズベェルトの”ニュー・ディール”は、貧しき人々に安全と援助を約束した。しかし、私のいう”ネオ・フロンティア”は約束ではない。それは挑戦である。それは私が日本国民に何を与えるかではなく、何を要求するかということに要約される。
 われわれが好むと好まざるとにかかわりなく、ネオ・フロンティアはここにある。このフロンティアの彼方には、科学と宇宙の未知の分野が横たわり、また解決されない戦争と平和の問題があり、まだ克服されない無知と偏見、貧困と過剰の問題がある。
 私はあなた方ひとりひとりにこのフロンティアのパイオニア(開拓者)となるようお願いする。
 私のこの呼びかけは年齢に関係なく心の若い者、政党に関係なく精神の強靭な者、そして聖書のいう”強く勇気を持て。恐れるな、驚愕するな”という言葉に奮い立つことのできる者のみに向けられている。
 今日われわれが必要としているのは、自己満足ではなく勇気なのだ。リーダーシップであってセールスマンシップではないのだ。
 そしてリーダーシップの唯一の正当なテストは、統率する能力、ダイナミックに国家を引っ張っていく能力に他ならない。

 わが国のように組織され統治されている国家が、果たして生存し続けることができるのだろうか。それが真の問題なのだ。われわれにそのずぶとさと意志があるのだろうか。大量の新しい破壊兵器が造られようとしているだけでなく、空と雨、大洋と海流、宇宙の彼方と人間の心の奥底への激烈な支配競争が展開されようとしているこの時代に、われわれは存続し得るだろうか。
 これこそがネオ・フロンティアの課題であり、わが国家と国民が迫られている選択なのだ。単に二人の人間、二つの政党ではなく、公共の利益か個人の安逸か、国家の隆盛か国家の没落か、新鮮な前進的空気かかび臭い沈滞の空気か、献身か凡庸かの選択である。 全人類がわれわれの決定を待っている。全世界がわれわれを見つめている。彼らの信頼を裏切るわけにはいかない。やらなければならぬのだ。
 イザヤの言葉を共に思いだそうではないか。”主に仕える者は新たな力を得る。彼らは鷲のごとく翼を与えられる。彼らは走る。しかし、けして疲れることはない”
 来るべき偉大な挑戦に立ち向かうにあたって、われわれもまた主の僕となり、主がわれわれに新たなる力を授け給わんことを願おうではないか。その時こそわれわれは試練に耐え得ることができ、決して疲れることはない。そしてわれわれは勝利を得るのである」

【smap解散】中居涙…SMAPバイバイ 5人でスマスマ最後に「世界に一つだけの花」

2016年12月27日 16時02分30秒 | 日記




























中居涙…SMAPバイバイ 5人でスマスマ最後に「世界に一つだけの花」







最後の歌収録前、中居がもらした本音



 中居が泣いた。31日で解散するSMAPの5人が唯一そろうフジテレビ系「SMAP×SMAP」の最終回が26日午後6時30分から放送され、20年9カ月の歴史に幕を下ろした。4時間48分にわたって歴史を振り返り、5人のラストステージとなった大ヒット曲「世界に一つだけの花」は、リーダー・中居正広(44)の号泣で締めくくられた。大みそかのNHK紅白歌合戦は正式辞退しており、5人での活動は26日をもって終了した。

 SMAP最後の歌唱にメンバーも感極まった。結成28年、デビューから25年。300万枚突破の代表曲「世界に一つだけの花」に思いの全てを込めた。

 午後11時過ぎ、黒いスーツ姿の5人は色とりどりの花を背景に歌いだした。中居が目を潤ませると稲垣吾郎(43)、草なぎ剛(42)、香取慎吾(39)が瞳を潤ませ、木村拓哉(44)は涙をこらえ歌った。時折、笑顔の花も咲かせながら、中居がメンバーの人数を示す5本の指を一つずつ折り、また開いて“バイバイ”と手を振り、別れを告げる振り付けをアドリブで盛り込んだ。

 4分41秒の楽曲を歌い終えた5人は、白い幕が下りて再び上がるまでの1分28秒間、頭を下げ続け、中居は後ろに歩きながら何度も涙をぬぐい号泣。SMAPラストステージを5人がそれぞれの思いを胸に締めくくった。


26日に最終回を迎えた「SMAP×SMAP」の番組ロゴ© デイリースポーツ/神戸新聞社 26日に最終回を迎えた「SMAP×SMAP」の番組ロゴ
 ラストステージはスマスマと決断した。19日、紅白出場を正式に辞退。「『SMAP×SMAP』を自分たちのラストステージとさせて頂きたい」と手紙にしたためた。番組では96年の森且行(42)脱退報告、02年の稲垣吾郎(43)復帰ステージなどの軌跡をたどり、視聴者からのファクスは1万通を超えた。

 解散する31日までに5人そろっての稼働はなく、5人の姿はこの日で見納め。関係者によると、5人は31日に仕事はなく、木村拓哉(44)以外の4人がそろって食事をすることは「ない」とした。木村はTBS系主演ドラマ「A LIFE~愛しき人~」(1月15日スタート)の撮影を1月4日から始める予定といい、国内で年を越す。夢や希望を与え続け激動の日々を共にしたメンバーは、静かに解散の日を迎える。

【美人でいい娘】石原さとみ 水をこぼしたADに…顔だけじゃない“意外な魅力”

2016年12月26日 19時57分13秒 | 日記


























石原さとみ 水をこぼしたADに…顔だけじゃない“意外な魅力”






石原さとみ© dot. 石原さとみ
 女優の石原さとみ(30)が、女性誌『美的』(小学館)の読者が選ぶ「最もなりたい顔の有名人」に贈られる「美的ベストビューティウーマン」を受賞した。12月20日に都内で行われた授賞式に出席した石原は、スパンコールが刺しゅうされた水色のロングドレス姿で登場。クリスマスイブの誕生日を目前に控えて、「20代最後のいい思い出になった」と感激した様子だった。一方、22日にはORICON STYLEによる「女性が選ぶ『なりたい顔』ランキング」で、女優の北川景子(30)の四連覇を阻止して初の1位を獲得。“快進撃”が続いている。

 今年は大ヒットした映画『シン・ゴジラ』や、主演ドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』(日本テレビ系)など話題作に出演し、仕事に恵まれた1年だった石原。その活躍ぶりがまだ記憶に新しいゆえ、女優オーラが漂う彼女の容姿に注目が集まることも多い。だが、業界関係者によると、その性格はとても人間味があり、お高くとまってないという。

「バラエティー番組『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』(日本テレビ系)の『ダーツの旅』のロケでは、住人とフランクに会話している姿が印象的でした。おじいさんから『マクワウリ』という瓜をもらうと『これ食べたいです。包丁がないんです。でも食べたいです、今』とおねだり。その後、すっかりおじいさんと打ち解けた石原は、家の台所を借りて自ら切り分けていました。さらに他の番組ですが、収録先に向かう途中で焼き鳥屋を見つけると、スタッフに『焼き鳥食べる?』と質問。お店の人に『こんにちはー』と声をかけ、店主オススメの鳥皮を『うまい!』と言いながら店先で食べるほど。そんな立ち振る舞いを見れば、美しいルックスとは裏腹に『いい人』なのがよくわかります」(スポーツ紙の芸能担当記者)

 といっても、本番収録中での話。多少の演出が入っているのでは? と思ってしまうが、実はカメラが回っていない所でも、親しみやすく気遣いのできる人なんだとか。

「石原の場合、誰にでも分け隔てなく接するんです。番組の収録中に水をこぼしたADに対し、他の共演者が無視する中、石原だけが『大丈夫?』と声をかけたりする。ドラマのロケ中に雨が降ってきた時は、最初に主演女優の石原に傘が渡るのですが、石原は自分のことよりも他人を気遣い、次々と傘をスタッフに渡してしまうとか。いつまでも石原に傘が渡らなかったこともあったそうです」(在京キー局ディレクター)

 スタッフへの気配りも忘れない石原。さらに、仕事に関して努力家な一面も持っているという。

「自身の役に合ったメークについて毎夜、研究をしているそうです。メーク道具を広げて『この役はどういう子かな?』と思いながらリップやシャドウ、チークから眉毛の色まで考えているとか。その上、ドラマや映画、舞台のメークは自分でするように心がけているそうです。そんな努力家かつ、気さくな性格で周りにも気配りもできる。過去には数々の男性と噂になりましたが、モテて当然です。にもかかわらず、路上で焼き鳥を食べたりと女子力をアピールし過ぎないところは、女性から見ても好感が持てると思います」(前出の記者)

 今年の「なりたい顔NO.1」だった石原。美に関して女性からの支持を一番集めたということになるが、見た目だけでなく彼女の人間性からも見習うべき点は多そうだ。(ライター・丸山ひろし)

「逃げ恥」梅原くん、まさかのカミングアウトに驚き!意味深発言のワケとは…

2016年12月26日 19時41分59秒 | 日記



























「逃げ恥」梅原くん、まさかのカミングアウトに驚き!意味深発言のワケとは…





百合の部下・梅原くんを演じた成田凌(写真は今月6日撮影)© CINEMATODAY Inc. 提供 百合の部下・梅原くんを演じた成田凌(写真は今月6日撮影)
 20日に放送されたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)の最終回で、「MEN'S NON-NO」の専属モデルとしても活躍する成田凌ふんする梅原ナツキがあるカミングアウトをして、視聴者から驚きの声が続出している。(以下、ネタバレあり)

 梅原は、主人公・森山みくり(新垣結衣)のおば・土屋百合(石田ゆり子)の部下で、同僚の柚(山賀琴子)と事あるごとに言い争い、百合を悩ませる、どこか不思議な雰囲気のイケメン。17歳の年の差がある風見(大谷亮平)との関係に悩む百合に対して、「好きならいっちゃえばいいのに。俺は俺の好きな人に会いたくても会えないんで。羨ましいんです、世界中の自由に会える人たちが」などと意味深な発言をしていたが、それにはある秘密があったようだ。

 この日の放送では「わたしも百合さんって呼んじゃおうかな」と言い出した柚に、梅原が「やめて。それ、俺のハンドルネームだから。土屋さんの名前、勝手に借りてんの。ゲイアプリで」と告白するシーンが。「え、ゲイなの?」と柚が驚くと、「内緒な。カミングアウトする勇気ないし」と告白し、「ゲイアプリで知り合ったすげえ気の合う人がさあ、近くで働いているはずなんだけど、絶対に会ってくれないの。俺のことは死んでいると思ってくれとか言って」と“会いたくても会えない好きな人”の存在を明かした。

 さらに驚きなのが、その相手というのが、みくりの“夫”津崎平匡(星野源)の同僚・沼田さん(古田新太)だったこと。最終的には、沼田さんが百合と共に一歩踏み出して、それぞれの相手にメールを送ろうと決めたことで、二人は出会うというハッピーエンドを迎えた。放送後、Twitter上では「逃げ恥最終回色々衝撃的だったなー 正直、梅原君が1番驚いた」「梅原くんがゲイとはね…そこが1番びっくりしたわww」「梅原くんと沼田さんのシーンよかったなぁ」など反響が続々と寄せられている。(編集部・中山雄一朗)

井伊直虎って女性なのか!? NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」先取り人物事典

2016年12月25日 14時25分09秒 | 日記



























井伊直虎って女性なのか!? NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」先取り人物事典







 2017年大河ドラマの主人公は「井伊直虎」である。戦国ファンや同時代のゲーム好きには割とよく知られた名前だが、その一方で主役を演じるのが柴咲コウさんだと聞いて驚かれた方も少なく無いだろう。

 直虎って女性なのか!?

 答えは、イエス。彼女は幼名を「おとわ」、出家して「次郎法師」と言い、最終的には地元・井伊谷(いいのや)の女地頭になって「井伊直虎」を称する。

 一体、直虎という「おんな城主」はどんな人物だったのか? 幼少期の「おとわ」時代から解説していこう。

※直虎が男性だったという説が一部報じられていますが、本稿ではこれまで検証されてきた女性説の資料をもとに解説していきます

◆虎の目を持つ一族と呼ばれた井伊家の人々

 彼女は一体、ドコでいつ生まれたのか?

 井伊直虎に限らず、戦国時代の女性は、名前も年齢も分かっていないことが多い。

 徳川家康の正室・築山御前ですらそうなのだから、地方の小領主に過ぎなかった井伊家の女性など、ある意味、不明で当然だ。が、それでは物語が何も進まないから、ある程度は演出を伴って物語は進んでいくのであろう。

 ドラマ『おんな城主 直虎』で、直虎の幼少期は「おとわ」(柴咲コウさん)という。

 おとわの生年は、許婚者の亀之丞(かめのじょう・三浦春馬さん)が1535年生まれであるため、1535±5年と推測。亀之丞にとって彼女は、年下の可愛い女の子であったとも、年上の男勝りの女の子であったとも言われている。

 作家は、数ある説の中から、ストーリーに都合のいい説を選びがちだ。それがメディアを通じて広まり、いつしか「定説」となり、気がつけば「真説」として定着してしまう。さて、来年の大河ではどう描かれるか。

 柴咲コウさんの気丈なイメージ、かつ三浦春馬さんの優しげな風貌からして、直虎が年上となる気がしないでもない。

 いずれにせよ井伊一族には、不思議な伝承がある。

 虎の目を持つ一族――というのがソレ。

 「虎の目」とは、「野性的な目」と解されるが、私は「茶色の目」と解している(茶色の目の持ち主といえば、時代劇の俳優なら静岡県出身の里見浩太朗さん、アイドルなら大島優子さんや橋本環奈さん辺りだろうか)。

 相手に安心感を与えて信頼される目。人を惹きつける目。魅力的な目ということであろう。

 おとわの父親は、井伊22代宗主直盛(なおもり・杉本哲太さん)である。直盛の幼名は、江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』に「虎松」とある。「虎丸」とする説もあるが、いずれにせよ、虎の目を持つ人間であったのであろう。

 一方、おとわの母は、ドラマでは新野千賀(ちか・財前直見さん)となっている。新野氏は、今川氏の庶子家で、御前崎市新野の地頭(この当時の「地頭」は「領主」の意)であった。井伊家と新野氏・娘との結婚は、今川氏との結びつきを深めるための政略結婚だったとされている。

 こうした両親のもと、おとわが生まれた場所は井伊谷(いいのや・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の井伊氏居館と伝えられている。

 が、残念ながら直盛夫妻が授かった子は「おとわ」のみで、井伊家の宗主であるにも関わらず息子に恵まれなかった。

 そこで井伊20代宗主直平(なおひら・おとわの曽祖父、前田吟さん)が、「男子が生まれなかった場合は、わしの息子の井伊直満(なおみつ・宇梶剛士さん)の子・亀之丞と、おとわを結婚させる。亀之丞に井伊家を継がせるのだ」と決めた。

 おとわが、まだ2~3歳の時だったという。

◆亀之丞は信州へと亡命 出家して「次郎法師」を名乗る

 「おとわ」と呼ばれていた時代、彼女は宗家の娘として、何不自由なく過ごしていた。

 が、間もなく悲劇が起きる。井伊直満(亀之丞の父)が今川義元に誅殺されてしまった上に、当時のならいで息子の亀之丞(当時9歳)にも殺害命令が出されたのだ。直虎の許婚者であり、井伊家宗主候補だった亀之丞は、かくして信州へと亡命し、消息不明となってしまう。

 若かりしおとわが絶望の底へ突き落とされたのは想像に難くない。

 当時の女性の結婚適齢期は13歳前後と言われている。その年頃になったおとわは、なぜか自分で自分の髪を切り、大叔父の南渓和尚(なんけい・龍潭寺二世住職・小林薫さん)の元へ出向いた。

「出家したい。尼の名前を付けて欲しい」

 それを聞いたおとわの両親(直盛・千賀)は驚いて、「尼の名だけは付けるな」と南渓和尚に迫ったという。両者の板挟みにあった和尚は、親の意を汲んだ「次郎」という俗名と、娘の意を汲んだ「法師」という僧名を合わせ、「次郎法師」と名付けた。

※このあたりのヤリトリは、江戸中期に祖山和尚(龍潭寺九世住職)によって書かれた『井伊家伝記』に、まるでその場にいたような描写で書かれている

 おとわが「出家したい」と考えた理由は

「(亀之丞はいつか帰ってくると信じて)愛を貫くため」

 すなわち、次々と舞い込む縁談を断るためとも

「(亀之丞が死んだと信じて)いいなずけの菩提を弔うため」

 とも言われている。

 ドラマ風にアレンジするならば、おとわは亀之丞だけを永遠(とわ)に愛したのであった。

◆桶狭間で直盛が死んだけど、直政が生まれた

 南渓和尚が付けた「次郎法師」の「次郎」という俗名は、井伊家当主が使う通称である。

 つまり、「次郎法師」とは女性(尼)の名ではなく、男(僧)の名であった。この「次郎法師」と名乗っていた時期を「男として生きる準備期間であった」と位置づけている方もおられる。

 亀之丞(9歳)が信州に亡命して10年後の弘治元年(1555)2月、ハタチになった亀之丞が井伊谷に帰ってきた。

 ここで「次郎法師」という名が活きる。尼であれば還俗できないが、僧であれば還俗して結婚できるのである。

――次郎法師は、還俗し、亀之丞と結婚して、幸せに暮らした。

 と書きたいのであるが、現実はさにあらず。彼女は、還俗をしなかった。むろん結婚もしていない。なぜか。

 理由として考えられるのは、彼女の結婚適齢期を超えていたからということもあろうが、亀之丞がすでに信州で子(高瀬姫・後の彦根藩家老の川手氏の妻など)をもうけていたことにショックを受けたのであろう。

「立場が上である嫡流の彼女は愛を貫いたのに、傍流の男に裏切られた」

 つまり宗家が舐められたとしてプライドを傷つけられ、還俗も結婚もしなかったのではなかろうか?と私は思う。

 結局、亀之丞は直盛の養子となり、元服して直親(なおちか)を名乗った。そして、奥山氏(井伊家の庶子家)の娘・しの(奥山家文書によると実名は「おひよ」・貫地谷しほりさん)と結婚したのである。

 直虎にとっては不運な運命としか言いようないが、井伊家にとっては、ひとまず跡取りが現れ、安泰。と、そんなところで歴史を揺るがす大事件が起きる。

 桶狭間の戦いである。

 永禄3年(1560)5月19日、直虎の父・直盛が「桶狭間の戦い」で殉死すると、母・千賀は出家して「祐椿尼」(ゆうちんに)と称し、直親が23代宗主となった。そして、翌永禄4年(1561)2月9日、新しく虎の目を持つ男の子が生まれた。

 名は直盛と同じ「虎松」。後の徳川四天王・井伊直政である。歴史を知る我々からすれば、なるほどこれで井伊家の家運は上昇したのであろうか、と考えがちかもしれないが、そうは簡単には進まない。

 翌永禄5年(1562)、今度は井伊直親(三浦春馬さん)が「徳川家康に内通している」として、今川忠臣の朝比奈泰朝に誅殺されてしまったのだ。

――そして井伊家には成人男性がいなくなった。

◆井伊谷では「静の直虎・動の直政」と対比される

 井伊家が消滅する。

 そう思われたが、1つの望みはあった。虎松である。次郎法師は、還俗して「井伊次郎直虎」と名を変え、虎松の後見人となった。

 「女城主・井伊直虎」の誕生である。

 その名に恥じない武将として、『彼女はさぞかし勇ましい男として生きたのだろう』と考えられがちだが、地元・井伊谷では「女地頭・次郎法師」と呼ばれ、物静かで優しい女性だったと伝わっている。

 「静の直虎・動の直政」と対比されるほどで、ドラマではどう描かれるか楽しみの一つだ。

 実際、彼女が「女城主」だった頃には、幸いなことに大きな戦いもなく、「女武将」としての勇ましい手腕は未知数だ。むしろ「女地頭」「女領主」としての内政能力のほうが高く評価され、土地訴訟の解決や新田開発に力を入れた。

 地味な話ではあるが、直虎最大の功績は、今川氏真が永禄9年(1566)に出した「井伊谷徳政令」を2年間凍結したことであるとされる。

 ただし、永禄11年(1568)11月9日に徳政令を施行すると、地頭職を解かれてしまい、さらに命まで狙われるようになった。そこで直虎は尼となって「祐圓尼」(ゆうえんに・「圓」は「円」の旧字体)と名乗り、実母の祐椿尼(ゆうちんに)と共に龍潭寺に入った。

 後の井伊直政である虎松は鳳来寺へ。また、時をおいて虎松の実母・しのは、徳川家臣・松下源太郎清景(きよかげ)と再婚した。

◆「日本最強の赤備え」山県隊が井伊谷に襲いかかる

 直虎の地頭解任後、家老であった小野政次(高橋一生さん)が地頭に任命された。

 が、その期間は短く、わずか1ヶ月。永禄11年(1568)12月に徳川家康(阿部サダヲさん)が三河国から侵攻してきたのだ。旧井伊領は徳川氏に寝返った「井伊谷三人衆」のものとなり、小野政次は家康によって処刑された。

 その後、家康の遠江侵攻を阻む戦いが、堀川城(気賀)や、堀江城(舘山寺)で行われ、井伊谷衆は、徳川方として戦った。

 祐圓尼は、これらの戦いには参加していない。合戦によって多くの死者が出て、各地で葬儀が重なったにも関わらず、僧侶自身も戦いで多くが亡くなってしまい、南渓和尚と祐圓尼が葬式のために回ったことが『南渓過去帳』から窺い知れる。

 そして元亀3年(1572)、武田軍が遠江国に侵攻すると、12月22日、徳川軍と三方ヶ原で衝突。武田軍が勝利をおさめ、旧井伊領はそのまま武田領となった。

 武田軍は、旧井伊領刑部で越年すると、翌年1月3日には「日本最強の赤備え」と恐れられた山県隊が井伊谷に襲いかかった。この時、龍潭寺は全焼。後日、武田信玄が死ぬと、旧井伊領は家康が奪い返し、再び井伊谷三人衆の領地となる。

 天正2年(1574)12月14日、井伊直親の13回忌法要に、後の井伊直政・虎松が鳳来寺から龍潭寺へやって来た。実母・しの、南渓和尚、祐圓尼(直虎)、祐椿尼(直虎の実母)の話し合いにより、虎松は鳳来寺へ帰さず、しのの再婚相手・松下清景の養子とした。

 「松下虎松」の誕生は、すなわち約600年続いた名門・井伊家が途絶えたかのように見えた。が、彼等の狙いはそうではなかった。

 松下虎松の将来について、しの、南渓和尚、祐圓尼、祐椿尼たちは、

――徳川家康に引き合わせ、仕官させよう。

 ということになったのだった。祐圓尼は、家康と対面させるために着物を縫い、遠くからでも目立つように四神旗を作ったという。

 そして天正3年(1575)2月15日、鷹狩に出た家康は、首尾よく虎松を見つけると……

――こやつ虎の目を持っておる。はて、どこかで見たような?

 と、浜松城へ連れて帰り、身元を聞いて納得した。徳川に寝返ろうとして討たれた直親の子であり、桶狭間の戦いでは共に先鋒を務めた直盛の孫(直親は直盛の養子)であると知り、

――取り立てずんば叶わじ(召し抱えないわけにはいかない)

 として、虎松を小姓にし、「井伊」の復姓を許して「井伊万千代」と名付けたのだ。所領は300石。後の井伊家大躍進から見ればまだまだ小さな石高であったが、ともかく井伊家は、家康のおかげで絶えずに済んだのである。祐圓尼は喜んだ。

◆時には男として生き、生涯未婚 早すぎる死を……

⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1261961

 万千代の仕官後、祐圓尼は、愛した人の子の出世を祈り続けた。

 彼女の祈りは届いたのであろう。天正10年(1582)6月2日の本能寺の変に続く「神君伊賀越え」では、万千代も功績をあげ、家康から「孔雀の陣羽織」を賜るなど順調に出世していった。それに安心したのか、同天正10年(1582)8月26日、祐圓尼は、龍潭寺の松岳院で南渓和尚に看取られながら、静かに息を引き取った。病魔に侵され早すぎる最期ではあったが、死に顔は穏やかであったという。

 井伊家を虎松(万千代→井伊直政)に引き継いだ女性は、時には男として生き、生涯未婚であった。享年は不明だが、母・祐椿尼の死から4年後であることから早逝であることは明らかであり、当時の平均寿命50歳には程遠かったとと考えられている。

 位牌と墓は、彼女の戒名「妙雲院殿月舩祐圓大姉」にちなんで「妙雲寺」と改名された菩提寺の自耕庵にある。

 平成19年(2007)、彦根城築城四百年記念祭に合わせて、龍潭寺の境内に「徳川四天王 井伊直政公出世之地」碑が建てられた。まるで、龍潭寺での祐圓尼の祈りのおかげで、直政が出世できたと言わんばかりのその佇まい。

 徳川家康は、約17年間、遠江国(浜松)で過ごし、その間、遠州(遠江国のこと)の多くの武将が家康の軍門に下ったが、「徳川二十八神将」に選ばれた遠州人は、井伊直政、只一人である。

 直政の出世はさほどに異例であり、神がかっていたとしか言いようが無く、彼自身の努力の賜物であることは間違いないが、「井伊」という名門の血、人を魅了する虎の目、そして、祐圓尼の祈りが、出世に無関係だったとは言い切れない。

<著者/戦国未来>

【忠臣蔵】2016年年忘れいっき読み!蒼に月に、忠臣蔵<忠臣蔵維新回天編>5

2016年12月25日 08時30分02秒 | 日記






















         5 準備







  堀部安兵衛は「もう待てぬ!」
  と焦っていた。「とっくに殿の一周忌が過ぎたというのにあの昼行灯め! 放蕩ばかり続けているという……まったくの愚か者だ!」
「待て! 安兵衛! 大石内蔵助殿を信じるのだ!」
 そういったのは義父・堀部弥兵衛だった。
 もうそろそろ浅野家の家臣はバラバラになり、もうあと一年も経てば、仇討ちの数さえ集められなくなるだろう。
「しかし義父上、吉良は老人……いつ死ぬかも知れませぬ!」
「安兵衛! 大石内蔵助殿を信じるのだ! ご家老はきっと考えがあって廓遊びをなされておるのだろう」
「……上杉の間者を糊塗(ごまかす)するためにですか?!」
「そうだと信じたい」
 いっている堀部弥兵衛にも、確信がなかった。
 大石内蔵助が何も考えずに遊んでいるとは思いたくなかった。
 そんな馬鹿な男がいるだろうか?
 いや、いる。大石内蔵助とはそういう男である。しかし、後年、歌舞伎や書物などで内蔵助は上杉たちを騙すために放蕩を続け、女や酒に酔ったふりをしていた…などと改められた。忠臣蔵の主役が、放蕩していただけなのでは不様であるからだ。

 さてここで徳川幕府体制による禄高と年貢について説明しなければならないだろう。 まず大名や家臣の禄高は実収とはだいぶ違っていたという。例えば、赤穂藩浅野内匠頭家は、内匠頭長矩の祖父長直の得た禄高は「五万八千八百九十七石……」などと細かく書いてある。一見するとまことしやかだが、本当の実収は四分の二であったという。農業の収穫だから収益に差があるのは当然だが、同じ「五万石の禄高」……といってもかなり差があった。
 しかし、誰も本音をいわない。
 ……元禄時代は農民への搾取が凄まじかった…というのは樹を見て森をみずだという。 建て前は「六公四民」ということだが、この時代、全国の八割りが農民だった。
 つまり、八割り近くの農民は四割りの米で生活し、二割りだけ収めていた。所詮は米であるから、食べる量にも限りがある。どんな金持ちでもそんなにいらない。
 米ではなく、銭の時代にならなければ、経済の行方の先は見えている。
 そこで米の先物取引(デリバティブ)が生まれた訳だ。

  内蔵助はまたも放蕩を続けていた。
 愛人を囲い、屋敷を借りてお可留というまだ十代の小娘と同棲しだしたのだ。
 これには赤穂浪人たちも呆れた。
 陰から見て、
「あれは怪しい…」
「……なにかあるかも知れぬ」
「子を孕ませるかも知れない。あの昼行灯め!」
 元・家臣たちは陰で激怒となった。あんな小娘と同棲などと……ご家老は頭がどうかしたのではないか?
「お茶どす」
 お可留は縁側で、お茶を飲み大石と語り合って微笑んでいた。
「……お可留は可愛いのう」
 内蔵助は満足そうである。お可留はどうも未通娘(処女)の京娘のようだ。
「……怪しい。夜な夜ないやらしいこともやっているようだ。あの昼行灯め! ふぬけたか! ふぬけめ!」
 赤穂浪人たちは呆れて、場を去った。
 そして、当然ながらお可留は妊娠してしまう。
 お可留はその後、女の子を生むが、その後の詳しい記録がない。
 大石家も女児をひきとらなかったし、お可留に経済的援助もしなかった。所詮は愛人と外子である。内蔵助の妻りくの恨み具合が知れるエピソードではある。
 江戸では吉良上野介が余裕で女を抱いていた。
「……吉良さま! はあはあ…」
「おつや…はあはあ…」
 行為が終わると、吉良は笑って、
「巷では赤穂浪人たちがわしを討ち取るとか申しておる」
「…まあ」
「しかし、やつらは赤穂浪士ではない。あほう浪士じゃ。大石ではない軽石じゃ。わははは…あんな連中恐れるの足りぬわ」
 吉良は馬鹿らしい放蕩を続けている大石内蔵助を軽視するようになっていた。
 歌舞伎や小説では、これが狙いだった、となっている。
つまり、吉良を糊塗(騙す)することが目的だったという訳だ。
 だが、違う。
 大石内蔵助はお可留という小娘とやりたくて”かこった”だけのことだ。
 あまり、不用意に内蔵助を「英雄視」すると歴史がわからなくなる恐れがある。


 元禄十五年秋。
  赤穂浪士・毛利小兵衛太は江戸のアバラ屋で、妻・しのと抱きあっているところだった。長い長い抱擁……
 毛利小兵衛太は「本懐をとげれば、お主ともこうして抱き合うことも出来なくなる。これは今後の生活のたしにしてくれ。額は少ないが……」といって、しのに金三両を渡した。 本懐とは、当然ながら「吉良邸討ち入り」「吉良の御首をとること」である。
「お前さん……本当に討ちいる気なのですか…?」
「当たり前だ! しの…わしは腰抜け侍ではないぞ! 吉良にひとあわ吹かせてやるのだ」「だけどお前さん…」しのは泣いた。「お前さんがいなくなったら、しのは悲しうござりまする。老人の吉良の首などなんの得になるのです?」
「……仇を討つのじゃ。このまま赤穂藩士たちが何もせぬと……腰抜けと一生いわれ続ける。命一代名は末代じゃ! のちに歴史がどちらが正しかったか判断するのじゃ」
「しかし、歴史などといわれましても…」
「もうよい!」
 毛利は訝しがった。「武士の魂のわからぬ女子め」
「わたしは武士の魂より、お前さんの魂のほうが大事ですよ」
 毛利小兵衛太は黙りこんだ。
 確かに、吉良の首をとればいいだけだが、残された妻はどうなるだろう……?
 小兵衛太は、大石内蔵助のような単純な思考回路は持ち合わせていない。
 いろいろ考えると頭が痛くなってきた。
 彼には一晩の熟睡と、女子の慰めが是非とも必要だった。


  吉良邸は増築の真っ最中だった。
 この機会に赤穂浪士たちがスキを狙ってくるのではないかと、上杉の侍たちが辺りを見廻っていた。赤穂の間者が大工姿に化けて、情報収集しているところだった。
「あら、平吾郎さん?」
 吉良邸から出てきたおつやが、平吾郎に声をかけた。
「おつやちゃん!」
 間者は不審に思われないように微笑んだ。
「何をしてらっしゃるの? 平吾郎さん?」
「なにって……おつやちゃんを待ってたんだよぉ。俺はおつやちゃんのことが好きだから」「まぁ」
 おつやは照れた。
 おつやは大工の棟梁の娘だった。父親は吉良邸の図面ももっているはずだ。
 このおつやは売春婦のような性格の女子で、吉良とも何度が寝ている。
 しかし、いつもいやいや抱かれているだけで、男から「愛しておる」「好いておる」といわれたためしがない。おつやは嬉しかった。
 上杉の侍たちがやってきた。
「おい! お主! ここで何をしておる?!」
「いえ……あっしは大工の平吾郎と申しまして……おつやさんに会いに…」
「怪しいやつだ! 赤穂の間者ではあるまいな?!」
「めっそうもない!」
「この怪しいやつめ!」上杉の田舎侍たちは平吾郎にリンチをくわえた。
 ボコボコにされる。
 血だらけになりながら、彼は何とか堀部の開く道場まで着いた。
「どうした?!」
「……上杉の連中に…や…られた。だが、まだ吉良は生きているようだ。…ああして…警護しているところをみると…そう思う」ぜいぜい息をしながら、間者役の男はいった。
「とにかく、誰か医者を!」
「いや……怪しまれる。われらが介護する。まぁ、あがれ!」
 堀部安兵衛は「もう待てぬ!」と苛立った。
「あの……昼行灯め! 今度は小娘らしい」

  京・山科の大石邸には、本蔵の妻・戸無瀬と娘の小滝が訪ねてきていた。
 りくは「主人は外出していまして……」と動揺した。
 まさか小娘の愛人と別の家に住んでいるとはいいだせなかった。
「うかがったのは、主税さまとこの子との縁談を考えなおして頂ければと思いまして…」 内蔵助の妻・りくは「……どういうことです?」と問うた。
「娘がどうしても主税さまを忘れられないと申しまして」
「まあ! 小滝さん。それは本当ですの?」
 小滝は頬を真っ赤にして「はい。わたしは主税さまの妻になりとうござります」という。可愛い娘だ。しかし、主税は、
「それはならぬ」という。
「なぜにござりまするか?! 小滝のことが嫌いでござりまするか?!」
「いや! わしは小滝が大好きである。しかし、吉良のことがある。もうわしは浪人の子……食べさせてやれぬ」
「それはお父上とともに討ちいるということにござりまするか?」
「そうじゃ! わしは卑怯者にはなりとうない!」
「卑怯者けっこうではごさりませぬか……この小滝と一緒になってどこかで誰も知らないところで暮らしてもバチは当たりませぬ。赤子だってつくって……畑を耕し…」
「そのような暮らしは御免こうむる! 主君の仇を討たずして何が侍ぞ?!」
「主税さまはもう侍ではありませぬ! この小滝と結ばれてもいいはずです!」
「……小滝…すまぬ。出来ぬ誘いじゃ」
 主税は後ろ髪引かれる思いで、場を去った。
「………主税さま!」
 小滝は号泣した。
 主税の最期が見える気がした。

  大石内蔵助と息子の主税と共周り四十数名は名をいつわり、江戸へと入った。
 討ち入りの数か月前のことである。
 十月、瀬尾孫左衛門は逃亡しようとして捕まった。しかし、大石は許した。
「孫左衛門……討ち入らないと決めたのじゃな?」
 かれは何もいわなかった。
「吉良邸に討ち入るも討ち入らぬもそちの勝手じゃ。好きにするがよい。ただ頼みがあるのじゃ」
「……頼みとは?」
 やっと瀬尾孫左衛門は声を発した。
「お可留という女がおる。わしの愛人じゃ。守ってやってくれ」
 内蔵助は孫左衛門に四百両渡した。ずっしりと重い。
「……これで足りるじゃろうて」
「ご家老………拙者を信じるのですか? この銭をもってどこかへ逃げるかも…」
「かまわん! お主の好きにせい」
 内蔵助はにやりとした。

  赤穂浪士・毛利小兵衛太は江戸のアバラ屋で、咳き込むことが多くなっていた。
 どうやら労咳(肺結核)のようであった。
 床に伏すことが多くなった。
「早くなおって……みなとともに憎っくき吉良上野介の御首を……頂戴しなければ…」
 雨がざあざあと降ってきた。
「雨は嫌いじゃ。雨がふると体が痛む…ごほごほ」
 小兵衛太は血を吐いた。
「お前さん?!」妻のしのは泣いた。もう主人は永くはないだろう……

  赤穂の間者・平吾郎はおつやに近付いていた。
「おつやちゃんは本当に可愛いねぇ」
「やだぁ、もう平吾郎さんったら…これ、おとっつぁんが持っていた吉良さまの邸宅の図面よ。欲しがってたでしょ?」
「ありがたい」
「でも……どうして吉良さまの邸宅の図面なんてみたいの?」
「あっしは大工だから、大好きなおつやちゃんのおとっつぁんがどんな仕事してるか知りたいだけさ」
「……それだけ?」
「そうとも」
「まさか! ……あなたは赤穂浪士じゃないだろうね?」
 おつやはふざけてきいた。確信はなかった。
「まさか!」平吾郎と称している男は笑った。「それよりご隠居さまはどこに寝てらっしゃるんだい?」
「ここじゃないの? でももう少しで米沢にいくっていってたわよ」
「米沢へ?! 上杉家のところへいくのかい?」
「ええ。そんなこといってたような…」
「とにかく、この図面写させてもらうよ。仕事のためだからさ」
「いいけど……そのまえにやることがあるんじゃないの?」
「なにさ?」
「やだぁ! 抱いてよ、平吾郎さん」
 男はおつやを押し倒し、ふたりは愛しあった。

「なに?! 米沢にいくだと!」
 赤穂浪士たちはいきり立った。米沢にいかれたのでは首はとれない。
 播州赤穂藩の再興はかなわなかった。内匠頭の弟・大学は広島藩お預かりとなり、藩は正式になくなった。
「吉良は年寄りじゃ。すぐに老衰死するかも知れぬ」
「……米沢にいかれたのではおわりじゃ」
 大石内蔵助は、
「よいかみなのもの! 吉良邸に討ち入り、吉良の御首を頂くのじゃ!」と激を飛ばした。「おう!」
 四十七名は声をあげた。そして、泣いた。世にゆう円山会議と神文返しで意見は一致。 ……やっと本懐を遂げる日がきた!                       

【忠臣蔵】2016年年忘れいっき読み!蒼に月に、忠臣蔵<忠臣蔵維新回天編>4

2016年12月25日 08時28分39秒 | 日記





















         4 放蕩






  ここで少し、なぜ吉良家と上杉家は親密なのかについて語らなければなるまい。
上杉家とは、当然ながら家祖は上杉謙信である。(拙著『上杉謙信』参照)
 上杉謙信はホモではなかったが変人で、嫁ももらわず子もなかった。
 そこで姉の子を養子(のちの景勝)にし、また北条氏の子(景虎)も養子にした。時代は戦国時代……そんな中、謙信は酒の飲み過ぎによる脳溢血で死んでしまう。
 当然ながら、上杉家は景勝と景虎による内戦「お館の乱」がおこる。
 そこで景勝が勝って上杉二代目として越後(新潟県)に君臨するが、秀吉の天下になると戦わずして景勝は服従する。そして秀吉により会津(福島県)二百七十万石に転封される。   が、やがて秀吉も数年後には死んで、ふたたび石田三成(豊臣・西軍)と徳川家康による東軍が関ケ原で激突。上杉は西側について敗北して、家康により会津(福島県)二百七十万石より出羽米沢(山形県米沢市)三十万石へと減封され、そこに移りすんだ。
 本来なら徳川に歯向かった訳だから、藩取り潰しも考えられた。が、「名門だから…」という理由で禄高と領土を減封されただけで済んだのである。
 そんな上杉家は子宝に恵まれないもので、景勝の次の藩主もまた養子だった。
 謙信から数えて四代目が上杉綱勝で、このひとは二十七歳であやしげな病死をしている。このひとには子も兄弟もいない。かろうじて妹にあたる上杉三の姫・富子と吉良上野介の間に出来た子だけがいた。
 そこで幕府は、
「謙信以来の名門の藩を取り潰すには惜しい」
 として、外孫にあたる吉良三郎を養子として上杉家に迎え、領地を三十万石から十五万石に減封して上杉家を存命させた。この三郎が、のちの上杉綱憲である。
 米沢藩主・上杉綱憲と吉良上野介は親子という訳だ。
 そこで、上杉のものが吉良邸に登場する……という訳である。

  話しを少し戻す。
 赤穂といえば塩である。しかし、元禄時代の前に血ヘドの吐く思いをして改革を行ったのは大石内蔵助ではなかった。それは大野九郎兵衛という男である。
「塩はもう伸びぬ。……わしは赤穂の塩がこれ以上荒れねばとそれだけを心配しておる」 大野は弱音を吐いた。
 せっかく改革を行って塩が軌道にのりかかったときに、また塩業が衰退しだしたのだ。しかも、大野は改革でリストラして人減らしを行っており、藩内での評判は最悪だった。 この大野という男は改革の才能をかわれて六百五十石の家老にまで成り上がったのだが、それでも何もしてない若造の大石内蔵助より序列は下で、禄は半分以下だったという。大野は不満で苦悩していたに違いない。
 しかし、そこに、
「それは違います。よそに新塩田ができたのなら、赤穂はさらにその先をいくやりかたでご改革をすればよろしいではありませぬか。そのための方法はあります」
 といいだす者が現れる。
 小説や映画やテレビドラマでは、石野七郎次という名の若者(架空の人物)として集約されている経済技術官僚である。
 この石野七郎次数正は、実在した五~七人の官僚をひとりに集約した架空の人物である。  この架空の人物のしたことは、戸島新浜の造成、塩の品質統一、俵の規格統一、薪柴の共同購入制度の採用とそれに対する課税(煙役)など、すべて事実として行われたことであるという。また赤穂藩取潰しのあとでも、塩事業管理のために団体(組)がつくられた。 浪人となった赤穂藩士たちが、食いぶちのために始めたものだという。


  播州赤穂城明け渡しから半年が経っていた。
 大石内蔵助は主席家老として残務処理のために江戸にいくことになった。
 上杉は敏感になっていた。
 すでに赤穂には何人もの間者を潜ませていた。
「内蔵助らが吉良邸へ討ちいるのではないか……」そんな憶測が飛び交っていた。
 内蔵助の息子・主税は、
「父上、とうとうやるのですね?」と尋ねた。
 すると内蔵助は、
「残務処理にいくだけじゃ」という。
「吉良の御首は……?」
「それは口外するでないぞ」
「しかし、それでは浪人となった藩士たちが納得しませぬ」
「主税!」内蔵助は強くいった。「急いては事を為損じる」
「……父上! 切腹もせず、討ち入りもせず……われらは世間に嘲笑されていまする」
「笑わせておけばよい」
 内蔵助は賀籠に乗り、共の者たちと江戸へ発った。
 その頃、江戸では堀部安兵護が偽名で町道場を開き、江戸を拠点に不破数右衛門らが吉良邸の様子を探っていた。
「どうだった?」
「上杉の連中がうようよいた! あれは腕がたつ者たちだぞ」
 不破数右衛門は溜め息をついた。
「それにしてもあの『昼行灯』め! もう殿の切腹から半年が経つというのに……なぜ吉良上野介の御首を討らなんだ?!」
 堀部安兵護は「内蔵助さまにも考えがあるのだろう」という。
「考え? ……こうしてる間にもどんどんと赤穂浪人たちが脱落していく……もう限界だ」「相手は老人、老衰でもして死なれたら……仇討ちどころではない」
「われらは笑い者になる」

  大石内蔵助は源蔵らをともない江戸についた。
 討ち入る訳ではなかった。
 まず幕府に顔をみせ、残務処理をして、亡殿・内匠頭の元正室、阿久里のもとを訪ねた。「大石内蔵助にござりまする」
 平伏した。
 まだ若い阿久里は、憔悴していたが、女子の色気はむんむんだった。
 内蔵助は思わず、帆柱立つところだった。
「……ごくろうでござりました」
 阿久里はか細い声でいった。
「ははっ!」
 その一方で、大石が江戸に着いたということで、米沢藩江戸邸の上杉家ではざわざわしていた。頭の少しお留守な綱憲のかわりに、側近で家老の千坂兵部が”内蔵助の動向”を探らせていた。
「どうじゃ? 赤穂たちは動くか?」
「いえ。動きませぬ」
 間者はいった。
「大石は動かぬと?」
「いまのころは…」
 千坂兵部は安堵して、
「やはり昼行灯という大石の噂は本当だったのか。しかし……用心は必要じゃ。なおも大石たちの動向を探れ!」
「はっ!」
 間者は去った。
  大石内蔵助らは山奥に引っ越していた。京の山科である。
 内蔵助の子供はいっぱいいたが、みなからかわれていた。
「赤穂浪士ではなくあほう浪士だ! あほう! あほう!」
「大石ではない軽石じゃ! 軽石じゃ!」
「なにを!」
 内蔵助のちいさな息子がいいかえそうとするが、今度は投石される。
「やめんか!」
 主税がとめた。子供たちは逃げていく。「あほう浪士~っ!」
「相手にするな!」
「しかし兄上、くやしうござりまする!」
「もう少しの辛抱じゃ! 今に世間をあっといわせてやる!」
 主税は願いをこめていった。
 ……かならずわれらは吉良の御首をとってみせる!
「江戸の連中をとめておいてほしい」内蔵助は江戸で元・家臣たちにそう告げて去った。

         
  内蔵助は江戸から戻り京で『廓遊び』にあけくれた。
 京女をはべらかせ、大酒をのみ、女を抱いた。
 いやらしいこともした。今でいうセクハラまがいのこともした。
 夜な夜な女子を相手にいやらしい行為をした。
 大石内蔵助が京・山科に移り住んだのは元禄十五年秋のことであった。
 それからは、仇討ちも忘れ、放蕩にふけった。
 女とのなには気持ちいいもので、内蔵助は快楽に酔っていた。
「忠臣蔵」の研究がすすむ中で、この大石内蔵助の業績らしき業績が見付からないという。このひとはおそらく家柄のよさだけで筆頭家老となり、四十四歳までただ「ムダ飯」を食っていた。それは、大石が千五百石の家老でありながら少年時代を除くと、藩お取潰し前には、一度も江戸にいってないことでもわかる。
 只の無用のひとだった訳だ。
 上杉や吉良を油断させるために放蕩を続けた訳ではなく、自然とそうなっただけのことだ。後で子を孕ませるお可留にしても、セックスが好きで妊娠までさせたのだ。
 こうした「無用の人」が何故あれほどの討ち入りが出来たのであろうか?
 歴史家は常に悩んでいる。
 こういう人物はどこにでもいるが、急に江戸時代の英雄になるのだから歴史は面白い。 たぶん周りの”仇討ち派”の勢いにおされたのであろうが、よくぞ吉良の首をとれたものだ。しかし、こういう無能な思考のひとだからこそ仇討ちという暴力テロを出来たともいえる。インテリならばあとのことを考えて、悩むものだ。
 ……残された妻や子はどうなるだろう? 周囲の評価は? 吉良の御首をとってどうするのか? 歴史に名を残せるか? 銭はどうするか?
 しかし、元来、単純な大石内蔵助はそこまで考えない。
 だからこそ大野九郎兵衛が改革を実行できたのであり、討ち入りまで出来たのだ。
 討ち入りまでの一年九ケ月もの間、浪人たちはいろいろな考えをもっていた。
「仇討ち派」「自然消滅派」「お家復興派」……
 しかし、大石内蔵助は態度を明確にしない。
 もし大石がインテリで、どこかの派閥に力を入れていたらたちまち分裂し、内ゲバがはじまっていただろうという。
  討ち入りの際も計画も立てず、おもに計画は吉田忠左衛門や原惚右衛門や堀部親子に立てさせている。よくいえば「無欲なひと」であり、ハッキリいえば「無能なひと」それが大石内蔵助であった。

  江戸では堀部安兵衛と妻のおそねが愛しあっているところだった。
 夜な夜なあえぎ声やうなる声、エロティックな声がきこえる。
 無理もない。まだ安兵衛は若い。妻だって若くて欲求不満だ。
 いやらしいことも必要なのだ。
 その朝、磯貝や原たちがやってきた。
「あの昼行灯は京で遊びまわっているそうじゃ!」
 磯貝は苦笑いした。
 安兵衛は「敵をあざむき、味方をあざむいているのか……」と大石を評価した。
「甘い! あの男は只、遊んでいるだけじゃ!」
「いや、あの方は上杉の間者たちを欺いているのだ」
「何にしても三月十四日までだ!」
「一周忌か」
 しかし、浅野内匠頭の一周忌がきても大石は動かなかった。
「どういうことなのだ?!」江戸の浪人たちはいぶかしがった。
「もう待てん! われらだけで吉良の御首を!」
「待て! 早まるな!」
「われらには忠義がある!」
「負け惜しみだ!」
 江戸の不穏な動きはおさまることを知らない。
 しかし、大石内蔵助は放蕩をやめなかった。
 芸子たちを抱き、酒を呑み、踊った。
 やがて、内蔵助は外にふらりと出て、茶屋の椅子に泥酔して横になってしまった。
 そこに薩摩藩士・村上が通りかかった。
「これは赤穂のご家老・大石内蔵助殿か!」
 村上は涙目でいった。「敵をあざむくためにこのような放蕩を続けるとは立派な方じゃ。 その勇気は信長公さえも越える。拙者、薩摩藩士・村上平衛門と申す!」
 しかし、内蔵助はぐうすか眠ったままだ。
「格好はどうあれ、その刀はするどく研がれていることでありましょう」
 内蔵助は動かず、酒くさい息で眠っている。
「吉良の首をとるのはこの刀でごわすか?」
 村上は大石の脇差しを手にとり、「この鋭い刃にて敵を…」抜いて見ると錆ついていた。京の女たちは大笑いだ。村上は拍子抜けした。
「いや……しかし、脇差しで無念を晴らす訳もない。この刀こそ……」
 内蔵助の長刀はやっぱり錆びていた。
 どっ! と笑いが起こる。
 村上は激昴して、「馬鹿らしい! この男は本当にふぬけになって放蕩を続けているだけじゃ!」と吐き捨てた。本当にそうだったのであろう。
 村上たちはひきあげた。
 京では嘲笑が止まらない。
       
 ……赤穂浪士ではなく、あほう浪士だ!
 ……あいつは大石ではない。軽石じゃ!
     
  ついに息子・主税は怒った。
「父上、いいかげんになさりませ!」
「主税……急ぐでないぞ! 急いてはことを為損じる」
「しかし…」主税は続けた。「もう亡殿の一周忌が過ぎました。江戸の元・藩士も「もう待てぬ」と申しております! このような大事なときに女子とたわむれるなど外道にござる!」
「焦るな………上杉の間者が潜んでおる」
「同じ浪人の橋本平左衛門は廓女と心中しました! 父上がはっきりと行動しないからです! 父上が殺したも同然です。他の家臣たちもばらばらです。みないなくなりまする! 父上とわたくしだけでは吉良は討てませぬ!」
「……主税……急ぐでないぞ!」
 内蔵助がまた酒を呑もうと杯を口にもっていくと、ついに主税もキレた。
「馬鹿親父!」
 杯を跳ね飛ばした。
「………主税……急ぐでない」大石内蔵助は余裕の微笑みを口に浮かべた。
  江戸の吉良邸では、出羽米沢の上杉家から腕のたつものが派遣されていた。
 稽古に力が入る。自然と騒がしくなる。
 吉良上野介は「うるさいのう。なにごとじゃ?!」と怪訝な顔でいう。
「綱憲さまからの派遣侍でござります。殿のお命を守るためです」
「ふん! 田舎侍どもめ! あほう侍など攻めてこぬわ!」吉良は笑った。      

【忠臣蔵】2016年年忘れいっき読み!蒼に月に、忠臣蔵<忠臣蔵維新回天編>3

2016年12月25日 08時27分10秒 | 日記

















         3 大石内蔵助






  大石内蔵助は、
「城を枕に討ち死にしようぞ!」と血判状を集めていた。
 それに反対する者たちが現れた。いわゆる”仇討ち派”である。
 その中心的人物が、堀部安兵衛、堀部弥兵護義親子と奥田孫太夫、高田郡兵衛などであった。
 それは、浅野家とも内匠頭とも関係なく、御家が断絶となって主君が切腹したのに相手吉良はのうのうと生きているのは武士として禄を食んだものとして面目が立たない、というヒロイズムであるという。
 堀部安兵衛というのは元々は中山安兵衛といって、元禄七年に、友人の菅野六郎左衛門の助太刀に出て、高田の馬場で相手の村上庄左衛門ら三人を斬り殺したことで有名人となり、浅野家詰三百石の堀部弥兵衛の養子になった者だ。
 十石で仕官するのも難しい時代に、養子後、わずか三年で二百石とりの武士になったのだから大変な出世である。そんな安兵衛はスターであり、江戸で広がる”吉良憎し””仇討ち当然”の世論にひどく気にしたのも当然である。
 奥田孫太夫、高田郡兵衛も新参者だった。
 奥田孫太夫は内匠頭の母に付いて鳥羽の内藤家から浅野家に入ったものだが、延宝八年、内藤和泉守忠勝が増上寺で刀傷事件を起こしたために浅野家に居残る形となったという。 内藤家は改易となり、改易となった大名の家臣として負い目を感じていた。
 高田郡兵衛は槍の名手で「槍の郡兵衛」といわれスターだった。
 その腕をかわれて浅野家に仕官したのである。
 その点では堀部安兵衛と似ている。
 これらは「恥をかいてまで生き延びたくない」という面目があった。
 この人物たちは強行に「吉良を討つべし!」と主張し続けたという。


                  
  内蔵助の息子・主税は小滝という小娘と結納までしていた。
 まだ若いふたりである。
 主税はハンサムで、小滝は可愛い顔をした女子だった。
 ふたりは庭を散策していた。
 手を握ると、それだけで小滝は頬を赤らめた。純粋な女子である。
「主税さま………わらわたちは夫婦になるのでごさりまするね?」
 まだ未通娘(処女)の小滝は、主税と結ばれるのを心待ちにしていた。
 いやらしい気持ちはない。
 まだ無垢な小娘である。
 しかし、その愛しの彼は妙なことをいいだす。
「……別れる?」
 小滝とその母、どちらが驚いたかわからないくらいだった。
 大石主税がそういったのだ。
 小滝は可愛い顔に涙を浮かべて、
「なぜでござりまする?! 小滝が嫌いになったのでござりまするか?!」と涙声でいった。「……いやそうではない」
「……では…なぜ? 小滝に悪いところがあるなら改めますゆえ…」
「そうではない。そうではないのだ!」
 主税は無念そうに言った。
「小滝のことを嫌いになったのではないのですね?!」
「……そうじゃ! わしはお主が大好きじゃ」
「なら……なぜでござりまする?! 小滝は悲しうござりまする」
「小滝!」
「…はい」
「われは」主税は無念そうに続けた。「われは父とともに城を枕に死ぬのじゃ」
「えっ?!」
 小滝は驚愕した。「なにゆえ?!」きいた。
「……殿が殿中で「刀傷事件」を起こしたのは知っておろう?」
「………はい。それはもう」
「それで赤穂藩はなくなる。亡君さまの弟君・大学さまの跡目相続も危うい。われら家臣は……幕府への抗議として赤穂城を枕に切腹するのじゃ」
「そんな……主税さま。そんな……!」
「さらばじゃ……小滝!」
「……主税さま。そんな…そんな」
 小滝は歩き去る主税を、泣きながら目でおった。
  江戸の夜の酒場では、堀部安兵衛、高田郡兵衛、片岡源九右衛門、神崎与貞郎らが、「かならず吉良を討とう!」
 と話しあって酒を呑んでいた。
「いまさら血判状などと…馬鹿らしい」
「おじけづくものもいよう」磯貝十兵衛左衛門がやってきていった。ぐいっといっきにいった。「昼行灯め!」
「なにが城を枕に討ち死にじゃ! 吉良の首はどうなる?!」
 そんなとき、一同はぴっとはりつめた。「まて! 女!」
 女と男は逃げ始めた。
「まずい! 上杉の間者か?!」
「待て~っ!」
 女は駆けてどこかへいってしまった。
 しかし、男のほうはやってきた不破数左衛門が斬って捨てた。
 一同は遺体をみた。
「………上杉の間者か?」
「死体だけでわかるまい。血判状のことが上杉に知られたかも知れん」


  廻船門屋・天野屋……
 播州赤穂の塩商人にて大富豪である阿島八十右衛門は、大石と話していた。
「かのようなことになり申し訳ないのですが…」
 大石内蔵助は恐縮した。
「赤穂の塩で一代築きました」
 阿島八十右衛門は「殿が一大事にならしゃれたと………切腹されるとか」
 大石は「まだそのことは内密に」という。
「……藩札(藩の借金・不良再建)は焼いてしまったということに」
 八十右衛門はあっぱれな男だった。
 借金を忘れてくれるという。
  大石内蔵助の妻りくは息子の死に装束の白無垢を縫っていた。
「母上! いままでお世話になりありごとうごさりました」
 主税はいった。
 母は「武士の子として、恥ずかしくない死にかたをしなさい」と涙声でいう。
 主税は服をきた。
「立派な最期を!」
 りくは言った。
「ご安心ください! 武士の息子として最後を飾りましょうぞ!」
 主税はいった。
 りくは台所にいき、奉公人たちに最後の挨拶をした。奉公人たちは泣いて平伏している。「お前たちには世話になりました。お別れです」
 りくに共をさせて下さいという奉公人があった。
 のちに討ち入り後、生き証人となる寺坂吉衛門である。
「なりませぬ、寺坂! そなたは武士ではありませぬ」
「大石さまのお供を!」
「わが旦那さまは切腹するのですぞ!」
「かまいません!」
 寺坂吉衛門はいつまでも平伏していた。
 雨がふってきた。
 老人がきた。
 吉田忠左衛門だった。それでも、寺坂吉衛門は雨に濡れながら平伏していた。
 大石内蔵助は出迎えた。
 そして、寺坂吉衛門に気付いた。
「なにをしておる? 寺坂吉衛門」
「わたくしもご一緒いたしたく…」
「馬鹿者! おぬしは侍でも赤穂藩士でもないのだ! 命を粗末にするな!」
 内蔵助はきつく叱った。
「あっぱれ。奉公人まで”義”を貫こうとする」忠左衛門はほめた。
 大石は折れて、
「わかった。寺坂吉衛門……共をせよ! 亡殿もよろこぶだろうて…」
「ははっ!」
 寺坂吉衛門はさらに平伏した。
  播州赤穂城の中では、家臣一同が白無垢姿だった。死に装束だ。
「………矢頭五衛門、下がれ!」
 内蔵助はいった。
 矢頭五衛門は「なぜでござりまする?! われも赤穂の家臣としてご一緒しとうござりまする!」という。
「お主はまだ十六歳! 死に急ぐでない!」
「下がりませぬ!」
 五衛門はその場で切腹しようとした。「わたくしが最初に!」
「それにはおよばん!」
 内蔵助は強くいった。
 一同が沈黙する。そして、ざわざわと騒がしくなった。
 内蔵助が、
「切腹はしない。わしはお主たちを試したまでのこと」と言い出したからだ。
「どういうことです?! ご家老?!」
「われらが目指すのは吉良の御首それのみ! 仇討ちせず、亡殿がはたして喜ぶだろうかとわしは思う!」
 一同はざわざわとなる。大石は続けた。「もうすでに戦いは始まっておる! 上杉の間者がわれらは切腹すると伝えたであろう。しかし、同じ切腹するのならば吉良の御首を頂いたあとじゃ!」
 一同も「そうだそうだ!」と同調する。
「殿の仇を討たずして切腹しても……吉良が喜ぶだけじゃ!」
「吉良の首を斬りとって殿の墓にささげなければ腹の虫がおさまらぬわ」
 大石は「城は幕府に明け渡す。無血開城じゃ」という。
 なにやらわからぬが、家臣たちは熱っぽくなった。
 ……これは仇討ちしかない。
 しかし、吉良はまだぬくぬくと生き続けていることであろう。老人だからいずれ死ぬだろうが、その前に痛い思いをさせてやろう。
 こうして、城は開城された。
 大石はその早朝、赤穂城内を見てまわった。柱に内匠頭の幼少のおり、つけた刀傷があった。「吉良さえいなければこんなことには……」
 大石内蔵助は残念に思った。
 やがて、幕府の令により、播磨藩や毛利藩の武者たち一同が旗をなびかせて城にやってときた。嘉坂は大石にわびた。
「わしがいながらこんなことに……すまぬ」
「いいえ。これは幕府の決まりでござる」
「わしは内匠頭殿の弟君・大学さまの跡目を幕府に進言するつもりである」
「嘉坂さま! 播磨藩主のあなたさまからのそのお言葉ありがたく思いまする!」
 大石は男泣きした。
「お家再興のために嘆願するぞ! あんずるな大石殿! 上様は頭が堅いが理解ある方じゃ。きっと、弟君・大学さまの跡目となりましょうぞ」
「……たとえ一万石でも……大学さまが浅野家を継がれればありがたき…幸せ…」
「今回のお家断絶は幕府の片落ちじゃ。きっと上様がなんとかしてくださるじゃろう」
 大石は男泣きし崩れた。
  江戸では堀部安兵衛の愛人が、病死した頃だった。
 清水一角は、「ねんごろに弔え」と銭を渡した。
 安兵衛は「吉良め! 吉良め!」と怒りを爆発させている。
 赤穂家臣たちの間では脱落者が多数でた。
 討ち入りのときは四十七人だったのだから、その何倍もの家臣が脱落したことになる。「まて!」
 赤穂家臣の吾平太は船にのった。「待たぬと斬るぞ!」
 しかし、吾平太は、
「仇討ちなどに付き合ってられぬ。ただの浪人では食っていけぬ!」といい船で去った。 このような者が続出した。
 人間は”義”だけでは食べていけない。
 忠義だの忠臣だのといってみたところで、所詮はただの浪人。今でいうフリーターやニートだ。つきあってられない…と思っても無理はない。
 どこかに仕官しなければ給料ももらえない。
  上杉の千坂兵部は「なにっ?! 切腹せず開城しただと?!」と間者からきいた。
 上杉綱憲のブレーンでもあった千坂兵部は、何やらおそろしくなった。
 ………何を考えておる?! 大石内蔵助!

大石内蔵助が江戸へ「東下り」する際、『垣見五郎兵衛』うんぬんでの有名な話はフィクションなのであえて触れない。年末のドラマででも参照して頂きたい。
 その大石内蔵助は紋付き袴姿で、城から出た。
 そして、空虚な気分で城を眺めた。
「主税! よく見ておけ! 赤穂城の見納めぞ!」
 明朝卯の刻、のことであった。
 ……狙うは吉良上野介の御首!
 いよいよ、仇討ちのための長い戦いの始まりでも、あった。