緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

年末年始一気読みスペシャル特別編成『おんな城主井伊直虎』ブログ小説VOL.4

2017年12月30日 16時19分37秒 | 日記










































**井伊直虎って女性なのか!? NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」先取り人物事典**
 2017年大河ドラマの主人公は「井伊直虎」である。戦国ファンや同時代のゲーム好きには割とよく知られた名前だが、その一方で主役を演じるのが柴咲コウさんだと聞いて驚かれた方も少なく無いだろう。
 直虎って女性なのか!?
 答えは、イエス。彼女は幼名を「おとわ(幼名不明のため大河ドラマではおとわ、この小説では麗)」、出家して「次郎法師」と言い、最終的には地元・井伊谷(いいのや)の女地頭になって「井伊直虎」を称する。
 一体、直虎という「おんな城主」はどんな人物だったのか? 幼少期の「おとわ」時代から解説していこう。
(直虎が男性だったという説が一部報じられていますが、本稿ではこれまで検証されてきた女性説の資料をもとに解説していきます)
◆虎の目を持つ一族と呼ばれた井伊家の人々
 彼女は一体、ドコでいつ生まれたのか?
 井伊直虎に限らず、戦国時代の女性は、名前も年齢も分かっていないことが多い。
 徳川家康の正室・築山御前ですらそうなのだから、地方の小領主に過ぎなかった井伊家の女性など、ある意味、不明で当然だ。が、それでは物語が何も進まないから、ある程度は演出を伴って物語は進んでいく。
 ドラマ『おんな城主 直虎』で、直虎の幼少期は「おとわ」(柴咲コウさん)という。
 おとわの生年は、許婚者の亀之丞(かめのじょう・三浦春馬さん)が1535年生まれであるため、1535±5年と推測。亀之丞にとって彼女は、年下の可愛い女の子であったとも、年上の男勝りの女の子であったとも言われている。
 作家は、数ある説の中から、ストーリーに都合のいい説を選びがちだ。それがメディアを通じて広まり、いつしか「定説」となり、気がつけば「真説」として定着してしまう。さて、大河ではどう描かれたか。
 柴咲コウさんの気丈なイメージ、かつ三浦春馬さんの優しげな風貌からして、直虎が年上となる。
 いずれにせよ井伊一族には、不思議な伝承がある。
 虎の目を持つ一族――というのがソレ。
 「虎の目」とは、「野性的な目」と解されるが、私は「茶色の目」と解している(茶色の目の持ち主といえば、時代劇の俳優なら静岡県出身の里見浩太朗さん、アイドルなら大島優子さんや橋本環奈さん辺りだろうか)。
 相手に安心感を与えて信頼される目。人を惹きつける目。魅力的な目ということであろう。
 おとわの父親は、井伊22代宗主直盛(なおもり・杉本哲太さん)である。直盛の幼名は、江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』に「虎松」とある。「虎丸」とする説もあるが、いずれにせよ、虎の目を持つ人間であったのであろう。
 一方、おとわの母は、ドラマでは新野千賀(ちか・財前直見さん)となっている。新野氏は、今川氏の庶子家で、御前崎市新野の地頭(この当時の「地頭」は「領主」の意)であった。井伊家と新野氏・娘との結婚は、今川氏との結びつきを深めるための政略結婚だったとされている。
 こうした両親のもと、おとわが生まれた場所は井伊谷(いいのや・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の井伊氏居館と伝えられている。
 が、残念ながら直盛夫妻が授かった子は「おとわ」のみで、井伊家の宗主であるにも関わらず息子に恵まれなかった。
 そこで井伊20代宗主直平(なおひら・おとわの曽祖父、前田吟さん)が、「男子が生まれなかった場合は、わしの息子の井伊直満(なおみつ・宇梶剛士さん)の子・亀之丞と、おとわを結婚させる。亀之丞に井伊家を継がせるのだ」と決めた。
 おとわが、まだ2~3歳の時だったという。
◆亀之丞は信州へと亡命 出家して「次郎法師」を名乗る
 「おとわ」と呼ばれていた時代、彼女は宗家の娘として、何不自由なく過ごしていた。
 が、間もなく悲劇が起きる。井伊直満(亀之丞の父)が今川義元に誅殺されてしまった上に、当時のならいで息子の亀之丞(当時9歳)にも殺害命令が出されたのだ。直虎の許婚者であり、井伊家宗主候補だった亀之丞は、かくして信州へと亡命し、消息不明となってしまう。
 若かりしおとわが絶望の底へ突き落とされたのは想像に難くない。
 当時の女性の結婚適齢期は13歳前後と言われている。その年頃になったおとわは、なぜか自分で自分の髪を切り、大叔父の南渓和尚(なんけい・龍潭寺二世住職・小林薫さん)の元へ出向いた。
「出家したい。尼の名前を付けて欲しい」
 それを聞いたおとわの両親(直盛・千賀)は驚いて、「尼の名だけは付けるな」と南渓和尚に迫ったという。両者の板挟みにあった和尚は、親の意を汲んだ「次郎」という俗名と、娘の意を汲んだ「法師」という僧名を合わせ、「次郎法師」と名付けた。
※このあたりのヤリトリは、江戸中期に祖山和尚(龍潭寺九世住職)によって書かれた『井伊家伝記』に、まるでその場にいたような描写で書かれている
 おとわが「出家したい」と考えた理由は
「(亀之丞はいつか帰ってくると信じて)愛を貫くため」
 すなわち、次々と舞い込む縁談を断るためとも
「(亀之丞が死んだと信じて)いいなずけの菩提を弔うため」
 とも言われている。
 ドラマ風にアレンジするならば、おとわは亀之丞だけを永遠(とわ)に愛したのであった。
◆桶狭間で直盛が死んだけど、直政が生まれた
 南渓和尚が付けた「次郎法師」の「次郎」という俗名は、井伊家当主が使う通称である。
 つまり、「次郎法師」とは女性(尼)の名ではなく、男(僧)の名であった。この「次郎法師」と名乗っていた時期を「男として生きる準備期間であった」と位置づけている方もおられる。
 亀之丞(9歳)が信州に亡命して10年後の弘治元年(1555)2月、ハタチになった亀之丞が井伊谷に帰ってきた。
 ここで「次郎法師」という名が活きる。尼であれば還俗できないが、僧であれば還俗して結婚できるのである。
――次郎法師は、還俗し、亀之丞と結婚して、幸せに暮らした。
 と書きたいのであるが、現実はさにあらず。彼女は、還俗をしなかった。むろん結婚もしていない。なぜか。
 理由として考えられるのは、彼女の結婚適齢期を超えていたからということもあろうが、亀之丞がすでに信州で子(高瀬姫・後の彦根藩家老の川手氏の妻など)をもうけていたことにショックを受けたのであろう。
「立場が上である嫡流の彼女は愛を貫いたのに、傍流の男に裏切られた」
 つまり宗家が舐められたとしてプライドを傷つけられ、還俗も結婚もしなかったのではなかろうか?と私は思う。
 結局、亀之丞は直盛の養子となり、元服して直親(なおちか)を名乗った。そして、奥山氏(井伊家の庶子家)の娘・しの(奥山家文書によると実名は「おひよ」・貫地谷しほりさん)と結婚したのである。
 直虎にとっては不運な運命としか言いようないが、井伊家にとっては、ひとまず跡取りが現れ、安泰。と、そんなところで歴史を揺るがす大事件が起きる。
 桶狭間の戦いである。
 永禄3年(1560)5月19日、直虎の父・直盛が「桶狭間の戦い」で殉死すると、母・千賀は出家して「祐椿尼」(ゆうちんに)と称し、直親が23代宗主となった。そして、翌永禄4年(1561)2月9日、新しく虎の目を持つ男の子が生まれた。
 名は直盛と同じ「虎松」。後の徳川四天王・井伊直政である。歴史を知る我々からすれば、なるほどこれで井伊家の家運は上昇したのであろうか、と考えがちかもしれないが、そうは簡単には進まない。
 翌永禄5年(1562)、今度は井伊直親(三浦春馬さん)が「徳川家康に内通している」として、今川忠臣の朝比奈泰朝に誅殺されてしまったのだ。
――そして井伊家には成人男性がいなくなった。
◆井伊谷では「静の直虎・動の直政」と対比される
 井伊家が消滅する。
 そう思われたが、1つの望みはあった。虎松である。次郎法師は、還俗して「井伊次郎直虎」と名を変え、虎松の後見人となった。
 「女城主・井伊直虎」の誕生である。
 その名に恥じない武将として、『彼女はさぞかし勇ましい男として生きたのだろう』と考えられがちだが、地元・井伊谷では「女地頭・次郎法師」と呼ばれ、物静かで優しい女性だったと伝わっている。
 「静の直虎・動の直政」と対比されるほどで、ドラマではどう描かれるか楽しみの一つだ。
 実際、彼女が「女城主」だった頃には、幸いなことに大きな戦いもなく、「女武将」としての勇ましい手腕は未知数だ。むしろ「女地頭」「女領主」としての内政能力のほうが高く評価され、土地訴訟の解決や新田開発に力を入れた。
 地味な話ではあるが、直虎最大の功績は、今川氏真が永禄9年(1566)に出した「井伊谷徳政令」を2年間凍結したことであるとされる。
 ただし、永禄11年(1568)11月9日に徳政令を施行すると、地頭職を解かれてしまい、さらに命まで狙われるようになった。そこで直虎は尼となって「祐圓尼」(ゆうえんに・「圓」は「円」の旧字体)と名乗り、実母の祐椿尼(ゆうちんに)と共に龍潭寺に入った。
 後の井伊直政である虎松は鳳来寺へ。また、時をおいて虎松の実母・しのは、徳川家臣・松下源太郎清景(きよかげ)と再婚した。
◆「日本最強の赤備え」山県隊が井伊谷に襲いかかる
 直虎の地頭解任後、家老であった小野政次(高橋一生さん)が地頭に任命された。
 が、その期間は短く、わずか1ヶ月。永禄11年(1568)12月に徳川家康(阿部サダヲさん)が三河国から侵攻してきたのだ。旧井伊領は徳川氏に寝返った「井伊谷三人衆」のものとなり、小野政次は家康によって処刑された。
 その後、家康の遠江侵攻を阻む戦いが、堀川城(気賀)や、堀江城(舘山寺)で行われ、井伊谷衆は、徳川方として戦った。
 祐圓尼は、これらの戦いには参加していない。合戦によって多くの死者が出て、各地で葬儀が重なったにも関わらず、僧侶自身も戦いで多くが亡くなってしまい、南渓和尚と祐圓尼が葬式のために回ったことが『南渓過去帳』から窺い知れる。
 そして元亀3年(1572)、武田軍が遠江国に侵攻すると、12月22日、徳川軍と三方ヶ原で衝突。武田軍が勝利をおさめ、旧井伊領はそのまま武田領となった。
 武田軍は、旧井伊領刑部で越年すると、翌年1月3日には「日本最強の赤備え」と恐れられた山県隊が井伊谷に襲いかかった。この時、龍潭寺は全焼。後日、武田信玄が死ぬと、旧井伊領は家康が奪い返し、再び井伊谷三人衆の領地となる。
 天正2年(1574)12月14日、井伊直親の13回忌法要に、後の井伊直政・虎松が鳳来寺から龍潭寺へやって来た。実母・しの、南渓和尚、祐圓尼(直虎)、祐椿尼(直虎の実母)の話し合いにより、虎松は鳳来寺へ帰さず、しのの再婚相手・松下清景の養子とした。
 「松下虎松」の誕生は、すなわち約600年続いた名門・井伊家が途絶えたかのように見えた。が、彼等の狙いはそうではなかった。
 松下虎松の将来について、しの、南渓和尚、祐圓尼、祐椿尼たちは、
――徳川家康に引き合わせ、仕官させよう。
 ということになったのだった。祐圓尼は、家康と対面させるために着物を縫い、遠くからでも目立つように四神旗を作ったという。
 そして天正3年(1575)2月15日、鷹狩に出た家康は、首尾よく虎松を見つけると……
――こやつ虎の目を持っておる。はて、どこかで見たような?
 と、浜松城へ連れて帰り、身元を聞いて納得した。徳川に寝返ろうとして討たれた直親の子であり、桶狭間の戦いでは共に先鋒を務めた直盛の孫(直親は直盛の養子)であると知り、
――取り立てずんば叶わじ(召し抱えないわけにはいかない)
 として、虎松を小姓にし、「井伊」の復姓を許して「井伊万千代」と名付けたのだ。所領は300石。後の井伊家大躍進から見ればまだまだ小さな石高であったが、ともかく井伊家は、家康のおかげで絶えずに済んだのである。祐圓尼は喜んだ。
◆時には男として生き、生涯未婚 早すぎる死を……
 万千代の仕官後、祐圓尼は、愛した人の子の出世を祈り続けた。
 彼女の祈りは届いたのであろう。天正10年(1582)6月2日の本能寺の変に続く「神君伊賀越え」では、万千代も功績をあげ、家康から「孔雀の陣羽織」を賜るなど順調に出世していった。それに安心したのか、同天正10年(1582)8月26日、祐圓尼は、龍潭寺の松岳院で南渓和尚に看取られながら、静かに息を引き取った。病魔に侵され早すぎる最期ではあったが、死に顔は穏やかであったという。
 井伊家を虎松(万千代→井伊直政)に引き継いだ女性は、時には男として生き、生涯未婚であった。享年は不明だが、母・祐椿尼の死から4年後であることから早逝であることは明らかであり、当時の平均寿命50歳には程遠かったと考えられている。
 位牌と墓は、彼女の戒名「妙雲院殿月舩祐圓大姉」にちなんで「妙雲寺」と改名された菩提寺の自耕庵にある。
平成19年(2007)、彦根城築城四百年記念祭に合わせて、龍潭寺の境内に「徳川四天王 井伊直政公出世之地」碑が建てられた。まるで、龍潭寺での祐圓尼の祈りのおかげで、直政が出世できたと言わんばかりのその佇まい。
 徳川家康は、約17年間、遠江国(浜松)で過ごし、その間、遠州(遠江国のこと)の多くの武将が家康の軍門に下ったが、「徳川二十八神将」に選ばれた遠州人は、井伊直政、只一人である。
 直政の出世はさほどに異例であり、神がかっていたとしか言いようが無く、彼自身の努力の賜物であることは間違いないが、「井伊」という名門の血、人を魅了する虎の目、そして、祐圓尼の祈りが、出世に無関係だったとは言い切れない。*
<著者/戦国未来>



駿河上田の田んぼではのちの大盗賊の竜雲丸(りゅううんまる)と弟の時宗丸(ときむねまる)がドジョウ取りをふんどし姿でやっていた。当時、五歳かそこらである。
「兄上~っ。」時宗丸はもうあきたとばかりに畦道にすわって文句を言う。
竜雲丸は「あと少し。ドジョウは母上の病気によいのじゃ」
とドジョウすくいの籠をかまえて粘り強い。畑の川辺ではおんなたちが歌をうたいながら洗濯をしている。竜雲丸・時宗丸の父親である五右衛門は、
「竜雲丸!時宗丸~!」と笑顔で声をかけて近づいた。「ドジョウすくいか?よしわしも!」
しばらく親子はドジョウをとった。「そっといけよ。おーっ!」
親子は泥だらけになった。
五右衛門は手ぬぐいで息子の顔を拭いた。「竜雲丸はいい面(つら)になりそうだ」
「侍の面か?」
「いい面が侍の面かどうかはわからんぞ。田を耕す百姓も商人もみんないい面をしておる。そういう意味ではみんないい面じゃ」
そうか、とばかりに幼い竜雲丸や弟の時宗丸は頷く。
そんな時、畦道を孔雀のような羽根の旗指物をした伝令の侍が馬で駆け抜けた。
「何かあったのやもしれんなあ。」
五右衛門は不安になった。
 駿河の国主・今川義元は関東の平定のために行軍していた。
たぐいまれな軍事の才で関東を束ねるという使命に燃えていた。軍の行進で、白馬にまたがる今川義元。旗印や今川家の家紋などがたなびく。
一時関東の山奥で布陣をはり、幔幕のなかで休憩した。織田信長に討たれることになる今川義元、である。
近藤景綱は酒樽から酒をすくって呑んで、
「武田信玄め!またしても関東に出てきおって!」と文句。
長尾晴家は「北条と手を結び、ぬけぬけと関東をあらしまわってるわ!」
後藤高広は「それにしても北条め!我らが正々堂々と堕とした下野(しもつけ)常陸(ひたち)の城をまた寝返らせるとは。」
佐藤宗信は「この山さえなければ、関東平定などたやすいものよ」と苦い顔をする。
今川義元は「山に邪心はない。邪心あるものは必ず滅びよう。われらは駿河管領としてこの関東を不動明王に恥じないすばらしき義の国とすることじゃ。義の心を掲げ、その役目をまっとうするのみ!」という。
そこに孔雀のような羽根の旗指物をした伝令の男がきた。平伏する。
「いかがした?」
伝令は焦って、
「御屋形さまの命を受けて動いていた小野道好(道高の子)さまと井伊直満さまが家臣の讒言により井伊谷城でお討ち死に!」という。
「何と??!!」
義元は驚いた。
今川家は井伊家とは犬猿の仲だった。
井伊谷城下は混乱の渦である。
小野道好は今川家家臣小野道高の実の子供であり、井伊家の監視役。井伊家にはのちの井伊家当主となる十歳の井伊直親と九歳の許嫁の井伊麗姫(のちの次郎法師・直虎)のみ。
幼い井伊直親には誰もついてはこない。
直親の父親・井伊直満も小野と同じく横死し、直虎の母親・祐椿尼だけが残されていた。
もう井伊谷城や城下は騒乱の渦である。五右衛門の家でも妻のお藤が幼い息子たちに、
「竜雲丸、時宗丸!家の中に入るのです。戦になるやも知れない。いいですね?出てはなりませんよ!」といい家に急いだ。
竜雲丸(のちの大盗賊)だけは「戦かあ。」と、にやりとする。
騒然の井伊谷城下である。
そこに馬にのって今川義元がやっていた。
「射るな!射るな!」五右衛門は足軽達が義元公に矢を射るのを止めた。
だが、少しの矢は放たれた。だが、さすがは太守さまだ。刀で矢をはじいた。
竜雲丸は山道の近くでそれを観て、「あれが今川義元さまか。」と関心した。
その義元は怪物のようだが雑兵数十人の軍団を刀で一刀両断にした。
そして蹴り上げると雑兵達はくずれ、たおれた。みねうちであり、死者はない。
雑兵たちは驚愕して腰を抜かすぐらいに騒乱する。
「道をあけよ!われは重臣・小野道好・井伊直満の弔いに参った!」という。
黒い鎧にマントすがたの今川義元はまさに太守さまである。公家のように眉を剃り、おしろいで顔は真っ白だ。「まろに道をあけよー!」
雑兵は道を開けざるを得ない。

「なんとおいたわしや。しかし、祐椿尼、心配なさるな。尼御前にはこの今川義元がついておりまする」小野道好と井伊直満の遺体をみた義元は祐椿尼を励ました。
娘の麗姫も許嫁の直親も哀しい顔で遺体をみていた。
今川義元(いまがわ・よしもと)は不動明王の化身と称し、駿河を束ねていた。
井伊直親と今川義元は山麓から領地をみた。
「わしのことを戦の天才、神仏、不動明王の化身というものもいる。尊敬するものもいる。だが、神ではない。わしとてひとりの生身の人間……。哀しいときや辛いときや泣きたいときもある。じゃが、民のために民のための国をつくる覚悟がある!いいか、井伊直親。民をいつくしむ民のための政が肝要じゃ!わしとともに不動明王に恥じぬいい国をともにつくろうではないか!」
義元は目を細めた。
無口で有名な井伊直親(のちの次郎法師・直虎の許嫁)は無言で頷く。まさに、圧巻である。
 井伊直親とその小姓の少年達は学び舎である駿河の龍譚寺(りょうたんじ)で学ぶこととなった。教えるのは僧侶長の南谿瑞聞(なんけいずいけん)和尚と坊主達である。
だが、井伊直親は無口で表情もなく、なんとも困った性格であった。
口が重く、人間関係をつくるのが苦手であった。
祐椿尼や弟の直信は遠くで見ていた。
やはり、井伊直親は誰ともうちとけずひとりっきりで暗い顔をしていた。
祐椿尼は「娘の許嫁の直親はあのように口が重く、他の小姓達もいちはやく直親の意思を汲もうと必死なのですが。これは困ったことです」
南谿和尚は無言「………。」
井伊直信は「姉上は直親の“北斗の七星”をおもとめなのですな?」ときく。
「北斗の七星……。」
祐椿尼は頷いた。
北の夜空に炯々と輝く北斗の北神の星…。それを守るように輝く北斗の七星……
祐椿尼は井伊直親にたてついたある少年を考えた。
間違いない。あれぞ井伊直親の北斗の七星であろう。
 さっそく祐椿尼は竜雲丸を小姓に、という話をすすめた。
当然、坂上城の勘定奉行にすぎない五右衛門は大喜びだった。
「いいか。竜雲丸!お前を井伊直盛さまのご養子で直虎さまの許嫁の直親さまの小姓に…というありがたい話がきた。これからはお主は直親さまの小姓じゃ。わしなんぞは上田の坂上城の勘定奉行がせいぜいだったが、お前は井伊家の家老にさえなれるやも知れん。いい話であろう?」
「竜雲丸を小姓に?五歳で小姓に、などきいたこともありません。」
母のお藤は戸惑った顔をした。
「辛抱じゃ。これは井伊様、祐椿尼さまからのありがたいお話なんじゃ」
だが、竜雲丸は反発した。
「そんなものにはならん。わしは父上と同じ坂上城の勘定奉行になるのじゃ。ならん」
「なんじゃと?!!」
「そんなものにはならん!」
……馬鹿者!父親の坂上五右衛門は息子の竜雲丸を納屋に閉じ込めた。
「そこでよっく考えてみよ!」
「父上-!母上-!うええぇん。」竜雲丸は泣く。「よい子になるからだしてくだされ。小姓なんかになりとうはない。うえええぇん。いい子になるから。家に居たいんじゃ。うえええぇん。うええぇん。」
夜中になっても閉じ込めて、竜雲丸は泣き続けた。
ふとんに横になっていた五右衛門はお藤に言った。「ならん」
「様子をみるだけにございます」
「ならん」
お藤はその夜、泣き続けた。そして、覚悟を決めた。
 その朝に竜雲丸を納屋からだしたお藤は言った。
「竜雲丸。……何故に紅葉はあんなに鮮やかなのかわかりますか?」
「…母上。」
「紅葉が赤く鮮やかなのは御屋形である大樹の身代わりとなってああやって赤や黄色に色づき身代わりで散っていくのです。来たるべき厳しい冬に備えて身代わりで散っていく…」
「…身代わり?」
「お前はもう母の子ではない。この遠江の井伊谷の子となりなさい。紅葉のような家臣となるのですよ。」
「いやじゃ!いやじゃ!うええぇん。」
「もう決めたことなのです!」
親子は泣きながら抱擁した。「もう決めた…こと…なのですよ」
「…母上……」「…竜雲丸。」
こうして親子は離れた。
 坂上竜雲丸(のちの大盗賊)は龍譚寺に出奔した。
上座に今川義元や祐椿尼や井伊直信や直親・直虎がいて、横座に小姓の少年たちがいる。
わずか五歳の竜雲丸はやってきて、
平伏して「坂上城勘定奉行坂上五右衛門の一子、竜雲丸でざいます。この度は直親さまの小姓となるべく誠心誠意………」言葉が続かない。苦い顔の竜雲丸…
南谿和尚は「言葉が続かないのは他のものの言葉を鵜呑みにして語ろうとするからじゃ。まだ出ぬか?そなたの本当の言葉が……?」
すると竜雲丸は無言から一転して不敵なまでの言葉を発した。
「わしは……わしは侍ではなく大盗賊になるのじゃ!」
今川義元は笑った。「わはははっ。面白い」竜雲丸に近づき頬をひねった。「気に入った!」
これが直親の北斗の七星であろう。
さすがは今川義元である。さすがは井伊直虎である。
竜雲丸の才覚を見抜いた。
だが、竜雲丸は幼すぎる。まだ五歳でしかない。
……母恋しの気持ちは抑えきれない。
紙の母親の肖像画を見て「…母上。」と泣いていると直親が声をかけた。
「…母御にあいたいのか?」
「あわせてくれるのか?帰ってもいいのか?」
「……。」
「これ!無礼であろう!帰れるわけがなかろう!」先輩の小姓の少年が竜雲丸を諫める。
またも直親は無口である。
その深夜、竜雲丸は龍譚寺から姿を消した。気づいたのは直親のみ。他の小姓少年達は眠っていた。竜雲丸はふとんにいなかった。
すぐに直親は和尚の部屋のふすま越しに「竜雲丸がおりません。…もしや里親の元に帰ったのかと。どうすればよろしいでしょうか?」と問う。
南谿和尚はふとんのまま、
「それを決めるのはわしではありませんな。亀之丞(直親)殿が竜雲丸をどうしたいか…でしょうな。」


****続く(刊行本または電子書籍に続く)続く*******

年末年始一気読みスペシャル特別編成『おんな城主井伊直虎』ブログ小説VOL.3

2017年12月30日 16時16分08秒 | 日記
































徳政令を出す迄に地元の成金商人・大河ドラマでは瀬戸方久を家臣として、領地を与え、村への徳政令(商人に百姓の借金を棒引きにする命令)を年貢によってなしにするという直虎のアイディアだった。しかし、農民らは伊井谷を乗り越えて、直接、今川氏真に徳政令を要求した。直虎は村の集団に瀬戸方久を人質にとられ、「徳政令を出さねば方久の命はない」と恫喝。しかし、直虎は農村の稲を僧侶たちとともに植え始める。「そんなことをしてもおらだらはほだされないぞ!」しかし、直虎は「確かにお主らの村は瀬戸方久の所領とした。しかし、井伊家の借金のためではないぞ。方久が村の領主となれば年貢が入る。これでそなたたちの借金は年貢で払われる」「徳政令のほうがいいだで!」「目先のことばかり考えるではない!確かに徳政令をだせばお主らの村の借金はなくなる。だが、今後、また借金ができたら?凶作にまたなったらどうする?確かに方久は強欲じゃ。なれど自らの所領となれば銭を得たくてお主らのいいように銭をうむ妙案も考え、お主らを大事に扱おうぞ。今の井伊家には銭も人材もいない。今は方久のような裸一貫から豪商になりあがったような人材が大事なのじゃ!勿論百姓のお主らもじゃ!われを信じてくれぬか!!?」「………初めから……そういってくれれば。」「んだんだ。」「田植えじゃ。田植えじゃ。」
二度も太守である今川家の命に背いたことで直虎は呼び出しをくらう。「おなごじゃからとおおめにみてはくれないですかのう?」南溪和尚は「無理だろうのう。向こうの実質的な太守もおなご(寿桂尼)じゃからのう。おなごじゃからと馬鹿にすることもないかわりにおなごじゃからとおおめにもみてもくれないじゃろう」
こうして直虎は駿河の今川屋敷に召喚される。道中、今川からの刺客たちが直虎の命を狙うが、傑山・昊天ら僧兵に命を守られる。直虎は「お主はどうやって領土を豊かにする?」という寿桂尼の問いに「民を潤しまする。大名や武家は、百姓の年貢あっての家禄でござりますれば、国が潤えば民百姓も豊かに暮らせまする」「……なるほど。さすがは出家上がりに直虎なる男名を名乗り井伊谷を治めるおんな城主じゃ。このおんな大名寿桂尼、感心した。井伊谷の領主は直虎…そちじゃ!」こうして、井伊直虎は牛歩戦術で時間をかせぎ2年半後、徳政令を出す。瀬戸方久は領地で綿毛の栽培のアイディアまで出したという。今川家が滅んだのはその半年後の永禄十三年(1569)である。徳川家康と武田家が密約を結び、井伊谷三人衆(鈴木重時しげとき・近藤康用やすもち・菅沼忠久すがぬま・ただひさ)の手引きで徳川が遠江から武田が駿河から侵攻して今川家を滅亡させたのだ。
この後、盗賊、竜雲丸たちと直虎は出会い、ひと悶着があり、井伊家・井伊谷を守る。
さて、武田信玄につくか?それとも徳川家康(松平元康)につくべきか?
そこで井伊直虎は亡き元・いいなづけの井伊直親の“徳川びいき”を思い出す。
「ここは徳川さまに義理の息子を仕官させるしかない。井伊家の未来はこの小童に託されている。見ていてくだされ、直親さま。」
まず、井伊直虎は、三河(愛知県 新城市)の鳳来寺(ほうらいじ)で学問好きの家康に好かれようと、幼い虎松(のちの井伊直政)に学問をしこんだ。また未亡人となっていた直親の元・妻しのを徳川家の重臣の松下源太郎と再婚させた。
政略結婚である。直虎は義理の息子を家康に仕官させようと就職活動に知恵をねった。
井伊直虎は自ら鮮やかな小袖を縫って十五歳の直政に着せて、鷹狩りの徳川家康と対面させて仕官させた。天正3(1575)年2月15日のことである。
「家康さま。ある尼と若い者があいたいと申して参上していまする」
普通は大大名の徳川家康にあえる筈はない。だが、直虎は家康の鷹狩りの日を調べて参上したのだった。徳川の幔幕の中の徳川家康は「誰じゃ?まあ、こんな遠くの山中だ。逢おう」家康は尼姿の直虎と立派な裃烏帽子直垂すがたの直政にあった。
「実は虎松(のちの井伊直政)は松下源太郎さまの実子ではなく、本当の父親は井伊家の井伊直親というわれの元・許嫁であり、直親も徳川さまに仕官したいと希望していました」
「…ほう。」
「しかし、暗殺され井伊家は没落いたしました。われらは徳川さまに頼るしかない!」
直政も「家康さま!禄は少なくてもかまいません!何でもやりますのでどうか家臣にしてくだされ!お願い申します!」
家康は井伊直政をただならぬ者と感じた。(「徳川実記」より)
「わかった!これよりこの徳川家康の、わしのそばにおれ!そなたの名は今日より虎松でなく井伊万千代(のちの直政)と名乗るがよいぞ!」
「ありがたき幸せ!」
喜び合う直虎と直政。……これで井伊家も安泰じゃあ。その後、井伊直政は“井伊の赤鬼”と恐れられていく。草履番から足軽、色小姓、武将そして軍師へと大出世をするのだ!のちに彦根藩三十五万石、五人もの幕府大老を出すにいたる。徳川幕府の屋台骨であり、徳川四天王(酒井忠次・榊原康政・井伊直政・本多忠勝)のひとりである。
徳川家康は直政の力量をわかり、家臣に取り立てた。
そこからが鯉もかくあらんという大出世を井伊直政はする。
家康の暗殺を未遂におわらせ、明智光秀「敵は本能寺にあり!」……本能寺の変(天正10(1582)年6月2日)で織田信長が死ぬと、近くにいた徳川家康をすくう。
いわゆる伊賀(三重県)超えで、徳川家康を三河の城まで守った。
そこで、井伊家は近江の彦根に領地をあらたに与えられ、直政は武功により“孔雀尾具足陣羽織(くじゃくおぐそくじんばおり)”を与えられた。
井伊直虎が死ぬのはこの伊賀超えの三ヶ月後、享年四十七歳、であった。
井伊家の繁栄を確証したかのような死、であった。
義理の息子・井伊直政は二十年後の関ヶ原で、敵陣突破を謀った薩摩の島津を撃追して、戦勝の恩賞で彦根三十三万石の大大名になる。
井伊直虎の墓は元いいなづけの井伊直親のとなり、であった。そこで彼女は永遠の眠りに、ついている。

***
初夜の日、幾島に「しのさま、くれぐれも亀之丞様に好いていただけるように」
「わかっておる」
しの(亀之丞の隠遁地での愛人・のちの妻)は白い寝巻の着物で向かった。
しかし、亀之丞は「わしは疲れた。もうやすめ」などという。
「若様、ふつつか者なれど正室としてこのおしの、せいいっぱい務めて…」
「うるさいのう。目が覚めてしまったではないか。」
「すいません。」
「眠れぬ。何かおもしろい話をせよ。」
「イスパニアについて!」
「それのどこが面白い?昔話をせよ。」
「ははっ!…え~、昔々、すもうの好きな鼠の親子がおりました……」
「ほう。おもしろそうだ。それで?………?」
亀之丞は驚いた。「しの!寝ているのか。え~っ!」
人払いをした舘の寝室でふたりだけで話した。
「何故、若さまはうつけのふりなど?」
「わしはうつけではない」
「ですから何故そのようなふりを?」
「もういい。昨晩の鼠の話をせよ。すもうがすきだという。昔話じゃ。」
「あくまでうつけを演じ続けるおつもりですか?」
「………」亀之丞は考えた。
 するとしのは井伊亀之丞の胸に飛び込んだ。抱擁……
「うつけ殿なら謀略の的にはならん。わしは井伊家というより井伊の家族が守りたい」
「なればなおのことうつけのふりなど…」
「そなたになにがわかる?戦国大名は孤独じゃ。わしは大名になどなりたくはなかった。ずっとあやつとどこぞかの田舎で畑仕事でもしながら暮らしたい。だが、無理じゃ。わしは身体が弱くてのう。生い先は短い。だが、だからこそ井伊家の家族を守りたい」
井伊亀之丞は語り始めた。

  話を少し戻す。





**井伊直虎って女性なのか!? NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」先取り人物事典**
 2017年大河ドラマの主人公は「井伊直虎」である。戦国ファンや同時代のゲーム好きには割とよく知られた名前だが、その一方で主役を演じるのが柴咲コウさんだと聞いて驚かれた方も少なく無いだろう。
 直虎って女性なのか!?
 答えは、イエス。彼女は幼名を「おとわ(幼名不明のため大河ドラマではおとわ、この小説では麗)」、出家して「次郎法師」と言い、最終的には地元・井伊谷(いいのや)の女地頭になって「井伊直虎」を称する。
 一体、直虎という「おんな城主」はどんな人物だったのか? 幼少期の「おとわ」時代から解説していこう。
(直虎が男性だったという説が一部報じられていますが、本稿ではこれまで検証されてきた女性説の資料をもとに解説していきます)
◆虎の目を持つ一族と呼ばれた井伊家の人々
 彼女は一体、ドコでいつ生まれたのか?
 井伊直虎に限らず、戦国時代の女性は、名前も年齢も分かっていないことが多い。
 徳川家康の正室・築山御前ですらそうなのだから、地方の小領主に過ぎなかった井伊家の女性など、ある意味、不明で当然だ。が、それでは物語が何も進まないから、ある程度は演出を伴って物語は進んでいく。
 ドラマ『おんな城主 直虎』で、直虎の幼少期は「おとわ」(柴咲コウさん)という。
 おとわの生年は、許婚者の亀之丞(かめのじょう・三浦春馬さん)が1535年生まれであるため、1535±5年と推測。亀之丞にとって彼女は、年下の可愛い女の子であったとも、年上の男勝りの女の子であったとも言われている。
 作家は、数ある説の中から、ストーリーに都合のいい説を選びがちだ。それがメディアを通じて広まり、いつしか「定説」となり、気がつけば「真説」として定着してしまう。さて、大河ではどう描かれたか。
 柴咲コウさんの気丈なイメージ、かつ三浦春馬さんの優しげな風貌からして、直虎が年上となる。
 いずれにせよ井伊一族には、不思議な伝承がある。
 虎の目を持つ一族――というのがソレ。
 「虎の目」とは、「野性的な目」と解されるが、私は「茶色の目」と解している(茶色の目の持ち主といえば、時代劇の俳優なら静岡県出身の里見浩太朗さん、アイドルなら大島優子さんや橋本環奈さん辺りだろうか)。
 相手に安心感を与えて信頼される目。人を惹きつける目。魅力的な目ということであろう。
 おとわの父親は、井伊22代宗主直盛(なおもり・杉本哲太さん)である。直盛の幼名は、江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』に「虎松」とある。「虎丸」とする説もあるが、いずれにせよ、虎の目を持つ人間であったのであろう。
 一方、おとわの母は、ドラマでは新野千賀(ちか・財前直見さん)となっている。新野氏は、今川氏の庶子家で、御前崎市新野の地頭(この当時の「地頭」は「領主」の意)であった。井伊家と新野氏・娘との結婚は、今川氏との結びつきを深めるための政略結婚だったとされている。
 こうした両親のもと、おとわが生まれた場所は井伊谷(いいのや・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の井伊氏居館と伝えられている。
 が、残念ながら直盛夫妻が授かった子は「おとわ」のみで、井伊家の宗主であるにも関わらず息子に恵まれなかった。
 そこで井伊20代宗主直平(なおひら・おとわの曽祖父、前田吟さん)が、「男子が生まれなかった場合は、わしの息子の井伊直満(なおみつ・宇梶剛士さん)の子・亀之丞と、おとわを結婚させる。亀之丞に井伊家を継がせるのだ」と決めた。
 おとわが、まだ2~3歳の時だったという。
◆亀之丞は信州へと亡命 出家して「次郎法師」を名乗る
 「おとわ」と呼ばれていた時代、彼女は宗家の娘として、何不自由なく過ごしていた。
 が、間もなく悲劇が起きる。井伊直満(亀之丞の父)が今川義元に誅殺されてしまった上に、当時のならいで息子の亀之丞(当時9歳)にも殺害命令が出されたのだ。直虎の許婚者であり、井伊家宗主候補だった亀之丞は、かくして信州へと亡命し、消息不明となってしまう。
 若かりしおとわが絶望の底へ突き落とされたのは想像に難くない。
 当時の女性の結婚適齢期は13歳前後と言われている。その年頃になったおとわは、なぜか自分で自分の髪を切り、大叔父の南渓和尚(なんけい・龍潭寺二世住職・小林薫さん)の元へ出向いた。
「出家したい。尼の名前を付けて欲しい」
 それを聞いたおとわの両親(直盛・千賀)は驚いて、「尼の名だけは付けるな」と南渓和尚に迫ったという。両者の板挟みにあった和尚は、親の意を汲んだ「次郎」という俗名と、娘の意を汲んだ「法師」という僧名を合わせ、「次郎法師」と名付けた。
※このあたりのヤリトリは、江戸中期に祖山和尚(龍潭寺九世住職)によって書かれた『井伊家伝記』に、まるでその場にいたような描写で書かれている
 おとわが「出家したい」と考えた理由は
「(亀之丞はいつか帰ってくると信じて)愛を貫くため」
 すなわち、次々と舞い込む縁談を断るためとも
「(亀之丞が死んだと信じて)いいなずけの菩提を弔うため」
 とも言われている。
 ドラマ風にアレンジするならば、おとわは亀之丞だけを永遠(とわ)に愛したのであった。
◆桶狭間で直盛が死んだけど、直政が生まれた
 南渓和尚が付けた「次郎法師」の「次郎」という俗名は、井伊家当主が使う通称である。
 つまり、「次郎法師」とは女性(尼)の名ではなく、男(僧)の名であった。この「次郎法師」と名乗っていた時期を「男として生きる準備期間であった」と位置づけている方もおられる。
 亀之丞(9歳)が信州に亡命して10年後の弘治元年(1555)2月、ハタチになった亀之丞が井伊谷に帰ってきた。
 ここで「次郎法師」という名が活きる。尼であれば還俗できないが、僧であれば還俗して結婚できるのである。
――次郎法師は、還俗し、亀之丞と結婚して、幸せに暮らした。
 と書きたいのであるが、現実はさにあらず。彼女は、還俗をしなかった。むろん結婚もしていない。なぜか。
 理由として考えられるのは、彼女の結婚適齢期を超えていたからということもあろうが、亀之丞がすでに信州で子(高瀬姫・後の彦根藩家老の川手氏の妻など)をもうけていたことにショックを受けたのであろう。
「立場が上である嫡流の彼女は愛を貫いたのに、傍流の男に裏切られた」
 つまり宗家が舐められたとしてプライドを傷つけられ、還俗も結婚もしなかったのではなかろうか?と私は思う。
 結局、亀之丞は直盛の養子となり、元服して直親(なおちか)を名乗った。そして、奥山氏(井伊家の庶子家)の娘・しの(奥山家文書によると実名は「おひよ」・貫地谷しほりさん)と結婚したのである。
 直虎にとっては不運な運命としか言いようないが、井伊家にとっては、ひとまず跡取りが現れ、安泰。と、そんなところで歴史を揺るがす大事件が起きる。
 桶狭間の戦いである。
 永禄3年(1560)5月19日、直虎の父・直盛が「桶狭間の戦い」で殉死すると、母・千賀は出家して「祐椿尼」(ゆうちんに)と称し、直親が23代宗主となった。そして、翌永禄4年(1561)2月9日、新しく虎の目を持つ男の子が生まれた。
 名は直盛と同じ「虎松」。後の徳川四天王・井伊直政である。歴史を知る我々からすれば、なるほどこれで井伊家の家運は上昇したのであろうか、と考えがちかもしれないが、そうは簡単には進まない。
 翌永禄5年(1562)、今度は井伊直親(三浦春馬さん)が「徳川家康に内通している」として、今川忠臣の朝比奈泰朝に誅殺されてしまったのだ。
――そして井伊家には成人男性がいなくなった。
◆井伊谷では「静の直虎・動の直政」と対比される
 井伊家が消滅する。
 そう思われたが、1つの望みはあった。虎松である。次郎法師は、還俗して「井伊次郎直虎」と名を変え、虎松の後見人となった。
 「女城主・井伊直虎」の誕生である。
 その名に恥じない武将として、『彼女はさぞかし勇ましい男として生きたのだろう』と考えられがちだが、地元・井伊谷では「女地頭・次郎法師」と呼ばれ、物静かで優しい女性だったと伝わっている。
 「静の直虎・動の直政」と対比されるほどで、ドラマではどう描かれるか楽しみの一つだ。
 実際、彼女が「女城主」だった頃には、幸いなことに大きな戦いもなく、「女武将」としての勇ましい手腕は未知数だ。むしろ「女地頭」「女領主」としての内政能力のほうが高く評価され、土地訴訟の解決や新田開発に力を入れた。
 地味な話ではあるが、直虎最大の功績は、今川氏真が永禄9年(1566)に出した「井伊谷徳政令」を2年間凍結したことであるとされる。
 ただし、永禄11年(1568)11月9日に徳政令を施行すると、地頭職を解かれてしまい、さらに命まで狙われるようになった。そこで直虎は尼となって「祐圓尼」(ゆうえんに・「圓」は「円」の旧字体)と名乗り、実母の祐椿尼(ゆうちんに)と共に龍潭寺に入った。
 後の井伊直政である虎松は鳳来寺へ。また、時をおいて虎松の実母・しのは、徳川家臣・松下源太郎清景(きよかげ)と再婚した。
◆「日本最強の赤備え」山県隊が井伊谷に襲いかかる
 直虎の地頭解任後、家老であった小野政次(高橋一生さん)が地頭に任命された。
 が、その期間は短く、わずか1ヶ月。永禄11年(1568)12月に徳川家康(阿部サダヲさん)が三河国から侵攻してきたのだ。旧井伊領は徳川氏に寝返った「井伊谷三人衆」のものとなり、小野政次は家康によって処刑された。
 その後、家康の遠江侵攻を阻む戦いが、堀川城(気賀)や、堀江城(舘山寺)で行われ、井伊谷衆は、徳川方として戦った。
 祐圓尼は、これらの戦いには参加していない。合戦によって多くの死者が出て、各地で葬儀が重なったにも関わらず、僧侶自身も戦いで多くが亡くなってしまい、南渓和尚と祐圓尼が葬式のために回ったことが『南渓過去帳』から窺い知れる。
 そして元亀3年(1572)、武田軍が遠江国に侵攻すると、12月22日、徳川軍と三方ヶ原で衝突。武田軍が勝利をおさめ、旧井伊領はそのまま武田領となった。
 武田軍は、旧井伊領刑部で越年すると、翌年1月3日には「日本最強の赤備え」と恐れられた山県隊が井伊谷に襲いかかった。この時、龍潭寺は全焼。後日、武田信玄が死ぬと、旧井伊領は家康が奪い返し、再び井伊谷三人衆の領地となる。
 天正2年(1574)12月14日、井伊直親の13回忌法要に、後の井伊直政・虎松が鳳来寺から龍潭寺へやって来た。実母・しの、南渓和尚、祐圓尼(直虎)、祐椿尼(直虎の実母)の話し合いにより、虎松は鳳来寺へ帰さず、しのの再婚相手・松下清景の養子とした。
 「松下虎松」の誕生は、すなわち約600年続いた名門・井伊家が途絶えたかのように見えた。が、彼等の狙いはそうではなかった。
 松下虎松の将来について、しの、南渓和尚、祐圓尼、祐椿尼たちは、
――徳川家康に引き合わせ、仕官させよう。
 ということになったのだった。祐圓尼は、家康と対面させるために着物を縫い、遠くからでも目立つように四神旗を作ったという。
 そして天正3年(1575)2月15日、鷹狩に出た家康は、首尾よく虎松を見つけると……
――こやつ虎の目を持っておる。はて、どこかで見たような?
 と、浜松城へ連れて帰り、身元を聞いて納得した。徳川に寝返ろうとして討たれた直親の子であり、桶狭間の戦いでは共に先鋒を務めた直盛の孫(直親は直盛の養子)であると知り、
――取り立てずんば叶わじ(召し抱えないわけにはいかない)
 として、虎松を小姓にし、「井伊」の復姓を許して「井伊万千代」と名付けたのだ。所領は300石。後の井伊家大躍進から見ればまだまだ小さな石高であったが、ともかく井伊家は、家康のおかげで絶えずに済んだのである。祐圓尼は喜んだ。
◆時には男として生き、生涯未婚 早すぎる死を……
 万千代の仕官後、祐圓尼は、愛した人の子の出世を祈り続けた。
 彼女の祈りは届いたのであろう。天正10年(1582)6月2日の本能寺の変に続く「神君伊賀越え」では、万千代も功績をあげ、家康から「孔雀の陣羽織」を賜るなど順調に出世していった。それに安心したのか、同天正10年(1582)8月26日、祐圓尼は、龍潭寺の松岳院で南渓和尚に看取られながら、静かに息を引き取った。病魔に侵され早すぎる最期ではあったが、死に顔は穏やかであったという。
 井伊家を虎松(万千代→井伊直政)に引き継いだ女性は、時には男として生き、生涯未婚であった。享年は不明だが、母・祐椿尼の死から4年後であることから早逝であることは明らかであり、当時の平均寿命50歳には程遠かったと考えられている。
 位牌と墓は、彼女の戒名「妙雲院殿月舩祐圓大姉」にちなんで「妙雲寺」と改名された菩提寺の自耕庵にある。
平成19年(2007)、彦根城築城四百年記念祭に合わせて、龍潭寺の境内に「徳川四天王 井伊直政公出世之地」碑が建てられた。まるで、龍潭寺での祐圓尼の祈りのおかげで、直政が出世できたと言わんばかりのその佇まい。
 徳川家康は、約17年間、遠江国(浜松)で過ごし、その間、遠州(遠江国のこと)の多くの武将が家康の軍門に下ったが、「徳川二十八神将」に選ばれた遠州人は、井伊直政、只一人である。
 直政の出世はさほどに異例であり、神がかっていたとしか言いようが無く、彼自身の努力の賜物であることは間違いないが、「井伊」という名門の血、人を魅了する虎の目、そして、祐圓尼の祈りが、出世に無関係だったとは言い切れない。*
<著者/戦国未来>



年末年始一気読みスペシャル特別編成『おんな城主井伊直虎』ブログ小説VOL.2

2017年12月30日 16時14分14秒 | 日記



































「井伊亀之丞だな?」母親の千賀らはおとわがいないこと気づいて「おとわは何処じゃ?」
ひそひそ守り役のたけにきく。たけは「申し訳ありません。わたくしが目を離したすきに」
「亀之丞らしき小僧を捕らえたぞー!」男達の声が井伊谷に響く。
しかし、それはおとわだった。深夜の山中であった。
直盛や千賀らが「それは亀之丞ではありません!」「そうです!井伊家のひとり娘のおとわでございます」「何?」「何故小僧の格好をしていた!?何故逃げた!?」
おとわは「竜宮小僧を探しておったのじゃ」といういい訳を貫いて、それで許された。
のちにおとわは両親に井戸端で亀の笛を見つけて無性に駆けだし、亀の従者である今村藤七郎に出くわして、笛を渡す機会を得たという話をした。
「笛を届けてくれたのか?ありがとう、おとわ」
「亀の大事な笛ではないか。」
「この笛は亡き父上に買ってもらった大事なもの。本当にかけがえのないものだった」
「絶対に死ぬな!亀…生きのびて…」
「俺はもっともっと強くなって必ずおとわを迎えにくる!」
涙をこらえる亀之丞……おとわ…
そして逃亡……「とにかく若!お逃げください!」「しかし……井伊家は?」
「井伊亀之丞!覚悟―!」「ぐうっ。おのれー!」「若!逃げまするぞ!若!!」
斬り合いの末、井伊亀之丞(のちの直親)らは逃亡した。
直満の葬儀が行われる。今川家の手先である小野和泉守政直が今川の姫と小野の息子・鶴丸を結婚させて井伊家を継がせるという策を披露する。すると激怒した井伊直平が刀を抜いた。「貴様ー!最初からそのつもりであったなー!」しかし直盛が曾祖父直平を羽交い締めにして止めた。「やめてくだされ!おじじさま!」
鶴丸はおとわに「わが父上は今川に直満おじさんを売って、今度のわしとおとわとの婚儀はその褒美なのじゃ」と下唇を噛みしめる。
おとわは家出をした。自分がいなくなれば問題はなくなる、と思ったからだ。
しかし、山中の乞食に拾われ、井伊谷に戻された。
天文13(1544)年、直虎十歳で、伊井谷の家臣のひとりが直親を殺そうと暗殺団の刺客を送ったことで、井伊家の次期惣領だった筈の井伊直親(亀之丞)は信濃(長野県)の松源寺(長野県下伊那郡)へ身を隠す。それは直虎へも秘密であった。
逃がしたことも生きているか死んでいるかもすべて秘密…知られればたちまち駿河の今川に攻め滅ばされてしまう。すべては遠江の領地・井伊谷の井伊家のためであった。
生きているのか死んでいるのかもわからないまま、直虎は傷心で過ごした。
すべては井伊直親の命を守る為である。
鶴丸(のちの小野政次)の父親・小野和泉守政直が井伊直親を殺そうとしたからだ。
鶴丸改め小野政次に父の小野政直は「お前もいずれわしのようになる」と忠告した。
「父上!母上!亀之丞は何処へいかれたのですか??!!お教えくだされ!亀はどこへ?」
だが、両親は答えられない。そんな傷心の麗は考えた。
若かりし麗(おとわ)が絶望の底へ突き落とされたのは想像に難くない。
 当時の女性の結婚適齢期は13歳前後と言われている。その年頃になった麗(おとわ)は、なぜか自分で自分の髪を切り、大叔父の南渓和尚(なんけい・龍潭寺二世住職)の元へ出向いた。出家だ!家出して出家すれば亀をまてるし、鶴丸と夫婦にならないですむ。
そう考えて自分で刃物で髪を切りつづけた。おかしな頭になる。
そんなとき今川家からおとわを人質に出せ、という命令が下る。
「人質など反対じゃ!戦をしようぞ!もはや戦しかない!」直平は激昴して叫ぶ。
だが、おとわと従者は今川家の城にいく。今川の軍師・太原雪斎(たいげん・せっさい)に気に入られるおとわ。また、のちに徳川家康の正室になることになる瀬名(のちの築山殿)に出会い、瀬名はおとわのへんてこの頭髪に笑い転げる。美少女である。
井伊家の人質の佐名姫(南谿和尚の妹)を、おとわに守り役のたけは耳元で、
「今川さまのお手つきになられたという女性ですよ。」と気の毒そうに囁く。
今川の寿桂尼(じゅけいに 義元の母親)はおとわの出家を認める。
今川舘では今川義元の嫡男・龍王丸と瀬名たちが蹴鞠(けまり)で勝負していた。龍王丸(たつおうまる・のちの今川氏真)に勝てば何でも望みを叶える、と知っておとわは蹴鞠勝負をして勝つ!
「この!何度も何度も卑怯だぞ!」
「このおとわを井伊谷の戻してほしいのです。そのかわり出家しますからどうぞこの望みを叶えてくだされ!」
おとわの必死の懇願に無口の今川義元も「よかろう」と認めた。
井伊谷に帰ったおとわは龍譚寺にすぐに行った。
「出家したい。尼の名前を付けて欲しい」
 それを聞いた麗(おとわ)の両親(直盛・千賀)は驚いて、「尼の名だけは付けるな」と南渓和尚に迫ったという。両者の板挟みにあった和尚は、親の意を汲んだ「次郎」という俗名と、娘の意を汲んだ「法師」という僧名を合わせ、「次郎法師」と名付けた。
「亀之丞以外の男には嫁がない!わたしは龍譚寺(りょうたんじ)に出家いたす!」
「え?!!何を…!馬鹿げたことだ!やめるんだ!」
「いいえ。亀が戻るまで出家しまする。但し、次郎法師・井伊直虎として。」
 おんなの覚悟である。こうして次郎法師・井伊直虎は誕生する。
南谿和尚は「そなたは何故にここに来た?」と問うた。
「出家を親にさせられました」
「出家とはなんぞ?」
「お坊様に……なること?」
「僧?……僧とはなんぞ?」
「僧?……毛のないひとですか?」
「では、頭の禿げ上がった爺は僧か?毛のない蛙は僧か?」
厳しい修行に音を上げたおとわはわずか一日で井伊谷城に逃げ帰ってくる。
母の千賀は「たったの一日で逃げ帰ってくるとは情けない」たけも「辛抱を学びなされ」
「ムリムリ!修行は厳し過ぎるのじゃ!わしは姫じゃぞ!」
「馬鹿者!」母親の千賀の雷が落ちた。
龍譚寺に戻されたおとわは腹が減った。しかし、僧たちは「托鉢(たくはつ)をしてまいれ!」という。「托鉢?」「家の前で念仏を唱え、その托鉢鉢に供物をもらうのじゃ」
おとわは井伊谷の食べ物屋にいき、出鱈目な念仏を唱えて「腹が減った!食べ物をくれ!」
「なんだ?!このガキ!消えろ!」
剃髪しているのでおとわ、姫とはわからない。
腹が減って腹が減って、おとわは村の畑の野菜にかじりついた。
それを鶴丸にみつかってしまう。泣き出すおとわ。
だが、食べ物屋の水瓶を運んでいっぱいにして働くとおとわはつけものを托鉢してもらった。「腹が減った!これが托鉢か……われこそ竜宮小僧じゃ。」がつがつ食べ笑顔を見せた。
昊天が「何故次郎法師を迎え入れたか?」ときき、南谿は「あの娘は特別な虎の目をもっておる。井伊家の初代さま井伊共保さまもそうであったろう。あの子供こそ竜宮小僧じゃ。」
「われが井伊家を守るのじゃ!」出家した井伊直虎・次郎法師は極寒の中、滝行をする。
冷たい滝にうたれながら般若心経を唱えた。すべては井伊家の為の祈り、である。
次郎法師は出家したので坊主頭の少女である。姫時代は馬で駆けた。おとわの乳母はたけ。
次郎法師は禅の修行や般若心経などの念仏も修行した。現在の禅の修行はひとと向かい合ってのものだが、戦国時代当時は壁に向かって瞑想し禅で念仏をそらんじた。
龍譚寺では兄弟子の傑山などが弓矢や槍の稽古をする。「次郎法師!おなごだからと手加減せぬぞ!かかってまいれ!」だが、兄弟子たちは次郎法師を生涯守ることも誓う。僧兵だ。
教育係の僧侶・昊天も、次郎法師に学問や歴史経世済民などを教えるのである。
「雑巾になりきれー!寺の掃除をしっかりとやるのじゃー!」「おおっー!」
「志を大事にせよ!ひとは志次第でどうとでもなる!井伊谷や龍譚寺だけが世界ではないぞ!お前は学べ!しゃかりきに学べ!のう次郎法師!」
「はい!われは学びまする!井伊家、井伊谷、すべての国のために!われは井伊谷に生まれようござりました!」井伊直虎・次郎法師は志をたてる。
天文二十二年(1554年)、亀之丞が井伊谷を去ってから十年もの歳月が経っていた。
鶴丸は小野但馬守政次と元服して名を改めていた。直盛も四十七歳になった。
井伊家筆頭家老小野政直が息子の小野政次と次郎法師を結婚させようとした。
次郎法師は「そうなれば両家のわだかまりもとけるのう」
政次は「亀のことはいいのか?」ときいた。
次郎法師は「もし、生きておったとしても亀には別の人生がとっくにあろう。」
「それでおとわはいいのか?」
「いいもわるいもない。わしは文句を言える身ではない」
こんな評定は荒れて当然である。しかし、今川の息のかかった小野政直のいいようにことがすすんだ。だが、政直は病気で倒れる。
死ぬ前に政直は息子に「お前は俺を醜いと思っているだろうがお前もこのわしと同じようになる!いずれ…わしと同じとなるぞ。」といい、その後病死した。
こうしたことでやっと十年ぶりに亀之丞は井伊谷に帰ってくることができた。
「俺はおとわと一緒になるつもりじゃ。」直親(亀之丞)はいう。長い長い間待ち望んでいた言葉。しかし……
「われこそ次郎法師!井伊直虎である!!」
のちに、そう男装し、赤備えの兵で武装した馬上の直虎は跡継ぎの虎松(のちの井伊直政)がわずかに二歳の赤子で跡継ぎの男子がいなくなったために、次郎法師が井伊直虎となり発した。
一度は諦めた井伊家の存続であった。だが、没落する。今川家などに攻められて城もすべて失ったことがある。龍譚寺で一計をこうじて義理の息子・井伊直政を徳川家康に仕官させ、“松下”からふたたび井伊を名乗ることを家康に認めさせた。
晩年、直虎は祐圓尼(ゆうえんに)と号し、母・千賀(祐椿尼・ゆうちんに)と龍譚寺で過ごし1582年死亡した。織田信長の暗殺・本能寺の変の数ヶ月後、であった。
話を戻す。
実は小野政次は次郎法師・のちの井伊直虎に懸想(けそう・恋愛感情)をしていて、幼い頃の絆はどこへやら、亀之丞改め井伊直親(なおちか)と対立するようになる。
「鶴?いかがした?何故わしを狙う?われらが戦うのは井伊家のため、麗のため。」
「だまれ!わしは…もう鶴丸ではない、この井伊谷の領土を狙う小野政次だ!」
井伊直虎の曾祖父・井伊直平は「麗(大河ドラマではおとわ)!ようやくこの時が来た!亀之丞を連れ戻すぞ!戻ってまいるぞ!」と龍譚寺で笑顔になった。
「しかし、わし井伊直平が領主のときに今川軍にやぶれて今川領となり、息子達も傷だらけになった。亀の暗殺された直満も直盛の父親も戦で負傷した。じゃから、わしは今川家が憎い。憎いのじゃ!今川義元は殺してやりたい!もはや、戦じゃ!戦しかないのじゃ!」
麗・おとわの曾祖父・井伊直平の今川家への憎悪はすざましい。亀の父親が独眼になったのも今川家との合戦で、である。ちなみに井伊谷(いいのや)とは「井の国」とも呼ばれ、竜宮小僧(りゅうぐうこぞう)の守る浜名湖の北側の小国(静岡県浜松市井伊谷)である。
最初、この遠江の井伊谷の領地は今川家が攻めてきて支配して、次に徳川家康に攻められ、北からは武田軍が攻めてきた。交通の要所であり、戦国武将の欲しい領土だった。
ちなみに井伊家とは幕末に安政の大獄をやって、桜田門外の変で水戸浪人に暗殺された井伊直弼大老は、井伊直虎・井伊直政の子孫である。井伊直弼は直政から十三代目の子孫。
次郎法師直虎の許嫁(いいなづけ・亀之丞・のちの井伊直親・なおちか)が帰郷する。
だが、麗は「亀が戻ってきたところでわしは出家の身じゃ。何もかわるまいに。」
亀之丞は馬で井伊谷の城に帰ってきた。
直虎が二十一歳のころである。弘治元(1555)年、直親は戻ってくる。
だが、直虎はすでに出家していて……
しかし、そこは先の見えるおなごである。その当時、尼になれば結婚も俗世にかえるのも不可能であった。だが、直虎は僧侶、つまり、男として次郎法師として出家し龍譚寺に行っていた。僧侶とて結婚することは出来ないが俗世に戻ることは出来る。
武田信玄も上杉謙信だって僧侶となり、俗世に戻っている。
亀之丞は馬で悠々と戻ってきた。
直虎の父へ平伏し、「井伊亀之丞、ただいま戻りました」と告げる。
「おおきうなったのう鶴丸!麗も。戻ったぞ、麗!わしが戻れたのも麗がいてこそだ!」
元服して亀之丞改め“井伊肥後守直親”となる。
「立派になった。立派になった」
直虎の父親・井伊直盛は目を細めた。
「これで井伊家も安泰じゃあ」数少ない家臣達が喜んだ。酒席である。
だが、しかし、もはや出家した直虎の出る幕はない。
ちなみにのちの井伊直政の命をすくったのは井伊家家臣・新野左馬助、である。
おとわの還俗はいつになるやら。龍譚寺の南谿和尚はとんちを披露する。次郎法師に言う。
「昔、趙と言う国の道威という王がふたりの大臣のうちひとりをやめさせることになった。王はふたりの大臣、中と伯に饅頭(まんじゅう)を二個ずつ与えた。中は一つを食べ、もうひとつを飢えた子供に与えた。伯は一つを食べ、もうひとつはながらくもっていてカビさせてしまった。さて、王はどちらを大臣として雇った?」
次郎法師は自信ありげに「中でしょう!饅頭をカビさせてはいみがない!」
南谿和尚はにやにや嗤っている。
「え?……違うのですか?」
「よおっく、考えてもみよ。次郎法師」南谿和尚は笑顔のままだ。
直親は次郎法師・おとわを死んだことにして別人として妻に迎えるという策をだした。
だが、次郎法師はその策にのらなかった。
そこで饅頭とは志である、と知る。
「われは死なない。われは一個の饅頭なのだ。饅頭をひとつ食べれば腹が減ったのをしのげる。しかし、二個食べてしまえばもしも本当に困ったときに食べられない。われはカビた饅頭になる。カビた饅頭となって井伊家を守る!」
その決意をきいた直親はしのという女性と結婚することになる。
「すまない、麗・おとわ。じゃが、仕方ないことなんだ。」
 直親はうしろから直虎を抱擁するが、………涙をぬぐってから、次郎法師井伊直虎は振りほどいた。
「何がじゃ?」
「わしは命を狙われて隠遁生活じゃった。その頃にいつもわしを気遣ってくれたのが今の妻・しの、なんだ」
「煩悩に負けたからじゃろう?!亀!見損なったぞ!」
「それもある。それについては……すまん、麗・おとわ。すまん。すまん。」
「………もはや、われは麗・おとわではない。次郎法師じゃ。」
「そうであったな。次郎法師さま。井伊家のおんな城主井伊直虎さま。」
「これ。ふざけるでない。」
 ふたりは笑った。
井伊直親は曾祖父の井伊直平の隠れ棚田に感嘆する。「これは…見事な…」
「これが井伊家の砦じゃ」直平は隠れ棚田・川名(かわな)を自慢する。
直親は筆頭家老の小野政次にこの棚田を検地の範囲から外してくれ、と頼む。
「おとわのためにともに井伊谷を守ろう!」
政次は「俺はおまえのそういうところが嫌いなのじゃ」子供の頃の嘘偽りない表情だった。
瀬名(のちの築山殿)は三河からの人質・松平元信(のちの元康・徳川家康)と結婚させられた。姉さん女房であった。“三河のぼんやり”家康は陰で馬鹿にされていた。
直親としのが結婚して丸四年。さっぱり子供が出来なかった。
しのはあらゆる薬草を飲み、食べ物を食べた。子供が欲しい!欲しい!
次郎法師も昊天に妊娠するによい薬草をきくが高額で一禅僧に買える額ではない。そこで次郎法師は亀之丞の亡き父親に買ってもらっていた笛と対の鼓を小野家の政次に見せた。
「何で俺が次郎法師の鼓を買って、高価な薬草を手に入れてしのに渡さねばならなんだ?」
「父上や母上に知られたくはないからじゃ。鶴。いや、政次殿、頼む。」
だが、薬草をしのは断った。受け取らなかった。
しのが妊娠する前は次郎法師としのとの関係はいまでゆう元カノと今カノの戦いでバチバチしていた。「次郎さまはしのに子供が出来なければよいと思うてらっしやるのでしょう?!」
「何を馬鹿なことをいうのじゃ!それでも井伊家の惣領の嫁か!!」
あるときはしのは懐剣をもって脅迫した。次郎法師は「殺したいならころすがいい!」
やがて織田信長の命令で徳川家康は瀬名(築山殿)と子供(竹千代と亀姫)らを殺した。
直虎の父親・直盛は今川家に従って織田攻めに加わった。「これから今川義元さまにしたがい、織田を成敗することとなった!」「えいえいおーっ!えいえいおーっ!」
今川軍は二万五千、織田勢は三千人……まさか誰も今川がやぶれるとは思わない。
井伊直親も参戦しようとしたが、井伊直盛にとめられた。「お主は御曹司じゃ!井伊谷に残ってくれ!」「しかし!わしも刀や槍の稽古を積んできました!」「残ってくれ!」
だが、奇跡の桶狭間合戦が起こる。今川義元は織田信長に討ち取られ、直盛らも戦死する。
直虎の父が桶狭間合戦で死に、直親らもやがて今川家臣に斬り殺された。
しんしんと雪が降る中、血だらけで雪原で横たわった直親は、
「……井伊谷は何処じゃ……おとわ………鶴…無念じゃ。」血を吐いて死んだ。
悲しみに暮れる井伊谷の井伊家……次郎法師は念仏を唱えながら号泣する。
直親の遺体に触ろうとした次郎法師にしのは涙ながらに怒鳴った。
「さわるでない!われの夫じゃ!」
しのは妊娠し、出産していた。直親の嫡男・虎松(のちの井伊直政)である。
龍譚寺の井戸では奇跡が起こっていた。枯れた井戸だったが、みずがわきあがってきたのだ。だが、井伊直虎・次郎法師は不吉な予感を感じて、念仏を唱える。
小野政次がしのの父親を殺して、武田信玄が病死し、小野政次は謀反人として磔(はりつけ)になるに至って、次郎法師は決意する。直虎は磔の政次に「よくも、井伊家をたばかりおって!地獄へ落ちろ、小野但馬!」と槍を突き刺した。
「笑止!もともと……おなご頼りの伊井谷のおなごの城主になにができる?!!地獄で……観ていてやるわ!」
 血を吐きながら政次は渾身の嘘をつく。彼が井伊家の”生け贄の羊”となって死ぬことで井伊家はすくわれた。
涙なく槍で突き刺した直虎も、小野も、すべては井伊家の為だった。「小野但馬守!天誅……じゃ!」胸が爆発寸前だ。
先だって唯一の成人男性の曾祖父の井伊直平さまも病死(毒殺の疑いも)した。もはやおんなしか残っておらぬ。残されたのは赤ん坊の虎松(のちの直政)だけ………
直親の遺体が届くと、直虎は決心する。井伊家は亀之丞の息子(のちの井伊直政)がおおきくなるまでわたしが守る!!おなごなれど“おんな城主井伊直虎”として生きよう!井伊家はわれが守る!
ちなみに直親の妻しのは恋しい直親と仲の良い元・許嫁の直虎に嫉妬して、理不尽な物言いもしたらしい。どこの時代でもある愛憎劇である。
元・いいなづけの井伊直親が暗殺されたとき、息子の虎松(のちの井伊直政)はわずかに二歳の赤子……これでは惣領は勤まらない。そこで次郎法師が“直虎”と男装し男のなりで惣領となった。ここでおんな城主井伊直虎が誕生する。
「わたしが…このおなごの身のわたし…次郎法師、井伊直虎がこの井伊谷の当主となる!必ずや井伊家を再興し必ず井伊家を家族をもりたてる!必ず時代を歴史をかえるほどに精進する!この井伊直虎がおんな城主である!わかったか!」
直虎は赤備えの馬の上で覚悟を決めた。
「いざ!井伊直虎まかり通る!われこそが井伊直虎である!」
 それは“おんな城主井伊直虎”の誕生だった。
井伊直虎は次郎法師が独創した男装の大名の名前であった。
「井伊次郎法師・井伊直虎、ただいま井伊谷(いいのや)に帰って参りました」
「おお、麗・おとわ。いや、おんな城主井伊直虎さまじゃな。」
尼姿の直虎を母の祐椿尼や家臣団は迎えた。「万歳-!万歳-!」
赤備えの馬で男装して赤い着物で馬で行軍する。赤備えの兵、僧兵もいる。
まさに“おんな謙信”の如き、である。
直虎は領民思いの優しいおんな城主だった。凱旋行軍である。
農民が領土を巡って対立して裁いてもらおうと直虎の元に訪れると「個人の田畑ではなく、村で共有する田畑ではどうか?」と名裁き。井伊家の家系が苦しいとき領地の商人から銭を借りた。利息はあっても年貢までの辛抱である。領民から里芋などを贈られると酒宴を開いて直虎自身が酌をしたりもしたという。まるで名君・上杉鷹山公の如きおんな城主だ。
気配りの女性であり、人情味あふれるおんな城主直虎、である。
今川義元が御屋形さまで、義元の息子が今川氏真(うじざね)、義元の母親が寿桂尼(じゅけいに)であり、今川家には三河の松平家からの人質がいた。これが松平元康、つまりのちの徳川家康である。少年の人質・家康は今川家のおんな瀬名・のちの築山殿を正室にむかえる。悪女であり、妖艶な美形の女性である。能で般若の面で家康を恫喝する。
小心者の徳川家康はそんな姉さん女房の尻に敷かれることになる。
ちなみの小野政次の父親は井伊家筆頭家老だったが、「こいつ邪魔だなあ」と思われていた。
井伊直虎は男装だけではなく男性の戦国大名がつかった花押(かおう・いわゆる書状のサイン)もつかった。だが、遠江の領地を狙う今川義元は謀略をしかけてくる。
まずは徳政令を出して遠江の領地を大混乱にして奪おうと考えた。
だが、おんな城主井伊直虎は時間稼ぎをして結局、領民や商人や百姓の身を守った。
商人などに徳政令免除書を発行したのである。
しかし、そんな井伊家もやがて今川家に城も領地も奪われる。
大河ドラマでは井伊直親の隠し子である高瀬なる娘が武田領より伊井谷にやってきた。
本当の直親の忘れ形見であるという。そして、盗賊集団・竜雲党との因縁……
直虎と瀬戸方久らは浜名湖の南の商人の町・気賀(きが)へ。物見遊山の直虎たちであったが、ひとりの少年が直虎にぶつかってきた。「……ん?銭袋がない。こらー!かえせー!」
盗人の少年を猪突猛進に追いかける直虎。しかし、逆に盗賊集団・竜雲党に拉致監禁される。直虎は「縄をほどけ!わしは井伊家の頭領の井伊直虎じゃ!このままならそちらを死刑にするぞ!」とわめき散らす。そこに現れたのが竜雲党の頭である竜雲丸だった。
「そなた……あのときの?!」「あのときの尼殿さまじゃねえか。」「そなたらは泥棒を生業にしていたのか……」「泥棒?……おれからすれば大名のほうがよっぽど泥棒じゃねえか。泥棒も泥棒、大泥棒でさあ。」「大名のどこが泥棒なのだ?」「ガキでもわかる理屈でさあ。大名は百姓から年貢をとる。これは泥棒じゃないか」「しかし、井伊家の領土で取れたコメを年貢として取り立てているだけじゃ。領地が井伊家のものだから当たり前であろう?」
「それが泥棒の始まりでさあ。では、何故にここからここまでが俺らの土地じゃ、と決められる?搾取も許される???」「それは……その昔に井伊家が朝廷や天子さまより領土を頂いたからだ」「どうも……話が通じねえなあ」
やがて、人質から解放された直虎は思う。「確かに大名は泥棒かも知れん。ならば泥棒として奪うだけじゃない世をつくるぞ!」
竜雲党を井伊家の領土の木こりとして取り分を七分三分で話をつける直虎。「何で俺らに??」「そなたたちには技能がある。生かさぬ手はない!!もったいない。のう?!!」
こうして竜雲党は悶着や騒動を起こしながらも井伊家の直虎の家来、傭兵部隊へとなる。
「その木の切り方は違いやす。こうでさあ。」竜雲丸は直虎の手をとって教えるが、直虎は頬を赤くして心臓をばくばく高鳴らさせる。古かろうがもう乙女でなかろうが、中身は女の子なのである。直之は「あれは何処ぞかで見た顔の男!ああ!盗人の男ではないですか!!」と反発するが、「過ぎたことはよかろう」と直虎にいなされる。
寿桂尼も年を取り、腰の曲がった老婆になる。それでも斜陽著しい今川家を守る為に策を弄していた。駿府の今川屋敷に直虎をよぶ。寿桂尼は直虎に直親のことをきくが、直虎は「世の中は綺麗事だけではやっていけません。確かに恨みはあるでしょうがこれも戦国の常」という。寿桂尼は、孫の氏真に「直虎はわれがいつも政をするときに自分にいいきかせていることをいった。井伊家の城主は今川をたすけない」と、遺言して死ぬ。
また、直虎の乳母だったたけが病気になり、倒れたときは直虎は馬でたけを彼女のふるさとまで送り、看取った。たけの代わりにたけの外見そっくりの姪・梅があらたに直虎の侍女となる。去る者があればあらたにおとずれるものもあるである。
次第に織田や松平(徳川)や武田の脅威が迫る。武田信玄対徳川家康……武田信玄の死……織田対武田の長篠の戦い……武田今川の滅亡と、井伊谷の敗北と流浪の日々へ………
武田が今川との同盟の契りをやぶったのは織田信長による策略であったとも。武田は今川を捨て、尾張の織田家と庇護配下の三河の松平(徳川)家康と同盟を結べば西の憂いもなくなる。駿河を狙う松平(徳川)にも、南の海が欲しい武田にも大事な策であった。
だが、織田はその密約を反故にして武田や今川を駆逐する………
没落した時代に、今川義元が桶狭間で討ち死にし、武田家や徳川家の侵攻で今川氏真の今川家は滅びる。駿河や遠江の領地・井伊谷をあらたに支配したのは徳川家康だった。
井伊直虎と義理の息子・虎松(のちの井伊直政)は龍譚寺に身を寄せるしかない。
だが、武田軍は戦国最強!家康は三方原の合戦(1572(元亀3)年)で武田軍にこてんぱんに敗れ、馬で逃げる際にあまりの恐怖で糞尿まみれになった。信玄、恐ろしや!
そんな中おこったのが長篠の戦い(1574年・元亀5年?天正元年?)である。
尾張の新興勢力である織田信長軍に今川は滅亡させられ武田信玄は病死、武田軍御曹司武田勝頼は討ち取られた。家康は織田信長に謀叛の疑いをかけられた長男・信康と瀬名(築山殿)を泣く泣く成敗した。つまり、殺した。信長のいいがかりであったという。
そして駿河の今川家も甲斐信濃の武田家も滅んだ。(今川氏真は有力武将を放浪庇護を受け、その今川氏真の今川家は朝廷工作のキーパーソンとして明治維新後まで生き延びる)
直虎の母親の千賀(祐椿尼)は井伊家の山城で壁に向かって号泣した。旦那の井伊直盛が桶狭間の戦いで戦死したときだ。……もはや井伊家に男子はいない。…おわった…
それは絶望だった。しかし、龍譚寺から次郎法師が帰ってきた。
「母上!心配めされるな!この次郎法師が井伊直虎としてこの井伊家を継ぎまする!」
「次郎法師…」尼になった母親は涙を流した。「よう帰った。よう帰った!」

年末年始一気読みスペシャル特別編成『おんな城主井伊直虎』ブログ小説VOL.1

2017年12月30日 16時11分55秒 | 日記




































葵のジャンヌダルク<おんな城主井伊直虎>
~傑物の義理息子・井伊直政を育てた女大名 井伊直虎とその時代~
             
               
               
               
               
                total-produced&PRESENTED&written by
                  UESUGI KAGETORA
                   上杉(長尾)  景虎

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


この作品は引用が多くなりましたので引用元に印税の数%を払い、引用料としてお許し願えればと思います。それでも駄目だ、というなら印税のすべてを国境なき医師団にすべて寄付しますので引用をお許しください。けして盗用ではないのです。どうかよろしくお願いします。上杉景虎   臥竜

この物語のベースは大河ドラマ『おんな城主直虎』漫画『花の慶次』(原作・隆慶一郎・漫画・原哲夫)と高殿円著作『剣と紅』児玉彰三郎著作『上杉景勝』からです。


        あらすじ

井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代の女性領主。遠江井伊谷(静岡県浜松市北区(旧・引佐郡)引佐町・いなさちょう)の国人井伊氏の当主を務め、「女地頭」と呼ばれた。井伊直親と婚約したが、生涯未婚であった。井伊直政のはとこであり養母。
戦国時代、運命と戦ったおんな城主がいました。その名は井伊直虎。ふるさとは駿河(静岡県)浜名湖の北の遠江の領地・井伊谷(いいのや)。井伊家の家紋は“井”

時代 戦国時代- 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正10年8月26日(1582年9月12日)
改名 祐圓尼、直虎
別名 次郎法師、女地頭(渾名)
戒名 妙雲院殿月泉祐圓大姉
主君 今川氏真→徳川家康
氏族 井伊氏
父母 父:井伊直盛、母:祐椿尼
子 養子:直政
女性で出家後に井伊家の跡をまかされ、義理の息子・井伊直政を育て、徳川家康に仕えさせたその井伊直虎の生涯はまさに「大河ドラマ」である。2017年大河ドラマ(いわゆるおんな大河)『おんな城主直虎』主演・柴咲コウで放送された。原作『おんな城主直虎』『剣と紅』『葵のジャンヌダルク<おんな城主井伊直虎>』。2017年放送。
                                おわり         

1 関ヶ原


井伊家伝記の有名な言葉“女こそあれ井伊家惣領(そうりょう)に生まれ候”(父親の殿さまのただひとりの子供が女子という意味)男子が生まれなかったらしい。惣領=跡継ぎ。この文献で直虎が女性だった、とわかる。また、最近、井伊直虎は男性だった、なる新説の古文書がみつかった。が、「女地頭、次郎法師・井伊直虎が男装していたので勘違いしたのであろう」、と結論している。もはや、決着した議論である。
井伊直虎は美貌の少女であった。生年月日は不明、没年は義理の息子の武功『主君・徳川家康の伊賀越え』を成功させた年のわずか数か月後の天正十年(1582年)八月二十六日(九月十二日)没している。幼名・不明、改名・祐團尼、直虎、別名・次郎法師、女地頭(綽名)、戒名・妙雲院殿月泉祐團大姉、主君・今川氏真→徳川家康、氏族・井伊氏、父・井伊直盛、母・祐椿尼。養子が井伊直政である。
「直政、お主がわしの鷹狩での草原で、烏帽子直垂でわしらと遭遇したとき、となりに若き尼がいたが、それがお前の義理の母御前か?」
「いかにも!徳川さまに仕官する案も義母御前のものでした」
「太閤殿下の前では女謙信とまで申したの?」
「あれは本当にございます。なれど心は優しい艸風(そうふう・草原に吹く風)の如き義母でありました」
「なるほどな。惜しい人を亡くしたのう」
「御意にござる」直政は両目に涙を浮かべた。

石田三成は安土桃山時代の武将である。
 豊臣五奉行のひとり。身長156cm…永禄三年(1560)~慶長五年(1600年10月1日)。改名 佐吉、三也、三成。戒名・江東院正軸因公大禅定門。墓所・大徳寺。官位・従五位下治部少輔、従四位下。主君・豊臣秀吉、秀頼。父母・石田正継、母・石田氏。兄弟、正澄、三成。妻・正室・宇喜多頼忠の娘(お袖)。子、重家、重成、荘厳院・(津軽信牧室)、娘(山田室)、娘(岡重政室)
 淀殿とは同じ近江出身で、秀吉亡き後は近江派閥の中心メンバーとなるが、実は浅井氏と石田氏は敵対関係であった。三成は出世のことを考えて過去の因縁を隠したのだ。
「関ヶ原」の野戦がおわったとき徳川家康は「まだ油断できぬ」と言った。
当たり前のことながら大阪城には西軍大将の毛利輝元や秀頼・淀君がいるからである。
 しかるに、西軍大将の毛利輝元はすぐさま大阪城を去り、隠居するという。「治部(石田三成)に騙された」全部は負け組・石田治部のせいであるという。しかも石田三成も山奥ですぐ生けどりにされて捕まった。小早川秀秋の裏切りで参謀・島左近も死に、山奥に遁走して野武士に捕まったのだ。石田三成は捕らえられ、「豊臣家を利用して天下を狙った罪人」として縄で縛られ落ち武者として城内に晒された。「お主はバカなヤツです、三成!」尼姿の次郎法師(井伊直虎)はしたり顔で、彼を非難した。
「お前のような奴が天下など獲れるわけあるまいに」
(*注・実際には井伊直虎こと次郎法師は天正十年(1582)年八月二十六日に享年四十八歳で没しているので、三成の関ヶ原の役では生きてはいないが「特別出演」(笑)で出演させたことは理解して欲しい。直虎の幽霊と話す設定がちょうどよい(笑))
「お前は誰じゃ?」
「井伊直政の義母・次郎法師こと井伊直虎じゃ!」
三成は「わしは天下など狙ってなどおらぬ」と直虎の霊をきっと睨んだ。
「たわけ!徳川家康さまや(義理)息子・井伊直政が三成は豊臣家を人質に天下を狙っておる。三成は豊臣の敵だとおっしゃっておったわ」
「たわけはお主だ、直虎、いや次郎法師!徳川家康は豊臣家に忠誠を誓ったと思うのか?!」
「なにをゆう、徳川さまが嘘をいったというのか?」
「そうだ。徳川家康はやがては豊臣家を滅ぼす算段だ」
「たわけ」直虎は冗談としか思わない。「だが、お前は本当に贅沢などしとらなんだな」
「佐和山城にいったのか?」
「いいえ。でも家康さまや(義理の)息子・井伊直政からきいた。お前は少なくとも五奉行のひとり。そうとうの金銀財宝が佐和山城の蔵にある、大名たちが殺到したという。だが、空っぽだし床は板張り「こんな貧乏城焼いてしまえ!」と誰かが火を放ったらしいぞ」
「全焼したか?」
「ああ、どうせそちも明日には首をはねられる運命だ。酒はどうじゃ?」
「いや、いらぬ」
 直虎は思い出した。「そうか、そちは下戸であったのう」
「わしは女遊びも酒も贅沢もしない。主人が領民からもらった金を貯めこんで贅沢するなど武士の風上にもおけぬ」
「ふん。淀殿や秀頼殿を利用する方が武士の風上にもおけぬわ」直虎は何だか三成がかわいそうになってきた。「まあ、今回は武運がお主になかったということだ」
「直虎殿、いや直政殿の義母ごぜ」
「なんじゃ?」
「縄を解いてはくれぬか?家康に天誅を加えたい」
「……なにをゆう」
「秀頼公と淀君さまが危ないのだぞ!」
  直虎は、はじめて不思議なものを観るような眼で縛られ正座している「落ち武者・石田三成」を見た。「お前は少なくともバカではない。だが、徳川さまが嘘をいうかのう?五大老の筆頭で豊臣家に忠節を誓う文まであるのだぞ」
「家康は老獪な狸だ」
「…そうか」
 直虎の霊は拍子抜けして去った。諌める気で三成のところにいったが何だか馬鹿らしいと思った。どうせ奴は明日、京五条河原で打首だ。「武運ない奴じゃな」苦笑した。
 次に黒田長政がきた。長政は「三成殿、今回は武運がなかったのう」といい、陣羽織を脱いで、三成の肩にかけてやった。
「かたじけない」三成ははじめて人前で泣いた。

*大河ドラマでは度々敵対する石田治部少輔三成と黒田官兵衛。言わずと知れた豊臣秀吉の2トップで、ある。黒田官兵衛は政策立案者(軍師)、石田三成はスーパー官僚である。
*参考映像資料NHK番組『歴史秘話ヒストリア「君よ、さらば!~官兵衛VS.三成それぞれの戦国乱世~」』<2014年10月22日放送分>
*三成は今でいう優秀な官僚であったが、戦下手、でもあった。わずか数千の北条方の城を何万もの兵士で囲み水攻めにしたが、逆襲にあい自分自身が溺れ死ぬところまでいくほどの戦下手である。*(映画『のぼうの城』参照)*映像資料「歴史秘話ヒストリア」より。*三成は御屋形さまである太閤秀吉と家臣たちの間を取り持つ官僚であった。
石田三成にはこんな話がある。あるとき秀吉が五百石の褒美を三成にあげようとするも三成は辞退、そのかわりに今まで野放図だった全国の葦をください、等という。秀吉も訳が分からぬまま承諾した。すると三成は葦に税金をかけて独占し、税の収入で1万石並みの軍備費を用意してみせた。それを見た秀吉は感心して、三成はまた大出世した。*
三成の秀吉への“茶の三顧の礼”は誰でも知るエピソードである。*映像資料「歴史秘話ヒストリア」より。

“原始、女性は実に太陽であった。真正のひとであった。しかし、いまや、女性は月である”「青鞜」平塚らいてう(らいちょう)1936年(明治36年)~1971年(昭和46年)

“上手に人をおさめる女性とは上手に人を愛せる女性”ナイチンゲール
ナイチンゲールやジャンヌダルクのように、戦国時代の日本にも『葵のジャンヌダルク、井伊直虎』がいた。直虎というが実は女性。映像参考文献NHK番組『歴史秘話ヒストリア「それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎 愛と悲劇のヒロイン~」』井伊直虎こそあの徳川四天王のひとり、井伊直政の義理の母親で、あった。
*<徳川家康の四天王>とは、酒井忠次(さかい・ただつぐ)、榊原康政(さかきばら・やすまさ)、井伊直政(いい・なおまさ)、そして本多忠勝(ほんた・ただかつ)の4人の家康の重臣たちのことだ。猛将の忠次、がんこ者の康政、人格者の直政、剛力の忠勝は、家康を助けた。彼らがいなければ、家康も天下を取れなかったかも知れない。4人の子孫は、みな幕府の重臣となっている。*<「戦国武将大百科」げいぶん社 47ページ>

  関ヶ原合戦のきっかけをつくったのは会津の上杉景勝と、参謀の直江山城守兼続である。山城守兼続が有名な「直江状」を徳川家康におくり、挑発したのだ。もちろん直江は三成と二十歳のとき、「義兄弟」の契を結んでいるから三成が西から、上杉は東から徳川家康を討つ気でいた。上杉軍は会津・白河口の山に鉄壁の布陣で「家康軍を木っ端微塵」にする陣形で時期を待っていた。家康が会津の上杉征伐のため軍を東に向けた。そこで家康は佐和山城の三成が挙兵したのを知る。というか徳川家康はあえて三成挙兵を誘導した。
 家康は豊臣恩顧の家臣団に「西で石田三成が豊臣家・秀頼公を人質に挙兵した!豊臣のために西にいこうではないか!」という。あくまで「三成挙兵」で騙し続けた。
 豊臣家の為なら逆臣・石田を討つのはやぶさかでない。東軍が西に向けて陣をかえた。直江山城守兼続ら家臣は、このときであれば家康の首を獲れる、と息巻いた。しかし、上杉景勝は「徳川家康の追撃は許さん。行きたいならわしを斬ってからまいれ!」という。
 直江らは「何故にございますか?いまなら家康陣は隙だらけ…天にこのような好機はありません、何故ですか?御屋形さま!」
 だが、景勝は首を縦には振らない。「背中をみせた敵に…例えそれが徳川家康であろうと「上杉」はそのような義に劣る戦はせぬのだ!」
 直江は刀を抜いた。そして構え、振り下ろした。しゅっ!刀は空を斬った。御屋形を斬る程息巻いたが理性が勝った。雨が降る。「伊達勢と最上勢が迫っております!」物見が告げた。
 兼続は「陣をすべて北に向けましょう。まずは伊達勢と最上勢です」といい、上杉は布陣をかえた。名誉をとって上杉は好機を逃した、とのちに歴史家たちにいわれる場面だ。

***
遠江(とおとうみ)の下、浜名湖に守られながら、室町時代後期、戦国時代を戦火から救うことになるひとりの女性がいた。
名前を直虎、幼名・麗姫(れい・おとわ)、井伊次郎法師・井伊直虎(じろうほうし・いいなおとら)という。
明応42年(1536)1月6日、井伊家(いいけ)に子供が生まれた。のちの井伊直虎である麗姫(れい・大河ドラマではおとわ)である。
父親は井伊直盛(なおもり)、母親は新野千賀(ちか)………
おぎゃああ、おぎゃああ…
「おお!産まれたか!」
「御主人さま、大変にお元気でおおきな…おおきな…」
「おおきな…おおきな?」
「姫さまにございまする!」
「ひ、姫?!!」
父親の直盛は肩を落とした。井伊といえば剛毅な男の世界である。
「まあ、姫か。」と思った。「嫡男はいない。そうするとおんなで長女か。」
当たり前だがそうである。
もし、麗の曾祖父の井伊直平のいうように宗家に世継ぎが生まれなければ直平の息子の井伊直満のひとり息子・亀之丞(のちの井伊直親・なおちか)をひとり娘の婿養子として井伊家を継がせればいい。それでお家は安泰の筈である。
父親は紙に書いた名前をまだ寝ている母親に見せた。
「麗?」
「そうじゃ。れいと呼ぶ」
「まあ、いい名前?」
「これは綺麗のれいからもきているが混じりけのない純粋なおなごに育てよ、というわしからの贈り物の名前でもある。そう、麗、麗姫じゃ。」
「……麗姫?まあ、いい名前ですわ。」
「そうであろう。そうであろう。」
直盛は目を細めた。「この子意外に子がなかったらおじじさまの言うとおり井伊直満の息子・亀之丞の嫁として嫁がせ、元服したら亀之丞は……そう井伊直親としよう」
赤ん坊は何故か夢見心地、の顔だ。
そんな麗姫は少女になった。
浜名湖を眺めながら母親の千賀は五歳か六歳頃の麗姫(おとわ)に言ってきかせた。
「いいか、麗(おとわ)。この世の人はすべてそれぞれ世に生まれた理由があるのです。生まれてくるのに遅いも早いも関係ない。ひとはそれぞれやるべきことがあるから生まれてくる。それをみつけて実行するのがさだめというもの。それは百姓たちを守る武家も、足軽も、百姓も関係ない。だが、現在は百姓を守るのは武家。いいですか、あなたは誰よりも学問と教養で天下のために働くおなごになるのですよ。」
「はい。」麗姫改め次郎法師は頷いた。
 そんな麗姫も成長し十代になると学問がしたくて男装までして菩提寺の学問所にいりびたるようになる。というか後述するが許嫁(いいなずけ)の亀之丞が隠遁生活にはいり髪を切って出家し僧侶になって仏門にはいったのだ。
井伊家には御曹司がいる。名前を井伊亀之丞(かめのじょう)という直虎の許嫁である。
直虎の許嫁・亀之丞と鶴丸少年(小野政次)は授業中にひそひそ話をしていた。今川義元来襲と室町幕府の弱腰外交の皮肉である。
教える先生はまだ若い。先生役の和尚は叱った。
「昨今の室町幕府の騒動をどう思う?次郎法師殿」
「さようですな。」直虎は明敏さもみせる。「これはモンゴル軍の来襲にも似ていまする。」
「うむ。」
「しかし、違うのはモンゴル軍はただ攻めてきただけですが、室町幕府や朝廷の官僚たちはこの日本国に開国を主張しています。」
「それで?」
「もはや外国との貿易なくして我が国はやっていけません。鎖国など無理!武力が違いすぎまする!ここは開国して西洋列強の進んだ文明文化技術をとりいれて国を富ます政策しかないかと。」
「面白い。なれば幕府は開国でいくわけだ」
和尚は唸った。「凄いおなごもいたものじゃ。おなごで歴史にくわしいとはおそれいった」
帰宅の足で、男装の直虎と亀之丞と鶴丸少年は団子屋によった。
「麗(おとわ)!どうゆうつもりじゃ?!!父上や母上は何と申しておった?」
「いいえ、何も」
「何もだと?!」
「ええ、何も誰にも知らせず寺に行きました故」
「次郎法師殿には驚いた。今川義元来襲で皆戦々恐々と安芸人がなっているのに“鎖国反対”“日本開国”論ですから。」
「鶴丸はどう思いまするか?」
「いやあ、正直、わかりません。鎖国も開国も。書物やひとのうわさだけで、実際に外国人とあって話さなければ…」
「なるほど。片方のひとのことばかり聞いて沙汰するな、と。両方の意見をきかねば物事は判断がつかない、と?」
「そんな立派なことではないんですが…」
「鶴丸、うちにきて一局どうですか?」
「………一局?」
 次郎法師・井伊直虎と鶴丸は夕方頃、向かい合って囲碁をした。
老女のたけは姫さまはおなごのくせに男装などして…学問所に男装していくなどおなごのくせに……説教くせなのか老女はぐだぐだ五月蠅い。
「たけ!無礼ではないか!」
「……わかりました。」老女は下がった。
「いつも“おなごのくせに”“おなごのくせに”と五月蠅いのです」
ふたりは微笑んだ。
碁を打つと、懐から生まれた時に授かったお守りが畳におちた。
それはおおきな井伊家の“井”の一文字紋のお守りだった。
何故か次郎法師・井伊直虎のは青い柄のお守りだった。
「…そ、それは!わたくしも同じものをもっておりまする!」
鶴丸(小野政次)は赤い柄の同じ井伊の一文字紋のお守りを見せた。「あ!同じですね!」
「そうだ!」
「なんです?」
「このお守りを交換しませんか?きっとふたりは出会う運命だったんです。そうしましょう。きっと生涯大事にいたしまする」
「は。ははあ。」
半信半疑のままふたりはお守りを交換した。のちの次郎法師こと直虎は悪戯なかおのままいった。「でも驚きました。囲碁……すごいお下手なんですね?」
今川義元に支えていた直虎らの父親・井伊直盛(なおもり)は自宅謹慎の憂き目を見た。納得がいかない次郎法師と鶴丸は今川義元さまの館におしかけた。
すると今川義元はわるびれることもなく「わしは駿河(静岡県)で抜荷(ぬけに・密貿易)をしている」などという。「抜荷を?!」
「室町幕府には禁じられているが、今川家の為にのう。すべてはわしの役目の為じゃ」
直虎は「他に手だては?」ときくが、今川義元さまは、
「なら、あなたならどうするかな?」
と不敵に笑う。
悔しいが直虎も鶴丸も何も言えない。帰路の浜名湖がみえる丘で直虎と鶴丸は思う。
「くやしい。ですが、それはわたしたちの学問や知識・学識が足りない為…私は知りたい。もっともっと世界のことが知りたい」
「わたしもそうでございまする」
「この世の中は複雑怪奇…これから今川義元来襲後この遠江の領地は…日本国はどうなるか…?」
「この鶴丸も知りたく思いまする。この時代の風を明日を知りたく思いまする」
「なれば鶴丸。ますます学問じゃな?」
「次郎法師さま。…まさに!」
 あるとき、直虎は落ち込んだままだった。
自宅に帰ると直虎は落ち込んだ。
「わたしはひとの誇りを傷つけてしまいました…」母に苦難を吐露した。
「……そのひとは弱いひと?」
「いいえ。」
「ならそのひとの誇りは傷つくことはない。そう考えるのはあなたのおごりです!」
うまいことをいうものである。
直虎は初めて号泣した。熱い涙を流し、
「遠江に…生まれてきて…ようございました。私は井伊谷が大好きでござる」
彼女ははじめて遠江の領地のことを思い、熱くなった。

浜名湖を眺める丘で夕焼け空で鶴丸に亀之丞の許嫁にのちになる直虎はいった。
「どんな男が好きか?か?……そうはのう。“日本一(ひのもといち)の男”じゃな」
「は?日本一?」
「そう。日本一じゃ」
のちの小野政次は直虎のことを好いていたが、わしが日本一に…なれるのか…??と苦悩もしたらしい。この頃は、まだ小野政次ではなく、鶴丸という名前である。
龍譚寺にいくとき、たけは直虎に「いいですか。姫、おなごの道は一本道ですよ。こうと決めたらまずは前進する。いいですね?」
「おう。わかった。さらばじゃたけ。それに母上兄上父上も…お世話になりました」
「体に気を付けるのですよ」
「麗、がつがつ食べるなよ」
「わしの子じゃ。どんなに偉くなっても名前や身分がかわってもわしの子じゃ。わしの娘じゃ。」親子兄妹は号泣してわかれた。
龍譚寺(りょうたんじ)の南谿(なんけい)和尚は麗姫を尼ではなく僧侶として名前を与えた「お主は今日から次郎法師…井伊直虎じゃ」
「直虎……ははっ!」
「そなたの教育係として僧侶が勉学をしこむ。よく励むように…!」
「それなのですが…」
「何故にそなたを僧侶にか?か?」
「ははっ!申し訳ありません。でも、何故わたくしが尼ではなく僧侶かと?」
「そういう姫じゃからじゃ。」
「………そういう?」
「まあ、わしの勘じゃな。初めてあったときぴんときたのよ」
「…はあ。」
「いいか次郎法師、これからは修羅の道じゃ。わしの道具となってもらおう」
「は?道具…にござりまするか?」
「そうだ」南谿和尚は頷いた。「それも井伊谷の為。わしはのう。井伊谷から龍譚寺から日本をかえたい。そのために龍譚寺の僧侶となって欲しい」
「……僧侶?ははっ!」
次郎法師は平伏した。
次郎法師は龍譚寺の出家前に浜名湖にお礼をいった。
「いままでありがとうございました!これからもこの遠江を井伊谷をお願いいたしまする!」
僧侶からの猛特訓で話し方や所作、茶道や琴や太鼓や武術など学んで、いよいよ井伊家の惣領となると大名行列のように行列が井伊谷内を練り歩いた。
……われがおんな城主井伊直虎である!
次郎法師の本当の母親は「あの娘が生まれる時、仙人のような男が「その娘を遠江に迎えに来る」といっていた夢を見た」と後年証言したという。
まさに歴史がかわる前の激動、であった。





****
話を変える。
 井伊麗姫(のちの井伊次郎法師のちの井伊直虎、2017年NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』ではおとわ)は駿河遠江国(現在の静岡浜松市)井伊谷城で生まれた。生年月日不明(おおよそだが天文五年(1536年))…天文十年(1541)の駿河遠江国(するが・とおとうみ)では井伊直虎と井伊直親がわんぱくに育っていた。
子供の麗(のちの次郎法師・井伊直虎 大河ドラマではおとわ)と亀之丞(のちの井伊直親)と家臣筋の鶴丸(のちの小野政次)は遊んでいた。山を駆け、野を駆け、三人の絆は深い深いものとなった。森でかくれんぼをしていて、麗(大河ドラマではおとわ)は「亀!鶴丸!こっち!こっち!」と呼ぶ。麗はフクロウの巣の赤ちゃんを見つけた。
「わああっ、可愛い」3人の子供はほっこりとした笑顔になった。
井伊家の元祖となった井伊家の祖先で井伊家の始まりとなったのは井伊家の井戸(現在も井伊谷に保存されている)を三人は眺めた。「この井戸に井伊家の祖・初代さま井伊共保(ともやす)公が捨てられていて拾われた。これが井伊家のはじまりである!」
「だが、何故、井戸に捨てられたのに溺れ死ななんだ?」
「きっと井戸端に捨てられたのじゃ」
「なるほど!」
子供時代は浜松の天白磐座(てんぱく・いわくら)遺跡(1500年前からあるとされる古代祭祀遺跡)を遊びまわっていた筈である。井伊家は代々、この天白磐座遺跡を祀る王の末裔でもある。戦国時代は男だけの城主・大名だったが直虎以外のおんな城主はいる。
一は“男勝りの城主 立花誾千代(ぎんちよ)”筑前(いまの福岡県)で永禄十一年、島津の大軍が攻めてきた立花山の戦いで、島津軍を追い払った。二は、“おんな戦国大名 寿桂尼(じゅけいに)(今川義元の母)”四十年に渡っていっさいを取り仕切り今川家繁栄の礎を築いた。今川を有力大名におしあげた知略家である。そんなおんな城主のひとりが直虎。
麗・おとわの父親の直盛は心やさしい性格で生け花が趣味。麗・おとわに「麗・おとわ、お主がこの井伊家井伊谷の領主としてあとを継ぐか?」とおどおど訊いて、幼い麗・おとわは「え?わたしはずうっと最初からわたしがあとをつぐと思っていましたが…違うんですか?」といわれて困惑する。
「そんな訳はあるまい!」逆に母親の千賀は教育母親的な女性で、おとわが亡くなる四年前まで生きていた。おとわが悪戯や悪い口をきくとおしりぺんぺんしてしつけた。
やがて、幼いうちに麗(のちの次郎法師・井伊直虎)と亀之丞は大きくなったら結婚することを誓う。曾祖父の井伊直平(なおひら)が、麗の叔父で亀之丞の父親の井伊直満(なおみつ)の息子と麗(おとわ)を許嫁とした。井伊家本家では嫡男が出来なかったからだ。
「麗……わしたちは夫婦になるのじゃ」
「わかった。亀之丞」
「しかし…わしのような病弱な男の嫁で嫌ではないか?」
「亀、何を言う!そなたには笛があるではないか。」
「わしは笛を吹くことしかできぬ。鶴丸のように頭がいい訳でもない。麗・おとわのように体が丈夫な訳でもない。何の意味も無い存在なのじゃ!出来損ないなのじゃ!」
「ばかもの!」麗・おとわは亀之丞の頬を平手打ちした。
「おまえは意味があっていきておる!われの未来の旦那さまになるのであろう?!!情けないことをいうでない!いうでない!」
「……麗・おとわ…。」
「亀は立派な男子(おのこ)じゃ!のう?!!お前が戦えぬならわれがかわりに戦う。亀、お前が領主が出来ないならわれがかわりに領主となろう!」
「わかった。わしはもっと強い男子になる。みていてくれ!」
「おう!われも綺麗な嫁になるからみていてくれ!」
ふたりは笑顔になった。
 直虎と亀之丞が許嫁(いいなづけ)の関係になったのは直虎五歳のことである。
だが、亀之丞は井伊家の亀の父親が暗殺され井伊家当主が桶狭間で討ち死にすると隠遁生活にはいる。
 麗(おとわ)の父親は、井伊22代宗主直盛(なおもり)である。直盛の幼名は、江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』に「虎松」とある。「虎丸」とする説もあるが、いずれにせよ、虎の目を持つ人間であったのであろう。
 一方、麗(大河ドラマではおとわ)の母は、ドラマでは新野千賀(ちか)となっている。新野氏は、今川氏の庶子家で、御前崎市新野の地頭(この当時の「地頭」は「領主」の意)であった。井伊家と新野氏・娘との結婚は、今川氏との結びつきを深めるための政略結婚だったとされている。
 こうした両親のもと、麗(おとわ)が生まれた場所は井伊谷(いいのや・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の井伊氏居館と伝えられている。
 が、残念ながら直盛夫妻が授かった子は「麗(おとわ)」のみで、井伊家の宗主であるにも関わらず息子に恵まれなかった。
 そこで井伊20代宗主直平(なおひら・おとわの曽祖父)が、「男子が生まれなかった場合は、わしの息子の井伊直満(なおみつ)の子・亀之丞と、麗(おとわ)を結婚させる。亀之丞に井伊家を継がせるのだ」と決めた。
 麗(おとわ)が、まだ2~3歳の時だったという。
 「麗(おとわ)」と呼ばれていた時代、彼女は宗家の娘として、何不自由なく過ごしていた。 が、間もなく悲劇が起きる。
「これから駿河の今川さまの屋敷に行って参る」
「………」
「いかがした?亀之丞?」
「父上、領内でよからぬ噂がたっておりまする。今川様のところへはいかぬほうがよいかと。」
「何じゃ。亀、お主までこの父親を疑うのか?井伊直満は北条に内通していると。馬鹿者」
「しかし、今川義元公は…」
「考えすぎじゃ。わしは今川屋敷にまいる」
 だが、やはりだった。今川義元に責められた。「お主は北条に内通しているのであろう?!」
「いいえ、そのようなことは…陰謀にございまする!」
「だまれ!井伊直満!」
井伊直満は右目を戦で負傷していたため眼帯を独眼竜政宗のようにしていた。直満の北条への内通書が示される。ばれた!!う…ぐああ!案の定、今川義元は今川舘内で家臣達に直満を包囲させて、「殺せ!」の命令で井伊亀之丞(のちの井伊直親)の父親は殺された。「一豪族ふぜいが……まろを舐めるな!」
今川義元は吐き捨てるように言った。
井伊直満の首が届けられる。
全員、戦慄した。「書状には井伊家を滅ぼす、と書いてあるぞ!井伊家を、と!」
「そんな馬鹿な!!??」「今川家から攻められたら井伊谷などひとたまりもない!」
「どうしたらいい??!!」「このままなら井伊家滅亡じゃぞ!!」
井伊直満(亀之丞の父)が今川義元に誅殺されてしまった。
「父上―!父上-!」亀之丞は号泣した。
さらに、今川からは亀之丞を殺せとの命令が出ていたが井伊家は逃がした。
曾祖父の井伊直平がきて「小野か?小野が今川へ直満を売ったのか?!」
「おじじさま。今は時がありません」
「まだ九歳の亀之丞を殺すつもりか?!!今川の命令に従うつもりか?!!」
当時のならいで息子の亀之丞(当時9歳)にも殺害命令が出されたのだ。直虎の許婚者であり、井伊家宗主候補だった亀之丞は、かくして信州へと亡命し、消息不明となってしまう。「麗・おとわ、必ずそなたの元に帰ってまいる!」
「まっておるぞ、亀!」
亀之丞が姿をくらまして、亀之丞かと思って今川家の家臣達は農民姿のおとわを捕らえた。

大河小説 東日本大震災「震災から6年数ヶ月」未曾有の大震災の真実2

2017年12月24日 06時31分32秒 | 日記


















































参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P299~310)
わしは、お供を連れて平成22年3月、江田島の幹部候補生学校を取材。
校長・野井健治海将補、副校長・大津雅紀1等海佐に話を聞いた。その日は卒業式前日だった。
野井「海上自衛隊の幹部は全てここ(江田島海上自衛隊幹部候補学校)を卒業しています。卒業式をご覧になって皆さん驚かれるのは国歌斉唱。本当にすがすがしい。大きな声でみんな歌いますので。なかなか大きな声で「君が代」歌える場所ってないんですよ。」
最近は主にスポーツの分野で「日の丸」も「君が代」も普通に接するようになってきたが、まだまだ沖縄や北海道など、カルト的左翼教育と左翼マスコミの洗脳が強い所では「君が代」は封印されている。まったく情けないが…。
小林「赤鬼・青鬼の話を聞きましたか?」
野井「怖いですよ、もう……本当に。」
小林「校長すら怖いのですか?…脱落する人はいないのかな?」
野井「やっぱりおりますね。自信をなくしてしまって。もう自分のイメージと違ったという人もいまして。」
小林「なるほど。そういう現実を聞かせて頂けるのは公明正大でいいですね。」
大津「途中で何人か、適応障害のような形になったりします。慣れてしまえば何とかなるんですけど。やはり小さい頃から団体生活に慣れていないとか、社会性のない人もいますもんでね。」
確かに今は、あらゆる所に「社会性」のない人間が生まれている。「引きこもり」が70万人もいるとNHKがドキュメントでやっていたほどだからな。
野井「大部屋ですし、お風呂も当然、大浴場ですから、本当に自分をさらけ出して、プライバシーがないというか、それに慣れないとちょっときついかなあ…と。」
小林「最初からパイロットになりたいとか、希望する人もいるんですか?」
野井「はい、おります。」
大津「やはり、航空関係が多いですね。海上の中でもP-3C操縦。」
野井「ヘリと航空関係が多いですね。あと艦艇、潜水艦。わりと補給艦ですね。それと地上勤務も人気があるますね。」
小林「一般的にはイージス艦とかが花形なイメージがありますが?」
大津「日本全体、海離れで、あまり船に乗りたがらないですね、若い人は。」
野井「携帯電話が通じなくなるとみんなダメなんですよ。航空部隊なら必ず地上に帰ってきますから。」
大谷3佐も同じことを言っていたが、ケータイの出現によるライフスタイルの変化が、こんなところにまで影響を及ぼしているとは…
だが、卒業を翌日に控えた幹部候補生たちと話してみると、そんな世間の若者たちのような雰囲気は微塵も感じられなかった。そこでこんなことを聞いてみた。
小林「怖いって感覚はないですか?世の中、命だけは惜しいとか、安穏と暮らしたいという人が多いのに、あなた方は日々、自分に緊張を強いて、職務に励まなければいけないわけでしょう?命をかけなきゃならないことに関してどう思いますか?」
卒業生「怖い部分が全くないとは言いません。しかし誰かがやらねばならないことであって、自分にできることであり、努めてそこは、乗り越えていきたいです。」
小林「わしは自衛隊に関して、どこまで描いていいか躊躇する時があります。例えば後方支援とか、なるべく安全な場所への派遣なら「行くべきだ」と言える。でも米軍の最前線では映画「ハート・ロッカー」のように爆弾処理の兵士が特殊防塵服で危険地帯をずんずん歩いていって爆弾の配線を切ったりしている。帰国してもPTSD(心的外傷ストレス障害)に罹る兵士は多い。将来、日本が憲法改正して国軍ができたとき、場合によったら、米軍同様、最前線まで、あなた方を送るべきだと、わしが主張していいのかどうか考えてしまうわけです。もちろん今だって、自衛隊は危険な仕事を国内外でやっているはずです。だがそれを国民は自分のこととして考えていない。ニュースではほとんど伝えられない。保守派の者たちの中には自衛隊の家族のことまで考えることなく、ほとんど自己陶酔のために「勇ましいこと」を主張しているのではないかと疑いたくなる人だっている。わしは、あなた方が命を落として、家族や恋人が悲しむことを考えると筆が鈍りますね。本当に憲法改正をして、米軍と同等の危険を背負ってもいいの?」
卒業生②「自分はやはり望んでやります!」
小林「ほう、すごいね。」
卒業生③「命じられたことは、したいと思います!」
卒業生④「私は、さきほどおっしゃったような「勇ましいこと」を言っている人を含めて、やっぱり守るべきだと思います!」
小林「う~む…さすがだ…」
卒業生⑤「ただ正直、自分自身は望んで来たのでいいんですけど、仲間や部下や、あるいは他の人が、自分の意志のせいで死んでしまったり負傷してしまったりというのは正直言ってちょっと怖いというか不安ではあります。」
幹部「階級的には、彼は、先生がおっしゃった最前線を担うところにおりまして、これから、今言ったように自分の命令で部下を動かすということで、段々本当の怖さをこれからわかってくるところなんですね。」
大谷3佐「幹部候補生ですからね。そういうことでは部下の命も預かる立場になるということですね。」
幹部「死生観というものが海上自衛官としては必要になってくる。」
小林「なるほど。米軍の海兵隊などは粗暴なイメージがあるけど、自衛隊の場合、こうやってみんなの顔を見たらそんな印象がないなあ」
井上和彦「特に船舶立ち入りなんか若い隊員が年取った兵隊を指示して乗り込んでいく。私はいろいろな国の軍隊を見てきましたが、小林先生のいう通り知的な部分が全然違うんですね。向うは軍人になるのは国籍や永住権を取得するためというひともいるし、でも日本ではこれだけ冷遇されて冷たい世論の中で志願して、ものすごい倍率を突破して来るわけだからそれは4万数千人の海自とはいえ、すごい士気の高さを持っているのだろうなと思いますね。外国の軍隊を見てもイギリスのケントって船なんか、海自の船とは比較にならないくらい汚れてますしね。塵は落ちてるし、真鍮をあんなにピカピカに磨くなんてことは全然ないし、よっぽど皆さんのほうが士気は高いと思いますよ。」
小林「皆さん、ぜひとも武人としての強さと共に、優しさや知性を同時に育てて欲しいですね。それがやはり日本の自衛隊の誇りになる。そのような美徳が戦場で人の敬意を集めるし、敬意を集めること自体が勝利につながるのだと思います。現地の人々に尊敬され、敬意を払わなければ、秩序や統率が保てないはずですから。」

卒業式を見た。沖縄の毎年荒れる成人式みたいなおふざけの欠片もない。厳しい倍率をを勝ち抜き、シゴかれた幹部候補生なら当たり前だが、逆に頼もしい。
卒業式では赤鬼が卒業生たちに声をかける。卒業生は家族とあわないまま卒業と同時に次の日から海洋実習がまっている。
「俺の一番好きな言葉を最期に伝えておく!花びらは散る。花は散らない。お前ら今日ここを出て行って俺も来週にはここを後にする!毎年みえるものやみるものも経験も違ってくるし、同じものはない!けれど俺がこの江田島でお前らに伝えたかったことは目に見えない事の方が大事ってことだ!お前らが将来幹部になるにあたって大事なものにきづくのはそんなにすぐじゃない。多分、シバかれた記憶が生々しい今じゃない。俺だって4年目でたまたまこの仕事に就いたから気づいたんだ。それに気づくのはきっとお前らが将来行き詰った時だ!」
いよいよ卒業生が江田島に別れを告げる時。卒業生は楽隊が奏でる「軍艦マーチ」の中、「赤レンガ」の正面玄関から一列縦隊で敬礼しつつ後進。教官や家族の前を通り、各艦隊へと乗り込む。ヘリやP-3Cが壮行飛行を行っている。幕僚長、学校長が帽子を振り、手を振る中、卒業生たちが船出していく。なんともかっこいい。映画のどんなワイドスクリーンでも、3Dでもこの勇壮さは伝わらない。なんというカッコ良さ!相当の技術と訓練がなければこんなに美しく艦隊を動かすことはできまい!
花びらは散る。花は散らない。まさに自衛隊こそが“日本の花”、である。


参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P175~P190)参照
 平成22年3月14日自衛隊のことを学ぼうと思って横須賀に行った。「横須賀」というと海軍のイメージしかなかったが、今回取材するのは陸上自衛隊・武山駐屯地にある「少年工科学校」の卒業式である。控室で取材のコーディネートをしてくれた軍事ジャーナリストの井上和彦氏から説明を聞く。
小林「「工科学校」って工兵を養成してるの?」
井上「いいえ、全般のスペシャリストの養成です。昔の日本軍でいえば、陸軍幼年学校ですね。」
陸軍幼年学校?だったら『戦争論』で紹介した高村武人さんの後輩たちということじゃないか!
戦後、「自衛隊」は「軍隊」ではないということにするために、あらゆる名称が変更されてしまった。階級ひとつにしても「大佐」「少佐」なら誰でもわかるが「1佐」「3佐」なんて言われたって全然ピンとこない。歩兵はなんと「普通科」だし、砲兵は「特科」だそうだ。まるで暗号である。こんな特殊用語を使っていることも、自衛隊が国民になじみにくくなっている大きな要因だと思うが、これを普通の軍隊用語に直すのも、まず憲法9条を改正して自衛隊を普通の軍隊にしなければならないらしい。
少年工科学校は10代の少年たちが入校するエリート養成校であり、受験倍率は20倍という狭き門。多くは中学校を卒業して入ってくるが、中には一旦普通高校に進学しながら、国防の意識に目覚め、中退して受験し直して入学する者もいる。
旧日本軍は、下士官は世界一優秀と言われたが、この学校はその下士官を養成している。少年工科学校の生徒は入学と同時に「3等陸士」の位に就き、15、16歳にして正式に国家公務員たる自衛官の身分となり、毎月給料も支給される。
そして親元を離れて全寮制の学校で3年間、ハイテク兵器が主力となる現代戦の即戦力たりうる電子機器工学、情報工学のエキスパートになるため研鑚を積む。2年目は2等陸士(2等兵)、3年目は1等陸士(1等兵)に昇進、卒業すると士長(上等兵)になり、一部の生徒は防衛大学や航空学校に進み、大半はそれぞれの専門別に、各地の「中期校」に入校。1年間の特殊教育、部隊実習を終えると3等陸曹(伍長)に昇進、全国の各部隊に配属される。世界中の軍隊でも10代の伍長、というものは他国に例がなく「世界一の伍長」と呼ぶひともいる。すぐに班長や部隊長として配属され、自分よりずっと年上の者を含む部下を率いることになるが、それでも動じない精神力やリーダーシップも少年工科学校での鍛錬で養われるのだ。
ところが実は今年(平成22年当時)が「少年工科学校」最後の卒業式だという!
というのも、片山さつきが財務省主計局主計官時代にやらかした陸上自衛隊削減のせいで、4月から「少年工科学校」は「高等工科学校」に改名、制度変更もされるのだ。
自衛隊の人員削減にために工科学校の生徒は「自衛官」ではなく「学生」という身分になり、3等、2等、1等の「陸士」の階級もなくなり、ただの「1年生、2年生、3年生」になる。そして毎月15万円程度支給されていた給料は「学生手当」という奨学金のようなものになり、大幅に減額されてしまう。10代にして自衛官として給料をもらって伍長になるのと只の学生で奨学金みたいなものをもらうのではまるで違う。これが自民党時代の失政である。現場ではいかにして少年工科学校の伝統を損なわず、新たな制度に移行するのか苦心しているらしい。
体育館に案内され、いよいよ卒業式が始まる。
さすがに顔にはあどけなさも残っているがその目つき、たたずまいは、そこらへんの高校生とは違う。15歳にして親元を離れた生活、そして自衛官を目指す3年間の訓練、それが実に辛いものであり幾多の困難を乗り越えて今日に至っているということは何も聞かなくてもこの雰囲気でわかる。
「気をつけ!」ダンッ!「敬礼!」ザッ!「直れ!」ザッ!
最初の学校長に対する敬礼だけでこの一糸乱れぬ動きだけで度肝を抜かれる。
張りつめた厳粛な空気の中、壇上に来賓が入場、さらに陸上幕僚副長が臨場、敬礼の後、閉式の辞、国歌斉唱。続いて卒業証書の授与。「浅倉大介」「はい!」「小室尚登」「はい!」「鈴木誠」「はい!」「鈴木亜斗夢」「はい!」
きびきびと、はっきりとした生徒たちの態度が見てて心地よい。一人ひとりの名を呼び上げる区隊長(クラス担任に相当)が名簿を見ていない!生徒の顔を見て名を呼んでいる!
生徒と教官の絆が相当強いんだろう。学校長賞の授与。成績優秀者が呼び上げられ、表彰状とメダルが与えられる。今どきの学校は平等主義だから優秀者の表彰など考えられないな。ただし、学業、体力、だけでなく生活態度などに至るまで様々な基準により優秀者を選考されており、一部の偏った選考基準で選んでいるのではないという。
表彰が終わると申告。
「申告します!陸上自衛隊生徒、1等陸士、ミヤギトシヒロ、他250名は、平成22年3月14日付をもって第35期陸上自衛隊生徒前期課程、修了を命じられました。敬礼!」
学校長祝辞、陸上幕僚副長訓示、政治家の祝辞があった。
そして在校生代表送辞に続いて、卒業生代表答辞。
とつとつと静かに話し出す。自分の言葉で話しているからだ。
「楽しい事ばかりじゃない少年工科学校の生活も、同級生がいたからこそ乗り越えることができました。……普段は照れくさくて言えないけれど今日は言います…本当にありがとう……」
次第に卒業生のしゃくり上げる声が大きくなっていく。見ると多くの卒業生たちが感極まって泣いている。
「そしてこの場にはいませんが、闘病の末、この世を去ってしまったワタナベタカヒロ生徒…食べるのが好きで、走るのが苦手で…でも頑張り屋で…少しうっかりしていているところがあって、でも優しく…そんなワタナベ生徒…」
前年末に亡くなった生徒の話が出るとすすり泣く声が一層大きくなった。
「私たち53期生、251名は、これから全国各地に散らばり、それぞれの道に進みますが、どこにいても、少年工科学校最後の卒業生としての自信と誇りを胸に、日々、精進します。」
そこいらの高校生が卒業式で泣いたってどうとも思わないが、ここの生徒は違う。
隣では軍事ジャーナリスト界のみのもんた・井上氏が号泣していた。わっ、汚な…すぐ泣くんだよな、この男。わしは涙管が詰まって泣いているわけじゃないが…。
「仰げば尊し」の斉唱があり、それが終わると一転して勇壮な曲調の校歌斉唱。
「御国の護るゆるぎなく我等は少年自衛官」
この「我等は少年自衛官」の校歌は、23年度から「少年自衛官」が「学生」へと制度が変更になっても、一字一句変更されず引き継がれる。この校風も何も変わらずに引き継がれてほしいと心から願う。
卒業式が終了して屋外へ移動。在校生生徒隊による送別パレードが行われる。先導する吹奏楽隊が演奏するのは「陸軍分別行進曲(扶桑歌、抜刀隊)」だ。
旧日本軍時代から、連綿と変わらずに陸上自衛隊でも演奏され続けている行進曲である。実にかっこいい!パレードに引き続いて上空から轟音が近づいてくる。最新銑戦闘ヘリAH-64アパッチなどによる祝賀飛行だ。
パレードが終了すると、ドリル部による「ドリル演技」が始まった。日本で「チアリーディング」とか「バトントワリング」とか呼ばれている競技の総称が「ドリル」だそうだ。
軍隊における基本教練の反復練習の「ドリル」(つまり「学習ドリル」の「ドリル」)からそう呼ばれている。そもそも、バトントワリングも、軍隊の指揮者が指揮杖を振り回したのが始まりだ。
軍隊のドリルといえば、儀仗隊の名物である。シンクロスイミングのように軍服で、機銃をまるでバトンのように空に投げたりキャッチしてシンクロしてかっこよく決める。さすが28名のメンバーが全員ぴったり息を合わせ、シンクロして動く様は見事だった。
その後は食堂に移動し、卒業生が家族と昼食を共にする「午餐会(ごさんかい)」である。
卒業生全員が未成年なのでお茶で家族と乾杯し、学校の食糧班が心を込めてつくった赤飯のお弁当を食べる。少工生は3年間も親元を離れて過ごしながら、卒業後は一日どころか一晩も家族と共にすごすことはできない。卒業式の全日程がおわれば、そのままバスにのり込んで、各地の中期校へ向かうのだ。万歳三唱で午餐会は終了。そして卒業生たちは旅立ちのときを迎える。校長が最後に訓示を言う。
「これから未来へ向けて、一緒にがんばろう。只今をもって、第3教育隊の指揮を解く!」
拍手の中、楽隊の行進曲の中、卒業生たちがやってくる。
突然、一人の卒業生がかけよって来た。
「小林先生ですか!自分『戦争論』読んで少工希望しました!」
「おう!がんばれよ!」
その後、バスに乗り万歳三唱の中、去って行った。
卒業式後、数名の卒業生たちに教室に集まってもらい話を聞かせてもらった。
その中には、中学生の時から『SAPIO(サピオ)』(小学館の月刊誌・国際政治経済雑誌)を読んで国際情勢に興味を持ち、国防を目指した者もいる。数年前は阪神・淡路大震災災害救助を見て、自衛隊を志した者が多かったという。
現在は(2015年時)は東日本大震災(2011年)や2015年度関東・東北豪雨等か。
それにしても子供に危険な仕事をさせたくないと反対する親が多そうな昨今、ここに子供を送り出した親は本当にえらいと思う。
小林「普通の学校にはない、厳しい規律を守ってやってきて、その上さらに防衛大に進んで、厳しいルールで自分を律していこうというのか。そろそろ自由になりたいと思わないの?」
すると即座に、「思います!」
「やっぱり思うのか!?」
「多少は」教室がドッ!とわく。
彼らによれば厳しい規律の中とはいえ、慣れればその中での限られた自由を楽しむ術がそれなりに身につくものらしい。
「少工病」と言われるものがあり、生徒たちは町に繰り出してもいつのまにか手足が揃ってしまったり、どんな女の子を見ても、かわいく見えたりするらしい。
一同笑いながら「少工あるある」ネタで盛り上がった。
「女の子のストライクゾーンは広がりますね」
「中学生の時はナシだったけどみたいな。」
「開校祭に来る近くの女子高生に声をかけるのは3年生だったら結構います。1年の時は先輩に譲るので。」
小林「休みの日は私服でどこまで出かけるの?」
「中学校出たての頃はお金の使い方もわからなくて近所を。でも、徐々に慣れてきて年をかさねると目標が東京とか。」
「でも服装でも何となく少工ってわかることありますよ。服を買う店が大体同じだから。」
「3年になると自分の好きな服を買うようになるんです」
小林「制服で外出してもかっこいいと思うけどなあ。この制服でモテるってことないの?」
「駅員に間違われます。何番線はどっちですかって。」一同爆笑。
小林「ええ~っ!そりゃひでえなあ。(笑)」
学校長の山形克己陸将補(少将)に話を伺った。
山形「3年間で身体も大きくなりますけど、一番変わるのは精神面ですね。「徳育(道徳教育)」というのが一番、伸びが違う。例えば「挨拶」と「敬礼」の違いですよ。相手を敬いながら心を込めてする。これがマナーです。自衛隊の規律では目上の階級の人に敬礼しなさいってなっていますけど、相手を敬う前にまず階級章を見ちゃいます。そういうものが積み重なると、恰好だけはいいけど中身が出来上がらない」
小林「なるほどなあ。では「愛国心教育」というものを重要視されているのですか?」
この質問に対して意外な答えが返ってきた。
山形「いえ、そんなことはないですね。愛国心はこういうものだと教えてもダメじゃないですかね。逆に、社会だとかそれこそ一般社会の中で道徳を教えた方がいい。」
小林「そうですよね。わしもネット番組で、年取って漫画が描けなくなったら公園の草むしりをする、といったら反発されたんですよ。」
三原光明副校長1等陸佐(大佐)「そういうことは大事な事ですよね。デモで声高に叫んでも、道にゴミを捨てて平気でいる人間なんかの言う事なんか誰も聞きませんよ。自分の家の前じゃなくとも、ゴミがあったら拾いゴミ箱に捨てる、これが社会性というものですよ。道徳心とは教えて伸びるものじゃなく、自分を厳しい環境において精進していれば自然と身につくものです。だから、この学校の卒業生はもっともっと社会で伸びるんじゃないかな。」
少年工科学校は「一身独立して、国家独立する」の教育をしている。本来ならば全国の学校で道徳教育として『工科学校型の道徳教育』が当たり前に実施されて当たり前ではないか?だが、いっておくが自衛隊の宣伝の為にこの小説を書いているのではない。
戦闘機に乗ってG(重力)を体感するとか保守系の言論人の誰もが体験するものだし、一日入隊なんか後で全身筋肉痛になるだけだ。
私は作家で、身体が弱く、もう中年のおじさんで、団体生活も自衛隊のような苦役も苦手だ。そういう視点での自衛隊論があってもいいんじゃないかな?と思う。
だから、この物語には自衛隊論を掲載したのだ。自衛隊の広報のためじゃない。
この物語を読んだからとて「これが自衛隊に入るきっかけになりました」と言うな。責任を感じてしまうじゃないか。自衛隊の広報新聞や小説じゃないんだ。



 2011年3月6日、都内某所野内で秘密裏に防衛省直属特殊工作部隊の入隊式が開催された。特殊工作部隊の隊名はSEELDZ(シールズ)という。SEELDZは第一班としてサイバー攻撃などに対処するサイバー課、第二班として歩兵第一課、歩兵第二課、第三班として砲兵第一課、第四班としてSATなどと同じような船舶家屋施設特殊工作課、などがある。鈴木崇も大島仁も所属となった。大勢の兵隊たちの前で松長仁志大将(陸将・陸上幕僚長)がスピーチというか訓示を述べた。崇と仁もマイクの前で訓示を述べる松長を整列してみていた。
「天皇陛下と皇国日本国のために死ぬ覚悟で戦え!国民の命がまず第一、国土国民皇族天皇陛下を守るのがSEELDZの使命である!」等という。
けっこう狂人的な人格だった。主賓席には桐島博文1等陸佐(大佐)や部下の中澤や杉、佐竹らサングラスの秘密部隊がテントの主賓席で座って、したり顔で松長の訓示を聴いている。
主賓席の席でも、桐島は不快な顔をした。兵士の小間使いのような高校生くらいの者が冷えた水をもってきたが、兵隊たちの列の横で眩暈をおこして崩れた。崇や仁の横だったために、
「だいじょうぶか?坊主?」
と起こしたが、桐島1等陸佐(大佐)は激怒して鞭を打った。「貴様!たるんどるぞ!」
「やめてください!まだ子供です!」
鈴木崇や大島仁が庇ったが、考えてみればその眩暈で倒れた少年がのちの少年工科学校隊士の子供兵士だった訳だ。桐島はふん、と不敵な笑みを口元に浮かべて、
「貴様ら、名は?無冠ではあるまい。名前と兵隊の位をいえ!」
「はっ!鈴木崇、位は一応3等陸尉(少尉)であります!防衛大卒です!」
鈴木崇・大島仁は敬礼をした。「同じく、大島仁3等陸尉(少尉)であります!防衛大卒業です!」
桐島は「ほう。学徒の大学生か?!私は米国MIT大学卒の学徒兵士、桐島博文1佐(1等陸佐・大佐)だ!これよりSEELDZの隊長である!いいか、覚えておけ、私や上官からの命令は天皇陛下からの命令と心得よ!」
「…は、はっ!」
ふたりは敬礼し続けた。え?
すると驚愕した。
「ふん!虫けらめ!少しは刃向ってくると思ったが、くだらん」
桐島1佐は不敵な男であった。
鈴木たちは手も足もだせない。桐島1佐はいわゆる今でいうイケメンであり、痩身で、軍部の制服を着ている。若い年代だ。部下たちは意味ありげなサングラス制服部隊である。
だが、鈴木崇たちには、憎しみ、だけが残った。
天皇陛下の為に戦う、のは当たり前だが、あの桐島1佐の為に死ぬのは御免だ。
怪しげな“闇の陰謀家”のような桐島1佐たちは姿を消した。
何なんだ、あのひとは……???不気味な静けさだけが骨身に堪えた。

哀しみを抱えたまま大島仁は転勤していった。SEELDZ第一特殊工作部隊という特殊ゲリラ部隊の隊員という官職であった。
上官は防衛省からの出向のエリート官僚であるという。あの防衛省のエリート官僚か?大島は恐れた。
常人なら当たり前の反応ではあった。
「元気でな、大島。また会おうぜ」
鈴木崇と大島仁は握手を交わした。
これが永遠の別れになることなど夢にも思わない。
こうして大島はSEELDZの拠点とする習志野(SKG)向かった。


*****続く(刊行本または電子書籍に続く)続く********

【大河ドラマ 米沢燃ゆ上杉鷹山公】2017年度末最新キャスト原作上杉(長尾)景虎

2017年12月23日 11時14分36秒 | 日記























米沢燃ゆ 上杉鷹山公(大河ドラマ)キャスト
                   原作・上杉(長尾)景虎 脚本・三谷幸喜
                   音楽・大島ミチル
       

      上杉鷹山(治憲)…………    筒井道隆
      幸姫 …………     谷花音
上杉直丸(少年期)………    鈴木福
      上杉重定    …………    高橋英樹
      竹俣当綱    …………    中村梅雀
      莅戸善政(大華)…………    風間杜夫
      木村高広    …………    京本政樹
      藁科松伯    …………    高嶋政伸
      お富の方    …………    浅野ゆう子
      佐藤文四郎   …………    今井翼(タッキー&翼)
      旅館の女将   …………    鈴木砂羽
      水沢七兵衛   …………    佐藤B作
      須田満主    …………    平泉成
      黒井半四郎   …………    笹野高史
      細井平洲    …………    寺尾聰
      文四郎の恋人  …………    多部未華子
      色部照長    …………    橋爪功
      紀伊      …………    高島礼子
      七家      …………    前田吟・北村総一郎・大杉蓮・加藤剛・三浦友和 他
           etc …………    あき竹城・眞島秀和・佐藤唯・渡辺えり・橋本マナミウド鈴木他 

GREENEAGLE緑鷲直1伝説の天才ウィザード級天才ハッカーVS世界的電脳テロ集団1

2017年12月21日 05時38分42秒 | 日記


































小説<GREEN(グリーン)EAGLE(イーグル)>
  ~伝説の天才ウィザード級ハッカーVS世界的電脳テロ集団!~
                       
                       
                ~新たな真実!渾身の書き下ろし
                『伝説の天才ハッカー』の真実が甦る!
                 total-produced&PRESENTED&written by
                   UESUGI KAGETORA
                   上杉(長尾) 景虎
 
          this story is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

……人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。
 くよくよするもんじゃない。肝心なことはねぇ、
  望んだり生きたりするのに飽きないことだ。………
     ロマン・ローラン作『ジャン・クリストフ』より

   この物語は漫画テレビドラマ『BLOODYMONDAY(ブラッディマンデイ)』(龍門諒原作・恵広史漫画 TBSテレビドラマ三浦春馬主演)と映画『デスノート L CHANGE THE WORLD』日本テレビドラマ『怪盗 山猫』のオマージュ作品です。物語の模倣ではなく、引用です。盗作ではありません。裁判とかは勘弁してください。


**** 『小説<GREEN EAGLE>天才ウィザード級ハッカー緑鷲直』あらすじ
 主人公は高校生の美少女・緑鷲直(みどりわし・なお)である。高校ではいじめられっこだが、裏のネット社会では天才・ウィザード(魔法使い)級ハッカー“GREEN EAGLE”である。その天才少女は中学生の時、米国国防総省(ペンタゴン)や米国情報局(CIA)やイギリスの情報機関・MI6、イスラエルの情報機関・モサドにハッキングして逮捕・補導された過去を持つ(現実社会では公安や警察組織等しか知られていない)。いじめっこに復讐する為にいじめっこのスマホをハッキングしたことで日本の警察庁対テロ組織2SEELDZに依頼されることになる。こうして日本へのウイルス・テロのテロ集団との戦いの最前線に立たされる緑鷲直だったが……。   *******

「ハッキング」は不正アクセス禁止法違反の犯罪です。
けして模倣や行動に起こさないで下さい。この物語はフィクションです。人物名・団体名・機関名等すべて架空のものです。


1  天才・ウィザード(魔法使い)級ハッカー緑鷲直「GREEN EAGLE」



  確かに美少女では、ある。
主人公は高校生の美少女・緑鷲直(みどりわし・なお)である。
直は美少女である。細い脚腕に華奢な身体で、丸い顔、白い肌、大きな瞳にまつげがびっしり生えている。背はあまり高くはない。芸能人で言えば“広瀬すず”、というところか。
 但し、性格は暗い、というか。ネクラ、である。
ちょっと鬱病気味でもある。いじめられっこである。
高校ではいじめられっこだが、裏のネット社会では天才・ウィザード(魔法使い)級ハッカー“GREEN EAGLE(グリーンイーグル)”である。その天才少女は中学生の時、難攻不落の米国国防総省(ペンタゴン)や米国情報局(CIA)やイギリスの情報機関・MI6、イスラエルの情報機関・モサドにハッキングして逮捕・補導された過去を持つ(現実社会では公安や警察組織等しか知られていない)。
 日本は安全で治安がいい、とよくいわれる。
だが、全然、安全なんかじゃない。安全で治安がよく見えるのは密かに誰かや組織がサイバー攻撃やテロを未然に防いでいるからでしかない。
最近は日本政府や省庁のホームページが“サイバー攻撃”を受けることもけっして珍しいことではなくなった。大企業のホームページにDDos攻撃(多くの情報ネットワーク・パケットを一斉にあらゆる踏み台のPCらからそのサーバーに一斉送信してサーバーをダウンさせるサイバー攻撃)を仕掛ける輩や集団も、最近は手口が巧妙になってきている。サイバー攻撃による個人情報機密情報漏えいとか。
標的型サイバー攻撃(トロイウイルス等)、水飲み場的サイバー攻撃(HPを観ただけで“エムディビ”という新型コンピュータウイルスにより)軍事機密や企業の特許情報や政府などの機密情報が盗み取られるという。日本の被害は一年に二万件(わかっているだけで。氷山の一角)である。
ひとりでも多くサイバー攻撃に備える“ホワイト・ハッカー(正義のハッカー)”が必要だが、現実は悪質な“クラッカー(悪いことをするハッカー)”ばかりが多い。
最近の子供は、スマホは持っているがパソコンに触れたこともない、という。
まあ、スマホ(スマートフォン)は“小さなネットワークパソコン”みたいなものだからわざわざネット回線や電話線を自室にひく若い者も少なくなった、というのがどうやら結論のようである。
パソコンも操れず、スマホだけで暮らす……、どうにも創造性が見いだせない。
だから駄目なんだ、というのは簡単ではあるが。
“タダの安全”等、この現実世界に存在はしない。
誰かが汗や血を流して、この現実世界の“安全”は保たれている。金も人もいる。
この世の中の安全は“ガラスの城”に過ぎないのだ。

物語は極東ロシア・ウラジオストクから始まる。
白人系ロシア人の集まる教会で、休日の正午のミサにウイルス・テロ事件がおきた。
いや、起きた、というのは正しくない。
テロ集団がウイルス・テロリズムを仕掛けたのだ。真冬の最中である。
白人系ロシア人がロシア正教の教会で祈りの後、椅子に座ったりしてわいわいやっている。だが、白人系ロシア人の子供が急に鼻血を流し始める。
そして、パンデミック(大感染)!
大人も次々に血を吐き、苦しみ始める。
顔や手などに天然痘のような赤い疱瘡が出来、血を流し、息絶える人物が続発する。その致死力は天然痘やエボラ的に強大だと、素人にもわかるほどである。
「"Гуа"ぐああ」
「"Uu"ううっ」
教会内は血だらけのまさに地獄絵図である。
ロシアの教会の光景は見慣れたものだったが、血だらけのウィルス騒ぎは尋常でない。男や女性や子供が疱瘡のような顔になり、血を吐いて続々と屍だらけになる。まるで本当に血だらけの地獄絵図である。防ウィルス警察隊らは息を呑んだ。遺体は血色をなくした、泥のような顔であったが、見覚えのある顔まであった。間違いなく近所の知り合いの死体である。警察隊は頭部から爪先まで、冷気が滝のように駆け抜けた。手足が目に見えて震えて、思うように筋肉に力が入らず、指は、おののきながら宙を泳いだ。
教会は隔離され、ガスマスクや防護服の警察官たちが銃を持ちながら実況見分をする。
明らかに毒ガスか毒性の強いウイルス・テロ事件である。
地元の防ウイルス服の警察機関は累々と連なる屍をみて、恐怖におびえた。
「"Кто-нибудь знает, что происходит? На земле ..."どうなっているんだ?いったい…」
「"Убойная сила является оспа и Эбола в могучий"致死力は天然痘やエボラ的に強大だ」
「"... Капитан!" …隊長!」
「"Что?" なんだ?」
「"Это выживших! Все еще живы!" 生存者です!まだ生きています!」
みると、白人系ロシア人の少女が横たわりながら、手を、ガスマスク防護服の警察官のほうに伸ばしていた。顔や手などに赤い天然痘のような疱瘡がある。血を吐く。
「"Помогите ..."…た…たす…け………て…」
ドウィン!ドウィン!
警察官は少女を近距離で射殺した。
そののち、ロシアの地元政府のサーバーにはロシア語で、
「毒性ウイルス“ドロポスZ”の実験成功"Экспериментальный успех вирулентного вируса" капли Z ""」
「“魔界の鬼手”より"" Макай kishu ", чем"」
という犯行声明とも呼べる書き込みがあった。
『魔界の鬼手(まかいのきしゅ)』とは世界的に有名なテロリスト集団のことである。
一時期の『オウム真理教』のような宗教団体の狂信者たちではなく、どちらかというとIS(イスラミック・ステート・イスラム国)に近い。極めて危険な狂信者揃いのテロリスト集団である。本体は極東のある国との関連性とも疑われるが、詳しくはわからない。
“スパイ天国日本“にも拠点があるものと思われるが、いまだに詳細を、日本の公安はその尻尾を掴んでいない。
日本が毎日のようにサイバー攻撃を受けて機密情報が盗まれたり、クラッキングで政府資金が盗まれているのは誰もが知るところ、だ。
この日本は恰好のターゲットである。
スパイを取り締まる法律もまともにない有様だから、だ。
この物語の主人公緑鷲直は、ネット上の悪辣サイト摘発(内部リーク)を匿名でやっていてパトロールまでしていた。警察サイドから金をもらっている訳ではなかった。すべてはボランティである。また、2SEELDZの情報にも精通していた。そんな中、2SEELDZは日本の東京への「核爆弾テロ」を察知した。だが、どこから核ミサイルが撃たれるのか?国内か?海外のテロ国家の可能性はまだつかめていなかった。
華奢な身体に艶のある短いショートボブの髪をもった緑鷲直の、大きな黒目がちの瞳の直は、見た目では十代後半くらいだ。そんな空間の静寂に抵抗するように緑鷲直は大声を出そうとした。が、声は喘いで途切れ、目の前が紫色になり、全身から汗が噴出した。



 物語は更に極東のジャングル地帯の砂地の路面道路をカーチェイスする場面に戻る。
まさに危機的状態、である。
曇りの午前中で、極東のある国の国境地帯である。
傷だらけの満身創痍みたいなジープを走らせる中年の髭のアジア系の男。助手席にはアジア系の六歳くらいの少年が、シートベルトをして座っている。
少年の手にはスマホがあり、スマホには青色のバックの画面で「L」という大文字が点滅している。指示しているのがその「L」であり、中年の髭男は工作員(エージェント)である。
彼らは追われていた。
デコボコ道を激しく揺られながら走った。
彼らを止めようと背後のジープ数台は発砲までしてくる。
誰もいない極東のジャングル地帯であるが、まるでハリウッド映画のワンシーンのようだ。
追手は国籍不明だが、数台の頑強なジープで猛スピードでやってくる。
「Are you OK? J?」
Lはスマホ画面のまま聞いた。
コンピュータのような声だった。
「NO! Could be a that’s game over!」
工作員Jはハンドルを切り、アクセルをふかしながら焦っていう。
「Anyway…right?」
「OK! Set a boy free!」
工作員Jは背後の追手が放ったロケットランチャーの弾をよけた。急ハンドルを切る。
ジープの右横の地面がはげしく爆発した。
ガシャーン!
窓ガラスにおおきくひびがはいる。
その瞬間を見計らって、工作員Jはジープを追手の死角の草むらに突入させ、追手を一時的にまいた。
だが、所詮は“一時的”でしかない。
追手のジープらは向うに走っていった。工作員Jは、車から少年をおろし、スマホの電源を切り、手話で、“この手紙とスマホをもって国境にいる日本人たちのところまでにいくんだ”と指示した。
少年はこくりとうなずく。
見るといつも穏やかな表情を崩さないJの顔色がどす赤く変わっている。Jの背筋に冷たいものが走った。重苦しくなった胸に、早鐘のような鼓動がひとつ打つごとに蓄積していく。
だが、Jは無理に微笑みを少年に見せた。すべてはミッションのためだ。
工作員Jは最後に微笑み少年の頭をなでると、“おとり”となるべく、ひとりでジープを走らせた。すぐに追手が気づき更に国籍不明のヘリが飛んできてヘリのミサイルで工作員Jは車ごと爆殺されてしまった。
少年は草陰に身をひそめ、やがて危機が去ると、工作員Jが最後に指さした方向にむけひとり歩きだした。
この少年は誰なんだろう?どういう少年で、どんな重要な少年なんだろう?
まだ、わずか六歳ほどの少年が、いったい何だというのだろう?
まさに謎であり、ミステリーである。

国境線では例の少年が、警備兵においたてられているところだった。
少年はろうあ者なのか一言もしゃべらず電源の切れたスマホと手紙を見せている。
「“什么?!再回到孩子...国家!”なんだ?!小僧…国に帰れ!」
警備兵が中国語で言った。
そこに日本の警察庁公安三課対テロ対策組織2SEELDZ(ツウ・シールズ)の背広にコート姿の課長・桐野清二という眉目で痩身な男と日本人部下は気づいた。
「ちょっとまってくれ!」
桐野たちは少年を保護した。
確かにインターポール(国際警察局)の「L」、LEE GABAL捜査官のいったとおりだ。
少年に託された手紙は英文だったが、少年が金平(キム・ピョン)という少年で年齢は六歳と判明した。
「ですが、課長。この少年を日本に連行してどうなるというのです?」
部下の疑問ももっともである。
桐野は「それは私にもわからないが、あのLの指示だ。何かあるのかも知れない」
こうして桐野や少年は日本行きの飛行機に搭乗した。
飛行機の客室に核時限爆弾が仕掛けられているとも知らずに。
桐野は腹部に急激な収束感を感じた。続いて胃がキリキリ痛んだ。嘔吐感だ。足首が何故か震えている。彼の本能が危険を予見しているような不思議な感覚だったが、本人には何故震えるのかわからなかった。これが霊感というものなのか……?頭を軽くふった。

ここで日本の警察庁公安三課対テロ対策組織2SEELDZ(ツウ・シールズ)について説明せねばなるまい。文字通り対テロ対策組織である警視庁公安三課にあるのが2SEELDZであるが、なぜ2なのか?当たり前ながら防衛省の対テロ対策武装部隊組織SEELDZのサイバー的な第二の組織だからだ。SEELDZは東日本大震災の際の2011年にテロ組織“魔界の鬼手”のテロ作戦を防いでいる。
2SEELDZのオフィスは警視庁の地下であり、白い壁に一面デカイモニターが何台も設置されている。当然ながらセキュリティも厳しく、オフィスへの出入りも金属探知機とIDカード認証である。「Lの指示通りに少年をあの国から日本へか…」
「この平和ボケ国家日本にね」
白髪頭の黒田官平室長は「日本は決して“平和”なんかじゃない。平和に映るのは誰かが我々のような組織がひとしれず血や汗を流しているからさ。これは例のグリーンイーグルに頼む事になるかなあ」
「グリーンイーグル?何じゃそりゃ?」
防衛省からの出向の松重崇一等陸尉は顔をクエスチョンマークにした。
「伝説の天才ウィザード級のハッカーですよ」
「ウィザード??ハッカー????」
松重は中年男で、キカイは苦手である。同僚は「ウィザードとは“魔法使い”で、ハッカーとはコンピュータのハッキングをするものです」
「何だ、パソコンヲタクか。」
赤いフレームの眼鏡をかけたSEの女性・宝田は大きなパソコン画面数台から目をそらして、
「それがただのパソコンヲタクじゃないんですよ。我々が4年前本当に驚きました。この2SEELDZや難攻不落の米国国防総省(ペンタゴン)や米国情報局(CIA)や英国情報局MI6やイスラエルのモサドにハッキングした日本人が逮捕・補導されて……それが何と当時中学生の少女で、緑鷲健太本部長の長女で。彼女のネット上の通称がネット上で畏怖されたGREEN EAGLEでして」
「え???じゃあ、グリーンイーグルってのは?」
「そうです。緑鷲本部長の娘さんです。緑鷲直。報道規制が当時かかりましたし」
「なんだって?宝田。そんなガキがそんなにすごいのか?」
「まあ、松重さんはまだここ(2SEELDZ)に出向に来る前でしたから信じられないでしょうが。パソコンの世界では彼女の右に出る者などいません。わたしたち経験豊富なSE(システム・エンジニア)のさらに上。まさに魔法使い級です!」
「ふん!おいおい、ガキの出る幕かよ。お遊戯会じゃねえんだ。ガキになにができる??」
「それは見ればわかります。パソコンやネットワークの進化はドックイヤーですから」
「ガキがね。ガキの遊びじゃねえんだぞ?」
「わかってますよ。」
「なあにがグリーンイーグルだ???ガキの遊びじゃねえんだ」
武闘派でPCオンチの松重には理解出来る訳がない。
その頃、2SEELDZ内部では、宝田が密かに本部長の緑鷲健太に連絡した。
「……どうした?」
「内部の極秘ファイルが不正にコピーされた形跡があるんですが…」
「…外部からか?それとも内部か?」
「どうも、ログ(通信記録)からすると内部ですね。2SEELDZ内部にスパイがいるのかも知れません」
「そうか。ならまだ誰にも言うな。内部スパイに知られてはまずい」
「…了解しました。」
「わたしが直接調べてみよう」本部長室のブラインドゥを少しあけて本部長は頷いた。
緑鷲本部長の吐息に震えが混じった。黄土色にかわった自分の顔が、目に見える気がした。本部長は微かな望みを捨てきれずに、頭をふった。
本部長はもどかしさを隠しきれずに、唇を軽くかんだ。誰にもわかってもらえない。眠れない夜。つぶった眼の網膜の血管の朱色が見えるかのようだ。耳元になにかの足音が近づいて聞こえるようだ。全身は金属のようにこわばったままだ。思考さえ停止しかける。

その頃、その伝説の天才ウィザード級ハッカー『GREEN EAGLE』はというと、東京都私立龍臥門高校でいじめを受けていた。
『GREEN EAGLE』つまり、緑鷲直、である。
制服はごく普通の私立高校生らしい服である。誰も、直のことを知らない。
本当は“伝説の天才ウィザード級ハッカー『GREEN EAGLE』”である、等知る訳もない。
ただ、ただ、いじめられていた。
昔のいじめは「黴菌扱い」「罵倒」「嘲笑」「投石」等だけだったが、現在はスマホがあるからと「いじめの暴行シーンの動画アップ」や「何十万円の恐喝」等もあるという。
いじめを苦に自殺する子供も増えた。
だが、あえて言うが「自殺」=「負け」なんだよ。
イジメを苦に自殺したら、いじめっこらが陰でにやりとして「あいつ死んだー!やったー!」と万歳三唱するだけなんだよ。
怨念も呪いも幽霊も亡霊もない。
死んだら悦ばれておわり。だから、負け、だという。
自殺する勇気があるなら学校なんか休んだっていいからいじめっこなんかより社会的に成功していじめっこらを歯ぎしりするほど悔しがらせてやれ!それが成功だ。
 物語に戻ろう。
緑鷲直をいじめているのはそんなに大勢ではない。
クラスごと、だったり、学校全体、では、ない。
いじめっこのリーダー的な存在が同じクラスの新目真希という女子生徒で、部下みたいなのが熊田弥生や住森美子らである。いじめの原因は直が気に食わないから。
まあ、いじめなど原因などあってないようなもの。
スケープゴート(生贄の羊)として“ストレス発散“の為に訳も分からず理由もわからず罵倒したり投石したり嘲笑するだけだ。仙台幸町中学生(89年当時)がまさにそうだった。
新目らはトイレの個室に入った緑鷲直の上からバケツの冷や水をあびせかけた。
「へーい!ざまあ」
新目真希らは嘲笑した。びしょぬれの直が出てくると、「ばーか!ばーか!」と罵倒した。
なおもいじめは続く。
もう放課後だった為、新目らは直をつれて河原の柵ではがいじめにした。
新目はカッターナイフをだして刃をかりかりだして、「緑鷲!“ばーか”って頬にカッターで刻んでやろうか?ざあま」
緑鷲直はやっと「…何でこんなことするの!」と睨んだ。
怒りに声は震え、直は支離滅裂な言葉を叫びそうになった。逃げなければ、と焦れば焦るほど足の力は抜けもつれるばかりだ。その瞬間、直は心臓に杭を打たれたような感覚に、立ちすくんだ。山積する問題は解決できそうもない。恐怖に押しつぶされて声も出ない。
まさに、恐怖、トラウマ、であった。
「なんだ?!てめえ!」いじめっこは直の髪をぎゅっと掴んだ。
「生意気だからだよ!こらあ!」
直をぼこぼこにする。
緑鷲直はその時、復讐を誓った。
 自宅に帰ると、自室のパソコンでかたかたと操作を始めた。
まずは新目真希らのスマホに標的型トロイウイルスを送信するのである。
まあ、わかりやすく言うと「いかにも開きたい」と思わせる転付ファイルを送り、開いた途端、コンピュータウイルスに感染させて、個人情報やアカウントを盗み取るのだ。
緑鷲直はUSBをパソコンに接続した。いわゆるUSBブートといって、USBにハッキングソフトやハッキングOSが入っているUSBを起動させるのだ。
USBブートを起動させると『GREEN EAGLE』のアイコンというか双頭の緑色の鷲にGREENEAGLEと描かれたフラッシュが写る。
すぐにコマンド打ち込みの窓が出来る。
後はコマンドプロンプトでハッキングプログラムを組むのだ。
root@kali:/# find / -type f –perm –u+s- ¥;maki aratame
-twxr-sr-x 1 root utmp 432580 1月 16 2017 /usr/bin/screen
-twxr-sr-x 1 root mail 1876775 3月 24 2018 /usr/bin/lookfile
-twxr-sr-x 1 root tty 18678/fail/ntt/whois…

新目らは水商売のような店にいた。そんな新目真希のスマホに着信がある。
「おめでとうございます!あなたに豪華な賞品が当たりました!」
典型的な標的型トロイウイルスである。
新目は半信半疑ながらもメールの添付ファイルを開けた。
とたんに緑色の双頭の鷲とGREENEAGLE”捕獲完了”のグラフィクがスマホ画面に表示され、ショパンの葬送行進曲(インベーダーゲームのGAMEOVERのチャイムメロディ)が流れた。画面に「GAME OVER」の大文字。
「な???なんだよ、これ!」スマホを画面をみて新目は舌打ちした。
わかっていない。これで、添付ファイルを開いた時点で新目のパスワードやIDやアカウントや機密情報はウイルスに感染して何台もの“踏み台”のサーバーを経由して緑鷲直のパソコンに送信されることにしたのだ。
ログ(通信記録)さえ残さずに。(新目のログは残るが)
「マミ(真希の源氏名)ちゃん、四番テーブルよろしく」
「はーい!」
スマホをポケットにしまった新目は何もわからない。
だが、直はにやりとなった。
新目真希らのスマホには少女売春の証拠のメールや画像データがあった。
直はそれを圧縮ファイルにして匿名で、何台ものサーバーを経由させて、警察署に送信した。これで、売春容疑で、真希らも店側もおわりである。
すぐに警察がやってくる。
その風俗店は警察車両や警察官で包囲され“がざいれ”が行われた。野次馬の中にバックにノートパソコンを入れて見物していた緑鷲直の姿もあった。もう夜時である。
「離せ、このポリ公!」
チンピラたちが連行されていく。
新目真希や熊田らの“直のいじめっこ”らも、婦人警察官に連行される。
野次馬にまぎれた緑鷲直は通り過ぎる新目の耳元で、葬送行進曲を口ずさみ「グリーンイーグル捕獲完了」とぼそっと、囁いた。にやりとなる。
顔だけ振り返り、歩きながら睨んでいた新目は、
……グリーンイーグル……???捕獲?
………グリーン…緑色の……イーグル…鷲…
………グリーン…緑鷲…直!?????…
すべてを知った新目真希は「いやああーっ!」と戦慄の悲鳴をあげた。
恐怖で顔面蒼白で、びびりそう、しょんべんをちびりそうだった。
新目真希は強烈なフラッシュの光を眉間に喰らった気がした。ドミノ倒しの駒が倒れるように、冷たい血が全身の血管を流れ、震えに全身がやられていく。鼓動の早鐘のような動悸が耳にきこえる気がした。そんな筈はない!そんなはずは……震えた指は宙を泳いだ。
すべての容疑者が連行されて、野次馬が消えかけると緑鷲直も去ろうとした。
だが、私服警察官に拘束された。
「なんだよ!離せよ!」
「そうはいかないよ。緑鷲直」
「なんで名前を!」
「いいからこい!」
直は新目真希らとは違う場所に覆面パトカーで連行された。
直は女性なので女性警官というか陸自からの配属の加納小百合軍曹が拘束していた。
そこは警視庁公安三課対テロ組織2SEELDZ本部だった。
「なんなのよ?あんたがた!」
「緑鷲直。いや、グリーンイーグルといったほうがいいかな?」
やがて、2SEELDZの尋問室の椅子に座らされた。
「我々の命令であるところのハッキングをしてほしい!大至急だ!」
「…そんなの自分たちでしたらいいでしょう?!」
黒田官平室長は「君ね。わかってないようだね?君、さっきハッキングしたよね?同級生のスマホを!」
「だから何だっていうの!復讐よ!」
「君ね。」
「何よ!」
「ハッキングは立派な犯罪。不正アクセス禁止法違反なんだよ」
「証拠でもあるの?わたしは証拠がなければ逮捕・補導されない筈よ!」
「もし我々の依頼を断ったら犯罪者として逮捕するだけさ。君がどんな優秀なハッカーでも痕跡くらいは我々のSE(システム・エンジニア)でもなんとか掴めるさ」
「きたねえ!」
「汚いさ。それが大人だ」
松重はまだ「室長!こんなガキになにが出来るっていうんですか?!ガキの遊びじゃねえんだ。ガキの出番はおわりだ。こんな糞ガキなんになるっていうんです???」等と言う。
「逃げるのかい?伝説の天才ハッカーグリーンイーグルが??」
「………」
「それとも緑鷲直といったほうがいいかな?」
直は無言になった。
緑鷲直は2SEELDZの建物の屋上で父親と話した。
「犯罪を犯さなければ逮捕するなんて初めて言われたわ」
「直。すまない。お前を巻き込むつもりはなかった」
「お父さんはいつもそう。勝手で仕事のことばかり…」
「父さん達は日本をテロから救っているんだ」
「それを手伝え、ってこと?」
「すまない。お前のハッカーとしての腕が必要なんだ」
「でも、わたしが中学生の時逮捕補導された時、父さんはわたしを殴ったわ」
「…混乱していたんだ。でも、嫌なら無理強いはしない。ただな、この東京に今日の夜にも核テロが起きるっていう確証をわれわれ2SEELDZは察知した」
「そういえば私もそういう情報はハックしたわ。それと怪しい団体か個人かわからないけどジャパンエアフライトに何回か不正アクセスのログも見た」
「ジャパンエアフライト?航空会社か?」
「ええ。今夜東京羽田に到着の極東からの便にアクセスが集中していたわ」
「……まさか…?核爆弾テロとは…ミサイルではなく…飛行機に核爆弾なのか!」
「そこまでは…知らないわ」
「直、これは危険だぞ!」
「東京が今夜核爆弾で壊滅する!」
 緑鷲直は驚いて息を呑んだ。
その後、お偉いさんに直はいわれた。
「君のハッカーとしての才能が必要なんだ!いいかい?今夜東京上空で核ミサイルが爆破したら君も君の親戚も君の友達もすべていなくなってしまうんだよ」
松重には胸ぐらをつかまれ、「このガキ!いいか?!!才能を神から与えられた輩はその神業をつかって歴史を動かす役割があるんだ!逃げるな!お前が東京を救わないで誰が東京を救うんだ?!!」
「…………くそっ!わかりましたよ!やりゃあいいんでしょう!」
大きな2SEELDZの室内には大きなデスプレィのデスクトップパソコンが並ぶ。
地下にあるので窓はない。
松重は「ガキになにができる??」と挑発にする。
直は「状況説明お願いします」といい「このパソコン借りますよ」と大きなディスプレイのパソコンの席に座り、キーボードのプラグにUSBブートを差し込んだ。
今度はベートーベンの第九のメロディとともに緑色の双頭の鷲にGREENEAGLEのGUI(グラフィック・ユーザー・インターフェイス)が出現して、コマンドプロンプト入力の窓が出現した。セットアップ完了で、ある。
直自作のハッキングソフトウェアが自動起動する。
「何をすればいいんですか?」
陰の二階のブラインド越しに父親の緑鷲健太本部長(48)が深刻な顔で、背広姿の部下や娘をみていた。………直。すまない。
「インターポールの指示である少年を保護し、中国吉林省経由の羽田着の航空機にうちの2SEELDZの課長の桐野と部下が搭乗している。現在、日本国内を飛んでいるがその搭乗機客室内に核時限爆弾が発見された。桐野や部下たちが核時限爆弾をストップしようと動いているが停止できない。このままでは核爆弾が東京上空で爆発して数千万人が死んでしまう」
「日本を離れりゃいいじゃない?」
「時間がもたない!東京を避けたとしても太平洋上空で爆発してしまう!」
「飛行機ってインターネットと接続しているのは客室Wi-Fiだけの筈!時限爆弾へのアクセスは??」
「今やっている。そうだよな?桐野?」
スマホから「はい!現在、手持ちのノートパソコンからケーブルで有線LANで爆発装置につないでいます」と桐野たち。乗客はパニックのようになっている。
無理もない。
「核時限装置は暗号化されていてこっちからはちんぷんかんぷんです。」
「…そんな数分で核時限爆弾を止めろって…」
直はためらった。
室長は強く言った。
「いいかい!この核時限爆弾を止めなければ君だけじゃない。君の家族も友達も誰もかもこの日本からいなくなってしまうんだよ。わかるね?」
「…そんなこといったって…」
「だから、こんなガキになにもできねえって」
「グリーンイーグル!」
緑鷲直は動揺してから、覚悟を決めた。
「………わかりました。こっちにネットをつないでください!なんとか暗号を解読して爆弾装置をストップして見せます!」
「本当か?」
「…嘘言って今誰の得になります??」
直は暗号解読に挑んだ。
何にしても漫画やドラマのように数分で解読できる訳がない。
しかも、相手は『核時限爆弾』である。
#endif
Int rt_throttled;
U64 rt_time
U64 rt_runtime;
/* Nests inside the rq lock: */…
「くそっ!暗号が数百もある!」
直はキーボードをばん!と叩いた。
「…無理なのか???」
直はまたも速攻でキー入力を始め、「いいえ。要は金庫師と同じです。どんな頑強な金庫でも金庫の専門家なら開けられる!そのパソコン版です!」
「できるか?」
「…出来ないこともありません。時限爆弾を止めるだけなら!ですが、調べてわかったんだけど時限爆弾はある人工衛星のGPSが装置を止めてもGPSが極東にある限り…核爆弾は爆発します。自衛隊のスクランブルはかかっているんですよね??」
「ああ。現在内閣総理大臣の勅命で、航空自衛隊の戦闘機二機がスクランブルをかけて飛行機に伴走している!最悪、撃墜して太平洋海内で爆発させる!それでも数千万人が犠牲になる!」
「じゃあ、人工衛星の管制所のNASAやペンタゴン(米国国防省)にハッキングして爆発解除のパスワードを入手するしかないわね!」
「でも、ペンタゴンやNASAのセキュリティの高さは世界一よ。どうするの?」
「確かにペンタゴンやNASAのセキュリティは堅牢でも管理者まで堅牢かはわからないわ!管理者のパソコンかスマホにアクセスして必ずハックしてみせる!」
緑鷲直は、やるしかない、とパソコンのキーボードを高速でかたかた叩き、ハッキングしていく。
その頃、日本国の内閣でも国家安全局会議が開かれていた。


****続く(刊行本または電子書籍に続く)続く********

【三浦瑠麗(るり)国際政治学者】胡散臭い・自称インテリ・勉強不足・自称才色兼備

2017年12月09日 19時09分53秒 | 日記
































三浦瑠麗





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三浦 瑠麗
(みうら るり)


人物情報


全名
三浦 瑠麗
(みうら るり)

生誕
1980年10月3日(37歳)
日本の旗 日本 神奈川県茅ヶ崎市

学問


時代
21世紀

活動地域
日本の旗 日本

研究分野
国際政治学
比較政治学

学位
博士(法学)

特筆すべき概念
リベラル
現実主義

主要な作品
『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』

影響を
受けた人物
藤原帰一
船橋洋一

主な受賞歴
自由民主党主催国際政治・外交論文コンテスト初代総裁賞
国連大学佐藤栄作記念財団主催佐藤栄作賞優秀賞
防衛庁・自衛隊主催安全保障論文コンテスト優秀賞
三菱UFJリサーチ&コンサルティング主催論文コンテスト優秀賞
東洋経済新報社主催高橋亀吉記念賞佳作
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程特別優秀賞[1]
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三浦 瑠麗(みうら るり[2]、英語:Lully Miura [3][4]、1980年(昭和55年)[5]10月3日[6] - )は、日本の国際政治学(国際関係論)研究者[7]。東京大学政策ビジョン研究センター講師[8][9]。株式会社山猫総合研究所代表[4]。父親は防衛大学校人文社会科学群人間文化学科教授の濱村良久[10][11][12]。



目次 [非表示]
1 略歴
2 人物
3 評価
4 政治的思想 4.1 アメリカ大統領選挙
4.2 徴兵制
4.3 核武装
4.4 集団的自衛権
4.5 歴史観
4.6 安倍政権に対する姿勢

5 著書
6 論文
7 連載
8 出演 8.1 テレビ
8.2 ラジオ
8.3 配信

9 脚注
10 外部リンク


略歴[編集]

神奈川県茅ヶ崎市出身[5]。1999年(平成11年)3月に神奈川県立湘南高等学校を卒業し、同年4月に東京大学理科一類に入学[4]。2001年(平成13年)4月に同大学農学部生物環境科学課程地域環境工学専修に進む[4]。2003年(平成15年)、同大の先輩の男性と結婚した[13]。一児の母[14]。2004年(平成16年)1月、論文「『日本の国際貢献のあり方』を考える」により、自由民主党が主催した第1回「国際政治・外交論文コンテスト」の総裁賞を受賞[13][15]。同年3月に同大学を卒業[4]。同年4月、東京大学大学院公共政策学教育部(公共政策大学院)専門修士課程に入学し、国際政治学者の藤原帰一の下で学ぶ[16]。2006年(平成18年)3月、同課程を修了し、公共政策修士(専門職)を取得[4]。2010年(平成22年)10月、東京大学大学院法学政治学研究科総合法政専攻博士課程を修了し、博士(法学)を取得[4]。博士論文である「シビリアンの戦争 : 文民主導の軍事介入に関する一考察」[17]を元にして[要出典]、2012年(平成24年)に『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)を公刊した。

2007年(平成19年)4月、日本学術振興会特別研究員(DC2、2009年(平成21年)3月まで)[4]。2010年(平成22年)、論文「長期的視野に立った成長戦略―ワーキングマザー倍増計画」により、東洋経済新報社が主催した第26回高橋亀吉記念賞の佳作を受賞[18][19]。2011年(平成23年)1月、東京大学政策ビジョン研究センター安全保障研究ユニット特任研究員(2013年(平成25年)3月まで)[4]。2013年(平成25年)4月、日本学術振興会特別研究員(PD)、青山学院大学兼任講師(法学部専門科目/青山スタンダード科目)[4]。2014年(平成26年)から自らの政治的見解を綴るブログ「山猫日記」を開始。

2015年(平成27年)に「山猫日記」の内容を再編集した「日本に絶望している人のための政治入門」を文春新書から出版し、元日に「ニッポンのジレンマ」でメディアに初登場して以降「朝まで生テレビ!」に出演し、以降、ほぼ毎回出演。8月、共同通信の第三者機関「報道と読者」委員会の第8期委員に就任[20]。この年から『iRONNA』、『文藝春秋』および『正論』に度々コラムを寄稿[21][22][23]。

2016年(平成28年)3月、東京大学政策ビジョン研究センター講師に就任[24]。この年から『月刊潮』『月刊Voice』『月刊清流』『週刊新潮』で連載。12月、「BLOGOS AWARD 2016」銅賞受賞[25]。2017年(平成29年)2月、自由民主党副総裁の高村正彦と共著を出版。12月、第18回正論新風賞を受賞。

人物[編集]

夫は東京大学の先輩だが[13]、「外務省職員であることは誤りである[26]」と語る。娘が1人いる[27]。

幼少期は児童文学から若草物語などの少女もの、円地文子や幸田文ら女流作家、源氏物語や蜻蛉日記など日本の古典文学を読み漁る。しかし、学生時代は集団行動に馴染めず、高校進学後も授業に出ずに鎌倉や江の島へ行くことが多かったという[28]。

東京大学理科I類ではクラス50人中女子は2人しかいなかったため、男子学生とは話も合わず試験プリントが回ってこないこともあり、自然とキャンパスから足が遠のいていったという。その後、地球環境問題を学ぶために農学部地域環境工学専修を専攻。しかし、想像していた勉強と違っていたため進路を考えるために留年。他学部の授業を受けているうちに船橋洋一ゼミで政治学に関心を持ち、文系に転身して公共政策学教育部専門職学位課程に1期生として入学。その頃に始まったイラク戦争で、アメリカの軍人たちが反対していたことに興味を持ち、博士論文でシビリアンコントロールの研究を始める[29][30]。

2015年から『ニッポンのジレンマ』『朝まで生テレビ!』の出演をきっかけに討論番組への出演が急増。議論について三浦は「日本に存在する『ハイ論破!』という文化は有害」「はい論破!という雰囲気が左右両方にあるのはわるいこと。論破なんかできるわけがない。自分の議論を示しつつ相手の議論の不備や死角を指摘できるだけ。昔は保守はそれがわかってて閉じこもりリベラルの方が教化を目指してたけど、最近両方憎しみで目が曇ってる感あり」「官僚が使う言葉を借りれば『議論するときは同期』という姿勢こそが正しい」と述べている[31]。また、自身の学者としての姿勢については「自分の仮説が間違っていたらそれが如何に不都合でも直している。それをやらないと学問も人のためじゃなくて自分のためになってしまう」「自分と似ている人だけではなく、自分と似ていない人も愛せる人でないとリベラルの資格は無い」としている[32]。

三浦はヒラリー・クリントン国務長官の秘書であった米国ジャーマン・マーシャル財団(英語版)研究員のジョシュア・W・ウォーカー(Joshua W. Walker)等の知日派とも人的交流があり、共同で東日本大震災に関する論文を発表している[33][34][35][36]。

レギュラー番組の中で「日常生活では「S」だと思われがちだがプライベートでは「Mっ気」がある」と語っている[37]。

評価[編集]

『産経新聞』は三浦を、明快な論旨の鋭さと、美人と評判の容姿と、ちょっと上から目線の物言いが注目を集めていると評している[38]。

神道学者の高森明勅は、自身と同じく女系天皇容認の立場をとっている三浦が、小学生の頃から和歌に打ち込み歌会始で発表される天皇陛下の御製や皇后陛下の御歌を読んで来たことを引き合いに出し「その辺の底の浅い『保守』論客とは、ベースが違う」と評した [39]。

漫画家の小林よしのりは、『SAPIO』の企画で三浦と対談した後に自身のブログで「三浦瑠麗は『リベラル』と言っても、サヨクではない」と評していたが、三浦が『正論』にて小林とイラク戦争や平和安全法制の認識で対立している軍事評論家の潮匡人と対談したことを受けて「オカマ猿人と三浦瑠麗が対談してたりして、三浦もだんだん老人保守に取り込まれて色がついてきたな」と一転して態度を硬化させた[40][41]。一方で、三浦は自身のTwitterで「あたくしだって玉石混淆な論考見たらうんざりしますよ」と小林の批判を一蹴した[42]。しかし、その後2人は天皇陛下の譲位問題や皇位継承問題で意気投合。小林は「三浦瑠麗氏はグローバリズムに関する見解が違うが、敵意を持つような相手ではない」「皇位の問題ではリベラルであるにも関わらず、しっかり尊皇的な見解を述べてくれる、ありがたい存在である」と評した[43]。また、「『朝ナマ』に三浦氏が出てなかったら、番組的にも華がないし、わし個人が出演するときも、辛いだろうなと思います。ただし、同じ側の席に並ぶのは抵抗があるので、対抗側の席に配置してほしい」と述べている[44]。一方で、安倍政権が成立させた共謀罪について不備を指摘しながらも真っ向から否定しなかった三浦に対して、小林は「三浦瑠麗は『自由』を脅かす権力の側に付いているのだ。あれはリベラルではない。劣化保守の擁護者だから騙されてはいけない」と再び批判した[45]。

弁護士の倉持麟太郎は三浦の議論を「論争誘発的・挑発的・刺激的」であるとし「現代であそこまでタイマンはりまっせ型の論客は珍しいのではないか」と評した[46]。

下重暁子や上野千鶴子らの「家族否定論」を批判している金美齢は、三浦の「家族は自分にとって人生の錨」という言葉に「素直に感動した」と述べている[47]。

フェミニストの北原みのりは、三浦の話し方を真似すると"オジサン社会"での受けが良いとし、「会社で疎まれる傾向のある女性の皆さん、試してみてください」などと皮肉った[48]。

三浦は「自民党の最も本質的な対抗勢力として、この国の政治に持続可能な二大政党制を定着させられるかもしれない」として橋下維新を支持しており、党として「反利権」「地方重視」「自由」を目指すべきであるとしている。一方で、橋下徹とは討論番組やTwitterで慰安婦問題について度々口論となることがあり、橋下から「自称インテリ」「勉強不足」などと批判をされることがある。しかし、三浦はこれまでの慰安婦問題の議論が「強制性」の解釈や軍の「組織的関与」の有無に偏っていたことや、問題の本質は慰安婦制度を含む戦場における性暴力であるという点は橋下に同調するも、「南洋における慰安婦の悲惨さに対する事実認識が違うこと」「橋下の慰安婦問題の提起の仕方に問題があり、悪意のある切り取りがあったとはいえ国民(特に女性層)からの失望を招いたこと」を指摘している[49]。

自身にアンチが多い理由としては、陰謀論で有名な人物が匿名でやっているブログで三浦はアメリカのスパイであるというデマ記事が書かれたからだとしている[50]。

政治的思想[編集]

アメリカ大統領選挙[編集]

2016年アメリカ合衆国大統領選挙では多くのメディアや有識者がドナルド・トランプを泡沫候補として扱いヒラリー・クリントンを支持していた中で、三浦はかねてよりトランプの大統領の可能性について検証しており、(日本時間)投票5日前の11月4日収録の『橋下×羽鳥の番組』でも「トランプの可能性は全然捨てきれない。開けてびっくりの可能性はある。隠れトランプは相当居て、貧民がトランプを支持していると新聞でも言ってたけどそんなことはない」「8年前にヒラリーが出てたら私も完全に推してたけど、(現在の)ヒラリーはほとんど現状を変える気が無いんですよ」と述べている[51]。また、ヘイトを煽るトランプ旋風が危険ではないとは言えないとしつつも「トランプ現象とは、その本質において、保守的なレトリックで中道の経済政策を語ることなのです。それによって、伝統的な共和党支持層を取り込みつつ、新しい有権者の獲得に成功したわけです。辻褄が合わないところも、一貫性がないところもあるけれど、保守的なのはレトリックであって政策ではありません。エリートのほとんどは、この点をいまだに理解していません」「もしも私がアメリカ人だったら、暴言は問題だったけど、(法人税を下げる)経済政策の理由からトランプに投票したと思います。大企業もお金持ちもバッシングするヒラリーはダメですよ。税金を納めているのは彼らなんですから」と述べている[52][53]。

徴兵制[編集]

日本で「平和のための徴兵制」を導入することを提案している。第二次世界大戦後、アメリカ、イギリス、フランスなどの豊かな民主国家が起こしてきた主要な戦争の殆どが、「血を流す兵士と異なりコストを意識しにくい政権と国民が民主的に選んだ戦争」であり、それに対する処方箋は、「血のコスト」を平等に負担することで国民のコスト認識を変えさせることである、としている。先進国の政権が民意に支持されて、自分たちより力の劣る国に対し軍事介入を決断する場合、核抑止や国際法だけでは防げないことを歴史は示している。核抑止は核保有国間の戦争を封じることにしか繋がっておらず、主権国家が欲すれば、国際法は自国に有利なように運用解釈することで事実上回避できてしまう。こうした第二次世界大戦後に頻発している小中規模の戦争の抑止が現在取り組まなければいけない平和への課題であり、そのような戦争を防ぐためには軍が暴走しないようにシビリアンコントロールすることよりも、実は血のコストを忘れ、時に好戦的になるシビリアン自体をコントロールすることの方が重要である、としている。実際に民主化以降も徴兵制を導入しているイスラエルや韓国では、突発的に戦争が起きれば自らの命や家族の命が危険に晒されることから、国民が常に戦争に対してリアルや責任を感じており、戦争や敵国に対して非常に抑制的であるとしている。自ら戦争に行くことのない国民が志願兵の派遣を判断していては戦争のコストは国民には実感されず、結果としてイラク戦争のような現場で血を流している軍事関係者の反対を押し切った安易な戦争が繰り返されてしまうと主張している。一方で戦争をするための徴兵制には否定的であり、平和安全法制の議論で民主党から徴兵制の可能性を示唆するパンフレットが作られたことに対して「悲しかった」と述べている[54]。

核武装[編集]

日本の核武装については、潜在的な可能性を放棄することはできないとしても、現段階で核開発に向けて舵を切ることは正当化できず、逆に日本にとって多くのものを危険に晒すことになるのではないかと主張している。第二次世界大戦後の70年間、小国の紛争や大国の軍事介入があったとはいえ、大国間での世界大戦が行われなかったのは核兵器による抑止力があったおかげであり、核保有国に核の使用を踏み留まらせたのは広島と長崎の犠牲があったからだとした。もちろん人間は一度手にした武器は捨てることはできないので核兵器そのものを無くすことは難しいが、逆説的に言えば核兵器の非人道性を強調し続けることによって核抑止の信憑性が高まり、結果的に核を保有する国が存在しながらも核が使われずに済むことになる。また、世界に核保有国が増えてしまえば1国のみの安全保障は高まるとしても国際社会全体の安全保障は下がってしまうため、技術的に核を持てる非核保有国に核武装させないためには、核保有国が責任を持って振舞い、核の傘に入れることで非核保有国が自国の安全保障を不安視する必要がないということを示さなければならない。このように人類と核兵器が共存しながら平和を維持するためには、核保有国が基本的に核の傘に入っている非核保有国に対して核兵器を使わないという約束をし、また核戦争を引き起こさないよう責任ある行動をとって初めて国際社会全体に核抑止が成り立つ。そのような中で日本に課せられた役目としては、アメリカの核の傘に入っているという偽善的な立場にいながらも、世界唯一の被爆国というブランドを使って核不拡散外交をすることであり、必要な偽善であると主張している。仮に日本が核武装すれば唯一の被爆国として築き上げてきたブランドは大きく毀損してしまう。中国は妨害工作を展開することが予想されるし、原子力政策を持続させるために各国と新たな取決めが必要になるし、エネルギー政策にも経済政策にも波及してしまう。さらに、これまで核武装できる技術を持ちながらも核開発してこなかった東アジア地域の非核保有国の間で次々と核ドミノが起きてしまい、短期的に東アジア地域の安定は損なわれる可能性があるなど、日本の核武装によるデメリットは大きい。日本が核を持つことになるのは、中国の軍拡と好戦的政策、あるいは北朝鮮の冒険主義に対して、アメリカが自ら核攻撃を受けるリスクを負っても日本に対する防衛義務を果たしてくれることが怪しくなった場合であり、すなわち日米同盟の信頼が低下すれば日本は核保有国の中国に通常兵器だけで対抗不可能なため核を持たざるを得なくなってしまう、としている[23]。さらに「北朝鮮の核施設やミサイル基地を狙った攻撃能力や、情報機関の格上げ、さらに日本と韓国が独自の核抑止力を持つことすら必要になるかもしれない。日本でも韓国でも、核攻撃能力の開発は長年タブーとされてきたが、それを容認する声は着実に増している」、「核攻撃能力は、日本と韓国が独自に抑止力を持つために必要だろう。さらに重要なことに、それによってアメリカから有意義な行動を引き出せる可能性もある」と日本独自の核武装を主張している[55]。

集団的自衛権[編集]

安倍政権による集団的自衛権の行使容認については、冷戦中の非同盟諸国的な立場ならいざ知らず、現代の東アジアにおいて日本にアメリカとの同盟以外の選択肢があるようには思えず、さらに現代の民主主義国間の軍事同盟が当たり前に相互防衛を想定している以上、日米安全保障条約に明記されてないとはいえ、日本が集団的自衛権の行使できることは当然可能と考えるべき、としている。その上で、どのような場合に実際に武力を行使すべきかについては、今の国際社会のコンセンサスよりも相当保守的であるべき、としている。もちろん、この主張が戦後日米間の「防衛と基地との交換」という伝統にも反しているとはいえ、軍事的に中国が台頭し、極東地域におけるアメリカとの軍事バランスが崩れることが現実味を帯びてきた以上、日米の軍事力をある程度補完する必要性があると主張している。また、三浦は日本社会の安全保障に対する姿勢を批判している。世界の殺戮の連鎖を止めて平和を維持するためには軍隊や武器というものが必要であること、その軍隊を担うのは兵士という生身の人間であり、それには犠牲が伴うということに国民はずっと目を背けており、伝統的に憲法学者の違憲論に依存してしまう甘えの構造が問題であると指摘している。憲法違反の自衛隊を保持するという解釈変更は認めておきながら、集団的自衛権を行使する解釈変更に対してだけ「どうどうと憲法を改正すべき」という主張する人々の本音には、立憲主義を方便とした現状維持の精神が見え見えであり、日本の民主主義に対する軽視が潜んでいると指摘している。民主主義の仕組みの中で少数者の利益が害されないように最大限工夫してから立憲主義は持ち出されるべきものであって、国家観や安全保障観をめぐるイデオロギー的な争いの錦の御旗として使われるべきものではないと主張している。さらに、田原総一朗や山本太郎が指摘している「安倍政権はアメリカの知日派であるリチャード・アーミテージ元国務副長官とジョセフ・ナイ元国務次官補を中心とした外交・安全保障研究グループが『日本への提言』として作成した『アーミテージ・ナイレポート』に書かれてあることをそのまま実行しており、平和安全法制は正にアメリカ政府の言いなりになって作られた法律なのではないか」という疑念に対しては、アーミテージ・ナイレポート自体が必ずしもアメリカ政府の意向に沿ったものではなく、同レポートはあくまでアメリカの軍産複合体の意思であって、アメリカ政府はそこまで日本に要求していないという見解を示した。これを受けて田原は「安倍政権は『アメリカの意向だ』と言いながらも、アーミテージ・ナイレポートをうまく利用して、やりたいことを進めているという見方もできる」と安倍政権や安保法制に対する自身の分析を修正している[56][57]。

歴史観[編集]

「大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)~四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています」としている[58]。

安倍政権に対する姿勢[編集]

2017年5月22日、坂元一哉大阪大学大学院教授、細谷雄一慶應義塾大学教授とともに、首相公邸で安倍晋三首相と会食[59]。師匠の藤原帰一東京大学大学院教授も同年6月26日に首相公邸で安倍首相と会食している[60]。

著書[編集]
単著『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』(2012年10月、岩波書店)ISBN 978-4-00-025864-7
『日本に絶望している人のための政治入門』(2015年2月、文春新書)ISBN 978-4-16-661010-5
『「トランプ時代」の新世界秩序』(2017年1月、潮新書)ISBN 978-4-267-02076-6
共著石津朋之・永末聡・塚本勝也編著『戦略原論―軍事と平和のグランド・ストラテジー』(2010年5月、日本経済新聞出版社)ISBN 978-4-532-13385-6 - 第7章「政軍関係」を執筆
鵜飼哲・椹木野衣・若松英輔ほか編著『戦争思想 2015』(2015年6月、河出書房新社)ISBN 978-4-309-24714-4 - 「戦争と平和と日本人」を執筆
高村正彦『国家の矛盾』(2017年2月、新潮新書)ISBN 978-4-10-610703-0

論文[編集]
「政軍関係理論をめぐる一考察」(『年報戦略研究』3号、2005年12月)
「滅びゆく運命(さだめ)?―政軍関係理論史」(『レヴァイアサン』46号、2010年4月)
「学界展望 国際政治」(『国家学会雑誌』127巻1・2号、2014年2月)

[61]

連載[編集]
世界への扉(週刊潮)
ニッポン新潮流〈政治外交〉(月刊Voice)
命を育む いのちを見つめる(月刊清流)
週刊「山猫」ツメ研ぎ通信(週刊新潮)
優しさで読み解く国際政治(Domani)

出演[編集]

テレビ[編集]
新世代が解く!ニッポンのジレンマ(2015年 - 、NHK総合) ニッポンの大転換2015(2015年1月1日) - テレビ番組初出演
男女共同参画社会のジレンマ大研究(2015年6月28日)
僕らのアジア大研究(2015年11月29日)
”競争”と”共生”のジレンマ(2016年1月1日)
アメリカのジレンマ大研究(2017年3月26日)

朝まで生テレビ!(2015年 - 、テレビ朝日) 激論!「イスラム国」と日本外交(2015年1月30日)
激論!憲法9条と日本の平和(2015年4月24日)
激論!“沖縄基地問題”と日本(2015年5月29日)
激論!広島で問う!日本の戦争と平和(2015年7月24日)
激論!戦後70年の総括と日本の未来(2015年8月14日)
激論!安保国会・若者デモ・日本の民主主義(2015年9月25日)
激論!「一億総活躍社会」って何だ?!(2015年11月6日)
激論!テロ戦争と安倍外交(2015年11月28日)
激論!安倍政治~国民の選択と覚悟~(2015年12月31日)
激論!女性論客大集合 “女性が輝く社会”とは?!(2016年2月5日)
激論!ド~する?!原発~再稼働・核のゴミ・住民は…~(2016年3月11日)
激論!女性が変える?!ニッポン(2016年4月29日)
激論!オバマとトランプ ド〜する?! 日本(2016年5月27日)
激論!ド~する?!ド~なる?!参院選(2016年6月24日)
激論!改憲と日本の未来(2016年8月5日)
激論!象徴天皇と“生前退位”(2016年8月26日)
激論!象徴天皇と日本の未来(2016年9月30日)
激論!小池都政3カ月~豊洲・五輪・都議会・都庁~(2016年11月4日)
激論!トランプ次期大統領とニッポン(2016年11月25日)
激論!2017 ド〜する?!ド~なる?!ニッポン(2016年12月31日)
激論!トランプ大統領と安倍政権(2017年1月27日)
激論!安倍政権と日本の未来(2017年2月24日)
激論!原発事故から6年・教訓と課題(2017年3月31日)
激論!ド~する?!朝鮮有事?!と日本(2017年4月28日)
激論!憲法改正と安倍政権(2017年5月26日)
激論!安倍政権と官僚(2017年6月30日)
激論!安倍政治と日本の平和(2017年8月11日)
激論!女性が考える“戦争と平和”(2017年8月25日)

ニュースザップ(2015年3月19日・5月13日・8月26日・11月24日・2016年4月27日・10月12日・2017年1月30日、BSスカパー!)
プライムニュース(2015年 - 、BSフジ) 日韓関係改善の兆しか? 要人交流活発化の裏事情(2015年6月3日)
日韓関係の現状と今後(2015年11月3日)
真珠湾攻撃を検証する 『奇襲』の背景と誤算(2015年12月8日)
特別企画“戦争の教訓”③ 中・韓の戦争観と日本 「反日教育」の現状は ▽ 中国公船の領海侵入(2016年8月10日)
ヒラリーかトランプか 大胆予測!米大統領選 米国の明日はどちらに(2016年11月8日)
櫻井よしこ×三浦瑠麗 韓国「少女像」の曲折 トランプ「指先介入」(2017年1月11日)
安倍首相が緊急生出演 トランプ会談全て語る ゴルフ談議の裏のウラ(2017年2月13日)
総力検証「G20外交」 北ICBMと圧力強化(2017年7月10日)

みんなのニュース(2015年6月18日・2016年11月20日・2017年10月5日以降は木・金コメンテーター、フジテレビ)
NEWS WEB(2015年9月23日・2016年3月2日、NHK総合)
深層NEWS(2015年 - 、BS日テレ) 大国中国の挑戦と日本 対露外交で同盟に溝?(2015年10月6日)
最新 英国EU離脱か残留か 投票の結果に世界は? ▽ 東京都知事の「力」(2016年6月25日)
脅威 北朝鮮ミサイル成功? 北の挑発日米韓の思惑 ▽列島警戒台風10号(2016年8月26日)
プーチン氏本性と思惑 鈴木宗男氏vs三浦瑠麗 今夜、日露語り尽くす(2016年9月12日)
中韓関係に異常あり!? 韓国警備艇沈没の余波 激論 三浦瑠麗×金慶珠(2016年10月14日)
緊急提言!3時間生激論SP 予測不能トランプ政権 日本を襲う衝撃(2016年12月16日)
森友問題で稲田大臣は ▽ 北朝鮮暴走の「悪夢」 米中思惑と衝突危険度(2017年3月14日)
詳報 日露首脳会談読み解く 北の挑発抑え込めるか 安倍外交問われる真価(2017年4月28日)

英雄たちの選択(2015年、NHK BSプレミアム) 藤田嗣治“アッツ島玉砕”の真実(2015年12月17日)

NHKスペシャル(2016年 - 、NHK総合) 大予測! 2016世界はどうなる?(2016年1月1日)
私たちのこれから #超少子化 安心子育ての処方せん(2016年2月20日)
トランプのアメリカ 世界はどうなる? (2017年1月1日)

BS朝日 新春討論スペシャル (2016年、BS朝日) この国が進むべき道 いま、日本を考える2016(2016年1月2日)
「分断の時代」に挑む! いま、日本を考える2017(2017年1月2日)

ボクらの時代(2016年3月13日、フジテレビ) 津田大介×三浦瑠麗×古市憲寿
ビートたけしのTVタックル(2016年 - 、テレビ朝日) 日本はどうなるSP(2016年5月1日)
舛添要一都知事へ。都民は納得してないぞ!宿敵・田嶋陽子も参戦!“金銭問題”を徹底追及SP(2016年5月22日)
世間をザワつかせる“賛否”なニュースSP(2016年7月17日、7月24日)
北朝鮮を巡るニッポンの一大事!!カギを握る中国&ロシアの本音はコレだSP(2016年10月16日)

新報道2001(2016年 - 、フジテレビ) 与野党9党幹事長集結激動世界!日本の選択▽バングラデシュ襲撃テロの衝撃…日本人も(2016年7月3日)

スーパーJチャンネル(2016年7月22日・11月10日、テレビ朝日)
橋下×羽鳥の番組(2016年 - 、テレビ朝日) 橋下徹過去の問題発言を糾弾SP!(2016年10月17日)
日本の3大問題を徹底討論SP(2016年11月7日)
トランプ大統領で日本が危ない?SP(2016年11月21日)
橋下×羽鳥の道徳塾(2017年1月9日)
トランプ大統領は大丈夫?SP(2017年2月20日)
トランプ大統領のシリア攻撃の影響を徹底検証SP(2017年4月17日)
何でそんな事を言ったの?まさかの失言・暴言検証SP(2017年5月8日)
コメンテーターNo.1決定戦(2017年7月31日)

田村淳の訊きたい放題(2016年10月22日、2017年1月7日、TOKYO MX)
BS1スペシャル(2016年、NHK BS1) 変貌するアメリカ ~2016米大統領選を読み解く~(2016年11月3日)

ザ・プロファイラー(2016年、NHK BSプレミアム) 大統領の栄光と挫折~リチャード・ニクソン~(2016年11月3日)

真相報道バンキシャ!(2016年11月13日、日本テレビ)
日曜討論(2016年 - 、NHK総合) トランプ氏“外交デビュー”世界はどうなる(2016年11月20日)
徹底分析 日米首脳会談(2017年2月12日)

激論!クロスファイア(2017年 - 、BS朝日) 石破茂議員に聞く!米トランプ政権誕生で日米同盟はどうなる?(2017年1月14日)

日経スペシャル 未来世紀ジパング〜沸騰現場の経済学〜(2017年、テレビ東京) “トランプ政権”誕生目前! メキシコが大ピンチ(2017年1月16日)

報道ステーション(2017年1月24日、テレビ朝日)
週刊ニュース深読み(2017年2月10日、NHK総合)
ワイドナショー(2017年4月16日 - (不定期出演)、フジテレビ)
ユアタイム(2017年4月27日・5月17日、フジテレビ)
サンデーステーション(2017年4月30日・5月28日・7月30日、テレビ朝日)
モーニングショー(2017年5月10日、テレビ朝日)
はい!テレビ朝日です(2017年6月4日、テレビ朝日)
NEWS23(2017年6月15日、TBS)
Mr.サンデー(2017年6月18日・7月30日、フジテレビ)
とくダネ!(2017年6月30日、フジテレビ)

ラジオ[編集]
荻上チキ・Session-22(2015年3月9日、TBSラジオ)
ラジオフォーラム(2015年6月7日、ラジオアクセスフォーラム)
吉田照美 飛べ!サルバドール(2015年6月19日・2016年6月20、文化放送)
ザ・ボイス そこまで言うか!(2015年6月30日・9月2日・2016年2月17日・7月19日・10月19日・11月9日・2017年1月18日・3月15日・4月19日・6月7日・7月19日・8月23日、ニッポン放送)
田原総一朗 オフレコ!(2016年 - 、文化放送) 気鋭オピニオンリーダー激突“日本の大問題”って何!?(2016年1月22日)
トランプで激変!?日本と世界の安全保障の行方(2016年12月23日)

Jam the WORLD(2016年11月14日、J-WAVE)
ニュース年録2016~小池都政、トランプ、EU離脱。この選択で未来はどうなる?~(2016年12月29日、TBSラジオ)
J-WAVE TOKYO MORNING RADIO(2017年1月24日・3月28日、J-WAVE)
大竹まこと ゴールデンラジオ!(2017年1月30日、文化放送)
WORLD AIR CURRENT(2017年4月8日、J-WAVE)
ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB (2017年4月29日、文化放送)

配信[編集]
国際政治チャンネル(2017年5月26日 - 、ニコニコ生放送)
あしたのコンパス(2015年4月2日 - 2017年3月30日、ホウドウキョク)木曜アンカー
FLAG7(2017年4月6日 - 8月24日、ホウドウキョク)木曜アンカー
ニコニコネット調査 (2016年4月26日、ニコニコ生放送)
ゲンロンカフェ(2015年 - 、ニコニコ生放送) 西田亮介 × 三浦瑠麗 大阪都構想の可能性をいまこそ考える──なぜ橋下は敗れたのか(2015年6月5日)
三浦瑠麗 × 津田大介 × 東浩紀 日本の未来とポピュリズム(2016年9月7日)
三浦瑠麗 × 津田大介 × 東浩紀 2017年、世界はどこへ向かうのか(2017年2月1日)

みんなの選挙2016×ホウドウキョク(2016年7月10日、ホウドウキョク)
『みんなの都知事選』~Tokyo gubernatorial election~(2016年7月31日、ホウドウキョク)
速報!アメリカ大統領選(2016年11月9日、ホウドウキョク)
山本一太の直滑降ストリーム@Cafesta(2016年12月7日、ニコニコ生放送)
ゴー宣道場(2016年、ニコニコ生放送) 天皇制と女性の活躍(2016年12月11日)

津田ブロマガeXtreme(2017年、ニコニコ生放送) トランプは世界を崩壊させるのか?(2017年1月31日)

モーリー・ロバートソン チャンネル(2017年、ニコニコ生放送) 就任1か月のトランプ論(2017年2月17日)

AbemaPrime(2017年7月19日、AbemaTV)[62]

脚注[編集]

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1.^ 外部リンク
2.^ 外部リンク
3.^ 英語表記は2011年(平成23年)よりLully Miura とした。
4.^ a b c d e f g h i j “Amazonの三浦瑠麗ページ”. Amazon.co.jp. 2015年4月25日閲覧。
5.^ a b 柿崎明二(共同通信編集委員) (2013年7月1日). “「日本再生」を語る=三浦瑠麗氏 威勢のいい外交政策に注意 攻撃的政策、国民が求めることも”. 信濃毎日新聞: p. 4
6.^ 経歴詐称「ショーンK」国際政治学者・三浦瑠麗さんが振り返る10大ニュース(スポーツ報知 2016/12/27)
7.^ 日本学術振興会 (2013年4月1日). “PD・社会科学 85名 平成25年度特別研究員採用者一覧”. 2015年4月25日閲覧。
8.^ 東京大学政策ビジョン研究センター (2016年3月1日). “メンバー”. 2016年3月13日閲覧。
9.^ メンバー紹介 三浦瑠麗 東京大学 政策ビジョン研究センター
10.^ 防衛大学校人間文化学科教官紹介 濱村教授
11.^ CiNii Articles 著者 - 浜村 良久
12.^ 三浦瑠麗は、自身のTwitterで、「父が縁あって私が小学校高学年の頃、防衛大学校に教員として赴任してから(制服じゃないですが)普通の人より自衛隊に関する関心も知識も自然多かったかもしれない」[1]、「父が防大で得したことはあまりないけど、⚪︎⚪︎研究学会のような色々な人(ほぼ男性限定)がいる軍事系の学会で、ああ娘さんね、ということで割に嫌がらせが少なかったという利点はあるかもしれない」[2]と述べている。
13.^ a b c 松田史朗 (2004年1月22日). “東大生の三浦瑠麗さん 論文で「自民総裁賞」(ぴーぷる)”. 朝日新聞 (東京): p. 2
14.^ 【三浦瑠麗】さんを調べてまとめました!!【子ども・中国人・リベラル】
15.^ 自由民主党. “国際政治・外交論文コンテスト 受賞作品一覧”. 自由民主党. 2015年4月25日閲覧。
16.^ 東京大学公共政策大学院 (2005年8月8日). “在学生の声 三浦 瑠麗(国際公共政策コース)”. 2015年4月25日閲覧。
17.^ 東京大学. “学位論文要旨(No.126475)”. 2015年4月25日閲覧。
18.^ 高橋亀吉記念賞 | 表彰 | PRESS ROOM | 東洋経済新報社|コーポレートサイト
19.^ 東洋経済新報. “2010年度 第26回 高橋亀吉記念賞”. 東洋経済新報. 2015年4月25日閲覧。
20.^ 「報道と読者」委員会
21.^ [3] ironna.jp三浦瑠麗プロフィール
22.^ 正論 情報収集能力と発信力を強化し、新たな勢力均衡の時代に備えよ 三浦瑠麗. 産経ニュース (2015年12月28日)
23.^ a b 文藝春秋SPECIAL 2015季刊秋号. (2015年8月26日発売)
24.^ “三浦 瑠麗 / Miura Lully プロフィール”. 東京大学政策ビジョン研究センター. 2016年3月13日閲覧。
25.^ 外部リンク
26.^ FLAG7(フェイクニュース対策の団体が設立). フジテレビ.. (2017年6月22日). 該当時間: 00:03:00~ 2017年6月24日閲覧。
27.^ [4]
28.^ 読書好き 集団行動は苦手…三浦瑠麗さん読売オンライン2017年04月02日
29.^ 試験プリントまわってこない…東大美女の疎外感AERA 2015年4月27日号
30.^ 震災後も変わらなかった日本社会の「異様」東洋経済オンライン 2016年09月12日
31.^ 国際政治学者・三浦瑠麗「橋下さん、維新の可能性を潰さないでください」PRESIDENT 2016年12月5日号
32.^ ニッポンのジレンマ「新世代が解く!ニッポンのジレンマ『アメリカのジレンマ大研究』」
33.^ 東日本大震災は日本を変えたのか 三浦瑠麗/ジョシュア・W・ウォーカー 東京大学政策ビジョン研究センター (2012年8月)
34.^ Joshua W. Walker | The German Marshall Fund of the United States
35.^ Joshua W. Walker(@drjwalk)さん (@drjwalk) - Twitter
36.^ Joshua W. Walker - ホーム - Facebook
37.^ FLAG7(バズるFLAG). フジテレビ.. (2017年6月22日). 該当時間: 00:00:55~ 2017年6月24日閲覧。
38.^ 「橋下氏vs美人政治学者」 慰安婦発言めぐり“上から目線”で場外バトルイザ2016.11.1
39.^ 三浦瑠麗氏と皇室高森明勅の『今昔モノ語り』2017年1月8日
40.^ 三浦瑠麗さんと対談した. 小林よしのりBLOG (2015年12月10日)
41.^ 保守系論壇誌の劣化と混迷. 小林よしのりBLOG (2016年4月28日)
42.^ [5]三浦瑠麗 Twitter
43.^ 三浦瑠麗氏は女性宮家の創設を訴える BLOGOS小林よしのり2017年01月26日
44.^ 「ゴー宣道場」三浦瑠麗氏に対する評判小林よしのりブログ2016.11.29
45.^ 三浦瑠麗は見下げ果てた小林よしのりブログ 2017.06.15(木)
46.^ 外部リンク
47.^ 金 美齢 家族を持つ幸せPHP Online 衆知 5月2日
48.^ 北原みのり「三浦瑠麗を真似してみた」dot. 2016/5/29
49.^ 国際政治学者・三浦瑠麗「橋下さん、維新の可能性を潰さないでください」PRESIDENT 2016年12月5日号
50.^ 三浦瑠麗氏と語る「就任1か月のトランプ論」。2017-02-17
51.^ アメリカ大統領選の影響「ちょっと怖そうなことを話しているのに、なぜ人気があるの?」日経DUAL特選シリーズ/2016年8月
52.^ 「トランプ大統領」誕生 ヤマネコ日記20161109]
53.^ 三浦瑠麗×古市憲寿がトランプ勝利を徹底分析日本人が困ることは“ない” ホウドウキョクNov 09, 2016
54.^ 文藝春秋SPECIAL 2014年季刊秋号. (2014年8月27日発売)
55.^ 三浦瑠麗「北朝鮮を止めるには、もっと劇的な抑止策が必要だ」ニューズウィーク日本語版、2017年8月29日。
56.^ 山猫日記. (2014年6月15日)
57.^ 田原総一朗:「アメリカの意向」の真実~安保法案、慰安婦問題、原発再稼動にどこまで関わっていたのか. BizCOLLEGE (2016年1月21日)
58.^ 三浦瑠麗「全否定は過去見誤る」『東京新聞』2017年8月12日。
59.^ 首相動静(5月22日)
60.^ 首相動静(6月26日)
61.^ CiNii Articles 著者 - 三浦 瑠麗
62.^ 外部リンク

外部リンク[編集]
三浦瑠麗 (@lullymiura) - Twitter
山猫日記(個人ブログ)
三浦瑠麗の「自分で考えるための政治の話」公式メールマガジン|PRESIDENT Inc.

大河小説 東日本大震災「震災から6年数ヶ月」未曾有の大震災の真実1

2017年12月03日 08時36分51秒 | 日記






























小説 東日本大震災から8年 最大のドキュメント
  『大河小説 東日本大震災』 
~東日本大震災の真実!あの震災はいかにしてなったか?<上杉史観>~
 <復興か?東北地方衰退か?震災をたたかったひとたち!>

              ~耐え難きを耐え忍び難きを忍び~

                  
               <HIGASHINIHONDAISHINSAI>
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  UESUGI KAGETORA上杉(長尾)景虎
         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.
        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


     ーwith history the final judge of our deeds,let us go
      forth to lead the land we love asking his blessing and
      his help,but knowing that here on earth god'S work must
      truly be our own.ー   JFK

  ”歴史をわれわれの究極の審判とみなし、神の恵みと助けをもとめながらも、
  この地上では神のみざはわれわれ自身の所業でなければならないことを心に刻みつつ  愛する祖国を導き、前進していこうではないか”
                     ジョン・F・ケネデイ
                      1917~1963

 「身内を亡くしたり、家を流されたりしたことは、誰にも言えないし、聞けない。他人をおもんぱかっているわけ。それを絆なんて言ってほしくないけどね。単なる日常が書いてあると読まれてもしょうがないが、そこは読者を信じました。」
        小説『空にみずうみ』より 仙台在住作家 佐伯一麦(かずみ・男)氏


          あらすじ
  この物語は2011年3月11日、東北地方一帯を襲った未曾有の大震災の記録である。
  この物語『大型時代小説 東日本大震災』は半分実話と半分はフィクションです。人物名・名称・団体名・軍隊名等は一部フィクションが混ざっています。改めてご理解ください。                                    

おわり

この作品は引用が多くなりましたので引用元に印税の数%を払い、引用料としてお許し願えればと思います。それでも駄目だ、というなら印税のすべてを国境なき医師団にすべて寄付しますので引用をお許しください。けして盗用ではないのです。どうかよろしくお願いします。UESUGI KAGETORA上杉(長尾)景虎   臥竜


***東日本大震災<ウィキペディアからの引用>
東北地方太平洋沖地震 > 東日本大震災
東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい 英:the Great East Japan Earthquake)は、2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。この地震によって福島第一原子力発電所事故が起こった。発生した日付から3.11(さんてんいちいち)と略称することもある。
概要[編集]

上杉景虎です。今回はわが東北の復興計画書の草案を献上します。




話を少し過去に戻す。未曾有の大震災『東日本大震災』の物語をここから展開したい。
***


物語は西暦2011年(平23成年)3月1日晴れの神奈川県横須賀の近くの住宅から始まる。
主人公の名は鈴木崇(すずき・たかし)で眉目秀麗な色男で、二十一歳である。
背は高い方ではないがきりりとした眉をした痩せた体に、短い髪型で、防衛大学生らしく、浅黒い肌である。このひとこそこの物語の主人公である。
父親の鈴木弘3等陸佐はすでに先の阪神淡路大震災で殉職している。リビングというか仏壇には父親の遺影がある。
母の名は、ゆき子、といい、病弱で、ほぼ寝たきり状態である。
崇には三歳年下の妹がいる。
名を鈴木海荷(うみか)という。十五歳。
美人な方であると思われる。兄に比べて少しおっとりしている性格で当時は当然ながらミニスカートに見せブラ姿で、芸能人風に髪を上で櫛結いしている。家事全般があまり得意ではないが、母親の、ゆき子、が、病気である以上、おさんどんは海荷がやらざる得ない。
海荷は洗濯は好きだが、料理や裁縫が苦手で、いつも同じような関東風料理ばかりつくる。
だから、長男の崇は「また同じ料理かい?」と文句を吐いたわけだ(笑)。
一家の収入は父親の生命保険と防衛大学生である鈴木崇の僅かな勤労奉仕とバイト代だけであるが、極貧というほどでもない。
けっこう敷地にこぎれいな畑をつくり、晴耕雨読とまではいかないがなんとか食糧に困ることはない。次男の鈴木実は工科学校(昔でいう陸軍幼年学校)に行っている。全寮制で、中学生から自衛隊のスペシャリストを目指している。
親戚には酪農をやっている人種もいる。
だが、時代は戦後の平和ぼけ、のバブル経済崩壊後である。
海荷は高校生だったが、母親が病気であり、おさんどんは海荷がせねばならない。
一家は早朝の朝ご飯の時間帯である。
「お兄ちゃん、文句言うんだったら兄ちゃんが朝飯つくり!」
「ぼくは文句をいっているんじゃない。でも、カレーは此れで一週間毎日じゃないか。もっと料理のレパートリーを増やさないといけない訳よ、じゃないと海荷はちゃんとしたところに嫁にいけんよぉ?」
「余計なお世話よ、兄ちゃん。崇兄ちゃんは防衛大学生でいいけど、実兄ちゃん(次男)は工科学校なんよ。崇にいよりたいへんやわ。それよりお母さんに御粥食べさせてやって。親戚のおばあにパイナップルも頂いたから、それも…」
「はいはい。」崇は言った。「でもぉ、お兄ちゃんも防衛大学生でね、今度、僕等も卒業して自衛隊の現場で行くわけよ」
「え?ああ、大島仁(ひとし)ちゃん?そういえば卒業したら3等陸尉(少尉)だって…」
「ああ、ぼくも防衛大卒なら学歴で3等陸尉(少尉)。今日の朝に出陣式が大島の家の前である訳。LINEで連絡取ってあるからね」
「あの大島の兄ちゃん、左脚が悪いのに防衛大学卒とかで、自衛隊かぁ」
「ああ、ぼくもだなあ。自衛隊だもの。すぐに赤紙がくるよ、ぼくのところにも」
「兄ちゃんもちばりゃんとねえ。日の丸と天皇陛下の為に戦わんといかんもんねえ」
母は咳をしながら「これ海荷、食べながら喋っちゃ駄目、行儀悪りいよう」と叱る。
「そうだぞ、海荷」
兄の崇は冗談交じりに海荷を叱る。むくれる海荷。母と兄はそれがおかしくて笑う。
「なによ?もう!お兄ちゃん達より、実兄ちゃんの方が大卒の学歴こそないけどプロフェッショナルなんだからね!」
鈴木崇の親友の大島仁は同じ防衛大学で二十二歳、ある。
ふたりはあわただしく朝食を済ませると、近所の大島仁の家に急いだ。
もう「万歳!万歳!」とやっている。
「大島仁くんの御武運と御出征とご卒業を祈り、ばんざーい!万歳―!」
辺りのひとやおっさんやおばあたちが日の丸を振る。…立派になった!敵をやっつけるんだぞ!
大島仁は鈴木崇よりは一歳年上だが、同じ防衛大学生だった。
生まれつき左脚が悪い体質だったが、痩身でこちらも眉目秀麗で、黒縁眼鏡が印象的な男である。防衛大の制服をきちんと着て、周囲に礼をしている。
「おう!仁!遅れたで、すまんちゃ!」
崇と海荷は走り込んでセーフだった。
「おお!同じく防衛大卒業生の鈴木崇くんだ!ばんざーい!ばんざーい!」
「崇!海荷ちゃん!俺もいよいよお国の役にたてるさー」
「どうも、どうも。大島、進路は決まってんのか?」
大島仁は「決まった!どうも陸上自衛隊らしいんだわ。だけど、どうも仙台駐屯地の防衛省直属の自衛隊特殊工作部隊らしんだが」
「特殊工作部隊?なんねそれ?」
「SEELDZ(シールズ)、防衛省の高杉晋作の“奇兵隊”みたいなもんさー」
「ああ、奇兵隊(笑)よく百六十年も前の話ばするっとねえ仁(笑)さすが日本史歴史学専攻だねえ?(笑)」
「馬鹿だな。SEELDZは警察庁のSATより凄いんだぜ」
「だれよりもさーっと(SAT)ね」
鈴木崇は冗談を言った。大島仁も笑う。海荷は頬を赤らめながら“プレゼント”を渡した。
「ありがとう、海荷ちゃん。」
大島仁は白い歯をみせて笑った。
「俺の心配は親と妹の亜衣のことだよ」
「そうか。心配ないよ。あいちゃん(大島亜衣)、工科学校で今度卒業するんだろう?それにのう、仁……実はなあ、俺も“赤紙”なんだ。大島。しかも僕もSEELDZだ」
亜衣とは、大島仁の可愛がっている高校生の可愛い顔の妹である。
噂をすれば亜衣から兄・仁の元のスマホに電話があった。
「あんちゃん!亜衣だよ。」
「亜衣―!あんちゃん防衛大卒で仙台駐屯地に行くのさ。お前も工科学校卒業だよな?」
「うん」
「おめでとう!」
 大島仁3等陸尉(少尉)は妹に告げた。
鈴木崇は隠しておいた赤紙をはじめて大島仁にみせた。「え?おい!大丈夫かあー?鈴木?」
「ぼくも自衛隊・防衛省直属特殊部隊!SEELDZ兵隊さまよ!少尉(3等陸尉)!死んだおやじの仇をとる!七生報國さ(七回生まれ変わっても日本國を守る)!僕も仙台駐屯地らしいぜ」
「え?お兄ちゃん?え?そんなあ」海荷は驚くより呆れた。なんて勝手な兄だろう。
「鈴木崇。大島仁。」
その男の声でやっとふたりは恩師の狛江研一(こまえ・けんいち防衛大学教授・1等陸佐(大佐)五十三歳)の存在に気付いた。「あ!先生!」
「あ!じゃない」まるでタレントの北大路欣也さんみたいなおじさんの風体のひとである。
これで防衛大学の名物教授というからおそれいる。立派な制服姿だ。
「君たちねえ、死んじゃいかんよ。生きねばねえ。人間生きてなんぼさ」
「それは…そうですが先生、あまり大声ではいわないほうが…」
「そうですよ。非国民扱いを受けますよ、1佐」
鈴木崇と大島仁はひそひそ声でいった。
「だまらっしゃい!命あっての宝物じゃぞ。死んだ人間に何も出来ないのだから」先生は訊く耳をもたない。
ふたりの教え子がおそれるのは近所の“戦争のおじい”こと伊逹五右衛門(だて・ごえもん)おじいみたいになることである。
もう耄碌で、今でいう認知症(能軟化)で、ボケていて、とにかく「戦争しろ!敵を殺せ!」。
戦争の時代なら、それもいいかも知れない。
戦争世代からみれば「勇気のある気骨もの」に見えるだろう。
だが、このおじい、発言が平和な平成の世で、ある。
白髪の長い髪と髭で、なんとなくジャーナリストの徳富蘇峰みたいな風体だ。もう八十数歳のおじいさん、である。ボケていて、近所を徘徊し、「戦争をしろ!戦争!せんそーう!」とクレイジーに叫ぶ。ボケていると知っている人間ならいいが、時代は平和な世である。
「なんだとこの非国民!」
「非国民!非国民!」
群衆は非国民伊逹五右衛門おじい、に投石したり、罵声を浴びせかける。
鈴木崇や大島仁たちは「このひとは認知症(能軟化)なんです!病気なんです!」と庇うが、庇いきれるものではない。
非国民!と投石の流れ石が額に当たって流血した鈴木崇を介抱したのが、狛江先生の一人娘の綺麗な御嬢さん、狛江晴香(十七歳、仙台大学生)、であった。
まさかふたりに愛や恋心が芽生えるとは当の本人たちも思わない。
だが、朱に交われば赤くなる、である。最近は伊逹五右衛門老人は徘徊が酷くなり、行方不明状態である。
「崇さん、兵隊さんだってねえ?だいじょうぶ?」
「心配ないよ!ぼくはお国の為に戦う!国民の生活と財産と命を守る!」
「……外敵に自衛隊で勝てると思う?」
「……」
「うちのお父さんも言うじゃない?“死んだらおわりだ”って。死んだらおわりじゃない?」
「ならどうしろと?」崇は教授のひとり娘・狛江晴香に食ってかかった。
意味がない。どうせ答えはない。只、死なないで帰ってきて程度だ。
だが、その愛情が『犬死』をためらわせた。
「崇君には生きて戻ってきて欲しいの」
「しかし…」鈴木崇は大学の校舎で泣いた。只々、狛江晴香が愛しかった。
狛江晴香の母親はジェシカという。
スコットランド人である。つまり、晴香はハーフな訳だ。
スコットランド人の母親と日本人の父親のハーフ(混血)。狛江ジェシカは日本からスコットランドに疎開していた。差別や阻害が酷い為だ。日本でさえ……。
大島仁の母親は大島ふみ、という。
鈴木崇の“もうひとりの母親的”存在、である。
確かにそうだったのかも知れない。大島ふみ、は優しい心が澄んだとてもいいひとである。
鈴木崇に、“自衛隊は国を守る必要な暴力装置”と教えてくれたのもこの大島の母親、大島ふみ、であった。
ちなみに鈴木崇は大卒というか学歴があるために一兵卒というより“3等陸尉(少尉)”である。大島仁のほうも防衛省直属の特殊工作部隊SEELDZの指導的な立場にたたされる。
習志野(SKG)からの凄腕が、一騎当千の凄い人間たちが所属するのが防衛省直属の特殊工作部隊、通称、SEELDZ(シールズ)、である。
「とにかく日本国を守るのは僕達と優秀な自衛隊と工兵部隊だ!」
「やろうぜ!」「よっしゃ!」
ふたりは熱くなった。ICBM(大陸間弾道ミサイル)でもサイバー攻撃でも何でもきやがれってんだ!“優秀な防衛”というものをみせてやる!いずれちゃんとした政治家も現れ、“集団的自衛権”も“駆けつけ警護”も出来るようになるさ!

参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P198)
現代では自衛隊(つまり事実上の日本軍)は『自衛隊は軍じゃない』という詭弁から、昔のように戦闘艦とか大佐とか少尉とか大将とか呼ばない。まあ、言葉遊びみたいなものだが、戦闘艦は護衛艦とよび、普通、護衛艦が守るのは空母なはずだが、『自衛隊は軍隊じゃない』という詭弁の元では護衛艦(事実上の戦闘艦)が守るのは商船や貨物船や石油やガスを積んだタンカーである。2015年の安保法案の改訂で、もういいのかも知れないが事実上はタンカーの警護も出来ない。“憲法違反”である、という(笑)
馬鹿馬鹿しい。いつまで自衛隊に“足枷”ばかりつけるつもりなんだろう。
ちなみに陸自(陸上自衛隊)のケースだが、昔の階級でいう大将は「陸将(陸上幕僚長)」、中将は「陸将」、少将は「陸将補」、大佐は「1等陸佐」、中佐は「2等陸佐」、少佐は「3等陸佐」、大尉は「1等陸尉」、中尉は「2等陸尉」、少尉は「3等陸尉」、兵曹長は「准陸尉」、上等兵曹は「陸曹長」……等というようになっている。後はウィキペディアででも調べて欲しい。しかし「大佐」「大尉」「大将」「軍曹」などといえばすぐにわかるが、「3尉」「1佐」などといわれても軍事マニアでもなければまずわからない。
何処までも『自衛隊は軍隊じゃない』という詭弁で動いている。
自衛隊隊員は優秀で愛国心あふれる正義の人が多いだけによけいな『足枷』が立派な職務を妨害する、それこそ『足枷』にならねばいいが……。
参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P197~206、P212~230)
日本の国防を考えるならば、自衛隊は勿論、政府の外交姿勢、国民の覚悟、現在と将来の国際状況など、あらゆる面から論じてみなければならない。漫画家でジャーナリストの小林よしのり氏は月日は遡るが、平成22年3月に呉基地(山口県呉市)や江田島の幹部候補生学校を取材していたという。そのまま引用します。盗作ではなく引用です。出版社は事前に小林氏に引用の許可をお願いします。
呉市は明治以降、海軍と共に発展を遂げてきた。明治22年に呉鎮守府(ちんぶふ)が開庁。さらに戦艦大和などを建造した日本一の海軍工廠(こうしょう)が設置。最盛期には40万人の人口を擁したが、昭和20年には米軍の空襲で軍港、工廠共に壊滅、市街も廃墟と化した。占領下で呉は軍港から貿易港へ、海軍工廠は臨海工業地帯へと転換。そして昭和29年の自衛隊法施行に伴って「海上自衛隊呉地方隊呉地方総監部」が発足した。
戦後一時の中断があったとも言っても、やはり呉は120年にわたる西日本の海の守りの拠点であり、戦前からの歴史のつながりを感じる。
小林よしのり氏の取材には大谷3佐(少佐)という美人の女性幹部をエスコートにつけてきたという。しかも、すごい美人だという。「自衛隊め、わしが漫画で描くからとハニー・トラップを仕掛けてきたか!」小林氏の漫画にはそうある(笑)だが、そのハニー・トラップに引っ掛かったのはわしではない!取材の間中、この美女に鼻の下伸ばしていたのは、軍事ジャーナリストの井上和彦氏だったのだ!という、オチまでついている(笑)
大谷3佐は湾岸戦争に衝撃を受けて大学を中退、丁度、その年、女性に門戸を開いた防衛大学を受験したという、防大の女性第一期生。現在(取材当時)は市谷の防衛省勤務だが、将来は女性初の艦長を目指しているそうだ。(我々と同じバブル世代(笑))
港が近づくと造船工場が見える。IHIMU呉工場、かつては戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠である。建造中の大和を覆っていた大屋根の一部や、天井クレーン、修理ドッグは戦後もずっと使用されてきたという。到着すると港には大きなイルカのような黒い潜水艦と護衛艦もいたという。
埠頭には自衛隊員が整列し、微動だにしない。「自衛隊旗」はかつての我が帝国海軍が用いていた「軍艦旗」(旭日旗)と同じデザインである。今の若者はこのデザインを朝日新聞の社旗と勘違いするかも知れないが、違うんだ!誤解もはなはだしい。中国の軍は共産党を守る専属軍!党のために働き、国民にも銃を向ける!自衛隊は国民を守る「隊」だ!「軍」と言えないところがつらいが…
潜水艦「くろしお」に乗せてくれるという。潜水艦上にはしごで乗り移ると枠や柵があるわけではないので、うっかりすると足をすべらせて海におちてしまいそうで緊張する。
何しろ潜水艦は軍事機密の塊である。カメラは原則持ち込み禁止。漫画の資料用に小学館のカメラマンだけ許可され、撮影できる部分だけ撮らせてもらう。もちろん潜水艦の中に入るのは初めてだ。入り口のハッチから垂直の梯子につかまり、降りていくのだが、わしは皮靴の先の尖ったやつを履いてきたため大変だった。こんな取材をさせてくれるならスニーカーで来たのに。
まずは士官室に通され、簡単な艦の説明を受ける。「くろしお」という潜水艦はこの艦が3代目。初代は自衛隊発足の翌年昭和30年代にアメリカから貸与された艦だった。
当時の潜水艦は水上航行が主で、必要な時に潜航したため、通常の船舶に近い「水上船型」だ。その後、水中抵抗の少ない「涙滴(るいてき)型」、さらに、船体空間を広げた「葉巻型」と改良され、この「くろしお」は葉巻型の潜水艦「おやしお」型の第7番艦として平成16年に就役している。
潜水艦の長所はなんといってもその隠密性にある。隠密裏に作戦遂行ができることもさることながら、どこにいるかわからないという潜在脅威による心理効果が多大であり、潜水艦を発見するには大変な時間、兵力、技術を必要とするため、その分、敵を止めておくことができる。
一方で弱点は防御力で、ただでさえ潜航中の船体は強力な水圧との戦いであり、そこを攻撃された場合は非常に脆弱になるそうだ。
中国海軍は平成20年10月に戦艦4隻で津軽海峡を通過する挑発行為を行い…平成22年4月には潜水艦2隻など計10隻で沖縄本島近海を通過するなど、不穏な動きを見せている。これに警戒して、防衛省は10月20日、現在16隻で運用している潜水艦を20隻超まで増やす方針を固めたという。
だが、新しい艦を増やして補強するわけではない。日本政府によって、毎年、防衛費は削られているから、本来なら耐久年数を迎えて交代する潜水艦をメンテナンスして、5年ほど「延命」させる苦肉の策なのだ。
まだまだ尖閣諸島や南沙諸島の侵略行為を止める気配は、中国側には全然ない。海上自衛隊の存在意義は益々大きくなってきている。
一通り艦内を案内してもらう。発令所では潜望鏡を覗かせてもらい、写真を撮ったが、もちろん写っていい、角度の写真で、壁一面を埋める計器類などは一切撮影不可であった。
艦内は細かい区画に区切られていて、その境界では、くぐり戸のような出入り口を身をかがめて通らなければならない。途中、カプセルホテルよりも窮屈そうな部屋があったが、これが艦長室で、艦内で唯一の個室だという。
そして最も艦首に近い区域…といっても移動しているうちにどちらが艦首でどちらが艦尾かわからなくなっていたが、そこには発射菅室で、魚雷が3発静かに光り輝いていた。
これこそが潜水艦の最大の攻撃力、1発で敵艦を沈められる誘導魚雷である。
しかし、驚いたのは、その魚雷のすぐ脇に、人が寝られるスペースを作ってあったことだ。
中国海軍の「第一列島線」は九州、沖縄、フィリピン、ボルネオに至るラインをすでに作戦区域としている。さらに「第二列島線」は伊豆諸島から小笠原諸島、グアム、サイパン、パプアニューギニアに至るラインまで進出を狙っている。
ちなみに潜水艦の艦長は旧ソ連では「少将」が当てられていたという。一般的には艦長は「大佐」が上限だ。つまり、潜水艦にはメンタリティ(精神性)の強い者を乗せないと耐えられないということだ。
海自では潜水艦の乗員はかなり適性検査を厳しくして、耐えられる者しか乗せない。潜水艦の中で精神を病んでしまったら、助けられないからだ。
海自では、今や飛行機の搭乗員よりも潜水艦乗員を探す方が大変になってきている。
潜水艦乗員はプライドがものすごく高い。彼らは「我々は怖いものは何もない」というらしい。護衛艦もP-3Cも全く怖くない、という。世間の人はイージス艦に注目するが、あんなものは「高価格標的艦こんごう型」と言うんだと、彼らは言う。つまり、的(マト)に過ぎないとまでいう。ただし、ヘリコプターは怖いという。空中から魚雷攻撃を受けたらひとたまりもない。空中のヘリを攻撃できないからだ。それさえなければ潜水艦員に言わせれば、「世の中には2種類の船しかない。一つは潜水艦、もう一つは潜水艦に沈められる船である」ということになる。
静かにいかにひそかに潜水できるか?は溶接技術である。潜水艦員は3K労働(危険、汚い、きつい)だが、しかし1K、つまり「栄光」が加わると言う。5年間かけて技術を身につけ、後進に技術を伝えていく。熟練技術者がいるからこそ日本の潜水艦の高度な技術が維持されている。
わしは潜水艦「くろしお」を取材したが、食堂では椅子の中、テーブルの下など、あらゆる場所が食材の貯蔵所になっている。そして便所には「真水の一滴は、血の一滴!!」と、節水を呼び掛ける張り紙が!士官室で昼食をいただいた。メニューはカツカレー。
「そういえば今日は金曜日だったのか。」
一度海上に出ると曜日感覚がなくなってしまうため、それを維持するため、旧海軍以来、金曜日は必ずカレーである。
「海軍カレー」というのが、商品になっているが、海上自衛隊に共通のカレーのレシピがあるわけではなく、各々の艦船ごとに秘伝があるらしい。
防衛省のひとに聞いたことがある。
「呉で潜水艦の乗せてもらったんだけど、乗組員の中にちょっと太っているのがいたんだよね。潜水艦乗りってストレス溜まって食い過ぎるの?」
するとこう答えた。
「丸いハッチから出られる間は大丈夫です!」
「なるほど!」
潜水艦の食事は1日4食で、カロリーが高めに設定されているらしい。そのうち1食は食べなくてもいいのだが、3交代のローテーションで暮らしているので、基本は4食になる。
水上艦も4食だが、いざ沈没となったときに海の上に放り出されても生き残るためには体力が必要な為であるという。あるP3-Cの搭乗員はこういった。
「教官は教育の時、ご飯は絶対食えと。食わないと落ちた時に、生き残れないと。がぶって酔ってても絶対に食えと。そういう指導をされますね」
潜水艦の居住性も昔よりは向上したらしいが、それでもあらゆるところに制約があり、忍耐を強いられることは見ればわかる。しかも、隠密性が命である潜水艦の乗組員は、いつ出航し、いつ帰るかを家族にも言えないらしい。
江田島で幹部候補生と話す機会があった。
「この中で潜水艦志望という人はいるんですか?」
「はい!乗ってました。」
「あなた、魚雷の横で寝た事ある?」
「はい!夏は冷たくて気持ちいいです!」教室にどっ!と笑いが起こる。
普通の人ならぞっとして肝が冷えるが、彼らは感触として身体が冷える感覚を味わえるらしい。大した肝っ玉だ。
「潜水艦は風呂なんかも満足に入れないでしょ?真水の一滴は血の一滴とか書いてあったし。」
「はい。そうです。」
「体や汗や何やらで臭くないのかな?」
「それも潜水艦の匂いというものですので。」
「ひとの体臭だらけになりそうだなあ」
「はっきり言って臭いです!」教室にまたどっ!と笑いがおこる。
傍にいた軍事ジャーナリストの井上和彦氏が「潜水艦に乗っていた人は匂いでわかりますからね。」傍らの海自幹部も「タクシーの運ちゃんもわかるって言ってました。」
「こんな話を聞いても潜水艦志望は変わらない?」
「はい。やはり潜水艦が一番フロント(最前線)に出ていると思うので。常に潜って緊張状態にあって、そういうところを自分も志願してきたので!」
「ほ~~お、すごいね。」
小林よしのり氏は感心しまくりだったという。
潜水艦の抑止力としての効果は大きい。
四方を海に囲まれた海洋国家・日本を守っているのは、潜水艦だといっても過言ではない。日の当たらぬ深海でストレスに耐え、誰にも知られることなく黙々と任務に励む隊員たちよ、頼むぞ!
呉では掃海艇(そうかいてい)「みやじま」も見学した。
海中の魚雷をかたずける(つまり掃海する)船である。
兎に角、何かと五月蠅い日本国民も災害や特に東日本の未曾有の大災害での活躍で、「自衛隊の実力」がわかった筈である。だが、自衛隊の本来の目的は『災害救助』ではなく、『国防・防衛』である。『暴力装置』としての自衛隊で益々、抑止力として頑張ってもらいたい。
マックスウェバーのいう『暴力装置』とは『軍事力』のことではなく、『抑止力』である。例えば警察や自衛隊が力があるからこそ防衛も治安維持も出来るのであり、親が子供より『暴力装置』が強いからこそ犯罪を犯した時しかれるのだ。
自衛隊員は確かに愛国心も能力も高い。だが、政治家も国民も彼らの行動力がそがれるような態度や集団デモなどをして『足枷』になったら駄目だ。

参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P299~310)

【今上天皇・平成天皇退位2019年4月30日】皇太子殿下新天皇へ。同年5月1日即位

2017年12月01日 13時32分10秒 | 日記






















今上天皇陛下(平成天皇・明仁親王・上皇)が


2019年4月30日に退位(譲位)され、


皇太子殿下(徳仁親王・新天皇陛下)が同年5月1日に即位なされることで


皇室会議で決定された。

即位とともに改元され新元号も決まる。”平和”が新元号ならいいですね。


天皇陛下お疲れ様でした。長生きなされて下さい。




臥竜  2017/12/01   上杉(長尾)景虎