長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

ノブレス・オブリージュ 環境立国を目指し「観光産業50兆円」を目指せ!

2013年02月23日 13時47分52秒 | 日記
 教育の失敗、ノブレス・オブリージュ
 
 日本の漫画やアニメに代表されるサブカルチャーは70兆円産業であるとか。それに憧れて日本に観光旅行にくる欧米人や中国人やアジア人も(反日デモで中国人韓国人はちょっと不振だと聞くが)多いという。おしん、ドラえもん、ガンダム、エヴァンゲリオン、ワンピース、セーラームーン、プリキュア、仮面ライダー、ウルトラマン、スタジオジブリ、smap、AKB48、嵐、すべては日本に追い風が吹いているが如しだ。観光業成功はすなわち「2020年東京オリンピック招致」に帰依すると思う。そこで日本の漫画アニメのコンテンツとのコラボレーションしかない。具体的には「東京五輪招致」のPVを宮崎駿監督に制作してもらい嵐もAKBもどんどん利用して観光客を増やす。日本人が巨大な火の玉の如く「一枚岩」になって日本観光に特化するのだ。製造業ならロボットでいい。日本こそその特化が出来る。人材の宝庫だ。皆安心していい。日本には人材がいる。観光産業は50兆円産業であり、「宿泊・交通・流通・生産・旅行客」は一説には自動車産業に匹敵するという。税収は4兆円。例えば北海道ニセコエリア(北海道千歳空港から車で1時間のニセコ町)はかつては冬の雪の季節しか稼げないから「100日営業」と揶揄されていた。しかし、春夏秋もトレッキングやカヌーで年間25万人の外国人旅行者が来るという。ひとり25万円外貨をおとしてくれる。観光業により旅館やホテルが栄え、雇用が増え、コンドミニアム(別荘)も増えれば地価もあがり税収もあがる。セレブやアッパーミドルクラスが日本に観光にくる。だが、まだ日本への観光客は多くない。2012年の訪日観光客はオーストラリア+42.6%ベトナム+38.1%韓国+35.2%タイ+33.0%インドネシア+30.3%アメリカ+5%中国-47.6%です。外国人訪問数は1位フランス2位アメリカ3位中国で日本は23位でしかない。中東イスラム圏の観光客の為の、礼拝室や豚肉・酒をつかわない料理をつくるなどまだ少ない。わかりやすくタイ人が韓国か日本に観光旅行にいく例を見よう。韓国(ビザ不必要)日本(ビザ必要・書類提出(収入?仕事?))→韓国(Mパスカード(切符不要・韓国人より旅費安い))日本(路線が多い・切符必要(ジャパンレールパスというのがあるが新幹線のぞみ・みずほは適用外))→韓国(両替所・ATM24時間OK)日本(ネットワイファイ少ない・両替所少ない・金融機関は午後3時に閉まる)→韓国(年間観光客1000万人達成)日本(英語案内少ない・英語話せない)ということでいろいろイノベーションしなくては観光客は増えそうもない。製造業の雇用の減少が止まらない。産業空洞化に加え、日本の硬直的な労働市場が雇用の足かせとなっている。政治家は失業という雇用の一面だけを見るのではなく、人材移動と雇用のマッチングという大局的な観点を持たなくてはならない。
製造業の就業者、51年ぶりに1000万人を下回る
 総務省の2月1日発表によると、2012年12月の製造業の就業者数は前年同月比で35万人減って998万人となり、51年ぶりに1000万人を下回ったことがわかった。製造業の雇用が減少する流れが鮮明となっている。
 日本の製造業における就業者数は1990年代初めがピークで、その後はずっと減少傾向にある。2002年から07年にかけての、いわゆる「いざなみ景気」でほんのわずかに持ち直したものの、08年9月のリーマンショック以降はまた大きく雇用を減らしている。原因の一つは、やはり産業の空洞化だろう。工場の海外移転により、雇用がどんどん国外に流出してしまっている。
 たとえば、日本の化粧品最大手の資生堂は1月31日、スキンケア商品や口紅の生産拠点として同社の全製品のおよそ1割を生産していた鎌倉工場を2015年3月に閉鎖すると発表した。また、電子部品大手のアルプス電気も31日、非正規雇用を含めた国内外の従業員およそ3万2000人の1割に当たる3000人を、2014年3月末までに削減すると発表している。
 資生堂の鎌倉工場は立地も良いので売ればかなりの金額になる。少なくとも、マンション用地としての需要は見込めるだろうから、相当な優良資産と言える。
 ある意味では、もっと前に起きていても不思議ではない工場閉鎖だったかもしれない。資生堂に体力があったために、今日まで国内工場を維持できたというだけであって、いよいよリストラが不可避になってきたということだろう。
 化粧品の売り上げ先も、国内から海外に移ってきているため、わざわざ土地も人件費も高い国内で製造して輸出する必要もない。多くの日本企業は欧米の多国籍企業に遅ればせながら現地で製造し、現地で販売するという体制になってきている。
アルプス電気については、顧客企業の多くが海外に出て行っているため、それに付いて行かざるを得ないという事情がある。部品を買ってくれる顧客企業が拠点を置く国を目指すという、空洞化の流れは強まる一方ではないだろうか。
 また為替問題だけでなく、ここ2年くらいは国内の電力事情が空洞化を加速させている。さまざまなコストがかかったとしても、これまでは安定した電力供給というのが日本のメリットだった。
 しかし、原発停止によって電力が足りなくなり、電気代が大幅に値上がりしてしまうと、それなら海外に出て行った方がいいと企業は考える。
 電炉の専門メーカーである東京製鉄が電力事情のために国内工場の一部を海外移転するニュースが出ると、株価が上がるという現象を見逃してはいけない。“日本を見捨てる”という経営判断が株式市場的には評価されるというシグナルだからだ。
製造業の雇用減少について、もう一つ考えられるのが、硬直化した労働法規のせいで企業が臆病になり、雇用を増やさないという国内事情である。特に民主党政権の頃に、派遣問題などで雇用法が非常に硬直化した。当然、企業は人員調整できないリスクを嫌って正規採用を避けるため、雇用はなかなか増えないということになる。
 非正規雇用を規制すれば、企業は正規雇用にするしかなくなる。しかし、正規雇用は解雇が難しいし高コストになるということで多額の経費がかかる。簡単に正規雇用を増やすわけにはいかないから、それなら海外に移転してしまえと、ますます空洞化が進むという悪循環になっている。
 これは労働組合の強かった米国の北東部や中西部で起きた現象と同じだ。米国では国内で失われた2次産業の雇用以上のものをグローバル企業が海外で創り出した。正確な統計はないが、日本もこの間に国内で失われた400万人近い製造業の雇用を海外で創り出している可能性が高い。米国だけでも100万人の雇用を自動車産業を中心に日本企業が創り出していることから見て、中国や東南アジアを中心にそのくらいの雇用を創出している可能性が高い。
 すなわち政府の労働政策や為替のために多くの雇用が海外に流出したと見て間違いないだろう。
民主党政権の認識は、失業者の増加は避けなければならないから、企業に補助金(雇用調整助成金)を出して雇用を維持させればいいというものだった。しかし、問題の本質は失業ではなく、人材の移動が阻害されているということだ。
 スイスのように通貨高でも人件費が高くても競争力を維持している国を見れば分かるが、国は企業も雇用も守らない。つぶれるものを潰す非情さが企業にも国民にも緊張感を生み、どんな世界でも稼ぐ能力を身につけさせる。
 スウェーデンでは不要な人材を解雇しても社会システムがしっかりしているので食うに困らない。その間に新しいスキルを身につけて就職口を探すというやり方である。つまり、競争力のない人を競争力のない企業に張り付けるために補助金を出すという考え方の正反対で、日本はこの点を冷静に考えなくてはいけない。
 新しいスキルを身につけるという点において、「永久就職」を前提としてきた日本では深刻な問題が起こっている。学校を出てから社会人になって、再び学校に行って勉強しようという人が極端に少ないのだ。下図を見ていただくと日本がいかに社会人の再教育で後れを取っているかがよく分かる。
経済開発協力機構(OECD)の平均では大学・大学院に行きながら新しいスキルを身につけようとしている社会人が実に21%、5人に1人という高い割合でいる。日本は段違いに少なく2%、50人に1人という状況である。
 つまり、スキルは大学を出て働きながら身につけるという発想があるが(また、会社もそうした丁稚的な教育を是としているところが多い)、いまの世の中はそれでは追いつかない。働きながらでもインターネットなどを利用していくらでも新しい科目の勉強ができる世の中になっている。この面での後れが実は日本の国際競争力、とくにグローバル人材の輩出後れに直結していると考えなくてはならない。
 韓国でも金大中政権以来、グローバル人材育成に馬力がかかり、ある意味で企業社会での生き残りが昔に比べれば格段に難しくなった。社会人の10人に1人(日本の5倍)が新しいスキルを身につけるために大学・大学院に働きながら通うという。その実態が昨今の彼我の競争力格差にもつながっているのではないかと思われる。
 私自身も、新しいスキルを働きながら身につけてもらおうとインターネットで学べるプログラムをたくさん提供してきたが、今ではスマートフォンやタブレット型端末で通勤途中に往復2時間も勉強する社会人がたくさん出てきている。彼らは異口同音に新しい学びが即仕事に結びついていると言っているし、英語などでのリーダーシップ研修では90%以上の受講生が「大変役に立つ」と言っている。
 大学で学んだことが実社会ではあまり役に立たないことは誰でも知っているし、また旧態依然とした企業の社内研修でも大きな力にはならない。
 一方、米国の大学などと違って日本の大学では、いまの企業社会で役に立つ新しい科目を教える人がいない。文部科学省の大学認可のプロセスを見れば、大学の教授はあくまでアカデミックな実績が優先されている。彼らにはいまの社会人を教えることはできない。
 むしろ社会人を教えるには企業の第一線で活躍してきた人々、世界で活躍してきた経験者などが取り組まなくてはいけない。
実は今の日本には、雇用が足りない業種、企業というのが結構ある。とりわけ、安倍政権の経済政策「アベノミクス」で目先の景気が良くなってくると、急な人手が必要という状況が急速に起こってくるだろう。そういう業界では、雇いたいけど人材がいないので雇うことができない。2年前から住宅業界でも部材が手に入りにくくなっているが、東日本大震災で実は基礎的な産業で人手不足が起こっているのだ。
 労働力の供給不足で困っている業界があるかと思えば、一方で家電や半導体のように大規模なリストラが必要な業界も存在する。あるいは、政府からの補助金で社内失業者を抱えている企業があったりする。
 労働供給不足と労働需要不足という、まったく風景の違う世界が日本国内に併存しているのに、政治家は問題の一面にしか気づくことができないでいる。アベノミクスの目玉プログラムである再生ファンドの狙いが(シャープなどの)苦戦している会社の資産を買い取って支えていこうという時代錯誤の感覚に基づいたものだ。もっと経済全体を俯瞰して見なければ、現在の日本が抱える(労働)問題の本質は見えてこない。
 雇用が足りない業界と雇用が余っている業界との間で、(上記で紹介したスウェーデンなどのやり方がないために)人材の行き来がないのでいつまで経っても雇用のマッチングが進まない。しかも、補助金によって不要人材を張り付けるために人材の行き来を政府が妨害している。その結果、ますます雇用のミスマッチが悪化していく。
 これでは、雇用を吸収するべき業界がちゃんと機能せず、雇用の余剰が放置されていくだけだ。問題解決のためにも、まず政府は先進国の事例などを調査して労働市場の硬直性を是正する方策を打ち出していくべきだ。(大前研一師匠談)



「エリエール」で知られる大王製紙の前会長で創業者の孫の井川意高(いかわもとたか)容疑者(47)がグループ企業から100億円横領して刑事告訴された。全部ギャンブルで遣い果たしたという。とんでもない「バカボン」です。もう少しノブレスオブリージュや社会道徳が欲しかった。だが、そんな大金私財で返せる訳もなく、自殺して「死亡保険」でちょっとははらってほしい。 2011年10月3日朝霞(あさか)国家公務員宿舎建設が「凍結」された。16宿舎を解体して朝霞国家公務員宿舎に統合するというが、都心の一等地(埼玉県)なのに家賃月4万円(税込宿代+光熱費込み)という贅沢宿舎に「ふざけるな!」「その分を東日本大震災復興費に当てろ!」と不満轟々でした。ですが「廃止」でなく「凍結」ということはいずれ「解凍」するということです。実は役人を監視する役人つまり「マネジャー」が20万人(地方出先機関)います。銀行じゃないので「無駄」ですよね。政治家は官僚に舐められているのは官僚と「同じ土俵」で対峙しちゃうから。だから騙されたり詐欺まがいの官僚言葉でしてやられる。政治家は「国民の立場に立てばダメだ!」ときっぱりいえばいいだけ。パブリックサーヴァント(公僕)という事を忘れるな。また「人事院勧告」とは「人事院」とは「国の人事部」です。国家公務員や国会議員の給料を韓国する行政機関です。が、だいたい民間が年収406万円にたいして公務員年収は633万9000円です。人事院は「民間と同じ基準で」というが「エリート企業と同じ…」というおまけつきなんです。2010年11月26日、馬渕氏仙谷氏の問責決議案が可決されました。馬渕国土交通大臣は「尖閣諸島中国漁船衝突ビデオ流出事件」で仙谷官房長官は「自衛隊を「暴力装置」」と発言したことでだ。2010年11月22日、国会軽視発言をうけて菅内閣の柳田法相が辞任しました。菅直人総理大臣ならびに仙谷官房長官、馬渕大臣、前原大臣らの「ドミノ辞任」の問責決議案も野党は検討しているようです。民主党の柳田法務大臣が地元広島でのパーティーで「法務関係なんかさっぱりわからないから官僚まかせ(馬鹿で資質がないから)」「法務大臣としての国会答弁は2つだけ。「個別の案件にはお答え出来かねます」と「法的観念に対して適切に対処していきます」だよ(笑)」と言って(39回も言っている)反感され一応謝罪しました(馬鹿のひとつ覚えの「真摯に対応していきます。謝罪いたし…」を20回繰り返す)。このひと馬鹿なの?菅内閣支持率は26%、「法相辞任するべき」は79%です。現在、「官僚の天下り」は4500の特殊法人団体に2万5000人が天下りして毎年12兆円が無駄になっています。民主党政権になってから「天下り」を禁止するとの「建前論」から事実上の天下りである現役官僚による民間企業への出向を良しとした。「退官後」からの天下りより「現役」であるほうがむしろ悪質で質が悪い、という現役経済産業省官僚の古賀茂明氏の主張は至極当然で正論である。だが、その古賀氏を官房長官(当時)である仙谷由人(せんごくよしと)氏が恫喝し、2週間もの「ひとり全国出張」を科して虐めるなど言語道断である。いったい「影の首相」は国民と官僚機関や労組のどちらの味方なのか?なお官僚とはキャリア役人のことです。キャリアとはかなり難しい国家公務員試験をパスした役人のことでおもに中央官庁(霞が関)に勤める 官僚のことです。
おもに東京大学法学部卒業が多いといわれます。何故かといえば東京大学(旧・帝都大学)法学部は元元、「官僚を育てる為に作られた大学」だからです。東京大学以外でキャリア試験をパスしていないひとは「ノンキャリア」といわれなかなか出世することが出来ません。そんな中で逮捕されました村木厚子元・被告は異例の出世をしたことになりますね(村木氏は2010年9月10日に「無罪」です)。また官僚の騙しのテクニックを教えます。官僚は正面からは抵抗しません。例えば霞が関文学というのがある。「財政」は予算編成のことです。「調査審議する」は予算編成を含まないことです。すれ違い答弁もします。とにかくくねくねといい逃れます。「完全無料化」と「完全に無料化」は「に」が入っただけでかなり違います。にが入ると「完全無料化」ではなく民間法人や国の持ち株主化も含まれる訳です。
官僚の主な仕事は「国会対策(政治家の答弁)」です。
つまり政治家がどんな質問をしてどんな答えをするか決めて「作文」を作成することです。政治家は官僚の「操り人形」のようなものなんです。だからこの統治能力をなくすべきです。官僚が「政治家の作文を造るのは止めさせて」政治家に自分自身の頭で考えさせることです。
官僚にももちろん定年は「建前として」あります。が、官僚社会は完全なピラミッド形式です。一番偉いのは大臣(政治家)ですが、官庁のトップは「事務次官」です。ですが事務次官はたったひとりしかなれません。当然ながら歳をとるごとに「間引き」される訳です。
だから官僚は定年前に省庁の関連会社に天下りする訳です。ですが「再就職」とはいえ、官僚はハローワーク(職業安定所)で職場を探す訳ではありません。退職金何千万円を貰った後で「渡り」と言って出身省庁関連会社役員など数年間だけ席を置き、次々と会社役員などを渡り歩き、その度々に「何千万円」もの退職金を貰います。合計金額は何億円の退職金を貰うそうです。その再就職先で元・官僚は何日も出社せずに、官庁と天下り会社の「口聞き(公共事業の斡旋など)」をするだけです。
能力が本当にあるひとならいいんですが…。まあ、一般会社では「渡り」はもちろん「官庁省庁による再就職活動」などすることはありません。官僚はハローワーク(就職案内所)で再就職活動をしてください。それがノーマルな就職活動というものです。とにかく「天下り」や「渡り」を禁止してください。官僚はハローワークに行って就職活動をしてください。
まあ、天下り先の公益法人の廃止ですね。

よく聞かれる「友愛」とはプリンシィプルやノブレス・オブリージュではないだろうか。「友愛」を一般化することなど不可能です。意味もありません。猿の世界を見ればいい。ボス猿は仲間の嫌いな猿をいじめ抜く。いじめられた猿は隅で小さくなっている。人間は猿とは違う。いじめられたら「負けたままで堪るか。今に見ていろ!」という人間が出てくる。この反発力が人類を発展させてきた。皆がニコニコ笑ってお互いが好きという世界はむしろ不気味だし、人間の成長もあり得ない。あのソクラテスでさえ死のまぎわは「私は知識の海の浜辺で貝殻を拾っているだけだ」という。あの天才のソクラテスでさえ「自分の無知」を認めて死んだ。なのにソクラテスの半分のIQもない輩がわかったことを言うのは醜悪です。私だって「知らないことばかり」です。もっと自分の頭で考えるところです。知らないことは知らないことです。わかったふりでは何も変わらない。お互い勉強不足ですね。頑張ってください。
また「お金儲け」のことですが、確かに「お金」は大事です。どんな綺麗事を言ったところでお金がなければ一切れのパンさえ買えない。それが現実です。だがだからと言ってホリエモンや小室哲哉のように「命の次に大事なのはお金だ!」では只の馬鹿です。よく論語と算盤というように「お金儲け」と「論語(道徳)」は両立するべきです。「命の次に大事なのはお金だ」では只の福永法源です。所詮、お金儲けには論語がないと只のホリエモンや小室哲哉や福永法源のように没落する。要は何の為にお金儲けをするか?だ。私利私欲では何も変わらない。自民党政権になったところで何も生活は飛躍的には変わらない。宝くじを買ったって当たる訳ありません。努力なきところでペイなきです。論語と算盤というように人間はいかになろうともプリンシプルを失っては生きていけないのです。悪銭身につかずです。努力なきところにお金儲けなしです。ホリエモンや福永法源や小室哲哉では意味がありません。もっとプリンシプルをしっかり持ってください。上杉の義を持ってく
ださい。それがプリンシプル(原理・原則)です。
またノブレス・オブリージュとは高貴なる責任です。高い地位やポジションにいるひとやパブリックサーバント(公僕)には責任がともなうということです。只の権力欲や出世心では高い地位やポジションについても失敗する。高い地位のひとには「社会的貢献の責任」がともなうということです。頑張ってください。 
 
 

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アメリカの正体 ベネズエラ大統領選挙・チャベス大統領4選後継者必要?

2013年02月23日 13時14分24秒 | 日記
 アメリカの正体
  
ここではベネズエラ情勢について述べます。ベネズエラ情報省は2013年2月15日、キューバでがん治療中のチャベス大統領の写真を公表しました。チャベス氏は昨年末がんが再発し、1月の4期目の就任式を欠席しました。重篤状態ということで職務復帰が危ぶまれているので支持者へ健康をアピールする狙いがあった。だが、写真を見る限り、とても大統領職を果たすことは難しいので後継者を決めることになりそうですね。ベネズエラが独裁国家か否かは意見がわかれるところです。が、近年独裁状態から民主化した国を見ていると「民主化より独裁体制のほうが安定していたな」と思います。民主主義を否定するつもりはありません。が、ギリシャの教訓がありますね。独裁者を全面的に賛成するか?は金正恩やチャベスを認めていい訳はありません。ですが例えばシンガポールのリー・クアンユー氏やマレーシアのマハテール氏のような「善意或る独裁」ならいいのです。サダム・フセインやムバラク氏、リビアのカダフィ大佐は「善意或る独裁者」ではありませんでした。ですが独裁時代の方が治安がよく経済も安定していたように思うのです。現在、シリア・イラク・エジプト・イラン・北朝鮮など危険な国は沢山あります。民主化がいかにいいのか?悪いのか?なんだかよくわからないですよね。また日本の移民対策に関してですが、石原氏のいう「日本中新大久保みたいになっていいのか?」等にはならない「賢い移民政策」が必要です。基本的には技術移民受け入れと単純作業移民の受け入れ拒否です。それさえやぶらなければ「日本中新大久保」にはならない。
第二期オバマ政権のスタートです。国務長官にケリー上院議員、国防長官にヘーゲル氏、CIA長官ブレナン氏、財務長官ルー氏、経済財政諮問会議長官クルーガー氏等ですね。2012年11月6日、バラク・オバマ現職大統領(民主党)とミッド・ロムニー共和党代表とのアメリカ合衆国大統領選挙がありました。オバマ現職の再選ですね。選挙人はオバマ氏303人ロムニー氏206人の大差です。しかし、上下院ねじれ状態でアメリカ版「決められない政治」と莫大な財政赤字で何もできない状態です。若者などの失業率17%もリスクといえばリスクです。オバマ氏は7日には財政再建と経済成長の両方に取り組むといいますが米国上院は野党共和党議員が大半です。また大統領選挙が1年半というのも「列車時代」の産物で現代なら3か月程度でいい筈です。1年半も800億円もかけて両候補がネガティブ・キャンペーンをやらかし、米国には倦怠感が広がっています。また今回は黒人とヒスパニックやラテン系アジア系アメリカ人がオバマ氏を支持、白人ユダヤ系白人ヨーロッパ系白人がロムニー氏を支持しました。オバマ大統領だからこそ(大型減税の失効と歳出の強制削減の重なる)「財政の崖」を回避が難しい。兎にも角にも財政の崖の回避がオバマ大統領に求められています。ですが、黒人アジア系など有色人種が基盤のオバマ氏では、白人富裕層への増税が出来ないのではないか?と懸念されています。なにより議会がねじれ状態のままですから、演説だけうまくともどうしようもない。オバマ大統領にとっては苦しい最期の4年間となりそうだ。だが、「財政の崖」は土壇場で回避された。結果は6つ。①年収45万ドル(3900万円)未満の減税恒久化②勤労者の社会保障(給与税)の減税延長認めず③年収45万ドル以上の富裕層への20年ぶりの増税④歳出の強制削減の2か月の延長⑤緊急社会保障税1年間回避⑥日本の相続税にあたる遺産税の増税を緩和、である。まあよかったが「問題の先送り」をしているだけに過ぎない。2012年10月8日、ベネズエラの大統領選挙でチャベス大統領が4選で当選した。反米の独裁者だが、豊富な石油資源での大金を貧困層にばら撒いていて、無税や教育料金・医療費などをほぼ無料にしているため人気は絶大だ。2012年9月11日は、「米国同時多発テロ」から11年です。アフガンは泥沼化していますが、よほどのことがない限り「オバマ現職大統領再選確実」です。まあ、米国は3年間サブプライム不況の後遺症から回復したばかり。でも、米連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)と米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)は債務超過から資金超過になったのはオバマ大統領の経済政策の成果です。今、現在進行形な米国の不幸は「学生ローン」の問題です。アメリカ人の1人当たりのローン額は、平均2万5000ドル(約196万円)です。ロムニーもライアンもいらないが、今後この「学生ローン」が問題視されると思います。職に就き年棒5万ドルから10万ドルと稼げればローンは返済できる。だが、失業者が拡大すれば「第二のサブプライム・ショック」にもなりかねません。4年後の2016年の民主党アメリカ大統領候補に、ヒラリー・クリントン氏との意見が60%だという。クリントン国務長官の好感度は高く、アメリカ大統領初の女性大統領という声が大多数だという。まあ、ありかな。2012年11月の米国大統領選挙は共和党代表のロムニー氏VSオバマ現職大統領(民主党)の一騎打ちとなりました。結果はオバマです。オランド仏新大統領は「緊縮より成長を」というが「夢物語」を語っているに過ぎない。「成長すれば緊縮策をしなくていい」などというが相当成長しなければならない。成功例はある。レーガン元米国大統領とサッチャー元英国首相だ。だが「小さな政府」路線でおもいっきり全部の規制を撤廃した。当然最初は大量の失業者がでる。改革の芽が花開くのは15年後か20年後だ。だからレーガン氏サッチャー女史も現職を追われた。米国はクリントン時代に高度成長という改革の花が咲き、英国もブレア政権に成長した。改革とはそれぐらい時間がかかるものだ。改革の成果を拙速に問うべきじゃない。ちなみに小泉改革とは名ばかりで、郵政民営化法案以外(といっても郵政国有化に復帰しつつあるが)何のいいこともしていない。だから日本には「改革の芽」などない。バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は、「我々は(日本のような)デフレに陥るのを回避した」と発表。バブル崩壊後の長期デフレ不況になった日本のようにはならないといいます。非正規雇用と正規雇用の均衡処分、医療、介護など成長分野の需要を掘り起こすと。でも、米国は90兆円規模の資金を投入して「ゼロ金利」にし、日本化していますね(笑)。日本は少子高齢化と国内消費冷え込み、外国人(優秀な技術をもつ外国人)労働がほぼゼロに近く、ダイナミックな政策がとれません。しかも日本の企業は一部経営難な企業を除けば、構造的に企業が資金を必要としていません。2001年から2006年にかけて日銀が30兆円規模の資金をマーケットに投入しました。しかし、ニーズがなく資金は吸収されませんでした。で、悪名高い「中小企業金融円滑化法(モラトリアム法)」につながってしまった。日本の中小企業は「借りてもどうせ後で貸しはがされる」と思いだれも借りません。だが、米国はラッキーです。米ドルは世界通貨であるため輪転機でドルを刷れば世界中で買えます。日本、中国、ブラジルなどの世界の国々はそうはいきません。世界で買うときは外貨(米ドル)を手に入れなければならないのです。日米貿易戦争は30年の歴史があります。だから日本人はそのような米国の経済を知っています。だが、中国はまだ知りません。米国に「いじめられてる」最中です。是非、日本の経験を中国は学んでほしいと思います。またオバマ大統領がアフガン電撃訪問です。ビンラディン殺害から1年目ですね。2012年4月30日、野田首相が訪米してワシントンDCでオバマ大統領との「日米首脳会談」が開催された。中国の台頭に対しての日米の防衛・経済連携で合意したという。米連邦準備制度委員会(FRB)の連邦公開市場委員会(FOMC)は「事実上のゼロ金利制度」を続けるそうです。さすがはバーナンキ理事長です。日本の「失われた20年」を反面教師にしている。また米国では民主党バラク・オバマ大統領と共和党のロムニー氏(前マサチューセッツ州知事)の一騎打ちです。しかし、今のままではロムニー氏はオバマ大統領に勝てないだろう。ロムニー氏は海外に200億円の資産を持っていて、米国内に税金を払っていない。違法ではないが一般的なアメリカ人には「99%の俺らと違う1%のやつだ」と映る。EU内の失業率は10.8%になりPIIGSが足を引っ張っている。スペインの失業率は20%でギリシャ・ポルトガルも同じ。日本とドイツの失業率は10%と非常に優秀な結果です。まあ、日本の場合、職を求めていない完全失業者はカウントされていないけどね(笑)。これから起こるであろう「イランへの攻撃(イラン戦争)」は軍産複合体の「ウォーエコノミー(戦争犯罪)」によるものだが、軍資金はまた日本からということに(中国や韓国・EUも)なりそうですね。また戦後に掃海艇をだして大金出して感謝もされず…ですか(笑)。広島長崎の原爆を米人に知らせよ。1945年8月、広島と長崎に米軍機による原爆投下が行われ軍人でもなんでもない無辜の、一般人が何百万人も虐殺されました。これは明らかな「戦争犯罪」であり「(民間人を巻き込まないという)国際法違反」なんです。でも米国では「戦争終結を早める為」もしくは「戦争続行での米兵の死をすくう為」に原爆投下したのだ、と詭弁を学校で教えられるそうです。もちろん原爆被害者の死体写真も教科書には何も書いていません。原爆など落とさなくとも戦争は終わっていたでしょうね。日本全土が焦土と化し、昭和天皇・裕仁も自決を覚悟していたそうですから。まあ、映画「パールハーバー」の演者も詭弁を言っていたでしょう?これは「帝国日本軍による侵略と無辜の民虐殺」と同レベルです。謝って改めるに憚る事なかれ、だ。まずは隗より始めよ。「セキュリティサミット」で米国のオバマ大統領と韓国の李明博大統領が会談し「北朝鮮の弾道ミサイル(人工衛星をあげるとカバー)」の打ち上げ停止を呼びかけた。米国は北への食糧支援もやめるとも。2012年2月14日ワシントンDCで事実上の米中首脳会議があり、習近平氏とオバマ大統領が会談しましたね。オバマ氏は「大国としての責任を」と釘をさしました。またモトローラ・モビリティ/モトローラ・ソリューションは創業者家出身で90年に会長を辞任するまで30年に渡りIT業界の牽引役だった巨人、ロバート・ガルビン氏(89)の死去を発表しました。ソニーの盛田氏(故人)と通商でやりあって(日本が半導体を失う羽目になった)日本が韓国に半導体工場を移して「寝首をかかれた」一件の「大悪人」です。米国は何年か前に未来学者のハーマン・カーン氏が「2000年には日本のGDPは米国経済を抜く」といいました。結果は…。私は米国経済がさらにコケル心配をしています。ジョブズに加えガルビンも死んだからです。杞憂だといいのですがね。アメリカの失業率が9.1%となり米国内各地でデモが頻発しています。彼ら彼女らは「Job! Job! Job!(仕事をよこせ!)」といいます。ですが、米国には仕事はありません。でも、だからって馬鹿みたいに「ニューディール政策もどき」みたいなことをしても駄目です。要は政府役人なんかに景気は治せないと悟り、自分で「沈みゆくタイタニック号」から少しでも大金をぶんどり逃げるという「走為上の計」です。9・11米国同時多発テロ事件から10年、東日本大震災から半年。米国ではアルカイダによる米国国内のテロの信ぴょう性の高い情報があるという。何も起こらないといいね。ただ、言っておくが我々が戦っているのはアルカイダなどのテロリスト集団でイスラム教徒ではない。9・11に歴史的必然などない。2011年7月3日タイで総選挙が行われタクシン派が圧勝、タクシン氏の妹・インラック・シナワット氏(44)が女性初首相に決まりました。また米国とフィリピンが協力関係構築で東シナ海での中国のけん制を計りました。ここ10年程で米国内ではKKK(クークラッククラン)のような「白人至上主義」が吹き荒れていて不法移民や有色人種が年に7000人以上殺されているという。9歳の少女までメキシコ人というだけで殺害された。とんでもないことだ。また米国クリントン国務長官が世界銀行総裁に転身の意向だそうです。驚きの転身ですよね。ペルー大統領選挙は元・軍人のオジャンタ・ウマラ氏(45)が勝利、日系人で女性・フジモリ元・大統領の長女、ケイコ・フジモリ氏(36)は敗北しました。米商務長官がエジソン・インターナショナルのジョン・ブライソン氏を内定(ロック商務長官が中国大使に成るため)しました。2012年米国大統領選挙で民主党の候補はオバマ大統領でほぼ決まりですが、野党共和党は有力な対抗馬はなく、ロムニー氏が共和党候補者になりそうです。オバマさん再選かな。ワシントンDCで中国首脳と米国首脳が米中戦略・対話がはじまりました。人民元引き下げで合意し、米国は為替レート変動を調整。両国は包括的な貿易不均衡打開で合意。日本の東日本大震災の支援で両国一致。外交軍事に対して協議場設置。エネルギー管理協議で一致しました。いよいよアメリカと中国の二大大国の時代です。2011年5月1日夜、米軍がパキスタン・アボッタバードで9・11同時多発テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディン容疑者(54)を銃撃戦(「ジェロニモ作戦」)の末殺害したとオバマ大統領は勝利宣言をした。「正義を遂行した」という。DNA鑑定でも本人だとする。ビンラディンは丸腰であったという。遺体写真は公開するか米政府は迷っている。反米感情を煽る可能性が高いからだ。だが、アルカイダの報復テロが怖いからしばらくは米国に行きたくないな。だが、アルカイダやビンラディンとイスラム教は関係ない。2011年4月29日米国内で16以上の竜巻があり、300人死亡2000人が怪我です。FOMC(米国連邦公開委員会)は米国追加緩和を2011年6月で終了とした。「ゼロ金利」は継続です。「舌禍」で更迭された前・米アフガン司令官・マクリタル氏の証拠がなかったことがわかりました。またキューバは市場主義を一部導入するそうです。やはり共産主義では駄目だということか(笑)。バラクオバマ氏が大統領選挙に出馬表明し、選挙活動を始動した。二期目も「Yes We Can」でいくらしい。そして、とうとう中国がGDP世界第2位になりました。だが、一人当たりのGDPは日本人の10分の1です。2011年1月、胡錦涛国家主席が訪米して、バラク・オバマ米国大統領と会談、米国旅客機200機3兆7000億円の「政治的お土産」の商談をまとめ握手しあった。さすがは胡錦涛氏、人権問題は軽くかわすしたたかさでした。米国は「ウィキリークス」や開設者のアサンジ容疑者を本格的に捜査することをきめましたね。また民主党上院議員の女性・ガブリエル・ギフォーズ代議士(40)が銃で暗殺されかけました。銃弾は左脳を貫通しており、意識不明の重体だそうです。FRB(連邦準備委員会)が更なる追加緩和で米国債48兆円購入です。これは米国債を購入することで資金を市場に還流させる策です。FOMC(Federal Open Merker Oommictee. )つまり金融会議で決まりました。2010年11月中間選挙で、オバマ「民主党」が大敗です。下院(民主党184、共和党239)上院(民主党51、共和党46)知事(民主党15、共和党27)と大敗でオバマ大統領は2期目は無理ではないか?といわれていますね。今、米国政界で話題の女性がいる。それが元・アラスカ州知事で、マケイン共和党候補とタッグを組みオバマ・ヒラリーと大統領を戦ったメガネの美人女性である。大統領選挙では長女が未婚で妊娠(長女と彼氏は結婚しなかった)という敵失やオバマの天才的演説もあり敗退。選挙後忘れ去られた。が、自伝本「ならず者で生きる」を出版し全米をまわりベストセラーになった。2012年のアメリカ大統領選挙にでる予定だという。準ミス・アラスカ、TVレポーターを経て政治家になったひとで、メガネは日本製だ。「Yes we can」ではなく「OH,no you don't」といおう、という。アンチ・オバマの受け皿…それがサラ・ペイリン女史(46)である。ですがペイリンさんは「世界情勢」に無知なようで「北朝鮮からの韓国への攻撃事件」で「同盟国の「北朝鮮」を支援する」といいました。また「アフリカ」を「アフリカというひとつの国」だと思っていたそうです。このひとが未来の「女性初の米国大統領」ですか?大丈夫なんですか?なおFRBのバーナンキ議長は否定したが、結論は米国経済が「二番底」に陥ったということである。失業者はさらに5万4000人増加し、失業率は9.6%です。住宅市場も商業ビル市場や雇用の景気回復も遅れている。しかし雇用は「遅行指数」である。オバマミックスは失敗した。米国の心配はかつての日本のような長期低迷にならないかということ。その2はあまりにも米国経済が中国に依存していること。9000億円の大豆輸出など依存が過ぎる。中国がこけたら米国もこける状態だ。また金融規制法(ボルガー・ルール)は米国以外ではどの国も採用しないだろうとFRBが皮肉でいう。しかし研究価値はある。それは金融規制法+消費者投資家保護ならばの話である。ニューヨークのタイムズスクエアで爆発物をつんだ不審車が発見されました。まだ爆発未遂でです。イスラム・テロ集団の仕業でした。ホルダー司法長官は「タリバンの仕業だ」と認めてますね。各国首脳NPT会議もありますしね。米国の核弾頭数は5113発だと明かしましたね。またルイジアナ沖の原油流出は対応が遅れていました。漁業関係者に被害がでていましたね。もう終結から1年になります。事故が起きたのは2010年4月20日メキシコ湾沖のパイプラインのBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)社の「ディープ・ウォーター・ホライズン(DWH)」という海上のくみあげ施設である。海底1500mから原油のある5500mまでボーリングして、そこの給油口が爆発して炎上、DWHの施設が破壊され海の藻屑となり原油だけが海上に垂れ流しの状態になっていました。日本ではあまりニュースになってないが、欧米ではメキシコ湾海流にのれば原油がヨーロッパにまでいく可能性があり大変なニュースになっていた。メキシコ湾の牡蠣、海老などが全滅し、ペリカンなど500羽が死んだ。またこの湾は日本に輸出される大西洋クロマグロの産卵地であり、日本の市場にも影響が出そうだ。BP社はこれまでトップが謝罪していない。が、幹部のスウェーデン人が謝罪したが、このひとは英会話が下手糞で「一般庶民の皆さん本当に申し訳ありませんでした」の「一般庶民」を「スモール・ピープル(小さいひと)」といってしまい米国人(BP社は英国企業で、さらに英国人の年金機構のほとんどがBP社に投資しており英国人年金に黄色信号が灯っていた)の怒りを買った。オバマ大統領は初動対策に遅れて大変な被害がでていたがこれまで何度も海底1500mの原油流出を止めようと作戦が実施された。1、ドーム作戦(原油流出口をドーム型のもので止める作戦。失敗)2、トップキル作戦(流出口そのものを止める。失敗)3、キャップ作戦(50cmの流出口そのものにキャップする。少し成功。だが原油流出の3分の1しか止められず)4、最終作戦(1500mの海底の左右からボウリングして5500mの原油ラインそのものを止める)。最終作戦は9月頃までかかった。しかし、7月で止めましたね。よかったと思います。だが、米国景気は確実に回復しているようです。GDP1月から3月まで前年比3,2%増です。ここではオバマ大統領のことを書き込みします。大統領の支持率は平均57%と第二次世界大戦後、大統領選を経て就任した9人の大統領のうちレーガン氏と同率のワースト2位です。が、これはオバマ大統領に対しての否定的側面を強調していました。最も低かったのはクリントン大統領です。ブッシュ父の政権が経済を破壊した後だけに後始末が大変だった為です。が、オバマ大統領は実行力が伴っていません。演説だけは上手いけど何も出来ないってことです。国民健康保険制度などまったくのデッドラインです。演説だけ上手くても政治や経済はよくなりません。金融政策は金融機関の事業内容に一定の制限を設ける内容で、銀行にヘッジファンドの保有・出資などを禁止、大手金融機関の負債の規模に上限を設定することです。これが実現化すれば利権まみれのウォール街を変えることが出来ます。が、一般の投資家から集めた資金だけで運用するというのは結果的には正しいかも知れないけど、ファンドを通じての銀行貸出がなくなるということは世界経済を動かす為の「潤滑油」がなくなる訳です。米証券取引委員会(SEC)がゴールドマンサックスを訴追しました。容疑は詐欺です。またバーナンキFRB議長の再選についても批判が出ています。オバマ大統領の経済的側近はボルガー元FRB議長ですがあまりに老人過ぎます。オバマ大統領は演説だけは上手いけど「青い」し「言葉多しは品少なし」です。もっと現実的な策士になってください。政治は弁論大会ではありませんよ。オバマ大統領は個人的には好きな政治家です。それだけに実行力のなさが情けないのです。もっと策士になってください。今回は「アメリカ合衆国」のウィキペディアです。
オバマ大統領は「核配備削減演説」でノーベル平和賞をもらいましたが、あくまで「配備」をやめるということでロシアと合意したことを考えて下さい。「削減」ではなく「配備」をやめるという。つまり、核弾頭を大陸間弾道ミサイル(ICBM,SLBM)から外すだけです。これは米ソ冷戦時の「MADポリシー」よりはましです。つまりMUTUAL ASSURED DESTRUCTION(相互確認破壊能力)でどちらも核で牽制しあっていた時代です。「キューバ危機」(ソ連が1960年代にキューバにソ連の核ミサイル基地を作ろうとして米ソが核戦争手前までいった危機)が有名ですね。ちなみにNPT(核拡散防止条約)は条約作成時は核兵器保有国は国連常任理事国(米ソ英仏中)だけでした。ダライ・ラマとオバマ米国大統領が会談しました。米露新核軍縮条約調印です。7年で1550発のICBMやSLBMつまり大陸弾道ミサイルを削減するそうです。が、問題は3位の中国がはいっていません。中国はやはり反発していますね。また米国大統領は北朝鮮をテロ指定国家と認定しないそうです。あまりに甘い判断です(人質をとられていた為)。デトロイト上空で米国飛行機内で爆発テロ未遂事件(09年12月26日)がありました。アルカイダのイエメンを拠点とするナイジェリア国籍のアブドルムタラブ容疑者(23)が起こしたテロ未遂事件であった。「アラビア半島のアルカイダ」というテロ組織からインターネットで犯行声明がありました。イエメンの米英大使館はテロの標的になる為に封鎖しましたね。オバマ大統領は2011年7月から米軍のアフガニスタン撤退を開始すると宣言しましたね。また2010年夏迄に3万人増派するそうです。有人月探査計画は打ち切りになりました。今までに90億ドル投入されていました。NATOも増派を検討中です。キューバのグァンタナモ刑務所をアメリカ合衆国本土に移すそうです。09年11月17日、米中首脳会議がありましたね。オバマ大統領と胡錦涛主席で「非核」「地球温暖化防止」で合意しましたね。が、オバマ大統領のスタンスは「同盟は日本重視」「経済国際協調は中国」…今米国の軸足がブレまくっています。経済的には中国に頼らざる得ないが、日本の技術力もあなどれない。オバマ大統領の外交姿勢があまりにお粗末です。またオバマ大統領は内政(例えば国民保険制度(医療制度法案は可決されました。4600万人の無加入者のうち3400万人加入可能)や景気回復対策)もお粗末です。まあ、確かに批判だけなら誰にでも言えるって言われればその通りです。米国ではオバマ離れが進んでいます。まあ、頑張ってください。ロシアとは第一次戦略兵器削減条約(START1)の「つなぎ」で合意しました。オバマ大統領は09年11月13日に来日しましたね。「米国とアジアの関係強化」と「スマートグリッド(賢い送電網)研究」を打ち出し、あっという間に鳩山元首相と茶飲み話し的に会談して去りました。まあ、普天間基
地問題は先送りです。そして鳩山元首相の「日米関係はすべての礎」という虚しい言葉に顔をしかめた。が、インド洋での給油活動はやめるが、アフガニスタンに50億ドル寄付すると聴いてにんまりしましたね。所詮は日本は「世界のATM」か?オバマ大統領は09年度のノーベル平和賞ですね。プラハでの「核なき世界」という演説が評価されたようです。 ノーベル賞はスウェーデンでですが、ノーベル平和賞だけはノルウェーで決まります。やや話題性を狙ってオバマ米国大統領を選んだようです。例えばマザーテレサさんなら誰しも納得します。が、金大中さんやアラファトさんはふさわしくありません。むしろ米国大統領はノーベル賞をもらったことでイランや北朝鮮への爆撃がうまくできない状態です。また日米共同で核廃絶を提案してしまいました。が、例えば北朝鮮は中国、イランは200発核ミサイルをもつイスラエルを炊きつければいい訳です。イスラエルは必ずイランの核施設を叩きます。また北朝鮮は永くはもちません。東京オリンピック誘致は失敗でした。私は東京オリンピック誘致は反対でした。が、広島長崎がオリンピック誘致するのは賛成します。是非ともやってほしい。是非とも頑張ってください。米国は7月から9月までのGDPは3・5%増加しました。が、長引く個人消費低迷と失業率上昇(10・2%)です。米国の今年9月まで一年間の財政赤字は1兆4190億ドル(129兆円)で、これから10年間の累積赤字予想額は9兆ドルでかなり深刻ですね。米国はかつてのバブル経済崩壊後の日本の轍を踏襲しようとしています。日本から学べることは「マネーサプライや金利の上げ下げ」では「景気回復にならない」ということです。オバマプランなどは日本の同じ轍を踏襲するだけです。09年9月11日はアメリカ同時多発テロから8年ですね。が、ロシアへの配慮で東欧(ポーランド、チェコ)へのMD(ミサイル防衛計画)の配備を中止しました。またオバマ大統領はいわゆる「国民保険制度」を政策として法案化しようとしてかなり反発されています。実はアメリカ合衆国は日本のような「国民保険」がありません。だからアメリカ人は高額な医療費を払っています。これは大事な法案なのに野党共和党のネガティブキャンペーンで国民は騙されています。目を覚ませ、アメリカ人。また米国駐日大使のジョン・ルース氏(54)が到着いたしましたね。氏はカリフォルニアのシリコンバレーの弁護士です。アメリカの正式な国名は「アメリカ合衆国」です。合衆国とは50の州の合衆国ということです。首都はワシントンDCです。 アメリカ合衆国が戦争する訳は?ですか?その前にアメリカ合衆国のGDP(国内総生産)は1350兆円です。2位の日本は466兆円です。中国は367兆円です。ノーベル賞は298人で自動車保有率3億人で人口も3億人です。アメリカ合衆国はヨーロッパからアメリカ大陸に着いてアメリカネイティブアメリカンを追い出して合衆国を作る訳です。つまり植民地国家です。アメリカ国旗は星が50です
が州の数と同じくらいです。昔は11州でした。アメリカ合衆国の軍事費用は1790兆円です。が、軍産複合体ということがあります。つまり戦争経済ということです。アメリカ合衆国は軍事産業と軍部(ペンタゴン)と政治家の複合体な訳です。ベトナム戦争もケネディ大統領が止めようとしましたが軍産複合体が「戦争」を欲しがりケネディ大統領は暗殺されてしまいました。アメリカ合衆国にとっては戦争経済を必要としているのです。アメリカ合衆国が戦争という需要で兵器を消費するとともに実験もかねて他国に自国の兵器を売却して儲ける訳です。アメリカ合衆国は欧州軍や中央軍やアフリカ軍や北米軍や南米軍など「戦争体制」を布いてます。が、アメリカは戦争体制を維持することで「世界の警察」と呼ばれています。ベトナム戦争の時は懲兵制度であった為に「反戦争」(いわゆるヒッピー反戦運動)がありました。が、今は志願制度です。NASAは只の宇宙開発しているだけではありません。例えばインターネットサービスは軍事システムでした。冷戦終結で敵がいなくなったのでインターネットやGPSが民間化された訳です。但し正確なデータではありません。GPSなどは普段は敵に利用されないように正確なデータではありません。が、戦争の時は正確に直したりします。また日米安保条約ですが、アメリカ合衆国は日本や韓国を北朝鮮から守ってくれる訳ではありません。アメリカ合衆国が安全なら日本や韓国など関係ないのである。アメリカ合衆国が無事なら何でもいいのです。冷戦の体制のままです。日本が戦争に負けた時「ソ連や中国ら共産主義国へのショーウィンドウ」として日本と西ドイツは優遇されました。日本は軍事費用が少なく済みました。もちろん日本人も頑張っていました。が、在日米軍がいなかったら「まともに戦えば3時間しか持たない自衛隊の守る日本」はすぐにひあがります。アメリカ合衆国の核の傘(パックス・アメリカーナ)があればこそ日本が攻撃されたらアメリカ合衆国軍はすぐに攻撃し返すということです。アメリカ合衆国は日本を守っている代わりに「年次経済報告書」という形でアメリカ合衆国の商品や消費を促すこともします。アメリカ合衆国はボランティア活動をしている訳ではないのである。郵政民営化も米国からも働きかけがありました。郵政費用を米国金融機関が持つようにすることを狙ったのです。なおアメリカ合衆国は日本からのリクエストは受け入れません。アメリカ合衆国は優秀なセールスマンです。オバマ大統領はアメリカ合衆国の優秀なセールスマンです。地球温暖化防止に積極的です。環境産業の利権の為です。GMの破綻もしました。核兵器削減もします。アメリカ合衆国の核兵器は3000発、ロシアは2000発です。大統領はアメリカ合衆国が広島長崎で核兵器を使用した悪を、認めました。が、核兵器削減はもっと詰めてます。すぐに核兵器削減が実現する訳ではありません。が、かつて昔はミサイルから核弾頭を外しただけで「削減」としていたよりは「二度と使えなくする」大統領案はいいと思う。アメリカ合衆国の消費は世界一です。アメリカ合衆国は大統領のビジョンで動いています。正直な話、中国や日本の商品のほとんどをアメリカ合衆国が消費していた訳です。中国経済を戦前の大英帝国や戦後のアメリカ合衆国のようなシステムとして期待しても無駄です。中国経済はアメリカ合衆国経済のような強さはありません。またアメリカ合衆国の失業率が改善しましたね。9・4%減少数は666万4000人です。が、ファニーメイ(アメリカ合衆国国営ファンド)は大幅赤字です。148億ドル(1兆4000億円)です。
アメリカンドリームという言葉があります。これはアメリカ合衆国の人口の僅か1%ですが毎年億万長者が出ます。ビルゲイツなどは5兆円持っています。が、ほとんどは貧乏です。だからドリームな訳です。なお、CIAとはアメリカ中央情報局(セントラルインテリジェンスエージェンシー)つまりスパイ組織です。主な仕事は情報収拾と分析です。映画のようなどんぱちはありません。また日本には「スパイ防止法」がない訳に外国のスパイがうようよいます。が、CIAエージェントは頭がいいです。が、カバーとしてジャーナリストにはなれません。これは普通のジャーナリストの命を守る為です。また昔は外国の要人を暗殺したりしていました(キューバのカストロ暗殺計画やケネディ大統領暗殺など)が、フーバー大統領時代に禁止になりました。FBIとは連邦捜査局つまり州をまたぐ警察署です。NSCとは国家安全保証会議のことです。また服部くん事件などで「アメリカ合衆国の銃規制を」という意見があります。ですがアメリカ合衆国には全米ライフル協会(NRA)という大変に巨大なロビーイスト集団があります。またアメリカ合衆国はフィリピン並みに治安が悪いのです。「自分の命は自分ひとりで守る」という西部劇のようなメンタルがアメリカ人にはあります。銃規制など無理です。何故銃を持つのか?は権利だからです。アメリカ合衆国憲法修正案第二条「人民の武装権利」だからです。まず歴史を知らなければならない。アメリカ合衆国はイギリス植民地から銃を持ち独立しました。アメリカ合衆国は50州あります。その州ごとに州兵がいて、その上に連邦軍があります。州兵はまずはボランティア活動で日本でいうなら消防団と同じレベルです。アメリカ人にとって銃は「護身用」か「民主主義の象徴」です。アメリカ合衆国の人口は3億1万5千人です。銃は3億丁。が、銃は4割しか持ってない。ニューヨークやワシントンDCは持っていない。中西部の治安の悪いところでは何丁も持っている。子供でも18歳以上ならスーパーや店で銃を売っています。
安い値段では女性の護身用の小さな銃なら数十ドルなどです。銃のクリスマスセールもあります。日本人は銃があるからない方がいい…と考えがちだが、アメリカ人は「護身用」の為に持っていないから応戦できなくて銃被害が出ると考える。アメリカ合衆国の銃犯罪32万7771件(日本48件)銃犯罪の死者1万177人(日本29人)です。NRAは「銃がひとを殺すのではない。ひとがひとを殺すのである」と主張します。まずはアメリカ合衆国に行って警察官に銃を突き付けられたら、懐に手をやってはならない。銃をうつとおもわれて発砲されるからです。なお、全米ライフル協会(NRA)は非常に強い組織である。会員400万人、資産212億円(会費、銃メーカー寄付金)で例えば銃規制政治家に反対側に投票する投票活動をしたり銃規制反対政治家に政治資金をやったりします。かなり強いロビー団体です。アメリカ合衆国の強さは世界中から優秀な人材(もちろん玉石混合で英語も話せない何の技
術もないひとも多いのですが)が集まってくることでシリコンバレーのような頭脳集団があるということです。またアメリカ合衆国には弁護士が多過ぎます。例のO・J・シンプソン裁判などは悪例です。何でも裁判で訴えるのがアメリカ流ということです。なお、更にまた新しいアメリカ合衆国情報を随時更新します。またハーバード大学の黒人のゲーツ教授が逮捕された誤認逮捕された事件でオバマ大統領が「警察は不法な愚かな行為をした」と発言した件で大統領は謝罪しましたね。アメリカ合衆国はこういう人種差別があるとことです。差別はなくならないだろうね。では。


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裁判員裁判 2012年4月京都府亀岡市無免許少年A懲役5~8年

2013年02月20日 08時14分34秒 | 日記
裁判員制度

 京都地裁判決では、京都府亀岡市で2012年4月に無免許運転の軽自動車が集団登校の列に突っ込み、児童ら10人が死傷した事件で19歳の少年Aが実刑(求刑下回る懲役5~8年)を受けた。少年院ではなく刑務所行きだというが死刑でもいい事件である。3人の死亡した児童も浮かばれまい。2012年12月12日、尼崎連続変死事件の女ボスで、様々な殺人行為虐待行為に関わったとされる角田美代子容疑者(64)が、神戸市中央区の神戸警察拘留場でシャツで首を絞めて自殺しているのが発見された。大きな悪玉が自殺だが、事件の真実を語ってから「死刑」という形で死んでほしかった。これでは事件の被害者家族も報われない。あの世に遁走された、という感想だ。マスメディアの影響化が進むということは、ひとつのデバイスに収納出来る要素が増えるが透明化が進捗していくということです。透明化されたメディアの中に、どうやって一貫性や共通項を持たせるのかだと思います。どこまでの自由と制約を義務付けるのが適切なのか?どこまでの許容範囲で情報の透明化とマスメディアの報道の一貫性や共通するか。自由裁量が過大なら、定義の意義さえも希薄化していきます。
多様化が進む社会において、ある条件に基づいた情報で、突発的にストーカー犯罪が誘発される。今後もメディアに適用できる最大公約数的な情報の有効性は、質量ともに減少し続けるでしょう。 メディア就中警察機関は情報の透明化と希薄化がストーカー事件を誘発し続ける真実の声に傾聴するべきです。現実的思考から遁走しては零点です。現実感と真摯さがメディアの命ということですね。2012年の神奈川逗子市のストーカー殺人事件で話題となっている「ストーカー事件」ですが2012年の相談件数だけで13000件といいます。「ストーカー規制法案」は2000年11月24日に法制化されたのですが、定義が「恋愛感情、好意感情、それらが満たされない恨みの感情を充足する目的のつきまとい」です。一般的にメールを何千件送ってくるとか、電話を頻繁にかけてくるとかぬいぐるみや花束を贈ってくる…などです。違反項目は8つで、(1)つきまといなど(2)無言連続電話/FAX(3)監視を知らせる(4)汚物などの郵送(5)面会・交際の強要(6)名誉を傷つける(7)乱暴な言動(8)性的羞恥心を害する、です。該当しても日本の警察は甘いから2、3回くらいでは動いてくれない。動いても(1)パトロール(2)防犯器具の貸し出し(3)警告→禁止命令です。年間1万件のうち警告→禁止命令(被害者にあうな、半径何m以内に等)は1%しかない。桶川ストーカー殺人事件や逗子市のストーカー殺人事件などで「正当な理由もなくつきまとったらストーカー」と定義して欲しい。一番いいのは英国の「嫌がらせ規制法」の導入である。条項として「他人を悩ます、不幸を引き起こす」「暴力の恐怖を与える行為」はすべてストーカー犯罪として、最低5年の禁固刑(日本は2012年現在は最高1年の禁固刑)だ。よくできた「DV規制法」にストーカー犯罪も入れて欲しい。
「冤罪(えんざい)」はTVでの他人事ではない。PC遠隔操作で4人が誤認逮捕(冤罪)も話題になった。痴漢の冤罪も映画になった。例えば近所に放火火災があってもし自分が灯油入りのポリタンクをもって逃げる映像を防犯カメラが撮っていたら?「任意同行」で取調室でバンバンやられたら「やってない」といえるだろうか?話も聞いてもらえず、家にも帰れず、誘導尋問「いったら楽になるぞ」でやってもいないのにやったというかも知れない。拘留期間は最長20日間だから一度でも「楽になりたい」と「やった」と証言すれば逮捕送検、検察でも供述調書がとられ、裁判になる(有罪率99.4%)。ほとんど冤罪でもマイナリさんや厚労省の村木厚子さんみたいになる。どこかで「非常停止装置」のような機関があればいいが日本にはない。例えば痴漢に間違われたら(冤罪でも)ほとんどのひとは犯人である。任意同行は、法律上は断ってもいいことになってるが、断る事はほぼ不可能である。日本の目撃情報も怪しい。普通の国なら5、6人の似た人(ボランティア)の中から「あのひとです」と選べるが、日本は取調室の容疑者をマジックミラー越しに見て「あのひとです」というが怪しいものだ。人間の記憶は元々あいまいなのに時間がたって数秒見ただけの人物の顔や体型や着衣などわかる筈もない。そもそも何故死刑は2人殺さないと死刑にならないのか?(死刑廃止論は除外して)マイナリさんのような冤罪も怖いが酒鬼薔薇聖斗や山口母子殺人犯・元少年(本名を知ってるが記述しない)のようなのは、「少年であってもひとを殺せば死刑に」しないとこの国はどうしようもない国になる。この国は被害者より加害者に甘い。強姦にしても告発制度で、被害女性が被害届を出さない限り逮捕できない。これでは「泣き寝入りの女性被害者」ばかりになる。女性の告発ひとつで…というのも冤罪も怖い。痴漢の冤罪も「映画」になったほどだ。 だが、この国の犯罪の冤罪率はあまり高くない。マイナリさんみたいな冤罪や、映画になった痴漢の冤罪も少ない。冤罪か冤罪ではないか?は裁判官にまかせてはどうか?
神奈川県で、2012年11月6日、元教員の小堤英統(こずつみひでと・40)容疑者がかつて交際していた三好梨絵(りえ・33)さんを殺害し自殺した事件でメールを1000件、付きまといなどを繰り返していた事実がわかった。ストーカー規制法の限界である。実際こういう事件は増えており、殺害に至らなくてもストーカー事象は増加の一方であるという。東電社員殺害事件で犯人とされていた再審裁判でゴビンダ・プラサド・マイナリさん(46)が「無罪」であり、控訴審裁判後、裁判官らが正式に謝罪した。「山口県光市母子殺害事件」で死刑が確定した元・少年(31・福田孝行)が広島地裁に再審請求をしているのがわかった。どこまでも反省がない。「おい小池!」の指名手配写真でしられる殺人罪の小池俊一容疑者(偽名・小笠原準一)が、病死していたことがわかった。10年前から同居していた女性(67)は「偽名とは知っていたが小池容疑者とは知らなかった」と証言している。警察は容疑者死亡のまま書類送検するとしている。「秋葉原17人殺傷事件(2008年)」で裁判になっている加藤智大被告(ともひろ、29)が2審でも死刑が確定した。加藤智大被告は悪魔のようなへたれであり、死刑にしなければ道理が立たない。確実に死刑にするしかない。AIJ投資顧問(東京都中央区)による企業年金消失問題で、厚生年金基金などから資金約70億円を運用せずだまし取ったとして警視庁捜査2課は浅川和彦・同社社長ら4人を逮捕した。2012年6月15日、オウム真理教元信者で「地下鉄サリン実行犯等」の指名手配中の高橋克也被告(54)が、東京大田区の漫画喫茶で逮捕された。オウム手配犯では最後の手配犯であった。だが、真相など解明されないだろう。現在「仮病」をつかっている麻原彰晃(本名・松本智津夫)しか「本当の真相」などわからない。2012年6月10日、大阪ミナミで通り魔事件がありました。2人刺殺した容疑者は礒飛(いそひ)京三容疑者(36)で、被害者は東京都久留米市の音楽イベント・プロデューサの南野信吾さん(42)と大阪中央区の佐々木トシさん(66)です。犯人は自殺しようとしたが死にきれず、人を殺せば死刑になると思った、という。とんでもない馬鹿野郎ですね。2012年4月23日午前7時55分、京都府亀岡市篠町篠上北裏(しのちょうしのかみきたうら)の府道で、無免許運転で18歳の無職の少年(居眠り?)の乗用車が集団登校中の集団に突っ込んだ。この事件で松村幸姫(ゆきひ)さん(26)とお腹の胎児と小谷(おだに)真緒さん(7)が死亡、他3人が重体、3人が重傷、3人が軽傷となった。犯人の親は「一生をかけて償うしかない」というが…。無免許で一晩中友達乗せてドライブしていたというし…。死んだ人間は生き返らないからね。だからこの被告少年(18)は悪質だとして少年院裁判所は逆送、少年は成人同等の裁判を受けることになった。死刑だといいよね。1997年3月19日東京都渋谷区のアパートの空家で、東京電力会社員の女性(当時・39)が殺害され遺体でみつかった事件で隣のアパートに住むネパール人被告が冤罪で逮捕された事の続報です。遺体の体内にあった精液とネパール人ゴンビダ・プラサド・マイナリさん(45)のDNAが違うということがわかり釈放されました。しかし、15年間も冤罪で刑務所にぶち込まれていた訳です。今後、こういうことがないようにしてほしい。また名張毒ぶどう酒事件(1961年)の奥西死刑囚の再審が認められませんでした。また横浜地裁は建設石綿(アスベスト)損害賠償を棄却です。神奈川県の元作業員と遺族87人が国と建設会社44社を訴えたのですが、残念な結果でした。2012年5月21日18時頃、渋谷地下鉄駅で男がエスカレーターで男性被害者(53)の右腹と右耳をナイフで刺し逃走中でしたが逮捕されました。渡辺和宏被告(32)が逮捕です。「(被害者と)肩がぶつかり頭にきてサバイバル・ナイフで刺した」という。また千葉県の15歳のガキ(男子)が自分の祖母を殺して逮捕されましたね。裁判員裁判更新から3年、裁判員裁判で殺人事件に裁判員が関与するのを64%が肯定、性犯罪を外すは男性13%女性24%賛成、ストレスは女性で51%だといいます。(毎日新聞2012年5月18日記事)性犯罪が厳罰化の傾向です。殺人未遂やわいせつ致傷などといった量刑拡大です。まあ強姦とか痴漢とか盗撮とか「明らかな犯罪」「女性の敵」ですね。さすがに死刑まではいかないけど、まあ女性の敵です。2012年4月29日午前に高速バスが衝突事故を起こし7人死亡、32人重体、36人が怪我です。群馬県の関越道で「陸援隊」が運営する針生エキスプレスの高速ツアーバス(TDL行き)の運転手が居眠り運転をして事故を起こしたそうです。日弁連新会長に山岸憲司氏(元・日弁連事務総長・64)が宇都宮健児氏(65)を破り、初当選ですね。おめでとうございます。2012年4月25日元夫の白田(はくた)正男(47)が元妻の優子さん(32)を刺殺し自殺した。これは遺憾な事件ですが、またもDV・ストーカーでの被害者です。警察のストーカー法案と行動は「ザル法」です。警察は事件が起きないと行動しない。まあ、「お役所仕事」ですから。2012年4月13日、木嶋佳苗被告(37)の裁判員裁判(さいたま地裁・大熊一之裁判長)で、木嶋被告が3人殺害したとして死刑求刑です。殺害を否定し、殺害で得た大金で贅沢生活…と、更生の可能性皆無との判断です。被害者は東京都・寺田隆夫さん、千葉・安藤建三さん、東京・大出嘉之さん、らでいずれも睡眠薬で眠らされ練炭自殺にみせかけて木嶋被告に殺害されています。密室殺人なだけに直接証拠がなく、状況証拠を積み上げている状態です。木嶋被告は控訴しましたね。とんでもないデブスです。金の為に人殺しをしたデブスです。裁判員裁判は前奥中央に「裁判官3人」右左となりに裁判員3人ずつ向かって左に検察官、向かって右に弁護人、真中が被告人です。木嶋裁判では起訴10件、法廷36回(詐欺など)、証人60人でした。アメリカの陪審員制度では「全員一致が条件」だが日本の司法は「多数決」です。それでも「死刑」であったらしいです。木嶋裁判は最初アトランダムに249人に「呼び出し状」を送り、61人がきてアトランダムに6人の裁判員と補欠6人(法廷後ろで全部聞く。裁判員の補欠)が決まりました。裁判員を断るのには「重要な仕事がその日ある」「高齢者」「学生」「病気」「通院」「葬儀」「手術」「介護」「マスコミ関係者」「警察関係者」「弁護士」などで、被告と親しい人はもちろんダメ。民間の声を入れる為と称して3年間で2万6000人が裁判員になり、そのうち死刑判決は18件です。基本的には評議(裁判の公ではなく裁判官との密談)内容は一生秘密(守秘義務)ですね。ブログやマスコミや他人に言ってはダメ。裁判員は日当1万円ですがやりたくない。交通費や宿泊代(ビジネスホテル)、弁当もでるが嫌だ。まあ、私緑川鷲羽わしゅうは「うつ病」だから「赤紙」は来ないか。バンザーイ!とにかく他人に死刑求刑など嫌ですよね。2012年2月20日、山口県光市で本村さんの奥さん(弥生さん)と赤ん坊の友夏ちゃんを当時18歳の強姦魔の少年がわいせつ目的で殺害した事件の最終判決があった。事件から13年後の判決は「死刑」だ。まあ、妥当な判決だ。強姦魔の元・少年(30)は未だに反省も謝罪もないという。「死刑」になりたくなくて一時期「過失致死」を訴えていました。弥生さんに甘えたかった。友夏ちゃんを押入れの袋にいれたのは「ドラえもんがなんとかしてくれると思った」という。確実に「死刑」にせねば気軽にシャバに出せばまた強姦殺しをする。毎日新聞などは1999年に発生した元・少年18歳(大月(旧姓・福田)孝行)の匿名を死刑が確定しても続けるという。本村洋さんの13年の苦悩などどうでもいい、とでもいうのか?というか元少年の「心の更生」などと偉ぶっているが偽善でしかない。大月はセックスをしたくて本村さんの家に配管工と称して押し入り、洋さんの妻・弥生さんを殺害後死姦、赤ん坊の夕夏ちゃんも殺した。「心の更生を期待する」だの笑わせる。大月は今も反省などしていない。「ドラえもんがなんとかしてくれると思った」「オスはメスを求めメスはオスを求める、これ自然の摂理ね。被害者さんあれ調子のってまんなあ」…。どこが「心の厚生」につながるのか?ナチスや宅間守、酒鬼薔薇聖斗(東真一郎)と何が違うのか?その程度の話、でしかない。2011年11月16日最高裁で「裁判員裁判は憲法違反だ」という裁判に「裁判員裁判は憲法違反とまではいえない」と判決が下った。それでいいのか?私には理解できない。 2011年7月4日、千葉県地方裁判所で2007年イギリス人英会話教師(当時)リンゼイ・アン・ホーカーさんを強姦殺害の末長期逃亡していて逮捕された市橋達也被告の「裁判員裁判」で無期懲役求刑です。市橋達也被告は「強姦はしたが殺意はなかった」といい逃れです。これにはリンゼイさんの遺族も厳しい態度でした。2011年7月21日判決です。2011年6月17日羽賀研二(本名・当真美喜男)被告(49)に大阪地検が逆転の実刑判決です。懲役8年。未公開株を一株40万円のものを3倍の120万円(被害額3億7000万円)で会社社長に売って現金を詐取した犯行でです。自業自得ですね。2011年6月11日千葉県木更津市での女性遺体遺棄事件(被害者・千葉県女子大生・菊池果奈さん(19))で24歳の犯人(本田祐樹被告)が逮捕されました。遺体遺棄の際の指紋が決め手になったという。2011年6月8日児童8人が犠牲になった大阪教育大学附属池田小学校(大阪府池田市)の乱入事件(犯人はすでに死刑執行)から10年となり「追悼式」が開かれた。また2011年6月7日タレントの山口もえの夫(尾関茂雄被告(36))が風営法違反で逮捕されたという。東京港区西麻布の会員制高級クラブ「Birth NISHIAZABU」の営業を無許可でやっていた疑い。元・IT青年実業者だが、社長をクビになり金に困っての犯行のようだ。2011年5月12日東京都立川市の日月警備所に2人組の強盗が乱入、過去最高額6億400万円が強奪された事件で31歳の男(住所不定職業不詳の植木秀明容疑者)を逮捕、渡辺豊容疑者(41)も2011年6月2日逮捕です。この事件には10人以上の暴力団関係者が加担しているそうです。卒業式の君が代の斉唱時不起立を理由に東京都教諭の定年後の再雇用を拒否したのは「思想と良心の自由」を保障した憲法に違反する、と元都立高校教諭の申谷(さるや)雄二さん(64)が都に賠償を求めた裁判で、最高裁は「都が合憲」と判断し結審した。「思想の自由」など知った事ではないとでもいうのか?理解に苦しみます。また茨城県利根町布川(ふかわ)で67年、大工の男性(当時62歳)が殺害された事件で無期懲役が確定していた仮保釈中の桜井昌司さん(64)と杉山卓男(たかお)さん(64)に水戸地検は無罪を求刑した。いわゆる「布川事件」で冤罪が晴れた訳だ。しかし、桜井さん杉山さんの失った時間は戻ってこない。2011年5月23日岡山市で16歳長女を縛り死なせたとして37歳の母親が、虐待致死の疑いで逮捕された。岡山市北区北方2の6の無職・清原陽子容疑者(37)は、長女で知的障害を持つ高等支援学校に通う長女(16)を裸にして手足を縄で縛り風呂に監禁。長女は体重27Kgで餓死したという。容疑者は「しつけ」といい、その後黙秘している。舞鶴少女殺害の被告に無期懲役判決です。京都府舞鶴市で2008年、府立高校一年生の小杉美穂さん(当時15歳)が殺害された事件で殺人と強制わいせつ致死罪の罪に問われた中勝美(なかかつみ、62歳)に京都地検は無期懲役判決を下しました。殺人を犯しながら反省もせず「無罪」だのという。遺族にはやりきれない事だろう。2009年に起きた海上自衛隊あたご漁船衝突事故で、後潟桂太郎被告(38)と長岩友久被告(37)が横浜地検で無罪判決です。漁船側に回避義務があったといいます。よくわからないが無罪かどうかは意見は十人十色ですね。今年今月の鹿児島県指宿市の夫婦殺害事件で、自首した川下誠被告(47)が逮捕起訴されました。2011年4月12日検察の証拠資料改ざんしたいわゆる「検察事件・村木厚子さん冤罪事件」で前田恒彦被告(43)に懲役1年6ヶ月の実刑です。また磯谷利恵さん(当時31歳)が殺害された「名古屋闇サイト殺人事件」で死刑であった被告のひとりが「死刑」から「無期懲役」に減免です(他の2人は死刑)。これでは遺族がうかばれませんね。堀慶未被告(よしとも・35歳)が裁判が不服として上告、川岸健治被告(44)は上告なしです。鬼畜め!2009年「秋葉原連続通り魔事件(7人死亡10人負傷)」の犯人・加藤智大被告に死刑求刑です。加藤智大被告の「責任能力」を認めた訳です。平成6年(1994年)「連続リンチ殺害事件(4人虐殺)」で犯人で当時18歳から19歳の元・少年(小林正人死刑囚(36)、小森攘死刑囚(35)、芳我匡由死刑囚(35))に死刑求刑です。これはもちろん当たり前なんですが、何故ここまで時間がかかるのか?これは元・少年の鬼畜どもが何度も控訴、上告したからです。鬼畜の殺戮魔の小林、小森、芳我らは「未成年だったからまだひとの死の重さがわからなかった」と抜かしたとききます。こういう輩は早く「死刑執行」すべきですね。裁判には「三審制」というのがあります。「地方裁判所」で納得がいかなければ「控訴」して「高等裁判所」で裁判、それでも納得いかねば「上告」して「最高裁判所」まで裁判することができるのが「三審制」です。2010年12月10日、裁判員裁判では初の「死刑求刑からの無罪判決」でした。鹿児島の夫婦強殺事件で白浜政広被告(71)が無罪判決です。ですが、事件現場に指紋や皮膚DNAが残り、アリバイがない、「事件現場には一度も行ってない」が嘘、という「明らかな冤罪」とは言えません。いわゆる「疑わしきは被告の利益に」というグレー判決です。2010年11月19日、宮城県石巻市での被告少年(19)が3人殺傷した事件で裁判員裁判未成年初の「死刑求刑」がされました。2010年10月25日裁判員裁判初の「死刑求刑」がなされました。横浜市で殺害し、遺体をバラバラにし遺棄した鬼畜・池田容之(ひろゆき・32)被告が「死刑求刑」です。また類似事件は秋葉原の耳掻き店に勤める江尻美保さん(21)をストーカーして祖母の鈴木芳江さん(78)とともに殺害した事件で、林貢二(こうじ、42)被告に死刑求刑がなされました。裁判員裁判では初の「死刑求刑」ですが「無期懲役」でしたね。「無期懲役」が確定しました。2010年8月「死刑制度の再考を」と千葉景子法務大臣の意向で「死刑執行場」がマスコミに公開されました。世界200国で「死刑制度廃止」されているのですが、日本は存続するという。が、遺族からみたら「何で娘が殺されたのにあいつ(犯人)はのうのうと生きているんだ?!」という感情は当然だろう。それがひとの情というものだ。私だってそういう気持ちはよくわかる。だから敵を謀殺したのだ。それが人間というものなのだ。そんな「死刑制度」のウイッキペデアです。死刑制度があるのは米国(州によってない州も)日本や東アジア、中央アジア、中東、東アフリカです。トルコは死刑制度を廃止することを条件にEU加盟しました。物凄く死刑をしているのは中国と北朝鮮です。実は国連に「死刑廃止条約」というのがあるのですが、日本などや中国は認めていません。北朝鮮は独裁国家だからです。死刑廃止派は「冤罪だったら?」「生きて罪を償わせたら?」といい、死刑存続派は「遺族の気持ちは?」「命で償うべきでは?」といいます。現在107人の死刑囚が「拘置所」で24時間監視中です。刑務所ではないので作業などはありません。一般的に警察に捕まると「留置所」に入れられ法が決まるまで「拘置所(警察庁管轄)」に保留され、法が決まったら「刑務所(法務省管轄)」で作業など(禁固刑は作業なし)をして罪を償う訳です。法務大臣がサインすれば死刑執行されますが2001年から2009年まで7人しか執行されていません。ちなみに「無期懲役」とは10年から30年で刑務所から出されます。税金負担軽減の為ですが、なら「終身刑」にしたら?という意見がありますが介護費医療費など「終身刑(一生出られない)」の方が税金負担は大きいです。2004年5月裁判員法成立、2009年5月裁判員法施行、2009年8月に初の裁判員裁判が開始されました。何故一般のひとが裁判に参加することになったか?は日本の裁判は「お上が取り行う」ということでプロの裁判官が行っていました。しかし、1980年代から死刑囚の最審無罪、つまりえん罪が相次いで明らかになり、弁護士から「裁判官は検察官の主張を採用し過ぎる」との批判が強くなったからだそうです。最高裁や法務省は消極的でしたが、五年という異例の周知、準備期間を経て今年から始めました。日本には昔国民が裁判に関わったことがありました。戦前の1928年に国民だけで有罪・無罪を審査する陪審員制度が導入されて、484件審理されました。でも、国民の出した決論が裁判官を拘束しないシステムだった為に浸透せずに43年に停止されたそうです。なぜ「陪審員」でなく「裁判員」なのか?ですが、海外では事件ごとに国民が審理する陪審員制度と、審議制度があり、審議会はどちらを選ぶか激論になることがあり、松尾浩也東京大学名誉教授が参加する国民を「裁判員」と呼びましたそうです。事件ごとに裁判員6人と補欠3人裁判官3人で有罪無罪と量刑を決める日本独自案ができたそうです。最初の裁判員制度の事件は東京都内で近所トラブルで小島千枝さん(66、本名文春子)を藤井勝吉被告が刺殺した事件でありました。裁判員は女性5人に男性1人でした。裁判員は46人の中から選ばれました。裁判は裁判員がわかり易いようにコンピューターグラフィックやわかり易い言葉で行っていました。また死体の傷の写真にはさすがに目をそらしたり眉をひそめていたそうです。裁判員制度は私は反対します。なぜならプロではなくアマチュアが審理を行なうからです。プロの裁判官や弁護士なら冷静沈着に裁きが出来ます。が、ど素人は「感情論」になるに決まっています。例えば、山口県光市の母子殺害事件のような判例の場合、「被害者の本村さんのいう通りだ!」「犯人元・少年は強姦魔だ!」などとなるに決まっています。そもそもなぜ国民が参加する必要があるのか意味がわかりません。参加するにしても何故「凶悪事件だけ」なのでしょうか?もっと軽い万引きやひったくりでは何故駄目なのでしょうか分からないです。私は参加したくありません。国民の7割が参加したくありませんと言っています。意味がわかりません。何故「凶悪事件だけ」なんですか?もっと軽い万引きやひったくりでは駄目なのでしょうか分からないです。説明してください。またいわゆる「時効」が廃止されました。「逃げ得を許さない」それはそれでいいのですが、犯罪から30年や50年喪たつと供述やアリバイ、証拠も散在しますし、「30年前の5月4日の午後何をしていた?」などときかれてもアインシュタインでも答えられない。足利事件のような冤罪をどう防ぐのかが課題です。今回は官僚の「天下り」についてです。天下りは有名でしょうが、本当に知っているひとは少ないです。民主党政権は天下り早期退職を禁止にする方針です。が、公務員を65歳まで勤務させていくとやはり無断な仕事をまた造る可能性はありますね。公務員の2割カットにしても(私は個人的には3割カットボーナスカットするべきだと思う)官僚や役人が反発するに決まっています。公務員は低給料ですが「天下り」で何十億円くらい(税金を)貰う訳です。八ツ場(やんば)ダムにしても50年間で3600億円使ったらしいけど何千人の官僚が「甘い汁」を吸ったことでしょうか。すべては「天下り」が原因な訳です。官僚に「65歳定年」を聞くと「いらない老人事務次官が永くいすわって人事が沈滞する」と答えます。公務員も民間企業のように「抜擢」や「降格」「外からも人材抜擢」をするべきです。でも公務員改革は明治以来の「公務員給料法」をかえないと無理です。あのマッカーサーでさえかえられなかった法律
です。民主党は出来るでしょうか?みんなの党は「内閣人事局」を提案しています。霞が関幕府を倒せるか?官僚の新人はまだ「改革意識」があるそうですが…。「身分」から「職業」へです。まあ、頑張ってください。
 

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土方歳三 燃えよ剣・新撰組土方歳三の人生ブログ連載小説4

2013年02月20日 08時13分05秒 | 日記
         4 池田屋事件





  新選組の血の粛清は続いた。
 必死に土佐藩士八人も戦った。たちまち、新選組側は、伊藤浪之助がコブシを斬られ、刀をおとした。が、ほどなく援軍がかけつけ、新選組は、いずれも先を争いながら踏み込み踏み込んで闘った。土佐藩士の藤崎吉五郎が原田左之助に斬られて即死、宮川助五郎は全身に傷を負って手負いのまま逃げたが、気絶し捕縛された。他はとびおりて逃げ去った。 土方は別の反幕勢力の潜む屋敷にきた。
「ご用改めである!」歳三はいった。ほどなくバタバタと音がきこえ、屋敷の番頭がやってきた。「どちらさまで?」
「新選組の土方である。中を調べたい!」
 泣く子も黙る新選組の土方歳三の名をきき、番頭は、ひい~っ、と悲鳴をあげた。
 殺戮集団・新選組……敵は薩摩、長州らの倒幕派の連中だった。

「なんだ? その格好は」
 ある夜、部屋にやってきた沖田の姿を見て、土方はいった。沖田は鎖をきていた。
 灯籠に火をつけてのことだった。
「総司です。俺だって好き好んでこんな格好しているんじゃありませんよ」
「どうかしたのか?」
「源さんですよ。あなたが悪いんですよ」
「俺が……?」
「源さんに説教めいたこというから……源さんいいところをみせようと思って、例の国枝大二郎一人をつれて、肥後者の巣の小川亭へ討ち入りに出掛けました。死ぬ気ですよ、あれは」
 土方は珍しく狼狽して「源さんには無理だ」
「無理でもああいうひとだから、新選組の足手まといになってないってことを見せようとして討ち入りにいったんですよ、きっと」
「馬鹿野郎!」
 土方は起き、いまいましそうに衣服をつけた。確かに、井上源三郎は近藤、土方、沖田の足手まといだった。しかし、その井上を見殺しにしては故郷の連中にあわせる顔がない。「総司、手の者を駆けさせろ! 俺と近藤さんはあとでいく!」
 沖田の一番隊が駆け出した。
「源さん……まだ死ぬなよ!」沖田は願った。駆けながら。必死に。
 新選組は隊士の命など、塵のほどにも思っていない集団だったという。なのに、なぜ、井上源三郎程度の男のために必死になったのか?
 それは、近藤との縁である。土方との縁でもある。井上源三郎は多摩の田舎で一緒に夢を見、親戚からも「源さんを頼むぞ」といわれていた。そういう縁なのである。
 そして、井上源三郎は死ななかった。沖田組の援軍がかけつけ、肥後者浪人たちをバッタバッタと斬り殺した。こうして、井上源三郎は助かった。

  文久三年。幕府からの要請で、新選組は見回りを続けた。
 ……長州浪人たちが京を焼き討ちするという噂が広がっていた。新選組は毎晩警護にあたった。近藤勇にはこの頃、大事な女が出来ていた。深雪太夫という芸者である。
 深雪太夫は近藤勇の妾であり、美貌のひとであった。
 どうして彼女が、美貌で名を馳せた頭のいい娘が、なぜ通りのどんずまりにある芸者宿で太夫になり、近藤勇のような”鬼瓦”のような顔の男と知り合いになり、愛し合うようになったのだろう。人生でもっともすばらしいものに出会えたはずの、たとえば、まともな定職と収入のある男、ことあるごとに「懸想しておる(愛している)」と囁いてくれる男と夫婦になることができたはずの深雪太夫が、どうして近藤勇などの妾になったのだろう。
 そうだ! 思いだした。……深雪太夫は彼を見つめ、長いあいだ立ち尽くした。疑問の余地はない。彼女が今まで接した、あるいは見てきた男のなかで近藤勇こそ「やさしい男」であった。けしてハンサムではない。敵には厳しいが、女子には優しく、とてもいい雰囲気のある男…それが近藤勇である。
「近藤はん、今夜もよろしう」
 深雪太夫はにこりと微笑んだ。
 勇は太夫に目をやり、今日はじめてまともに彼女を見た。おれの女。俺が助けを求めたらちゃんと力になってくれるだろう。今宵はうんといい思いをさせてやろう。かわいい女だ。近藤勇の目が彼女の小柄な体をうっとりと眺めまわした。ほれぼれするような女子だ。 鮮やかな髪、細い体躯、白く細い手足、目が大きくて大きな、大きな眼には睫がびっしり生えている。男心をくすぐるような美女である。
 近藤は帆柱たって、あわててとりつくろった。


         
 「死番」というのがある。
 新選組の守る京は路地がまがりくねっていてパズルのようになっている。死を覚悟して先頭に立つ隊士が「死番」である。それは四日に一度巡ってくる。
  その夜の「死番」は、島田塊とい巨漢の男だった。島田は当時、百七十キロあって、七十三歳まで生きたという。明治維新がおわってからの明治時代、旧新選組隊士がこぞって本を出版したが、島田も「島田日記」という本を執筆している。
 どこの世界でも、どの時代でも、みな自分の経験や武勇伝を知らせたいものなのだ。どうやら、島田もその口らしい。
 島田はその夜、巨体をぶるぶる震わせながら、「死番」にあたった。いつ、敵が斬りつけてくるかも分からない。恐怖で、塊はどうにかなりそうだった。
「島田! びびってんじゃねぇ!」
 後列の山崎蒸が茶化した。島田は黙って恐怖を隠し、「俺は平気だ」などと言った。
 しかし、いつ死ぬかわからぬのだから怖がるな、というほうがどうかしているだろう。
  黒谷の屋敷には新選組隊士四人が忍び足で侵入した。皆、槍をもっている。その指揮者は大石鉄次郎である。剣の腕も人物もたいしたことなかったらしい。が、「人斬り鉄次郎」の異名をもつほど”人殺し”に熱中するのだった。
 近藤は新選組隊士を粛清するときこの男をよくつかった。
 大石らは浪人を斬った。そして鉄次郎は死体を何度も槍で突き、見かねた土方が、
「やめろ! 大石!」といったという。
 大石は槍で突くのをやめて、佐野七五三之助の顔を蹴った。そのとき不思議なことがおこったという。死んだはずの佐野がよろよろ起きあがり、脇差を抜くや、大石の顔から足まで薄く斬ると、ドサッと倒れ、また死体にもどったのだという。
 どうやら蹴られた拍子に息をふきかえし、大石のごとき”ゲス野郎”に憎悪の念を示したのであろう。
 大石鉄次郎はのちに幕府軍不利とみるや官軍に投降し、「官軍で槍働きさせてくだされ」などと言ったという。しかし、この男のあまりの”前歴”に官軍も鼻をつまみ、やがて処刑されて首を市中にさらされた。
 とにかく、十ケ月あまり、新選組は京で反幕府勢力の浪人たちを次々と殺戮していった。 そして、近藤たちの新選組は鬼のように恐れられていくのである。
  この時期、「長州間者(スパイ)」事件がおこっている。
 この事件は、京の浪人深田新作がその腕をかわれて新選組に入るが、女との腐れ縁によって長州の間者(スパイ)となり、沖田にみやぶられて殺されたという事件である。
 殺したのは沖田総司ではない。「ひと斬り主善」こと松永主善に殺されたのである。

「外国を蹴散らし、幕府を倒せ!」
 尊皇壤夷派は血気盛んだった。安政の大獄(一八五七年、倒幕勢力の大虐殺)、井伊大老暗殺(一八六〇年)、土佐勤王党結成(一八六一年)、寺田屋事件(一八六二年)………
 壤夷派は次々とテロ事件を起こした。
  元治元年(一八六四)六月、新選組は”長州のクーデター”の情報をキャッチした。   六月五日早朝、商人・古高俊太郎の屋敷を捜査した。
「トシサン、きいたか?」
 近藤はきいた。土方は「あぁ、長州の連中が京に火をつけるって話だろ?」
「いや……それだけじゃない!」近藤は強くいった。
「というと?」
「商人の古高を壬生に連行し、拷問したところ……長州の連中は御所に火をつけてそのすきに天子さま(天皇のこと)を長州に連れ去る計画だと吐いた」
「なにっ?!」土方はわめいた。「なんというおそるべきことをしようとするか、長州者め! で、どうする? 近藤さん」
「江戸の幕府に書状を出した」
 近藤はそういうと、深い溜め息をもらした。
 土方は「で? なんといってきたんだ?」と問うた。
「何も…」近藤は激しい怒りの顔をした。「幕臣に男児なし! このままではいかん!」 歳三も呼応した。「そうだ! その通りだ、近藤さん!」
「長州浪人の謀略を止めなければ、幕府が危ない」
 近藤がいうと、歳三は「天子さまをとられれば幕府は賊軍となる」と語った。
 とにかく、近藤勇たちは決断した。

  池田屋への斬り込みは元治元年(一八六四)六月五日午後七時頃だったという。このとき新選組は二隊に別れた。局長近藤勇が一隊わずか五、六人をつれて池田屋に向かい、副長土方が二十数名をつれて料亭「丹虎」にむかったという。
 最後の情報では丹虎に倒幕派の連中が集合しているというものだった。新選組はさっそく捜査を開始した。そんな中、池田屋の側で張り込んでいた山崎蒸が、料亭に密かにはいる長州の桂小五郎を発見した。山崎蒸は入隊後、わずか数か月で副長勤格(中隊長格)に抜擢され、観察、偵察の仕事をまかされていた。新選組では異例の出世である。
 池田屋料亭には長州浪人が何人もいた。
 桂小五郎は「私は反対だ。京や御所に火をかければ大勢が焼け死ぬ。天子さまを奪取するなど無理だ」と首謀者に反対した。行灯の明りで部屋はオレンジ色になっていた。
 ほどなく、近藤勇たちが池田屋にきた。
 数が少ない。「前後、裏に三人、表三人……行け!」近藤は囁くように命令した。
 あとは近藤と沖田、永倉、藤堂の四人だけである。
 いずれも新選組きっての剣客である。浅黄地にだんだら染めの山形模様の新選組そろいの羽織りである。
「新選組だ! ご用改めである!」
 近藤たちは門をあけ、中に躍り込んだ。…ひい~っ! 新選組だ! いきなり階段をあがり、刀を抜いた。二尺三寸五分虎徹である。沖田、永倉がそれに続いた。
「桂はん…新選組です」芸者が彼につげた。桂小五郎は「すまぬ」といい遁走した。
 近藤は廊下から出てきた土佐脱・浪人北添を出会いがしらに斬り殺した。
 倒れる音で、浪人たちが総立ちになった。
「落ち着け!」そういったのは長州の吉田であった。刀を抜き、藤堂の突きを払い、さらにこてをはらい、やがて藤堂の頭を斬りつけた。藤堂平助はころがった。が、生きていた。兜の鉢金をかぶっていたからだという。昏倒した。乱闘になった。
 近藤たちはわずか四人、浪人は二十数名いる。
「手むかうと斬る!」
 近藤は叫んだ。しかし、浪人たちはなおも抵抗した。事実上の戦力は、二階が近藤と永倉、一階が沖田総司ただひとりであった。屋内での乱闘は二時間にもおよんだ。
 沖田はひとりで闘い続けた。沖田の突きといえば、新選組でもよけることができないといわれたもので、敵を何人も突き殺した。
 沖田は裏に逃げる敵を追って、縁側から暗い裏庭へと踊り出た。と、その拍子に死体に足をとられ、転倒した。そのとき、沖田はすぐに起き上がることができなかった。
 そのとき、沖田は血を吐いた。……死ぬ…と彼は思った。
 なおも敵が襲ってくる。そのとき、沖田は無想で刀を振り回した。沖田はおびただしく血を吐きながら敵を倒し、その場にくずれ、気を失った。
 新選組は近藤と永倉だけになった。しかし、土方たちが駆けつけると、浪人たちは遁走(逃走)しだした。こうして、新選組は池田屋で勝った。
 沖田は病気(結核)のことを隠し、「あれは返り血ですよ」とごまかしたという。
 早朝、池田屋から新選組はパレードを行った。
 赤い「誠」の旗頭を先頭に、京の目抜き通りを行進した。こうして、新選組の名は殺戮集団として日本中に広まったのである。江戸でもその話題でもちきりで、幕府は新選組の力を知って、隊士をさらに増やすように資金まで送ってきたという。
 近藤たちは朝廷から感謝状をもらった。近藤は「これで侍になれる!」と思った。正式な。侍に。”預かり”の浪人ではなく、本物のサムライに……

「坂本はん、新選組知ってますぅ?」料亭で、芸子がきいた。龍馬は「あぁ…まぁ、知ってることはしっちゅぅ」といった。彼は泥酔して、寝転がっていた。
「池田屋に斬りこんで大勢殺しはったんやて」とは妻のおりょう。
「まあ」龍馬は笑った。「やつらは幕府の犬じゃきに」
「すごい人殺しですわねぇ?」
「今はうちわで争うとる場合じゃなかきに。わしは今、薩摩と長州を連合させることを考えちゅう。この薩長連合で、幕府を倒す! これが壤夷じゃきに」
「まぁ! あなたはすごいこと考えてるんやねぇ」おりょうは感心した。
 すると龍馬は「あぁ! いずれあいつはすごきことしよった……っていわれるんじゃ」と子供のように笑った。

  この年、近藤の妾、深雪太夫が病死した。
 近藤は駆けつけたがすでに手遅れ、深雪太夫は近藤勇の腕の中で死んだ。近藤は初めて泣いた。悲しかった。せっかくの俺の女子が……
 近藤の全身の血管の中を、悲しみが、悲しい感情が駆けめぐった。涙が瞼を刺激した。近藤は、これはいかん、と上を向いて堪えた。しかし、涙はあとからあとから溢れ、やがて彼は号泣した。
  深雪太夫には妹がいたという。これまた美女で、名を孝子といった。
 寂しさからだろうか……近藤勇は孝子を、次の妾、とした。
 新選組崩壊のわずか数年前のことで、あった。             

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土方歳三 燃えよ剣・新撰組土方歳三の人生ブログ連載小説3

2013年02月18日 08時26分23秒 | 日記
         3 芹沢鴨の暗殺





  話を少し前に戻す。
 ここでは芹沢鴨の暗殺の真相について語りたい。
  土方歳三は鴨に不快感をもっていた。浪士隊の二百三十四人の中にはいってから、芹沢鴨は清河とともに”我が者顔”だった。もちろん、鴨などというのは本名ではない。
 それについて近藤が尋ねると、
「なんで鴨かって?」と逆質問してきた。「覚えやすいだろ? 鴨、鴨さんってな」
 芹沢は慇懃にいった。
  江戸を発って木曾街道をすすんだ。
「あの鴨ってやろう……いつか殺す」相変わらず土方はぶっそうなことを呟いていた。
 道中には”宿割り”という役目があった。要するに、旅で宿を探し手配する役回りである。板橋を発ち、蕨、浦賀、大宮、上尾、桶川、鴻ノ巣、熊谷、深谷と泊まりをかさねてあすは本庄宿というとき、六番隊平隊士近藤勇がこの役についたという。
 勇にそういう雑務の才能があろうはずもなく、歳三が心配して、
「あんたにはそういう仕事は無理だ。病気だとでもいって誰かとかわったほうがいい」
「いや大丈夫だ。これくらい」
「なら、俺が補佐してもいい」
「やめてくれよ、トシサン」近藤はきっぱり言った。「このくらい俺ひとりでできるよ。トシサンの合力はいらないよ」
 歳三が案じた通りになった。
 本庄宿に先行した近藤は、幕史の鵜殿、山岡を本陣に泊め、清河を上宿にし、七隊長も特別あつかいしてそれぞれ旅籠の上室をあてがい、各隊士の宿ぶりをきめたまではよかった。しかし、それからドジを踏んだという。
 芹沢鴨の宿舎を忘れていたのだ。
「これはおかしい」鴨は嫌味ったらしくいった。「わしの宿はどこかな?」
 これにはさすがの近藤も蒼白となった。
「ないのか?」
「はっ、いずれ」近藤はしどろもどろになった。
 早速、宿を探した。しかし、みつからなかった。
「このたびのこと、申し分けござらぬ! 拙者のそこつでござった!」
 近藤は手をついて謝った。いきおい土下座のようになる。近藤のようなプライドの高い男には、堪えられない屈辱だった。
「なにとぞ、ご容赦くだされ!」
 芹沢は名にも答えず、しばらく沈黙してから「いや、おかまいくださるな。宿なしの芹沢鴨は野宿する所存である。そのかわり寒いから篝火をたかせていただく。芹沢の篝火は少々大きいかも知れぬので左様心得くだされ」といった。
 芹沢はさっそく一味の新見錦、野口健司らに命令し、近所の小屋をこわして板を山のように積み上げ、夜になると火をつけた。その火は夜空をこがし、火の粉が宿の屋根にもかり、近村からも「火事ではないか」とかけつけるほどであった。
 鵜殿も山岡も、「火事になったら…」と心配で一睡もできなかった。
 近藤へのつらあてであったという。
 夜中、藤堂平助などは何度か、「斬る!」と叫んだ。しかし、近藤がそれをとめた。沖田は二階からその火柱をおもしろがって見ていた。
 土方は、夜中に何もいわず天井をじっと見ていた。それが妙に不気味だったという。
  二月二十三日、京へ着いた。
 てごろな宿がないため、一同は壬生邸に駐屯し、本部を新徳寺に置き、数軒の宿に分宿した。ところが彼等が駐屯してわずか二十日で江戸の幕議が一変した。「江戸へ帰れ」というのである。表むきは「生麦事件のため」となったが、前述した通り、清河八郎の朝廷工作が発覚したからである。一同は江戸へと下った。
 そんな中で「初心を貫く」として残留したものたちがいた。近藤たち七人である。
 ところがどういう訳か、
「俺もそうしたい」と芹沢鴨も同調した。合わせて十三名になった。
 桜が散り、若葉が眩しい頃、前述した通り近藤が「嘆願書」を京守護職・松平容保にだして意外とあっさり「預り」となった。こうして「新選組」が歴史上に登場したのである。 隊の最高機関は局長職で、筆頭が芹沢鴨で、常任三人で、次が近藤勇、そして芹沢系の新見錦となっている。芹沢派優勢である。
 しかし、その下は近藤派優位で、副長は山南、土方で優位になっていた。
「副長助勤」には、沖田、永倉、原田左之助(槍の名人・宝蔵院流)、藤堂、井上などの江戸からの近藤の側近が占め、また土方の肝いりで、大阪浪人の山崎蒸、や斎藤一などが採用された。新選組の中では近藤派優位であった。芹沢派など四人に過ぎない。
「俺はね、近藤さん」土方はいった。「新選組はいずれあんたのものにしたいと考えている」
 同じ多摩の百姓出身同士のふたりは仲がよかった。
 そのためにどういうことが必要かと説明すると、近藤はにやりとした顔になった。
「これは天下に関係することだ。もはや新選組は各・、公家と同等といってもいい。新しい風が、いま俺たちの時代に吹いているのだ。維新の風が……。すざまじい風が……
 その風に乗るもそるも局長次第だ。今、鴨のようなものが局長では困るのだ。近藤さん、あんたが新選組の長とならねばならない。そのために俺も知恵を出す!」
「しかし…」近藤は重い口をひらいた。「いそぐことではあるまい」
「わかっている。しかし、近藤さん。時期がくるまであんたはにこにこ笑って黙っていればいい。そうすれば皆、あんたについてくる。芹沢鴨は馬脚をあらわすに違いない」
「そうか?」
 近藤は不思議な表情をした。「わかった」
 近藤には将器があると土方はみていたといういう。そして、土方は組織をつくる能力に長けていた。多摩の田舎で、無名に近い「天然理心流」を広め、少ないがブームをまきおこさせたのも土方の才能だった。
 しかし、いくら芹沢が邪魔で、京の商人たちをゆすって銭をあつめていている犯罪者だとして、殺すにしても、芹沢は神道無念流の達人であり、なかなか腕がおよばない。しかも、酒がはいれば狂人、凶暴になるから質が悪い。
 待つしかない……土方はそう思った。

  芹沢は、常州芹沢村に生まれている。本名は木村継次といった。芹沢鴨とは脱・して風雲の中でつけた名であったという。なぜ、鴨なのか? 当時、一文字だけの名前が浪人の中で流行っていたからだという説もある。
 芹沢の恐ろしさは、泥酔していても剣がいささかも衰えないことである。土方歳三は芹沢を本当に身の凍る思いで恐れた。芹沢と屋敷に討ち入るときも鴨は酔っていた。
「土方君、これからこの新選組局長・芹沢鴨とふたりで、討ち入る! 譲夷派の浪人たちを皆殺しにするのじゃ!」
 ふたりは宿に討ち入った。「ご用改めである!」
 しかし、誰もいなかった。布団がまだ生暖かい。……誰かが知らせて逃げたか…
「たあっ!」
 鴨は激怒して、行燈を斬った。その斬れすじはするどく、背筋に悪寒が走るほどであった。芹沢鴨はなおも、襖や屏風を斬りだした。
 ……狂え狂え、この狂人……
 土方は思った。鴨が狂人になるたびに近藤への支持者が増える。思惑通りだ。
  芹沢は途方もない、いたずらをした。
 小屋から大砲を運んできたのである。
 近藤には「なにをなさる」とは言えなかった。軋轢を恐れたのだという。近藤は見て見ぬふりをして居間にもどると、そっと歳三を呼んだ。
「庭の騒ぎ、見たか?」
「見た」歳三は渋い顔で頷いた。「どうなさる? あの大砲は壤夷の外夷征伐のために守護職さまから借り入れたものだ。使用するには三局長の同意がいる」
「俺をせめてもしかたあるまい」
「そりゃあそうだが」歳三は苦々しく「あの鴨は早めに始末しなくてはならない」
「斬る……ということか?」
「そうだ。斬る!」
「しかし、鴨は神道無念流の達人。勝てるか? トシサン」
「なぁに」歳三はにやりとした。「ふい討ちだ。のう、近藤さん」
「とにかく(沖田)総司に芹沢のことを探らせよう」
 沖田少年はよく、芹沢のことを調べてきた。
「芹沢は大砲で商人を脅して銭を出させようとしているようです」
 沖田はいった。
「沖田君、君は正気か?」
「わかってます、呑気すぎるっていうのでしょう。そんなことしたら銭目当てで狼藉を働く浮浪浪士とかわらない。まるで盗賊のごときで…」
「もういい。引き取っていい。総司」土方はそういった後、「いまこそ斬るべきだ」
 と、刀で斬るマネをした。芹沢は隊規則に違反した。いまこそ斬るべきだ!
「しかし…」近藤は眼をそらして「芹沢を斬れる男がいるかい? トシサン」
「沖田なら斬れるでしょう。新見錦は宝蔵院流の原田が、平山、平間は永倉、藤堂が討ちとる」
「そうか。なら勝てるかも知れない」近藤は深く頷いた。
  芹沢は大砲を本当に商人の屋敷に撃ちこんだ。「撃て! 撃て!」
 やがて屋敷が火に包まれた。京の幕府の連中がきたが、相手が新選組だと知るとたじろいだ。芹沢一派はこうして銭を奪取したのである。
 壬生邸にもどると新選組内部でも、その話でもちきりだった。ただ、近藤と土方だけはにがにがしい顔をしていたので誰も話かけなかった。
 ただ沖田だけが、夜になり土方のところへくると「おもしろかったですね、土方先生」 と笑った。「俺は…」
 土方は苦笑して「火事が好きだってんだろ?」
「そうです。大砲火事なんてなかなか江戸でも見れないでしょ? あれは見たかった」
 沖田総司は、奥州白河藩の江戸定府だった者の子で、近藤の道場では万人にひとりという天才剣士だった。「それにしても芹沢さんは変なひとですね」
「変?」
「だって、あんなことするかとおもうと、寝言なんかいって……豚汁とか、コンペイトウとか…いくらこづいても起きないんです」
 土方はハッとした「起きない? それは本当か? 総司」
 沖田は何かマズいことをいったような気がして「まぁ…」とバツが悪そうにいうと去った。土方歳三はにやりとした顔を序序につくり、
「そうか……寝たら起きないか…」とひとりでいった。
  芹沢は「お梅事件」をおこした。
 歳三がそのことを知ったのは、例によって沖田が部屋にきてしゃべっているときだった。「土方先生はごらんになりました?」
「なんのことだ?」
「うといなぁ。永倉さんにいわせると京でも指折りの女子らしいですよ。俺はああいう女子は嫌いだけど」
「なんだ、女子の話か」
「いやだな、食べ物か何かの話だとでも思ったんですか?」
 沖田の話によると、芹沢の屯邸に毎日のように女が訪ねてくるという。四条堀川の呉服商菱屋太兵衛の妾で、お梅という。菱屋太兵衛の正室はすでに亡いから、妻同然である。「芹沢さんは相変わらず女好きだなぁ」
「芹沢が女好きなのは今にはじまったことじゃない。要するに、商人の妻同然の女を妾にしているのが問題なのではないか?」
「まぁ、そうかも知れませんねぇ」
「総司は生まれたままだのう」土方は笑った。無邪気な若者に感心したのである。
「俺を子供扱いするのはやめて下さい、土方先生」
 沖田はわらった。土方も笑った。

「土方先生はずるいから、一ノ太刀はご自分でつけるつもりなのでしょう? そうはいきませんよ。俺に譲ってもらいます」
 土方は、「総司にはかなわんのう」といった。
「ただ、心配が俺にはあります」沖田は続けた。「もし、芹沢が寝ているところを襲うにしても………お梅さんが一緒に寝入っていたら…?」
「斬る!」
 土方は間髪いれずいった。
「可哀相だな」沖田は涙をうっすら浮かべた。歳三にはその感情が理解できなかった。

  当日がきた。
 その夜には、芸妓上げで平山も芹沢も泥酔し、おおいびきで寝入ってしまっていた。
 近藤は「芹沢先生は寝入ってらっしゃるか?」と番頭にきいた。
「へぇ」番頭は頷いた。
 ……新見錦のときと同じだ。
 近藤は思った。
 新見錦はもういなかった。死んだのである。大砲事件の責任を追及され、切腹していた。 よって芹沢派は、芹沢自身と平間重助、平山五郎、野口健司だけになっていた。
 沖田は「芹沢先生は、帰営してから酒だ酒だとわめいていらっしゃいましたが、やがて寝てしまいました」といった。
「平間重助、平山五郎、野口健司は?」と近藤はきいた。
「寝ました」
 午後十過ぎから、雨はあがった。雲から月明りが差し込んでいた。
 近藤たちは羽織りを脱ぎ、たすきをかけ、裸足で襲撃した。
 一同はひそかに前川屋敷の裏口から侵入すると、八木屋敷に突入し、襖を蹴り倒した。沖田は一瞬ひるんだ。鴨が、丸裸で寝入っていたからだ。どうやら情事のあとすぐに寝入ってしまったらしい。
 沖田の刀が閃くと殺戮は始まった。
 芹沢は肩を斬られて激痛で目が覚め、刀に手をかけたが、ない。あきらめたのか芹沢は襖に体当たりして廊下にころがった。原田左之助が槍でつこうとしたがかわされた。しかし、芹沢の前に土方が踊り出て、冷たい一刺しで芹沢鴨は殺された。
 このあいだ、お梅も虫のように声もたてず刺し殺された。沖田が殺したのではないか?土方はそう思った。平山五郎は原田左之助の槍で首をはねられた。
 平山と寝ていたはずの吉栄という女はもういなかった。いがいと機敏な女だったらしい。 平間重助と野口健司は遁走し、二度と歴史上に姿を現さなかった。
 翌朝、近藤は三人の遺体を検視し、”病死”として京守護職に伝えた。
 葬儀は事件の翌々日、文久三年九月二十日、壬生屯所で盛大におこなわれたという。近藤はまるで、諸葛孔明が周揄の葬儀のときつかった演技のように、涙で声をふるわせながら弔辞を読んだ。ときおり、涙を拭き、声をとぎらせた。
 近藤勇、一世一代の”演技”である。
 こうして、芹沢鴨たちを粛清した。そして、新選組は近藤勇のものとなったので、ある。



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土方歳三 燃えよ剣・新撰組土方歳三の人生ブログ連載小説2

2013年02月17日 08時19分28秒 | 日記
         2 壬生浪人組




  黒船をみたことで、近藤も土方も興奮冷めやらぬ思いであった。
しかも、佐幕、に目覚めたのだから質がわるい。
 やれ、幕府をたてて外人を攻め滅ぼす! とか、日本も同じような軍艦をつくって対抗しよう……だのと言いあっていた。
 だが、”いも道場”の中でいくら侃々諤々と議論しても糞の役にも立たない。そういったのは斎藤一だった。斎藤一は剣の腕が立った。達人といってもいい。
 そして、世情に明るかった。
「剣の腕で、侍になるしかねぇ」斎藤一はいった。
 土方も「俺もそう思ってた。サムライになれば尊皇壤夷の連中を斬り殺せる」
「しかし…」近藤は戸惑った。「俺たちは百姓や浪人出身だ。幕府が俺たちを雇うか?」「剣の腕があれば」斎藤一は真剣を抜き、バサッと斬る仕種をした。「なれる!」
 近藤らは笑った。
「近藤先生は、流儀では四代目にあらせられる」ふいに、永倉新八がそういった。
 三代目は近藤周助(周斎)、勇は十六歳のときに周斎に見込まれて養子となり、二十五歳のとき、すべてを継承した。
 いかにも武州の田舎流儀らしく、四代目の披露では派手な野試合をやった。場所は府中宿の明神境内東の広場である。安政五年のことだという。
 沖田惚次郎も元服し、沖田総司と名乗った。
 土方歳三は詐欺まがいのガマの油売りのようなことで薬を売っていた。しかし、道場やぶりがバレて武士たちにリンチをうけた。傷だられになった。
「……俺は強くなりたい」痛む体で土方は思った。
 近藤勇も道場の義母に「あなたは百姓です! 身の程を知りなさい」
 といわれ、悔しくなった。土方の兄・為次郎はいった。
「新しい風が吹いている。それは岩をも動かすほどの嵐となる。近藤さん、トシ…国のためにことを起こすのだ!」
 近藤たちは「百姓らしい武士になってやる!」と思った。
 この年(万延元年(一八六〇))勝海舟が咸臨丸でアメリカへいき、そして桜田門外で井伊大老が暗殺された。雪の中に水戸浪人の死体が横たわっている。
 近藤は愕然として、野次馬の中で手を合わせた。「幕府の大老が……」
「あそこに横たわっているのは特別な存在ではない。われわれと同じこの国を思うものたちです」山南敬助がいった。「陣中報告の義、あっぱれである!」酒をのみながら野次馬の中の芹沢鴨が叫んだ。
「俺も武士のようなものになりたい」土方は近藤の道場へ入門した。
 この年、近藤勇は結婚した。相手はつねといった。
 けっこう美人なほうである。
 野試合は紅白両軍に別れ、赤の大将は御獄堂糺。白の大将は、土方歳三の義兄佐藤彦五郎(日野宿大名主)であったという。
 近藤はいずれにも属せず、「本陣総大将」という役目で、旗本、軍師、軍奉行、軍目付、などをものものしくつけ判断したという。野試合には百人ほどの門人がでた。
 土方は当時二十四歳で、赤の大将の旗本のひとりにまじっていた。沖田総司は十五歳で、井上源三郎老人(といっても四十四歳、のちの新選組の中で最年長だった)も加わった。 白と赤のはちまきをして、額には割れやすい皿をつけている。割られたら負けだ。
 沖田総司はするどい木刀さばきで、次々と相手をまかした。
 土方とて負けてはいない。赤組の勇として、あいてをバッタバッタと叩きつぶした。やがて彼の義兄佐藤彦五郎(白組大将)と一騎討ちとなった。
「やっちまえ! 土方さん!」そういったのは天才・沖田少年だった。
 ふたりは睨み合った。義理とはいえ兄弟同士である。
 やあっ! ふたりの木刀が交わる。しかし、剣の腕は土方に分があった。土方はするどい木刀さばきで義兄を倒した。
「それまで!」陣幕まで派手にかざって”戦国大名気取り”の近藤勇が、そういった。
 勝負あったのだ。赤組の勝ちだ。
「よし!」十歳で免許皆伝した稀有の天才・沖田総司はガッツ・ポーズをした。
 近藤は何か考え違いをしていた。
 このような野試合などしたところで、何の役にもたたないのだ。斎藤一のいうように糞の役にもたたない。侍にならなければ、剣の腕がいかに立っても、誰も認めてはくれない。 それはちようど浅学非力な学者が、社会の役に立たないのと一緒だ。
 しかし、近藤とてそれを知らぬほど馬鹿ではない。
 必死に仕官の道を探していた。
 そんな中、近藤勇にチャンスがやってくる。
「あの話、本当か? 近藤さん」土方歳三が興味津々できいてきた。
「何が?」近藤はしらばっくれた。
「幕府が剣術指南役を募集してるってさぁ」
「情報が早いな、トシサン」近藤はうすら笑いを顔に浮かべた。「俺、受けようとおもってるんだ……その試験」
 江戸の徳川幕府は新たな剣術指南役を募集していた。身分は問わないというラッキーな募集だった。合格すれば「サムライ」である。近藤たちにとっては”大出世”だ。
「俺も受けたい」土方がいうと、近藤は首をふった。「一道場からひとりだけという募集だ。そのかわり身分は問わないってさ」
「じゃあ、何で近藤さんなんだい? 俺の方が強い」
「俺が道場主だからさ。それに俺たちより総司のほうが腕は立つぜ。まだ童子だが」
 土方は「皮肉なもんだな。同じ多摩の百姓なのに。近藤さんは幸運のひとだ」
「それは受かってから言ってくれ」
 近藤は笑った。
「俺はサムライになって幕府を守る! 幕府を守る要となる!」
「でかいこというね、近藤さん」土方は呆れたようにいった。
  幕府の剣術指南役の試験が始まった。
 もちろん、”剣術指南役”であるから、ペーパーテストなどではない。木刀による剣術テストである。近藤勇はバッタバッタと相手を倒していった。
 さすがは”天然理心流免許皆伝”である。
「それまで!」
 やがて、近藤は登りつめた。頂点に、一番になったのである。彼の剣の腕に幕府の役人たちも驚き、「お主はすごいのう」と感嘆の声をあげた。
「いいえ、相手が弱すぎただけです」近藤は謙虚にいった。にやりとした。
 普通に考えれば、近藤勇は”採用”である。
 だが、現実は甘くはなかった。近藤勇はさんざん待たされたあげく、”採用取り消し”となってしまう。近藤は納得がいかず「なぜでござる?!」と役人に詰め寄った。
 役人は申し訳なさそうに「勘弁してくれ」というばかりだった。
 どうも、”百姓出身者”から剣術を教えられたくない……という意見がよせられたからというのが真相のようである。
「百姓の何が悪い!」近藤は怒りのもっていく場所が見付からず、どうにも憂欝になった。 せっかく「サムライ」になれると思ったのに……くそっ!
「どうでした? 近藤先生」
 道場に戻ると、沖田少年が好奇心いっぱいに尋ねてきた。土方も「採用か?」と笑顔をつくった。近藤勇は「ダメだった……」とぼそりといった。
「負けたのですか?」と沖田。近藤は「いや、勝った。全員をぶちのめした。しかし…」 と口ごもった。
「百姓だったからか?」土方歳三するどかった。ずばりと要点をついてくる。
「……その通りだトシサン」
 近藤は無念にいった。がくりと頭をもたげた。
 ……なにが身分は問わずだ……百姓の何が悪いってんだ?

  この頃、庄内藩(山形県庄内地方)に清河八郎という武士がいた。田舎者だが、きりりとした涼しい目をした者で、「新選組をつくったひと」として死後の明治時代に”英雄”となった。彼は藩をぬけて幕府に近付き、幕府武道指南役をつくらせていた。
  遊郭から身受けた蓮という女が妻である。清河八郎は「国を回天」させるといって憚らなかった。まず、幕府に武装集団を作らせ、その組織をもって幕府を倒す……まるっきり尊皇壤夷であり、近藤たちの思想「佐幕」とはあわない。しかし、清河八郎はそれをひた隠し、「壬生浪人組(新選組の前身)」をつくることに成功する。
 その後、幕府の密偵を斬って遁走するが、それは後述したい。
  土方はこの頃、お琴という娘に夢中になっていた。
 けっこう可愛い娘で、気立てもよく、”夜の事”もうまかった。情熱的な性格で、京まで土方を追いかけてくるような娘である。
 土方歳三はお琴に夢中になり、お琴も彼に夢中になっていた。


  文久三(一八六三)年一月、近藤に、いや近藤たちにふたたびチャンスがめぐってきた。それは、京にいく徳川家茂のボディーガードをする浪人募集というものだった。
 その頃まで武州多摩郡石田村の十人兄弟の末っ子にすぎなかった二十九歳の土方歳三もそのチャンスを逃さなかった。当然、親友で師匠のはずの近藤勇をはじめ、同門の沖田総司、山南敬助、井上源三郎、他流派ながら永倉新八、藤堂平助、原田左之助らとともに浪士団に応募したのは、文久二年の暮れのことであった。
 微募された浪士団たちの初顔合わせは、文久三(一八六三)年二月四日であった。
 会合場所は、小石川伝通院内の処静院であこなわれたという。
 その場で、土方歳三は初めてある男(芹沢鴨)を見た。
 土方歳三の芹沢鴨への感情はその日からスタートしたといっていいという。
 幕府によって集められた浪人集は、二百三十人だった。世話人であった清河によって、隊士たちは「浪人隊」と名づけられた。のちに新微隊、そして新選組となる。
 役目は、京にいく徳川家茂のボディーガードということであったが、真実は京には尊皇壤夷の浪人たちを斬り殺し、駆逐する組織だった。江戸で剣術のすごさで定評のある浪人たちが集まったが、なかにはひどいのもいたという。
 京には薩摩や長州らの尊皇壤夷の浪人たちが暗躍しており、夜となく殺戮が行われていた。将軍の守護なら徳川家の家臣がいけばいいのだが、皆、身の危険、を感じておよび腰だった。そこで死んでもたいしたことはない”浪人”を使おう……という事になったのだ。「今度は百姓だからとか浪人だからとかいってられめい」
 土方は江戸訛りでいった。
「そうとも! こんどこそ好機だ! 千載一遇の好機だ」近藤は興奮した。
 すると沖田少年が「俺もいきます!」と笑顔でいった。
 近藤が「総司はまだ子供だからな」という。と、沖田が、「なんで俺ばっか子供扱いなんだよ」と猛烈に抗議しだした。
「わかったよ! 総司、お前も一緒に来い!」
 近藤はゆっくり笑顔で頷いた。
  今度は”採用取り消し”の、二の舞い、にはならなかった。”いも道場”試護館の十一人全員採用となった。「万歳! 万歳! これでサムライに取り立てられるかも知れない!」一同は歓喜に沸いた。
 近藤の鬼瓦のような顔に少年っぽい笑みが広がった。少年っぽいと同時に大人っぽくもある。魅力的な説得力のある微笑だった。
 彼等の頭の中には「サムライの世はもうすぐ終わる…」という思考はいっさいなかったといっても過言ではない。なにせ崩れゆく徳川幕府を守ろう、外国人を追い払おう、鎖国を続けようという「佐幕」のひとたちなのである。


  ある昼頃、近藤勇と土方歳三が江戸の町を歩いていると、「やぁ! 鬼瓦さんたち!」と声をかける男がいた。坂本龍馬だった。彼はいつものように満天の笑顔だった。
「坂本さんか」近藤は続けた。「俺は”鬼瓦さん”ではない。近藤。近藤勇だ」
「……と、土方歳三だ」と土方は胸を張った。
「そうかそうか、まぁ、そんげんことどげんでもよかぜよ」
「よくない!」と近藤。
 龍馬は無視して「そげんより、わしはすごい人物の弟子になったぜよ」
「すごい人物? 前にあった佐久間なんとかというやつですか? 俺を鬼瓦扱いした…」「いやいや、もっとすごい人物じゃきに。天下一の学者で、幕府の重要人物ぜよ」
「重要人物? 名は?」
「勝!」龍馬はいかにも誇らしげにいった。「勝安房守……勝海舟先生じゃけん」
「勝海舟? 幕府の軍海奉行の?」近藤は驚いた。どうやって知り合ったのだろう。
「会いたいきにか? ふたりとも」
 近藤たちは頷いた。是非、会ってみたかった。
 龍馬は「よし! 今からわしが会いにいくからついてきいや」といった。
  近藤たちは首尾よく屋敷で、勝海舟にあうことができた。勝は痩せた体で、立派な服をきた目のくりりとした中年男だった。剣術の達人だったが、ひとを斬るのはダメだ、と自分にいいきかせて刀の鍔と剣を紐でくくって刀を抜けないようにわざとしていた。
 なかなかの知識人で、咸臨丸という幕府の船に乗りアメリカを視察していて、幅広い知識にあふれた人物でもあった。
 そんな勝には、その当時の祖国はいかにも”いびつ”に見えていた。
「先生、お茶です」龍馬は勝に茶を煎じて出した。
 近藤たちは緊張して座ったままだった。
 そんなふたりを和ませようとしたのか、勝海舟は「こいつ(坂本龍馬のこと)俺を殺そうと押しかけたくせに……俺に感化されてやんの」とおどけた。
「始めまして先生。みどもは近藤勇、隣は門弟の土方歳三です」
 近藤は下手に出た。
「そうか」勝は素っ気なくいった。そして続けて「お前たち。日本はこれからどうなると思う?」と象山と同じことをきいてきた。
「……なるようになると思います」近藤はいつもそれだった。
「なるように?」勝は笑った。「俺にいわせれば日本は西洋列強の中で遅れてる国だ。軍艦も足りねぇ、銃も大砲もたりねぇ……このままでは外国に負けて植民地だわな」
 近藤は「ですから日本中のサムライたちが立ち上がって…」といいかけた。
「それが違う」勝は一蹴した。「もう幕府がどうの、薩長がどうの、会津がどうの黒船がどうのといっている場合じゃないぜ。主権は徳川家のものでも天皇のものでもない。国民皆のものなんだよ」
「……国民? 民、百姓や商人がですか?」土方は興味を示した。
「そうとも! メリケン(アメリカ)ではな。国の長は国民が投票して選ぶんだ。日本みたいに藩も侍も身分も関係ない。能力があればトップになれるんだ」
「………トップ?」
「一番偉いやつのことよ」勝は強くいった。
 近藤は「徳川家康みたいにですか?」と問うた。
 勝は笑って「まぁな。メリケンの家康といえばジョージ・ワシントンだ」
「そのひとの子や子孫がメリケンを支配している訳か?」
 勝の傲慢さに腹が立ってきた土方が、刀に手をそっとかけながら尋ねた。
「まさか!」勝はまた笑った。「メリケンのトップは世襲じゃねぇ。国民の投票で決めるんだ。ワシントンの子孫なんざもう落ちぶれさ」
「そうじゃきぃ。メリケンすごいじゃろう? わが日本国も見習わにゃいかん!」
 今まで黙っていた龍馬が強くいった。
 近藤は訝しげに「では、幕府や徳川さまはもういらぬと?」と尋ねた。
「………そんなことはいうてはいねぇ。ぶっそうなことになるゆえそういう誤解めいたことは勘弁してほしいねえ」勝海舟はいった。
 そして、「これ、なんだかわかるか?」と地球儀をもって近藤と土方ににやりと尋ねた。 ふたりの目は点になった。
「これが世界よ。ここがメリケン、ここがイスパニア、フランス…信長の時代には日本からポルトガルまでの片道航海は二年かかった。だがどうだ? 蒸気機関の発明で、今ではわずか数か月でいけるんだぜ」
 勝に呼応するように龍馬もいった。「今は世界ぜよ! 日本は世界に出るんぜよ!」


 「浪人隊」の会合はその次の日に行われた。武功の次第では旗本にとりたてられるとのうわさもあり、すごうでの剣客から、いかにもあやしい素性の不貞までいた。
 処静院での会合は寒い日だった。場所は、万丈百畳敷の間だ。公儀からは浪人奉行鵜殿鳩翁、浪人取締役山岡鉄太郎(のちの鉄舟)が臨席したのだという。
 世話は出羽(山形県)浪人、清河八郎がとりしきった。
 清河が酒をついでまわり、「仲良くしてくだされよ」といった。
 子供ならいざしらず、互いに素性も知らぬ浪人同士ですぐ肩を組める訳はない。一同はそれぞれ知り合い同士だけでかたまるようになった。当然だろう。
 そんな中、カン高い声で笑い、酒をつぎ続ける男がいた。口は笑っているのだが、目は異様にぎらぎらしていて周囲を伺っている。
「あれは何者だ?」
 囁くように土方は沖田総司に尋ねた。この頃十代後半の若者・沖田は子供のような顔でにこにこしながら、
「何者でしょうね? 俺はきっと水戸ものだと思うな」
「なぜわかるんだ?」
「だって……すごい訛りですよ」
 土方歳三はしばらく黙ってから、近藤にも尋ねた。近藤は「おそらくあれば芹沢鴨だろう」と答えた。
「…あの男が」土方はあらためてその男をみた。芹沢だとすれば、有名な剣客である。神道無念流の使い手で、天狗党(狂信的な譲夷党)の間で鳴らした男である。
「あまり見ないほうがいい」沖田は囁いた。


  隊士二百三十四人が京へ出発したのは文久三年二月八日だった。隊は一番から七番までわかれていて、それぞれ伍長がつく。近藤勇は局長でもなく、土方も副長ではなかった。 のちの取締筆頭局長は芹沢鴨だった。清河八郎は別行動である。
 近藤たち七人(近藤、沖田、土方、永倉、藤堂、山南、井上)は剣の腕では他の者に負けない実力があった。が、無名なためいずれも平隊士だった。
 そして、土方は江戸を出るとき、お琴に別れをいった。しかし、お琴は歳三のことが忘れられずに後追いで京へ向かった。それはまさに吉川英治の小説『宮本武蔵』の中の「お通」のごときであった。
 浪人隊は黙々と京へと進んだ。
 途中、近藤が下働きさせられ、ミスって宿の手配で失敗し、芹沢鴨らが野宿するはめになるが、それは次項で述べたい。
  浪人隊はやがて京に着いた。
 その駐屯地での夜、清河八郎はとんでもないことを言い出した。
「江戸へ戻れ」というのである。
 この清河八郎という男はなかなかの策士だった。この男は「京を中心とする新政権の確立こそ譲夷である」との思想をもちながら、実際行動は、京に流入してくる諸国脱・弾圧のための浪人隊(新選組の全身)設立を幕府に献策した。だが、組が結成されるやひそかに京の倒幕派に売り渡そうとしたのである。「これより浪士組は朝廷のものである!」
 浪士たちは反発した。清河はひとりで江戸に戻った。いや、その前に、清河は朝廷に働きかけ、組員(浪士たち)が反発するのをみて、隊をバラバラにしてしまう。
 近藤たちは京まできて、また「浪人」に逆戻りしてしまった。
 勇のみぞおちを占めていた漠然たる不安が、脅威的な形をとりはじめていた。彼の本能すべてに警告の松明がついていた。その緊張は肩や肘にまでおよんだが、勇は冷静な態度をよそおった。
「ちくしょうめ!」土方は怒りに我を忘れ叫んだ。
 とにかく怒りの波が全身の血管の中を駆けぬけた。頭がひどく痛くなった。
(清河八郎は江戸へ戻り、幕府の密偵を斬ったあと、文久三年四月十三日、刺客に殺されてしまう。彼は剣豪だったが、何分酔っていて敵が多すぎた。しかし、のちに清河八郎は明治十九年になって”英雄”となる)

「近藤さん」土方は京で浪人となったままだった。「何か策はないか?」
 勇は迷ってから、ひらめいた。「そうだ。元々俺たちは徳川家茂さまの守護役できたのではないか。なら、京の治安維持役というのはどうだ?」
「それはいいな。さっそく京の守護職に文を送ろう」
「京の守護職って誰だっけ? トシサン」
「さあな」
「松平…」沖田が口をはさんだ。「松平容保公です。会津藩主の」
  近藤はさっそく文を書いて献上した。…”将軍が江戸にもどられるまで、われら浪士隊に守護させてほしい”
 文を読んだ松平容保は、近藤ら浪士隊を「預かり役」にした。
 この頃の京は治安が著しく悪化していた。浪人たちが血で血を洗う戦いに明け暮れていたのだ。まだ、維新の夜明け前のことである。
 近藤はこの時期に遊郭で深雪太夫という美しい女の惚れ込み、妾にした。
 勇たちは就職先を確保した。
 しかし、近藤らの仕事は、所詮、安い金で死んでも何の保証もないものでしかなかった。 近藤はいう。
 ……天下の安危、切迫のこの時、命捨てんと覚悟………

          ”芹沢の始末”も終り、京の本拠地を「八木邸(京都市中京区壬生)に移した。壬生浪人組。隊士たちは皆腕に覚えのあるものたちばかりだったという。江戸から斎藤一も駆けつけてきて、隊はいっそう強力なものとなった。そして、全国からぞくぞくと剣豪たちが集まってきていた。土方、沖田、近藤らは策を練る。まずは形からだ。あさきく色に山形の模様…これは歌舞伎の『忠臣蔵』の衣装をマネた。そして、「誠」の紅色旗………
 土方は禁令も発する。
 一、士道に背くこと 二、局を脱すること 三、勝手に金策すること 四、勝手の訴訟を取り扱うこと  (永倉日記より)
 やぶれば斬死、切腹。土方らは恐怖政治で”組”を強固なものにしようとした。
  永久三(一八六三)年四月二十一日、家茂のボディーガード役を見事にこなし、初仕事を終えた。近藤勇は満足した顔だった。人通りの多い道を凱旋した。
「誠」の紅色旗がたなびく。
 沖田も土方も満足した顔だった。京の庶民はかれらを拍手で迎えた。
  壬生浪士隊は次々と薩摩や長州らの浪人を斬り殺し、ついに天皇の御所警護までまかされるようになる。登りつめた! これでサムライだ!
 土方の肝入で新たに採用された大阪浪人山崎蒸、大阪浪人松原忠司、谷三十郎らが隊に加わり、壬生浪人組は強固な組織になった。芹沢は粗野なだけの男で政治力がなく、土方や山南らはそれを得意とした。近藤勇の名で恩を売ったり、近藤の英雄伝などを広めた。      そのため、パトロンであるまだ若い松平容保公(会津藩主・京守護職)も、
「立派な若者たちである。褒美をやれ」と家臣に命じたほどだった。
 そして、容保は書をかく。
 ……………新選組
「これからは壬生浪人組は”新選組”である! そう若者たちに伝えよ!」
 容保は、近藤たち隊に、会津藩の名のある隊名を与えた。こうして、『新選組』の活動が新たにスタートしたのである。
  新選組を史上最強の殺戮集団の名を高めたのは、かれらが選りすぐりの剣客ぞろいであることもあるが、実は血も凍るようなきびしい隊規があったからだという。近藤と土方は、いつの時代も人間は利益よりも恐怖に弱いと見抜いていた。このふたりは古きよき武士道を貫き、いささかでも未練臆病のふるまいをした者は容赦なく斬り殺した。決党以来、死罪になった者は二十人をくだらないという。
 もっとも厳しいのは、戦国時代だとしても大将が死ぬば部下は生き延びることができたが、新選組の近藤と土方はそれを許さなかった。大将(伍長、組頭)が討ち死にしたら後をおって切腹せよ! …というのだ。
 このような恐怖と鉄の鉄則によって「新選組」は薄氷の上をすすむが如く時代の波に、流されていくことになる。       

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土方歳三 燃えよ剣・新撰組土方歳三の人生ブログ連載小説1

2013年02月15日 09時53分49秒 | 日記
小説 氷剣!
     土方歳三


      ひじかたとしぞう   SHINSENGUMI~the last samurai ~
                ~「新選組」の戦略と真実!
                   今だからこそ、新選組
                ノンフィクション小説
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


 あらすじ

  黒船来航…
  幕末、京の治安維持という理由で農民出身の剣豪たちが”新選組”を結成した。局長・近藤勇、副長・土方歳三、一番組頭・沖田総司……
 しかし、彼等が守る幕府のリーダー、徳川慶喜は軟弱だった。坂本龍馬が薩摩・長州の連合をつくって、天皇をかかげて官軍がなるとすぐに大阪から江戸に逃げてしまう。
 近藤たち新選組は薩摩、長州の藩士たちを殺していくが、やがて敗走し、京を逃れて江戸へ。しかし、薩長の圧倒的な軍事力の前になすすべもなく敗走。千葉の流山に布陣したところで近藤は、土方たち隊士を救うため「大久保大和」という偽名で薩摩軍に投降。しかし、正体がバレて打ち首になる。その首は江戸と京にさらされたという。沖田も病気で近藤勇の後を追うように死去。残された土方は北海道までいって闘うも戦死……
 こうして侍たちの世は終りを告げ、時代は江戸から東京、文明開花の明治時代へ移る。 新選組は最後のサムライだった。侍として生き、若くして維新の波に散ったのだった。
  幕末、武士の世が崩れていく中、農民から旗本となった近藤勇と新選組…勤皇佐幕の血なまぐさい抗争に明け暮れる京……その治安維持のために農民出身の剣豪たちが集団を組織した。守護職松平容保配下の「新選組」である。黒船来航により、開国か譲夷かで若者たちがゆれていた。隊長近藤勇、副長土方歳三以下、”誠”の旗印に参集した血気さかんな若者たち。近藤のもつ名刀・「長曾禰虎徹」、必殺剣術「天然理心流」、僅か四人で闘った「池田屋事件」。なぜ近藤や土方ら剣豪たちは薩摩・長州にやぶれ去ったのか?
  その謎を解く鍵が、この小説にはある!
 これはそうした維新に揺れ動かされた青年たちの物語である。


         1 黒船と立志



 ”新選組”の名を知らぬ者はいまい。
  隊長近藤勇の前の名前は島崎勝太といい、彼は農民出身である。「サムライになりたい!」その一心だった。そんな彼は江戸(現在の東京)の試衛館という貧乏剣術道場の指南役・近藤周助の養子となる。「サムライになりたい!」その一心のワン・ステップだった。 沖田総司は天保十三年(一八四二)奥州白河藩江戸藩邸で沖田勝次郎の嫡男として生まれる。両親は幼い頃に死んだ。総司は、天然理心流三代目宗家・近藤周助の試衛館に入門、剣術を学んだ。剣術は天才的で、十二歳で白河藩剣術指南役と対戦し、勝利する。
 十代のうちに免許皆伝を得、師範代を勤めるまでになる。
 近藤勇は角張った鬼瓦のような顔で、ゲンコツが口にはいるほど口が大きく、筋肉隆々である。剣にもおぼえがあった。必殺剣術「天然理心流」、それが彼のすべてだった。まるで宮本武蔵のように、剣、で世の中を渡れると信じて疑わない人物だった。人一倍おひとよしで信じやすく、多摩の故郷を心から愛していた。
 副長土方歳三は面長の顔で、色白、しかしキレやすい。何かというと「斬れ! 斬れ!」とわめいたという。近藤の幼馴染みの農民で、痩体、しかし剣はすごかった。”泣く子も黙る鬼の土方”のちにいわれた。なかなかの風流人で、俳句や水墨画もたしなんだという。  沖田総司は近藤勇より十歳も若い。池田屋事件の時は、沖田総司二十一歳、近藤勇三十一歳、土方歳三三十歳である。それに井上源三郎ふくめて、四人が天然理心流宗家・近藤周助(周斎)の相弟子であった。このうち近藤が、十六歳の嘉永二年に周斎の養子になった。が、かといって勇がかれらの師匠という訳ではない。
 ……まぁ、義兄弟のようなものといっていいだろう。
 沖田総司の元服前の名は「惚次郎」で、黒船来航のときはまだ六歳だった。
 しかし、もう剣は鋭かった。大人でも負かした。剣の天才である。
 沖田総司というと薄幸の色白”美少年剣士”というイメージが皆さんの中にあると思う。が、真実はそれほど色男ではない。肖像画をみたが、いまいち冴えない風貌である。
 だが、ここではあえて、薄幸の色白”美少年剣士”として登場してもらいたい。
 沖田は浪人で、それは藤堂平助も永倉新八も斎藤一も同じである。
 永倉新八といえば、決党以来の近藤の盟友である。隊では二番隊の長である。
 斎藤一は、京で新選組が結成された頃、江戸から駆けつけ加盟した。斎藤は早くから近藤の江戸の道場に出入りし、稽古を手伝ったり、他流試合の代人として出たりして近藤とは縁が深い。近藤も斎藤を沖田のような直弟子のように可愛がったという。
 斎藤は恐ろしいほど剣の腕が立った。父親が播州明石松平家の浪人であったため、自分も明石浪人と称していたという。

  元治元年の池田屋事件(新選組が名を轟かせた事件。京の池田屋に集まっていた長州藩士たちが御所に火をつけ天皇を長州に奪い去る計画を練っており、それを阻止した)の斬り込みの際、喀血した沖田は動揺をかくせない。
「……なんで血など吐いたのだろう……?」
 このところ咳がつづいていたが、風邪かと思っていた。だが、まさか血を吐くとは…… 沖田が喀血したのを知っているのは永倉と原田だけだ。
 さっそく、医者に密かにひとりでいった。
 医者は喀血を知り、それりゃあきまへんな、といった。
「ねぇ、たいした事ないんですよね?」と沖田はきいた。
「馬鹿者、たいしたことないやつが血など口から吐くか? おまえさんの病気は労咳じゃ」「……馬鹿な! なんで私が?!」
「知るか」医者は冷たい。
「ねえ、なおるんですよね。治してよ」沖田はだるい体を横にしていった。
「労咳(肺結核のこと)にきく薬はない」
 医者はキッパリいった。
「………私は……死ぬの…ですか?」沖田は蒼白な顔になった。
「人間はいずれ必ず死ぬ。おまさんははようなっただけのことじゃ」
 沖田総司は愕然とした。
 しかし、屯所に戻ると、土方たちにどうだった? ときかれ、「なんでもありませんでした。只の風邪でした」と嘘をいい、沖田総司は強がるのだった。

 ……十年前。
  幕末、近藤の”貧乏”道場は「試衛館」、”いも道場”と呼ばれていた。
 田舎者の百姓ばかり集まっていたことからそう呼ばれた。道場には土方も藤堂平助も永倉新八もいた。道場主は近藤周助(隠居して周斎)、その男の養子が勇だった。勇の道着の背中にはドクロの刺繍があったという。常に「死」と背中あわせ……というところか。 新選組とは要するに、武州南多摩の農村に流布されていた天然理心流の剣術道場から成立したようなものだという。沖田も土方もその門人だった。
 なぜ農民の多摩地方の人物が国政に興味をもったのか? それは、武州南多摩というのは元々武田信玄からの家臣が戦乱の中でやぶれて、徳川家康にひろわれて移り住んだ地方であるからだ。だから徳川には非常に義理を感じている。多摩「八王子人同心」という。 だから徳川に一大事あれば駆けつける……という地域の農民たちなのである。
 その”いも道場”に天才少年がいた。名は沖田惚次郎、のちの沖田総司である。
 まだガキなのに恐ろしく剣の腕がたった。まさに天才である。

  近藤が帰ってくると、義母・ふでが文句をいった。
「勇さん、もうあなたは近藤家の跡取りなのですよ。あんな素性もわからないものと一緒になって…」
「土方は素性もわからないものではありません。幼馴染みの農民です」
 近藤はいった。鬼瓦みたいな顔に笑顔が見えた。ふでは「左様ですか」とふて腐れて去った。近藤が部屋に戻ると、沖田惚次郎(のちの沖田総司)の姉・みつが話かけてきた。 結構美人で、気立てのいい娘である。
「勇さん、黒船見にいくんですって?」すばやい情報収集能力である。
「え?」近藤は驚いた。「なぜそれを知ってらっしゃるので…?」
「町でお侍さんたちと話してるのを盗み聞きしたの」みつは平然といった。
 近藤は「そうですか」と素っ気なくいう。と、みつが「異人さんたちは何て幕府にいってらっしゃるのかしら?」と問うた。
「船を内海までいれろとか、鎖国を廃止して開国して交渉しろとか……好き勝手なことをいっているらしい」
「まぁ、そんなことを!」みつは驚いた顔をした。
「俺にいわせれば幕府の役人が腑甲斐無い。ガイジンのいいなりになってる。これから多分、戦、になります。尊皇壤夷です」
「まぁ、戦?!」
「はい。日本中の侍がたちあがります。ガイジンたちを追い払い倒すのです」
 近藤がいうと、ふでがいつの間にか通路にいて「百姓に何ができます?」と嫌味をいう。「……俺は侍になります」
「ははは、どうやって」ふでは笑った。

  次の日の早朝、朝靄の中、近藤と土方の若いふたりが集合場所に向かって歩いていた。人通りはない。天気はよかった。
「黒船に乗り込む」と近藤。
 土方はにやりとして「斬るのか?」といった。
「日本人の中にも気骨のある人間もいるのだとガイジンにみせつけてやる」
「じゃあ、斬るのか?」土方はしつこくいった。
 人足姿の桂小五郎はふたりに気付き「おや? どうしたんだ?」と問うた。
 近藤たちは頭をかきながら「坂本さんに誘われたんです。黒船を見にいくと…」
 すると「いゃあ、遅刻したぜよ」と当人に坂本竜馬がやってきた。
 立派な服をきた初老の男が「坂本くん、遅い遅い」と笑った。
「すいません佐久間先生」竜馬はわらった。
 この初老の男が佐久間象山だった。佐久間は「おい鬼瓦!」と近藤にいった。
「……俺は近…」
「黒船をみてみたいか?」
「は?」近藤は茫然としながら「一度もみたことのないものは見てみたいです」
「よし! 若いのはそれぐらいでなければだめだ。よし、ついてこい!」
 桂小五郎は「先生いいのですか?」と動揺した。
 しかし、象山は「よいよい! どうせ二度と会わぬふたりじゃ」と笑った。
 象山は馬にのった。桂や近藤らは人足にバケて、荷を運んで浦賀へと進んだ。
 途中、だんご屋で休息した。
 坂本竜馬はダンゴを食べながら「おまんら百姓か?」と近藤と土方にきいた。ふたりは答えなかった。竜馬は続けた。「わしは土佐藩の郷士だったんだが脱藩したんじゃきに」「……郷士?」土方はきいた。
 竜馬はにやりとして「土佐では上士と郷士に別れている。上士がサムライで、郷士は商人みてぇなもんじゃ。俺は侍になりたかったんじゃ。お前らも侍になりたいのじゃろ?」 近藤は「もちろん、サムライになりたい!」と志を語った。「俺も俺も」とは土方。
「おい鬼瓦」象山はいった。「日本はこれからどうなると思う?」
 近藤は無邪気に「日本はなるようになると思いまする」と答えた。
「ははは、なるようにか? ……いいか? 鬼瓦。人は生まれてから十年は己、それから十年は家族のことを、それから十年は国のことを考えなければダメなのじゃぞ」
 佐久間象山は説教を述べた。
  やがて一行は関所をパスして、岬へついた。近藤と土方は圧倒されて声もでなかった。すごい船だ! でかい! なんであんなものつくれるんだ?!
 浦賀の海上には黒船が四船あった。象山は「あれがペリーの乗るポーハタン、あちらがミシシッピー…」と指差した。竜馬は丘の上に登った。
「乗ってみたいなぁ。わしもあれに乗って世界を見たいぜよ!」
 近藤たちは砂浜に下り「なんてでかい船だ!」と圧倒されていた。全身の血管を、感情が、とてつもない感情が走り抜けた。近藤たちは頭から冷たい水を浴びせ掛けられたような気分だった。圧倒され、言葉も出ない。
 桂は「あのような巨大な船をつくる国との戦では…勝てないのでは…」と動揺していた。 象山は「桂くん。日本人はこれからふたつに別れるぞ。ひとつは何でも利用しようとするもの。もうひとつは過去に縛られるもの。第三の道は開国して日本の力を蓄え、のちにあいつらに勝つ。………それが壤夷というものぞ」といった。
 近藤勇二十歳、土方歳三十九歳……それぞれ志を新たにしていた。
「かっちゃん! ガイジンを斬り殺そうぞ!」
「佐幕だ! 佐幕だ!」
 ふたりは興奮して叫んで、いた。



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環境問題  「中国大気汚染」他人事ではない現実」・日本の経験・技術を活かせ

2013年02月11日 18時54分46秒 | 日記
 環境問題
 
 中国の環境汚染はけして「他人事」ではない。隣国であり、汚染された大気は東風に載って日本にも飛来する。北京オリンピックのときなぜ大丈夫であったのか?あれはオリンピック期間中に工場の操業を全停止し、自動車も走行停止にしたり、まあ「付け焼刃」のはりぼてみたいな環境だったからだ。今年は寒い事もあって中国では貧困層で石炭での暖房が続出、自動車保有数1億台、しかも中国人には「環境保護」の観点が歴史的に喪失している。排ガス規定さえない。だが思い出してほしい。日本でも水俣病や足尾銅山事件・イタイイタイ病、光化学スモック…等似たような経験をしている。一部の右翼に「「反日デモ」をする中国人等救うな」という馬鹿どもがいる。だからこそ救うのだ。日中関係の関係修復の為「日本の技術」「日本の経験」を提供するのだ。間違っても日本の一部の右翼の主張に同調しない覚悟であたろう。日中関係の改善を急げ!本来「水」は我々に身近にあるものだと思う。水道のバルブを回せば水が出る、これが当たり前でなくなる未来が必ず来る。例えば世界の水資源は海があるので豊富のような気もするが海水がプールなら真水はコップ一杯分でしかない。現在「水資源確保」に血眼になっているのは中国人だ。日本の殆どの水資源が投機の対象になっている。世界の人口が100億人を突破すれば、「水不足問題」がクローズアップされるだろう。だから日本人も「水資源確保」に円高の今こそ血眼になるときだ。真水=石油という時代が絶対にくる。まずは戦略を練ることだ。「リオ+10」環境サミットが閉幕しました。そのサミットで話題となったのが「グリーン経済」です。「緑の経済」とはなにか?は環境保全と経済成長の両立をする経済の考え方です。これまでは大規模開発で環境を破壊し、石油や森林や海岸などを浪費してきた「ブラウン(茶色の)経済」でありましたね。そこで環境重視の「グリーン経済」にしようという「理想論」な訳です。また実は現在は「氷河期」なんです。でも「間氷期(比較的暖かい氷河期)」です。本当に寒いのが「寒氷期」で、北極や南極などに氷河があるので「氷河期」なので、氷河期でない時期は氷河がまったくないのです。例えば1645年から1715年は「寒氷期」で、ロンドンのテムズ川が凍り、日本では元禄時代の大寒波でした。何故気候が変動するか?は宇宙線の影響で雲が増え、寒くなるという諸説あるのですがそういうことです。2012年8月にブラジルのリオデジャネイロで環境サミット「リオ20+」が開催されます。京都環境サミットより問題は深刻になっていますね。カナダが来年(2012年)で効果が切れる「京都議定書」から離脱するそうです。また衝撃的な事を述べます。実は「原子力発電のコストが安い」というのは嘘なんです。国の試算では「原子力コスト5,4円」「地熱コスト8,7円」「太陽光コスト49円」「風力コスト10,1.9円」「水力コスト8,9円」「火力コスト9.9円」といいます。が嘘です。原子力発電のコストは15円(1Kwh)なんです。何故虚偽していうかはお馴染みの「利権」狙いです。また原子力発電の再処理工場予算は1600億円から2兆6000億円へ膨らんでいます。また「利権」です。また宮城県の瓦礫だけで一般家庭の23年分の1800万トンにもなりました。瓦礫を放っておくと発がん性物質やアスベスト、ダイオキシンが発生して危険です。写真などは諦めてもらい重機でどどどとやってもらうしかないですね。今、瓦礫を分別して置いておく「仮置場」が東京ドーム6個分仙台にあるそうですが満杯状態だそうです。福島県の放射能をおびた瓦礫については「法的規制」がない。まさに「お手上げ」の状態です。「節電策」をお教えします。①「照明 5%減」日中消し、夜間接照明へ。②「エアコン 50%減」室内温度28度に。③「テレビ 2%減」省エネモードへ。④「待機電力 2%減」コンセントからコード抜く。⑤「炊飯ジャー 2%減」⑥「ウォシュレットトイレ 2%」。2011年5月10日民主党政府はCOP16(名古屋議定書)への署名を閣議決定しました。2011年5月7日、国連の自然遺跡機関(ユネスコ)が「岩手県平泉」と「東京小笠原諸島」を国際資源遺産(世界遺産)と認定しましたね。2010年、2011年の冬は大寒波で北陸・東北は大雪でした。除雪が間に合わず列車が運休になったり、除雪作業中の事故が多発しました。問題点は「高齢化」と「利権」です。雪国の建設業者は冬は仕事が無い。だから「除雪業務」でメシを食っている訳です。「利権」という「甘い汁」を吸った業者が「予算消化」のために頑張った結果がこれです。COP10会議が名古屋で閉幕。EUは京都議定書延長を容認しました。名古屋議定書採択です。ただし、発展途上国の「植民地時代からの利益配分」はさすがに否定され「名古屋議定書からの利益配分」と決まりました。また、「遺伝子切り替え食品・医療品」は利益配分外です。ただし米中両国が温室ガス削減に応じるなら、という条件付きです。シーシェパードのピーター・ベスーン元船長被告は、ニュージーランドのラジオで日本の調査捕鯨船によって沈没させられた船は「同情を買う為わざと沈没させた」と証言したことが明らかになりました。とんでもない悪党集団ですね。こういう連中がいるから世界情勢が荒れるのです。こういう連中に金を渡しているスポンサーの気が知れません。ちなみに東京スカイツリーの高さは何メートルかわかりますか?正解は634mです。何故なら江戸時代前まで、東京埼玉付近は「武蔵の国」とよばれていたそれで語呂で「武蔵(634)」な訳です。また白熱電球よりLED電球のほうがエコです。確かにLED(青色発光ダイオード)電球は白熱電球が100円なのにたいして2500円くらいします。しかし、節電効果が高く、20年は持つという耐久性を持ち、高い性能を要します。ちなみにCOP10とかCOP11とかわかりますか?COPとは「生物多様性条約」の締約国会議のことです。地球には3千万種の生物がいるといわれています。これを守るにはどうするか考える会議です。世界には「生物資源」という種が沢山あります。例えばアオカビからは結核の薬・ペニシリンが、ツモツケソウからは解熱剤のアスピリンが、八角からは新型インフルエンザ薬タミフルが出来る訳です。まだまだジャングルには難病にきく生物や生物資源がありそうです。2010年夏の日本は猛暑の暑さとゲリラ豪雨でしたね。ちなみにゲリラとはスペイン語で戦争用語で「少人数で神出鬼没な攻撃をする」という意味です。猛暑の原因は「ラニーニャ現象」です。「エルニーニョ」とはスペイン語で「男の子」でペルーの近海にクリスマス頃に海面の温度が上昇し、恵みの雨が降ること。「エルニーニョ現象」とはペルー近海の海面温度が高くなり貿易風が弱くなり、太平洋中部にだけ高気圧がはりだし日本海近辺は冷夏になります。「ラニーニャ現象(スペイン語で女の子)」は逆で、貿易風が強くなり、日本海近りが高気圧で包まれ猛暑になるのです。だから暑い夏だった訳です。シー・シェパードのメンバーのひとりが日本の捕鯨船に侵入して逮捕ですね。しかも船長であるそうですね。ピーター・ベンソン船長被告ですが彼の供述でシーシェパードのポール・ワトソン代表にも逮捕状が出されませた。が、相手の「プロパガンダ」になるからマスコミはあまり報道するな。相手の思う壺です。ピーター・べスーン被告は懲役4年執行猶予3年です。実は日本人は縄文時代から鯨を食べていて、縄文時代の化石には小さな鯨の骨があったそうです。本格的に日本人が捕鯨を始めるのは江戸時代からだといわれています。17世紀にはイギリス、オランダ18世紀には米国も捕鯨し始めます。1853年ペリーの黒船が幕末日本に来ますが、何故「開国しろ」といったのか?は実は日本近海で捕鯨するための食料水の補給港がほしかったからです。ただ欧米は鯨油を取るだけで、肉は食べてはいませんでした。まだ石油が発見される前、ランプや照明用に鯨油が必要だったからです。1948年にできたIWC(国際捕鯨委員会)では「捕鯨しすぎると鯨がいなくなるから自粛しよう」ときめられます。が、1950年には捕鯨オリンピックがあったりしました。石油が発見されると欧米は捕鯨をやめてしまいます。そして過去を忘れたのか捕鯨を続ける日本とノルウェーを批判しはじめるのです。日本とノルウェーは「調査捕鯨」として「減っているのか?増えているのか?何を食べているのか?」を調べています。マッコウ鯨は150万頭、ミンク鯨は100万頭増えているそうです(北極鯨は減っている)。鯨は人間の食べる4倍の魚を食べます。「調査は建前で、食べたいだけだろう?」というのがシー・シェパードやグリーン・ピースの訴えです。シー・シェパードは日本船だけに攻撃しているのではありません。過去、アルゼンチンやノルウェーの船を爆破したりしているんです。また総量規制、地球温暖化防止排出量取引25%削減を閣議決定しました。25%がいかに無理難題な目標レベルかは論ずる迄もありません。トキが野生のテンか何かに襲われ9羽死にましたね。世界中でマグロが大人気で漁獲量が減っています。とうとうクロマグロが捕獲禁止されそうですね。なんとか否決されましたね。日本人が食べ過ぎたせいです(マグロの消費の90%は日本人)。私が日本政府の戦略のなさを嘆くのは弱小国に大金を払って「クロマグロ漁獲賛成票」を集めるより、反対国のマグロ漁師達と交渉して強力なロビーイング行為をさせるという「当たり前の戦略」すら考えられない無能が国家戦略だの行政刷新だの言うことである。IWC議長は商業捕鯨を一部容認しました。鯨が増え過ぎているからです。ワシントン条約でジャイアントパンダ、ジュゴン、チンパンジー、チーター、ラッコなど3万種類が絶滅危惧種。この中にクロマグロも入る可能性大です。またマグロの国際条約機関というのがあって、大西洋ICCAインド洋TOTZ太平洋WCFCI中米ATTC南極海CCSBTなどです。またマグロは漁獲量があるし冷凍室に大量にあるので「品切れ」はないのです。米国は環境の為に原子力発電所(原発)を100基を設置する計画を発表しました。これは日本がアドバンテージを取れる計画です。何故なら原発の技術は日本企業が世界一であるからです。原発の技術は日本企業が世界一で先進国や発展途上国でも10年20年では日本企業に追い付くことは出来ない。まさに逆転勝利です。またオーストラリアの環境右翼「シーシェパード」が日本の捕鯨船に悪辣な真似をしましたね。彼らは「鯨は頭がいいから食べるな!」という。なら豚や鳥や牛は「頭が悪い」から食べていいのか?野菜だけ食べてろ。馬鹿ども。だいたい鯨をとらなくなって食物連鎖が狂って鯨が増え過ぎて鯨が大量にマグロを食べてマグロの漁獲量が激減しています。彼らは何を考えているのか?多分何も考えていないのでしょうか。ただ馬鹿みたいに「鯨を捕るな」「鯨を食べる日本人とは話さない」だから。まるでオカルト宗教団体です。では温暖化とCO2(二酸化酸素)の関係はわかりますか?大気圏にCO2があるとないとでは大違いです。太陽熱はCO2がないと宇宙に逃げて地球上の温度は-17度。あればこそ地球上の温度は15度くらいなのです。が、CO2が増え過ぎると太陽熱の宇宙空間への逃げる分が減るので温暖化が進むのである。過去に何万年前に氷河期や熱帯期はあった訳ですけどね。温暖化で北極やシベリアの氷が溶けると海面は上昇する。ヒマラヤの氷河が溶ければ「水不足」「環境難民」も出てきます。ツバルやオランダなどは海面上昇で水没する可能性があります。中国は初の数値目標を出してきましたね。CO2(GDP比率で)40%から45%減です。但しGDP比率ですから実質は数%です。09年12月7日にデンマーク・コペンハーゲンでのCOP15では「包括的決定」を有力にするそうですね。米国とインドの首脳が会議に出席するそうですけどこれはパフォーマンスですね。日米首脳会議は駄目になりました。途上国に先進国が年100億ドル払う(更に日本は60億ドルの上積む)ことで合意しましたね。今は日本がお金をじゃぶじゃぶ出しているだけです。排出権取引をやるべきです。減らすものを売れるならペイします。米国のワックスマンマーキン法はグリーンニューディールでということです。が、サブプライムローンのように環境ビジネスに金融が入ってくるのに警戒するべきだって感じる。金融が入ってくるのではむちゃくちゃになる。スペイン・バルセロナで開かれていた京都議定書以降の枠組み会議は進展がないまま終了しましたね。クロマグロの漁獲枠が4割削減で合意しましたね。が、日本にはマグロのストックがかなりあり、マグロが値上がりすることはありません。COP15が暗雲に曇りそうです。結局、環境保護手段は「イコール経済的抑制」ということです。このまま地球温暖化なら21世紀末には気温7度上昇して海面は2m上昇してしまいます。日中環境会議のCO2削減などの協力も42か所どまりです。サミットで温室効果ガス(先進国で40%、新興国で25%)削減を支援する基金が設立されるそうですね。基金はだいたい100億から200億ドル(9500億から1・8兆円)の規模になる予定ですね。温室効果ガス25%削減というなら少なくとも4兆円、今の3分の2のエネルギー消費電力で月に一世帯あたり30万円くらいの負担となります。国連の気候変動サミットが閉幕しました。米国はオバマ大統領が「3年で再生可能エネルギーを確保する」という。モルジブのナシード大統領は「カーボンニュートラル(排出ゼロ)」をスウェーデン(EU議長国)のラインフィルト大統領は「90年比率25%から40%まで削減する」と表明しました。なお、中国が鉱物資源(プラチナ、レアアース、ニッケル、タングステン、マンガン、ガリウム、インジウム)を一国で大量に囲い込んで問題になっていますね。日本は「レアメタル」の高騰が必死です。温室効果ガスをアメリカ合衆国と共に四割をしめる中国の胡錦涛国家主席の意志が是非とも必要です。日本の七割は森林で2500万haあります。が、エコロジーを考えて森林公園をもっと増やす必要があります。減税だからと車を買うといいなんて言うことはありません。維持費や使用中に排気ガスが出る訳です。またエコ家電製品もまた使用中に電気を浪費する訳です。更にいうなら「地球温暖化防止」は「地球人」として重要なテーマです。プロジェクトは数年間単位でしよう。だから民主党政権でです。民主党政権では25%だという。だが、外国から買う分で1・6%ですからまあ無理じゃないです。但し90年代をベースラインにすることは無意味です。まだ地球温暖化防止システムがやられた前だからです。金科玉条では困ります。ECC(先進国)では20%から25%温暖化ガス削減基準が大事です。「太陽電池」「原発」「エコカー」はやって下さい。補助金を出してグリーンニューデイルで「産業」をつくるべきだ。ドイツでは環境産業で2000万人の雇用が生まれました。家庭より会社のほうが業務基準が安いのはおかしい。エコビジネスは100兆円産業である。「炭素税」など必要です。また「太陽電池」「風力発電」も補助金を出して電力会社が全部買取を義務化することです。エコポイントはいいのですが2010年3月で終わりです。その後で反動があるかもしれません。地球の人口は65億人、技術力が強くなった。でも、大気の厚さは球にニスを塗ったくらいしかない。地球の植物の大部分は赤道の北側にある。温暖化の結果、アフリカのキリマンジャロの雪が10年も経たないうちに消え失せる。ヒマラヤの氷河も消え失せつつあります。ヒマラヤはアルプスの100倍の氷があります。河川で人口の40%が飲み水を得ています。今後50年から25億人が飲み水の深刻な水不足に直面する。ハリケーンが多くなったのは温暖化と無縁でない。アフリカの中央アフリカには6番目に大きなチャド湖があったがなくなった。北極は陸地にかこまれた海(氷の厚さは3メートル)南極は海にかこまれた大陸(氷の厚さ3000メートル)グリーンランド(氷の厚さ1500メートル)も大陸でしょうか。南極や北極やグリーンランドの氷が溶ければ海水面5.5^6メートル上昇するとオランダやフロリダが海水に沈む。病気を媒体するもの(も、蚊、ツェツェバエ、シラミ、げっ歯動物(ネズミなど)、ダニ、コウモリ、ノミ、カタツムリ)渡り鳥の孵化も温暖化の影響で早くなっているという。2050年には人口91億人になる。温暖化ガス排出率はアメリカ30.3%、欧州27.7%、日本3.7%、東南アジア中国インド12.2%、豪州NZ1.1%。
ソーラーパネル、地熱発電所、エコ電球、屋上緑化、ハイブリットカー、ハイブリットバス、風力発電所を有効にしましょう。 
 

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中国の正体 中国新体制発足・習近平総書記・李克強首相「中国の実態」

2013年02月11日 12時49分12秒 | 日記
中国の正体
  
 中国の最新情報です。今、反日デモの主体となっている貧困層への対応を間違えれば、批判の矛先は間違いなく中国共産党指導部に向かう可能性が大だといいます。愛国心という皮を一枚捲れば、格差問題を放置し汚職にまみれる共産党指導部への不満や、怒りが渦巻いている。だから日本をスケープゴート(生贄の羊)としている。だが、反日デモを続ければ国内の外貨が出ていく。中国人民解放軍は「ミニ中国」という。将軍クラスが経済発展の恩恵を受け、佐官クラス以下は厳しい生活を送っている。小平時代に約150万人、江沢民時代に約80万人、胡錦濤時代に約30万人の人民解放軍人のリストラが行われたが「リストラ反対派工作」にと、将軍クラスは大量の大金や豪邸や秘書があたえられた。一人っ子政策で我が子を溺愛し、甘やかす親が多い為、子供達は「小皇帝」と呼ばれ、我儘に育った。軍に入るにも親が「楽な組織に息子を」と賄賂を渡し、「前線に送らないで。何かあったら逃げられるように」と賄賂を渡す。現代の20歳の中国人は93年生まれだ。つまり、貧しい頃の中国を知らない。しかも人件費が安いから「世界の工場」になっているのに「3K」を嫌い工場では雇用不足が起こっている。また軍事ということでいえば「(金食い虫の)空母」まで持ったが、まったく使えない。核兵器さえ持っていれば「大きな抑止力になる(中国軍は核兵器保有している)」という戦略がない。戦闘機はパクリ過ぎて鼻つまみ者のプラモデル…。確かに中国は13億人の巨大市場だ。だが、人件費があがれば「世界の工場」とは言えなくなる。だが、困るのは中国だけだ。タイやミャンマーやインド等「親日国」が人件費もやすく人材も豊富。中国がなくなっても世界は困らない。北朝鮮みたいなものだ。いつまでも狂ったように反日デモを繰り返しても「ガキの戯言」だ。もう少し中国人よ大人になってくれ。
中国の新体制が発足しました。習近平総書記、李克強首相、王岐山氏、張悠江氏、張高麗氏、李源潮氏、諭正声氏、劉雲山氏、劉延東氏、汪洋氏などです。中国の2012年の7-9月のGDP成長率は前年同期比7.4%増加となりました。短期的な視点で見るとわからないのですが、経済成長率は長期的視点で見ると落ち込んでいるのは明白です。中国政府は8%台を死守したいということでしたが7%台に落ち込みました。中国の「高度経済成長」の終りといえるでしょう。成長率は4%、3%…と軟着陸するだけで御の字です。すでに豊かになっているひとはいいです。が、中国にはこれから豊かになろうというひとが7億人いるといわれています。彼らからすれば成長が止まり、自分たちが見捨てられていくのは許せないと思います。中国の政治も揺らいでいます。「薄煕来事件」「反日デモ」(笑)などです。上海閥と中国共産党青年部との対立、胡錦濤と習近平も一枚岩ではない。何故東京都ではなく「国」が尖閣諸島を購入したかは、石原慎太郎東京都知事(当時)の対中強硬発言を止める為でした。が、それを中国側にまともに伝える事も出来ず、中国人の怒りを買ってしまった。石原氏は「戦争も辞さない」と発言していました。が、「警視庁」しかもたない東京都知事が何を滑稽なことをいっているのか?と呆れてしまいます。石原氏の新党とやらも「戦争も辞さない(笑)」政党なのでしょうか(笑)。2012年は日中国交正常化40周年でした。が、それどころではないまで日中関係は冷え込んでいます。石原氏小林よしのり氏ら「右翼」のせいです。台湾の「国家交響楽団」の日本人だけが入国拒否されるなど異常事態と言わねばなりません。今後の外交戦略はよほど慎重にしないと縺れるばかりですね。日本政府は2012年10月5日、着任前に急死した西宮伸一中国大使の後任として、木寺昌人官房副長官を起用する方針を決めた。そうした中、オーストラリアの閣僚が、日本政府における尖閣諸島国有化の姿勢を支持しないという中国当局メディアの報道を否定しました。中国メディアに「事実と異なる」と声明したのです。オーストラリアの輸出率を見れば、今や、日本を抜いて中国がトップです。オーストラリアの幹部も中国にいけば、ご機嫌取りの為に同じような趣旨のことをいったのでしょうね(笑)。木寺氏は中国にとっても無名の人物だと思います。が、外交調整能力に長けた人物だそうです。外務省OBに軒並み断られて最後に白羽の矢が立った人物であるそうです。大変な仕事ですが頑張ってください。尖閣諸島のことをいえば皆が勘違いをしていると思います。台湾は確かに「領土問題」と口には出しますが本気で、領土として尖閣をとることを考えていないのです。漁民が、安全に漁が出来れば問題は解決すると思います。日本の漁民は、NZ沖でイカを獲ったり、世界中でマグロを獲っています。つまり、領土=漁業権ではないのです。竹島にしても島根県は「領土問題」と主張しますが、今、竹島沖で漁船がどれだけの漁をしているか?そこでの収益はいくらか?それがはっきりすれば問題が違ってみえる筈です。反日デモにおける破壊デモも、中国企業も台湾企業も、労働者のストレス発散の為にやられています。やりたくもない単純作業を薄給でやらされフラストレーションも溜まるのでしょう。ですがデモは逆効果です。台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業は1兆3000億円をかけて3年以内に300万台の工業用ロボットを導入する予定です。破壊デモは「ロボット化」を促進するだけです。日本も労働者騒動以後「ロボット化」が進みました。中国でもそうなる訳です。日本で2012年秋に開かれたIMF(国際通貨基金)の会議に中国幹部が来日しなかった。当然「(尖閣のこともあるので)日本に恥じをかかせよう」という狙いだ。が、これは「チャイナ・リスク(中国のリスク)」を世界に見せつけた形になったと思う。ラガルドIMF理事が「大変に遺憾」と、欧州危機で世界中が大変なことになっているときになんだよ中国は、と不快感を隠せない様子であった。世界第二位の世界経済大国らしからぬ「器の小ささ」である。また中国の新聞紙はNYタイムズ紙に「DUAOYU ISLAND BEJONG TO CHINA」という中国日報が2面カラー広告を掲載させ「中国の領土・尖閣諸島を日本国が奪った」と広告という形で掲載させた。中国のテレビも新聞もすべて中国共産党中央宣伝部が統括している。中国共産党の不利益になることは書かないし報道もしない。いやできない。ツイッターやブログでさえ監視されてうっかり悪口や反政府活動をしたら投獄は覚悟せねばならない。日本は中国のようなプロパガンダ(大衆操作)の戦略が残念ながらない。中国人のように反日デモしろとは言わないが、もう少し言葉だけで「戦略会議」「国家戦略」ではなく、戦略的な活動が日本には欲しい。日本に「戦略家・軍師」さえいれば…。亡命チベット人の新たな新指導者として、ロブワン・マング氏(44)首相が台頭してきた。これはいい状態ではある。だが、チベット独立などムリである。そんなことは中国共産党が許す訳ないし、中共が滅んでも、新政権が中国国土の3分の1のチベット自治区を手放す訳はない。日本と中国の関係は1972年9月29日の田中角栄首相(当時)の電撃的訪中により周恩来首相(当時)とがっしりと握手して40年目になります。田中角栄は無学ではあったが「中国の市場としての魅力」を嗅ぎ分けた天才的政治家であった。日中の友好の証としてパンダ(カンカン、ランラン)が贈られた。日本の中国への好感度は70年代は80%だったが、2012年は26.6%まで落ち込んだ。2012年は「日中国民交流友好年」であったのだ。尖閣諸島の国有化も中国側は「まさかやらないだろう」日本側は「これくらいで怒らないだろう」という読み違いがあった。かつてソ連が中国と敵対関係になりつつあって、米国ニクソン大統領(当時)とキッシンジャー国務長官(当時)が電撃訪中して毛沢東と握手した。角栄はニクソンの真似をした。日本は円借款、ODA、工場誘致、技術提携とやった。「同文同種(同じ文字を使う人種同士わかりあえる・日本財界マスコミ)」といい90年代は小平が「改革開放政策(経済の資本主義化)」を実施。ソ連崩壊(91年)、2010年中国GDP世界第二位になると中国人は観光客として年間113万人訪日し、1人当たり17万6000円も金を落としてくれるお得意様になった。2005年2010年2012年「反日デモ」が起こった。日本企業やスーパーを破壊し放火した被害額は1億円とも。だが、困るのは在中日本企業で働く1000万人の中国人労働者だ。そもそも中国人はメンツを重んじる人種」だ。9月のロシアでのAPECで野田首相に胡錦濤国家主席が(立ち話にせよ)「尖閣国有化しないで」といったのにその2日後に「尖閣諸島国有化」をしたのが間違い。2012年10月18日は柳条湖事件(満州侵略)から81年、野田訪中が7月7日(盧溝橋事件)だったり、来年(2013年)の訪中日が南京大虐殺の日だったり。火に油を注ぐような無知外交が仇ですね。日中の貿易額は27兆円(年間)、中国市場は34兆円(年・世界一の日本の貿易相手)だ。中国とは喧嘩は出来ぬ。だが、両国に知日家・知中家がいないのが不幸ですよね。日本側が中国のレアアースを買うなど妥協案を出すべきです。まあ、玄葉外相だの田中真紀子だのじゃダメだわな。2012年9月27日、中国の外相・楊潔(ようけつち)外相が国連で演説し、「日本側が中国から尖閣諸島を盗んだ」と演説しました。ここで頭にきて「中国をやっつけろ!」となってはダメだ。政冷経熱(政治は冷たくとも経済は熱い)でいこうよ。日中国交正常化40周年の中国での式典を中止する、と中国側(中国政府)が伝達してきました。尖閣諸島国有化への反発といわれています。尖閣諸島に百隻以上の民間中国漁船が到着、それも受けて日本外務省事務次官の河相周夫(ちかお)外務事務次官が2012年9月24日訪中、25日に中国事務次官・張志軍外務事務次官と会談するという。南沙諸島問題を抱えるASEAN諸国でも中国への苦慮が日本と同じだけあるといいます。ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ブルネイなどで「南沙諸島は中国のものだ」としている中国に不満爆発寸前だという。これは日本と(尖閣諸島を中国の領土だと主張している)中国と似ていますね。我々は世界第二位の経済大国・中国とも世界第一位の米国とも懇篤に付き合うべきだ。が、ASEAN諸国と裏で手を組んでいても外交上マイナスにはならない。外交とは狡猾でなければね。「反日デモ」鎮静化ですね。これは10月の中国共産党全国人民代表者会議(全人代)までには鎮静化しなければ、という中国政府の封じ込め作戦が効を達したという訳です。まあ、「ガス抜き」で蟻族たちの不満を解消させた訳です。2012年9月14日、中国公船が国有化後は初めて尖閣領海を侵入しました。またしても大規模「反日デモ」ですしたね。反日デモはどんどん過激化して暴徒化していきましたっけ。中国在住の日本人も「日本語を話すとリンチにあいそうで怖い」といってました。そういえば満州事変(侵略・1931年)の発端となった柳条湖事件(侵略)から81年です。中国当局は西安での反日デモを禁止通達を出しました。瀋陽では投石もあったという。中国監視船3隻が尖閣諸島領海侵犯です。「反日デモ」が続きますよね。暴徒と化した中国人が日本製の製品を壊す、日本料理店破壊など北京、南京、蘇州、青島、珠海、西安…そのエネルギーを反中国共産党(独裁体制)に向ければ「中国版ジャスミン革命」になるのになあ、と私などは思ったりします。反日デモは深釧で暴徒化して武装警察隊が催涙ガスを使った。壊すことが愛国なのか?意味がわかりません。只のテロと同じレベルである。だが、そこは中共がうまい。反日デモで「ガス抜き」に成功しています。2012年9月2日、東京都の職員が尖閣諸島を洋上調査を強行しました。そして血税20億円で「国有化」しました。あまりいい策とは思いません。火に油を注ぐだけですから。当たり前ながら中国側は大反発しています。中国も毛沢東・周恩来・小平以後カリスマ的人物がなく、韓国も朴正煕以来いい人物がなく「反日デモ」でガス抜きをして反政府運動にならないように日本国を「スケープゴート」にするしかありません。まあ日本側も侵略戦争や従軍慰安婦問題や戦争時軍事帝国時代の虐殺・強姦・略奪・(数は30万人ではないかも知れないが)南京大虐殺など本当の謝罪・賠償がまだだ。真珠湾奇襲攻撃への謝罪くらいしろよ、という事です。大事なのは脱原発のような集団ヒステリーで「反中国」「反韓国」にならない事。政治は冷たいけど経済は熱い「政冷経熱」でいこう。KARAや東方神起やBIGBANGや少女時代のCDは買おう。三国志や韓国ドラマを観よう。政治を経済問題にリンクさせないようにという両国の本音を知ろう。韓国人や中国人だって嵐やSMAPやAKB48の音楽を愛しているし、日本のアニメや漫画を愛している。集団ヒステリーはやめよう。右翼のプロパガンダに騙されないで。2012年8月27日、北京で丹羽駐中国大使の車が襲われました。2台の車に幅寄せされ公用車の日本国旗を奪われたが、丹羽大使らに怪我はなかった。男2人が逮捕されたが起訴はされずであった。中国側は早く幕引きがしたいのだ。何せ犯人を英雄視する中国人が大勢いるから。まあ、いいだろう。2012年8月19日、尖閣諸島に日本人右翼地方議員10人が上陸、これが火に油を注ぐ結果となり中国各地で「反日デモ」が相次いだ。これを受けてか外務省との軋轢が問題視されていた丹羽宇一朗駐中国大使(73)を更迭、後任を西宮伸一外務審議官(経済担当、60、2012年9月16日病死・後任者へ)とした。藤崎一郎駐米大使(65)の後任に、佐々江賢一郎外務事務次官(60)、武藤正敏駐韓国大使(63)の後任に別所浩郎(こうろう)外務審議官(政務担当、59)を充てるなどした。2012年8月15日、香港の中国人活動家7人が沖縄県尖閣諸島(の魚釣島)に上陸して、不法入国の疑いで計14人の中国人活動家を現行犯逮捕した。香港当局も出港を容認していたようで、「反日感情」の現れです。ここでも「過去の侵略戦争の謝罪と賠償の解決なし」という日本側の問題があるようです。強制送還で仕方がない。大事なのは中国と台湾という国際政治上重要な提携相手を失うべきではない。香港の活動家たちは何故上陸出来たのか?海上保安庁の目をかいくぐって何故上陸出来たのか?ニュースだけではわかりませんね。多分、活動家のバックにお金持ちのパトロンがいてお金を出しているのでしょう(中国政府関係者も含めて)。だが、今回も強制送還で「正解」である。何故なら国民も民主党議員や凡俗の政治家も知らないかつての自民党と中国側との昔の「密約」があったからです。それは(1)中国は、実効支配の原則から尖閣諸島を日本領土として認める。(2)しかし一方で、中国も国内法では領土権を主張できる。というもの。尖閣諸島で逮捕した中国人は「密約」によれば日本で裁判にかけることなく逮捕して中国側に引き渡すのが「正解」であり、「約束」なのです。ゆえに、今回は中国政府も公式には大きく騒ぎ立てるようなことをしていないのです。オスプレイ問題もまた「「軍政」に関わることは米軍に従う」という日米安保条約ならびに「沖縄返還の条件」でもあります。知らないのは国民と民主党政治家と無能集団だけ、というまたまた「お先真っ暗」な状態なのです。ベトナム戦争や湾岸戦争などでも、日本の国防とは関係ない争いでも、米軍が沖縄を利用したのは「約束通り」に米国軍は「軍政」として沖縄をつかったまでなんです。日本政府(国)が合意しているのですから、米国軍人からみれば「当たり前じゃん」ということ。沖縄県知事や県民や日本国民は「沖縄の軍政に文句を言う権限」など密約上ない、のです。北方領土もまたしかり、です。北方領土に関しては森喜朗元首相がその辺を知っていますから森氏に任せるのが正解ですね。残念なことに民主党議員も国民も無知で傲慢です。「脱原発」だの「沖縄に基地いらない」だの無邪気に強く主張はしますが、「外交感覚ゼロ」…まるで「集団ヒステリー」「農民一揆」「団塊世代の安保闘争」です。こういう密約があることさえわからぬでしたり顔で主張してないで、ここはまず反省と熟考の余地を、という事ですね。台湾企業・鴻海(ホンハイ)と事業提携をしている(というか殆ど子会社化されている)シャープは大阪堺市の工場や東京都内の事業拠点の2ビルを売却し大幅な赤字を補てんするという。マーケットは大規模なリストラがなければ納得しまい。電子機器の受託製造で世界最大の鴻海(ホンハイ)精密工業グループの郭台銘会長は台湾も領有権を主張している沖縄県・尖閣諸島に関して、「日本が望むなら私が出資する。日台双方で東シナ海の油田開発を行って共に利益を生み出せたらよい」と発言したそうです。大前先生はおそらくは「売名行為」であろう、と言います。本気ではなく仮に5000億円払っても「売名行為」として安いもの、だといいます。「シャープとの提携」にしても本当は「買収」で、シャープは鴻海の日本支社ですね。また台湾の大手石油メーカーの奇美実業は液晶事業から撤退しました。ここでも最大株主の郭台銘会長が「おいしい所とり」です。世界のシャープの買収や鴻海などで世界的な富豪となった郭氏は、笑いが止まらないことでしょう。また中国の民主活動家の李旺陽(60)が当局の手により自殺に見せかけられて殺害されたという。勿論証拠はない。中国人民銀行(中央銀行)は金利を0.25%引き下げるという。また「金儲けの神様」と呼ばれ活躍した直木賞作家で経済評論家の邱永漢(きゅうえいかん・本名・丘永漢)さんが2012年5月16日、都内の病院で心不全のため死去しました。享年88歳。氏は台湾生まれで1954年に日本に亡命、1956年に亡命生活を書いた「香港」で直木賞をうけました。次々といい人物が死去しますね。残念です。ご愁傷様。また中国の民主活動家・陳光誠氏が中国の米国大使館に亡命してしばらく経つ。報復のためか陳光誠のおいが殺人容疑で逮捕されたという。また北京で開かれた日中韓経済閣僚会議では日中韓で今年度内(2012年)のFTA交渉合意を目指す。日本にとって中国は米国につぐ第二位の貿易国、韓国も米国・EUにつぐ第四位の貿易国です。はやくFTA合意が成ればいいですね。また中国政府は陳氏の「出国」を認めましたね。1989年亡命の故・方励之氏、1997年の魏京生氏、1998年の王丹氏、2006年の余傑氏に続いてですね。まだ陳氏の自宅には監視村人(日当100元(16400円))がいつも睨みをきかせている。さて今回は中国の商標権や特許の話です。例えば日本側アニメ「クレヨンしんちゃん」というのがあります。ですが、中国人が勝手に1997年に「蠟筆小新(ラオデーシャオシン)」として名前やイラストを著作者に無断で、商標登録していたのです。驚いたのは日本人で、
当然、「著作権違法だ」と裁判になりました。2004年から8年かけてやっと日本側が「著作権保護適用」として勝訴しました。ですがドラえもんやプリキュア、ワンピース、ハローキティ、iPad(裁判中)など、訴訟金目当てに中国では無数に無断商標登録されています。著作権とは「イラスト」「音楽」「作品」「文章」「映像」などそのひとが創造した時点で自動的に発生する権利です。この私の文章も私緑川鷲羽わしゅうの著作物です。一方、商標権とはネーミングやイラストやマスコットなど早い者勝ちの登録制度です。つまり発明のような先願主義です。特許、実用新案、商標権などです。なりすまし商標が「SQNY」「HITACCHI」などです。これは少し笑えます。が、先取り商標といって「地名」「ブランド名」なども登録されています。有田焼、秋葉原、米沢牛、大阪…。まあ、どっちみち金が欲しいだけです。「face book」でさえ登録されていますが、中国でface bookは言論統制で使用不可です。北朝鮮にも特許庁があって「スターバックス」のロゴと文字・イラストが無断登録されているのです。これは中国がいかに知的財産権(特許・実用新案・商標)の戦略があるかだと思います。日本の特許庁の官僚と話した事があるのですが、「特許庁は商売じゃないのだから特許料金を下げればいい」と私の案に賛成していただきました。確かに出願料や審査料金を安くすれば玉石混合で「つまんない発明」も多くあると思います。だが「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」です。日本も「知的財産戦略」で特許・実用新案・商標登録の金額を10分の1に下げましょうよ。それでいい発明が20も30もあったらそれこそ日本の勝利なんですから。また天安門事件の民主活動家で、米国に亡命中であった学者の方励之氏(76)が死去したといいます。死因は不明。ご愁傷様です。私緑川鷲羽わしゅうは「従軍慰安婦」はいたと思っています。20万人ではないにしろね。だから、裁判で確実に過去の日本軍兵士に被害にあったと確実に認められたひとには賠償金と国家として謝罪するべきです。もちろん、私は先の戦争で大爆撃を受け「焼野原」になった日本を再生させ「世界に冠たる経済大国」にしてくれた先輩の皆さんや、犬死だが戦争で命をおとした霊兵も尊敬しています。が、一方で「侵略戦争などなかった」だの「朝鮮併合」はなかっただの「従軍慰安婦はいなかった」「南京大虐殺はなかった」という人間は許すことは出来ません。私の命をかけてでもストップさせます。売国奴の国辱行為は私が許しません。また重慶トップ・薄煕来氏が失脚しましたね。太子党VS共青党の権力闘争です。胡錦濤国家主席から習近平国家主席へ、温家宝首相から李克強首相になりますね。中国人民解放軍の機関紙「解放軍報」は、共産党の支配下にある軍を「国有化」するという主張を「断固阻止する」とタブーに触れました。中国は「中国共産党が国家運営」している状態です。土地も共産主義上からか売却はなく、50年ローン70年ローン。土地と共に軍隊も保有しています。党中央から選出される「党中央委員会」と人民代表会議から選出される人物はほぼ同一人物です。歴史的には中国人民解放軍(中国共産党)が中華民国軍(国民党)を台湾に追い払って勝利したわけです。中国共産党は毛沢東を忘れたいし、2000万人~5000万人の死者をだした大躍進や文化大革命を国民に思い出されたくないのです。薄煕来氏は毛沢東回顧主義者で、繁栄から取り残されたひとに救済を、黒社会撲滅に熱心で国民に人気がありました。人気者を失脚させた訳ですから「夫人が殺人に関与していた」「習近平氏の盗聴をしていた」とネガティブ・キャンペーンが出されるのです。「盗作」に関してはiPadの件もありさすがにアメリカ人も怒っているそうです。ですが日本だって昔は中国程ではないが「猿まね」をしていました。いつか通る道です。また「チベット暴動」から4年です。チベットでは中国共産党政府への抗議の焼身自殺がとまりません。2012年2月14日ワシントンDCで事実上の米中首脳会議があり、習近平氏とオバマ大統領が会談しましたね。オバマ氏は「大国としての責任を」と釘をさしました。また劉暁波氏(56)と同じく中国民主化運動家の余傑(38・ユージェ)氏が米国に亡命しました。2012年1月15日、台湾総選挙で馬英九氏が再選されました。女性候補の蔡英文氏を1000万表近くの票差でした。また欧州中央銀行(ECB)がユーロ圏内の応札額が500億ドル(約3兆9000億円)で前の128倍にもなりました。日本の財務官僚は日本の経済成長率は4%であり増税の余地があり、個人金融資産は1400兆円であり大丈夫だといいます。が、1400兆円は表に出なければ意味がありません。外国人投資家は「日本人は国民がパニックになっていないので日本国債は大丈夫だ」と思っています。だが、誤解で日本国民は無知で行動をおこしていないだけです。また中国の人民元が「元高」になれば「中国経済はたいしたことないな」とメッキが剥がれ「メキシコ型」の経済崩壊することは間違いありません。つまり「バブル崩壊」です。また野田首相の訪中が中国側の事情で延期になりました。12月13日は「南京大虐殺」の日で「反日デモ運動」の火に油をそそぐようなもの、との判断でした。また台湾総統選だけでなく、2012年は主要国の首脳選出が相次ぐ、非常に重要な年になります。1月に台湾総統選があり、3月にはロシア、香港、4月にはフランスでも選挙があります。ロシアはメドベージェフ大統領が出馬しない意向を示しているので、事実上プーチン首相の信任投票のような形になると思います。4月にはフランスで大統領選があり、セゴレーヌ・ロワイヤル氏などの社会党の候補者と現サルコジ大統領との争いが予想されます。
 そして、10月には中国で選挙があります。習近平氏が総書記になれるかどうか、また先ごろ「死去した」と誤報が伝えられた江沢民前国家主席の健康状態はどうなのか、という点が注目です。世論では「習近平氏でほぼ決まり」という雰囲気ですが、まだ分からない状態だと私は思います。また習近平氏が総書記になれば、必然的に李克強氏が首相になると見られていますが、李克強氏が首相の任に耐えうるかどうかは疑問が残ります。
 私としては第3のダークホースが登場する可能性もあるのではないかと見ています。
 この点についても江沢民前国家主席次第とも言えるでしょう。そして年末に向けて、11月には米国大統領選があり、オバマ大統領が再選されるかどうかが注目です。12月には韓国の大統領選もあります。韓国の場合、大統領は再選がないため、現在のイ・ミョンバク大統領は非常に優れた大統領だと思いますが、必ず新しい大統領が誕生することになります。次の大統領が誰であれ、イ・ミョンバク大統領ほどビジネスに通じている人は珍しいので、その点では心配です。来年は日本を取り巻く列強の状況が大きく変わる1年になる可能性があります。非常に重要な年であり、日本としても注目していく必要があるでしょう。大前先生は昔から「中国新幹線は必ず事故を起こす」と予告していました。1964年から50年間の日本には細かい事故をクリアしてきた積み重ねの技術ノウハウがあります。一度も日本の新幹線は大きな死亡事故は起こしていません。気候によってはマイナス20度の雪の降りしきる中の通過も。日本は何度も実験してきました。2011年3月11日の東日本大震災でも日本の新幹線は一台も事故がありませんでした。韓国中国の新幹線は事故ミス多い。中国韓国はきちんと金を払って日本のノウハウを買って導入するか、100回200回と事故を起こして自己実験して独自技術を開発するか?です。中国と韓国は日本のノウハウの技術(ATS・ATC)を甘く見るべきではありません。2011年7月24日中国高速鉄道で落雷で停止・追突事故で4両落下、43人が死亡した。つまりハード(高速新幹線)は猿真似できてもソフト(列車制御システム(ATS・ATC))が「バッタモン」であったということ。中国が日本の新幹線の猿真似をして世界で特許申請をしているらしいが大した事無いという感じですね(笑)。また江沢民・元国家主席(84)が2011年7月7日現在危篤状態である報道ではすでに死亡したという。まあもう「おわったひと」であまり関係はない。中国共産党創建90周年で2011年7月1日は胡錦濤国家主席が「世界第二位の経済大国になったのは中国共産党のおかげ」という。だが、貧富の差は拡大する一方です。一年間で1ドルで生活する「極貧層」は1億7000万人もいます。(極貧層はなくなることはない。ゼロになるなど夢物語だ。)2011年6月27日中国新幹線開業運転です。北京上海間が4時間49分です。だが、初乗り2万7000円で中国人には値段が高すぎるとして金持ちしか利用しないらしい。日本人の台湾への好感度が75%だそうです。台湾は東日本大震災にたいして60億台湾ドル(170億円)も寄付してくれています。親日国(国ではなく中国の一部)ですし治安も人柄もいい国民性ですからね。2011年5月内モンゴル自治区でデモが拡大しています。デモ隊は2000人から3000人いやこれは中国政府の報道なので1万人規模だと実際はそういうことでしょうね。2011年5月22日東京で日中韓首脳会談(菅直人首相、温家宝首相、李明博大統領)があり「風評被害の防止で合意」しました。また被災地にもいきましたね。日本の財界トップは三国のFTA早期締結を勧めました。パキスタン・ギラ二首相が訪中、中韓首脳(李明博大統領、温家宝首相)が被災地訪問です。ワシントンDCで中国首脳と米国首脳が米中戦略・対話がはじまりました。人民元引き下げで合意し、米国は為替レート変動を調整。両国は包括的な貿易不均衡打開で合意。日本の東日本大震災の支援で両国一致。外交軍事に対して協議場設置。エネルギー管理協議で一致しました。いよいよアメリカと中国の二大大国の時代です。最近「モンゴルに核処理場計画」をと日米が昨秋からモンゴル政府と交渉していることがわかりました。見返りに原発技術支援をモンゴルに与えるそうです。まあ、ロシアのシベリアやツンドラ地帯の地下には「猛毒ガス」が眠っていますから、広大な草原を持つモンゴルに白羽の矢が当たったということです。東日本大震災では義援金が官民合わせて144億円もの額にのぼった。民主党政権はフランス、イギリス、イタリア、アメリカなどの新聞に「感謝広告」を載せた。だが、81億円もの義援金を提供した台湾の新聞には載せられていない。あまりにも中国共産党におもねっています。「台湾は中国の一部で国ではない」というのがスタンスでも「台湾国民」に感謝広告を載せるのが筋ではないか。それとは対極的なのはオーストラリアのギラード首相だ。過去14年間日本がオーストラリアからの輸出の1位であったが、いまや1位は中国になっている。だが、そんなことは気にもとめず、ギラード首相は岩手の南三陸町を訪問し、被災民を激励している。菅首相とギラード首相の「器の違い」か。米国が中国政府に「反体制活動家拘束」をやめるように提言し、中国政府は「内政干渉だ」と反発しています。2011年4月27日、インド北部ダラムサラのチベット亡命政府はロザサン・セング氏(43)が首相に選出されました。2011年4月23日中国共産党政府はチベット僧300人を拘束しましたね。中国政府は四川大地震から3年ということで廃墟の町を保存することを発表した。実は中国では「バブル経済」がかなり膨らんだ状態で、現在はお金を湯水の如く投資や住宅購入に使っているが家を売り始めた途端に「バブル経済」がはじけ飛ぶだろう。中国共産党政府が「バブル経済制御」の為、人民元の金利を0.25%引き上げましたね。中東・北アフリカの民主化デモ(ジャスミン革命)で、中国でも革命が起こりそうだったのですが不発でした。でも、火種はのこりそうです。今後は大きなうねりがありそうですね。ちなみに全人代(中国の国会・全国人民代表大会)が開かれました。物価の高騰、インフレ、治安の悪化、拝金主義、失業問題…問題山積です。今後5年間の年間成長率は7%、2015年のGDPは2010年比で1.4倍の55兆円(約690億円)程度、今後5年で都市住民と農村部の所得の伸び率を7%程度、今後成長率は8%、人民元利上げなし、財政支出は10億元(125兆円(日本は92兆円))、です。中国のような資金のない国はリビアやアフリカに入りすぎで、リビアの中国人がとなりのチュニジアに脱走するにも歩きだったという。今後、中国の「バブル経済」が弾けることもありそうですね。2011年2月21日、中国から上野動物園にパンダの仙女(シィエンニュ・メス(日本名・シンシン・真真))と比力(ビリー・オス(日本名・リーリー・力力))が借款されましたね。年間7880万円。いわゆる「パンダ外交」です。、また法務省によると2010年の日本の外国人入国数は944万3671人と前年の188万2341人だが、本来なら1500万人から2000万人あるはず。日本ブームの火がつかなかったということです。イタリアは年間4000万人です。とうとう中国がGDP世界第2位になりました。だが、一人当たりのGDPは日本人の10分の1です。2011年1月、胡錦涛国家主席が訪米して、バラク・オバマ米国大統領と会談、米国旅客機200機3兆7000億円の「政治的お土産」の商談をまとめ握手しあった。さすがは胡錦涛氏、人権問題は軽くかわすしたたかさでした。中国人の観光ビザは350万元(230万円以上)の富裕層(150万人)から年収6万元(約80万円以上、ゴールドカード所有、大企業会社員や貧乏人以上のひと(600万人))に引き下げられた。1人あたり13万6870円日本で消費するという。また中国人の日本不動産買いも進んでいる。というのは中国では土地はすべて国家からのレンタルなんです。期限(住宅70年、工業50年、商業40年)。レナウン、ラオックス、本間ゴルフなども中国マネーで買収され立ち直った。よく中国共産党一党独裁といいますが、一応アクセサリー的に他党(台湾民主自治同盟、中国致公党、九三学社、中国農工民主党、中国民主促進会、中国民主建国会、中国民主同盟、中国国民革命委員会)があります。しかし党領には「中国共産党の指導にしたがう」というものでアクセサリーに過ぎません。中国では5年に一度「全人代」という国会が開かれます。が、1年に一回委員会も開かれます。日本では、憲法の下に司法・立法・行政の下に政党があります。が、中国では中国共産党の下に憲法、その下に司法・立法・行政があります。位は上から「総書記」「政治局乗任会」「政治局員」「中央委員」で胡錦涛、習近平、李允強、貸国強、周永珠、呉邦国、温家宝、呉慶林、李長春の9人ですべて決めています。googleが中国市場から撤退しましたね。これは中国のネット利用者は3億8000万人ですが中国共産党のサイバー警察が3万人いて規制するからなんです。例えばノーベル平和賞の劉暁波氏の記事など見れない訳です。でも中国のTVチャンネルは5847局もあるのです。広告収入だけで8000億円です。中国の人口が13億人で言語も多彩だからです。だが、コピーが酷い。税関の差し押さえが中国からが年8000億円と一位、二位は韓国です。「iphone」でなく「Hiphone」とか「ipad」でなく「iped」とか「google」でなく「goojje」とかです。でも日本だって昔は安かろう悪かろうというものでした。それを努力して「世界に冠たるメイドインジャパン」にしたのです。しかし、中国では役人の賄賂が金だけではなく「黄鶴楼(こうかくろう)」という現金化できる高額タバコ(1カートン3800円)が使われます。「アリ族」というのは高学歴ワーキングプアです。中国には職はありますが、高学歴にみあう仕事がないのです。今度は尖閣諸島沖に中国漁業監視船2隻が領海侵犯です。APEC首脳会談が横浜であり、菅首相と胡錦涛国家主席とたった22分だけ会談しました。通訳を考えると10分くらいでしょうか。情けない無戦略国家です。You tubeに「尖閣諸島での中国漁船衝突映像」が何者かによって(sengoku38)アップロードされTVでもガンガンまるで「プロパガンダ」のように流されました。私はこのような違法な海賊版映画のような画像を民間の中庸であるべきテレビ局がそのまま流すことがいいとは思えません。これでは映像をアップしたプロパガンティストの「思惑通り」です。この「尖閣映像」に対して検察当局が捜査にはいりました。神戸の43歳海保職員(一色正春・元航海士)が神戸漫画喫茶でアップロードしたとして逮捕です。が、このひとおかしいんじゃないの?まるで「英雄気取り」です。こういう映像は事件その日に政府が秘密裏にでも世界に配信するのが危機管理というものです。まるで「女風呂盗撮映像公開」です。政府が「映像を公開しない」ときめたのに官僚が知らん振りでアップするって「シビリアン・コントロール」はどうなってるのか?官僚の霞ヶ関幕府でしかこの国は動いていないのか?日本政府には「今、日本は瀬戸際にあるのだ」という強い危機感を持って対応してもらいたいと感じます。また尖閣諸島は1969年に調査せれ「近辺地中に大量の石油・天然ガスが埋まっている」とわかった途端中国は1971年から「尖閣諸島は中国のものだ」といい始めたのです。単なる「利権あさり」です。中国がレアアース(稀少金属)の欧米系輸出もストップ、資源外交の武器にしています。インフレ抑制のため通貨元0.25%利上げです。2010年の中国全人代でポスト胡錦涛主席に、軍事委副主席に選任された習近平(シー・ジンピン)氏が選ばれた。次の中国国家主席は習氏で決まりです。2010年ノーベル平和賞に中国人民主化活動家で作家・現在「国家転覆罪」で獄中の劉暁波氏(54)が決まりました。中国の「反体制派」も大喜びです。ですが中国共産党政府は反発していますね。中国共産党政府は劉氏の授賞式出席を認めませんでした。まあ、中国政府というか中国共産党一党独裁体制を批判している劉氏を出す訳ありません。旧ソ連のサハロフ博士、ミャンマーのアウン・サン・スー・チーさん、南アフリカのマンデラ氏のように劉暁波の受賞は「命を守る為」ですね。中国軍の軍事費拡大が拡大しています。中国側は「中国軍の近代化には17兆円必要」といいます。2009年のデーターですが日本より中国の軍事費は500億円の差があったそうです。これは東アジアの軍事バランスにとって重要です。また4月から6月のGDPは日本1兆2883億ドル、中国1兆3389億ドル、GDP成長は米国14兆ドル、日本1.8兆ドル、中国31.28。経済成長は米国-2.4%日本-5.2%中国7.1%…というデーターがありますがこれは誤ったデーターです。日本中国は四半期の数字で米国は一年間の数字です。こんな出鱈目な数字をだしてくるひとの気が知れません。「日本の負け」が決まった訳ではありません。策はあるのです。負け犬のように尻尾をまいて逃げる前に策を打ってください。中国はGDPで日本を抜いて世界第二位の経済大国になりました。でも人口がそもそも違うんです。中国の人口は13億人。日本は1億2000万人です。一人当たりのGDPは日本が3万9731ドルに対して中国は3678ドルです。軍事費は近代化が急務なようで中国政府は6兆9000億円といいますが実は12兆8000億円といわれています。日本の軍事費は510億円です。なぜかというと国産空母を製作中だからです。世界で空母を持つ国はアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、ウクライナ、インド、ブラジル、イタリアだけ。中国は空母を保有し東シナ海や南シナ海や台湾などのいわゆる「領土問題」に睨みをきかせる為に空母(航空母艦)を保有したいのですね。しかし、中国にも「頭が痛い問題」があります。それが日本以上の少子超高齢化問題(8-4-2-1問題)です。国連の定義に65歳以上の人口割合で7%以上が「高齢化社会」。14%以上が「高齢社会」。21%以上が「超高齢化社会」といいます。日本は23%。中国は33%(1億3474万人。10年後2億4800万人。20年後4億人)です。これから中国は労働者・人材不足でバブルが弾けますね。中国が日本の領土である「尖閣諸島」を「中国領土だ」といいます。また民衆の人海戦術のデモですか?尖閣諸島は日本の領土であり1895年に日本の領土になり、その前は「琉球王国」つまり沖縄人の領土でした。中国人のデモを止めたければまた入江紗綾でもだせば(笑)。まあこれは冗談です。紗綾だかの小娘なんか役に立ちません。反日デモにしても反中デモにしても屈折した「愛国心」は「暴挙」なだけです。尖閣諸島問題はアーミテージ元国務次官補は「日本は中国に試されている」と観ているそうです。まあ「反日デモ」自体は2005年もあったお祭りみたいなものです。が、海上保安庁も尖閣諸島で海保の船に中国船が衝突してきた、というなら何故そのときの映像を世界にむけて放送しないのですか?どこまで民主党政権は無策なんですか?報道させてそのうえで「政府恩赦」という形で罪人を許して中国に帰せばいいだけだったのです。どこまで無策なんですか?尖閣諸島も日中の「共同開発区域」でいいじゃありませんか。北方領土だって3島返還で「共同開発区域」でいいでしょう?どこまで無策なんですか?まず日本のODA(政府開発援助)について一席。860兆円の大借金がある日本ですが、ODA援助はまだやっています。ODAには二国間援助と無償資金援助と有償資金援助があります。基本的には有償とは返済を求める援助ですがローン金利は援助国の政情によりまちまちです。アフガニスタンの金利は0.01%。返済に40年です。日本のODAの総額は32兆円です。189ヶ国(先進国以外すべてに援助しました)。貧困をなくすのがODAの目的だからです。戦後の日本も貧しかった。その為に米国から脱脂粉乳などの食料援助や技術援助を受けました(総額12兆円)。東海道新幹線や東名自動車道路も世界銀行から借金してつくりました。ローン返済は1990年で完済しました。日本のODAは最初は侵略した国への賠償でした。72年に田中角栄がニクソンの真似をして北京に行き「日中国交正常化」がなります。そのとき、周恩来首相(当時)は「賠償はいらない」といいます。だが、日本は円借款という形で中国に援助します。(全部中国のクレムリン・中南海の老人たちのポケットにはいっただけ)。例えば北京首都空港も日本のODA300億円でつくられました。日本はアフリカにも援助しています。クロマグロ輸入禁止のときはアフリカ諸国が日本側について反対してくれました。援助のポリシーは「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えること」です。ODAによってその国が発展すれば現在の中国のように日本製品がどさどさ売れます。まあ、「先行投資」ですね。

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ミャンマーの正体 ミャンマー「アジア最後のフロンティア」

2013年02月11日 12時12分20秒 | 日記
  ミャンマー、アウンサンスーチーさん問題 
  
2012年11月19日、米国オバマ大統領はミャンマーを訪問し、民主化したミャンマーで演説、中朝をけん制しました。スーチーさんとも会談しましたね。ミャンマー(ビルマ)は人口が多く(6億人で人件費が中国人より安い)、しかも親日国で、物価も安い。ミャンマーの軍事政権のトップのテインセイン氏が突然「民主主義国家」に舵をきり、世界中から金・物・人がミャンマーに集中して入るようになった。ミャンマーでスーチーさんが大統領になれるか?は今の憲法上はなれません。軍事政権が配偶者はミャンマー人(スーチーさんの亡くなった旦那さんは英国人)であること、軍事知識があることが条件ですから。ですが、憲法はかえられる。だが、スーチーさんがコラソン・アキノ状態になる事もありえる。民主化のシンボル(象徴)でも、政治経験が殆どゼロだからだ。スーチーさんは名誉職の大統領となり、現実政治は優秀な人物たちに任せるのがベストだ。ミャンマーは世界第二位の日本中古車輸入国で、日本はミャンマーに5000億円のODA(政府開発援助)を与えていますが、麻生元・首相は「1970億円は還さなくていい」という。カンボジアの元・国王シアヌーク氏が死去しました。享年89歳。ご愁傷様です。ところで中国は人件費が段々と高くなってきて、「反日デモ」など治安も悪化、そんななかミャンマー(ビルマ)が注目されています。ミャンマーは治安もよく、人件費も安く、仏教国で、親日国でもあり日本のいいパートナーになりそうだ。ミャンマー国会議員・アウンサンスーチーさんとクリントン米国務長官と「改革」について議論をしたといいます。いい議論交流ですね。未来の首脳同士の交流です。またスーチーさんはオバマ米国大統領と会談し、「ミャンマーの民主化」で合意しました。ノルウェーのオスロで、アウンサンスーチーさんが21年前に受賞したノーベル平和賞の受賞スピーチをしました。21年前は女史はミャンマーで軟禁状態で、授賞式には99年に亡くなった旦那さんと息子さん2人が参加したのでしたね。アウンサンスーチー議員が24年ぶりにタイを皮切りにASEANや中国やインドなど国外訪問しましたね。ミャンマーも変わりました。もはや最貧国ではなく新興国としてスタートした訳です。また国王への反逆者が主人公のタイ映画「シェイクスピア マスト ダイ」イン・K監督がタクシン氏を連想させる、国王への侮辱だ、と放映禁止になりました。表現の自由はタイにはないのですかねえ。またスーチーさん初登院です。ミャンマーのテインセイン大統領が来日ですね。25年ぶりに日本はミャンマーに円借款再開です。これは民主化を促す為ですよね。またスーチーさんが20年ぶりに海外に外遊です。だが、本当に彼女はミャンマーに帰ってこれるのでしょうか?昔とは違うというが…。2012年4月1日のミャンマー総選挙でスーチー女史が当選です。NLD(国民民主連盟)は圧勝で43議席獲得しました。スーチー女史は野党党首です。只、スーチー女史は閣僚にはならないという決断です。「軍事政権のパペット化」を防ぐ為です。また女史は建国の父で実の親アウンサン将軍が、少数民族との融和を決めた「パンロン合意」を踏襲して「21世紀のパンロン合意」をすすめるという。でも、具体性は?です。今回の選挙は補欠選挙であるためNLDの議席は軍事政権与党の1%しめているだけです。ミャンマーでは「民主化」が進みました。クリントン米国務長官もミャンマー訪問です。また日本政府はベトナムに「原発(原子力発電所)の技術」を売りましたね。3・11でいろいろあったが、まずはよかった。2011年10月タイが大洪水で水浸しです。首都・バンコクまで汚水だらけです。台風による記録的な大雨で世界第三位の大きさのプミポンダムが決壊したらしいです。タイは「アジアのデトロイト」といわれるほど日系工場が密集しています。ホンダ、シャープ、ニコン、パナソニック、クボタ…何にしろ大企業の工場は億単位の設備です。それが「お釈迦」になれば大打撃ですね。ミャンマーの軍事政権が「政治犯」251人を釈放しました。これは欧米の経済制裁をやめてもらう為にですが、何か中途半端です。ミャンマーのアウンサンスーチーさんが2011年6月19日で66歳になった。バガン遺跡に家族旅行に行きましたね。彼女が生きている内にミャンマー(ビルマ)の自由と民主主義が成ればいいが…。軍事政権はスーチーさんの政治活動の禁止を通告した。地方遊説を規制したいためだそうです。インドのピカソといわれた有名な現代画家のM・F・フセイン氏(95)が病死しました。残念ですね。ネパール首相、シャラ・ナート・カナル氏が辞任しました。憲法草案の策定が出来なかったのが原因だそうです。またミャンマーのテインセイン大統領が訪中、中国と経済協定で合意しました。タイの野党「タイ貢献党」は時期首相候補にタクシン氏の妹、インラッフ・シハフトラ氏(43)を同党首相候補に選びました。与党「民主党」のアシピット首相は反発しています。インドのシン首相がアフガンを訪問して、アフガン政府の「タリバンとの和解」を支持しました。これは反パキスタンだといわれています。またタイが東日本大震災での日本にたいして、「大型発電機」を無償で貸し出す事を決定しました。有り難いことですね。タイ下院が2011年5月10日解散しました。アシピット首相は連立政権成立に自信を見せています。タイとカンボジアの紛争は泥沼化で、インドネシアの仲介も難航しています。インド・ムンバイで「霊能者」サイババ氏(89)が死去しましたね。サティヤ・サイババ(本名、サティヤナラヤン・ラジュ)。ミャンマー(89年に軍事政権が国名をビルマからミャンマーに変えた。スーチー女史は認めていない)のアウンサンスーチーさんが毎日新聞に「東日本大震災への応援記事」を寄稿しています。いいひとですよね。ミャンマーの大統領にテインセイン氏で、ベトナムの書記長にチョン氏ですね。いよいよ2011年4月、ミャンマー軍事政権のテインセイン首相が大統領に就任します。軍事政権下でNLDはまた「蚊帳の外」です。2010年11月7日、20年ぶりのミャンマーの選挙がありました。また形だけのスー・チーさん解放です。軍事政権が勝つときまってた「デキレース」でした。トップはタン・シュエ上級大将。おコメが多くとれ、資源が豊富な国で、北朝鮮みたいな国だが、北朝鮮みたいに貧しくない。スー・チーさんが生きているのは「世界の目」があるから。先進国は日本も含めて経済制裁しているが、天然ガスのために中国・インド・タイは協力している。スー・チーさんは次男・キム・エリアスさん(33)と10年ぶりにミャンマー国内で再会しました。ミャンマーの難民18人が「第三国定住」で来日しました。私はこの閉鎖的で陰湿な国民性の日本で「アメリカ並みの定住」は無理だと見ています。日本とインドがEPA交渉(関税撤廃交渉)で合意しました。中国の胡錦涛主席とミャンマーのタンシェ議長が会談しましたね。ミャンマー(ビルマ)のデモから2年で約7000人の恩赦では政治犯が釈放されましたね。スーチーさんは2010年6月19日で65歳になりました。NLD(国民民主連盟)が強制的に解体されてしまいました。NLDから分裂したNFD(国民民主勢力)が政党登録した。しかし軍事政権は認めない方針です。ASEAN外相会議ではミャンマーの総選挙を容認しましたね。総選挙は11月7日です。実はASEAN諸国のインフラ需要は700兆円といわれていて、韓国やロシア、フランスなどがトップ・セールスで新幹線や原発を誘致しています。日本は出遅れました。タイのデモでは日系企業の被害額は51億バーツ(約3億7000万円)だそうです。2010年5月10日にフィリピンで大統領選挙がありました。アキノとエストラーダとビリアールの戦いでした。コラソン・アキノ女史の息子さんが圧勝でした。アウン・サン・スー・チーさんが2010年総選挙前に釈放されることが決まりましたね。アメリカの経済制裁が利いたのでしょうか分からない。前にも軍事政権は「スー・チーさん解放」といいながらすぐに軟禁しています。到底信じられません。またミャンマーからは大量の政治難民、経済難民が流出しています。そのほとんどは米国に行きます。何故なら日本ではろくな仕事もなく、陰湿な苛めや偏見や差別があるからです。だが、難民の帰還が始まっていますね。韓国では元首相の韓明淑(ハンミョンスク、65)容疑者が収賄容疑で逮捕された。カンボジア政権はブレーンとしてタイ元首相タクシン氏を招聘してタイ政権が反発している。タイ政権の身柄引き渡しをカンボジア政権は拒否しています。タクシン氏って本当に役に立つのですか?カンボジアに行きましたね。またタイの元・首相でタクシン派の復権に努力したサマック氏(74)が死去しましたね。タイのタクシン派の貧困層と政府側(アシピット派)とで衝突しましたね。村本氏というジャーナリストが死亡しましたね。タイ軍はタクシン派を「制圧」しました。まるで戦争です。なぜタクシン元・首相を農村部の貧困層が支持するかというと貧困層に金(税金)を大量にばら撒いたからです。つまり、「夢よもう一度」という訳です。だが、タクシンは政権時代不正蓄財や不正なことをやりました。1252億円脱税で私腹をこらしたといいます。タクシン復活などとんでもないことです。実はタクシンは政権時、タイの水戸黄門「プミポン国王」にあい外交に外国に行っているあいだに軍部クーデターで失脚しています。その後、タクシンは外国で亡命、軍事政権(反タクシン派)が選挙をします。しかし、反タクシン派165議席に対しタクシン派は233議席と大勝します。ですが、タクシン派のサマック首相やソムチャイ首相を罷免して、都市部のエリートや軍部の反タクシン派のアシピット首相が政権につきます。で反発している訳です。なお赤のシャツを着ているのがタクシン派、黄色のシャツを着ているのが反タクシン派です。タイで貨物機から大量の北朝鮮製武器が発見されましたね。またキャンベル米国国務次官補がミャンマーの首都ネピドー入りして、軍事政権のチョーサン情報相と09年11月3日会談した。続けてスーチー女史と会談した。女史は軍事政権に態度を軟化していますね。それにたいして亡命政権は好評価しています。中国がミャンマーの軍事政権にたいして900億円の「天然ガスパイプライン」の支援をしていることが明らかになりましたね。ミャンマーの最大都市ヤンゴンで7月19日、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(国家防御法違反罪で拘置中)が書記長をつとめる最大野党「国民民主連合」(NLD)の党員ら数十人が拘束された。19日は1947年にスーチーさんの父アウン・サン将軍が暗殺された「殉難者の日」(享年32歳)でセレモニーを行っていて、軍事政権の制服さん達が暴れて、NLD幹部らを拘束したそうです。酷いです。彼女自身だけでなく民主化運動者を弾圧しています。ミャン
マーでは少数民族コーフン族1万人が難を逃れようと中国に越境しました。また軍事政権が5年以内の核兵器保有国を目指していることが明らかになりました。どうやら北朝鮮から技術力をもらうらしいです。日本はこの軍事政権に金を与えています。これでは民主化運動者達がかわいそうでしょうか。まずは軍事政権に金を(ODA・政府開発援助)与えないことです。これはシリアやスーダンでも同じレベルです。ODA提供の約束は「民主化」です。民主化して国民が自由になったら、政府開発援助を増額してやればいいと思う。弾圧している国には(北朝鮮も含みます)一円もやらないことです。条件は民主化がいいですね。日本は金を戦略的に遣うべきではないでしょうか。民主化条件はいいですよね。民主化しなければ一円もやらないことですよ。これはグローバルな戦略です。頑張ってください。
スー・チーさんはミャンマー(ビルマ)の民主化運動のシンボルです。89年から20年間軟禁されています。
が、その前にミャンマーという国の説明致します。人口5300万人で国土は日本の1・8倍です。軍事独裁政権国家です。
軍部が政権をとってビルマという国名をミャンマーにしました。軍部政権が国連に登録しましたので世界中は「ミャンマー」と呼んでいます。
アウン・サン・スー・チーさんの父親はアウン・サン将軍ですね。戦後前はビルマはイギリスの植民地でした。第二次に日本軍がビルマを「植民地にしようと」して傀儡政権を作って操ろうとビルマ人達を中国の海南島(当時の中国は日本軍に侵略された)で日本軍が「軍事訓練」をしました。で、その30人のビルマ人達と日本軍は戦いイギリス人達を追い出しました。で、日本敗戦(終戦記念日のこと)です。
ビルマはアウン・サン将軍がリーダーになりビルマ建国式で彼は暗殺されてしまいました。まだ32歳の若さでした。新生ビルマは彼がいない中で建国しました。が例の30人の中の不貞な輩がクーデターを起こして軍事政権を敷きます。経済はガタガタです。国民は怒って「民主化運動」をしはじめます。まあ、後述しますけど民主化運動家達のシンボルに彼女が選ばれた訳です。スーチー女史は母親がインド大使であったことからインドを訪問して「ガンジーの非暴力運動」を知るのである。女史はイギリスに留学して国連にも就職し、イギリス人と結婚して子供をふたりもうけます。イギリスで長い間暮らしてました。が、母親の病気見舞いにビルマ(ミャンマー)に戻って、帰りかけに(新聞記事の小さな女史母親見舞い帰郷をみた民主化運動家達に)民主化運動のシンボルにされました。
軍事政権は「いつでもイギリスに帰っていいですよ」というが、二度と戻ってこれないし民主化運動家(かなりの数)は女史がイギリスに帰ってはシンボルがなくなります。女史は自分をしたってくれる民主化運動家達の為にビルマ(ミャンマー)に残りおかげで、夫の病気見舞いにも行けず旦那さんは病死しました。ノーベル賞も息子さんが出席しました。あの「演説」は自宅軟禁されている門からです。国民は民主化を望んでいます。が、口にすると殺されます。沈黙は金です。軍事政権は前に女史を刑務所にいれたことがあります。が、世界中が反発して抗議して女史は自宅軟禁されてしまいました。ミャンマーの民主化運動家達は武器を持たないです。一方の軍事政権は訳がわかりません。急に首都をヤンゴンからネピドーという森の中に移動させました。実はミャンマーと日本はかなり深い関係です。女史の父親のアウン・サン将軍は日本の京都大学で学び日本名も持っていました。女史も息子さんも京都大学で学んでいます。日本語はかたことは話せるそうです
。女史率いるNLD(国民民主化運動)と軍事政権は一度選挙をしています。が、大差で民主化運動家達が勝った為に軍事政権は「この選挙は無効だ」と宣言して一度も「国会」も「議会」も開いていません。また軍事政権は親日派閥が多いです。日本はビルマに援助しています。後は中国と北朝鮮です。北朝鮮は金がありませんのに?ですか?それは「核兵器開発技術」と引き換えにビルマ(ミャンマー)に「資源をよこせ」ということです。
ミャンマーの軍事政権はポリシーや確固とした何かがありません。
そしてここに至ってミャンマーの軍事政権が北朝鮮の技術支援で核兵器を開発していることが明らかになりました。アジア諸国ではその情報でもちきりです。
アジアの中のお金持ちは日本人が一番のような感じです。が、違います。世界の100万ドル以上持っている人は日本24人、インド36人ですから。またインド自動車の「nano(ナノ)」20万円などあります。インドは急激に経済成長しています。(*菅首相は25日、インドのシン首相と首相官邸で会談し、経済連携協定(EPA)の締結で合意しました。また、経済や安全保障など広範囲な分野で連携する「戦略的グローバル・パートナーシップ」を強化する方針でも一致。両国の閣僚による「経済対話」を設置し、政府間のハイレベル交流を進めることも申し合わせました。インドは元々民主主義国家ですし、日本との関係性には心のわだかまりがありません。ゆえに、これから一気に関係性が強化される可能性もあるでしょう。インド経済の特徴としては、例えば中国の製造業のように、極端に強い業界がないという点にあります。だから、今回インドとの間に経済連携協定(EPA)を締結しても、「実害」は少ないはずだと日本側は判断していると思います。
 ただ、ソフトウェアやメディカルの領域で自由化が進むと、日本にとっても無視できない影響が出てくる可能性はあると私は見ています。インドの主な輸出入品を見ると、輸出では「宝石・宝飾品」が1位になっています。これは国内で作った「宝石・宝飾品」をUAEなど中東向けに輸出している結果です。ドバイやアブダビでは、アラブのお金持ちがインドで作られた宝飾品を大量に買い付け、それを自宅に飾っています。
一方、輸入は「原油・石油製品」、宝飾品を作るための「金、銀」、「電子機器」が多くなっていて、輸入相手国は中国が1位、UAEが2位となっています。
 日本は輸入相手国・輸出相手国として、どちらも11位になっていて、インドとの関係において「出遅れている」と言わざるを得ないでしょう。
 輸入相手国としては、韓国(10位)にさえ今の日本は及びません。韓国は、インドに対して積極的に自動車や電子製品を輸出していますが、日本勢では唯一スズキだけが80年代からインドで現地生産を始めるなど先行しているに留まっています。
 日本のインド進出については、まだまだこれからといった状況ですが、今後の可能性については注目すべきでしょう。菅首相とベトナムのグエン・タン・ズン首相は31日、ベトナム南東部で計画されている原子力発電所の建設について、日本が請け負うことで合意しました。
 原発を初めて導入する新興国で日本が建設を受注するのは初めてです。また両首相は、中国から輸出制限を受けているレアアースについても共同開発することで合意しました。
 日本とベトナムの関係が一気に強化されたような印象を受ける人もいるかも知れませんが、まだ現段階では「決定的」ではないと私は思います。ベトナムはロシアから2基の原発の輸入をすでに決定していて、日本が原発を輸入する初めての国というわけではありません。また今回の原発の発注にしても、ズン首相は戦略的なパートナーシップ関係の構築のため、日本から原発を購入すると述べていますが、最終的な値段は未決定という状況です。最終的な値段がいくらになるのか、日本から何を輸出できるのか、現地生産比率をどのくらいに定めるのか等、決めるべき事項は未だ沢山残されています。
 色々と条件を加えられた挙句、交渉がご破算になる可能性もないとは限りません。
 また菅首相は、ラックフェン港建設をはじめとする5案件に対し約790億円の円借款供与を表明しています。この円借款について、私は一つ懸念を持っています。それは今後の日本経済の行方次第では円がハイパーインフレを起こす可能性があるということです。
 その事を踏まえるとリスクをヘッジする意味で、私としてはユーロと同じようなアジアの通貨バスケットを作ってはどうかと思います。もしハイパーインフレが起きてしまったら、「円」で返済されても意味はありません。円借款は「円建て」になることが一般的ですが、これを契機にベトナム通貨も含めてアジアの通貨バスケットを検討する価値は大いにあると思っています。*は大前研一先生講演より引用)インドの面積は3293km、日本の8・8倍です。人口11億人、首都ニューデリー、通貨はルピー、1ルピー2円くらいです。インドは急激成長しています。これから発展する国はBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)です。また日本は2010年いっぱいか2011年あたりで中国インドにGDPで抜かれます。実は今はG730兆円BRICs10兆円です。が、2039年にはBRICsがG7を抜きます。インドの成長率はIT産業などです(あるひとは(自称・インド人)インドのITはGDPの5%だ。と言う。誰もIT産業だけでインドが経済成長したなんて言っていません)。ITとはイ
ンフォメーションテクノロジーです。プログラマが増えています。
何故かというと過去のカースト制度(階級制度)が関係しています。カースト制度は1950年に禁止になりました。カースト制度はピラミッド体型で、上から「バラモン(僧侶)」、「クシャトリア(王族や軍人など)」、「ウ゛ァイシャ」、「シュードラ」などです。
1950年に廃止になりましたけど地方ではまだ残っています。ITはカーストが決まってないからチャンスがあるとプログラマが多くなる訳です。国会議員や俳優も自由になれるけどIT産業はビックチャンスがあります。インドドリームです(自称インド人のかたのコメントでカースト制度の枠外つまりカースト制は経済発展と関係ないと言う。が、違います。確かにカースト制度はとっくに廃止されたものの地方でまだ残り臭と言うかやはり自由のない社会が残っていて、だからカースト制でビジネスチャンスを狙ってプログラマになるひとが多いって意味付けです。それにしてもコメントは本当にインド人の方でないです。またイタズラコメントの酒井正己や外務省関係者です。それに文句があるなら情報源の池上彰さんに言ってください)。またIT産業のインド人の強みは「数学力」です。日本なら9x9ですがインドは20x20とか18x15とか99x99とかすぐに答えられる「数学力」を持っています。
インド政府も99年にIT産業省庁がつくられ、IT産業技術者を増やしています。インド工科大が有名です。
インドはヒンズー言語が公用言語ですが、22言語も別にあります。が、一番は「英語」です。(インドは昔イギリスの植民地であったから)英会話ができる訳です。英会話ができればアメリカカナダでもビジネスができる訳です。
またインドの強みはアメリカ合衆国とインドの時差が12時間あるということです。例えばアメリカ合衆国のシリコンバレーで夕方eメールをインドに送って、(インドは朝)アメリカ合衆国シリコンバレーで早朝出勤するとインドからプログラムが出来てeメールで送られている訳です。インド人の人件費も安いから充分にペイする訳です。またアメリカ合衆国のコールセンターラインはインドにあります。英語が堪能なのと人件費が安いからです。インドにはアメリカンドリームのようなインドドリームがあります。日本は少子高齢化社会で団塊の世代や団塊の世代の子供しか人口が増えていません。中国も「ひとりっ子政策」で子供がかなり少なくなっています。しかし、発展途上国のインドは若い子供の人口が増えています。かつて、日本も高度経済成長期にはそうでした。
またインドの暮らしですが、かつては経済格差が激しかったが年収40万円の中間層(日本の物価の1/5)
日本の高度経済成長期と同じです。三種の神器(テレビ、洗濯機、車)…インドが今その状態ですね。インドドリームがあります。人口は日本の10倍…数は力なりです。インドでは日本製品や中国製品も売れているが、インド製品の携帯保有者は4億台、5年には9億台になる訳という。年収40万円の中間層は1億円以上です。都市部ではショッピングモールが増えています。ミネラルウォーター50円、鉛筆10円です。またインド製品の自動車「nano」は運転席の隣の席のミラーやバックミラーがありません。何故なら車の渋滞が多いからです。日本では安全性の問題で販売出来ないと思う。野良牛もいますね。何故ならインドではヒンズー教で偉い神の乗り物ということで牛は食べないからです。だから牛が増える訳です。またインドは中国と昔(中印戦争1954年から62年)戦争をしていました。だからインドは核兵器を開発します。なお、カシミール紛争を抱えて仲の悪いパキスタンも核兵器を開発する
訳です。だが、今のインドと中国は和解して仲良しになりました。またインドは親日的で第二次世界大戦終結後(ナチスドイツ帝国日本の敗北)でアジア諸国は「日本は謝罪金を払え」というけどインド政府は払わなくていいといいました。インドはなんら被害を受けていないかららしいです。かなりインドと日本は仲良しの国です。
 
 

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基地問題 中国フリゲード艦、日本海自艦にレーダー照射は大変遺憾

2013年02月06日 12時35分35秒 | 日記
   基地問題
 
 中国フリゲード艦が、日本の海自の艦にレーダー照射を尖閣諸島で行ったことは大変に遺憾に思う。中国には戦略的互恵関係であるという事をもう一度考えて欲しい。いったい誰が損をするのか?中国には深い自制を要求する。反日が反日戦争になるような真似はとっとと止める事だ。中国よ大人になってくれ。沖縄でまた米兵が20歳の邦人女性を性的暴行(強姦)したとして、沖縄人が大激怒です。沖縄の中井真知事も森本防衛大臣に抗議し、ルース米国日本大使も「極めて遺憾」と不快感をあらわにしました。90年代は沖縄の女子小学生が輪姦されるなど問題は深刻だ。オスプレイの試験飛行が米軍岩国基地(山口県)で2012年9月21日より開始されました。2012年10月山口県岩国基地より12機のオスプレイが普天間基地に配備された。まあ、なしくずしになると思っていたので何とも思わない。話題の新兵器ヘリ・オスプレイが米軍基地で墜落、何故墜落していたかは回転翼を傾けるときに墜落のリスクがあるからで、日本の在日米軍に配備予定が政府の「安全宣言」で配備になりました。結局なし崩し的に山口岩国基地で演習し、沖縄基地配備になるだろう。オスプレイが何度も墜落していたのは事実だが例え森本大臣になったところで同じだ。やっぱりオスプレイは配備された。2012年9月9日、沖縄で10万人のオスプレイ配備反対集会が開かれた。何故無駄か?は以下である。香港の活動家たちは何故上陸出来たのか?が、強制送還で「正解」である。何故なら国民も民主党議員や凡俗の政治家も知らない自民党と中国側との昔の「密約」があったから。それは(1)中国は、実効支配の原則から尖閣諸島を日本領土として認める。(2)しかし一方で、中国も国内法では領土権を主張できる。というもの。尖閣諸島で逮捕した中国人は「密約」によれば日本で裁判にかけることなく逮捕して中国側に引き渡すのが「正解」であり、「約束」なのです。ゆえに、今回は中国政府も公式には大きく騒ぎ立てるようなことをしていないのです。オスプレイ問題もまた「「軍政」に関わることは米軍に従う」という日米安保条約ならびに「沖縄返還の条件」でもあります。知らないのは国民と民主党政治家と無能集団だけ、というまたまた「お先真っ暗」な状態なのです。ベトナム戦争や湾岸戦争などでも、日本の国防とは関係ない争いでも、米軍が沖縄を利用したのは「約束通り」に米国軍は「軍政」として沖縄をつかったまでなんです。日本政府(国)が合意しているのですから、米国軍人からみれば「当たり前じゃん」ということ。沖縄県知事や県民や日本国民は「沖縄の軍政に文句を言う権限」など密約上ない、のです。北方領土もまたしかり、です。北方領土に関しては森喜朗元首相がその辺を知っていますから森氏に任せるのが正解ですね。残念なことに民主党議員も国民も無知で傲慢です。「脱原発」だの「沖縄に基地いらない」だの無邪気に強く主張はしますが、「外交感覚ゼロ」…まるで「集団ヒステリー」「農民一揆」「団塊世代の安保闘争」です。こういう密約があることさえわからぬでしたり顔で主張してないで、ここはまず反省と熟考の余地を、という事です2012年5月15日は沖縄本土復帰から40年だそうです。だが、沖縄では米兵による強姦やひき逃げ痴漢・万引きなど絶えないという。沖縄では4月の墓参りを「シーミー(清明祭)」というらしい。だが、沖縄の県民にはもう少し我慢して欲しい。まだ北朝鮮問題や中国問題という「地政学的問題」がある。沖縄の方には騒音など大変だろうがもう少しだけ我慢して欲しい。お願いします。また米軍基地集中に不満は、沖縄で69%で全国で33%で、本土復帰が良かったが8割です。尖閣諸島の中国船問題は、海上航空自衛隊が尖閣諸島で頻繁に演習をするなどのプレゼンスの示し方もある。バングラディシュとミャンマーが政治裁判で海上領域に中間線が引かれました。日本と中国と韓国もそうすればいいだけですよね。また普天間基地の小学校の米軍基地騒音が教室で100デシベル超であることが明らかになりました。100デシベルとは列車が通るのと変わりません。沖縄人が怒るのも納得ですね。2011年2月26日、野田佳彦首相は初の沖縄訪問を果たした。27日には沖縄県知事・仲井真氏と会談をおこなったがやはり「米軍基地県外移設」は困難であるようだ。沖縄の米軍海兵隊のグアム移転を米国議会が認めなかった。予算は120億円だが、アメリカ議会もねじれだから仕方がない。だから日米政府の在日米軍再編のロードマップ(工程表)で、グアム移転は約8000人から約4700人規模に縮小し、沖縄の普天間基地とは別に進めるという。残り約3300人はオーストラリア、フィリピン、ハワイなどに分散移転させ山口県の岩国基地も候補地になっているという。つまり、「普天間を捨てた(固定化)」訳だ。これに関しても無能外相・玄葉光一郎は「官僚の作文の棒読み」に終始した。なんなんだこの男は!アメリカが金欠で、朝鮮半島有事や中国問題より「国内経済優先路線」でロードマップが変更されたことくらい気付きなさい、ってんだ。だから日本外交はダメなのである。玄葉氏は明らかに「外相としての資質」に欠ける。こういう大臣は一秒でも早く辞任して欲しい。日本政府の本音は「中国軍や北朝鮮が恐いから米海兵隊は日本にいててくれ」というもの。何たってまともに戦えば3時間ももたない自衛隊より米海兵隊のほうが安心だ。またアメリカの本音は「グアムになんかいきたくない、日本が大金資金援助を継続して欲しい」というもの。つまり「ボディーガードしてやるから日本よ毎年5000億円継続的に払え」だ。また「90年代に沖縄で小学生女子(当時)が米兵に性的暴行(レイプ・強姦)された事件」をなんと知らなかったとして野田内閣の一川防衛大臣や山岡消費者大臣らが野党の問責決議案が成立した。辞任しないというが辞任するだろう。また沖縄普天間基地移設問題で2011年11月29日沖縄防衛局局長・田中聡氏がアセス(環境影響評価書)について「犯す前に犯すよっていいますか?」と問題発言をし、更迭されました。女性蔑視以前に沖縄県を馬鹿にしている。沖縄県では米軍兵士による性的暴行(レイプ・強姦)が何十年も前から頻発している。そのことを鑑みねば「人間」ではない。また2011年9月29日の裁判で元・毎日新聞記者・西山太吉さん(80)ら20人が72年の沖縄返還の密約文書公開を迫った一件で、密約文書が「廃棄の可能性」が示されました。これは遺憾なことだと私緑川鷲羽わしゅうは思います。が、そんな昔の事を今更蒸し返しても虚しいだけです。2011年6月21日ワシントンで2プラス2日米外相・防衛相会議があり「辺野古回帰案」で合意しました。が、年度案は決まらずまた日本人政治家の十八番「努力目標」になりました。沖縄県知事は普天間と嘉手納基地統合について負担減なら議論もあり得ると発表しましたね。この普天間基地移設問題では「辺野古移設案」が風前の灯です。2011年6月13日、北澤防衛大臣と仲井真知事の会談では沖縄県知事はV字協議は応じないと協議は決裂しました。オスプレイ配備にも猛反発です。でも「地政学的」に沖縄に基地を置くしかないんです。米国国務省官僚のメア氏が「沖縄人はゆすりたかり、甘ったれ」というような侮辱発言をした事件で、米国国務次官補キャンベル氏がプレスリリースで謝罪しました。メア氏はなにか日本人に「黄色人種・ワンランク下」という差別的考えがあったのでしょうね。ちなみにアメリカ人(いわゆるWASP)というひとたちは大体こんな思想だと考えていたほうが身の為ですよ。メア日本部長が更迭、米国大使が正式に沖縄に謝罪でしたね。「新防衛大綱(たいこう・日本の防衛はどうあるべきかという方針)」が決まりました。何が変わったか?東西冷戦時代の自衛隊(日本軍)の「仮想敵国」はソビエトでした。ですから北海道に戦車(特車)部隊や第二師団が重点的に配置されていました。ちなみに首都圏を守るのは第一師団で練馬にあります。しかし、91年のソ連崩壊で北方の脅威がなくなり、自衛隊はPKOや災害派遣にまわされます。で、最近「尖閣諸島問題」などで南方にイージス艦などを置くことになり「基盤的防衛力」から「動的防衛力(いつでも動ける)」に傾倒します。「動的防衛力」とは偵察や監察を活発にし、日本周辺の多発な事態に対応できるようにすることです。それで陸上自衛隊は減らすのですが、潜水艦は16隻から22隻になり、イージス艦(イージスシステム、「イージスとはギリシャ神話の万能の神・ゼウスが娘に与えた万能の「盾(Aegis)」のことです。イージスシステムは複数のミサイルを探知するコンピューターの塊)を4隻から6隻にする。那覇基地の1個飛行機師団を2個飛行機師団にし、沿海監視部隊を配備したりします。ちなみに潜水艦は日本では16年でスクラップにしますが、もっともつのでスクラップにせず、増やすというものです。よく自衛隊のひとは「特科部隊」といいますが「特科(とっか)」とは「歩兵部隊」のことです。自衛隊は発足時に「軍隊じゃない」という建前で「警察予備隊」という形ではじまったので、そんな風にあいまいに呼ぶのです。では世界との兵力を比較しましょう。アメリカ(人口3億900万人、常備兵力158万人、割合0.2%)、中国(人口13億人、常備兵力229万人、割合0.2%)、韓国(人口4900万人、常備兵力69万人、割合1.4%)、北朝鮮(人口2400万人、常備兵力111万人、割合4.6%)、日本(人口1億3000万人、常備兵力23万人、割合0.2%)などです。また「予備自衛隊」つまり「予備兵」がいて有事のときに駆けつける兵隊が中国では51万人、日本は3万4000人います。戦争の大原則は「守りの3倍の兵力で戦う」ということです。だから日本の20万人の防衛国を叩くなら3倍の60万人で戦うことが必要だという。ですが、北が例えばミサイルを発射準備をしようとしても日本は相手の基地を爆撃できるだけの届くミサイルも飛行機もありません。で、今空自は「空中給油」をやっています。例えばアメリカに向けて発射されたミサイルを迎撃してもいいか?ですが「集団的自衛権の行使」として物議をかもしています。ならMD(ミサイル・ディフェンス)つまり発射されたミサイルを迎撃できるか?ですが無理です。ピストルの弾をピストルの弾で撃ち落とすみたいなものです。また領空(領土と領海(領土から12海里))に入った国籍未確認の飛行機は「スクランブル発進」で撃ち落としていいですが、日本のスクランブル発進は年間150回から200回です。(04年141回、05年229回、06年239回、07年307、08年237回、09年299回)あまりに日常茶飯事に領空侵犯されているため撃墜はしていません。領空侵犯での撃墜はソ連の大韓航空機撃墜事件などは有名ですね。だから、戦争にならない為の「防衛力」が必要な訳です。ちなみに「防衛庁」が「防衛省」になりましたが、「庁」だとトップは長官、「省」だとトップは大臣です。「庁」は所詮は「内閣府管轄の組織」です。それが、「省」になれば「独自の予算」も組めますし、「閣議」を設けたり、「省令」も決められます。菅首相は沖縄の中井真知事に謝罪しました。つまり「普天間基地は辺野古で」ということです。私は「非核三原則」は「木を見て森を見ず」論だと思う。アメリカが核兵器を配備するということは責任を配備するということだ。NATOの例を見ればわかるように、核兵器を配備すればアメリカ大統領とホットラインを結べる司令官を常駐させるなど、アメリカは「配慮」しなければならない。日本の「非核三原則」みたいな「女学生の作文」で北朝鮮と戦えるだろうか?日本政府にはもっと頭をつかって欲しいものだ。2010年11月28日の沖縄県知事選で現職の中井真弘多(なかいま・ひろかず)氏(71)が再選です。普天間基地は膠着状態です。今回は在日米軍基地Wikipediaです。クラスター爆弾禁止条約が発効されました。だが、米国、ロシア、フランスが批准しない条約など意味がありません。まず基地の説明の前に日米安保条約(日米安全保障条約)について説明します。米国は2014年以内のグアム基地移設を断念しました。なんで日本国内に外国の基地や軍隊があるのか?当たり前のことですが戦争で負けたからですよね。で、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド軍に占領されます。1951年に吉田茂首相(当時)がサンフランシスコ講和条約に署名してやっと日本は独立します。吉田は狡猾な男でした。当時の日米安保(旧)はボデイガード料と日本の動乱(共産革命のような)をアメリカ軍が鎮圧してもいいものでした。吉田は「番犬」のアメリカに守ってもらって防衛費をかけずその分を経済成長にあてる算段であったそうです。だから、「不平等」でも安保(旧)を結んだのです。そして1960年に「日米安全保障条約(新)」が岸信介首相(当時)の手で結ばれます。当時の日本人は馬鹿でした。大学生高校生サラリーマンは「安保反対!安保反対!」(60年安保闘争)とデモや大学に火をつけるなど馬鹿げた動乱をやらかします。当時の学生らは「日本に米軍をおけば日本がソ連や中国から攻撃を受ける」と抜かしたそうです。だが、岸は正しかった。反対をおさえて署名します。安保デモは660万人も暴れたと聴きます。馬鹿ですね。勝手に米軍が「番犬」になってやるという「おいしい話」を理解できなかったのですかね?馬鹿ですね。そして91年ソ連が崩壊します。そこで、極東(フィリピンより北)からアジア太平洋地域に米軍の防衛範囲が拡大します。これは湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争や9・11テロがあったからですね。最近も辺野古沿岸案で日米合意しましたね。それに反対した社民党の福島瑞穂大臣が罷免されました。なぜ沖縄だけでなく徳島なのか?は1953年の奄美諸島の日本返還のとき「何かあったら徳之島を」と日米で覚書を交わしていたからです。4月に「鳩山首相も岡田外相も北沢防衛相も信用できない」としてルース米国日本大使が小沢一郎民主党幹事長と普天間基地移設先を会議していたそうです。政府は普天間基地移設先に徳之島を打診したそうですね。平野官房長官が徳之島の7条件(借金棒引きなど)をすべてのむそうですね。徳之島でいいんですか?沖縄から200キロも離れているのですよ。政府原案には「辺野古周辺」と明記されているようです。それにしても鳩山首相の「学べば学ぶにつけ海兵隊の重要性がわかってきて…」などの認識不足は呆れて話になりません。こんな認識しかない首相は一日でも早く辞任するべきです。海兵隊は自衛隊にはない「攻撃力」があります。それがすなわち「抑止力」です。アメリカは大金さえ払ってもらえればグアムに海兵隊を移すでしょう。でも、困るのは日本のほうです。なぜなら自衛隊は憲法上「攻撃力」を持ってはならないからです。沖縄ではまた在日米軍基地兵士(泥酔女兵士)が当て逃げだそうですね。基地はキャンプ・シュワウ゛陸上案と(ホワイト・ビーチ沖案断念で)徳之島案でまとまりました。が、5月決着は絶望的になりました。まさかの辺野古修正案ですね。辺野古陸上案などと言ってますね。首相はまた徳之島の実力者・病気に倒れた徳田虎雄氏に面会、沖縄や徳之島にも訪問した。首相は県外移設を断念、事実上辺野古と徳之島案を示しました。沖縄では9万人基地反対集会がありましたね。「日本に基地は必要ないのです」という「女学生の作文」もありました。でも地政学的に基地は沖縄に必要なんです。北朝鮮の核兵器開発や中国の軍事費拡大など考えてからモノを申してもらえませんか?ボディガード料金として在日米軍に6636億円年間払っています。では、まともに戦えば3時間しかもたない自衛隊でいいんですか?自衛隊では日本国土は守れないのです。在日米軍が「抑止力」なんです。そういうことを考えてから何か言ってください。岡田外相が「核の密約があった」と当たり前のことを認めましたね。ならいざというときグアムまで核をとりに行けというのか?こんな簡単な密約を自民党は50年間も「ない」と言っていました。沖縄密約を開示するよう命令がなされましたね。沖縄県知事と自民党・谷垣総裁は「キャンプ・シュワウ゛陸上案」に反対していますね。名護市の稲嶺市長は民主党政権の「陸上案」の反対集会に出席しました。またセレモニーに過ぎないのですけど社民党は普天間基地移転先を「グアム、サイパン、長崎、佐賀県」国民新党は「嘉手納、キャンプ・シュワウ゛陸上」という案を出していました。まあ、「陸上案」ですね。岩国の核保有(1966年から3ヶ月)を元・駐日米国大使が認めましたね。実は今現在も在日米軍が核保有しています。沖縄基地移設問題の話題の「名護市長選挙」の結果が出ました。何故在日米軍
が必要か?はボディ・ガード料金なんです。米軍基地は716ヵ所320国にあります。ちなみにシュワウ゛とは沖縄戦で戦死した英雄の名前です。「米軍基地いらない」と言ったのはフィリピンのマルコス大統領でした。沖縄密約ですが米国の負担1億1200万ドルを日本が肩代わりする「密約」が推定ですがあったそうです。また普天間基地移転は首相が3月以内に決めるそうです。空自は官製談合でトラブルを起こすし何だかなあこの内閣は…。クラスター爆弾禁止条約が8月に交付されます。批准国は30ヶ国です。社民党と国民新党はグアムサイパンを視察訪問してグアム側は「基地移転困難」サイパン側は「前向き」です。現在は「シュワウ゛陸上案」に北沢防衛相が歓迎して前原、福島瑞穂氏が反対していますね。民主党政権は移設案提示を見送りです。現職の島袋吉和氏(63、名護市返野古基地移設賛成派)が敗れ新人の稲嶺進氏(64、基地移設反対派)が当選しました。これで辺野古移設はなくなりました?地元は激怒していますね。稲嶺名護市長は小沢氏と会談して基地移設反対意見を主張しました。基地移設候補地には徳之島案が出ています。徳之島とは沖縄島と奄美大島との間にあるちっぽけな島です。首脳会議で鳩山首相は普天間基地問題は先送りしました。来年5月まで先送りしましたね。首相は「普天間基地のグアム移転」を否定しました。民主党政府の外交姿勢があまりにお粗末だからこうなるのですがあまり私自身とは関係ありません。沖縄は日本の日本国土の0・5%、沖縄の70%が基地施設です。基地移設とは海兵隊は訓練もしている訳です。移設とは訓練場所や軍人や家族の住まい、空母、戦闘機やヘリコプターの場所も受け入れる場所もあることです。過去の課題をエクスプローラ(検索)していくべきだが、オバマ政権も過去の軍略を踏襲しています。例えば1978年の「思いやり予算」採択まで(米軍基地の費用負担70%)費用負担は全部米国が持っていたんですよ。グアムでもOKだが、地政学上に沖縄が必要なのです。(在日米軍人は2万1000人が沖縄にいるがそのうち6000人がグアムや普天間からシュワヴに移動予定)また軍事費は日本はあげるべきではありません。ある軍事評論家は「中国の軍事費が伸びている」という。が、日本と中国が軍事的に戦うことなどあり得ません。在日米軍費用はボディーガード料金なんです。確かに沖縄県民の苦悩もわかります。爆音、レイプ、ひき逃げ…。しかし北朝鮮などの抑止力なんです。「沖縄に基地は必要ありません」などまさに「女学生」の作文です。日本は米国には勝てないばかりか中国にも勝てないですね。何故在日米軍基地があるか?は1945年の敗戦後で1951年に日米安保地位協定で在日米軍基地が出来ました。核兵器を使わない代わりに85か所、うち33か所(74%が)沖縄だけにあります。沖縄だけに在日米軍基地が集中しているのは地政学の点で有利だったからです。当時は冷戦下でソ連や中国に睨みを効かせる効果上沖縄が有利だったからです。ちなみに沖縄の在日米軍基地は品川区と同じ規模で中にスーパーや郵便局、学校や病院があります。騒音問題は沖縄の在日米軍基地の近くに日本人の住まいがあって、戦闘機の音が騒音なのです。一応、日米で夜間早朝は戦闘機を飛ばさないだの決めている。が、守られていません。沖縄には戦闘機F-15イーグル(1機28億円×54機)あります。最新戦闘機F-22ステルスは1機130億円もします。レーダーに映らない戦闘機である為に日本は買いたいのです。が、売ってくれません。開発中のF-33で我慢してくれという。つまりレーダーに映らない戦闘機をやるとアドバンテージをとられるからです。日米安保協定(1960年締結)でボディーガード料金が全部で年間5656億円在日米軍基地維持管理費用で使っています。普天間基地(の一部の)移転だけで6000億円以上払う訳です。沖縄は在日米軍基地でビジネスしています。実は在日米軍基地は全部グアムに移転しても大丈夫なのです。例えば沖縄基地からハワイまで戦闘機で2時間です。ということは目を西に向ければアフガニスタンやイランロシア中国北朝鮮にすぐ爆撃に行ける訳です。単に地政学上に有利だったから沖縄に在日米軍基地が集中している訳です。しかしながら、言わせてもらえばボディーガード料金が5656億円です。自衛隊はまともに戦うと3時間もちません。だから在日米軍が費用なのです。ボディーガード料金プランです。在日米軍基地移転をして米軍は日本から出ていけ、など馬鹿です。ボディーガード料金なんです。自衛隊では日本は守れません。ボディーガード料金なんです。5656億円はボディーガード料金なんです。
またいわゆる「核密約」は当たり前です(岡田外相は「核密約」を認めましたね2010年1月迄に密約文書を報告するという。密約文書が故・佐藤栄作元首相の私邸から出てきたそうですね。遺族がニクソン米国元大統領と佐藤栄作元首相との沖縄核密約文書を保管していたようです)。外務省は「密約文章」が現存せず、という。つまりとっくの昔に廃棄したということです。(世論は密約認めるべきが60%非核三原則維持は72%)核ミサイルはあって当たり前です。なら有事の時にグアムまで核ミサイルを持って来させるのか?当たり前のことを「密約」などということ自体「平和ボケ」です。核ミサイルがなくて北朝鮮を抑えられますか?常識で考えてください。元・外務省アメリカ局長の吉野文六さん(91)も沖縄基地密約文書を認めていますよ。インド洋のいわゆる「給油活動」ですが、只撤退だけでは駄目です。アフガニスタンへの民事上支援などをやるべきです。湾岸戦争の時は260億ドルも払っても日本は無視された。またアフガニスタン支援でも「人的貢献は困難」として70億ドルの支援金をやるそうです。金だけで活動しないならまた無視されます。民間人は治安の問題でアフガニスタンでは活動出来ません。何も自衛隊にアフガニスタンで戦争しろっていう訳ではありません。が、金だけでは無視されますよ。自衛隊がアフガニスタンで医療支援や学校支援などあるはずです。頑張ってください。 
 

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三国志 泣き虫弱虫諸葛孔明・魏呉蜀三国志の義ブログ連載小説2

2013年02月03日 08時20分01秒 | 日記
         2 軍師




  荊州の劉備の城では、孔明たちによる軍儀が続いていた。
 孔明は「魏の軍がふたたびせまっている」と正直にいった。そして、続けた。「魏の夏候淳は必ず博望坂を通る。かの地は左に山、右に林だ。待ち伏せができる」
 劉備たちは頷いた。
 孔明は続けた。「趙雲、5百の兵を率いて先発し、必ず負けよ」
「………負ける?」趙雲は不思議な顔をした。是非とも答えがききたかった。
「負けて、この坂に敵をさそえ」孔明は羽扇をかざしていった。趙雲は「はっ! 必ず!」と両手をあわせた。
「関平と劉邦は博望坂後方の両側にかくれ、敵をみたら火を放て」
 関平と劉邦のふたりは「はっ!」と両手をあわせる。
 孔明はさらに策を授ける。「関羽将軍は火をみて総攻撃の合図をせよ。敵の食料もすべて焼き払え」
 関羽は怪訝な顔のままだった。
「主君は後方にいて見守っていてくだされ」孔明はいった。
 関羽は怪訝な顔のまま「では? 軍師殿は何を?」と尋ねた。
 それに対して孔明は、「私はこの城を守る」といった。
 張飛は嘲笑し、「自分だけ楽する気か」と吐き捨てるようにいった。関羽と張飛はまだ孔明の才能を認めてはいなかったのだ。

  前線でも、関羽と張飛は諸葛孔明を馬鹿にしていた。
「何が軍師だ」張飛は悪態をついた。「あんなやつ口だけだ」
「いかにも! すべて机上の空論……孔明などおそるるにたりぬわ」
 関羽は地面にツバを吐いた。何が……軍師だ? 義兄上は勘違いしておられる。

  戦が始まると、すぐに趙雲軍五百は敗走しだした。孔明の策である。魏の夏候淳たちはそのぶざまぶりを嘲笑した。
「名高い孔明を軍師にしたはずの劉備軍はぶざまなものだ。やはり孔明など口だけの男だったという訳だ」夏候淳は笑った。部下たちも笑う。「孔明などおそるるにたりぬわ」
「追撃するぞ!」
「……しかし……罠では?」
「孔明ごときがそんな策をとれるものか!」夏候淳は軍を率いて、趙雲軍五百を追撃した。 しかし、そこは孔明が上手、夏候淳の軍が博望坂に入ったところで火攻めにされた。両側を囲まれ、包囲された。夏候淳は軍は集中砲火をあび、全滅した。
 戦がおわると、関羽と張飛は茫然と突っ立っていた。
 あまりに策がうまくいったので、茫然として言葉もでなかった。ふたりは顔を見合わせた。やがて、馬車にのった孔明がきた。孔明は羽扇で顔をあおいでいた。
 関羽と張飛の血管に、熱いものが駆けめぐった。そして、ふたりは地面に膝をつき、両手を合わせて、
「軍師!」と頭を下げた。ふたりもやっと孔明の才能、いや天才を認めた瞬間だった。

  しかし、魏軍10万がふたたび荊州に攻めてきた。劉備たちはボロボロの敗戦となった。その途中、魏の曹操は不安にかられた。
 曹操は「……わしは天下無敵…しかし、案ずることがある」と家臣にいった。
「それは何でござりましょう?」
「劉備だ」曹操はゆっくりいった。
 それにたいして家臣たちは「劉備など弱小勢力に過ぎませぬ。何を恐れることがありましょうや」と笑った。
「いや」曹操は首をふった。「孔明がおる。劉備には諸葛孔明がついておる」
「孔明? 口だけの男にごさる」家臣たちはまた笑った。
「劉備と呉の孫権が連合して攻めてくるやも知れぬ。それがわしの恐れじゃ」
 家臣たちは顔を見合わせた。
「劉備と呉の孫権が連合するかどうか使いを送れ」曹操は命じた。
 それに対して、呉の孫権のほうも情報収集のため、荊州太守弔問を口実に劉備のもとへ参謀の櫓粛を送った。櫓粛は中年であったが、控え目で、物静かな男だった。
 弱点は口の軽さだ。
 櫓粛は孔明と面会した。
 孔明はかれに酒をすすめた。もう夜だった。場所は城の一室。蝋燭の明りで辺りは鬼灯色であった。なごやかに孔明は接待した。
 櫓粛は「先の夏候淳をやぶった策略は見事でしたな、孔明殿」と孔明をほめた。
「いやいや、将軍たちがよくやってくださったからです」
 孔明は微笑んで、謙虚にいった。
「いやいや、孔明殿の智略がなければ10万の兵を撃破することなどできませぬ」
「私が撃破した訳ではございません」
「謙遜を」
 櫓粛は酒を飲んでいった。孔明は羽扇をふった。
「……近々、私は呉公・孫権殿とあいたい思います」孔明はいった。
 すると櫓粛は顔色をかえ、「それはいいのですが……」といいかけた。
「なんでしょう?」
「魏の曹操軍が百万とはわが主君には絶対に申されるな」
 孔明は口元に微笑みを浮かべた。
「絶対ですぞ!」櫓粛は念をおした。


  呉公・孫権に魏の曹操から使者がきた。劉備をやぶってわが軍と同盟せよ、というのだ。三日以内に返答を……使者はいった。孫権は悩む。魏の曹操は河口にあった。
 孫権船団軍3万、曹操軍20万……いくら曹操軍が陸地戦しかしてなく、船での戦いに慣れてないとしても勝ち目がないのではないか……。
 曹操は江稜を占領した。そして、沢山の軍艦をつくった。このままでは曹操の『天下統一』は目前だった。当然ながら呉の孫権陣営では軍儀が続いていた。
 甘寧将軍は「曹操など恐るに足りぬわ!」といきまいた。
「いや、曹操と同盟したほうが…」とは張昭。
「城を枕に討ち死にを!」
「臆病者め!」
「匹夫の勇ではことはならぬ!」
「命があぶないのだぞ!」
「弱小・劉備など見捨てて、曹操と和睦を!」
 家臣たちは口々に勝手なことをいいだした。
  孫権はやがて眉をつりあげて、「黙れ!」といった。家臣たちは沈黙した。
 ……恐ろしい沈黙であった。しんとした静けさが辺りを包んだ。
 孫権は上座から降りて、ゆっくりと歩いてきた。家臣たちは今だに黙ったままだった。なんともいえない緊張が辺りを包んだ。
「……まず…」孫権はいいかけた。
「………なんでごさりましょうや?」
「まず」孫権は続けた。「櫓粛を魏に使いに出す」
「櫓粛を?」
 家臣たちは顔を見合わせた。
「それによって……戦か和睦か決める」
 孫権はきっぱりといった。
「…しかし…」
「なんだ?」
「櫓粛を魏に使いに出さずとも、戦より和睦のほうが利があると思いまする」
「そうです。匹夫の勇ではことはなりません」
「弱小・劉備など見捨てて、曹操と和睦を!」
 家臣たちはまた口々に勝手なことをいいだした。
 孫権は押し黙り、苦悩した。戦か……降伏…か……。

  やがて、呉に孔明が櫓粛に連れ添われてやってきた。馬車の中で、櫓粛は何度も、
「魏の軍を是非とも少なめに…」と念を押した。
 孔明は何も答えず、不敵な笑みを口元に浮かべるだけだった。孔明は羽扇をふった。
 孫権の家臣たちは冷ややかな目で、孔明をみた。
「ふん!」
 鼻を鳴らした。
「孔明など三日だけで逃げ帰るさ」家臣たちは口々にいい、嘲笑した。
「櫓粛を魏に使いに出さずとも、戦より和睦のほうが利がある」
「匹夫の勇ではことはならぬ」
「弱小・劉備など見捨てて、曹操と和睦をすべきなのだ」
「なにが諸葛孔明だ」家臣は嘲笑しつついった。「孔明などハッタリだけの男じゃ! 諸葛孔明の虚名にまどわされてはならぬ!」
 そんな中でも、曹操の大軍が呉に迫って、きていた。


  孫権は悪夢を見た。
 長江の湖で、かれは水浴を楽しんだ。夏の大きな太陽の陽射しがぎらぎらと辺りに照りつけて、湖に反射してハレーションをおこす。どこまでも続く青空に入道雲……それは、しんとした感傷だ。
 湖を泳ぎ、陸にあがる。
 そして、彼は別荘にむけて歩き出した。
 この湖から城まではそんなに遠くはない。
 さっきまで、ぎらぎらとした陽射しだったが、今や雨でも降出しそうな天気になった。天気は変わりやすい。
「……雨でもふりそうだ」
 孫権は、しんと静まりかえった森を抜けながら呟いた。
 そして、ハッ!となった。
 城の方でシュウシュウという矢音が何回か聞こえたからだ。しかも、誰かが後をつけてくるような気配を感じる…!
 孫権は恐怖にかられ、狼狽し、目をキョロキョロさせた。で、ゆっくりとうしろを振り向き、「だ……誰だ……?」と掠れた声でいった。
 誰もいない。……だが、次の瞬間、恐怖は絶頂に達した。
 ざざざっ…!と、誰かが追いかけてくるような足音が響き、孫権は恐怖のあまり悲鳴の声すら出なくなった。彼は逃げる! 鈴の音が微かにきこえる。しかし、孫権はやみくもに森の中を走った。走った。駆けた。とにかく逃げた。
 恐怖のどん底にたたきつけられた孫権は、とにかく走った。孫権はやみくもに森の中を走った。走った。駆けた。草や木々をかきわけ、とにかく逃げた。曹操の軍が追ってくる。 そして、孫権は急に立ち止まった。もう道がない。崖っぷちに立たされてしまったのだ。崖の下は滝つぼになっていて、崖は高くて、崖下の滝や河はどこまでも深くて、蟻地獄のようだ。孫権は恐怖で身体を震わせながら、滝壺を見て、背後を見て、心臓を高鳴らせた。いいようもない恐怖が彼を襲い、孫権は戦慄した。
 曹操の軍がせまってくる。
 ……殺される……!
 孫権は決心を固め、咄嗟に、崖下の滝や河に向かってダイブした。とにかくこれしか手はなかった。恐怖と戦慄と狼狽のまま、孫権はダイヴした。
 彼が滝に落ちて見えなる。と、曹操はチッ!と舌打ちした。
 そして、そのまま曹操の影はどこかへ歩き去った。

  孫権はゆっくりと目を覚ますと、悪夢のためか身体をガタガタ震わせて動揺の様子をみせた。妻は、
「…もう大丈夫ですよ」
 と、城のベットに横になっている孫権の髪を撫でて慰めた。
「もう怖くないわ」
 妻は優しくいった。                              


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三国志 泣き虫弱虫諸葛孔明・魏呉蜀三国志の義ブログ連載小説1

2013年02月01日 08時57分48秒 | 日記
小説

  三国志


                   諸葛孔明

                          <戦わずして勝つ>
                    total-produced&Presented&writtin by
                       washu midorikawa
                      緑川 鷲羽



  …この物語は実話とフィクションの混合の時代小説です。…

         あらすじ

  戦乱の中国は魏呉の両軍が争っていた。劉備はちっぽけな勢力に過ぎなかった。そこで、かれは天才的軍師の名を耳にする。劉備は田舎の諸葛孔明の庵に三願の礼を尽くし、軍師として向かいいれる。孔明は赤壁の戦いを呉公・孫権を挑発して勃発させる。魏呉の両軍が争っているうちに第三の勢力・蜀を建国する。天下三分の計。しかし、関羽、張飛が戦死し、劉備も病死、蜀の命運はひとり孔明の肩にかけられる。孔明は魏と対峙し、智略を使って戦う。が、部下の馬の失敗によって不利に。空城の計で難を逃れるが、やがて孔明も志なかばで病死する。天才軍師・孔明の最期は、五丈原で魏の司馬仲達との睨み合いの中であった。「さては…孔明め。死んだか?」仲達は撤退する蜀軍を追うが、孔明の人形をみて「孔明め! 生きておったか!」と逃げた。死せる孔明、生ける仲達を走らす……である。諸葛孔明の戦略、そして人生をじっくりごらんください。
 では、ハッピー・リーティング!

         第一部 臥竜





          1 臥竜


  高祖・劉邦の築いた大漢帝国も後漢末期には官臣が実験をにぎり、戦乱の世となった。  黄巾の乱のあと、二十四歳となっていた劉備は戦いに身をおいた。
 しかし、たいした戦力ももたない劉備は、戦いには勝っても、これといった根拠地をもてずにいた。劉備は曹操軍に攻撃され、まだ誰の支配地でもない荊州へと劉備は逃げのびた。
  諸葛亮、字は孔明。徐州の陽都の人である。
 後漢の霊帝の光和四年(紀元一八一年)七月二十三日、あまり地位の高くない官僚の家に生をうけた。元々、諸葛家の名は葛だったそうだが、同じ町に葛というひとがいたので諸葛とわけ、それが定着したのだという。孔明には兄、弟の均、それにふたりの姉がいた。幼い頃に母に死に別れ、父の諸葛 は子供達のためにと後妻をめとった。そんな父も孔明が八歳の頃に亡くなり、孔明は叔父の諸葛玄の手で育てられた。
 孔明がうまれて四年目、霊帝の中平元年(紀元一八四年)「黄斤の乱」が起こり、またたくまに全国に波及し、後漢王朝をゆるがしたという。霊帝が死ぬと、わずかに十四歳の劉弁があとを継いで即位し、外戚の可進が大将軍として政治をおこなった。
 可進は、宦官(後宮に奉仕する小役人)の権力闘争に当時悩まされていた。それに手を焼いた可進は、董卓(一三九~一九二年頃、強大な武力をもつていた残忍好色な豪族)の力をかりて、 官を一掃しようとしたが、董卓到着前に可進は 官に殺されてしまう。そのどさくさにまぎれて劉紹が軍をおこし、劉弁を推挙して皇帝となる。が、その後、権力者はいれかわりたちかわりして、ついに曹操軍が10万の兵を率いて、魏を県立する。
 翌年の秋、曹操は徐州を攻め、孔明の故郷も戦乱の混沌におとしいれられた。たまたま議術によって予章の太守に任命された諸葛玄は、諸葛均を残して義母に仕えさせ、孔明と姉妹を連れて予章に移った。
 しかし、まもなく輿平二年(紀元一九五年)、朱浩が漢王朝から予章の太守に任命され、武力をもって諸葛玄を追放したのだという。そのため玄は子供たちをつれて、旧友の朴州の牧(長官)劉表のもとへ逃げるしかなかった。

  孔明は叔父について広州に移り、 陽に住みついた。
 広州の首都である 陽は、交通の便にも恵まれ、比較的安全であった。その南陽で、孔明は叔父の関係から、多くの知識人たちと交流をもつようになった。その中には名士と名高い水彭徳公、水鏡先生と称される司馬徽、阿南の名士の黄承彦らがいた。孔明より二つ、三つ年上の彭徳公の甥の鳳統は、ハンサムではなかったが非凡な青年だった。
  孔明はその中で彭徳公を尊敬し、やがて彭徳公の方も孔明のすくぎれた資質に気がついて「忘年の交わり(年の差を抜きにした親交)」を結んだという。
諸葛玄が二年後に死んだ。姉たちは嫁いでいたから、孔明と均だけが残された。孔明はまよって母のいる故郷に帰ろうともした。しかし、彭徳公や司馬徽たちから「書を読み、経国済世の学問を身につけて将来にそなえよ」といわれ、熟慮したあげく孔明は 陽にとどまることに決めた。

  隆中に住んで四年目、戦乱の世がまたやってきた。袁紹は幽州で公孫玄を滅ぼした。  そして、袁紹と曹操両軍は対立していた。
 黄承彦は「袁紹は力量では曹操よりはるかに大きいが、計画性においてははるかにおとっているから、おそらく曹操の敵ではないだろう」と孔明にいっていた。はたして、翌年、曹操は袁紹と戦争をおこし、十月には曹操が勝利した。すべては黄承彦のいった通りになったのである。
 孔明はよく書を読み、記憶し活用した。また、情報収集のために諸国を行脚した。こうして孔明はその天才を磨いていったのである。そんな孔明の名声があがるに従い、孔明の結婚のことがとりだたされるようになった。孔明ほどの天才には美貌で才媛な女性がふさわしい……誰もがそう思っていた。しかし、孔明は黄承彦の娘・阿醜というブスな女性を妻にめとった。阿醜は赤茶色の髪で、顔もよくなかった。が、そのブスのコンプレックスのために、彼女は百冊以上もの書を読み、兵法にもくわしかった。
 孔明はそんな彼女の才をみて、醜くとも……と喜んで妻にしたのである。

  諸葛孔明は、隆中でさらに書を読み、学識はいっそう深くなり、現実社会に対する認識も一層明晰になったという。当時の学問は書の一文字、一文字を深く研究するのが主流であったが、孔明はそんな無駄なことはせず、書をたくさん読んで、その要点だけを理解し、学識を蓄積していったという。さすがは天才である。誰に教えられる訳でなく、学問の完成のありようを知っていたのである。
 船で、徒歩で、孔明は広州や魏国、呉国、などを行脚して情報を収集して知識を深めた。 一方、劉備たちは何をする訳でもなく、広州で”無為のとき”を過ごしていた。
 劉備と義兄弟の関羽、張飛、は馬で去る除庶先生を見送った。
「……除庶先生がいってしまわれた……残念だ」劉備は落ち込み、唇を噛んだ。…私は……どうなってしまうのだろう…?
 そんな時、除庶先生が戻ってきた。三人は驚いて、「どうなされたのです? 先生」と問うた。すると除庶は真剣な顔をして、「いい忘れたことがござる」といった。
「……それは?」
 除庶はゆっくりいった。「隆中にすばらしい人物がおる」
「どのような?」関羽は怪訝な顔できいた。
「知恵の者だ。号は”臥竜”。もうひとりの号は”鳳雛”」
 除庶はにやりとした。「……”臥竜”? ”鳳雛”? 名前は?」劉備は真剣に尋ねた。
「諸葛孔明と鳳統という。隆中にはその孔明がいる。その者がいれば貴殿の夢も実現できるじゃろう」除庶はそういうと馬で去った。
 劉備の血管を思わぬ感情が駆けめぐった。感情というより、熱い感情……よろこびだった。その孔明という人物を得れば、天下泰平の世を、経国済世を、実現できる。
 是非とも、その孔明という人物に会いたい。力を貸してもらいたい。

  健安十二年(紀元二〇七年)、広州の劉表のもとでほとんどなすこともなく過ごしていた劉備は内股の贅肉に気付き、涙を流した。劉表が訳をきくと、劉備は、
「私はこれまで馬を乗り回していましたので、内股に贅肉のついたことがなかったのです。しかし、ところが最近、あまり馬に乗らなくなったため贅肉がつきました。時間が経つのは早く、老いもせまっています。自分が情ないのです」といった。
 ……旗あげから三十年。劉備四十二歳。老いも早い。しかし、自分は何ひとつ成していない。自分はこのまま……終わってしまうのか……
”髀肉の嘆”をかこっていた劉備は”どうしても孔明を得たい!”と祈った。

  劉備は義兄弟の関羽と張飛とともに馬で、隆中に田舎に向かった。劉備は”どうしても孔明を得たい!”と祈った。臥竜岡の草ぶきの家につくと、眉目な少年がでてきて、
「兄をお訪ねになったのでござりましょうか?」と問うた。
 劉備は、その少年は諸葛均と判断した。
「劉備と申しますが、是非とも臥竜先生にお目にかかりたくてまいりました」
「兄は二日間前に外出し、四、五日してかえるか、十日、半月して帰るかわかりません」 劉備は、がっかりして退散した。
 その頃、諸葛亮孔明は諸国行脚をして、情報収集していた。そして、何月後に帰宅した。孔明は上機嫌だった。かれは黄色い布(当時は紙はなかった)にかかれた地図を妻にみせた。「まぁ!」阿醜は驚いた。
「この地図は蜀という国になるものだ。蜀は守りに堅く、攻めに容易……首都・広州には優れた人物も多い。きっとよい国となることであろう」孔明は微笑んだ。少年のような顔だった。孔明は羽扇を手でゆらしながら、頷いた。孔明はハンサムで、性格もおとなしく、控え目で、清貧をむねとした。痩せていて、端正な顔をしていた。
 劉備の義兄弟の関羽と張飛は「諸葛亮孔明などという田舎者など迎えてどうにもなるものか!」と愚痴をいった。それにたいして劉備は、
「孔明殿はわしの力になってくれる。何せ臥竜(地に伏していまにも飛び上がらんとする竜)さまじゃからな」
「ふん!」張飛は悪態をついた。「虚名だ! 兄じゃ、孔明などいなくともわれらがいるではないか!」
 関羽も「そうですとも。兄じゃ、そんな田舎者など……不必要です」といった。
 しかし、劉備は、「孔明殿はわしの軍師として迎える。孔明殿の知恵で、わしは漢室を復活させてみせる。そのために……是非、臥竜先生に会いたい」
  半月ほどして、雪の日、劉備はまた義兄弟の関羽と張飛とともに馬で、隆中を訪れた。諸葛均は、劉備たちをみると、老人を紹介した。
「兄の岳父の黄承彦です」
 黄承彦は笑っていった。「また留守にぶつかりましたね。私も婿を訪ねてきたのですが、むだ足をふんだようです。まぁ、とにかくあがってください」
 諸葛均は、とりあえず劉備、関羽、張飛らに草堂にあがってもらい、お茶をだした。草堂には「淡泊以明志、寧静以致遠」と書いた字がかけてある。これは「貪欲にならないことでその志を明らかにし、静かに安定した心によってさらに遠いところに達する」というひそかな抱負であった。それをみた劉備は孔明がまさしく臥竜であると確信した。だが、義弟たちは「孔明がいないなら長居は無用、さっさと帰りましょう」と催促した。
 関羽は「諸葛孔明の虚名にまどわされてはなりません」といい、
 張飛は「首にナワをかけて引っ張っていこう」とにやりとした。

  孔明は質素ないでたちで、蜀を見てまわった。その途中、劉備のことを遠くから見た。孔明はかれの顔を知らなかった。劉備軍は刀を振り、訓練中だった。孔明の端正な顔に少年っぽい笑みが広がった。少年っぽいとともに大人っぽくもある。説得力のある不思議な微笑みだった。帰宅すると、そこには長男の諸葛 がいた。兄は孔明に贈物を渡した。
「まあまあ、兄じゃ、酒でもどうぞ」孔明はにこりとした。
しかし、兄は不安な顔をして「劉備が二度も訪ねてきたそうだな。わしの支える呉公の孫権殿はそれをきき、わしを使いによこしたのだ。わしと一緒に呉公に支えぬか?」
「いいえ」孔明は断った。羽扇を振った。「呉公には支えません」
「なぜ?! ……今や呉公・孫権は実力者だぞ。魏の曹操と肩を並べておる」
 孔明はにやりと余裕の笑みを口元に浮かべ、羽扇を振った。「ならば、兄上は魏の曹操に支えればよろしかろう。立身出世も夢ではないであろう?」
 兄は怒り「なぜだ?! 劉備などただの弱小将軍に過ぎないのだぞ! 選択を誤るな」
 続けた。「今や天下は魏の曹操と呉の孫権のどちらかだ。劉備など相手にするな!」
 しかし、孔明はただ不敵に笑うだけであった。

  城で、張飛はまた酒を呑んでいた。関羽は諫めたが、きかなかった。「われら桃園の義兄弟だけで十分……田舎者の孔明などいらぬわ!」張飛はベロベロに泥酔し、悪態をついた。関羽は「しかし……兄じゃは孔明を必要としている。わが軍にも軍師がほしい」といった。「諸葛亮孔明が本当の軍師で天才なら…………あるいは…」
  三度目の訪問で、孔明にあえた。
 孔明は昼寝中だった。均がおこそうとすると劉備は「起こさないように。私は先生がおきるまで何時でも待ち申す」といった。やがて、孔明は起き上がり、劉備と対面した。そして、地図を広げて劉備に見せた。
「……これは?」
「蜀です。まず益州と広州を併合して、蜀を建国するのです」
「どうやって?」
「今、強大な兵力を誇る魏の曹操と戦うのは得策ではありません。まず、第二勢力の呉の孫権と同盟を結び、両軍を争わせ、そのすきに第三の勢力・蜀を建国し、天下三分の計を実現させるのです。そして、呉と提携して魏をやぶり、やがては天下を統一して漢王室の復興をめざすのです」孔明は策を授けた。
 若干二十七歳で、確実な分析と洞察をもってこれほどの大構想をうちたてた孔明は、特異な天才と呼ばなければなるまい。
 劉備は感涙し、「先生、是非、非力な私に力をおかし下さい! 天下泰平のため! 人民のために!」と強くいった。
「……浅学非才の私にはとても無理です」孔明は謙虚にいって、羽扇をかざした。
 勇猛果敢な張飛は刀に手をかけ「来るのか、来ないのか、どっちだ?!」と怒鳴った。
 しかし、そこは孔明、そんな脅しにのるほど馬鹿じゃない。
「これ、刀をおさめよ」劉備は張飛を諫めた。
 そのあと、劉備は土下座した。孔明もこれには驚いた。「……非力な私の力に…なって…くだされ!」涙声だった。孔明は動揺し、「頭をお上げ下され」とかれに手をさしのべた。すると劉備は涙をぽろぽろ流しながら、「先生! 民のため! その知恵を、力を、おかし下され!」と嘆願した。
 さすがの孔明もこれには驚き、感激し、「わかりました。劉備殿、私はあなたの家臣となります」といった。ふたりは泣きながらにこりとした。
 こうして、孔明は劉備軍の軍師となった。孔明は”三願の礼”で迎えるに十分な天才だった。なぜなら、のちに孔明のシナリオ通りに”天下三分の計”は実現したからである。 孔明は書にかく。
 …………”劉備殿は私ごときのために三度も訪ねてきてくださいました。私はそれに感      謝し、支えることにしたのです”…………
 しかし、諸葛孔明はただ、劉備の”三願の礼”に感激して支えたのではないという説もある。孔明は何年も前から晴耕雨読の日々を送り、仲間が孫権や曹操に支えるといっても冷ややかな目でみるだけだった。誘いにも乗らなかった。
 孔明は、自分のことを古代の英雄菅公に支えた管仲にたとえていた。孔明は自分の力を発揮できる英雄の出現をまっていた……という説だ。そして、劉備があらわれた。

  208年9月、曹操は大軍を率いて南下してきた。劉備は四十七歳。わずかな軍しかもたない劉備軍は逃げるしかなかった。退却には、劉備を慕った難民たち数十万もつらなっていた。部下はいう。「難民を見捨ててでも、まず劉備殿が逃げるべきです」
 劉備は冷静に「大事をなすには何よりもひとをもって元となす。私は虐殺者・曹操と違うことをしてここまできた。私を慕ってついてくる難民をおめおめと見捨てていけるものか」と答えた。どこまでも”徳”のひとなのである。
 しかるに、難民とともにいて退却が完了できない劉備軍は曹操軍の追撃隊に追い付かれ、散々やられた。気付いたときには劉備の側には数騎しか残っていなかったという。
 やっと城に帰参し、劉備は一息ついた。
 だが、魏の10万の軍がまた攻めてきた。張飛は嘲笑しながら「兄じゃと軍師(孔明)は水魚の交わり。その水で……魏の10万の軍をけちらしてくれればいいのに」といった。
 その頃、劉備は子供ほどの年の離れた孔明に頼りきっていた。まさに水魚の交わりだった。劉備は張飛に「よせ!」と諫めた。
 張飛は眉をひそめたが、また孔明のほうを見た。劉備の方をみると、蒼白な顔をしていた。張飛は、義兄がうけている圧力のことを考えていた。



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