長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

スウェーデン日朝政府間協議「北朝鮮すべての拉致被害者の再調査約束」のペテンno2

2014年05月30日 17時42分12秒 | 日記







北朝鮮とのスウェーデン・ストックフォルムでの日朝政府間協議で「北朝鮮政府がすべての拉致被害者の再調査を実施すると約束した」と、安倍首相が発表した。言っておくが犯罪者が自らの犯罪を再調査すると言っただけ。拉致被害者家族に淡い希望だけをみせて、結果また偽遺骨…の方がよほど残酷だ。テロ国家の約束等無意味だということ。
 また、ちゃんと再調査がなされたとの状況をちゃんと確認もしないうちに一部の「経済制裁解除」など只の馬鹿策だ。
相手はテロリストたちであり、テロ国家なのだ、という当たり前のことをもう一度考えて欲しい。先進国の常識として「テロリストとは交渉しない」というのが常道であり、今回の政府間協議など馬鹿馬鹿しい行動であり、確実に横田めぐみさん等の拉致被害者は帰国しないし、拉致問題などなにも解決しないだろう。
 安倍晋三氏は功を焦って、道を誤った。
また、騙されるだけだ。
おひとよしや戦略的外交もどきの「火遊び」はとっととやめることだ。
「経済制裁」は絶対に解除してはならない。
何故、いつも騙されるのか?歴史に学ばない日本の政治家や官僚の劣化はここまで進んでしまったのか。
 残念。
 安倍氏が「拉致問題解決の第一歩」等と本気で考えているとしたら「御気の毒に」というしかない。やはり「馬鹿野郎」と「学歴エリート」の連中だ。
安倍政権の対北朝鮮戦略がブレまくっている。スウェーデンでの日朝政府間協議で「北朝鮮が確かな文章で我々に渡してきたのだから今度こそ間違いない」…どこまで「希望的観測」だけで動くのか?アンタ方は私に「立派な文章でも印刷し渡すだけなら誰でも出来る」と言ったよな?何故冷静になれないんだ?

スウェーデン日朝政府間協議「北朝鮮すべての拉致被害者の再調査約束」のペテン

2014年05月29日 18時45分20秒 | 日記




 北朝鮮とのスウェーデン・ストックフォルムでの日朝政府間協議で「北朝鮮政府がすべての拉致被害者の再調査を実施すると約束した」と、安倍首相が発表した。言っておくが犯罪者が自らの犯罪を再調査すると言っただけ。拉致被害者家族に淡い希望だけをみせて、結果また偽遺骨…の方がよほど残酷だ。テロ国家の約束等無意味だということ。
 また、ちゃんと再調査がなされたとの状況をちゃんと確認もしないうちに一部の「経済制裁解除」など只の馬鹿策だ。
相手はテロリストたちであり、テロ国家なのだ、という当たり前のことをもう一度考えて欲しい。先進国の常識として「テロリストとは交渉しない」というのが常道であり、今回の政府間協議など馬鹿馬鹿しい行動であり、確実に横田めぐみさん等の拉致被害者は帰国しないし、拉致問題などなにも解決しないだろう。
 安倍晋三氏は功を焦って、道を誤った。
また、騙されるだけだ。
おひとよしや戦略的外交もどきの「火遊び」はとっととやめることだ。
「経済制裁」は絶対に解除してはならない。
何故、いつも騙されるのか?歴史に学ばない日本の政治家や官僚の劣化はここまで進んでしまったのか。
 残念。
 安倍氏が「拉致問題解決の第一歩」等と本気で考えているとしたら「御気の毒に」というしかない。やはり「馬鹿野郎」と「学歴エリート」の連中だ。

紅蓮の炎<真田丸>真田幸村幻勇伝~プロローグ~16年度NHK大河ドラマ三谷幸喜脚本原作

2014年05月29日 17時28分56秒 | 日記







         大阪夏の陣


  慶長二十年(一六十五年)夏、大阪夏の陣の幕がきっておとされた。しかし、大阪城は堀をうめられて丸裸……攻略も容易だった。大阪方はわずかな浪人たちだけで、家康方は全国の大名軍を率きつれている。どちらが勝つのは馬鹿ではもわかることだ。
 そんな中、真田幸村だけは善戦し、単独で家康の本陣まで迫って、もう少しで家康を殺すところまでいった。しかし、それは失敗し、幸村は討ち死にする。
 大阪城を家康は包囲した。何十万という軍勢で、大阪城をかこんだ。やがて大阪城は炎上し、陥落する。
 早朝、秀頼と淀殿は城の外側の蔵にいた。家康はそこも囲った。
「……秀頼殿、このおろかな母を許してくだされ」淀君は泣き崩れた。蔵の中にはふたりと家臣わずかしかいなかった。蔵の窓から朝日がうっすらと差し込んでくる。
「母上……この秀頼、太閤殿下の子として……立派に自害してみせましょうぞ」
 家康は蔵の前で、「蔵に鉄砲を撃ちかけよ!」と兵に命じた。鉄砲が撃たれると、秀頼と淀殿は、蔵にあった火薬に火をつけ、爆発がおこった。
 こうして秀頼と淀殿は死んだ。家康は「たわけ! なぜ死んだ?!」と驚愕の演技をした。「わしは秀頼殿と淀殿を助けようと思うてたのに…」
 秀忠はその演技を見抜けず「なんということだ…」と落胆した。
  しかし、家康はどこまでも狸だった。秀頼には側についていた女子との間に三歳の娘と七歳の男子がいたという。家康はその子らを処分した。つまり、殺した。豊臣家を根絶やしにするためである。落ち武者も虐殺した。何千人も殺した。まるで信長のように。ジェノサイドだ。しかし、これは治安対策と、やはり豊臣家を根絶やしにするためであった。  家康はそのあと、尼となっていた秀吉の妻・高台院(おね)と寺ではなした。
「もう世は徳川の時代……豊臣家はもうありません」高台院はいった。なぜか、冷静で丁寧な態度であった。
 家康は「高台院さま、この家康、天下太平のため、徳川幕府を開き、平和な世の中をつくりたく思いまする」と丁寧にいった。
「それはよきことです」高台院はいい、続けて「これからは無益な戦がない世の中に……なるのですね?」
「さようにござる、もう戦などなくなりもうす」
 家康は微笑んだ。すべて……おわったのだ。
 その顔は恍惚のものであり、登りつめたひとの顔であった。

  家康は厠で倒れた。
 すぐに寝室に運び込まれた。家康は虫の息だった。老衰だった。
 床についているあいだ、家康の血管を、思い出が洪水のように駆けめぐった。信長のこと、秀吉のこと、そうしたものではなく、じっさいの出来事ではなく、感情……遠い昔に失ってしまった思い出だった。涙があとからあとから溢れ出た。
 家臣たちは口をひらき、何もいわずまた閉じた。世界の終りがきたときに何がいえるだろう。心臓がかちかちの石になり垂れ下がると同時に、全身の血管が氷のようになるのを家臣たちは感じた。すべておわりだ。家康公がとうとう死んでしまう。
「わしが……死んだら…日光に東照宮をつくり、わしの亡骸を葬ってくれ…」
 家康はあえぎあえぎだがいった。
「…と、殿!」家臣たちは泣き崩れた。
「わしは…」家康はあえぎあえぎ続けた。「……勝利…したのだろか?」
 空が暗くなり、明るくなり、世界がひっくりかえった。家康が七十五年間抱きつづけた感情が胸から溢れ出て、麻痺した指先を伝って座敷の畳みに零れ落ちた。
 そして、家康は死んだ。
 元和二年(一六一六年)四月十九日、家康死去、享年七十五歳で、あった。

 ……ひとの一生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し、焦るべからず……

  家康の格言で、ある。
 こうして、家康の策により徳川政権は二百六十年続いた。
 家康の知恵の策略の勝利、であった。                

またこの後の話は真田幸村として名高い真田信繁(本名)の最期の徳川との大戦となった『大坂夏の陣』ののちのちの戦話を漫画・劇画『紅蓮の花 真田幸村』上下巻、著者・(漫画)竹谷州史氏・(原作)仲路さとる氏・新潮社出版から引用したい。あくまで引用であり、盗作、無断転用、無断引用ではありません。裁判とか損害賠償とかやめてください。
 
 大坂冬の陣で大坂城は外堀どころか内堀まで埋め立てられ、天下に名高い難攻不落の大坂城は、徳川家康の謀略により裸城になりいよいよもって「豊臣家滅亡」「大坂壊滅」が現実になりそうだった。大坂の町人や商人や百姓衆も「今度ばかりは大坂もおしまいや!」「ひいいい~つ!お助け!」幕府軍数十五万の大軍が大坂の町に着々と進軍、明日にも大坂は戦火の海に沈む。「民百姓さえ豊臣の敗北を悟っています」大坂の寿司の屋台で、間者が町人に化けて、ある武将にいう。「我が主・幕府軍総大将徳川家康公は故国信濃一国にてあなたを買い受けると仰せです。これ以上は無意味、どうぞ幕府方にお越しください」
「お断りだ。狸にもらった国なんぞ、翌日木の葉に変わるかもしれん」そういったのは大坂方浪人・真田幸村である。「狸殿に伝えろ!俺はあんたにもらう国よりもこの上方の旨い寿司のほうがいい、と」
「真田殿……わが徳川幕府軍は十五万、大坂方はせいぜい寄せ集めの七万から八万でしょう?どちらが勝つかは馬鹿でもわかること。しかも、難攻不落といわれた大坂城もいまや裸城、死ぬだけですぞ」
「おおかたわしの首が縦にふらねば斬って帰れの命だろう?」幸村は鼻で笑った。「欲しいと言ったり殺せと言ったりご苦労なことだ」
「どうあってもお心かわりは………」
「ない」
「だが……死にまするぞ」
「死の際に燃える紅蓮の炎もある。胸が高鳴らないか……?狸を殺るにはよい日和だ」
 一方、徳川数十万を迎え撃つ覚悟の豊臣の大坂城には豊臣家重臣・大野治長が、
「こんな時に浪人衆は何をしておる!」と苛立っていた。参謀方の真田は幕府方の兄と内通の噂があり、幕府に寝返るのでは?というのだ。秀吉の遺児・豊臣秀頼は「大野…まあ、待とう。かの者らは皆、名に聞こえたいくさ人、それなりの戦支度があるのじゃろう」
「秀頼さま……」
 大坂方はもうみんな死を覚悟している。だが、死に場所を求めて大坂浪人衆の毛利勝永(もうり・かつなが)、大坂浪人・後藤又兵衛(ごとう・またべい)、大坂浪人・薄田兼相(すすきだ・かねすけ)、豊臣家家臣・木村重成(きむら・しげなり)、大坂浪人・明石全登(あかし・たけのり)、大坂浪人・元・四国の大名・長宗我部盛親(ちょうそかべ・もりちか)らが集まった。これに遅れて参陣した大坂浪人・真田幸村を加えこれらが『大坂夏の陣大坂浪人・七人衆』という。1615年5月、江戸幕府初代将軍徳川家康は全国の軍勢を率い大坂城へ出撃!その数実に15万……。豊臣方の寄せ集めの浪人衆約8万をはるかに超える精鋭である。前年の冬の陣からわずか半年、それはまさに家康の宿願・天下安寧・徳川の天下、豊臣抹殺への峻烈な表明であった。
「斥候(せっこう)から得た情報によると京より発した幕府軍は二手に別れ南下中。明日にもこの大坂城は15万もの軍勢に取り囲まれます」
毛利勝永は地図をみていった。
薄田は「これじゃあ、まさに風前の灯火ってやつだ」と笑った。
「河内方面の徳川秀忠隊は12万人、いかに秀忠が戦下手とはいえこれをまともに相手にするのは無謀だな」
「しかし、大和方面の徳川家康隊はわずか三万人!これはまさに千載一遇の好機!」
「幕府の総大将は家康!この首をとれば敵軍は瓦解し、戦局優位です!」
「これだから戦を知らぬ青二才は……お主はこれが家康の罠とわからんのか?!」
長宗我部はいった。「確かに大和方面軍はわずか3万……しかしこの陣には戦の天才・奥州の伊逹政宗が従軍しておる!」
「なにい?あの今孔明独眼竜伊逹政宗が!?」
一同は重い空気に押しつぶされそうになる。秀頼は「どちらを選んでも地獄というわけか……」とがくりとする。重い沈黙。すると、
「いけませんなあ!明日が戦というときにまるでお通夜ではありませんか!」と真田幸村が来た。「幸村!」「幸村殿!」一同に活気が戻った。「なにせ敵は齢七十にて今生にすがる古狸だ!あの家康より強いやつらのやり方をすればいい!織田信長公、太閤殿下(豊臣秀吉公)、御屋形さま(武田信玄公)、上杉謙信公、毛利元就公……この戦、大坂方の桶狭間である!つまりは奇襲!周りの大軍勢には目もくれず京より大坂に向かう家康隊の側面を一挙に奇襲する!敵方はこの戦で城を落とし……秀頼殿を討たねばならぬ。だが、こちらは家康の首さえ取れば再び豊臣家が天下人になれる!目標は凡人狸爺家康の首のみ!」
皆の顔に血の気が戻ってきた。「恐れるものは何もない。俺たちは死人の軍勢なのだから」
一同は、不敵に笑い始める。これは……もしかすると勝てるかも……
大和方面隊は後藤又兵衛と薄田兼相!河内別働隊は長宗我部盛親と木村重成、主力部隊・毛利勝永、明石全登と真田幸村は先発隊に続き大和方面へ!
一六一五年五月五日、大坂夏の陣の大坂七人衆が出撃する。大坂方は浪人たちの寄せ集めではあるが、家康に主君を殺された恨みがあり、士気は高い。徳川家康は齢七十にして重臣の本多正純に「かような殿は初めてじゃ……あれではもはや…天下に妄執する餓鬼!」といわれるほど天下を喜んだ。もはや誰も敵ではない。
 信長も秀吉も信玄も謙信も今川も毛利もない。わしの……天下じゃ!もはや豊臣家もおわりじゃ!家康は若かりし頃の『三方ヶ原の役』での武田信玄との戦いで惨敗し、馬上で糞尿まみれになったまま馬で逃げた悪夢を思い出した。自分には武田信玄や上杉謙信、毛利元就、織田信長、豊臣秀吉、真田幸村、竹中半兵衛、黒田如水(官兵衛)やらのような天才がないことは家康が自分自身でよくわかっていた。だからこそ誰よりも耐えた、誰よりも待った。信玄と謙信が準備し、織田がつき、羽柴がこねし天下餅、骨もおらずに食うは徳川………それがどうした!何が悪い!最後に勝ったものが勝者じゃろうが!
 だが、家康だって馬鹿ではない。大坂攻めでわずか3万あまりだけの大和方面隊にはいかに天下無双の独眼竜伊逹政宗軍がいようとも危ない。家康は、大和方面隊に影武者をたて、自分は隠れて河内方面隊の息子・秀忠軍十二万の中に紛れた。
家康は「桶狭間のような奇襲も敵方に真田幸村がいるなら有り得る」と慎重だった。
と、同時にこれで天下人に、歴史に天下の徳川家康の名前が刻まれることを興奮せざる得ない様子であった。
初戦の朝は深い濃霧で大坂方の脚はすすまない。
「大坂方め、運にも見放されたか」家康は笑いがとまらない。しかも、大坂方は大和方面を奇襲しようという行動であるので、ますます徳川有利である。大和方面の先鋒・後藤又兵衛隊は獅子奮迅の戦いをしたが何せ多勢に無勢である。何倍もの敵を倒せる訳もない。しかも、「大和方面の家康は影武者じゃ!」との情報で、もはやこれまでと高をくくった。
五月六日、緒戦は家康に軍配があがった。影武の首をとっても意味はない。後藤隊は残った兵士三百のうち二百を後続隊に残し、自分と百余りの兵で、小松山で幕府軍とやりあった。さすがは豪傑で知られる後藤又兵衛隊だが、所詮は多勢に無勢、後藤はまるで牛若丸を守る弁慶の如く、伊逹政宗隊と片倉小十郎(二代目)により戦死させられた。後続隊の薄田兼相隊も見事な最期であったという。一方の河内方面のほうが十二万兵であるから、こちらこそ敵は多勢に無勢、木村重成が戦死、長宗我部は一旦、大坂城に退いた。
 明石全登隊は行方不明に、真田幸村には十代の息子・真田大助がいたが真田幸村が「大助よ、大坂方の秀頼さまにご出陣の下知をいただきに戻れ!」という。「しかし…父上!」
「これは命令じゃ!大坂城にて秀頼さまを守り秀頼さまとともに生きよ!」
真田大助は涙をはらはら流しながら「はっ!」といい、騎馬で大坂城に戻っていった。
五月六日の夜、真田幸村、毛利勝永、長宗我部らは戦線を退いて、大坂城にほど近い天王寺に集結、最後の軍議を開く。城の防備は無に等しく、大坂方は一か八かの翌日の夜戦に望みを託す他になかった。それは事実上の背水の陣…………
家康は愉悦の絶頂にあった。七十年の生涯求め続けた完全な天下が目前なのである。
「散々わしを見下した豊臣が、明日!滅ぶ!わははは、あの世で歯噛みするがいい!秀吉め!」
「家康さま!まだ戦は明日も…」
「ふははは!笑止千万!死にぞこないの浪人と餓鬼に何ができる?!明日、わしはすべての武士の頂点に立つ!すべての!」
 翌日、その死にぞこないの真田幸村・毛利勝永部隊は正面から突破しようと騎馬軍団で突撃しようと全速力で迫った。慶長二十年(一六一七)五月七日、もはや戦はおわりじゃ、と鎧や具足を脱いだ家康の前に真田幸村が迫るのである。
最初に立ちふさがるのは幕府先鋒越前大名・松平忠直軍隊(家康の次男・秀康の息子)である。「もはや多勢に無勢!大坂方の大将の首をとれば恩賞は思いのままだぞ!」
「進め!立ち止まるな!家康の首以外は目もくれるな!」兜に鹿の角の紅蓮の炎、真田隊が突っ走ってくる。
そこに間者が「う、裏切りだ―!紀州の浅野長晟(ながあきら)が大坂に寝返った!」
「我らの背後に迫っているぞー!」とやる。「ひいいいつ!」「にげろー!」浅野長晟はこの時4万の大軍を率いていた。長晟の父・長政は豊臣五奉行のひとりであり、裏切りの情報に信憑性があった。無論、幸村が放った内偵による流言である。だが、これにより越前兵は統率を失い、もはや幸村の敵ではない。
 また幸村は自分の影武者を何人もいろいろな場所に出現させる手にも出た。
駆ける!駆ける幸村!紅蓮の炎のような部隊が家康本陣に迫ってくる。
「ひいいいいいっ!何じゃ!わしは誰と戦っておるのじゃ?!」
「家康さまお逃げくだされ!」
「ひいいいいぃぃっ!」
やがて徳川の幔幕が切り裂かれ馬上から真田幸村が斬り込む。
「家康!覚悟!その首を血でかざれー!」
だが、家康は馬で逃げた。失禁しながらも信玄から逃げた三方が原のときのように遁走した。逃げても、逃げても幸村が追ってくる。「家康―!家康―!」
「ひいいいっ!誰かたすけてー!ひいいいつ!」
 だが、多勢に無勢であることにかわりはない。やがて、真田幸村は神社の前で戦死する。
「この……真田…ゆ…幸村……御屋形さまのもとに……昇天する……」紅蓮の炎が、昇天した。神に意思があったとしか思えない。この戦国時代の終りに真田幸村のような天才が最後に紅蓮の炎のように燃え上がり、最後は昇り竜の如く、紅蓮の炎となり昇天した。こうして真田幸村の生き様は、伝説、と、なった。

「また真田紋か」
「影武者か?」「おそらくは…」
「捜せ!敵より先に大御所様を見つけるのだ!」幕府総大将二代将軍・徳川秀忠は命じた。
「殿―!見つけましたー!」
 家康は本陣よりはるか遠方の平野の小川の近くで発見された。失禁で糞尿まみれになり、泥だらけで恐怖で小刻みに震えた家康には幕府初代将軍の威厳はなく、ただ死への恐怖と虚無がはりついているだけである。家康が死ぬのはこの一年後のことである。
毛利勝永隊が突入したときには徳川家康本陣は空であった。そこに鬨の声をあげる真田の姿はなく、四方から殺到する幕府軍増援隊の動きを受け、毛利隊は撤退した。明石全登の遊撃や後方の大野治長隊も善戦空しく敗走。ついに大坂城は陥落した。
大坂では女子供を奴隷にしようと略奪戦が始まり、阿鼻叫喚の地獄絵図のようなことになった。大坂城が燃え尽きた翌日、五月八日正午、豊臣秀頼と母親の淀君と、帰還した毛利勝永、大野治長が城内の蔵にこもり、眠れぬ夜を明かした。秀頼の正室であり秀忠の娘・千姫に助命嘆願したが、秀忠は許さなかった。朝日が蔵に差し込んでくる。「もはやこれまで!豊臣の幕をおろそう」
「真田大助殿、貴殿は我らと違い幸村殿の命でここにいるだけだ。今投降すれば家康も命はとりますまい。堂々とここを出ていかれよ」「いいえ……毛利殿。今更皆様を置いて生き延びるわけにはまいりません。冥途の道は暗うございます。私は真田の嫡男として皆様の旅路の灯りとなりましょう」
「なるほど。大助殿大義であった!」秀頼(享年23歳)などは自害して、やがて火薬を爆発させて果てた。こうして豊臣家は根絶やし、豊臣家は滅亡した。
そして、真田幸村の戦いは、これで永遠におわった。
                   
おわり


西郷隆盛 おいどん!巨眼の男 西郷隆盛の生涯<プロローグ>西郷野に下る

2014年05月28日 17時47分04秒 | 日記





  1 西郷野に下る





  その日の午前、東京はどしゃぶりの雨であった。
 明治三年四月十一日、西郷隆盛は『征韓論』にやぶれた。
 大久保利道(一蔵、前まで正助)は参議の執務室で頭を抱えてしまった。
「なにごてでごわす? 西郷どん……なにごて?!」
 大久保には西郷の気が知れなかった。「なにごて朝鮮にこだわるのでごわすか……とにかく西郷どんを連れ戻すしかなかばい! しんどいど!」
  大久保の命令で、明治政府の軍人兵士たちは西郷隆盛を探しまわった。
「西郷先生はどこじゃ?! 西郷先生はどこじゃ?!」足にゲートルをまき、黒い服に黄色い縁帽子をかぶった官軍(明治政府軍)兵士たちは雨でずぶ濡れになりながら、駆けた。                     
 当の西郷吉之助(隆盛)は麻の羽織りをきて、傘をさして陰にいる。
 兵士たちは彼には気付かなかった。
 西郷は神妙な面持ちで、暗い顔をしていた。今にも世界が破滅するような感覚を西郷隆盛は覚えた。……おいの負けじゃっどん。
 実はこのとき、西郷吉之助は参議(明治政府の内閣)に辞表を提出し、野に下ったのである。西郷は維新後の薩長政府の腐敗ぶりをなげく。
”人民が「あんなに一生懸命働いては、お気の毒だ」というほどに国事をつかさどる者が働きぬかなくては、よい政治はおこなえない。理想的な政治家なら、薩摩も長州もないはずだ。しかるに、草創のはじめにたちながら、政治家も官僚も色食や銭にまみれている。 働く場所をうしなった侍(士族)たちの不満が爆発しそうだ。「そいを、わしゃ最もおそれる」”
 辞表をうけとった親友でもある参議・大久保利通(一蔵)は悔しさに顔をゆがませた。「わかりもはん。なぜごて、西郷どんは辞めるのでごわすか?」
 大久保は耳元から顎までのびる黒髭を指でなでた。「朝鮮などどうでもよかとに」                           
 伊藤博文は「西郷先生は何故に朝鮮にこだわるのでしょう?」と大久保にきいた。
「西郷どんは思いきりがよすぎとる。困り申した。あの頑固さは昔から禅をやっていたせいでごわそ」
 西郷隆盛の弟の西郷従道(慎吾)がやってきて「兄さんが辞めとうたとは本当でごわすか?」ときいた。子供のときから西郷隆盛と過ごした大久保は残念がった。
 吉之助は山岡鉄太郎(鉄舟)の屋敷にころがりこんだ。山岡鉄太郎は、清河八郎とともに『新選組』の発足に尽力したひとである。
「どうしました? 西郷先生?」鉄太郎はゆっくりと尋ねた。
「………やぶれもうした」
 力なく、呟くように吉之助はいった。
「それは、『征韓論』ですか?」
「そいでごわそ。死に場所をなくし申した」西郷はうなった。
 山岡鉄太郎は「なぜ西郷先生は朝鮮にこだわり、攻めようとするのです?」ときいた。「攻める訳ではござりもはん」西郷は続けた。「ただ、朝鮮においがいき、友好関係をば築くのでごわす」
「…では『征韓論』ではなく『親韓論』ですな?」
「そうでごわす」西郷は頷いた。「おいの考えがいつの間にか朝鮮を征伐する……などとごて変えられたのでごわす。何とも情けなく思っちょる」
 こうして、西郷隆盛は野に下った。
 そして、明治十年二月、『西南戦争』が勃発する。
 なお、この物語の参考文献はウィキペディア、ネタバレ、堺屋太一著作、司馬遼太郎著作、童門冬二著作、池宮彰一郎著作「小説 高杉晋作」、津本陽著作「私に帰らず 勝海舟」、日本テレビドラマ映像資料「田原坂」「五稜郭」「奇兵隊」、NHK映像資料「歴史ヒストリア」「その時歴史が動いた」大河ドラマ「龍馬伝」「篤姫」「新撰組!」「八重の桜」「坂の上の雲」、「花燃ゆ(この作品執筆時まだ放送前)」漫画「おーい!竜馬」一巻~十四巻(原作・武田鉄矢、作画・小山ゆう、小学館文庫(漫画的資料))、他の複数の歴史文献。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作ではありません。引用です。
なおここから数十行の文章は小林よしのり氏の著作・『ゴーマニズム宣言スペシャル小林よしのり「大東亜論 第5章 明治6年の政変」』小学館SAPIO誌2014年6月号小林よしのり著作漫画、72ページ~78ページからの文献を参考にしています。
 盗作ではなくあくまで引用です。前述した参考文献も考慮して引用し、創作しています。盗作だの無断引用だの文句をつけるのはやめてください。
  この頃、決まって政治に関心ある者たちの話題に上ったのは「明治6年の政変」のことだった。
 明治6年(1873)10月、明治政府首脳が真っ二つに分裂。西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣の五人の参謀が一斉に辞職した大事件である。
 この事件は、通説では「征韓論」を唱える西郷派(外圧派)と、これに反対する大久保派(内治派)の対立と長らく言われていきた。そしてその背景には、「岩倉使節団」として欧米を回り、見聞を広めてきた大久保派と、その間、日本で留守政府をに司っていた西郷派の価値観の違いがあるとされていた。しかし、この通説は誤りだったと歴史家や専門家たちにより明らかになっている。
 そもそも西郷は「征韓論」つまり、武力をもって韓国を従えようという主張をしたのではない。西郷はあくまでも交渉によって国交を樹立しようとしたのだ。つまり「親韓論」だ。西郷の幕末の行動を見てみると、第一次長州征伐でも戊辰戦争でも、まず強硬姿勢を示し、武力行使に向けて圧倒な準備を整えて、圧力をかけながら、同時に交渉による解決の可能性を徹底的に探り、土壇場では自ら先方に乗り込んで話をつけるという方法を採っている。勝海舟との談判による江戸無血開城がその最たるものである。
 西郷は朝鮮に対しても同じ方法で、成功させる自信があったのだろう。
 西郷は自分が使節となって出向き、そこで殺されることで、武力行使の大義名分ができるとも発言したが、これも武力行使ありきの「征韓論」とは違う。
 これは裏を返せば、使節が殺されない限り、武力行使はできない、と、日本側を抑えている発言なのである。そして西郷は自分が殺されることはないと確信していたようだ。
 朝鮮を近代化せねばという目的では西郷と板垣は一致。だが、手段は板垣こそ武力でと主張する「征韓論」。西郷は交渉によってと考えていたが、板垣を抑える為に「自分が殺されたら」と方便を主張。板垣も納得した。
 一方、岩倉使節団で欧米を見てきた大久保らには、留守政府の方針が現実に合わないものに見えたという通説も、勝者の後付けだと歴史家は分析する。
 そもそも岩倉使節団は実際には惨憺たる大失敗だったのである。当初、使節団は大隈重信が計画し、数名の小規模なものになるはずだった。
 ところが外交の主導権を薩長で握りたいと考えた大久保利通が岩倉具視を擁して、計画を横取りし、規模はどんどん膨れ上がり、総勢100人以上の大使節団となったのだ。
 使節団の目的は国際親善と条約改正の準備のための調査に限られ、条約改正交渉自体は含まれていなかった。
しかし功を焦った大久保や伊藤博文が米国に着くと独断で条約改正交渉に乗り出す。だが、本来の使命ではないので、交渉に必要な全権委任状がなく、それを交付してもらうためだけに、大久保・伊藤の2人が東京に引き返した。大使節団は、大久保・伊藤が戻ってくるまで4か月もワシントンで空しく足止めされた。大幅な日程の狂いが生じ、10か月半で帰国するはずが、20か月もかかり、貴重な国費をただ蕩尽(とうじん)するだけに終わってしまったのだ。
 一方で、その間、東京の留守政府は、「身分制度の撤廃」「地租改正」「学制頒布」などの新施策を次々に打ち出し、着実に成果を挙げていた。
 帰国後、政治生命の危機を感じた大久保は、留守政府から実権を奪取しようと策謀し、これが「明治6年の政変」となったのだ。大久保が目の敵にしたのは、板垣退助と江藤新平であり、西郷は巻き添えを食らった形だった。
 西郷の朝鮮への使節派遣は閣議で決定し、勅令まで下っていた。それを大久保は権力が欲しいためだけに握りつぶすという無法をおこなった。もはや朝鮮問題など、どうでもよくなってしまった。
 ただ国内の権力闘争だけがあったのだ。こうして一種のクーデターにより、政権は薩長閥に握られた。
 しかも彼ら(大久保や伊藤ら)の多くは20か月にも及んだ外遊で洗脳されすっかり「西洋かぶれ」になっていた。もはや政治どころではない。国益や政治・経済の自由どころではない。
 西郷や板垣らを失った明治政府は誤った方向へと道をすすむ。日清戦争、日露戦争、そして泥沼の太平洋戦争へ……歴史の歯車が狂い始めた。

  坂本竜馬はいつぞやの土佐藩の山内容堂公の家臣の美貌の娘・お田鶴さまと、江戸で偶然出会った。お田鶴は徳川幕府の旗本のお坊ちゃまと結婚し、江戸暮らしをはじめていて、龍馬は江戸の千葉道場に学ぶために故郷・土佐を旅立っていた。
「お田鶴(たづ)さまお久ぶりです」「竜馬……元気そうですね。」ふたりは江戸の街を歩いた。「江戸はいいですね。こうして二人で歩いてもとがめる人がいない……」「ああ!ほんに江戸はええぜよ!」
 忘れてはならないのは龍馬とお田鶴さまは夜這いや恋人のような仲であったことである。二人は小さな神社の賽銭箱横にすわった。まだ昼ごろである。
「幸せそうじゃの、お田鶴さま。旦那様は優しい人ですろうか?」「つまらぬ人です。旗本のたいくつなお坊ちゃま。幸せそうに見えるなら今、龍馬に会えたからです」「は……はあ」「わたしはあの夜以来、龍馬のことを想わぬ日は有りませぬ。人妻のわたしは抜け殻、夜……抱かれている時も、心は龍馬に抱かれています。お前はわたしのことなど忘れてしまいましたか?」「わ、忘れちょりゃせんですきに」
 二人はいいムードにおちいり、境内、神社のせまい中にはいった。「お田鶴さま」「竜馬」
「なぜお田鶴さまのような方が、幸せな結婚ができなかったんじゃ…どうしちゅうたらお田鶴さまを幸せに出来るんじゃ?!」
そんなとき神社の鈴を鳴らし、柏手を打ち、涙ながらに祈る男が訪れた。面長な痩せた男・吉田松陰である。
「なにとぞ護国大明神!この日の本をお守りくだされ!我が命に代えても、なにとぞこの日の本をお守りくだされ!」
 龍馬たちは唖然として音をたててしまった。
「おお!返事をなさった!護国大明神!わが祈りをお聞き入れくださりますか!」松陰は門を開けて神社内にはいり無言になった。
 龍馬とお田鶴も唖然として何も言えない。
「お二人は護国大明神でありますか?」
「いや、わしは土佐の坂本竜馬、こちらはお田鶴さまです。すまんのう。幼馴染なものでこんな所で話し込んじょりました」
 松陰は「そうですか。では、どうぞごゆっくり…」と心ここにあらずでまた仏像に祈り続けた。
「護国大明神!このままではこの日の本は滅びます。北はオロシア、西にはフランス、エゲレス、東よりメリケンがこの日の本に攻めてまいります!吉田松陰、もはや命は捨てております!幕府を倒し、新しき政府をつくらねばこの国は夷人(えびすじん)どもの奴隷国となってしまいます!なにとぞわたくしに歴史を変えるほどの力をお与えください」
 松陰は涙をハラハラ流し祈り続けた。龍馬とお田鶴は唖然とするしかない。しばらくして松陰は「お二人とも私の今の祈願は、くれぐれも内密に…」といい、龍馬とお田鶴がわかったと頷くと駿馬の如くどこぞかに去った。
 すると次に四人の侍が来た。「おい、武家姿の御仁を見かけなかったか?」狐目の男が竜馬たちにきいた。
「あっ、見かけた」
「なに!どちらにいかれた?!」
「それが……秘密といわれたから…いえんぜよ」
「なにい!」狐目の男が鯉口を切ろうとした。「まあ、晋作」
「わたしは長州藩の桂小五郎と申します。捜しておられるのは我らの師吉田松陰という御仁です。すばらしいお方じゃが、まるで爆弾のようなお人柄、弟子として探しているんだ。頼む!お教え願いたい」
 四人の武士は高杉晋作、桂小五郎(のちの木戸孝允)、久坂玄瑞、伊藤俊輔(のちの伊藤博文)であった。
 龍馬は唖然としながらも「なるほど、爆弾のようなお方じゃった。確かに独り歩きはあぶなそうな人だな、その方は前の道を右へ走って行かれたよ」
「かたじけない。ごめん!」
 四人も駿馬の如しだ。だが、狐目の男(高杉晋作)は「おい!逢引も楽しかろうが……世間ではもっと楽しい事が起きてるぞ!」と振り返り言った。
「なにが起こっちゅうがよ?」
「浦賀沖に、アメリカ国の黒船が攻めてきた!いよいよ大戦がはじまるぜ!」そういうと晋作も去った。
「黒船……?」竜馬にはわからなかった。

 吉田松陰は黒船に密航しようとして大失敗した。松陰は、徳川幕府で三百年も日本が眠り続けたこと、西欧列強に留学して文明や蒸気機関などの最先端技術を学ばなければいかんともしがたい、と理解する稀有な日本人であった。
 だが、幕府だって馬鹿じゃない。黒船をみて、外国には勝てない、とわかったからこその日米不平等条約の締結である。
 吉田松陰はまたも黒船に密航を企て、幕府の役人に捕縛された。幕府の役人は殴る蹴る。野次馬が遠巻きに見物していた。「黒船に密航しようとしたんだとさ」「狂人か?」
「先生!先生!」「下がれ!下がれ!」長州藩の例の四人は号泣しながら、がくりと失意の膝を地面に落とし、泣き叫ぶしかない。
 松陰は殴られ捕縛されながらも「私は、狂人です!どうぞ、狂人になってください!そうしなければこの日の本は異国人の奴隷国となります!狂い戦ってください!二百年後、三百年後の日本の若者たちのためにも、今、あなた方のその熱き命を、捧げてください!!」
「先生!」晋作らは泣き崩れた。
 黒船密航の罪で下田の監獄に入れられていた吉田松陰は、判決が下り、萩の野山獄へと東海道を護送されていた。
 唐丸籠(とうまるかご)という囚人用の籠の中で何度も殴られたのか顔や体は傷血だらけ。手足は縛られていた。だが、吉田松陰は叫び続けた。
「もはや、幕府はなんの役にも立ちませぬ!幕府は黒船の影におびえ、ただ夷人にへつらいつくろうのみ!」役人たちは棒で松陰を突いて、ボコボコにする。
「うるさい!この野郎!」「いい加減にだまらぬか!」
「若者よ、今こそ立ち上がれ!異国はこの日の本を植民地、奴隷国にしようとねらっているのだぞ!若者たちよ、腰抜け幕府にかわって立ち上がれ!この日の本を守る、熱き志士となれ!」
 またも役人は棒で松陰をぼこぼこにした。桂小五郎たちは遠くで下唇を噛んでいた。
「耐えるんだ、皆!我々まで囚われの身になったら、誰が先生の御意志を貫徹するのだ?!」涙涙ばかりである。
  江戸伝馬町獄舎……松陰自身は将軍後継問題にもかかわりを持たず、朝廷に画策したこともなかったが、その言動の激しさが影響力のある危険人物であると、井伊大老の片腕、長野主膳に目をつけられていた。安政六年(一八五九年)遠島であった判決が井伊直弼自身の手で死罪と書き改められた。それは切腹でなく屈辱的な斬首である。そのことを告げられた松陰は取り乱しもせず、静かに獄中で囚人服のまま歌を書き残す。
 やがて死刑場に松陰は両手を背中で縛られ、白い死に装束のまま連れてこられた。
 柵越しに伊藤や妹の文、桂小五郎らが涙を流しながら見ていた。「せ、先生!先生!」「兄やーん!兄やーん!」
 座らされた。松陰は「目隠しはいりませぬ。私は罪人ではない」といい、断った。強面の抑えのおとこふたりにも「あなた方も離れていなされ、私は決して暴れたりいたせぬ」と言った。
 介錯役の侍は「見事なお覚悟である」といった。
 松陰はすべてを悟ったように前の地面の穴を見ながら「ここに……私の首が落ちるのですね……」と囁くように言った。雨が降ってくる。松陰は涙した。
 そして幕府役人たちに「幕府のみなさん、私たちの先祖が永きにわたり…暮らし……慈(いつく)しんだこの大地、またこの先、子孫たちが、守り慈しんでいかねばならぬ、愛しき大地、この日の本を、どうか……異国に攻められないよう…お願い申す……私の愛する…この日の本をお守りくだされ!」
 役人は戸惑った顔をした。松陰は天を仰いだ。もう未練はない。「百年後……二百年後の日本の為に…」
 しばらくして松陰は「どうもお待たせいたした。どうぞ」と首を下げた。
「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちるとも、留め置かまし大和魂!」松陰は言った。この松陰の残した歌が、日の本に眠っていた若き志士たちを、ふるい立たせたのである。
「ごめん!」
 吉田松陰の首は落ちた。
 雨の中、長州藩の桂小五郎らは遺体を引き取りに役所の門前にきた。皆、遺体にすがって号泣している。掛けられた藁布団をとると首がない。
 高杉晋作は怒号を発した。「首がないぞ!先生の首はどうしたー!」
「大老井伊直弼様が首を検めますゆえお返しできませぬ」
 長州ものは顔面蒼白である。雨が激しい。
「拙者が介錯いたしました……吉田殿は敬服するほどあっぱれなご最期であらせられました」
 ……身はたとえ武蔵の野辺に朽ちるとも、留め置かまし大和魂!
 長州ものたちは号泣しながら天を恨んだ。晋作は大声で天に叫んだ、
「是非に大老殿のお伝えくだされ!松陰先生の首は、この高杉が必ず取り返しに来ると!聞け―幕府!きさまら松陰先生を殺したことを、きっと悔やむ日が来るぞ!この高杉晋作がきっと後悔させてやる!」
 雨が激しさを増す。まるで天が泣いているが如し、であった。

緑川鷲羽からのアドバイス「精神疾患や癌や難病は祈祷では治らない」

2014年05月28日 17時44分32秒 | 日記




精神疾患や癌や難病は祈祷ではなおらない

 これは若者というより保護者にたいしてのアドバイスですが、「鬱病」「認知症」「癌」「ダウン症」「リトルインテリジェンス」等の病気になると必ず「悪い輩」が寄ってきて「食い物」にしようとします。私と母親も騙されましたが、私の場合は「鬱病」になったばかりのとき関西出身の祈祷者(オカルト)が何故か地元にいて、「悪い霊が憑いている。お不動さん(不動明王のこと)に祈れば病気がよくなる」といいオカルトの自宅の部屋に不動明王の木像があり、オカルトおばさんは祈祷して1日に三千円×6か月でした。もちろん病気は治る訳もなく、逆に祈祷師の手前、精神科から処方される薬を無理に断った為に具合が悪くなりました。まあ、宗教上のこともあるので「神などいない。悪魔などいない。霊などいない」というのは言い過ぎなのかも知れません。
 ですが、そういう弱い所をついてきて金を毟り取ろうという悪い輩は確実に存在します。いじめに遭ったり、精神が不安定になったり、癌になったり、難病になったり、それは様々でしょうが「神に祈祷したって病気は治らない。病気なら病院に行け」ということです。祈祷だの悪霊払いだの「金儲けの手段」なだけです。神や木像に祈ただけでうつ病や癌が治るなら病院も医者も薬もいりません。新聞などで「癌が治った!幸運がやってきた!」とか、「祈祷で病気が治る」といわれたらオカルト詐欺だ、と思って騙されず悪質すぎるなら警察に通報してください。とにかく「他人の弱みに付け込んで金を毟り取ろう」という「オレオレ詐欺師たち」にも似た連中です。「今日の運勢」くらいならまだ可愛い方ですが「悪魔がついている。祈祷して癌を治す」など100%詐欺だ、と考えてください。騙されないで下さい。何の為に病院や医者があるのか?簡単なことです。とにかく騙されないで!


サピオ インテリジェンスデータベース<世界を読むための情報羅針盤>2014年6月号Ⓒ佐藤優

2014年05月26日 19時27分05秒 | 日記





<SAPIO intelligence database<世界を読むための情報羅針盤>プーチンが発した「中国とは同盟しない」重要シグナル>小学館SAPIO・サピオ誌2014年6月号Ⓒ佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
東西冷戦終結の象徴でもあるG8体制が崩壊した。ロシアがウクライナのクリミア自治共和国を編入したことに対して、米国、EU(欧州連合)、日本などが対露経済制裁を発動し、さらにG8(日米英仏独伊加露)からロシアを排除する決定を行った(6月にロシアのソチで行うG8サミットをボイコットし、ベルギーのブリュッセルでG7サミット行った)。仮に今後G8にロシアが復帰する場面があったとしても、G8は米露が自らの政治宣伝(プロパガンダ)を展開する場になり、国際社会の重要問題を建設的に解決することはできない。冷戦には2つの特徴がある。第一は、共産主義対資本主義というイデオロギー対立だ。ロシアも米国、EU、日本も資本主義国で、政治指導部が国民による投票によって形成される。ウクライナ問題を巡っても、ロシアと米・EU・日の間にイデオロギー対立は存在しない。第二の特徴は、ブロック間対立だ。ウクライナ問題をめぐっては、ロシアを全面的に支持し、ブロックを形成する国はない。イデオロギーに基づくブロック間対立という特徴を有していない現下のロシア・米・EU・日の対立を新冷戦と名付けるのは適当ではない。
 現在進行しているのは、主要国、国家連合(EUは独仏提携を基本とした広域帝国主義ブロック)の帝国主義的対立だ。主要国間の全面戦争を避ける傾向がある。仮に戦争になっても、それは主要国以外の場所(イラク、アフガニスタン、シリア、リビアなど)で行われる傾向がある。ロシアは戦争を望んでいない。ウクライナで、兄弟民族であるロシア人とウクライナ人が戦争を行えば、両者の民族対立がロシア国内に波及し、ロシアの国家体制を揺るがすことをプーチンが懸念しているからだ。ウクライナ暫定政権と米国は連邦化に激しく反発しているが、ウクライナにおける歴史的経緯、ロシア語常用者、正教信者の分布を考えた場合、連邦化は現実的な選択肢だ。さらには日本ではまったく報道されていないが、ウクライナの西部でスロバキア、ハンガリーと国境を接するザカルパチア地方の人々は「ルシン人」という自己意識を持っており、反ウクライナ、反スロバキア、親チェコ、新ロシアの感情が強い。この地方にもロシアへの編入要求が根強く存在する。ここでも地方政府に広範な自治権を持たないと今後、西ウクライナでも騒擾(そうじょう)が発生する危険がある。ロシアはウクライナ暫定政権の合法性を認めていない。しかし、2014年5月25日に行われたウクライナ大統領選挙の結果には、反対も反発もしていない。
大統領選挙で選ばれたポロシェンコ大統領とその政権の正統性をロシアは認め、事態の安定化に向けた交渉を行う用意があるということだ。ウクライナの暫定前政権は自国民に「テロリスト」というレッテルを貼り、対テロ作戦を仕掛けた。CIA(米国中央情報局)やSIS(英国秘密情報部、いわゆるMI6)など欧米のインテリジェンス機関との協力を深化させた。新大統領のポロシェンコ氏もその政権もそうだろう。危機感を抱くロシアもウクライナ領内にFSB(連邦保安庁)、GRU(軍参謀本部情報総局)に所属する秘密工作員を派遣し、ウクライナ新政権の権力を弱体化させようとしている。このような行動は国際法に違反する内政干渉で、断じて認められない。またプーチンは「中国との軍事政治同盟の形成など問題にしていない」と断言した。中露枢軸の形成を意図していないということだ。プーチンは、ロシアも中国も帝国主義国なので、適宜(てきぎ)取り引きをしながらも、それぞれの国益の極大化を図っていくことを考えているのである。

■ ~大前研一ニュースの視点~2014年5月16日大前研一氏談『人口減少問題・外国人受け入れ制度・国内財政~問題解決に必要な目標設定』人口減少問題、中長期国家目標で「50年後に1億人維持」。外国人受け入れ制度、高度人材、及び腰の「歓迎」、国内財政、国と地方の財政の長期試算を公表。▼ 感情論で否定せず、移民を受け入れる体制を整えるべき政府が「50年後(2060年代)に人口1億人程度を維持する」との中長期の国家目標を設けることが3日明らかになりました。日本の人口はこのままでは2060年に約8600万人まで減る見通しのため、2020年ごろまでに集中的に対策を進め、人口減少に歯止めをかける狙いとのことです。相変わらず、政治家や役人はずるい表現をするものです。「50年後」には誰も生きていないでしょうし、責任を問われることもないでしょう。ただし、政府にこのような態度を取らせてしまう責任は国民にもあります。日本が人口を維持するとなれば、計画的に移民を受け入れる以外に方法はないと私は思います。しかし日本人は移民の受け入れに、異常なほどマイナス感情を持っています。本来ならば、50年後といわず「数年後」と言いたいところなのでしょうが、国民感情を考えて50年後と言っているのだと思います。50年後と言いながら、徐々に国民に危機感を抱かせ、理解してもらうという手順を想定しているのでしょう。しかし私に言わせれば、逆にそれでは「危機感」は生まれてきません。50年後ではなく「5年後」と言うことで、強烈な危機感を抱かせるほうが良いと私は思います。そして、遅々として移民対策は進んでいません。政府は2012年5月から外国人受け入れの優遇制度を始めましたが、結局機能していません。これまで単純労働者は認めない一方、高度人材は歓迎すると説明してきましたが、実際の受け入れペースは鈍く、高度人材の認定数は今年1月までの20ヶ月間でおよそ900人、月50人程度のペースで法務省が見込んだ認定ペースの3分の1以下に留まるとのことです。世界の外国人労働力人口の割合を見れば、米国15%、ドイツ10%程度です。英国も最近大きく割合が上がってきています。そんな中、日本はほとんどゼロに等しい状況です。最近では、建設業界で人手不足のため一時的に外国人労働者を受け入れていますが、需要がなくなったら、再び本国に返してしまいます。これではダメなのです。人口減少、高齢化社会、労働人口不足は「構造的な」問題だからです。「外国人=犯罪」というイメージなどが強く、日本は異常なほど外国人アレルギーを持っています。それでも移民を受け入れ、2年間の教育制度を整備して、グリーンカードを配布するなどの施策を私は20年以上前から提唱しています。こんなことを言えば、周りから叩かれるので誰も言いたくないのでしょうが、本当の意味で日本の将来を考えれば、やらなければいけないことです。年間30万人以上の移民を受け入れなければ
間に合わないのだという事実を認識し、すぐに動き出してもらいたいと思います。▼ 国民の甘えが消えない限り、財政改善施策など無意味。人口問題と同様、今の日本にとって非常に大きな問題になっているのが「財政問題」です。財政制度等審議会が先月28日、国と地方の財政の長期試算を発表しました。2060年度に債務残高の対GDP比を100%に安定させるためには、2021年度から2026年度の6年間で、約12.71%~6.98%(約45兆円~81兆円)の収支改善が必要になるとのことです。常に無駄遣いをしてきた結果、今の借金だらけの状況を招いています。しかしそれでもまだ、日本は無駄遣いをやめません。なぜなら、無駄遣いをやめるよう緊縮財政を掲げると選挙に落ちるからです。すなわち、今の借金まみれの日本の状況は、甘えた国民・甘えた国家が招いたのだと私は思っています。80兆円の収支改善など、「今のままの甘えた」国民と国家では絶対に実行することはできないでしょう。おそらく、どこかのタイミングで市場から制裁を受けて、日本国債の暴落を招き、経済破綻という爆弾を落とされて痛い目に遭って、初めて改善への取り組みを始められるのではないかと思います。今回のような「試算」をいくら出したところで、マスコミも国民も実行することはないでしょう。政治家にしても、選挙になればまたリップサービスをするに決まっています。人口問題にしても、財政問題にしても、国民の甘えの結果とも言えます。この点を国民一人ひとりが強く意識することが大切ではないかと思います。


<移民政策「年間20万人」の前に少子化対策を!長野県南部下郷村にモデルケースあり大前移民政策

2014年05月22日 16時07分51秒 | 日記



<行政のスリム化で予算捻出、子育て世帯に格安住宅を提供する長野県下郷村 <増税してばら撒き公共事業、育休3年は大失策!安倍政権は出生率1・86の「奇跡の村」に学べ>>Ⓒ岸川貴文氏(ジャーナリスト)
移民受け入れの必要性と深く関係するのが少子化対策の成否だが、安倍政権はむしろ対策を後退させている。長野県南部に位置する人口約4000人の下郷村。91年に人口減少が底を打って出生率は高水準を維持し、人口構造では60代と50代の次に10代が多い。少子化を食い止めた「奇跡の村」と呼ばれる。下郷村は人口10万人の飯田市から車で30分。92年に就任した伊藤喜平村長によって大胆な少子化対策が進められた。中でも目玉となったのが97年から建設が始まった村営の「若者定住促進住宅」だ。「子供がいる/結婚の予定がある」などの入居条件を課し、2LDK(20坪)で家賃は3万3000円。飯田市の相場の約半額だ。「集合住宅タイプ124戸を整備し、12年度からは戸建ての建設費の10%を補助する事業(45歳未満が対象。上限100万円)を実施しています」(下郷村総務課)さらに高校卒業までの医療費無料化、村営保育所の保育料引下げ、義務教育の給食費40%補助などを実施。同村での出産・育児を望む入居者が集まった結果、年少人口(0~14歳)の比率16.8%は県トップとなった(10年)。「子供を育てられる環境」があれば、産みたいという若者は少なくないことを証明した。重要なのは財源である。伊藤村長はガソリンスタンド経営などの経験をもとに、職員の意識改革に着手。コスト意識を徹底させて職員数を大幅に削減した。「職員は32人(一般行政職)で、人口1000人あたり7.84人。類似規模団体平均(17.02人、総務省調べ)の半分以下の水準です」(同前)職員の生産性を倍にして、行政のスリム化を行ったのだ。道路現場では村民が自らミキサー車やコンクリート舗装を行う。日本では男性中心の雇用形態であり、女性が出産・育児となると会社を辞めねばならない。フルタイムでは働けず、パートは時給も安い。仕事を辞めても暮らせる男性と巡り会わず独身のままの女性や晩婚化が進んでいる。フランスやスウェーデンでは同一労働同一賃金が浸透し、雇用形態ではなく仕事の内容に応じて収入が決まる。安倍政権が打ち出した「育休3年間」もそうだが、日本では「女性が家で育児に専念できれば出生率が上がる」という考えが幅を利かせている。世界常識からみれば大きな間違いで、安定収入がなければ子育てはできないからだ。

<「長期的視座」付け焼刃の「足りないから入れる」だけでは必ず失敗する <右翼も左翼も関係ない、国を愛し憂うならば世界唯一の「ニッポン移民システム」を作れ>>Ⓒ大前研一氏(経営コンサルタント)「人間力の時代第78回」小学館SAPIO誌2014年6月号。
2050年の日本の人口ピラミッドは、男女とも70代後半が最も多く、低年齢になればなるほど少ない“モスラの幼虫型”になっている。このままだと生産年齢人口は大きく減少し、現在の国力を維持できないのは火を見るより明らかだ。そもそもデモグラフィーや人口ピラミッドが何のためにあるのかと言えば、国家の長期的な政策を決めるためである。いいかえれば人口に関することは教育などと並ぶ国の「基本計画」であり、それを変えるには少なくとも20年かかる。国家が(試行錯誤が必要な)人口問題を解決しようとする際にも20年以上かかるのは当然だろう。逆に言うと、20年かけずにその場しのぎで移民政策を進めたら必ず失敗する。たとえば25~30年前のバブル期、人手不足になった土木建築業や製造業で働くため、南米の日系人をはじめ、パキスタン、インド、イランなどから労働者が続々とやってきた。日本政府は単純労働の受け入れを認めていないため、彼らは観光ビザ、学生ビザなどで来日して不法就労の形で働き、それを政府も事実上、黙認してきた。ところがバブル崩壊で不景気になると、日本の大半の企業は不法就労の外国人労働者を容赦なく解雇して追い出した。なかには不法滞在して働き続ける外国人も少なくなかった。そうした付け焼刃な対応をしたため日本は評判を落とした。あるいは今シンガポールやUAE(アラブ首長国連邦)のアブダビはハイテクタウンを建設し、破格の待遇で世界中から優秀な研究者を集めている。だが、彼らはおおむね3年間で結果を出せなければ母国に帰国させられてしまう。そういう短期間で成果を求める不自然なやり方は、政策として上手くいかないと思う。永住を前提としてこそ「命がけで」その国の中で活躍し、その国に貢献しようとするのである。安倍晋三首相と政府は人手が不足している建設や高齢者介護、農業、家事サービスなどの分野で外国人労働者の受け入れを拡大する方針を示す一方で、「移民政策と誤解されないように配慮しつつ、検討を進めてほしい」と指示した。しかしそれでは25~30年前と同じ失敗を繰り返すだけである。政策には今年生まれの子供が15年、社会で活躍するのに30年かかる。重ねて言うが今後も日本が国力を維持する方法は移民の受け入れしかないし、今が最後のチャンスなのである。<移民政策3ステージ>ステージ①世界中から野心溢れる優秀な人材を年間1000人くらいずつ呼び込み、付加価値を作って富を創出する「グローバルステージ(舞台)」だ。代表的な例は、インド、イスラエル、台湾、ロシア、東欧などからトップ人材が集まっているアメリカのシリコンバレー(今はサンフランシスコ周辺を含めたベイエリアに地域が拡大している)だが、日本では、たとえば医療や環境など何種類かのステージがあってよい。ただし、それは1か所に集めてクラスター化し、1つの“生態系(エコシステム)”を形成しなければならない。立地場所も東京都圏、関西圏などだ。世界が魅力を感じる大都市の近くでないと優秀な人材が集まって来ない。そこにスタンフォードやMIT大のようなグローバルな大学教育施設をつくる事。筑波研究所や関西文化学術研究所などのような都会から離れた場所は論外だ。ステージ②医師、看護師、弁護士、消防士など「士(サムライ)」ビジネスの担い手だ。今後はそうしたプロフェッショナル領域の人たちが圧倒的に不足するので、世界から年間10万人規模で呼び込む必要がある。サムライビジネスの場合、そのスキルは世界でおおむね共通している。したがって自分の国でそれらの資格を取得して仕事をしていた外国人、あるいは日本で一定期間訓練を受けて技能試験の合格した外国人は、差別なく働けるようにすべきだと思う。インドネシアとフィリピンから看護研修生を招聘して、日本人でもパスするのが難しい日本語の国家試験を2年間以内で合格できなければ強制退去……こういうやり方は搾取であり、外国人でも母国ででも国家試験をパスしたなら、評判が良ければ日本で継続的に就業できるようにするべきだろう。外国人による介護や看護を敬遠する声もあるが、そんな悠長な事を言っていられる状況ではない。日本では65歳以上の高齢者人口は2025年に3657万人に達し、42年に3878万人でピークを迎える。60年には高齢化率は39.9%に達して国民の2・5人にひとりが高齢者になると見込まれている。今後は生産年齢人口である15~64歳が毎年約60万人ずつ減少していく。どう考えても介護や看護は外国人に任せるしかない。ステージ③一般労働者の場合。人口が減ってくると建設業者や漁業者など厳しい仕事の現場は人材確保が難しくなってきていくので、この領域に今後は外国人労働者を年間30万人規模で受け入れなければ立ち行かなくなると思う。とはいえ「人手が足りないからどんどん入れましょう」では、言語や習慣、文化などが理解できないまま日本で働き、生活することによる軋轢や、トラブルを生む懸念がある。となれば母国でしかるべき教育を受けて、日本で働きたい人材に関しては、政府が費用を負担して日本の学校で2年間、我が国の法律や言葉、社会習慣など基礎を学んでもらう。そして卒業試験の結果、問題なく生活できると判定されたら「日本版グリーンカード(国籍がなくとも永住することができる権利およびその資格証明書)」を発行して労働市場に出てもらえばよいと思う。他に例がない、外国人労働者の居住スラム化を防ぐ有効な手段となる。若い保守層に「移民の受け入れ反対」「治安が悪くなる」「スラム化する」「賃金が下がる」「職が奪われる」といささかヒステリーを起こしている人々が大勢いるが、60年代70年代の安保闘争や最近の脱原発デモのような「集団ヒステリー」でしかない。その愛国心・憂国心をもとに、もう少し長期的な視座にたって日本の将来を見ると、この国のためには移民はいずれ何らかの形で受け入れざる得ないという現実を直視できるようになると思う。「愛国者は移民受け入れに反対するべき」「移民政策は反日的」などといった二元論では問題は解決しない。「右翼」「左翼」というレッテルに惑わされることなく、この国の将来を真剣に考えるべき時が来ている。


■ ~大前研一ニュースの視点~2014年5月16日大前研一氏談『人口減少問題・外国人受け入れ制度・国内財政~問題解決に必要な目標設定』人口減少問題、中長期国家目標で「50年後に1億人維持」。外国人受け入れ制度、高度人材、及び腰の「歓迎」、国内財政、国と地方の財政の長期試算を公表。▼ 感情論で否定せず、移民を受け入れる体制を整えるべき政府が「50年後(2060年代)に人口1億人程度を維持する」との中長期の国家目標を設けることが3日明らかになりました。日本の人口はこのままでは2060年に約8600万人まで減る見通しのため、2020年ごろまでに集中的に対策を進め、人口減少に歯止めをかける狙いとのことです。相変わらず、政治家や役人はずるい表現をするものです。「50年後」には誰も生きていないでしょうし、責任を問われることもないでしょう。ただし、政府にこのような態度を取らせてしまう責任は国民にもあります。日本が人口を維持するとなれば、計画的に移民を受け入れる以外に方法はないと私は思います。しかし日本人は移民の受け入れに、異常なほどマイナス感情を持っています。本来ならば、50年後といわず「数年後」と言いたいところなのでしょうが、国民感情を考えて50年後と言っているのだと思います。50年後と言いながら、徐々に国民に危機感を抱かせ、理解してもらうという手順を想定しているのでしょう。しかし私に言わせれば、逆にそれでは「危機感」は生まれてきません。50年後ではなく「5年後」と言うことで、強烈な危機感を抱かせるほうが良いと私は思います。そして、遅々として移民対策は進んでいません。政府は2012年5月から外国人受け入れの優遇制度を始めましたが、結局機能していません。これまで単純労働者は認めない一方、高度人材は歓迎すると説明してきましたが、実際の受け入れペースは鈍く、高度人材の認定数は今年1月までの20ヶ月間でおよそ900人、月50人程度のペースで法務省が見込んだ認定ペースの3分の1以下に留まるとのことです。世界の外国人労働力人口の割合を見れば、米国15%、ドイツ10%程度です。英国も最近大きく割合が上がってきています。そんな中、日本はほとんどゼロに等しい状況です。最近では、建設業界で人手不足のため一時的に外国人労働者を受け入れていますが、需要がなくなったら、再び本国に返してしまいます。これではダメなのです。人口減少、高齢化社会、労働人口不足は「構造的な」問題だからです。「外国人=犯罪」というイメージなどが強く、日本は異常なほど外国人アレルギーを持っています。それでも移民を受け入れ、2年間の教育制度を整備して、グリーンカードを配布するなどの施策を私は20年以上前から提唱しています。こんなことを言えば、周りから叩かれるので誰も言いたくないのでしょうが、本当の意味で日本の将来を考えれば、やらなければいけないことです。年間30万人以上の移民を受け入れなければ
間に合わないのだという事実を認識し、すぐに動き出してもらいたいと思います。▼ 国民の甘えが消えない限り、財政改善施策など無意味。人口問題と同様、今の日本にとって非常に大きな問題になっているのが「財政問題」です。財政制度等審議会が先月28日、国と地方の財政の長期試算を発表しました。2060年度に債務残高の対GDP比を100%に安定させるためには、2021年度から2026年度の6年間で、約12.71%~6.98%(約45兆円~81兆円)の収支改善が必要になるとのことです。常に無駄遣いをしてきた結果、今の借金だらけの状況を招いています。しかしそれでもまだ、日本は無駄遣いをやめません。なぜなら、無駄遣いをやめるよう緊縮財政を掲げると選挙に落ちるからです。すなわち、今の借金まみれの日本の状況は、甘えた国民・甘えた国家が招いたのだと私は思っています。80兆円の収支改善など、「今のままの甘えた」国民と国家では絶対に実行することはできないでしょう。おそらく、どこかのタイミングで市場から制裁を受けて、日本国債の暴落を招き、経済破綻という爆弾を落とされて痛い目に遭って、初めて改善への取り組みを始められるのではないかと思います。今回のような「試算」をいくら出したところで、マスコミも国民も実行することはないでしょう。政治家にしても、選挙になればまたリップサービスをするに決まっています。人口問題にしても、財政問題にしても、国民の甘えの結果とも言えます。この点を国民一人ひとりが強く意識することが大切ではないかと思います。



<移民政策「年間20万人」の前に少子化対策を!長野県南部下郷村にモデルケースあり

2014年05月20日 14時20分17秒 | 日記




<単純労働者の移民を多く受け入れれば財政にマイナスになる <狭い日本に1億3000万人は定員オーバーだ。高付加価値経済なら「強く美しい小国」ができる>>Ⓒ森永卓郎氏(経済アナリスト)*「ドイツがこんなに苦しんでいるのになぜ日本は同じ轍を踏もうとするのか?」経済企画庁総合計画局で労働政策に携わっていた1980年代半ば、ドイツの政策担当者に言われたその言葉をいまも忘れる事が出来ない。ドイツの経済成長は、トルコなどからの移民による、との見方が短期的にはあった。だが、長期的にみてみると、彼らの為の住宅対策、失業対策、子弟の教育対策など莫大な社会コストが国民に跳ね返ってくる。低賃金の単純労働であれば納税額は小さく、財政にはマイナスだ。医療や年金などの社会保障も同様。外国人労働者は、その瞬間は気分がいいが後で躰全体がボロボロになる麻薬みたいなもの。日本の国益にならない。たとえ人口が減っても昭和初期は現在の人口の半数だった。やはり、移民に盲目的に頼るより三橋氏のいう様に生活保護者の働けるひとを再教育して……というほうが政策的には正しい。すでにヲタク文化は世界的に浸透し、「かわいい」はグローバルで通用する言葉となった。そうした海外での日本ブーム=ジャポネズムは歴史上、何度も起きている。「1億総アーティスト化」を実現できれば頭数をそろえる為の移民政策は必要ない。肝心なのは少子化対策、教育の投資であることは間違いがない。
<イギリスとニュージーランドの関係を日本の在日韓国朝鮮人にあてはめられるか EU型、英連邦型、北欧型………「外国人参政権」を論じるには、まず「国益」を示せ>Ⓒ小学館SAPIO編集部<外国人参政権を認める国には大きくわけて3タイプがある。第一はEUタイプ。「EU内において、地方参政権の相互的保障が各国に義務付けられている各国自国民の権利保障を目的とするもの」第二は英連邦タイプ「イギリスと連邦構成国などの間で相互に地方参政権が認められていることがある。歴史的経緯、文化的・言語的共通性を基礎とするものだ」第三は労働補充のタイプ「70年代から外国人に選挙権を与えていたスウェーデンがその典型。国内労働力の不足を補うため積極的に外国人労働者を受け入れ、彼らをスウェーデンの政治社会に統合することを目的とするものだった」><移民受け入れを拡充しようとすれば、参政権が必ず議論となる。「投票したいならば帰化すべき」という論はシンプルだが、それでは海外から優秀な人材は集められないと考える国も現にあり、幅広い議論が尽くされるべきだろう。>
<ある女子中学生はコリアンタウンで「在日クソチョンコ!虐殺を実行しますよ」と叫んだ。在日コリアン(約53万人)在日中国人(約65万人)との共生をぶち壊す先進国として恥ずかしいヘイトスピーチ>Ⓒ小学館SAPIO編集部<デモ参加の女子中学生が鶴橋大虐殺を宣言><ハーケンクロイツを掲げ、笑いながらデモ行進>移民を受け入れるかどうか以前に、日本を誰も来たがらないような差別国家にしてはならない。
<小林よしのり氏『大東亜論 血風士魂編』上記コメントよりⒸ小林よしのり氏>
<安倍晋三の異常さは度外れしている。が、その異常さが自称保守にはわからない。集団的自衛権の行使を政府解釈だけで容認し、閣議決定してしまう。事実上、憲法9条は改憲されたも同じ><わたしは憲法9条には疑義があるが、安倍のやり方が容認されたら、次に護憲政党が政権をとれば個別的自衛権も政府解釈で違憲とし、閣議決定できることになる。異常だ!><憲法96条の見直しで憲法改正手続きのハードルを下げようとし、それがダメなら閣議決定さけで解釈改憲してしまうと言う。安倍晋三は異常な「立憲主義」の破壊者である><個別的も集団的も国連憲章で認められているが、やはりそこまで変えるというなら、正々堂々と「憲法改正」に打って出るしかないだろう。姑息な道から立憲主義の破壊者というデタラメは許されるものではない><安倍晋三は解釈改憲について「最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙の審判を受ける」と言い放った。異常である。選挙で勝ちさえすれば、時の政権が憲法解釈を自由に決めていいのか?信じられない異常さだ><靖国参拝で米国に「失望」され、河野談話の見直しをしないと誓い、米国に日米韓の会談の仲裁をしてもらい、その負い目から「国賓待遇」でオバマを呼び、集団的自衛権でひたすら米軍に抱きつきたい安倍晋三は、米国の「政奴隷」だな><そもそも尖閣諸島を守るにせよ、米艦への攻撃に反撃するにせよ、個別的自衛権を強化すれば足りるものだ。むしろ個別的自衛権の強化をしないまま、米軍に頼ることを考える方が卑怯だろう>
<「日本語を話せない隣人」とどう付き合うか <すでにゴミ出し、学校、病院で悲鳴 避けて通れない「外国人」の重荷>>Ⓒ小学館SAPIO編集部
在日コリアン(約53万人)在日中国人(約65万人)在日フィリピン人ブラジル人(約20万人)、在日ベトナム人(約6万人)、在日ペルー人(約5万人)などが日本に住んでいる。彼らが数多く集まって暮らすエリアでは残念ながらトラブルが起きているのも事実だ。外国人との共存を目指す取り組みも多いが、歳月の経過とともに課題も生じてもいる。愛知県豊田市保見(ほみ)団地は住民約7100人のうち、日系ブラジル人を中心とした外国人住民が約3200人で外国人比率が最も高い地区のひとつであり、90年代には右翼の街宣車が押し寄せたこともある。厚労省によると、外国人の生活保護受給者は4万3479世帯(11年)。80年代以降に中国、ブラジル、フィリピンなどから来日した「ニューカマー」が中心となり、近年では年5000世帯のペースで急増している。日本生まれの外国人が増加し、「貧困の再生産」が生じていることも看過できない。「日本語のできない親元で育った子供(二世)が中学卒業後、定時制高校などに進学しても勉強についていけず、結局、ドロップアウトして親と同じように工場などで単純労働に就く。彼らは日本語もポルトガル語も十分に読み書きできない『ダブルリミテッド』のため、若くして結婚して子供(三世)をもうけても勉強を教えられない。結果、学校に行かず、自宅に引きこもって鬱気味の三世が増えています」『保見ヶ丘ラテンアメリカセンター』代表・首都大学東京の野元弘幸准教授(多文化教育)はそういう。「このまま貧困問題を放置すると、将来的に住民や警察が手を出せない、無法地帯の『外国人スラム』が生じる可能性すらある」とも。
<不法移民の“合法化”を狙うオバマ政権、中国人が占領するスペイン <移民受け入れ先進国の制度・法律とメリット、デメリットはどうなっているの?>>Ⓒ小学館SAPIO編集部
<米国>米国の移民人口は約458万人で、総人口の13%を占める。移民帰化法(INA)は、米国人の配偶者や未成年の子供がいる場合や、高度な人材を優先的に年間67万5000人まで移民として受け入れることを認めており、2010年度は42万2000人が新たに移住した。移民なしには経済が成り立たないと言われ、人手が足りないサービス業から高度な人材が欲しいIT業者まで移民受け入れには肯定的である。<スペイン>スペイン政府は外国人の移住に積極的だ。しかし、中身は労働者ほしさではなくカネひしさだ。中国人約16万人のうちスペインの風俗店、ビル、アパートを中国系移民が占領している。<フランス>戦後のフランスはムスリム系移民を大量に受け入れ、彼らが経済発展の原動力となった。ここ数年、その二世、三世がアイディンティティクライシス(自己喪失)に陥り、暴動を起こして治安を脅かしている。サルコジ政権時に移民排斥規制が強化された。<ドイツ>EUのエンジンで牽引車のドイツには移民が13年1月から半年間で55万5000人の移民が入国、前年比5万5000人増だった。ドイツは2020年までにさらに170万人の外国人労働者を必要としている。<オーストラリア>オーストラリアは労働力不足を補うために第二次世界大戦後、積極的に移民を受け入れてきた。そのうち移民人口は約650万人、総人口の4人に1人が外国生まれである。年間一万人以上の難民を受け入れ、審査を通過すれば居住を許可される。収容施設のコスト増が批判されている。
<行政のスリム化で予算捻出、子育て世帯に格安住宅を提供する長野県下郷村 <増税してばら撒き公共事業、育休3年は大失策!安倍政権は出生率1・86の「奇跡の村」に学べ>>Ⓒ岸川貴文氏(ジャーナリスト)
移民受け入れの必要性と深く関係するのが少子化対策の成否だが、安倍政権はむしろ対策を後退させている。長野県南部に位置する人口約4000人の下郷村。91年に人口減少が底を打って出生率は高水準を維持し、人口構造では60代と50代の次に10代が多い。少子化を食い止めた「奇跡の村」と呼ばれる。下郷村は人口10万人の飯田市から車で30分。92年に就任した伊藤喜平村長によって大胆な少子化対策が進められた。中でも目玉となったのが97年から建設が始まった村営の「若者定住促進住宅」だ。「子供がいる/結婚の予定がある」などの入居条件を課し、2LDK(20坪)で家賃は3万3000円。飯田市の相場の約半額だ。「集合住宅タイプ124戸を整備し、12年度からは戸建ての建設費の10%を補助する事業(45歳未満が対象。上限100万円)を実施しています」(下郷村総務課)さらに高校卒業までの医療費無料化、村営保育所の保育料引下げ、義務教育の給食費40%補助などを実施。同村での出産・育児を望む入居者が集まった結果、年少人口(0~14歳)の比率16.8%は県トップとなった(10年)。「子供を育てられる環境」があれば、産みたいという若者は少なくないことを証明した。重要なのは財源である。伊藤村長はガソリンスタンド経営などの経験をもとに、職員の意識改革に着手。コスト意識を徹底させて職員数を大幅に削減した。「職員は32人(一般行政職)で、人口1000人あたり7.84人。類似規模団体平均(17.02人、総務省調べ)の半分以下の水準です」(同前)職員の生産性を倍にして、行政のスリム化を行ったのだ。道路現場では村民が自らミキサー車やコンクリート舗装を行う。日本では男性中心の雇用形態であり、女性が出産・育児となると会社を辞めねばならない。フルタイムでは働けず、パートは時給も安い。仕事を辞めても暮らせる男性と巡り会わず独身のままの女性や晩婚化が進んでいる。フランスやスウェーデンでは同一労働同一賃金が浸透し、雇用形態ではなく仕事の内容に応じて収入が決まる。安倍政権が打ち出した「育休3年間」もそうだが、日本では「女性が家で育児に専念できれば出生率が上がる」という考えが幅を利かせている。世界常識からみれば大きな間違いで、安定収入がなければ子育てはできないからだ。


<小学館SAPIO(サピオ)誌2014年6月号「年間20万人受け入れ」でどうなる!?移民と在日外国人>

2014年05月18日 19時18分16秒 | 日記





小学館SAPIO(サピオ)誌2014年6月号<INVESTIGATIVE REPORT 政府・自民「年間20万人受け入れ」でどうなる!?移民と在日外国人><移民政策賛成派の意見>から。
*アメリカでは雇用は奪われなかったし、賃金も上がった<人口、GDPはもちろん年金もプラス、世界の実情が「移民は国を救う」と示している>Ⓒ法政大学准教授・小黒一正氏。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、出生率が現在のままだと2012年に1億2752万人だった人口は2060年に約8700万人まで減少する。生産年齢人口(15歳~64歳)も同期間に約8000万人から約4400万人まで減少し、高齢率は約4割に達する。●社会保障費増大。社会保障の最大の問題は世代間格差だ。年月とともに現役世代の負担が増す。内閣府の資料から、生涯における医療・介護・年金などの社会保障や教育など公共サービスを通じて政府部門から受ける受益と、税金や社会保険料として支払う負担の差額である「世代会計」を試算すると、60歳以上は4875万円の受益超過(黒字)。毎年1兆円ずつ膨張する社会保障関連費は若い世代を圧迫し、40代で172万円の支払い超過(赤字)、84年以降に生まれた将来世代は4585万円の支払い超過(赤字)となる。まさに「財政的幼児虐待」(ボストン大学・コトリコフ教授)なのだ。●国と地方の借金はGDPの2倍に達して、1000兆円を超す。人口減少でGDPが縮小すれば返済は大変困難となる。新規国債の発行ができなくなり、財政破綻もありうる。●マーケットの縮小。国連の試算(2004年)によると1950年に世界5位だった日本の人口は2000年に9位となった。それが2050年には15位までランクダウンする。その時点で上位を占めるのはインド、中国、パキスタン、インドネシアなど新興国で、トップ20に入る先進国はアメリカ(3位)と日本のみ。日本の強みは、国内に巨大な市場があったからだ。国内で十分な利益を上げて商品開発できるため、独自の新商品を生み出し、それを海外に輸出できた。マーケットが縮小すれば、新商品の開発もおぼつかなくなる。<移民受け入れのメリットが大きいのに誤解が多いため国民的合意が得られない。誤解の例を見てみよう>誤解①<賃金が下がる>最たるものが<外国人労働者の流入により自国労働者の賃金が低下する>との説だが、アメリカの研究(Ottaviano and peri[2006])はその誤りを明らかにした。研究では、自国労働者を「高校中退」「高卒」「大学中退」「大卒」の4ランクに分け、移民の流入による賃金の変化を1990年から2004年までトレースした。すると「高校中退」の賃金がわずかに低下(マイナス1.1%)したものの、残る3ランクの自国労働者の賃金は0.7%~3.4%上昇していた。4ランク平均で1.8%の賃金アップとなった。誤解②<雇用が奪われる>アメリカを見ていてもわかるように、移民の受け入れによって雇用が奪われることはない。日本の場合、安価労働者を海外に移転した工場の国内回帰が期待できる。法整備の違いなどのカントリーリスクを低減させたい企業にとって国内の移民労働者は大きな魅力になる。薔薇色ではないし当然リスクは伴うが、移民は無理だと言っている場合ではすでにない。誤解③<社会保障コストが増える><外国人が長期滞在すると年金、医療など社会保障のコストが増える>という説はまやかしである。前述したとおり、社会保障問題のポイントは受け手と担い手のバランスであり、高齢化率がどう推移するかだ。移民は大抵は、20~30代の若者だ。多くが数十年は担い手となるため、将来の高齢率は低下し、負担はむしろ軽減される。誤解④<生産性を上げればよい>人口が減る分、Ⅰ人当たりの実質GDPを上げればいいという意見がある。つまり生産性を上げるということだ。だが、2003~2012年の日本の1人当たりの実質GDP生産率の平均値(年率)は0.82%。同じ時期にオーストラリアが1.4%、アメリカが0.9%、イギリスが0.64%、フランスが0.45%、イタリアがマイナスo.67%だ。この中で日本は中位(4場目)の成長率である。メディアなどでたびたび日本の生産性の低さが指摘されるが、実際にはアメリカ並みで、さらに引き上げるのは現実的な目標とは言えない。危機を克服する切り札は、やはり移民政策だ。<主要国の総人口に占める移民の割合>ルクセンブルク32.1%、スイス27.3%、オーストラリア26.7%、イスラエル23.6%、ニュージーランド23.6%,、カナダ20.1%、アイルランド16.8%、オーストリア16.0%、スウェーデン15.1%、スペイン14.6%、ドイツ13.1%、アメリカ13.0%、ノルウェー12.4%、イギリス12.0%、フランス11.6%、オランダ11.4%、イタリア9.0%、ロシア7.9%、日本1.1%(OECD2013年資料より)また次に<移民政策反対派の意見>を述べます。*(緑川鷲羽自身は大前研一先生の移民政策に賛成です。これぞ第三の開国ですね)
<台湾では貧困で出生率が低下し、スウェーデンでは若い移民の40%が失業<生産年齢人口の年間減少幅は総人口の1%未満 国民の生産性を高めれば国力は維持できる>>Ⓒ三橋(みつはし)貴明氏
*前述したように各種データは移民の必要性を示している。ただし、人の営みはデータだけでは測れないし、国柄の違いも大きい。経済評論家の三橋高明氏は「日本経済再生に移民は不要」と断言する。***移民の受け入れには断固、反対だ。内閣府の経済諮問会議ワーキング・グループは「少子高齢化で生産年齢人口が減れば経済成長ができない」などと移民受け入れを提唱するが、それは明らかなまやかしだ。生産年齢人口が減っても経済成長が出来る。彼らが移民受け入れに積極的なのは「100年後の日本」「国家百年の計」ではない。真の狙いは「短期的な外国人労働者の拡充」である。だが、労働力不足を補う目的で安易に移民を受け入れれば、将来的にさばざまな社会問題が噴出するのは諸外国の例を見ても明らかだ。移民受け入れを議論する上で決して無視できないのが、移民の出生率の高さだ。移民第一世代はマイノリティだったとしても、世代を重ねることで勢力が拡充される。EU諸国ではそうした傾向が顕著に表れている。スペインの外国人比率は1980年代までに1%程度だったが、今では15%に迫っている。ドイツやスウェーデンも人口の約15%は外国人だ。スウェーデンでは移民の失業率が16%に上る。若い移民に至っては約40%に上る都市もあり、社会保障制度を蝕んでいる。文化や宗教上の対立など、移民を巡る社会問題も深刻だ。また、EU諸国から移民が急増したスイスでは今年2月、移民流入規制を巡る国民投票が実施され、過半数の50.3%が流入移民規制に賛成票を投じた。日本国政府は毎年20万人の移民受け入れることで100年後も人口1億人を維持できると試算するが、出生率の高い移民ばかりが増えれば、純粋な日本人は5000万人を切り、国民の半数以上が外国人という事態もあり得る。
<職を失った外国人労働者が日本の社会保障に群がる>震災復興や五輪特需などで不足する土木・建設業を中心とした単純労働従事者の確保がある。すでに自民党は外国人労働者の受け入れを拡大すべく、建設現場などで働く外国人技能実習生の在留期間を3年から最大で6年に延長する方針を打ち出している。しかし、彼らは労働者ではなく、あくまで技能実習生という立場のため、自給300円程度で働かされているケースがざらにある。まさに「奴隷労働」といえるが、そうした人々が「6年を過ぎたら解雇」と言われても、すんなり自国に戻るとは限らない。むしろ、どうにかして日本に残ろうとする不法滞在者が増えるだけだ。これは遠い将来の話ではない。五輪後は雇用期間を終えた大量の不法滞在者が街にあふれるだろう。仕事があればよいが、五輪特需が終われば仕事は減り職にあぶれることが予想される。職を失った外国人は生活の為に犯罪に手を染める可能性がある。バブル崩壊後に外国人が違法テレホンカードを売っていたのはその典型だ。外国人を期間限定でなく永住させる社会コストは莫大になる。彼らが失業すれば失業手当や生活保護などを支払わなければならない。「グローバリゼーションに逆らえば日本は衰退する」しかし、外国人頼みのグローバル化を進めれば、全体のGDP(国内総生産)は増えるかも知れないが、賃下げによって一人当たりのGDPは下がる。生産年齢人口が毎年減少するといっても、その数は総人口の1%未満に過ぎない。重要なのは生産性を高めることである。現在、生活保護受給者は216万人いるが、そのなかで就労可能な受給者は30万人に上るといわれている。そうした人たちに一人当たり100万円かけて職業訓練を施す手もある。わずか3000億円で済む話だ。土木・建設はもちろん、農業や医療、介護など人手が不足している業種で働ける人材を増やせば、生産性は向上する筈だ。日本で人手不足で土木・建設を外国人に任せれば、やがて日本人だけではインフラ整備が立ちいかなることも想定される。20~30年後には日本人が高層ビルを建てられなくなるかもしれない。「日本経済は日本国民が成長させる」という気概が必要だ。
<ヘイトスピーチは「日本人の心」に反す <外国人に「日本の価値観」を理解させるために私たち自身も伝統と美徳を取り戻すべきです>>Ⓒ櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)。アメリカは元々WASP(White Anglo-Saxon Protestantの略)と呼ばれる白人でアングロサクソン系のプロテスタントの人たちが政治や経済の中心にいて、彼らの価値観に基づいて作りあげてきた国家だと言えます。歴代大統領44人のうち、現在のオバマ大統領とカトリック教徒だったジョン・F・ケネディ氏を除く全員がWASPと分類される人々です(父親がアイルランド系のレーガン氏もWASPではないという意見があります)。最近、在日韓国人や在日朝鮮人に対するのヘイトスピーチが問題になっています。残念ながら日本人としての誇りや道徳が欠如していることの表れだと思います。根拠もなく日本人に罵詈雑言を浴びせ続ける中国人や韓国人と同じことをするとしたら、彼らと同じレベルに落ちてしまうことを自覚するべきです。地方では、フィリピンなどから来た花嫁が、うまく地域に溶け込んでいるケースが少なくないと聞きます。勿論うまくいかない事例もあるとは思いますが、むしろ地方のほうがしっかりと自分を守りつつ、外国人を受け入れているように感じます。それは言葉、食べ物、風習、そして宗教や教育も、都市より地方の方が濃密に「日本らしさ」を保っているからではないでしょうか。日本人らしさ、日本らしさ、をわすれなければ移民受け入れもうまくいくでしょう。
<「数合わせ」で同化できなければ新たな対立と差別を生む <茶碗の扱い、靴を揃える向き、電車の乗り方、私も苦しんだ文化や生活習慣の違いは大きな壁だ>>Ⓒ呉善花氏(評論家オ・ソンファ氏)「年間20万人」という数字ありきの移民政策はあまりに短絡的に思える。私自身(呉(オ)さん)の経験を踏まえて言えば、来日する移民が日本文化を理解し、社会に溶け込んでいくことは容易ではない。いわゆる「わびさび」や電車に並ぶ、出ていく人が先、モノを親しいひとにももらったら「ありがとう」、「つまらないものですが」「お世話様です」「いらっしゃいませ」敬語、謙譲語、カタカナ英語………慣れるまで何年間かかかる話です。「数」で解決しようとすると、大切なものがこぼれ落ちかねない。
<「建設労働者が足りないから」で安易に決めていないか <自民党国際人材議連・小池百合子会長に「移民受け入れ」と「将来のリスク」で直撃!>>Ⓒ小学館SAPIO編集部
<基本的な移民政策について認識をお聞きしたい>小池「まずお断りしておきますが、国際人材議連は「1000万人構想」を引き継いだ訳ではありません。ゼロベースで、わが国の持続、発展に何が必要かを考えていくのが目的です。ですから議連の名称は「移民」「推進」という言葉は使っていません。「移民」というと国民には強いアレルギーがある。」<安倍政権は目先の建設労働者不足から外国人労働者の受け入れを拡大したのでは?>小池「出稼ぎの労働者で、彼らはプロジェクトが終われば稼いだお金を持って自国に帰っていく。住み着くわけではありません。仕事とカネを求める外国人労働者と、労働不足を補える受け入れ先はウィンウィンの関係です。外国人研修生に多くを頼る農業でも、彼らは懸命に働き、農家の方の評価は高い」<単純労働者の受け入れは治安上の問題が大きいという指摘があるが?>小池「特に、建設など単純労働者は期限付きにして、工事が終われば帰国してもらうことを厳格にやらなければいけません。一方で、日本で研修を受けて医療や介護などの資格を取った能力のある人は働ける期間を長くするなど、日本社会に貢献してもらえるようにする。社会保障の面では相手国との条約を整備し、日本で働くことが不利にならないようにする制度作りも必要です。働く側も働く国を選択しますし」<そんなに都合よくいくのですか?期限付きの労働者では人口減をカバーすることにはならない。「移民」を入れるかどうかの課題は残るが?>小池「「移民」というのは非常に狭い見方です。UAE(アラブ首長国連合)の人口は約920万人ですが、その8割が外国人。しかし、国際人材であっても、私は地方参政権付与には否定的です。参政権を望むなら日本国籍の取得が不可欠です。国籍付与は、日本に必要な人材かどうか、こちらが厳選すればよいわけです」<親日的な国ならまだしも、反日教育をしている国から労働者を受け入れるのはリスクが大きい。受け入れる国を選別するべきと考えますか?>小池「国際人材でも中国人比率は高くなるでしょう。ノーリスクとは言いません。日本が国家として衰退するリスクに向き合う必要があります。世界に通用する人材を日本が確保するという決意で臨む必要があると考えます」
<朴正煕が私に語った欧米諸国になかった日本の先進性 <太古から世界の人材と文化を受け入れてきた日本の寛容を知れ>>Ⓒ石原慎太郎(作家・衆議院議員)<安倍首相が「外国人材の活用の仕組みを検討」するうよう指示した。どう評価するか?>石原「人口は国力と言い換えてもいいものです。このまま人口が減少すれば、国力の低下は必至です。現状がどうにもならんのだから労働力確保のためにも、移民を受け入れるべきだ。私は10年以上前から移民が必要だと説いてきました。一生懸命働いて慣れてきたところで「期限が来たから帰れ」とは酷でしょう。日本の生活に溶け込み、日本を愛しているならば、安住する道があってもよい。私は八丈島に行くことがあるのですが、そこに釣り名人の親子がやっているおいしい寿司屋があります。跡取り息子のところに嫁がこなくて周囲が心配したところ、フィリピン女性と結婚した。当初は反対していた周囲も1年後、子供が生まれ、奥さんが家族に溶け込もうと努力した結果、今では「こんな素晴らしい嫁はいない」と実家からも大変信頼されている。これは理想形のひとつです」<移民反対派には、今でも「日本は単一民族国家」という考えが根強くある>石原「それは間違った認識です。日本人の民族的ルーツは東西南北あちらこちらにある。日本に早くから住んでいたのはアイヌや沖縄人であって、その他はシナ大陸(中国大陸)や朝鮮半島から渡来しました。細かなルーツを辿ると、インドやモンゴル、南方のポリネシアやメラネシアにまで及んでいる。沖縄・八重山列島のアカマタ・クロマタや鹿児島・悪石島に伝わるボゼなどの秘祭は、メラネシアのそれと非常に似ています。私の父はインド系の顔をしていました。母は典型的なシナ人(中国人)の顔つきでした」<移民政策が治安を悪化させるとの声がある。現に在日外国人の犯罪が増えているが>石原「都知事時代、池袋の中国人街を視察したことがあります。中国語で書かれた同胞向けの新聞が何紙も発行されていた。日本語を習っている中国人向けに、「探偵募集」の求人広告がありました。日本語を習っている最中の若者が探偵の手伝いなどできるのかと質すと、実は泥棒の見張りだという。外国人犯罪をいかに防ぐかは大きな課題です。また、不法就労、不法入国がまかり通っているから治安問題が生じていると考える事も出来ます」<受け入れる日本側にも問題はないか?>石原「例えば入国管理の手続きの煩雑さなど、外国人に対する「壁」が多すぎます。元サッカー日本代表のラモス瑠偉さんはかつて「指導者の資格を得るための日本語が難解すぎる」とこぼしていた。川淵三郎さん(元日本サッカー協会会長)にそのことを話したら、早速改善したようで、ラモスさんは今、FC岐阜で監督をしています。彼みたいな優秀な人材が、日本語の壁によって長く監督の道を阻まれていた。日本の閉鎖性を示す象徴的な例です」<一部の日本人の排外主義も問題ではないか。在日韓国人・在日朝鮮人に対してヘイトスピーチを行う者がいる>石原「在日韓国人・在日朝鮮人問題と移民とは別の問題です。歴史的に彼らが差別を受けたこともあったと思います。また韓国側が事実と違う事を言って来たり、要人が日本人を挑発するような発言を繰り返せば、当然、日本人はよくない感情を抱くでしょう。外国人はどうしても母国の評判を背負ってしまう」<教育は重要だと思うが、島国の日本は異文化で育った人々を登用できるだろうか>石原「現在の朴大統領のお父さんの朴正煕元大統領と以前、お酒を酌み交わしたことがあります。その席で彼は「日本の朝鮮統治はそう悪かったとは思わない。欧米諸国とは違う政策を行なった」と言いました。彼は、成績はよかったが、家が貧乏でした。すると日本人教師が「これからは朝鮮人が朝鮮人を教える時代だ」と無償で行ける師範学校を薦めてくれたそうです。そこに行くと「これからは軍人の時代だ」と士官学校を薦められた。満州軍軍官予科に行くと今度は「優秀だから市ヶ谷に行け」という。最終的に彼は市ヶ谷の陸軍士官学校に編入、上位で卒業しました。西洋列強の植民地でこんなに教育を施した例はなかった。その話をするときの彼のうれしそうな顔を今も忘れません。戦前の日本では朝鮮人も士官学校に入れましたし、朝鮮名のまま日本兵を指揮した将軍もいました。官僚や裁判官はもとより、衆議院や貴族院にも朝鮮人は議席をもっていた」<外国人に参政権を与えるのは?>石原「それには反対です。国政でなく地方参政権ならば与えていいという意見がありますが、間違っています。例えば青森県の六ヶ所村に核燃料の再処理工場があります。ある意図をもって移民が集団移住すれば、国策的な施設の稼働や存続が住民投票によって決められてしまう可能性がある。沖縄県の与那国町の自衛隊基地問題も同様です。人口約1500人の町に中国系移民が集団転住したらどうしますか?参政権などなくても日本のすばらしさがわかれば「日本に住みたい」という外国人はたくさんいると思いますね。そういう人は帰化したらいい。
<単純労働者の移民を多く受け入れれば財政にマイナスになる <狭い日本に1億3000万人は定員オーバーだ。高付加価値経済なら「強く美しい小国」ができる>>Ⓒ森永卓郎氏(経済アナリスト)*「ドイツがこんなに苦しんでいるのになぜ日本は同じ轍を踏もうとするのか?」経済企画庁総合計画局で労働政策に携わっていた1980年代半ば、ドイツの政策担当者に言われたその言葉をいまも忘れる事が出来ない。ドイツの経済成長は、トルコなどからの移民による、との見方が短期的にはあった。だが、長期的にみてみると、彼らの為の住宅対策、失業対策、子弟の教育対策など莫大な社会コストが国民に跳ね返ってくる。低賃金の単純労働であれば納税額は小さく、財政にはマイナスだ。医療や年金などの社会保障も同様。外国人労働者は、その瞬間は気分がいいが後で躰全体がボロボロになる麻薬みたいなもの。日本の国益にならない。たとえ人口が減っても昭和初期は現在の人口の半数だった。やはり、移民に盲目的に頼るより三橋氏のいう様に生活保護者の働けるひとを再教育して……というほうが政策的には正しい。すでにヲタク文化は世界的に浸透し、「かわいい」はグローバルで通用する言葉となった。そうした海外での日本ブーム=ジャポネズムは歴史上、何度も起きている。「1億総アーティスト化」を実現できれば頭数をそろえる為の移民政策は必要ない。肝心なのは少子化対策、教育の投資であることは間違いがない。
<イギリスとニュージーランドの関係を日本の在日韓国朝鮮人にあてはめられるか EU型、英連邦型、北欧型………「外国人参政権」を論じるには、まず「国益」を示せ>Ⓒ小学館SAPIO編集部<外国人参政権を認める国には大きくわけて3タイプがある。第一はEUタイプ。「EU内において、地方参政権の相互的保障が各国に義務付けられている各国自国民の権利保障を目的とするもの」第二は英連邦タイプ「イギリスと連邦構成国などの間で相互に地方参政権が認められていることがある。歴史的経緯、文化的・言語的共通性を基礎とするものだ」第三は労働補充のタイプ「70年代から外国人に選挙権を与えていたスウェーデンがその典型。国内労働力の不足を補うため積極的に外国人労働者を受け入れ、彼らをスウェーデンの政治社会に統合することを目的とするものだった」><移民受け入れを拡充しようとすれば、参政権が必ず議論となる。「投票したいならば帰化すべき」という論はシンプルだが、それでは海外から優秀な人材は集められないと考える国も現にあり、幅広い議論が尽くされるべきだろう。>
<ある女子中学生はコリアンタウンで「在日クソチョンコ!虐殺を実行しますよ」と叫んだ。在日コリアン(約53万人)在日中国人(約65万人)との共生をぶち壊す先進国として恥ずかしいヘイトスピーチ>Ⓒ小学館SAPIO編集部<デモ参加の女子中学生が鶴橋大虐殺を宣言><ハーケンクロイツを掲げ、笑いながらデモ行進>移民を受け入れるかどうか以前に、日本を誰も来たがらないような差別国家にしてはならない。
<小林よしのり氏『大東亜論 血風士魂編』上記コメントよりⒸ小林よしのり氏>
<安倍晋三の異常さは度外れしている。が、その異常さが自称保守にはわからない。集団的自衛権の行使を政府解釈だけで容認し、閣議決定してしまう。事実上、憲法9条は改憲されたも同じ><わたしは憲法9条には疑義があるが、安倍のやり方が容認されたら、次に護憲政党が政権をとれば個別的自衛権も政府解釈で違憲とし、閣議決定できることになる。異常だ!><憲法96条の見直しで憲法改正手続きのハードルを下げようとし、それがダメなら閣議決定さけで解釈改憲してしまうと言う。安倍晋三は異常な「立憲主義」の破壊者である><個別的も集団的も国連憲章で認められているが、やはりそこまで変えるというなら、正々堂々と「憲法改正」に打って出るしかないだろう。姑息な道から立憲主義の破壊者というデタラメは許されるものではない><安倍晋三は解釈改憲について「最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙の審判を受ける」と言い放った。異常である。選挙で勝ちさえすれば、時の政権が憲法解釈を自由に決めていいのか?信じられない異常さだ><靖国参拝で米国に「失望」され、河野談話の見直しをしないと誓い、米国に日米韓の会談の仲裁をしてもらい、その負い目から「国賓待遇」でオバマを呼び、集団的自衛権でひたすら米軍に抱きつきたい安倍晋三は、米国の「政奴隷」だな><そもそも尖閣諸島を守るにせよ、米艦への攻撃に反撃するにせよ、個別的自衛権を強化すれば足りるものだ。むしろ個別的自衛権の強化をしないまま、米軍に頼ることを考える方が卑怯だろう>

小学館SAPIO誌2014年6月号Ⓒ小学館同編集部<SAPIO'S EYE>韓国客船事故

2014年05月17日 13時41分17秒 | 日記




小学館SAPIO(サピオ)誌2014年6月号Ⓒ小学館SAPIO編集部<SAPIO’S EYE>痛ましい韓国船事故を未来につなげられるか。オバマ大統領「明治神宮参拝」の真意が報じられていない。**3ページまとめ緑川鷲羽2014年5月16日。
韓国「セウォル号」の事故は海難史上に残る惨事となった。犠牲者が300人規模というだけでなく、その多くが未来或る若者だったことに世界はショックを受けた。船長以下、船員のモラルと技術の欠如、船舶会社の改造や整備に呈された疑惑、救助に際して関係部門が縦割りの弊害や責任転嫁を見せたこと__いずれも海運大国、造船大国の恥ずべき汚点と言わざる得ない。この国がまだ経済発展に見合う社会制度や国民意識を醸成できないことが垣間見れる醜態だが、それはどこの国も通る道であり、これから発展する途上国なら他山の石にすべき教訓を含んでいる。日本も1954年に1125人の死者を出した青函連絡船「洞爺丸」の沈没事故の沈没を引き合いに出せば「そんな古い話と同列には語れない」と反発もあるだろう。その悲劇をきっかけに日本では船舶の安全に関する法整備が進み、安全性は飛躍的に高まったが、失敗から学ぶことによって今日が作られたことは紛れもない事実だ。最近でも2005年の福知山線脱線や2011年の東日本大震災による東京電力福島第一原発爆発など、油断や警告無視、組織による管理不行き届きといったヒューマンエラーによる重大事故は起き続けている。韓国が日本の救助の申し出を断ったことが報道され批判されたが同じようなことは大震災で日本もやった(アメリカの原発事故収束への協力提案を拒否したり、台湾の救援隊を足止めしたりした)。これらは政治家と官僚のメンツ優先や打算によって起きた失敗だ。前に「韓国の嘘が、虚像が、世界にバレ始めている」といったが<韓国の嘘がバレる日が近づいてきた今こそ、我々は「ざまあ見ろ」と罵るのではなく、正しい知識と歴史的事実、そして国際社会の常識を共有できる隣人となるべく手を差し伸べる包容力を見せるべきだ>と言ったのに、この文章が本誌ウェブサイトなどに紹介されると、一部の読者から“嘘つきと付き合えるものか”“悪いのは向うなのだからほっておけ”“サピオは頭がおかしくなったのか”といった反論が寄せられた。実に憂うべき病巣が日本にもある。現在でも課題が残る。同じ特集でも指摘した環境問題でも、日本は高度経済成長に大きな犠牲を払ったから今がある。「人種差別」も取り上げたがヘイトスピーチの広がりを見れば、この点では韓国と大差ないと言える。「子供叱るな、いつか来た道」と格言が戒めるように、先に、発展した我々が後に続く国に範を示し、必要なノウハウを提供するのは当然であり、「そんなことも出来ないのか」と馬鹿にするのは驕りである。痛ましい事故で未来を奪われた若者たちの犠牲が、韓国と日韓関係の輝かしい未来の礎になることを切に願う。オバマ大統領が明治神宮に参拝した意味を日本のマスコミは報道しなかった。国家神道に敬意を示したとか、日韓併合を決めた明治天皇を評価したことになる、などと日本に都合のよい解釈をする右派論客やネット右翼が多かったが、実際には全く逆で、これは安倍首相らの靖国参拝に対する強烈な抗議の意思表明である。明治神宮には2002年にブッシュ(Jr)大統領(当時)も参拝している。小泉首相(当時)はブッシュ大統領に靖国神社参拝を打診していたが、戦勝国アメリカの大統領が靖国神社を参拝したのでは中韓が批判の根拠がなくなる恐れがあり、当時の政府は決断できず、日本側から妥協で明治神宮参拝にしてもらったという経緯がある。つまり、米国側から「明治神宮に行きたい」と言ってきたのは「我々は靖国神社には決して行かない」というメッセージなのである。現実を直視するべきだ。

<池上彰の解説塾(テレビ朝日番組内)>2014年5月12日放送分Ⓒ池上彰

2014年05月13日 17時39分48秒 | 日記




『池上彰の解説塾(テレビ朝日内番組)』2014年5月12日放送分Ⓒ池上彰
(1)<国会議員の歳費(給与)>2014年4月までは年間約1700万円→2014年5月から年間2100万円に。「議員の数を削減しない限り歳費(給与)を上げない」と国民と約束していたのに「約束をやぶった」。また復興特別税は「所得税額」の2.1%増の2037年まで。「住民税」1000円増→今年度(2014年度)~2023年までに。消費税も5%から2014年度5月1日で8%、2015年度10月で10%になる。
「約束を破って歳費(給与)を増やした」というより、「元の状態に戻した」ということ。
2割(復興の為)400万円歳費を削減していた。つまり<2012年5月~復興財源確保約13%+12月~議員定数削減対策7%=20%(約400万円)年間>この期限が切れて、元に戻した。議員定数は全く減らないのだから、と日本維新の会やみんなの党や結いの党らはもっと20%でなく30%削減といい、公明党は7%削減、民主党や共産党は検討中……などであったが自民の石破幹事長が「地方から来た新人議員が借金をしてまでの状態にあり、議員生活が送れず、大変に困窮しているのは如何なものか」と疑問を呈して元に戻った。
確かに国会議員になれば東京と地方地元の事務所の運営など大金がかかる。議員に立候補して落選しても「ただのひと」で、再就職もない。ハイリスクだからハイリターンでいいのではないか?といいたいのだろう。なら<国会議員に使われる年間費用を見てみよう>①給与(歳費)→約2100万円②公設秘書給与(3人分)→約2000万円③文章通信交通滞在費→1200万円④新幹線グリーン車料金・航空運賃→(全額無料)、合計で年間6000万円である。だが、イギリスの議員給与は年間1.1123万円(下院のみ・1ポンド171.6円で計算2014年5月10日時点)であり、石破氏の発言の根拠はない。
(2)インターネットの<マイクロソフトのインターネットエクスプローラー(ブラウザ・Internet Explorerr)にウイルス感染の脆弱性があって、修正されて、今では安心して使えるようになった>脆弱性でのリスクは*遠隔操作*企業の情報漏えい*個人情報の流出*ネットバンキングでの不正送金などである。もっとあるが省く。
ちなみに<日本国内のブラウザのシュアを見てみよう>①インターネットエクスプローラー(マイクロソフト)53%②クローム(グーグル)24%③サファリ(アップル)7%④ファイヤーフォックス(モジラ(ファウンテーション))14%、である。リスクに対する対処法は①常に新しいソフトにアップデート②ウィルスセキュリティソフトの最新版のインストール③パスワードをひとつひとつ全部違うものに(全部同じだとハイリスク・危険である)
(3)シャドーバンキング(影の銀行)→中国では高金利で誘導して(年利10%とか)シャドーバンキングへの誘いが多い。シャドーバンキングだからといっても『違法ないかがはしいもの』ばかりではなく、銀行じゃない銀行のことを「シャドーバンキング」と呼ぶ。
証券会社やローン会社企業内金融、公的金融機関などある。きっかけは2008年の『リーマンショック』で世界大恐慌に。中国は景気対策と称して地方で銀行からお金を借りて公共事業を行い、高層マンションやビルを幾つも作った。もちろん、銀行では金利が低く、貸出額も限られるために、中国共産党政権は『融資平台』という投資会社を公的に作り、高金利を謳い国民からシャドーバンキングでお金を借り(約310兆円)高層ビル群を何万も造った。地方ではこのビルや住宅が売れ残り、『中国版住宅バブル崩壊』で『中国発世界大恐慌』になるのではないか?とも懸念されている。だが、意外と「中国の金融機関は全部国有化されているから、最後は国がなんとかしてくれるだろう」という楽観論も多いという。だが、世界第二位の経済大国の財政破綻はいずれにしろ恐ろしい。中国共産党や習近平国家主席の英断に期待するしかない。
(4)中国のテロ(新疆ウイグル自治区)なぜ新疆(しんきょうとは『新しい土地の意味』)ウイグル(ウイグル人とはトルコ系のイスラム教徒・建前としてウイグル人のひとが北京や上海のいい大学に行ってエリート層になっても自由、となっているが、漢族とはトルコ系の顔では違い、日本の在日朝鮮人在日フィリピン人のような扱いを受けることが多いという)の自治区ということ。
中国は漢族+55の民族の多民族国家だ。自治区は代表的には<新疆ウイグル自治区・チベット自治区・内モンゴル自治区・広西(こうせい)チワン自治区・寧夏(ねいかい)回族(かいぞく)自治区>などがある。ちなみに中国の五独を許さずとは①台湾②新疆ウイグル自治区③チベット自治区④内モンゴル自治区⑤朝鮮系自治区のこと。何故自治区の独立を認めないか?は当たり前ながら自治区には大量の天然ガスや石油や石炭やレアメタルや金が埋蔵されていることと、自治区の独立を認めれば国がバラバラになってしまうから。
ちなみに<自治区で建前として認められていること>を見てみよう。①民族の文字・言語の使用②独自の警察・民兵部隊をつくってもいい③独自の法律をつくっていい、等である。だが、これらは建前で主要な大多数派の漢民族が2000年度頃から『西武改革』と称して新疆ウイグル自治区やチベット自治区に大量に雪崩れ込んで、主要なエリート層やリーダー層の仕事を独占して、自治区民族と漢民族の「貧富の格差」が拡大している。また地方から都会に仕事を求めてくる貧困層も(例え高学歴があってもコネがないと)まともな職につけず、住めるのは地下の元・核シェルター(ために「鼠族」と呼ばれている)等と、バブル崩壊、中国共産党一党独裁、貧富の格差が中国人を苦しめる。まるで崩壊前のソ連である。まとめ緑川鷲羽2014年5月13日。


漫画『美味しんぼ』の嘘でまたも広がる福島の『風評被害』と『復興利権』

2014年05月12日 20時11分20秒 | 日記




 漫画『美味しんぼ』の嘘でまたも広がる福島県の『風評被害』

 大手出版社の小学館の刊行する漫画『美味しんぼ』で、主人公が福島県に訪問して、放射能被害で鼻血を出す、という表現が問題視されている。小学館は月刊誌でクレデビリティ(信憑性や信頼性)が高い『SAPIO(サピオ)誌』等を刊行しているのに「どうしたんだろう?」と首を傾げるしかない。その漫画家のその漫画では福島県の実在の市長が「福島県に住むな。放射能で死ぬ」「放射能で毎日鼻血が出る」等と語るシーンがあるが本当に「どうしちゃったんだろう?」と首を傾げるしかない。
福島県に住んでいて頻繁に鼻血が出て困っているとか、いわゆる『奇形児』が生まれた、とか、(放射能の影響で)白血病で死んだ、とか、聞いたこともないし、そのような事例はあの事故以後も一件もない。というか、政府の『除染基準』そのものが何の科学的根拠もなく、いい加減だ。ある大学教授が涙を流しながら「これじゃあ福島県の子供たちが可哀想だ」などといい、科学的根拠も何もない『除染基準1ミリシーベルト』などという基準数となった。でも、よく考えて欲しい。1ミリシーベルトなどCTスキャン2回分でしかない。
少しでも政治家や天下り官僚やゼネコンや利権業者や利権役人が、おいしいところを舐めつくそう、と金儲けしようと『1ミリシーベルト以内の除染基準』といっているだけなのだ。私は原子力ムラや利権とは無縁の、米沢市のフリージャーナリストだ。ちなみに米沢市は福島市のとなりだが、鼻血などでたことはない。いい加減に官僚らは国民を騙すのはやめることだ。利権が欲しいから、安倍政権は官僚にすべて丸投げして、官僚の利権漁りに利用されている。だからこそ「消費増税分をすべて社会保障にあてる」などというが、殆どが、意味のない『公共事業』『公務員給料値上げ』『天下り先拡充』につかわれているのだ。メディアこそ『安倍ポチ』だ。
メディアこそ声をあげなければならない。メディアこそポピュリズム(大衆迎合)をやめなければならない。
漫画『美味しんぼ』は前にも沖縄の基地開発環境問題での表現での前科がある。「福島県には住むな」「鼻血が放射能の影響で出る」だの、まるでデマゴーグや狼少年だが、メディアこそこういうことを批判して、正しいことに帰さねばならない。
でないと、いつまでたっても『福島県への『風評被害』』がなくならない。悪質な集団ヒステリーで原発を語るのだけはやめて欲しい。小泉元首相、元・俳優……おろかなひとと同じメンタリティでは駄目ですよ、ということだ。

緑川鷲羽・44・フリージャーナリスト

W杯=サッカー日本代表23人が決定、大久保も選出ザックジャパンいざ見参!

2014年05月12日 16時12分24秒 | 日記




W杯=サッカー日本代表23人が決定、大久保も選出
2014年 05月 12日

 5月12日、サッカーの日本代表、アルベルト・ザッケローニ監督(写真)は、2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会のメンバー23人を発表した。都内で(2014年 ロイター/Toru Hanai)


[12日 ロイター] - サッカーの日本代表、アルベルト・ザッケローニ監督は12日、2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会のメンバー23人を発表した。

GK:川島永嗣(Sリエージュ)、西川周作(浦和)、権田修一(FC東京)

DF:伊野波雅彦(磐田)、今野泰幸(G大阪)、長友佑都(インテル)、森重真人(FC東京)、酒井宏樹(ハノーバー)、酒井高徳(シュツットガルト)、内田篤人(シャルケ)、吉田麻也(サウサンプトン)

MF:山口蛍(C大阪)、青山敏弘(広島)、遠藤保仁(G大阪)、長谷部誠(ニュルンベルク)、本田圭佑(ACミラン)、清武弘嗣(ニュルンベルク)

FW:大久保嘉人(川崎)、香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)、柿谷曜一朗(C大阪)、大迫勇也(1860ミュンヘン)、斎藤学(横浜M)、岡崎慎司(マインツ)

W杯は6月12日に開幕。1次リーグC組の日本は14日にコートジボワール、19日にギリシャ、24日にコロンビアと対戦する。

2016年NHK大河ドラマ『真田丸』真田幸村の生涯に決定!脚本・三谷幸喜氏

2014年05月12日 16時09分23秒 | 日記



 <真田丸>

慶長十九年(一六一四)四月――爛春の昼下がりの時刻。
ここ紀州(和歌山県)高野山麓、九度山村の真田屋敷から、のどやかな謳(うたい)と小鼓を打つ音が聞かれた。謳は西行法師の「花見んと群れつつ人は来るのみぞ、あたら桜のとがにはありける」と詠んだ「西行桜」か、それとも、小島に流された(島流し)僧の嘆きを謳った「俊寛(しゅんかん)」の曲であろうか、春の日のほわつとした桜時の宴を楽しむ、主まではわからんが、九度山の村人は高野山麓に幽閉されている真田幸村であろうと思った。(ずいぶんと、老けなさったものじゃ。あれから十四年か……)
村人は同情的である。幽閉と言っても形だけで、川で釣りをしたり、田畑を耕したり、村人に挨拶もする。小柄な幸村が智謀の武将などというが、村人には信じられなかった。
「婿殿が腹痛で苦しんでいるようじゃなあ、わが屋敷によく効く薬が或るからもってこようか」とか、あるいは、
「最近、おばばの姿をとんと見かけないが、息災か?」
などと細かな心遣いを見せて、幸村は村人たちと山里の暮らしにすっかり溶け込んでいるようであった。悔やまれるのは三年前に父親の安房守昌幸が死んだことだ。
死の年に、徳川家康は征夷大将軍の位を息子・秀忠にゆずり、江戸のまちつくりに当たらせ、家康自身は大御所として、駿府に隠居みたいにした年だった。
とはいえ、豊臣家のお家つぶし、根絶やしにも並々ならぬ闘志を燃やしていた家康である。
「……もはや、徳川の世はゆるがぬか…」
気落ちした安房守昌幸は、それでも、
「あと三年も、われに余命があれば……」
との執念を最期まで口にしながら没したのだった。
幸村も己の行く末を思い、ふと表情を曇らせたのも無理はない。が、幸村にはなお、戦略のようなものを身に忍ばせていた。兄の伊豆守信幸も、弟を評して、
「ものごと柔和、忍辱(にんにく)にして強からず、ことば少なにして、怒り腹立つることなかりし」
と語り残しており、また『翁草(おきなぐさ)』も、
「性質屈僻ならず、常に人に交わるに笑語多く和せり」
と、その人柄を伝えている。
幸村もいまや四十八歳。九度山で生まれた一子大助ですら、十四歳のよき少年になっている。あまりに長い幽閉生活といってよい。
高野聖(ひじり)という豊臣大坂方の使者が密かにきて、
「おや、真田の幽閉中の殿さまは午睡(ひるね)の最中か」
むろん、午睡の幸村は聴いており、身を横たえたまま、ひそかに、
「天下が動いたようだな」と感じて高鳴る胸を抑えた。
豊臣秀頼と淀君が、大坂城に侍や大名、浪人を集めているという。そこで現役大名こそいないが、金に困った浪人衆が「死に場所」を求めて集まっていた。豊臣恩顧の大名は誰ひとり誘いにはのらなかった。当たり前で、世の中はすでに徳川の世である。
真田幸村は大坂城に着陣した。関ヶ原で主君を失った浪人たちは賑わい、大坂城に集まった。入城は、荒武者ばかりではない。キリシタン武将「明石掃部(あかし・かもん)」の名で知られる明石掃部全登(たけのり)が、十字架とキリスト像を先頭に、花十字の旗指物の黒色の部隊を率いて入城した。また元、土佐二十二万石の国主、長宗我部盛親(ちょうそかべ・もりちか)が、兵五千を従えての入城を果たした。長宗我部と同じ時期に真田幸村隊も入城した。
大坂冬の陣は、真田幸村の守る鉄壁の出城・真田丸と、難攻不落の大阪城である。長宗我部盛親・真田幸村・毛利勝永(もうり・かつなが)・明石掃部(あかし・かもん)・後藤又兵衛(ごとう・またべい)らとともに大坂城五人衆と称された。
幸村は難攻不落の大坂城の出城「真田丸」で豊臣方として徳川方(上杉、前田、徳川本家、織田、伊逹、福島、加藤、黒田、堀らほとんど全国の大名)を迎え撃つ。
「さすがは……まっこと心強い出城でござる。いや、お見事、お見事!」
後藤又兵衛は髭面を綻ばせた。
加賀の前田利常の兵が、真田丸に攻撃して、果敢に直進、空壕へ飛び入り、出城へよじ登ろうとはかったが、矢、鉄砲の猛射を浴びて多数の死傷者をだして敗退した。
「またしても、真田か……」
茶臼山の本陣で、前田勢の敗退を知った大御所家康は、小膝を叩いて嘆息した。かつて彼は、安房守昌幸を「徳川家にとっての斑猫(はんみょう)」毒虫であるといったが、今度は昌幸の子幸村によって、またまた煮え湯をのまされたわけである。
「だから私は、あの父子を斬首にしたほうがよいといったのに、伊豆守や本多忠勝らが余計な口出しをしおったために……」
と、秀忠は悔しがったが、すでに後の祭りである。
だが、家康方の優位には違いない。真田や長宗我部ら以外は豊臣恩顧の大名も兵隊も、すべて徳川についている。秀吉が残した莫大な財産もほとんど使い果たしたことであろう。
家康は、難攻不落の大坂城と真田丸攻略に知恵を巡らせた。
大砲を大坂城に昼夜撃ち込んだ。
雲霞のように大砲の弾が撃ち込まれる。また、夜も昼も眠れないように、徳川勢が鬨(とき)の声をあげたり、鉄砲や大砲を撃ち向けてやった。
その『大坂冬の陣』だったが、年の暮の押し迫った十二月十九日に至って和議がなった。
徳川家康は『大坂城の外堀を埋める』というのを『内堀』も全部埋めさせた。家康の謀略だった。裸城となってはもう勝ち目がない。よって、真田幸村、後藤又兵衛らも『大坂夏の陣』では、単身、もしくはわずかな騎馬武者隊だけで徳川家康本陣に向けて突撃した。真田部隊五千余兵は幸村ら全兵とも朱色だった。まるで紅蓮の炎の如くであった。その変貌に、人はみな眼を見張って、
「おお…!」
と唸った。
後藤又兵衛は、
「見事に傾奇申されたな」と髭面をほころばせた。
近臣穴山小助の娘と真田幸村の娘の阿梅(おうめ)は同じ衣装で城外に出され、「達者でお暮し」と奥州伊逹家の重臣、二代目片倉小十郎の陣内で保護された。小十郎は最初、突然に訪れた二人の娘に眉を寄せたが、持参した幸村の書状を一読するや、
「委細(いさい)承知した。ご心配あらせられるな、とお伝えアレ」
と穴山に応えている。かくして、真田の血は、みちのく伊逹家に残る事になった。
真田、又兵衛ら騎馬軍団が茶臼山の家康本陣に突撃していく。
後藤が銃弾に斃れ、死んだ。
「突撃!家康の首を取れ―!突撃じゃあー!」
紅蓮の炎のような朱色の軍団が突撃してくる。まさか!家康さまお逃げくだされ!
馬鹿者!叩き潰せ!
物凄い紅蓮の炎のような朱色の騎馬武者隊が茶臼山本陣に迫る。
「目指すは、家康の首一つ、他は捨てよ!」
逃げても逃げても、幸村の声が追いすがってきて、家康はほとんど生きた心地がしなかった。その幸村が傷だらけで、ただ一人、安居天神の近くで息を休めていたところ、越前の鉄砲隊の弾丸の餌食となった。やがて大坂城は炎上する。
淀君と秀頼は自刃、幸村と共に大いに華やいで傾奇、昇天した。
(参考文献『バサラ武人伝 戦国~幕末史を塗りかえた異能の系譜「真田幸村編」』永岡慶之助氏著作、Gakken(学研)153ページ~169ページ)


絢爛たる慶次 -花の前田慶次郎烈伝ーかぶき者・傾奇者のススメ連載小説3(1)

2014年05月12日 06時14分27秒 | 日記


  家康と秀吉は会談した。
 家康は五十歳になり、秀吉は六十代であった。家康は朝鮮・中国出兵に反対しなかった。というより、これで豊臣家の軍費がかさみ、徳川方有利となる。朝鮮や明国など屈服できる訳はない。これで、勝てる……家康は顔はポーカー・フェイスだったが内心しめしめと思ったことだろう。バカなことを……
 前田利家は朝鮮出兵に猛反対したが、もう立場は違っていた。利家は豊臣家の家臣にすぎない。それにボケはじめた秀吉には何をいっても無駄であった。
 秀吉と家康は京を発して九州の名護屋城へ入った。
 秀吉の朝鮮戦争はバカげたことであった。それ自体があまり意味があるとは思えないし、秀吉の情報不足は大変なものだった。秀吉は朝鮮の軍事力、政治、人心についてまったく情報をもっていなかったのだ。家康は腹の底でしめしめと笑った。
 加藤清正と小西行長が先発隊としていき、文禄元年(一五九二年)六月から十一月ぐらいまでの最初の六ケ月は実にうまくいき、京城、平譲を取り、さらに二王子を虜にすると、秀吉はずっといけると思った。しかし、この六ケ月の日本軍の勝利は、属国に鉄砲を持たせないという、明国の政策によって、朝鮮軍が鉄砲を持っていなかったからにすぎない。    で、十二月、李如松という明の将軍が大軍を率いて鴨緑江を渡ってくると、明軍は鉄砲どころか大砲まで装備していたそうで、日本軍はたちまち負けてしまったのだという。
 秀吉は、朝鮮を属国にして明国を攻める足場にしたいと考えていた。つまり、明と朝鮮との関係に関しても無知だったのだ。
  小西行長と宗義智はそれを知っていたため必死にとめようとしたのだ。家康も知っていた。朝鮮や大陸での戦がいかに難しいか、を。本来なら二人の王子を捕虜にした時点で、その王子たちを立てて傀儡政権をつくって内部分裂をおこさせるのが普通であろう。しかし、秀吉はそれさえしなかった。若き日、あれだけ謀略の限りで勝利していた秀吉ではあったが、晩年はすっかりボケたようだ。
 やはり”絶対的権力は絶対的に腐敗する”という西洋の格言通りなのである。天下人となった秀吉は頭がまわらなくなった。
「なんたることじゃ!」日本軍不利の報に、秀吉は名護屋城の前線基地でじだんだをふんだ。「太閤殿下、そう焦らずとも……まだ先がごさりまする」家康はなだめた。
(もっと苦しめ、秀吉のもっている銭がなくなるまで……戦させよう)
 家康は自分の謀略に心の底でにやりとした。
 しかし、狸ぶりも見せ「私を朝鮮攻めの前線へ!」と真剣に秀吉にいった。ふくみ笑いを隠し通して。石田三成も黙ってはいない。「いや! おやじさま、この三成を前線へ!」「よくぞ申した!」秀吉は感涙した。
  すっかり老いぼれた大政所(なか)は、名護屋城を訪ねてきた。なかは秀吉の顔をみると飛びかかり、「これ! 秀吉!」と怒鳴った。家臣たちは唖然とした。
「なんじゃい? おっかあ」
 なかは「朝鮮のひとがおみゃあになにをした?! 朝鮮や明国を攻めるなどと……このバチ当たりめ!」と怒鳴った。
 秀吉はうんざりぎみに「おっかあには関係ねぇごとじゃで」と首をふった。
「おみゃあはこのかあちゃんを魔王のかあちゃんにしたいんか?! 朝鮮を攻める、明国を攻める、何にもしとらんものたちを殺すのは魔王のすることじゃ!」
(魔王とは…)
 家康は思わず笑いそうになったが、必死に堪えた。
 秀吉は逃げた。なかはそれを追った。すると座敷には家康と前田利家しかいなくなった。「魔王だそうですな」家康はにやりとした。利家は笑わなかった。
秀吉の栄華は長くは続かなかったが、慶次郎が関白・豊臣秀吉の前で「猿踊り」をしたのは有名な話だ。ときは定かではないが場所は秀吉の豪邸・聚楽第(じゅらくてい)の大広間で諸大名が酒席で盛り上がっているとき、末座のほうから猿の面を被った男が現れた。猿の面をつけ、小袖を尻はしょいにした芸人風の大男。背をかがめた男は扇子を器用に操り、猿踊りをはじめた。大名たちは青ざめた。大名たちの膝にすわり、(宇喜多秀家や徳川家康、伊達政宗、毛利輝元らの膝には乗ったが上杉景勝の前は何故か素通りした)最期に前田利家の膝にすわり猿面をとった。前田慶次郎利益だった。「貴様、わしに恥をかかせるか!」前田利家は刀にてをかけた。が、秀吉が大笑いして腹をかかえて笑い「利家殿よい、若造、お前さんおもろいぎゃあ!」と笑っておさまったという。慶次郎はこの一件で「日本一のカブキ者」といわれた。





         秀吉の母の死とやや



  大政所(なか)が死んだ。北政所(おね)に見守られての死だった。
 秀吉は名護屋城であせっていた。うまいこと朝鮮戦争がいかない。そこに文が届く。またしても淀(茶々)が身籠もったというのだ。これをきいて、関白となっていた秀次は狂い、家臣や女たちを次々殺した。殺生関白とよばれ、この頭の悪いのぼせあがりは秀吉の命令によって切腹させられる。秀次は泣きながら切腹した。
 朝鮮の使者がきて、両国は和平した。文禄六年(一五九八年)お拾い(のちの秀頼)が産まれた。秀吉にとってたったひとりの世継ぎである。秀吉は小躍りしてうれしがった。「でかしたぞ! 淀!」秀吉はひとりで叫んだ。
 明国からの使者がきた。「豊臣秀吉公を日本国の王とみとめる」と宣言した。
 当然だろう。いや、わしはもうこの国の王だ。いまさら明国などに属国するものか!
「ふざけるな! わしをなめるな!」秀吉は怒った。
 戦前の日本では、これは秀吉が”天皇が日本国の王なのにそれを明国が認めなかったこと”に腹を立てた……などと教えていたらしい。が、それはちがう。秀吉にとって天皇など”帽子飾り”にすぎない。もうこの国の王だ。いまさら明国などに属国するものか、と思って激怒しただけだ。それで、和睦はナシとなり、家康の思惑通り、秀吉は暴走していく。出陣。秀吉は大陸に十二万の兵をおくった。
 そんなおり、秀吉は春、”お花見会”を開いた。秀吉は家臣や大名たちとひさしぶりのなごやかな日を過ごした。桜は満開で、どこまでもしんと綺麗であった。
 秀吉は家康とふたりきりになったとき、いった。
「わしが死んだら朝鮮から手をひいて、秀頼を天下人に奉り上げてくだされ」
 家康は「わかりもうした」と下手にでた。秀吉が死ぬのは時間の問題だった。家康は心の底でふくみ笑いをしていたに違いない。
 だが、桜はどこまでもきれいであった。


          前田利家とまつ


  秀吉は伏見城で病に倒れた。
 秀吉は空虚な落ち込んだ気分だった。朝鮮のことはあるが、世継ぎはできた。気分がよくていいはずなのに、病による熱と痛みがひどくかれを憂欝にさせていた。秀吉の死はまもなくだった。利家たちは大広間で会議中だった。石田三成らと長束、小西が激突しようと口ゲンカをしていた。利家は「よさぬか!」と抗議した。自分の武装した兵士たちにより回りを囲み「騒ぐでない!」といった。冷酷な声だった。利家の目は危険な輝きをもっていた。「ここより誰も一歩たりとも出てはならん!」
 そして、慶長三年(一五九八年)八月十八日、秀吉は「秀頼を頼む…秀頼を頼む…」と苦しい息のままいい、涙を流しながら息をひきとった。前田利家は涙を流した。が、家康は悲しげな演技をするだけだった。
 こうして、波乱の風雲児・豊臣秀吉は死んだ。
 享年・六十三歳。秀頼はわずかに六歳のことで、あった。

  加賀藩主を利家の嫡男・利長が相続した。利家は隠居した。
 家康と利家は対峙した。
 しかし、利家には勝ち目がなかった。策略家の家康と、律義だが正直者でうそもつけない利家では家格が違いすぎる。やがて、利家は病の床にふした。
 何度か死にそうになった。皆は家康に気にいられようと画策していた。が、浅野長政だけは「家康を暗殺してやる」と利家にいった。
 利家は諫めた。「よせ、みな殺しにされるぞ! このわしでさえ頭を下げたのだぞ」
 利家は苦しい息のままいった。こののち浅野長政は失脚し、石田三成もどこかへ姿をくらました。利家は妻・まつに見守られながら死んだ。慶長四年(一五九九)享年六十二才。 秀吉の死から、わずか一年後のことであった。まつは号泣し、夫の遺骸に泣き伏した。「利家殿! あなた……」
 今まで抑えていた感情……いや、思いが熱い涙となって、瞳から掌へとぽたぽた落ちた。 まつは泣いた。やりきれない思いで。憔悴の感情が、全身の血管を駆けめぐった。
 形成は徳川方優位だった。まつは出家し、『芳春院』と号した。
 そんな中、庵に徳川家康が訪ねてきた。
 家康は、加賀藩主前田利長に謀反の疑いあり…といった。
 それは嘘だった。利長は烈火の如く激怒し、家康を討つ! とまでいった。
「およしなさい!」まつが利長を諫めた。「家康殿に勝てるわけはありません」
 まつは家康の命により、”人質”として江戸にきた。そして、そこで十四年間も人質として暮らした。江戸では、老家臣となった村井長頼(又兵衛)が死んだ。
 世の中では、関ケ原の合戦、大阪冬の陣、夏の陣があったが、まつにはなんともしようがなかった。只、まつは必死に人質として暮らした。
 十四年後、利長が死んだことにより、まつは故郷に帰ることを許された。代わりの人質は千代保がなった。まつが加賀に帰ると、家臣や領民が拍手と涙で彼女をむかえたという。 まつとおね(高台院)は庵で再会した。もう、夫の秀吉も利家もいない。ひさしぶりの再会で話が弾んだという。「……本当に…すばらしい男たちでござりました」まつは目尻に皺をよせて、微笑んだ。
 その年、まつは死んだ。魂は最愛の夫・利家のもとへ飛んでいったのかも知れない。
 早朝、まつは静かに息をひきとった。その顔は、おだやかに微笑んでいた。