11日の土曜日、原三溪市民研究会で箱根、小田原方面に見学にいってきました。
この日もまだ暑そう。
しっかり日焼け止めをぬり、冷たいお茶を詰めたマイボトルをもって、
朝8時半すぎに小田原駅に到着。
実はこのブログによくコメントをくださったジバゴさんが、入会してはじめて来るというので、
お会いできるのを楽しみにしていました。
9時には全員集まり、出発です。
総勢28人で大型観光バス一台。
ゆったりです。
まずは一路、箱根の強羅公園内にある「白雲洞茶苑」へむかいます。
箱根湯本を越えて「箱根八里」で天下の険といわれる、折れ曲がった急坂の山道を登っていきます。
バスの中では、会長Fさんの詳細な解説がつづきます。
強羅はもともと小田原電気鉄道が開発した高級別荘地で、
大正初めにそこに益田鈍翁がハイカラな強羅公園をつくり、一角に茶室をこしらえました。
この地は巨大な岩がおおいところで、それを生かして公園はロックガーデンに、
茶室も巨岩を生かした庭のつくりで、浴室も岩風呂のようになっています。
白雲洞は大正11年に益田鈍翁から原三溪に譲られ、昭和15年に松永耳庵にと、
近代数寄の「三人茶人」に継承されてきました。
3人の数寄者たちが愛した茶室をぐるりと見て回ります。
三溪がつくったという「対字斎」は広縁の向こうに大文字山の「大」の字が真正面にみえます。
なんと素敵な景色でしょう。
開け放たれた白雲洞でお茶席に座らせていただきました。
(リハビリがんばって、この日のために正座が出来るようになりました!)
蓬のお饅頭と甘納豆、そしてお抹茶をいただきました。
清涼の一服です。
そして亭主からこの庵のいわれや歴史を聞きました。
茶室の裏の一角には鈍翁、三溪、耳庵の3人の写真が飾られ、お祀りされています。
3人の心が今でもこの茶室に宿っているのを感じさせてくれます。
そして三溪はこの白雲洞で大きな事件に遭遇しているのです。
大正12年の関東大震災です。
9月1日12時少し前、この白雲洞の縁側の柱にもたれかかって本を読んでいると、
グラッときて、庭に転げ落ちたという。
それから横浜の大被害を聞き、4日間歩き通しで三溪園のある本牧へ向ったという。
そのもたれていた柱はどれだろう、縁側はどこだろう、と
『原三溪翁伝』のその部分の解読を担当したKさんと探しました。
たぶんここで間違いない、という場所に座って柱にもたれかかってみると、
たしかに座り心地がよく、実に気持ちよく風が通り抜け、青葉と巨岩の庭が眺められます。
同じように暑かったであろう9月の大震災の日に、三溪はこうやって本を読んでいたのかと
しばしそのゆったりとした感覚に浸りました。
しかし前庭に転げ落ち、という表現のとおりに
その場所は高低差のある庭であることが確かめられ、
文章でしか知らなかった場面がここに来てはじめて、はっきりとした場景になりました。
三溪のつくった茶室に佇み、大文字山の景色を見て、
自然の木々に囲まれた雰囲気を味わってみると
自分が思い描く三溪像をまた一歩深めることができたようにおもいます。
これこそが現地研修の良さです。
さて、ゆっくりと白雲洞茶苑を見学したあとは、
バスで三溪の別荘があった(現在はない)芦之湯へいき、
そのあたりをバスの中から見学して
そのまま来た道を戻り山をくだっていきました。
湯本へ戻り、お昼は有名な「はつ花」でおそばを食べました。
強羅は涼しかったのですが、下へ降りてくると、まだ猛烈に暑い!
そんな中、食後の腹ごなしもかねて、徒歩8分の早雲寺へとむかいました。
つづく。
本当に楽しい遠足でしたね。
柱と縁側の件はまるで気が付きませんでした。日頃輪読会で読み込んでいるとこういう疑問が湧くのかとひたすら感心しました。
自分ももっと読まないとと思います。
それと件の場所がどこなのか気になります。
コメントありがとうございます。
お会いできてうれしかったです。
本当、大人の遠足ですね。
楽しかった!
件の場所はKさんがpicasa に載せた写真で、Hさんが一人で縁側に腰掛けている写真がありますでしょう。あそこです。
ご確認を。