4月26日の富岡製糸場の世界遺産登録見通しの勧告がでてから、
たくさんの人からお祝いのメールや電話、そして手紙をいただいた。
私のように細々と個人で、製糸業にかかわった先祖のことを調べているものに、
富岡が決まりそうでよかったですね、と温かい言葉をかけてくださるとは、
ほんとうにありがたいことです。
今日いただいたお手紙には日本経済新聞の切り抜きが同封されていました。
4月29日付けの「春秋」欄です。
そこには
たしかにレンガ造りの工場は立派だが、建物や機械など「モノ」だけを
見学するのなら物足りない。工業化への道の裏側には、悩みながら
改革に挑んだ地域社会と人がいる。変革期の物語を伝える名所に
なってほしい。
と書かれていた。
「悩みながら改革に挑んだ人」と読んで、堅曹だ!と思わずにはいられない。
製糸業の黎明期に苦労して富岡を経営していった。
そして素晴らしく改革を成し遂げた。
何度も廃場されようとした富岡製糸場を、身を捨てて守ってきた。
おおぜいの工女たちと別世界のような製糸場をつくりあげていった。
13年かけて最善の民営化を果たした。
ドラマはたくさんあった。
そうして今日まで残ってきたのです。
堅曹は自伝に詳細に書き残しています。
富岡製糸場で働いていた人たちのおもいを、今、痛切に伝えたいとおもう。
富岡のことがさらに日本、そして世界にひろがりますね。
ご無沙汰しております、桜井愛です。
建物をふくめ、そこにまつわるたくさんの思いを伝える素敵な場所へ
いまにリンクする場所へ
さらなる飛躍を期待しています。
お蚕さまの道沿いに住む小市民として
精糸が注目されて嬉しいです。
おめでとうございます。
ご無沙汰しております。
お祝いのコメントありがとうございます。
お互い明治時代の人物を調べる者としては、そこに繰り広げられた人々のドラマが一番興味のあるところですよね。
それが伝えられたら、という思いでいっぱいです。
今後ともよろしくお願いいたします。