2月2日と13日に宮内庁三の丸尚蔵館でおこなわれている
「明治十二年 明治天皇御下命「人物写真帖」-四五〇〇余名の肖像-」
を見てきました。
明治12年に臣下の写真を手元に置きたい、と明治天皇が望んで
当時の宮内庁が4500人余りの人物写真を収集してアルバムをつくりました。
皇族や華族はもちろん、軍人、官僚、政治家、神官僧侶等々いろいろな分野から集められています。
その人物を選ぶのにはそれぞれ基準があるはずです。
はたして堅曹さんは載っているのか?
明治12年だと内務省の官吏で、ちょうど富岡製糸所長を引き受けた頃だけどどうだろうか、と
ちょっとドキドキしながら三の丸尚蔵館へむかいました。
小さい展示場ですが、飾られている約100名の写真をひとつづつ見ていって、
のちに元勲になった人や、晩年の貫録のあるイメージしかなかった人の若々しい写真に驚いたり、
名前だけしか知らなかった人物の写真もあります。
しかも全員に年齢が入っているのがなんともうれしい。
彼は堅曹さんより10歳も若かったんだ、少し年長だったんだなどと、とても興味深かったです。
結局、堅曹さんの写真は展示されていませんでした。
一通り見てから図録を買い、人物一覧を見ると「速水堅曹」があります。
写真帖の4500人のなかに入っていたことが確認できました。
おまけといってはなんですが、堅曹さんのお墓のある瑞法光寺の開山である
「村雲日榮尼」の写真が展示されていたのには、驚きました。
若いころの写真ははじめて拝見し、かなり有名な尼僧であったことは知っていましたが、
こういった写真帖に収められるほどとは。
今回は堅曹さんの写真は見れなかったが、いつか閲覧できる日がきますように。