堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

「世界ふれあい街歩き」 リヨン

2010-01-30 02:01:54 | 日記・エッセイ・コラム

今朝(29日)、藤沢のEさんからメールで

  22:45からNHK総合テレビ「世界ふれあい街歩き」でリヨンが取り上げられますよ

と教えていただいた。



早速録画予約して、

先日ランチをした、一緒にフランスにいった友達に急いで携帯メールで連絡。

この番組はたしか、ゆっくりと街のなかを人々と会話しながら歩いて案内していくんですよね。

ちょっと楽しみ!


いよいよ始まって、まずは旧市街のフルビェールの丘です。

ここから眺めた景色おもいだす。

ああ、懐かしいなあ!


坂を下りて朝市のマルシェに。

おいしそうなケーキ類やお花屋さん、と楽しんでいると、

ここで情報コーナーになり、リヨン公認ガイドの人が出てきました。

あ!ニコラさん~、っと叫んでしまいました。


リヨンに行ったとき3日間案内してくださったガイドさんです。

日本語がとても上手で、ずいぶんいろんなことを頼んだり、教えてもらったりしました。

番組にはこのあとも何回か出てきて、彼の話しぶりや声を思い出してうれしかったです。


Cimg6479 ソーヌ川



次はクロワルスの丘にいき、絹織物工場のなかが写しだされた。

いまでも貴重な絹織物は手織りで作っているというお話し。


最新の技術を追い求める一方で、古きよき手織りの絹織物も残していく、

それが「伝統を受け継ぐもののつとめ」と語っていたのが印象的。


ベルサイユ宮殿のマリーアントワネット愛用のタペストリーが

手織りで忠実に再現されていた。

美しい。



Cimg6497 リヨン旧市街


天井の高い織物職人の家のはなしもたくさんでてきて、

絹織物を運ぶのに濡れないようにとつくられた、トラブールという通路がいくつも紹介されていた。

迷路のようなトラブールは私の大好きなところ。

きょろきょろ見回して、へーって思いながら見学したことをおもいだす。


リヨンというと美食の街として取り上げられる場合が多いのだけれど、

今回は織物関係に重点がおかれ、

どちらかというと絹織物の街という印象がつよくあらわれていたとおもう。

期待した以上に好きなところばかりでてきて、番組を堪能しました。


『原三溪翁伝』の社説

2010-01-28 01:17:02 | 原三溪市民研究会

朝、原三溪市民研究会のHさんからメールがはいりました。


社説に載ってます!

本日(1/27)神奈川新聞の社説に

『原三溪翁伝』が取り上げられています。


社説って、「すごくないですか?」

少しづつですが、

「当該書籍本と市民研究会のことが知られる様な流れ」

になってきている印象を受けています。

Hさん、ちょっと興奮気味。


私は早速ネットで拝見。  〈こちら(←クリック)で全文が読めます〉


「横浜の財産とし後世に」

1906(明治39)年、私邸の門柱に「遊覧御随意」という看板を掲げ、

巧みに古建築が配置された四季折々に美しい庭を市民に広く公開した。

伝記はこの三渓園とともに横浜市民が後世に伝えるべき財産である。

研究者はもとより多くの市民が三渓の人間性に学び、広く発信する。

伝記の刊行がそうした機会になるよう期待したい。


と伝記の発刊の意義を讃えている。


また、私の参加している市民研究会については


刊行に際しては市民の力が結集された。

東京外国語大学の内海孝教授は30年ほど前から出版に向け奔走。

横浜市民ギャラリーの猿渡紀代子館長は

横浜美術館の指定管理者である市芸術文化振興財団と協力、

県内外に住む25人が参加した研究会を2007年9月に立ち上げた。

そして当時の言葉で書かれた伝記の索引カードを作成・整理、

振り仮名を付けるなどの膨大な作業をこなした。

と経過と活動も書かれている。


この社説を読んだ方が、三溪の伝記を手にとってくださることを期待したい。

そして市民が三溪園を作った原三溪のことに興味をもっていただけたら、とおもった。


友人とのひと時

2010-01-25 23:20:57 | 日記・エッセイ・コラム

日曜日、一昨年のフランスに行ったときに出会った素敵な女性Sさん、Iさんと一緒に

新宿でランチしました。


2人はバリバリ仕事をしていて、3人で会う機会がなかなかつくれず、

一年以上たってしまいました。

仕事も、働いている場所も、住んでいるところも、全然違い、

皆家庭や子育てもあり、時間調整が本当に大変でした。


でもいつも、会いたいね、とメールで言い合っていた仲なので、

この日は本当にうれしくて、何日も前からウキウキしていました。



さて、朝11時前に新宿の西口で待ち合わせ。

超高層ホテルの41階のレストランで食事。


100496p10000011   レストラン「ジランドール」



近況報告やフランスの思い出、仕事のこと、子供のこと、等々

いくら話しても尽きることがない。

でも、それだけなら、他の友達とでもすること。


私達が知り合ったのは、富岡のシルクがとりもつ縁だということが

今のわたしには心安い。

そして二人の仕事にむかう姿勢がものすごく前向きでありながら謙虚であること、

常に自分の置かれた立場に感謝して仕事をしているところに

私はとてもシンパシーを感じる。


なかなか生き方そのものに共鳴できる友人って少ない。

フランスで知り合うことができたのも、何かのお導きかもしれない、なんておもいます。


眩しいほどの仕事をして、子育てもがんばっている若い彼女達から刺激をうけ、

パワーをたくさんもらいました。

わたしもがんばらなくっちゃ。


国立公文書館

2010-01-21 22:32:42 | 日記・エッセイ・コラム

前回の記事でみなさんに誤解を与えてしまったようです。

「速水堅曹の生涯を書き始めます。」

と書きましたが、これはブログ上ではなく、自分が原稿を書くということです。

ですので、ブログには載りません。


そんなに完全な原稿がどんどん書けるわけではないし、推敲と試行錯誤を繰り返しながら

書くので、とても次々と書くことはできません。

進行状況だけ、ときどきお知らせしようとおもっています。




さて、先日、国立公文書館にはじめて行ってきました。


Cimg2050 国立公文書館


あらかじめネットで堅曹さん関連の文書を調べていって、閲覧させてもらいました。


堅曹さんは国の役人だったため、辞令がたくさん残っています。

ほとんどはマイクロフィルムで見るようになっていますが、

リールの番号まで検索でわかるので、わりとはやく目指す文書にたどり着くことができました。

それをすべてコピーにとりました。

これを、堅曹さんの日記や自叙伝に書かれている文章と照らし合わせる予定です。



また、叙勲についての書類は審査を経てから、閲覧になりました。

これは実物です。

晩年に国から銀杯をいただいた時と、亡くなる直前に階位を一つ上げたときの書類があります。

こうしたものは初めて見ましたが、与える人物の履歴や功績を記した書類がたくさんあって、

それが県や団体からの推薦書と一緒に提出されて、審査されているのですね。

いってみれば、ここに堅曹さんの功績のすべてが凝縮されているとおもいました。

この書類は傷むので自分でコピーすることはできず、

業者にたのんで写真に撮ってもらい、それをコピーして、後日送付してもらいます。



ここの閉館時間が午後5時とは知らず、必死で閲覧をしていたら、

そ~っと係りのひとがやってきて、

「もう閉館時間なのですが」、と言われてしまいました。

大急ぎで、コピー代やら、コピーの申し込みをして、

「すみません、閉館時間を知らなかったもので」とあやまりながら

公文書館をでてきました。


外はもう暗くなっていて、

でも、「いいものを見ることができた」という気持ちでいっぱいでした。


命日

2010-01-18 22:34:00 | 日記・エッセイ・コラム

大正2(1913)年1月17日、横浜で速水堅曹は亡くなりました。

今年で没後97年です。


命日の17日、お墓のある取手市の瑞法光寺に行き、お参りをしました。

今回はたくさん伝えたいことがあり、掃除をして、花を手向け、線香を供えてから、

ゆっくりと手をあわせました。


  Cimg2046 速水堅曹の墓



先祖調べをはじめたのは、

このブログのタイトルにもあるように平成14(2002)年9月です。

まる7年がたちました。


先日、最初の頃から応援してくれているある方から、

「「製糸界の元勲 速水堅曹伝」の執筆準備は十分整ったのではないかと推察しています。」

というメールを頂戴しました。


このブログをご覧のかたも

いつまで調べているんだろう、と思っている方がおおいのかもしれません。

速水堅曹のことをブログに書いてくれないか、とも言われます。


あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、私の調べる範囲がどんどんひろがって、

堅曹の全体像がいくらブログを読んでも、つかめてこないのでしょう。


堅曹さんのことを書こうとおもってはじめたブログなのに、

結局は自分のことを書いているだけなのかもしれない、と反省しています。



そこで、書き始めることに決めました。

速水堅曹の生涯。



わたしなりにいままで調べたことをすべてつぎ込んで、まとめてみたいと今おもっています。

最後まで書けるのか、書けるだけの力があるのか、文章力も知識も含めて。

自信はない。

でも、若き大学生さえも、これから速水堅曹のことを調べて論文を書こうというのに、

たくさんの方の協力や応援をいただきながら、まだ書けない、なんていってはいられない。

そろそろまとめの時期に入らなくては、と昨年からおもっていたことを実行するのみ。



がんばります。

よろしくおねがいします。 と

お墓のなかの堅曹さんに報告しました。