まず、4月8日にのせた「東洋のポルトガル、それも悪くない」について。
朝日新聞に記事掲載の許諾を得て、自分のブログに全文を載せました、と
Goecheさんからコメントをいただきました。
「Goeche's Blog」をクリックしてお読みください。
さて、歴博につづいて21日は横浜の開港資料館に行ってきました。
横浜開港資料館
神奈川新聞に連載されていた「港都の黎明-ブレンワルド日記から」の資料を展示している、というので。
新聞連載はこちら。
スイス商人のブレンワルドの日記の現物を見ることができるとおもって期待していったのですが、
それは資料コーナーということで、日記の1ページがコピーされて対訳がされていたのと、
商標などが展示されているだけでした。
あまりの少なさにガッカリ。
同じフロアーで「痛っ 歯が痛い-歯科医学の誕生と横浜-」という展示をしていたので、
あまり興味はなかったが、ざっとそれを見る。
歯科大の学生さん達だろうか、大勢きていた。
熱心に展示の内容をメモしたり、入れ歯をデッサンしたりしていた。
さて時間があまってしまった。 どうするか。
そうだ、前から見に行きたかった横浜国大にある「名教自然」の碑を見に行こう!
これは横浜国立大学工学部の前身、横浜工業高校の創立者鈴木達治の功績を顕彰する碑で、
昭和12年に南区弘明寺の同校の門を入ったすぐのところに建てられた。
自筆でしたためられた表書きに、裏面に徳富蘇峰の撰文が原三溪の楷書で刻まれている。
横浜国大の移転に伴い、昭和53年常盤台キャンパスに移設された。
何も調べてこなかったので、携帯でaccessを調べる。バスで行けそう。
横浜西口のバス乗り場でウロウロしながらもなんとか乗れて、20分ほどで大学に到着。
ここからがわからない。
以前碑を見に行ったSさんが、随分探したと言っていたし、しかも学生に聞いてもわからない、
という話だったので、私は最初から事務所に行って尋ねてみた。
結局広い校内を半分ぐらいは歩いた。
その碑は6.6mと見上げるように大きなものでした。
「名教自然」の碑
この碑に関しては、先日実家の父に『マイウェイ』(横浜銀行の冊子)を渡しにいったら、
「人物コラム・鈴木達治」の頁の写真を見て、
「懐かしいねえ~。 自分はこの学校の夜間部に通っていたから、毎日見ていたよ。
とても大きいんだよ。」
と言った。
全然知らなかった。
意外と親のことを知らないんだ、と自分を恥じた。
そんなこともあって、必ず見に行こうとおもっていた。
三溪さんゆかりの碑ということだけでなく、
私にとっては父の思い出のひとつ、といういわれも持つ碑になった。