先週の10日、毎月行われる歴史ワーキンググループの勉強会が前橋であり、
午前中、桐生の明治館の「新井領一郎展」を見にいきました。
新井領一郎というのは、先日訪れた水沼製糸所(←クリック)を創った星野長太郎の弟になります。
長太郎は器械製糸所をつくるのと同時に、速水堅曹や群馬県令の楫取素彦と相談して、
日本の生糸輸出の将来を考えて、英語を学んでいた弟をアメリカに勉強にいかせます。
領一郎は渡米後、努力を重ね、開拓者としてアメリカで日本の生糸を売ることに成功。
堅曹のつくった同伸会社のニューヨーク支店長もつとめ、
後に「モリムラ・アライ・カンパニー」をたちあげています。
ニューヨークではジャパンソサエティーや日本倶楽部の創設をし、
アメリカ絹協会の役員に選ばれるなど真の国際ビシネスマンとなり、
日本の生糸貿易にとって多大な貢献をしました。
その彼の生地である、桐生市の旧群馬県衛生所であった「明治館」というたてもののなかで、
横浜開港150周年 生糸直輸出の創始者「新井領一郎」展が催されています。
当日朝10時半に現地集合で、歴史WGのメンバーがあつまりました。
館長さんに説明をうけ、洋館の2階の展示場へいき、見学。
地元の郷土研究家の集めた資料が並べられており、手作り感のある展示でした。
日本のペリー来航からはじまり、生糸が日本の重要輸出物になった経緯や説明。
そして新井領一郎が渡米したときの航路が示された地図や、当時のアメリカの様子。
そして彼の系図なども示されていました。
彼の孫にはライシャワー駐日大使夫人のハルさんや
東京港区にある西町インターナショナルスクールをつくった種子さんがいます。
そういった縁で現在、桐生市水沼と西町インターナショナルスクールは国際交流をしている。
約130年前に大きな希望を抱き、船にのってアメリカを目指した青年の生涯がいま、こうして伝えられ
日米交流が続いていることは本当に喜ばしいことだとおもう。
速水堅曹にとっても彼を米国に行かせる事は大英断だったし、
領一郎が渡米した年(明治9年)に、フィラデルフィア万博に行った堅曹は
ニューヨークで彼を励ましている。
堅曹にとって彼を育てることは日本の生糸の将来を考えて、
数年後の直輸出会社をつくるうえでの重要な人物になってほしいと
一番に期待していたばずである。
彼はそれに見事に応えて立派なビジネスマンとなり、大きな力となったのである。
明治18年日本で行われた新井領一郎の結婚式に堅曹は出席をして、
次のような感想を 『六十五年記』 に記している。
十月六日新井領一郎氏 牛場卓三氏の女と結婚し、今夜其祝宴なり。
我も招きを得て行く。実に盛会なりき。
新井氏は明治九年米国に行たる時、未だ貧生なりしが生糸の業と共に進歩し、
今夜の客扱いの如き堂々たる紳士なり。
其の列席の客、官員には楫取素彦、富田鉄之助、神鞭知常、吉田市十郎等にして、
紳士には福澤諭吉、小幡篤次郎、相馬永胤、村田一郎の諸氏。
其他凡そ五,六十人なり。
是皆、生糸の利より咲きし花と云はざるを得ず。
抑(そもそも)星野の奮発と楫取県令の周旋と我の米国に行しとに始まり、
本人の勤勉と同伸会社との功なり。
ライシャワー・ハルさんの 『絹と武士』 にはこんなくだりがあります。
佐藤と星野と速水の三人は1875年(明治8)11月末、熊谷で会合を持った。
火鉢を囲み、星野は弟、領一郎より一歳年上だというニューヨーク帰りの青年の話を聞き、
自分の夢の実現に可能性の灯がともり出したことを感じた。(中略)
星野はその場で弟を佐藤とともにニューヨークに送り出すことを決意した。
佐藤(百太郎)は、米国ですでに小売店をはじめており、
むこうで一緒に仕事ができる優秀な若者を探して一時帰国していた人物である。
速水堅曹に会って星野長太郎の弟のことを聞き、話をしに来た。
正にこのとき、領一郎が世界へでていく大きな決断がされたのである。
「火鉢を囲み」というところが印象的で、時代の息吹を感じさせるエピソードです。
明治初期に、渡米することは、大変な費用が必要でした。これを援助して、明治政府に交渉し、便宜を計ってくれたのが「楫取素彦・県令」でした。兄の星野とともに、渡米の挨拶に楫取家を挨拶に訪問した時に、吉田松陰の実妹であった「壽子」が手渡した短刀がその「魂」であったのです。楫取素彦は、幕末期は「小田村伊之助」と名乗っていましたが、慶應年間に、身の危険防止のため、藩主であった「毛利敬親」から改名指示を受けたのであった。この楫取の奥様が吉田松陰の妹なのであります。
楫取は自身、人柄は地味であったが、人格的に信用があった。大宰府に長州の藩命を帯びて赴き、そこで坂本龍馬と出逢い、龍馬から「桂小五郎」への「薩長同盟構想」の提案を聴かされ、帰国後に桂にこのことを伝えた。翌年壱月(慶應弐年)に二本木の京都薩摩藩邸にて盟約がなった端緒は、この楫取が大宰府に三条実美らを訪問したことからのことであった。こうした、小さな事実は、一般的な書籍には書かれない。群馬県出身の私ですら、此のことを知ったのはつい最近のことです。今秋の前橋での講演では、こうしたことも、キチンと語りたいものと念願しているところです。
たびたびのコメントありがとうございます。
ご研究の対象である吉田松陰と、群馬ご出身であることから、いろいろな人物の繋がりがみえてきて、その中に速水堅曹や新井領一郎がいるのですね。
歴史のおもしろさですね。
今秋前橋でご講演をなさるのでしょうか。
よろしければ、詳細をお教えいただけますか。
拝聴させていただきたいとおもいます。