このGW中、4月28日から5月4日まで
原三溪市民研究会では横浜の三溪園で、
「クイズで学ぶ、三溪園、原富太郎と横浜」
という催し物を主催しています。
小中学生むけに、原富太郎(号が三溪)はどういう人物なのか、
クイズをとおして学んでもらおう、というイベントです。(もちろん大人も大歓迎!)
私も準備にかかわり、初日の4月28日に参加してきました。
クイズには、原三溪が生糸の事業をおこなっていた、という答えのものがあります。
26日にイコモスから富岡製糸場の世界遺産登録が大丈夫だろう、という勧告がでたばかりなので、
36年間も富岡製糸場を経営していたんですよ、という解説をしました。
すると、驚くことに、ほとんどの人がそのことを知りませんでした!
これはいけない。
明治35年(1902)から昭和13年(1938)までの36年間です。
富岡製糸場が技術革新をすすめ、もっとも繁栄していたころです。
日本の生糸輸出高が世界一を維持していた時です。
原合名会社が経営していて、原富岡製糸所といわれていました。
原三溪の経営者としての手腕、事業家としての実力が評価されます。
そういった堅実な事業の経営があればこそ、三溪園という素晴らしい庭園をつくることもできたのです。
本当に知られていないんだなあ、と痛感しました。
少しでも多くの人に、特に横浜市民にはぜひ知ってもらいたいと思います。
原富岡製糸所時代の貴重な資料のパネルもクイズの解説場所で展示してあります。
連休中、新緑が美しい三溪園にぜひお越しください。