堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

「富岡製糸場行啓」の図

2010-08-20 02:02:14 | 富岡製糸場

      002_2  絵葉書より 


先日、この荒井寛方画 「富岡製糸場行啓」の図を見てきました。


場所は明治神宮外苑の絵画館です。

神宮球場の隣ですが、秋の紅葉で有名な外苑のいちょう並木の突き当りにドンとある建物です。

明治神宮外苑は明治天皇が亡くなったあと、

在位中の天皇と皇后の事績を後世に伝えるために青山練兵場の跡地に造られたもので、

絵画館は正式には「聖徳記念絵画館」といいます。


Cimg3037_2 絵画館


Cimg3038 正面



重厚な石造りの建物の中にはいると

日本画と洋画に左右にわかれて、天皇の誕生から大葬までの事柄が

年代順に80枚の壁画になってずらっと展示されています。

「王政復古」や「「岩倉大使欧米派遣」、「内国勧業博覧会行幸」、「枢密院憲法会議」等々、

さながら壁画で見る幕末・明治の歴史といった感じです。


そのなかに明治6年に昭憲皇太后と英照皇太后が訪れた

「富岡製糸場行啓」の壁画があります。

一枚の大きさはタテ3m×ヨコ2.7mと、たいへん大きなものです。

どの絵も歴史的な考証も厳密に行われて描かれているということで、

興味深くじっくりと見ていきましたが、

なにせこの猛暑の真昼間、年代ものの空調はたしかに動いていましたが、

なんだかとても暑くて汗だくになってしまいました。



富岡製糸場に関する本だとよくこの絵が載っていますが、

意外とここに飾られていることは知らないのではないかとおもいます。

年中無休で開館は 9:00~17:00

入場料 大人500円です。


外苑あたりに行くことがあったら、いつでも見れます。

いちょう並木が黄色のじゅうたんに敷きつめられる晩秋にでも又来たいとおもいました。


原三溪の墓参り

2010-08-16 23:13:41 | 原三溪市民研究会

14日はお盆の最中でしたが原三溪市民研究会があり、横浜に行ってきました。


Cimg3004 会場の横浜美術館


いつものように『原三溪翁伝』の輪読がおこなわれ

今回はいよいよ三溪園のところです。

担当のFさんの発表は内容を深く掘りさげた考察で、とても興味深いものでした。


三溪さんはどうして自宅である三溪園を公開しようとおもったのか?

園内に移築した建物はどういう経緯で購入しようとおもったのか?

またその時間的な経過をみていくと庭の構想をたてた謎が生まれる等々

三溪さんの人物像をFさんの豊富な知識と資料から推論していきました。

こういった読解ができると本当に三溪さんのことを研究している、という感じがします。



さて輪読が終わって、この日は久保山墓地にある原家のお墓に

命日(8月16日)と出版の報告のお参りに行きました。

2年前の9月にも研究会で墓参に行きました。(そのときのブログはここ

とてもよく覚えています。

あれから2年たったのですね。


今回始めての人には、前に来た人たちが説明をしたり、

皆で手際よくお花やお水、お線香の用意をしたり、

そして『原三溪翁伝』を墓前に供え、一人ずつお参りをしました。

みんな心の中で無事出版されました、と報告したこととおもいます。


Cimg3008 原三溪の墓


広い墓域ですが、20人も入るとにぎやかできっと三溪さんも驚いたことでしょう。

昨年は出版直前で最後の追い込みの校正などでお参りにくる余裕がありませんでしたね、

と話しました。


お参りのあと希望者は

近くの吉田勘兵衛(吉田新田を開墾)と吉田健三(吉田茂の父)の墓参もして

久保山を後にしました。


ブログの更新

2010-08-13 01:19:02 | 日記・エッセイ・コラム

お盆の時期になり、なにやかやと忙しく、

ずっとブログもご無沙汰してしまいました。

今月でこのブログもまる3年がたちますが、

ここにきて、「ブログを書く」ということの意味を考えている自分がいます。

そのせいで多分更新が以前よりすくなくなっています。



とにかく「速水堅曹」のことを知ってほしい、という抑えられない思いに突き動かされて

今まで発信してきたのですが、

最近ブログに書いた内容を思いもかけない形で使われていることを知り、

愕然としたことがありました。


もちろん不特定多数の人に読まれることを意識して、最善の注意をしていたつもりだし、

発信することはリスクがあることも覚悟していました。

それでも、そのことはショックで、

堅曹さんのことで調べてわかったことなどは恐ろしくて全く書けなくなってしまいました。


気にすまい、と思っているのですが、ボディーブローのように効いてきて、

読み手をすべて性善説でとらえることができないのです。


まあ、私の調べていることなんか、たいしたことではないので、

何言ってるの?と思う人もいるとおもいますが、

それでも一生懸命調べて、言葉ひとつひとつ選んで時間をかけてブログに書いてきたのを、

ヒョイと使われてしまうと悲しいというか、ひどいというか、

発信する気力が奪われてしまいます。

それで、なんだかつまらない私の行動ばかり書いています。


果たしてこれでいいのだろうか、とまた悩む日々です。

愚痴と言い訳ばかりになってしまいました。


「絹文化を守るために」

2010-08-03 16:56:51 | 勉強会、講演会

7月31日は前橋で行われた上毛新聞社主催

  シルクカントリー双書発刊記念イベント 「絹文化を守るために」

にいってきました。


Cimg2937 群馬県社会福祉総合センター



足がよくなって、伝道師関係のイベントに行くのははじめてだったので、

会う人ごとに「良くなってよかったね~」、「もう歩けるの」と声をかけていただきました。

「まだ走ったりジャンプすることはできないんですけど」と言いながら、

「お久しぶりです」という挨拶ばかりしました。



さてこのイベントは、上毛新聞社が8月に出版する

『私の中のシルクカントリー』上下巻の発売記念でおこなわれました。


Cimg2951_2  『私の中のシルクカントリー』上下巻


大日本蚕糸会の高木会頭の講演があり、

同じ伝道師で座繰製糸をしているHさんや友人のミラノリブのSさんが

座談等に出席するのでぜひ聞いてみたいとおもっていました。


高木会頭の講演は「絹文化の危機と将来」というタイトルで

現在の日本の養蚕の危機的状況の説明とそれを打開すべき案として、

純国産シルクを希少価値とする差別化された絹製品をつくるのが肝心だ。

いわゆる大量に安い製品をつくるユニクロの真逆をいく、という。

現在国内の全シルク製品のうち国産の生糸が使われているのはたったの0.7%で、

あまりに少ない。

他国のものとは比べ物にならないほどいい品質の国産の生糸が、

価格と需要の減少によって、消滅しようとしている。

会頭はせめて収入の1%、純国産のシルク製品を買いましょう、

そして富岡製糸場が世界遺産となることは、絹文化を残していくことに大きな力になる、

と話されました。


Cimg2948 座談の様子


このあとは鼎談「絹に魅せられて」と

座談「『私の中のシルクカントリー』を語る」、がおこなわれました。

登壇者はみなシルクの文化や産業に関わる方たちで、

それぞれの立場で現在の活動やおもいを語られました。



今回発刊された『私の中のシルクカントリー』上下巻は

群馬県内でシルクに関わっていた、また現在も関わっている人たちを

2年半にわたって取材したものですが、

その数500人以上。

この数字だけでも群馬がいかに絹を生業とし、盛んであった地域(たぶん日本一ではないか)

であったかがわかります。



イベントを通して、国産のすばらしいシルクがつくれるのに、その産業が廃れてしまうのは

本当にあってはならないことだし、

その文化すら忘れられようとしている現在、

残すべきものとしてあらゆる努力を惜しんではならない。

そのための一助になる富岡製糸場の世界遺産登録も必ずや遂げなくてはと

深くおもいました。