堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

聖徳記念絵画館と青山霊園

2015-02-09 10:03:14 | 速水堅曹

2月7日の土曜日、

Kさん、Nさんと一緒に都内をあちこち見学した。

 

10時半に地下鉄「大手町」駅で待ち合わせ。

まず、先月も見に行った宮内庁三の丸尚蔵館へ。

  「明治天皇 邦を知り国を治める -近代の国見と天皇のまなざし」展

 

  入口で富岡製糸場古写真を見る

 

前回のとき展示されていた「二本松製糸所」の写真が2枚ともなかった!

多少展示品の入れ替えや同じ写真帳でもページが繰られているようだ。

展示されている堅曹さんの書類はじっくり見て、お二人に細かいことまで説明をする。

 

地下鉄で「外苑前」へ移動して昼食。

外苑前のチョウ並木をまっすぐに歩いていくと

正面にみえるドーム状の壮麗な石造りの建物が「聖徳記念絵画館」だ。

明治天皇と昭憲皇太后の事績を80枚の壁画で展示している。

 

2億年前!から存在しているというイチョウの木のことや

明治天皇が亡くなって、お墓が東京にできなかったので明治神宮ができた歴史など

あれこれ語りながら歩いていく。

 

  聖徳記念絵画館

そばにいくと、ぐっと迫力のある大きな建物である。

 

ここには、「富岡製糸場行啓図」(荒井寛方画)があるので、それを見るのが目的。

入口のところに、「祝 世界遺産決定」と書いたパネルになって紹介されていた。

 

      絵葉書があります、という宣伝

 

じっくりと80枚全部の壁画を見て外に出ると、午後も3時をまわっていた。

空気がひんやりとしてきて、今にも雪が舞いそうな空模様。

 

そこからまたてくてくと歩いて青山霊園にむかった。

 

  青山霊園入口

 

ここには速水本家のお墓がある。

最初に堅曹さんのお骨が納めてあったところ。

大きな鳥居のある大久保利通のお墓のすぐ先である。

花を手向け線香を供え、お参り。

 

次に堅曹さんにゆかりのある大竹家のお墓もお参りする。

1年ちょっと前にここのお墓を見つけた時のことをお二人に話した。

それは、我ながらよくやったと思うほど感動的な発見だった。

 

「外苑前」まで戻って、今日の見学は終了。

 いろいろ語りながら、一日お二人を案内できてよかったとおもう。

 

 

 

 

 


常盤新平ー遠いアメリカー展

2015-02-04 23:28:55 | 展覧会

2月最初の日曜日、

町田市民文学館ことばらんどで催されている

  常盤新平 -遠いアメリカ-展

     1月17日(土)~3月22日(日)

を見てきた。

 

詳細は町田市のHPを

http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/tenrankai/20141128141141110.html

 

 町田市民文学館入口

 展覧会会場入口

 会場

 

わたしにとって常盤新平さんは好きな作家のひとりだが、

かつてのご近所さんでもある。

 

15年以上前に住んでいた東京の下町のマンションでご一緒だった。

同じころに入居し、10年間ほどである

娘さんがうちの娘と同級生だった。

 

展覧会をみていて、

ちょうど初めての小説『遠いアメリカ』で

直木賞をとられたころだったとおもいだした。

 

よく編集者がマンションを訪ねてきたり、

戸外で取材を受けたりしているのをお見かけした。

きっとお忙しい時期だったのだろう。

 

こちらは乳飲み子を抱えた育児真っ最中で、

公園で遊んだり、保育園の送り迎えのときなどにお会いし、

挨拶を交わしたりした。

 

常盤さんは翻訳者から出発して、作家になり、エッセイなどもよく書かれていた。

2年前に亡くなられたあと刊行された『東京の片隅』を読んでいたら、

「いまも「わが町」」というタイトルで、あのマンションのある町のことを綴っていた

 

暮らしが楽しかったこと、近所の人たちと親しく付き合ったこと、

明るく活気のある町だったこと、歩く楽しさを知ったこと等々、

それらを好ましく思い出して、

「私はいまだにあの町を「わが町」だとおもっている。」と結んでいた。

 

エッセイにでてくる町の様子や小さなできごとの描写は頷くことばかりだ。

読んでいて懐かしさに満たされた。

同じ時間、同じ空気を共有していたんだと感じる。

 

当時忙しくて読み損なった『遠いアメリカ』を

今、読んでみようとおもう。

 

 

 

 

 


掛け軸

2015-02-03 09:48:12 | 速水堅曹

先日、オークションで入手した

速水堅曹の掛け軸が我が家に届きました。

 

     掛け軸

幅は普通ですが、丈が長いです。

 

しっかりした木箱に納められ、

大切に保管されていたようで、

虫食いもなく、染みも少なく、とてもいい状態です。

 

堅曹さんのきれいな「かな文字」です。

京都の製糸家に差し上げたものです。

 

これから読み解いていきます。

 

 


赤いバラの花束

2015-01-31 23:25:30 | 日記

   

30日はわたしの誕生日。

真っ赤なバラの花束が届いた!

 

      

 

数え切れないほどの目も覚めるような深紅の薔薇。

こんな素敵なバラの花束をプレゼントはされたのは、もちろん人生初。

 

なんで、赤いバラなんだろう?

なんで、こんなにたくさんなんだろう?

 

半日もたってから、ハタと気がついた!

数十本、赤色。。。。。

そうか~、贈り主(子供たち)はよく考えたんだな~。

 

ありがとう!

 

 


明治天皇 邦を知り国を治める

2015-01-25 23:24:49 | 展覧会

一週間ほど前に

宮内庁三の丸尚蔵館でおこなわれている展覧会

「明治天皇 邦を知り国を治める ―近代の国見と天皇のまなざし」

平成27年1月10日(土)~3月8日(日) (前期1月10日~2月8日 後期2月11日~3月8日)

を見てきた。

 

  皇居の大手門から入る

  三の丸尚蔵館

 

明治天皇の初期の全国各地への行幸の様子やその記録、

ご覧になった景色や新しい産業や教育の建造物などの写真類から

天皇が近代国家へ向けて変わりつつあった国土をどのようにみていたか、という

展覧会である。

 

この中に

「東園侍従 富岡製糸場報告」が出品されている。

これは明治23年富岡製糸所に遣わされた東園侍従に、

富岡製糸所長だった堅曹が陛下のお手許へと渡した文書類だ。

2012年に私が宮内庁で発掘したもので、

『速水堅曹資料集』の「堅曹の素描」に写真と内容を載せている。

この資料がこうした展覧会に展示されるとは、たいへん驚いた。

久しぶりに原本を目にすることができた。

 

この展覧会には、たくさんの製糸関係の写真が出品されている。

「富岡製糸場」の写真類。(東京国立博物館所蔵とおなじもの)

堅曹さんが設立指導した「二本松製糸場」の初期の写真。

「山形県鶴岡の松ヶ岡開墾場の蚕室」の写真。

県庁などを含む明治11年撮影の群馬県関係の写真もある。

どれも明治初めの貴重なもので、はじめて見るものもある。

 

明治天皇がこのように養蚕や製糸に特に関心をもたれていたということからも

製糸業が日本の近代化の要の産業であったことがよくわかる。

 

普段は見られない写真類ばかりで、前期後期で入れ替えもあるので、

期間中何度か見に行きたいとおもっている。