日本経済新聞の朝刊に連載されている「等伯」(作者:安部龍太郎)に
ただいま夢中です。
この夏にある方から
「「等伯」の小説がすごくおもしろいよ。」と勧められた。
我が家は日経をとっていなかったのでその小説のことは全く知らず、
それならば図書館に行った時にでも読んでみようか、とおもっていた。
10日ほど経ったある日、その方が今度は我が家に
8月はじめの20回分の新聞の切り抜きを送ってきた。
「え~! そんなに私に読ませたいの?」
とちょっと驚きつつもその切り抜きを読んでみると、グッと引き込まれた。
「等伯」とは安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した絵師・長谷川等伯である。
いま日本画家の人気投票をすると必ずベスト3に入る画家である。
小説はその彼の生涯を歴史的事件を背景に描き出している。
等伯は日蓮宗の熱心な信者であり、多くの仏画も手掛けているが、
その信仰が絵の修行への導きとなっている絡みも実によく書けている。
さて、送られたきた新聞小説の続きが読みたくなり、熟考の末
ついに、日経電子版を契約してしまった。
なんだか、明治時代の発行部数をのばすため小説で競った新聞合戦の様相みたいだ、
と内心笑ってしまった。
お陰で続きは毎日読んでいる。
この小説は今年の1月から連載がはじまっているので、
私は200回分ほど読めていない。(電子版では以前のものは読めない)
時間を作って図書館に行き7ヶ月分を読むしかないか、とおもっていた。
そうしたら先日の岐阜スタディツアーのとき、Kさんが
「私、その小説大好きで、初回から全部切り抜いてスクラップブックに貼ってとってある」というのである。
驚いた! そんな人がいるなんて。
早速それを貸してもらうことにした。
それがこれ。
うれしくて、一気に読みました。
感動です。
幾度か物語のクライマックスがあり、涙なくしては読めない場面もあります。
きっと連載が終わったら単行本にはなると思うけれど、
「今読んだほうがいい!」 という
何かしらの啓示で私はこの小説を読むようになっているのだろう、と思えてならない。
不思議な経験である。
9月12日、岐阜ツアー2日目です。
泊まりはビジネスホテルでしたが、朝食付きなので、朝から話しの和ができ、
和やかな雰囲気です。
さて、8時半にホテルを出発。
バスで岐阜公園までいきました。
すこし歩くと「岐阜県歴史資料館」があります。
ここには三溪の生家、青木家の資料が保管されています。
学芸員のYさんがあらかじめ資料を詳細に読み解いて解説文をつくってくださいました。
それに基づき、机いっぱいに並べてある資料を順番に説明してくれます。
まずは代々庄屋として由緒ある青木家の近世の文書から重要なところを選びだして解説。
次に三溪自身の日記、手紙、賞状などの解説。
一点一点すべてを読んでいきます。
そして書画もたくさん。
絵葉書や写真、アルバムなども・・・。
貴重な時間です。
皆真剣に原資料と解説文を見ながら学芸員Yさんの話しに耳を傾けます。
崩し字のおおい手紙文も読み下してくださり、内容がよくわかります。
私はカメラですべての資料を撮りました。
決してあとで撮り直すことはできないので、慎重におこないました。
二十数点の資料でしたが解説には1時間半かかりました。
まだこれは青木家の資料のほんの一部であるということです。
私がとても惹かれたのは、
三溪さんがふるさとの風景を描き、そこに簡単な文章を書き込んでいる墨絵の巻物です。
それは下図のようですが、ふるさとに対する深い思いが感じられて、とても胸を打たれました。
いいものを見せてもらったな、というおもいでいっぱい。
岐阜まで来た甲斐があったと本当におもいました。
11時になり岐阜公園のなかを散策しながらバスにもどり、
次は三溪さんが岐阜に来た時にはいつも寄ったという
有名な料亭「水琴亭」にいきました。
ここは三溪さんが昭和はじめにつくったので、三溪園にある臨春閣とそっくりなお部屋があります。
雪月花の間で昼食をいただきました。
とてもおいしいお弁当でした。
わたしは、ここで皆と別れて、一足はやく東京に帰り、夜には成田に向かいました。
このあと研究会のツアーは三溪の祖父にあたる高橋杏村の家のあった神戸(ごうど)町へ行き、
三重塔のある日吉神社や杏村の碑がある善学院などを見学しました。
2日間ともまだ残暑が厳しかったけれど、天気に恵まれ、
いいスタディーツアーとなりました。