3月25日は急に思い立って川越の市立博物館に行ってきました。
川越市の戦前の都市計画の資料がほしくて市役所に問い合わせたところ、市立博物館に絵図や図面の資料があるとのこと。
そちらにも問い合わせて、まだ午前中だったので急いで行きました。
実物は個人所蔵なので見ることはできませんが、企画展の図録にのっているのでそれをみせてもらい、役にたちそうなので購入しました。
その他関連のものや、欲しかったものなど買いました。
その後歩いて市立中央図書館に行きました。
今買った図録をじっくり見てみたかったのと、郷土関連の資料がなにかあるかもしれないとおもったのです。
いろいろ読んでいたら
『渋沢栄一伝記資料』 全58巻、別巻10巻
(編纂 渋沢青淵記念財団竜門社、発行 渋沢栄一伝記資料刊行会)
という膨大な資料集がありました。
さすが渋沢栄一の出身地埼玉県です。
この資料集すごいです。渋沢栄一の全仕事についてあらゆる資料を多方面からあつめて載せてあります。
だからこんなすごいボリュームになったんだとおもいます。
官営の富岡製糸場を最初に作ろうと相談したのは租税正渋沢栄一と大蔵少輔伊藤博文、そして在留仏人ジブスケです。
明治3年(1870)のことです。
そのことについての資料を見てみました。
『富岡製糸場記』は渋沢家のものと原製糸部のもの
『富岡製糸場史』『雨夜譚会談話筆記』『世外候事歴 維新財政談』
『大日本蚕糸会報』『生糸経済研究』『青淵先生伝初稿』
『大隈候八十五年史』『藍香翁』『竜門雑誌』
富岡製糸場を開業するにあたっての渋沢関連の資料をこれだけのせてあります。
このなかで印象に残ったのは最後の『竜門雑誌』です。
これは初代所長だった尾高惇忠が「製糸の沿革」という題で演説したものの聞き取りの文章です。
はじめて読みました。
堅曹さんのことについてしゃべっている箇所があります。
明治3年(1870)7月尾高さんが地理権正の杉浦さんやブリュナーと富岡の土地の選定に行った帰り、堅曹さんがすでに前橋で器械製糸場を日本ではじめてつくり、やっているのでそれを三人で見学に行ったときのはなしです。
尾高さんは前橋製糸所の動く器械をはじめて見て、「なるほどこれは軽便である」と関心したそうです。そして3人でその器械を見にきてくれたことを
速水堅曹大いに喜んで一人も賛成してくれぬ、謗る者ばかりなる中によくきてくれたと言って喜びました。其以来速水とは懇意にいたします。
と語っています。
前橋市住吉町1丁目交差点にある前橋製糸所の記念碑
強くてどんどん仕事をやっていったイメージのある堅曹さんですが、やはり私なんかの想像以上に当時誰もやってないことをはじめるのは大変だったんだ、と思いました。
一人も賛成してくれぬ。謗る者ばかり。
そして興味をもって見に来てくれた人をよく来てくれたと喜んで迎えた。
ちょっと愚痴をいったりして、そしてとても喜んだり、すごく人間味のある堅曹さんの一面が垣間見れたようでうれしくなりました。
当時の上司(深澤雄象)の娘さんの話では堅曹さんはこの頃は刺客に狙われることもたびたびで父の前で男泣きをしていたこともあったという。
器械製糸の黎明期の本当に大変な仕事をやり遂げてきたんだ、と心に残る一文に出会えました。