堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

佐滝氏の講演 リヨンへの思い

2008-05-31 10:31:59 | 勉強会、講演会

一日フル活動した28日。

最後は高崎市新町商工会で行なわれた講演会に行きました。



私がよく聞きにいく、佐滝剛弘氏(NHKチーフプロデューサー)の講演です。


  Cimg3730_3 今日の演題

「世界遺産を基本とする『高崎市新町のまちづくり』」


高崎市新町には明治10年(1877)につくられた官営新町屑糸紡績所の建物がのこっています。

生糸の生産に使えなかった屑繭や屑糸を紡いで、利活用する洋式紡績工場です。富岡製糸場開業から五年後に日本人技術者だけで作られた工場としても価値のある建物です。


  Photo 官営新町紡績所 錦絵


この建物を「富岡製糸場と絹遺産群」として世界遺産に登録ができるよう活動している会が主催した講演会です。

講演の内容についての詳細は、富岡製糸場伝道師協会http://blog.goo.ne.jp/whtomioka/のブログに詳しいので、そちらをご覧ください。



佐滝氏の講演は、200ヶ所以上の世界遺産をご覧になっている見識から語られる世界遺産の実像、可能性、問題点、などどれも納得のいく話ばかりです。


講演を聴いて、システムとしての日本の絹産業に視点をあてると、国内でつくられた生糸は横浜から船でアメリカやヨーロッパに輸出されたこと、養蚕農家がいまも埼玉や遠く山形にも立派に残っていること、製糸場は長野にも現存していること、など他県にまたがって多くの関連施設が残っていることを考えさせられます。


佐滝氏はシルクについて、世界、とりわけヨーロッパにおける重要性、価値について語り、現在シルク関連で世界遺産登録されている4つを紹介してくれました。

  ①フランス リヨン 歴史地区

  ②イタリア ナポリの王様が作った絹工場

  ③スペイン バルセロナ 「ラ・ロンハ」絹取引所

  ④イギリス ダーヴェント渓谷 ペルピー絹工場

この4つはいつか行って見られたらいいなと思います。


とりわけフランスのリヨン歴史地区。


  Lyons フランス リヨンの街


堅曹さんは130年ほど前に、横浜に生糸直輸出の同伸会社をつくっています。

そのときの設立趣旨が、世界一の絹布を製造するフランスに直接貿易をすること、そしてリヨンの情報を日本の製糸家達に伝えることが最重要、そのためには何を差し置いても、まずリヨンに支店を置きたい、と述べています。

そうして開業後すぐに精鋭の社員2名をリヨンに送り込み、リヨン支店を開設しています。


それほど世界の生糸の中心地であったリヨン。

現在のリヨンを以前NHKハイビジョンの生中継番組でみてからは、特に思いが募っています。

リヨン、行きたいな。


展覧会 二つ

2008-05-30 10:29:52 | 人物

28日の出来事つづきます。



その前に昨日のブログがなんと、100回目の記事でした

昨年8月に始めてから、まる9ヶ月です。まあ、よく書いたほうではないでしょうか、自分でいうのもなんですが。

これからも、どうぞお付き合いください。



さて、お墓探しがおわって、次に向かったのは、前橋プラザ元気21。そこで行なわれている「まえばしの歴史と郷土展」を見にいきました。


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群馬県立文書館に寄託してある堅曹さんの写真とお姉さんの西塚梅さんの写真が飾られているのです。

県都として発展し、生糸の町として世界に知られ、また多くの詩人を輩出した前橋の近代から現代に至る歩みが展示されています。


Cimg3697 入り口


Cimg3698 こんな感じで展示されていました


Cimg3700 明治9年米国フィラデルフィア万国博覧会に審査員としていったときの記念写真。左から2人目。


Cimg3701 梅さんは初めて公開されたので、解説つきです。


前橋が生糸の町として栄えた象徴的な存在でもある、日本初の器械製糸所を作った堅曹さんとそこで工女を指導した梅さんの紹介です。

こうやって二人のことが地元の方に知られていく機会があるのは、とてもありがたいことです。

前橋の歴史のビデオが勉強になり、ゆっくり見てしまいました。



さあ、まだつぎに向かうところがあります。

群馬県立歴史博物館の企画展「華ひらく能装束ー伝統の美と技ー」です。


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     群馬県立歴史博物館

これは“地域に生きる伝統文化の世界”として、古典的復元をしているすばらしい能装束を中心に、群馬県と能楽文化について考察したり、関連行事を行っている展覧会です。

能でなんで堅曹さんか、とおもうでしょうね。

関係があるんです、これが。

堅曹さんの自叙伝『六十五年記』に、明治25年正月、富岡製糸場で工女たちのために前橋より能役者を呼び、能をおこなったことが記述されています。演目も書かれていて、近代の群馬での能に関する史料のひとつとなりました。

『六十五年記』のその部分がパネルで展示されています。


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                           パネル「官営富岡製糸場での演能」


展示全体を見せていただいて、とても勉強になりました。

もともと堅曹さんは謡がとても得意で、晩年は親戚に教えていたり(前日のブログ記)、息子の一人は謡曲の先生になったりもしています。でも謡は武士の嗜みとして当時はできて当たり前、得意な者はまわりに教えたりしたのはよくあることだったんですね。

そして藩や大名によって流派がきまっていたのもはじめて知りました。

前橋藩の松平氏は宝生流でした。

堅曹さんや親戚の藩士もみんな宝生流だったのに納得です。


また今回の図録には参考文献として、私の「群馬文化」の論文名が書かれ、協力者の欄に速水○○○と私の名前が載っていたのです。

驚いたと同時に、とてもうれしくなりました。

企画をされた学芸員さんとお話をさせていただき、お礼をいいました。



今回こうやって群馬県内の2つもの展示で堅曹さんのことが取り上げられている。

私が調べ始めた数年前には考えられないことでした。

少しは県内で速水堅曹が認知されてきたのかな、と感慨深いです。


このあと、夜は講演会に行きました。

つづく。


前橋でお墓発見!

2008-05-29 22:57:57 | お墓

28日はいろいろ用事をしに、前橋、高崎に行ってきました。


午前中はまたまた、墓参りと墓探し。

いったい、またお墓に行くの?と家人にいわれました。

でもこの時期は墓地に行くには、最適なのです。

夏は照り返しがきつくて暑いし、冬は寒いし、今なら、まだやぶ蚊もあんまりいなくて、虫さされにもならないし、この時期じゃなくちゃだめなの、などど理屈にもならないことを言って出てきました。



先日の続きのようですが、前橋にある遠藤家の本家のお墓と西塚家や梅さんのお墓、遠藤家の分家のお墓です。


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    正幸寺                  遠藤家 本家の墓


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  森巌寺                  西塚家の墓 奥が梅さんの墓


  Cimg3688_2   Cimg3685


遠藤家分家の墓    速水堅曹氏に謡曲を学び寶生宗家に入門した、と書いてある



それらをお参りして、さて、ひとつ探しているお墓の調査です。

それは堅曹さんの奥さんの実家、石浜家のお墓です。

石浜家には堅曹さんの息子(三男)が養子にいって跡をついでいます。うちの先祖は二男ですので、とても近い血縁になります。


お寺はわかっていたので(森巌寺)、いままで何度も探してみたが見つからない。

やっぱり、お寺の住職に聞くのがいいかもしれないとおもい、今回はそのつもりで出掛けました。


偶然にも門の中に入ると、住職が出てこられたので声をかけて尋ねてみました。

すぐに調べて案内してくださり、念願のお墓がみつかりました。


  Cimg3658 石浜興作さんの墓


奥さんの父、興作さんの個人のお墓でした。堅曹さんの岳父になります。

墓石には戒名や経歴、没年などが彫ってあり、だいぶ石浜家のことがわかりました。

でもこのお墓には、ここ10年以上どなたもお参りにきていなくて、ご子孫がわからない、ということで、お寺としては無縁の墓として整理するリストにはいっている、といわれました。

さあ、大変です! とにかくご子孫の方をさがして連絡してあげなくては。

わたしも石浜家のことは全然わからず、本家にとにかく聞いてみて、現在どうなっているのか調べてみなければいけません。


なんだか、川越で速水家の先祖の墓を見つけたときのような展開になってきました。

ちょっといやな予感が・・・。


この日はそのあと、堅曹さん関連の展示を二つ見にいくのと、夜は講演を聞きに行くのと、予定はてんこ盛りです。

つづく。


谷中、青山お墓参りと散策

2008-05-27 13:43:38 | お墓

東京で真夏日を記録した5月24日(土)、谷中と青山でお墓参りをしました。



谷中は堅曹さんの甥にあたる、遠藤謹承(きんしょう)さんのお墓まいりです。堅曹さんのお姉さん梅さんの息子さんです。

夢酔い人Kさんが、昨年暮れに突撃訪問で謹承さんのご子孫宅を発見。そこから謹承さんのお墓が谷中のお寺にあることをお聞きして、他の親戚のかたも一緒に今回お参りすることになりました。



朝9時に日暮里で待ち合わせて、遠藤宅へ訪問。少しお話をお聞きして、お墓に案内していただきました。

謹承さんは堅曹さんの日記にも出てきて、甥っ子になりますが、家族のように面倒をみています。

彼は明治10年(1877)の西南戦争に軍人で出兵していて、その従軍記が2冊残されています。

それを見せていただいたときは、歴史のなかの出来事だった西南戦争がすごく身近に感じました。貴重な史料です。


Cimg3477 遠藤家菩提寺 霊梅院


Cimg3474 遠藤家の墓



謹承さんのお参りをしてからは、近くの谷中霊園へ向かいました。

Cimg3486 谷中霊園


ここから毎日五重塔をながめ、あの『五重塔』を書いたという幸田露伴の家のあった場所をとおり、昭和32年(1957)に焼けてしまった幻の五重塔跡を見に行きました。


Cimg3479 幸田露伴の旧居跡


Cimg3485Cimg3483_2

   五重塔跡



ウロウロと霊園の中を歩いて、有名人のお墓はどこにあるのかな~などと探していたら、「どこが見たいのですか?」と声をかけてくれる方がいました。

渋沢栄一!、阿部正広!などというと直ぐに教えてくれ、なんと連れて行ってくれました。しかもくわしい歴史の解説付きで。

そしてその後も、折角だから徳川ご三卿のお墓も、そしてよかったら寛永寺の篤姫のお墓も案内しますよ、とどんどん教えてくれます。


皆で顔を見合わせ、驚くやら、うれしいやら。ご好意に甘えて、たっぷりと案内してもらいました。


Cimg3495 徳川慶喜の墓


Cimg3508 渋沢栄一の墓


Cimg3498 阿部正広の墓


Cimg3523 Cimg3526

  寛永寺  篤姫の墓は非公開



こんなこともあるんだ、きっとご先祖様のお計らいだね、などと思ってしまいました。


途中、上野桜木でK’s Green Galleryも併設しているクマイ商店(私の姉の家)に寄り、姉から街づくりの話などを聞かせてもらいました。

「谷根千」としてこの界隈は近年人気があり訪れる人も多く、でもここまで来るには10年以上の地元の活動があってのことだそうです。一線でがんばってきた具体的な話は、富岡の街づくりにも参考になるような話ばかりでした。


Cimg3520_2 クマイ商店



さて、上野で昼食をとり、次は青山霊園です。


Cimg3567 青山霊園


現在堅曹さん夫妻は取手の瑞法光寺のお墓に入っていますが、その他の速水家の本家の方たちは青山霊園のお墓に入っています。先日のモニュメントになった川越のお墓以降はこちらです。


Cimg3569 速水家の墓


皆でお参りさせていただきました。

そのあと、すぐ近くの大久保利通のお墓を見学。いつみてもすごく立派です。


Cimg3572 大久保利通の墓


その墓前にある石燈籠に彫られている「速水堅曹」の名前を皆さんに見ていただきました。


Cimg3573 石燈籠の刻字


ここは堅曹さんが確かに大久保利通の下で仕事をしていたという、目にみえる証拠のような気がして、お参りにきていただいた方には紹介しています。



暑いなか、何時間も谷中から青山とお墓ばかりみてしまいましたが、本当にこの両方の明治初期につくられた官営の墓地は広くて、かつ、今の墓地のように整然と区画ができていないので、見て回ると一日あっても足りないくらいです。

でもご先祖のお墓参りを縁のある方たちと出来たことは、とてもうれしかったです。


瑞法光寺でお餅つき

2008-05-23 01:52:12 | インポート

五月晴れの18日の日曜日、堅曹さん夫婦のお墓とモニュメントがある取手の瑞法光寺で、お餅つきがありました。

最近では珍しいし、なにより撞きたてのお餅がとってもおいしかったので、ブログに載せちゃいます。



毎年5月に瑞法光寺では、鬼子母神さんのお祭りをします。ご祈祷の神様なので、祈祷会(きとうえ)となります。


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ご祈祷を受けにいらした御檀家さんに、お餅を食べていただこうと企画されました。



まずは前日から。20キロのもち米を研いでたっぷりの水につけておきます。

一気に10キロのお米を研ぐのは、結構大変で、手がふやけます。

木の臼には水を張っておき、乾燥した木に潤いを与えておきます。

その他、あんこやら、黄な粉やら、餅をいれるパックやら、なにやかやとそろえます。



当日は朝早くから、前日に研いで水につけておいたもち米を、今度はざるにあけてしっかり2時間ほど、水切りをします。


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その間に、臼にまた、お湯をはったり、杵も水につけておきます。


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ガスボンベにお釜の準備をしたり、黄な粉に砂糖や塩をいれて、味を調整したり、そうそう、餅取り粉も忘れずに用意。


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さあ、お米をお釜にいれて、この入れ方にもコツがあるそうで、真ん中をへこますようにします。そして蒸しはじめます。


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大体の時間で、加減は菜ばしを立てて蒸しあがりを確かめます。そしてちょっと食べてみて。

すべてベテランの人たちの勘ですすめられていきます。


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蒸し上がったもち米を臼にあけて、餅つきのはじまり!

最初が難しい。

腰に力をいれて、杵をギュッ、ギュッ、と米粒をつぶすようにして回りながら押していきます。2人でやります。


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だいぶ潰れたら、搗きはじめます。今度は返し手をいれる人とのコンビです。


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臼の真ん中に、杵の重さでスッと落としていく。力任せに叩くのではなく。


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このコツがはじめてやる人には難しいらしい。

長年やっている人や、昔やったことのある人は、体がおぼえていて、うまいですね。


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どんどん臼の中で、お米がつるつるのお餅になってきます。これがいわゆるもち肌。


この頃には、ご祈祷のお手伝いにきたお上人たちが団扇太鼓でお囃子をいれてくださり、にぎやか、にぎやか。


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つきあがったお餅は、粉を引いた台にうつされ、女性陣で丸められていきます。


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中には前日に作った丸いあんこがはいります。

餅を手でちぎって、ちょっとのばして、くるっと包みます。


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黄な粉のまぶしたのもつくります。


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パックに2個づつ詰めて、できあがり。



20キロのもち米で、7回臼で撞きました。

準備したパック200個全部につめ、余ったのはのし餅にして、たくさんお檀家さんに配られました。

おいしかった~。