堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

日本経済新聞 春秋欄

2014-05-03 00:06:27 | 富岡製糸場

4月26日の富岡製糸場の世界遺産登録見通しの勧告がでてから、

たくさんの人からお祝いのメールや電話、そして手紙をいただいた。


私のように細々と個人で、製糸業にかかわった先祖のことを調べているものに、

富岡が決まりそうでよかったですね、と温かい言葉をかけてくださるとは、

ほんとうにありがたいことです。



今日いただいたお手紙には日本経済新聞の切り抜きが同封されていました。

4月29日付けの「春秋」欄です。


そこには

   たしかにレンガ造りの工場は立派だが、建物や機械など「モノ」だけを

   見学するのなら物足りない。工業化への道の裏側には、悩みながら

   改革に挑んだ地域社会と人がいる。変革期の物語を伝える名所に

   なってほしい。

と書かれていた。


「悩みながら改革に挑んだ人」と読んで、堅曹だ!と思わずにはいられない。


製糸業の黎明期に苦労して富岡を経営していった。

そして素晴らしく改革を成し遂げた。

何度も廃場されようとした富岡製糸場を、身を捨てて守ってきた。 

おおぜいの工女たちと別世界のような製糸場をつくりあげていった。 

13年かけて最善の民営化を果たした。


ドラマはたくさんあった。

そうして今日まで残ってきたのです。

堅曹は自伝に詳細に書き残しています。


富岡製糸場で働いていた人たちのおもいを、今、痛切に伝えたいとおもう。


あの富岡製糸場を経営していた原三溪!

2014-05-01 17:30:12 | 原三溪市民研究会

このGW中、4月28日から5月4日まで

原三溪市民研究会では横浜の三溪園で、

「クイズで学ぶ、三溪園、原富太郎と横浜」

という催し物を主催しています。


Cimg3800 三溪園内苑入口



小中学生むけに、原富太郎(号が三溪)はどういう人物なのか、

クイズをとおして学んでもらおう、というイベントです。(もちろん大人も大歓迎!)


私も準備にかかわり、初日の4月28日に参加してきました。



Cimg3799 クイズの解説パネル


クイズには、原三溪が生糸の事業をおこなっていた、という答えのものがあります。

26日にイコモスから富岡製糸場の世界遺産登録が大丈夫だろう、という勧告がでたばかりなので、

36年間も富岡製糸場を経営していたんですよ、という解説をしました。

すると、驚くことに、ほとんどの人がそのことを知りませんでした!



これはいけない。

明治35年(1902)から昭和13年(1938)までの36年間です。

富岡製糸場が技術革新をすすめ、もっとも繁栄していたころです。

日本の生糸輸出高が世界一を維持していた時です。

 

Photo_2 原三溪


原合名会社が経営していて、原富岡製糸所といわれていました。



原三溪の経営者としての手腕、事業家としての実力が評価されます。

そういった堅実な事業の経営があればこそ、三溪園という素晴らしい庭園をつくることもできたのです。


本当に知られていないんだなあ、と痛感しました。

少しでも多くの人に、特に横浜市民にはぜひ知ってもらいたいと思います。


原富岡製糸所時代の貴重な資料のパネルもクイズの解説場所で展示してあります。

連休中、新緑が美しい三溪園にぜひお越しください。