堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

旅行

2008-08-30 13:38:49 | 旅行

明日から4日間、遅い夏休みの旅行に行ってきます。


のんびりと観光でもして、体と気持ちをリラックスさせる旅でもしようかと考えていました。

近江八幡は堅曹さんのお墓とモニュメントがある瑞法光寺の本院があるので、

お参りをしながら、歴史のある街を見学しようかとおもっていました。

しかし、下調べをしているうちに、近江までいくのなら、一足伸ばして、

姫路まで行ってこようかと、だんだんと先祖調べの様相をおびてきました。

新幹線で行って、それぞれの街は自転車で走り回ろうかとおもっています。

(リラックスできるのやら)



天気がよくなることと、はんなりとした関西弁にやられないよう(ちょっと苦手なんです)

祈っています。

美味しい近江牛食べてきま~す。

では、いってきま~す。


「くわっ茶」と「布ぞうり」

2008-08-28 23:51:33 | 日記・エッセイ・コラム

今日は高崎へ伝道師協会の支部会議に行ってきました。


そこでいただいたもの。

キンキンに冷やして、伝道師のDさんが差し入れてくださいました。

くわっ茶。


   Cimg4169  Kuwaccya


これは群馬県産の桑の葉100%で作られたお茶なのです。

桑の葉はミネラルが豊富で、美容と健康にいいそうです。

さっぱりして、とてもおいしい。

高崎市の日本蚕糸絹業開発共同組合というところが販売しています。

そう、Dさんは呉服屋のご主人です。

群馬県内の「食の駅」や、独立系の自動販売機にあるそうです。





会議がおわってから、同じく伝道師で友人のOさんが

「最近、古布でつくる布ぞうりに凝ってるの」と言って

手作りの布ぞうりをくださいました。


   Cimg4175  色使いよく考えています


桐生の買場紗綾市の伝道活動に行った時に

天神さんで200円で買った絹布で作ったそうです。

この絹布は最後の最後までこうやって使われてよかったね、と思いました。


ぐんまシルクの5本指ソックス履いて、布ぞうりはいてみました。


   Cimg4181 鼻緒が絹なので、滑りがいい


とってもいい感じです。


どうもありがとう!


1周年

2008-08-25 23:47:43 | あいさつ

今日8月25日でブログをはじめて1年になります。

いままで読んでくださった皆様に、こころより感謝いたします。


とにかく一年はやろうと、ガチガチに力がはいって、

パソコンにむかっていた最初のころをおもいだします。



  1213001_2 速水堅曹  明治43年4月撮影

 



速水堅曹という人物のことを発信したくて、はじめたのですが、

はたしてどの程度堅曹さんのことが、ちゃんと書けたのやら。


連載ものにして、堅曹さんの足跡をわかりやすくまとめようとした

「堅曹と横浜」も3回まで、

「富岡製糸場」も4回までしか、書いていません。

反省しきりです。


でも、1月に出来上がった「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」については、

ず~と経過をブログで書き綴っていけたのがとてもよかったとおもっています。

完成披露のあたりが、この一年のなかでは、ピークだったでしょうか。



また、富岡製糸場世界遺産伝道師協会では、

何度もブログのことを紹介してくださいました。

お陰様で、研修会にいくとよく、「いつもブログよんでいますよ」

と声をかけていただきます。


とってもうれしいです。

そして、またがんばって書こうという励みになります。

と同時になにかとても気恥ずかしい感じもします。

こちらがあまり存じない方なのに、むこうは私のことを結構知っている。

ブログって不思議ですね。



これからも、もっといいものが書けるよう努力して続けてまいります。

どうぞお付き合いください。


中山道 武佐宿

2008-08-23 03:31:21 | 旅行

そろそろ遅い夏休みをとろうかとおもい、いろいろ調べています。

近江八幡へ行こうかとおもっています。


そこで宿を探していたら、

「武佐(むさ)」というところに江戸時代から400年続いている旅籠がありました。


この旅籠の紹介文に

「江戸時代、中山道66番目の宿場、武佐宿は川越藩の飛び地で松平藩であった」

と書いてありました。


驚きました、こんなところで川越藩がでてくるとは。

堅曹さんの日記の最初に川越藩の領地名がかいてあり、

「近江の内、郡名不詳」となっています。

ここのことだったんですね      ( 追伸参照)


ということは、堅曹さんが京都へ行った時(文久4年 1864)には、

この藩領地の「武佐」で泊まっていたかもしれません。



ここは当時のこの旅籠もそうですが、本陣跡(下川家)や高札場跡などもあり、

古い宿場町の面影を色濃くのこしているそうです。


宿の案内文には「古い謡曲の本などもあり、歴史を語りたい方は是非」

と書かれているので、これは泊まるしかないでしょう。


早速に予約をしました。


追伸:夢酔い人Kさんから教えていただきました。

   「川越藩の松平」というのは、堅曹さんの藩主である松平大和守ではなく、

   幕末最後の川越藩主、松平周防守のことではないか。

   武佐の地に松平周防守の陣屋跡があるのでそうだとおもう、ということでした。

   堅曹さんのいた川越藩の領地ではないということです。

   よく調べもしないで、早とちりのまま書いてしまい、大変失礼しました。


お殿様の戒名

2008-08-20 04:07:27 | 日記・エッセイ・コラム

忙しいお盆を迎えながら、オリンピックにも心躍らされ、猛暑のなかで汗だくになりながら、一週間が過ぎました。


さて、17日の朝日新聞の天声人語(←クリックすると読めます)が墓碑や戒名についての話です。

三遊亭園朝の墓碑が「三遊亭園朝無舌(むぜつ)居士」と刻んであること。

随筆家の岩本素白は終戦の年の秋、信州で散歩中に「秋山微笑居士」と彫ってある墓石を見つけ、鬱々としていた気分がとても良くなった。


読んでいて、ブログに書こうとおもっていたことをおもいだしました。



ひと月ほど前、堅曹さんのお姉さんのご子孫、Eさんからとても面白いものがあったので、とお手紙をもらいました。

速水家やEさんの先祖が仕えていた越前松平家の藩主、松平直矩(なおのり)(1642-1695)について書かれた短編小説があるというのです。


   杉本苑子著 『引越し大名の笑い』 講談社文庫


     Hikkoshi


時は江戸時代前期の話です。

ちょうど速水家の初代が松平の殿様の家来となったころです。


松平直矩は越前大野で生まれ、播州姫路で家督を相続し、そのときまだ幼少だったため、越後村上藩へ国替を申し付けられます。

成人後、姫路藩にもどり、その後豊後日田藩へ。 

4年後に出羽山形藩にそして最後は陸奥白河藩となります。

その54年の生涯で7度の封地替えを命じられたのです。

しかし直矩の殿様は危うい藩財政を必死に切り盛りし、剛毅よりのん気、朗々と笑顔で宿運を甘受したそうです。

その藩主と家中の引越し人生を語ったお話です。



なにしろ、一家族が引っ越すのではなく、殿様が引っ越すとなればその家中、藩士全員何千人とその家族もすべてが移動するということです。

何回も大変だったでしょうね。ついていった藩士たちもえらいです。

この殿様はその生涯において幾度も越したので、ついには「引越し大名」のあだ名がついたそうです。



その大名、松平直矩の戒名が

   「天佑院鉄船道駕居士」です。

船で駕籠で、水を行き道を行きした引越し大名には、うってつけの戒名というべきかもしれない。(『引越し大名』)


速水の先祖代々が仕えていた藩の殿様はどんな人だったのか、どんな生活だったのか、小説ではあるけれど、垣間見れてとても楽しかった。

この本はもう、品切れで、Eさんは古書で手に入れたそうです。



さて藩士たるもの、お殿様が第一であるのがあたりまえで、堅曹さんも速水家の系図の前に、松平家(越前)の系図を詳しく書き残しています。

それを見てみると、松平家の歴代のお殿様の戒名がわかります。


  松平直基  -  佛性院鉄関了無居士

  松平直矩  -  天佑院鉄船道駕居士

  松平基知  -  仰高院実性英賢居士

  松平明矩  -  正眼院廊然無聖居士

  松平朝矩  -  霊鷲院○華微笑居士

  松平直恒  -  俊徳院仁山良義居士

  松平直温  -  馨徳院大振聲光居士

  松平斎典  -  興国院○徳協和居士

  松平典則  -  松林院尭雲義典居士

  松平直候  -  建中院義恩黎懐居士

 


天声人語で取り上げていたとおなじ「微笑」の文字がはいったお殿様もいます。

お盆は過ぎましたが、こんな視点で戒名を見て、どんな殿様だったのか想像してみるのも一興かと並べてみました。