忙しいお盆を迎えながら、オリンピックにも心躍らされ、猛暑のなかで汗だくになりながら、一週間が過ぎました。
さて、17日の朝日新聞の天声人語(←クリックすると読めます)が墓碑や戒名についての話です。
三遊亭園朝の墓碑が「三遊亭園朝無舌(むぜつ)居士」と刻んであること。
随筆家の岩本素白は終戦の年の秋、信州で散歩中に「秋山微笑居士」と彫ってある墓石を見つけ、鬱々としていた気分がとても良くなった。
読んでいて、ブログに書こうとおもっていたことをおもいだしました。
ひと月ほど前、堅曹さんのお姉さんのご子孫、Eさんからとても面白いものがあったので、とお手紙をもらいました。
速水家やEさんの先祖が仕えていた越前松平家の藩主、松平直矩(なおのり)(1642-1695)について書かれた短編小説があるというのです。
杉本苑子著 『引越し大名の笑い』 講談社文庫
![Hikkoshi Hikkoshi](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/01/56d48cc6999298f5322173ccfd4c5c54.jpg)
時は江戸時代前期の話です。
ちょうど速水家の初代が松平の殿様の家来となったころです。
松平直矩は越前大野で生まれ、播州姫路で家督を相続し、そのときまだ幼少だったため、越後村上藩へ国替を申し付けられます。
成人後、姫路藩にもどり、その後豊後日田藩へ。
4年後に出羽山形藩にそして最後は陸奥白河藩となります。
その54年の生涯で7度の封地替えを命じられたのです。
しかし直矩の殿様は危うい藩財政を必死に切り盛りし、剛毅よりのん気、朗々と笑顔で宿運を甘受したそうです。
その藩主と家中の引越し人生を語ったお話です。
なにしろ、一家族が引っ越すのではなく、殿様が引っ越すとなればその家中、藩士全員何千人とその家族もすべてが移動するということです。
何回も大変だったでしょうね。ついていった藩士たちもえらいです。
この殿様はその生涯において幾度も越したので、ついには「引越し大名」のあだ名がついたそうです。
その大名、松平直矩の戒名が
「天佑院鉄船道駕居士」です。
船で駕籠で、水を行き道を行きした引越し大名には、うってつけの戒名というべきかもしれない。(『引越し大名』)
速水の先祖代々が仕えていた藩の殿様はどんな人だったのか、どんな生活だったのか、小説ではあるけれど、垣間見れてとても楽しかった。
この本はもう、品切れで、Eさんは古書で手に入れたそうです。
さて藩士たるもの、お殿様が第一であるのがあたりまえで、堅曹さんも速水家の系図の前に、松平家(越前)の系図を詳しく書き残しています。
それを見てみると、松平家の歴代のお殿様の戒名がわかります。
松平直基 - 佛性院鉄関了無居士
松平直矩 - 天佑院鉄船道駕居士
松平基知 - 仰高院実性英賢居士
松平明矩 - 正眼院廊然無聖居士
松平朝矩 - 霊鷲院○華微笑居士
松平直恒 - 俊徳院仁山良義居士
松平直温 - 馨徳院大振聲光居士
松平斎典 - 興国院○徳協和居士
松平典則 - 松林院尭雲義典居士
松平直候 - 建中院義恩黎懐居士
天声人語で取り上げていたとおなじ「微笑」の文字がはいったお殿様もいます。
お盆は過ぎましたが、こんな視点で戒名を見て、どんな殿様だったのか想像してみるのも一興かと並べてみました。