堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

ドナルド・キーンさん文化勲章

2008-10-30 02:26:15 | インポート

ドナルド・キーンさんに文化勲章が贈られました。

なんかとってもうれしい。


昨年10月に角田柳作のシンポジウム(←クリック)で講演を聞きました。

ちょうど一年前ですね。


キーンさんが日本文学に目覚めたのは、

角田柳作の講義が大きかったとおっしゃっていました。

お元気でちょっと愛くるしい感じのしゃべりはとても親しみがもてました。



新聞に載ったコメントがとてもよかったです。Photo


「私個人がもらったというより、海外の日本文学

研究者の努力を日本という国が認め、

偶然、私がいただいたのだと思う。」


本当に日本人以上に謙虚なキーンさんです。



おめでとうございます。


境島村と桐生の現地研修

2008-10-26 02:56:00 | 勉強会、講演会

24日は富岡製糸場世界遺産伝道師協会の現地研修会でした。

場所は群馬県の伊勢崎市境島村と桐生です。



朝、8時に高崎駅に集合してバスでまず、島村へ向かいました。

このところずっと秋晴れのいい天気が続いていたのに、

この日に限って朝から大雨。

会長さんが、僕が日程を決めたので雨男のようですね、って恐縮してました。


境島村は大型の養蚕農家群が現存しており、明治初期、良質な蚕種を

ヨーロッパに輸出していました。


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「島村蚕種業績の地」の碑               養蚕農家


「ぐんま島村蚕種の会」のボランティアガイドのかたの説明を受けながら、

1時間半ほど町の中を見学しました。

今年あらたに国の登録有形文化財に指定された島村教会も見学しました。


Cimg5188  島村教会内部


3年ぐらい前にも研修で訪れましたが、今回は新たに発見された錦絵などもあり、

ガイドのかたの丁寧な解説で、とてもよく島村の歴史がわかりました。



またバスに乗って、次は桐生に向かいます。

群馬大学の工学部の同窓記念会館に行きました。

大正5年に建てられた建物の講堂と玄関の一部が

同窓記念会館として残されています。


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  群馬大学工学部同窓記念会館


木造2階建てで、教会のような雰囲気の中も外もとてもステキな建物です。



お昼はレンガ造りでノコギリ屋根がある旧金谷レースの工場を活用した

ベーカリー・カフェで食事をしました。


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        ベーカリー・カフェ「レンガ」


今年オープンしたばかりで伝道師仲間からよく評判を聞いていたので、

訪れてみたかったところです。

きれいで洒落た店内も外観もいいですね。

好きなパンを3つとサラダ、スープ、飲み物のセットです。

とてもおいしかったです。


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昼食も終わり、ここからはずうっと桐生のまちなか歩きです。

相変わらず雨は強くなったり、弱くなったり、時には止んで、

でも降り続いています。

高崎駅で買ったビニールの合羽を着て、折りたたみの傘を差したり

閉じたりといそがしいことです。


桐生天満宮を見て、毎月買場沙綾市が行なわれている「買場ふれあい館」。

アーチストファクトリーとしてノコギリ屋根工場が使われている「無鄰館」。


Cimg5260  無鄰館


現在は倉庫として使われている、大谷石造りのノコギリ屋根工場。


Cimg5275_2  旧曽我織物



本町通りを、明治や大正年間につくられた商店や住宅を見ながら歩きます。


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                     中村弥市商店         平田家住宅   


最後は土蔵や煉瓦蔵を多目的イベントスペースとしてつかっている「有鄰館」。


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     有鄰館



桐生はもう使われなくなった工場や蔵、建物をうまく活用しています。

やはり3年ほど前に見学に来たときより、よくなってきていると思いました。

2時間くらい歩いたでしょうか。



バスで移動して織物参考館「紫」(ゆかり)に行きました。

ここもノコギリ屋根の工場をつかっていて、いろいろな織物にかんする

器具や機材が展示てしてあります。


Cimg5305  織物参考館「紫」(ゆかり)


実際に説明員が織ってみせてくれたり、

器械を動かして仕組みを解説してくれたりしました。


Cimg5300  ジャガード手織機


目を凝らして糸を見つめました。何千本、何万本という細かい世界です。



ちょっとバスにのり、桐生駅前にある、絹撚記念館を見学。

またバスにのり、旧日本織物㈱の発電所跡をみました。


これですべての見学が終わりました。

もう5時をまわっていて、バスに乗り高崎駅にむかいはじめたら、

すぐに暗くなってしまいました。

日が短くなりました。



今回見学したふたつの町とも、富岡製糸場とともに絹産業遺産として一緒に

世界遺産登録を目指して活動をはじめたところです。

以前見学したときより、ずっと町の熱気を感じました。



駅についたのが、6時15分ごろでしょうか。

一日中振っていた雨もやっと上がりました。

あれやこれや買ったお土産もって新幹線のホームに上がると

ふと見た向い側に

「世界遺産候補 富岡製糸場と絹産業遺産群」の大きな看板が。


Cimg5323  高崎駅 新幹線ホーム


しばし見つめてしまいました。


大久保利通と西郷隆盛

2008-10-23 10:07:05 | 人物

昨年から引き続いて、今年も早稲田のオープンカレッジに通っています。

主に幕末明治の歴史に関連する科目をとっています。



堅曹さんが晩年(明治43年)新聞記者に語っている言葉があります。


  「なお西郷、大久保両雄の心事については世の中の人の知らぬ

   秘密があるのです。

   誰も知りませんが、ただ五代友厚だけは知っていました。

   私も聞きましたが、これは死を以て言わぬと誓ったことだから、

   五代亡き後ではあるが、語られませぬ。」


  (記者、それではその秘密は貴下百歳の後は永久に秘密として

      埋没するわけですなと言えば 「そうです。仕方がありません」とて

      憮然として目を閉じて感慨の面持ちをされる)。


             『大久保利通』 佐々木克監修 講談社学術文庫より引用


この堅曹さんの言葉がどうしても私の頭からはなれず、



一年間をとおして

「木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通 ー彼らの軌跡を史料でふりかえるー」

という講座をうけています。


彼らの残した手紙や日記を読むという、自筆の史料からその人物像や

出来事の事実を確認していく、という講座です。



現在西郷さんがおわり、大久保さんをやっています。


西郷は日記はなく、手紙を読みました。

特徴は感情のまま書いていて、友人の家族のことなどもこまごま書いています。

腰の低い、へりくだった人なのがわかります。

でも判断にかける部分があったり、いいわけがましい文がおおかったりもします。

相手によっては本音なのか愚痴ばっかりこぼしたり。

人間味があるといえばそんな感じです。


西郷は人望があったといわれていますが、それは評伝などの死後の評価であり、

手紙を読んでも実像はわかりにくい、と先生はおっしゃっていました。

手紙にかかれていることから、事件の真相がわかったり、

微妙な立場がわかったり。

それを読み解いて歴史学者はひとつひとつ解明していくのだと知りました。




この秋からは大久保の日記を読んでいます。

日記といっても備忘録といったかんじのものです。

たとえば生麦事件では、その場に居合わせていたのだけれど、

実に簡潔にたんたんと書いてあります。

余計なことは書かず、事実と大切なことがらはきちんと残す。

頭のなかですべて整理して書いているところに

大久保の能力や性格がでているという。


大久保は西郷とは違い、多くの史料があるにもかかわらず、不当な評価が多い。

これも後年の特に鹿児島や佐賀の人々が作り上げた面が大きい。


とまあ、こんなことを教えてもらいました。



歴史って事実が解明されていることはほんとうに少なくて、

特に人物像は後年の評伝などのイメージでつくりあげられている部分が

大きいのだな、とおもいました。



歴史上、大久保さんと西郷さんの関係はとても不可解なものとされています。

幼少期からの大親友であったのに西南戦争での最後の戦い。

残された史料からは

このときの二人の気持ちは永遠に解明されることはないのでしょう。


堅曹さんに聞けるものなら聞いてみたい、とすごく思うのです。


富岡製糸場と和歌 ②

2008-10-18 00:33:25 | 勉強会、講演会

さて、相棒Tさんの講演会のつづきです。

堅曹さんの和歌の紹介になります。


Cimg5147 講演の様子



最初は2006年に富岡製糸場の倉庫から発見された「柱隠し」に

書かれていた和歌。

柱隠しとは

  柱の表にかけて装飾とするもの。

  竹、板、陶器などでつくり、多く書画などを描いたもの。


     白露の 奥ゆかしくも 住む宿に 

               植えたる菊に 千代の色なる  


Photo 発見された柱隠し
  



次はモニュメントにも収められている、速水家4代、5代、6代を追悼した和歌3首。


     武士の 大和心を 家の子に 

               付けとて君は 教えおきけん


     咲き染むる 花とや言わん 君はしも

               いと珍しき 勲たてけり


     世の人は 常磐とも見ず 夏山の

               青葉に混じる 松の一木を



日記から抜粋したもの。

堅曹さんが生糸の仕事にかかわるようになった明治維新前後の時期のもの5首。

その中から一首


     物おもふ おもひの外に としくれて

              こころ静かな 春にこそあれ



『蚕業新報』に連載された「製糸場の大庭」という

堅曹さんが毎年正月に工女さんたちに話した演説集があります。

そこにのっている和歌と漢詩13首。

たとえば、


     世の人は 知るか知らぬか とみおかの

               いとにぎはしき 年のはじめを


     春ことに なれみし花も さらにまた

               ことしはまさる 色香なりけり


     手弱めの よはき手にくる くりいとは

               わか日の本の 光とそみる


漢詩は


     旧去新来上下均 参千五百萬人春

     請看自立卓然女 紅粉錦裳不頼親


   古い年が去り、新しい年が身分に関係なくやってきた 

   全国民三千五百万人の春

   どうか見てやってください、自立して際立ってすぐれた女性たちを 

   白粉も着物も親に頼らずにがんばっています   (訳 Tさん)



富岡製糸場の賑わい、

花にたとえて詠まれた工女さんたちの一生懸命さ,

しっかり自立した女性の姿が詠まれ

見守る指導者の温かい目があります。



それぞれの歌については堅曹さんの略年表と対比させながら、

詠んだ時の状況を説明し、現代語に訳してくれました。

また、富岡製糸場の出来事や当時の群馬県内や日本での生糸関係の動きも

丁寧に解説してくださいました。

それによって、国の蚕糸業の発展と堅曹さんの仕事がリンクしていったのが

よくわかります。



明治23年(1890)10月に東園侍従が富岡に来た際、

差し出した長歌と和歌をとりあげました。


  上つけのかむら・・・ひなにはあれど 西には妙義浅間南にはみかほ・・・、


と富岡の素晴らしい自然と四季を詠み、


  五百人の工女らが競って糸をひき、夜は文学も学び、

  長くたゆみなく仕事に励むにつれて、外国に名声を上げてきた。

  わが国の富の基本は富岡の里にあり、繁栄は糸繰りの糸にあり。

  この富岡に及ぶ里は他にはない、この糸に及ぶ糸も他にはない、

  上野の甘楽の里をご覧くだされ。(筆者 意訳)


という内容の長歌と


     富岡の 里のおとめか くり出だす

                いとながくこそ 国は栄えめ


この長歌と和歌は当時の富岡製糸場の様子を最もよくあらわしていると

思います。


最後にTさんはこの歌を紹介して、

半数以上のかたが富岡にいったことがない会場の人たちに、

ぜひこのような富岡製糸場を見に来てください。

そして絹蚕業遺産群と速水堅曹のことをご理解いただき、

世界遺産活動のご支援をお願いしたい、

と話されました。


今回の講座をきいてくださった方たちが、堅曹さんの歌をとおして、

当時の富岡製糸場や工女さんたちの様子、

日本が蚕糸業で栄えていたころの気概を感じていただけたら

とおもいました。



講演が終わったのが、3時半。

2回にわたって4時間の講演、Tさんご苦労様でした。

下調べにとても時間をかけて、和歌に出てくる場所はすべて

見にいかれたようです。


いままで誰もとりあげたことのない、富岡製糸場にまつわる和歌をまとめられて、

文化的な面から検証したとてもいい内容でした。


富岡製糸場と和歌

2008-10-16 10:09:58 | 勉強会、講演会

昨日、相棒Tさんの講演会に行ってきました。(ブログ参照)


演題は「富岡製糸場と和歌」です。

先週に引き続いての2回目です。

今回は堅曹さんがつくった富岡製糸場を詠んだ和歌をとりあげてくれます。


私は1回目のは都合がつかず、聞きに行くことができませんでした。

行った方にお聞きしたら、とても盛況だったそうです。

11日の上毛新聞にも記事が載りました。


Photo   上毛新聞記事



さて、昨日は天気もよく、絶好のお出かけ日和となりました。

前日から充電をしたり、テープを買ったりと準備をしたビデオカメラを持って、

会場へ向かいました。

なにしろ、堅曹さんのことがメインで講演会が催されるなんて、はじめてのことです。

これは撮っておかなくては。

そしてTさんがどんな風に語るのか、勉強にもなります。


会場は太田市立新田(にった)図書館の2階です。


Cimg5149  新田図書館


午後1時半からはじまりました。


  最初に富岡製糸場の経営に大きくかかわった人物として、

  速水堅曹の紹介をたっぷり、しっかり、充分にしてくれました。


  当時は生糸、製糸といえば、速水堅曹の名を知らない人はいなかったのに、

  時代もかわり、養蚕製糸もすたれてしまえば忘れられてしまうのです。

  Tさん、具体的に堅曹さんの仕事を列挙してくださいました。


  たとえば、官営富岡製糸場の所長はもちろん、

  日本で最初の器械製糸所を前橋につくったこと、

  明治8年にこれも日本ではじめての経営診断といってもいい

  富岡製糸所の経営調査、

  生糸直輸出の同伸会社の経営、

  アメリカに行って経験した生糸審査を基に

  日本での繭生糸の審査法の確立、等々


  これらの仕事をみて、彼は製糸における先駆者であって、

  日本の蚕糸業において果たした役割はたいへん大きかった。


とここまでで、40分ほど話されました。


いやー、和歌の話の前にこんなに堅曹さんのことをしゃべってくれるなんて、

うれしかったです。



作者である人物の紹介が済み、肝心の和歌に入ります。

長くなりそうなので、次回に続きます。