堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

2009年を振り返って

2009-12-30 03:38:09 | あいさつ

今年も押し詰まってまいりました。

あと 1日で新しい年がやってきます。

月日のたつのがはやくて、いったい今年は何をしていたのか、と思い出すのもたいへん。

というより、記憶がMAXで、覚えられない。

まあ簡単なはなし、すぐに忘れてしまうのです。(歳です)



それはさておき、一年間振り返るのに、ブログをザ~っとさかのぼってみました。

この一年、いろんなところに行きました。

春には埼玉県深谷、長野県松代、千葉県鴨川、長野県小諸、

夏には山形県鶴岡、愛知県豊田、九州各地(大分、熊本、長崎)、

秋には神奈川県横須賀、長野県上田、須坂、

そして、年間通して、群馬県内の前橋や富岡その他、横浜、都内各地。



今年は、年頭にあたって、こつこつと調べものをしよう、地に足のついた活動をしよう、と決めました。

その通りだったかな。


お陰で、速水堅曹の人物像が自分のなかで、少しづつつかめ、形になってきたような気がします。

特に全国各地に器械製糸の指導に行った足跡をたどってみて、

その地の製糸家たちとの交流、つながりがわかってきたのは収穫でした。


堅曹さんの日記や自叙伝に出てくる製糸家たちの一人ひとりを調べてみると、

それぞれ明治初期から製糸業にかかわり、奮闘し、活躍した人生があり、

当時の人たちの生き様が見えるようでした。

若い青年たちが器械製糸業の発展をねがい、生糸にかかわり、

外国に負けまいと日本の国のことを考え、理想を追い求めた。

彼等のエネルギーに満ちあふれた姿があります。

それはまさに「坂の上の雲」の日本シルク編、

器械製糸に夢を追いかけた群像、といったところだと、ひとりでおもっています。



ブログを読んでくださっている方からは、よくいろんなところに行ってますね、と言われます。

堅曹さん関連で出掛けたことは必ず書くようにしていますが、

ひと月のうち半分は仕事に行き、家や家族の用事もあるので、

毎日出掛けているわけではないのですよ。(ハハハ)


時間があるようでない、ブログもいつもとんでもない時間に更新しています。

どちらかというと、完全な夜型。

でも、いま書かなければ、やらなければ、と追い立てられるような気持ちで

がんばった一年でもあります。



なんだか、まとまりのない 「一年を振り返って」 になってしまいました。

今年書いたブログはこれをいれて、105回。 

一年間読んでくださり、本当にありがとうございます。

感謝申し上げます。

皆様、どうぞよいお年をお迎えください。


「坂の上の雲」の海軍省の門

2009-12-28 02:48:56 | 日記・エッセイ・コラム

第一部の最終回 「坂の上の雲」 第5回を見ました。


正岡子規の病状の悪化、秋山真之との対比が切ない。

 「君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く」


日露戦争へ向かっていく日本政府と日本海軍の状況が、刻々と描かれていて興味深い。

こうやってみると、ほんと歴史というのは、単純ではなく、

いろいろな要素が絡み合ってつくられれていくのだとおもう。

だからこそ、国の外交というのは大切であり、慎重であってほしいと願う。




ところで、今日の回では行ったことのあるロケ地はどこもない、とおもった。

でも気になるところはいくつかあり、見終わってからもいろいろ考えていた。


前回もでていた「海軍省」の立派な門。

煉瓦づくりで門とつながって番所のようなものもある。

ドーム型の屋根の上には照明まで付いている。

豪華この上ない門です。


最初に見たときは明治村の門かとおもったのですが、

撮った写真をみてみると、ちょっと線がほそい。


Cimg1328 明治村 正門


違うな。(がっかり)



でも気になる。

もしかしたら、とおもい、2年前に訪れた京都の写真を見てみました。

ありました!

京都国立博物館の門(西門)でした。


Cimg0885 京都国立博物館 西門


すばらしく豪華。

奥に見える博物館本館自体がとても豪華で大きく、美しい。


Cimg0881 博物館本館


門と本館の間には、なんと噴水があり、真中にはロダンの考える人。


Cimg0884 博物館本館全景


全体の写真を撮るにはずっと歩いて下がらなければならず、

なんて大きく立派な建物なんだろう、とおもったのをよくおぼえています。


三十三間堂を見学に行ったら、たまたま通りをはさんで目の前が京都国立博物館で、

あまりに素敵な煉瓦のたてものだったので、ついつい見にいき写真を撮ったのです。


調べてみると、明治28年に竣工した帝国京都博物館が前身で、本館と西門(旧正門)が当時のものです。

設計者は日本人建築家の育ての親ジョサイア・コンドルの最初の弟子である片山東熊(とうくま)。

迎賓館や東京国立博物館の表慶館も設計しています。


Cimg7338_3 東京国立博物館 表慶館


そういえば、表慶館と京都国立博物館は

伸びやかで和と洋が混在した独特の雰囲気がとても似ています。



それから今回、伊藤博文、井上馨が大磯の陸奥宗光別邸で話す場面がありました。

あの数奇屋風でありながら、洋間となっている雰囲気のある部屋はどこなのだろう、

どうみても三溪園じゃないよね、と気になって、ちょっと調べました。(思いだしたのではなく)

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使われていたのは、明治村にある西園寺公望別邸「坐漁荘」だとわかりました。

そこで明治村で撮った写真を見てみると...、 ありました!


Cimg1427 西園寺公望別邸 坐漁荘


ここは手前の幸田露伴の蝸牛庵でゆっくり見学してしまい、時間切れで外観の写真だけとりました。


ロケに使われていたのは、右側の張り出している部分でしょう。

映像にうつっていたガラス窓の上部の竹(?)の模様がこの写真にも写っています。(クリックすると拡大されます)、

庭に面したガラス戸のある左側の廊下を陸奥が夫人に支えられて、右の洋間の方へ来ます。


あの場面では、とても美しい夫人がでてきますが、

陸奥宗光には本当にとびきり美人の妻がおり、

「鹿鳴館の華」とか、アメリカにいたときは「ワシントン社交界の華」といわれるほどに美しかったといいます。

そんなエピソードをさりげなくドラマにいれているのですね。



さて、これで今年放映分の5回がおわり、次は来年の11月頃でしょうか。

楽しみにして待っていましょう。

というより、本もぎりぎりここまでは読んであったので、先を読まなくてはいけません。


ひょんなことから、毎週「坂の上の雲」のことをブログに書いてしまい、

5回だから続いたものの、来年はどうしようかな?

見てから決めようっと。

でもいまからこんなこと言って、鬼が笑ってますね、きっと。


築地へ買出し

2009-12-27 14:11:29 | 日記・エッセイ・コラム

今日、毎年恒例の築地の買出しに行って来ました。


Cimg1951 場外市場入り口


日曜日でも年末なので、市場はやっています。

けれど、買い物客は例年より少ないみたい。

いつもは、平日に来るからかな?


朝7時半には築地に到着。

でも近くの駐車場はすでに満杯。

いつものちょっと離れたパーキングへ。

あまり寒くないので助かります。



テレビタレントの弟で有名になった卵焼き屋さんが、いつもは、いつ行っても売り切れなのに、

今朝はまだたくさん売っていたので、はじめて買ってみた。


Cimg1953 玉子焼きや


今夜食べてみようっと。


毎年必ず買う、数の子やさん。

いつもの値段でいつもの量を。

ついでに今年は「いくら」が豊作で安いから、とすすめられて、いくらも買ってしまう。


次は鶏肉やさん。


Cimg1954 鶏肉や


お雑煮用は、毎年ここで買うので、いつかスーパーで買った鶏肉でつくったら味がちがってしまった。

つくね用のひき肉や、なべ用の骨付きなども購入。


せまい横道にはいって、削り節やさん。

築地には何軒かあるが、ここのが一番。


いつも買う栗きんとんは、今年は小布施の栗かのこ(きんとん)をいただいたので、買わないことにした。


あとは、かまぼこ。

これはお店によって同じ品でも値段がちがうので、一周して、一番安いお店で購入。

店員さんも、「ここが最安値だよ」って言ってたので、

私も「そうそう」と合いの手いれて、他のお客さんにも勧めてしまった。

こんなところが、市場で買うおもしろさかも。


その他、牛肉やらマグロやら買い込んで、手に持つ荷物はズッシリと。


場外市場と場内市場の間にはこんな神社があります。


Cimg1958 波除神社


Cimg1960 大祓いの茅の輪がありました。



さあ、おなかもすいて、何を食べるかな。

まだ朝の9時です。

やっぱりお寿司ですね。


Cimg1957 寿司や


おなかもイッパイになって、買出しおわり。


繭から糸を挽きました!

2009-12-25 09:11:38 | 日記・エッセイ・コラム

私が座繰りで挽いた生糸です!


Cimg1942 MY生糸



23日の天皇誕生日、

高崎の「日本絹の里」で、先月座繰り器を購入した初心者向けに

座繰りの講習をしてくれました。


早起きして、新幹線に乗って行って来ました。

Cimg1940 日本絹の里


Cimg1872 染色体験室


染色体験室でおこなわれ、参加者は5人です。

講師は伝道師でもあるプロのNさん。

久しぶりに会えてうれしかったです。

また、参加者は、同じく伝道師のKさんも。

そして、須坂のシルクサミットで知り合ったKさんもいらっしゃいました。

知り合いが何人もいて、とても楽しかったです。



さて、使うのは前橋式の上州座繰り器。

みごぼうき(繭の表面をなぞって糸口をだす)、すくいざる、たわし、はさみ、

繭をいれる鍋やバケツなどが用意されていました。


Cimg1879 前橋式の座繰り器 ヤマミチがあります


Cimg1875 座繰りの用意


繭は「ぐんま200」を使います。

それをひとり50粒。

乾燥してある繭をお湯で煮るところからはじまります。

といっても、これは職員の方がやっておいてくれました。


まず、先生の手本を見ます。

さっ、さっ、さっと繭から糸口をだしてとっても細~い糸を何本もくるくるっとまとめて、

鼓車や小枠に巻きつけていきます。


Cimg1880 鼓車などに糸をかける


そして、左手でハンドルをまわしながら右手で「みごぼうき」を使ってお湯をかきまわし、

中の繭をなでて、糸口をだし、挽いている糸に付けていく。


Cimg1881_2

Cimg1882 みごぼうきで繭をなでる


Cimg1883 糸をつける



さあ、自分でやってみましょう。

見たことはあっても、やるのは全くはじめてです。

繭の糸は一本が本当に細いんですよね。

極々細です。

それを20本ぐらい合わせて一本の生糸にするのです。

しっかりメガネ(老眼鏡!)をかけて見ても、そんなに完璧には見えない。(悲)


左手でハンドルを回しながら、顔は右手の方をむいたまま。

繭をなでる「みごぼうき」の動きをずっと見つめています。

先生が来て、「糸が細すぎるからハンドルを少しゆっくりまわして」、

「なるべく糸をたくさんつけて」と。

そしてお湯をグチャグチャにまぜていた私に、

「そうすると撚りがちゃんとかからないから、一定の方向にまわすように」と言われた。

そうか、それで糸に撚りがかかるんだ。



そうやって1時間くらい糸をひいていたでしょうか。

ちょっと休憩しましょう、と先生が声をかけてくれました。

同じ姿勢でずっとやっていると体が固まってしまいます。


Cimg1894 友人Kさんの糸繰りのようす


繭は糸がどんどん取られてくると、透明になってきて中から蛹がでてきます。

それを時々なべから取り出します。


Cimg1884 繭の中の蛹がみえてくる


鍋のお湯がさめてしまうので、時々熱い湯を足したり、繭が少なくなると入れてくれたり、

いろいろ先生や職員のかたが手伝ってくれます。

ひとりで全部やるんじゃ大変ですね、ととなりで糸を挽いていた伝道師のKさんと話す。



途中で繭を煮る、「煮繭(しゃけん)」のやり方を教えてくれました。


Cimg1889 煮繭


Cimg1891 煮えた繭をとりだす


結局、午前中1時間半ぐらい糸を挽きました。

左手のハンドルや小枠のほうは全然見ることがなかったのに、

小枠には糸がきっちりと均一に巻かれていて、とてもきれいです。

上州座繰り器って優秀だとおもいました。


Cimg1896 小枠に巻きとられた生糸




お昼を食べて、午後は挽いた糸の「揚げ返し」をします。

大きな枠にもう一度まき直すことです。

これも座繰り器と似たような歯車や装置が使われています。


Cimg1899 揚げ返し器


Cimg1898 歯車のところにヤマミチが


まず器械に目を奪われました。

座繰り器にもある絡交もついています。

よく出来ています。



3つの糸をかけて、交代でハンドルをまわして糸を巻いていきます。


Cimg1910 揚げ返しの様子


Cimg1908 ハンドルとカウンター


早すぎても糸が切れてしまうので、ちょうどいい速さでしなければいけません。

交代するときもハンドルを止めないで、まわしながらです。

巻き方が均一になるように、こういう注意が必要なんですね。


私の糸の揚げ返しがおわりました。

先生が糸の最後を枠のところに挟み込んでくれます。


Cimg1919 糸の終りを始末する


器械にはハンドルの回転数を示すカウンターがついています。

これで糸の長さがわかります。

ちなみに私のは3974回でした。

1回転が1.27mなので

1.27×3974=5046.98mとなりました。

生糸が完全に乾けば、重さを量り計算式にあてはめて、太さ(デニール)がもとめられます。

今日の私のは、重さが50gだったら89デニールになります。



揚げ返しが終わった糸は、糸の最初と最後を一緒にして綿糸でとめ、

その他数ヶ所を綿糸でバラバラにならないように留めます。

それを「あみそ掛け」とか「力糸掛け」といいます。


Cimg1924 あみそ掛け


最後に大枠からはずして、輪の中に手をいれて形を整えて、綛(かせ)にして出来上がりです。


Cimg1933 手をいれてトントン


Cimg1934 出来上がったMY生糸


挽いたばかりの生糸はまわりにセリシンという糊状のたんぱく質がついているので、

麻のような硬いまっすぐな糸です。


Cimg1936 MY生糸の綛(かせ)


このあと家で3日間陰干しをして、完全に乾かします。

生糸はほんとうに、白くてきれいです。

魅きつけられる美しさがありますね。


我ながら、一日でこんなにたくさんの糸が挽けるとはおもっていませんでした。

とってもうれしい。

これでスカーフ一枚ぐらいはできるそうです。


このあと精錬したり、染めたり、織ったりする講習もあればいいな、と思いました。


「坂の上の雲」の伊藤博文邸室内

2009-12-21 03:24:17 | 日記・エッセイ・コラム

また一週間がたち、日曜夜「坂の上の雲」4回を見ました。

戦争の部分が多くなりそうなので、行った(写真も撮っている)ことのある場所はないかもしれない。

そうしたら、今回はどこもありませんでした、って書こう、ときめていました。



しかし、今回もありました!

先週にひきつづき、伊藤博文邸ですが、今回は室内です。

先週も部屋のなかが出てくるのですが、どうしてもそうだ、と確信がもてず、書けませんでした。


ドラマの始めのほうです。

石坂浩二扮する山本権兵衛が伊藤邸に来て、

伊藤博文と陸奥宗光が室内の階段を2階からドヤドヤと降りてきますね。

あの部屋です。

石坂さん海軍の白い軍服がよくお似合いです。


その山本権兵衛が伊藤と陸奥にイギリス商船「高陞号」を撃沈したことを報告すると

伊藤が驚愕して「東郷平八郎を直ちに罷免じゃ!」とどなる場面。



あの部屋は先週と同じ横浜の三溪園です。

内苑にある「臨春閣」という建物の中の「天楽の間」です。


Cimg0983_2 「臨春閣」 奥の2階屋に「天楽の間」がある


この部屋は室内にある階段の入り口に特徴があり、すぐにわかりました。

火灯窓(かとうまど)というらしいですが、たいへんに変わった入り口です。

あの階段はとても幅がひろく、緩やかに左に折れて二階に上るのですが、

踏み面や蹴上げもよく計算されて、空間もひろく、とても上り下りがしやすかったのを覚えています。

だから伊藤と陸奥の大人二人がドドドっと下りてくるのも撮影できたんでしょう。


2da2e1ac54a416ec3adbll 階段入り口 火灯窓のかたち

「臨春閣」は江戸時代の建物で和歌山市にあった紀州徳川家の別荘だったといわれています。

原三溪が明治後期から大正時代にかけて横浜の三溪園に移築しました。

室内は狩野派の襖絵がはめられ、欄間も意匠の凝ったものばかりです。

「天楽の間」は本物の笙と笛がはめられています。


57c20571c4a6cc60b773ll 天楽の間 狩野派の襖絵と笙の欄間



今回は映像のなかでその欄間が映し出され、やはり「天楽の間」だ、と確信できました。

そうかんがえると、先週の伊藤博文邸の室内の場面もこの部屋だったとわかりました。

伊藤と陸奥が二人で話し合っていて、

「今でも高杉さんに怒鳴られる夢をみるのよ」と伊藤が語る場面です。

その時は夜の設定で、ランプの明かりで部屋が薄暗く、欄間も階段の入り口もはっきりみえませんでした。


本当は二間つづきの和室ですが、

撮影では襖をあけ、椅子やテーブルを置いて2つの洋室のように使っています。

「臨春閣」は重要文化財に指定されていて、普段は中は公開されていません。

そんな貴重な建物で「坂の上の雲」は撮影されているんです。

なんて贅沢なんでしょう。

でもお陰で、どの場面もセットではあらわせない重厚な雰囲気にあふれています。


今回面白かったのは、「ねずみ公使」といわれた竹中直人扮する小村寿太郎の場面。

ロケ地ばかりでなく、俳優も贅沢に使っていますね。


さあ、来週で第1部がおわります。

また行ったことのあるロケ地はでてくるでしょうか。

心配だから、来週までにつくばみらい市のワープステーションに行ってきちゃおうかな。