堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

富岡製糸場のお正月

2015-01-15 12:20:36 | 富岡製糸場

「世の人は知るか知らぬか とみをかの

                いとにぎはしき 年のはじめを」 堅曹

 

130年以上前の富岡製糸場のお正月の様子。

『速水堅曹資料集』の221ページから248ページにかけて

「製糸所の大庭」というタイトルの記事が第1回から13回まである。

毎年お正月に堅曹さんが工女たちに話した講演記録です。

 

 製糸所の大庭 第1回

 

それを読んでみると、とても楽しそう。

  「此の富岡の製糸所は大晦日の夜から元旦の未だ夜も明けぬに、

   夫(そ)れお湯、夫れ髪をこわすな、夫れ着物は上にどれ、下に何とそれ位の心配にて、

   東の方からほのぼのと夜が明くれば、顔のほとほと桜色に思ひの儘に、

   お作りも出来、御目出度御年始も済んだり」

大みそかから元旦にかけて、工女さん達は

いそいそと若い女の子らしく、おしゃれに忙しい。

支度ができて初日の出を拝べば、皆の顔が桜色に染まる。

 

皆で挨拶をしたあとは、かるたをしたり、はねつきをしたりして楽しんだようです。

特に「福引き」は好評だったよう。

 

「福引き」というと、今は商店街の売り出しでガラガラをまわして、

当り玉がでた人に景品を出すというイメージですが、

もともとは正月の遊びとして、二人で一つの餅を引っぱり合い、

取り分の多少によってその年の吉凶を占ったのがはじまりという。

新年の季語にもなっている。

辞書には

「くじ引きをしてさまざまの品物を取り合うこと。多くの綱・紐などに種々のものをつけ、

引き手にはそれを隠して引かせる遊戯。」とある。

 

堅曹さんの話には「良品を得、又は粗品を得る等、皆運賦天賦と云可し」と

あるので、引き当てた品物で今年の運不運を占う面もあったようだ。

たくさんの景品を用意して、工女さんたちが順番にくじをひいて、わーこれが当たった、

あれがよかった等々、さぞかしにぎやかだったでしょう。

10代から20代はじめの工女さんが数百人もいたんですから。

 

どんなものが景品だったんだろう。

身に付ける櫛とか髪飾り、履き物や反物、着物の小物とか。

お人形やお菓子、本なんかもあったのかな。

想像するだけで、こちらも楽しくなってくる。

  


富岡製糸場 世界文化遺産決定!!!

2014-06-22 00:18:01 | 富岡製糸場

本日(6月21日)16時55分

群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界文化遺産に決定されました。

上毛新聞の号外です。



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2035



ユネスコの世界遺産センターのホームページで、http://whc.unesco.org/

ドーハの世界遺産委員会のLIVE中継をずっと見ていました。


16:32くらいから日本の審議が始まって、各国の意見が述べられ、

16:55に女性のチェアマンがニコッとして、「Congratulations!」と言った。

決まった!


感動しました。

LIVE映像をみて、はじめて、世界各国の人たちが審議して決めていくんだ、

ということを実感しました。


生半可な地域振興や観光などのために世界遺産になるのではない。

ほんとうに人類の宝として残すべき価値があるかどうかを見極めて、

登録されるものなのだ、と改めて心に刻まれました。



10年間関わってきた関係者の皆さま、ほんとうにおめでとうございます。


泉下の堅曹はじめ、当時の製糸業に関わった人たちもきっと喜んでくれていると

おもいます。

さあ、これから、この登録を機に、

先人たちのしてきた事、そのおもいを多くの人に伝えていかなければいけない。

 


いよいよ世界遺産登録です!

2014-06-21 10:08:48 | 富岡製糸場

先日の東京農工大の講演には、おおぜいの皆さまに聴きに来ていただきまして、

ありがとうございました。

  Cimg4777 講演案内


1時間半の講演、30分の質問の予定が

2時間10分も話してしまって。。。

でもお伝えしたいとおもったことはお話できたとおもいます。


前半は堅曹をめぐる富岡製糸場に関係した人々

  尾高惇忠・渋沢栄一・長野親蔵

  高橋平四郎・高橋信貞・中山智倚

  大久保利通・松方正義・岩倉具視

の9人について、どのように富岡と関係があるのか、堅曹と関わりがあるのか。


後半は官営富岡製糸所が民間へ払い下げる経緯を

堅曹しか知り得ない話やエピソードを盛り込んで。

そして官営時代後半はとても充実したいい時代であった、ということを

お話させていただきました。




さて、いよいよ今日、富岡製糸場が世界遺産に登録されます。


Photo 富岡製糸場HP/facebookより


会議が行われているカタールのドーハは時差が6時間。

今日の日本時間15時から始まる審議で決まります。

日本は9番目に審議されます。

決定発表は夕方か夜になるでしょう。


堅曹さんが、どうしても日本の製糸業のために残したいと

14年間も力を尽くして残してきた富岡製糸場です。

Photo_3 富岡製糸場HP/facebookより


ドキドキしてその時をまちたいとおもいます。


日本経済新聞 春秋欄

2014-05-03 00:06:27 | 富岡製糸場

4月26日の富岡製糸場の世界遺産登録見通しの勧告がでてから、

たくさんの人からお祝いのメールや電話、そして手紙をいただいた。


私のように細々と個人で、製糸業にかかわった先祖のことを調べているものに、

富岡が決まりそうでよかったですね、と温かい言葉をかけてくださるとは、

ほんとうにありがたいことです。



今日いただいたお手紙には日本経済新聞の切り抜きが同封されていました。

4月29日付けの「春秋」欄です。


そこには

   たしかにレンガ造りの工場は立派だが、建物や機械など「モノ」だけを

   見学するのなら物足りない。工業化への道の裏側には、悩みながら

   改革に挑んだ地域社会と人がいる。変革期の物語を伝える名所に

   なってほしい。

と書かれていた。


「悩みながら改革に挑んだ人」と読んで、堅曹だ!と思わずにはいられない。


製糸業の黎明期に苦労して富岡を経営していった。

そして素晴らしく改革を成し遂げた。

何度も廃場されようとした富岡製糸場を、身を捨てて守ってきた。 

おおぜいの工女たちと別世界のような製糸場をつくりあげていった。 

13年かけて最善の民営化を果たした。


ドラマはたくさんあった。

そうして今日まで残ってきたのです。

堅曹は自伝に詳細に書き残しています。


富岡製糸場で働いていた人たちのおもいを、今、痛切に伝えたいとおもう。


富岡製糸場 ユネスコへ推薦決定

2012-07-13 04:28:27 | 富岡製糸場

7月12日 文化審議会が本年度のユネスコへの世界遺産推薦を

「富岡製糸場と絹産業遺産群」と決定しました!

バンザーイ!バンザーイ!



いままでは国内の暫定リストに載っていたのですが、

これで日本から正式にユネスコへ推薦され、順調にいけば来年調査がおこなわれます。

そして2014年夏にはユネスコ世界遺産委員会で登録の可否が審議されることになります。



ちょうどこの発表の日に前橋に勉強会にいっていたので、

決定するか否かの知らせを群馬県庁でうけました。

伝道師協会の人たちもこの知らせを皆でお祝いしようと集まりました。



午後5時半に知らせがくる、というので1階のロビーで待ちます。

そこに上毛新聞の号外が届きました。

推薦決定です!


Img_5487 号外



群馬県が世界遺産登録を目指す、と発表したのが平成15年(2003年)夏

暫定リストにのったのが平成19年(2007年)

ここまで実に9年かかりました。


私は平成16年(2004年)に世界遺産の伝道師になったので、

初期から世界遺産推進に尽力してくださった県庁の方たちとお会いして、

「やっとここまできましたね」

「よかったですね」

と言葉をかわしました。

「最初のころは本当に世界遺産になんかになるの?と言われ続けて大変だった」

などという思い出話もでて、うれしさ実感です。



ロビーにはテレビ各局のカメラが入り、垂れ幕がかけられ、くす玉も用意されました。


Img_5491 準備完了


セレモニーの準備が整い、知事や関係者のあいさつが行われました。


Img_5496 知事のあいさつ


待望のくす玉が割られます!


Img_5500 紐を引きます


Img_5501 割れました


おめでとうございます。皆で拍手、パチパチパチ。



そのあと会場では知事のインタビューや伝道師協会の会長のインタビューがおこなわれ、

その横で伝道師の皆は何回も記念写真をとり、

いつまでも喜びを分かち合っていました。


Img_5518 記念写真の撮影