堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

ガイガーカウンター

2011-07-31 11:07:03 | 東北関東大震災

30日、待望のガイガーカウンターが届いた。

ずっと品切れで2ヶ月近く待たされた。


Img_1893  ガイガーカウンター



我が家は茨城県南部になるが、いわゆるホットスポットとなっていて、

市が計測する校庭や公園の放射線量がとても高い地域です。

7月22日に放送されたNHKの「特報首都圏」でも取り上げられていて、

私も参加した集会の場面でチラッと写っていた。


まあ、そんな地域であり、以前から気になっていたので、

家のなかや外回りの放射線量を測りたいとおもっていた。



早速ガイガーで家中を測りまくった。

まずは玄関、廊下の窓、居間の床、窓際、和室、トイレ、台所、

二階の各部屋、ベランダ、外回り、ウッドデッキ、等々。


すごく意外な結果だった。

ガイガーカウンターが届くまでにいろいろな情報から、

一階は暑さのため最近はいつも窓も開けているし地面に近いから多分線量が多いだろう。

二階は極力窓を開けないようにしているし、きっと低いに違いない、とおもっていた。


ところが結果は二階のほうが線量が高かった。

一番高いとおもっていた玄関の上がり框はすごく低かった。

といっても0.095マイクロで、二階の部屋が0.157マイクロシーベルトの違いくらいだが。


Img_1868 玄関の値



外はさすがに高い値がでた。

ウッドデッキは溜まりやすいと聞いていたのだが、やはり高い。

家のまわりでは一番高かった。

ちょうど高さ1mくらいのところの手すりのところでは

0.303マイクロシーベルトもある。


Img_1881 ウッドデッキの値



これらの数値だと

家の中にずっといて、なんとか年間1ミリシーベルトぎりぎりか、という感じだ。


家の前にある植栽林や土の上も測りたいとおもっていたが、

どんな数字がでるかちょっと怖くなって今日はやめた。



測った値に沿ってこれから拭き掃除を徹底的にやってみようとおもっている。

どのくらい減らせるか。


支援物資 第2弾

2011-07-26 00:22:31 | 東北関東大震災

節電のため冷蔵庫を買い換えた。

どこも壊れてはいないのだが、

10年も前のだと、消費電力が半分くらいになるのだという。


そこで、被災地と物資のマッチングができるサイトで、

必要な方がいないかたずねてみた。


Img_1688 送った冷蔵庫



被災地では仮設住宅に電化製品8点セットというのが設置されていて

冷蔵庫はあまり要望がないようだった。

それに電気製品は新品を、という希望がほとんどだった。


マッチングをあきらめかけていたら、希望者がでてきたので、

早速送らせていただいた。


いままでそんなにきれいにしたことない(笑)、っていうくらい

すべての引き出しや棚をはずして隅から隅まで半日かけて掃除をした。



Img_1690 運送やさんが梱包


運送屋さんがきて梱包してくれて、トラックにのせて持っていってくれた。

女川町のどこかでまた使われて、役にたってくれればうれしい。


石巻へ支援物資

2011-07-16 13:43:35 | 東北関東大震災

先週、被災地石巻へ行ってから、そのあまりに甚大な被害に言葉もなく、

なにかしなくてはいけない、と心の底からつきあげるものがあった。


もう年だから瓦礫の撤去などできない、

せいぜい東北に行ってお金を落としてくることぐらいしかできない、と

なかばあきらめと、楽なほうに流されていた自分を反省した。


「とにかく現地を見にきてほしい、見なくてはわからない」と語る

復興にあたっている人の言葉が何ヶ月もずっと胸にささっていたのだが、

それは本当だとおもった。



帰宅後、支援できることを探した。

石巻の弱者を中心に復興支援活動を精力的におこなっている

「フェアトレード石巻」という団体がある。

そこが詳細な支援物資のリストを発表したので、

それに基づいて、自分が調達できる品物を集めて送ることにした。


2日かけてダンボール4箱の荷物をつくった。


Img_1668 荷物


おもに乾麺類、A4ファイル類、調味料や調理器具類、

そして使い捨てのカレー皿と深皿類を数百個など。


今日息子が石巻まで運んでくれている。

わずかばかりの物資だけれど、役に立ってもらえるのなら本当にうれしい。

支援を続けていきたいとおもっている。


反原発 脱原発 小出裕章さん

2011-05-25 07:58:26 | 東北関東大震災

ここのところ、またブログが停滞ぎみ。

どうしても福島原発のこと、放射能のことが気になってしょうがない。



3月14日に私は放射線の恐怖で茨城南部より横浜まで避難した。

20数年前に読んだ一冊の本『危険な話』(広瀬隆著)の影響だ。

そこには東海原発が爆発したら、とにかく一刻もはやく遠くへ逃げる。

風にのってどこまでも放射線は飛んでいくから。

車にのって窓をしっかり閉めて、と書かれていた。

過激な論調ではあるが、決して考え方として間違ってはいないとおもった。


その一文が20年以上たっても頭に鮮明に残っており、

万が一、原発が爆発したら子供を車に載せて逃げよう、と思い続けていた。


今回は東海原発ではなかったが、それでも風下にあたるのは間違いない。

流れてくるのは時間の問題だとおもい、子供を連れて逃げた。

ただしこの時はガソリンが入れられなくて、しかたなく動きはじめた電車に飛び乗った。

子供に被曝だけはさせたくなかった。


広島や長崎の原爆の被害と放射能の恐さは、たくさんの本を読み、現地に行き、

出来る限り学んできた。

だから、福島原発の爆発事故についての政府の発表や報道機関のいうことは

おかしいとおもった。

100キロ以上離れているのに「避難」などという行動をとって、

笑われてもいい理解されなくてもいい、とおもった。



ここにきて、あの時やはりたいへんなことが起きていて、大量の放射線が飛散していたことがはっきりしてきた。

2ヶ月もたってから発表される異常さ。

そしていつまでも収束されず、まだダラダラと放出され続けている放射性物質。

ほんとうに空気だけでなく、地面、農作物、魚介類、すべてが汚染されてしまった。

その中で住み、日々内部被曝が増えていくやりきれなさ。怒り。


国や電力会社の発表することなど、本当に信じられない。



幸いネットでは多くの情報を得る事ができる。

ずっと調べ続けてきて、いまやっと一番信用できると思う人物にであった。

小出裕章。京都大学の原子炉実験所助教。

原子力に夢を抱いて学び始めた学生が、原子力の危険を認識して、

反対するために原子力を専門にした。

40年間反対してきて、今やっとこの論客に世間が意見をもとめるようになった。


一言一言が実にわかりやすく、納得がいく。

誠実な人柄がしのばれる。

ネットではこちら で情報が得られる。


著書は


038 『放射能汚染の現実を超えて』河出書房新社


039 『隠される原子力・核の真実』創史社



反原発。脱原発。と大きな声でいわせてもらう。


名取市閖上地区 続報

2011-04-12 15:36:39 | 東北関東大震災

ここのところの余震は本当に多くて、「もう、いい!」と言いたくなるほどだ。


さて、3月24日に閖上(ゆりあげ)地区の知人のことをブログに書かせていただいた。

気にはなっていたが、落ち着いて調べる事もできず、

というよりもすることを自然と避けていたと言ったほうがいいかもしれない。


しかし先日googleマップの地図の写真が地震後のにかわっている、と聞いたので、

閖上地区を見てみた。

大津波ですべて流されてしまった写真が写し出されていた。


その旅館の場所をみると、なんと土台だけが残って写っていた。

そうだ、ここが玄関で、その前に車を止めて入ったんだ。

右手のこの部屋に通されたのよね、奥にも部屋があった、などといっぺんにいろいろなことが

思い出された。



それからネットを使って旅館のことを何とか調べてみようとおもった。

そうしたら、おなじように探している人がいて、

「YAHOO知恵袋」に投稿している人がいた。

答えをみるのは恐かったが、避難所にいる人の名簿にのっている、と回答があった。

よかった~! 無事だったんだ~!


ネットにのっている名簿を見てみると、電話で話したおじさんの名前もあった。

こっちもよかった~!


すこしそうやって調べてみると、ご家族はどうか、という問い合わせをtwitterでしている方がいて、

市役所の伝言板に「皆無事」と貼ってある、という情報がすぐにいれてあった。

よかった、よかった、おばあちゃんもお孫さんたちも大丈夫なんだ、と安心した。



各地の避難所の避難者名簿を写真でとって、それをネットに活字化しているということを聞いてはいたが、

こうやって確認することができるんだ、とはじめて利用させてもらった。

そしてtwitterの利用もすごく役にたっているんだと、実感した。


追伸

ここのブログがとてもいいです。

「名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ」

http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/

新聞やテレビの報道からは見えてこない被災者の日々の生活が綴られています。