堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

常盤新平ー遠いアメリカー展

2015-02-04 23:28:55 | 展覧会

2月最初の日曜日、

町田市民文学館ことばらんどで催されている

  常盤新平 -遠いアメリカ-展

     1月17日(土)~3月22日(日)

を見てきた。

 

詳細は町田市のHPを

http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08Literature/tenrankai/20141128141141110.html

 

 町田市民文学館入口

 展覧会会場入口

 会場

 

わたしにとって常盤新平さんは好きな作家のひとりだが、

かつてのご近所さんでもある。

 

15年以上前に住んでいた東京の下町のマンションでご一緒だった。

同じころに入居し、10年間ほどである

娘さんがうちの娘と同級生だった。

 

展覧会をみていて、

ちょうど初めての小説『遠いアメリカ』で

直木賞をとられたころだったとおもいだした。

 

よく編集者がマンションを訪ねてきたり、

戸外で取材を受けたりしているのをお見かけした。

きっとお忙しい時期だったのだろう。

 

こちらは乳飲み子を抱えた育児真っ最中で、

公園で遊んだり、保育園の送り迎えのときなどにお会いし、

挨拶を交わしたりした。

 

常盤さんは翻訳者から出発して、作家になり、エッセイなどもよく書かれていた。

2年前に亡くなられたあと刊行された『東京の片隅』を読んでいたら、

「いまも「わが町」」というタイトルで、あのマンションのある町のことを綴っていた

 

暮らしが楽しかったこと、近所の人たちと親しく付き合ったこと、

明るく活気のある町だったこと、歩く楽しさを知ったこと等々、

それらを好ましく思い出して、

「私はいまだにあの町を「わが町」だとおもっている。」と結んでいた。

 

エッセイにでてくる町の様子や小さなできごとの描写は頷くことばかりだ。

読んでいて懐かしさに満たされた。

同じ時間、同じ空気を共有していたんだと感じる。

 

当時忙しくて読み損なった『遠いアメリカ』を

今、読んでみようとおもう。

 

 

 

 

 


明治天皇 邦を知り国を治める

2015-01-25 23:24:49 | 展覧会

一週間ほど前に

宮内庁三の丸尚蔵館でおこなわれている展覧会

「明治天皇 邦を知り国を治める ―近代の国見と天皇のまなざし」

平成27年1月10日(土)~3月8日(日) (前期1月10日~2月8日 後期2月11日~3月8日)

を見てきた。

 

  皇居の大手門から入る

  三の丸尚蔵館

 

明治天皇の初期の全国各地への行幸の様子やその記録、

ご覧になった景色や新しい産業や教育の建造物などの写真類から

天皇が近代国家へ向けて変わりつつあった国土をどのようにみていたか、という

展覧会である。

 

この中に

「東園侍従 富岡製糸場報告」が出品されている。

これは明治23年富岡製糸所に遣わされた東園侍従に、

富岡製糸所長だった堅曹が陛下のお手許へと渡した文書類だ。

2012年に私が宮内庁で発掘したもので、

『速水堅曹資料集』の「堅曹の素描」に写真と内容を載せている。

この資料がこうした展覧会に展示されるとは、たいへん驚いた。

久しぶりに原本を目にすることができた。

 

この展覧会には、たくさんの製糸関係の写真が出品されている。

「富岡製糸場」の写真類。(東京国立博物館所蔵とおなじもの)

堅曹さんが設立指導した「二本松製糸場」の初期の写真。

「山形県鶴岡の松ヶ岡開墾場の蚕室」の写真。

県庁などを含む明治11年撮影の群馬県関係の写真もある。

どれも明治初めの貴重なもので、はじめて見るものもある。

 

明治天皇がこのように養蚕や製糸に特に関心をもたれていたということからも

製糸業が日本の近代化の要の産業であったことがよくわかる。

 

普段は見られない写真類ばかりで、前期後期で入れ替えもあるので、

期間中何度か見に行きたいとおもっている。

 

 

 

 

 

 


明治天皇御下命「人物写真帖」

2013-02-16 12:32:31 | 展覧会

2月2日と13日に宮内庁三の丸尚蔵館でおこなわれている

「明治十二年 明治天皇御下命「人物写真帖」-四五〇〇余名の肖像-」

を見てきました。



100_2 ちらし 表


101 ちらし 裏



明治12年に臣下の写真を手元に置きたい、と明治天皇が望んで

当時の宮内庁が4500人余りの人物写真を収集してアルバムをつくりました。

皇族や華族はもちろん、軍人、官僚、政治家、神官僧侶等々いろいろな分野から集められています。

その人物を選ぶのにはそれぞれ基準があるはずです。


はたして堅曹さんは載っているのか?

明治12年だと内務省の官吏で、ちょうど富岡製糸所長を引き受けた頃だけどどうだろうか、と

ちょっとドキドキしながら三の丸尚蔵館へむかいました。



Cimg1463_2 三の丸尚蔵館


Cimg1465 入口



小さい展示場ですが、飾られている約100名の写真をひとつづつ見ていって、

のちに元勲になった人や、晩年の貫録のあるイメージしかなかった人の若々しい写真に驚いたり、

名前だけしか知らなかった人物の写真もあります。

しかも全員に年齢が入っているのがなんともうれしい。

彼は堅曹さんより10歳も若かったんだ、少し年長だったんだなどと、とても興味深かったです。


結局、堅曹さんの写真は展示されていませんでした。

一通り見てから図録を買い、人物一覧を見ると「速水堅曹」があります。

写真帖の4500人のなかに入っていたことが確認できました。



おまけといってはなんですが、堅曹さんのお墓のある瑞法光寺の開山である

「村雲日榮尼」の写真が展示されていたのには、驚きました。

若いころの写真ははじめて拝見し、かなり有名な尼僧であったことは知っていましたが、

こういった写真帖に収められるほどとは。



今回は堅曹さんの写真は見れなかったが、いつか閲覧できる日がきますように。