堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

堅曹のお軸

2012-02-16 23:58:33 | 人物

今日堅曹のお軸を拝見してきた。

場所は某博物館である。

ここに堅曹の和歌が掛軸になって保存されていることが最近わかった。



なんとしても見たいとおもい、直接電話をしてみた。

重要文化財に指定されている資料のひとつだということで

閲覧するだけでも手続きがかなり煩雑である。

しかも料金が発生する。

それでも見たいとおもい、申請をして受理され、今日拝見することができた。



博物館へ行く時は予報にはなかった雪が降ってきて、

帰りは積もるのだろうか、と不安になった。


博物館に着いて、閲覧する部屋に通されると

堅曹さんのお軸が用意されていた。

すぐに壁に掛けて下さり、持っていったカメラで撮影させてもらった。


それは短冊に書かれた和歌だったが、たぶん絹本のようだ。

綺麗に表装され、全く染みひとつない状態で保存されていた。

その上品な軸装の様子から持ち主が大切にしてくださった心遣いを感じた。


そこにかかれていた堅曹の文字は、実に気合の入った、というのだろうか、

ピンと張り詰めた気持ちが伝わってくるような、とても美しい筆跡であった。

(残念ながらブログには載せるわけにはいかないのでご勘弁を)



しばしお軸を眺めさせていただき、立ち会ってくださった学芸員の方と

話をさせていただいた。

そこで私はとても大きな課題を与えられた。


なぜ堅曹は和歌を詠むようになったのか?

和歌を詠むのが好きだったから、などという答えではだめである。

好きになった、詠むようになった、詠めるようになった理由があるはず、

と学芸員さんはいう。


いままでそういった視点で堅曹が和歌を詠むことを考えたことがなかった。

考え込む私に、いくつかヒントを与えてくださった。

ありがたい。

私は大事なことを見落とすところだった。



そういう話をしていたら、1時間の閲覧の時間はあっという間に終わった。

実物の堅曹のお軸が見れたことも大変興奮したが、

学芸員さんとはなしたこともそれ以上に有意義なことで、

とてもうれしかった。

やってきてよかった、とおもった。



帰りもまたチラチラと粉雪が舞っていたが、

気持ちが高揚して冷たい風が頬に気持ちよかった。