堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

『絹先人考』 発売

2009-02-24 03:22:04 | 本と雑誌

昨日(23日)の朝、メールが届きました。


富岡市の友人からです。 フランスでず~と一緒だったⅠさん。

  今、上毛新聞を見てたら、シルクカントリーin桐生の記事の中で双書を手に取っていた写真、

  あれ、速水さんだあって思わずメールしてしまいました。


ⅠさんにすぐにFAXで記事をおくってもらいました。


本当だ! 昨日のシンポジウムの会場で本を買っている私が写っている。

でもⅠさんよく気が付いたなぁ、とおもった。

旅行中ずっと部屋も一緒だったから、きっとわたしの顔が刷り込まれちゃったのね。




と前節はこのぐらいで、

この買っていた本が


  シルクカントリー双書第3巻 『絹先人考』 2009年2月20日上毛新聞社発行

      Img022 『絹先人考』 中央左の写真が堅曹さん


この会場で先行発売ということで、広告もまだ、書店にも並んでいないそうです。

できたてホヤホヤ。



この本は2007年1月から2008年3月まで、毎週日曜日付上毛新聞一面に連載した

「ぐんまルネッサンス第二部 絹先人考」をまとめたものです。

連載の2回目が速水堅曹でした。

2007年1月14日。


前年の12月はじめころに県庁の記者クラブで取材をうけ、

写真や資料をお渡しして、2時間ほどお話をしました。

堅曹さんのことが記事になる! しかも単独で一面なんて!

うれしくて、うれしくて、夢中になって、自分の語れる限りの堅曹像をお話しました。


それが記事になって、そして今度は本という形になって、

後世に残るものができたことは、本当にうれしい。



私のコメントも載っているし、

記事最後の一文は

 速水を貫いていたのは、日本の近代化は製糸業が支えているという矜持と使命感だった。


この「矜持」という言葉がよかったな、といまでもおもう。




いつかまとまって本になるのだろうと思っていたのですが、

会場で発売しているのを知り、驚き、しかも表紙に堅曹さんの写真が・・、

おもわず本を手に取り

「これ、2冊ください!」 と興奮して買ったのでした。


その場面が写真にとられて新聞に載ってしまいました。

お恥ずかしい。

一般書店には3月上旬から並ぶということです。 320ページ 1575円。


シルクカントリーin桐生

2009-02-23 13:20:59 | 勉強会、講演会

22日は群馬県の桐生にいってきました。


21、22日と「シルクカントリーin桐生」というイベントがおこなわれていました。

群馬県が「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産登録をめざして運動していますが、

その遺産群に桐生の町も一緒に登録されるよう、キャンペーンがおこなわれたのです。

多くの近代化遺産のある町、今も昔も織物の町として有名な桐生。

ここは是非入ってほしいとおもいます。



午前中は伝道師として有鄰館で群馬の世界遺産候補の建物や町を撮った写真展とパネル展示の説明をしました。


Cimg7312     Cimg7313

             有鄰館の味噌蔵が展示場       パネル展示



そして午後は旧金谷レース工場でおこなわれた「シルクカントリー群馬シンポジウム」を聞きました。

松場登美さんの基調講演がとてもよかったです。

〈石見銀山生活文化研究所所長〉という肩書ですが、「群言堂」の創業者というほうがわかりやすいかも。

「土地からの授かり物」というタイトルで

地元島根県石見という過疎の町から服飾メーカーとして全国に発信しつつ、

町つくりを行なってきたその豊富な実践例を紹介。



Cimg7319 講演会


その時々に彼女の心の指針となった数々の言葉、

「復古創新」 「心想事成」 「群言」などをとりいれながら話はわかりやすく、

確乎たる信念をもち、思いを次々に形にしてきた道のり。

女性の感性を大事にしてそれを曲げない強さに、

他にはない事業で成功してきた芯の部分をみたおもいです。

久しぶりに元気のいい実践家の話を聞くことができて、また同じ女性として、

とても力をもらった講演でした。



一緒に講演を聞いていた「ミラノリブ」のSさんのお店に、

講演後、伝道師仲間と一緒にお邪魔しました。

県産の繭で織られた着物地をみせてもらって、しばし歓談。


Cimg7317  柔らかい手触りの座繰り糸の絹地

彼女とまた、あつい思いを語る楽しいひと時がもてました。

帰りに「ぐんまシルク」ブランドのネクタイとスカーフを夫へのお土産に買いました。(たまにはネ)


Cimg7334  ステキです



桐生 「ミラノリブ」

2009-02-21 00:59:04 | 日記・エッセイ・コラム

昨年のフランス旅行でご一緒した、桐生のシルクニットメーカーの「ミラノリブ」さんが

テレビで紹介されました。


20日(金)の夜、社長のSさんから携帯にメールがきて、

夜の9時半からBS朝日を見てくださいって。

もう9時過ぎだー。

いそいで録画の予約もして、テレビの前に坐りました。



    BS朝日 「峰竜太のナッ得!ニッポン」 21:30~22:00

                  〈再放送22日(日)11:00~11:30〉

    テーマは地域活性化に向けた取り組み、農商工地域連携



30分のうち後半がミラノリブさんです。


まず群馬県は、生糸で栄えた土地であることが紹介され、

現在の日本の養蚕製糸の状況がどのようなものなのか解説されます。

もう国内には2社しか製糸場が残っていない。

養蚕農家は激減して、いろいろな理由でもう後継者もいない危機的状況。


そういう状況の日本の養蚕業を生き残らせるのは、

他にはない質のいい品物をつくリ出すことしかないと彼女は考え、

会社をたちあげたことを語ります。


地元の養蚕農家で繭を育ててもらい、県内の製糸場で糸をひいて、

自社工場でシルクの高級ニットをつくり販売する。

それが農商工連携であり、地域活性につながっていきます。



私もいくつか製品をもっていますが、本当にいい品物で、

使い始めると手放せなくなる手触り、肌触りです。

日本のすばらしい絹のよさを再確認させられます。



インタビューに答える彼女をみつめながら、

フランスであつい思いを語ってくれた姿がオーバーラップしてきました。


いろんな方とのご縁がフランス旅行でできました。

これを大切にしていきたいという思いと

そういう方たちを応援していきたいという気持ちでいっぱいになりました。


徳川埋蔵金と速水堅曹 !?

2009-02-17 12:09:18 | 人物

立春も過ぎ、春一番も吹き、暖かくなってきました。

でも心は憂鬱・・・。花粉症の季節到来でもあります。



さて、そんな気持ちを吹き飛ばしてくれそうな、おもしろい話題が

夢酔い人Kさんよりもたらされました。


   昨日、インターネットで速水堅曹を検索したら、

   (たぶん9月に速水さんがブログに載せた速水堅曹が林鶴梁と会って

   密談したという日記の部分をとらえたと思いますが)、

   速水堅曹が林鶴梁と共に前橋藩士として徳川埋蔵金の隠匿に関わったのではないか

   とのコメント記事を見つけました。


   ブログを書いた人は埼玉県の男性で歴史好きで徳川埋蔵金の行方に

   かなり興味を持っている人のようです。


   まあ、とにかく笑っちゃいます。堅曹さんが徳川埋蔵金に関わったとは........


   でも堅曹さんが林鶴梁と日々密談したという内容は謎の部分が多く引っかかります。

   松平家の藩日記でも見たことがないし....



   ブログは下記に入れましたが速水堅曹の名が記されてるのは

   江戸からの分、 人物検証江戸からの分 1、

   の二か所です。


    http://ameblo.jp/tokugawa165/entry-10169575230.html



私すぐにブログに飛んでみました。

ブログ名は「徳川埋蔵金by165」


びっくりです。私がブログに書き込んだ堅曹さんの日記の一部を

しっかり捉えて、考察に加えている。

夢酔い人Kさんじゃないけど、ホント笑っちゃいました。


でも、最初は「まさか~」なんておもったけれど、

堅曹さんなら「あり得るかな~」なんて、

ちょっとその気になった自分がいます。


  慶応4年4月初旬 林鶴梁先生前橋に来る。故に日々行ってしかも密談をする。


というそれだけの日記なのですが・・。

この4月初旬というのが埋蔵金を運んだ時期と一致するらしい。

もちろん林鶴梁は埋蔵金に関わった人物として超有名。

しかも、日々行って、密談?  ここが最大の謎 and 興味をそそられるところ!

などど、私もかなり、ミーハーな展開にしていますね。



堅曹さんの日記には林鶴梁はここにしかでてきません。

私などは、埋蔵金のこともよく知らないし、林鶴梁のことも表向きの履歴しか知らない。

だから、単純に前橋出身の漢学者が帰郷しているので、まだ若い下級武士(堅曹)が

水戸の情報やこれからの藩の在り方でも相談しにいったのか、などど平凡におもったのですが。




        Photo  速水堅曹の日記


速水堅曹の日記をよくよくみると、「ご内用」、「密談」、「内命」、

はては「ここに書くわけにはいかず」、なんていうのがほんとうに多いです。

藩士として、かなり、内偵のような仕事をさせられていたのは確かです。


きっと、口が堅くて、策士のごとく情報を仕入れたり、根回しをしたり、交渉したり、

それを確実にやりとげられる、信頼されたいわゆる切れ者。(私の勝手な想像ですが)

だから、ある小説家は

速水堅曹が坂本竜馬と一緒に行動してた、などという設定の物語を書きました。



幕末から明治前期、堅曹さんの行動は謎の部分も多く、

たった一行の日記にも、すごい内容が隠されているんじゃないだろうか。


私はとんでもない日記の解明に取り掛かってしまって、

ずぶずぶと深みにはまってしまっています。


富岡市にて 市長と報告書

2009-02-14 01:56:32 | 日記・エッセイ・コラム

12日は富岡市へ行ってきました。



昨年の富岡市主催のフランス旅行の時、市長さんと話す機会が何度かあり、

堅曹さんや先祖調べのことをお話しました。

帰国後も、富岡製糸場でお会いすることがあり,

そうだ、折角速水堅曹のことに興味をもっていただいたので、

新聞記事や拙文などをまとめて資料にしてお渡ししよう、とおもいたちました。


フランスで知り合った秘書さんを通じて連絡をし、お会いできることになりました。



さて、昼前に富岡市役所に着き、一緒にお昼を食べながら、資料をお渡ししました。

何をどう話したらいいのか、経験不足の私は緊張しました。

でもそれより、食べながら話すのが難しく、どうしても食べるスピードが落ちてしまいます。

市長さんも秘書さんも食べ終わったのに、自分だけまだ終わらない。

変なところであせっていました。

それでも話を聞いていただき、堅曹さんの宣伝(?)ができたので、とてもうれしかったです。




この日は富岡市の教育委員会から出された1冊の図書も購入してきました。


  Cimg7289    Cimg7288


   『旧富岡製糸場建造物群調査報告書』 富岡市教育委員会 発行

                      2008年12月第2版  5000円



相棒Tさんから、富岡に行くのなら買ってきたらいいよと勧められました。

値段もさることながら、このボリューム。すごい厚さです。


これは富岡製糸場の重要文化財指定の基礎調査として市の教育委員会が実施し、

(財)文化財建造物保存技術協会が編集してできたものです。

現在の製糸場のすべての建物を詳細に(屋根裏から地下、壁のなかまで)調べ上げ、

130余年間の建物の変遷の解明と現状を報告しています。



帰宅後、夜読んでいたら、おもしろくって時間の経つのを忘れてしまいました。

写真がたくさんです。

建築中の製糸場や開業当時の繰糸場の様子の古写真が何枚もあります。

また、現在の建物について、中まではなかなか見ることができませんが、

それも写真で載っています。

そうそう、糸蔵の中には製糸場に飾られていた堅曹さんの写真がしまわれているのが写っていました。

もちろん建物の図面等は詳細です。



しかし、なんといっても私がひきつけられたのは、

堅曹さんが住んでいた1号館(ブリューナ館)の復元図。



Cimg1938_3  ブリューナ館(当時は1号館といわれていた)


この館の中はすごく改良が加えられているので、

明治時代に住居として使われていたときの痕跡は地下室以外には見ることができません。

けれどこの復元図で、どのような住まいだったかがわかりました。

堅曹さんの日記には1号館の住まい部分の見取り図が書いてあります。

まめな人で、幼少のころからの住居の見取り図を全部日記の空きスペースに書いています。

この見取り図と調査書の復元図を比べてみました。

ピッタリです。



1号館(ブリューナ館)の建物は木骨煉瓦作りの平屋で、

周りにはベランダが巡らされています。中はかなり広いです。

復元図によると内部は煉瓦壁で仕切られたいくつかの部屋があり、それぞれに暖炉があり、

地下の排水設備も完備され、完全な洋風の住宅だったようです。


堅曹さんの見取り図にも暖炉や湯殿の記入があり、復元図の暖炉の位置、

湯殿の配管位置、勝手口の場所の煉瓦敷きまで一致します。

なんて正確な図面を書き残しているんでしょう!



復元図でこの見取り図の場所が確定でき、今度は外観からどのあたりが住まいとして

つかっていたのかが、はっきりしました。


Cimg1945 このあたりの部分が住まいだった。窓の部分は当時はベランダだったとおもわれます。 遠くに山々の眺められる南向きの部屋です。




いろんなことがはっきりしてきて、ちょっと感動しています。