最近、速水堅曹の40歳前後のポートレートが新たに発見されました。
今年の5月頃は東京の大学で麻疹による休校が相次ぎ、ちょうど私の通っていた
大学(生涯学習の公開講座)もそのため一週間の休校となり、急に時間がとれました。
さあこの貴重な時間を何に使おうか。
先祖調べとは全然関係がなく、知り合いの学芸員さんが企画したからという理由で
群馬県立歴史博物館の「幕末の写真師夫妻 島霞谷と島隆」展を見に行きました。
土砂降りの雨の中、視界ゼロの高速道路を運転しながら、なんでこんな日に私は
遠出してるんだろうと思ったのをおぼえています。
企画展はとても興味深くひとつずつ丁寧にみていたら、なんと堅曹さんの若いときの
写真がパネルで飾られているではないですか。
「どうしてここに堅曹さんがいるの?」
「これはアメリカで撮られたものなのになぜ?」と一瞬狐につままれたような気がしました。
それは明治はじめ(10年から14年)に島霞谷らと同じ群馬県内の富岡にも、後に明治
天皇の大葬の記録写真をまかされ千円札の夏目漱石の肖像なども撮った大写真家の
小川一眞が写真館を開いていたという証拠になる唯一の貴重な写真でした。
「洋装の男性」とだけ書かれていました。
群馬県立文書館に寄託されている速水家文書の1876年(明治9年)米国フィラデル
フィア万国博覧会で写された集合写真の堅曹とそっくりだったのです。
その足で文書館に確認にいきました。
髪型、ひげの形、スーツにネクタイまでおなじでした。
強いて違いを言えばひげの長さがすこし長くなっているぐらいです。
富岡の郵便局長さんの子孫の方が代々お持ちで、とても大切に保存されてきたようです。
でも何代か変わるうちに名前がわからなくなくなってしまったようです。
その写真の実物が今、群馬県立館林美術館で9月9日まで開催されている
「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史Ⅰ.関東編」 に展示されています。
いわゆるカルト・ド・ヴィジットといわれる名刺判の鶏卵紙写真です。
赤い縁取りが印象的です。
何十年ものあいだ「名無しの権兵衛さん」だったのが、引かれるように展覧会に行き、
偶然発見できたのは本当に不思議です。
文書館にあった写真を穴があくほど見ていたおかげかな?
それとも生まれ故郷の群馬で展示されるのだから地元の人に見に来てもらいたくって
知らせてくれたのかな、なんてうれしくていろいろ想像をめぐらせています。
さあ来週最後にもう一度堅曹さんに会いに行ってこよう。