9日の月曜日、病気見舞いがあり日帰りで長野に行ってきました。
時間があったので、以前より訪れたいとおもっていた松代の旧横田家住宅と六工社の跡地を見てきました。
長野駅からはバスで30分。
松代の町の入り口
松代は真田10万石の城下町だったところで、松代城跡や真田家関連の史跡があり、
また佐久間象山の出身地でもあり、墓所や記念館もあります。
旧横田家住宅というのは、富岡製糸場といえば『富岡日記』を思い起こすひとも多いとおもいますが、
その著者の和田英(旧姓 横田)の住んでいた家です。
旧横田家住宅 長屋門
横田家は150石の真田藩の中級武士で、この家は江戸時代末期に建てられています。
当時の松代の中級武士の住宅の特長をよく残しているそうで、国の重要文化財にも指定されています。
立派な長屋門をくぐるとかやぶき屋根の主屋があり、中にあがって見学しました。
式台のある玄関は時代劇でみる武士の家そのままです。
主屋
座敷や勝手のようすなどは、商人の家とは違う簡素で端正な感じ。
土間から家の中 お雛様が飾られていた
勝手
どの部屋からも庭がみえ、風情をたしなむ武士の生活も感じられます。
庭
庭の奥には横田家に使えていた人たちが耕していた300坪の菜園があり、
屋敷の土地の広さは全部で約1000坪で、他に隠居屋と土蔵があります。
武士の家とはどんなものだったのか。
堅曹さんの書き残した図面から住まいを想像するのにとても参考になりました。
次は富岡製糸場にならってつくられた民間製糸場「六工社」の跡地にむかいました。
横田家より1km半くらいでしょうか。
西条(にしじょう)という所にあります。タクシーでいきました。
昨年見にいった相棒Tさんから、大体の場所と案内板があるだけだと聞いていきましたが、
タクシーの運転手さんも知らないほどの史跡です。
松代の町並
武家屋敷の名残を残す街中を抜け、小さな川沿いで、松代のメイン通りに入る橋のところにありました。
製糸場前の川 神田川
まわりの景色
「六工社」とは藩士大里忠一郎が同士らと建設をし、横田英らが富岡製糸場の伝習から帰ってくるのを待って、
明治7年(1874)7月開業した民間では黎明期の蒸気製糸場です。
工女50人繰りの規模で、その後明治12年(1879)には100人繰りとなり、
そこでつくられる糸は「信州エキストラ糸」として有名でした。
『富岡日記』の中にこの六工社の開業の頃のことも詳しく書かれています。
大里忠一郎はその後も製糸業で活躍をし、速水堅曹が作った直輸出の同伸会社では取締役にもなっています。
本当に木の立て札と案内板以外なにもない。
六工社跡地
「フランス式改良民間蒸気機械製糸発祥之地 西条六工社製糸場の跡」
石垣が当時のものだといわれています。
廃屋のようなトタン屋根の建物がいく棟かあります。
荒れ放題で草木も絡まるようななかを奥まで見にいきました。
裏はすぐ山
途中に小川からひいた水路がありました。
大工場だったはずですが、敷地がどこまでだったのかもよくわかりません。
当時の人々が情熱をもって、苦労を重ねながらも資金をあつめ建設し、
藩士や娘らを富岡製糸場に伝習に行かせてまでしてつくられた製糸場。
最盛期にはきっと壮大な工場だったのでしょう。
三方に見える山々の景色だけが当時とかわっていないのだろうと想像します。
それにしてもあまりにも哀れな跡地にこころ痛みました。