12月15日はとても暖かな日でした。
この日に堅曹の姉の子孫の方たちと品川方面の見学にいきました。
堅曹は17歳(安政3年)のとき、川越藩士として第一台場の警備の仕事に4ヶ月間たずさわっています。
川越藩は藩の下屋敷も高輪の二本榎にあり、その屋敷のこともしばしば堅曹の日記にでてきます。
第一台場は現在はありませんが、第三台場が現在お台場公園として残っており、
その他台場関係の遺構のあるところを見て歩きました。
品川駅に朝10時に待ち合わせ。
そこから高輪方面に歩いてまずは東禅寺。
幕末にイギリス公使館がおかれていた寺です。
オールコックが駐在して、攘夷派による襲撃事件があったところで有名です。
そこから裏道をこちょこちょこと歩いて、日蓮宗の承教寺へ。
大檀林と書かれていて、ここは立正大学の発祥の地となります。
現在は池上にある日蓮宗の宗務院もこのとなりにあったそうです。
山門脇には二本榎の碑があります。
ここから二本榎の通りを歩きます。
通りはおもっていたより交通量もおおく、道幅も広く、地図で想像していたのとは違いました。
高輪警察署前の交差点には昭和8年落成のこんなレトロな建物の高輪消防署も。
古地図を見ると通り沿いは大名屋敷と寺がずらっと並んでいます。
現在も寺はそのまま残っているところが多いです。
高野山東京別院がとても立派に残っており、その向かいが川越藩の下屋敷でした。
しかしこちらはたくさんのマンションとなっています。
下屋敷があったのはこのあたりまでかなあ、と古地図とくらべて皆で大きさを確認。
大名屋敷って大きかったんですね。
さてその通りを御殿山方面へむかって下っていくと、
堅曹が実際に仕事をするために寝泊りしたであろう
川越藩第一台場付属の陣屋のところにでます。
八つ山交差点のあたりです。
ここはいまは高級マンションと財閥の迎賓館になっていますので、なかを覗く事はできません。
この品川駅前あたりは現在は海ははるか遠くですが、
当時はすぐ目の前が江戸湾でした。
堅曹さん、タイムスリップして現在のこの場所をみたら、全く違ってしまって驚くだろうな、とおもった。
八つ山交差点から旧東海道の品川宿のあったところを歩いていきました。
今も商店街になっていて、賑やかです。
台場小学校のところに陸続きの御殿山下台場の記念碑があるのでそれを見学しました。
かわいらしい品川灯台の模型が石垣の上に建ててあります。
次は第四台場跡に建てられた天王洲アイルまで歩いていきました。
ボードウオークの下に当時の石垣がそのまま使われている、というので
なんとかそれが見えるところから写真をとりました。
りんかい線に乗ってお台場海浜公園へむかいます。
ここは第三台場の遺構で、台場がどのようなものだったか実際にみることができます。
何十年も前に子ども達と遊びに来た時はあまり知識がなく、
ましてや先祖が台場で仕事をしたなんてことも知らなかった。
でもとても印象に残っていた場所なので、今回また来れるのを楽しみにしていました。
周りは高い土塁になっていて砲台があり、真ん中は広くて窪んでいます。
そこには陣屋があり、火薬庫があり、かまどがあります。
堅曹さんはここで少年武士としてちょん髷、着物、わらじの姿で
毎日大砲の練習をして警備をしていたんだろうな、と想像がふくらみました。
今度はこちらがタイムスリップしたような感じです。
最後はお台場からゆりかもめで第六台場を見ながら新橋まで。
予定通り3時半過ぎにJR新橋駅に到着してここで解散です。
歩いた距離は合計12キロメートル、1万7000歩余りでした。
天気に恵まれ、よく歩き、とてもたのしい見学会でした。