堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

品川へ堅曹の足跡をたずねて

2011-12-30 23:58:17 | 日記・エッセイ・コラム

12月15日はとても暖かな日でした。

この日に堅曹の姉の子孫の方たちと品川方面の見学にいきました。


堅曹は17歳(安政3年)のとき、川越藩士として第一台場の警備の仕事に4ヶ月間たずさわっています。

川越藩は藩の下屋敷も高輪の二本榎にあり、その屋敷のこともしばしば堅曹の日記にでてきます。

第一台場は現在はありませんが、第三台場が現在お台場公園として残っており、

その他台場関係の遺構のあるところを見て歩きました。



品川駅に朝10時に待ち合わせ。


Img_4204 品川駅前



そこから高輪方面に歩いてまずは東禅寺。

幕末にイギリス公使館がおかれていた寺です。

オールコックが駐在して、攘夷派による襲撃事件があったところで有名です。


Img_4208 東禅寺




そこから裏道をこちょこちょこと歩いて、日蓮宗の承教寺へ。


Img_4229 承教寺


大檀林と書かれていて、ここは立正大学の発祥の地となります。

現在は池上にある日蓮宗の宗務院もこのとなりにあったそうです。

山門脇には二本榎の碑があります。


Img_4237 二本榎の碑




ここから二本榎の通りを歩きます。

通りはおもっていたより交通量もおおく、道幅も広く、地図で想像していたのとは違いました。


Img_4251 二本榎通り


高輪警察署前の交差点には昭和8年落成のこんなレトロな建物の高輪消防署も。


Img_4249 高輪消防署二本榎出張所




古地図を見ると通り沿いは大名屋敷と寺がずらっと並んでいます。

現在も寺はそのまま残っているところが多いです。

高野山東京別院がとても立派に残っており、その向かいが川越藩の下屋敷でした。

しかしこちらはたくさんのマンションとなっています。


Img_4257 川越藩下屋敷跡あたり


下屋敷があったのはこのあたりまでかなあ、と古地図とくらべて皆で大きさを確認。

大名屋敷って大きかったんですね。



さてその通りを御殿山方面へむかって下っていくと、

堅曹が実際に仕事をするために寝泊りしたであろう

川越藩第一台場付属の陣屋のところにでます。

八つ山交差点のあたりです。


Img_4294 第一台場陣屋跡にあるマンション入口


ここはいまは高級マンションと財閥の迎賓館になっていますので、なかを覗く事はできません。



この品川駅前あたりは現在は海ははるか遠くですが、

当時はすぐ目の前が江戸湾でした。

堅曹さん、タイムスリップして現在のこの場所をみたら、全く違ってしまって驚くだろうな、とおもった。


八つ山交差点から旧東海道の品川宿のあったところを歩いていきました。

今も商店街になっていて、賑やかです。

台場小学校のところに陸続きの御殿山下台場の記念碑があるのでそれを見学しました。



Img_4317 御殿山下台場跡記念碑


かわいらしい品川灯台の模型が石垣の上に建ててあります。



次は第四台場跡に建てられた天王洲アイルまで歩いていきました。

ボードウオークの下に当時の石垣がそのまま使われている、というので

なんとかそれが見えるところから写真をとりました。


Img_4334_2 第四台場の石垣




りんかい線に乗ってお台場海浜公園へむかいます。


Img_4345 お台場海浜公園



ここは第三台場の遺構で、台場がどのようなものだったか実際にみることができます。

何十年も前に子ども達と遊びに来た時はあまり知識がなく、

ましてや先祖が台場で仕事をしたなんてことも知らなかった。

でもとても印象に残っていた場所なので、今回また来れるのを楽しみにしていました。


Img_4367 第三台場入り口



周りは高い土塁になっていて砲台があり、真ん中は広くて窪んでいます。

そこには陣屋があり、火薬庫があり、かまどがあります。


Img_4351 砲台跡


Img_4359 陣屋跡


Img_4350 なかの窪地全体


堅曹さんはここで少年武士としてちょん髷、着物、わらじの姿で

毎日大砲の練習をして警備をしていたんだろうな、と想像がふくらみました。

今度はこちらがタイムスリップしたような感じです。



最後はお台場からゆりかもめで第六台場を見ながら新橋まで。


Img_4356 第六台場


予定通り3時半過ぎにJR新橋駅に到着してここで解散です。


歩いた距離は合計12キロメートル、1万7000歩余りでした。

天気に恵まれ、よく歩き、とてもたのしい見学会でした。


上毛新聞の記事

2011-12-26 06:16:14 | 人物

11月20日の上毛新聞の子ども版、毎週日曜日に発行される

「週間風っ子」に速水堅曹の記事がのりました。


054_2 クリックすると拡大


「群馬の偉人」として取り上げられ、

わかりやすい記事の中の漢字はぜんぶ振り仮名がついています。


上州っ子にも少し知られたかな?


11月の出来事

2011-12-25 01:50:11 | 原三溪市民研究会

一ヶ月もブログほったらかしてしまいました。

時々覗いてくれた皆様すみません。

べつに具合が悪いわけではなく、単に忙しかったということで。


それと11月中旬に結膜炎をしてから、眼が充血する日が多く、

どうも夜になると眼がゴロゴロしてパソコンに向かうのがためらわれます。

今も左目はウインクしたり開けたり、という状態で書いてます(笑)

たいてい夜から夜中にかけて更新していたので、

それも言い訳のひとつにさせてください。



さて、11月には原三溪市民研究会がらみの行事がおおく、

それも書いておこうとおもったのですが、日にちがたつともう書けません。

心が動いた時にすぐに書かないと、単なる報告文みたいになってしまいます。

写真を載せますので、雰囲気だけでも感じてください。


○11月15日におこなった原三溪ゆかりの場所をたずねる「横浜ウォーキング」

  これは大変だったけれどためになりました。

  夢酔い人Kさんが来てくれて横浜を案内できたのがよかったです。


Img_4077 まずは横浜の成り立ちから


Img_4083 日本初のガス灯


Img_4091 横浜道のマーク


Img_4096 野毛山では原家別荘の錦絵を広げて場所の確認



Img_4102 「勝烈庵」で昼食たべて、さあ午後のウォーキングへ


Img_4106 帝蚕倉庫


Img_4109 亀善の場所を古地図を使って解説


Img_4110 中居屋重兵衛の銅御殿跡


Img_4112 岡倉天心誕生の碑、横浜商法会議所跡


Img_4119 横浜開港資料館旧館、旧英国総領事館でちょっと勉強


Img_4121 開港資料館の中庭にある獅子頭共用栓、水が自動で!


Img_4127 山下公園、インド水塔で解散


  この日のために私は6本の小旗を一日かけて手作りしたのもいい思い出です。


Img_4055 小旗




○11月18日は「ラジオ美術館」の公開収録にいってきました。

  原三溪市民研究会の会員と顧問の猿渡さんが話をしました。


Img_4135 準備中


Img_4144 前半のトーク


  こういった公開収録というのにはじめていったのですが、面白かったです。

  録音機器を写させてもらいました。


Img_4157 録音機器


  横浜美術館の8階はとっても眺めがいいのです。


  出演される方はちょっと緊張されているようでしたが、

  とても楽しい話しで、あっという間の1時間半でした。


Img_4153_2 後半のトーク


  その時録音された音源が「ラジオ美術館」で聞けるようになりました。

  是非お聞きください。

     横浜美術館HP内「ラジオ美術館」(←クリック)


  とくに後半の会員による研究会の実体(?)の話しと、

  それぞれの入会の動機が聞き所です。

  私もその場で聞いていて、「へ~、そうだったの!」と、

  たいへんおもしろく聞かせていただきました。