堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

モニュメントの材質

2008-01-29 22:52:44 | お墓

先日のモニュメント完成についてはいろいろご報告させていただきましたが、

さて、肝心の堅曹さんのつくった先祖のお墓を残した理由。

堅曹さんの経歴を知ってもらうための顕彰碑をたてるにあたって、100年以上前に彼が作ったものとして、言い方は変ですが、建造物として、作品として残したらいいのではないかと考えました。たとえば、書や絵画、彫刻のように。

とにかく残したかった。

ありきたりのお墓の形態でなかったというのもその気にさせられた大きな要素でした。

Cimg0964 元の墓石と歌碑



出来上がったモニュメントの写真を見た何人かの方から、あれはコンクリート製ですか?と尋ねられました。

いいえ、違います。あれは全部石でできています。


ここですこしモニュメントの材質や細部を説明します。

Cimg2338 モニュメント全体

全体を占めるグレーっぽく見える石はインドの「新緑」という石です。すこし緑色がかった色です。

大きな大きな石で3体の石柱と床部分の敷石、周りの柵部分すべてそうです。

場所により、磨いたり、手で彫ったり、機械で彫ったりして表面の感じを変えてあります。


Cimg2467 石柱 向かって右側

Cimg2468_2 真ん中

Cimg2469_2 左側

その「新緑」の切り石の中に元の墓石の正面を薄くスライスして歌碑と一対にしてはめ込みました。

元の墓石と歌碑は当時関東エリアでよく使われていた神奈川県の「新小松石」です。

歌碑のほうは多少傷んでいる部分があったので、昔と同じように手彫りをして読みやすくしていただき、無くなっていた部分は残っていた文献から忠実に再生しました。

手彫りは大変細かい作業で技術と根気のいる仕事です。

今回の仕事で一番時間がかかり、ご苦労をかけてしまったところです。


Cimg2481 横から

それぞれの石柱の横には元の墓石の側面に彫られていた文字を忠実にこちらも手彫りで彫りこみました。

横からみると少し中にはめ込んであるのがよくわかるとおもいます。


Cimg2341 「誌」 これは黒御影石です。


Cimg2480 ザクロの紋様の鋳物の柵

実はこの柵、リサイクルなのです。

このお寺、瑞法光寺の門扉を昨年9月に取り替えたときそこに使われていた鋳物の部分を残してあったのを4枚、今回周りの柵に使用しました。

瑞法光寺はもともと鬼子母神を中心に祭っていたので、ザクロなのです。

ザクロは鬼子母神像が右手に吉祥果(ザクロ)をもっていることから、紋様としてあちこちにつかわれるそうです。


このような材質で作られたモニュメント。

設計と施工をしてくださった、㈱石梅の丸山さんが挨拶でこうおっしゃってくださいました。

「今回使った石はインドのものですが、仏教の導くものを感じました。この石はかなり硬いもので、残っていた墓石もこうやって何十年と歴史をかさねても良さがあります。まわりの石材もそれにあわせてこれから50年100年経ってもそれなりの良さが残せるような形で加工と施工をさせていただきました。」

ありがとうございました。

100年後きっといい形で残っていると信じます。


磯部・富岡・安中そして別保橋

2008-01-27 17:17:42 | 旅行

ダッシュボードにネズミちゃんをのせて向かった磯部温泉。

  Cimg2407 磯部温泉の足湯

ここは明治18年(1885)鉄道が高崎から横川まで開通したときに「磯部」駅ができ一躍温泉地として有名になったところです。

堅曹さんの自叙伝『六十五年記』に明治19年(1886)井上馨外相が磯部に滞在中、何度か富岡製糸場で会ったことが書かれています。

すこし調べてみると、鹿鳴館外交で飛ぶ鳥を落とす勢いの井上馨は鉄道開通と共に、磯部に広大な別荘を建てました。その他多くの政治家たちも別荘を建て、磯部は一大別荘地としてものすごい賑わいとなりました。

ちょうどその頃のはなしです。

その後、磯部は明治26年(1893)に鉄道が碓氷峠を超え、直江津まで開通したのをきっかけに別荘は軽井沢へ移っていってしまい、温泉地として残ってきました。

自叙伝『六十五年記』に書いてある事柄で、惹かれたり興味の沸いた箇所をすこしづつ訪ねたり、検証したりしています。

今回知りたかったのは、磯部はどんな感じのところなのか、富岡まではどのくらいの距離なのか、そして井上馨の別荘はどこにあり、当時の写真でもあれば、ということです。


夕方宿に着き、ご主人に磯部の明治時代のことや歴史を調べていると話すと、一冊の本を貸してくださいました。

  Cimg2394 『磯部温泉誌』

『磯部温泉誌』限定300部 安中市観光協会 昭和57年3月31日発行

明治26年発行した『いそべ案内』を基に書かれており、私の知りたかった井上馨の別荘の場所や、当時の繁栄ぶりがよくわかりました。

夜の更けるのも忘れて読んでしまいました。



翌1月25日の朝、井上馨の別荘のあった場所を訪ね、温泉資料館で磯部の歴史を見ました。

次に向かったのは富岡市南蛇井(なんじゃい)の最興寺というお寺。

この日は堅曹さんが富岡製糸場を民間の三井に渡し、最後に去る日々の記述を基にたどってみようとおもいます。


明治26年(1893)11月12日、堅曹は送別にあたり最興寺で人々に道話をし、住職からおくられた詩に和歌を返しています。

   Cimg2417 最興寺

たいへん古いお寺で、山門は富岡市の重要文化財に指定されていました。

住職にお会いして当時の住職のお名前を教えていただきました。

お寺は堅曹が和歌で「名にしおふ紅葉の錦・・・」と詠んでいるのが納得できるほど、山々が一望できる場所にありました。

  Cimg2427 最興寺からの景色



次に富岡製糸場まで行きました。

  Cimg1900 富岡製糸場

ここからは製糸場から安中の駅までの行程をたどります。

同十九日我出発に臨み内は役員家族工男女小使に至る迄併列し、門を出れば(送 速水堅曹君)の大旗を翻し、有志を始め検査上等工女に至る迄二百余名別保橋際に一と先別れ、夫より人車を列する事五十余台、殊に晴天和暢の日田舎にては空前の盛挙と云ふ可し。安中停車場に百人前の弁当を用意し茲に大略別袖したるも猶数十人高崎迄来り。中にも旗を持ちたる高瀬梧助は総代として東京迄来る     (自叙伝『六十五年記』 句読点は筆者)

11月19日出発に際し製糸場に役員家族もふくめ全員が門まで並び、外に出ると(送 速水堅曹君)の大旗をひるがえし、有志、工女たちが送ってくれた。200人あまりが別保橋で別れ、100人あまりは人力車50台を連ね、まさに素晴らしい晴天の日、田舎では前代未聞の盛大な事となる。安中停車場に100人前の弁当を用意し大体はここで別れた。そしてなお数十人は高崎まできてくれ、旗をもった高瀬梧助は総代として東京まで来てくれた、と書いてあります。



さて安中へいくには富岡市役所の前の道を通り10号線(安中富岡線)で高田川を渡り、下黒岩で212号線に入って山を越えていくのが妥当だと地元の人に教えていただきました。

たぶん当時も多少横道とかあっても基本的にはこのルートではなかったかと思われます。

車で走ってみました。

自叙伝にあるように晴天和暢(おだやかでやわらかく晴れ渡った)の日のようで、寒いけれどいいお天気でした。

山道を登っていくと平らな場所では左手にくっきりと妙義山が見え、ああこの景色のなかをいったんだなあ、とおもいました。

  Cimg2412 妙義山

安中駅まで着きました。

現在は立体交差などが出来ていて、実際は駅近くはどこを通ったかはよくわかりません。

  Cimg2443 安中駅

近くの「旧碓氷郡役所」を訪ね、いろいろ聞いてみました。

たぶん柳瀬橋を渡って旧碓氷郡役所へ突き当たる道を行き、伝馬町の交差点で中山道を左に行き停車場についたのではないだろうか。

駅は当時から中山道側にだけ改札口があるそうです。



さて、また富岡まで戻ります。

まだ確かめたいことがあります。日が暮れる前に。

『六十五年記』に書かれている「別保橋」(べっぽばし)が見つからないのです。

市役所の前の道を行き、橋を渡るのですが、その橋は「小沢橋」。

その先に「別保」という交差点はありました。

車を降りて歩いてみましたが、交差点のあたりには川もなくもちろん橋もありません。

  Cimg2437 「別保」の交差点

高田川にかかる他の橋だろうか。

「小沢橋」に行き川下、川上をみると小さい橋がみえます。

土手を歩いていきました。気温が3度くらいしかなく、マフラーを首にぐるぐる巻きにしていきます。

「上小沢橋」違う。その先にも小さな橋がみえます。

「川北橋」違う。

これ以上離れると、製糸場からは安中へ行く道とは繋がらなくなってしまう。

わからない。


そこで「富岡市役所」へ行きました。

昔「別保橋」という橋はなかったか?または「小沢橋」は別保橋と呼ばれていたりしないか?

受付でいろいろ調べてくださり、わかりそうな人に聞いてくださったが誰も知らない。

あとは土木事務所ならわかるかもしれない、ということですぐに電話をしてくださり、担当のS氏を紹介していただきました。

私は富岡合同庁舎へ向かいました。

富岡土木事務所のS氏は「小沢橋」の資料を用意して、そして事務所内の地元の人に「別保橋」のことを尋ねて、待っていてくださいました。

まずは小沢橋は昭和7年以前の木の橋の時代もず~と「小沢橋」であるということ。

そして地元の人に聞いたところ、昔「川北橋」と「上小沢橋」の間に「別保橋」とか「清水橋」といわれていた橋があった、ということを教えてくださいました。

別保という地名の中で今の「登利平」の裏あたりとか。

S氏は私の持って行った道路地図を一緒にみてくださり、自叙伝の文章も興味深く読んで、このあたりに橋があり、そうすると道は安中へはこう繋がるんじゃないだろうか、などといろいろ一緒に推察してくださいました。

本当にありがとうございました。


さあ、時間がない。ここまでわかれば、明るいうちにもう一度高田川にもどり、橋のあった場所を確認してみよう。

平成11年に河川の改修工事をしているのでたぶん橋げたとかそういうものは何も残ってないでしょうといわれました。

でも行きます。

「登利平」に車をおいて河川敷に降りました。夕方になり、さっきよりもっと寒い。マフラーぐるぐる巻きに手袋もして。

降りてみるとなんと川に橋ともいえないフラットなコンクリートの渡しのようなものがかかっているのが見えました。向こう岸に渡れそうです。

  Cimg2445 「登利平」裏より降りてきて

地図でみた「別保橋」があった場所あたりになります。

向こう岸に渡って土手にあがっていくと工場の間に細い道があり、そこをいくと旧道の10号線につながりました。

ここだ。ここに橋があったのに間違いないとおもいました。

川岸の端の水はもう凍っていました。

  Cimg2446 向こう岸へ渡って

車へもどり、今度は製糸場への道を確認してみよう。

別保橋のあったところに交差点があるのでそこから製糸場のほうへ向かいました。

細い道ばかりです。ぐるぐる走り回りました。

道路地図と首っ引きです。市役所前の道を通らずになんとか製糸場へ行けないか。

日本光電という会社のまえの道を横に右折してみました。

両面通行ですが、一台しか通れないほどです。そこを抜け、踏切を渡りまっすぐに行くと姫街道(254号線)のサカモト家具のところにでました。

左折してすぐのところを右折して一方通行をまっすぐにいくと、あっという間に製糸場の塀、そして門のところに出ました。


やったー! この道だ! 最短だ~!

市役所の前のところへ出るよりずっと早い。

多分この道で別保橋に行ったんですね。1kmぐらいです。

堅曹さん、ここを300人もの人に歩いて送ってもらったんだ。大旗をひるがえして。

うれしかったです。明治26年11月19日のことがたどれました。



もうとっぷりと日が暮れて。

でもとても満ち足りた気持ちで帰路につきました。


ぐんまシルク展

2008-01-26 17:56:06 | 旅行

寒い日が続いていますね。

そんななか1月24日に群馬県高崎市にある「日本絹の里」の「ぐんまシルク展」に行ってきました。

Cimg2371     Cimg2385

昨年の富岡製糸場世界遺産伝道師協会の研修会で現在の養蚕製糸業の危機的状況を学び、国産のシルク製品を使うことも僅かではあるけれど衰退を止める一助になる、と知りました。

そこで機会があればそういうものを求めようとおもっていたのです。

「ぐんまシルク展」では主に群馬県産のシルク製品を紹介、展示販売をします。

原料がぐんまオリジナル蚕品種でできたシルク製品には「ぐんまシルク」という認証シールが貼られています。品質は確かで折り紙つきです。

Cimg2462 「ぐんまシルク」の認証シール

最高級のものから手軽なものまでいろいろそろっていて、いくつか買ってきました。



さて、会場では無料の体験をいくつかやっていました。

わたしにしてはめずらしく挑戦してみました。

まずは「組紐ストラップ作り」

Cimg2372 この器械でつくります。

Cimg2373 こんな感じで手で糸を組んでいきます。

Cimg2375 出来上がり


次は「まゆクラフト」です。今年の干支のネズミをつくります。

Cimg2378 渡されたキット

初めて加工する繭。

なかから蛹が出てきました。おもっていたより、繭の表面は硬く、なかなかカッターナイフで切り込みを入れるのが難しいです。やってみないとわからないものですね。

Cimg2380 途中です。

Cimg2383 ヒゲとシッポをつけて出来上がり

両方ともまあまあの出来でしょうか。


さあ、ネズミちゃんを車のダッシュボードにのせて、「絹の里」から今度は群馬県の磯部温泉へ向かいました。

Cimg2388

そこで翌日は堅曹さん関連の調べ物。

かねてより行ってみたかった場所の調査です。

続く。


NHK-FM 「夕焼けほっと群馬」

2008-01-22 03:01:54 | お墓

21日(月)にNHK-FM放送の「夕焼けほっと群馬」で先日の「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」のセレモニーの様子や私のインタビューが放送されました。

群馬を中心に放送される番組なので、自宅では全然受信できません。



もうじき始まるな~、ちょっとガーガーしてても入らないかな~なんて思いながら、夕方ラジオをいじくっていました。

やっぱりだめそうです。


夕方6時ちょっと前電話がなりました。相棒Tさんです。

「どう?これで聞こえない?」と言って、何か電話のむこうでやっています。

「今、ラジオの放送流してるんだけど。聞こえる?」

え~!「夕焼けほっと群馬」の放送聞かせてくれるの~?

Tさんの家は群馬県内。お昼に電話したとき、もう周波数合わせて聞く準備してるって言ってました。

でも、私に電話で聞かせられるかもしれないって考えてくれたなんて、驚きです!

想像だにしませんでした。

とても申し訳なくって「なんとか受信できないか、もうちょっと家中のラジオいじってみるから、それでもだめだったらお願いします。」と答えました。

でもやっぱりだめでした。



放送予定は6時半前後だときいていたので、6時20分すぎに電話しました。

ラジオの音が受話器から流れてきます。すこし雑音がはいりますが、充分聞こえます。

そうだ、電話で録音できるかも知れないとおもい、いそいで「通話録音」のボタンを押しました。

音楽が流れてきました。

「つづいては〈ここに人あり〉のコーナーです。」と先日インタビューをしてくださったアナウンサーの声が聞こえてきます。

ああ、はじまる。ドキドキして受話器に耳をしっかりあてます。

はじめに速水堅曹の経歴が紹介されます。

そして95回目の命日にモニュメントがつくられ、お披露目会がひらかれたことが伝えられました。

モニュメントの説明がされ、本家の奥様の言葉。

つづいて内海孝先生の「速水堅曹が先祖の墓を「・・・夫婦の墓」と墓石に刻んだこと。これは堅曹のすごい見識だ」というすばらしいコメント。

続いてわたしの紹介が行われ、インタビューがはじまりました。

初めてラジオを通して聞く自分の声。しゃべり。

当日のことが思い出され、息がつまるようでした。

途中からこれは私じゃなくて堅曹さんが語らせてくれているんだ、とおもいました。

自分で自分の話を聞いて、変ですが感動してしまいました。

放送が終わって相棒Tさんと興奮したまま感想を言い合い、電話を切りました。



Tさん本当にありがとう。オンタイムで聞けてよかったです。

電話機の録音もだいぶひどい音ですが、録れていました。

聞きなおしてはだんだん興奮もおさまってきました。



夢酔い人Kさんから早速にメールが届き、とても良かったと書いてきてくださいました。

もしかして速水堅曹という人物がラジオを通して紹介されたのは初めてじゃないだろうか、とも書いてあります。

そうです、自分のことばかり気になって忘れていました。

速水堅曹が公共の電波にのって紹介されたのは今回がはじめてです。

記念すべき放送でした。



モニュメント完成披露の会 その後

2008-01-19 02:14:36 | お墓

東京で初雪が舞った17日に「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」完成披露の会を行わせていただきました。


土砂降りの雨になった昨年10月の川越のお寺での閉眼供養と撤去作業からはじまり、2ヶ月半後の1月、初雪の日の速水家先祖の供養と完成お披露目の会。

Cimg1811 川越「妙善寺」 閉眼供養

Photo 取手「瑞法光寺」 速水家先祖供養


まるでいつも天から清めていただいたかの様に感じたのは私ひとりではありません。

とても印象深い日々でした。



さて当日の様子がラジオで放送されます。

1月21日(月)午後6:00~7:00

NHK-FM(81.6MHz) 「夕焼けほっと群馬」 NHK前橋放送局製作

81.6MHz に合わせていただければ群馬県内及び埼玉北部など隣接地域でも受信できるそうです。

セレモニーの様子や参加者のインタビュー等が放送されます。

だいたい6:30前後の10分間ほどの予定だそうです。

http://www.nhk.or.jp/maebashi/bangumi/fm/index.html


私もおこがましくもインタビューを受けました。

はじめての経験でドキドキするは、ブログに書いたように地に足がついてない状態で何をしゃべったか、不安でもあります。

でもこんなふうに堅曹さんのモニュメント取り上げていただいて、本当にありがたいことです。

受信できる地域の方はぜひ聞いてみてください。


また参加いただいた富岡製糸場世界遺産伝道師協会の会長のブログでも当日のことを取り上げてくださってますので、ご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/whtomioka/