前後してしまいましたが、フランスに行く前に
原三溪市民研究会で岐阜の研修ツアーにいきました。
このことを先に書かなくてはいけなかったのですが、携帯で簡単にフランスのほうを書いてしまいましたので、
これから岐阜ツアーのことになります。
岐阜は原三溪の出身地で、彼は18歳まで地元で育ちました。
その郷里をたずねることで、三溪さんのことをもっともっと深く知ろう、という企画です。
9月11日(日)の朝7時に横浜駅西口に集合です。
総勢23人、岐阜で3人が合流します。
大型観光バスで、二人の席に1人で座れるからゆったりですね。
さて、岐阜まで4時間半以上かかりますが、その時間も無駄にはしません。
しっかり車内研修です。
今回の見学にあたって副会長のFさんが資料をたくさんつくり、
それを配って三溪さんと岐阜について勉強です。
わたしも三溪さんの岐阜時代のことを書いた論文をもとに、すこし説明をしました。
そのあとは、7月に放送された原三溪を紹介するテレビ神奈川の番組のDVDを流したりして、
充分に予習ができました。
そうこうしている間に岐阜に入ります。
12時、岐阜羽島の駅前で地元の会員らと合流。
まずは三溪さんが18歳で上京するときにここで船に乗ったという、
木曽川の「笠松湊」の船着場にいきました。
現在は史跡として保存されています。
木曽川は当時はもっと川幅が広かったのでしょう、
三溪さんは「海のように広い」とその印象を書いています。
次は三溪さんの生家のある佐波(現在は柳津)にいきました。
近所の八幡神社に三溪さんが寄進した拝殿がのこっているので、それを見学したり、
幼少時通った寺子屋の観音寺に行ったり、皆で生誕地の散策です。
幼い三溪さんはこの道を歩いて学校に通ったり、
のどかな田園のなかで遊んだりして成長したのね、などと話しました。
その後、2時半から聖徳学園大学で
地元で三溪研究をしている「岐阜市柳津地域協議会」の方々と交流会をおこないました。
まずそれぞれ横浜と岐阜両市長のメッセージを読み上げて交換をし、
それからお互いの活動報告をしたり、これからの交流について意見を交わしました。
この様子は地元の新聞社にも取材され記事になりました。
ここまででも盛りだくさんの内容でしたが、ここからがもっと興味深い見学になります。
隣の大垣市にある三溪さんの親戚にあたる旧家を訪ねました。
90歳になるとてもお元気なご当主が三溪さんゆかりの書画をたくさん見せて下さいました。
素晴らしいです。
みんなでため息をつきながら、間近で拝見させていただきました。
なんとご当主は生前の三溪さんに会っているのです。
帰郷の際にはよく訪れたというこの家で、4,5歳のころ。
「からだの大きな、横浜のお金持ちだ!」とおもったと記憶に残っているそうです。
三溪さんがこの家で召し上がった食べ物についてもいろいろ話してくださいました。
とってもグルメだったのがわかります。
さあ、この家を辞したのはもう日が暮れる6時過ぎでした。
興奮さめやらぬまま、バスまで見送りにでてくださったご当主に手を振って
今日の宿の岐阜駅前のホテルに向かいました。
暑い一日だったので、シャワーぐらい浴びたかったのですが、
予定が押せ押せでその時間もとれず、宴会となりました。
近くの居酒屋で地元の料理などもはいり、楽しく楽しく宴は続きました。
さて翌日はこの研修会のハイライト、岐阜県歴史資料館での貴重な史料閲覧があります。
続きは次回に。。。