北条早雲の菩提寺である早雲寺に着いたのは午後1時過ぎ。
北条五代のお墓などを見学して、集合写真をとりました。
バスに戻り、次は小田原市板橋にある松永記念館に行きます。
ここは耳庵こと松永安左ヱ門の晩年の自宅である「老欅荘」と記念館があります。
この板橋という一帯は明治末から大正時代にかけて政財界の大御所たちが屋敷をつくりました。
鈍翁こと益田孝、山県有朋、大倉喜八郎、清浦圭吾らです。
丘陵地になっており、相模湾の眺め、温暖な気候、鉄道の便などがよかったのでしょう。
松永記念館では小田原市郷土文化館の方に解説をしていただきました。
実にわかりやすい丁寧な内容でした。
「老欅荘」はスッと見てしまえば、ものの10分もかからないような広さの自宅ですが、
耳庵がいかにこだわり、数寄を凝らして作っているか。
たとえば、広間の畳の大きさはそれぞれ違っているのだが、違和感がないように敷かれていること、
縁座敷に座って眺める景色を計算して、庭の塀の高さを決めていること、
障子は光の入る具合を考えて工夫していること、
等々、数え切れないほどのこだわりは解説を聞かなければ気がつかないことばかり。
それこそ一時間いてもまだ聞いていたいような話しばかりでした。
しっかり堪能しました。
そのあと近隣の大御所たちの居宅跡を見てあるいて、バスにのりこみました。
『原三溪翁伝』に強羅の白雲洞で大震災の報を聞いた三溪が
歩いて横浜に帰る途中、この板橋にあった益田鈍翁の邸宅「掃雲台」に立ち寄り、
山羊の乳をのませてもらったというエピソードが載っています。
強羅で縁側をさがしたKさんは、そのことを話しながら、
「三溪さんが大震災の日歩いて横浜に帰った道をたどりたいね」と言いました。
いつかやってみたいです。
さて最後の見学地、小田原市内の西海子(さいかち)小路の「小田原文学館」にむかいます。
このあたりは、やはり明治末から文学者たちがおおぜい住んでいたところで、
元宮内大臣の田中光顕の別邸が現在「小田原文学館」になっています。
国道一号線でバスをおりて、西海子小路を歩きながら文学館へ。
桜並木のゆったりとした道のある、とても落ち着いた閑静な住宅街です。
昔は西海子が植えられていたとか。
文学館には洋館と和風の建物と、移築してきた尾崎一雄の書斎があり、
この地にゆかりのある文学者たちの資料がたくさん展示されています。
広い邸内を自由に散策して見学しました。
1800坪といわれる敷地を歩きながら、
今日見てきた当時の政財界の人たちの豪華な別荘や居宅、
凝った茶室についてあれこれ考えていると、
現代ではあまり言われなくなった「普請道楽」という言葉をおもいだしました。
「人生最後の道楽は普請道楽」というように、
見学した建物は皆ある程度の年齢になってから造ったものです。
うらやましいなとおもいます。
けれど現在の日本の経済状況と違うのはもちろんですが、
そういったものにお金だけでなく、時間もかけているゆとりの在り方が
現代とは決定的に違うのではないかという気がしました。
明治終りから、大正、昭和にかけてそういった面々が集まったこの地域の歴史を学び、
風光明媚な地としての面影を感じ、
今まで遊びにきていた箱根や小田原を違う視点でみることができるようになりました。
おもしろい、の一言です。
午後5時過ぎ、バスは小田原駅前に到着。
予定どおりでした。
ここで解散、お疲れ様。
このあと有志で駅ビルの「魚国」で夕飯を食べて帰宅しました。
あ~、楽しかったな~。