堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

「坂の上の雲」の横浜港

2009-11-30 03:10:57 | 日記・エッセイ・コラム

NHKではじまったスペシャルドラマ「坂の上の雲」。

ちょっと楽しみにしていました。


原作も今日のあたりは読んで(全巻はまだ)いるし、

役者さんは好きな人ばかり。

どんなふうに脚本にまとめたのか、背景の明治時代のセットはどんな感じになっているのか、と

いろいろチェックしながら見ました。


古写真がたくさん使われ、繭や生糸の映像もあり、

ポンチ絵まで使われて、明治時代をおもいっきり表現しています。


新橋駅や銀座の通りは、かなり近い雰囲気で再現していたような気がします。

気になったのが横浜港の場面。

海沿いにあったであろうホテルのイメージのテラスがあり、すぐに海となる石積みの埠頭です。

桟橋は残念ながら真っ直ぐで、時代的にはもう象の鼻ができていたので、

もっとカーブをしていたのではないか、とおもいました。


何分かの場面でしたが、きれいな石積みの埠頭がどこかで見たことがある、とおもい、

これはセットではないんじゃないか?

もしかしたら、九州へ行ったときに寄った三角西港かもしれない、とおもいました。


最後のテロップを注意してみていると、 「宇城市」 というのがありました。

多分そうだとおもい、ネットで検索してみると、ジャ~ン、当たり!

三角西港でロケをしたそうです。

Cimg0294 三角西港

Cimg0288 三角西港


ここの岸壁、本当にきれいだったのです。

明治20年に築港されて、いまだにしっかりと残されています。

あのホテルのテラスのような建物はカフェでした。

最初に人々が港へ向かう場面に映る洋館は浦島屋です。

明治時代にタイムスリップしたような港だったのです。


いや~よく探しましたね、NHKさん。


『「世界遺産」の真実―過剰な期待、大いなる誤解 』

2009-11-29 08:25:59 | 本と雑誌

佐滝剛弘さんの新刊がでます。

12月1日発売です。


  『「世界遺産」の真実 ―過剰な期待、大いなる誤解 』 祥伝社新書 ¥840



  011185_2 『「世界遺産」の真実』 佐滝剛弘著



佐滝さんは『旅する前の世界遺産』や『日本のシルクロード』を書かれていますが、

今回は世界遺産関連第2弾といったところでしょうか。


かなり挑発的(!)なタイトルですが、

著者の弁によれば、決して世界遺産を否定しているものではなく、

むしろ原点回帰を提唱している内容だそうです。



昨今の世界遺産の、観光の目玉や地域の起死回生の助っ人として捉えられている風潮、

そこにもってきて今年の平泉の落選。

あきらかに世界遺産が曲がり角にきているとおもいませんか?

そこであらためて、世界遺産の本来の意義について考え、わかりやすく解説。

世界遺産になったところ、これからのところを訪ねて歩いて、その現実を詳細にレポートしているそうです。


もう一度世界遺産について考えてみよう!

最新の平泉や石見銀山のレポート、楽しみです!

世界遺産に関わっている方、必読です!


水沼製糸所と星野長太郎

2009-11-28 17:52:33 | 人物

群馬県高崎市へ座繰り器を取りに行った帰り、桐生市黒保根町水沼に行きました。

たしか以前は勢多郡黒保根村といっていたような。

平成の大合併で桐生市になったのでしょうか。


ここには明治7年、民間ではじめての器械製糸所、水沼製糸所ができました。

星野長太郎という、この地の豪農で江戸時代に名字帯刀を許されていた家の長男が

維新をむかえた時、これからは器械製糸だと説く藩士速水堅曹の考えに傾倒し、

堅曹が作った日本最初の藩営前橋製糸所に弟子入りをして、技術、経営を学び

自宅に器械製糸所をつくったのでした。


新井領一郎という弟も堅曹らと相談してアメリカへ行かせ、ニューヨークで生糸の販売をさせました。

その後もつきあいは深く、座繰り製糸の結社や直輸出の同伸会社創立にもかかわり、

常に堅曹の同志として行動を共にしていました。


当時の雑誌では

二人は「水魚」(魚と水が離れがたいように、きわめて親密な交友のたとえ)のようだと書かれています。

まさに50年近くに及ぶ一生の付き合いでした。



その水沼製糸所跡を訪ねてみました。

当時の石垣や長屋門は残っています。

敷地内には貴重な史料が入っている当時の蔵もあります。

現在もご子孫が住んでいますが、中に入ることはできないそうです。


Cimg1569 水沼製糸所跡 長屋門


Cimg1570 水沼製糸所跡 石垣


外観だけ写真に収めました。

すぐ裏は山になっており、その斜面に家がたっているような感じです。



水沼という地は、渡良瀬川に沿って国道122号線とわたらせ渓谷鉄道が走り、

それに連なるように山に囲まれた、ほんの少しの土地に住民が住んでいる町でした。

もともとは林業が盛んな土地で、江戸時代にはたくさんの木を切り出し、渡良瀬川をつかって江戸まで送ったそうです。


製糸所跡の前には元役所だったという黒保根歴史民俗資料館があり、そこを見学しました。

Cimg1558 黒保根歴史民俗資料館


館員の方と話をしていたら、星野家のお墓はそこですよ、と道路をはさんだ向かいの場所を教えてくれました。

え~、ここにお墓があるんだ、知らなかった。

星野長太郎は国会議員もつとめていたので、東京に自宅があり、そこで亡くなっています。

そして立派な石碑が前橋の臨江閣のところにあります。

だから、お墓はもしかしたら東京かもしれない、とおもっていました。


早速行きました。

館員の方は

「戒名しか書いてない墓ばかりだから、長太郎さんのがどれか、わからないかもしれないよ」

と心配してくださったのですが、

なぜか、絶対にわかる、という確信がありました。


道路を渡ったところに観音堂があり、そこが星野家一族の墓所です。

中に大きな銀杏の木が一本あり、黄色くなった葉っぱが落ち始めていました。

順番に墓石を見ていくと、あ、これだ!とおもうのがありました。

星野長太郎の没年は知っていたので、側面をみると、たしかにその年月が彫られており、

俗称 星野長太郎と書かれていました。

隣には奥さんの墓が並んでありました。

  Cimg1595 星野長太郎の墓



丁寧にお参りさせてもらいました。

まさか今回星野長太郎のお墓参りまでできるとはおもっておらず、

おもいがけずこうなったのも、きっと堅曹さんがお参りしたかったのかな、

と思わずにはいられませんでした。


MY 座繰り器

2009-11-25 02:41:22 | 日記・エッセイ・コラム

昨日(23日)高崎にある「日本絹の里」へ上州座繰り器を取りに行ってきました。


Cimg1557 「日本絹の里」の前庭で



2ヶ月ほど前の伝道師通信に、

水海道市の細野さん宅から昭和21年頃に作られた上州座繰り器が多数発見されたので、

補修して使えるようにして、絹の里が安く販売してくれるというチラシが入ってきました。

へ~、欲しいな、とおもい、早速に電話で申し込み。

希望者が多かった場合は抽選になります、と言われました。



私はいままで座繰りをしたことはありません。

7年前にこの先祖調べをはじめて、群馬に行くようになるまで、

蚕も繭も、桑の葉さえ見たことがありませんでした。

東京生まれの東京育ち、両親も東京と神奈川の生まれでは、当たり前といえば当たり前かもしれません。

ですので、ほんとに養蚕製糸のイロハから皆さんに教えていただきました。



それがここにきて座繰り器が欲しい、とおもった理由。

それは純粋に糸が引いてみたい、というよりも、

どんな器械なのか、じっくり自分の手でさわって、動かして、仕組みを知りたいとおもったから。

そして繭からどんな感じで糸がひけて、実際はどんなところに気をつけて扱ったりするのか。

どこが不自由で改良していって、改良座繰りということになったのか、等々

器械をいじって知りたかった。


堅曹さんの日記や自叙伝を読んでいると、器械のことがいろいろ書いてあるし、

製糸は精神の業といつも言っているので、糸を引くというのはどういうことか体験してみたかった。

という相変わらず好奇心いっぱいで頼んでしまいました。



器械24台につき、申し込み34人ということで抽選になったのですが、

見事当選。(ラッキー

代金は8000円でした。(新品を買うと4~5万円はするそうです)


そうこうしているうちに、座繰りを教えてくれる人もみつかり、近いうちにおそわることもできそうです。




Cimg1619 白い木の部分が小枠と鼓車


Cimg1620 「細野木工所」の焼印もあります


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この器械は上州座繰り器のなかの富岡式というもので、

輸出用の細い糸がひけるものだそうです。

小枠(こわく)と鼓車(こしゃ)を新しくつけて使えるようにしたそうです。

ハンドルを一回まわすと、小枠が7回転する、ということを教わりました。

鼓車は繭を入れる器にあわせて、位置を調整するのだそうです。



家で組み立てて、早速カラカラとまわしてみました。

軽くて、すごい勢いで小枠がまわります。

小枠に印(赤い付箋)をつけて、ゆっくりと一回ハンドルを回してみました。

1、2、3、・・・ 本当だ、7回転しました!

細かな部分も木や竹で作られていて、木釘が使われています。

大小5個の歯車がうまく組み合わさって、

中央に突き出ている絡交(らっこう)も軽快に左右に振れます。

よくできてるなとおもいました。


これから、楽しみです。


ウィキペディア

2009-11-20 23:50:55 | 日記・エッセイ・コラム

先週の12日、前橋で歴史WGの勉強会がありました。


いつもの情報交換をしているとき、相棒Tさんと夢酔い人Kさんが

「速水堅曹のウィキペディア(インターネット上の百科事典)ができてたけど、

速水さんが書いたの?」 と言ってきました。

「えー! 私じゃないよ。

書こうとおもい準備はしてたけれど、まだアップしてない!」



今年6月、このブログを読まれた某郷土史家の息子さんからメールをいただき、

「ぜひ、速水堅曹をウィキペディアに載せなさい。

たいへん難しいけれどおやりになったほうがいい。」 と強く勧められました。


最初はどうしたものかとおもっていたけれど、だんだんその気になり、

息子を助っ人に頼んで、さてはじめるか! とおもっていた矢先でした。

私以外に書く人いないでしょ、と高を括っていたら、

先を越して書いた人がいたことは驚きでした。



プリントアウトしたものを見せてもらいました。

ザ~と読んで、

あっ、これはあそこの関係の人が書いたのかな? と思い当たる節があります。

速水堅曹の経歴の取り上げ方は、極端に経済関係に重きが置かれています。

私が書いたらこんな風には絶対に書かない、という内容でした。



ウィキペディアは誰でも編集に参加でき、どんどん書き換えられていきます。

ログインして私も編集に加わろうとおもいます。

ぐずぐずしていた私のためにたたき台をつくっていただいたようなものです。

完璧な紹介になるにはまだまだ時間がかかりそうです。


それにしても、速水堅曹をウィキペディアに載せようとおもう程興味をもってくれた人がいる、

という事実がちょっとうれしいです。