堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

赤いバラの花束

2015-01-31 23:25:30 | 日記

   

30日はわたしの誕生日。

真っ赤なバラの花束が届いた!

 

      

 

数え切れないほどの目も覚めるような深紅の薔薇。

こんな素敵なバラの花束をプレゼントはされたのは、もちろん人生初。

 

なんで、赤いバラなんだろう?

なんで、こんなにたくさんなんだろう?

 

半日もたってから、ハタと気がついた!

数十本、赤色。。。。。

そうか~、贈り主(子供たち)はよく考えたんだな~。

 

ありがとう!

 

 


明治天皇 邦を知り国を治める

2015-01-25 23:24:49 | 展覧会

一週間ほど前に

宮内庁三の丸尚蔵館でおこなわれている展覧会

「明治天皇 邦を知り国を治める ―近代の国見と天皇のまなざし」

平成27年1月10日(土)~3月8日(日) (前期1月10日~2月8日 後期2月11日~3月8日)

を見てきた。

 

  皇居の大手門から入る

  三の丸尚蔵館

 

明治天皇の初期の全国各地への行幸の様子やその記録、

ご覧になった景色や新しい産業や教育の建造物などの写真類から

天皇が近代国家へ向けて変わりつつあった国土をどのようにみていたか、という

展覧会である。

 

この中に

「東園侍従 富岡製糸場報告」が出品されている。

これは明治23年富岡製糸所に遣わされた東園侍従に、

富岡製糸所長だった堅曹が陛下のお手許へと渡した文書類だ。

2012年に私が宮内庁で発掘したもので、

『速水堅曹資料集』の「堅曹の素描」に写真と内容を載せている。

この資料がこうした展覧会に展示されるとは、たいへん驚いた。

久しぶりに原本を目にすることができた。

 

この展覧会には、たくさんの製糸関係の写真が出品されている。

「富岡製糸場」の写真類。(東京国立博物館所蔵とおなじもの)

堅曹さんが設立指導した「二本松製糸場」の初期の写真。

「山形県鶴岡の松ヶ岡開墾場の蚕室」の写真。

県庁などを含む明治11年撮影の群馬県関係の写真もある。

どれも明治初めの貴重なもので、はじめて見るものもある。

 

明治天皇がこのように養蚕や製糸に特に関心をもたれていたということからも

製糸業が日本の近代化の要の産業であったことがよくわかる。

 

普段は見られない写真類ばかりで、前期後期で入れ替えもあるので、

期間中何度か見に行きたいとおもっている。

 

 

 

 

 

 


ネット・オークション

2015-01-21 00:34:45 | 速水堅曹

先日、Kさんから電話があり、

「堅曹さんのお軸がネット・オークションにでてるけど、どうする?」

 

「えー本当!!」

ネットですぐにみてみると、堅曹さんの真筆ッぽい。

 オークションの画面から

 

大きなお軸だ。

文章を読んでみると、差し上げた方の名前も知っている人だ。

これは入手するしかない。

すぐにKさんに落札を頼んだ。

 

我が家には堅曹さんの遺品はほとんどないので、

少しづつ何かしら集めたいと、常日頃おもっている。

 

ネット・オークションは会員にならなければ入札できなくて、

結構競り方のコツのようなものがあるらしい。

Kさんによれば、最終日の最後30分くらいが勝負らしい。

 

私はパソコンの画面の前で、刻一刻とその金額の入り方をみつめていた。

誰かが新しい金額を入れると、間髪いれず、ちょっと上乗せした金額がはいる。

ドキドキしてきた。

居ても立ってもいられず、部屋のなかを歩きまわり

「Kさん、落として~!」と叫んでいた。

 

時計を確認、あと10分、5分、緊迫の画面です。

Kさんがちょっと高めの金額を入れた!

誰もついてこない!

 

画面に「終了」の文字。

やった~、Kさん落としてくれた~。

 

すぐにKさんに電話して、お礼をいう。

うれしい。

堅曹さんの真筆に会える。

我が家に届く日が楽しみだ。

 

 

 

 


命日

2015-01-18 23:33:34 | 速水堅曹

1月17日は堅曹さんの102回目の命日でした。

墓前でお経をあげて、供養をしました。

 

きれいなお花をMさんが贈ってくださり、それもお供えしました。

いつもよりお花が多くて、喜んだことでしょう。

 速水家の墓

 

空はキーンと晴れ渡っていたが、とても風が強かった。

命日をむかえるといつもおもう。

堅曹さん、寒中のとても寒い時期に亡くなったんだなあ、と。

 

お参りして、たくさんの報告をさせてもらった。

左向かいにある「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」もきれいにお掃除をした。

 モニュメント

 モニュメント

ここには堅曹さんの父、祖父母、曾祖父母の墓石と

石板に彫られた堅曹の和歌がはめ込まれている。

堅曹さんが心を込めて先祖を供養した証。

それをモニュメントにして残した。

 

気に入ってくれていますか、と堅曹さんに問いかけてみた。

 

 

 

 

 


富岡製糸場のお正月

2015-01-15 12:20:36 | 富岡製糸場

「世の人は知るか知らぬか とみをかの

                いとにぎはしき 年のはじめを」 堅曹

 

130年以上前の富岡製糸場のお正月の様子。

『速水堅曹資料集』の221ページから248ページにかけて

「製糸所の大庭」というタイトルの記事が第1回から13回まである。

毎年お正月に堅曹さんが工女たちに話した講演記録です。

 

 製糸所の大庭 第1回

 

それを読んでみると、とても楽しそう。

  「此の富岡の製糸所は大晦日の夜から元旦の未だ夜も明けぬに、

   夫(そ)れお湯、夫れ髪をこわすな、夫れ着物は上にどれ、下に何とそれ位の心配にて、

   東の方からほのぼのと夜が明くれば、顔のほとほと桜色に思ひの儘に、

   お作りも出来、御目出度御年始も済んだり」

大みそかから元旦にかけて、工女さん達は

いそいそと若い女の子らしく、おしゃれに忙しい。

支度ができて初日の出を拝べば、皆の顔が桜色に染まる。

 

皆で挨拶をしたあとは、かるたをしたり、はねつきをしたりして楽しんだようです。

特に「福引き」は好評だったよう。

 

「福引き」というと、今は商店街の売り出しでガラガラをまわして、

当り玉がでた人に景品を出すというイメージですが、

もともとは正月の遊びとして、二人で一つの餅を引っぱり合い、

取り分の多少によってその年の吉凶を占ったのがはじまりという。

新年の季語にもなっている。

辞書には

「くじ引きをしてさまざまの品物を取り合うこと。多くの綱・紐などに種々のものをつけ、

引き手にはそれを隠して引かせる遊戯。」とある。

 

堅曹さんの話には「良品を得、又は粗品を得る等、皆運賦天賦と云可し」と

あるので、引き当てた品物で今年の運不運を占う面もあったようだ。

たくさんの景品を用意して、工女さんたちが順番にくじをひいて、わーこれが当たった、

あれがよかった等々、さぞかしにぎやかだったでしょう。

10代から20代はじめの工女さんが数百人もいたんですから。

 

どんなものが景品だったんだろう。

身に付ける櫛とか髪飾り、履き物や反物、着物の小物とか。

お人形やお菓子、本なんかもあったのかな。

想像するだけで、こちらも楽しくなってくる。