堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

『六十五年記』から雑感

2008-02-23 15:47:15 | 本と雑誌

陽の光がきらきらと輝いて春めき、暖かくなってきました。

しかし、鼻がぐずぐず、くしゃみがクスン、スギの花粉も飛び始めたようです。

私は30年来のスギの花粉症患者なのです。それ以外はアレルギーはありませんが、まだ世の中の人が花粉症なるものを知らないころ、そう「スギ花粉症」と大学の先生が病気の名前をつけた頃からのお付き合いです。

昔は本当に薬もなく、夜寝ることもできなくなるほど酷い症状でなやまされました。春になるのが恐怖でした。

今は治療法もすすみ、いいお薬もでき、きちんと守れば快適に生活できるのは夢のようです。



そんななか、ここのところず~と仕事以外は堅曹さんの自叙伝『六十五年記』と付き合っています。せっせと索引作りをしています。

Cimg0495 『六十五年記』雑誌掲載文

何回読んでもおもしろい。

演説のところは口調が想像できておもしろい。

しかし論文になるとすごくむずかしい。語彙からして辞書を引き引き、文法も古語辞典で助詞の使い方の説明読んで、そういう意味なのか~、という調子です。

当時の政治家、官僚もたくさんでてくるので、イメージがふくらみます。

自分の伝記という形をとっているが、日本の製糸業史として記録しようという堅曹さんの意図がかんじられます。



先祖調べに関わってから、それまで歴史には全く興味がなかった私がどっぷり歴史のこまかいところまで知ろうとしている。

そしてこうやって速水堅曹という人物をブログで発信までしている。

ときどきふっと立ち止まって考えます。

単に自分の先祖だから? 功績を残した人物だから?

自分が尊敬できる人物だとおもったから?

それでこんなことまでしているのですから、なんとおこがましい、というかずうずうしい、というか。



歴史をたどるということ、勉強するということ。それはただ過去にあったことを知るというだけでなく、現在の私たちにすべてつながっているという視点でとらえていくと学ぶ意義がでてくる。

『六十五年記』は単に幕末から明治時代、日本の製糸業の近代化にむけてさまざまな側面から推し進めていった一個人の記録ですが、現在の工業国ニッポンの花形である輸出産業に置き換えてみると、技術的なことは雲泥の差で何も比較にもならないが、そうでない物事を判断するときの基準、考え方、捉え方、には時代をこえて変わらない普遍的なものがあり、どう当てはめていっても納得できる真理が存在していることに気がつきます。



昨年元トヨタ自動車の取締役であった坪井珍彦氏の講演を拝聴して、労務関係にながくおられた氏が日本にはじめて工場というものが作られ多くの人を使い、物を生産していく形になったのがまさにこの時期で、製糸場での工男女の指導、管理はいまの労務管理の原点、DNAである、という捉え方をしているのを知った。



ある方が書いてきてくださいました。ながく実社会におられた方です。製品の品質をたかめるには単に機械が精巧になればいいだけでなく、それを扱う人間の精神的なものが必ず表れてくる。それがまさに堅曹さんが130年以上前に書かれていることと同じなので大変驚いた。


先人の知恵を学ぶ。

歴史は繰り返す。

温故知新。

その話を聞いたとき、なるほど先人の足跡をたどり歴史を学ぶということはそういうことであり、私が速水堅曹のことを多くの人に知っていただきたいと思い、いろいろしているのもまちがってはいないと思いました。



先月記念碑を建てることができ、ひとつ堅曹さんの事績を追うことは形になったような気がします。

これからは彼の思想的なこと、製糸業に対する考え、捉え方、その変遷、何をしたかったのか、等を追っていきたいと思います。

第2ステージの幕開けです。



前橋・高崎・おまんじゅう 続き

2008-02-17 14:14:17 | 勉強会、講演会

14日は「旅籠屋」に泊まり、ここは外国のモーテルのような形式で、とても広い部屋で自宅のような感じで過ごせます。

大きな机もあり、持ち込んだパソコンでだいぶ仕事がはかどりました。



さて翌日真っ直ぐにむかったのが、前橋市内のおいしいおまんじゅうやさん。といっても本業はお茶やさん。

  Cimg2547_2 たむら園

前日はじめて買って食べたところ、すごくおいしかったので、翌日も。さすがに顔をおぼえられました。(笑)

群馬の人と食べ物の話をしていると、必ずでてくるのが「片原まんじゅう」。

おいしかったんだよね。でももうお店やめちゃったんだよね。と皆さんなつかしそうに話されます。

甘いもの好きの私はいつも「食べたかったな~」と思います。



最近ネットでその前橋で「片原まんじゅう」に匹敵するぐらいおいしいおまんじゅうがある、というのを読み、さっそく今回買いにいったのです。

  Cimg2581

今の時代、おまんじゅうを経木に包んでくれるのもめずらしいです。

  Cimg2584

皮がとても薄くあんこがえらく上品、かすかにお酒の匂いがして、とってもおいしい。

いくつでも食べられちゃいます。

歴史ワーキングの勉強会で皆で食べたら、片原まんじゅうを食べたことのある人は、うん、似てるね、思い出させるね、と言っていました。

お店の方に聞いたら、「別に片原まんじゅうを意識しているわけではないんですよ。」とおっしゃっていました。



さて午前中は前橋でおまんじゅう買ってNHKに寄ったり、先祖調べでお寺さんにいったり、用事をすませて、午後高崎に向かいました。

伝道師協会の「西毛県外支部の打合せ会議」なるものに出席してきました。

この会はボランティアで運営されているので、支部長さんから連絡事項の報告があり、今後の活動の方針や具体的な案を皆で相談します。

「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産登録されるまで群馬県各地でこういった活動がおこなわれており、かつ県外にも広めていこうとしています。すこしでもお手伝いできたら、と参加しています。


会議を終えてまだ時間があったので、前橋の群馬県立図書館へ行きました。

いろいろ調べ物をするには、群馬のことならやはり地元の図書館。

2時間半ほど資料をさがして、収穫あり。

充実した2日間をすごして帰宅しました。


前橋・高崎・おまんじゅう

2008-02-17 00:11:12 | 勉強会、講演会

2月14、15日と前橋と高崎に行ってきました。泊りがけになってしまいました。

続けて用事がある時はどうしても泊まったほうがお金も時間も節約になるのです。



さて14日は伝道師協会の歴史ワーキンググループの勉強会。

  Cimg2551 前橋市立図書館

前橋市立図書館で『六十五年記』の読解です。

堅曹が明治12年(1879)伊藤博文内務卿と前島密大輔といかなる話をして富岡製糸所の所長を引き受けたか、という場面。

三人の言葉のやりとりと堅曹さんの自信たっぷりな物言いがおもしろい。

その後にでてくる「所長の心得」の文章が超むずかしい。皆でどういう意味か?とさんざん話し合う。



そうして終わったあと、また夢酔い人Kさんと宮澤家の調査。

前橋市内にお住まいの熊五郎さんの娘さんの嫁いだ家を訪ねました。

それはそれは格式の高い家で、元は前橋藩の家老だったとか。

なんと松平の殿様から宮澤氏におくられたという掛け軸が床の間に飾ってありました。

  Cimg2552 掛け軸

もっと以前の姫路藩時代の置物もありました。

  Cimg2553 置物

槍も飾ってありました。

  Cimg2557_2   Cimg2558 槍

なにかタイムスリップしたようです。


たくさんお話を聞かせていただきましたが、結局宮澤熊五郎の娘さんのところまでしかわからず、熊五郎さんの跡をついだ長男のことは何もわかりませんでした。

でも私たちの探している宮澤熊五郎、鈴さん夫婦が娘に家宝ともいうべきお殿様直筆の書を嫁入りにもたせたのだということがわかり、またその書が何十年と床の間に掛けられ続け、決してとりかえることをしなかったという話をうかがい、ひとつ人物像が描けたような気がします。

宮澤家についてはもう一息です。

高崎とおまんじゅうについては、次回に。


黄色の小物

2008-02-13 12:32:51 | 買い物

立春を過ぎたというのに寒い寒い日がつづいています。

先日、ふと考えると、買い物行ってないなあ~とおもいました。

毎日の食べ物は買いに行っているけれど、食品のスーパーにチャッと行ってご飯作ってっていう感じで、自分の洋服や身に着けるものは全然。

今が冬物は底値なのに、全く忘れていた~。買うなら今だ~。もう2月だからバーゲン終わっちゃってるか。



そこで、このあいだデパートの前をとおったので寄り道してみました。

チョコレート商戦真っ只中。結構混んでましたね~。

私はチョコレートは見ずに真っ直ぐ婦人服売り場へ。

ありました、まだ冬物が。セール品の売れ残りが。

でもサイズと品物が気に入ればお買い得!

何点か買いました。ちょっと嬉しくなりました。



そこでぶらぶらデパートの中を見て歩いていたら、

素敵なバッグが。

私の好きな黄色です。

  Cimg2534

店員さんが「この春は黄色が流行りですよ。差し色に使われるととても素敵です。」

春らしいな~。

流行りでなくても好きな色だな~と思って、セール品でもないのに買ってしまった。


またぶらぶらしてアクセサリーのところを見ていると、黄色のイヤリングが目に留まりました。

   Cimg2531_2

バッグと揃いでつけたらいいな、とおもいこれも衝動買い。



結局、底値だからとおもい買い物に行って余計なモノまで買っています。

でも、私の中に、この寒い季節のなかで暖かい春らしいものを求める気持ちがあったのでしょうね。

はやく「春よ来い」♪♪


横浜でミニレクチャー

2008-02-11 02:33:05 | 原三溪市民研究会

大雪予報の2月9日(土)に月に一度の「原三溪市民研究会」に行ってきました。

   Cimg1252_2  会場の横浜美術館

雪と寒さに万全の支度をして、宿題で作った400枚近い索引のカードと資料もって、いったいどこに旅行に行くのっていうくらいの大荷物抱えていきました。



ワイワイみんなで作業をしていると、内海先生から「あとで先日開かれたモニュメントの完成披露の会のことを皆さんに話しなさい。」と言われました。

取材をうけた新聞記事をもっていったのでそれを配って資料にして15分間くらいのミニレクチャーをしなさい、ということです。

毎回会員のだれかが先生のご指名でレクチャーをするのですが、ついに私にきました。



人前で簡単な講義をするなんてしたこともないし、ちょっと挨拶するのだってあがってしまっていつも後悔だらけなのに・・・。でも有無をいう間もなく、というところです。

少しの時間何からどう話して、この事とあの事は入れて、最後はどうまとめて終わりにするか、と考えました。

全然浮かばない。

全くまとまらない。

うつろに新聞記事を目で追っているだけ。

となりで相棒Tさんが堅曹が富岡製糸場の所長をしていた年数と原三溪が富岡製糸場の経営をしていた年数を一生懸命教えてくれて、この関わりを言うといい、とアドバイスしてくれました。

あとはいつもブログに書いているんだからそのまましゃべればいいって励ましてくれました。

何も頭のなかでまとまらないまま、時間がきました。



「第一グループの速水です」と言ってはじめました。

1月17日に完成披露の会が無事おこなわれたこと。

モニュメントが出来るまでの川越のお墓発見からの経緯。

そして手元の記事をみたら、そうだこの写真の説明をしようといおもい、手前が堅曹さん夫妻のお墓。そして奥の3つの石柱が古い墓石と和歌を埋め込んだ記念碑。

ここまで説明したら、そうだ当日内海先生から教えていただいたこと。

「速水○○夫婦の墓」と古い墓石にかかれていることがその墓を明治初めにつくった堅曹のとても新しい、男女平等にも近い見識をあらわしている。

このことを話そうと思い浮かんだのです。

それを皆さんに話し、そして川越の土中からは作り変える前のそれぞれの戒名が並べて彫られていた墓石がでてきたことも付け加えました。

古いものは壊してしまうのは簡単だけれどなんとか残したいとおもい、こういった形で残してみたがこれが何かの参考になればうれしい。

最後に堅曹と原三溪の富岡製糸場を通してのつながりを話して終わりにしました。


先生が補足として、堅曹が亡くなったのは横浜の地で『原三溪翁伝』を書いた藤本実也の家とごく近くであったこと。藤本実也は『富岡製糸所史』も書いていること。など関係が多くあることを付け加えてくださいました。



席にもどって、いったい自分が何分間ぐらいしゃべったのかもわからない、なんか同じようなことをくどくどしゃべったなあ、と反省しました。

でも一応横浜の人たち30人程に新聞記事を渡せて、話を聞いていただいて、ひとり堅曹伝道師をやったような気持ちになりました。

皆さん一生懸命聞いてくださってありがとうございました。

うなずきながら聞いていただくと話している途中でもうれしいものです。

これも勉強だなあ、と思いました。


外に出ると横浜はず~と冷たい雨で予報ははずれました。