陽の光がきらきらと輝いて春めき、暖かくなってきました。
しかし、鼻がぐずぐず、くしゃみがクスン、スギの花粉も飛び始めたようです。
私は30年来のスギの花粉症患者なのです。それ以外はアレルギーはありませんが、まだ世の中の人が花粉症なるものを知らないころ、そう「スギ花粉症」と大学の先生が病気の名前をつけた頃からのお付き合いです。
昔は本当に薬もなく、夜寝ることもできなくなるほど酷い症状でなやまされました。春になるのが恐怖でした。
今は治療法もすすみ、いいお薬もでき、きちんと守れば快適に生活できるのは夢のようです。
そんななか、ここのところず~と仕事以外は堅曹さんの自叙伝『六十五年記』と付き合っています。せっせと索引作りをしています。
何回読んでもおもしろい。
演説のところは口調が想像できておもしろい。
しかし論文になるとすごくむずかしい。語彙からして辞書を引き引き、文法も古語辞典で助詞の使い方の説明読んで、そういう意味なのか~、という調子です。
当時の政治家、官僚もたくさんでてくるので、イメージがふくらみます。
自分の伝記という形をとっているが、日本の製糸業史として記録しようという堅曹さんの意図がかんじられます。
先祖調べに関わってから、それまで歴史には全く興味がなかった私がどっぷり歴史のこまかいところまで知ろうとしている。
そしてこうやって速水堅曹という人物をブログで発信までしている。
ときどきふっと立ち止まって考えます。
単に自分の先祖だから? 功績を残した人物だから?
自分が尊敬できる人物だとおもったから?
それでこんなことまでしているのですから、なんとおこがましい、というかずうずうしい、というか。
歴史をたどるということ、勉強するということ。それはただ過去にあったことを知るというだけでなく、現在の私たちにすべてつながっているという視点でとらえていくと学ぶ意義がでてくる。
『六十五年記』は単に幕末から明治時代、日本の製糸業の近代化にむけてさまざまな側面から推し進めていった一個人の記録ですが、現在の工業国ニッポンの花形である輸出産業に置き換えてみると、技術的なことは雲泥の差で何も比較にもならないが、そうでない物事を判断するときの基準、考え方、捉え方、には時代をこえて変わらない普遍的なものがあり、どう当てはめていっても納得できる真理が存在していることに気がつきます。
昨年元トヨタ自動車の取締役であった坪井珍彦氏の講演を拝聴して、労務関係にながくおられた氏が日本にはじめて工場というものが作られ多くの人を使い、物を生産していく形になったのがまさにこの時期で、製糸場での工男女の指導、管理はいまの労務管理の原点、DNAである、という捉え方をしているのを知った。
ある方が書いてきてくださいました。ながく実社会におられた方です。製品の品質をたかめるには単に機械が精巧になればいいだけでなく、それを扱う人間の精神的なものが必ず表れてくる。それがまさに堅曹さんが130年以上前に書かれていることと同じなので大変驚いた。
先人の知恵を学ぶ。
歴史は繰り返す。
温故知新。
その話を聞いたとき、なるほど先人の足跡をたどり歴史を学ぶということはそういうことであり、私が速水堅曹のことを多くの人に知っていただきたいと思い、いろいろしているのもまちがってはいないと思いました。
先月記念碑を建てることができ、ひとつ堅曹さんの事績を追うことは形になったような気がします。
これからは彼の思想的なこと、製糸業に対する考え、捉え方、その変遷、何をしたかったのか、等を追っていきたいと思います。
第2ステージの幕開けです。