堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

伊豆の旅

2010-11-29 16:55:08 | 旅行記

この秋はずいぶんあちこちに旅にいきましたが、どれも堅曹さんに関連するものばかり。

でも今回は純粋に遊びの旅です。


息子の友人のお母さんたちとの旅。

もう12年くらい続いています。


26,27日と伊豆への旅。

東京駅から行きも帰りも「踊り子号」で温泉三昧と新鮮な魚三昧です。

あぁ~、極楽!極楽!


でも結構健脚の人が多くて、ほとんどウォーキング。

「歩こう、歩こう」って。

温泉卓球もしたし、

健康にもよかったかも。

少し写真を。



Img_0520 一碧湖の紅葉


Img_0530 伊豆北川(ほっかわ)温泉で泊まった旅館の離れ


Img_0529 北川の海岸 

左奥に見えるのがお湯も景色も最高の露天風呂「黒根岩風呂」(クリックすると少し見えます)


Img_0534 城ヶ崎海岸と灯台


Img_0537 城ヶ崎海岸


長野濬平翁の顕彰会に行く②

2010-11-25 17:13:19 | 旅行記

21日、顕彰会当日になりました。

前の晩ホテルに戻ってから、講演の原稿を何度もチェックし、

今回ここに来ることになった長野濬平さんのご子孫の方たちとのメールのやり取り(コピー)を読み返しました。

数日前から講演することに緊張してきて、風邪をひきそうなのを薬で抑えながらも

気を目いっぱい張る事で体調を整えてきました。



朝起きると、とてもいい天気です。

市内から1時間近く車で走って、

午前10時前には山鹿市にある長野家の墓地に着きました。

黄金色の銀杏が美しい駐車場のところに真新しい碑があります。

「長野濬平先生墓所」と書かれていて今日の日付になっています。


Img_0486 長野濬平先生墓所の碑


そこから坂道をあがっていきますが、上までいったところでアッと息をのみました。

昨年来たときとは、全く違うといっていいほどの変わり様。


道を新しくつくり、そのまま長野家の墓地にはいれるようになっていて、お墓がみんなピカピカでした。

しかも地面にもすべて石が張られ、生垣も石の塀になり、まわりの雑木林がなくなり、

うっそうとした木々に囲まれていた墓域が、明るいピカピカの墓域に変わっていました。

しかし、お墓の石は同じものだし、同じ場所に建っている。


Img_0495 墓所の入り口




受付を済ませ、ご連絡をとっていたご子孫の方たちとはじめてお会いし、挨拶をかわしました。

そして真っ先に濬平さんのお墓に駆け寄ったら、

あまりにきれいになったのと、一年ぶりに会えた(?)感激で涙がでてしまった。


Img_0492 濬平さんの墓



時間となり墓前祭がはじまりました。

もう本当に素晴らしい天気で、堅曹さんいうところの「晴天和暢」の日とはこのようなことかとおもった。

まさに今が盛りの銀杏と紅葉が無彩色の墓地に鮮やかな彩りを添え、

そこに在るものすべてが喜びを表しているようでした。


2012 墓前祭の様子


011 墓前祭の様子



粛々と僧侶の読経がすすみ、焼香が行われました。

最後に全員で写真撮影。

眩しいくらいの小春日和の暖かい日差しに皆が笑顔になりました。



次は場所を近くの旅館に変えて「顕彰の集い」が行われます。

会場は和室の座敷でした。

最初は「長野濬平先生顕彰の集い」の総会です。

皆顔なじみのようで、座布団に、男性陣は胡坐というアットホームな感じで進行します。

プログラムの「記念講話」となり、最初に地元の先生のお話がありました。

続いて私が話しをする番です。


30分の予定で準備した原稿を持って、前の座卓へ行き、正座して話しをはじめました。

本当は原稿を完全に覚えようとおもったのですが、それは無理だったので、

チラリチラリと原稿を見ながらお話しをさせていただきました。

約60人の方が聞いてくださいました。


前半は堅曹と長野濬平さんの生涯にわたるお付き合いを語りながら

濬平さんの功績と器械製糸業の黎明期の話しをさせていただきました。

そして後半は私の昨年の九州訪問記を

堅曹の120年前の九州の旅とリンクさせながら話しました。

そして最後に堅曹が濬平さんの70歳のお祝いに贈った和歌3首を紹介しました。

この3首が本当にいい歌なのです。

私の話しなぞ無くても、この3首だけ紹介できれば本当に顕彰になる、とおもっていました。


なんとか無事に終り、ホッとしました。


それからは懇親会となり、馬刺しはもちろん、鹿肉のなべなどもあり、

たくさんの方たちと話しをしました。


ご子孫の方から、

先祖たちが本当に日本のためとおもってがんばってきた様子をはじめて知る事ができてうれしかった。

濬平と親蔵がまさにここにいるようだった、とおっしゃっていただきました。

私は言葉にならないほどうれしかったです。



そして会が終わったあとは、長野さんのご自宅にお邪魔をして、

心温まるおもてなしをしていただき、とても貴重な品々を拝見させていただきました。


Img_0502 手作りの栗と梅の甘露煮、美味!


140年も前に交流した人たちの子孫がこうして時を隔ててお会いすることができ、

先祖を語るひと時が過ごせるなどとは本当に夢のようなことです。

自分が自分でないような、いっぺんにたくさんの貴重な経験をさせていただき、

頭も心もいっぱいになりました。


そうしてご自宅から皆に見送られ、

私のようなものを暖かく迎えてくださったことに深く感謝をして

最終便の飛行機に乗り込みました。


長野濬平翁の顕彰会に行く①

2010-11-24 15:20:46 | 旅行記

11月20日、21日と熊本に行ってきました。

旅の目的は21日に行われる「長野濬平先生墓前祭、顕彰の集い」に出席すること、

そしてそこで少しお話しをさせていただくこと。



20日、朝9時45発の飛行機で熊本にむかいました。


Img_0376 羽田空港 SNA機


今回は同行者がいます。夢酔い人Kさんです。


さて、 晴天に恵まれ、絶好の行楽日和です。

熊本上空では阿蘇山根子岳のギザギザがきれいに見えました。


Img_0378 阿蘇山根子岳



お昼に熊本空港に着き、レンタカーを借りてまずは一路甲佐町へ。


ここは昨年一人でもきましたが、

緑川沿いにある明治八年につくられた、西日本で最初の器械製糸場、

緑川製糸場の跡地に立てられている石碑があります。


Img_0395 緑川製糸場跡の碑、和歌の碑


大きな蚕神が載っているとても立派な碑です。

隣には熊本製糸5代社長の長野簡悟さんの和歌の碑もあります。

裏に彫ってある碑文は徳富蘇峰92才のときの文章です。

川のほうに向かって建てられており、

何度みても、いい碑だな、とおもいます。



次は横井小楠記念館の「四時軒(しじけん)」に行きました。


Img_0402 横井小楠記念館 四時軒


ここは幕末維新期の開明思想家の横井小楠が開いた塾です。

長野濬平さんは横井小楠の弟子ですので、ここに通っていました。

秋津川沿いにあり、部屋からはたいへん眺めがよく、とても気持ちのよい場所でした。


Img_0418 四時軒の和室


Img_0416 縁側から


夢酔い人Kさんはとっても気に入ったらしく、縁側に腰掛けては、山を眺めていました。


熊本市内にむかって走り、近代の建物ということで熊本洋学校教師ジェーンズ邸を見ました。

結構場所が奥まったところにあり、周りをぐるぐるしてしまい、

たどり着くまでに時間がかかりました。


Img_0430 ジェーンズ邸


熊本に残る明治初期の貴重な洋館ということで、何度も移転しながら保存されているということです。

後の日本赤十字の発祥の建物にもなったところだと知りました。


次は同じく近代の建物で、よくテレビドラマにも使われている

五校記念館(現熊本大学)です。

だんだん日が沈みはじめ、明るいうちにとあせります。

赤門と呼ばれている正門をくぐり、奥のほうにある記念館まで急ぎます。


Img_0437 熊本大学 赤門(正門)


大きく立派な校舎がみえてきます。

色づいた銀杏や、樹齢を感じさせるクスノキやイヌマキが前庭にあり、

煉瓦つくりのどっしりと風格のある建物です。


Img_0438 五校記念館


Img_0445 五校記念館


全体の大きさの割りに入り口が小さいです。


Img_0447_2 入り口


となりには化学実験場の煉瓦の建物もある。


Img_0453 化学実験場


どちらも、風格と存在感が圧倒的です。

屋根には煙突と瀟洒な避雷針があり、東京駅のそばに復元された三菱一号館と似ているな、とおもいました。

どんどん写真をとり、日没となり、ぎりぎり写真に残せました。


最後は九品寺の交差点に行き、熊本製糸場があった場所に大煙突の碑がのこされているので、それを見ました。

いまは、ダイエーになっており、駐車場の真ん中にその碑はあります。


Img_0467 熊本製糸会社、大煙突の記念碑


予定していた見学場所のいくつかは時間切れで見ることができず、残念でしたが、

なんとか半日で5ヶ所まわりました。



そうして熊本でも繁華街にあたる水道町のホテルに宿をとったので、下通りで食事をしてあたりをブラブラ。


Img_0483 鶴屋デパートのクリスマスネオン


ものすごく賑やかで、

「熊本ば活気がありよるたい」(笑・メチャクチャな熊本弁です)、とおもったのでした。

つづく


大商舎の川村さん

2010-11-19 22:59:37 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、明治時代初期に堅曹から指導をうけて栃木で器械製糸場を開設した

大商舎の川村さんのご子孫にお会いしました。


小春日和の昼下がり、早稲田大学の構内でたくさんお話しができました。

いろいろなご縁で会えることとなり、堅曹の資料からわかることや

わたくしの知っている事をお話ししました。

川村さんはこのブログを読んでくださっていて、

わたくしのことはご存知だったのには驚きました。

140年も前に堅曹さんがお付き合いした方のご子孫とお話しができるなんて、

考えてみたら本当に不思議なことです。



でも、また明日から同じように堅曹の指導によって製糸場を開設した

九州の長野家の方たちに会うため熊本へ出かけます。

私が去年の9月にひとりで九州に堅曹さんの足跡をたどりに行ったことがきっかけとなりました。

この旅行のことをブログに書いたのを読んでくださって連絡をもらいました。

おもってもいなかった展開にうれしいやら、驚くやら。

いろいろなご縁があって、こうなっていくのだとひたすら感謝して行ってきます。


黒岩比佐子さん、永眠

2010-11-18 00:12:35 | 日記・エッセイ・コラム

ノンフィクション作家の黒岩比佐子さんが17日にお亡くなりになりました。

今年の6月に全く偶然ともいえる感じで展示会でお会いしてから、

私には忘れられない人になりました。


その著作には魅せられっぱなしです。

評伝とはこう書くのか、ここまで徹底的に調べつくして、こう表現するのか、と。

完璧な年表、索引と、その参考文献の膨大さに圧倒されます。


お会いしたとき、村井弦斎の評伝を書かれたときのことを話してくださった。


  「悪意にみちた評伝を読んで、これは違う、とおもった。

  だからきちんとしたものを書きたい。しかし間違った事は書けない。

  あとに残るから、という気持ちで出来る限り調べたいとおもった。」


この言葉で彼女のライターとしての矜持とすごい仕事ぶりがうかがえます。

彼女のブログで古書の解説を読んでその博識に驚かされ、どれだけ勉強になったことか。



お会いしたときはすでに病に冒されていたけれど、とてもお元気そうに見えました。

数日後、会場で一緒に撮った写真に自筆の手紙をつけて郵送してきてくださいました。

こんな丁寧な対応をしてくださる作家のかたがいらっしゃるのかと驚きました。

今その写真を見ていたら、涙がでてきて。。。



10月に新刊『パンとペン』刊行記念の講演会があり、行けばよかったととても後悔していました。

これは堺利彦の評伝ですが、各評論家から絶賛されています。

私も今読んでいます。


009 『パンとペン』黒岩比佐子著



毎日彼女のブログを開いて一喜一憂していたのですが、あまりの早い逝去に言葉もありません。

7月にブログにこう書いておられました。


  「私にあと10年という時間が与えられるなら、あと4、5冊は本を書けると思うのだが……。

   10年が贅沢だというならあと5年でもいい。少なくともあと2冊は書きたい。

   その構想はすでに、頭の中ではでき上がっている。」


どんなに無念であったでしょう。

書いていただきたかった。


ご冥福をお祈りいたします。