堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

堅曹は何を考えていたのか?

2010-04-22 21:28:49 | 日記・エッセイ・コラム

リハビリ頑張って、「体育座り」はできるようになりました。

でも「正座」は程遠い~。

そして、松葉づえをつきながら、左足に体重の3分の一だけかけて歩く練習というのもやっています。


先生の話では、

宇宙飛行士は無重力のなかで過ごすので、骨に負荷がかからず、

宇宙からもどってくると、骨粗鬆症のようになっているのだそうです。

だから骨折して足に体重をかけないで何週間も過ごすと、おなじように骨が弱くなってしまっている。

だから、じっとして骨のつくのをまっているのではなく、

体重をかけていくことによって骨の回復をはやくして治していくのだそうです。


宇宙飛行士は自分の体をそんな状態にしてまでおこなっているのだと知り驚いた。

ずっとステーションにいる野口さんは、きっと地球にもどってきても

すぐには起き上がることもままならないのではないか、といっていました。



さて、そんな話をききながら日々リハビリに通っていますが、

毎日時間はたっぷりあり、この与えられた時間こそ、

堅曹さんのことをまとめるためにつかわなくてはいけない、と心に決めています。


毎日毎日、自叙伝『六十五年記』と日記、それに関連する資料や文献を

じっくりと読み込んでいます。

そして24時間考えています。

堅曹は何を考えて・い・た・の・か?


ガッツでリハビリ

2010-04-16 22:37:25 | 日記・エッセイ・コラム

左足を骨折してから6週間がたちました。

今はリハビリに通っています。

左足がだいぶ曲がるようになり、軽~く足を着いてもよくなったので

(といっても松葉づえでなくては歩けません)、

自動車の運転がOKとなりました。

なら、毎日リハビリにきてください、ということで、病院に通ってます。



このリハビリが、痛いのなんのって。

3週間ほど前に90度まで膝が曲がるようになってから、一人でせっせと動かして

やっと115度まで曲がるようになっていました。

それを病院のリハビリでは、一日で一気に130度に。

次の日は135度に。


リハビリの先生、グッと足を押さえつけて分度器ではかります。

痛いです、本当に。

そんなに一気に角度つめなくたっていいのにと心の中でおもいます。

でも 「泣こうが、叫ぼうがやりますよ!」 と容赦ないです。

整形外科の先生は「ガッツでやるしかないでしょう」なんていってます。


ここで頑張らねば、絶対に正座ができるまでは、とちょっと腹くくってやってます。


お掃除ロボ

2010-04-12 22:29:48 | 日記・エッセイ・コラム

お掃除ロボいただきました!

正式名は「ロボットクリーナー」。

部屋の中をクルクル自走して、掃除をしてくれる掃除機です。

わたしが足を骨折して家事がたいへんなので贈ってくれました。



早速使ってみると、

グ~ん、グ~ん、と唸って部屋の中をあっちいったり、こっちいったりして動いています。



Cimg2740 結構速いです


突き当たるとくるっと方向を変え、右にいったり、左にいったり、

時にはぐる~っと円を描いたり。

それは決まっているわけではなく、ランダムな動きをするのです。


Cimg2744 ぶつかっても戻ってきます



へ~っとおもしろくて、眺めています。

掃除機というより、おもちゃみたい。

自分のおもっている方向に行かないと、

「そっちじゃないってば!」

「こっちきて、テーブルの下掃除して!」

とお掃除ロボにむかってしゃべっている。


おもしろいね~。

自分で椅子に乗りながらでも電気掃除機動かしてたほうが

時間的には早いかもしれない。

でもなんか楽しい。


我が家で歴史WG

2010-04-10 23:59:26 | 勉強会、講演会

無事講演を終えた翌日、8日

毎月前橋でおこなっていた歴史ワーキンググループの勉強会を我が家で行いました。

まだ誰かに連れて行ってもらわないと、どこにも行けない身なので、

先月はお休みし、今月、来月も行くのは難しいなとおもい、

少人数なので、我が家でもなんとかなるかとおもい、提案してみました。

皆こころよく賛成してくださり、遠い道のりをやってきてくれました。



晴れて春らしくなった昼下がりの午後1時、皆があつまり、

食卓を机代わりにして、勉強会をはじめました。


前日の講演会の感想などを話して、

さて、自叙伝『六十五年記』の読解です。

明治27年から28年のことです。


堅曹さんが富岡製糸場を三井家に引き渡して、東京にもどり、

大日本農会や日本蚕糸会の会合であいさつした文章を読みました。

ちょうど日清戦争がはじまる時で、

蚕糸界でもどのように国に貢献していったらいいのか、という内容でした。

横浜の生糸検査所ができたのもこの頃で

堅曹さんにも勤めないかという誘いがきたそうで、

しかしもう浮き世から離れた身ですので、といって断っている。

富岡製糸場の仕事を終えてからは、謡曲や神仏研究など好きなことをしていました。

どこかで「30年で100年分の仕事をした」なんて言っていた人ですので

本当に悠々自適と暮らしていました。



自叙伝を読みおわって、次は堅曹さんの手紙を読み解きます。

昨年小諸で見せていただいた堅曹さん自筆の手紙を皆で解読しています。

これが難しいのです。

手紙は走り書きのように、サ~っと書くので、私などは全然読めないに等しい。

でも一緒にやっている夢酔い人KさんやNさんはすごいのです。

堅曹さんのくずし字のくせまで一覧表にしています。

ここまでして自分の手紙を読んでくれるなんて、堅曹さんも喜んでいるだろうな、とおもいました。

本当にありがたいです。


そうやって細かい検討を重ねて手紙の解読をして、勉強会はおわりました。

いろんな情報交換もおこない、充実した時間でした。

また、来月も我が家でおこないます。


初講演 「速水堅曹と富岡製糸場」

2010-04-07 23:56:57 | 勉強会、講演会

今日「速水堅曹と富岡製糸場」の講演をさせていただきました。

富岡製糸場世界遺産伝道師協会西毛県外支部の

「支部活動報告会」のなかの講演です。


愚息に車に乗せてもらって高崎まで行きました。

怪我をしてから、初めての遠出です。

近所の桜が満開で、あらこんな建物いつの間にできたの?なんて、

ひと月家にこもっていると出掛けるのも新鮮です。



さて、会場は高崎総合福祉センターというところです。

Photo 高崎総合福祉センター


ここはいつも会議で来ていたので、たしか建物全体がバリアフリーだったな、とおもい、

トイレとか段差とか、何の心配もなく行くことができました。

松葉杖で建物に入ったのですが、なんと玄関のすぐ脇に、「無料貸し出し車いす」があり、

それを借りちゃいました。


Cimg2702_2 会場は会議室1



少し早目に着いてパソコンをつないだり、スライドを確認したりしました。

だんだん報告会開始の時間がせまり、皆が集まってきます。

歴史WGで一緒の夢酔い人Kさんや、Nさん、そして相棒Tさんも。

心強いです。

そのほかにも前回のブログをみてくださったHさん、

昨年深谷を案内してくださったOさん、等々、

講演楽しみにしてきましたと言ってくださり、うれしい限りです。



「活動報告会」前半は

一年間の活動報告や会計報告、来年度の計画などが発表されました。


さて、次は私の講演です。

落ち着いて、ゆっくりと、そしてマイクはないので大きな声で、と深呼吸。


Cimg2710 講演に際して紹介される



初めに「私は速水堅曹の次男の子孫の嫁です。」と自己紹介。

そして「今日は速水堅曹の生い立ちと

彼が富岡製糸場にどのように関わってきたかに重きをおいてはなします」と始めました。


・堅曹の生まれ

・幼い時に学んだこと

・明治維新になって藩の生糸の仕事を任命されて横浜にいったこと

・生糸の売買を学んで、それを国益にして万人を富ませようと決心すること

・日本最初の器械製糸所をつくったこと

・富岡製糸所の開業にかかわったこと

・官僚になり富岡製糸所の経営診断をしたこと

・米国フィラデルフィア万博で審査官をしたこと

・3代富岡製糸所所長になり、改革をおこなったこと

・直輸出の同伸会社をつくり、富岡の生糸を輸出したこと

・5代富岡製糸所所長になり、経営を黒字にしたこと

・民営への払下げについて、永続目的として尽力したこと

・そして官営最後に彼が富岡製糸場でしたこと

などを話しました。


途中余話として、

・工女たちが学んだ夜学の科目や、堅曹さんの講話の内容、製糸場のお正月の様子。

・「柱隠し」に書かれていた堅曹さんの和歌。

・住まいであったブリューナ館の間取り図。

なども紹介しました。



およそ40名の方に聴いていただきました。

堅曹さんのことをこんなに大勢の方に聴いていただけるなんて、

本当にうれしかった。

精一杯準備して発表できたので、終わってからも悔いが残りませんでした。

最後に懇親会をして、感想なども聞くことができました。



帰りは愚息の運転してくれる車の後部座席でゆらゆら揺られながら、

ここちよい疲れに満ち足りた気持ちでいっぱいでした。