堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

全国近代化遺産活用連絡協議会 全国大会

2009-07-29 18:37:41 | 旅行記

愛知県豊田市で開催された

「全国近代化遺産活用連絡協議会 全国大会」にいってきました。


Cimg9427  「豊田市」駅前


豊田市はもともとは挙母(ころも)町といい、これは衣(ころも)という意味の当て字からできているくらい、

絹や織物の盛んな土地でした。

現在のトヨタ本社や工場がある土地は、もとは桑畑でちょうど昭和初期の恐慌で絹産業が衰退したときに、

このままでは町がだめになるということで、誘致したということです。



初日のフォーラムには参加できなかったため、翌日の見学会から。

7月24日は朝9時に豊田市駅前のホテルに集合、観光バス一台で40人ぐらいいたでしょうか。

その大会に出席した人と他に地元の人たちも参加していました。


まずは寿町にある達磨窯。

瓦を焼き上げるための窯で、達磨の形に似ていることからそういわれています。

2年ほど前群馬県でも達磨窯が再生され、見にいったことがあります。

これは大正10年に作られてから昭和56年頃までつかわれていたものです。


Cimg8978 達磨窯


Cimg8985 最後に焼き上げた瓦がそのまま残っている


最近手を入れて屋根がつけられ、見学できるようになりました。

実際にここで瓦を焼いていた持ち主の方が解説してくださり、実にわかりやすい。

朝の4時に起きて暑いなかこうやって焼きあがった瓦を一枚づつだすんだよ、とか、

瓦をまとめて運ぶのにこの天秤棒をつかうんだ、とか。

Cimg8992  熱い瓦をこうやって一枚づつ取り出す

そして達磨釜を囲むように作業場や瓦干し場がそのままの形でのこっています。



次は枡塚味噌の味噌蔵見学です。


Cimg9060  枡塚味噌本社工場


社長さんみずから熱心に味噌作りやこの蔵の説明してくださいました。

ここはなんと旧日本海軍航空隊岡崎基地の第3航空隊の格納庫や倉庫、兵舎のあとを味噌蔵としてつかっているそうです。

たまたま何百年もつづく味噌屋の隣に戦争中、軍が格納庫をつくり、戦後そのたてものが払い下げになり、

これからはもっと味噌の需要がのびると見込んで味噌蔵としてつかいはじめたそうです。

経緯はどうであれ、それが味噌蔵になりいまでは貴重な近代遺産の一つとなっています。


Cimg9028 格納庫を転用した味噌蔵


細い柱でつくったトラスの天井はそのままで、時々ここに戦争中働いていた人がきて懐かしく見ていかれることもあるという。

偶然にも残され活用されてきた近代化遺産の例です。



昼食後、バスでトヨタ自動車堤工場へ移動しました。

ここは今一番売れているプリウスの組み立て工場です。

敷地内での写真、ビデオ、携帯電話の使用は厳禁なので写真はありません。

見学コースに沿って企業PR部の女性の案内で進みます。


1140万平米の敷地に6000人が働いているそうです。

工場の外観はのこぎり屋根になっていて、できるだけ外光を取り入れているようです。

ラインに沿って、ジャスト・イン・タイムの「かんばん」方式で組み立てられていく工程がよくわかります。

工場の天井には「よい品 よい考」の標識が下がっていて、

こういった標語をかかげて働いている人によりよい仕事を呼びかけるのは、

明治の時代から変わらないのだな、と思いました。


人々の動きをみていると、整然と迅速に、そして狂いなく作業をこなしています。

女性や年輩者の姿もあり、誰にでもできるように作業は工夫されているとのことです。


その後、本社隣のトヨタ会館に行き、こちらには新車がズラッと並び、トランペットを吹くロボットも。


Cimg9077  トヨタ自動車本社


Cimg9080  パートナーロボット


Cimg9081 トヨタ会館内ショールーム


ちょっと休憩がてら自由に見学です。



バスに乗り、最後は豊田市近代の産業とくらし発見館へ。


Cimg9083 豊田市近代の産業とくらし発見館


Cimg9085 正面入り口


ここは大正10(1921)年につくられた「愛知県蚕業取締所第九支所」の建物を使っています。

この豊田市が養蚕で栄えた地区であることを偲ばせる遺産のひとつです。

この小さな資料館、大好きです。

いつもHPで、職員の方が毎日書き込むブログを見て、

今こんな企画展やっているんだ、次ぎの展覧会の資料こうやって集めるんだ、

蚕も育てて、真綿をつくったり、繭クラフトつくったり、と

とても興味ぶかく楽しませてもらってます。


地元の子供からお年寄り、女性にも男性にもわかりやすく、

豊田市のことを知ってもらう企画がいっぱいです。


Cimg9093 昭和のくらしの展示


つい何十年前にあった生活をやさしい目線で教えてくれます。

近くにあったら何度でも行きたいとおもってしまいます。


そこをゆっくり見学して、今日の見学会は解散です。

明日は足助の街めぐりです。

つづく。


近代から発見する「とよた」

2009-07-22 13:21:57 | 旅行

明日(23日)の夜から愛知県豊田市の見学会に行ってきます。


 Img063_2 パンフレット


ブログを通して知り合ったMOJOさんが関わっている

「全国近代遺産活用連絡協議会」の全国大会です。

今年は愛知県の豊田市で開催されます。


いつも彼のブログを通して見ている豊田市の近代遺産を

『近代化遺産探訪案内』(MOJOさん編集・平成19年発行)を持って

いつか見学にいきたいとおもっていました。


   Img064  『近代化遺産探訪案内』



23日のフォーラムは仕事があり参加できないのですが、

24日「近・現代のものづくり」をめぐる見学会と

25日「足助のまち並み見学」に参加します。


MOJOさんに一昨年(←クリック)ぶりに会えるのも楽しみです。



帰りには名古屋の有松・鳴海絞りで有名な「有松」に寄り、

伝統の絞りや江戸時代の風情を残す町並みを見てこようかとおもっています。

では。


「横浜・原三溪・インド~つながりを語る1枚の写真~」本番

2009-07-21 15:55:40 | 原三溪市民研究会

さんざんブログに書いてきた「横浜・原三溪・インド」フォーラム、行われました。

まずは本番前日18日の調布の多摩川の花火写真を。


  Cimg8893  調布市花火大会


これは先祖調べを始めてから、早稲田大学のオープンカレッジに通うようになり、

そこで知り合った方の自宅で開かれた花火大会&懇親会で撮ったものです。

多摩川の花火会場のまん前にあるご自宅のベランダから花火を堪能し、

大学の先生の特別講義を受け、生演奏を聞き、美味しい料理とお酒で懇親をするという

まことに贅沢な一夜でした。




そんな夜遊びをして、ちょっとお疲れモードの翌朝19日、本番を迎えました。

気合を入れなおしてしっかり身支度して、横浜にむかいました。

晴れて暑くなりそうです。

本番3時間まえの11時に会場の横浜市開港記念会館に着きました。


 Cimg6914_3  横浜市開港記念会館


この建物は大正6年に建てられたもので、横浜3塔のひとつ「ジャック」と呼ばれています。

また、この記念館は岡倉天心の生まれた場所でもあります。



入り口を入ると正面が講堂の扉で、その前で責任者のOさんが受付の設定をしていました。

挨拶をすると「講堂の中を通って奥にいくと控え室があるから」と教えてくれた。

扉を開けて中にはいると、とてもクラッシックですてきな演檀が目の前に現れ、

それはそれは90年の歴史を感じさせる堂々とした講堂でした。


控え室に行くと出演者の方はだいぶ来ていて、いつもの和やかな中にも高揚した雰囲気です。

すぐにそれぞれのパワーポイントの入っているUSBを持ち寄り、合わせてひとつにし、

それをチェックしてから舞台のところで最後のリハーサルをおこないました。


 Cimg8928 リハーサルの様子 演壇


舞台の上には重厚な演台があり、そこでしゃべることになります。

そこで、立ったほうがいいのか、坐ったほうがいいのか、

手元の原稿が読めるほどの明るさがあるかどうか、パソコンはどこにおくか、

などこまかいことをチェックしました。

パワーポイントの画面のスライドは役員のKさんがやってくれる事になり、

私は原稿を読むだけでよくなりました。


相棒Tさんと同じ班のKさんが最前列に陣取って、

残り「何分」(5、3、0)という札を掲げてくれることになり(1人10分の持ち時間)、

それが見えるかどうか、という確認もしました。


マイクにむかって実際にやってみましたが、ステキな客席をうっとり眺めてしまいます。

こんな歴史のある素晴らしいところで発表できるなんて、夢みたい。


 Cimg8926  客席


控え室にもどって、パワーポイントの映らなかったところを直したり、年号を西暦になおしたり、

同じ班の発表者の時間オーバーの長い原稿を短くしたり、と総出で手直しをしました。


お昼は緊張して食べられないだろうという予想どおりで、もってきたお稲荷さんを少しだけ食べました。

だんだん開演時間が近づくにつれ、胃とおなかが痛くなってきました。

たかが10分弱の発表をするだけで、と慣れている方は笑っちゃうでしょうが、

わたしにとってはこういったことは全くの初めてで、緊張します。



開演も近づき、客席にいきました。

いつも一緒に先祖調べをしている藤沢のEさんがご夫婦でいらしてくれました。うれしいです。

さあ、はじまる時間になります。

原稿とメガネとハンカチだけもって舞台の裏にいきました。

大きなスクリーンの裏で椅子に腰掛けて、ジッと順番を待ちます。


最初は内海先生の話です。

先生がおわり、次が私。緊張のMAXでスクリーンの横から演台へ向かいます。

隣にKさんがいてくれるので安心です。手元灯のスイッチが入っていません。

アチコチさわりましたが、電気がつかず、Kさんに言ったら探して灯けてくれました。


さて始めます。

お辞儀をして

「市民研究会の速水です。」

「はじめに原三溪の生い立ちについてお話いたします。本名は原富太郎、三溪は雅号となります。」

と話し始めました。


  Photo_2 原三溪


三溪は岐阜の旧家の長男に生まれたこと。

母方の祖父が高橋杏村といい、有名な南画家で

詩や書にも長け風流韻事を好む人物だったこと。

三溪はそのDNAを受け継いでいて、幼年期母の実家に絵を習いにいったこと。

少年期には岐阜の教育者、野村籐陰のもとで漢籍を習ったこと。

それも後の三溪の芸術的な素養となっていること。

そして両親の薫陶が後の三溪の生き方の素地になったこと、等々、

おもに幼少年期に学んだことを中心に話しました。



立って話していたので途中でちょっと膝のあたりがガクガク震えました。

でも「落ち着いて、ゆっくり、ゆっくり」と心のなかで繰りかえし、

スクリーンのほうを見たり、客席のほうに少し顔をあげたりして原稿をしっかりと読んでいきました。


でも最前列にいるタイムキーパーの相棒Tさんを見る余裕は全く無かったです。

原稿から目を離すことができず、時間の札をあげたみたいだ、という気配だけ感じました。

でも最後まで特に間違えずに読むことができ、終わりました。


次ぎの方と入れ違いにまたスクリーンの後ろへ引っ込み椅子に腰掛けました。

やれやれ、あんなに胃やおなかが痛かったのに、終わったとたんすっと直ってしまいました。


あとでタイムキーパーのKさんに聞いたら、時間は8分だったというので、

練習どおりにゆっくり話せたようです。




このあとリレートークでは

三溪がどのような経緯で横浜へ行き、原合名会社を立ち上げ、どんな会社経営をしたのか、

また、横浜の銀行救済や関東大震災後の復興にどれだけ尽力したか。

そして三溪の芸術的な仕事とインドの大詩人タゴールとの出会い、エピソードなど。

私を含めて5人の市民研究会のメンバーで話をつなぎました。


そして最後に日本の大学で勉強しているバス・アンビカさんが

タゴールの詩をベンガル語で朗読をしてくれ、

学芸員のSさんがタゴールと三溪の写っている1枚の写真について解説をしました。

ここでリレートークは終わり、皆で客席に戻りました。



このあと、横浜在住のインド貿易商ナリン・アドバニさんのお話です。

彼の曽祖父が初めて横浜に来たのは1890年代。その後祖父も、父も貿易商として横浜にやってきた。

その間には関東大震災があり、戦争があり、バブルがあり、と

まさに開港から現在までの横浜とインドの関係を示すにふさわしい

アドバニ家に伝わっている話をしてくださいました。

インドと横浜の繋がり、歴史がよくわかりました。


Cimg8929 アドバニさんの講演


ここで第1部はおわり、10分の休憩後第2部のはじまりです。




第2部は「光りの舞 新シルクロード」というタイトルで

ウードというアラブの楽器の演奏とインド映画女優の踊りがあり、とてもステキなひと時でした。


 Cimg8934 ウード奏者 常味祐司さん


 Cimg8939 インド舞踊 板倉リサさん



フォーラムが終わり、近くのインド料理店で打ち上げをし、楽しい食事会となりました。

今回のイベントを通じて本当にいろんな経験をさせてもらいました。


「横浜・原三溪・インド」フォーラムのリハーサル

2009-07-15 19:15:36 | 原三溪市民研究会

梅雨が明けましたね。

昨日我が家のそばの中学校の前を通ったら、プール授業をしていました。

懐かしい。

水の音とともに聞こえてくる子供達の歓声がふっと忘れていた昔のことを思い出させます。

さあ、夏がはじまります!



先週山形から帰ってきた翌日、11日(土)は横浜で原三溪市民研究会がありました。

今度の日曜日に催される「横浜・原三溪・インド」のフォーラムのリハーサルです。

山形に行く前に、話す内容やそれに合わせてたパワーポイントをつくって準備しておいたので、

それを持っていざ横浜です。



Cimg8863  桜木町駅はいつも人がたくさん


Cimg8864 桜木町駅前


リレートークの順番で、1人ずつパワーポイントの画面に合わせて話してみました。

私は用意していった原稿を読んだのですが、何回も読んでいるのですらすら話してしまいます。

家でキッチンタイマーを使って計ると8分ぐらいでしたが、

Kさんが時間を計ってくれたらなんと6分でした。


聞いている人は画面を見ながら話を聞くわけですから、早口で話されたらよくわかりませんよね。

もっとゆっくりと語りかけるようにはなすとわかりやすいよ、とか

パワーポイントに書いてない人の名前は一回聞いただけじゃわからない、とか

ここが説明が足りないからもう少し入れて、などと

同じ班の人や先生からたくさんアドバイスをしてもらい、とてもありがたかったです。


2年近く一緒にやってきた班の人たちとはずいぶん親しくなり、

この日は帰りに皆で「フォーラムに向けての気合入れ」と称して楽しく飲みました。



今パワーポイントの手直しと話し方の練習をしています。

当日きちんとできるようにがんばろうっと。


庄内研修旅行② 松岡株式会社

2009-07-15 00:14:53 | 旅行記

さて、研修旅行一日目の松ヶ岡開墾場の見学も無事おわり、

その日の宿、湯野浜温泉に着きました。

日本海に面したホテルで、天気がよければきれいな夕日がながめられたでしょうに、

雨も本降りになってしまい残念でした。


大広間での食事もおわり、夜は同室となった同年代の女三人、

夜が更けるまで話し続けました。

こうしたことも泊まりの研修会ならではの楽しみですね。



翌10日は朝からものすごい暴風雨。

警報まで出てしまい、出発を40分ほど遅らせました。


Cimg8766  ホテルからの景色 暴風雨で波が荒い


お陰でゆっくり朝食をとることができ、昨日見学した松ヶ岡開墾場のことを島村の方と話しました。

手本となった島村の養蚕農家の現役の頃を知っている方です。

松ヶ岡が島村の養蚕農家と決定的に違うのは、2階のまわりに張り出しがないことだという。

そういえば、群馬で見る養蚕農家は必ず2階の庇の下には張り出した広縁があり、

それが特徴だと教わった覚えがあります。


Cimg7202  島村の養蚕農家


この写真は見本となった島村の養蚕農家ですが、ちょうど2階の張り出しのところに女性が立っています。

これは養蚕の最盛期には2階は蚕でいっぱいになってしまうので、

家人は外の張り出しを通って部屋に出入りするしかないためにつくられたそうです。

なるほど、普通の養蚕農家では家族や手伝う人がたくさん住みながら養蚕をおこないますが、

松ヶ岡のように農家といっても工場のような使い方であった建物には、そこまでの必要はなかったのかもしれません。

そんなことを教えてもらい納得しました。




8時40分にホテルをでて、致道博物館にむかいます。

するとなぜか太陽が顔を出し、傘をささずに見学ができました。


Cimg8832  致道博物館


致道博物館は鶴ヶ岡城の三の丸跡に明治時代の擬洋風建築の建物や民家など歴史的建物を移築して博物館としています。


Cimg8809  致道博物館内


それぞれの建物の中に庄内地方の民俗資料などが展示されています。

ここでも昨日にひきつづき、館長の酒井忠久氏が解説をしてくださいました。


この博物館のなかに「旧渋谷家住宅(田麦俣多層民家)」というのがありました。


Cimg8798  旧渋谷家住宅(田麦俣多層民家)


Cimg8813 解説板(クリックすると読めます)


みんなとはサッと見学しただけでしたが、解説板に「養蚕をしていた」と書いていてあったので、

Nさんと二人で途中で戻ってきて、靴脱いで二階に上がったり、3階を覗いたり、奥のほうまでぐるぐる見てまわりました。


貫禄があります。

柱や梁の煤のつき方が半端ないです。


Cimg8818  3階へあがる階段と家の内部


兜造りの茅葺屋根の感じや中の様子は群馬の富沢家住宅と似ているとおもいました。

養蚕の時期になると2階や3階いっぱいに蚕を広げていたということや、

煙出しだった「はっぽう」という窓が養蚕をするようになって採光窓に改作されたということが

中に書いてありました。

昨日見学した松ヶ岡のように、そのためにつくられた養蚕農家ではなく、

もともとの農家で明治になってから、松ヶ岡ではじめられた養蚕がこの地にひろがり、

このように天窓をもつ形に変えた建物があったんだと知り、

それを見ることができてよかったね、とNさんと二人で喜びました。



さて遅れないようにバスに戻り、

次は今回の研修のもうひとつの目的、松岡株式会社の見学です。

明治20年鶴岡につくられた製糸場は後に酒田市に移転します。

鶴岡からバスで庄内平野と最上川を眺めながら酒田にむかいます。


Cimg8836  庄内平野


Cimg8854  最上川


製糸場は松岡株式会社の本社の一部門ですが、

現在日本には群馬県の碓氷製糸農業協同組合とここ松岡株式会社の2社しか製糸場がありません。

日本の製糸業の最盛期(昭和26年)には300ちかくもあった大規模機械製糸工場。

それが60年近くたってここまで衰退してしまい、まさに最後の砦です。

そんな製糸場を是非なくならないで欲しいという願いをこめて、この目で見てみたかった。


Cimg8848  松岡株式会社
 

Cimg8842  玄関


監査役とその他数名の方が案内をしてくださいました。

まずは見せていただいた工程順に

1、繭乾燥のところから。昔は24時間フル稼働だったが、今は日中だけ。

  そして今はトレーサビリティーということで少量の繭を乾燥することも多いのだそうです。


Cimg8845  繭乾燥場


写真はここまでOKで、これ以降の工程については禁止でした。


2、乾燥させた繭を保管しておく「蜂の巣倉庫」。

  つくりが蜂の巣のようなのでこのような名前だそうです。


3、繰糸はなんと現在富岡製糸場の繰糸場のなかにある機械と全く同じものでした。

  昭和47年頃設置したそうで、37年たってもいまだ現役です。

  いつも富岡で止まっているのしか見ていない私たちは、

  同じ機械だよ!と皆うれしそうに見つめていました。


4、隣で揚げ返しが行われていました。

  繰糸された5個の枠を一つの大枠にどんどん巻き取っていき、

  糸が途中で切れると女性社員さんがさっと糸をつなぎます。

  説明をしていた男性社員のかたが、自分は最初に1ヶ月間この糸つなぎを練習したけれど、

  なかなかうまくできなくて、とても難しい作業だったと話してくださった。

  揚げ返しの途中で、昔ながらのレトロな道具をもってきて、糸をそれに巻き取っていました。 

  それは糸の太さのデニールを計るものだそうで、太さは巻き取った糸の重さでわかるのだそうです。


5、最後は仕上げ工程で、27デニールの生糸7万メートル分を「長手造り」という形にまとめます。


いろいろ質問に答えてもらいながら見学させてもらったので、よくわかりました。

最後に部屋にあつまって質疑応答をして、製糸場の現状や今後について貴重な話を聞かせていただきました。


社員の方たちに見送られて工場をあとにしました。


Cimg8850  工場遠景



鶴岡に戻り昼食をとり、お土産を買って一路群馬へ。

また7時間ほどかかりましたが、

車内で庄内平野や最上川がロケ地となっている映画「おくりびと」を上映してくれたので、

今見てきたばかりの景色を思い出しながら、いい時間が過ごせました。


2日間とおして、やはり現地にきてみると得られることは多かったという思いと、

ある方から詳細にレポートしてって頼まれたこともあり、

すこし長くなりましたが、見たことや感じたことをできるだけ書いてみました。

ここまで読んでくださってありがとうございました。