愛知県豊田市で開催された
「全国近代化遺産活用連絡協議会 全国大会」にいってきました。
豊田市はもともとは挙母(ころも)町といい、これは衣(ころも)という意味の当て字からできているくらい、
絹や織物の盛んな土地でした。
現在のトヨタ本社や工場がある土地は、もとは桑畑でちょうど昭和初期の恐慌で絹産業が衰退したときに、
このままでは町がだめになるということで、誘致したということです。
初日のフォーラムには参加できなかったため、翌日の見学会から。
7月24日は朝9時に豊田市駅前のホテルに集合、観光バス一台で40人ぐらいいたでしょうか。
その大会に出席した人と他に地元の人たちも参加していました。
まずは寿町にある達磨窯。
瓦を焼き上げるための窯で、達磨の形に似ていることからそういわれています。
2年ほど前群馬県でも達磨窯が再生され、見にいったことがあります。
これは大正10年に作られてから昭和56年頃までつかわれていたものです。
最近手を入れて屋根がつけられ、見学できるようになりました。
実際にここで瓦を焼いていた持ち主の方が解説してくださり、実にわかりやすい。
朝の4時に起きて暑いなかこうやって焼きあがった瓦を一枚づつだすんだよ、とか、
瓦をまとめて運ぶのにこの天秤棒をつかうんだ、とか。
そして達磨釜を囲むように作業場や瓦干し場がそのままの形でのこっています。
次は枡塚味噌の味噌蔵見学です。
社長さんみずから熱心に味噌作りやこの蔵の説明してくださいました。
ここはなんと旧日本海軍航空隊岡崎基地の第3航空隊の格納庫や倉庫、兵舎のあとを味噌蔵としてつかっているそうです。
たまたま何百年もつづく味噌屋の隣に戦争中、軍が格納庫をつくり、戦後そのたてものが払い下げになり、
これからはもっと味噌の需要がのびると見込んで味噌蔵としてつかいはじめたそうです。
経緯はどうであれ、それが味噌蔵になりいまでは貴重な近代遺産の一つとなっています。
細い柱でつくったトラスの天井はそのままで、時々ここに戦争中働いていた人がきて懐かしく見ていかれることもあるという。
偶然にも残され活用されてきた近代化遺産の例です。
昼食後、バスでトヨタ自動車堤工場へ移動しました。
ここは今一番売れているプリウスの組み立て工場です。
敷地内での写真、ビデオ、携帯電話の使用は厳禁なので写真はありません。
見学コースに沿って企業PR部の女性の案内で進みます。
1140万平米の敷地に6000人が働いているそうです。
工場の外観はのこぎり屋根になっていて、できるだけ外光を取り入れているようです。
ラインに沿って、ジャスト・イン・タイムの「かんばん」方式で組み立てられていく工程がよくわかります。
工場の天井には「よい品 よい考」の標識が下がっていて、
こういった標語をかかげて働いている人によりよい仕事を呼びかけるのは、
明治の時代から変わらないのだな、と思いました。
人々の動きをみていると、整然と迅速に、そして狂いなく作業をこなしています。
女性や年輩者の姿もあり、誰にでもできるように作業は工夫されているとのことです。
その後、本社隣のトヨタ会館に行き、こちらには新車がズラッと並び、トランペットを吹くロボットも。
トヨタ会館内ショールーム
ちょっと休憩がてら自由に見学です。
バスに乗り、最後は豊田市近代の産業とくらし発見館へ。
ここは大正10(1921)年につくられた「愛知県蚕業取締所第九支所」の建物を使っています。
この豊田市が養蚕で栄えた地区であることを偲ばせる遺産のひとつです。
この小さな資料館、大好きです。
いつもHPで、職員の方が毎日書き込むブログを見て、
今こんな企画展やっているんだ、次ぎの展覧会の資料こうやって集めるんだ、
蚕も育てて、真綿をつくったり、繭クラフトつくったり、と
とても興味ぶかく楽しませてもらってます。
地元の子供からお年寄り、女性にも男性にもわかりやすく、
豊田市のことを知ってもらう企画がいっぱいです。
つい何十年前にあった生活をやさしい目線で教えてくれます。
近くにあったら何度でも行きたいとおもってしまいます。
そこをゆっくり見学して、今日の見学会は解散です。
明日は足助の街めぐりです。
つづく。