堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

金山城跡

2009-04-30 23:25:07 | 日記・エッセイ・コラム

昨日群馬県太田市の相棒Tさんの家に行きました。

今月手術をして、退院なさったのでお見舞いです。

手術後の経過もよく、とてもお元気そうでした。

良かった、良かった。



さてあんまり天気がいいので、帰りに近くの金山城跡にいってみました。


 Cimg7891 


平野のなかにドンと盛り上がっている、金山。

遠い昔、海底火山が噴火したときの溶岩が固まってできた「岩の山」で、

戦国時代、その山全体を要塞のようにしてつくられたのが「金山城」です。

「山城」というタイプの城です。



途中まで車でいって、あとは歩いて上まで登ってみました。


Cimg7911 岩山だったのがよくわかります


新緑のなかを気持ちよく進み、物見台から太田の町や遠く榛名山も見えました。


Cimg7907 太田の町


最近の整備事業で整えられた石垣はとても当時の雰囲気を再現していて、

こういった城もあったんだとよくわかりました。


Cimg7916 南曲輪


Cimg7917 大手虎口


上までいくと日本百名城の碑が。


Cimg7922_2



Cimg7929 頂上は新田神社


祭日でも人がすくなかったので、のんびりと山の中を歩き、

清新な気持ちになりました。

今度は金山城解説員でもあるTさんに案内してもらおう!っと。


鬱金(うこん)桜  満開

2009-04-29 00:40:29 | 日記・エッセイ・コラム

堅曹さんのモニュメントのところに緑色の桜、「鬱金(うこん)桜」が1本あります。


 Cimg7876_2 塀の外側にあるのが鬱金(うこん)桜の木


昨年はいつ咲くか、いつ咲くか、と毎日のように気にしていましたが、

今年は余裕です。

ゴールデンウイークの直前だろうと見当つけて待っていました。


今日4月28日満開です。


Cimg7880 満開になるとこのようなピンク色になります


Cimg7878 近くでみるととても可憐


Cimg7872 たくさん花がついています



昨年のブログを見ると4月25日満開でした。ブログ←クリックすると読めます。



ちょうどお昼のテレビ番組で、おなじ緑色の桜「御衣黄(ぎょいこう)桜」の話題が出ていました。

どこにあるのか、いつ咲くのか教えてくださいって。

見たことない人のほうが多いのでしょうね。



今日はいいお天気で、モニュメントのところにある堅曹さん夫婦のお墓も掃除して、

新しいお花を入れて、お線香あげて、ゆっくりお参りしました。


 Cimg7882 速水堅曹夫婦の墓


ホンワカとのどかであたたかい日差しに、ほんと気持ちよかったです。


歴博友の会の見学会

2009-04-24 14:56:15 | 勉強会、講演会

だいぶ日が経ってしまいましたが、19日は「群馬県立歴史博物館友の会」主催の

「日本のシルクロード」を訪ねて、という見学会に参加してきました。

群馬県内のシルク関係の遺産です。

群馬も広いので、主に山のほうにある遺産を回りました。

講師は昨年までNHK前橋放送局にいらした佐滝剛弘氏です。



まずは沼田市にある「薄根の大桑」です。


Cimg7658  薄根の大桑


樹齢なんと1500年!

根元周囲は約8メートルのヤマクワです。

個人所有だか、国の指定天然記念物となっています。

見学にいくと、持ち主のⅠさんがパンフレットを配ってくれ、一生懸命に世話をしていることを話してくれました。

昔、姉が2000円のミシンを買ってもらいたくて、この大桑が25万円で売れる時にも、父は姉にミシンは借りれ、といって売らなかったという。そんな想いを引きついでⅠさんはこの桑の木をまもっているという。

愛情たっぷりに保存されているのを知り、暖かい気持ちになりました。



次は坂道をエッチラオッチラ登ってたどり着く、三国街道の脇往還に位置する「冨沢家住宅」です。

場所は中之条になります。


Cimg7677 坂を登ります

Cimg7679 冨沢家住宅

江戸時代末期の茅葺入母屋造りで、屋根が前兜造りの大型養蚕民家です。

立派な住宅です。2階は蚕室になっていました。

この茅葺屋根を5月の末から葺き替えるそうです。現在は職人や茅の調達も大変で、

費用も4000万円かかるということです。

葺き替えがはじまると、しばらく見学はできないそうですので、今回見学できてよかったです。



次にバスは吾妻川に沿って走り、六合村の赤岩地区に行きました。

ここは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

養蚕農家が点在し、里山ののどかな集落です。


Cimg7717 六合村赤岩地区 川の上にある集落


近くに草津温泉があり、江戸時代、宿の主人たちが酷寒をさけて冬の間だけ暖かい谷あいのこの地にすんだ「冬住み村」としてできた村だそうです。


Cimg7724 高野長英の隠れた部屋がある湯本家


3階建ての養蚕農家を見学しました。


Cimg7735 見学をした関駒三郎家

はしごで登り、2階、3階の蚕室をみせていただきました。

住んでおられるSさんが自分が住んでいるこの家が建築の写真集に載ったときは本当に驚いた話からはじまり、中の換気口の仕組みや家の改築の跡など丁寧に説明してくれました。

Cimg7748 蚕室


残すことに価値があるなら大切にしようという気持ちをもって保存されていることが、Sさんの言葉の端々に感じられました。

天気もよく、風もここちよく、日本の風景だなあと感じさせてくれる風景とともに、地元の案内の人の心も伝わってきて、とても気持ちのいい見学ができました。



最後は高崎までもどってきて、「日本絹の里」で

「輝くシルク・群馬の製糸 世界遺産をめざす富岡製糸場を中心に」展を見ました。


   Img040

フランス式繰糸機の模型や古文書も展示されています。


「絹の里」では蚕も飼っていて、はじめてさわってみました。


Cimg7774 人口飼料を食べている蚕


私は生き物が大の苦手で、解説の人が蚕は人間が糸を吐くために改良したものだから全然こわくないですよ、という言葉を信じて、やっとさわったような次第です。

柔らかくて、おとなしくて、いい蚕たちでした。


一日有意義な見学をして、6時過ぎ高崎駅で皆と別れました。


前橋公園と臨江閣

2009-04-11 08:11:00 | 日記・エッセイ・コラム

4月8、9日は群馬にでかけました。

9日は毎月の歴史ワーキンググループの勉強会と

伝道師協会の西毛県外支部の総会があり、両方に出席してきました。

前日の8日に県立文書館で調べものをする予定で、群馬入りしました。


前橋までくると、まさに桜が満開。

それに誘われるように文書館へ行く前に前橋公園に寄ってみました。

風もなく、おだやかな絶好のお花見日和に、平日だというのに大勢の人が来ています。


ふとみると臨江閣がすぐそばにあり、まだ見たことがなかったので、

桜より前にそちらの見学をすることにしました。


Cimg7532 臨江閣



新しくきれいになった庭から入ってみると、「星野翁碑」と書かれた石碑があります。


Cimg7538_2 「星野翁碑」


星野?もしかして星野長太郎かしら、とおもいそばにいってみると、

確かに堅曹さんとは「水魚の交わり」といわれた星野長太郎の碑でした。

前橋市内に碑があることは知っていたけれど、ここにあったんだ!とおもい、

いそいで読んでみます。

速水堅曹ニ就キテ欧式器械製糸法ヲ学ビ・・・、 とか同伸会社の文字もあります。

しっかりデジカメに撮り、あとで解読です。



臨江閣とは明治17年(1884)に来賓をもてなす迎賓館として

初代県令の楫取素彦らが作った近代和風の木造の建物です。

現在は群馬県指定重要文化財となっています。


Cimg7591 臨江閣 車寄せ


渡り廊下によって本館と別館が繋がっており、当時の雰囲気そのままになっていました。

中には少しですが近代の展示があり、

昔の群馬県庁や市役所の模型、大渡製糸所や関根製糸所の写真などもありました。

堅曹さんの義兄である宮澤熊五郎さんの測量図によって作られた

前橋城の模型などもあり、初見で驚きました。

そして本館には堅曹さんの甥たちが能を演じたという舞台がそのままに残されており、

その板の間をしっかりと踏みしめることができました。


Cimg7585 能舞台にもなった「一の間」



よく考えれば、建立された年代から堅曹さん自身はもちろん訪れたであろうし、

親戚の者たちもここに来ていたという歴史的な建物に、

なぜいままで見学に来なかったんだろう。

前橋市内は城をはじめとして、古い建物は何も残っていないと思っていたけれど、

ここはそのまま残っていたのです。

前橋が近代化に活気づいていた頃を感じられる建物に触れられて、

とてもうれしかったです。



だいぶ臨江閣で時間をとられ、やっと前橋公園にはいり満開の桜を堪能しました。


Cimg7600 前橋公園


Cimg7599 県庁と前橋公園土手の桜



公園から歩いて、いつも車で通り過ぎる交差点のところに「前橋城祉之碑」があるので、

それを見にいきました。


Cimg7606 碑の入り口


Cimg7609_2 「前橋城址之碑」



急な階段をあがるとポツンと大きな石碑が建っています。

解説板を読んでみると、

これは城主であった松平直克の城再築の功を偲んで、明治41年(1908)に建てられた、

ということと、傍らにある副碑には

碑を建てるために県内外から800人を超える寄付があったことが記されている、

となっていました。


「前橋城址之碑賛助人名」と書かれた小さな石碑が横にあります。


Cimg7614 「前橋城址之碑賛助人名」碑

もしかして、とおもい、

速水堅曹の名前をさがしてみました。

碑自体がかなり古く、また場所が木の影でうす暗いため

ほとんどが読み取れないような状態でしたが、

堅曹さんはすぐに見つかりました。→ Cimg7615


明治41年ですから、

速水家が前橋を離れて30年がたち、堅曹さんも70に近い歳でしたが、

前橋藩士として、自分が仕えた主君を讃える碑にはきっちりと忠義を尽したのだと思いました。


こんなところに名前が彫ってあるなんて知りませんでした。

桜に誘われて、偶然にいろいろな発見ができました。


骨壷

2009-04-03 23:57:47 | 人物

4月になりました。

桜。新学期。新年度。入学式。新生活。

ここ数年、子供達も巣立ってしまい、あまりこういう言葉に関係するようなメリハリのある生活をしていない。

でも、なんだかバタバタと忙しい。


我が家のあたりでも桜が咲きだし、ちょうど週末あたりには満開でしょうか。


さて、春のうららかな気分にはそぐわない気もしますが、

骨壷のはなしです。

いま、自分の先祖調べの足跡を振り返って書き出しています。

そうすると、気になりながらもやり過ごしていたことが多々あることに気がつきます。

堅曹さんの骨壷のこともその一つです。


平成18年(2006)9月に青山霊園の速水家の墓から瑞法光寺の新しいお墓に堅曹さん夫婦のお骨を移しました。

その時にお二人の骨壷を拝見しました。

堅曹さんのはつまみのある蓋つきのもので、クリーム色の地にグリーンとオレンジの筋状の模様がはいっています。

妻のこうさんのは少し小ぶりの艶のあるこげ茶色で常滑焼のようです。

それぞれ十字にワイヤーがかけられ、蓋がしっかりおさえられています。

口のところにもワイヤーが巻かれ、打ち出しで名前が彫られた小さな銅版が下げられている。

何十年ぶりに外に現れたその2つの骨壷を前に、私は心が震えるほど感動しました。

そして数時間の後、新しいお墓へと納められました。


現代ではあまり見られない、個性的な骨壷。

あれはいったいどういうものなのだろう?

写真を見た方が、これは唐三彩じゃないか、といいました。

そうか、素焼きの壷に三彩釉がかかっている。

もちろん本物の唐三彩ではないだろうが。

でもなんで唐三彩なんだろう、とずっと気になっていました。


それがやっとわかリました。

  奈良・平安時代の骨壷は壷形で、つまみのある平らな蓋がかぶせられている。

  そして三彩の骨壷も発見されている。三彩は美術品として唐三彩が最も有名であるが、

  三彩はもともと死者を埋葬するときに副葬する明器として用いられたものである。

  この三彩が日本に入ると、早速その美しさにみせられ、奈良三彩が作られ

  あるものは骨壷として用いられた。

という文章をみつけたのです。


堅曹さんの骨壷はまさにこのとおりです。

きっと堅曹さん自身が自分の最後に入るべき器としてこの骨壷を用意したのだとおもう。

恐るべき見識である。

明治の顕官の気骨ある生き方と美学を見せつけられた気がします。