堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

名古屋製糸所

2010-10-29 12:44:56 | 旅行記

23日の土曜日の朝、新幹線で名古屋に行きました。

お昼に着き、まずは昼食ということで、迎えにきてもらった息子と

駅近くの柳橋中央市場でお寿司を食べました。

シャリがちょっと甘めだけどとてもおいしかった。



さて、最初に向かったのは市内にある名古屋鯱バスの車庫。


Img_0089  鯱バス本社


ここに明治期に建てられた名古屋製糸所の建物の一部が寮になって残っているのです。


名古屋製糸所とは、三井が富岡製糸所を払い下げられてから製糸事業にのりだし、

明治29年につくった器械製糸場です。

その後、原合名会社が三井から富岡製糸所を譲渡される時に

大嶹製糸所、四日市製糸所と一緒に一括で引き受け、経営していきました。



あらかじめ場所を調べていったので、近くまでいくとすぐにわかりました。

門の外からもすぐに見え、中にはいって写真を何枚か。

外観はレンガ造りのデンとした建物で時代を感じさせますが、

近づいてみると、え~!なんとレンガのうえからペンキ(?)が塗られている!

なんなのこの色は!という感じです。


Img_0087  寮


窓枠も四角いものがあとからはめられているようで、ペンキの下に、うっすらと

富岡製糸場の窓枠みたいにアーチ型のレンガが残っているのが見える。

それにしてもすごい色だなあ、とおもう。

地面との境のところから、本来のレンガをかろうじてみることができました。


Img_0085  本来のレンガ



バス会社の方が出てきてくださったので、少しお話を伺うと、

この建物は新人バスガイドさんの寮としてつかっているということです。

外観は古いままですが、中は全く変えていて、個室がたくさんある形になっているそうです。

明治時代の建物ですよね、と聞くと

そういえば明治村の人が移築するかどうか見にきたことがあったなあ、と話してくれました。



なんだか期待してきたのだけれど、ちょっとがっかり。

でも実際に建物を使いながら残していくとなると、

こうして、防水のためか外壁保護のためかわからないけれど、

レンガの上から塗装でもしなければ、使っていけないのかもしれませんね。

現実を考えさせられました。

次は岐阜へ向かいます。


名古屋、岐阜、豊田市への旅

2010-10-25 01:28:38 | 旅行記

23(土)、24(日)と名古屋方面に行ってきました。

24日に豊田市の幸福寺で宇都宮三郎の顕彰会「秋水会」がおこなわれたためです。



Img_0270  幸福寺


2日間で顕彰会出席以外にいろいろ見たかったところも見学してきました。

名古屋製糸所の建物、岐阜県神戸の日吉神社、善学院、

名古屋市内で近代の建物が残る「文化のみち」地区などです。


どこもよかったです。

そして顕彰会「秋水会」も本当に楽しかった。

目いっぱい堪能して、収穫もたくさん。

これからすこしづつ書いていきます。


スカイツリーと東京タワー

2010-10-13 20:02:10 | 日記・エッセイ・コラム

3連休の最終日、11日はいいお天気でした。

この日は広尾の都立中央図書館に行く予定で朝家をでました。


途中首都高速が混んでいて一般道を走っていたら、

言問橋のたもとで、目の前に今話題のスカイツリーが現れました。


最近はあのあたりはとても混んでいるようなので、近づかないようにしていたのですが、

目の前にあらわれると、つい写真などとってみようかという気になり、

交差点で信号待ちをしている間に一枚。


  Img_0012 スカイツリー



そして広尾に近づいて、そうだ東京タワーも撮ろう、とおもい近くで一枚。


  Img_0029 東京タワー


比べてみると、高さで抜かれた東京タワーのほうが小さく感じるのは否めないです。

形からしてスカイツリーのほうが貫禄がありますね。

でも物心ついたときから目にしている東京タワーは、新鮮ではないけれど、

パリのエッフェル塔にも似たその優美な曲線は永遠の美しさであるようにおもいます。



寄り道ばかりしていったので図書館に着いたのはお昼になってしまいました。

でもこれからは東京でいつも二つのタワーが見ることができて楽しみですね。


ちなみにスカイツリーは今日18時半から3時間だけ試験点灯がされているようです。


原三溪市民研究会 例会

2010-10-12 23:15:32 | 原三溪市民研究会

3連休の初日は横浜で毎月開かれる原三溪市民研究会にいってきました。

午前中から打ち合わせをして、お昼を食べて運営委員会と例会をおこない、一日仕事です。

ここのところ例会は晴れることがおおかったのですが、久しぶりに雨となりました。



さて、運営委員会では会の顧問である内海孝先生が今年度の「横浜文化賞」を受賞されることになり、

来月祝いの会を開く予定で、それについての相談等。

2時からは例会で、『原三溪翁伝』の輪読会です。

今回は三溪園の社会的貢献のところです。


担当のFさんの詳細で深い考察をお聞きしながら、内容を追っていきます。

同じ本を読んでいても、ここまで考察できることがうらやましくもあり、

またおおいに勉強にもなります。


そしてまた新しい会員がふえました。

なんと三溪さんとは遠い親戚になる方です。しかも岐阜の方。

遠くから参加してくださり、いろいろお話しを伺いました。

私たちの会をホームページでご覧になり、お知りになったようで、

インターネットの良さを確認しました。

日本全国、いや世界からもご興味のある方に参加していただければうれしいです。


この日は、先月の小田原・箱根ツアーの写真を並べて、希望する方から注文をとりました。


Img_0006 テーブルに並べた写真のリスト


ちなみに写真担当は私とKさん。

ふたりで200枚づつ撮り、たくさん記録が残せました。

あらためて皆でいいツアーだったね、充実して楽しかったね、という話になり、

この会がますます盛んになっていくのを実感しています。


姫路で藩主の墓参り

2010-10-05 10:55:42 | 旅行記

先週の土曜の夜おそくに姫路に行き、日曜日(3日)に先祖の墓探しと松平家の藩主の墓参りをしてきました。


一昨年の夏、速水家の3代目政勝さんのお墓を探しに姫路に行きました。

姫路にある、という記録だけで、お寺がわからないので、

その当時藩士のお墓がたてられたお寺を片っ端からさがしたのですが、

なにせ二百年以上まえのお墓です、しかも下級武士の。

そのときのブログはここ

結局見つかりませんでした。



しかし、今年にはいってそのブログをみた地元の方からコメントをいただき、

景福寺には古い藩士の墓があり、松平家の藩主のお墓もある、と教えていただきました。

それから気になってしょうがなく、機会があればもう一度とおもっていました。

さらに調べてみると姫路には、藩主の墓が書写山圓教寺にもあることがわかりました。


多分先祖の墓をみつけるのは難しいだろうとおもったのですが、

速水家が武士の時代に仕えていた藩主のお墓がわかったのならお参りにいってもいいのではないか

という気持ちが強くなってきました。


なんだか自分でも変だとおもうし、誰が聞いてもどうして藩主の墓参りなんかするの?という話しだとおもうのです。

でもしたいとおもうのだから仕方がありません。

行ってきました。



さて、天気予報ではくもりから雨、昼ごろからは大雨の予報も。

山で墓探しといえば雨ではたいへんなことになります。

急ごう、とおもい朝食もそこそこに墓探しをする予定の景福寺へ。


Cimg3537 景福寺


Cimg3599 本堂


一昨年のときも真っ先に来たのですが、墓地に行く道がわかりませんでした。

今回は大丈夫。

本堂の横にある引き戸を恐る恐るあけて、墓地にはいり、山に登る道をみつけました。

無縁のお墓もたくさんあるようで、整理のための札があちこちの墓にかかっています。


Cimg3551 札がかかった無縁墳墓


政勝さんのお墓をさがすより前に、とにかく山頂にある4代藩主松平明矩(あきのり)のお墓参りをとおもい、

登っていきました。

Cimg3553 山道


道はそれなりにあるのですが、人っ子ひとりいません。


ちょっとした物音にもなにかいるのかとビクッとしてしまいます。

うっそうとした山の斜面にはたくさんのお墓があり、上にいくにつれちょっと怖くなってきたのですが、

ここで引き返すわけにはいきません。

たくさんのくもの巣を小枝とタオルで払いながら上にむかいます。

やぶ蚊がものすごいのです。

立ち止まって写真をとろうとすると、カメラを構えた手に一瞬のうちに真っ黒になるほど無数の蚊がとまります。

びっくりです。


そうして20分程登って山頂についたのですが、藩主の墓がありません。


Cimg3554 山頂からの姫路城、今は工事中


写真をもっていったのですが、いくら探しても当てはまるものはなく、どうしようかとおもいました。

しかたがない、山を降りてお寺の方に聞いてみよう。


僧侶の方が、松平明矩の墓はもう一本別の道があって、そちらを登っていくとある、と教えてくださいました。

そちらは道が急ですからくれぐれも気をつけて、といわれました。



たしかにそうでした。

 Cimg3593_3 松平家墓所への登り口


狭くて急勾配の道に石段がところどころにある程度で、

両手をつかわないと登れないほどでした。

そうでなくても骨折したばかりで、また滑って転ぶわけにはいかない、と慎重のうえにも慎重に足を運びます。

目印の水桶をみつけ、ほどなく墓に着きました。


そうだとは聞いていたのですが、とても荒れていました。

広い平らな敷地に五輪塔と亀の背に乗った墓碑銘と石の門のみ建っていて、

石の扉も柵もすべて倒れていて、多分塀に使われていたとおもわれる瓦も多数散乱していました。


Cimg3565 松平明矩墓所


 Cimg3567 墓所

  Cimg3573 4代松平明矩の五輪塔


しばし見て回り、丁寧にお参りをさせてもらいました。


すると雨がポツポツと降り始めました。

下りはもっと気をつけて、枯れ枝を杖にして一歩づつ降りていきました。


Cimg3562 下りの道


途中でいくつかお墓をみていきましたが、とてもたくさんあるのと、古いお墓は文字も消えかかっていて、

すぐには政勝さんのお墓はみつけられそうにありません

Cimg3584 途中にある古い墓の数々


この景福寺には現在4000(!)もの無縁のお墓があるそうです。

そのどこかにあるのかもしれないとおもい、多くの無縁の霊にむかってなんどもなんども手を合わせました。



景福寺をあとにする頃には雨は本降りとなってきました。

次はバスに30分ほど乗って、書写山圓教寺にむかいました。

山のふもとに着いてからロープウエイにのり、

おりたところからまたマイクロバスで本坊へむかいます。


Cimg3612 上は納経所「摩尼殿」



ここは千年以上の歴史のある天台宗のお寺で西国第27番目の霊場でもあり、

僧侶の修行道場として「西の比叡山」ともよばれていました。

最近では映画「ラスト・サムライ」のロケ地としても有名です。


傘に雨合羽も着て歩いて奥へむかうと、とても立派なお堂があらわれました。

重要文化財にもなっている大講堂、常行堂、食堂です。


Cimg3636 大講堂


Cimg3639 常行堂


Cimg3634 食堂(じきどう)


雄大で力強く、素朴でありながら圧倒されるほど美しいのです。

深い山に抱かれたその威容にしばし見とれてしまいました。


中に入るとまたとても重厚なつくりで、回廊に座って外を眺めれば、

いつまでもいつまでもその場にいたいとおもうほどでした。


Cimg3678 食堂内部


Cimg3676 回廊からのながめ


この一角にはやはり姫路藩主であった「本多家廟所」もあり、そこがまた独特の素晴らしさでした。


Cimg3628 本多家廟所




さて3つのお堂からすぐ先に松平家墓所があります。

ここは松平家初代の直基(なおもと)のお墓です。

土壁の塀に囲まれ寄進の灯篭がたくさんならんでいます。


Cimg3647 松平家墓所


係りの方が入り口の柵をはずしてくださったので、中にはいることができました。


Cimg3662 墓所内部


Cimg3663_2 墓所内部


石の門と柵の中には「空・風・火・水・地」と刻まれた五輪塔があり、戒名や没年が記されています。

それは先に見てきた4代松平明矩の五輪塔とほとんど同じものでした。


Cimg3692_2 初代松平直基の五輪塔


石の門もほぼ同じで、多分あの荒れ果てた景福寺の墓所もこのような墓だったのではないだろうかと想像されました。

あまりの落差に心が痛みます。


  Cimg3710_2 入り口より


ちょうど墓所に着いた時には雨がやみ、写真をとったり、ゆっくりとお参りをすることができました。

しかしまた雨は降りだしてきて、急いで山をおりることにしました。



今回もまた速水家3代の政勝さんのお墓は見つけられなかったけれど、

気になっていた2人の藩主の墓参りができて満足しています。

バスで姫路駅に戻り夕方の新幹線で帰路につきました。