わが家の奥の方に「聖谷たたら跡」(国史跡)がある。
ここで鉄を生産していたのは田儀櫻井家である(18世紀前半)。
鉄製品は、田儀港から主に北国(能登・越後・越中)
へ運ばれたようである。
加賀藩が製塩事業を奨励しており、
塩をつくる塩釜の原料として使用された。
今回、先祖がその遺跡の近くに住んでおられた人に
現地を案内していただいた。
現在、林道の新設工事が行われており、
昔とはずいぶん状況が変わっている。
写真右手の杉林を少し入った所に遺跡がある。
この遺跡の両側に小川が流れている。
皿に右側に入ると、石の祠(ほこら)がある。
ここに田儀櫻井家4代当主の宗兵衛清矩(そうべえきよのり)
が造立した(1734年)お地蔵さんが安置されていた。
先祖がここに住んでおられたということで、
案内していただいた方が自宅の庭で管理されている(市指定文化財)。
ここらあたりを調査して描かれた絵図を見せていただいた。
右下の平坦なところに先祖の屋敷あったようである。
鉄池の跡も確認できる状況だった。
炭窯は、わが家の近所に住んでおられた方が造られたそうだ。
ここらあたりのことを知っている人は案内いただいた人以外いなくなっている。
また、いろいろ教えてもらいたいと思っている。
ここで鉄を生産していたのは田儀櫻井家である(18世紀前半)。
鉄製品は、田儀港から主に北国(能登・越後・越中)
へ運ばれたようである。
加賀藩が製塩事業を奨励しており、
塩をつくる塩釜の原料として使用された。
今回、先祖がその遺跡の近くに住んでおられた人に
現地を案内していただいた。
現在、林道の新設工事が行われており、
昔とはずいぶん状況が変わっている。
写真右手の杉林を少し入った所に遺跡がある。
この遺跡の両側に小川が流れている。
皿に右側に入ると、石の祠(ほこら)がある。
ここに田儀櫻井家4代当主の宗兵衛清矩(そうべえきよのり)
が造立した(1734年)お地蔵さんが安置されていた。
先祖がここに住んでおられたということで、
案内していただいた方が自宅の庭で管理されている(市指定文化財)。
ここらあたりを調査して描かれた絵図を見せていただいた。
右下の平坦なところに先祖の屋敷あったようである。
鉄池の跡も確認できる状況だった。
炭窯は、わが家の近所に住んでおられた方が造られたそうだ。
ここらあたりのことを知っている人は案内いただいた人以外いなくなっている。
また、いろいろ教えてもらいたいと思っている。