海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「日本は大ショックを目前にしている」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年12月15日 | 日本の政治と経済
日本政府の官房長官にとっては嬉しくない日だった。先週、水曜日、平野博文官房長官は、経済成長の数字が大きすぎたと告白せねばならなかった。7月から9月までに日本経済は、5%ではなくて、1.3%しか成長しなかった。深い景気悪化の急速な終結に対するあらゆる希望を挫く、根本的な訂正の主要な理由は次の通りだ。期待に反して、企業は、2009年夏に投資を増やさず、経費を節約した。急落後の情けない成長は、世界第二の規模を持つ国民経済にとって唯一の悪い知らせではない。既に11月末に、鳩山由紀夫首相は、デフレがやってきて、物価が下落しているということを認めた。藤井博久財務相は、税収は予想よりも遙かに少ないと白状した。戦後史で初めて日本は、新たな借金によって財政を補わなければならない。そうでなくても世界最高の国家財政の赤字は、ウナギ登りである。モルガン・スタンレー・アジアのアナリストであるスチーブン・ローチは、ブルームバーグに対して日本の「第二の失われた10年」について語っている。その際、最初の失われた10年のショックは、日本人の骨身に沁みている。爆発的な国家財政の赤字は、この危機の間に蓄積された。80年代は、日本はまだ、経済的には傷ついていなかった。しかし、1991年以後、不動産価格と株価の下落が続いた。1997年から98年にかけて、信用危機が襲い、銀行や企業は数百兆円の不良負債を抱えていた。
この危機の中で、以前の長所は、危険な弱点であることが暴露した。特に、官僚・産業界・金融機関の間に結ばれた編み目の中では、競争の排除と同様、系列化も普通だった。その上、中小企業の低い生産性が加わった。
バブルの崩壊と経済の破綻の後で、日本銀行は、8%nの公定歩合を引き下げるのに、一年半の間ためらっていた。負債の山を抱えた企業と密接に結び付いていた自民党は、2002年末に真剣にコンツェルンの帳簿を整理し、銀行を国有化し、他の金融機関を破産させ始めた。1992年から2005年までに、日本の銀行は、概算8千億ユーロ(100兆円)の不良債権を帳簿から落とした。それは、毎年の価値創造の20%に相当する。
景気の落ち込みを和らげるために、政府は、90年代の初めに沢山の景気浮揚策を決議した。日本政府の内閣府によると、その費用は、1991年から2008年9月までに490兆円を要した。だが、この景気浮揚策は、将来性のある企業やプロジェクトに投入されず、道路や余計な橋の建設に投入された。プログラムは、大きな恐慌を防いだが、後に莫大な借金が残った。(以下省略)
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2 コメント

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GOOD (グリーン)
2009-12-26 02:55:47
>人のふんどしで相撲を取っていると批判されそうですが、個人的な感想よりは、ニュースのほうが多少は役に立つのではないかと思っています。

まったく仰るとおりです。世間には読むに値しない感想ブログが氾濫しております。
そんな糞みたいな文章よりも世界で何が起きているかを紹介するブログの方が数百倍も価値がありますね。 これからも是非続けて下さい。
貴方のブログで世界の動きを知る人がいるのですから。
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ご評価感謝いたします。 (medicus19)
2009-12-26 19:43:17
半分は年寄りの暇つぶしなのですが、多少は世界の情勢を知るのに役立つかなと思ってやっています。今後ともどうかよろしくお願いいたします。
返信する

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